•  
  • ディベートシスターズ 他一編
  • 目次
  • ディベートシスターズ
  • サクラテレビの人々


  • ディベートシスターズ(2007年)

    小品ながら
    作家自ら「自身の最高傑作」と語る作品。
    ディベートに興味を持つ
    全ての学生に贈る
    「ディベート指南書」!


    目次

    平和主義の乙女たち
  • ディベートハンター・七海
  • 悪徳政治への挑戦
  • 「未来の日本」は女性たちの手で




    平和主義の乙女たち

  •  華蓮はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの銅像の下でひとりそわそわとしている。たびたび腕時計を見ては踵を小刻みに踏む。やがて、いづみと鈴音がやってきた。
    「ずいぶん待たせるじゃない」
    「ごめんごめん。はじめてなもんで、場所がよくわからなくって」
    「ふーん。これがT大かあ」
    「そう。ここが『悪徳官僚になるための登竜門』よ」
    「きっつー。自分が通う大学なのに全くの『容赦なし』だね」
    「当然でしょ。別に好きで入学したわけじゃないもの」
    「いよいよね、華蓮」
    「うん」
    「今、ちょうど12時だから、あと一時間半よ」
    「あの糞ったれ野郎を今日こそコテンパンにしてやろうぜ」
    「よし、じゃあ早速、打ち合わせしましょう」
    「その前に何か食べたいわね、ウッキッキ」
    「大学祭ですもの、出店なら沢山あるわ。あそこの屋台の焼きそばでいい?」
    「充分!」
     三人は大学祭で賑わうキャンパスの中を歩きだした。その後ろ姿は、やがて人込みの中に消えた。

     華蓮、いづみ、鈴音の三人は小学校時代からの幼馴染である。三人は今年二十歳。それぞれ異なる大学に通う「華の女子大生」だ。
     華蓮は日本人の父と中国人の母の間に生まれたアジアン・ハーフ。なるほど、よく見れば目元のあたりが「日本人」とは少し異なる。いわゆる切れ長の目を持つ「中華美人」である。
     いづみは一般の男性並みに背が高く、体つきも筋肉質で引き締まっている。彼女は「空手の達人」で、その道では名を知られた「若き天才格闘家」だ。正義漢で、不条理なことが大嫌い。長い黒髪を束ねたポニーテールは彼女のトレードマークである。
     鈴音は身長150センチに満たないおチビさん。しかも「猿顔」。本人もそのことを認めており、時々「ウッキイ」などと冗談で叫ぶ。小麦色の肌はどことなく「ラテンの女」を思わせる。フラメンコを躍らせたら、さぞや「かっこいい」だろう。

     今日は華蓮が通うT大学の文化祭。ということで三人はここで集結したのであるが、実はそこには「大きな目的」が秘められていたのである。



  • 「華蓮の親父は中国の女と結婚した非国民!」
    「中国に帰れ!」
     時は、彼女たちがまだ小学生だった時代。
     6年6組の教室では毎日のように「華蓮いじめ」が男子生徒たちの間で行われていた。
    「お前たち、いい加減にしろ!」
    「うわっ、男女のいづみが来た、逃げろ!」
     女の子をいじめるしか能のない軟弱な男子生徒たちは、いづみを見るや、たちどころに四散した。いづみは隣の7組にいた。
    「大丈夫か、華蓮?」
    「私なら平気よ」
     そうは言いながらも、華蓮の五体は悔しさに震えないではいられない。
    「あいつら今度、本気でぶっとばしてやろうか?」
    「そんなことしても意味ないよ。あいつらは結局、テレビや新聞といったメディアに踊らされているだけの『ただの木偶人形』なんだから」
    「確かにそうだな」
     1980年代半ばから日本は「右傾化」という名の悪酒に酔うようになった。戦前のような思想統制が行われているわけでもないのに、メディアは自らの主体的意思によって右傾化を助長していた。例えば、某大手出版社では、日本の歴史を歪曲する本やアジア蔑視の本を沢山出版していた。他にも神風特攻隊を決して軍の強制などではない「愛国心に基づく日本国民の自発的・献身的な行動」と粉飾するテレビドラマや映画などが次々と作られ、太平洋戦争を「聖戦」と美化する風潮をしきりに煽っていた。その結果、アジアの子供たちやアジアン・ハーフをターゲットにしたいじめは、それこそ全国の小・中学校で起こっていた。これらは明らかに偏狭な右翼思想に取りつかれた心ない大人たちが引き起こした「意図的な犯罪」であった。
    「華蓮」
     また一人、華蓮にとって「心強い味方」がやってきた。
    「よう、鈴音」
    「いづみもいるのね。丁度いいわ」
     鈴音は一冊の本を二人に見せた。
    「このバカ、また、こんなふざけた本を出したよ」
     鈴音が手にする本は、当時、国立T大学の教授であったテリー太田の『下等なる中国人民に物申す!』という勇ましいタイトルながら、その実態は、日本でのみ販売される『日本人向けの右翼思想宣揚本』であった。
    「中身はバッチシ読んだけど、いつもの通り、反論するのは簡単だよ」
     鈴音が「反論は簡単」と主張した本の内容は、例えば「中国の愛国教育」を非難しながら「日本の愛国教育」を奨励したり、「中国の武力は平和の敵」と言いながら「日本の武力は平和のため」と定義したりといった具合に、要するに内容に一貫性のない代物であった。
    「でもさあ、こんな本を読んで真顔で喜んでいる日本の大人たちって、ホント『自画爺さん』だよねえ」
     その通り!だが、このような日本人が年々増えているのである。
     ではなぜ、このような本が「売れる」のか?それは日本の学校教育が「教科書教育」だからである。つまり、教科書と似たようなスタイルの本、例えば「ダイジェスト本」や「入門書」といった本でないと日本人は「読まない」のである。
     凡そ日本人ほど「名著」や「古典」を読まない民族はいない。だが、名著や古典によって磨かれた精神を用いないで社会情勢を分析するのは、正確な物差しを持たないでモノの長さを計るのと同じである。物差しがダイジェストや入門書というのは実に「心もとない話」だ。物差しがそれこそ「週刊誌」や「夕刊紙」や「俗悪本」ともなれば「あべこべの判断」をする危険性は限りなく高いと言えよう。
     仮に世界的な名著と新聞の社説との間に「判断の相違」があるならば、100%「新聞の社説が間違っている」のである。名著には「普遍性」があるが、新聞の社説は「時流迎合」にすぎないからだ。
     嗚呼、日本人よ。名著を読め!古典を読め!
     ところで、虐げる側は「贅沢・快楽」に耽り、虐げられる側は「必死に勉強する」というのは、いつの時代にあっても変わることがない。華蓮、いづみ、鈴音の三人は、幼い頃より日本の社会に巣食う「人種差別」という偏見と戦ってきた。その結果、三人の頭脳は強く賢く鍛え上げられたのだった。
     当然のように三人は世間から「一流」と言われる大学に進学した。読書通の鈴音は古典研究で名高い私立K大学に、格闘技だけでなく外国語にも堪能ないづみは外国語で有名な私立J大学に、そして華蓮は、あのテリー太田がいる日本の最高学府・国立T大学に。
     だが、華蓮が入学したまさにその時、テリー太田はT大学を去ったのである。今や「元・T大学教授」の肩書を利用して「右翼思想の人気評論家」としてメディアの寵児である。
     華蓮は悔しさに震えた。寸前のところで敵を討ち逃したのである。何としても「あなたは間違っています」と面と向かって言ってやりたかったのに。
     だが、真剣な祈りは必ず諸天に通じる!華蓮が「わが世の春」を謳歌するテリー太田を追い詰めるチャンスがついにやってきた。今日、自分の講演会のために、かつて教授であったT大学にやってくることが決まったのである。                           



  • 「これが今回の資料だよ」
     焼きそばをリスのように頬を膨らませながら食べる鈴音は一冊のバインダーをとりだした。中身はおよそ100枚。その中には、今までテリー太田が主張してきたすべての右翼思想を論破することができる「証拠」が詰まっている。
    「すげえ!さすがは鈴音だ」
     いづみは昔のように、ほとんど条件反射的に鈴音の頭をなでた。鈴音は別段、嫌がる様子もなく、にやりと笑った。
     作戦参謀・鈴音の計画は、およそ次の通りである。
    ①「南京大虐殺まぼろし論」には『国際安全区委員会の調書』や『ヨーロッパの軍事専門家らが撮影した16ミリフィルム』など、中国が一切関与していない資料を用いて反論する。
    ②事実を認める歴史観を「自虐的である」とする主張には「ではアメリカでは広島や長崎の原爆投下を教えなくてもいいのか」と問う。
    ③「戦後の民主主義や自由主義が日本人のモラルを破壊した」という主張には『学問のすすめ』や『武士道』の記述を用いて、明治時代から日本人の利己主義・拝金主義がはじまったことを証明する。
    ④「軍国主義こそ日本の正しい思想」とする主張には『十七条憲法』を用いて「平和主義こそが日本人の心である」「軍国主義は逆臣・蘇我馬子の思想である」「明治憲法こそむしろ日本の文化とは全く関係のないプロシヤ憲法のものまねです」と言い返す。
    ⑤「自衛権による武装強化の正当性」に対しては「では、あなたは北朝鮮の自衛権を容認するのか」と問い詰める。
    ⑥「東京裁判は違法である」とする主張には「日本は第一次大戦終結後に『戦勝国による戦争裁判』を正当とするベルサイユ条約を認めている」と言い返す。
    ⑦「神道こそが日本人の心だ」とする主張には『古事記・日本書紀』に登場する神武天皇誕生の説話を用いて「神道は邪教、皇室本来の信仰は法華経である」と言い返す。
    ⑧「中国人は下等だ」とする主張には『神皇正統記』を用いて「『中国を敬え』というのが後醍醐天皇の遺命である」と言い返す。
    ⑨「日本は神国である」とする主張には『ギリシャ神話』や『北欧神話』を語るだけで充分である。
    ⑩靖国参拝支持に対しては「戦勝祈願をするための軍事施設である神社で『不戦の誓い』をするのはおかしい」と指摘する。
    ⑪日の丸を掲揚して君が代を斉唱するのは「天皇が侍に頭を下げる姿」を再現するものであり、国賊行為である。
    ⑫日清戦争や日韓協約・日韓併合は、福沢諭吉が「力士の腕押し迷惑至極」と痛烈に非難する非人道行為である。
     これらは、ほんの一例にすぎない。この何十倍もの量の資料が鈴音のバインダーの中にはある。
     だが、鈴音は「油断は禁物」と警告した。
    「仮にも相手は元・大学教授です。私たちよりもはるかに多くの知識を持っているでしょうし、何よりも『狡猾さ』にかけては私たちよりもずっと上のはずです。どのような反撃が来るかは正直、私にも予測はできません」
     華蓮といづみは頷いた。
    「でも、だからと言って必要以上に恐れることはありません。何故なら『私たちの方が絶対に正しい』からです。敵は策を弄するでしょうが、私たちは正義の利剣で正々堂々と戦うまでです」
    「鈴音」
     いづみが、たまらず「不安」という本音を吐いた。
    「正直、あたいたちが勝つ確率は何パーセントくらいあるんだ?」
    「それは私にもわかりません。ですが、私が好きな先哲の言葉には『とても実現しそうにない、という理由で実行されないものが数多くある。だが実行されないという理由だけで困難なこととされるものの方が遥かに多い(カウニッツ宰相のことば)』とあります。おそらく、その通りなのだと思います。とにかくやるしかありません。このような試みは、おそらく日本でも最初でしょう。いわば、私たちが未来の若者たちのために『道を切り開く』のです」
     それまで黙っていた華蓮が口を開いた。
    「私たちに敗北は許されない。私たちが負ければ、このような試みは二度と誰もしようとはしなくなるでしょう」
    「わかった。よし、やろう。そして必ず勝とう」
    「そうです、やりましょう。『なしうることをなし、なすべきことをことごとくなしつくし』ましょう。そして勝利の美酒を三人で飲みましょう!」



  •  13時。
     30分前だというのに、講堂内は既に人・人・人で溢れ返っている。さすがは「テレビスター」だ。
     凡そ日本人ほど「有名人」とか「タレント」といった肩書に弱い民族はない。有名人・タレントと見れば、その人物の「人間性」など一切関係なく「ステキ」「カッコイイ」と感じてしまうのが日本人だ。
     華蓮、いづみ、鈴音の三人は、本当ならば「最前列」を陣取りたかったのだが、予定が狂った。仕方なく最後列に座る。こうなったら「一気にステージまで駆け上る」しかない。
     照明が落ちた。ステージのみが暖色の照明によって明るく照らされている。その眩い光の中を悠然と右手から歩いてきたのは、紛れもない「テリー太田」だ。
    (来た!)
     華蓮はポケットの中の記録用携帯デジタル録音機のスイッチを入れた。
     その直後、会場内で大きな拍手が湧きおこる。嵐のような拍手の中で、拍手をしないのは自分たちだけ。まさに「敵前上陸」とはこのことだ。
     だが三人は臆さない。このようなことは最初からわかりきったこと。しょせん会場内にいるのは「自分は優秀・他人はバカ」という思想を持つ次世代の悪徳官僚候補生なのだ。
     テリー太田は、凡そ次のような内容の発言をした。
    ①日本人は「優秀」、中国人は「虫けら」。
    ②戦前の日本人は真面目だった。よって戦前の愛国教育を復活させれば日本人のモラルは復活する。
    ③日本の軍事力こそがアジアの平和の「要石」。軍事大国こそが日本が進むべき道だ。
    ④現職の政治家による靖国参拝は「実にすばらしいこと」だ。
     まだまだ話は続くのだろうが、このままテリーに吠えさせておくわけにもいかない。華蓮、いづみ、鈴音の三人は、すっくと座席を立ち上がった。そして、あっというまにステージの上に登ったのである。
    「会場のみなさま、こんにちは。私たち、今日の講演会を盛り上げるために前もって用意された『さくら』でございますの。ですから驚くことはまったくありませんのよ。今から私たちとテリー先生との『トークバトル』が始まります。もちろん、弁舌家でいらっしゃるテリー先生が勝つに決まっていますから、ファンの皆様、どうぞご安心を。おほほほほ」
     面を食らったのはテリーである。無論、このような演出など頼んだ覚えなどない。
    「な、何だ?お前たちは」
     鈴音が一気にしゃべり始める。
    「テリー先生は、先程『戦前の日本人は真面目で立派な民族だったのに、戦後になってモラルを失ってしまった。これはひとえに、戦後の民主主義や自由主義といった惰弱な思想が原因である。ゆえに日本は戦前の軍国主義を復活させるべきである。そうすれば日本人のモラルは再び向上する』とおっしゃられましたが、福沢諭吉の著作『学問のすすめ』には『欺きて安全を偸み詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり』とあり、また新渡戸稲造の著作『武士道』には『現代における拝金思想の増大何ぞそれ速かなるや』とあります。すなわち、現代日本に蔓延する利己主義や拝金主義といった思想は戦前から既に『日本の世論』だったのですよ」
     あまりに突然のことだったので、テリーは「反論の態勢」にすら入れない。ここぞとばかりに鈴音は一気に話を続ける。最初の段階で一気に相手を叩いておくのは「戦いの常套手段」だ。
    「まだありました。明治日本を代表する画家・黒田清輝。彼の手紙には『西洋人は一生勉強をしているのに日本人は長くて十年ばかりきり』とあります。これが当時の画伯の率直な感想だったのでしょう。まさに『大学に入学した途端に勉強しなくなる現代日本人』そのものではないでしょうか。明治時代の頃から日本人は『勉強が嫌い』だったのですね」
     テリーは未だ石地蔵のまま。さあ、いよいよ「鈴音の結論」だ。
    「『現代日本人のモラルは破壊している』その通りです。そして『明治時代から既にそうだった』ということも証明されました。では問題です。『日本人のモラルが破壊した原因はどこにあるのでしょう?』いいですか。日本人のモラル破壊は明治時代からのものです。ということは、戦後に広まった民主主義や自由主義は当然『無罪』です。そして戦前の日本は『右翼思想』の国でした。そして右翼思想は戦後の今もなお生き続けております。そして、繰り返しますが、日本人のモラル破壊は戦前・戦後を通じてのものです。もう『答え』は明らかですわね?テリー先生が先程から称賛されている右翼思想こそが日本人のモラルを破壊した『悪の元凶』なんです!」
     テリーのはらわたは、まさにこの時、煮えくりかえっていた。「元・大学教授」というプライド、若者に対する蔑視感情、そして何よりも「男尊女卑」が、テリーの五体を駆け巡る。不意を突かれて慌てたテリーではあったが、相手が自分の思想を攻撃する敵であると認識した以上は、もはや手加減は無用。「年配の狡猾さ」や「人並み長けた悪知恵」を駆使して、一気に反撃に転じるまでだ。
    「君は先程、戦前・戦後を通じて存在するという理由から、右翼思想が日本人の堕落の原因であると言ったが、それは『偏見』というものであろう」
     鈴音の反論。「具体的な例をあげましょう。例えば『暴走族』と呼ばれる人々ですが、彼らは好んで自分の愛車に『日の丸』や『靖国神社』のステッカーを貼っております。つまり、日の丸や靖国神社を敬う、あなたが言うところの『愛国者』は、およそ車の運転に関して全くモラルのない人々なわけです」
    「そんなことは何の証拠にもならん」
    「では、これはどうでしょう?有名人に対する悪質な名誉棄損報道によって裁判所から損害賠償を受けている出版社は『歴史歪曲を行う右翼系出版社』と相場が決まっています。つまり右翼は『報道のマナー』すら満足に守らないということです」
    「そんなことも証拠にはならん」
    「私は具体的な例を二つ出しましたから、先生も『民主主義や自由主義が日本人のモラル崩壊の原因である』という具体的な例を出してくださいな」
    「具体的な例ならばいくらだってある」
    「聞きましょう」
    「『民主』と称して悪い連中が集まって怪しい団体を結成したり、『自由』の名のもとにアナーキーな行為ばかり働く連中が、いくらでもいるではないか」
    「確かに。『民主』とか『自由』といった名前の入った政党はいずれも不正や汚職にまみれていて、学歴詐称や献金疑惑といった不祥事ばかりですわね。でもこれって、いずれも『右翼系の政党』じゃありませんか?」
     さすがは鈴音である。テリーの言葉を逆手にとって靖国参拝や歴史歪曲を肯定する日本の二大政党を皮肉って見せたのである。客席からは、くすくすと笑う声や、音は小さいながらも拍手が聞こえてきた。「有名人を見る」のは楽しいものである。だが「有名人が恥をかかされているのを見る」のはもっと楽しいものである。
     講演開始前までは、確かに客席を占める若者たちの大半が「テリー太田ファン」であり「右翼かぶれの若者たち」であった。しかしながら、確固たる信念に基づいて右翼思想を支持しているわけではない。ただマスメディアが作り出す「右翼的な空気」に合わせているにすぎない。ゆえに今、会場内の若者たちが、有名人のテリーが攻められる姿を単純に「面白い」と感じ、謎の女子大生三人組を応援し始めたのは別段驚くにはあたらないといえよう。だが、本番はこれからだ。ここから先、確固たる信念のない優柔不断な若者たちに「確固たる平和思想」を植え付けなければならないのだ。
     テリーは焦り始めた。この小娘を相手に「迂闊な話はできない」ということを悟ったのだ。しかも、現時点では明らかに自分の方が状況は不利。この場で話題を転換するべきかどうかを、早急に決断しなければならない。
    (そういえばこの小娘、福沢諭吉の話をしていたな)
     テリーはニヤッと薄笑いを浮かべた。それは「反撃の糸口をつかんだぞ」という自信に満ちた実に薄気味悪い笑みであった。
    「先程、お前は福沢諭吉の著作の引用をしたな。ならば私も引用しよう。福沢諭吉は晩年の著作の中で明確に『日本人を国家神道によって思想統制しろ』と主張しているのだぞ」
     すると今度は鈴音がニヤッと薄笑いを浮かべた。それは「待ってました」という確信に満ちた愛らしい笑みであった。
    「あなたはどうやら『通俗二論』や『時事新報』に発表された記事についておっしゃられているようですけれども、それらはすべて、師匠である福沢諭吉を裏切った弟子による『偽作』ではありませんか。そのようなものに頼らなくては自分の主張を正当化できないとは、実に情けないですわね。それでもあなた『元・大学教授』ですか?」
     小娘がオロオロする姿を予想していたのに、鈴音に確信をもって「偽作」と言われてしまったので、逆にテリーの方がオロオロする羽目になった。だがしかし、なぜ「勉強しない」ことで有名な日本の大学生ごときが、こんなに「博識」なのだ?
    (まずい、まずいぞ。これはなんとかしなくては)
     だがテリーは「国家神道」に関する話を強引に継続した。これは明らかにテリーの自尊心が引き起こした「誤った判断」だった。
    「日本は神国であるというのは『古事記』『日本書紀』の記述によって明らかだ。この一点に関しては、私には絶対の自信がある」
     鈴音はテリーの顔をきっと眺めた。テリーの心の中に一抹の不安がよぎる。
    「確かに『日本は神国である』という記述は、日本の古典のここかしこに見られるものです。それは私も認めましょう。ですが」
     ここからが鈴音の本番である。
    「それでしたら、古代エジプトにも『アメン』や『ホルス』といった神々がおりますし、古代ギリシャには『ゼウス』や『アポロン』といった神々がおります。その他にも、北欧には『オーディーン』、インドには『シヴァ』、メキシコには『テスカトリポカ』といった具合に、神々に関する神話は、それこそ『世界中にごまんと存在』します。そのようなお話が『日本にもある』ということこそ『日本は決して特別な国ではない』『日本は世界中どこにでもある国々の一つにすぎない』ということの確固たる証拠ではないでしょうか?どうでしょう、テリー先生?ウッキッキ」
     鈴音の口から「猿真似言葉」が聞かれるようになれば、それはすなわち鈴音が「調子に乗っている」証拠である。
     一般に平和主義者は「日本は神国である」とする右翼の主張そのものを否定しようとして、しばしば水掛け論に陥る。だが鈴音は「日本は神国である」と認めた上で「でも神国ならば日本に限らず世界中にいくらだってありますよね?」と言い返したのである。

     日本は「神国」である。だから日本は「世界で最も優れた国」である。

     嗚呼、なんと幼稚な理論であろう。自分の国に伝わる神話を持ち出して「自分の国が一番だ」などと公言する幼稚な民族は、およそ日本人くらいのものだ。21世紀にもなって未だに日本人には「神話と現実の区別もつかない」のだろうか?
     鈴音は腹の底から「神道が嫌い」である。それは神道が「日本民族の悪徳の温床だから」に他ならない。
     神社は宗教施設ではなく「軍事施設」である。古来より幾多の権力者が「侵略戦争の勝利」という野望のために神社で戦勝祈願を行い、自分が支配する土地の民衆の戦意を高揚させてきたのだ。
     それだけではない。神社は現代にあって「政治家とゼネコンの癒着」にも一枚加わっている。すなわち、日本では建物を建設する際には「地鎮祭」が必ずつきものであり、それが神社の重要な収入源になっているのである。無論、地鎮祭など全くの「迷信」である。地鎮祭によって家が守られるのであるならば消防署など不要である。
     迷信と言えば、よく車のリアに貼られている神社で販売されている交通安全のシール。これほど人をおちょくったものはない。このようなシールに本当に「神様の力が宿っている」ならば、およそ、その車は未来永劫にわたって「廃車」になど出来ないだろう。日常の管理においても「雨ざらし」など、もってのほかである。
     そもそも、地鎮祭にせよ交通安全のシールにせよ、発想の原点は「神様を買収して自分の都合のいいように願いを叶えさせる」ことであり、いわば「金権主義・賄賂政策」に他ならない。
     また、およそ神社で願掛けするような人間に限って、順調な時には「これが自分の実力だ」と自惚れ、不調の時には「運がなかっただけだ」と、あろうことか不調の責任を「神様の非協力的な姿勢」に転嫁するものである。こうした日本人の脆弱な精神性は、およそキリスト教徒やイスラム教徒が順調な時には「神様のおかげ」と謙虚な姿勢を持ち、不調の時には「己の実力不足」を素直に認め、神様に恥ずかしくないように自分の実力を高めるべく真剣に努力するのとは、およそ正反対である。
     このように「神道」は決して日本人の人間性を高めないばかりか「日本人の精神性を脆弱なものにする原因」なのである。「希望が死ぬと願掛けが生まれる」とはレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉である。万能の天才は、さすがに上手いことを言うものである。

     政治家連中が
     終戦記念日には
     こぞって靖国神社を参拝し

     国民もまた
     正月には
     こぞって神社へ初詣でをする

     おお日本よ
     文字通り
     「希望が死んだ国」よ!

     せっかくの機会であるから、ここで神道について深く掘り下げてみたい。
     神道がよりどころとするものと言えば、言うまでもなく『古事記』や『日本書紀』に描かれる日本神話である。「日本にはこうした神々がいるのであるから、それらを敬う必要がある」というわけである。
     だが、果たしてそうであろうか?
     古事記・日本書紀には初代天皇・神武帝の祖母として「豊玉姫」なる姫君が登場する。この豊玉姫、実のところ「竜宮城の姫君」であり、竜宮城と言えば文殊菩薩が法華経という経典を広めた「仏教国」である。ということは当然、孫に当たる神武帝は仏教徒であっただろう。歴史書に照らせば皇室本来の宗教は仏教であり、神道でないことは明白である。しかも神道の総本山である伊勢神宮が造営されたのは初代・神武天皇からかなり下った11代・垂仁天皇の時代なのだ。神道を奉じる側には是非とも、この点について「筋の通る反論」をしていただきたいものである。
     神社につきものといえば「注連縄」。しめ縄の起源はもちろん古事記・日本書紀。それらによれば「天照大神が岩戸の中に二度と入れないようにするために注連縄で封印した」とある。つまり注連縄の結ってある神社の境内に「神様は入れない」のだ。
     となれば、神社に好んで住むのは神様から嫌われている存在に決まっている。即ち平和を忌み嫌い、争い事を好む魔物や鬼である。別名「祟り神」と呼ばれる由縁だ。そして「祟りが怖いから参拝する、玉串料を支払う」というのであれば、それは脅迫に屈して反社勢力に「みかじめ料」を支払うのと同じである。
    「『日本が神国であるから日本は優秀だ』というあなたの主張は、理論的に完全に破壊されました。ということは当然、あなたの『中国蔑視論』も完全に破綻したということです。でも、せっかくですから、ここで『神皇正統記』の話をしましょう。神皇正統記は改めて申すまでもなく、後醍醐帝の側近中の側近であった北畠親房によって編纂され、後に徳川光圀によって絶賛された『水戸学=国学の聖書』です。その中に『天皇論』という項目があることは、よもや先生ほどのお方が知らぬはずがありますまい?そこには天皇の義務として『中国の文献を学べ』というのがあります。つまり『建武の新政』を成し遂げた偉大なる天皇であられる後醍醐帝は、大の『中国支持者』なんですよ。ウッキッキ」
     鈴音が猿の声を真似るたびに、客席から笑いがおこる。しかしながら、この場の「猿」は鈴音ではなく、テリーこそが「鈴音の手の平の上で踊る猿」であった。
    「アメリカ独立運動の偉大なる立役者であるトマス・ペインは『自然は決して、衛星を惑星よりも大きくつくらなかった』と申しております。これは『イギリスとアメリカの関係』を指しているのですけれども、そっくりそのまま『日本と中国の関係』にも当てはまることでしょう。当然、中国が『惑星』であって、日本はその『衛星』にすぎません」
     随分と手厳しい「日本評」であるが、これは決して鈴音の我見ではない。
     ドイツを代表する画家エミール・ノルデは来日して日本の神社仏閣を訪れた際に受けた率直な感想を次のように記している「真に価値のある作品は全て中国のものだった」と。 また「芸術は爆発だ」というニーチェの箴言を日本に広めた岡本太郎氏も『縄文土器論』の中で弥生時代以後の日本の文化について、非常に手厳しい評価を下している。これらはようするに一流の芸術家の目には「日本文化の浅薄さ」がまざまざと見えているということなのだろう。
     余談ながら、トマス・ペインの主張に関して。
     太平洋戦争において日本とアメリカは戦ったわけだが、そうなることはトマス・ペインの主張によって建国したアメリカにとっては至極当然のことだったに違いない。衛星である日本が惑星であるアジア大陸を支配しようとする行為を黙認するならば、アメリカは自ら「建国の精神を否定する」ことになるからだ。
     この原理はアメリカという国が存続する限り存在し続ける。したがって日本は未来永劫にわたって「日本によるアジア支配」などという愚かな考えを捨てるべきである。
     鈴音のマシンガン級のスピーチを目の当たりにして、もはやテリーはこの場は「黙る」しかなかった。すると、二人の対論の中に、一人の人間が加わった。いづみである。
    「どうした?何を黙っているんだ。早く『理論的な反論』をして見せてくれよ」
    「・・・・・・」
    「黙ってんじゃ、わからねえよ。それともこの場で潔く『敗北宣言』でもするか?」
    「誰がそんなことするか!お前らの言っていることは全部インチキだ」
    「何だと、てめえ!ふざけるな」
     いづみは思わず演台の上を拳でぶっ叩いた。演台は二つに割れて、破壊された。
    「やべえ、つい力を入れすぎちまった」
    「まあまあいづみさん。そんなに興奮なさらないで」
     鈴音がいづみをなだめる。
    「テリー先生。ここまで私は『歴史的名著』に表された記述を用いて発言を展開しております。先程、先生のスピーチを拝聴いたしましたが、先生の主張はすべて『日本人は優秀である』という先入観に基づく感情論に終始しておりました。先生も、仮にも元・大学教授なのですから、感情論ではなく、何よりもまず証拠を重んじるべきではないでしょうか?大陸移動説の提唱者アルフレッド・ウェーゲナー博士は自著の中で次のように申しております『手に入れたデータを全部使わないで、その一部分だけに基づいて判断をくだす裁判官がいるとしたら、われわれはどんな評価をくだすだろうか』と」
     同業の大学教授ならいざ知らず、よりにもよって普段は「○○ダッシー」「○○ジャーン」といった会話しかしないものとバカに仕切っている女子大生から「学者としての振る舞い」を糺されるとは!この「人生最大の屈辱」にテリーの五体は震えを抑えることができない。
    「どうします、まだ対論を続けますか?それとも降参しますか?」「勝負はこれからだ」「いいでしょう」
     テリーは「北朝鮮問題」について発言した。
    「反人権国家・北朝鮮に対する経済制裁に難色を示す中国は、北朝鮮同様の反人権国家だ!」
     鈴音の切り返し。
    「それならば、南アフリカのアパルトヘイトに対する経済制裁に反対した日本もまた『反人権国家』です。日本は一貫してアパルトヘイトを支持し、その見返りに、南アフリカから大量のダイヤや金を輸入したのですから。この歴史的事実を無視して中国ばかりを非難するのは、とてもフェアな行動とは思えません」
     鈴音の発言の直後、客席がどよめき立った。検定教科書には絶対に書かれていない「日本の恥部」を初めて知った大学生たちの「驚きの声」であった。
    「それに中国は『武力行使につながる制裁決議』に反対したのであって、武力行使を含まない制裁には積極的に賛成しております。むしろ武力行使を執拗に要求した日本の姿勢こそ問題とされるべきです。『日本は北朝鮮との戦争を望む好戦国家である』ということを世界に見せてしまったのですからね。否、日本が好戦国家であるという点においては、朝鮮戦争における日本政府の対応によって既に明らかでありましたね。日本が平和国家であるならば、朝鮮戦争に参戦したアメリカ軍に対して『支援』など行うはずがないのです。その結果、どうなったか?日本は『特需景気』によって戦後復興を果たしましたが、その一方で、日本が支援するアメリカ軍のナパーム攻撃によって北朝鮮の人々は『塗炭の苦しみ』を味わったのです。北朝鮮が日本を憎むのは至極当然のことです。もしも当時の日本政府が朝鮮戦争に対して『中立』の立場をとり、アメリカ軍の参戦を非難していたならば『拉致事件』は起きなかったでしょう。拉致事件は、いわば朝鮮戦争に加担した当時の日本政府が自ら巻いた種なのです。故に日本政府には拉致事件を解決する義務があります。その義務とは、日本政府は一刻も早くアメリカ軍への支援を『誤りであった』と認め『拉致事件を解決するならば直ちに北朝鮮と友好関係を築く用意がある』ことを約束することです。日本国のメンツよりも拉致事件の解決の方が『重要である』ことは言うまでもないことです。現在の北朝鮮が『危険な軍事国家』であることは十分承知しております。ですが、だからこそ友好関係を築かなくてはなりません。国益が絡む外交問題は『友好国同士』でさえもなかなか解決が進まないものです。それが『敵対国』ともなれば、それこそ一歩も前進しないのは当然です。友好国となって『北朝鮮にいろいろな要求ができる国』になることこそが日本の国益となるのではないでしょうか」
    (ちくしょう。これならどうだ)
     テリーは話題を靖国参拝に変えた。
    「日本のある総理大臣は次のようにおっしゃった『罪を憎んで人を憎まずとは孔子の言葉である。中国人が靖国参拝を非難するのは貴国の偉人である孔子の言葉を否定しているようなものだ』。全くその通りではないか」
    「それは確か『孔叢子』の中の言葉でしたね。ですが、孔子の最重要著作である『論語』には『罪あるは敢えて赦さず』すなわち『罪を犯した者は絶対に許すな』とあります。論語を差し置いて孔叢子を優先するなど、およそ『まともな判断』とはいえませんね」
     鈴音の話は、この後も延々と続いた。よほど某総理大臣の発言の数々を「腹にすえかねていた」ようだ。
    「この総理大臣はたびたび『心の問題である』と申しております。全く同感です。総理大臣が心の中で『平和』を希求しているのか『軍国復活』を望んでいるのかなど、私には全く興味ありません。重要なのは心ではなく靖国参拝という現実に目に見える行動だけであり、そうした行動は明らかに『軍国礼賛』なのです」
    「『個人の信念の問題である』。全くのお笑い草です。多くの人々から非難されたときに『理に適った反論』もできず、自分の狭い殻の中に閉じこもる口実としての信念など、仮に信念と認めても実に弱々しい『無様な信念』であります」
    「『日本人が日本人を追悼して何が悪い』。これこそまさに総理大臣が『人の振る舞い』によってではなく『人種』によって人を差別する偏狭な民族主義者であることの証明に他なりません。ならば、この総理大臣は『日本人である』という理由だけで、たとえば地下鉄サリン事件の実行犯たちを追悼するのでしょうか?」
    「『外国の政府がとやかく言う問題ではない』。何と呆れた発言でしょう。ヨーロッパをごらんなさい。ヨーロッパの国々は今もなお『ドイツ国内の動き』に目を光らせ『ナチス礼賛』と受け取れるあらゆる言動に対して非難を浴びせるではないですか。中国や韓国の人々が日本国内の動きに目を光らせるのは日本の侵略行為によって苦汁を味わった彼らの当然の『権利』であり、総理大臣の発言こそ、むしろ彼らの権利に対する『侵害行為』です」
    「『戦犯も何も関係ない。人間は死んだら皆平等である』。その通り。だからこそ軍人を『英霊』として神格化する靖国神社への参拝は『人間平等』という原理の上からも誤りなのです」
    「『靖国参拝など大した問題ではない』。大した問題ではないのなら、やめればいいじゃないですか」
    「『靖国参拝と靖国神社の主張とは別問題』。靖国神社の主張を否定する者であっても靖国参拝をするなどと、およそ誰が考えるでしょう?」
    「『時が解決するだろう』。その通りでしょう。きっと『靖国参拝は誤りである』という世論が勝利する形で、この問題は解決するでしょう。その逆は絶対にあり得ません」
     およそ「権力者の悪口」ほど愉快なものはない。もはや会場内の大学生は完全に「鈴音の味方」となっていた。
    「『お国のために戦った人々を追悼するのは当然』。ふざけないでください。ここで言うところの『お国』とは何ですか?『大日本帝国』ですよね?『ナチスドイツの同盟国』である大日本帝国ですよね?『治安維持法』によって民衆を弾圧し『赤紙』によって未来ある若者たちを次々と無理やりに戦地へと送り出した大日本帝国ですよね?このような反人権国家の命を受けて戦った人々は申し訳ありませんが、お世辞にも『立派な人々』とは言えません」
     お国のために戦うことが必ずしも「立派である」とは限らない。お国のために戦うことが無条件に「立派なことである」とすれば、ナチスドイツの軍人も、フセイン時代のイラクの軍人も「お国のために戦った立派な人々」ということになってしまう。それどころか日本人を拉致した北朝鮮の工作員さえもが「北朝鮮というお国のために働いた立派な人々」となってしまうだろう。「お国のために戦った人々は立派だ」などというのは権力者の言い分でしかないのだ。
     およそ国家などというものは、その時代の指導者によって善にもなれば悪にもなる。しょせん「愛国主義的な生き方」とは善悪という基準を持たない「根無し草のような人生」にすぎないのだ。
    「じゃあ貴様は、靖国神社に祀られた英霊たちを尊敬しないというのかっ、この非国民めーっ!」
     テリーは激昂した。テリーはもはや「冷静さ」を失っているようだ。
    「当然です。およそ『尊敬』などはできません。ですが、私は靖国神社に祀られている方々には心から『同情』はいたします。なぜなら、彼らは戦前には『戦争の道具』として利用され、死後もなお、安らかに眠ることを許されず、靖国神社に祀られることによって『軍国思想を宣揚する道具』として利用されているのですから。生前も死後も軍国思想のために利用される、これこそまさに『無間地獄』そのものと言えましょう。こうした無間地獄から彼らを一日もはやく救いたい。そのためにも靖国神社などさっさと無くなってしまえばいい。これこそが『私の切なる望み』です」
     例えば、ノルマンディー墓地やアーリントン墓地など、世界に存在する墓地に眠る軍人は、生前は「戦争の道具」だったかもしれないが、死後は「人間」として遇されている。だが、靖国神社に祀られている日本の軍人は違う。彼らは「人間」ではなく「英霊」などという得体の知れない「神様もどき」にされて、先程鈴音が指摘した通り「軍国思想を宣揚するための道具」に利用されているのだ。
     そもそも「軍人を祀るキリスト教会」や「軍人を祀るイスラムモスク」など存在しない。だが、日本の神社では、それがさも当り前であるかのように軍人を祀る。こうした行為自体が軍国主義的発想であり、重大な誤りであることは当然である。
     人間は誰も神にはなれない、否、神になどなってはならないのだ。
     かつて「某プロ野球選手を祀る神社」なるものが横浜のデパートの中に作られたことがある。日本人は、ちょっと才能に秀でた人間がいると、すぐに「神様扱い」する。こうした日本人の無節操さこそが、靖国神社などを生み出し、その存在を許す原因であるに違いない。 ルネサンス時代のヨーロッパを代表する思想家エラスムスは「戦没した人たちには普通の墓所が与えられるだけで充分です」と主張している。

     戦没者を「英雄化」せず、「神格化」せず、「人間」として埋葬する墓所。

     これこそが「戦没者を軍国思想を宣揚するための道具にしてはならない」という平和思想の導き出した「正しい結論」なのだ。
     21世紀にもなって未だに軍人のために「特別の聖地」を用意する日本がいかに「思想後進国・哲学後進国」であるかを、日本人はしみじみと実感する必要があると言えよう。
    「また『南京大虐殺』に関しては、中国というよりも、アメリカを中心とする世界の国々が事実として認めるものです。なぜなら、日本軍による南京攻撃に先立って現地に派遣されていた国際安全区委員会、今でいうところの国連難民高等弁務官事務所のメンバーたちが目撃していることだからです。つまり南京大虐殺は、世界中から集まっていた人々の目の前で繰り広げられたものなのです。ですから、もとより誤魔化しようがないのです。別に中国が一人で勝手に叫んでいることではないのです」
     ここからが鈴音の「本番」である。
    「ところで『南京大虐殺』や『731部隊の人体実験』といった日本軍の行為を、なぜ右翼の方々は執拗に『隠そう・誤魔化そう』とするのでしょう?もとより右翼の方々は『中国人は虫けらだ』と主張しているのですから、虫けらを大虐殺しようが人体実験に利用しようが、もとより隠したり誤魔化したりする必要などないではありませんか。つまり右翼の方々は軍国主義を礼賛していながら、その実『人間は平等である』とする平和主義の価値観に基づいて歴史を歪曲しているのです。右翼の方々が南京大虐殺や731部隊の存在を否定することは、自ら軍国思想を否定していることになるのです」
     こうして「逆説」を売りにするテリーに対して、何と鈴音はテリー以上に強力な逆説をもって答えたのだ。
     鈴音が言わんとすることは、すなわち次の通りである「『中国は下等である』という思想を有する日本人にとっては、もとより中国人を対象にした日本軍の残虐行為は『中国蔑視の究極形態』として称賛されこそすれ、否定される必要などまったくない。それを必死に『隠し誤魔化す』のは、中国蔑視感情が『誤った思想』であることを自分でも薄々は感じているからである」。
     事実は全く「その通り」であろう。
    「バリバリの軍国主義者ですら、日本軍の行動について『全て人道的なものであった』などと主張しなければならない有様なのですから、軍国主義が宣揚されるべき道理など全くないのです!」
     こうして鈴音は、ものの見事に軍国主義に「とどめを刺した」のである。
    「中国人は昔のことをいつまでもぐだぐだと文句を言う、実にしつこい民族だ」
     出た!「感情論」。理論では全く歯が立たないテリーは感情論によって中国への反感を客席内に呼び覚まそうとした。
     鈴音は直ちに反論した。ここでは「スピード」が重要であることを鈴音は熟知していた。ここで素早い切り返しができなければ、今までの努力は無に帰してしまう。
    「近年の日本では『凶悪な犯罪事件』が後を絶ちません。そして、凶悪な事件に遭われた被害者の遺族が犯人に対して望むことといえば『一生をかけて罪を償ってほしい』ということです。テリー先生。このような遺族の気持ちを先生は『しつこい』と言われるのですか?大事な家族を失った悲しみは『容易に忘れることができない』のが、むしろ人として普通なのではありませんか?」 
     世間では気軽に「相手の身になって考えろ」などと言われるが、そう簡単にできることではない。
    「私に言わせれば、自分の家族を失った悲しみを時と共に忘れてしまうような人間の方が、むしろ『信頼するに値しない人間』です。ですから、日本軍の行為を断じて許さない中国の人々の行動をもって、私は『だからこそ中国の人々は信頼できる』と断言します。それに『しつこい』というのであるならば、21世紀の今もってなお大日本帝国時代の価値観に固執し、靖国参拝や歴史歪曲を正当化しようと企てている日本の右翼思想家連中の方が遥かに『しつこい』のではありませんか」
     ここは「テリー太田の講演会」である。ところがテリーは「言いたい放題」のことを女子大生連中に言われてしまっていた。しかもその内容はテリーの主義・思想とは全く正反対のもので、おまけに説得力があるのだからたまらない。テリーはとうとう次のように言って小娘連中の話を切り上げさせなくてはならない羽目になった。
    「君たちの主張はわかった。だがね、人には人それぞれの考え方がある。君たちの主義・主張を私に押し付けるようなまねは止めていただきたい。私には私の考え方があるのだ」
     鈴音は「やっとここまで来た!」と心の中で狂喜した。
    この時に至って、鈴音は遂に「勝った!」と確信することができた。
    「今あなたは『人には人それぞれの考え方がある』とおっしゃいましたね?私はそうは思いません。私は『すべての人々が共有するべき正しい思想・哲学というものがこの世には厳然と存在する』と信じております。だからこそ、私は自分が信じている主義・主張を人々に語るのです。ところがあなたは今『人には人それぞれの考え方がある』と言われた。ならば、なぜあなたは、テレビに出演したり、講演会を開催したりして『自分の主義・主張を世に広めよう』となさるのですか?『人には人それぞれの考え方がある』と言われるのであるならば、あなたは自分の思想・哲学を胸にそっとしまっておいて、他人に語る必要など全くないではありませんか」
     ここに至り、遂にテリーは右翼思想という「自らの思想・哲学」はおろか、右翼思想を宣伝するという「自らの活動」そのものさえも鈴音によって完全に否定されてしまったのである。
     もはや完全に「テリーの負け」であった。                           



  • (ウッキイ、腹立つう)
     その後も対論は続けられていったのだが、鈴音はテリーの負け惜しみに終始した不誠実極まりない態度に対して、頭に来ていた。

    テリー「軍国主義こそ『日本人のこころ』だ」
    鈴音「憲法十七条曰く『和を尊ぶべし』」
    テリー「それがどうした」

    テリー「中国人は下等民族だ」
    鈴音『神皇正統記曰く『中国を学べ』」
    テリー「それがどうした」

    テリー「軍事路線こそ『日本の進むべき正しい道』だ」
    鈴音「北朝鮮と同じ道が『正しい道』だというのですか?」
    テリー「それがどうした」

    テリー「平和主義を支持する日本人は非国民だ」
    鈴音「皇太子さまは平和主義・武装放棄の書『孟子』から娘の名前を選ばれました」
    テリー「それがどうした」

    テリー「日本軍は武士の後継者だ。『サムライ魂』を持つ彼らが南京大虐殺や人体実験など、するはずがないのだ」
    鈴音「『平家物語』における源平合戦では、屋島における民家焼き払い、壇の浦における漁民殺害など、むしろサムライたちによる『民間人を積極的に争いに巻き込む』様子が描かれています」
    テリー「それがどうした」

     見ておわかりの通り、テリーは一貫して「それがどうした」と返答するのみである。テリーは鈴音のいかなる主張に対しても「証拠」を用いないばかりか、論破された主張を性懲りもなく繰り返した。
    (この男はなぜ素直に負けを認めないのか?)
     「大人のふてぶてしさ」を鈴音はこの時はじめて知ったのである。どんなに理論的に間違っていようと、どんなに明確な証拠が提示されようと、自説を絶対に曲げない、変えない。それこそが通称「サイコパス」と呼ばれる大人の「ふてぶてしさ」なのだ。
    ふてぶてしい大人というものは、それこそ「今度から気をつけるよ」の一言で済むはずの「トイレの電気の消し忘れ」でさえも頑として「自分じゃない」と言い張るものなのだ。
     そして何より、テリーが「自説を曲げねばならぬ理由」など、もとより無いのである。なぜなら、今までこれで「しこたまカネを儲けてきた」のであり、これからも「しこたま儲かる」に違いないのだから。
     鈴音とテリーの違いは、そのまま二人の人間としての「スケールの違い」である。鈴音は「世界のリーダーとしての日本」を想定しているが、テリーは「日本さえ繁栄すればそれでいい」と考えているのだ。
     おそらくテリーは未来永劫、鈴音の志の高さを理解し得ないだろう。テリー太田は、いわば「金持ちが貧乏人を見下す」ように「男が女性を見下す」ように「大卒が高卒・中卒を見下す」ように「公務員が民間人を見下す」ように「日本人がアジアの人々を見下す」ことを当然のことと考えている典型的な利己主義者なのである。
     たとえば、南京大虐殺の事実をもって「日本人は非人道的な民族である」と直ちに断定することはできない。なぜなら「過ちは、いずこの国にもある」からだ。人類至上「最も統率のとれた軍隊」と評されるナポレオン軍でさえも、スペインでは大量虐殺を行っているのである。だが、南京大虐殺の事実を頑なに否定する姿勢から「日本人は非人道的な民族である」と断言することはできる。なぜなら、過ちを認めないのは「根っからの悪人だけ」だからだ。 テリー太田とは、まさに「根っからの悪人」なのだ。ゆえに絶対に正義の前に屈することはないのだ。それがたとえ「負け惜しみ」であろうとも。
     とうとう鈴音の堪忍袋の緒が切れた。この日、鈴音は鈴音らしからぬ「感情まかせ」の怒りの口調をもってはじめて発言をした。
    「もっと具体例が欲しいというのなら出してあげましょう。松前藩は北方領土において、アイヌの人々を大量虐殺しているではありませんか。まさに、この事件は『南京大虐殺の先駆け』と言っても過言ではありますまい!」
    (なんだと?)
     テリーは鈴音の顔をまじまじと観察した。よくよく見れば「小さな体・色黒の肌・二重瞼の大きな目」と、条件はすべて揃っているではないか。
     テリーはニタッと笑った。
    「お前、さては『アイヌ』だな?」
     鈴音の顔が凍った。テリーは、その表情を見逃さなかった。
    「やっぱりそうか。アイヌだアイヌ、ははは。なんだなんだ、てっきり日本人かと思えば、お前は日本人じゃないじゃないか」
     鈴音は返答しない。ここぞとばかりにテリーの毒舌が続く。
    「どうした、何とか言いなよ?アイヌのお譲ちゃん」
    「・・・・・・」
    「何も言えないのかい?そりゃあ、そうだわな。日本人じゃないんだもんな。要は『下等民族のアイヌが下等民族の中国人を弁護している』んだもんな」
     テリーは「1000倍返し」と言わんばかりに鈴音の出生を罵った。この時のテリーの形相たるや、まさに「天魔」というより他にはない。
    「うっうっうっ」
     鈴音の目に涙がたまった。鈴音は体を震わせた。
    「ははは、泣き出しやがったぜ。しょせん小娘は小娘よ。俺様の敵じゃなかったのさ。どうだ見たか?会場のみんな・・・・・・」
     その時、テリーは見た。自分に対して一斉に白い目を向ける観客の姿を。
     やがて、客席からヤジが飛び始めた。
    「いい加減にしろ!」
    「お前の負けだ、テリー!」
    「素直に謝れ!」
     日本人は自分の主張や知識の正当性を補完する際「テレビでやっていた・週刊誌に書いてあった」と語るほどマス・メディアに対して絶大なる信を置く民族である。テレビや週刊誌が白と言えば「白」、黒と言えば「黒」と信じて疑わないのが、いわば日本人だ。
     そして事実、客席の大多数を占める大学生たちにしても最初はテレビや週刊誌の報道を鵜呑みにするだけの「無思考な若者たち」にすぎなかった。だが、自分と同じ年の女の子たちが真剣になって極悪の有名人と戦う姿を見て、彼らは「目覚めた」のである。
     テリーは慌てた。もはや会場内には自分の味方など「一人としていない」ことを理解したのである。
     そして、ステージ上でも一つの変化が起きようとしていた。華蓮といづみから激しいオーラが立ち上り始めたのだ。それは親友をバカにされたことに対する「怒りの炎」に他ならなかった。
     華蓮といづみは一斉にテリーを見た。先に口を開いたのはいづみ。
    「テリー!貴様は『最低のゲス野郎』だ。貴様はさっきから、あたいの親友たちを『中国人だから』とか『アイヌだから』といった理由でバカにするが、じゃあ『貴様』は一体何なんだ?およそ人間性のかけらも持たない『虫けら』じゃないか。あたいは生粋の日本人だからな。はっきり言わせてもらうぞ。貴様のような奴があたいと同じ日本人であることを、あたいは日本人として恥ずかしく思う!」
     続いて華蓮。
    「テリー先生。短い時間ではありましたが、あなたと実際に話をしてみて、はっきりとわかったことがあります。それは人間の心の中に一度植え付けられた『先入観』は、そう容易には排除することができないということです。それを知ることができただけでも私たちには大いに勉強になりました。本日は私たちにお付き合いくださり、本当にありがとうございました」
    (な?ありがとうだと)
     華蓮は続けた。
    「あなたは最後まで『我見』を通されましたから、私も最後に我見を言わせてもらいます。あなたは『日本人は優秀である』『中国人は下等である』と信じて疑わないようですが、私は違います。私は人種や肌の色などには一切関係なく『すべての人間が平等である』と思っております。けれども、もしも人間の間に『どうしても差別を設ける必要がある』というのであるならば、そのための基準は唯一『人間性の優劣』だけであると信じます」
     華蓮、いづみ、鈴音の三人はステージを後にした。三人が去った講堂内では「三人の健闘をたたえる拍手」が惜しみなく打たれていた。



  •  闘いの後、三人は再びコンドル先生の銅像の下に集まった。鈴音はまだ泣いていた。
    「華蓮は中国人であることを隠さず、強く逞しく生きてきた。それにひきかえ、私はアイヌであることをずっと隠してきた。私は自分が情けない。私は今まで親友さえも騙して生きてきたのだ」
     華蓮は鈴音の肩に手を乗せた。
    「そんなことないよ鈴音。だって華蓮の故郷には13億人も仲間がいて立派な国もあるけど、鈴音には数百人しか仲間がいないし、おまけに自分の国もないじゃん。華蓮よりもずっと苦しんできたはずだよ」
     いづみが続く。
    「そうとも。あたいたちの友情は、これから先も一生涯、変わらない」
    「華蓮、いづみ……」
    「あたいたちは勝ったんだ。大いに喜ぼうぜ」
    「そうだよ、そうだよ」
    「……そうだね」
    「よし。鈴音を胴上げだ」
     いづみは鈴音を抱えた。
    「い、いづみ?」
    「『勝利の立役者』に万歳!」
     いづみは鈴音を上に投げる。華蓮はいづみと共に落ちてくる鈴音を支えた。
    「それ、もう一回」
     小さな体が宙を舞う。
    (みんな、ありがとう)
     鈴音も、いつしか笑顔となり、気がつけば自分でも「万歳」をしていた。
     その後、三人は、お茶の水のメインストリートを何事もなかったように楽しげに歩いていた。三人の姿は、やがて人込みの中へと消えていった。



  • ディベートハンター・七海

  •  現役の女子大生がテレビスター・テリー太田を対論でぶち負かした事件は、右翼思想にかぶれた日本のマスメディアがこぞってテリーを擁護、「黙殺」を決め込んだにもかかわらず、瞬く間に口から口へと伝えられ、全国の大学生の間に広まっていった。各地の大学のディベート部にとって謎の女子大生三人組は文字通り「カリスマ」であった。彼らは当然のように彼女たちに憧れ、次々とディベートに磨きをかける大学生たちが誕生していった。だが……。
    「光あるところに影あり」とは、よく言ったものである。道場破りならぬ「ディベート破り」を繰り広げる一人の女子大生が関西に登場した。
    彼女の名は七海。彼女のスタイルは「チャキチャキの関西弁を駆使して軍国思想を礼賛する」という、まさに華蓮たちとは正反対の存在。地元、関西の大学では「ディベートハンター」と呼ばれ、恐れられていた。
     七海はとにかく「平和主義者」が大嫌い。どこかの大学に「平和思想のディベーターがいる」と聞けば、直ちに殴り込みをかける。そして完膚なきまでに相手を叩きのめすのだ。
    「うちにかなうやつなど、おらへん」
    「軟弱な平和主義者さん。いつでもかかってきなはれ」
     これが七海の口癖であった。
     こんな七海と華蓮たちが、いずれ対決することになるのは、避けられぬ運命であった。
     前哨戦は以下のようにして始まった。
     事の発端は、いづみが所属する大学のディベート部のパソコンに「ディベートハンターには注意せよ」というメールが届けられたことに始まる。
    「ディベートハンター?」
     いづみは、とりあえずメールの中身を読んでみた。送信先は、たびたびメールを使って対論をしている関西の大学のディベート部であった。
     内容を読み進めるにつれて、いづみの顔から余裕は消えた。
    (な、何これ?)
     それは明らかにテリー太田なんかよりもずっとレベルの高い「強敵の出現」であった。
    「ふん。こりゃあ面白いことになってきたぜ。華蓮たちにも教えてやるか」
     やがて鈴音が部室に到着した。
    「鈴音、これを見てくれ」
     鈴音はメールの内容を確認した。メールには幸いなことに「相手の質問」が全て掲載されていた。
    「なるほど。なかなか『口が達者なソフィスト』のようですね」
    「どうだ?」
    「私も俄然、燃えますわ。ウッキイ」
     鈴音はパソコンを打ち始めた。2時間ほどで作成された即席の対論マニュアルは「D・ハンターワクチン」と命名され、直ちに関西の大学に送信された。
    「これでもう、ひと安心ってとこだな」
    「さあね。でも結局のところ対論の勝敗は、信念をもって日頃から意欲的に勉強しているかどうかなのよ。他人のマニュアルをそのまま使っても、それでは辞書や辞典に書いてある知識を詰め込んでいるだけのクイズ王と同じで『本当のディベート力』はつかない。レオナルド・ダ・ヴィンチは自らを『経験の使徒』と呼んで、本で得た知識のみを威張っている人々を見下しているわ」
     七海は関西のディベーターたちが短い時間に力をつけたことに驚いた。だが、ネタはすぐにわれた。自分用の「対論ワクチン」があり、関西のディベーターたちがそれを当たり前のように活用していることを知ったとき、七海は激しく憤った。
    「何や。自分らで勉強したんと違うやないか。アンチョコなんかに頼りおって」
     七海は直ちにワクチンを分析、「切り返しの方法」を編み出すや再び勢いを盛り返した。 関西のディベーター達は、再び七海の攻撃を受けるや、全く手も足も出なかった。より一層強力な「軍国主義宣揚ウイルス」へと変貌した七海は大胆不敵にもワクチンの開発者に対して挑戦状を送りつけてきた。
     メールの文面。
    「ワクチンをつくった奴、あたいと真っ向勝負しいや。けちょんけちょんにやっつけてやるけん、覚悟しいや」



  •  いづみ、鈴音、華蓮の三人は東海道新幹線の車内にいた。七海の挑戦状を受けて、七海が待つ京都の国立大学に向かうためである。
    「いづみさん、寝なくて大丈夫ですか?」
    「ああ、大丈夫さ」
    「少し寝ておいた方がいいですわよ」
    「でも、全然眠くないんだ」
     こんな会話からも察せられるとおり、今回の対論の主役はいづみだ。いづみは明らかに緊張していた。
    「格闘技の試合よりも、はるかに緊張するぜ!」
     いづみの言葉を聞いて隣りで華蓮が笑う。
    「でも、必ず勝ってやるぜ」
     いづみの心は激しく燃えていた。勝負を決するのは、結局は闘争心だ。『勝負は必ず勝つ
    と決めた方が勝つ』のだ。

    「……でも結局のところ対論の勝敗は、信念をもって日頃から意欲的に勉強しているかどうかなのよ。私のマニュアルをそのまま使っても、それじゃあ『本当のディベート力』はつかない……」

     この鈴音の言葉を耳にした時、いづみは正直、自分の姿勢を恥じないではいられなかった。
    (あたいは今まで鈴音たちに頼り切っていた。これじゃだめだ)
     そんな思いにかられていたときに、自分の大学のパソコンに七海から挑戦状が送りつけられてきたのである。
     いづみは自ら「今回は、あたいにやらせてくれ」と志願した。鈴音は、その心意気を買った。早速、鈴音といづみの間で「模擬対論」が始まった。
     だが、いづみは鈴音に手も足も出なかった。
     同い年の鈴音に、いづみはいいように酷評された。
    「あなたの感情論なんか訊いてはいません。客観的な話をしなさい」
    「証拠が提示できないのなら、あなたの言うことには信がおけません」
    「理論的に矛盾ばかりで、あなたの話には説得力がありません」
     いづみは自分のディベート力の貧弱さを身に染みて味わった。
     だが、いづみはへこたれない。必死になって勉強した。鈴音もまた全身全霊を込めて、いづみを鍛えた。その結果、一週間足らずで、いづみは鈴音から「合格」を言い渡された。
    「よく頑張りましたね、いづみさん」
     普段、涙など流さないいづみが、この時ばかりは激しく涙を流す。よほど嬉しかったのであろう。

     七海は大学の視聴覚室で待っていた。三人が中に入ると、まるで「黒いヘルメット」をかぶった様なオカッパ頭の小柄な女性が一人いた。
    「よう来はったな。うちが七海やねん」
     七海は三人を観察した。そして七海は直感した。鈴音が三人組のブレインであることを。
    「あんたが、いづみさんやね。ほな、はじめよか?」
     七海は鈴音をいづみと勘違いしたようだ。
    「私は鈴音といいます。せっかくですが、あなたの相手はいづみさんがいたしますわ」
     七海は本物のいづみをじろじろと見た。一見して「肉体派」とわかる姿は、およそ「ディベートが得意な頭脳派人間」には思われない。
     七海は鈴音に言った。
    「あたい、あんたと勝負したいわ。あんたとだったら、いい勝負ができそうやけえ」
     たまらず、いづみが激高した。
    「ふざけるな『前髪一直線』!お前なんかな、あたいで充分なんだよ」
    「ほな、この『脳みそ筋肉女』をさっさと片付けて、あんたを引きずり出すまでや、鈴音はん」
     鈴音はフフンと笑った。それを見て、さすがの七海もカチンと来た。
    「笑っていられるのも、今のうちやで!」

     先制したのは七海だった。
    「アレクサンドロス大王もナポレオンも侵略戦争によって世界史の中で燦然と輝く『英雄』になったんや。だから戦前の日本の軍部指導者も今は『戦犯扱い』でも、未来には『英雄』として認められるんや」
     典型的な「世界史を悪用した軍人礼賛」である。果たして、いづみは「斬る」ことができるか?
    「アレクサンドロス大王やナポレオンは、確かに『英雄』だ。なぜなら、彼らは『異国の文化・伝統を尊重した』からだ。アレクサンドロス大王がエジプト遠征した時、エジプトは他民族による植民地支配を受けていた。エジプト人は『思想・良心の自由』を奪われ、奴隷の扱いを受けていた。アレクサンドロス大王は、そうしたエジプトの人々を解放したのだ。そして、アレクサンドロス大王は、エジプトの文化・伝統を尊重して、エジプトの儀式にのっとり、ファラオになってもいる。ナポレオンにしても、確かに『異国の美術品を略奪した男』には違いないが、同時に『王侯貴族が所有する美術品を民衆に開放した男』でもある。だからこそ、アレクサンドロス大王やナポレオンは『英雄』の名に値するんだ。それに対し、日本の軍部指導者たちはどうだったか?アジアの文化・伝統を蔑視し、特に韓国にいたっては『同化政策』によって、その文化・伝統を根こそぎ破壊しようとした。異国の文化を理解するだけの器もない日本の軍部指導者など、断じて『英雄の器』じゃない。こんなスケールの小さい連中が『英雄』と認められる時代など、永久にやってこないと確信するね。あたいは」
     七海は驚いた。これらの言葉が「鈴音の口」から出たのであれば、さほど驚きはしなかったに違いない。まさか「いづみの口」から、このような「完璧な反論」が出てこようとは。
    「少しはやるようやな。ほな、これはどや?『三国志』は知ってるわな?この中に『劉備』ちゅう英雄が出てくるねん。この劉備は『漢王室のために闘った』んよ。それでもって今日まで英雄やねん。しかるに戦前の日本の軍部政府も『天皇のために戦った』んやから当然、英雄に決まってるがな」
    「お前、さっき日本の軍部政府を『天皇のために闘った』とか抜かしたな。冗談じゃない。軍部政府は『天皇を利用して日本を支配した民衆蔑視の悪徳権力者』で、その振る舞いは、劉備のそれどころか、むしろ『曹操のそれ』と同じじゃねえか」
     先程から鈴音がニヤニヤしている。きっと鈴音は「いづみの勝利」を確信しているのであろう。
     そうした鈴音の余裕が七海を執拗にいらだたせる。いづみが気付いていない「プレッシャー」を鈴音は七海にかけていた。
    「日本の首相は、あくまでも『日本のリーダー』やねん。『アジアのリーダー』ちゃうねん。だから、アジアの国々からいくら文句を言われようが全く関係ないねん。せやさかい、日本の首相は堂々と靖国参拝をしたらええんや」
     いづみは情けなくなった。こんな低次元な主張に対して真剣に解答しなくてはならないのかと。だが、これは「低次元な主張」ながらも、多くの日本人が「そうだそうだ」と思いかねない危険な主張でもある。
    「仮に日本の総理大臣が『アジアのリーダー』としての立場を放棄して『日本の利益』だけを考えて行動するのであるならば、アジアのリーダーを自認し、アジア全体の利益を考えて行動している中国に対して素直にひれ伏し、歴史認識も領土問題もすべて『御意のままに』と一切を中国の判断に任せるのが、およそ筋というものであろう」
     見事である。「日本はアジアのリーダーらしい振る舞いをしろ」までは誰もが思うことだが、「日本がアジアのリーダーを放棄するならば」とまでは普通は考えない。これは、いづみが戦いの中で編み出した理論、すなわち「今誕生したばかりの理論」である。いづみは実践の場で、この理論を発見したのである。
     実戦は実践に通じる。これこそが「ディベートの醍醐味」である。
     その後も、七海が繰り出す主張を、いづみはことごとく粉砕していった。いづみの説明に「反論の余地」はなかった。七海は「自分の敗北」を悟った。
    「負けた。うちが負けた……」
     七海は茫然としていた。
     いづみは七海の素直さに驚いた。右翼思想にかぶれる人間というものは大抵、どんなに敗北が明らかな時でも醜く「負け惜しみ」をするものだからである。
     果たして、七海は本当に「右翼」なのか?いづみは七海に、その点について説明を求めた。
    「うちは『平和の大切さ』やったら誰よりもよう知っとるねん。せやから、最初のころは必死に『うちら若い世代の人々が真剣に平和について考えなあかん』訴えていたんや。せやけど、平和主義者に限って『七海は心配症やなあ』『日本が再び戦争なんかするわけないがな』といった具合で全然、真剣さが足りん。それに比べ、軍国主義者らのよう勉強することといったら。およそ『真面目さ・真剣さ』だけ言ったら、平和主義者なんて軍国主義者の足元にもおよばへん。せやからうちが『平和主義者の平和ボケを糺したる』思たんや。ほんま悔しいで。軍国主義者は必死になって軍国主義を宣揚しているのに、平和主義者は遊ぶことや食べることにばかり夢中になってるんやから」
     いづみには七海の気持ちが痛いほどわかった。本末転倒の現代日本で、どれほど多くの真面目な人間が、不真面目な人間たちからバカにされて生きていることか。
     「利害・美醜・善悪」という正しい価値基準を持たず「好き嫌い」や「楽しい苦しい」「面白いつまらない」といった感情ばかりを基準にして物事を選択している愚かな人間が、今だってきっとどこかで「俺ってチョーイケてるじゃん!」と自惚れているに違いないのだ。
    「あたいにも心当たりがある。七海の気持ちはよくわかる」
     いづみは七海に同情した。そのうえで、いづみは「だが」と言った。
    「だが、私はそれでも『平和主義』のために戦う。周りが『愚者ばかり』だと言うなら、それだけ『自分の存在意義が高まる』だけのことだ」
     いづみの言葉は、七海の甘えを容赦なく打ち砕いた。結局のところ、七海は心のどこかで「馴れ合える仲間」を求めていた。およそ、世界中のすべての平和運動家が持っている「一人立つ精神」を忘れていたのだ。
     七海ははっきりと理解した。最初から自分が勝つ道理などなかったのだと。
    「いづみはん、ありがとう。ほんまにありがとう」
     七海は心から、いづみに感謝した。
     いづみは顔を赤くした。「一人立つ精神」は、いづみもつい最近まで忘れていたことだったのだから。
     こうして関西の地に、新たに一人「真のディベーター」が誕生したのである。



  • 悪徳政治への挑戦

  •  およそ経済不況を背景に勢力を拡大した政権に「立派な政権」など存在しないことは世界の歴史が物語る通りである。典型的な例は言うまでもなく『ナチス・ドイツ』。
    現在の日本も、まさにそのような政権が「庶民蔑視の政治・右翼思想の政治」を繰り広げていた。



  •  「ディベートシスターズ」の一人として闘った青春の熱い日々から既に9年が経過していた。
     華蓮28歳。彼女は現在、某公立中学校で「美術の教師」をしている。
     自ら選んだ教職ではあったが、華蓮は職場で「沢山の不満」を抱え、いまにも爆発しそうな状態である。
     ある時のこと、華蓮は美術教科書に掲載された高村光太郎の彫刻『腕』に関する説明を生徒たちに行った。華蓮は当然のように『智恵子抄』など、高村光太郎の詩人としての業績を説明。「白樺芸術運動」についての話もした。それによって生徒たちは白樺派が武者小路実篤を代表とする単なる「文壇の一派」ではなく、絵画や彫刻など、あらゆる芸術を内包した大正期を代表する一大芸術運動であることを理解した。
     事件は、その数日後に起こった。
     朝の職員会議。ある国語の男性教師が華蓮の行為を「国語の授業への干渉である」と非難したのである。
     全くもって「言いがかりもいいところ」である。この国語教師、日頃はパチンコに夢中で、およそ一般教養のかけらもない。日頃から教養豊かな華蓮を妬んでいた。
     他の教師も、この国語教師を支持する。不当極まりない多数決の結果、華蓮は「あなたは美術の担任なのだから『学習指導要領』に明記された美術に関する事柄だけを生徒に教えるように」と校長から厳重注意されたのである。
     華蓮の不満は、これだけにはとどまらない。
     華蓮は「教師たるもの、生徒たちの『良きお手本』であるのは当たり前」と考えている。華蓮の愛車は、リッター20キロは確実に走る小型車だ。
     ところが、他の教師たちは「地球温暖化・省エネなんて自分には全く関係ない」と言わんばかりに、高排気量・高燃費のⅤ6・Ⅴ8エンジンを搭載した上級ミニバンや高級セダンや大型RVを鼻高々に乗り回していた。しかも中には道交法で禁止されているアクリルカバーによる「ナンバープレート隠し」を平気で行っている者も。
     このような教師が一体全体、生徒たちに「何を教える」というのだろう?事実、こうした教師たちは「教科書の詰め込み」を生徒たちに強制するばかりであった。
     学校の教育制度自体にも問題があった。
     今日、日本の小・中学校では「道徳教育」と称して「路上のゴミ拾い」を生徒たちにやらせる。大人たちがポイ捨てしたゴミを子供たちに拾わせて、何が「道徳教育」か。
     「善を以て人に先立つ者、これを教という」とは荀子の言葉である。今の日本の教育関係者は、この言葉を知らないと見える。これではまるで政治家や高級官僚に対して「贅沢を慎め!」と言いながら、自分たちはスポンサーの金を湯水のごとく使って「美食グルメ三昧・温泉旅行三昧」に明け暮れているテレビ局の職員連中と一緒ではないか。
     華蓮は、こうした教育関係者たちの振る舞いを、多くの生徒たちが思うように「不誠実極まる」と感じていた。
     だが何よりも華蓮が頭に来ていたのは、こうした教育関係者の堕落によって子供たちのモラルが向上しないことを別の理由にすり替えて「戦前の愛国教育こそがモラル向上の最善の方法だ」などと政治家たちが本気で主張していることだ。
     およそ自分たちこそ「料亭通い」に明け暮れる美食に口を肥やす悪徳人間のくせに何を偉そうにほざくか!
     あれから9年。相も変わらず日本は「右傾化」という猛毒に汚染されていた。「武士道」「サムライ魂」などといった言葉がやたらともてはやされ、まるで「日本は天皇を象徴とする平和の国なんかじゃない。武士やサムライを象徴とする軍事国家なんだ」と言わんばかりの世論である。そしてその間、日本では毎年のように大型地震や大型台風に伴う「土砂災害」や「河川の洪水」といった自然災害が発生していた。
     無論、これは「偶然」などではない。
     人間も「自然界の一部」である以上、自然が乱れれば人間の心も乱れる。つまり右傾化とは「自然災害の予兆」であり、右傾化によって「外国からの軍事的脅威」には対処できても、自然災害に対しては無力どころか、むしろ右傾化はそれらを助長してしまうのである。
     ともあれ、華蓮は既に教員という立場で「自身の正義を貫く」ことに限界を感じていた。「軍旗・日の丸」を子供たちに強制的に敬わせることなど華蓮には断じてできない相談だった。
     かくして華蓮は中学校を退職した。華蓮は直ちに一人の友人の元へと走った。現在、外務省に勤務、外務大臣の通訳を務めているいづみである。

    「えっ、今度の国政選挙に立候補したい?」
     いづみは華蓮の決意を耳にして正直、驚きを隠さなかった。誰よりも華蓮の「教職への情熱」を知っていたから。その教職を辞めてまでも選挙に立候補するとは……。
    「『全面的に協力して』なんて言わない。でも『政治の世界』について話せることだけでいい。教えてほしいの」
     いづみは華蓮の申し出を即座に却下した。
    「やっぱりだめ…よね?」
     華蓮はこうべを垂れる。無理もないことだと承知しつつ。外務大臣の通訳ともなれば、他人には話せない秘密をいくらでも知っているだろう。
     いづみは華蓮に向かって怒鳴った。
    「華蓮、なんで『全面的に協力してくれ』と言わない。水臭いじゃないか。あたいはあんたの親友なんだ。親友に対しては、どんな無理な注文を言ったっていいんだよ」
    「……いづみ」
    「隣国とトラブルばかり起こす今の外務大臣の無能さには正直、あたいも愛想が尽きていたんだ。あたいみたいな優秀な女が『無能な男』に仕えるのはもうやめだ。さらば外務省!あたいは今日から華蓮の秘書だ」
    「いづみ、ありがとう!」
    「だが大変だぞ。きっとマスコミが、お前のことを『中国の回し者』とか言って非難するにきまってるからな」
    「うん、わかってる。だからこそ『道を開いておきたい』の。中国とのハーフでも国会議員になれる道を」
    「よし。じゃあ『もう一匹』にも協力してもらうとするか。あいつ今、どこにいるんだ?」

     アイヌ学の最高権威である鈴音は、20代にして早くも母校である私立K大学の教授である。
     だが、鈴音の母校は「ミイラ取りがミイラになる」ではないが、日本の古典研究の最先端を行く大学ゆえに「日本で最も国粋的な大学」と化していた。だが鈴音は「天皇は絶対的な存在」として天皇に関する研究を一切禁止した明治政府の方針に真っ向から反対、「学問の自由」を貫いた大学創設者の志を正しく受け継ぐ者として、一人起立していた。当然のように鈴音には、あらゆる方角から非難中傷が浴びせられていたが、その類まれなる才能によって、かろうじて教授という立場を堅持していた。
     研究室を懐かしい二人が訪ねてきた時、鈴音は心から安らぐのだった。
     鈴音の研究室は考古学資料展示室などが同居する五階建ての大学院棟の三階にあった。本棚には『ユーカラの研究』をはじめとする重要文献がぎっしりと並んでいる。白衣を羽織る鈴音の姿は、いかにも「研究者」であり、よく似合っていた。
     鈴音はパイプ椅子を用意して、二人に着座をすすめた。
    「二人とも運が良くってよ」
     そう言いながら鈴音は机の上におかれた紙包みを開けた。中には枝についたままの「枇杷の実」が入っていた。
    「夫の実家からの頂き物ですわ。夫の実家の裏庭には、それはそれは立派な枇杷の木がありますの」
     実にみずみずしい枇杷の実。まさに「黄金の果実」だ。
     華蓮が口を開いた。
    「中国では枇杷は『獅子王の木』と呼ばれているわ」
     華蓮の発言を受けて鈴音が返す。
    「確か中国の古典に『枇杷晩翠』という四字熟語がありましたわね。意味は『時流に迎合しない獅子王のごとき勇者』です」
    「そうか。なら、この枇杷は、まさにあたいたち三人のことだ」
     いづみは紙包みの中から枝を一本取り出した。たまたまか、その枝には三つの実がついていた。
    「三国志に『桃園の誓い』がありますが、さしずめ私たちは『枇杷の誓い』といったところでしょうか」
    「そりゃあいい。今この場で、あたいたち三人の友情を再度、誓い合おうじゃないか」
     いづみが枇杷の枝を持った腕を前に突き出す。その腕に華蓮、鈴音が自分たちの手をのせた。
     枇杷の誓い。これは、表面上は「三人の友情を確認し合う儀式」かもしれない。だが、これこそが「日本が清く正しい国へと変革するターニングポイント」に他ならなかった。無論それは数十年を経て、はじめてわかることなのだが……。
    「失礼するよ」
     一人の学者が鈴音の研究室に入ってきた。
    「どうも、こんにちは」
     それは、同じ大学の同僚にして鈴音の夫である拓也だった。彼は漢文学の講師だ。
    「ちょうどよかったわ。『枇杷晩翠』の出典は何?」
    「枇杷晩翠っていったら『千字文』だろ」
    「ああそうでした。これはお恥ずかしい」
    「おお、これは美味そうだ。僕は仲間に入れてもらえないのかな」
     そう言いながら拓也は紙袋の中に手を突っ込んだ。
    「妻が教授で、夫が講師とは、なんとも恥ずかしい限りですなあ」
     どうやら笠原夫婦は「かかあ天下」らしい。
    「ここでは『肩身の狭いふたり』ですわ」
     鈴音は皮肉をこめて、そう言った。アイヌ学と漢文学。国粋主義が蔓延するキャンパスにあって、それらに賛同する学生たちから見れば「けしからん学問」と思われていることは想像に難くない。
     突然、外から「ほわ~ん」という、どうにも間の抜けた音が聞こえてきた。どうも「雅楽器の音色」らしいのだが……。
    「始まったわ。この大学には『神社』があるの。毎日朝の10時になるといつもこうよ。ほら、あそこ」
     窓から外を見る。道路を挟んで正面に、なるほど確かに神社があり、白装束を身に纏った「巫女の卵たち」が20名ほど並んでいた。彼女たちは「神道学科の学生」であり、彼女たちにとっては、これは授業の一環なのである。

     実は、かつて鈴音には『紫綬褒章』を受章する機会があった。だが鈴音はそれを拒否した。平和主義者の鈴音にしてみれば、右翼思想にかぶれた政権から賞を受けることなどできることではなかったからだ。
     だが、このことを公にすると、政権党とは別の党の人々が鈴音のもとにやってきた。それは会津党の人々だった。
     会津党は勢力的には衆参合わせても五十議席にも満たない弱小政党ではあったが、その名が示す通り、保科正之や新撰組に代表される会津藩の精神を美徳とし、既成政党なかんずく政権与党が「長州維新志士」を尊敬することが天皇蔑視に象徴される民衆蔑視や、侍礼賛の現代版である国防強化といったニッポンの政治の腐敗堕落の原因であることを主張。「ニッポンの右傾化」に最後まで抵抗することを固く決意した「ニッポンで唯一の平和主義の政党」である。無論、その志は高く、政権を握り右傾化を推し進める与党の国益党や野党第一党である旭日党のような「民衆は権力者の奴隷」などと考えている連中とは一線を画していた。さながら「三国志の蜀」のように高き理想のために戦う、民衆のための第三勢力であった。勿論、福島を中心とする地域政党ではない(笑)。その会津党はアイヌであるが故に数々の迫害を受ける鈴音こそ「紫綬褒章にふさわしい」と考えていたのである。
     鈴音は会津党の心遣いには心から感謝した。だが、鈴音には鈴音の信念がある。自分の業績が右翼思想著しい今の日本の国威発揚に利用されることなど断じて受け入れがたいことだったのである。鈴音は、ナチスドイツが主催するゲーテ賞に対して『ゲーテの精神に反するゲーテ賞など!』と叫び、受賞を拒否したフランスの大文豪ロマン・ロランの先例に倣ったのである。
     こうして鈴音は紫綬褒章を拒否した。だが、この時以来、鈴音と会津党の間には「信頼関係」が築かれていた。水面下で会津党は絶えず鈴音に「国政選挙への出馬」を要請していたのである。
    「これでも私、政治家の方々とは、ちょっとした付き合いがありますの。彼らに華蓮のことを推薦しましょう」
     後日、華蓮は鈴音の紹介によって会津党の代表である細川数馬と会見した。政策上の細かい相違点は確かにあるものの、会津党の結党理念と華蓮の信念とは多くの点で一致した。華蓮は昔風の言い方をすれば「学問を修める身」であり、「軍事力や経済力よりも政治家のモラルや国民の知的水準の向上の方が大事である(孟子)」「暴虐な相手に対しても、一寸の武器も持たずに道理をもって説き伏せる(学問のすすめ)」といった格言を心肝に染めていた。会津党の理念は、そうした格言と一致していた。
     そして華蓮を何よりも喜ばせたのは、会津党が結党以来一貫して「国の威信」よりも「民衆の幸福」を優先し、また「日中友好」の旗を高々と掲げていることだった。もちろん靖国参拝にも反対している。
     かくして華蓮は、半年後に行われる衆院選において「会津党の公認候補」となることが正式に決まったのである。



  •  衆議院議員選挙まで、まだ半年もあるというのに、電車の中吊り広告には会津党を中傷する「大見出し」が連日のように踊る。それらは言うまでもなく「人権蔑視・デマ報道」を得意とする俗悪週刊誌の広告である。

     「会津党を利用した中国による日本乗っ取り計画」(週刊文秋)
     「中国人が候補者?売国奴集団・会津党を糾す」(週刊心情)
     「会津党候補、きよかわ華蓮の男性遍歴の数々」(週刊ダスト)
     「元・中学校教諭、きよかわ華蓮の教員時代の悪評判」(週刊現在)

     これらは、ほんの一例にすぎない。人権蔑視の右翼系出版社各社は一斉に会津党の「イメージダウン戦略」を開始したのである。既に選挙戦は始まっているのだ。
     ところで、千葉市稲毛区小仲台団地に住む華蓮が衆議院議員選挙に出馬した場合「千葉二区」が投票エリアになる。
     千葉二区といえば、言うまでもなく昭和54年に「買収選挙区」として一躍有名になった地域である。
     有権者の間に「選挙のモラル」が全くない選挙区。この選挙区では毎回、票の動きが読めない。地元の地盤の厚い名士が「茶封筒」の力で当選することもあれば、前回・前々回のように、ある日どこからともなく引っ越してきた「落下傘候補」がマスコミによって作り出された「風」によって当選することもある。
     このような選挙区にあって、果たして華蓮は本当に当選などできるのか?もとより華蓮が「茶封筒」など配るはずもなく、ましてや「マスコミによる風」など華蓮に吹くはずもなかった。そして、前回・前々回に当選した落下傘候補は「テレビ民主」の元・ニュースキャスターにして旭日党所属の国会議員。マスコミによる絶対的な応援を受けている梅沢美子なのだから。常識的に考えれば華蓮が当選する確率は0%である。事実、多くの者は「うめざわ議員の再選確実」と見ていたのである。

     遊説隊が発足。いづみは支援長に、鈴音は遊説隊長に就任した。
     いづみの仕事は華蓮を一人でも多くの会津党支持者に紹介することだ。よって、毎日のように華蓮と行動を共にしている。
     一方、鈴音の仕事は遊説隊員の人選、コースの作成、街頭演説の日程、遊説車の発注などである。
     そして、夜になれば三人集まって「華蓮の選挙公約」について綿密に議論した。これはそのまま「マニフェスト」にも反映されるから、殊に重要であった。

    〔選挙候補者へのサイコパス検査の実施〕
     ヒトラーのような独裁者が登場しないために、あらかじめ選挙立候補者全員のサイコパス(良心の呵責を持たない人間)検査を行う。脳波を測定して、感情中枢の働きが正常ではない候補者は失格とする。

    〔ブロック塀撤去への助成制度〕
     ブロック塀を撤去することには以下のような利点がある。①地震対策②防犯対策③路上駐車対策④交差点での見晴らし対策⑤落書き・張り紙対策。以上の理由から国が積極的にブロック塀の撤去を支援することは理に適っている。

    〔国公立大学の授業料の学部別不均衡の是正〕
     文学部から医学部まで、全ての授業料を同一に設定することで国民の「学問選択の自由」を保証する。

    〔国公立大学道州制〕
     具体的にいえば、関東エリアの国公立大学を卒業した学生は全員「東京大学卒業」、関西エリアの国公立大学を卒業した学生は全員「京都大学卒業」と公式に認定する制度。もちろん、履歴書等で母校の名前をそのまま使用するのは卒業生の自由だ。

    〔5ナンバー車の基準の改正〕
     世界の小型車の標準サイズは「横幅1800ミリ・排気量2,3リッター」である。そこで日本の5ナンバーの基準を世界に合わせ、同時に3ナンバー車の税額を大幅に引き上げることで「3リッターⅤ6・4リッターⅤ8」といった高排気量・高燃費車が氾濫するのを抑える。

    〔交通事故による報道の匿名化〕
     交通事故の実名報道は被害者が助かる普通の事故も「ひき逃げ」にして被害者を死なせてしまう。そこでひき逃げではない交通事故の報道は匿名とすることで「ひき逃げ」を減らす。

    〔医療ミスに対する国の賠償負担〕
     医師の技量ミスではない「過労」による医療ミスの場合に限り、厚労省が被害者への損害賠償を医師に代わって全額負担する。なぜなら、過労による医療ミスは「医師不足を招いた厚労省の政策ミス」に責任があるからである。

    〔エスカレータ廃止法〕
     エスカレータを廃止する理由は以下の通り。①日本の電力事情はピークに達している。②せっかちな日本人はエスカレータの上でじっと立っていられないのが実情。そのため事故が後を絶たない。③車いすを利用されるような「本当に足の不自由な方」はエレベータを使用し、エスカレータを利用しない。④メタボリック症候群対策。

     といった具合に、いろいろなアイデアが出される。だが、中でも「会津党最大の目玉」は何といっても「子育て年金制度」だろう。

    〔子育て年金制度〕
     子供を多く育てた夫婦に老後、年金を増額して支給する制度。「子育ては大変な仕事である」という言葉を国が制度として保証するもの。

     この制度の最大の売りは、旭日党のように「少子化対策を口実に高齢者をないがしろにしていない」ことである。少子化対策にして高齢者対策。これこそまさに「いかなる立場の人々も決してないがしろにしない」会津党にふさわしい政策である。
     華蓮の出馬する千葉二区は、八千代市、津田沼市、千葉市花見川区、千葉市美浜区、千葉市稲毛区からなる。
     繰り返しになるが、現在の千葉二区は圧倒的に「旭日党の勢力圏」である。前回、前々回と会津党は一万票以上の差をつけられて大敗北を喫した。
     ここで現在の千葉二区の勢力図について簡単に説明しよう。
     新興住宅街が密集する総武本線・京葉線沿線は旭日党が圧倒的に強い。その一方、旧家が並ぶ成田街道沿いは国益党の地盤である。
     たとえば、選挙期間中の千葉二区内の成田街道沿い、およそ5,5㎞は、文字通り「国益党のポスター」によって埋め尽くされる。それは「40メートル毎にポスターがある」といった具合で、前回の時はざっと数えただけでも162枚もあった。
     その一方、JR沿線の道路は旭日党のポスターばかりが立ち並ぶ。
     両者のポスターには「大きな違い」がある。国益党のポスターは「一戸建ての塀」や「個人商店の窓」などに掲示されるが、旭日党のポスターは「街路樹」や「電信柱」に掲示される。旭日党の行為は明らかな選挙違反なのだが、地元の警察は取り締まる気など全くない。
     会津党のポスターは公職選挙法に基づき、支持者の家に掲示させてもらっている。その枚数は二大政党とは比較にもならないほど少ないものだ。しかも、ほとんどが旧住宅公団の団地のベランダである。このことからもわかるように、会津党支持者は「自分の家を持たない団地暮らしの人々」であり、悲しいかな、そうした人々の多くが「投票所に足を運ぶのも大変な高齢者の方々」なのである。
     ここから次のような結果が見える。

     新興住宅街は「旭日党」
     昔からの旧家は「国益党」
     旧住宅公団の団地は「会津党」

     駅周辺の新興住宅街は今も開発が進み、人口が増えている。それに対して団地は「昭和40年代に開発を終えた地域」であり、人口が増える見込みはない。旭日党は確実に得票数を伸ばす一方、会津党はそれほど票を伸ばせないことは目に見えて明らかだ。
     会津党が旭日党に勝つには「①団地の人々の票を確実に固める」と共に「②国益党支持者の票を抱き込む」こと、そして何よりも「③旭日党支持者の地盤を揺るがす戦い」である。
     そもそも旭日党支持者の多くは、根っからの旭日党支持者というよりも「マスメディアに踊らされているだけ」という人間が圧倒的に多い。こうした「浮動票」こそが旭日党の頼みであり、旭日党の強みであるのだが、それは同時に「旭日党の脆さ」でもあるのだ。



  •  鈴音は遊説コースの作成に余念がない。
     遊説車が走るのは一週間。効率よく、しかも一人でも多くの有権者の目にとまらなければならない。
     それだけではない。遊説車が走るのは「支持者への激励」のためでもある。会津党支持者の家の前は必ず通過する必要があるのだ。
     遊説コースは「5タイプ」。これはいうまでもなく千葉二区が「2市3区」だからである。「一日一回は必ずすべての場所を走る」鈴音はこれを必須の条件と考えていた。
     遊説時間は

     ①8時~10時
     ②10時~12時
     ③13時~15時
     ④15時~17時
     ⑤18時~20時

     この5つ。
     遊説コースの作成は、ほとんど「迷路」のようなものだ。どこから「はじめて」どこで「終える」のが最も効率がいいのか?それを発見するには「集中力」と「頭の回転の速さ」がモノを言う。
     住宅街の中では10㎞程度の速度で「ローラー作戦」を実行するのが望ましい。しかし、市議選ならばともかく、国政選挙の場合にはエリアが広いので、全ての住宅街でのローラーは難しいのが実情だ。「人通りの多い大通りばかりを走る」という手もあるが、それでは、多くの有権者の心をキャッチすることはできない。「ローラーをするべき住宅街」を厳選するしかない。あるいは「一日だけローラーをする」といった妥協も必要だ。
     「遊説をしてはならない場所」というものもある。病院・保育園・授業中の学校・葬儀場などの前を通過するときには遊説は停止するのがマナーである。遊説中に灯油販売や廃品回収の車に遭遇した場合なども、遊説を停止するべきである。突然、道路工事が行われることもある。また、朝や夕方の渋滞時のことも考慮しなければならない。団地によっては団地の敷地内に遊説車が侵入することを禁じている場所もある。
     このような条件をすべて考慮して、鈴音は5タイプの遊説コースを完成させたのである。
     だが、どんなに前もって準備をしても「完全」ということはあり得ない。しかし、鈴音がナビとして遊説車の助手席に乗る限り、あらゆるイレギュラーにも即座に対応できるに違いない。

     今回、遊説隊として参加することになった若者は、鈴音を含めて20名。遊説車には運転手、ナビ、ウグイス嬢3名の計5名が乗り込む。総勢20名だから、一日おきに乗ってもらわなくてはならない。本当ならばもっと人数が欲しいところだ。
     実際の志願者数は45名であった。つまり25名に参加を断念してもらったのだ。なぜ?理由は「市民オンブズマン」と呼ばれる市民団体、といえば聞こえはいいが、要は「暇を持て余した粗探し大好きの老人集団」が遊説隊参加者の人数に制限を設けるように主張したからだ。
     奴らは主張する「遊説隊参加者を減らすことで、選挙にかかる費用を削減できる」。
     奴らは大威張りだ「自分たちは実に有意義な提言を行ったぞ」。
     何という愚かさだ。若者が政治に関心を持ち、進んで自分が応援する候補者のために活動することに制限を加えるなど「若者の政治離れ」を助長するだけではないか。そればかりか、これは「個人の思想・良心の自由」を妨げる違憲行為である。
     ウグイス嬢は早速、毎晩練習である。言葉を噛まない上手さは必要だが、プロの選挙屋とは違う「さわやかで溌剌とした明るさ」がなによりも大事だ。
     一方、ドライバーはナビの鈴音と共に遊説コースの下見を行う。下校時間になると、路上には沢山の「防犯市民」がいて、じろじろと見られる。「不審車両扱い」は、あまり気分のいいものではない。
     ナビを務める鈴音の責任は重大である。ナビは運転手にコースを指示し、声援を送っている支持者、別の遊説車、街頭演説の現場などをいち早く察知し、ウグイス嬢に伝達しなければならない。その情報によってウグイス嬢は「ありがとうございます」「○○候補のご健闘をお祈りいたします」といった言葉を選ぶのだ。また、ウグイス嬢に「現在地」を支持するのもナビの仕事である。「さつきが丘団地」を走っているのに「高津団地の皆さん」では話にならない。
     鈴音はナビとして全ての遊説に乗ることを決心していた。遊説終了後はきっと、鈴音の尻は鈴音の顔の如く「猿」のようになっているに違いない。

     このように、遊説隊が着実に準備を進めている間、いづみは「選挙事務所探し」に奔走していた。
     華蓮の自宅は2DKの団地であるから選挙事務所には成り得ない。どこか余所に設ける必要があった。
     場所としては、なるべく人通りの多い「大通り沿い」が好ましいことは言うまでもない。駅の近くならば、なおのこといい。
     このような場所を、いづみは見つけた。
     JR稲毛駅より徒歩わずか1分。線路沿いの古い四階建ての雑居ビルである。
     もともとは「サラリーローン」や「質屋」などが入っていたビルで、今は廃墟同然になっていた。いづみは、このビルを丸々借りることにした。
     四階はちょうど高架を走る電車の高さと同じ。しかも「駅そば」であるから、電車はゆっくりと走る。ここにポスターを掲示すれば効果は絶大だ。
     ただし欠点もある。ビルが古くて汚いこと。そして借り賃が高いこと。一カ月契約で40万円という代物だ。
     四階もあるので、中は広い。だが何もない。必要なものはすべて自分たちで用意して運び込まなくてはならない。
     事務所の机やいす、来客用のテーブルセット、電話、FAX、パソコン、事務用具一式、台所用具一式、掃除用具一式、トイレ用具一式、カーテン、インテリア用の造花など。これらは支持者にリサイクルショップの経営者がいるので、そこから拝借。

     告示一週間前。
     大掃除。バルサンを焚く。沢山のゴキブリが出てくる。それらを箒で集めて捨てる。そのあと掃除機をかける。そして、ようやく荷物の運び入れだ。支持者に協力してもらいながら、必要な道具を丸一日がかりで運び込んだ。電気・水道もその日のうちに申し込む。
     翌日には遂に遊説車がやってきた。
     遊説隊のメンバーも陸続と集まってくる。まじまじと外観を眺める者もいれば、興奮しながら中に入る者もいる。
     練馬ナンバー。遊説車専門の業者から借りたレンタル品である。ちなみに二週間で36万円なり。
     車の上には看板と拡声器が載っている。
     拡声器は前と後ろに各2台。「最大音量で3キロメートル先まで声が届く」という。告示の当日まで貼ってある紙からうっすらと透けて見える「きよかわ華蓮」の文字は勿論、イメージカラーのピンク。
     車体は白。ピンクではない。後ろには車の上に登れるようにアルミ製の梯子が付いている。 車種はミニバンではなく、正真正銘のワンボックス。ところどころに、こすった跡やぶつけた跡がある。
     だが、車内は新車のようにきれいだ。インテリアはすべてダークカラー。前席の中央に、後ろの人が操作するマイクコントローラーが設置されている。
     マイクは二本。一本はワイヤレス。もう一本はケーブル。
     後ろの荷室には木箱に覆われた大きなバッテリーと、夜間走行時に点灯するライトのスイッチがある。このスイッチの操作は面倒くさい。本来ならば運転席に欲しいところだ。 エアコンの吹き出し口は前席にしかない。遊説中、窓は「手を振る」関係上、全開にするので、夏とはいえ、後ろの席には毛布は必需品だ。
     乗り心地はまずまず。さすがに発進・停止時には前後に揺れるが、左右に揺れることはない。また、頭が重いので、アクセル全開で発進しても「急発進」にはならない。
     遊説車は、その日のうちに警察署に運ばれた。高さや幅などの検査のためである。ここで登録された遊説車は以後、衣装を変更することができない。
     提出する書類は遊説車を使用するための申請許可証と遊説車の図面の二点。図面に記入された寸法を見ると、高さは何と2,65メートルもある。一般的な家屋の天井高である2,4メートルよりも高いわけだ。

     告示日前日。
     選挙事務所の看板が設置された。縦1メートル、横4メートル。業者への発注品ではなく、日曜大工が得意な支持者たちが作った手作り品だ。表には明日まで文字が見えないようにぼろ布が張ってある。
     その場に居合わせた人だけ、ちょっと布をめくって見る。『会津党公認 きよかわ華蓮選挙事務所』。背景は白、文字は会津党公認が赤、選挙事務所が水色、きよかわ華蓮がピンク。ぼろ布は明日剥がすことになっている。遊説車の看板に張られた紙も同じである。

     告示日が来た。
     二手に分かれて準備にかかる。支援長のいづみは役所へ、遊説隊長の鈴音は警察署へ。役所では選挙の登録が、警察署では遊説車の最終確認が待っている。両方が完了した時点で、遊説可能となる。
     8時ごろには役所から、いづみが立候補届出書を持って、やや遅れて9時前に警察署から鈴音が遊説許可プレート二枚と幟一本と腕章を持って戻ってきた。
     これで準備はすべて整った。さあ、あとはもう思いっきり戦うだけだ。

     遊説一発目は当然、選挙事務所前での出発の挨拶。
     支援長挨拶、遊説隊長挨拶のあとに来賓3名の挨拶、そして最後に華蓮の挨拶だ。
     来賓の一番目は、言うまでもなく会津党中央から、参議院議員の加藤 実議員。
     来賓の二人目は……
    「みなさん、おはようございますー。うちはななみ申しますー」
     改めて言うまでもあるまい。かつてのディベートハンターこと七海だ。今は社会問題をテーマとする売れっ子作家で、最近もニッポンのテレビ局の腐敗した実情をコミカルに描いた『サクラテレビの人々』を出版した。
     そして最後の来賓は珍柿なる老人。
     この老人、日本洋画壇を代表する画家であり、某美術団体の会長である。幼少の頃からの華蓮の「美術の師匠」だ。
    「きよかわ候補こそ、まさに『21世紀の伏龍先生』であります。なぜなら、きよかわ候補こそが会津党のマニフェストにある『子育て年金』の生みの親であり、このような画期的な政策は、諸葛亮孔明に匹敵する知恵と才覚、そして何よりも民衆の塗炭の苦しみを、身をもって知る者でなければ決して生み出せるものではないからであります」
     自分の教え子のために必死に弁舌をふるう。師匠の心を思い、華蓮の眼に涙がにじむ。
     三人の来賓の挨拶が終わった。
     さあ、いよいよ華蓮の挨拶だ。
    「おはようございます。今日、お集まりの皆様方には大変にお世話になります。私は、会津党公認衆議院議員候補、きよかわ華蓮でございます。また、近所にお住まいの方々には、これから一週間、大変にお騒がせいたしますが、よろしくお願いいたします。きよかわ華蓮、全力でこの選挙戦を戦って参ります……」
     このあと華蓮は自らも政策に関与した会津党のマニフェストについて一通り説明を行った。
    「では皆さま。ただ今から行って参ります」
     華蓮が遊説車の助手席に乗り込んだ。遊説車が発信する。
    「きよかわ華蓮候補、ただ今より元気に行って参ります」
     ウグイス嬢の声が高らかに周囲に鳴り響く。いい声だ。支持者が大きく手を振る。
     遊説車が支持者の視界から消えた。
     遊説車がいったん停止する。華蓮と鈴音がチェンジするためだ。
    「がんばって」
    「そっちこそ、事故には充分に気をつけてね」
     助手席から降りた華蓮は別の車に、ここからは鈴音が遊説車の助手席に乗り込む。
     二人は互いに手を振りながら、それぞれ別の方角へと走り出した。次に二人が出会うのは10時30分「花見川団地中央公園」である。

     こちらはライバルの、うめざわ美子。
     遊説一発目は勿論、自分の選挙事務所前。彼女の事務所は習志野市にある。
     朝から人・人・人で大賑わい。当然「テレビ民主」の中継車もある。
     挨拶する人間の面々も豪華だ。鉄人料理人、競馬予想屋、辛口評論家、毒舌タレント、女霊媒師などのテレビスターが多数参加している。
     だが、どうも「底が浅い」と感じるのは「私の主観」だろうか?
     華蓮には鈴音をはじめ超一流の画家、作家などが応援に参加しているが、うめざわ美子を応援する者は「日本の文化を支える者たち」というよりも、むしろ「日本の文化を低俗たらしめている輩」と呼ぶのがお似合いだ。
     だが、いずれにしても、集まった人間の数だけで言えば、華蓮の5倍はいるだろう。圧倒的なまでの「俗物勢力」だ。
     この一週間の戦いで、果たして「勢力関係は大きく塗りかえられる」のだろうか?

     今後の遊説車の動きを理解しやすくするために、ここで「遊説一覧表」を記すことにしよう。

     日曜日
     9時~10時 稲毛区
     10時~12時 花見川区
     10時30分 花見川団地中央公園
     11時30分 こてはし台公園
     13時~15時 八千代市
     15時~17時 習志野市
     16時30分 袖ヶ浦郵便局前
     18時~20時 美浜区
     19時 JR海浜幕張駅南口前

     月曜日
     8時~10時 花見川区
     10時~12時 八千代市
     10時30分 東葉高速鉄道八千代駅北口
     11時10分 高津台団地リブレ京成前
     11時50分 東葉高速鉄道西八千代駅南口
     13時~15時 習志野市
     15時~17時 美浜区
     16時30分 JR稲毛海岸駅南口
     18時~20時 稲毛区
     19時 JR稲毛駅北口

     火曜日
     8時~10時  八千代市
     10時~12時 習志野市
     10時30分 香澄近隣公園前
     11時30分 秋津二丁目集会所前
     13時~15時 美浜区
     15時~17時 稲毛区
     18時~20時 花見川区
     18時30分 JR幕張本郷駅南口
     19時30分 JR新検見川駅南口

     水曜日
     8時~10時 習志野市
     10時~12時 美浜区
     10時30分 真砂中央公園
     11時30分 幸町団地ショッピングセンター前
     13時~15時 稲毛区
     15時~17時 花見川区
     18時~20時 八千代市
     19時 京成八千代台駅南口

     木曜日
     8時~10時 美浜区
     10時~12時 稲毛区
     11時30分 千草台団地ショッピングセンター前
     13時~15時 花見川区
     15時~17時 八千代市
     15時30分 勝田台中央公園
     16時10分 村上団地緑地公園
     16時50分 米本団地入口
     18時~20時 習志野市
     19時 JR津田沼駅南口

     金曜日
     8時~10時 稲毛区
     10時~12時 花見川区
     10時30分 にれの木台郵便局前
     11時30分 さつきが丘貝塚公園
     13時~15時 八千代市
     15時~17時 習志野市
     18時~20時 美浜区
     19時 JR検見川浜駅北口

     土曜日
     8時~10時 稲毛区
     10時~12時 花見川区
     12時~14時 八千代市
     14時~16時 習志野市
     16時~18時 美浜区
     18時~20時 稲毛区(蛍光遊説)

     この表を見れば、どれだけ遊説というものが事前の綿密な計画に基づいて行われているかがよくわかるだろう。といっても、これはあくまでも「会津党」に限っての話だが。
     事実、横綱相撲を信じて疑わない旭日党は「大通りをひたすら大きな音を流して走る」「夕方の駅前での派手な街頭演説」の二つに特化した戦術に徹していたのである。
     最初の街頭演説予定地である花見川団地中央公園に最初に到着したのは会津党の党員からなる先遣隊だった。時間は10時ジャスト。
     彼らの任務は「遊説車を停車させるための場所の確保」と「観衆の安全な誘導」である。 約20分後、華蓮を乗せたシルバーの軽自動車がいづみと共に到着した。
     公園には前もって予定を知らせてある支持者の人々が集まっていた。その数はおよそ100人ほど。
     だが5分後、即ち街頭演説開始5分前には、その数は10倍の1000人にまで膨れ上がった。
     このようなことは、未だかつてないことである。党首を迎えての駅前街頭演説会ならばともかく、昼間の団地内で1000人の観衆とは。
     これには理由があった。
     日曜の朝といえば、どこのテレビ局でも政治関連番組を放映している。そして今日の朝、そうした番組の全てで華蓮に対する「旭日党党首の発言」が取り上げられていたのである。
     旭日党党首・飯田祐輔曰く「きよかわ華蓮のような人物を国政選挙の候補者に立てるなど、日本を中国に売り渡す売国行為以外の何物でもない」と。
     華蓮は朝の9時から10時のわずか一時間の間に「時の人」となっていたのである。
     ゆえに1000人の観衆の多くは実は支持者ではなく、華蓮を「一目見てやろうじゃないか」と集まった野次馬であり、中には「中国のまわし者め!」と罵声を浴びせようとやってきた旭日党崇拝者も多数まじっていたのである。
     街頭演説一発目から華蓮は、こうした「敵前上陸」を余儀なくされたのである。
     拡声器の音が聞こえてきた。遊説車がやってきたのだ。10時30分ぴったりに遊説車は予定の場所に停車した。
     華蓮が遊説車の梯子を上る。
     遊説車の横には遊説隊が並ぶ。右から順に選挙の幟を持つ運転手、ウグイス嬢三人、そして司会を務めるナビの鈴音である。
    「花見川団地の皆様には大変お騒がせいたします。ただ今より、ご当地をお借りいたしまして、会津党公認衆議院議員候補・きよかわ華蓮の街頭演説会を行わせていただきます。それでは、会津党公認衆議院議員候補・きよかわ華蓮を皆さまにご紹介申し上げます」
    「花見川団地の皆様、朝早くからお騒がせいたしております。わたくしが先程、司会よりご紹介にあずかりました会津党候補の、きよかわ華蓮でございます」
     10分の1ほどの拍手が鳴る。これらは支持者たちだ。
     さっと周囲を見わたす。老若とも「ご夫婦」が多いようだ。
     ならば、話す内容は「決まり」だ。
    「今日はこの場をお借りしまして、10分ほどではございますが、わたくし、きよかわ華蓮の衆院選にかける決意と情熱とを皆様にお見せいたしたいと思います。改めて申すまでもなく、現・旭日党政権最大の目玉政策である『こども手当て』は、少子化対策を口実にした老人福祉削減政策に他ならず、その正体は『将来の税収源である子供は優遇して、税の支出源である老人にはさっさと死んでもらおう』という、いかにも権力者が考えそうな『汚い国策』なのであります」
     観衆から拍手が鳴った。先ほどよりも多い。
    「そこで、私が頭を絞って編み出した新しい子育て支援策が『子育て年金』なのであります。つまり『子供を多く育てたご夫婦に、より多くの年金を支給することで、子育ての苦労に国が具体的に報いる』というものです。口では政治家もマスコミも『育児は大変な仕事である』などと言っておりますが、実際にそうした発言を保証するような制度は何一つとして存在しないのが現状であります。これでは育児に携わる主婦を口先だけでヨイショしているのと一緒です。これほど『人を馬鹿にしたような話』はありません」
     観衆が一斉に頷く。ヤジなど、どこからも起きない。
    「『子育て年金』の具体的な方策として、私は『一人の子供につきプラス1000円を毎月上乗せして支給する』ことを約束いたします。一見少ないように思われるかもしれませんが、仮に二人の子供を育てたご夫婦であれば年間『4万8千円』年金支給額が増えることになります」
     観衆から万雷の拍手が巻き起こった。
     この光景は「あのとき」と同じである。敵前上陸ながら最後には観衆を虜にした、あの「テリー太田とのディベート」と。
     華蓮は、やはり華蓮なのだ。多くの人々の心を掴む「何か」を華蓮は持っているのだ。
     目撃者の鈴音はこの時、確信した。
    (勝てる。この人ならば、きっと)

     一方、うめざわ美子の街頭演説は一貫して「華蓮の悪口」に終始していた。というのも「子ども手当」と「子育て年金」では明らかに後者に理があるから、華蓮のイメージダウンを狙う以外の策が旭日党陣営にはなかったのである。
     そして、そんなうめざわ美子の街頭演説には常に「テレビ民主」のカメラマンと記者の姿があった。
     露骨なまでのテレビ民主による「旭日党びいき」。
     だが、こうした実態を快く思わない人間が有名人の中にもポツポツと登場するようになった。
     こうして、選挙戦も中盤にきて「華蓮VS美子」の戦いは「テレビ民主VS他民放テレビ局」の様相を帯びてきたのである。
     これは、旭日党も予想だにしない緊急事態であった。
     よもや、テレビ民主以外のテレビ局に登場する有名人が次々と「華蓮がんばれ!」「うめざわなんか落とせ!」と発言するようになるとは。
     これは明らかな「不可逆反応」に基づく現象であった。
     つまり、うめざわ美子しか知らないときには「美子は魅力的」と思えても、ひとたび華蓮を見てしまったら、うめざわ美子など「偽物」でしかないのだ。

     投票日を三日後に控えた木曜日の朝。
     華蓮と遊説隊のメンバーが選挙事務所で8時の出発を前に食事をとっていた時のこと。
    「おはようござーい。『のぞき見ワイド』ですがー、きよかわ候補はいるかねー」
    『のぞき見ワイド』とは、テレビ民主系列で放映されている朝のワイドショー番組である。
    「のぞき見ワイド?」
    「そんな番組の入る予定なんてあったか?」
    「知らない」
     選挙事務所の誰もがいぶかしげに語る。
     それもそのはず。『のぞき見ワイド』のインタビュアーは事前のいかなる申し入れもなく「飛び込み」でやってきたのだ。
     テレビ民主系列の番組が、なぜ華蓮の事務所を?もちろん理由は「華蓮のイメージダウンを図るため」である。
     うめざわ美子の当選に危機感を抱いた旭日党から依頼を受けて、テレビ民主は現在最も「相手を酷評するのが上手い」と評判の某毒舌評論家をインタビュアーに起用して華蓮の選挙事務所に乗り込ませてきたのだ。
     毒舌評論家は早速、華蓮に向かって毒舌をぶちまけてきた。
    「あんたー、なんで選挙に立候補したのー?『日本を中国に売ろう』ってわけー。そんなことしていいと思ってんのー?」
     華蓮にとっては実に「懐かしい」インタビュアーの声が事務所内に響いた。だが、どうやら相手方は全く記憶にないらしい。
     それならそれで結構。思い出させてやるまでだ。
    「あら、テリー先生ではありませんか。ご無沙汰してます。もう10年にもなりますかしら?」
     テレビ民主が「打倒華蓮」のために自信を持って今回送り込んできた刺客は何と「テリー太田」だったのだ。
     そのテリーには華蓮の話が通じない。テリーは華蓮とは「初対面」であると思っているのだ。
    「どうやらテリー先生は私のことを覚えてらっしゃらないようですわね。まあ、あなたにとっては『忘れたい記憶』でしょうから」
    「あんた、さっきから何を言ってるのー?」
    「鈴音ー、いづみー、ちょっと来てくれなーい?」
     鈴音といづみがやってきた。
    「おお?これはこれはテリー先生じゃありませんか。ウッキイ」
    「なんだなんだ?少しはましなディベートができるようになったのか、お前?」
     いかに鈍感なテリーでも三人揃えば否が応にも思い出さないわけにはいかなかった。
    「あーっ!!!」
     この時のテリー太田の驚きようといったら。
     テレビ民主の作戦はこうして、みごとに大失敗に終わった。

    「大変だ!」
     華蓮の選挙事務所内に激震が走った。昨夜の金曜日から翌朝の土曜日にかけて、選挙区内全域に「華蓮を中傷するデマビラ」がばらまかれたのである。
     内容は極めて悪質である。このビラによれば、華蓮は「高級豪邸に住み、高級車を乗り回し、美食グルメに舌鼓を打つ女」ということになる。事実とは全くの正反対である。というか、これはむしろ、うめざわ美子のことではないか。
     実際の話、このデマビラをばらまいたのは、うめざわ陣営の遊説隊メンバーだった。デマを流す者がデマの内容として「自分のことを語る」というのは、ごく一般的な人間心理である。
     それだけではない。奴らは華蓮の選挙ポスターも、いたる場所でビリビリに破いていったのである。
     常識的に考えれば「デマビラをばらまくような連中」や「ポスターを破る連中」こそ信用できないことはわかりきっている。だが、日本ではスキャンダラスな情報を鵜呑みにする人間は実に多い。背広姿のサラリーマンが、ザーマスな姿の婦人が、電車の中でスキャンダラスな記事を売りにする俗悪週刊誌を夢中になって読んでいる姿は、この国では決して珍しいものではない。
     動揺する遊説隊のメンバー。
    「みなさん!」
     そんなメンバーを鈴音が一喝した。
    「デマビラが何だというのですか。他陣営からこれほどまでに恐れられるなど、むしろ名誉なことではありませんか。今日で遊説もいよいよ最後です。今日も一日、元気に戦っていきましょう」

     あっという間の一週間だった。
     遂に華蓮遊説隊にとって「最後の遊説」が始まろうとしていた。
     午後6時。遊説車が選挙事務所を出発した。
     その後ろを複数の車が追跡する。
     車の中には華蓮遊説隊のメンバー全員が乗っていた。「蛍光遊説」のためだ。「蛍光遊説」とは100円ショップで大量買いした蛍光ペンを遊説隊のメンバーが振りながら遊説する「フィナーレ」の儀式だ。
     夕暮れが少しずつ闇へと変わる。すると、この蛍光遊説は、段と輝きを増す。
     通りを歩く人たちが手を振る。遊説隊も蛍光ペンを振る。
     他の陣営の遊説車は、それまでと変わらない走りをしている。華蓮の遊説車だけが、多くの仲間を引き連れて走る。
     7時30分。遊説車は再び選挙事務所に戻ってきた。「最後の挨拶」を選挙事務所前で行わなくてはならないから。一週間にわたり迷惑をかけた近所の方々に「お詫びの言葉」を述べなくてはならないから。本当なら「最後の最後まで」走っていたいところだけれど。
     華蓮の「最後の挨拶」が始まる。
     8時。遊説車の電源が落とされた。
     遊説は終わった。遊説隊としての戦いは終わった。

     翌日の夜。
     選挙事務所に、陸続と人が集まってきた。「開票速報を選挙事務所で」という支持者の人々だ。
     選挙事務所に華蓮といづみの姿はあるが、鈴音の姿はない。鈴音は開票所で開票結果を待っているのである。
     選挙を「立候補者の人格を民衆が厳正に審査する舞台」と位置づける華蓮の選挙事務所には「神棚」や「だるま」や「七福神」や「水晶玉」などの他力本願グッズは一切ない。それらの力で仮に当選したところで、そんなものには何の意味もないからだ。選挙で問われるべきは100パーセント「候補者の人格」なのだ。
     改めて言うまでもなく選挙は「民主主義の大原則」である。しかしながら選挙によって政治家を選ぶだけでは、まだ「真の民主主義」とは言えない。選挙によって選ばれた政治家が「民衆の下僕」であることを自覚し、断じて「自分は民衆の支配者だ」などと奢ることなく、民衆のために奉仕し抜いてこそ、はじめて民主主義は成立するのである。したがって「国益のために民衆の幸福をないがしろにする政治家」が権力を掌握するならば、それは「衆愚政治」であって、そこにはもはや「真の民主主義の精神」は存在しないのである。
     一時間が経過した。既に幾人もの「当選確実」がテレビメディアによって報じられていた。 
     だが、千葉二区については情報がない。うめざわ美子と華蓮とは拮抗していたのである。
     深夜0時を回ってから状況に変化が生じ始めた。
     徐々に華蓮の方が得票を伸ばし始めたのだ。
     そして、深夜2時。
     選挙事務所の電話が鳴った。受話器の向こうで鈴音が淡々と語る。
    「華蓮、勝ったよ。当選、おめでとう」
     その直後、テレビでも「きよかわ華蓮、当選確実」というテロップが流れた。
     華蓮は当選した。中国人とのハーフという差別、悪意の週刊誌記事、深夜のデマビラなど、多くのマイナス要素を払いのけての勝利だけに「支持者の喜び」はひとしおである。
     だが、その中にあって、華蓮は一人黙している。
     確かに一つの戦いは終わった。だが、すぐに「新たなる戦い」がやってくることを華蓮は知悉していたのである。
     それは政権与党である旭日党をはじめ「マスコミ」や「右翼」といった保守的で利己的な勢力との戦いだ。
     それだけではない。もしも将来、会津党が政権党にでもなれば、華蓮の元にも当然、財界人らによる「甘い誘惑」が迫るだろう。こうした敵の方がむしろ、明らかに敵とわかる「非難中傷の輩」よりもはるかに強敵であるに違いない。もしもこれらに負けてしまえば、華蓮もまた「悪徳政治家の道」を歩むことになるのである。
     あるいは他にも「社会が悪い・国が悪い」と口では偉そうなことばかり言いながら「ポイ捨て」や「赤信号横断」といった不道徳行為を平気で繰り返す一般大衆の愚劣な姿を数多く目撃した結果「なんでこんなくだらない奴らのために私が自分を犠牲にして努力しなくちゃいけないの?」と清く正しい政治への情熱を失ってしまうかもしれない。
     マックス・ヴェーバーが主張した「天職(ベリーフ)」が果たして自分に備わっているのか?華蓮はそれを自問自答していたのである。
     当選確実の報と共に満面の笑みを浮かべて「万歳」を叫ぶのが当り前の政治家の中にあって、華蓮の行動は確かに奇異に見えるものであっただろう。だが、華蓮は正しいのである。否、誠実なのである。否、真剣なのである。真剣であれば、有頂天になどなってはいられない。「万歳」などと叫んで無邪気に喜んでいるのは「選挙戦=決着点」などと考えている、最初から悪徳政治と戦う意思など持ち合わせていない政治家だけだ。
     鈴音が開票所から戻ってきた。鈴音は華蓮が場の空気に溶け込んでいない、すなわち全く喜んでいないことを直ちに察知した。
    「華蓮、支持者の方々と一緒に喜びあうことも政治家としての務めですよ」
    「そ、そうだね」
     鈴音に言われて、華蓮も笑顔をつくろった。
    「みなさん、ここで万歳三唱をしたいと思いますが、いかがでしょうか」
     万雷の拍手。
    「ではいきますよ」
     ここにいたって華蓮もついに「万歳」を叫び、両腕を高々と上げた。だが、これは断じて「選挙に勝ててうれしい!」などという低次元の万歳ではない。あくまでも「悪徳政治を打倒するための挑戦権を獲得できたこと」に対する万歳であった。



  • 「未来の日本」は女性たちの手で

  •  12月上旬。
     華蓮は日本を離れ、中国の地にあった。
     華蓮は恐らく、ニッポンの首相として初めて南京大虐殺資料館を訪れた。そこには南京大虐殺を証明する数多くの資料が展示されていた。その量はまさに圧倒的であり、これだけの証拠がありながら、今までのニッポンの政治家が「まぼろし」と言い張ってきた理由が華蓮には全く理解できなかった。
     その後、華蓮は記念碑に移動、これまたニッポン人の首相としては初めての献花を捧げた。

     華蓮が選挙に初当選。初めて衆議院本会場に入った時のこと。
    「中国女。ここは、お前なんかが入れる場所じゃないぞ!」
     右翼の男性政治家からの罵声。無論、華蓮はこんなことは予想済みで、全く動じない。
     もとより華蓮は「ひとりでも戦う」と決意していた。そして、そんな華蓮には会津党の仲間たちがいた。だから怖れるものなど何もなかったのだ。
     その日の夜、華蓮は就寝前にひとつの詩を読んだ。

     ニッポン人が「東京大空襲」を語るのに
     中国の人々が「南京大虐殺」を語ってはいけないという法はない

     ニッポン人が「広島・長崎」を語るのに
     中国の人々が「731部隊の人体実験」を語ってはいけないという法はない

     靖国参拝に歴史歪曲
     未だニッポンには「戦前の軍国主義」が存在している

     こうした現状に対して
     中国の人々が「批判の声」を挙げてはいけないという法はない

     本来ならばニッポン国民が「自ら行うべきこと」を
     代わりに「していただいている」のではないか

     「軍国ニッポン反対!」を叫ぶ中国の人々に対して
     ニッポン国民はむしろ「感謝するべき」である

     「戦争の悲劇」を伝え
     「軍国主義」の誤りを叫ぶのは

     平和を願う全ての人類に付与された
     永久かつ不変の「権利」だ

     それを「カネによる買収」や
     「武力による脅し」によって妨げんとする者は

     いかなる国家の指導者であろうと
     正真正銘「世界の平和を破壊する悪魔」に他ならないのだ

     そして20年の月日が流れ、時代は大きな転換点を迎えた。
     そう。華蓮が遂に内閣総理大臣として就任したのである。これはすなわち「右翼の嵐」が過ぎ去り、日本国民が国益ではなく「道理」によって物事を決することを当然のこととして納得するようになったことを意味していた。
     もはや日中関係が「冷え込む」などということは、あり得ない。華蓮の南京訪問はまさに、その象徴となる出来事であった。



  •  鈴音はニッポンの大学を辞し、現在はヨーロッパのとある天文物理学研究所にいる。
     えっ、天文物理学?
     そう。ディベートの鬼才・鈴音の才能は決して文系に偏ったものではない。
     事の発端は、たまたま学生にまじって一般教養課程の「天文学」の講義を聞いたことによる。その時、教授がたまたま次のような解説をした。
    「ハッブルの法則は宇宙が膨張している証拠である」
     周りの学生は全員、納得している。だが、鈴音は違った。「それって、観測者が収縮している証拠ともとれるじゃん」
     かくして、鈴音の「天文物理学の旅」が始まる。
     その結果、鈴音はニールス・ボーアが発見した粒子と波動の相補的関係以外にも、重力と時間にも相補的関係が認められることに気付いた。ということは「時間の概念」は原子や素粒子に存在するのであり、宇宙にあるのではないということになる。そして時間の概念がないのであれば当然、宇宙は「不変不動の存在」ということになる。
     鈴音は今まで如何なる物理学者も発見し得なかった「宇宙誕生の核心」に迫る大発見をしたのである。
     そして鈴音は「ブラックホールは時間が逆に流れる現象」であることも突き止めた。つまり通常の天体は過去・現在・未来へと時間が流れているが、ブラックホールは現在から過去に向かって時間が流れているのである。それは「宇宙に物質が誕生する以前の状態に戻る」ことを意味する。だからこそブラックホールは光や時間を飲み込むのであり、それが重力崩壊という現象の正体なのだ。
     無論、これらの発見に対し学術界が「そうですね」と素直に認めるわけはない。コペルニクスの「地動説」、ウェーゲナーの「大陸移動説」など、いつの時代にあっても常識を覆す「真実」に対する反発は凄まじいものがある。
     誤った常識を覆す闘いを鈴音は「今も続けている」というわけだ。

     残るは、いづみ。
     いづみは現在、アメリカにいる。外務省を退官したいづみだったが、再び復官。日本の大使として働いていた。
     アメリカ大使という地位がいかに重要であるかは言うまでもあるまい。華蓮は迷うことなくその大任を親友であるいづみに託したのだった。

     このように時代は大きく変わった。恐らく「いいほうに」。
     「時代は変わった」という言い方は正確ではない。悪が蔓延る時代に堂々と勇気をもって正義を主張し続けた人々が「時代を変えた」のである。それこそ「死に物狂いの努力」によって。右翼思想にかぶれた過激な連中による非難中傷や物理的な攻撃を覚悟の上で。

     青春時代に「ディベートの世界」を駆け抜けた3人の女性たち。彼女たちが先駆けとなり、今では日本は世界でも有数の「女性が大活躍する国」である。

  • ディベートシスターズ 完     



  • サクラテレビの人々(2007年)

    「ディベートシスターズ」のスピンオフ作品。
    ニッポンのテレビ界に蔓延する腐敗・堕落を
    ユーモアを交えながら描く。


  •  割と緊張した面持ちで山田杏奈はだだっ広いスタジオの真ん中に設けられたステージの上に立っていた。それはサクラテレビ系列で毎晩放映されている『ニュース・ヤーパン』のステージそのものだった。
     杏奈は昨夜から一睡もしていない。今日という日を緊張して迎えたからではない。友達と居酒屋で酒を飲んでいたのだ。ゆえに今の体調は最悪と言ってよかった。頭痛に吐き気。これは明らかに「二日酔い」の症状だ。このような状態の中、杏奈はサクラテレビのアナウンサー採用試験の最終審査である「面接試験」に臨んでいたのだ。
     一般常識としては入社試験前日に「酒を大飲みする」など到底考えられない。「採用決定後」だろう。だが、一般企業を志望する者とは違い、マスコミ志望の者にとってはこうした「非常識こそ常識」なのだ。
    「名前、生年月日、自己アピールをどうぞ」
     面接官は全部で三人。そのうちの一人を杏奈はよく知っている。『ニュース・ヤーパン』のキャスターにしてサクラテレビ・アナウンス室長の阿部正友である。あとの二人はよくわからない。おそらくはプロデューサーか何かだろう。杏奈は二日酔いとは全く関係がなく普段から「働きの鈍い頭」で、そう思った。
    「はーい4番、山田杏奈でーす。生年月日は昭和某年某月某日でーす」
     この後、杏奈は自分の性格や特技を同じような軽い口調で話した。普通の会社の面接ならば「不採用」は免れまい。だが、ここはテレビ局。「○○でーす」といった話し方も「個性」として認められるのだ。
     杏奈本人は「自分は上品なお譲さまタイプ」と思っているのだが、第三者的には杏奈の長所は「元気であっけらかんとしていること」だ。花にたとえるならば紛れもなく「なでしこ」ではなく「ひまわり」だろう。
     三人の面接官がひそひそと何やら話を始めた。だが声が小さくてよく聞こえない。突然、面接官の一人が杏奈に質問した。というよりも「要求」した。
    「君のスリーサイズを教えてもらおうか。くっくっく」
     杏奈は元気に答えた。
    「はーい。あたしのー、スリーサイズはー、・・、・・、・・でーす」
     実のところ、杏奈の採用云々はサクラテレビにとっては「暗黙の了解事項」だった。

     杏奈が所属する某大学のアナウンス部を阿部室長が訪れたのは3年前の夏のことである。 当時、杏奈は大学1年生。当然、就職活動などはしていないはずである。だが、マスコミの世界では大企業による「青田買い」どころの話ではなく「籾買い」で新入社員を決めるのが「通例」だ。だから杏奈も例に漏れず既に就職活動を行っていた。
     杏奈は現在のサクラテレビの看板娘である某女性アナウンサーがサクラテレビへの就職を勝ち取るために用いた「方法」を熟知していた。そして杏奈は、この日、それを「試す機会」を得たのだ。杏奈は阿部室長に自分の親がいかに「大金持ち」で「社会的地位が高い」かを力説した。阿部は杏奈に興味を示した。典型的な「カネ・コネ世界」である日本のマスコミでは「親の地位・財力」は非常に重要である。だが、それだけで阿部室長が杏奈に興味を示したのではなかった。杏奈は「美人」ではなかったが「かわいい」と思えるだけのルックスと豊満な胸を持っていた。阿部室長は今までに何人もの籾を「入社の代償」として手に染めてきた。そうした経験から、この若さあふれる肉体をいくらでも自分の思うままに蹂躙できることを即座に了解した。
     阿部室長は単刀直入に切り出した。
    「今晩どう?」
    (やったわ)
     杏奈は心の中で狂喜した。阿部局長が自分に興味を示したのだ。これこそ、まさに杏奈が期待していた「筋書き」だった。
    「はーい。いいですよー」
     杏奈は即座に返事をした。
    その日の夜、二人は用心から都内を出て、千葉市内のラブホテルで一夜を共にすることに決めた。
    ベッドの中で阿部室長は杏奈の耳元で囁いた。
    「二口(一口1000万円、つまり2000万円の裏金)で手を打とう」
    「パパに頼めば、そんなのワケないわ!」
     杏奈は阿部室長の首に抱きついた。長い夜はまだまだ続く。杏奈はめでたく「阿部室長の妾」となることに成功したのだった。

     面接試験が終わって数日後、杏奈は一人暮らしをしている中野の超高級マンションで一通の封書を受け取った。送り主はサクラテレビ。中には「合格通知書」が入っていた。



     4月
     サクラテレビに入社した杏奈を待っていたのは、どこの企業でも行う「新人研修」だった。
     杏奈はこの日「記者クラブの仕事」を見学するため、サクラテレビ社屋を飛び出し、東京都庁へやってきた。
    「こんにちはー」
    「やあ杏奈ちゃん、いらっしゃい」
     杏奈は入社してまだ一月だったが、サクラテレビ社内では既に評判であった。「カネ・コネ人事」のサクラテレビでは本当の意味で「美人女子アナ」と呼べるレベルの新人の入社は久方ぶりであったから、これは当然のことであった。
    「今日は、よろしくお願いしまーす」
     杏奈は頭をペコンと下げた。そして頭を再び上げた時、杏奈は自分の眼の先に自分の大好きな「あるもの」を発見した。
    「あっ、あれは」
     思わず叫ぶ杏奈。記者クラブの先輩記者が、その正体を教えてくれた。
    「ああ、あれは『鰻重』だよ」
     鰻重。それは、いうまでもなく日本を代表する「高級グルメ」。もちろん杏奈も「大好き」だ。杏奈が目にしたのは、まさにその鰻重の入れ物の山だった。でも、どうしてそんなものが都庁にあるのだろう?
    「俺たちの昼飯に決まってるじゃん」
     その記者は平然と、そのように答えた。
    「どうせ『都民のカネ』だ。わざわざ遠慮して安いもんを食う必要もないだろう?」
     そう。都庁に詰める記者クラブの記者たちの食事はすべて「都民の血税」によって賄われているのだ。杏奈はびっくり。「官官接待」を非難するマスコミの、それも最前線にいる記者たちが、よもや税金によって高級グルメを食べていようとは。
     ちょうどその時、お昼の鐘が庁舎内に鳴り渡った。記者たちが自分の鰻重を次から次へと取っていく。
    (・・・・・・)
     杏奈はじっとその光景を眺めていた。その表情には「不満」がありありと表れていた。すると、そんな杏奈を見てとった一人の記者が杏奈に言った。
    「『今日来る』って聞いていたから、杏奈ちゃんの分もちゃんと用意してあるよ」
     その言葉を耳にするや、杏奈の表情は一変した。満面の笑顔を浮かべる杏奈。杏奈は正義漢から不満の表情を浮かべていたのでは決してなかった。ただ「自分も食べたいなあ」と思っていただけであった。どんなに可愛い顔をしていようと所詮、杏奈は「民衆蔑視のマスコミ人間」にすぎないのだ。
    「鶴鶴しないで、よく亀亀。いっただっきまーす」
     鰻重を頬張る杏奈。
    「うーん、おいしい♡」
     鰻重を食べながら杏奈は思うのだった。
    (記者クラブの記者になるのも、いいなあ)



     5月
     杏奈と同じこの年、サクラテレビに入社した、もう一人の新人アナウンサー・宮崎みつるは放送を終了した朝の報道番組『のぞき見ワイド』のスタジオで実地研修の真っ最中であった。
    「さあ、では次このコーナー『電車の中吊り広告』!」
     威勢のいい声とともに、みつるはボードに張られた中吊り広告の記事を順番に読みあげていく。その堂に入った姿は、さながら「居酒屋で愚痴をこぼす酔っ払い」の姿そのものだ。両者の違いはそれを居酒屋で演じるのか、テレビ局のスタジオで演じるかだけだ。
     今日、日本の民放テレビ局のワイドショーと言えば、どこもかしこもみな「週刊誌・夕刊紙・スポーツ紙の記事を読みあげてコメントする」だけ。無論、サクラテレビも例外ではなかった。
     みつるは、もともと「スキャンダルな話」や「他人をボロクソに非難中傷すること」が大好き。学生時代には人気の男子生徒に関するデマをねつ造(たとえば、女子生徒の下着を男子生徒のカバンの中に入れるなど」して、クラスでの人気を落とすといった悪戯を企てるのが常だった。こんなみつるであるから、朝のワイドショーは文字通り「天職」と言えた。
     みつるの話術は一言でいえば「おめでたい話には『嫌味』を付け加え、凶悪な事件には『政治が悪い・社会が悪い』と結論付ける」というもの。だから「他人の幸福が妬ましい人間」や「政治の悪口が面白い人間」には、みつるの話は実に面白く感じられるのだった。そして言うまでもなく、こうした話術の才能こそが今日、日本のすべての民放テレビ局がアナウンサーに求めている「才能」なのだ。
    「はい、以上『電車の中吊り広告』のコーナーでしたー」
     実地研修の評価が「非常に高かった」ことは言うまでもない。

     みつるは両親がともに「名門国立大学卒業」というエリートの家に生まれた。みつるは幼い頃からそのことを「鼻にかけて威張る少年」だった。
    「俺の両親は東○大学を出てるんだぞう」
    「俺の親父は○○公社で働くトップエリートなんだぞう」
     これがみつるの少年時代の口癖だった。みつるのプライド・自尊心の高さは「常軌を逸した」ものだったが、それは、ことのほか「異性関係」において顕著だった。みつるは本気で「自分はクラスで一番美人の女の子と付き合う権利がある」と本気で思っていたのである。
    「お前、可愛いから、俺の彼女にしてやる」
    「俺の彼女になれるなんて、お前ラッキーだぜ」
     こんな高飛車なみつるに「はい」と返事を返す女の子など、当然一人もいなかった。

     だが今、みつるは性懲りもなく、自分と同じ年に入社した女の子を「必ず俺の女にしてやる」と意気込んでいる。それは言うまでもなく「杏奈」のことだ。



     6月
     この日「番組の収録」を兼ねた研修旅行が実施された。場所は「瀬戸内海」。無人島で自然の昆布やカキを採って、その場で食べてしまおうという企画。この番組をもって研修期間は終わり、新人はそれぞれの職場に配属されることになる。
    「レッツゴー」
     杏奈の掛け声とともに、新人アナウンサー二人と先輩アナウンサー一人、そして船長の四人を乗せた小型漁船「兜丸」は瀬戸内海に浮かぶ無人島をめざして出帆した。
    「風が気持ちいい」
     大自然の真っただ中に飛び出して、ご機嫌の杏奈。先程から一人ではしゃぎまわっている。ただでさえ陽気な性格の杏奈が、その何倍も元気に見える。このようなシチュエーションでの杏奈はカメラの被写体としては、まさに打ってつけである。
    「・・・・・・」
     一方、みつるは終始無言。「都会のボンボン育ち」のみつるには小さな漁船での船旅は、どうやら「お気に召さない」と見える。
    (くそ、早く着け)
     みつるは「船酔い」に苦しんでいたのだ。
    「みつるは周りの景色を見ないのか?」
     みつるに話しかけるのは先輩の伊藤瑞樹アナウンサー。みつるは「それどころではありません」と小声で返事をした。船酔いと気付いた伊藤アナは「ハハハハ」と大笑いした。
    (嫌な奴め!)
     みつるという人間は本当に腹で何を考えているかわからないような男だ。
     そうこうしているうちに兜丸の前方に目的の無人島が見えてきた。船長はエンジンを止めて惰性で無人島に接近していった。
    「すごーい」
     杏奈が叫ぶ。
     杏奈たちの乗る漁船の真下。そこはまさに「昆布の森」であった。瀬戸内海に自生する昆布は波が穏やかで水深の浅い無人島の周囲に「ドーナツ状」になった群生するのだ。
    「では、昆布の取り方について説明する」
     そう言いながら船長は柄の長い銛を手に取った。
    「この銛で昆布の根っこを突き刺す」
     そう言いながら実演してみせる。
    「後は二・三回ゆっくりとねじって・・・・・・ほれ」
     銛に引きちぎられた昆布が海底から上がってきた。その大きさにびっくりする三人のアナウンサー。長さは優に2メートル以上。厚さも場所によっては10センチくらいある。
    「じゃあ、みんなにも、ひとりずつやってもらいましょう」
     昆布との格闘が始まった。不器用なのはみつる。伊藤アナはまずまず。杏奈は?
    「ほっ」
     杏奈は次々と昆布を引き上げる。しかも「小物はつまらない」と大物狙いで銛を刺す。船長からも「上手い」と褒められた。
    「ぷぷぷぷぷ」
     その一方で、笑いを必死にこらえるのはカメラマン。何と杏奈は船上で「がに股」。かくして杏奈は、この番組によって自身の魅力的な足(?)を全国の視聴者に披露することとなった。
     昆布を手に入れた後は、いよいよ無人島に上陸、岩に付着しているカキを採る番である。 ここでも杏奈は「笑いを獲る」ことを忘れない。
    「うーん、うーん」
     岩にへばりつくカキは、なかなか手強い相手だ。ただ堅いだけではなく、その殻は鋭く斬れる「刃物」でもある。杏奈は顔をほとんど「ゆでダコ」のような状態にしてカキと格闘した。
    「くくくくく」
     またもや笑いを必死にこらえるカメラマン。
    (この子はバラエティに決定!)
     昆布とカキが揃って、いよいよ試食。
    「鶴鶴しないで、よく亀亀。いっただっきまーす」
     杏奈は食事前には必ずこの「謎の呪文」を唱える。どうやら「ツルツルしないで、よく噛め噛め」という意味らしい。だが、杏奈の食事風景は、およそこうした呪文とは正反対の、大きな口をあけての「一気食い」だ。
    「カピバラだ。カピバラにクリソツだあ」
     カキを頬張る杏奈の顔はカピバラにそっくりであった。それにしても、こうも崩れるものなのだろうか「女性の顔」というものは?杏奈は、普段は「かわいい女の子」なのだ。
     ともあれ、今日の主役は紛れもなく杏奈だった。杏奈のいきいきとした健康美は「上品」ではないけれども、多くの視聴者に「好感」をもって迎え入れられることだろう。
     無事に撮影を終えたサクラテレビ御一行様は、このあと地元の政治家や財界人が「隠れ宿」として利用している超高級温泉旅館『除虫菊』に一泊することになった。勿論、お金は「局持ち」である。公務員が「出張」を名目に税金を使って国内旅行や温泉を楽しむのと同じで、テレビ局の職員は「番組の収録」を名目にスポンサーの金を使って国内旅行や温泉を楽しむのだ。

    「ああ、気持ちいいわあ」
     杏奈は旅館の温泉で、今日一日の疲れを取っていた。他に利用者はいない。杏奈は「まるで貸し切り見たい」と大満足。

     カタン

    「だ、誰!?」
     杏奈は慌てて首から下を湯船の中に隠した。杏奈は湯気に曇る人影をきっと睨んだ。
    「杏奈」
     その声から、人影の正体はみつるであることが分かった。でもなぜ?
    「ここは女風呂。男風呂はあっち」
     杏奈は厳しい口調で、そう言い放った。だが、みつるは立ち去ろうとはしなかった。それどころか、みつるは湯船の中に飛び込んできた。
    「い、いやっ!」
     必死に逃れようとする杏奈。そんな杏奈の腕を掴むみつる。
    「俺の女になるんだ、杏奈!」
    「嫌よ。誰があんたなんかと!」
     杏奈は、みつるの腕にがぶりと噛みついた。みつるの腕の力が緩んだ。杏奈は渾身の力でみつるの股間をキックした。
    「☆◆@」
     湯船の中で、のたうちまわるみつる。杏奈はすばやくみつるの腕を逃れて、温泉を上がった。杏奈は湯船の中でのたうちまわるみつるに向かって、全裸を見られた悔しさから「渾身の捨て台詞」を吐いた。
    「誰が、誰があんたなんかと付き合うものですか。私はカッコいいプロ野球選手とお付き合いして、玉の輿に乗るんですからねっ!!」
     興奮した杏奈の口から普段は絶対に口にしない本音がポロリと出た。

     カッコいいプロ野球選手とお付き合い

    これは何も杏奈に限ったことではない。女性アナウンサーの大多数が「国民の知る権利を保障する」という崇高な理想に燃えてではなく、単に「いい男をゲット、玉の輿に乗る」という私利私欲のためにアナウンサーを職業に選んでいるのだ。
    「べーっだ!」
     杏奈は足早に、その場を立ち去った。



     7月
     杏奈は喜び勇んでアナウンス室にやってきた。遂にアナウンス室に自分も入れることになったのだ。
     杏奈は自分の机を捜した。だが、それらしい「真新しい机」など、どこにも見当たらない。
    「きゃあ」
     杏奈のお尻を何かが触った。杏奈は悲鳴と共に後ろを振り向いた。
    「室長!」
     杏奈のお尻を触ったのは、今日という日を誰よりも待ちわびていたアナウンス室長・阿部正友だった。
    「おはよう」
    「お、おはようございます」
    「やっと会えたね。嬉しいよ」
     現在、アナウンス室には杏奈と阿部室長の二人だけ。阿部室長の口調は非常に馴れ馴れしい。
     杏奈は阿部室長に質問した。
    「ううん。ところで室長、私の机はどこでしょうか?」
    「君の机はあれだ」
     そう言って指さされた机は、しかしながら既に誰かが使用していた。机の上には沢山の本や書類が積んである。不思議がる杏奈に阿部室長が理由を説明する。
    「ここアナウンス室では入社して8年くらいまでかな?机は『二人で一つ』を使うんだ」
     なんというケチ臭さ!杏奈は呆れてしまった。
    「スポンサーのカネには限りがある。これも全て、美食グルメや温泉旅行を満喫するためだと思って我慢してくれたまえ」
     そう言われて、なるほどと杏奈は納得した。
    「ちょうどいい。『君の机のお相手』が来たぞ」
     入ってきたのは、去年入社した男性アナウンサー・原島周平だった。
    「おはようございます。話は室長より伺っております。同じ机を使う原島です」
     入社してまだ一年目ということもあるのか、原島アナはどうやら「まともな青年」らしい。 だが、それもまもなくだ。彼もまた数年後には不況や貧困に苦しむ多くの国民を尻目にスポンサーのカネを湯水の如く使って美食グルメや温泉旅行を楽しんで恬として恥じない愚物になり下がっていることだろう。その時には今の丁寧な言葉使いも大きく変わっているはずである。

     杏奈が担当する番組は毎週土曜日の朝に放送している『おはよう有名人』という、有名人をスタジオに招待していろいろな話を聞く「トーク番組」である。
     記念すべき発放送。杏奈は慎重に番組を進行していく。だが、最後に登場したゲストで問題が発生した。最後に登場したゲストは、あるプロスポーツの選手なのだが、明らかに「局の方針」とは異なる思想・哲学を有する「真面目な人物」だったのである。
     杏奈からの質問。
    「シーズンオフのときなどは、何をなされているのでしょう?」
    「そうですね。主に読書をしています。僕は特にヨーロッパ文学が好きで、ゲーテやロランが大好きです。最近の作家ですと、トロワイヤやジャックなんかもいいですね」
     杏奈にはまったくわからない「人名の羅列」だった。無理もない。一般的な女子アナ同様、杏奈もまた普段は「ファッション雑誌」や「週刊誌」しか読まないのだから。
    「家では音楽もよく聴きます。指揮者はクラウス、スウィトナー、マタチッチが断然いいですね。そのあとをレーグナー、マズアが追いかけているといったところでしょうか。煌びやかで個性をむき出しにした『スター気取り』の演奏ではなく、素朴で、いぶし銀的で『楽団の奉仕者』を自覚した演奏が好きなんですよ」
     これまた杏奈にはわからない人名。ADから指示が出た「話題を変えろ」と。杏奈は直ちにその指示に従った。杏奈は次のような質問をした。
    「ケイバとかパチンコとかは、なさらないんですか?」
     だが、この質問は完ぺきに「失敗」だった。選手は即座に「ええ、やりませんね」と言いきったのだ。
    「『自分の実力を限界まで試してみたい』と思って必死に努力している人で、ギャンブルに夢中になっている人など、およそいないでしょうね。僕がいる世界でも、確かにギャンブルに嵌まっている人はいますが、彼らは結局、ファンにとっての『悪しき見本』ではあっても決して『良きお手本』とは言えない。よく『ギャンブルはロマンだ』とか『ギャンブルは夢だ』とか言われますが、私はそうは思いません。むしろ『ギャンブルはロマンや夢のゴミ箱』ではないでしょうか?『自分に秘められた才能を捜すひたむきな努力』の中にこそロマンや夢があるのではないでしょうか?」

     後日、担当プロデューサーは上司に呼ばれ、それはそれはこっぴどく叱られた。
    「お前、分かってるのか?我々の顧客は視聴者じゃない『スポンサー』だ。何よりもまずスポンサーを喜ばせる番組作りこそが大事なんだ。そして、言うまでもなくギャンブル産業は、ビール産業やたばこ産業と並ぶ、我々にとって『最大のスポンサー』なんだ」
    「はい」
    「『私はギャンブルは嫌いです』とか『酒やたばこは飲みません』とか、そのようなことを口にする可能性のある有名人は最初からゲストとして『呼ばない』。どうしても人気があって呼ばなければいけない場合には、そうした話題は『振らない』というのが番組制作に携わる者の基本だ」
     この程度のことは無論プロデューサーだって知っている。ただ杏奈が理解していなかっただけだ。
    「申し訳ございません」
    「二度と、こんなミスはするなよ。でないと『降格処分』を食うぞ。我々は何も日本を『文化大国』にするために仕事をしているわけじゃないんだ。我々の唯一の目的は『カネ儲け』なんだ。そのために我々が気をつけることは『スポンサーの顔色』と『視聴率』だけだ」
    「はい」
     プロデューサーは上司の部屋を後にした。

     一方、杏奈は今日の失敗について全く気にしていなかった。というより「失敗した」ことにすら全く気づいてはいなかった。
     ともあれ、記念すべき「レギュラー番組初出演」を祝して、杏奈は築地市場に隣接する高級寿司屋で大好物の「大トロの握り」を頬張っていた。
    「おーいしーい」
     店の外ではテレビ局が用意した杏奈専用の「黒塗りのハイヤー」が、ご主人様の食事の終えるのをじっと待っていた。夕食が終わった。一回の食事で5000円が飛んだ。だがこれも「テレビ局の職員」ともなれば何ら驚くにはあたらない。
    「お勘定は会社の経費でお願いしまーす」
     いとも簡単に、そう言う杏奈。しかしこれは「杏奈一人の感覚」ではない。局のみんながこうやっているから、杏奈も自然とこうなったにすぎない。
     杏奈が店から出てきた。素早くハイヤーの後部座席に乗り込む。
    「中野のマンションまで行ってちょうだい」
     黒塗りのハイヤーは築地を後にした。



     8月
     「ニュースキャスター志望」のみつるであったが、彼に与えられた最初の仕事は人気芸能人が進行役を務めるクイズ番組の「問題文を読み上げる役」という、まったく意にそぐわぬものだった。自慢の「辛口・毒舌」を駆使して「茶の間のアイドル」になるつもりだったのが、予定が大幅に狂った計算である。
    (くそっ、なんでこんな裏方みたいな仕事を、この俺様が)
     そう。これは明らかな「裏方仕事」だ。およそ「テレビに顔の映らないアナウンサー」ほど惨めなものはない。
    とはいえ、夜の七時というゴールデンタイムに放送されるクイズ番組『クイズリーグ』は、サクラテレビ期待の新番組だ。これから毎週、数々の有名人が「1000万円の賞金」を目指して視聴者の前で「欲望を剥き出しにした醜い姿」をさらけ出すのである。
    記念すべき最初の出演者は若者に圧倒的人気のアイドル。M子だった。
    「では第1問。『赤穂浪士の討ち入りの人数』は?」
    「・・・・・・10人くらい」
    「残念。正解は『47人』でした」
    「なんでよお。『10人』もいれば十分じゃないのお?こんな問題、わかるわけないじゃん」
     見苦しい言い訳に明け暮れるM子。
    「続いて第2問。『鎌倉幕府を開いた人』は誰?」
    「鎌倉天皇!」
    「残念。正解は『源頼朝』でした」
    「ヤダあ、ちょっとお、問題が難しすぎるわよお」
    (これで難しいだと?ふざけるな、このバカ女)
     みつるは内心むかついていた。アイドルと呼ばれる人種の何という「教養のなさ」よ!そのくせ、この手の人間はプライドだけは「いっちょまえ」なのだ。
     M子は早々に退場して、次に登場した有名人は「頭の良さはスポーツ界随一」と呼ばれるA男である。さて「その実力のほど」はいかに?
    「第1問。次にお聞かせする音楽の題名をあててください。それではスタート」
     流れたのはシューベルトの未完成交響曲。誰でも知っている、あまりにも有名な曲だ。ところが・・・・・・。
    「モーツァルトの『田園』ですね、これは絶対、うん」
     A男は二重の間違いを犯している。『田園』は言うまでもなくベートーヴェンの曲だ。
    「残念。正解は『シューベルト・未完成交響曲』でした」
    「ああ、そうだった。うっかり勘違いしたよ。あはははは」
    (ウソつけ、本当は全く分からなかったくせに)
     本人は「上手く誤魔化した」と思っているようだが、みつるをはじめ視聴者の誰もが騙されるはずがない。
    「第2問。『アンジェラスの鐘』『種まく人』などで有名なフランスの画家といえば誰?」
    「簡単簡単、『ルノワール』だろう?」
    「残念。正解は『ミレー』でした」
    「ああ、そうだった。うっかり勘違いしたよ。あはははは」
     かくして「スポーツ界一の頭脳」を持つはずのA男も早々とその姿を消した。
     三人目は何と現職の国会議員、それも政権与党に所属する大臣である。仮にも国民の代表。少しは骨のあるところを見せていただきたいものである。
    「第一問。『江戸城を造った人』と言えば誰?」
    「それは『大工さん』に決まってるじゃないか」
    「残念。正解は『太田道灌』でした。続いて第二問。徳川吉宗は別名『何将軍』と呼ばれているでしょう?」
    「これは知ってる。『○れん坊将軍』だ」
    「残念。正解は『米将軍』でした」
    (ちっ、これで大臣かよ)
     先程から呆れ顔のみつる。皮肉にも「顔がテレビに映らない」のが幸いしている。
     突然、大臣が怒り出した。
    「こんな、くだらない問題ばかり出さないで『全国の温泉地の名前』とか『酒の銘柄』とか、もっと知的で高尚な問題を出せ!」
    (どこが知的で高尚なんだよ?こりゃあ根っからの「遊び人」だぜ、こいつは)
     みつるは呆れ果ててモノも言えない様子だが、番組スタッフにとってはこれこそが「筋書き通りの展開」であった。というのも「有名人のバカさ加減を視聴者に見てもらい『自分は何て頭がいいんだ!』と視聴者に自己満足してもらう」のが、この番組の趣旨だからである。
     無論、そうした視聴者の中には小学生の子どもも含まれる。道理でニッポンの子どもたちが「大人を尊敬しなくなる」わけだ。
    (くそっ、俺様は必ずニュースキャスターになってやるぞ!)



     9月
    杏奈はスタジオを飛び出して北海道に来ていた。『女子アナ・超豪華グルメの旅』と題する番組のためである。
    近年、テレビ局では『グルメ番組』が花盛りだ。朝のワイドショーだろうが、昼のワイドショーだろうが、夜のバラエティ番組だろうが、必ず「グルメ企画」が登場する。
    そして極め付けが、テレビ局のアナウンサーらによる「美食グルメ番組」だ。テレビ局の職員は会社の経費で一体全体、どれだけ美食グルメを堪能しているのか?仮に、その実態が国民の前で具体的な数字として公表されるならば、国民からの厳しい非難は避けられまい。
     だが、そのようなことは起こり得ない。なぜなら、テレビ局は「治外法権」であり「社内情報の透明性」に関しては一般的な企業や団体とは比較にもならないほど低いからである。
     近年「情報開示」は官公庁をはじめ「社会の常識」となりつつあるが、ことマスコミの世界に関しては明らかに「時代から逆行」している。マスコミは「報道の自由」の名のもとに「秘密主義」を主張する。これこそが日本のマスコミの「腐敗堕落の原因」に他ならない。ともあれ『女子アナ・超豪華グルメの旅』とは、とどのつまりテレビ局の経費を使って女子アナや番組スタッフが温泉旅行や美食グルメを堪能するために企画された、政治家・官僚らによる悪名高い「視察旅行」のテレビ局バージョンに他ならない。
    今日、日本では毎年3万人以上の国民が「貧困苦」を理由に自殺している。だがマスコミの連中は、そうした人々を尻目に「美食グルメ三昧・温泉旅行三昧」に明け暮れるのだ。

    「鶴鶴しないで、よく亀亀。いっただっきまーす」
     杏奈は北海道名物「ウニどんぶり」を口の中に頬張った。
    「おーいしーい」
     杏奈は実においしそうに食べる。勿論、本当においしいのだろうが、少しは遠慮したらどうなのか。
    勿論、テレビカメラの中では杏奈だけが食べている。だが、わずか数分間の「番組の収録」が終われば、あとはもう「宴会」だ。スタッフ全員でウニどんぶりを心ゆくまで堪能する。
    「役得、役得」
    「これだから『テレビ局のスタッフ』はやめられないね」
     一人のスタッフが昼間だというのに「地酒」を注文した。すると全員がそれに倣った。
    「かんぱーい」
     サクラテレビ御一行様による真っ昼間からの大酒宴会が始まった。
     スタッフ全員に酒を注ぐ杏奈。
    「杏奈、お前も飲め!」
     杏奈は酔っ払ったスタッフから強引に命じられた。
    「杏奈!杏奈!杏奈!杏奈!」
     スタッフ一同による「杏奈コール」が始まった。もはや飲むしかない。杏奈は酒をグビッと呑みこんだ。一杯、二杯、三杯。次々と酒を飲み干す杏奈。酔いのまわった杏奈は、いつしか眠ってしまった。
     スタッフ一同は杏奈が眠るや、杏奈を抱きかかえて、表の駐車場に止めてある放送機材車の中に杏奈を連れ込んだ。その後、放送機材車の中で「何がはじまった」かは読者のたくましい想像力に任せることにする。



     10月
     杏奈は女子更衣室で衣装を着替えている。
     この女子更衣室には実は隠しカメラが仕込まれている。彼女は無論「このこと」を知らない。隠しカメラは隣の男子更衣室にあるモニターにつながっていた。そこでは先程から、バーコード頭の中年男がニヤニヤしながら杏奈の下着姿を眺めていた。
    「へへへ、ばっちりいただき」
     男は杏奈の着替えの模様を一部始終ビデオに録画した。
    男の正体は杏奈の大先輩、夕方6時からのニュース番組を担当する望月正明アナウンサー。これこそ一般社会とは、およそモラルが異なる「テレビ局の世界」の一駒である。



  •  長年にわたってテレビドラマ等で活躍した大物タレントが死去した。
     朝のワイドショー『俗ネタ』では早速、この大物タレントの訃報に関する報道を行った。 
    キャスターを担当するフリーアナウンサー・岩瀬修は、いかに自分がこの大物タレントと懇意で、たびたびお世話になったかを力説した。無論、これは「自分の宣伝のため」だ。
     そして最後に岩瀬キャスターは「ご冥福をお祈りいたします」という、ごくありきたりな文句で、とりあえずこれに関するニュースを閉めた。
     番組が終わり、岩瀬キャスターは早速、都心へと繰り出す。行き先は高級料亭『はるみ』。
     到着、中へ足を入れる岩瀬キャスター。彼は昼間から酒を飲み始めた。
    「ぷはー。やっぱり番組が終わった後の昼酒は格別にうまいなー」
     この男にとって「故人の冥福を祈る」とは、どうやら昼間から酒を飲むことだったようだ。 そりゃあ、そうだろう。毎日のように「交通事故」や「火事」といった悲惨な事件ばかりを報道している人間にとって「他人の死」など、どうでもいいことなのだ。人の死のたびに、いちいち冥福など祈っていたら、それこそ毎日のように冥福を祈らねばならぬではないか。
    「へい、おまち」
     酒に酔う岩瀬キャスターの前に、超高級大トロ握り寿司が置かれた。



     11月
     サクラテレビ系列で朝8時から放送しているワイドショー番組『俗ネタ』の中に、億万長者の家を紹介するコーナーがある。このコーナーを担当しているのは、杏奈の先輩にあたる永島実愛アナウンサーだ。
     今日、訪問する邸宅は「3千坪」の土地に立つ、鉄筋コンクリート三階建ての、まさに大邸宅であった。玄関から中に入る実愛。個人邸宅のレベルを超えているのは外観だけではなかった。エントランスから既に「広さ」が際立っている。
     この邸宅は何もかもが、兎に角「広く」できていた。
     リビングに案内される。リビングは実に50畳もある。そこにある家具も全て「最高級品」だ。ソファは350万円。テーブルは200万円。オーディオは3000万円。
     邸宅の主人は実愛に展示用のガラスケースの中を見せびらかす。ガラスケースの中には、スイス製の高級腕時計がズラリと並んでいる。まるで「時計屋」みたいだ。そのコレクションは優に1億円を超える。
     更に実愛は駐車場に案内された。
     そこにはリムジンやスーパーカーなど、高級車がズラリと10台ほど並んでいた。主人曰く「『最高級品』とか『希少品』とか聞くと、つい欲しくなって買っちゃうんだよね。ははは」
     このような番組を、果たして視聴者は「どのような思い」で見るのだろう?「羨ましい」と思うのか?はたまた「ステキ」と思うのか?まともな人間ならば「馬鹿じゃないの!」と思うのが自然というものだ。
     この邸宅の主人は典型的な「カネはあっても知性のない愚物」に他ならない。だが、このような愚物をチヤホヤもてはやすのが「民放テレビ局の連中」なのだ。なぜなら、民放テレビ局は「俗物人間の寄せ集め」だからだ。
     実愛は既にこのコーナーを2年以上担当している。そのことに対する不満は全くない。「お金持ち」と言うだけで実愛にとっては、その人は「素晴らしい人間」なのだ。

     男はやっぱり「おカネ」よね~。

     これが実愛の「男性観」であった。否、日本のテレビ局の女性アナウンサーに共通する価値観といえよう。
     実愛が最後に案内されたのは邸宅とは別の建物であった。それは何と「神社」。主人が「一族の繁栄」を願って建てたのだそうだ。
     このような人物が昔の日本にもいた。厳島神社を建てた平家や、鶴丘八幡宮を建てた源氏や、富士浅間宮を建てた北条氏など。だが、それらの一族はすべて「滅んでいる」。所詮「人間の力で神様の力を制御する」ことなど不可能なのだ。このようなことを企てる輩は結局、最後は「メルトダウンを起こした神様の力」によって滅びるのだ。だから先人同様、この主人も最後は「滅び組」に入るに違いない。せっかく今「勝ち組」なのに。可哀相なことだ。



     12月
     深夜の報道番組『ニュース・ヤーパン』で、サクラテレビ内で物議を醸す特集番組が放送された。それは『退職官僚の本音』と題された、外部の番組製作会社が制作した番組であった。内容は「『事業仕分け』に頭にきて退職した高級官僚の本音」を伝えるものである。
     元官僚A氏曰く「国民のためを思い、寝る間も惜しんで一カ月かけて企画した事業を、たった10分で『廃止』にされた。それも高級料亭三昧に明け暮れている糞政治家どもに。この屈辱は一生忘れない!」
     元官僚B氏曰く「事業仕分けの結果、真面目に仕事をする官僚が沢山辞めた。残ったのは全く仕事をしない連中ばかりだ。そりゃあそうだろう。なにしろ今の政権は、事業を立案しない人間を『税金の無駄使いをしない官僚』といって優遇しているんだから」
     現官僚C氏曰く「最近『官僚のやる気を出させるための公務員改革』なんて言いだしたが、冗談じゃない!官僚のやる気をなくさせたのは『事業仕分け』じゃないか」
     実に「正論」ばかりが次々に飛び出す、サクラテレビにしては珍しく「真面目な番組」である。
     だが、それが「よろしくない」というのだ、上の連中は。
     放送後、ニュース・ヤーパンのプロデューサーは更迭された。
     無論、この番組を制作した会社との取引は解約された。その理由は政権党である旭日党を全面支持するのが「サクラテレビの方針」だからである。それに背く者は、一人たりとも「容赦しない」というのが、サクラテレビの社内規律なのだ。
     テレビ局とは、およそ「このような世界」である。
    社員には「表現の自由」もなければ「思想・良心の自由」もない。会社の方針には「絶対服従」。
     このような封建的な組織が「表現の自由」や「思想・良心の自由」を建前に番組を制作・放送しているのだから「チャンチャラお笑い」というものだ。



     1月
     国が管理する調整池で子供が溺死した。調整池には周囲に高さ2,4メートルのフェンスが張られていた。どうやら子供はフェンスをよじ登って調整池の中に入ったらしい。 子供の親は、国を相手に訴訟を起こした。
     子供の親曰く「調整池を管理する国の責任は重大」「フェンスの上に有刺鉄線を張っていなかったのは国の管理ミス」等々。
     こうした「親側の主張」を全面的に支持するのは、もはや日本のテレビ報道の「常識」である。
     サクラテレビもご多分に漏れず、この事故について大々的に報道し「国の責任」を徹底的に追求した。後日の話になるが、結局、国は「1億円の慰謝料を支払う」ことで親と合意したのである。
     だが、どう考えてみても、これは「おかしい」。本来ならば「調整池の中に入ってはいけない」ということすらも子供に教えていない「親のしつけのなってなさ」こそ、最も非難されるべきであろう。
     似たような事例は枚挙にいとまがない。先月には、夜中に女子高生が乗った自転車が車にはねられる事故があった。自転車に乗っていた女子高生は、ケータイをいじりながら片手運転をし、おまけにライトを点灯していなかった。このような自転車、はっきり言って「(自分を)はねてください」と言っているようなものだ。
     だが、それでもテレビは一斉に自転車をはねた自動車のドライバーを「人間のクズ」のように罵った。女子高生の遺族は遺族で、真顔で「うちの子は何も悪くないのに」と言って涙を流し「視聴者の同情」を必死に集めようとしていた。何が「何も悪くない」ものか。「ケータイをいじる」「夜中にライトを点灯しない」これだけで充分に「悪い」ではないか。
     自動車を運転していたドライバーは結局、テレビが巻き起こした「厳罰の世論」のために「交通刑務所入り」となり、無論、仕事も失った。このドライバーは新婚間もない若者で、もうじき子供も生まれる予定だった。テレビは文字通り「新婚夫婦の幸せな家庭を破壊した」のだ。
     そのまた先月には、子どもの自殺があった。親は早速、学校を訴えた。親曰く「子供が悩んでいるのに教師が気づかなかったのが悪い」。何をか言わん。実の親にさえも全く気がつかない子供の悩みを、赤の他人である教師に「気がつけ」というのか?だが、これまた遺族に肩入れするテレビ報道によって、世論は学校を非難、高額な慰謝料が親に支払われることになったのである。
     こうした報道をテレビが執拗に繰り返した結果、日本はどうなったか? それは皆さんも「ご存じ」の通り! 結局、日本は「親が子供を全くしつけなくていい国」「何でもかんでも責任を他人に転嫁する国」になってしまったのだ。



     2月
     『俗ネタ』の最後のコーナーに「テレビショッピング」がある。岩瀬キャスターの弁舌が茶の間の奥様方を、次から次とだまくらかす。
    「これは本当にいい商品ですよ、お母さん」
    「いま買わなきゃ、絶対に後で後悔しますよ」
    「限定100個、すぐに売り切れますよ。すぐに連絡を」
     こうした言葉を巧みに駆使して、別段「大したことのない商品」をさも「立派な商品」に見せかけて、売り上げを伸ばすのだ。
     こうした「あこぎな商売」を望月は既に15年近くも行っている。15年近い歴史の中で、最もひどかったのは有名画家とやらの「リトグラフ」を販売したときだ。
    「これは世界的にも有名な画家のリトグラフで、大変貴重なものです」
    「エディションナンバーがあるでしょう?世界中で、たったこれだけしかないんですよ」
    「将来的には『家の家宝』としても十分に通用するものです」
     こうした言葉に騙されて、どれだけの主婦が、お金を「ドブに捨てた」ことか。
     当時「30万・50万円」で販売されたこれらのリトグラフ、現在では「3万・5万」が相場である。つまり価値は「10分の1に下落した」わけだ。
     こうした事実について、岩瀬キャスターはもちろん「だんまり」を決め込んでいる。そして今でも「インチキ商売の方棒」を担ぎ続けているのだ。



     3月
     『俗ネタ』で地球温暖化をテーマにした企画を報道した。司会の岩瀬キャスター曰く「視聴者の皆さんも、この問題を真剣に考えて『取り組めることからはじめましょう』ね」
     それは「お前のこと」だろう?岩瀬よ。
     この岩瀬キャスター、実は「4,6リッターⅤ8エンジン」を搭載したアメリカ製の高級セダンを愛車としているのだ。所詮「番組の企画」だからこのように言ったまでで、自分には地球温暖化なんか全く関心がないんだよということなのか?
     また、別の日には「サメが絶滅の危機に瀕している」という企画が報道された。この時にはその理由が「中国がフカヒレを目当てに鮫を捕獲しているのが原因」とし、岩瀬キャスターは徹底して中国を罵った。
    「国際的な取り決めによって、一刻も早くサメの捕獲を国際的に禁止しなければ、このままでは本当にサメは絶滅してしまいますよ」
     岩瀬キャスターは語気を荒げて、このように発言した。だが、こうした発言は「お前が言うな!」だ。というのも、この岩瀬キャスター「鯨の肉」が大好物で、毎週のように食べているのである。サメの捕獲は「反対」でも鯨の捕獲は「賛成」なのか?おまけに鮫漁はニッポンでも行われているにもかかわらず、そちらの方は全く批判しないのだから呆れてものも言えない。
     およそ「ニュースキャスターの発言」とは、このようなもの。「有言実行」「一貫した主張」とはほど遠いのだ。だから「社会を正しい方向へと変革する力」になり得ないというわけである。
     毎年「テレビの視聴率」は減少している。無論「テレビを信じられる」と答える人々の数も。当然である。岩瀬のような人物がニュースキャスターである限り、ニュース・ワイドショーは「俗物による俗物のための番組」の域を超えることは決してないであろう。
     サクラテレビでは毎月、内閣支持率や支持政党などの「世論調査」を行っている。そして、局の方針として「旭日党の支持率を上乗せすること」が決められている。つまり、仮に旭日党の本当の支持率が「30パーセント」である場合には「40パーセント」とするわけだ。また、世論調査に合わせて「街頭でのインタビュー」も行っている。大抵、通りすがりの20人ほどにインタビューを行っているが、その中で実際に映像に流すのは数名分である。たとえば20人中、18名が「旭日党ボロクソ」で、2名が「旭日党ガンバレ」であった場合、後者2名のインタビューのみが映像として流されるわけだ。そうすれば、あたかも「国民全体が旭日党を支持している」ように見える。また、万が一にも全員が「旭日党ボロクソ」という場合も考えて「サクラ」も用意してある。つまり、局の人間に、あたかも一般通行人を装わせてインタビューを「偽装」するわけだ。
     およそ「世論調査」や「街頭インタビュー」とは、こういったもので、要するに「テレビ局による世論操作のための手法の一つ」なのである。



     4月
     「新番組」が登場する時期である。
     みつる二本目のレギュラー番組が始まった。タイトルは『鉄人料理人いらっしゃい』。 スタジオに料理人を呼び、その場で実際に料理を作らせ、司会者やゲストが試食するという、典型的な「グルメ番組」だ。
     第一回目に登場する料理人は、千葉県で店を開いているというフランス料理人、浅野ユーリ。浅野ユーリが今回作った料理は画家・ロートレックが残したレシピに基づく超豪華料理の数々である。

     ベアルネーズ・スープ
     僧院の蛇
     オマールえび・ボンヌフォア・アンシエンヌ風
     羊腿肉のココット鍋蒸し・オーベルニュ風
     アルデンヌ風ベーコン入りサラダ
     修道女のおなら

     画家・ロートレックというのは、いうまでもなく「モンマルトルの貴公子」と呼ばれた、あのロートレックである。無論、会場にいる人々の中で、こうしたことを知っている者など、みつる以外には一人もいない(みつるは、性格は最低だが博識である)。余談ながら「僧院の蛇」はパン、「修道女のおなら」はせんべいの名前である。
     今回ゲストに呼ばれたセレブたちはフランスの名前と言えば「シャネル」などの有名ブランドしか知らないような連中なのだ。
     今回登場する3人のゲストに関するデータは以下の通り。
     一人目は、自称「シャネラー」こと悪趣味なオバタリアン芸能人「M」。
     二人目は、元・スポーツ選手で、今はタレントのボデ腹と毒舌が自慢の「O」。
     三人目は、他局のクイズ番組で「バカさ加減」を披露しているアイドル「H」。

     みつるは顔にこそ出さないものの、内心では完全にバカにしきっている。
    (こんなバカ連中に、本物のグルメの味なんかわかるもんか!)
     料理が完成。早速、試食に入る3人のゲスト。
    「うまーい」
    「いけるう」
    「さいこー」
     毎度お決まりの「絶叫」を口にしながら、ゲストは次々と料理を平らげていく。最後の採点において、ゲストは全員最高点の10点を出した。
     この番組の放送後、浅野ユーリの店には「グルメ通」を自認する政治家や財界人たちが列を作って並ぶようになったという。料理人・浅野ユーリは、彼女 自身が望んでいた「政界・財界人御用達」という目標を達成したわけである。ああ、テレビの威力「恐るべし」である。



     5月
     『俗ネタ』でおなじみの永島愛実アナウンサーがアシスタントを務めるクイズ番組『クイズ・白黒つけてよ』は毎週水曜の夜九時から放送されている。『クイズリーグ』が有名人が出場する形式のクイズ番組であるのに対し、こちらは「しろうと番組」である。ちなみに司会者はタレントの宮崎晋三。
     この日の放送で「一つのミス」が起こった。それは「クイズの答えが間違っている」というものだ。
    司会の宮崎はいつもと変わらぬ口調で問題を読み上げた。
    「さて問題。ダックスフントの足はなぜ短いのでしょうか?」正解は「わからない」だ。なぜなら、ダックスフントはもともとエジプトに生息していた古代犬であり、その独特の体の特徴から11世紀ごろにドイツ人によって「穴熊狩猟用」にヨーロッパに輸入された犬だからである。つまり、アフリカでの生態については不明な点が多いのである。
     ところが宮崎は「正解は『穴熊を取るために進化した』でした」と答えたのである。おまけにアシスタントの愛実までも「ダックスフントはドイツ原産の犬で……」などと、全くのでたらめを述べてしまった。
     さあ、この日のテレビ局の電話が「苦情」で鳴りっぱなしになったことは言うまでもない。「公共の電波でうそをつくな!」
    「何も知らない『バカ司会者』め!」
    「あんなバカな女子アナはさっさとクビにしろ!」
     翌週の番組の冒頭、宮崎と愛実は視聴者に対して「お詫び」をすることとなった。
    (なんで私が謝らなくちゃならないの!?プンプン)
     愛実は腹の底でムシャクシャしていたのだった。
    『白黒つけてよ』で出題される問題を制作しているのは、本番組のAD・渡邊千秋である。
     あの日の問題を、果たして千秋はどのように考えたのか?
     テレビ局には「図書室」がある。そこには小説をはじめ様々な本が置かれている。もちろん「百科事典」の類いも。だが百科事典は「昔に買った古いもの」がそのまま置かれていた。その古い百科事典には確かに「ダックスフントはドイツ原産の犬」と記されていた。千秋はその記述をそのまま「信用した」のである。
    「ちょっとあんた、こっちに来なさいよ!」
     愛実に呼ばれて、千秋はスタジオの人目につかない場所にやってきた。
    「あんたのドジのおかげで、私が謝る羽目になったじゃないの。どうしてくれるのよ」
     千秋はADという立場上、頭が低い。千秋はひたすら愛実に頭を下げた。
    「だったら今、この場で私に土下座しなさい!」
     愛実は自分が間違っているときには「逆切れ」して絶対に頭を下げないくせに、他人が間違った時には、それこそここぞとばかりに責め立てるという、実に「嫌な性格」の女だ。
    「さあ、はやく」
     千秋はゆっくりと正座を始めた。千秋は自分の額を床に押し当てた。
    「ほんとに、申し訳ありませんでした」
     愛実は千秋の後頭部に自分の足を乗せた。愛実は足をぐりぐりと動かし、千秋の後頭部を文字通り「踏みつけた」。
    「いいわ。今回は大目に見てあげる。でもいいこと。今度こんなドジを踏んだら、その時は容赦しないわ!」
     もう既に「容赦などしていない」ではないか。そんなことにも気づかないのか、愛実という女は。
     愛実はこの場を去った。千秋はゆっくりと起き上がると、自分のズボンの汚れを手で払った。夢と希望を抱いて入社したはずの「サクラテレビ」だった。「憧れのテレビ局での仕事」のはずだった。だが、千秋に待っていたのは、まるで奴隷のような日々だった。
     ああ、これが「ADの世界」だというのか?
    「・・・・・・」
     その場でうつむく千秋。その目にはうっすらと涙がにじんでいた。



     6月
     某駅前で無差別連続殺傷事件が発生した。刃物を持った「精神異常の通り魔」に通行人7名が次々と刺されたのだ。
     サクラテレビ報道室では報道室長・高橋謙二郎が、先程からしきりに叫んでいる。
    「女だ。女の写真を早く入手しろ!」
     女というのは被害者の一人のことである。7名の被害者の中でただ一人の「若い女性」だ。 他の6名の被害者は男性である。高橋室長は6名の男性被害者のことは捨てておいて、とにかく「女性被害者の写真が欲しい」のだ。
     電話が鳴った。直ちに受話器を取る。
    「よし、手に入ったか。すぐにこっちへ送れ。夕方のニュースに間に合わせるぞ」
     夕方6時からのニュースで直ちに、この写真が用いられた。被害者のうち6名の男性は「名前だけ」、女性被害者のみ「顔写真入り」である。
     こうした報道の傾向は無論、サクラテレビだけではない。日本のテレビ局では被害者にせよ加害者にせよ「男性・子供・老人」についてはプライバシーに配慮するが、若い女性に関しては逆に「プライバシーを暴きたてる報道」が展開される。NHKの7時のニュースでは、それこそ被害者の生前の写真を何十枚も入手、「紙吹雪のように撒き散らす」という映像効果まで演出する悪質ぶりである。
     要するに、日本のテレビ局は「スケベ男の巣窟」ということだ。テレビ局にとっては被害者であれ加害者であれ、若い女性はすべて「写真週刊誌の表紙を飾るグラビアアイドル」と同じなのだ。
     高橋室長は顔写真が間に合って、たいそう満足顔だ。
    「だが、まだまだだ。もっと集めろ。あと10枚は欲しいな。知人・友人・昔のクラスメート、誰でも構わん、とにかく写真を持っていそうな連中を片っ端からあたるんだ!」
      
  •       
    サクラテレビの人々 完     



  • あとがき

  •  「ディベートシスターズ」それは黒い羊のロニー以後、長く続いたトンネルを抜け「作家としての復活」を告げる祝砲に他ならない。
     以前から何度も繰り返し主張しているように、ディベートシスターズこそ私の「最高傑作」である。この場合、短編であることは全くマイナス要素にはならない。というのも、私はこの作品によって「自分という人間」を知ることができたからである。つまり自分が、いかなる人種差別も身分差別も絶対に許さない人間、即ち右翼と呼ばれる連中とは明らかに異なる「立派な人間性を備えた人間」であるということを、だ。これほどまでに右傾化に反し「人道」や「正論」を貫く小説が果たして今のニッポンに存在するだろうか?しかも主役は若き乙女たちである。この作品には社会の悪を冷笑するだけの風刺を大きく越えた「社会批判精神」がある。そうだ。これこそが私がやりたかったことなのだ。ただ「面白いだけ」の小説なんか糞食らえだ。ピカソの絵画「ゲルニカ」が傑作であるのは軍国主義を痛烈に非難する作品だからだ。小説だって傑作になるためには徹して「悪と闘う」内容でなくてはならないのだ。

    「あなたは『日本人は優秀である』『中国人は下等である』と信じて疑わないようですが、私は違います。私は人種や肌の色などには一切関係なく『すべての人間が平等である』と思っております。けれども、もしも人間の間に『どうしても差別を設ける必要がある』というのであるならば、そのための基準は唯一『人間性の優劣』だけであると信じます」

     これは第一部の中で華蓮が最後に発した言葉である。そしていうまでもなくこの言葉を華蓮の口から言わせた「私の信念」でもある。この信念に反する輩は誰であろうと「私の敵」であり、私が堂々と上から目線で見下ろすことのできる「目下の人間」である。総理大臣だろうが、大物財界人だろうが、名門大学の教授だろうが、そんな肩書は一切関係がない。なぜなら私の方が「生命境涯が高い」からだ。修羅が菩薩に優る道理などありはしない。
     この作品を執筆し終えたとき、私は本当に喜びに包まれたのだった。正直、自分をこれほど「褒めてやりたい」と感じた作品はない。「コックローチ」には感動の名場面がきら星の如く登場するものの時折登場するHシーンが水を差す。「第四の峰」や「国連救助隊」ではあまりにもニッポンを悪者に仕立て上げ過ぎた。その点、ディベートシスターズは完璧である。敵はあくまでも「ニッポンの右翼」のみであり、ニッポンそのものではない。そして今回,読み直してみても鈴音の、右翼思想に固執する相手をやり込める力には鬼気迫るものがある。これは当時の自分がそれだけ真剣に「打倒右翼」を目指して取り組んでいたことの証に他ならない。そのおかげで今は楽に右翼思想を批判することができる。勿論、今の方がより洗練されてもいる。この作品を執筆していた当時はまだ「弥生時代は銅鐸を本尊とする仏教興隆の時代で、古墳時代に創設された伊勢神宮よりも遙かに古い」などということは知らなかったし、三相性理論も四大性質の全てが出揃わない「三相性トライアングル」の段階だったわけだけれども、それでも限られた情報を駆使して立派に現代でも通用する破折力を持っていることを私は素直に評価するのである。
     右翼は自らを「愛国者」と思い込み、私を「非国民」と罵る。だが、私がいかなる右翼政治家よりも「ニッポンの国土や自然を愛する男」であることは私が描く「ニッポンの山岳風景」によって証明済みだ。勿論、道にゴミをポイ捨てなどは絶対にやらない。私こそニッポンが「美しい国」であって欲しいと誰よりも真剣に願っているニッポン人のひとりなのだ。私に言わせれば、ニッポンの右翼政治家がニッポンを愛しているのは「自分は優秀、自分は偉い、自分は賢い、自分は立派」と自惚れる為の口実の一つとして「ニッポンは素晴らしい国」という前提が必要だからで、本音は「自分が一番かわいい」のであり、本当の意味でニッポンを愛しているわけではないのだ。だからこそ奴らはニッポンの政治をいくらだって「腐敗・堕落」したものにしてしまえるのである。たとえば陰に隠れて「裏金づくり」をするといった具合に。

  • 2025年11月18日     
    著者しるす           
  •  
  •