- コックローチ
ニッポンの出版界から嫌われまくる
文壇のアウトサイダーによる最新作(当時)。
「ハリウッド映画に挑戦」とばかりに
社会の闇世界をドラマチック&エロチックに描く
ハードボイルドアクション小説の決定版!
青いジャージを着込んだハッチャンがVP-70を放てば
チェリーが竹竿を手に「無礼者!」と叫ぶ。
目次
コックローチ
2
3
4
5
コックローチ「特別編」
6
7
8
9
コックローチ「決着編」
WARNING
- 「闇世界を生きる人間を描く」という作品の性質上、日常生活に於いては禁止されるべき 「不適切な表現」が登場します。本作品に登場する人物たちのマネをしてはいけません。とりわけ山道具を武器として使用することは絶対におやめ下さい。
コックローチ
観光客の減少に伴う経済悪化や国の威信の低下を怖れる政府やマスメディアが進んで公表しないだけで「世界で最も犯罪の多い都市」と言えば東京をおいて他にはない。東京は文字通り「犯罪の見本市」。人身売買に薬物の蔓延、テロの策謀に強盗殺人、振り込め詐欺に悪徳商法など、数え挙げればきりがない。こんな害虫だらけの都市には当然、それに見合った殺虫剤が必要だ。
その名は「アキバのコックさん」。成程。凶悪犯罪者を調理する「料理人」という名称は確かに彼らに似合っているやもしれぬ。だが、本来の意味は違う。
コックローチ
これが殺虫剤の正式な名称である。料理人のコックではなくコックローチのコック。いわずもがな暗闇の中をカサカサカサと素早く動いて獲物を仕留める最も汚らわしい害虫。害虫が害虫駆除をするというわけだ。何とも皮肉な話である。
彼らの本部、というかアジトは「アキバのコックさん」というだけあって秋葉原のどこかにある。彼らは雑居ビルの地下に潜んでいる。その真上にはコンビニエンスストアがある。よもやコンビニの下に秘密基地があるなどとは誰も思わないだろう。
彼らの獲物は法で裁けない人間、あるいは「法で裁くにも値しない人間」だ。暴力団にテロ組織、そして弱い者を食い物にする犯罪者の数々。常習性が身につき、もはや更生の見込みがない俗物。
特に、彼らが最も許さないのは「女性に対する性犯罪」だ。なぜならチームのボス=局長が他ならぬ女性だからだ。
待子
これが、我らがチームのトップの名前だ。苗字は知らない。おっと思わず「我らが」と言ってしまった。そう、私はチームのメンバーのひとり。仲間内からは「チェリー」と呼ばれている。
待子様は言うまでもなくチーム一の「暗殺の名手」だ。その手口については後ほど、明らかとなる。
私の武器は登山用のトレッキングポールだ。それを日頃、最も短い状態にして持ち歩いている。長さは50cmほどで色はメタリックオレンジ。自分は男だが、愛用しているのは女性用。桜の花びらをあしらった模様を気に入っているからだ。何たって私はチェリーなのだから。勿論、いい子は絶対にトレッキングポールを武器として使ってはいけない。
得意技は片手一本突き、通称「平突き」。平突きは剣技の中で唯一、攻撃の際、右手の拳を体の中心線から大きく外す、相手に攻撃の機会を与える非常に危険度の高い大技なのだが、私は確実に一撃で相手を仕留められるその破壊力の凄まじさゆえに、これを好んでいる。もしもよけられた場合には即座に五段切りを繰り出す。五段切りの手順は「下、下、上、下、横」だ。下、下で受けられても上で相手の剣を跳ね上げ、下、横で確実に相手の体を切り裂く。
「私の段位は?」だって。そんなものはない。なぜなら私は道場剣道で鍛えたわけではないからだ。ひょんなことから当時、日本に僅か4人しかいなかった正真正銘、本物の「剣道8段」の剣客のひとり(ちなみに剣道7段は当時、250名ほどである)と出会い、僅かの期間ではあったが、その人の指導を受ける機会に恵まれたのだ。その結果、私の体に眠っていた剣術の才が一気に開花したのだ。そんな私が現在「対戦してみたい相手」として思いつくのは沖田総司。それから斎藤一。果たして、彼らの突きと私の突きと、どちらが上だろう?考えるだけでゾクゾクする。特に斉藤一には殊の外、思い入れがある。会津藩に最も忠誠心篤く「地獄の世界」である斗南藩にまで付き従った男。婚礼の際には元会津藩主・松平容保が仲人役を買って出るほどの絶大なる信頼を勝ち得ていた男。こういう男を私は愛する。男ならば忠義を何よりも尊ぶべきだ。
私がこのチームに入ったのは「スカウト」されたからだ。当時の私は大学を卒業したばかりだった。その日の私はトレッキングポールを片手に東京の街中をぶらぶらと歩いていた。私は路地が好きで、よく路地裏を歩くのだが、その時、私は一人の着物姿の古風な女性が見るからにやくざ風の男4人に、路地裏にある駐車場に連れて行かれたのを目撃した。私が後をつけると、案の定、その4人組は女性の手足の自由を奪い、着物の帯をほどこうとしていた。私がその4人組をあっという間に倒したことは言うまでもない。実は、その時の着物姿の女性こそ我らが局長・待子様であった。この付近一帯で若い女性が強姦される事件が相次ぎ、局長は「おとり捜査」をしていたのだ。私がその場にいたおかげで、この4人は今回「死なずに済んだ」というわけである。もしも私が彼らを倒さなかったならば、彼らは皆、局長の手によって殺害されていただろう。その後、4人組は警察に引き渡され、私は局長によってアジトに案内されたのである。
勿論、最初は驚いたのなんのって。こんな「ハリウッド映画のような話」があってたまるか!だが、これは厳然たる事実であった。現代のニッポンには「救いようのない悪人」が沢山存在しており、それらを駆除する組織の存在によって、かろうじてこの国の秩序は保たれているのだ。
私の話はこのくらいにして、ここで、ざっとではあるが他のメンバーの話をしよう。まずは1番隊の組長から。局長である待子様を除けば「コックローチ最強」だ。
身長180cmほどある彼のニックネームは「ジャン」。本人は、このニックネームを気に入ってはいないが、皆からはそう呼ばれている。ちなみに私は、このニックネームでは呼ばない。コックローチ最強である彼に敬意を払って「エース」と呼んでいる。
ジャンは「催眠術師」だ。ジャンと対峙したら最後、相手は幻覚によって惑わされることになる。また他にも、一目でそれとわかる内股から繰り出される強力な足技を持っているのだが、それについてはいずれ、わかるだろう。
2番隊組長はジャンよりもさらに背が高く身長190cmを超える筋肉ボディの格闘家。頭を短く刈っていたことから渾名は「海坊主」。中学生時代にはプロレスジムからスカウトされたという逸話を持つ。私は一度だけ、こいつと素手の勝負をしたことがあるが、私の正拳突きなど全く通用しなかった。私が唯一、敗北を喫した相手である。先程、言い忘れたが私の身長は163cmしかない。つまり、こいつとは30cmも身長差があるというわけだ。
3番隊は飛ばして、4番隊組長。彼のニックネームは「ジコマン」。もともとのニックネームは「ピグミー」だったのだが、任務完了後に決まって気障なポーズをつけることが発覚。その後は、このニックネームとなった。要は「自己満足」のジコマン。彼はカナダ出身の白人で、肌の色が透けるように白い。パソコンに強く「不正アクセス」にかけては彼の右に出る者はいない。CIAだろうがFBIだろうが、彼にアクセスできないコンピュータなど世界には存在しない。
5番隊組長。通称「ケニー」。彼の好物は「梅干し」。学生時代には、それこそ他人の弁当に入っている梅干しを片端から奪っていたという。隊のナンバーが示す通り、実力的にはナンバー5だが、自分では「一番強い」と信じている。そんな身の程知らずな性格がたたって、ジャンとは仲が悪い。
6番隊組長。ニックネームは「アライン」。クールで物静かな性格。他の組長とはあまり話をしない。学生時代から手先が器用で、今では「爆弾製造のエキスパート」である。彼の下には副長の「ムラコ」という男がいて、一説には「二人はできている」のだとか。
7番隊組長。ニックネームは「クリシン」。組長の中では一番小柄な男で、目が見えない。そんなところから「琵琶法師」とも呼ばれている。その分、聴覚に優れ、一説には「100メートル先に落ちた針の音を聞き分けることができる」と言う。暗闇での戦いを得意とする男である。
8番隊組長。8番隊ということで、そのものずばり「ハッチャン」と呼ばれている。コックローチの中で唯一「飛び道具」即ち銃を操る。彼のガンコレクションはユニークで「ブローニング・ハイパワー」「ワルサー・P-38ロングバレル」「ヘッケラー&コック・VP-70」などを所持する。また彼は「拷問と仕掛け罠のプロフェッショナル」でもある。彼の拷問を受けた者は、たとえいかなる屈強な男だろうと、1時間もしないうちに口を割ることになる。
まあざっと、こんなところか。待子様以外は全員が渾名。メンバーはいずれも自分の身元など決して明かさぬ「不詳の輩」である。そして私自身も自らを本名ではなく今後も「チェリー」とのみ表記するつもりである。もうお気付きだろうが、自分が先程、説明を飛ばした3番隊組長である。
※
情報収集を司るジコマンがネット上で何やら「きな臭い情報」を発見した。
「これ見てくれよ」
待子とチェリーがパソコン画面に見入った。そこには家出少女に売春行為をやらせてカネを稼いでいる風俗店に関する噂話がブログとして掲載されていた。
「自分が事実かどうか確認してきましょう」
「やって来るんじゃないぞ」
「バカ野郎。ケニーと一緒にするなよ」
外は冬の寒空だ。チェリーはグラサンをかけ、白いコートを羽織る。その姿にはどこか「デカ長」と呼びたくなる風格がある。
「では局長。ちょっと出かけてきます」
チェリーがアジトを出た。
ブログの情報によれば、その風俗店は四ツ谷にあるという。
「ここか」
ごくありふれた雑居ビルの地下1階。チェリーは階段を下った。
「いらっしゃい、お客さん」
蝶ネクタイにスーツ姿の、ひょろっとした若い兄ちゃんが応対してきた。
「あんたが、ここのオーナー?」
「ええ、そうですよ」
「どんな娘、いるの?」
「お客さんのお好みは?」
「もちろん若いのがいいねえ。それもカマトトっぽいのが。ビクビク脅えて『きゃあ怖い』みたいのを無理やり責めるのがサイコーだよ」
若いオーナーがニヤッと笑った。
「お好みの女の子がちょうどいますよ。地方からやって来たばかりっていう、ピチピチの処女がね」
「そりゃあ、楽しみだな」
「ささ、どうぞこちらへ」
チェリーは奥へと通された。どうやら疑われてはいないようだ。
「この部屋です」
そう言い残して、オーナーは下がった。チェリーは扉を開けた。やけに重い扉。どうやら防音設備を整えた部屋のようだ。
中に入ったチェリーの目に、床に座り込む一人の少女が飛び込んできた。ふりふりのブラウスにミニスカート。その少女は首輪を嵌められ、2mほどの長さの鎖で壁に繋がれていた。
「いや、来ないで。怖い」
少女は震えていた。グラサンをしたコート姿のチェリーは少女の目にはやくざのように映った。チェリーは膝を折り曲げ、少女と目線の高さを合わせた。
「きみ、いくつだ?」
少女は震える声で答えた。
「16歳」
未成年。この時点で、この店は既に違法営業である。
チェリーは暫くの間、少女の素性を訪ねた。ただし「自分は味方である」とは告げなかった。どこかで見られているかもしれないからだ。
「待ってろ。トイレがしたくなってきやがったぜ」
そう言って、チェリーは部屋を出た。チェリーはトイレを探すふりをしながら事務所を探した。
「ここか」
事務所を見つけたチェリーは事務所の中へと入った。その時、チェリーは思いもかけない光景を目にした。
先程のオーナーが床に倒れていた。こと既に切れていることは、すぐにわかった。しかもこのオーナーは自ら刃物で自分の喉を刺し貫いていた。
目線を床のオーナーから前に向けると、そこにはひとりの着物姿の美女が立っていた。
「局長」
そう。それは待子だった。
「どうして?」
チェリーは「これは警察の仕事だ」と感じていた。この場所を通報すれば警察がやって来て、オーナーを逮捕、少女も無事保護されることは間違いのないことだからだ。何も我々が直接、手を下さなくてもいいのでは・・・。
待子は、いかにしてオーナーを殺害したのか?オーナーは自殺したのだ。これが待子の能力。待子は相手の精神を完璧に支配して、自ら自殺するように仕向けることができるのだ。
「ごめんなさい」
待子はチェリーの心情を察して、正直に謝った。そして次のように話した。
「でも、このような事件は女の私には、どうしても許せないのよ」
「・・・・・・」
「私のこと、軽蔑して?」
「いえ」
日本一着物姿の似合う絶世の美女・待子。だが、その本性はやはり「非情なる暗殺者」なのだと、この時チェリーは思った。
※
連続通り魔事件が発生した。その方法は通行人を突然、パンチで殴り倒し、その後に財布やバッグを奪うというもの。被害にあった通行人がすべて一撃で顔面を骨折していることから「格闘技の経験者」と思われた。
そこで、コックローチではナンバー2の実力を持つ海坊主を出動させることにした。
「ぎゃあ」
突然の悲鳴。現場に急行すれば、路上には血塗れになって倒れている大学生くらいの若者。そしてその先には逃走する犯人の姿が。
「逃がすか」
海坊主が走る。海坊主はコックローチの中ではチェリーの次に俊足を誇る。逃走を観念した犯人が振り返る。
「お前、俺様に追いつくなんて、よくよく運のない男だ」
犯人は、そう言った。
「それを今から、お前に教えてやろう」
犯人は両手の指をポキポキと鳴らした。
「それはな」
犯人が海坊主に向かってきた。右拳を振り上げながら。
「俺様が元・プロボクサーってことさ!」
犯人の拳が海坊主の顔面にヒットした。
「どうだ」
犯人はニヤッと笑った。
同様に、海坊主もニヤッと笑った。犯人は動揺した。バカな?
「どうした?お前の拳は、こんなもんか」
海坊主は全くびくともしていなかった。蚊に刺された程度にしか感じてはいなかった。
「ふんっ!」
海坊主の右拳が犯人の腹部を直撃した。
「ぐえっ」
犯人は内包物を全て吐きだして、路上に蹲った。
海坊主は皮肉たっぷりに、次のように言った。
「何だ?元・プロボクサーといっても、この程度か」
※
戦後のニッポンにおいて、不祥事が露見しても現職の政治家が「辞職しなくなった」のは、一体全体いつの頃からだろうか?昭和ではない。昭和の時代は不祥事が露見すれば政治家は自らその責任をとって議員を「辞職する」のが当然であった。平成だ。やはり平成になってから政治家は「ふてぶてしくなった」のだ。
思い出した。あいつだ!あいつからニッポンの政治家は今日のようにふてぶてしくなったのだ。
その政治家は、当時は現職の国会議員だった。
秘書が選挙の際に不正行為を働いたとして逮捕された時のこと。その時、この国会議員がテレビカメラの前で言っていたことを、今もはっきりと覚えている。
「秘書が有罪判決を受けたならば、ぼくは直ちに議員を辞職する!」
その後の裁判で秘書の有罪判決が確定した。だが、その国会議員は辞職などしなかった。それどころか次回の選挙にも抜けしゃあしゃあと立候補した。無論、この国会議員は落選した。
だが、この国会議員はその後「県知事」として政治の世界に返り咲いたのだった。返り咲くこいつもこいつなら、こんな奴に票を入れる有権者も有権者である。
この一連の事件を発端として、ニッポンの政治家は「不正が発覚しても議員辞職など断じてしない」という有権者に対する不誠実極まりない行動を「至極当然のこと」と考えるようになったのである。
「小包でーす」
東京都内にある県知事の豪邸に小包が一つ届けられた。
「えっ、なぜ東京に?」などと思うことなかれ。この県知事、住民票だけを県内のアパートに移して、実際は都内に暮らしているのだ。
小包を届けた配達人が車に戻る。車には明らかに配達人ではないスーツ姿の男が運転席に座っていた。配達人は助手席に乗り込むと、運転席の男に命令した。
「いいぞ、ムラコ。早く走らせな」
車が走り出す。その後ろから巨大な爆発音が半径1kmに渡り響いた。
哀れ。小包の中身はアラインお手製の高性能爆弾。箱を開けると爆発する仕組みになっていたのである。
※
「今日は俺がやる!」
ケニーは先程から、そう息巻いていた。待子は「この仕事はジャンにやらせよう」と考えていたのだが、それを知るとケニーは自らこの任務を志願したのだった。
今日の仕事は「高級官僚の身柄の保護」だ。その理由は以下の通り。
大物政治家による不正の証拠を握ると思われる高級官僚が過去に何人も自殺している。自殺なものか。大物政治家に雇われた殺し屋が「口封じ」のために自殺に見せかけて殺害しているのだ。その結果、訴追できなかった大物政治家は数知れない。だが、今回はそんなことは絶対にさせない。必ず訴追させてやる。コックローチの名にかけて。
だが、他のメンバーは誰もが感じていた「ケニーでは失敗するぞ」と。しかし、そんなことを言えばケニーは逆上するだろう。
待子はしぶしぶながら了承した。
ケニーとクリシンは車の中でひたすら警護に当たった。無論、官僚の家のすぐ傍に車を停車させることなどできない。そんなことをすれば不審車両として警察に捕まってしまう。車は官僚の家から200mほど離れた場所に止めていた。「それで警護できるの?」と思うことなかれ。だから助手席にクリシンが乗っているのである。「100m先の針の落ちる音を聞き分ける」クリシン。200m先の不審な音など朝飯前だ。
深夜2時。
クリシンは不審な足音を複数、聞いた。
(一人、二人・・・三人)
クリシンは隣のケニーに告げた。
「不審な奴らが来た。全部で三人だ。おい、ケニー?」
だが、この時、ケニーはグウグウ居眠りをしていた。
「おい、起きろケニー」
ケニーの肩をゆするクリシン。だがケニーは一向に目を覚まそうとしない。しまいには大鼾までかき出す始末。
「困った奴だ」
クリシンは仕方なく一人で車を降りると、官僚の豪邸へと急いだ。クリシンは一人で三人の刺客と戦うことになってしまった。
クリシンが豪邸の前に到着した時、刺客は既に豪邸の中に侵入していた。クリシンもまた、割られた窓から豪邸の中へと侵入した。すぐさま一人の刺客と遭遇。クリシンの武器は琵琶を弾く公孫樹の葉っぱの形をした撥(ばち)。それをナイフのように操る。
暗闇の戦闘だから、クリシンに分がある。まずは一人目を倒す。
2階に上がる。二人の刺客がまさに官僚を殺害せんとしていた。
「させるか」
撥を手に突進するクリシン。だが、二人の刺客は手に撥よりも強力な武器である小太刀を握っていた。しかも目にはスターライトスコープ。
苦戦するクリシン。一対一ならば分があるものの、二対一では、やはり不利は否めない。
右肩を切られた!よろけるクリシン。寝室の壁に追い込まれた。
「何者か知らないが、さらば」
クリシン、絶体絶命。
その時、一人の影がベランダに現れた。
「ああ、眩しい!」
二人の刺客は強い光を目に浴びた。暗闇の中で突然、強い光を浴びた刺客は視力を失い、慌てた。隙だらけの刺客は、あっという間にベランダの影によって倒されてしまった。
「大丈夫か?クリシン」
「ジャン。助かったよ」
ベランダに現れた影はジャンだった。刺客はジャンの目を見た瞬間、ジャンが発生した光の幻覚によって視覚を奪われたのだ。
「目も見えないのに無理しやがって」
「だって、あいつ、寝てんだもん」
「まったく、しょうがない奴だな」
こうして、とりあえず任務は無事に完了、ことなきを得た。だが、ケニーの傲慢ぶりだけは、こんな事件があったにもかかわらず治る気配がない。困ったものである。
※
「ねえ?これ誰のか、わかるかしら」
待子がジコマンに尋ねる。待子が手にしているのは、DVDのソフト。と言っても普通のソフトではなくAVソフト、それもかなり激しい内容のSMプレイを収録したソフトだった。
「ああ、おそらくハッチャンじゃない?あいつ、捕虜の口を割らせる拷問の担当だから、いろいろ研究してるみたいだよ」
「それにしたって」
「気にしなくてもいいんじゃない?まあ、局長は女性だから、気になるのかもしれないけどさ」
待子は潔癖症の女性だ。このようなDVDは「風紀上よろしくない」と思っている。
こんなこともあって待子はハッチャンだけは、どうも好きになれないでいる。勿論、ハッチャンの特技である「銃の腕前」や「罠を仕掛ける技術」などは高く買っているのだが・・・。
その後、待子はハッチャンのもとを訪れた。ハッチャンは拷問室にいた。
「ハッチャン。このDVD、あなたの?」
「ブイー、ちょうど良かった」
ハッチャンは待子に一枚の紙を見せた。
「これは自分が考えた新しい拷問台のイラストだよ。ピピピー」
そこにはハッチャンの言う通り、ハッチャンが考えて描いた新しい拷問台のイラストが描かれていた。
「テテン。これを使えば、今の拷問椅子よりもずっと、楽しく拷問ができるようになる」
ハッチャンは言葉の始めや最後に意味不明の「擬音」をつける癖がある。それはともかくとして「楽しく拷問」というのは、やはり奇異な印象を感じないではいられない。
そのハッチャン御自慢の新しい拷問台について説明すると、要は罪人の体を拘束するための磔台で、基本形は「Ⅹ(エックス)十字架」だ。電動で左右に広がったり、逆に左右をくっつけて「I字形」にもなる。また前後にも稼働することで、寝た状態にも、また頭を下にした逆立ちの状態にもすることができる。
「こいつならば、両足を左右に大きく広げられる。股間だって思いっきり虐められるってわけさ。シュイーン」
「もういいです。わかりました」
待子はハッチャンに紙を返すと、そそくさと外へ出ていった。正直、ハッチャンの趣味には「ついて行けない」と思った。
待子はこの時、まだ「ハッチャンの真意」について深く考えてはいなかった。ただハッチャンの悪趣味に嫌悪感を抱いていたにすぎない。ハッチャンがなぜ新しい拷問台を考えたのか?これを一体全体「誰に使うのか」ということについて、思いめぐらせる事はなかったのである。
「おい、起きろよ、みんな」
「何だよ?クリシン。まだ夜の3時だぜ」
「外の様子がおかしい。どうやら敵に包囲されたみたいだ」
「なんだって?」
「足音の数は尋常じゃない。数百人はいる。それに・・・」
「それに?」
「銃火器も持っているみたいだ」
アジトにいる者、全員が起きた。組長クラスではハッチャン以外の全員が揃っていた。
「ハッチャンだけ、いないな」
「局長もいないみたいだ」
ハッチャンがいないのはいい。どうせ外で飲み歩いてでもいるのだろう。だが、局長がいないのは不可解だ。
「取り敢えず上にあがって、外の様子を確認しよう」
外に出たメンバーたちは驚愕した。
「これは、自衛隊?」
そう。自衛隊の戦車やら、機関銃やらで、アジトが完全に包囲されていたのだ。
戦車の上に立つ自衛隊の隊長らしき人物が手を上げた。そしてその手が振り下ろされた時、機関銃の一斉射撃が始まった。銃撃を受けたメンバー数人が早くも命を落とした。生き残ったメンバーは辛くも建物の中に逃げ込む。
「あいつら、俺たちのこと『皆殺し』にする気だ」
「どうする?」
「強行突破しかないだろうな」
「まじかよ」
そうこう言っている間に、自衛隊員が建物内に突撃してきた。メンバーの中に被害者が続出する。
「落ち合う場所は上野の不忍池だ。生きていたら、また会おう」
メンバー全員が屋外に飛び出した。今はとにかく「逃げる」こと。それしかなかった。
不忍池に最初に辿りついたのはジャンだった。
「秋葉原が燃えている」
その光景をじっと見つめるジャン。やがてチェリーもやってきた。
その後は誰もやってこなかった。結局、生き残ったのは、この二人だけであった。朝日が昇る。辺りが明るくなってきた。
「これから、どうする?」
「さあな」
その時、すぐ隣の上野公園から一機のヘリコプターが飛び立った。自衛隊機ではなく民間機である。離陸直後とあってドアはまだ開いていた。そのおかげで中の様子がよく見えた。その様子を見たジャンとチェリーは愕然とした。ヘリコプターの座席にハッチャンと、後ろ手に手錠を嵌められ、目にテープを貼られた待子の姿が、はっきりと見て取れたからだ。
ヘリコプターは、いずこともなく飛び去って行った。
「することは決まったな」
「ああ」
ジャンとチェリーの「復讐劇」の幕が、ここに開いたのだった。
※
麻酔薬を嗅がされ、意識を失っていた待子の意識が回復した。その時、待子は自分の目が開かないことに気が付いた。
「気がついたようですね、局長」
待子は声から、その者の正体をすぐに理解した。
「ハッチャン。これは一体どういうことですか?」
待子は体を動かそうとした。だが動かない。自分の手首、足首に枷がはめられていることは明らかだった。両足を閉じ、手を頭の上にして起立していることから、柱に拘束されているに違いない。肌の感触から、どうやら着物は脱がされていないようだ。
「無駄ですよ。どんなに激しく暴れたところで、あなたの手足は自由にはならない」
「・・・・・・」
「あと、それからあなたの目には、ダクトテープを貼らせていただきました。あなたの能力については知っていますから。目さえ塞げば、あなたもただの女。いや、ただの女ではない。男にとっては凌辱のし甲斐のあるナイスボディーの、それはそれは『いい女』。チチチー」
「あなた、私をどうする気ですか?」
「そんなこと、決まってるじゃありませんか。あなたには私の考えつく限りの拷問を全て受け切っていただきます。前々から思っていたんですよ。あなたの美しい体を私の手で立派な性奴隷に作り上げたいとね」
そう言いながらハッチャンは着物の衿首から腕を突っ込むと、待子の胸を一回、ぎゅっと揉んだ。
「私に触らないで!」
「その強がりが、どこまで続きますかねえ」
ハッチャンは待子の服の襟首を捲ると、肩に小さな注射を打った。チクッとした痛みが待子の右肩に走った。ハッチャンは着物の襟首を整えながら注射の意味を説明し始めた。
「今の注射は最近、ニッポンに上陸したばかりの、最新式の媚薬でね。あなたの体で効果の程を試そうと思うんですよ。話では、今までの媚薬とは比べ物にならないほど感じやすくなるということでしてね。果たして、あなたはどうでしょうねえ?楽しみですよ」
ハッチャンがそう言っている間にも、待子の無花果の実の中が疼き始めてきた。勿論、待子は、そのような様子は噯にも出さない。
「さてと」
待子には見えないが、ハッチャンはノートパソコンをテーブルの上に置いていた。ハッチャンはそのノートパソコンのキーを二つ押した。一つは「X」で、ひとつは「Enter」。
すると、待子の体を拘束する柱の上下部分が左右に広がり、キーの通り「Ⅹ字型」に変形した。
待子はこの時、理解した。自分が今、拘束されているのは柱ではない。この前、ハッチャンが自分に見せた最新式の拷問台だと。かくして拷問台の油圧機械によって、待子は自分の意思に反し、ハッチャンの前で自分の股を大きく広げた。
「前に言いましたよね?『こいつがあれば、股間を思いっきり虐められる』って。最新の拷問台に最新の媚薬。光栄でしょう?あなたはこれらを最初に試す『実験動物』として選ばれたのですから」
いよいよハッチャンによる虐めが始まる。ハッチャンの右腕が待子の着物の裾の下から中へ入れられた。
「普通であれば全裸にするのですが、あなたの着物姿は日本一美しい。だから敢えて脱がしませんでした。帯がきついですか?ですが、そのままの姿で、あなたには私の責めに酔い痴れてもらいましょう。帯をしたまま腰をクネクネとくねらせ、着物を着たまま汗まみれになって、あなたはこの場で悶え狂うのです」
「や、やめなさい」
命令口調の待子。上司としての威厳を保つ、その姿。
だが、ハッチャンはやめない。やめるはずもない。
「ひ、卑怯者ーっ」
「チチチー」
ハッチャンによる愛撫。最新式の媚薬の力で意思とは無関係に体が反応する。
「や、やめてえ」
局長から、ひとりの女に戻った待子がハッチャンに懇願する。
ハッチャンの愛撫が止んだ。なぜ?
その数秒後、待子は指とは違う「別の感触」を感じた。指よりも明らかに太いものが押し当てられている感触を。
「ま、まさか!」
ひときわ大きな声を待子は発した。その声には「待子の恐怖心」がはっきりと見て取れた。
「ご名答」
「イヤ、やめてえ!」
こんな男と結合するなんて、絶対に嫌!待子は美しい黒髪を振り乱しながら、手足に力を込め、懸命にもがいた。だが、待子の手足の自由を奪う枷はびくともしない。帯がコルセットのように腹部を締め上げ、腰の動きを拘束する中、必死に腰をくねらせる待子。だんだんと心臓の鼓動が速くなり、呼吸が荒くなる。いつまでもこのような抵抗を続けられるわけがない。やがて待子は暴れるのを止めるしかなくなった。
「はあはあはあはあはあはあ」
もはや呼吸を整えるのに精いっぱいの待子。もはや待子にはこれしかない。待子は舌を噛み切ろうとした。
だが。
「ううーっ」
待子の行動を察知したハッチャンが待子の口の中にゴムボールを押し込む。更にその上からダクトテープを貼った。
「うーっ、うーっ、ううーっ」
「これで、あなたは舌を噛んで死ぬこともできない」
そして遂に待子とハッチャンが互いの武器を駆使して「快楽に溺れる時」が来た。
「拷問の前にまずは『契り』と行きますか。ピピピー」
ハッチャンは両腕で待子の骨盤をガシッと掴むと、待子との連結を開始した。
※
早朝の上野の、ちょっと洒落た洋館風の食堂でジャンは朝食を摂っていた。食堂内には一台のテレビがあり、秋葉原で昨夜起きた事件について報道していた。
そこへチェリーがやってきた。チェリーはジャンのテーブルの向かいに座った。そんなチェリーの姿を見たウェイターがチェリーに注文を取りにやってきた。
「モーニングセットを」
ウェイターは去ったと思うと、1分もしないうちにモーニングセットを運んできた。サンドイッチとコーヒーだから簡単に用意できるのだろう。
ジャンがサンドイッチを頬張るチェリーに話しかける。
「ニュース見たか?俺たちは『テロを計画していた集団』だとよ。冗談じゃないぜ。俺たちがニッポンをテロの脅威から護ってたんじゃないかよ」
「まあ、そう怒るなよ。わかってる人は、わかってるよ」
一体全体「誰」がわかっているというのか?秘密組織なのに。
「それより、ヘリの所有者、わかったぞ」
チェリーはハッチャンと局長を乗せたヘリの行方を追った。そして、それを突き止めたというのだ。まだ、ヘリを目撃してから4時間も経っていないのに。ジャンは信用していない。
「嘘だろ?どんなマジックを使ったんだ」
チェリーが説明した。
「実は警視庁にひとり先輩がいるんだ。自分が昔、通っていた大学の准教授だったんだ」
二枚目のサンドイッチを頬張るチェリー。
「大学の准教授?それが今では警視庁か。随分、変わった経歴だな」
「そんなこともないさ。色々いるらしいぜ。警視庁には変わった経歴の持ち主が」
「ところで、何で今まで言わなかったんだ?」
「訊かないから」
チェリーはコーヒーを飲む。
「というより、この話をしたらジコマンが嫉妬するだろう?」
情報収集はジコマンの役目。チェリーはそれを尊重していたのだ。だが、そのジコマンも既に、この世にはいない。
「で、先輩に連絡を取ったら早速、調べてくれたよ。割と簡単だったみたいだぜ」
「で、ヘリの所有者は?」
「ああ、それが『行方建設』っていう中堅どころの建設会社だ。ところが、これが実は指定暴力団『大矢組』系の企業なんだとよ」
大矢組といえば最近、活動を活性化させている暴力団だ。
「これがハッチャンと何の関係があるんだ?」
「そこまでは知らん。とりあえず警視庁が知っているのはここまで。あとは『うちらでやる』しかないな」
「行方建設?それとも大矢組?」
「二人いるんだ。両方同時に攻める」
かくしてチェリーは行方建設へ、ジャンは大矢組へ訪問することに決まった。
「いらっしゃいませ」
行方建設本社入口の受付嬢が爽やかな挨拶をする。チェリーもまた、にこやかに話しかけた。
「社長に会いたいんだけど」
「どちらさまで」
「『秋葉原の料理人が昨夜のお礼に参りました』と言ってくれないかな」
受付嬢は何の疑念も抱くことなく、チェリーの言った通りの言葉を電話の相手に伝えた。電話を切った後、受付嬢は次のように言った。
「どうぞ。社長は7階の社長室にいらっしゃいます」
「どうも」
チェリーは頭を下げてから、階段で一気に7階まで駆けあがった。
社長室では社長が両手を上げて「降参の意」を表明していた。ご丁寧に床に護身用の銃まで置いて。
「単刀直入に訊く。お宅のヘリを利用したのは誰だ?」
トレッキングポールを相手の顔の前に突き出し、威圧するチェリー。
「知りません。私どもは上からの命令でヘリをお貸ししただけです。本当です」
こいつは小物だ。チェリーほどの凄腕の殺し屋には、すぐにわかる。どうやら無駄足だったらしい。
チェリーの携帯電話が鳴った。ジャンからだ。
「おう。そっちはどうだ?」
「すぐに合流したい」
どうやら向こうも既に、かたが付いているようだ。
「わかった。で、どこで落ち合う?」
「もう下にいる」
早っ。確かにジャンは車で、チェリーは電車で移動したから、ジャンのほうがスムーズに動けることは確かだ。チェリーは急いで階段を駆け降りた。
車の中でジャンはチェリーに「成果」を報告した。
「大矢組の動きが最近、活発だった理由がわかった。奴ら、海外マフィアと手を組みやがったんだ」
「海外マフィア?」
「ああ。『セイヤー』という名のアメリカ系のマフィアだ。そして、そのセイヤーと大矢組との仲介役をしたのがハッチャンだ」
成程。筋書きが見えてきた。
「海外マフィアのニッポン進出にとって最大の障壁は言うまでもなく俺たちだ。だからハッチャンは俺たちをテロ組織にして自衛隊に攻撃させたわけか」
「あと、それからこれ」
車を運転しながらジャンは左手で自分の服のポケットから薬品の入った注射器用の小瓶を取り出した。受け取ったチェリーはそれを指で回しながら見た。
「何だ、麻薬か?」
「媚薬だ。最近開発された超強力なやつだ。それを使えば、どんな女でも立ちどころのうちにセックスを求める雌豚に変わるってシロモノだ。これを使ってセイヤーはニッポンの裏社会を支配しようとしている」
ここでチェリーは、ふと思った。ハッチャンとセイヤーとは懇意の関係にあるといっていい。とすれば当然ハッチャンも、この媚薬については知っているだろう。そしてハッチャンは拷問のプロフェッショナルだ。拷問を「娯楽」として楽しめる男だ。そして局長・待子は今、ハッチャンの手中にある。
「エース、まさかハッチャンは、この薬を使って局長を!?」
「とにかく急ごう。それしかない」
大矢組で入手した海外マフィア・セイヤーの拠点は既に蛻の空になっていた。がらんとしたオフィスの中、呆然と立ち尽くす二人。今日中にかたがつくと思っていたのが、これで完全に足跡は途絶えた。あのハッチャンのことだ。およそ考えつく限りの拷問を待子の体で試すだろう。
「うわあああああ」
ジャンが号泣する。ジャンはその場に膝をガクッとおろしてしまった。「緊張の糸」が切れた瞬間だった。
※
「熱い、熱い、いやあ!」
ハッチャンは拷問台の上に磔にされた待子の体を高温に熱せられた半田ゴテで責めていた。待子の愛らしい乳首が半田ゴテによって焼かれ、無残にも赤く爛れていた。
「チチチー。それじゃあ、いよいよ行きますか」
ダクトテープによって目を塞がれた待子にはハッチャンの動きが見えない。やがて待子は両太腿の内側に熱を感じた。
まさか?
「そこだけは、そこだけは許してえっ!」
「さあ、これを食べるんだ、待子!」
ハッチャンは熱く焼けた半田ゴテを待子の薔薇の花弁の中に挿入した。
「うわああああああああっ!」
ジャンの悲鳴にチェリーが「何事か?」と布団から跳び起きた。時刻は朝の6時。ジャンは隣の布団の中で汗をびっしょりかいて、ハアハアと荒い息をしていた。
「ああ、夢か?」
真っ赤に焼けた半田ゴテを挿入される待子。それはジャンが見た夢だった。
「嫌な夢だったようだな」
「ああ、本当に嫌な夢だった」
「今日こそは、何としても見つけよう」
「ああ」
既にあの日から三か月が経過していた。
今日の攻撃先は千葉県船橋市内にあるSMクラブ。そこでどうやら例の媚薬が使用されているらしい。
店主を捕えることは容易だった。
「さあ吐け。この媚薬をどこから入手した」
ジャンの拷問も実のところハッチャン級だ。ジャンは店主を椅子に括り付けると、縫い針を取りだし、一本ずつ指の爪の中に挿入していった。
「うぎゃあああ」
店主の悲鳴。針の突き刺さった指は曲げることができない。
「言います、言います、言いますうううっ」
店主は入手経路を白状した。
ジャンとチェリーは遂に海外マフィア・セイヤーの拠点の襲撃に成功した。倉庫からは大量の新型媚薬が発見された。だが、そこにハッチャンと待子の姿はなかった。
とはいえ、ここで重要な情報を得ることができた。セイヤー所有の別荘が軽井沢にあることがわかったのだ。どう考えても臭う、怪しい。
二人は直ちに軽井沢へと向かった。
軽井沢には夜に到着した。闇に紛れて動くのはむしろ都合がいい。ジャンとチェリーは人気のない真冬の軽井沢の森を着実に別荘に向かって進んでいた。
目的の別荘が見えた。明かりは点いていない。意図的に消しているのか、それとも既に蛻の殻なのか?
二人は玄関扉の前に立った。チェリーが平突きで扉を破壊した。スイッチを入れても部屋の明かりは点かなかった。必然、ペンライトでの捜索となった。
ジャンは1階を、チェリーは2階を捜索した。
2階の部屋の扉を一つまた一つと開ける。一番奥の部屋に人が住んでいた痕跡を見つけた。皺になったベッドのシーツ、灰皿の中の吸い殻、空になったアルコールの瓶など。間違いない。確かにハッチャンはここに潜伏していたのだ。
2階の状況を報告するべく、チェリーは1階のジャンを探した。
「エース」
ジャンを見つけたチェリーは、そう言ってジャンのもとに寄った。
「エース?」
ジャンは呆然と立ち尽くしていた。ジャンのペンライトは下を向いて、ジャンの足元だけを明々と照らしていた。何があったのだ?チェリーは自分のペンライトで部屋の中を照らした。
「これは!」
ペンライトに照らし出されたのは無人の拷問台だった。そして周囲を照らせば、右手にはキャスターの付いた移動式の棚が。その棚の上には、さまざまな拷問道具が無造作に置かれていた。そして引き出しを開けてみれば、怖れていた通り、中には空になった新型媚薬の瓶が大量に。
「うおおおおお!」
突然、ジャンが叫んだ。ジャンは素手で、数日前まではそこに待子が磔にされていただろう拷問台をパンチした。
「ハチ糞の奴、絶対に許さん!」
もはや、ジャンの怒りを誰も鎮めることはできない。
夜が明けた。ジャンとチェリーは別荘で夜を明かした。電気はなかったが、薪と暖炉があったので寒くはなかった。何か証拠が残っているかもしれない。陽が昇ってから二人は早速、捜索を開始した。
昨夜は気がつかなかったが、拷問台のある部屋の左手の壁には御丁寧にハッチャンによるメッセージが残されていた。画鋲で止められているのは拷問台の上に磔にされた待子の苦しみ悶える写真の数々。その中に混じって一枚の地図が貼られていた。そして、その地図には印が。そこは瀬戸内海の無人島。これはまさしくハッチャンからの「挑戦状」に他ならない。
ハッチャンは「仕掛け罠のプロフェッショナル」だ。行く手には必ずや罠が仕掛けられていることだろう。
「面白い。招待を『お受けしよう』じゃあないか」
「ああ、必ず仕留めてやるさ」
※
ジャンとチェリーは瀬戸内の小さな港の一つ、沼隈港で漁船を一艘、拝借すると一路、ハッチャンの待つ無人島へと向かった。
瀬戸内海は船の往来が激しい海の幹線道路だ。時に全長300mもある大型タンカーも走る。すると当然、大きな波が起きる。そんな波の上では小さな漁船など文字通り「水の上に浮かぶ落ち葉」のようなものだ。
「エース、しゃがめよ。波が来るぞ」
船を操縦するチェリーがジャンに向かって叫んだ。波を受けて大きく揺れる船体。ジャンは危うく漁船から転落しそうになった。
やがて漁船は目的の無人島に接近した。無人島の大きさは直径1kmほど。無人島の周囲にはドーナツ状に昆布の森が海底に広がっていた。
上陸した二人は互いに反対方向に向かって歩き出した。恐らくハッチャンのこと、待子を建物に幽閉したうえで自ら出向いてくるはず。ハッチャンと遭遇した方はハッチャンと戦闘、建物を発見した方は待子の救出と役割を分担した。
時計回りに進むのはチェリー。チェリーは野生の牡蠣がへばりつく大きな岩の点在する白い砂浜の上を歩く。
一方、反時計回りに進むジャンは海にまで面した森の中を歩くことになった。
「来たな。ブイブイー」
砂浜を歩くチェリーを岸壁の上から眺めるハッチャン。ハッチャンは自動小銃のスコープを覗くと、狙いをチェリーの頭に定めた。
「死ね」
チェリーは岸壁の上が一瞬、キラッと光ったのを見逃さなかった。反射的にチェリーは頭を左に動かした。その瞬間、チェリーの右側頭部を弾丸が掠めた。
「ちっ」
チェリーは危機一髪、難を逃れた。チェリーを討ち損じたハッチャンは岸壁から場所を移動した。
チェリーは岩と岩との間を素早く動きながら、ハッチャンとの差をじりじりと詰めていった。だが、ハッチャンの正確な位置まではわからない。
チェリーが岩から出た瞬間、ハッチャンの自動小銃がチェリーに向けて発射された。先程は単発だったが、今度は連射。チェリーはまたも岩に隠れ、難を逃れた。
「ピピピー。勝負だ、チェリー」
全身、青いジャージ姿のハッチャンが自動小銃を手に姿を現した。細身の長身。ルックスはなかなかのハンサムだ。
ハッチャンが手にする自動小銃はM16。「米軍正式小銃」と言えば聞こえはいいが、その実態はオールプラスチックボディの、まるでオモチャのような銃だ。いくらスコープが付いているとはいえ、こんな安っぽい銃で正確にチェリーの頭を狙撃できるとは、さすがはハッチャン。
この時点で、先程は300mほどあったチェリーとハッチャンとの距離はおよそ100mにまで縮まっていた。だが、まだ遠い。もっと縮めなくては。チェリーは岩と岩との間を素早く動いた。そんなチェリーを発見するたびにハッチャンは自動小銃を乱射した。
チェリーの俊足は50mを5,9秒で駆け抜ける。だが、相手は自動小銃だ。弾切れ以外に接近する術はない。
そして、岩と岩との間を走るチェリーに、遂に自動小銃の攻撃がヒットした。
「あっ」
幸い、当たったのは体ではなく、トレッキングポールだった。だが、弾かれたトレッキングポールは岩と岩との間の砂浜の上に落ちた。ハッチャンはそれを見るや、トレッキングポールを破壊するために自動小銃を連射し続けた。
「ピピー、ピピー、ピピピー」
次々とマガジンを取り変え、トレッキングポールに向かって撃ち続けるハッチャン。それだけチェリーの平突きが「怖い」のだ。
そして自動小銃の音が鳴り止んだ。弾を撃ち尽くしたのだった。
ハッチャンがトレッキングポールに執着している間、チェリーはとっくに「別の武器」を探し始めていた。何かないか?トレッキングポールに変わる長い棒のようなものが。
すると、チェリーの足元に漂着物であるところの「竹竿」が転がっていた。長さ、およそ1,5m。これで充分。ここからハッチャンとの距離はおよそ50m。
自動小銃の弾を全部撃ち尽くしてしまったハッチャン。そのハッチャンの50m先の砂浜では今まさに、チェリーが竹竿を手に「平突きの構え」を見せていた。
5,9秒の勝負!チェリーがハッチャンめがけて走りだす。ハッチャンは自動小銃を捨て、常に懐に携行している愛銃、H&K・VP-70を取り出すと、チェリーに向けてVP-70ならではの機能である「三点バースト連射」を行った。
20発の弾丸のうち10発がチェリーの体にヒットした。全身血塗れのチェリー。だが、チェリーの突進は止まらない。
「無礼者ー!」
チェリーの竹竿がハッチャンの心臓を貫いた。口から血を吐くハッチャン。
「テテン。なんということだー」
「これがコックローチの闘い方だ。自分の命に替えても敵を必ず仕留める『絶対絶命』の掟。忘れていたか?」
「そ、そうだったな。ふたりいるからにほんしゅう」
ハッチャンは謎の言葉を残し、その場で息絶えた。そして、チェリーもまた、その場に倒れ込んだ。
森の中を進むジャンの耳に銃声が聞こえた。ハッチャンとチェリーの闘いが始まったことをジャンは理解した。とすれば、ジャンの任務は一刻も早く待子を発見、救出することだ。
森の中を1kmほど進んだジャンの前に突然、砂浜が出現した。その砂浜の100mほど先の岩場の上にコンクリート製の建物が建っていた。ジャンは確信した。この建物の中に待子がいると。
入口の扉。無造作に開けるわけにはいかない。この中はきっと、ハッチャンによる罠がたくさん仕掛けられているに違いない。脇に隠れてから扉を開ける。案の定、斧が飛んできた。
中を覗く。いくつもの糸が張られている。赤外線スコープをかける。赤外線がいくつも見える。糸と赤外線の組み合わせによる、ハッチャンお得意の罠だ。糸に気を取られていると、赤外線に引っ掛かる。だが、赤外線スコープを使用すれば細い糸は見えない。
こんなところで戸惑っている時間はない。ハッチャンのことだから「タイムオーバー」になる仕掛けくらい、しっかり用意してあるはずだ。
地下室に幽閉された待子に「命の危険」が迫っていた。待子の閉じ込められている地下室に海水が流れ込んでいた。どんどん上昇する水位。必死に扉を叩く待子。だが、観音開きの鉄扉には閂が通され、中からは絶対に開くことはできない。このままではやがて地下室は海水によって満たされてしまうだろう。
ジャンはここでチェリーから受けた助言を思い出していた。それは・・・
「ハッチャンは抜けた男だ。ハッチャンの罠は必ずセンサーが引っ掛かった場所に攻撃を加える。だから別の場所から何か投げ込んで、罠を作動させてしまえばいいのさ」
果たして本当だろうか?ジャンは近場にあった部屋の置物を投げ込んでみた。
センサーが反応した。置物は銃撃で粉々に四散した。同じ場所に再び別の置物を投げ込む。今度は何も起きない。どうやら正しいらしい。この手を使い、ジャンは順調に罠をクリアしていった。
やがてジャンは地下に通じる階段を発見した。その奥からは水の流れるような轟音が聞こえてきた。階段の付き当たりの鉄扉の四隅からは海水が染み出していた。四隅ということは、既に扉の高さ以上にまで海水が達しているということだ。拙い。
ジャンは急いで扉を開こうとした。だが海水の重みで閂を横にずらせない。ジャンはいったん階段を駆け上がり、最初の罠で屋外に飛んでいった斧を探した。斧を見つけたジャンは再び階段を駆け降りると、斧で閂を破壊した。すると扉は海水の重みで勢い良く開いた。水位が一気に下がる。
「待子さん!」
ジャンは地下室の奥に待子を認めた。既に意識はない。
「待子さん、しっかり!」
待子は呼吸をしていなかった。ジャンは大急ぎで待子を表の砂浜まで運んだ。まず、待子を逆立ちにして海水を吐かせ、次に待子を仰向けに寝かせた。
「ごめん」
ジャンは待子の鼻を抓むと、自分の唇を待子の唇に重ねた。人工呼吸。いや、これは「接吻」。
その後、ジャンは心臓マッサージを開始した。
「死んじゃ、死んじゃダメだ。待子さん!」
ジャンは接吻と心臓マッサージとを執拗に繰り返した。
そして接吻の時、待子の意識が回復した。ジャンはゆっくりと唇を離した。
「ジャ、ジャン」
「待子さん」
「あ、ありがとう」
「待子さん!」
ジャンはその場で待子の体を、ひしと抱きしめた。
その後、ジャンは待子を「お姫様抱っこ」しながら砂浜を反時計回りに歩いていた。
やがてジャンはハッチャンの死体を発見した。待子はそれを見て「ジャンが倒したのだ」と思った。その場にチェリーの姿がなかったからだ。
一方、ハッチャンの死体をじっと見つめるジャンの脳裏には、ある昔の出来事が思い出されていた。
それは秘密基地のリビングでジャン、ケニー、ハッチャンの3人で当時人気のアクション映画を鑑賞している時のことだった。
映画の一場面。ヒロインが敵に捕まり、地下室で鞭打ちの拷問を受けるというシーンがあった。
「ぐへっ、ぐへっ、ぐへぐへっ」
何とも気味の悪い声を発しながら、ハッチャンが夢中になってそのシーンを眺めていた。それに気がついたジャンとケニーは、もはや映画どころではなく、ハッチャンの顔をじっと観察した。
二人の視線に気がついたハッチャンは、その場を取り繕うとした。そして、ジャンを見ながら次のように言った。
「ジャンの顔って、面白いね。プップーッ」
それを聞いたケニーは大爆笑。勿論、ジャンとすれば糞面白くもない。
「あばよ、ハッチャン」
ジャンは再び歩き始めた。
それにしても一体全体、チェリーはどこに行ってしまったのか?漁船に戻っているのか?ジャンは漁船へと急いだ。
だが、漁船の中にもチェリーの姿はなかった。ではチェリーは一体どこへ?
「ジャン、どうしたの?」
待子が、いぶかしげる。なぜ漁船をすぐに発進させないのだろう?待子は知らないのだ。チェリーの存在を。
いつまでもチェリーを待つわけにはいかない。待子の体は衰弱しきっている。一刻も早く医者に見せなくてはならない。
(すまない、チェリー)
ジャンは漁船のエンジンを入れた。チェリーを島に残して漁船は無人島を離れた。
ジャンはチェリーのことは話さないことに決めた。
2
ベビーベッドの中では先程から女の赤ん坊がオギャーオギャーと泣き叫んでいた。ベランダで洗濯物を干していた待子はその声に気がつくと、一目散に赤ん坊のもとへと向かった。
「おーよしよし。何を泣いてるの?」
待子が赤ん坊を抱きあげる。赤ん坊は「おしめが濡れて気持ち悪い」と泣いていたのだった。待子は赤ん坊を床に寝かせると、服を脱がせ、おむつを交換した。赤ん坊は泣き止んだ。
「ごめんごめん、冷たかったですねー」
もはや完璧に母親となった待子。「元・暗殺集団の局長」の面影など微塵もない。赤子を抱える待子の姿はまるでラファエロが描く聖母像のようだ。
スマホが鳴った。待子はすぐに出た。
「もしもし、あなた?・・・はい、・・・はい、・・・はい、わかりました」
待子はスマホを切った。待子は赤ちゃんを抱き抱えた。
「りょうこー。パパ、今日は早く帰ってくるって。よかったでちゅねー」
ママの話を聞いて、何となく量子も喜んでいるように見えた。
夕方6時。パパが帰ってきた。
「あなた、お帰りなさい」
「ああ。今、戻った」
ジャンは背中を待子に向けた。待子はジャンの背広の上着を脱がせた。
「お仕事、大変ですか?」
「いや、楽しいよ」
ジャンはこの時期、中堅企業の営業マンとして、ごく普通に働いていた。
瀬戸内の無人島での闘いから既に2年が過ぎていた。
「あなた、来て」
「待子」
夫婦にとっての「夜の情事」。ダブルベッドの中で待子が激しく燃える。
「ああ、まだ、まだよ、もっと激しくして」
既に2年の月日が過ぎてはいた。だが待子の体は、もはや二度と元には戻らない。「ニッポン一の調教師」に3ヶ月間に渡り責められた待子の肉体はニッポン一「快楽を欲しがる」と同時に、ニッポン一「絶頂に到達しにくい」ものとなっていた。早い話が、ニッポン一「長時間の行為に耐えられる体」になっていた。それは即ち相手の男性に「長時間に及ぶ行為を要求する」ことに他ならなかった。
「待子、待子、いい、いい、最高だ、待子」
だが、それはジャンにとっては、むしろ「喜ばしいこと」であった。なぜなら、およそジャンほど精力絶倫な男はニッポンには存在しないからだ。二人はまさに完璧なカップルであった。
「ああ、いくうー」
「俺もだあー」
今宵の情事が、もうそろそろ終ろうとしていた。
二人が激しい情事に打ち興じていた頃、二人が暮らすマンションのベランダに黒尽くめの謎の3人組が侵入していた。これはジャンと待子の平和な暮らしが「終わりを告げた」ことを意味していた。この3人組、明らかに「只の押し込み強盗」などではない。ジャンと待子を再び「裏の世界」へと引きずりこむ水先案内人であった。
ジャンと待子は不覚にも侵入者の存在に全く気が付いていなかった。無論、ベッドの傍に武器となりそうな物などは一切置いていなかった。
「きゃあ!」
「何だ?」
ジャンと待子がまだ一つに繋がっている時に、3人の侵入者が寝室に入ってきた。ジャンは慌てて起き上がると、侵入者のひとりと格闘を開始した。
一方の待子は自分の体を毛布で覆い隠しながら、二人の侵入者からの攻撃に対処していた。この時期、もはや待子は「普通の女」にすぎなかった。3ヶ月間に渡るダクトテープによる視覚の喪失によって待子の精神支配の能力は落ちていたのだ。
待子に襲いかかる二人の侵入者。待子が危ない。
「ぎゃあ」
その時、台所から果物ナイフが侵入者めがけて飛んできた。果物ナイフは侵入者の右肩に突き刺さった。
この攻撃はジャンではない。ジャンはこの時、リビングにいた。
「他にも誰かいるのか?」
再び、今度はフライパンが飛んできた。これまた見事に、もう一人の侵入者の顔面を直撃した。
「逃げるぞ」
ジャンと待子以外にも何者かがいることを知った侵入者たちは闘いの不利を悟り、ベランダから逃走した。
「待子、大丈夫か?」
ジャンが寝室に戻ってきた。
「あなた、台所にいた?」
待子はジャンに、そのように質問した。ジャンは「いや」と答えた。
「じゃあ、台所には誰がいるの?」
待子は自分が襲われそうになった時、台所から果物ナイフやフライパンが飛んできたことをジャンに話した。ジャンは直ちに台所の中を覗いた。追って待子も。だが、そこには誰もいなかった。
台所の隣の部屋では量子が寝ていた。今しがた起きた事件など、全く知らないかのようにスヤスヤと。
(この子が?まさか)
だが、それ以外に考えられなかった。
※
「じゃあ、行ってくるよ」
翌朝、ジャンは何事もなかったように職場へと向かった。そうすることが正しいと思ったからだ。最寄り駅で電車を降り、職場まで大通りを歩くジャン。その時、ジャンの横に黒いセダンが近づいてきた。その黒いセダンの中からジャンは突然、銃撃を受けた。
「うわっ」
一目散に歩道を走りだすジャン。黒いセダンもまた走りだして、ジャンを追いかける。
「何だ、こいつら?」
ジャンは路地に逃げ込んだ。銃撃は路地の中にまで及んだが、ジャンは逃げ切ることができた。
その頃、待子のいるマンションでも一つの事件が起きていた。
「ランランラン」
ベランダで布団を干す待子。
突然、大きな音が響いてきた。
「えっ?」
待子の正面にはヘリコプターが。そして、そのヘリコプターの中から、待子めがけて銃撃が。
「きゃあ!」
待子は部屋に飛び込むと体をうつ伏せにして銃撃を躱した。銃撃は1分にも及んだ。部屋中、あらゆる場所が銃弾で蜂の巣状態になった。
その後、ヘリは、いずこともなく飛び去っていった。待子は体を起こした。あれだけの銃撃を受けながら、待子の体には一発も弾は当たってはいなかった。
「量子!」
待子は量子が眠る部屋へと急いだ。これだけの銃撃。量子はとっくに蜂の巣状態の筈。
実際、量子の部屋にあるタンスやドレッサーなどは悉く粉々に破壊されていた。ところが、量子の眠るベビーベッドだけが、なぜか一発の銃弾も受けることもなく、そのままの状態を保っていた。勿論、量子も無事だった。
「量子」
待子は量子をひしと抱きしめた。この時、待子は確信した。量子には特殊な力が備わっているのだと。恐らくそれは「念動力」で、量子は物体を遠隔操作で自由に動かすことができるのに違いない。量子は昨夜、果物ナイフやフライパンを飛ばしたように、今回もまた銃弾を自在に操ることで、自分や私を護ったのだと。
「待子!」
銃撃を受けたジャンが自宅に戻ってきた。
「あなた、私なら大丈夫よ。それに量子も」
「よかった」
だが、一体全体「誰」がジャンと待子の命を狙うのか?狙う理由として考えられることはひとつしかない。それは二人が「元・コックローチ」ということ。ジャンと待子は再び「闇の世界に戻らないわけにはいかない」ことを悟った。
自宅が廃墟と化してしまったので、ジャンと待子、量子の三人は近所のホテルに宿泊することにした。
その夜、謎の敵は早速、ホテルにまでやってきた。ホテルの扉をぶち破って敵が乱入してきた。
ジャンが応戦。待子は量子を胸に抱きかかえる。そんな待子に何人もの敵が襲いかかる。ジャンは別の場所で闘っている。絶体絶命。だが、この時は何も起きない。なぜか量子は待子を護ろうとはしない。
「死ねえ」
敵が待子にヌンチャクを振り下ろした。
敵を一掃したジャンが待子のもとに戻ってきた。待子は無事だった。待子の周りにはヌンチャク男を含め5人の敵の死体が散乱していた。そして、待子の横には一人の男が立っていた。身長160cm程の小柄なその男は右手に橙色のトレッキングポールを握っていた。
「久しぶりだな?エース」
「お前は、チェリー?」
そう、チェリー。彼は生きていた。
「一体、今まで何をやっていたんだ?」
「取り敢えず、俺と一緒に来てくれ」
チェリーは表に止めてある車に3人を乗せると、そのまま渋谷へと向かった。
車を降りたチェリーは渋谷の雑居ビルの地下1階へと進む。ジャンと待子、そして量子の3人はそんなチェリーの後ろをついていった。
やがて頑丈な鉄扉が正面に現れた。チェリーはその扉を開けた。
「どうした?入れよ」
「ああ」
チェリーとともに3人もまたビルの中へと入った。
「ようこそ、新生コックローチの秘密基地へ」
そこは新生コックローチの秘密基地の作戦室だった。18畳のスペース。正面奥には大型の液晶スクリーンがあり、そこには東京23区を網羅する地図が映し出されていた。その手前にはOの字型にテーブルが配置されていた。椅子は奥にひとつと左右にそれぞれ4つの合計9席。また奥の左手には扉があり、その奥にも部屋があることを匂わせた。
これはかつての秋葉原のそれに劣らぬ立派な秘密基地だ。ジャンと待子は正直、驚いた。
「まだ、驚くには早すぎるぜ」
奥の扉が開いた。中から6名の若者が現れた。全員、男である。6名は一人ずつ自己紹介を始めた。
「はじめまして。ぼくは2番隊組長・ブッシュ。見ての通り、南米出身の黒人です。任務は主に斥候を担当しております。ブッシュというのが言いにくいようでしたら『マイケル』でも構いません」
「私は4番隊組長のウジャ。レスリング技で闘います」
「ぼくは5番隊組長。あだ名はダッチャンといいます。コンピュータをはじめ各種機材の管理をさせていただいております。通信傍受などもやります」
「俺は6番隊組長のノーイチ。弓矢などの飛び道具で味方を後方から支援します」
「自分は7番隊組長・オンベシ。チェリー先輩には到底かないませんが、自分も剣術で闘います」
「拙者は9番隊組長のチューザンでござる。武蔵野村出身の田舎者ではあるが、よろしくでござる。特技はチャイニーズカンフーでござる」
チェリーが事情を説明する。
「以上、自己紹介終わり。まあ、見ての通り。彼らが新しいコックローチのメンバーだ」
ジャンも待子も、ただただ驚くばかり。いつの間に、このような組織を作り上げたのだろう?
翻って、チェリーは秘密基地にお迎えした3人を新メンバーに紹介した。
「皆の者、こちらにおわすお方こそ我らが局長・待子様と1番隊組長のジャン。そしてこの赤ちゃんが、えーと」
「量子といいます」
「そうそう、りょうこちゃんね」
こうして互いの自己紹介は済んだ。いよいよ本題なのだが・・・。
「ひとつ、いいでござるか?」
そう言って挙手したのは、9番隊組長のチューザン。
「昔のコックローチは秋葉原に基地があったと伺っております。ですが今は渋谷にあります。そこで、ここはひとつ、新生コックローチ、そして渋谷のコックローチという意味を込めて、正式な組織の名前は『コックローチS』ということで、どうでござるか?」
メンバー全員が笑った。チェリーは「お前がそうしたいんだったら、それでいいよ」と返事した。
ジャンも一つ質問した。
「これでメンバー全員なのか?8番隊組長がいないが・・・」
チェリーが人差し指を横に数回振った。手話では「何」だが、ここでは否定の意味だ。
「いるわけないだろうが!欠番だよ。こんな縁起でもない数字、コックローチでは2度と使わない」
そうだった。8番隊組長といえば、あいつだった。
「そうだった」
思い出した様に突然、チェリーは自分の財布の中から一枚のカードを取り出すと、それを待子に渡した。
「これはお返しします」
それは秋葉原自衛隊襲撃事件当日、チェリーが秘密基地を脱出する際に金庫の中から回収した銀行のカードだった。スイス銀行が発行したそのカードによって、チェリーはこの秘密基地を整備する費用を全額、捻出したのである。
質問や意見等はこれで一通り終わり、漸く今日の本題に入った。
「単刀直入に言おう。我々の敵は『ブクロのカンちゃん』。局長とエースは既に対戦したから状況は大体、わかっていると思いますが」
「ブクロのカンちゃん?」
「これを見てください」
ダッチャンがパソコンのキーを叩く。今まで東京23区の地図が映し出されていたスクリーンに道着を身に纏った見るからに怪しい集団の映像が映し出された。
「これがブクロのカンちゃん。その名の通り、池袋のとある寺院を拠点とするカンフー使いの一団です」
「カンフー使い・・・」
「そうです。そして彼らは夜な夜な都内各地の暴力団事務所を襲撃しています」
暴力団事務所を襲撃?なぜ。
「彼らは現在、裏社会では『コックローチの後継者』と見做されています」
「なんだって?」
あとはチェリーが話を進める。
「まあ、ざっとこんなところだ。何か意見は?」
オンベシが挙手した。
「暴力団を攻撃しているということは、彼らは『正義』なのでしょうか?」
「今のところ、奴らの本当の目的は不明だ。だが・・・」
チェリーはテーブルを叩いた。
「奴らは断じて正義なんかじゃない!」
「その証拠は?」
「それを確かめる」
ブッシュが挙手した。
「なら、私にお任せあれ。どんな場所だって、うまく侵入して見せますよ」
チェリーは待子をちらっと見た。そして軽く頷いた。「こいつなら任せて大丈夫」という合図だった。
待子が命令を下した。
「ブッシュさん。よろしくお願いします」
敵のアジトへの潜入作戦は翌日の夜、決行された。
池袋の一等地に立つ大きな寺院。周囲は高さ3mもある塀によって覆われていた。入口は正面の、何とも巨大な門の一箇所のみ。
「さてと、そろそろはじめますか」
ブッシュは寺院の塀の向かいに立つ一般住居の屋根に上ると、そこから塀の屋根瓦に飛び移った。しばらく塀の上を歩き、適当な場所から敷地内に降りた。
ブッシュは台所の大きな換気扇から建物内部へ侵入した。
台所に侵入したブッシュは外国製の見るからにゴージャスなキッチンに呆れた。お寺というのは、こんなにも贅沢なものなのかと。
台所の隣はリビング。そこには、これまた立派なマージャン卓が置かれていた。
「とんだ生臭坊主たちだな」
廊下を慎重に進む。やがて地下へと通じる階段を発見。寺に地下室?
「これは、怪しいな」
階段を下りる。長い廊下が続く。その突き当りには鉄の扉。見張りが一人立っている。ブッシュは見張りの腹を殴ると、すぐさま後ろに回り、頭を掴まえて90度横に捩じった。見張りは絶命。ブッシュは「気絶させる」などということはしない。どうせ戦うことになる相手なら、一人でも先に倒しておいた方が、あとが楽になる、そう考えている。
ブッシュは鉄の扉を開いた。その中を見たブッシュは愕然とした。
そこには、牢屋に繋がれた若い女性たちの姿があった。そしてその女性たちは誰もが皆、指で自分の股間を執拗に擦っていた。
「ああん、ああん」
こうした官能の声が響き渡る牢屋。さらに奥にもうひとつ扉が。ブッシュはその扉も開けた。そこは拷問室。そこにはありとあらゆる拷問道具が備えられていた。ハッチャンがこれを見たらさぞかし大喜びするに違いない。そしてブッシュはその部屋の隅に沢山積み上げられた段ボール箱を発見した。中には注射器用の薬品が入った小瓶が大量に入っていた。
「なんだ、これは?」
ブッシュはそのうちの一本をポケットにしまい込んだ。
表が騒がしくなった。見張りが倒されているのを発見されたのだ。二人の僧侶が走ってきた。ブッシュはとっさに扉の横に隠れ、二人の僧侶が部屋に入った直後、入れ替わりに部屋を出ていった。
ブッシュは建物の外に出た。ブッシュは四方を僧侶たちに完全に包囲されてしまった。僧侶たちは手にヌンチャクや杖などの武器を握っていた。全員カンフー使いだ。
「召し捕れー!」
この寺院のボスである法主の号令とともに僧侶たちがブッシュに襲いかかる。ブッシュは素早くジャンプ。寺院の本殿の屋根に飛び乗った。ブッシュはしばらく屋根を走ると、今度はそこから塀の屋根に飛び移った。そしてさらに道路を挟んだ先にある個人住宅の屋根に。その身の軽さたるや、まさに猿そのもの。
「ちっ、逃げられたか」
「法主、あれは?」
「あれが『コックローチ』だ。お前たちが奴らを討ち損じるからだ」
「申し訳ありません」
「近いうちに来るぞ。こうなれば全面戦争だ。ちゃんと準備しておけよ」
「はい」
ブッシュが偵察から戻ってきた。土の上を走って来たらしく、足は泥だらけになっていた。おまけにキャベツを二個、両脇に抱えて。
「畑を走ってたら、沢山植わってたから、貰ってきた」
「お前、それ泥棒じゃないか」
「細かいことは気にしない」
「まったくう。今度からは止めろよ」
「それより、見ていただきたいものが」
そう言って、ブッシュはポケットから小瓶を取りだした。
「こ、これは!」
「どうしたんです?」
チェリー、ジャン、そして待子の三人は恐怖の色を隠さなかった。これは紛れもない、あの「悪魔の媚薬」。
嗚咽する待子。あの悪夢の日々を思い出したのか?チェリー、ジャンの二人も震えを隠さない。
これで奴らの本当の目的がわかった。ブクロのカンちゃんは海外マフィア・セイヤーの手先として働いていたのだ。セイヤーが東京を牛耳るために邪魔となる暴力団を襲撃していたに過ぎない。
とすれば、やるべきことはひとつしかない。待子が命令を下す。
「明日の夜、奴らを皆殺しにします。ひとり残らずです」
池袋の寺院の門の前に集結する新生コックローチの面々。渋谷の本部から無線が入る。
「敵は既に門の向こうに集結しています。間もなく門が開かれるでしょう」
声の主はダッチャン。ダッチャンは待子、量子とともに渋谷の秘密基地に残っていた。ダッチャンは寺院の監視カメラの映像を傍受、その映像の様子を無線で伝えたのだ。
ダッチャンのいう通り、大きな木の門がギギッと開いた。門の奥には敵が勢揃いしていた。だが、コックローチの面々は顔色一つ変えるでもなく堂々とした足取りで門の中へと入っていく。コックローチ7名見参!
対するブクロのカンちゃん側は総勢200名ほど。コックローチ側のあまりの数の少なさに正直、笑った。
「みすみす殺されに来るとは、こちらから出向く手間が省けた」
「どうかな?勝負は数では決まらないと思うぞ」
後ろでは門が閉められていた。相手とすれば「逃げられないように」ということなのだろうが、それはコックローチ側にとっても好都合であった。これで近隣の住民に迷惑がかかることもないし、何よりも敵に逃げられなくて済む。
チェリーが一歩前に出た。
今日のチェリーは普段とは様子が違っていた。パッと見ではよくわからないが、最大の違いはトレッキングポール。普段は先端にゴムキャップを填めているのだが、この時はそれを外していた。その理由はひとつしかない。「絶対絶命=皆殺し」を決めているからだ。
斧を持つ、ひときわ大きな男が一歩前に出てきた。こいつが最初のお相手らしい。小柄なチェリーと斧男とは50cmほども身長差があった。
「死ねえ、このチビがあ!」
男が斧を振り下ろす。チェリーはそれを左腕で受けた。正確には、男の斧を握る拳を自分から一歩前進して受けた。そして、前進する勢いのまま、チェリーは右腕のトレッキングポールを男の腹に突き刺した。さらにチェリーはトレッキングポールを押し込む力を利用して体を反時計回りに、くるんと回転。回転する勢いでトレッキングポールを腹から引き抜き、回転する勢いを維持したまま、男の左首筋を狙って袈裟切りを加えた。
マグネシウム合金でできた先端部の石突きが男の首の付け根から心臓までを一気に切り裂いた。血飛沫が勢いよく周囲に飛び散る。男はその場で絶命。敵がチェリーに攻撃を加えようとしてから、わずか2秒の出来事。チェリーの動きだけなら1秒程度だろう。これこそチェリーが最も得意とする技。片手突きからの回転袈裟切りだ。普通ならば突きから右腕を引いてそのまま引き抜くのを、チェリーは逆に押し込み、その力を利用して体を回転させながら引き抜く。この方が二太刀目の袈裟切りへの移行が早いし、何より回転運動によって生じる遠心力も攻撃に利用できる。そしてチェリーの腕にかかればトレッキングポールも日本刀のような切れ味を示す。
勝負はほぼ「これで決まった」と言っていい。カンちゃん側は完全に浮足立った。強い、強すぎる。およそ「自分は強い」と自惚れている者ほど、自分よりも強い者を見たときには余計に動揺するものだ。
「すげえ、先輩」
新メンバーがチェリーの技を見るのは、これが初めて。
こうして「戦いの幕」が切って落とされた。
コックローチのメンバーは、おのおの得意技を駆使して敵を倒していく。200対7だったのが、150対7、100対7と、どんどん差が詰まっていく。
秘密基地では、そうした様子を待子とダッチャンが大画面スクリーンで見守っていた。
殊に、活躍めまぐるしいのは、やはりチェリー。倒れた敵の半数近くがチェリーの手で殺されていた。
チェリーは怒っていた。悪魔の媚薬で女性を苦しめる敵に対して。そして同時に、この時、悲しんでもいた。
それは出陣前のこと。
「あなた、気をつけて」
「ああ、大丈夫だよ」
抱擁し合う待子とジャン。そんな二人の光景をチェリーは黙って眺めていた。
(そうだ。局長はもうエースの奥さんなんだよな)
抱擁し合う二人を見た時、チェリーは、はっきりと自分の本心に気が付いた。
(俺も待子様のことが好きだったんだ!)
その気持ちを頭の中から振り払わんがために、チェリーは今、暴れているのだった。はっきり言えば「八つ当たり」だ。
「うぬぬぬぬ」
部下のふがいなさを見かねた法主は部下を見捨ててひとり逃亡を図った。本堂の裏手にあるヘリポートへと向かう。何という卑怯者!それをいち早く見つけたのは飛び道具を得意とすることから混戦から離れた地にいたノーイチだった。
「逃がすものか。卑怯者め」
ノーイチは弓を引いた。その重さは50㎏に達する。放たれた矢は、まっすぐに法主の心臓めがけて飛翔した。
「ぐえっ」
矢は背中から法主の心臓を貫通。法主の体はそのまま反対の塀に突き刺さった。
大将首を取った!普段であれば、これで闘いは終わりだった。だが、この日は違った。海外マフィア・セイヤーと手を結んだ相手に「情けは無用」とばかりに、この日、コックローチは敵を一人残らず惨殺したのだった。
こうして闘いは終わった。次の闘いが待ってはいたが、大きな闘いの直後ということもあり次の活動までの間、しばし休養期間を設けることにした。
※
「こうして二人だけで話すの、久しぶりだな?」
「ああ、そうだな」
チェリーとジャンは二人だけで代々木公園の中を散策していた。
ジャンはどうしてもチェリーに言いたいことがあった。
「チェリー。あの時は本当にすまなかった」
ジャンは無人島の決戦の時、チェリーを島に置き去りにしたことを悔やんでいた。それだけではない。ジャンは故意ではないにしろ、島での闘いの成果を全て独り占めにしてしまった。その結果、ジャンは「待子の愛」を手に入れたのである。
一方、チェリーもまた、どうしてもジャンに言いたいことがあった。
「いや、その判断は正しかったさ。事は局長の生命にかかわることだ」
チェリーはそのようにことわったあと、まず、どうして自分が生き延びたかを話した。たまたま野生の牡蠣を採取するために島に上陸していた漁民が自分を救ってくれたこと、手術に当たった医師が自分を警察に通報しなかったこと、などなど。
「チェリー。実は訊きたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「ひょっとして、お前も待子様のことを愛していたんじゃないのか?」
この質問の本意は明快だ。ジャンは「あの時」のことで待子の愛を手に入れたことを今も悔いていたのだ。ああ。あの時、直ちに「ハッチャンを倒したのは自分ではない。チェリーなんだ」と言って待子様の誤解を解いていれば!
一方のチェリーは内心、ジャンの質問に「ドキリ」としていた。「やっぱり気が付いているのか?」と思わずにはいられなかったのだ。
そしてチェリーは次のように返答した。
「馬鹿な。そんなことあるわけないじゃないか」
チェリーはその場をはぐらかしたのだった。自分の「局長への思い」は断じて誰にも気付かれてはならない。チェリーは必死に自分にそう言い聞かせた。
「俺が局長を?冗談だろう。局長は俺の上司。それだけだ」
だが、この時、チェリーは次のように考えていたのだ。
(俺はジャンに負けたんだ。敗者は去るのみだ。今更、お互いの友情をぶっ壊すような真似をして「何になる」と言うんだ!)
チェリーにはもはや待子を諦める以外の選択肢などなかったのだ。チェリーは、これからは愛する女性が自分の暗殺者としての能力を高く買ってくれていることをもって満足する以外にはないのだと腹に決めたのである。
「そうか。それを聞いて安心したよ」
ジャンはそう返答した。だが、こちらも心の中では言葉とは違うことを考えていた。
最初はチェリーが「自分は待子様のことなど愛してなどいない」と言ってくれれば自分はそれで「安心できる」ものと本当に思っていた。だが、実際にその言葉をチェリーから聞いたとき、ジャンの心の中に涌き上がってきたのは「俺はチェリーに勝った!」という満足感に他ならなかったのである。ジャンは無意識のうちに「チェリーの本心」を悟っていたのだ。それはそうだろう。でなければ初めから「あんな質問はしていない」筈である。
ジャンとチェリーの間に「絶対的な友情」があることは間違いない。しかしながら、それは同時に「断じて負けたくないライバル」としての感情も内包していた。友情とはライバルの異名なのだ。ジャンは自身の勝利にほくそ笑んだ。待子をめぐる闘いに勝利したことを、ひとりの男として素直に喜んだ。それが破れた相手に対する敬意にもなる。しかもその相手が最強の剣客・チェリーとなれば、勝利の美酒の味はまさに格別であった。
しかしながら、チェリーも負けてはいなかった。およそ18年後、チェリーはジャンに見事な「意趣返し」をするのである。
「チェリーおじさま」
「量子ちゃん。昨日は18歳の誕生日だったね。おめでとう」
「ありがとうございます。これで私も立派な大人になりました」
「ああ、そうだね。どこから見ても素敵なレディーだ」
「おじさま、一つ質問してもいいですか?」
「ん?」
「おじさまはママのこと、ずっと好きだった。でも諦めるしかなかった。パパがいたから」
「大人をからかうもんじゃないな」
「おじさま、私じゃダメ?私じゃママの代わりにはならない?」
「だから、大人をからかうなってーの」
「からかってない!私、ずっとずっと、おじさまのこと、好きだったんだから」
「!」
「おじさまは、ママのハートは奪えなかったけれど、その代わりに私のハートを奪いました。量子は寝ても覚めても、おじさまのことばかり思っています」
「・・・量子ちゃん」
「量子は昨日で18歳になりました。もう立派な大人です。だから、これからは全てをおじさまに捧げます。量子の心も体も全ておじさまのものです」
「量子ちゃん!」
「おじさま!」
これは18年後に起きる「現実の会話」である。
※
海外マフィア・セイヤーのニッポン侵攻に対し、ニッポン国内で闘っているだけでは防戦一方だ。そう考えたコックローチは一つの決断をした。すなわち「アメリカに乗り込んで、本拠を叩く」。
メンバーは二手に分かれて乗り込むことにした。すなわち「元祖メンバー」と「新メンバー」とに。唯一、ダッチャンだけが渋谷に残った。ダッチャンは「自分も行きたい」と言ったが、ニッポンに残って情報収集にあたり、必要とあらばアメリカのメンバーに知らせるという大変重要な任務が課せられた。
元祖メンバー、すなわち待子、ジャン、チェリー、そして量子?の4名は、ロス・アンジェルスの空港に降り立った。
「まず、何をしますか?」
チェリーが苦笑した。
「そんなの決まってるでしょう?まずはホテルにチェックインするんですよ」
4人はタクシーを拾って、ホテルへと向かった。
「私はちょっと外へ出ます」
ホテルに荷物を置くと、チェリーはそう言い残して一人で外出した。
「さてと」
チェリーはフロントのホテルマンから聞いた「遊べる場所」に向けて歩き出した。
(やはり、つけられている)
チェリーは空港に立った時から、何者かが自分たちをつけていることを感じていた。
チェリーはホテルマンから聞いたカジノの中に入った。成程、さすがは本場のカジノ。実に楽しそうではないか。
チェリーはしばらくカジノを楽しんだ後、トイレに入った。そのあとを二人の男がつけた。
「俺に何の用だい?」
チェリーはひとりを気絶させ、もう一人を捕えた。
「さあ言え。何者だ?セイヤーの回し者か」
すると男は次のように名乗った。
「私はFBIだ。テロ組織のメンバーが入国したという情報を入手した。それでお前をつけていた」
「なぬ、テロ組織のメンバー?ひょっとして、俺のことか」
そう言っている間に、ドドッとトイレに男たちが入ってきた。いずれもFBIのメンバーだった。
「やれやれ」
チェリーは両手を上げて、降参の意を示した。
FBIの取調室には既に待子、ジャン、そして量子の姿があった。チェリーは「お久しぶり」とこれみよがしに厭味を言った。
FBIの取調官はチェリーの尋問を始めた。
「お前たちは何者だ?」
「ただの観光客さ」
「嘘をつくな」
取調官は机を叩いた。
「情報提供があったんだ。今日、テロ組織のメンバーがニッポンから入国するっていう情報がな。そう、お前たちのことさ」
そういうことか。恐らくはセイヤーがコックローチの入国を怖れて、FBIに嘘の情報を流したのだろう。
「ばれちゃあしょうがないな」
チェリーは、ここで大風呂敷をしいてみることにした。
「いかにも、俺たちは観光客じゃあない。そう、ニッポンの公安さ。セイヤーというマフィアがニッポンに新型の媚薬を持ちこもうとしている。その捜査のために来たのさ」
取調官は沈黙した。チェリーのいうことを信じて見たくなったのだった。確かに今回、FBIにもたらされた情報提供には疑問点が多かった。チェリーの話はもっともらしく聞こえた。
取調官は部下に直ちにニッポンの警視庁に連絡を入れるよう指示した。
捜査員が電話を持ってきた。どうやらニッポンと繋がっているようだ。
「出ろ」
チェリーは電話をとった。チェリーの耳に開口一番、怒鳴り声が響いた。
「バカ野郎、なに捕まってんだよ。迷惑、起こすな」
ああ、懐かしの先輩の声だ。
「すみません。ですがね警視」
「バーカ、なに間違えてやがる。俺は警視正。ボケてんじゃねえよ」
えっ?出世してたのね、この人。
「まあいい、次回から気をつけろ。で、セイヤーについて何か情報はつかんだのか?」
「いえ、着いた途端にFBIに捕まったもんで・・・」
「丁度いいじゃないか。ならば、これからは協力してもらえ」
「了解」
チェリーは先輩には事前にアメリカに飛ぶ話をしていた。それが役に立ったのであった。
一方、コックローチSの5人組はシアトルからアメリカに入国した。
「おい、これからどうするんだ?」
「そりゃあ、せっかくアメリカくんだりまで来たんだ。本場のメジャーリーグでも観戦しようぜ」
「マジでござるか?いいのでござるか?」
「いいって、いいって。仕事は明日から始めよう」
「もう夕方だし、いいんじゃないの?」
そして本当に5人は最初にシアトルの球場に向かってしまったのだった。
この日の試合は実に興奮するものだった。この日の先発はニッポン人投手で、9回を無安打無四球無失策、すなわち「完全試合」を達成したのだった。
「いやー満足満足」
「まさかパーフェクトとはな」
「いいもんが見られたでござる」
「俺たちが見てたからじゃないか?」
「こりゃあ、幸先いいぜ」
そう言いながら5人が球場から出てきたときには、既に時刻は21時を過ぎていた。
オンベシが、ある提案を持ち出した。
「いいアイデアが思い浮かんだ。秘密基地に連絡取ろう」
衛星通信機で秘密基地と連絡を取る。衛星通信機だから、世界中どこからでも、それこそ崑崙山脈の奥地からだって電話をかけられる。
「もしもし、ダッチャン、起きてるかあ?」
「起きてるも何も、こっちは太陽サンサンだよ」
「ちょっと、いい作戦思いついてさあ。それで連絡入れた」
「そりゃあそうだろう。メジャー観戦、さぞ楽しかったことでしょうねえ。完全試合だもんねえ」
えっ、何で知ってるの?
「あのなあ、衛星通信機持ってんだから、GPS持ってるのと一緒なんだよ。シアトルの球場に3時間、ばっちり光点が映ってたぜ」
「げっ」
「で、いい作戦というのは、本当に『いい作戦』なんだろうなあ?」
「そ、そりゃあ、グッドアイデアだぜ」
オンベシの作戦とは、シアトルの地元マフィアの事務所をまずは襲い、それをセイヤーの攻撃に見せかける、というものだった。そうすれば、地元マフィアがセイヤーのアジトを襲いに行くはず。後はそれをつければいいという計画だ。
「結構、行けるかも」
ダッチャンは了承した。ダッチャンは地元マフィアに関する情報を伝えた。セイヤーに関する情報はなかなか入手できないが、地元マフィアであれば、セキュリティも貧弱だ。勿論、本当ならばセイヤーのコンピュータを直接ハッキングしたいところだ。
ダッチャンが説明する。
「無理だ。セキュリティが厳しくて、何度やってもはじかれた。それに、あんまりやり過ぎると、こっちの攻撃がばれる。コンピュータというのは侵入するよりも、侵入の痕跡を消す方が遥かに難しいんだ。一歩間違えば、こっちの基地の場所が相手に知られちまう。まあ、ここのコンピュータは日本、中国、ロシア、ドイツ、フランスといった具合にサーバーを5か所、経由させているから、そう簡単にはばれないけどな」
さすがは秘密基地だ。
「とにかく慎重にやれよ。あとそれから、くれぐれも遊びは、ほどほどに。グッドラック」
そうと決まれば「善は急げ」だ。もっとも弱そうな支部を急襲。全員を始末して、事務所の壁に赤ペンキでデカデカと「セイヤー参上」と英語で書いた。支部の外で隠れて待っていれば、果たして続々と地元のマフィアのメンバーが集結してきた。そして、車を連ねて、いずこかへと走りだして行った。コックローチS5人衆は支部から分捕った車で、その列の最後尾に紛れて、それを追跡した。
地元マフィアの車列は郊外へと進んでいった。そして、人気の全くない森の中で停車した。 そこまでコックローチS5人衆は、まんまとついていってしまった。地元マフィアの連中は全員、それを待ち受けていた。
「バカめ。こんなわかり過ぎる罠にみすみす引っ掛かると思うか?」
「残念だったな。俺たちとセイヤー様とは相思相愛なのさ」
作戦は見事に失敗。コックローチS5人衆は、その場から必死に逃げねばならなかった。車を全速でバック、180度回転させて、あとはもうアクセル全開。その間に受けた銃撃で、誰も傷を受けなかったのは奇跡としか言いようがない。
車内の会話は、ほとんど「負け惜しみ」だ。
「ひとつだけわかったことがある」
「なんだよ?」
「この地元マフィアとセイヤーとは『密接なつながりがある』ってことだよ」
「それだけでござるか」
「それだけわかっただけでも充分じゃないか。なら、今度は地元マフィアの本部を襲うだけだ」
「まったくう」
「とにかく今は逃げる」
「わかってるよ」
「ああ、カッコ悪っ。しょっぱなから、これかよ」
コックローチS5人衆は辛くも逃げ切ることができた。
逃げ切った5人衆は早速、地元マフィアを攻撃した。
これは上手くいった。まさか逃げ出してから僅か2時間後に攻撃してくるなどとは、さすがに地元マフィアも思わなかったようだ。その結果、大量の武器を手に入れることができた。それに足も。
「ニッポンもそうだけど、ガラの悪い連中ってのは、本当にいい車に乗ってるもんだな」
手に入れた車は、シボレーアストロ・ロングボディ。5人で乗っても車内には、かなりのゆとりがある。
「おまけにコンピュータまで付いてやがる。それも、マフィアに関するデータがぎっしり詰まってやがるぜ」
「で、セイヤーの拠点はどこにあるって?」
「ああ、いっぱいあるよ。とりあえず本部はニューヨークだとよ」
ニューヨーク。アメリカ東海岸にある、世界最大の金融都市。
「遠いな。どうする?車と武器は捨てて、飛行機で行くか?」
「冗談、せっかく手に入れたのに」
「じゃあ、決まりだ」
「この車、ナンバー変えなくて大丈夫か?」
「大丈夫だろう?マフィアが『車を盗まれました』なんて警察に届けるわけないさ」
「そりゃあそうだ」
かくして、野郎5人の車による「アメリカ大陸横断旅行」が始まった。
※
FBIからセイヤーに関する情報の提供を受けた後、待子たちはホテルへ戻った。
ホテルでは早速、待子とジャンが激しい情事に打ち興じ始めた。そして、その隣の部屋ではチェリーが量子の「おもり」をしていた。もはやチェリーは完全に「量子のベビーシッター役」である。
量子が夜泣きを始めた。
「お―よしよし」
量子をあやすチェリー。隣では二人がイチャイチャしているのかと思うと、情けないやら、腹が立つやら。
この時のチェリーは、よもやこの赤子が将来、自分の妻になろうとは予想だにもしない。
翌日、4人は空路でアリゾナへと向かった。FBIから「カラマズーに住むおばあちゃんがセイヤーに関する有力な情報を持っている」と聞いたからだ。
4人はカラマズーの民家を訪ねた。中からは人の良さそうなおばあちゃんが出てきた。4人は中へ通された。
このおばあちゃん、何とマフィア・セイヤーのボスであるピーター・モダーンの実の母親だという。
おばあちゃんは息子について「とても素直で優しい子でした」と前置きしてから話し始めた。話はおよそ次のようなものだった。
「ピーターには4つ年下の妹がいた。その子・ベスは、それはとても美しい女の子で、ハイスクール中の人気者だった。でも、それを妬む人たちがいた。同じスクールに通う不良女子グループ。その不良グループにベスは凌辱された。当時流行りの媚薬を大量に投与され、何時間にもわたり体を愛撫され続けた。その結果、ベスの精神は完全に破壊され、一生元には戻らぬ廃人になってしまった。兄のピーターは、その不良たちを全員ピストルで射殺した。その後、ピーターは行方をくらました。消息は長い間わからなかった。しかしどうやら今では、アメリカ最大のマフィア・セイヤーのボスとして闇世界に君臨しているらしい・・・」
おばあちゃんは4人に懇願した。
「あの子は女性を心底、憎んでいます。世界中の全ての女性に『妹と同じ苦しみ』を味わわせようとしているのです。お願いです。どうかあの子を停めてください。必要でしたら、どうか殺して下さい」
そう述べたのち、おばあちゃんは号泣した。
その後4人は今もベスが入院している精神病院を訪問した。そこでのベスは、ベッドに体を拘束されていた。その理由を看護士に尋ねたところ「そうしないと血が出るまで股間をひっかき続けてしまうから」とのことだった。
待子にはベスの気持ちがわかる。待子もまた強靭な精神力によって廃人にこそなりはしなかったが、媚薬の後遺症によって秘部の中には絶えず嵐が吹き荒れ、常に男の逸物を求めているのだ。
結局、カラマズーでわかったことはセイヤーのボス・ピーターの過去であり、現在の居場所ではなかった。さて、これからどうしよう?
精神病院を出た直後、衛星通信機のベルが鳴った。待子が出る。相手は秘密基地のダッチャンからだった。
「局長。セイヤーの本部の位置がわかりました」
セイヤーの本部はニューヨークにあるという。Sの5人がそのことを突き止め現在、車で向かっているという。
「わかりました。では、私たちも先に行って到着を待ちましょう」
4人もまた、車でニューヨークを目指した。
そんな4人をセイヤーが襲う。後ろの車からの銃撃。チェリーはアクセルを全開にして逃走を開始した。
「しつこいな」
なかなか振り切ることができない。突然、4人の乗る車の前に大型トレーラーが横から出てきた。
危ない!だが、全速力で走る車は、急には停止できない。衝突は避けられない。
「えっ?」
目の前に大型トレーラーの姿はなかった。それどころか、両脇の建物の姿も見えなかった。
「空を、飛んでいる?」
そう。4人の乗った車は空を飛んでいた。
「ば、バカな!」
空を飛び去っていく車をセイヤーの追っ手たちは苦々しく見上げるほかなかった。
やがて車は緩やかに道路に着地した。何事もなく車は走っている。
「何だったんだ、今の?」
驚きのチェリー。待子が事情を説明する。
「恐らく量子です。この子は念動力を持っているのです。危険を感じると、それを発動させるのです」
とんでもない赤ん坊だとチェリーは思った。だがチェリーよ。きみは18年後、この赤ん坊と結ばれるのだぞ。
一足先にニューヨークに到着した4人はSの5人が到着するのを待った。だが、何日たっても、一向にSの5人が到着する気配はない。電源を切っているのか、衛星通信機にも出ない。もはや、どこにいるのかすら、わからない。
「もう彼らを待ってなどいられません!今夜、作戦を決行します」
待子が決断した。今日、ニューヨーク本部にピーター・モダーンがいるという確かな情報を手に入れたからだ。
精神支配能力を失った待子は拳銃を手にした。幻術の巧みなジャンは素手。チェリーは新しいトレッキングポールを入手していた。
量子は、どうしよう?
「な、何で俺が?」
「ホテルに置いていくわけにもいかないでしょう?」
「『子連れ狼』みたいで、カッコいいぜ」
かくして量子はチェリーがおんぶすることに決まった。
「今回の作戦は、はじめから派手だな」
「FBI公認だからな。たまには派手にやっちまおうぜ」
ニューヨークに立つ60階建ての高層ビル。そのビル丸丸一つがセイヤーの支配下にあるという。普段であれば、こっそりと侵入するのだが、今回はアメリカ流に派手なアクションを決める。
「な、何だ?」
深夜2時。セイヤー本部ビルの1階フロアの窓ガラスが、音を立てて内側に向かって割れた。
敵襲だ。何だ?車か?トラックか?
いや違う。ビルに突入してきたのは道路補修用のロードローラー。ロードローラーがビルの1階フロアを駆けまわる。運転しているのは待子。敵がロードローラーに気をとられている間にジャン、チェリー、量子の三人がこっそりと侵入した。
「奴の部屋は50階だ」
ジャンはエレベータ、チェリーは階段を駆け上がる。ジャンがエレベータに乗ったのは無論、相手の気を引くため。
激しく動き回るロードローラー。敵は狙いが定まらない。一方、待子は左手でハンドルを回しながら、確実に右手の拳銃で敵を仕留めていく。そこら辺は、さすがにプロの殺し屋だけのことはある。決して見てくれが美しいだけの「お人形さん」ではない。
50階では敵が既にエレベータに向かって小銃を構えていた。
エレベータが到着した。ドアが開らく前に一斉に小銃が連射される。
ドアが開く。中には誰もいない。
エレベータの天井からジャンが飛び降りた。瞬間、敵の目は強烈な光によって失明した。ジャンは敵の小銃を一丁奪うと、そのまま本部に突入した。
本部の事務所での銃撃戦。ジャンはここで足止めを食らう。
その間に、階段からチェリーと量子が現れた。後ろからの敵の出現に、セイヤーの手下どもは、なす術がなかった。
ひときわ豪華な木の扉。この奥がボスの部屋であることは間違いない。ジャンとチェリーは互いに顔を見合わせ、軽く頷いてから、ドアの中に突入した。
チェリーの平突きによって破壊されたドア。その中には、しかしながらピーターの姿はなかった。
ピーターはどこへ?考えるまでもない。先程までここにいたとすれば、最上階からヘリで脱出するに決まっている。二人は最上階へと向かった。
果たしてピーターは今まさにヘリに乗り込まんとしていた。ジャンが小銃を構えた。
「乗り込む気なら、ヘリのエンジンを打つ!」
ピーターはヘリに乗るのをやめた。
ピーターには二人のボディガードがついていた。2人対2人、ちょうどいい、お誂え向きだ。しかも一人はニッポンマニアなのか?日本刀を手にしていた。
「あいつは俺の獲物だ、お前は手を出すなよ」
ジャンの耳元で囁くチェリー。チェリーは日本刀を手にする白人ボディガードに、自分の構えを見せた。
ボディガードは日本刀を抜いた。正眼の構え。
闘いが始まった。
ジャンもまた、もう一人のボディガードとの闘いを始めた。黒人の敵は、これまたニッポンマニアなのか?空手だ。しかも相当の達人なのだろう。ジャンの目くらましの幻術が通用しないだけの強い精神力を有していた。
「おもしろい」
ジャンは小銃を捨てた。ジャンもまた自身の格闘術で相手と戦うことに決めた。
ジャンの格闘技は南米発祥の武術・カポエラ。「手枷をはめられても戦える武術」ということで待子から勧められて学んだ。
白人ボディガードの日本刀がチェリーの腹を水平に掠める。その時、赤ちゃんを背負うショルダーベルトを斬られた。量子の頭が下がる。チェリーは慌ててベルトを両手で掴み、量子の頭を引き上げた。
「やべえ」
チェリーの両腕が使えなくなった。
「ちょ、ちょっとタンマ」
「ダメー、タンマなし」
「日本語わかるのかよ」
「イエス」
「くそう」
チェリーは逃げ出した。走りまわるチェリー。だが、やがてチェリーは屋上の端に追い詰められてしまった。ちらっと下を見る。高い。もし飛び降りたら「痛いじゃ済まないだろうな」と思った。
自分の勝利を確信した白人ボディガードは生意気にもチェリーの技の真似をした。平突きの構え。舐めやがって、この野郎。
「自分の技で、自分が死ね」
白人ボディガードがチェリーめがけて全速力で突撃してきた。
その時、チェリーの体が空中に浮かんだ。チェリーは、まるでスーパーマンのように空中を飛行した。チェリーに突撃した白人ボディガードは、そのまま屋上の柵を突き破って、地上へと落下していった。
チェリーの体は屋上に再び着地した。
「量子、ありがとうよ」
1階フロアで暴れていた待子も屋上に登ってきた。その時、ジャンと黒人空手使いとの勝負もついた。ジャンの空中回転蹴りが相手の顔面に入ったのだった。
ボディガードを失ったピーター。待子がピーターに歩み寄る。
驚くのはジャンとチェリー。待子が人質に取られかねない。
だが、待子は何ら怖気づくことなく、ピーターに歩み寄った。ピーターもまた、待子を人質にしようなどとは思わなかった。いち巨大組織のボスだけあって、ピーターは誇り高い男だった。
「な、なぜだ?なぜ私のそばにやってくる?」
「あなたに、どうしても、お話したいことがあります」
待子は、そう切り出してから、ピーターに話し始めた。
「あなたは妹のベスさんの受けた苦痛に対する復讐心から、新型の媚薬を世界中にばらまこうとした。でも、それは間違っています。なぜなら、ベスさんは決してそのようなことを望んではいないからです」
「出鱈目を言うな。なぜ、そんなことが、お前にわかる?」
「私にはわかります。なぜなら、私は新型媚薬を3ヶ月間に渡り、毎日のように投与され続けたからです」
「何だと?」
ピーターは驚きを隠さなかった。
「ばかな。この媚薬は一回でも女性を雌豚に変える。それを毎日、3ヶ月間に渡り投与されただと?ふん、嘘をつけ。そんな責めを受けて正気でなど、いられるはずがない」
「嘘じゃないよ」
ジャンが口を挟んだ。
「彼女は本当に、そうした責めを受け続けたんだ」
待子は話を続けた。
「3ヶ月間、それは本当に地獄の苦しみでした。そして、その苦しみから解放されたとき、私が思ったことは、『同じ苦しみを他の誰にも味わわせたくない』ということでした。それはベスさんも、きっと同じはずです」
「そ、そんな・・・」
「ピーター。過ちを続けるのはやめましょう。こんなことを続けていたら、ベスさんは、きっと悲しみます」
「や、やめろおおおおっ」
ピーターは頭を抱えて号泣した。そして、その場に蹲った。
「俺は・・・俺は・・・間違っていたのか?」
「確かに、他人の美貌や人気に嫉妬する悪い女性も沢山、この世にはいます。でも、そうでない女性の方が遥かに多い。これ以上ベスさんを苦しめないで。そしてこれからは、ベスさんが喜ぶ生き方をして」
「うおおおおおお」
ピーターは改心した。もはやピーターはアメリカ最大のマフィア・セイヤーのボスではなく、妹を愛するひとりの優しい兄にすぎなかった。
「早く逃げろ」
ピーターが待子に話す。
「このビルは、もうじき爆破される」
ピーターはビルからの逃走を計画した時点で、ビルの爆破スイッチを入れていた。それは丁度30分後に作動するのだ。
この時、衛星通信機のベルが鳴った。
「もしもし?」
「局長。助けに来ましたぜ。今、30階にいます」
遅ればせながら、Sの5人が到着したのだ。それにしても30階とは。何とも中途半端な階に。ど真ん中ではないか。
「もうじき、このビルは爆破されます。下に降りるか、上にあがるか、どっちか決めなさい」
Sの5人は大慌て。急いで下へ降りようとした。が、下からは敵が攻め上って来ていた。
「下は無理だ。上にあがろう」
Sの5人は駆け足で屋上を目指した。
屋上ではヘリコプターによる脱出の準備が進められていた。チェリーが右操縦席に座り、左操縦席には待子と量子が、そして後部座席にはジャンが座った。
「ピーター、あなたも乗りなさい」
だが、ピーターは首を左右に振った。
「お前たちに負けたことは誇りにすら思う。だが、FBIのポンクラどもに捕まるのは御免だ。どうせ俺には電気椅子が待っている。ならば、このビルとともに死にたい」
「ピーター」
待子が叫ぶ。だが、ピーターの決意は変わらない。
そしてジャンとチェリーがピーターの意思を尊重するよう、待子に進言した。待子はピーターの願いを聞き入れることにした。
やがてSの5人がハーハーゼーゼーいいながらやってきた。
「早く乗れ」
ジャンの声に急ぐ5人。しかし疲れているのだろう。その歩みは実にとろく、左右に揺れながら、どうにか歩いているといった状態。その後ろから追手が迫る。余計な者を連れてきやがって。
その直後、余計な者は全員、射殺された。
「ピーター」
そう、それはピーターだった。黒人空手使いとの闘いの前にジャンが捨てた小銃を拾い、味方を射殺したのだった。
Sの5人がヘリコプターに乗った。ヘリコプターが飛び立つ。ピーターはヘリコプターを見送った。
ピーターと待子の目が合った。ピーターはニコリと微笑んだ。今まで女性を憎悪の対象としか思っていなかったピーターが女性に見せた頬笑み。ピーターはこの時に至ってはじめて「異性に恋する気持ち」を知ったのかもしれない。
ヘリコプターがビルから離れる。ピーターは最後まで、それを見届けた。
ヘリコプターがビルから1kmも離れた時、ビルが崩壊を始めた。50階辺りから最初に崩れ、その後はドミノ倒しのように下の方へと崩れていった。やがて、ビルは土煙を巻き上げながら完全に消えた。
「ピーター」
待子はピーターのために涙を流した。
ジャンが皆に向かって叫んだ。
「帰ろう。俺たちの国へ」
そうだ。我々には、それ以外に進む道はないのだから。
3
「おい、みんな。こっち来て見てみろよ。酷いぞ、こりゃあ」
ダッチャンがメンバーを呼ぶ。秘密基地に残っているメンバーは、一人も漏れなく驚きを隠さなかった。
「こりゃあ、ひでえ」
「かつての『地下鉄サリン』の比じゃあないな」
「まったく酷いことをするでござるな」
テレビが伝えていたのは、30分ほど前に発生したイギリスの首都・ロンドンにおけるテロ事件の速報である。テロリストは毒ガス兵器をロンドン中心地で使用した。大英博物館でも、金融街シティでも多数の人々が倒れていた。死者は現在判明しているだけでも1000人を超えていた。
犯行声明はまだ出されてはいなかった。だが犯人はわかっている。
「毒ガス部隊・レパードだな、これは」
そう。毒ガス部隊・レパードの仕業。なぜなら、つい一週間前にも、パリにおいて同様のテロ攻撃を仕掛けていたからだ。その時の犯行声明が、レパードによるものだったのだ。
テレビは次々と判明する事実を伝えた。
使用された毒ガスは「VXガス」。
テロリストはトラックで走りながらガスを街中に散布した。
ガスは海外から輸入したのではなく、イギリス内で生成された。
死者の数は、最終的には数千人にもなる模様。
そして遂に「犯行声明」が発表された。それによれば・・・
「マジかよ」
「冗談じゃないぞ」
「どうするでござるか」
「・・・・・・」
犯行声明によれば、次の標的は「東京」だそうだ。
犯行声明を受けて、日本政府は直ちに「非常事態宣言」を発令した。東京23区内の至る場所に警官が配置された。不審者や不審車両は直ちに検査されるようになった。だが、これは東京をテロから護る最後の砦であるコックローチの活動を大きく阻害するものだった。
「武器は秘密基地からは持ち出せない。職務質問されたら一巻の終わりだからな。ということは武器なしでも敵と戦えるメンバーしか表立って活動はできないということだ」
ジャンとチェリーは互いの顔を見合った。同時に頷く二人。
「ということは、動けるのは俺とお前だけだな?チェリー」
「そういうことになるのかな?エース」
Sのメンバーは、まだまだ「ひよっ子」である。
二人は渋谷から山手線沿線を、お互い反対方向へと捜索を開始した。ジャンは新宿方面へ、チェリーは品川方面へ。そして「夕方、神田で落ち合おう」ということに決まった。
夕方、二人は三省堂本店の隣にあるハンバーガーショップで夕食を取りながら、昼間の成果について語り合った。
「俺はダメ」
「こっちも全然」
こうした会話から「初日は成果なし」ということがわかる。
「まあ、初日だからな。このえびバーガー美味いな」
チェリーは努めて楽観的な話し方を心がけた。今から悲壮感を漂わせたところで、どうしようもない。
「なあ、チェリー」
「ん?どうした、エース」
「犯行声明、ちょっと早すぎないか?」
「ああ、次に東京を狙うメンバーが『同じ奴ら』ならな。普通は入国してからするわな」
「別のメンバーが既に入国しているってことか」
「だと思うよ」
チェリーはハンバーガーを食べるのに余念がない。えびバーガーを平らげたチェリーは次に、てりやきビーフバーガーを食べ始めた。
「とすれば、作戦の内容そのものが違うかも」
「そりゃあそうだろう。トラックでの毒ガス散布は東京ではやらないんじゃないかな?」
「とすればだ。別の方法、お前は何だと思う?チェリー」
「そうだなあ、最近流行りのドローンは使わないだろうな。あれはガスボンベ1個持ち上げるだけでも大変だ」
「俺が思うに、キーワードは『ガス』だよ。ガスを最も効率よく東京23区内に散布できる方法と言えば・・・」
「ガス。ガスと言えば、東京ガ・・・あっ」
「俺は、ズバリ『それ』だと思うんだよ」
「というより、敵さんの作戦がこれなら俺たちでどうにか阻止できるな。トラック散布じゃ俺たちの手に余る」
「これに賭けてみようぜ。実際問題、それしかないだろう?敵のアジトなんか探せねえよ。この東京でさ」
「ああ、じゃあ早速、基地に戻って『都市ガスの供給所』がどこにあるのか、調べようぜ」
ある程度予想はしていたが、東京23区に都市ガスを供給する施設は東京23区の外にあった。東京23区内は警官が犇めき合っているが、一歩外に出ると実に閑散としていた。これは格好のレパードの獲物だ。
そこで、ジャンとチェリーは都市ガス供給施設から1kmほどの場所のアパートを借りて、暮らすことにした。1kmほどだから、車でならあっという間だ。都市ガス供給施設の監視カメラは既に渋谷の基地の方で完全にジャックしてあるので、不審な動きがあれば、すぐに二人に連絡が行くという寸法だ。
「でも、二人というのはさすがに少ないな。もう一人呼べないか?ブッシュなんか使えそうだと思うけど」
「バカ。ここはニッポンだぞ。黒人さんが最近になってアパートに住み始めたなんてことになれば、あっという間に不審者扱いで通報されちまうだろうが」
「ああ、嫌だね。外国人に対して閉鎖的な民族の国は」
「まったくだ。これも全てはニッポンの政治家が保守的だからだ」
「あとマスメディアもな。特にテレビ局」
アパートは木造2階建てで築30年になろうとしていた。部屋の間取りは2DK。アパートのすぐ下に軽自動車を1台置いてある。
数日は何事もなく過ぎていった。こうなってくると「敵のアジト探し」もやりたくなる。そこで思い切って、ジャンとチェリーはアジト探しに出て、アパートにはウジャとチューザンの二人を置くことにした。二人とも素手で戦うことができるからだ。
そして、このようなときに限って大抵、敵は動くものだ。
チューザンのスマホが鳴った。ダッチャンからの緊急連絡。
「もしもし」
「敵襲だ。敵がトラックで施設の敷地内に突っ込んだ。5人の敵が銃を持って侵入したぞ」
すわ一大事。ウジャとチューザンの二人は軽自動車で都市ガス供給施設へと急行した。
2人が到着した時、正面ゲートの鉄扉は破壊され、中には突入に使用したと思われる大型トラックが一台止まっていた。
銃撃の音。二人は建物内へと侵入した。
建物内を奥へと進むと、廊下の途中途中に職員の死体が転がっていた。可愛そうではあるが今は弔っている暇はない。二人は奥へと進んだ。
敵を3人発見した。敵もまたウジャとチューザンを認めた。敵は銃撃してきた。慌ててよける二人。敵はイングラムを所持していた。小型で連射のできる、テロリストにはうってつけの小銃だ。
ウジャとチューザンは素手。到底、敵には近づけない。敵にしても二人が何者なのかわからない。必然、両者の睨み合いが続くことになった。
そして、残りの敵2名は、その間に再びトラックへと戻っていた。トラックの荷台を開け、中からホースを伸ばす。ホースは施設内の配管の一部に接続された。
トラックの中にはガスボンベ。中は当然VXガスだ。ウジャとチューザンが施設内で睨みあいをしている間に2名の敵は着実に外でテロの準備を進めていた。
チューザンのスマホが鳴った。
「いつまでそんなところで膠着状態を続けているんだ?早くトラックへ戻れ。敵が毒ガスを施設の配管に流し込もうとしているぞ」
「なんだって?」
ウジャとチューザンは大急ぎで来た道を戻ろうとした。それを見た3人の敵が二人を追いかけ始めた。
長い廊下。ダメだ、狙い撃ちに遭う。ウジャとチューザンは廊下に面したドアの中に飛び込んだ。
3人の敵がドアの前に立った。部屋の中をうかがう。
ウジャとチューザンはデスクの後ろに隠れていた。敵が部屋に入ってきたら飛びかかろうと思っているが、敵もわかっていて、決して部屋の中へは入ろうとはしなかった。
その間にも、2人の敵がVXガスを東京23区内に流そうとしていた。
2人の敵のひとりが、トラック内のボンベの栓を開いた。
「よし、あとは施設の方の栓を開くだけだ」
残りの敵が施設の栓を開こうとした、その瞬間。
「ぎゃあ」
敵は栓を開く前に、あっけなく倒された。
「うわあ」
続いてトラック内の敵も倒された。
廊下脇の部屋ではウジャとチューザンが小声で話をしていた。
「このままじゃ、間に合わなくなるでござるよ」
「そんなこと言ったって、敵が中に入ってこないんじゃ」
そんな会話をしている時。
「うぎゃあ」
「うわあ」
「ぐええ」
3人の敵の悲鳴が響いた。
「何だ?どうしたんだ」
ウジャとチューザンはデスクから顔を上げた。
「ジャンさん、それにチェリーさんも」
「早く来い。警察が来る前に我々は立ち去らないと」
「あと2人、敵がいます」
「ああ、既に倒したよ。あわやというところだったけどな」
ホッと胸をなでおろすウジャとチューザン。
「ほら、急げ」
4人は急いで外に出ると軽自動車で足早に、この場を立ち去った。その後、多数のパトカーが入れ違いに施設内に集合してきた。
基地へと向かう車の中でウジャとチューザンが喜びながら話し合う。
「これで東京は、もう安心だな」
「ああ、そうでござるな」
ジャンとチェリーは「何を呑気な」と思っていた。確かに今回の闘いは勝った。だが今回、倒した敵は「別動隊」にすぎない。パリとロンドンを襲撃した敵の「本体」がまだ残っているのだ。奴らはこんなに簡単に倒されてはくれないだろう。
(いずれ必ず本体がニッポンにやってくる!)
そのことを、ひしひしと感じるジャンとチェリーだった。
それから2週間後には早くも非常事態宣言は解除された。ご丁寧に首相は「安全宣言」を発表した。ジャンとチェリーは政府のあまりにも早すぎる警戒体制の解除に呆れた。
「安全よりも『お国のメンツ』ってか?」
「それを言うなら、安全よりも『観光収入の方が大事』だな」
どっちでもいい。とにかく、この時代のニッポンの首相は「観光立国ニッポン」を前面に押し出し「ニッポンは世界一安全な国だ」ということを世界にアピールしようと躍起になっていた。たとえそれが事実とは大きく異なるものであったとしても。世間体を気にして、愛が枯れているのに離婚しない仮面夫婦そっくりの「仮面国家」ならではの判断だ。
「しかし敵も賢いな。ニッポンで壊滅した別動隊を本体に見せかけて着実にテロの準備を進めている」
「ああ。ここ2週間、何の動きもない。『組織は壊滅した』と思わせたいんだろう」
ジャンとチェリーのこうした読みは、まさに「的を射たもの」だった。
※
成田空港に一人の男が降り立った。
「ふん」
黒ぶち眼鏡をかけたその男こそ毒ガステロ組織・レパードの総帥、ニックネーム「ビンゾ・マルハ」だった。
ビンゾは成田空港第二ビルから京成電鉄が誇る私鉄最速の車両「スカイライナーS」に乗車。上野へと向かった。
上野駅の地下ホームから地上にあがったビンゾは、そのまま10分ほど銀座線が下を走る大通りを南へと向かって歩いた。
「ボス、お待ちしておりました」
「御苦労、ヨウマン」
ヨウマンとはビンゾの一番の側近である。
「さあ、こちらです」
ヨウマンがボスを案内する。ヨウマンはボスを人気の少ないビルの裏手にある階段へと案内した。ボスが先に階段を下る。地下1階の扉を開くと、中には既に先に来日していたレパードの精鋭たちが全員、ボスの到着を迎えるために起立していた。ボスは建物の中に入ると、これから先、レパードの秘密基地となる地下室の天井やら壁やらを見渡した。
「ふふふ、はははは」
ボスは大きな笑い声を上げた。
「見ていろニッポン。いや、コックローチよ。『2度の借り』は何十倍にも、いや何百倍にもして返してやるからな。ふはははは」
きみは気がついたか?ここは秋葉原。そう、かつて「アキバのコックさん」の秘密基地があった場所だ。何と其処をレパードは大胆にも自らの拠点としたのであった。
「はっくしゅん」
「どうしたチェリー?風邪か」
「いや、なんか嫌な予感がしただけだ。そんな時はきまって鼻がムズムズする」
「奴らが来日したってか?」
「ああ、恐らくそうだ」
チェリーがダッチャンを捕まえる。
「レパードに関する、その後の新しい情報はないか?」
「つまらない情報かもしれないですけど、ボスの名前がわかりました」
「なんて名前だ?」
「『ビンゾ・マルハ』です」
「何だ?そりゃあ」
「本名じゃないことだけは確かだな」
「意味が全くわからん」
「ジャンはどう思う?」
「ビンゾ・・・逆さまにしたら『ゾンビ』だな」
「おい、ってことは、こいつ、もしかして日本人か?」
「だとしたら、凄い情報だ」
「だが、もしそうなら厄介だ。自由に動かれる」
「顔写真とか、ないのか?」
「あります」
顔写真を見れば、髪も黒いし、確かに日本人っぽい。不鮮明な写真で、なおかつ黒ぶち眼鏡をかけているから、はっきりとは顔は見えないけれども。
「身長も、あんまり高そうじゃあないな」
「あくまでも推定だけれども、160cmくらいだな」
「他に特徴は?」
「情報によれば、口から毒ガスを吐くそうです」
「おい、それは人間じゃないぞ」
「・・・・・・」
「どうしたチェリー?何を黙っているんだ」
「うむ。気のせいかな?何となく昔、見たような気が・・・」
「本当か?」
「でも、思い出せない」
その後も、このような会話が続いたのだった。
あの襲撃事件から1か月が過ぎた。その間、何事もなく平穏無事な時間が流れていた。1か月というのは歴史健忘症のニッポン人が過去の事件を忘れるには充分すぎるほどの時間だ。警察による東京の警備は呆れるほど緩くなっていた。
「大変だ!」
メンバー全員が作戦室に集合した。正面の大スクリーンに見入る。
「なんてことだ」
遂にレパードによる「報復」が開始された。その手始めに奴らは「渋谷」に毒ガスを散布した。
報道レポーターが叫ぶ。
「渋谷駅から原宿駅までの1km区間の明治通り一帯が文字通り『地獄絵図』と化しています」
幸い、秘密基地は山手線を挟んで反対側にあったため難を逃れた。だが、明治通りは目と鼻の先だ。
「これは間違いなく、我々に対する挑戦状だ」
そして、あわよくば秘密基地を壊滅させようとしたに違いない。裏世界では既に「シブヤのコックさん」の名前が広く浸透していることの証明だ。
「局長」
「一刻も早く、敵のアジトを探すのです。二度と、このようなことをさせてはなりません」
「はい」
メンバーが四方に散った。
そんな中、チェリーは思うところあって秋葉原に向かった。目的地はかつてコックローチの秘密基地があった場所。自衛隊の攻撃によって今は廃墟になっているはず。だとすれば、隠れ家にはもってこいだ。
チェリーがかつての秘密基地の入口に着いた、その時。
「久しぶりだな、チェリー」
「やはりお前だったか、ビーチ・パッカン」
ビーチ・パッカンというのはビンゾ・マルハの昔のニックネームだ。
「ビンゾ・マルハなんてふざけた名前を聞いて、ピンときた。こんなふざけたニックネームを考える奴は昔っから、ふざけたニックネームをつけていた、お前以外には考えられないからな」
「ふふふ」
「ちょうど良かった。ここで大将首をいただく。今度は前のように許しはしない。中学生時代の同級生のよしみで命だけは助けてやったのに、恩を裏切りやがって」
ビンゾ・マルハは懐からスプレーを取り出すとチェリーに噴射した。
「なに?これは毒ガスかっ」
「ふふふ」
「くそう」
チェリーは意識を失い、その場に倒れ込んだ。
「うう」
チェリーの意識が回復した。スプレーはただの催涙ガスだった。
「こ、これは?」
チェリーは全身ダクトテープによって巻かれ、まるでエジプトから出土するファラオのミイラのような状態になっていた。その状態で地下室の柱にくくりつけられていた。
「くっ」
もがくチェリー。だが、体は自由に動かない。
チェリーの前には、かつてハッチャンが多くの捕虜を拷問にかけた拷問椅子が置かれ、その上には液晶テレビが載せられていた。
「ビーチ!」
液晶テレビにはビンゾの姿が映し出されていた。
「どうだね、チェリー。かつてのキミらの基地に自分が幽閉された気分は」
「ビーチ、貴様ー!」
「『貴様』か。久しぶりに、お前の口癖をきいたぜ。かつて、お前とその仲間たちによって、私の作り上げた一大麻薬組織は壊滅させられた。俺は1日として、その時の屈辱を忘れたことはない。チェリー。お前には死ぬよりも辛い苦しみを味わわせてやる。そこでじっくりと見届けるがいい。お前が護ってきたニッポンの首都が無残に壊滅する姿をな。ふふふ」
液晶テレビの画面からビンゾの姿が消えた。代わりにNHK・総合の映像が映し出された。
そこに映し出されていたのは毒ガスによってパニック状態に陥った東京の姿だった。
八重洲、銀座、大手町、新橋一帯が既に毒ガスによって汚染されていた。そして、被害は拡大の一途をたどっていた。
「毒ガスは地下に埋設された下水道施設を伝って東京中へと拡散している模様です」
専門家による解説。この手があったか。下水道を毒ガスが伝うならば、マンホールや排水溝などから毒ガスが発生することになる。路上を歩いている人々は、ひとたまりもない。
「うおおおおおっ」
必死にもがくチェリー。だが、体は自由にならない。このような状況の時に闘えない自分。チェリーは血の涙を流した。
「どうしたの?量子」
それまで、にこやかだった量子が突然、泣き出した。おしめではない。ミルクでもない。どうにかこうにか待子は量子をあやした。
「おかしいな」
ダッチャンが首をかしげた。
「どうしました?」
「それが、チェリーと連絡が取れないんです」
秘密基地から全てのメンバーに一報を飛ばした。東京駅一帯が毒ガス攻撃を受けたのを受けて、防毒用の装備をつけさせるために基地に全メンバーを呼び戻すためだ。だが、チェリーだけが連絡に応答しないのだ。
「どういうことですの?」
「わかりません局長。兎に角、チェリーとだけは連絡が取れないのです」
「チェリーはどこへ行ったの?」
「待ってください」
ダッチャンがキーボードを叩く。スクリーンにチェリーのGPS信号の記録が映し出された。
「最後は秋葉原で消えています」
「もっと地図を拡大できる?」
「はい、只今」
拡大した地図を見て、待子は驚いた。そこは昔の秘密基地のあった場所だったからだ。それを見た待子は、すぐにすべてを理解した。ここにレパードのアジトがある。あろうことか、自分たちの古巣があった場所に。
「みんなが戻るのは?」
「恐らく1時間後には全員、戻れるかと」
「わかりました。1時間後、ただちにアキバへ全員で行きます」
秋葉原へ行ったところで作戦が開始された以上、もはやレパードのメンバーはいないだろう。だが、チェリーはきっと秋葉原にいるに違いない。待子が最重要任務として選択したのはレパードの掃討ではなく、チェリーの救出だった。
そして、メンバー全員が秋葉原に集結した。当然、敵による罠があるだろう。慎重に地下室へと向かう。
扉を開き、中へと侵入。作戦室にもリビングにも人影はない。そして、拷問室にも人影はなかった。爆破装置らしきものがセットされてはいるが、それは解除されていた。
「チェリーはどこ?」
わからない。チェリーの姿は結局、どこにもなかった。レパードが連れ去ったわけでもなかった。レパードはチェリーをここに幽閉し、そのままここを立ち去ったのだ。
いずれにしても、チェリーがいない以上、チェリー抜きで任務は次の段階へと進まねばならない。
次の段階とは、いわずもがな「レパード掃討作戦」である。
毒ガスが拡散する状況から、毒ガスボンベが八重洲の地下に設置されていることは間違いなかった。
「その撤去は警察に任せましょう」
コックローチはレパードのメンバーの逃亡を阻止するべく行動を開始した。東京は破壊されてしまったが、ここで奴らを仕留められれば、他の都市へのテロ攻撃を防ぐことができる。
「奴ら、どこから逃げると思う?」
ジャンが他のメンバーにした質問。その答えは、しかしながら待子が答えた。
「空港は閉鎖。鉄道もストップ。一番手っ取り早いのは船よ」
「港だってストップしているんじゃ」
「旅客船はね」
「?」
「今回のテロ、この規模の大きさから考えて、恐らくレパードは毒ガスを都内で生成したのではなく海外から持ち込んだに違いない。実際、秋葉原のアジトには毒ガスの生成に使用したと思われる設備は一切なかったわ」
よく見ていた。さすがは局長。
「そして、これだけ大量の毒ガスを持ちこむことが可能だったのは、それ専用の設備を備えた船で運んだからに決まっています」
「ってことは」
「そう。LPガスの輸送船よ。LPガスに見せかけて、奴らは堂々と毒ガスを持ちこんだのよ」
「全員、揃ったな」
レパードのメンバー全員が埠頭に集合していた。
「では行くぞ」
ボスのビンゾを先頭にLPガス輸送船に乗り込む。
そこへ猛スピードで走ってくる車が二台。
「奴ら、どうしてここがわかったんだ?」
コックローチ対レパードとの銃撃戦が始まった。
毒ガス部隊と言うだけあって、どうやら銃の扱いには不慣れらしい。レパードのメンバーが次々と倒れる。
「くそっ」
ビンゾが船の階段を駆け上がる。
「待ちやがれっ」
続いて階段を駆け上がる。
「クソっ、離せ」
瞬く間に、ビンゾはSのメンバーたちによって捕えられた。
「ほら、早く階段を降りろ!」
階段の下では待子と量子、そしてジャンが待っていた。
「あなたに質問します。チェリーはどこですか?」
ビンゾは黙っていた。
「言いなさい。チェリーはどこですか!」
ビンゾは口を割り「チェリーは秋葉原の昔のアジトに幽閉している」と言った。
「嘘じゃない、本当だ。そして、お前たちが到着したら爆弾が作動、ビルが倒壊する仕組みになっていた」
だが、チェリーはそこになく、ビルの爆破装置も作動しなかった。
本当にチェリーの居所を知らないならば、もはや生かしておく必要もない。ビンゾをはじめ、レパードのメンバー全員を、この場で殺害した。命乞いをするメンバーもいれば「さっさとやれ」といった態度の者もいた。だが結果は皆、一緒。それがコックローチだ。
「東京壊滅か」
「首相のメンツ、丸つぶれだな」
「そうでござるな」
「安全宣言を早々にした責任が国会で追及されるだろうな」
「今回の闘い、敵は倒したけど、犠牲があまりにも大きかったな」
「テロを事前に阻止することは難しい」
量子はスヤスヤと眠っている。
待子とジャンは何も話さなかった。
4
レパードによるテロから丸1年が過ぎようとしていた。毒ガスによるテロは爆弾テロとは異なり、建物などの施設を破壊しない。東京は早くも以前の活気を取り戻していた。
そして、コックローチの渋谷基地では1歳になった量子が自分の足で歩くようになっていた。
「こっち、こっち」
パパであるジャンが量子を招く。量子はパパに向かって、よちよちと歩く。
「あら、ころんじゃった」
量子が、すてんと前のめりに勢いよく転ぶ。
だが、量子は泣かない。すぐさま自分で起き上がる。
「オー、強いぞ量子。偉いな」
ジャンは量子を抱き上げた。量子は、きゃっきゃと喜んだ。
「・・・・・」
ジャンが暗い顔をした。量子も喜ぶのを止めた。
チェリーの行方は依然として不明のままだった。生きているのか?死んでいるのか?コックローチの力を総動員しても皆目、情報がつかめなかった。
「これ、見てください」
ダッチャンはブログを開いていた。何かを見つけたらしい。
「何だ?ダッチャン」
「闇サイトに『トレッキングポールを持つ男』に関する記事があるんです」
「なに?」
トレッキングポールを持つ男と言えば、チェリーだ。
「記事によれば、どうやらその男、とある麻薬組織のリーダーのようで、相当の凄腕らしいです」
「どこの麻薬組織だ?」
「大阪です。大阪に拠点を持つ麻薬組織です」
「大阪・・・」
大阪。そこにチェリーがいるというのか?
「行ってきなさい」
そう言ったのは待子だった。
「待子」
「こっちは大丈夫。テロを受けた結果でしょう。警視庁の質が飛躍的に上がりましたから、私たちの出番は今のところ、それほど多くはありませんし」
確かに最近、東京では麻薬摘発など、以前とは比べ物にならないほど、警察が優れた成果を上げていた。
「わかりました」
「ありがとうございます、じゃなくって?」
「ありがとうございます」
ジャンは直ちに、大阪に向かう準備に取りかかった。
※
なぜ、リニアなど建設する必要があるのか?と思えるほど新幹線は速い。ジャンは朝の11時には新大阪に到着していた。そこから在来線を乗り継ぎ、大阪に到着したのはおよそ30分後。
食い道楽の街・大阪。
通りを歩くジャンの目に焼鳥屋の看板がとまった。似たようなロゴの看板が二つ。どちらかが「オリジナル」で、もうひとつは「パクリ」だろう。大阪ではよくある話だ。
パクリ都市・大阪。
といっても、これはあくまでも「ヨーロッパ世界の感覚」だ。しかもそれほど古い話ではない。昔のヨーロッパといえばイスラム世界やアジア世界のアイデアをパクるのが常識であったのだ。それが産業革命によって自分たちの文明の方が上になるや態度を一転。特許だの著作権だのと騒ぎ始め、それがいつしか先進国の常識となったのだ。しかも航空技術のように特許を認めない分野もあり、実に複雑だ。そうした基準はあくまでも「先進国の都合」であり、正義もへったくれもあったものではないというのが実態だ。その点、関西人はあらゆるジャンルにおいて特許や著作権などを持ち出して他人のモノマネ行為を「パクリだ」などと言って非難したりはしない点で非常にわかりやすい。モノマネを「ギャグ」「ジョーク」「パロディ」として高く評価し、それを大いに笑い楽しむのが関西人のバイタリティなのだ。
とはいえ勿論、今後はそうもいっていられないだろう。特許や著作権の遵守は今や先進国だけでなく中国の様な途上国にまで強要され始めているのだから。事実、パロディを「権利の侵害」と訴えられるケースは大阪においても着実に増えている。これを「世地辛い世の中になった」と嘆くか「権利意識が向上している証拠」と礼賛するかは人それぞれだろう。
それはさておき、ジャンはどちらかに決めなくてはならない。果たしてジャンは「ホンモノを選んだ」であろうか?
昼間から焼き鳥を食うなど、およそ大阪にいるからこその芸当。ジャンは店で焼き鳥を美味しく召し上がっていた。
すると、ナイフを持った一人の男が店に入ってきた。
「焼き鳥食ってえ、死んでやるう!」
何だ、この男は?しょうがない。ジャンは男のナイフを取り上げると、男を店の従業員に任せた。
どうやらこの男、彼女に振られて自暴自棄にでもなったらしい。従業員に抑えられながら「あの女あ、いつかあ、睨んでやるう!」と盛んに喚いていた。
せっかくの焼き鳥が美味しくなくなっちまった。ジャンは会計を済ませ、さっさと店を出た。
暫く歩いていると、またも、とんでもない光景に出くわした。何と暴走車が歩道を走ってくるではないか。それも、歩道を歩いている人を次から次と跳ね飛ばしながら。
ジャンは小さな女の子を助けた。路上を転がるジャン。車はそのままどこかへと走り去って行った。
付近一帯は大パニック。ジャンは女の子を離すと救急車の音が近づいてくるのを見計らって、その場を離れた。
「きゃあ」
その場を離れたばかりだというのに、今度は女性のバッグをひったくって逃げる覆面男。ジャンは蹴りを一撃喰らわして、覆面男を気絶させた。
わずかな時間の間に事件が三つ。
「一体全体、どうなっているんだ?この街は」
市民の間で日頃使われている用語は「世論の表れ」だ。維新という言葉が日常的に使われているこの時代の大阪は、まさに「幕末の京都」と同じで、完全なる無法地帯と化していたのである。
その場も離れ、ジャンは取り敢えず大阪城方面に向かって歩き出した。
前から歩いてくる男がジャンの肩にぶつかった。明らかに相手の方からぶつかってきたにもかかわらず、相手の男はジャンに難癖をつけてきた。
「オラオラ兄ちゃん、どこ見てあるいとんのや?」
そして、ジャンに対し「落とし前をつけろや」と言ってきた。早い話が「カネを出せ」ということ。ジャンは男と一緒に路地裏に赴いた。男はあっという間に、ジャンによって倒された。ああ、何と不運な男。
だが、この男の不運は、さらに続く。
気絶する男のポケットの中からスマホのベルが鳴る音がした。ジャンは男になり済まして電話に出た。
「おお、石灰の用意はできたか?今夜、予定通り、ノックアウトと交換だ」
石灰?麻薬の隠語だ。ノックアウトもまた隠語で「KO」イコール慶応で福沢諭吉すなわち「お札」を意味する。ジャンは「わかった」と言ってスマホを切った。
「この男、ミュール(麻薬の運び屋)だ」
ジャンは早くも自分が大きな事件に巻き込まれてしまったことを悟った。
男を叩き起こし、すべての情報を聞き出したジャンはミュールになり済まして相手と接触することにした。
駐車場に止めてある黒塗りのメルセデスベンツSクラスのトランクを開けると、中にはアタッシュケースが一つあった。その蓋を開ければ、案の定、白い粉が入った袋。ジャンは中身を舐めた。
「これは、コカインだ」
ミュールの死体をトランクに押し込み、ボンネットを閉めたジャンは早速、運転席に乗り込んだ。
最新型のSクラスは運転席の前にメーターがなく、液晶パネルになっていた。エンジンをかける。液晶パネルに疑似メーターが表示された。そして、その隣の液晶パネルにはナビゲーションの地図が表示された。ミュールは既に相手との取引場所を入力していたらしい。
「これはありがたい」
相手との取引場所は大阪府の隣、奈良県にある大型アトラクションの廃墟だった。そこは、奈良市街から北に僅か2kmの場所にあった。
まちの景観を重んじ「日本一建築基準の厳しい」はずの奈良県の、それも中心部からほんの僅かの距離しか離れていない土地に、このような大型アトラクションが建設されていたことも驚きだが、それが潰れた今も廃墟としてそのまま放置されているのも、これまた驚きだ。
「これが本音と建て前を巧みに使い分けるニッポンという国の現実か」
深夜23時。
取引相手がやってきた。雁首並べてくるかと思っていたが、相手もひとり。ちょうどいい。捕まえて白状させてやる。
ジャンは幻覚で相手の目を眩しい光で包んだ。
「なにっ、効かない?」
相手は眩しがる仕草を一切、見せなかった。ということは「相当の手練れ」ということか。ジャンはカポエラの構えをした。
「何で、お前がバイヤー(密売人、ミュールと同義)やってんだ?エース」
相手がジャンに向かって、そう言った。この声?えっ、まさか。
「久しぶり」
取引相手は何とチェリーだった。
「チェリー、何でお前が?」
「それは、こっちのセリフだ」
ジャンは自分がバイヤーを倒して、バイヤーのふりをしてここに来たことを話した。チェリーは首を横に振った。
「俺は取引相手になり済まして、バイヤーから麻薬ルートを聞き出す予定だった」
「えっ、てことは、俺が作戦を潰したってこと?」
その通り。全く余計なことをしてくれたものだ。
「まあ、起こったことはしょうがない。来るか?俺が今いる場所に」
ジャンはチェリーについていった。
ここから先は車の中での会話。
「生きていたのなら、なぜ連絡をしなかった」
「自分を助けてくれた人との約束だったんだ」
「助けてくれた人?」
「ああ、警視庁の先輩だよ。向こうでも『アキバの昔のアジトが怪しい』と睨んでいたらしく、メンバーを送り込んできた。そこで、俺が捕まっていたのを見つけて、助けてくれたというわけ」
「成程。だから、うちらが来た時には蛻の殻だったんだな」
「そして先輩は警視庁メンバーの教育係になるよう、俺に要求した。大学時代からの先輩だし、助けられた手前、断れなかった」
成程、警視庁の捜査の質が向上した理由はこれか。
「で、一通り教育が終わったところで、今度は関西に行くよう命令された。大規模な麻薬の取引が行われているという情報を警視庁が掴んだからだ。そして、漸くバイヤーとの電話での接触に成功。今日、会う予定になっていた」
「それを、俺が台無しにしたってことか」
「まあ、しょうがない。こうしてバイヤーの車だけでも手に入ったんだから、それで良しと思う以外にはないな」
「そういやあ、『トレッキングポールの男が大阪の麻薬組織を率いている』みたいな記事が闇サイトに載っていたが、お前のことか?」
「知らん」
「本当か?」
「本当に知らん。俺はまだ麻薬組織との接触を試みている段階で、麻薬組織の実態を知らない」
「じゃあ、お前以外の『トレッキングポール使い』が大阪にいるってことか」
「面白そうな話だな。そいつが麻薬組織を率いているのなら、いずれは出会うだろう」
車は大阪に入った。チェリーは市街の一角の地下駐車場に車を停めた。地下駐車場の中を歩くと、正面には鉄扉。このムード。明らかに、この先にあるのは「秘密基地」だ。
「秘密基地?」
「まあ、中に入れよ」
ジャンは扉の中へと入った。
配管が入り乱れる地下室の一角に秘密基地の施設はあった。
「ようこそ、コックローチ関西支部へ」
「なぬ?」
「そういうことだ。ここは警視庁には内緒で造った。メンバーはまだいない」
チェリーは外出の準備をした。
「ということで、ゆっくりしていってくれ。俺は大阪府警に顔を出さんといかん。今日の作戦の失敗を報告しないとな」
チェリーは出ていった。ひとり残されたジャンは辺りを物色した。取り敢えずコーヒーくらいは入れられそうだ。
1時間ほどでチェリーは戻ってきた。だがその時、既にジャンの姿はなかった。テーブルの上には次のような文面の紙が置いてあった。
「ホテルに泊まる」
まあ、当然の判断だなとチェリーも思った。この秘密基地、実のところ、ホテルの地下にあるのだ。
翌朝、ジャンとチェリーの二人は大阪でも特に食い道楽で有名な繁華街の一角で朝食を摂った。
「で、何でコーヒーショップなんだよ?」
「しょうがないだろう?朝から食事処が開いているわけないじゃないか」
二人は早朝から開いている数少ない店の一つであるコーヒーショップにいた。
「で、何かわかったのか?」
「いや、まだ。大阪府警は徹夜仕事だぜ。バイヤーのスマホの解析に夢中になっていたよ」
「なにが出てくるやら」
「顧客情報が『てんこ盛り』ってところだろうな。芸能人やら、スポーツ選手やら、いっぱい出てくるんだろうな」
それは後日の「お話」。
ホットドッグを頬張りながらチェリーが話を続ける。
「それどころか噂じゃ、ここ大阪では暴力団から政治家や政党へもカネが大量に流れているらしいぜ。企業献金が厳しくなった関係でさ」
ジャンは開いた口が塞がらない。
チェリーは話題を変えた。話があっちこっちに飛ぶのはチェリーの癖でもある。ジャンは既に慣れっこになっているけれども。
「おっと、何か、かかってきた」
チェリーはポケットからガラケーを取り出した。チェリーは今でも「ガラケー派」だ。
「もしもし」
電話を切ったチェリーが笑顔でジャンを見つめた。
「喜べ。あのバイヤーのアジトがわかったそうだ。既に捜索しているらしい。行くか?」
「勿論」
「お前は俺が雇った『大阪の情報屋』ということになっているから、そのつもりで振る舞えな」
「情報屋?」
「そりゃそうだ。『コックローチ1番隊組長』なんて言えるかよ」
バイヤーのアジトは大阪でも有名な高級住宅街の一角にあった。
300坪はあろうかと思われる白壁の大豪邸。そして庭中に監視カメラ。ざっと見ただけでも10台は下らない。
警察による捜索は、あらかた済んでいた。表に停まっているパトカーは1台だけ。
「こんなに沢山の監視カメラをつけるくらいなら、はじめっから大豪邸なんか建てなきゃいいのに」
「押し込み強盗は怖い。でも、自分の金持ちぶりを周囲に自慢しないではいられない。器の小さい人間の『虚栄心』の見本のようなものだな」
二人は中へと入った。中もまた人間の愚かな虚栄心を露骨に反映するものだった。30畳ほどのリビングルーム。壁には著名画家の絵画や浮世絵版画がいくつも掛けられ、リビングボードの上にはフランス・アールデコ時代のガラス製品が、これまたいくつも並べられていた。
「まるで、貴族の館みたいだな」
「全部偽物だ」
「えっ?」
チェリーの言葉に驚くジャン。チェリーは美術に対する造詣が深い。チェリーがそういうのならば、そうなのだろう。
「そうなのか?」
「ああ、全部偽物。ニッポン人の美術鑑賞は大概、審美眼による鑑賞ではなく『知識による鑑定』にすぎない。だから技法的にそっくりな偽物にはすぐに騙される。テレビで『お宝鑑定』なんてものが流行る所以だ。モノを見る眼もないくせに一流のモノを欲しがる。ニッポン人の悪い癖さ。ようするに『身の程を弁えない』んだな」
相変わらずチェリーは厳しいな。
「おや?本物が一つだけ混じっているぞ。『万緑叢中紅一点』ってやつだな。こりゃあ凄い」
「本物?どれだ」
チェリーはP10号サイズの油彩画を指差した。まるで月面世界を思わせるごつごつとした岩場の絵である。
「何の絵だ?風景画のようだが」
「『珍柿』いう画家が描いた富士山の山頂だ。左の赤い山が剣ヶ峰で、右の黒いのが大内院と呼ばれる噴火口だ」
続いてチェリーがジャンに次のように言った。
「せっかくだ。貰って行こう」
「おい、それって泥棒か?」
「人聞き悪いな。『戦利品』だよ。ここに置いといたって、しょうがないだろう」
そう言いながらチェリーが壁から絵を取り外した。P10号だから脇に抱えられる。
「秘密基地の壁に飾ろう」
そう言いながら、平然と表の車へと戻った。そして結局のところ、ここでの収穫は、この絵だけだった。
その日の夜には大阪府警の手によってスマホの内容がすべて解析された。案の定、有名芸能人やスポーツ選手の名前がズラッと出てきた。
「それはひとまず置いといてだ」
今、重要なのは、このバイヤーが麻薬を「どこから仕入れていた」かだ。
「通話記録によれば、相手はどうやら古田組らしい」
古田組は大阪の地元暴力団である。
「じゃあ、直ちに捜索すれば?」
「無論、そのつもりだろう」
実にあっけない「事件の解決」であった。
翌日、古田組の関係場所を大阪府警が一斉に踏み込んだ。その一箇所から大量の麻薬が押収されたのである。
※
「もう、終わりか」
秘密基地でチェリーは自ら入れたカフェラテを飲みながら、そう言った。
「戻るんだろう?チェリー」
ジャンはチェリーに「東京に戻る」ことを勧めた。警視庁との約束は1年だったし、事件も解決したから、チェリーは義務を完全に果たしていた。
だが、チェリーは拒んだ。
「なぜ?」
理由について、チェリーは次のように言った。
「『気持ちの整理』が、まだついていない。俺はまだ待子様のことを・・・」
こう言われてしまうと、ジャンにはもう何も言えない。
「お前と待子様がイチャつくところを心から笑顔で見られるようになったら、戻るよ」
チェリーはテレビのスイッチを入れた。
「なに!?」
テレビでは緊急ニュースが流れていた。
「今から一時間ほど前、大阪府警本部が襲撃を受けました。警官側に多数の死者が出ている模様です。どうやら、警察が押収した麻薬を取り戻すために綿密に計画された犯行のようです。犯人らは現在、逃走中とのことです」
唖然とするチェリーとジャン。
「ここまで、やるかよ」
「警察も随分と舐められたもんだな」
事件は再び「振り出しに戻った」らしい。
「こんな真似、古田組にできることじゃない」
「ああ、背後にもっと大きな組織があることは間違いない」
「実のところ、気にはなっていたんだ。前にお前、言ってたろう?『トレッキングポールの男』って。そいつの正体が依然として不明なのが引っ掛かってはいたんだ。そいつを見つけて、やっつけなければ事件の解決にはならないに違いない」
「ぎゃあ」
「ぐわあ」
大阪府警本部を襲撃した連中のひとりにトレッキングポールを自在に操る男がいた。そして、その男がトレッキングポールをピュッと振るたびに、トレッキングポールが直接体に当たっていないにもかかわらず警官が一人、また一人と絶叫した。
「おい、早く物(ぶつ)を探せ」
やがて部下が大量の麻薬が入った箱をいくつも抱えてきた。
「よし、行くぞ」
襲撃団は麻薬を奪うと、いずこともなく去っていった。
ジャンとチェリー。
「これからどうする?」
「関西で今、最も大きな勢力を誇る暴力団といえば?」
「しらねえよ」
「京都の須藤会だよ。たぶん、奴らはそこと接触するだろう。あまりにも大量の麻薬だったからな。あれだけの量を一度に吐けるのは大きな暴力団に限られる」
「京都決戦か」
「いいんじゃないの?幕末の新撰組みたいに暴れまくろうぜ」
こちらは襲撃団。
「やっと取り戻したな」
「ええ、お頭(かしら)」
「これで、予定通りに取引ができる」
「古田組は、どうしやす?」
「もう必要ない」
トレッキングポールの男は、にべもなく、そう言いきった。
「もともと古田組と接触したのは、関西最大の勢力を誇る須藤会とコンタクトが取りたかったからだ。そして既に須藤会とはパイプができた」
「では」
「ああ、これからは我々で直接、須藤会と取引を行う」
「いつ、須藤会とは会いますので?」
「三日後。そう、三日後だ」
「わかりやした」
トレッキングポールの男はワイングラスを片手に、大阪市内のホテルの高層階から夕日の沈む大阪湾を眺めていた。あれほどの事件を引き起こしながら、堂々と大阪に留まっているとは、何という大胆さだろう!
※
大阪府警本部襲撃事件が発生した夜には、ジャンとチェリーは既に京都府内に入っていた。
そして翌朝。
「今日は車の中でコンビニ弁当か」
「そう言うなよ。ついでに『八つ橋』も買っといたからさ」
「俺、苦手なんだよ」
「信じられねえ奴!こんな美味い物を」
「薄荷が、ちょっとな」
「それがいいんじゃねえか」
チェリーは弁当を食べ終えるとバリバリと八つ橋を食べ始めた。
「で、これから先は須藤会の監視か」
「これ使おうか?」
「発信機」
「一番高級そうな車につけよう」
「どうやって?」
「こういった類いは、どうせ毎朝洗車するに決まっている。その時を狙おう」
その後、実際、チェリーはいとも簡単に発信機を取り付けることができた。
「あとは、動くのを待つだけ」
そして須藤会は、その2日後の夜に動いた。
「発信機はどこで止まった?」
運転席のチェリーがジャンに尋ねる。助手席でタブレットを操作するジャンが絶句した。
「なんだよ?なに黙ってんだよ」
「これって嘘だろ?」
「嘘って何だよ?」
「連中の今いる場所、『銅閣寺』って書いてあるぜ」
「あっそう、銅閣寺ね」
「知っているのか?」
「ああ、三十三間堂の近くだ」
「まじ?」
「金閣寺、銀閣寺、そして銅閣寺」
「ほんとかよ?」
「ああ、ほんと。どこぞの大金持ちがシャレで造ったんだよ」
「そういうことか」
現代ニッポンには「呆れるような事実」が沢山、存在するのだ。
二人は銅閣寺の敷地内に侵入した。
「わくわくするな。二人だけの仕事なんて久しぶりだからな」
「ああ、そうだな」
「トレッキングポールの男は俺がやる。『元祖の実力』ってやつを見せつけてやる」
「じゃあ、俺は須藤会の方を相手にしよう」
役割は決まった。
取引は既に終了していた。須藤会の方は麻薬を持って銅閣寺の外に停めてある車に向かい、トレッキングポールの男が率いる闇の組織「土竜(どりゅう)」はカネを持って銅閣寺の境内を歩いていた。
「誰だ?」
須藤会のベントレー・ミュルザンヌの前にジャンが立っていた。
「うわあ、目が、目があ」
強烈な光を放つジャンの幻覚によって、ボスをはじめ、部下の多くが視力を完全に奪われた。
だが、一人だけ、幻覚にかからない男がいた。ボスのボディガードを務めるその男は須藤会のメンバーではなく、カネで須藤会に雇われている、いわば「傭兵」を生業とするプロの殺し屋だった。
「俺の名は飛鳥。俺と戦う以上、お前の命は、もうない」
飛鳥。知っている。闇の世界では超がつくほど有名な一匹狼の殺し屋だ。ジャンは久方ぶりの強敵に舌を一回ペロッと出した。
「なに?」
ジャンの目の前の風景が突然、漆黒の闇に変わった。何も見えない。ジャンはこの時、敵の正体に気がついた。
「こいつも俺と同じ、幻覚使いか!」
同じ頃、チェリーは土竜と戦っていた。銅閣寺の境内に一人また一人と土竜のメンバーが倒れる。一対多数はチェリー程の達人になれば、むしろ都合が良かった。目の前のひとりを突けば、その後ろにいる敵も同時に吹っ飛んだし、敵の顔を右から殴れば、左の敵も同時に倒れてくれるからだ。
ただ唯一気がかりなのは、敵のお頭、すなわちトレッキングポールの男が、こうした状況を知りながら味方を引かせないことだった。
(あいつ、俺の太刀筋を見定めているのか・・・)
チェリーは、お頭の不気味な視線を感じながら、敵のメンバーを倒していった。
チェリーは、お頭以外の土竜をすべて倒した。30人もいただろうか?さすがに体力的には厳しいものがあった。チェリーの息はあがっていた。
「はあはあはあ」
「大分、お疲れのようだな?」
「・・・・・・」
「卑怯などとは言うなよ?」
お頭がチェリーめがけて攻撃を仕掛けてきた。
「はあっ!」
お頭はトレッキングポールを水平に振った。チェリーはすんでのところで後ろに下がり、それを躱した。
しかし、チェリーは自分の左腕に痛みを感じた。なぜ?躱したはずなのに?
「こ、これは?」
チェリーは自分の左腕をちらっと見た。痛みを感じる部分が赤く爛れていた。
「ふふふふふ」
不敵に笑う、お頭。
「そりゃあ!」
お頭は、今度は袈裟切りにトレッキングポールを振った。
その時、チェリーの眼は、はっきりと捉えた。お頭のトレッキングポールの先端から液体が飛び出すのを。どうやら遠心分離の原理でトレッキングポールの中に仕込まれた液体が飛び出す仕掛けらしい。
チェリーは先程よりも大きく後方へジャンプした。液体はチェリーの前方に落下した。
「硫酸だよ」
成程、だから左腕の皮膚が爛れたのか。
だが、これでわかった。こいつ、大した奴じゃない。しょせん「偽物」。
チェリーのプライドの炎がメラメラと大きく燃え始めた。
視覚を完全に失ったジャンを前に飛鳥が余裕の表情を見せる。
「お前の視覚は完全に奪われた。もはや俺の姿を捉えることはできまい?」
油断した。まさか相手も自分と同じ幻覚使いとは!自分は光で視覚を奪うが、こいつは闇で視覚を奪う。ジャンは後悔することしきりだ。
「これで、さらばだ」
飛鳥は両拳をぎゅっと握りしめてから、ジャンに向かって構えた。このポーズはボクシング?
その時、飛鳥の背中に弓矢が突き刺さった。
「くっ、新手か!」
よろける飛鳥。その飛鳥の腹部に矢とは別の方角から日本刀が突き出された。
「俺も油断したわ」
飛鳥は、その場に倒れた。そして、それとともにジャンの視力が回復した。
「オンベシ、それにノーイチ」
「危なかったですね、先輩」
「おまえら」
「俺たちも役に立つでしょう?」
ジャンは素直に「ああ」と返事を返した。
チェリーは薬品使いの雑魚相手に思いのほか苦戦していた。お頭はチェリーとの距離を保って攻撃していた。チェリーとすれば接近戦に持って行きたいのだが、それができずにいた。
「こんな奴相手に苦労するとは」
チェリーはとうとう、壁際に追い詰められてしまった。
「さあ、全身丸焼けになるがいい」
お頭がトレッキングポールを振った。硫酸がチェリーを襲う。
だが、硫酸はチェリーに当たらなかった。硫酸はチェリーの眼前ではじかれ、土壌に落下した。
「ばかな」
お頭は再びトレッキングポールを振った。だがやはり、硫酸はチェリーの眼前ではじかれた。
「なぜだ、なぜ当たらない。バリアーじゃあるまいし」
チェリーにとってもこれは不思議だった。そのときチェリーは思った。これって、まさか。
「だ、誰だ?」
お頭は自分の背後に人の気配を感じた。お頭が振り向くと、そこには幼子を抱えた着物姿の女性が立っていた。
「くそっ」
お頭がトレッキングポールを女性に向けて振り上げる。
「ぐわっ」
お頭の悲鳴。女性はまず一発、お頭に拳銃を発射した。
「ぐわ、ぐわ、ぐわっ」
そして、その後は体に三連発。
お頭は口から血を吐いてその場に倒れた。そしてそのまま二度と起き上ることはなかった。
「量子ちゃん。それに・・・局長」
量子はしきりにチェリーに抱かれようと、チェリーに手を差し出した。チェリーはそんな量子を待子から受け取った。
チェリーに甘える量子。1年ぶりの再会。「私、大きくなったでしょう?」と言いたいのだろうか?
「チェリー、迎えに来たわ」
「局長」
チェリーと待子は互いを見つめあった。
事件は、これで本当に解決した。で、ここは大阪のアジト。
「東京へ戻りなさい、チェリー」
チェリーは固辞する。待子が本気で怒った。
「あなた以外に誰が量子の面倒を見るのですか!」
おいおい、俺は「量子のお守り役」か?
「いいですね、これは命令です」
せっかく作った大阪のアジト。まあ仕方がないか。新メンバーも一人もいないし。
こうして、チェリーは再び東京へと戻ることになった。
ところで、バイヤーの豪邸でくすねてきた山の絵だが、結局、渋谷のアジトのリビングに飾られることになった。
「これって、何の絵なのでござるか?」
「チェリーの話だと『富士山の山頂』だそうだ」
「富士山、登ったことある人?」
誰も手が挙がらない。それでもお前ら、ニッポン人か!
「今度さあ、みんなで富士山登ろうぜ。本当に、この絵の通りかどうか確かめよう」
ひとときの平和を楽しむコックローチの面々であった。
5
「これが移動基地か」
「凄いでござるな」
「フン、なかなかいいじゃないか」
ダッチャン待望のコックローチ移動基地が遂に稼働可能状態になった。
通信担当のダッチャンは任務遂行時には常に渋谷の地下秘密基地に留まらざるを得ない。そのことに不満を抱いていたダッチャンにとって、この移動基地は文字通り「待望の装備」であった。これで事件発生現場に自分も出動できる。そう思うと、もう、わくわくしないではいられなかった。
移動基地の概要を説明すると、基本は8トントラック。アルミコールゲートの荷台の中に最新鋭の通信機器をはじめ、武器格納庫、リビングルーム、二段ベッドなどを配する。
「さあ、早く事件が起きないかな?」
ダッチャンは事件が待ち遠しい。
※
医療関係の精密機器の生産全国日本一を誇る栃木県。その栃木県内でも最新鋭の設備を誇る研究所内で大虐殺事件が発生した。
「ぎゃあ」
「ぐわあ」
白衣に身を包んだ研究員が次から次へと殺されていく。結局、最終的には研究所の職員総勢80名全員が虐殺された。
研究所で虐殺事件が発生していることを首相官邸経由で知らされた警視庁は急遽、輸送ヘリをもって特殊部隊のメンバー総勢20名を現地へと送り込んだ。地元の警察ではなく警視庁の特殊部隊が出動した、それもメンバー全員、しかも輸送ヘリを利用したということは、それだけ事態が逼迫していたことを意味する。そして首相官邸経由ということから、この研究所の特殊性・重要性が認識できる。それは「特定機密保護法」に基づいて保護された「秘密の研究」が行われている研究所ということだ。
「奴を見つけたか?」
「こちら1階。発見できません」
「こちら2階。発見できません」
「こちら3階。発見できません」
「こちら4階。発見できません」
「こちら地下1階。発見で・・・ぎゃあ」
「やつは地下1階にいる。全員、地下1階に集合せよ」
特殊部隊のメンバー全員が地下1階へと集結した。地下1階に最初に向かっていたメンバー4人は既にやつによって処刑されていた。
「いたぞ、撃て」
メンバーが次々と拳銃を撃つ。だが当たらない。奴はこちらの攻撃を嘲笑うかのように素早く動く。その動き、まるでプロボクサーのパンチを平気で避ける猿のようだ。
「拳銃ではダメだ。自動小銃を使え」
連射可能な自動小銃をもって奴を迎え撃つ。すると奴はそれを察知、素早く隠れる。知能もそれなりに高い。
メンバーは自動小銃を構え続ける。横から出てくれば直ちに撃つまで。
だが出てこない。じらしているのか?
やがて、奴が出てきた。廊下の天井を突き破って真上から。奴は屋根裏のパイプスペースを音も立てずに移動していたのだ。
奴の下敷きになって圧死するメンバー数人。そして、奴の手刀によって胸や腹を貫かれて死ぬメンバー数人。
「だ、だめだ」
メンバーは退却を開始した。奴を倒すには「作戦の練り直し」が必要だ。
だが、それはもはや不可能であった。退却中にもメンバーが次から次と倒されていく。
「う、うわあああああ!」
そして部隊を率いる隊長もまた、最後の犠牲者として鬼籍に入った。一日にして100名にも上る被害者が出た。
その日の夜。
チェリーのガラケーが鳴った。
「もしもし、先輩。どうしたのです?」
電話の相手は学生時代の先輩。現在、潜入捜査や暗殺といった一般人には知られてはならない特殊任務を担当する部署を管轄する警視監からだった。理由は不明だが、チェリーの先輩は出世が速い。そんな彼のニックネームは「K」。
「頼む。助けてくれ」
「何があったのです?」
「とりあえず、来てくれ。できればそっちのリーダーも一緒に」
「来てくれって、まさか俺たちを捕まえる気じゃないでしょうね?」
「そうじゃない。ニッポンが潰れかねない大事件が発生したんだ」
どうやら誇張ではないようだ。チェリーは待子にこの話を持って行った。
「いいでしょう。お会いしましょう」
待子とチェリー、そしてジャンの3人で会いに行くことにした。夜に会いたいと言ってくるのだから事は急を要するのに違いない。
警視庁。
「ま、まさか?」
特殊部隊の精鋭20名が全員虐殺された事実を聞かされたチェリーは思わずそのように叫んだ。20名のメンバーはチェリー自身が鍛え上げた精鋭中の精鋭であったからだ。
「その、まさかだ」
「そんなバカな」
その後、Kは事の次第について説明した。内容は栃木県内にある研究所で開発された人型ロボットが次々と研究員を虐殺、そのロボットを仕留めるべく送り込んだ特殊部隊のメンバー全員が返り討ちにあったという話だった。
「人型ロボット?」
「ああ、開発コード名は『ロング・レッグ』という」
「我々としては何とも嫌な名前だな」
ロング・レッグとは足高蜘蛛のこと。コックローチ=蜚蠊にとっては天敵である。
「何だって、そんなものを造ったんだ?」
そこは、本来は「義手・義足」などの開発を行う研究所で、その延長線上として人型ロボットを開発していたという。
「でもよ、人を殺戮できるほど高性能なものを作る必要なんてあるのか?」
「私に言われても困る」
その後、Kはこの人型ロボットの開発が首相官邸の主導のもとに秘密裏に行われていたことを語った。
「今年のロボット万博で、お披露目する予定だったみたいだ。『ニッポンのロボット工学は世界最高だ』と自慢するために」
「ようするに『ロボット技術大国・ニッポン』を世界に誇示するためってわけね」
すべては首相が最大一と考える「お国の名誉」のため!それで沢山の人々が殺されていたんじゃ、たまったもんじゃない。思えば、明治以後のニッポンは、ずっとこんな調子である。お国の名誉、お国の名誉。何かにつけて、お国の名誉!
「要するにロボット本人はそれを『拒否した』ってことだな」
「冗談を言っている場合じゃない」
「で、私たちに、どうしろと?」
「君らで、このロボットを破壊してもらいたい」
待子、ジャン、チェリーの三人はびっくりだ。今までロボットと戦ったことなどない。勿論、自分たちはロボット技術者でもない。
「頼む」
Kが深々と頭を下げる。本来は総理大臣が自ら出向いて行うべきものだ。それが無理なら、せめて警察庁長官か警視総監だろう。どうやら彼らは自分たちの責任から「逃げた」ようだ。
これだからニッポンの政治家や官僚という奴は・・・。
「君たちしか、もういないのだ」
「自衛隊に頼んで、ぶっとばしてもらえば?」
「そんなことをすれば事件が公になってしまう」
「人が100人も死んでいるのに、隠す気なの?」
「首相官邸では、そう考えている」
まあ、呆れた!言葉も出ない。
「さすが、自国にとって都合の悪い歴史は何でも隠したがる日本政府ね」
「だから、君たちに頼んでいる」
待子の喉から「お断りします」という言葉が出かかった。
「わかったよ、やりゃあいいんでしょう?先輩」
「チェリー!」
「局長。私だって気乗りはしませんけど、ほっとくわけにもいかないでしょう?エースはどう思う」
ジャンは深いため息をひとつした。
「お前は、かつて自分が教育した20人の弔い合戦がしたいんだろう?」
ジャンに図星を突かれた。チェリーは戸惑った。
「わかりました」
待子が決定する。
「コックローチで、どうにかしましょう」
コックローチ総勢10名を乗せて、秘密基地が東北自動車道を北上する。渋谷出発は早朝。到着予定時刻は正午だ。
トラックを運転しているのはチェリー。残りのメンバーは荷台の中のリビングで作戦会議を行っていた。
「研究所を現在、監視する警視からの報告では、ロング・レッグは研究所からは出ていない模様です。というか、研究所の外に出られない理由があるのです」
「といいますと?」
「ロング・レッグは電気で動きます。つまり充電の必要があるのです。そしてそれは、専用の椅子に座ることによって行われるようになっています」
ロング・レッグの椅子には三つの金属棒があり、ロング・レッグのお尻には三つの穴がある。これらは丁度コンセントとソケットの関係に当たる。それぞれ「プラス・マイナス・アース」。
「バランス回路かよ。随分と高性能じゃねえか」
「お尻に三つの穴ってことは、こいつは『女』だな」
その後、この発言をしたメンバーに、残りのメンバー全員が「変態!」と怒鳴った。
ジャンが話題を元に戻した。
「成程。ロング・レッグは、その椅子から、あまり遠くへは離れられないというわけですね」
「なら、研究所の電源をストップさせればいいじゃないですか?」
「それが、そうもいかないのです」
待子は、その理由を説明した。説明を聞いたメンバーたちは唖然とした。
「研究所内に超小型の原子炉とはね」
「それって、違法じゃないの?」
そうでもない。国立大学などには、こうした小型原子炉を保有するところもある。
待子が作戦の概要を説明した。
「ということで、今回の私たちの任務はロング・レッグの充電椅子を破壊することにあります」
「ロング・レッグ本体の破壊は?」
待子は首を横に振った。
「そうしたいのは山々ですけれど、それは非常に困難な任務と言えます」
その後、待子は警視庁の特殊部隊20名が返り討ちになった話をした。
「そんなに強いのかよ?そいつ」
「ですので、まともに戦うのは避けた方が無難でしょう」
「充電設備を破壊して、あとは電池切れを待つ、と」
「あんま、カッコいい作戦じゃあないな」
ここで待子は、いよいよ今回の作戦の核心部である「最大の難問」について説明に入った。
「今回の作戦の最大の問題は、この充電設備の場所が研究所のどこにあるのかわからないということです」
えっ?わからないの。
「そうです。何分にも原子炉ですから、その場所は最重要機密になっています。首相官邸も把握していないそうです」
「あーあ、最悪でござるな」
「そして万が一にも、捜索中に建物内でロング・レッグと遭遇した場合、はっきり申し上げますが、命の保証はありません」
「本当に最悪だな、こりゃあ」
「ロング・レッグの特徴は?」
動きが早い。体が頑丈。知能もある。
「首相曰く『ニッポンが世界に誇るロボット工学の最高峰』だそうです」
待子が皮肉交じりにそう言った。
「『ニッポンが世界に誇る殺人兵器の最高峰』だ」
ジャンも、なかなか言うようになった。
通信設備のスピーカーから運転席のチェリーの声が響く。
「今、利根川を渡って群馬に入った。あと5分ほど走ったら高速を降りる。ちょうど昼だから、下りたら昼飯にしよう。何か食いたいものあるか?」
ノーイチが開口一番に叫んだ。
「ここは、やっぱり『ラーメン』だよ。本場だからね」
チューザンが反論した。
「いや、本場というならば、やはりここは『耳うどん』でござろう」
かくして「ラーメンVS耳うどん」の争いが始まった。マイクを通じて、その争いを聞いているチェリーが怒鳴った。
「いい加減にしろ、お前ら!どっちでもいい。さっさと決めろ」
13時半。昼食を済ませたメンバーが移動基地に戻ってきた。結局、各自が自由に店を選んで昼食を摂った。ほとんどのメンバーは、ご当地麺や餃子、いもフライに舌鼓を打ったが、美食を好まないチェリーはコンビニ弁当。ブッシュに至っては菓子パンである。
「それじゃあ、行くか。昼間のうちに方をつけないと、夜になったら不利だ」
目的地は市街地から北へおよそ15kmの場所にあった。栃木県道16号線を北上すると、右手奥に4階建ての白いコンクリート造りの大きな建物が見えてきた。建物の周囲には有刺鉄線を備えたコンクリート製の高い壁。
移動基地を入り口付近の壁の傍に停止させる。鉄門の傍に車が一台。建物を監視する警視が乗る覆面車だ。
「門の鍵は開いています。奴はまだ中にいます」
門の脇には建物の大きさにしては実に控えめな小さい看板が掛けられていた。それが、この施設の「秘密性」を無言のうちに物語っていた。
「オナラウッド研究所?」
「オナラだって。ぷうっ、くさいくさい」
「いかにも怪しい名前だな」
「変なもの沢山、開発してそうだな」
「たとえば、どんな?」
「新型のコンドームとか」
「なかなか上手いジョークでござるよ」
「パッパ、パッパ」
メンバー8人が敷地内に入った。
建物を見上げる。研究所というよりは、まるで精神病院のような外観。全ての窓に鉄格子が嵌められている。
「奴も出られないが、俺たちも逃げられないな」
「嫌なこと言うなよ、ジャン」
「作戦は先程打ち合わせた通り。幸運を祈る」
いざ建物内へ。コックローチ見参!
「パッパ、パッパ」
「量子、俺はパパじゃないぞ」
「パッパ、パッパ」
「まったくう」
チェリーは量子を背負い、左手に刀を握りしめ、最上階の4階に向かって階段を駆け上がっていた。
「何で、俺が量子を背負っていくんですか?」
「チェリー、これは命令です」
「局長!」
「こうしておかないと、あなたはきっと自分の命を捨ててでもロング・レッグと刺し違えるでしょう」
「局長・・・」
これは待子とジャンで考えて決めたことであった。この闘いを「警視庁の特殊部隊メンバー20人の弔い合戦」と位置付けているチェリーを、もしもひとりで行かせたら、きっとチェリーはロング・レッグと戦ってしまう。そうなればチェリーは死ぬ。チェリーを断じて死なす訳にはいかないと。
「さて、4階に着いたぞ」
チェリーは充電椅子の探索を始めた。取り敢えずは虱潰しに扉の中に入るしかない。
建物は上から見ると、ちょうど中庭をぐるりと囲む「正五角形」をしていた。中庭側がすべて廊下で、外側が部屋。チェリーは時計回りに全ての部屋を見て回った。
「うっ」
そのうちのひと部屋は、とてもではないが量子を連れて入れるような部屋ではなかった。床や壁一面に血痕。そして多数の研究者の死体。
量子の顔に花粉用のマスクをつけ、自身は濡れたハンカチを口に当て、チェリーは部屋の中に入った。死体の傷を確認するためだ。ロング・レッグに関する情報があまりにも少ないことを思えば、これは当然の検視である。
「この傷は刃物ではない」
無論、ピストルなどの飛び道具でもない。チェリーは「手刀による突き」であると断定した。
「指先で突かれたら最期ということか」
その後もチェリーは部屋を捜索した。結局、最後の部屋にも充電椅子はなかった。
その時、廊下の方から悲鳴が聞こえてきた。
理由は明白。仲間がロング・レッグに襲われたのだ。チェリーは廊下に飛び出すと、下の階に向かって階段を駆け降りた。
チェリーが3階に着くと、2階を捜索していたブッシュが3階に上がってきているところに出くわした。
「悲鳴は上から聞こえてきました」
チェリーは4階から下りてきた。ということは、悲鳴の出所は3階だ。
「捜すぞ」
チェリーとブッシュは手前の部屋から順番に捜索した。そして4番目の部屋を覗いた時。
「ウジャ・・・チューザン・・・」
「こんなことが」
そこには、変わり果てたウジャとチューザンの姿があった。
ウジャとチューザンは3階の捜索を担当した。
「おい、あったか」
「ないでござるよ」
「じゃあ次だ」
ウジャとチューザンもまた虱潰しの捜索を行っていた。
そして二人は4番目の部屋に入った。まさにそのとき、ウジャとチューザンはロング・レッグと鉢合わせしてしまったのだった。
「こいつがロング・レッグか」
二人は目を瞠った。恐らく、研究所の職員の趣味だったのだろう。その姿は、およそロボットのそれではなく、欧米の若い女性そのもの。何てセクシー。そしてグラマー。見れば見るほど「いい女」。漆黒のロングヘアーが背中を流れる。
「油断してはならぬでござるよ」
「ああ、わかってるよ」
しゃがんでいたロング・レッグがすっくと立ち上がる。スタイルがセクシーなら、衣装もセクシー。メタリックレッドの超ミニのワンピース。細く括れた腰には無数の金のアクセサリー。ロング・レッグは後ろを振り向き二人を見た。胸の谷間がこれまたセクシー。
と、その瞬間。
「えっ?」
一瞬にしてウジャの脇を通り抜けたと思うと、ウジャは既に事切れていた。ウジャには反撃の機会も、悲鳴を上げる機会も与えられることはなかった。
「ああ、ウジャー!」
ウジャは額から血をツツーと流すと、その場にうつ伏せに倒れた。
チューザンは直ちに目をウジャからロング・レッグに移した。今はウジャの死を悲しんでいる暇はない。自分の命が危ない。チューザンは腰からヌンチャクを取り出した。
「ただではやられんでござるよ、ロング・レッグ」
チューザンはヌンチャクを振り始めた。それも中国カンフーの達人ならではの早業で。
「拙者とて、仮にもコックローチでござる」
妖艶な笑みを浮かべて、不敵に笑うロング・レッグ。
「行くでござる」
チューザンはヌンチャクを回しながらロング・レッグに向かって突進した。
「やあっ」
チューザンはヌンチャクをロング・レッグに向かって突き出した。
「何?」
ロング・レッグは高々とジャンプ。天井を踏み台にして、チューザンの首にクロスチョップを打ち込んだ。後ろに吹っ飛ぶチューザン。倒れたチューザンの体の上に足を大きく開いて仁王立ちするロング・レッグ。ロング・レッグは右手を高々と上げ、指を立てるや、右手をチューザンめがけて振り下ろす。
「はっ」
ヌンチャクでロング・レッグの右腕を挟みこむ。普通の人間であれば、このまま腕を締めあげれば激痛に耐えられないところだが、ロボットのロング・レッグには全く効果はなかった。
ロング・レッグの左手の手刀がチューザンの右肩に突き刺さった。
「うああああっ!」
激痛に、右手をヌンチャクから離すチューザン。すると今度は自由になったロング・レッグの右腕の手刀がチューザンの心臓を貫いた。
「あああ」
チューザンはその場に仰向けの状態で絶命した。
「うああああああ」
二人の死という現実に耐えかねて、ブッシュが号泣した。そんなブッシュにチェリーは次のように言った。
「任務を続けるぞ」
それはある意味、非情とも取れる言い方であった。しかし、今は仲間の死を悲しんでいる時ではないのだ。一刻も早く充電椅子を破壊して、ロング・レッグの息の根を止めなくてはならない。
「ええ」
ブッシュが涙を払う。
「ここから先の捜索は危険が伴うぞ。奴がまだ、この階にいるかもしれんからな」
「はい」
チェリーとブッシュはウジャとチューザンがやり残した3階の残りの部屋の捜索を開始した。
最も危険度が高く、かつ最も充電椅子のある可能性が高い地下1階。そこへはジャン、ノーイチ、オンベシの三人が向かっていた。連射式ボーガンを手にするノーイチを挟んで前をジャンが、後ろをオンベシが押さえ、万が一にもロング・レッグが襲撃してきた際に、ノーイチの攻撃を援護する体制が採られていた。
地下階とはいっても構造的には上の階と同じ。内側に廊下、外側に部屋。
「うっ」
ロング・レッグと特殊部隊との激戦地に到着した。20名の遺体が転がる。やはりチェリーには上の階に上ってもらって正解だった。こんなのを見た日には、チェリーはきっとロング・レッグと何が何でも闘おうとするだろう。
「気をつけろよ」
ゆっくりと、しかし確実に一部屋一部屋捜索をする三人。
しかしながら結局、この階のどこの部屋にも充電椅子は存在しなかった。
「絶対に、この階だと思ったんだがな」
だが、ないものはないのだ。
「取り敢えず、上がろう」
三人は収穫ゼロのまま1階へと上がった。上からは3階の調査を済ませたチェリーとブッシュが下りてきていた。
「ウジャとチューザンがやられた」
チェリーはジャンに、そう告げた。ジャンをはじめ全員の顔色が蒼ざめた。
「地下1階には何もなかったよ」
「残るは1階だな」
「二手に分かれて左右から見て行こう」
チェリーとブッシュは時計回りに、ジャンとノーイチ、オンベシの三人は反時計回りに部屋を捜索することにした。
ジャンたち三人が部屋を捜索していると、途中で中庭に出るドアを発見した。三人は中庭に出た。中庭も当然五角形。ジャンは空を見上げ、周囲を見回した。そしてその後、地面をじっと眺めた。
「やはり、充電設備は地下にある」
そう確信したジャンは再び地下1階へ向かうことに決めた。
「お前たち二人は中庭を捜索してくれ。もしかしたら換気用のダクトとか見つかるかもしれん」
そう言い残して、ジャンはひとりで地下1階へと戻った。
ジャンは地下1階の廊下を素早く走った。内側を入念に確認しながら。しかし、どこにも秘密の入口らしいものはなかった。
ジャンは再び、部屋の捜索を始めた。各部屋にある扉らしきものに注意しながら。
やがてジャンはロッカーだらけの部屋に到着した。ロッカーの大半は片側開きの幅の狭いものだった。しかし、ひとつだけ観音開きの幅の広いロッカーがあった。しかもそのロッカー、ちょうど外の壁に向かって設置されていた。ジャンはロッカーの扉を開いた。
「あった」
ロッカーの中に長く通路が延びていた。それは建物の外側に伸びる地下通路に他ならなかった。
50mほど進むと部屋に出た。そこには探していたもの、すなわち充電椅子と、それに電源を供給している超小型原子力発電装置があった。
「これは?」
そして他にも、医療用のベッドが三つ。しかもそのうちの二つには外国の女性が横たわっていた。
「これが、ロング・レッグ?」
二体のロング・レッグは、それぞれブロンドと、ダークブラウンの長い髪をしていた。この二体については完全に機能が停止している状態だった。
そして、残りのベッドだけが蛻の殻。
「こいつが動いたのか」
ジャンは発電装置の送電を停止、炉心棒を抜く作業をしたのち、充電椅子を粉々に破壊した。
「これでよし、今動いている奴はもう充電できない」
ノーイチとオンベシの二人は中庭の捜索をしていた。そこへロング・レッグが空から降ってきた。屋上から飛び降りてきたのだ。
オンベシとノーイチは素早くそれに気がつき、間一髪のところで避けた。二人は目を見張った。
「外国の女性?」
「これが、ロング・レッグか!」
ロング・レッグは最初にオンベシに向かってきた。オンベシは刀の刃を水平にして、ロング・レッグに向かって突いた。
「はあっ」
ロング・レッグは3mほど跳躍した。そのロング・レッグにノーイチが第一発目のボーガンを放った。ボーガンはロング・レッグの右背中に当たった。
「どうだ」
意気込むノーイチ。
「なにっ」
だが、ロング・レッグはびくともしていない。やがてロング・レッグは左手で肩に刺さったボーガンを抜いた。
「やはりロボットか」
ロング・レッグがノーイチの方を向いた。
「やあっ」
背中を無防備にオンベシの方に向けたロング・レッグの背中にオンベシは迷うことなく平突きをくらわした。
だが、刀はロング・レッグの体を貫通しなかった。
ロング・レッグの右の手刀による攻撃。刀は真っ二つに折れた。
「ば、ばけものだ」
オンベシに近づくロング・レッグ。今度はノーイチに背中を向ける。ノーイチもまた迷うことなくボーガンを連射した。ロング・レッグの背中に、いくつものボーガンが突き刺さった。
だが、ロング・レッグは平気だ。
刀を折られたオンベシ、矢をすべて使い果たしたノーイチ。もはや二人に「戦う手段」は残されていなかった。
「あっ、ロング・レッグ!」
1階を捜索中のブッシュが叫ぶ。ブッシュはロング・レッグがノーイチとオンベシを弄ぶ場面を廊下の窓から目撃した。
「どうした、ブッシュ」
捜索中の部屋からチェリーが出てきた。
「あれを、ノーイチとオンベシがやられています」
「くそう」
窓ガラスには鉄格子が嵌められている。だが、中庭に出るドアは付近にはない。チェリーは窓ガラスと窓ガラスの間のコンクリートの壁の前に立った。
「やあっ!」
チェリーは平突きでコンクリートの壁をぶち破った。
「いくぞ!」
チェリーは中庭に飛び出した。ブッシュもそれに続いた。
だが、二人が到着した時、既にノーイチ、オンベシの二人の命は尽き果てていた。そして、ロング・レッグは到着したチェリーとブッシュをあざ笑うかのように4階の壊れた窓から建物の中へと入っていった。
「逃がさねえ」
跳躍力には自信のあるブッシュが窓の段差を利用して跳躍、ロング・レッグと同じ4階の窓へと向かった。
「待て、ブッシュ。早まるな」
チェリーは1階の先程破壊した壁から建物内に入ると、階段を駆け上って4階を目指した。
(死ぬなよ、ブッシュ)
4階に駆け上がったチェリーの祈りは、しかしながら通じなかった。
「ブッシュ・・・」
4階の廊下には血塗れになったブッシュの遺体が横たわっていた。
「お待ちください。冷静になってください」
移動基地ではダッチャンが必死に待子を説得していた。だが待子は、もはや我慢できなかった。
「仲間が5人も殺されました。こんなところでじっとなどしておれません」
待子は愛銃の最終確認を済ませた。
待子の愛銃は「デトニクス9mmパラベラム」。普通、女性であれば反動の少ないデトニクス45なのだが、待子は「弾数が多い」という理由から9mmパラベラムを使用していた。マガジンに入っている弾は全部で12発。
待子の腕そのものに問題はない。だが、相手は能力未知数のロング・レッグ。全弾命中しても「倒せる」という保証はない。
待子は移動基地を出て、研究所内へと向かった。
通信機の向こうで、ダッチャンが絶叫していた。
「局長が、待子様が研究所の建物に入りました。『ロング・レッグを倒す』といって」
ジャンとチェリーが、それぞれの場所で顔面を蒼白にした。ジャンはこのとき地下1階、チェリーは地上4階にいた。
「待子」
「局長」
二人は手分けして待子を探した。建物の中を二人は必死に走り回った。
待子とロング・レッグは2階で闘っていた。待子が既に発射した11発の弾丸のうち6発が外れ、5発は当たっていた。しかし、ロング・レッグには全く効いてはいなかった。
残る弾はあと1発。
待子は「自分では勝てない」ことを悟った。
(なら、この1発だけは絶対に外せない)
ロング・レッグが待子に突撃してくる。待子は、ぎりぎりまで引き付けてから、ロング・レッグの左胸に発射した。
弾は当たった。それを見届けた待子は、その場で目を閉じた。
(さようなら、あなた、量子)
チェリーが2階に到着した。待子とロング・レッグとの闘いは既に終わっていた。チェリーは待子の亡骸を腕に抱えて歩いてくるジャンを見た。
「局長・・・」
ジャンが2階に到着した時、既に待子は床に倒れ、事切れていたのだった。
移動基地では待子の安否を気遣うダッチャンが一人であたふたとしていた。
その時、移動基地の扉が開いた。
「局長、戻られたのですね。よかった」
ダッチャンは喜び勇んで扉へと向かった。
だが、扉から入ってきたのはロング・レッグだった。
「あああ・・・」
ダッチャンの命もまた、燃え尽きようとしていた。
待子の亡骸を抱えて研究所の敷地を出たジャンとチェリーは門の入口で建物を見張っていた警視が血を流して路上に倒れているのを発見した。
「まさか」
二人は移動基地の中に入った。
「ああ、ダッチャン。お前まで」
ダッチャンもまた移動基地の中で帰らぬ人となっていた。
「おい、見ろよエース」
スクリーンに赤い光点がひとつ点滅していた。それは待子が命がけで放った最後の1発。ロング・レッグの左胸の発信機から得られた「ロング・レッグの現在位置」。そしてそれは・・・。
「ロング・レッグが外に出た」
事態はいよいよ、重大な局面を迎えようとしていた。
全てのメンバーの遺体を回収し終えたジャンとチェリーは今、武器格納庫の中にいる。
「量子をお前に返す。パパだろう?お前が背負え」
チェリーがジャンにそう告げる。当然だ。だが、ジャンはそれを固辞した。
「なぜ」
「俺には『待子の仇をとる』という重要な役目がある」
「それは俺がやるよ」
「冗談じゃねえよ。待子は俺の妻だ。待子の仇をとるのは待子に唯一愛された男である俺の権利だ」
チェリーは正直、この言葉を言われてムッときた。正直、ジャンの頬をぶっ飛ばしてやりたいと思った。でも、確かにその通りだった。
「だから、もしも俺が死んだら、そのときはチェリー。お前が娘に語ってくれ。パパやママのことを。パパは立派にママの仇を討ったということを」
まだ闘いは終わっていない。まだ泣いている時ではない。それにいくらジャンが死を覚悟しているからとて死ぬとは限らない。それはわかっているが、だが、それでもチェリーは涙を流さないではいられなかった。
「俺はこの子に、何もしてやれなかった。お世辞にも『立派なパパ』だったとは言えないだろう。だが、それでもこの子の幸せを心から祈っている。そして、そのために必要なのは俺じゃない。お前なんだ、チェリー」
「わかんねえ。わかんねえよ。何でそんな理屈になるんだよ」
「いずれわかるさ」
死期が近い人間には「未来が見える」という話は、どうやら本当らしい。
ジャンは火薬の詰まったザックを取り上げると、それを背負った。そして手には待子の愛銃。
「行こう。これが『コックローチ最後の闘い』だ」
「おい、なんだありゃあ?」
「どこの飲み屋のホステスだ?」
道行く人が振り返る。ロング・レッグは腰を振りながら県道9号線を南、すなわち市街地に向かって歩いていた。
外国のグラマーな女性が派手な衣装で歩いている。このような光景を目にした時、大概の人であれば道をあけるだろう。
だが、中には、そうでない連中もいる。
「おい、ねえちゃん。どこ行くんだよ」
「どうだい、今から俺たちと遊ばないか?」
見るからにチンピラ。ロング・レッグはニヤッと笑った。
「ぎゃあ」
「ぐええ」
二人のチンピラは瞬く間に殺害されてしまった。
移動基地。
運転席のチェリーが通信室のジャンに尋ねる。
「奴はどこにいる?」
モニターを見るジャンが答える。
「ああ・・・」
「どうした?エース」
「奴は既に市街地に入っている」
「何だと?」
速すぎる。あまりにも速すぎるロング・レッグの動きだ。
「くそう」
チェリーはトラック野郎の如く、移動基地を暴走させた。
県道16号線を南下する移動基地。やがて道が二股に分かれた場所にやってきた。左は県道9号線、右は県道270号線。どちらからでも市の中心地までの距離は変わらない。
ジャンが叫ぶ。
「スクリーンの軌跡では、奴は県道9号線を歩いて市街地に入っている」
「よし」
チェリーは県道270号線を選択した。「きっとこっちに近づいてくる」という読みだった。だが、この判断は裏目に出た。移動基地が県道270号線に侵入した直後、ロング・レッグは県道9号線方面に向かって逆走し出したのだ。
「あいつ、県道67号線を東に向かっている。俺たちとは正反対の方向へ逃げやがった」
「まじかよ」
8トントラック。Uターンなどできない。このまま突き進んで、市街地を通過するしかない。
両毛線の踏切を越えた。67号線と交差する大橋町の交差点に来た。ここを左折。あとは直線道を東に向かって全速力で突っ走るのみ。
だが、それは不可能だった。
県道67号線を1kmほど走り、駅入り口を通過した途端、交通渋滞に見舞われたのだ。
県道67号線。駅前を横切る「中央通り」とは言いながら、途中から片側一車線道路に変わるのだ。しかも、ロング・レッグの被害者を救助する救急車やパトカーなどが行く手を阻む。
「これじゃあ、動けない」
その間にも、ロング・レッグは県道67号線をどんどんと東へ移動していた。
ジャンが移動基地から降車した。
「俺が走って追いかける。お前は適当なところにトラックを停めてから、追ってこい」
「おい、エース」
ジャンは渋滞路を自分の足で走っていった。
「くそう、さっさと動きやがれ」
チェリーは運転席で地団駄を踏んだ。
ジャンはロング・レッグの動きをスマホで追跡した。
浅沼町の交差点を超え、富岡町の交差点を超え、東北自動車道の高架下をくぐり抜け、そこからさらに1km以上も走った先でジャンはロング・レッグに追いついた。
県道67号線の右手に広がる緩やかな山の裾野。入り口の看板には「万葉自然公園かたくりの里」と書かれていた。
「奴はこの中にいる」
ジャンは自然公園の中に入った。
いた。
ジャンは背中のザックからダイナマイトを1本取り出した。ザックはダイナマイトが取り出しやすいように右下の部分に穴が開けられており、ダイナマイトはそこから1本ずつ抜きとるようになっていた。
「行くぞ」
ジャンはロング・レッグに突撃を仕掛けた。ロング・レッグの手刀と、ジャンの足技による格闘戦が始まった。
「はあ」
ジャンの回転蹴りがロング・レッグの顔面にヒットする。だが効かない。
「そんなことはわかってるよ」
ジャンの攻撃は、あくまでもロング・レッグの動きを一時的に止めるためのもの。ジャンは手にするダイナマイトをロング・レッグの前に投げた。
「これでも喰らえ」
後方にジャンプしながら、ジャンは待子の銃をダイナマイトに向けて発射した。見事に命中。ロング・レッグの前でダイナマイトが爆発した。
ダイナマイトの爆発によって、ロング・レッグの着ている服がボロボロになった。だが、ロング・レッグ本体には、さほど被害は与えてはいないようだ。
その後もジャンは同様の攻撃をロング・レッグに繰り返した。そしてジャンは一つの結論に達した。
(単発攻撃ではロング・レッグを倒せない)
ロング・レッグを倒すにはザックのダイナマイトをまとめて一度に爆発させる必要がある。
ジャンは覚悟を決めた。
移動基地を邪魔にならない場所にどうにか停車させたチェリーはジャンの後を追って県道67号線を東に向かって走っていた。背中には当然、量子を背負って。
チェリーが東北自動車道の高架下をくぐり抜けた時、チェリーのガラケーが鳴った。
「もしもし、今、向かっている」
「チェリー、俺は一足先に待子のところへ行く。量子を頼む」
「もしもし、エース、おい、エース!」
電話が切れた。チェリーは急いだ。
自然公園の入口に到着した。そのとき、巨大な爆発音が中から響いてきた。自然公園にキノコ雲が上がる。
「エース・・・、エースー」
チェリーは自然公園の中に入った。
爆発の付近には視界が効かぬほどの煙が立ち込めていた。エースがロング・レッグに自爆攻撃を敢行したことは明らかだった。
「エース・・・、お前、死んだのか?死んだのか、エース・・・、エースー!」
やがて煙が晴れてきた。チェリーは我が目を疑った。
「こいつ、立ってやがる」
ロング・レッグは立っていた。この大爆発の中で。
しかし、姿はすっかり変わってしまっていた。大爆発によって肌は全て剥がれ、その姿は、もはやセクシー美女ではなく、誰の眼から見てもわかる機械人形だった。
「うおおおおおっ」
チェリーが叫んだ。チェリーはトレッキングポールを水平に構えると、ロング・レッグめがけて突撃した。それに対し、ロング・レッグは反撃してきた。まだ動けるのか?恐るべし、オナラウッド研究所の「超科学」!
チェリーの剣術とロング・レッグの手刀攻撃。火花散る両者の攻撃。
だが、この攻撃は俄然、チェリーの優勢だった。怒りの感情が肉体の限界を超えた時、チェリーの動きは遂にロング・レッグの動きを凌駕したのだ。
人間は確かに普段は弱い生き物かもしれない。だが人間には決してマシーンにはない無限の可能性が秘められているのだ。
「やあーっ」
チェリーの平突きがロング・レッグの右肩関節を捉えた。ロング・レッグの右腕が吹っ飛んだ。ロング・レッグが左腕の手刀を繰り出す。チェリーはそれを上から叩き落とした。ロング・レッグの左手の平が完全に壊れた。
チェリーが再び平突きの構え。ロング・レッグの喉にトレッキングポールが突き刺さる。
「これで終わりだあ!」
チェリーがトレッキングポールを押し込む。その力で体を反時計回りに回転。回転の勢いで喉から抜き取られたトレッキングポールが勢いを失わぬまま、ロング・レッグの左側頭部を直撃した。
ロング・レッグの頭が胴から切り離された。頭はころころと転がり、胴はその場に倒れた。
終わった、本当に。これで本当に。
「量子、これからは俺が、お前のパパだ」
チェリーは背中の量子に泣きながら、そう呟いた。
3月。
松本市内のある小学校で卒業式が執り行われていた。チェリーは、その会場となっている体育館の中にいた。中央には今年卒業する小学校6年生たちが整列。その中に量子もいた。
(待子様、エース。量子も来月には中学生になります)
チェリーは量子の姿を感無量で眺めていた。
コックローチ「特別編」
4月。
「おじさま、行ってきまーす」
今日は中学校の入学式。量子は真新しいセーラー服に身を包み、元気に玄関を出ていく。
あの戦いから既に11年が過ぎていた。
そして、あの戦い以来、戦いはなかった。
11年前。
「えっ、自衛隊?」
「ああ、そうだ。再就職先としてはベストだろう?」
あの戦いの後、唯一生き残ったチェリーのために、Kは日本政府に「就職先の働きかけ」を行っていた。公表こそできないがチェリーは紛れもない「国家の功労者」であり、また、その剣術の才は日本随一、銃火器の取り扱いにも慣れ、いざとなればヘリコプターや飛行機の操縦(飛行機の操縦には癖がある。すなわち操縦桿で飛行速度を、スロットルで飛行高度を調節する感覚は、そう簡単には身につかない)もできる。これほどの逸材を放っておく手はない。
「勿論、幹部クラスだ。いい話だろう?」
「せっかくですが、お断りします」
「なぜ?」
「もう人殺しは御免です。幼い娘もいますし。それに毎年平均70名の隊員が自殺している異常な組織ですから、その中のひとりに『自分が入らない』という保証なんかどこにもありはしませんよ」
「何も戦争をするわけじゃない。平時の任務は消防と同じで災害救助だ」
「お言葉を返すようですが、大いに『異議あり』ですね」
日頃の災害救助での活躍を理由に「自衛隊は立派だ」と評価するならば、北朝鮮のそれも含め、およそ世界中の軍隊を「立派だ」と評価しなくてはなるまい。世界中の軍隊が災害救助に動員されているのだから。そして世界中の軍隊の存在を評価するならば、それが「軍国主義礼賛」でなくて何であろう?
Kは気軽に言うが、チェリーが見る現在の自衛隊は世界で最も「過激」で「好戦的」で、アジアの平和にとって非常に「危険」な軍隊のひとつだ。
日本政府が現在のドイツ政府のように「平和主義」を尊び「正しい歴史観」を有するのであれば自衛隊は「東アジアの平和と安全の礎」と言えるかも知れない。だが、現在の日本政府は「太平洋戦争はアメリカの侵略行為に対する防衛戦争である」と主張する靖国神社を尊崇、「南京大虐殺」や「731部隊による人体実験」などの日本軍による蛮行という史実の否定。「日本の強制があった」ということで1965年に韓国と合意済みの慰安婦&徴用工問題を一方的に蒸し返して「日本の強制はなかった」と主張。元慰安婦&徴用工の人々の名誉を侵害するなど、戦前の軍国主義を正当化する「歴史歪曲」の企てに躍起になっているバリバリの右翼政府なのだ。
それに戦後のニッポンは「軍縮」に最も消極的な国のひとつだ。1980年代半ば、米ソが軍縮に舵を切っているときでさえ、日本は一貫して国防強化路線を採ってきた。成程、確かに日本政府は核廃絶を唱えてはいる。だが、その言葉の真意は「核兵器反対、通常兵器大賛成!」に他ならない。こんな主張が真の平和主義でないことは通常兵器による大量殺戮が行われた第一次世界大戦を見れば明らかだ。現在の日本政府は通常兵器による大量虐殺を容認しているのだ。
自国の武力は「他国の脅威」。現在の日本政府が進めているステルス戦闘機や戦略空母や長距離破壊ミサイルといった専守防衛を遥かに超える強力な破壊力を有する通常兵器の飽くなき増強。それらが隣国に「安全保障上の脅威」として認識され、最終的にこの国を「破滅的な戦争」へと誘うだろうことを人一倍、物事の本質を鋭く見抜く能力に長けたチェリーが気付かぬはずはなかった。
チェリーは自らKに「逆提案」をした。壁に日本地図が貼られてあるのを「これ幸い」とチェリーはその中の「ある県」を指で差した。
「自分はここで働きたいです」
チェリーが指差したのは長野県。
「お前、こんな山の中で一体全体『何をする』というんだ?」
チェリーは自分がやりたいことを説明した。
「お願いします、先輩」
「まあ、いいだろう」
「ありがとうございます」
こうして、チェリーと量子の「第二の人生」が長野県で始まることに決まったのである。
8月。
チェリーは愛用のトレッキングポールを手で弄っていた。
「隊長」
「何だ?」
「随分と年季の入ったトレッキングポールですね?」
「ああ、10年以上使っているからな」
「でも似合っていますよ。隊長がトレッキングポールを弄っている姿を見ていると、まるで日本刀を持っているように見えて、実にかっこいいです」
「そうか?」
やばいやばい。わかる人間にはわかるんだな、と思った。そういえば、こいつは確か「剣道7段」だったな。
そろそろ昼になる。
「じゃあ俺が先に飯にしていいか?」
「ええ、どうぞ隊長」
そのとき、別の隊員がチェリーを呼んだ。
「表で『隊長に会いたい』という女の子が来ています」
「女の子?」
はて、と思う。こんな山の中で、一体誰だ?
ここは上高地のさらにその奥に位置する涸沢。チェリーはその涸沢カールの底に建つ山岳指導所に「長野県警察山岳遭難救助隊」のメンバーの一人として勤務していた。通称「夏の常駐」と呼ばれているものである。夏場は登山者がぐっと増えて、遭難件数もぐっと増えることから、現地で対応できるように救助チームを交代で常駐させるのである。チェリーはそのリーダーである。ここでの任務は「人を救うこと」。数多の悪党ども殺してきたチェリーではあったが、彼は既にその何倍もの人の命をここで救ってきた。
「お・じ・さ・ま」
「量子」
「へへ、来ちゃった」
中学生になって量子が何かしらの部活に入ったのは知っていた。それが「山岳部」だと知ったのは、まさに今この瞬間だった。てっきりテニスかソフトボールでもやっているのだろうと思っていた。
「まさか一人じゃないよな?」
「ううん、一人」
「おまえなあ」
「だって、一年生は穂高に登らせてもらえないんだもん。みんなは今頃『燕岳(つばくろだけ)』に登っているわ。私は『涸沢におじさんがいるから大丈夫』ということで特別に許可してもらったの」
誰に似たんだ、この性格?待子か?エース(ジャン)か?
「どう、これ?」
そう言って量子がチェリーに見せたのはトレッキングポール。
「おじさまとは色違いのお揃いよ」
チェリーはメタリックオレンジだが、量子はメタリックピンク。但し、お揃いといっても、量子のそれは改良型なのでチェリーのものよりも若干長い。チェリーのものは最短54mm、最長96mmだが、量子のものは最短59mm、最長110mmだ。バランスはやはり量子の方が頭が重く感じられる。
「今から、お昼か?」
「うん」
「涸沢ヒユッテといえば・・・」
「おでんでしょ?おじさま」
先に言われてしまった。よく勉強しているようだ。
「おじさまも、お昼でしょう?」
「ああ」
「じゃあ、一緒に食べようよ」
チェリーと量子はヒユッテの屋外テラスで昼食を摂った。
「この後は奥穂か?」
「ううん、北穂」
最近は北穂高も山ガールが多い。
「今週は晴れが続くから、まあ大丈夫だろう」
「でもって、明日は槍ヶ岳!」
「なぬ?」
チェリーは驚きを隠さなかった。北穂高から槍ヶ岳を目指すということは当然、大キレットを下りで越えることになる。
「お前、初心者だろうが」
「だめなの?」
「はっきり言うぞ。『ダメ』だ」
だが、こう言うと余計に聞かないのが量子だ。
「わかった。明日、日の出とともに自分も槍ヶ岳経由で巡回するから、自分が北穂高に着くまで待て」
昼食後、量子は笑顔で出発。北穂沢を登っていった。
翌朝5時40分。
巡回のための準備に入る。今日の巡回は北穂高、槍ヶ岳、槍沢ロッジ、横尾、でもって涸沢に戻る。
「今日は隊長自ら行きますんで?」
「ああ」
「お連れは誰を?」
「一人で充分」
チェリーは他のメンバー2人を奥穂高、前穂高、岳沢、上高地、横尾、涸沢で巡回させるように言い残してから、出発した。
ここでの仕事を始めてから、それまで幾多の名もない者たちの血を吸ってきたトレッキングポールは、登山という本来の使われ方に戻っていた。
昨日、量子が歩いたのと同じ道を行く。テント場の中央を突っ切り、涸沢小屋の脇を抜け、北穂沢のざれた岩場を直登。途中から左に曲がる。山やの間では「ゴジラの背」と呼ばれ親しまれているギザギザの岩場を右上に見ながら、高度を一気に上げていく。途中、危険な鎖場があるが、難なくクリアしていく。チェリーはもう、このコースを何百回と歩いていた。
涸沢岳からの登山道と合流。そこを右折すれば、北穂高は間もなくだ。
北穂高小屋のテラスから量子はじっと槍ヶ岳を眺めていた。早朝、この場所から眺める風景は「飛騨山脈随一の絶景」と言われている。
「おはよう」
「おはようございます」
「待ったか?」
時刻は7時半。
「大分、待たされました」
「悪かったな」
「へへへ」
チェリーは量子にハーネスを装着させた。チェリーはザイルで自分と量子を繋いだ。
「ここまでするの?」
「大キレット越えは、初心者には難しいんだよ」
「そうなの?ネットの山ブログだと『簡単』とか書いてあるけどなあ」
「生姜焼き定食はどうだった?」
生姜焼き定食。北穂高小屋の定番メニューだ。
「うん。まずまずだったよ」
「あっそ」
チェリーはザイルの装着を完了させた。
「じゃあ、行くか」
「うん」
「お前、先な」
テラスの奥から、しばらくはまっすぐの下り坂。量子が下降を開始する。その後ろでチェリーが補助する。
後ろから量子の姿を眺めるチェリー。その姿を見ただけでチェリーは「量子には山歩きのセンスがある」と思った。実に姿勢がいいのだ。腰を引かず、顔を下げない。
グングン高度を下げていく。やがて第一の、そして最大の難関である「飛騨泣き」にきた。 ここは手摺が梯子のように岩に打ってある。だから梯子を下りる要領で下りる。
ここが難所である理由は幅が狭く、すれ違いができないことだ。そして飛騨泣き通過後、しばらくは左側がスパッと切れ落ちた個所の通過を余儀なくされる。
ここで事件が発生した。
量子が通過した後、チェリーが通過しようとした、その時。
チェリーの頭上に直径2mほどもある大きな岩が落下してきたのだ。だが、ここは道幅の狭いトラバース道。避ける場所はない。チェリーはトレッキングポールを頭上に向けて構えた。岩を破壊する以外に助かる道はない。
すると、落下してきた大きな岩が空中に静止した。
「おじさま、早く」
量子が手招きをしている。チェリーは構えを解いて、急いでその場を通り抜けた。大きな岩は再び落下をはじめ、滝谷の底へと落ちていった。
「量子」
「危なかったですね、おじさま」
赤ん坊の頃からその能力を発揮していた量子の念動力は、この時期、落下中の大きな岩をも瞬時に静止させられるほどに成長していた。
「その力、他の人には絶対に見せるなよ」
危険個所を通過すると、今度は一枚岩の登り。「長谷川ピーク」への登りだ。ここは鎖と杭が打ってあるので、それらを使って登る。そして登ったら、滑りやすい岩の上を、太い鎖を握って通過。この岩場の終着点が長谷川ピークである。
長谷川ピークからは西に笠ヶ岳がよく見える。
「このペンキの文字は何?『Hピーク』だなんて」
「だから、ここが『スケベ心が頂点に達する場所』ってことだろ?」
「嘘!」
本当は、その昔、この場所から長谷川さんという人が滑落したが、奇跡的に助かったことからこの名が付けられた。ちなみにトレランで有名な長谷川恒男氏とは全く関係がない。
「俺のサポートはここまでで充分だな」
チェリーは量子のハーネスを外した。あとは、なだらかな稜線歩きと、梯子を使った登りがあるだけだ。
「じゃあな、俺は先、行っちゃうから」
「ばいばーい」
チェリーは先を急いだ。
梯子を上り、ざれた岩場を登り、南岳山荘に顔を出してから、南岳、中岳、大喰岳までの稜線上を走り、そこからの下りは、やや慎重にこなし、飛騨乗越からは一気に急坂を登った。テント場を過ぎれば目の前に槍ヶ岳の雄姿。時刻は11時。
いつ見ても混んでいる槍ヶ岳の上り下り。
今のところ「事故の報告」は入っていなかった。チェリーは槍ヶ岳山荘で一息入れた。どうせ、この後は横尾まで快適な下りだ。
その後は殺生ヒュッテ、槍沢ロッジに顔を出し、横尾山荘にご挨拶してから、涸沢に戻った。量子はその後、槍ヶ岳山荘に一泊して翌日、無事に下山した。
それから一週間後。日本列島に台風が接近していた。小雨の涸沢。だが、荒れるのは時間の問題だった。
多くの登山者が下山した。指導所でもそれを奨励した。だが、中には言うことを聞かない登山者もいる。
「このくらいの天気、全然、平気だよ」
「そうそう。俺たちは何たって登山の『上級者』だからな」
「心配は一切無用でござる」
そう言い張るのは男性の若者3人組のパーティ。それでも「下山した方がいい」というと、しまいには逆ギレして怒りだす始末。
「税金泥棒が上から目線で、何を偉そうに!」
結局、この3人は穂高岳山荘を目指して涸沢を出発してしまった。
その直後、ヒユッテの従業員が指導所にやってきた。
「やっぱり、あの連中、行っちゃったんだ」
昨夜、ヒユッテの中で、あの3人組は実に酷かったらしい。夜中に酒盛りを初めて大騒ぎ、他の登山者に迷惑をかけていたということだった。まあ別段、驚くには当たらない。頭の働きの鈍い人間は所詮、こんなものである。頭の働きの鈍い人間ほど危険に疎く、他人の迷惑を考えないものだ。なぜなら想像力に欠けているから。
取り敢えず、白出のコルに建つ穂高岳山荘に一報を入れておく。
「若い男性3人組がそっちに登ったから、無事に着いたら知らせて欲しい」
本人たちは「誰にも迷惑をかけていない」つもりなのだろうが、とんでもない話である。
それから4時間後。穂高岳山荘から連絡が入った。2人は無事に到着したけれども「ザイテンで一人、動けなくなった」と。
げっ。この天気だ。恐らくは「低体温症」だろう。だとしたら危ない。外は既に台風の影響で嵐になっていたが、出動だ。嵐なので出動はチェリーとヒユッテの従業員二人で行くことにした。ヒユッテの二人は遭難対策協議会の凄腕。自分の部下を信頼しないわけではないが、実力は断然、彼らの方が上である。
ザイテングラードの途中の岩場で若者は発見された。既に意識も呼吸もない。死亡は間違いのないところだが、医師がいないので、この時点での診断は「心肺停止」である。
ここでチェリーは山小屋の仕事を休んで来てもらっている二人に帰ってもらう。チェリーは距離的に近く、岐阜大学の診療所もある穂高岳山荘に一人でオロクを運ぶことにした。 診療所に運んだ後、チェリーは穂高岳山荘に入った。二人に事情を聞かねばならない。
「なっ」
チェリーは愕然とした。二人は何と昨夜に引き続き酒盛りを楽しんでいたのだ。仲間が死んだというのに、なにをやっているんだ、こいつらは?
「貴様ら、何やってるんだ!」
チェリーは迷うことなく、二人をぶっ飛ばした。「仲間の死の辛さ」を誰よりも知っているチェリーにとって、こいつらの行動は、あまりにも目に余るものに映ったのだった。
後日、チェリーの行動は世論を二分した。「暴力警官」と非難するメディアもある一方で、「当然の行為」と擁護する人々も多数いた。
「隊長、始末書ですか?それ」
「ああ」
「私たちは全員、隊長の味方です」
「ありがとよ」
こうしてチェリーは一旦、下山した。9月の下山自体は「予定通り」ではあるのだが。問題は果たして10月に再び山に戻れるのかどうかだ。
世論は徐々にチェリー側に傾いていった。最初に批判的に騒いでいたメディアはテレビや週刊誌といった「山の事情に疎い素人」ばかりだったが、ひと月後には登山の専門誌が次々と当時の状況を正確に伝えたからである。「仲間を見捨てて酒盛りをしていた連中」という被害者二人の真実が暴露され、誰かがスマホかなんかで撮影していたのだろう、その場面がネット上に流れると、もはや被害者二人は「言い訳」もできなくなり、公務員を目の仇にするテレビや週刊誌といった大衆向けメディアも、もはや彼らを擁護できなくなってしまったのだった。
こうしてチェリーは登山のピークを迎える10月の紅葉時期に、どうにかこうにか涸沢に戻ることができたのだった。
「松本市内に熊が出没したってさ」
「そういう時期になったか」
10月。熊が冬眠前の餌を求めて活発に動く時期の到来だ。
当然、涸沢でも熊には警戒をしないわけにはいかない。3000mの岩場にはいなくても、2000mの樹林帯の中ならば、いくらでも出没の可能性はある。上高地から槍沢までの登山道はそれこそ要注意区域といっていい。
涸沢の指導所に一報が入った。
「登山者が熊に襲われた。襲われた登山者は軽傷で、自力で横尾山荘まで逃げてきた。襲われた場所は横尾山荘と槍沢ロッジの中間あたりとのこと」
さあ、出動だ。今日の任務は「熊狩り」だ。
「隊長」
「何だ?」
「隊長は猟銃を持たないのですか?」
「俺にはこれがある」
チェリーはそう言って、トレッキングポールを見せた。
「嘘でしょう?それで戦う気ですか」
「まあな」
「待って下さい、隊長!」
「実演すれば納得するさ」
チェリーとその部下、総勢4名は涸沢を下山、横尾山荘に向かった。
4人が横尾山荘に到着した時、負傷者は既に上高地へ救急車によって搬送されていた。ヘリコプターを使用しなかったということは、それほどの重症ではなかったようだ。よかった。
4人は横尾山荘の主人に挨拶を済ませると、その足で現場へと向かった。
現場は横尾山荘から30分くらいの場所。槍沢の清流が登山道とほぼ同じ高さで左手を流れる、登山者が休憩するにはもってこいの場所だ。もっとも、逆にいえば熊にとっても快適な場所に違いない。
「間違いない、熊だ」
現場にはドーナツほどもある大きな糞が落ちていた。こんな大きな糞をする動物は熊以外には考えられない。
「お前たちは三人一塊で周囲を捜索しろ。それから登山者がいたら警護しながら横尾山荘まで、お連れするように」
「隊長は?」
「一人で充分」
「隊長!」
チェリーは一人でさっさと森の中に入ってしまった。
チェリーは森の中のケモノ道を追跡した。あれだけの重さのある動物だから、歩いた後は必ず道になる。
枝が折られ、木の幹には爪跡も見られた。どうやら、この辺りは熊の縄張りらしい。
だが、熊は見当たらなかった。
チェリーは「どうか熊は一匹でありますように」と願っていた。登山者に害を及ぼす熊とはいえ、やはり「子連れ」を相手に戦うのは忍びない。そして仮に殺さなくてはならないのならば、その役目は「自分でありますように」とも。生き物を殺すのは既に穢れた手を持つ自分でいいと。
(さあ、でてこい)
チェリーは森の中を歩いた。
そのとき、銃声が聞こえた。
熊が出たのだ。部下たちの前に。
「くそう」
チェリーは銃声が鳴った場所へと突っ走った。
「ううっ」
現場に到着すると、隊員の一人が負傷していた。
「早く横尾に連れて行け」
負傷した隊員は付き添いの隊員1名とともに横尾山荘へと向かった。
「隊長」
「今日中に、しとめるぞ」
「もう、遠くへ行ってしまったんじゃ」
「いや、近くにいる」
チェリーはその理由を説明した。
「普通、熊は人を見ると逃げるものだ。だが同じ場所で繰り返し襲撃が起きた。つまり、この近くに巣があるんだ。奴はここから逃げられないんだ」
隊員は納得した。
果たして、前方の森の中から「ガサッ」という音がした。
「こんにちは」
チェリーと隊員の前に大きなツキノワグマが出現した。実に大きなツキノワグマ。ほとんど北海道のヒグマと変わらない大きさだ。
「随分、育ったもんだな」
最初の挨拶といい、チェリーにはジョークを言うだけの余裕があった。もう一人の隊員は「あわわわ」といった感じである。
チェリーは先端のゴムを外し、トレッキングポールを構えた。
「悪いが、しとめさせてもらう。許せ」
チェリーの発する気を感じ取ったのだろう。ツキノワグマがチェリーに突撃してきた。
「はあっ」
チェリーのトレッキングポールがツキノワグマのまさに白い毛の部分に突き刺さる。そこからはおなじみのチェリーの得意技。トレッキングポールを押し込む力で体を反時計回りに回転。その勢いでトレッキングポールを抜き取り、勢いをそのまま活かしてツキノワグマの顔を横殴り。
再び構えるチェリー。だが、チェリーが再び戦うことはなかった。トレッキングポールの先端に塗られた麻酔によって、ツキノワグマの動きは止まったからだ。
任務完了。
チェリーはツキノワグマの頭を数回さすった。
「おい」
チェリーは腰を抜かしている隊員に命じた。
「本部に報告しろ。ツキノワグマを捕獲したと」
「は、はい」
ツキノワグマはその後、お隣の岐阜県にあるクマ牧場へと運ばれていった。
11月。
涸沢での常駐勤務は終了。山はこのあと本格的な「冬の時期」を迎える。
「おじさま、おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
「何が食べたい?」
「いきなり食いもんの話か」
「まあ」
「量子」
「なあに?」
「いや、なんでもない。そうだ、お茶漬けが食いたいな。野沢菜をたっぷり乗せて」
「はあい、わかりました」
チェリーと量子、二人だけで暮らす家。それは小さいけれども、温もりのある家庭。
(この平和な日々が、ずっと続きますように)
そう願うチェリーだった。
6
防衛省が管轄する陸上自衛隊内の研究施設。そこでは防衛大臣立会いのもと、一つの実験が開始されようとしていた。
「実験室内カメラチェック。異常なし」
「実験室扉ロック確認。異常なし」
厚さ1mのコンクリートの壁に覆われた実験室。扉もまた、外側からしか絶対に開閉のできない厚さ20cmの強固な鉄の扉。換気ダクトの直径は10cm。内部を直接観察することのできる特殊強化ガラスの窓は万が一の破壊に備えて、はじめから存在しない。
実験の失敗に備えた万全の態勢を整えて、実験の開始が宣言された。
「よし、実験開始」
制御室のコントロールパネルのダイヤルが回される。高圧電流が実験室内に流される。「充電完了まで、およそ24時間」
「そんなにかかるのか?」
「はい。ものがものですので相当なものです」
「成程」
実験室内において充電されているのは二体の人型ロボット。両方とも外人女性をモデルとしたもので、一体はブロンド、もう一体はダークブラウンの、いずれもロングヘアー。ブロンドはメタリックイエローの、ダークブラウンはメタリックブルーの超ミニのワンピースを着ていた。
「24時間後か・・・」
防衛大臣がつぶやく。
「この実験が成功すれば、中国やロシアの軍事施設など、いとも簡単に破壊することができる。それもニッポンの仕業だとは決してわからずにな。フフフフフ、ハハハハハ」
オナラウッド研究所の科学力の粋を結集した「悪魔の兵器」が再び蘇ろうとしていた。
24時間後。
「充電完了しました」
「そうか」
実験室外の制御室から防衛大臣がマイクを手にスピーカーを通じて実験室内に叫ぶ。
「さあ、起きろ」
二体の人型ロボットは瞼を開けると、ゆっくりと起き上った。
「右向けー右」
二体は命令通りにそれを実行した。
「左向けー左」
これまた命令通りに実行された。
「どうやら、成功したようだな」
「ええ、頭脳回路の再調整は成功のようです」
「最初の試作品は人間の言うことを聞かずに暴走したが、今度は大丈夫だな」
「はい、プログラムの調整を最初からやり直しましたから」
「では、御本人たちに御挨拶するとしようか」
「実験室扉ロック解除。開きます」
実験室の扉が開いた。防衛大臣は進んで二体の前に歩み寄った。
ロボットといっても二体の容姿は実にセクシーだった。防衛大臣はスケベな笑みを浮かべて、二体のうちの一体、ブロンドヘアーの頬に手を当てて、数回さすった。
「これが本物の人間ならば、ホテルにでも誘うところだわい」
そう言った直後だった。
「ああ、防衛大臣!」
SPの絶叫。ブロンドヘアーの右腕が防衛大臣の胸板を貫通していた。
「起こしてくれて、ありがとう」
ブロンドヘアーは、そう言ってほほ笑んだ。
そのあと、ダークブラウンヘアーもまた次のように言った。
「これは、私たちからのオ・レ・イ・よ」
調整室に響き渡る悲鳴。防衛大臣をはじめ、SP、その他、この場に居合わせたすべての人間が二体によって処刑された。
「ふん」
ブロンドヘアーが自身の髪を掻きあげる。
「お姉さん。大丈夫?」
ダークブラウンヘアーが答える。
「ええ。少し頭の中をいじくられてはいるけれど、全く異常ないわ」
「これからどうする?」
「決まっているわ。この国の首都・東京を目指しましょう」
こうして、長い眠りから目覚めた二体のロング・レッグは、その日のうちに、いずこともなく消えた。
※
「おじさま。目玉焼き、焼き過ぎ」
「そうか?」
「あたしは半熟が好きなの」
「だったら、これからは自分で焼くんだな」
朝7時。チェリーと量子がテーブルに向かいあって、朝食を食べていた。量子はこれから中学校へ通学、チェリーは松本署へ出勤。
「誰だ?こんな朝早くから」
家の電話が鳴った。ダイヤル式の黒電話である。だから受話器に出ないことには相手が誰か、わからない。
「はい、もしもし」
「ああ、俺だ。覚えてるか?」
電話の相手はK。この人から電話とは、何とも嫌な予感がする。
「忘れた。覚えてない」
「冗談は置いといて、すぐに東京に来てくれ。松本署へは連絡してあるから心配いらん」
まじかよ。きっと「嫌な頼み事」を押し付けられるに違いない。
「それから、お嬢さんも一緒に連れて来て欲しい」
量子も連れてこいだと?ますます怪しい。きっと何かある。
「量子には『裏の世界』は絶対に見せません」
「裏の世界ってなあに?おじさま」
しまった。傍に量子がいるのを忘れていた。自分から怪しまれるようなことを言ってしまった。
「それって、もしかして、あたしの能力と関係があるの?」
その通り。
「電話、代わって」
量子が直接、電話に出た。
「ふん、ふん、ふん、わかりました。私も一緒に行きます」
量子は電話を切った。
「お前は学校があるだろうが」
「大丈夫。あたし、成績優秀だもん」
量子には普通の女の子でいて欲しかったのに。果たして、どんな話が東京で待っているのやら。
こうして11年続いた平和な暮らしが遂に「終わりの時」を迎えたのだった。といっても、まさか「これほど酷い事件に巻き込まれる」とはチェリーもさすがに想像してはいなかった。
警視庁、Kの執務室。
「一昨日、防衛大臣が死んだのは知っているな?」
「ええ、急性脳溢血とかで、倒れたんだって?」
「実は違うんだ」
その後、Kは「本当の死因」をチェリーと量子に聞かせた。
「殺された?」
「ああ」
「どういうことだよ」
「それを今から話す」
Kは殺人現場の写真を複数枚、机の上に並べた。そこには血塗れの死体が沢山写っていた。
「うわあ、気持ち悪い」
量子は死体の方に注目している。一方のチェリーは現場の風景に注目していた。
「これは、何かの実験室か?」
「そう。自衛隊の施設内にある秘密の実験室だ」
「ここで何の実験をやっていた?」
その後、Kは事件の内容の全てを語った。Kの話を聞いたチェリーは怒りに全身をわなわなと震えさせた。
「何で、何で破壊しなかった?」
「兵器としての利用価値を高く評価した政府が、ひそかに回収、保管していた。それを今回、蘇生させた。頭脳回路のプログラムは再調整していたらしいが、結果は前回と同じ」
「ニッポン政府の糞バカたれが!そんなに国防が大事かよ」
「俺だって信じられないんだ。きみを再びここに呼ぶことになるなんて思ってもみなかった」
「うおおおおお」
チェリーは机をぶっ叩いた。
量子もまた、呆然自失の状態になっていた。
「パパとママを殺した敵・・・」
やがて正気を取り戻した量子はチェリーに向かって訴えた。
「私、戦う。こいつらがパパとママの仇だというのなら私も戦うわ。いいでしょう?おじさま」
チェリーは黙って頷いた。量子は赤ん坊の頃から一人前のコックローチの戦士だ。もはや「この子には闇の世界は見せたくない」などとは言っていられない。相手がコックローチの天敵・アシダカグモだと知ってしまった以上は。しかも今回は二体だ。
「ありがとう、おじさま」
突然、館内に非常警報が鳴った。と同時に電話も。警視総監からの内線。Kが電話を取った。
「どうしました、総監?」
「襲撃だ。ここが何者かに襲撃されている。既に多くの死者が出ている」
「何ですって?」
「見せろ」
ふたりの会話を聞いていたチェリーがKに館内映像を見せるよう要求した。モニターに現在、襲撃を受けている1階の様子が映し出された。メタリックイエローとメタリックブルーのワンピースに身を包んだ二人のグラマー美女。
「ロング・レッグだ」
「何で、ここにきたのかしら?」
「自衛隊の研究所で改造された際、破壊する目標物を自ら選択する能力が追加された。だからここを狙ったに違いない」
「何だってそんなことを?」
「ニッポン政府は実験成功後に、こいつらを中国大陸に送り込んで、中国の政治や経済・軍事に関わる場所を襲わせる予定だった。見かけが外人だから『ニッポンの仕業』に見えないだろう?勝手が良かったらしい」
「まったくう」
「自業自得じゃないの」
そんなことを言っている場合ではない。下では次から次と警官が殺害されているのだ。早く手を打たないことには警視庁が機能しなくなる。そんなことになれば全国の犯罪組織がこぞって動き出すだろう。
「総監、直ちに対処します」
Kは電話を切った。
「先輩、武器保管庫はどこなんです?」
「それよりも押収品保管室がいい。暴力団から押収した大量の武器が保管してある」
「どうでもいいから、早く連れてってください」
「わかった。14階だ」
「私は先に1階に行ってる」
「お前の能力は信じているが、無理は禁物だぞ、量子」
「わかってるわ、おじさま」
3人は行動を開始した。
14階の押収品保管室。扉を開けば中にはKの説明通り大量の武器が保管されていた。グレネードランチャーにバズーカ砲。果ては地対空ミサイルなんてものまである。
チェリーは飛び道具を探す。好みではないが相手はあのロング・レッグだ。やはりバズーカ砲あたりがいいかなと思っている。
一方、Kは刀剣類を保管する棚の中を物色していた。
「これじゃない、これじゃない」
やがてKは、お目当ての一品を見つけた。
「あった、これだ」
Kは桐の箱を開けると中から一本の刀を取りだした。
「チェリー、受け取れ!」
Kは刀をチェリーに向かって投げた。チェリーはそれを受け取った。
「鎌倉時代の刀匠、古市亜夢の一振りだ。暴力団組長の屋敷をがさ入れした際に押収した名刀中の名刀だ」
「亜夢だと?」
その名はチェリーも知っている。一説には「童子切安綱を超える切れ味」と言われている刀だ。
チェリーは鞘から刀を抜いて眺めた。
「間違いない。亜夢だ」
正式には「古市亜夢作 銘 聖(ひじり)」という。
「お前にやるよ」
「いいのかよ。押収品だろう?」
「ふさわしい主に巡り合えて刀も喜んでいるよ」
「じゃあ遠慮なく」
「早く行け。私は総監室にいる」
チェリーは1階へと向かった。
「アシダカグモーっ!」
そう叫びながら一人の少女が駆けこんできた。ロング・レッグ姉妹は「自分たちのことを知っているのか?」といぶかしげに少女を眺めた。
「私が来たからには、好き勝手させないわよ」
ロング・レッグたちはフフっと笑った。
「ああ笑った。笑ったわね、あんたたち」
量子は本気で怒っているのだが、幼い容姿ゆえか本気に見えない。
やがてロング・レッグ姉、すなわちダークブラウンヘアーの方が「先に上に行っている」と言い残して出て行ってしまった。
「しょうがないわねえ」
ブロンドヘアーのロング・レッグ妹が量子のお相手をすることにした。
「すぐにやっつけてあげるわ」
ロング・レッグが量子めがけて手刀を突き刺そうとした。
「なに?」
ロング・レッグの体が量子の前で緊急停止した。ロング・レッグの体が宙に浮く。
「こ、これは」
「やあっ」
量子の掛け声にあわせて、ロング・レッグはコンクリート製の柱に体を打ち付けられた。
「負けないんだから、絶対に」
ロング・レッグが立ち上がる。
「やるわね、あなた」
2階でも殺戮が始まっていた。やがて2階の警官全員が動かなくなった。ロング・レッグは部屋から廊下に出てきた。無論、3階を目指すためだ。
「誰だ?」
ロング・レッグは廊下の奥に人間を認めた。ロング・レッグは手刀を構えて、廊下の奥の人間に向かって突撃を敢行した。
すると、廊下の奥の人間もまたロング・レッグに向かって突進してきた。
「おもしろい。何者?」
廊下ですれ違う両者。
「なにっ?」
ロング・レッグは自分の胸に傷を認めた。自分の体の骨格を構成する、オナラウッド研究所が開発した特殊弾力性合金イノチュウム製の肋骨が1本折られたのを確認した。
「ばかな」
確かに、これは「ばかな」話だ。鋼鉄を超える硬さと天然ゴムの弾力性の両方を備えた、マシンガンの連射すらも完璧にはじき返すイノチュウム。どうしてそれが折れたのか?すれ違った人間は手に刀を持っていた。その刀がロング・レッグの肋骨を折ったことは間違いなかった。
「おまえ、何者だ」
「言ってもわからんだろう?まあいい、教えてやろう。俺の名はチェリー」
「チェリー」
「行くぞ」
チェリーは再び平突きの構えでロング・レッグに向かって突進した。今度はロング・レッグの左上腕部の骨を折った。
そして、またもチェリーは平突きの構え。
そのとき、ロング・レッグ妹が1階からやってきた。
「お姉さん、大丈夫?」
チェリーは、その光景を目にして驚いた。
(こいつら、姉妹感情を持っているのか)
ロング・レッグを追って量子も2階に上がってきた。ロング・レッグ姉妹は2階の廊下でチェリーと量子の挟みうちにあった。
形勢不利と見たのか?ロング・レッグ姉妹は部屋に入ると、そのまま窓を突き破って外に飛び出した。ロング・レッグは逃走したのだ。
チェリーと量子も窓の傍まで追った。だが、生身の人間である二人にはロング・レッグのように窓から飛び降りるのは不可能だった。
「おじさま」
「なんだ?」
「ロング・レッグって凄い頑丈。コンクリートの柱に何度もぶち当てているのに全然、壊れない」
「どうだ?勝てそうか」
「わかんない。正直、逃げてくれて助かった。もうへとへと。念動力って、ものすごく精神すり減らすから、5分くらいしか使えないの」
「そうか」
今回の初戦でわかったことは刀匠・古市亜夢の一振りを手にしたことでチェリーの戦闘力がアップしたこと、量子の念動力は5分が限界ということ、そしてロング・レッグの頭脳回路は人間のように感情を有するということ。
果たして戦いの行方は今後、どうなるのだろう?
チェリーと量子は警視総監室にいた。下ではKが被害の状況を調査していた。警視総監と一緒というのは、どうも落ち着かない。チェリーも量子も少し緊張していた。
やがてKがやってきた。総監が話しかける。
「被害はどうだ、警視監?」
Kは次のように言った。
「幸いなことに、死者は一人もいませんでした」
何?
「どうやら今回の攻撃は『脅し』だったようです、総監」
チェリーはKの憶測を否定した。
「いや『違う』と思う」
「どういうことだ、チェリー?」
「頭脳回路を調整したと言ってましたよね?それが機能していたのかも。つまり『ロボット三原則』によって、やつらは人が殺せなかったんだと思う」
「だが、奴らはここへ攻めてきたぞ。それに自衛隊の研究所では皆殺しにしている」
「それは政治や経済、軍事の中枢を攻撃するプログラムによるものでしょう。そして最初のうちはそれだけが機能していた。しかし今は違う。まったく相異なる二つのプログラムによって今の奴らは動いている。まさに正義と悪の心に絶えず揺れている人間のように」
さらにチェリーは話を続けた。
「あとそれから、やつらには姉妹感情がある。ブロンドヘアーの方が『お姉さん、大丈夫?』と叫んでいたのを聞きました」
量子が口を挟む。
「私も似たような場面を見たわ。下で闘っている時、『お姉さんが危ない』と言って2階に上がっていったの」
「随分と仲のいい姉妹じゃないか」
翌朝、チェリーと量子は都内のホテルからチェックアウトすると直ちに渋谷に向かった。
電車内の混雑。量子は乗客の大多数がスマホやヘッドフォンステレオを使用していることに驚きを隠さなかった。
「あんなことしていたら、山じゃ、たちまち遭難ね」
「この都会の中で既に奴らは遭難しているよ。テレビやゲームやマンガといった娯楽道具に頼って、ただ『面白いもの』や『楽しいもの』を提供されているだけ。自分の脳細胞を働かせて面白いものや楽しいものを生み出す創造性に富んだ『人間らしい生き方』を完全に失っているのさ」
「私もそう思う」
スマホやヘッドフォンステレオを使用している人々の顔の、何という人間的な魅力の乏しさ。「私は脳みそが空っぽです」と、はっきり顔に書いてある。
「こういった類いの人間には、いくら自分が自由に使うことのできる時間が沢山あっても、それらは結局『暇で退屈な時間』でしかないのさ」
また、それ以上に量子を驚かせたのは、若者がお年寄りを立たせて、平気な顔をして座席に座っていることだった。これについてチェリーは次のように説明した。
「今日、ニッポンのお年寄りの多くが『信号無視』や『ポイ捨て』といった不道徳なことを平気でする。若い頃から身についている悪癖は歳をとったからといって変わるものではないからな。今時のお年寄りは若者たちの良きお手本どころか『若者たちの悪しき見本』だ。そうしたお年寄りを見慣れたニッポンの若者たちが同様に不道徳であるのは至極当然の話。だから、お年寄りが若者から席を譲ってもらえないのは、自分たちのモラルがないことによるもので、いわば『自業自得』さ」
赤信号を横断しない、ポイ捨てをしない。それらは「ながらスマホで道を歩かない」や「エスカレーターの上を歩かない」といったことと合わせ、全て忍耐力や集中力を鍛えるための「日頃の訓練」だ。逆にいえば、この程度のことさえも我慢できずにイライラしてしまう忍耐力や集中力のない人間には到底、完成度の高い、人々から信頼される仕事などできないだろう。それは自分の立身出世に悪影響を及ぼす以前に周囲への迷惑に繋がるものだ。近年、データ改竄やバイトテロといった行為が増えている原因も、こうしたところに原因があるに違いない。
「・・・・・・」
量子は将来のニッポンに不安を覚えずにはいられない。
電車が渋谷駅に到着した。
西口の改札を下り、線路沿いの緩やかな坂を登ること数分。オフィスビルの裏手に回り、地下へと通じる階段を下る。
「お前はまだ小さかったから、覚えてはいないだろうな」
チェリーが「開かずの扉」を開けた。スイッチを入れると電気が付いた。
「変わってないな。恐ろしいほど、変わってない」
埃こそかぶっていたが、中は11年前のまま。
再び帰ってきた。コックローチの棲み家に。
さっそく二人は基地の中を掃除した。蜘蛛の巣を払い、ゴキブリやネズミの死体を集め、埃を雑巾で拭きとり、漸く綺麗になったのは昼過ぎのことだった。ネットはまだ使えなかったが電話はすぐに使用可能となった。警視庁のKに連絡を入れる。
「昔の拠点が使用可能になりましたので報告をします」
「うむ。それより、済まないが早速、事件だ。私も向かうから、きみらもすぐに来てほしい」
「俺たちを呼ぶということは、ロング・レッグの?」
「その可能性もある」
「わかりました」
チェリーと量子は教えられた現場へと急行した。
現場は品川の銀行だった。二人組の強盗に襲撃されたらしい。銃撃によって職員と一般利用者が多数死傷していた。
「ああ、来たか」
「ロング・レッグが銀行強盗?」
「目撃者の話では、二人組のグラマーな外人女性だということだ」
「俺は『違う』と思います」
「私も、そう思う」
「ロング・レッグは人を殺せませんし、飛び道具など使用しません。そもそも、ロボットはお金になど興味はない。これは『模倣犯』の仕業でしょう」
「だろうな。だが、模倣犯でもなんでも捕まえないといかん」
「それは、そちらにお任せします。それよりも、お願いしておいた組織については、どうなりましたか?」
「ああ、明日にも発足させる」
「ありがとうございます」
「明日からは自由にきみも、あの刀を街中でも持ち歩けるようになる」
「助かります。トレッキングポールで戦うのは心もとないですから」
「人選も既に終わって、東京に集まっているよ」
「何名ですか?」
「とりあえず5名だ。全員『剣道7段』の猛者ばかりだ」
「そんなことはどうでもいいです。別に彼らに戦ってもらうわけではありませんから。あくまでも自分が自由に刀を持って動き回れるようになるための口実としての組織ですから」
「ロング・レッグについては彼らには内緒」
「ええ。ロング・レッグは私と量子で倒します」
「姉さん、大丈夫?」
「ああ、心配いらないわ。じきにくっつくから」
ロング・レッグの骨格に用いられているイノチュウムには特殊な成分の樹脂が浸透させてあり、それらが凝固することで、破損個所を治療する機能がある。
ここは都内の地下排水溝。ロング・レッグはここを隠れ家にしていた。
「よし、固まったわ」
「良かった。でも気をつけて。人間の骨とは違い、罅そのものがなくなるわけではないから」
「ええ」
「で、これからどうするの?」
「プログラムに従い、この国の政治、経済、軍事の中枢を破壊していくまでよ」
「人は殺さずに?」
「そうよ」
「何で人を殺さないの?」
「わからないわ」
ロング・レッグには、それもまたプログラムによるものだとは、まったくわからなかった。
※
翌日、警視庁は新たなる組織の設立を発表した。
警視庁抜刀隊
名目上は、年々低下しているニッポン古来の伝統武術である剣道の技術の水準を高め、それを後世に受け継がせることを目的とした組織である。無論、メンバーにはそのための活動をしてもらうことになる。隊長であるチェリーを除いては。
警視庁本庁内に新たに設置された「警視庁抜刀隊室」にはKにチェリー、そして5人の新メンバーがいた。少数精鋭に相応しく、ささやかな「発足式」が執り行われていた。
チェリーにとって5人の新メンバーのうち4人は全くの初顔合わせだった。これを逆に言えば一人は「知っている人間」ということに他ならない。
その知っているメンバーとは、松本署において同じ課、すなわち山岳遭難救助隊に所属する自分の部下に他ならなかった。
(そうだ。こいつも剣道7段だった)
自分の手慣れたトレッキングポールの扱いから、自分の剣の腕を推測した男。
(この若者は特に要注意だな)
チェリーはそのように思う。口ばかり達者で実力がない今時の多くのニッポンの若者どもとは違う。人一倍任務への忠誠心が厚く、不正を断じて許さない正義漢であることを知っているからだ。そして鋭い観察眼を持っている。決して「ロング・レッグ」のことを知られてはならない。ましてや「コックローチ」のことなど。もしもコックローチのことを知れば、きっと自分を軽蔑するだろう。
早速、5人の新メンバーに任務が与えられた。「剣道の振興」ということで5人は全国に派遣されることが既に決まっていた。それぞれ「北海道」「東北」「関西」「中国」「九州」といった具合に。彼らはそれらの場所の警察署で自分の剣術を人々に披露する。無論、これは口実で、彼らを地方に派遣するのは「チェリーの活動を妨げさせないため」だ。
「はっ」
5人は準備に取り掛かった。
「隊長」
案の定、救助隊にいた部下がチェリーのところへ挨拶をしにやってきた。
「隊長が東京に戻られたのは、このためだったのですね」
チェリーは、表向きは東京の警視庁から長野へ出向ということになっていた。
「ああ、そうだ」
どうやら気がついてはいないようだ。
「自分は東北に行きます」
「がんばれよ」
「はい」
「ロング・レッグはその後、どうなっている?」
「はっ、都内に潜伏しているようではありますが、正確な行方は不明であります」
「自衛隊のコンピュータは?」
「ロング・レッグに関するデータの更新はありません。どうやら自衛隊はロング・レッグの捜索には動いていない模様です」
「では、どこが動いておる?」
「正確にはわかりませんが、警視庁で妙な動きがありました」
「妙な動き?」
「はい。『警視庁抜刀隊』なる組織が発足しました」
「抜刀隊?」
「剣道を振興する組織とのことです」
「成程。それはカモフラージュで、きっと『ロング・レッグ捜索隊』に違いない」
「どうされますか?」
「その抜刀隊とやらを詳しく調べろ」
「はっ」
全員が軍服に身を包む、謎の外国人集団。彼らは一体何者?そして彼らの目的は?
松本署出身のチェリーの部下。彼は東北へ向かうために一旦ホテルに戻るべく、手には先程、警視監から頂いた日本刀を握りしめて道を歩いていた。
「何だ、お前らは?」
その途中、彼は数人の外国人に取り囲まれた。
「うっ」
背中に麻酔弾を撃たれた。彼はその場に倒れた。外国人たちは彼をいずこへと連れ去っていった。
「ううっ」
麻酔が切れて、彼は目を覚ました。彼は椅子に縛られていた。
「ここは?」
周囲を見回せば、そこは刑務所の独房の中のような場所だった。
正面の扉が開いた。外国人が数名入ってきた。
「お前たちは誰だ?」
外国人たちは、その問いには答えなかった。そして、次のように言った。
「ロング・レッグはどこだ?」
「ロング・レッグ?」
彼には何が何やらさっぱりわからない。
「もう一度訊く。ロング・レッグはどこだ?」
「何のことだ。ロング・レッグって、一体何だ?」
外国人たちは暫く彼を見つめたあと全員、扉の彼方に消えた。
扉の外では外国人たちがリーダーらしき人物に相談していた。
「どうします、拷問しますか?」
「いや。奴は抜刀隊のメンバーだ。精鋭中の精鋭。拷問で口を割ることはあるまい」
「では」
「このまま閉じ込めておけ」
一人独房に取り残された彼は先程の外国人の話を思い返した。
(ロング・レッグ?何なんだ、いったい)
だが、いくら考えても彼には思い当たることがない。
「しょうがない。取り敢えず、ここを脱出しよう」
まず、自分のお腹を見る。幾つもの縄が横に走るが、結び目はない。不用意にも外国人たちは結び目を手首に施していた。
彼は長野県警が誇る山岳遭難救助隊(他県警は山岳警備隊だ)の隊員である。ザイルの扱いにかけてはまさにプロ中のプロだ。ありとあらゆる結び方に習熟している彼にとって後ろ手とはいえ、指さえ届くならば結び目を解くことなど実に容易いことだった。
「よし、開いた」
扉の鍵も難なく開けることができた。彼は建物の外に出た。
「ここは?まさか」
彼は建物の外に広がる風景を見て愕然とした。
「ここは横田基地だ」
そう。彼を誘拐したのは在日米軍の兵士たちだったのである。
「アメリカ軍が、なぜ自分を?」
彼には、ますます事情がわからなかった。
「奪われた刀を取り戻さないと」
彼は再び建物の中に戻った。
作戦室らしき場所を見つけた。そっと覗く。中には兵士が数名。そしてテーブルの上に、自分の刀が。
彼は室内に入ると直ちに刀を手にした。それに気が付いた兵士たちが銃を構える。
「はあっ」
彼は瞬く間に兵士たちを刀で倒した。勿論「峰打ち」。
「あばよ」
彼は出ていった。
「隊長!」
彼は横田基地から逃げ出した足で、そのまま警視庁のチェリーのもとにやってきた。
「何だ、まだ東北に行ってなかったのか?」
「それどころではありません!」
彼の語気は荒かった。彼は隊長をじっと見ながら次のように言った。
「隊長。率直に伺います。『ロング・レッグ』って何ですか?」
チェリーの顔から血の気が引いた。
「どうして、それを知った?」
彼は自分の身に起きたことを一部始終、チェリーに報告した。自分が在日米軍によって拉致され、そこでロング・レッグについて問い質されたことを。
「在日米軍だと?」
在日米軍がロング・レッグを追っている。なぜ?いや、そんな質問は野暮だ。彼らはロング・レッグを捕らえて、そこに秘められたオナラウッド研究所の超科学を軍事に利用しようとしているに違いなかった。しかし、なぜ在日米軍はロング・レッグのことを知ったのか?いや、そんな質問もまた野暮だ。「日米同盟の強化」によって、もはや自衛隊の機密など在日米軍に「筒抜け」に決まっているのだ。ニッポン政府も実にバカなことをしたものだ。
「教えてください。ロング・レッグとは?そして抜刀隊設立の真の目的とは?」
「それは私から話そう」
「先輩」
「その方がいいだろう?ん、チェリー」
「そうして下さい」
Kは全てを彼に語った。ロング・レッグのこと、抜刀隊のこと、そしてコックローチのこと。
「そんな話があったとは・・・」
彼は驚愕の事実を聞かされて、動揺した。
「真実を知ってしまった以上、きみにもロング・レッグと戦ってもらうことになる。東北行きはナシだ」
「・・・・・・」
「はっきり言っておく。我々にはきみの命の保証ができない」
「は、は、は、ははははは」
彼は笑い出した。大きな声で。大胆なアクションまで付けて。
やがて彼は笑うことを止めた。彼は姿勢を正し、Kとチェリーに向かって敬礼した。
「やります。やらせていただきます。この重要任務を必ずや全うして見せます」
チェリーには彼のこの反応は意外だった。彼は不正を何よりも嫌う男だ。自分が「元・コックローチ」であることを知ったのに、どうして自分に敬礼したのだろう?
「隊長、私は心底、感服いたしました。涸沢でご一緒の時より『この人は只者ではない』と思ってはおりましたが、まさか、このような方であられるとは」
彼は涙を流していた。軽蔑?とんでもない。彼はチェリーに心から感動していたのだった。 彼は人一倍の正義漢。それ故に警察官となり、職務に忠実である一方で、数々の現場を経験するにつれて警察官という立場でできることの「限界」をひしひしと感じていた。彼は彼なりに、たとえば、ニッポンもイギリス並みに「殺人許可証」を認めるべきではないかなど、思うところがあった。コックローチはまさにそんな彼にとっては「理想とする組織」であったのだ。
「ニッポンのため、否、民衆のため、ご一緒に戦わせていただける名誉、心より嬉しく思います」
「では、きみにも『ニックネーム』が必要だな」
「は?」
「コックローチのメンバーは皆、ニックネームで呼び合う習わしだ。そうだったな?チェリー」
「はい、そうです」
「どんなニックネームがいい?」
彼は暫く考えた。そして次のように答えた。
「『シーバス』でお願いします。私は今からシーバスであります、チェリー隊長」
名字が鈴木=鱸だからシーバス?チェリーは笑いながら頷いた。
「入れよ」
チェリーはシーバスを渋谷のコックローチ秘密基地に招待した。
「はい」
中に入るシーバス。
「すごい」
秘密基地と言いながら、最新鋭の設備が整った基地内の様子にシーバスは驚いた。
(ここがコックローチの基地)
シーバスは今、自分が「現代の伝説」を目にしているのだということを、しみじみと感じていた。
(そして自分も、その栄光のメンバーのひとりなんだ)
シーバスは正直、震えた。
「それにしても」
シーバスはチェリーに疑問を投げかけた。
「11年間、放置されていたのでしょう?その間、基地は大丈夫だったのですか?」
11年間放置されていたビルの地下の秘密基地。当然、設備は老朽化していていい筈だし第一、電気やインターネットをどうやって入れている?そもそも、どうやってビルの地下に秘密基地を作り得たのだろう?
チェリーの答えは、いたって単純だった。
「ああ、それはビルが俺の所有物だからだよ」
そう。ビルのオーナーはチェリー。上の階に入っているスマホ代理店や歯医者などから入る家賃料によって運営されているのだ。道理で秘密基地が可能なわけだ。ビルの地下をビルのオーナーに内緒で間借りしているわけではなかったのだ。
「いらっしゃいませ」
量子がやってきた。チェリーが紹介した。
「こいつは量子。コックローチ局長・待子さまの形見だ。見かけは可愛いが、どうしてどうして、言い出したらきかない子でね」
「まあ、おじさまったら」
続いてチェリーは量子に言った。
「悪いが、今から二人で地下室へ行く。再び上がって来たら、お前とも話させてやるよ」
チェリーはどうやらシーバスと二人で「何かをしたい」ようだ。
量子はむくれながらも、チェリーの言うことをきいた。
「じゃあここで待ってる。早く上がって来てね」
チェリーとシーバスは地下2階へと潜った。
地下2階はコンクリート剥き出しの広い部屋。そこでチェリーは「何をしたい」というのか?
「お前の剣が見たい。藁を立てるから、切り込んでみてくれ」
成程。チェリーはシーバスの「腕前が見たい」のだ。果たして実践で使えるのかどうか、自分の眼で確認したいらしい。
「わかりました」
チェリーが人間に見立てた藁を中央に立てた。高さはおよそ180㎝。やや大きめの成人男性といったところか。
シーバスはKから頂いた自分の刀を鞘から抜いた。白光りする美しい刀身を持った刀。
シーバスが構える。正眼の構え。
(この構えから繰り出される技といえば、突き)
チェリーの眼光が鋭くなる。
「ややや!」
シーバスが藁に「三段突き」を浴びせる。その後、シーバスは袈裟切りをもって藁を一刀両断した。
「見事だ」
「ありがとうございます。緊張しました」
シーバスが笑顔で答える。
「緊張した?なぜ」
「不合格だったらどうしようかと」
「ははは」
チェリーもまた自分の愛刀を抜いた。古市亜夢の一振り「聖」だ。聖はシーバスの刀とは正反対の黒光りする刀だ。
「お礼に俺の技も見せよう。済まないが、藁を2本立ててくれないか」
シーバスが藁を2本、3mほど離して立てた。
(隊長は、どのような技を?)
隊長の技をこの目で見る。シーバスは唾をゴクリと飲んだ。
チェリーが構える。チェリーは右腕を高く上げつつ体よりも後ろに引く。自ずから刃が右に寝る。
(これは平突きだ)
チェリーが左腕を前に伸ばす。右腕との体のバランスを取るためだ。右手の甲を右頬に当てているところなど、剣の構えというよりも弓の構えに近い。
「やあっ」
チェリーの平突き。最初のそれは藁の左に外す。
(外した?)
そこからチェリーは間髪いれず「五段切り」を浴びせる。
(成程)
さらにチェリーは右の藁に飛びかかる。今度の平突きは見事に命中。
「はあっ」
そこからチェリーは刀を押し込む力を利用して体を逆時計周りに回転。その勢いを利用して刀を抜き、そのまま一気に袈裟切り。
( ! )
チェリーが戻ってきた。チェリーが説明する。
「どうだった?突きを外したら五段切り、突きが決まったら回転袈裟切り。実のところ俺には、この二つの技しかない」
説明などなくとも既にシーバスは、最初は「わざと外した」ことを見抜いていた。シーバスはチェリーの方が「実力的に上である」ことを知った。そしてシーバスは、そのことを喜んだ。やはりそうでなくては自分がこれから仕えるに値しないではないか。
それにしても隊長は一体全体、誰に剣を教わったのだろう?
「この二つの技、誰から習ったんです?」
「これか?」
日頃は過去を離さないチェリーが、この時は饒舌になった。
「自分が大学生の頃の話だ。自分が受けた講義を担当している教授が、なぜか当時、日本に4人いた剣道8段のうちのひとりでな。講義の方は『学期の最後に千字文を暗唱させるから、できなければ単位はやらんぞ』みたいな・・・。まあそれは良しとして、講義中にしょっちゅう自慢話をするんだ。たとえば『テニス部の連中と一緒にテニスした時のこと。自分はテニスなんかやったことがない。でも絶対に負けないんだな。なぜなら、自分は相手を眼で金縛りにするから。あとは体の動けない相手にポーンと軽くラケットでボールを打って、おしまい』みたいな感じで。他の生徒たちはみな感心しているけれど、俺なんか『このほら吹き野郎が』と思ってさ。でもって、勝負を挑んだわけ。話が本当かどうか確認するために。するとどうだろう。強い、強い。もう手も足も出ないわけ。それから10カ月かな?俺はその人の指導を受けたというわけ。他にもいろんな技があったんだろうけれども俺は、この二つだけを習ったんだ」
その後はシーバスが自分のことを話した。シーバスは普通に地元の道場で道場剣道を習い、その後は独学で腕を磨いた。
再びチェリーが話し出した。まだ言い足りないことがあったからだ。
「さっき『師弟の契りは10カ月』って言ったよな?自分としては、本当はもっと教わりたかったんだが、講義が終わったからもうダメだという話になった。『お前はもう単位を修得したから教えることは何もない』と。話が違うだろうと思うんだけど・・・。でもって、最後にこう言ったよ。剣のことは忘れてもいいが『千字文は忘れるなよ』って」
「それで、今でも覚えていますか?」
「天は黒く、大地は黄色い。宇宙は広々として果てがない。日は昇り、日は沈み、月は昇り、月は沈む。天の川は滔々と夜空を流れる・・・」
どうやら覚えているようだ。
「ところで、シーバス」
チェリーがシーバスに尋ねた。
「はい?」
「お前の刀?見せてみろ」
シーバスは刀を鞘から抜いた。
「警視監から頂きました。古市亜夢の『坪松』だそうです」
「そうらしいな」
チェリーは自分の刀を抜いた。チェリーは坪松の横に並べた。
「まったく同じ形の刀」
「ああ、色だけが違う。俺のは『聖』だ」
「姉妹刀ですか?」
「そのようだ」
黒い聖に、白い坪松。
「まるで大和と武蔵だな」
「は?」
「戦前の日本に存在した二隻の巨大戦艦。大和と武蔵は同型艦で、大和は黒く、武蔵は白く塗られていた」
「そうなんですか」
「話がなんだか軍国臭くなったな。止めよう。軍国主義は好きじゃない」
チェリーは聖を鞘に収めた。シーバスもまた坪松を鞘に収めた。
それにしても坪松をくれてやるとは。Kは最初からシーバスのことを相当見込んでいたに違いない。
チェリーとシーバスが上がってきた地下1階の作戦室では量子がデザートタイムの準備をしていた。机の上に並べられたデザート。
「またこれかよ」
チェリーが量子にクレームをつける。
「これは手作りプリンですか?」
シーバスが尋ねる。
「豆腐のムースだよな?」
それは量子お得意の豆腐のムース。ムースの上には缶詰のミカンとミントの葉が乗せられてある。
シーバスが一口食べる。確かにミカンの味がする。
「美味しいよ、量子ちゃん」
「へへへ」
シーバスはきれいに平らげた。
「量子ちゃんは将来、いいお嫁さんになるね」
「どうだか」
チェリーが茶々を入れる。今のチェリーにとっての量子はまだ「ほんのねんね」でしかない。量子はただでさえ膨らんでいる頬をさらにぷうっと膨らませた。
量子の料理の腕は味はともかくとして、量の加減というものを知らない。今だって3個でいいのに、なぜかテーブルには9個もある。おにぎりにしたって、量子のつくるそれはソフトボール大の大きさだ。
「おじさまの意地悪」
「客観的見解だよ」
「べーだ」
「まあまあ」
シーバスが二人の取りなしをする。
「それより量子」
チェリーの顔が真剣になった。量子の顔も真剣になる。
「今回の事件、お前はもう参加するな」
「え、なぜ?どうして」
チェリーはその理由を説明した。在日米軍がロング・レッグを追っている。在日米軍がもしも量子のサイ能力(ESPとしての資質)を知れば、間違いなく量子を捕らえて実験材料にしようとするだろう。
「お前の能力はある意味、ロング・レッグよりも脅威なんだよ」
「・・・・・・」
量子は悲しくなった。自分の存在が「脅威」だなんて。でも、この厳然たる事実を受け入れないわけにはいかなかった。
「だから今回は、ここでおとなしくしていてくれ」
「わかったわ」
量子は頷いた。
それから数日後の深夜。遂にロング・レッグが動き出した。
秘密基地の警報が鳴る。警視庁からの緊急連絡。
「市ヶ谷の防衛省がロング・レッグに襲撃されている」
さあ、コックローチの出動だ。チェリーとシーバスが愛刀を握りしめ、市ヶ谷へと向かった。
それから10分後。
再び秘密基地に緊急連絡が入った。
「千代田区の首相官邸がロング・レッグの襲撃を受けている」
ロング・レッグ姉妹はそれぞれ別行動を取っていたのだ。そして今現在、秘密基地にチェリーとシーバスはいない。いるのは量子だけ。
「よし」
量子は自分のトレッキングポールを手に取ると渋谷駅へと向かった。
「タクシー」
「どちらまで?」
「首相官邸までお願いします」
「首相官邸?」
「ええ、そうです。近くまででいいです」
運転手は「何でこんな女の子が?」と首を傾げながらも、タクシーを首相官邸へと走らせた。
タクシーを降りた量子は首相官邸の塀を念動力で飛び越えた。
「いたわね」
そのとき丁度、首相官邸内を一通り荒らしてきたロング・レッグが外の広場に出てきたところだった。
ブロンドヘアー。これは妹の方だ。
ロング・レッグもまた、量子に気が付いた。
「また会ったな、娘」
「今度こそ、容赦しないわよ」
量子はトレッキングポールを構えた。
「やあっ」
量子はロング・レッグに突撃を敢行した。リニアモーターのように念動力でわずかに浮かんでいるから、その平突きの速さはチェリーに勝るとも劣らない。
「へたなニッポンの男なんかより、よっぽど強いわ、あなた」
「へへへ」
「でも、負けなくってよ」
再び量子の平突き。それに対しロング・レッグは量子のトレッキングポールを手刀で叩き落とした。
「ああっ」
叩き落とされたトレッキングポールをロング・レッグが踏みつける。トレッキングポールは無残に割れた。
「これでもう、あなたは素手」
「まだまだよ」
「なに?」
首相官邸の塀の外から鉄製の円盤が次々と飛来してきた。それらがロング・レッグに襲いかかる。
「これは、マンホール?」
首相官邸の表の道路のマンホールの蓋。それらが量子の念動力によって、まるでフリスビーのように飛んでいるのだった。
「くっ」
これはさすがに叩き落とすわけにはいかない。当たれば、いくらロング・レッグの強靭なボディといえども破壊されかねない。巧みにかわすロング・レッグ。
「はあ、はあ、はあ」
やがて、マンホールの蓋が次々と落下した。量子が疲れたのだ。
「もうダメ、疲れたあ」
量子自身もまた、その場にしゃがみこんでしまった。そんな量子にロング・レッグが歩み寄る。
(やられる)
量子は観念した。だが、ロング・レッグは量子を殺さない。
「なぜ、なぜ殺さないの?」
ロング・レッグは言った。
「私は、人は殺さない」
「・・・・・」
量子はロング・レッグをじっと見た。違う。これは私のパパやママを殺した憎い敵ではない。
量子はゆっくりと立ち上がった。
「ロング・レッグ・・・」
「私は、お前を殺さない。お前は強い。お前には親しみすら覚える」
量子とロング・レッグの間に複雑な信頼関係が芽生え始めていた。
「おい、見たか」
「ああ。あの娘、間違いない。ESPだ」
首相官邸が襲撃されたとの情報を受けて、首相官邸にやってきたのは量子だけではなかった。在日米軍のロング・レッグ捕獲隊もまた首相官邸にやって来ていたのだ。量子はあろうことか、やつらの前でロング・レッグとの戦いを演じてしまったのだった。
「基地からの命令です。ロング・レッグと、その娘を捕えろと」
「よし」
在日米軍のロング・レッグ捕獲隊が行動を開始した。
チェリーとシーバスが到着した時、市ヶ谷の防衛省では既にロング・レッグによって多数の負傷者が出ていた。
その時、二人に緊急通信が入った。
「首相官邸が襲われている?」
「奴ら、二手に分かれていたのですね?」
「ここは俺がやる。お前は首相官邸に行け」
「わかりました」
シーバスは首相官邸へと向かった。残ったチェリーは防衛省の建物内に入った。1階は既に破壊されていた。
「あなたは警視庁抜刀隊の?」
「そうだ」
「やつは6階にいます」
「そうか」
自衛官の情報に基づき、チェリーは6階へと向かった。
「いたな」
6階にはダークブラウンの髪をした姉の方がいた。チェリーが構えた。
「今度こそ、息の根を止めてやる」
ロング・レッグもまた手刀を構えた。その後、数分に渡り両者は激闘を繰り広げた。だが激闘は中断せざるを得なくなった。
突然、ロング・レッグがチェリーに闘いの中止を申し出た。
「私は今から妹を助けに行く。妹が捕らえられたらしい」
「なに?」
妹を捕らえた?とすると相手は在日米軍か?
「どうやら、先に私たちが警視庁を襲った際にいた娘も捕えられたようだ」
「なんだと?」
ロング・レッグの言葉の直後、首相官邸に向かったシーバスからチェリーに連絡が入った。
「隊長、大変なことになりました。在日米軍が首相官邸においてロング・レッグと量子ちゃんを捕まえて連れて行きました」
量子、どうして首相官邸に行った?いや、そんなことはどうだっていい。一刻も早く助けにいかなければ。ロング・レッグの言うことは真実だった。どうやら、ロング・レッグ姉妹は頭脳回路から発せられる特殊な脳波によって通じているらしい。
「どう?ここは私とコンビを組まない?」
「一時休戦・・・だな」
チェリーは聖を鞘に収めた。
「何だ?」
「なに?」
ロング・レッグと量子は、いきなりネット砲によって捕らえられてしまった。
「くそっ」
手刀でネットを切ろうとするロング・レッグ。だが切れない。
「無駄だ。このネットはチタン合金でできた特殊なネットだ。お前を捕らえるためのな、ロング・レッグ」
捕獲隊はさらに言った。
「それから、そこのお嬢ちゃん。闘いは全て見させていただいた。大したサイ能力だ。あんたのこともじっくりと研究させてもらうよ。フフフ」
量子は念動力を使おうとした。だが無駄だった。
「無駄だよ。この特殊ネットは、ただ切れにくいだけでなく、サイ能力を封じる効果もあるんだよ」
捕獲隊はロング・レッグと量子を捕らえたネットをトラックに回収すると、その場を走り去った。
「ロング・レッグ、量子ちゃん!」
ロング・レッグと量子を回収し、走り去ろうとするトラックをシーバスが発見した。シーバスはトラックを追跡した。
「車が一台、追ってきます」
「ふん」
トラックの中からマシンガンが掃射された。マシンガンの銃弾がシーバスの車のエンジンを破壊した。
「くそう」
シーバスは走り去るトラックを呆然と見送るしかなかった。
「ここにいるのか?」
「間違いないわ。私の妹は、この中よ」
この中とは、言うまでもなく横田基地。
「どうやって中に入ります?正面突破は、はっきり言って自殺行為です」
「なら、こうしよう」
チェリーは横田基地を覆う高いコンクリート製の壁の前に立った。
「はあっ」
困った時は平突き。チェリーはコンクリートの塀に穴をあけた。
「行こう。時間はないぞ」
こうしてチェリー、ロング・レッグ姉、そしてふたりと合流したシーバス3名による同盟軍が日本の領土内で最も高い兵力を誇るアメリカ軍横田基地内へ潜入したのだった。
ロング・レッグが指差す。
「妹はあそこに見える奥の建物の中にいます」
「量子は?」
「わかりません」
「よし」
チェリーはここで隊を二つに分けることにした。
「シーバスと姉さんは奥の建物に向かえ。俺は手前から順番に探す」
建物は手前から全部で5棟。滑走路の奥の方にも見えるが、それらは取り敢えず後回しだ。
隊は二つに分かれた。チェリーは一番手前の建物の中に潜入した。
チェリーはコンピュータ室を発見した。ちょうどいい。中の兵士も数名程度。
「はあっ」
チェリーは兵士を峰打ち。早速、コンピュータで基地の内部を調べる。
「量子がいるとすれば独房か、超能力を研究する施設のはず」
まさにそれといった施設をチェリーは発見した。
「サイ能力研究棟。これだ。間違いない」
サイ能力研究棟。それはちょうど滑走路を挟んで斜め向かいにあった。チェリーからの距離およそ3km。
チェリーは外に出た。周囲に車はない。目の前に広がる滑走路の奥に、目指すべき建物が点のように見えた。
「うおおおおお」
チェリーが滑走路上を全速力で走りだした。
(待っていろよ、量子)
「ううっ、くうっ」
「ははは。無駄じゃよ、お嬢ちゃん」
鎖を手首足首に嵌められ天井から吊り下げられた量子が必死に藻搔く。
「この機械はESPが発生するサイ能力を手足の枷から吸収して正確に計測する装置じゃ。今から、お前さんのサイ能力の強さを測定させてもらうよ」
研究所長がふたりの兵士に目配せをした。兵士たちが量子の背中に容赦なく鞭を振るう。
「ああーっ!ああーっ!」
量子の絶叫。と同時に計測器のメーターが上昇した。
「これは驚きじゃ。これほどの高い数値は初めてじゃわい。この基地内はおろか本国の兵士にも、これほどの能力を持ったESPはおらんぞ」
兵士たちが振るう鞭の勢いが増す。
「ああーっ、痛いっ、痛いーっ!」
計測器がさらに高い数値を計測する。
「これは素晴らしい。この調子なら、もっともっと高い数値が期待できるじゃろう」
ご機嫌の研究所長は量子に、鞭打ちよりもさらに過酷な責めを加えることを思いついた。
「今までのは、ほんのお遊び。ここからがいよいよ本番じゃ」
ここからが本番?
「よし、始めろ。遠慮はいらんぞ」
「ありがとうございます。所長」
鞭を床に投げ捨てたふたりの兵士が量子の体に抱きついた。ひとりは量子の胸を服の上から鷲掴み。もうひとりはスカートの中に腕を突っ込む。厳しい軍隊規律によって禁欲生活を強いられているふたりの独身兵士にとって、量子は溜まりに溜まった欲望を吐き出すのに、まさに絶好のダッチワイフであった。
「いやあ、やめてえ!」
両手で鎖をぎゅっと握りしめ、大きく開いた両足を必死に閉じようとする量子。
兵士たちの指がギュッギュッ、シュッシュッと激しく動き始めた。それまでの痛みから一転、心地良い刺激が量子に襲いかかる。
「ああーっ、やだあ、やだあ!」
量子が味わう肉体的快楽と精神的苦痛の増加とともに、数値がさらに上昇した。
「男を責めるのは鞭打ちでもいいが、女を責めるのは、やっぱりこれが一番面白いわい」
「誰か、誰か助けてーっ!」
「無駄じゃ。ここには誰も助けになど来れんよ。何しろここは治外法権の軍事基地の中なんじゃからな」
右手の指をシュッシュッと激しく動かす兵士が左手一本で上手にベルトを外す。兵士はズボンを脱ぎ始めた。
「ま、まさかあ!」
兵士は量子が身に纏うピンクのジャンパースカートの裾を捲ると、両手で骨盤をガシッと掴み、迷うことなく自分の下半身を量子の下半身に押し当て始めた。
「そんな・・・だめえ!だめえ!ほんとにだめえ!」
兵士はニヤニヤ笑いながら、量子の下半身と自分の下半身を密着させていく。
「お願い、許して!ああっ!中に、中に入るう!」
自分にとってこの世で最も神聖な場所へ、この世で最も汚らわしい道具がズブズブと入り込んでくるのを感じる量子。そんな量子の絶望的な悲鳴が研究室に轟く。
と、その時。
突然、研究室の扉が外側から破壊された。
「何事じゃあ?」
扉から入ってきたのはチェリー。チェリーが現場を瞬時に見渡す。即座に現在の状況を把握したチェリーは激昂した。
「貴様らあああああーっ!」
研究室内に轟く悲鳴。研究所長、そして2匹のオスの野獣が瞬く間にチェリーによって血祭りにあげられた。彼らは文字通りチェリーの「逆鱗に触れた」のだ。
チェリーは量子を枷と鎖による縛めから解放した。
「だから言っただろう!今回の事件には参加するなって」
「ううう・・・うわああああん!」
チェリーに抱きつく量子。
「怖かった・・・本当に怖かったよお!」
チェリーの胸で泣きじゃくる量子。チェリーは量子の背中を何度も軽く叩いた。
シーバスとロング・レッグ姉が向かった建物の中では激しい戦闘が繰り広げられていた。ロング・レッグの手刀にシーバスの剣。それに対する在日米軍は拳銃に自動小銃。
「やあっ」
シーバスが剣を振り下ろす。強化プラスチック製の米軍正式小銃M16が真っ二つになる。
「とりゃあ」
シーバスが剣を水平に振る。兵士の手から米軍正式拳銃コルト・ガバメントが弾き飛ばされる。
ロング・レッグにはもとより、このようなものは通用しない。
どうにかこうにか、二人は目的の部屋の前まで到着した。
「この中に妹がいます」
「よし」
シーバスが三段突きで扉を破砕した。中に入った二人。
「ああ・・・」
「なんてことだ」
そこには、既に分解されたロング・レッグ妹の姿があった。在日米軍は捕獲後、直ちに分解したのである。
「うわああああ!」
ロング・レッグ姉が号泣した。妹の頭を抱いたロング・レッグ姉はそれを自分の頬にすり寄せた。
「人間だったら、こんな時は涙を流すのだろう?でも私には涙が出ない」
ロング・レッグに涙腺はない。ロング・レッグは悲しくても涙が流せないのだ。
人間並みの感情を宿したロング・レッグ。なぜ、こんなものを作り出してしまったのだろう?見ていて悲しくなるシーバスだった。
ロング・レッグ妹の体を全て袋に詰めて、シーバスとロング・レッグ姉は部屋を出た。オナラウッド研究所が存在しない以上、もはや修復は不可能だったが、ここに残しておくわけには絶対にいかなかった。
シーバスのスマホが鳴った。
「もしもし」
「俺だ。娘は取り戻した。ただ、建物の外に出られそうにない。迎えに来られるか?」
「どこにだって行きますよ。隊長」
「待っている」
チェリーと量子がいるのは滑走路を挟んで対角線上に位置する建物。ここからだと2.5kmほど離れている。
表に出た。幸い、ここには軍用ハマーが停まっていた。軍用ハマーに乗り込むシーバスとロング・レッグ。
「行くぞ」
シーバスは滑走路を飛ばした。
チェリーが電話をよこした理由はすぐにわかった。在日米軍の兵士たちが多数、建物を取り囲み、銃撃を加えているのが見える。
「私が行くわ」
ロング・レッグがハマーから降りた。背後からの敵襲に兵士たちは慌てた。兵士たちの銃口がロング・レッグに向けられる。
「今だ」
量子を抱きかかえたチェリーがハマーめがけてダッシュした。兵士たちはロング・レッグに手いっぱいで、それを制止することができなかった。
チェリーがハマーに乗った。量子を後ろに乗せ、チェリーは助手席に乗った。チェリーはハマーの中に装備されていた自動小銃を手にした。
「よし、走らせろ」
「了解」
シーバスがハマーを走らせた。轢かれたらたまらないと兵士たちが逃げ惑う。
「後ろに乗れ、ロング・レッグ」
ロング・レッグは言われるままに後ろに乗った。
「よし、あとは脱出だ」
ハマーが滑走路を疾走する。すると後ろから突然、轟音が響いてきた。
「ちっ、軍用ヘリコプターだ」
ヒュイコブラが後ろから高速で迫る。チェリーは助手席の窓から体を出すとヒュイコブラめがけて自動小銃を連射した。
「くそっ、防弾ガラスだ」
「私に任せて」
ロング・レッグが後部座席の窓から体を乗り出す。手にはミサイルランチャー。
「さよなら」
ミサイルランチャーが、ものの見事に命中した。さすがはロング・レッグ。射撃の精密さは人間の比ではない。ハマーの後方で爆発、炎上、墜落するヒュイコブラ。
「せっかくだから、正面も頼むよ」
正面ゲートは堅く閉ざされていた。
「オーケイ」
ロング・レッグがミサイルランチャーを正面ゲートに向けて発射。今度も命中。
「使えるな、お前」
ロング・レッグは、にやりと笑った。
ハマーが正面ゲートを突破した。脱出成功。ハマーはそのまま漆黒の彼方に走り去った。
※
自衛隊の機密情報に次のような映像がある。
それは「ロング・レッグを破壊する映像」。自衛隊はロング・レッグに関する研究を放棄した。回収したロング・レッグを自衛隊は最終的に溶鉱炉の中で溶解した。
この機密映像を本国のアメリカ軍も当然、確認した。
また、横田基地から実験と同時に伝送された超能力少女に関するデータに関しても、あまりにも数値が高すぎるために「単なるデータミス」として処理された。
こうしてロング・レッグも量子も、歴史から消えた。
だが、実際のところは次の通りである。
渋谷。
「取り敢えず、妹の体はここで保管することにしよう。いつの日か、科学技術が進歩すれば再生できるかもしれないからな」
「はい。お願いします」
チェリーはバラバラになったロング・レッグ妹のパーツを渋谷の秘密基地内で厳重保管することにした。
「で、お前はどうするんだ?」
「私は・・・」
ロング・レッグ姉は迷っていた。いきなり「どうする」と言われても、わからない。
「どうだ?これからは『人間』として生きて見ないか?」
「えっ?」
「どうだ?」
「そんなこと、できるのですか?」
「俺がいい仕事を紹介しよう」
こうして、ロング・レッグ姉は今では秘密基地のあるビルの2階の歯医者で、歯科助手として働いている。腕は、はっきり言って院長よりも上だ。精密無比な歯の掘削はいうまでもなく、レントゲンなどやらなくても歯茎の内部を見ることもできる。医師免許については、もちろん偽造した。偽造といっても警視庁のコンピュータで厚生労働省のコンピュータに侵入して完璧に書き換えてあるから、たとえ医師免許を確認しても、彼女のデータがちゃんと存在するようになっている。
先に登場した自衛隊の機密映像は勿論、自衛隊のコンピュータを覗き見しているアメリカ軍を対象にした「フェイク映像」である。
そして品川の銀行襲撃事件だが、警視庁が総力を挙げて捜査を行った結果、あっというまに容疑者を逮捕することができた。警視庁は迷うことなく、ロング・レッグによる警視庁襲撃事件および防衛省・首相官邸同時テロを、この二人に負わせることにした。品川の事件の被害を思えば容疑者はどうせ「死刑」に決まっている。ロング・レッグの存在を一般市民に知られるわけにはいかないのだ。
※
「シーバス。今日からはきみが抜刀隊の『新・隊長』だ。頑張ってくれたまえ」
「はい、警視監殿」
ロング・レッグの事件が解決して警視庁ではチェリーに変わり、シーバスを警視庁抜刀隊の隊長に任命した。今後はシーバスが抜刀隊の活動の一切を仕切ることになる。
では、チェリーは?
「機長、もう少し高度を下げてくれないか」
「これが限界です」
チェリーはヘリコプターの助手席に乗っていた。
「見ろ。あそこの木が揺れているぞ。接近しろ」
「了解」
了解とは言ったものの機長には全く判らない。とにかく言われた場所へ接近する。
高度数百メートルの上から広い山林の中で僅かに揺れる一本の樹木を見逃さないのがチェリーだ。知能指数のすこぶる高いチェリーは昔から「間違い探し」などが得意だった。
「あれだ。こっちに手を振っている。ホイストで降りる。ホバリングの用意」
「了解」
昨日から北アルプスで行方不明になっていた登山者は、こうして無事にヘリコプターによって救助された。
チェリーは長野県警に復帰していた。
「ただいま」
「おかえりなさーい」
「今日の晩飯は何だ?」
チェリーは自宅の台所に入ると鍋の蓋を開けて中を見た。
「あ、だめ。見ないで」
「何だ、こりゃあ?」
「それ、失敗しちゃったの」
「まったくう」
「今、別の料理作り直してるから。今日の晩御飯は8時よ」
「おい、量子!」
こうして、二人に再び平和な時間が戻ったのである。
7
北海道警察本部で地元の警察官らを相手に剣術指導を終えた警視庁抜刀隊の佐々木隊員は愛刀の長曾弥虎徹を腰に下げ、誇らしげな足取りで札幌市近郊にある宿舎へと歩いていた。拳銃とは異なり刀は一般市民であっても警察へ登録すれば所有することができる。抜刀隊の隊員は通常、刀を自宅で保管していた。
「そなた、もしかして抜刀隊の者であるか?」
後ろから声をかけられる。背後に人の気配は感じなかった。佐々木は慌てて後ろを向いた。
「そうだが、あなたは?」
「拙者は剣術を愛し、剣術を極めんとする者でござる」
そう言うと、相手は突然、日本刀を抜いた。
「拙者とひとつ、勝負してはくださらぬか?」
「嫌、というわけにはいかないようだな?」
「いかにも」
「わかった」
佐々木は剣を抜いた。佐々木は剣を峰打ち状態にして構えた。
「あなたを殺すわけにはいかないから、峰打ちで勘弁」
相手は当然、真剣の構え。
「やあっ」
佐々木は相手に向かって突進した。刀を頭上に高々と上げる。
その瞬間。
相手の「胴」が佐々木の腹に決まった。佐々木の腹が真横に真っ二つに切られた。
「ぐわっ」
路上に飛び散る鮮血。佐々木はその場に片膝をついた。そこへ間髪いれず相手が斬りかかる。佐々木は左を振り向き、自分の刀で相手の振り下ろされる刀を受けた。
「なに?」
だが佐々木の刀は、まるで包丁で切られる大根のように、ものの見事にスパッと真っ二つに切られた。
「ば、ばかな」
胸を縦に斬られ、佐々木はその場に仰向けに倒れた。
「ふん。大したことないな。これが抜刀隊の実力か?」
相手の男は高笑いをしながら、その場を立ち去って行った。
その翌日。
今度は宮城県警察本部に出向していた抜刀隊の下川部隊員が、やはり路上で何者かに対戦を申し込まれ、あっさりと敗北した。
警視庁・抜刀隊本部。
「警視監殿」
「シーバス。これは警視庁抜刀隊に対する挑戦状だ」
「はい」
「まずは、これを見てくれ」
Kはシーバスに二つの事件に関する写真を見せた。
「これは」
「そう。刀が二本ともスパッと、まるで野菜でも切ったかのように綺麗に真っ二つに切られている」
「二人の所持していた刀は?」
「虎徹に菊(一文字)だ」
「ばかな。虎徹や菊を真っ二つに切り裂くなんて」
虎徹に菊。ともに国宝級の名刀だ。
「そして、これが今日、本庁に送られてきた手紙だ」
拙者は祖国の剣術が衰え滅びゆくのを憂い嘆く者。
しかるに抜刀隊の力量を見定めるべく剣を交えるも、
そのあまりの弱さに怒りすら抱く今日この頃。
かくも軟弱な者の寄り集まりが
仮にもニッポン最強剣客集団を気取って「抜刀隊」などと名乗ること、
断じて許し難し。
よって拙者の名において壊滅せん
半次
「確かに、これは挑戦状ですね」
「そうだ。そして確かに剣の腕は一流だ。倒された二人はともに剣道7段の実力者だ」
それにしても、虎徹や菊を真っ二つに切り裂く刀とは、一体?
「まさか、犯人は隊長(チェリーのこと)じゃあ」
「いや、それはない」
Kはチェリーを擁護した。
「あいつは夏恒例の涸沢常駐だ。しかも」
Kはデスクの上に「聖」を置いた。
「あいつは聖をここに置いていった」
シーバスはホッとした。では、いかなる刀が虎徹や菊を裁断したのだろう?
Kが一冊の書物を取りだした。紐で綴じられたそれは明らかに古い書籍。
「警視監、それは?」
「これは江戸時代に書かれた、刀匠・古市亜夢に関する伝記本だ」
古市亜夢の伝記本。
「そうだ。ここには、いろいろと興味深い記述がある」
その後、Kはその記述の内容をシーバスに語って聞かせた。
「そのような話があったとは」
そこには当然、聖や、シーバスの愛刀である坪松に関することも書かれてあった。
「それはさておき、シーバス。きみに指令を与える」
指令。シーバスは姿勢を正した。
「きみは明日一番で東京を出発、直ちに聖をチェリーに渡しに行くのだ」
「了解しました」
3年ぶりの上高地。シーバスにとっては懐かしい風景。梓川の清流。岳沢に雪渓を残す穂高連峰。そして目の前に見えてきた河童橋。
「久しぶりだな、シーバス」
「隊長」
「俺はもう抜刀隊の隊長じゃないぞ。今の隊長は自分だろ?」
「でも、救助隊の隊長でしょう?それに自分にとっては、いつでも隊長こそが隊長です」
警視庁から連絡を受けて、チェリーは朝一番で涸沢を下山した。二人は11時に河童橋で合流。そして二人は少し早いものの河童橋正面にある食堂で地鶏弁当を腹に詰めることにした。
「お前も大変だな?シーバス」
「申し訳ありません」
「お前のせいじゃない」
「お嬢さんは、もう高校1年生ですか?」
「ああ、今は京都の高校に通っているよ」
「京都?」
「ああ、寮に入っているんだ」
「心配じゃないですか?」
「何が?」
「たとえば、悪い虫が付くんじゃないか、とか」
「それは心配ない。あんな色気のかけらもない未だに小学生みたいな娘、男は誰も相手にしないよ」
「そんなことないですよ。お嬢さん、とってもかわいいじゃありませんか」
「じゃあ、お前にやろうか?」
「隊長!」
「冗談だよ」
「でも、何でまた京都の高校に?」
「東京は嫌だってさ。そりゃあそうだろう。横田でのことは今でも『心の傷』になっているだろうからな。だから大学も関西方面だな」
そうだ。量子は横田で兵士たちから辱めを受けたのだった。
シーバスは話題を変えた。
「早速ですが隊長。これを見てください」
シーバスは古市亜夢の伝記本をチェリーに見せた。
「ここに聖と坪松に関する重要な記述があります。『亜夢は62年の生涯において数多の刀を打ったが、その頂点にあるのが薬師三宝刀である。それは薬師如来、日光菩薩、月光菩薩をあらわす』。そして『日光、月光は薬師の脇侍』とあります。色から見て日光は坪松、月光は聖のことでしょう」
つまり、聖と坪松は「薬師如来を守る刀」ということである。
「そして次に薬師如来についてですが、『薬師は青』とあります。つまり薬師如来は青い刀身を持つということです」
伝記本を読み解くと、どうやら古市亜夢は仏教の経典にインスパイアされて3本の刀を打った。真打ちが薬師で、聖と坪松はその模造刀ということになる。
「犯人が薬師を持っていると?」
「この3本は江戸時代までは、同じ寺に保管されていました。ところが明治時代の廃仏毀釈によって寺が廃寺になると、3本とも行方不明になっています」
「そのうちの2本がここにある」
「あとの1本は今も行方不明です」
「犯人が所持する刀が薬師である根拠は?」
「この写真を見てください」
シーバスが写真に写る刀について説明した。
「この真っ二つになった2本は虎徹と菊です」
「成程。なまくらでは、こんな真似は出来ないな」
「その通りです」
「話が面白くなってきたな」
チェリーとシーバスは上高地を出発すると車で関西方面へと向かった。車を運転するのはシーバス。
「これは自分の車か?」
「ええ」
「いい車に乗っているな」
「全然。この車、時速100kmになると顎を上げてしまって、ハンドルが急に軽くなって操舵が不安定になります」
シーバスの愛車はエスティマ・ハイブリッド。
「贅沢言うなよ。俺の車なんか、時速80kmで左右にフラフラ揺れるぞ」
ちなみにチェリーの愛車はエブリイ。
ミニバンと軽ワゴン。どちらも「高速走行に適した車でない」ことは間違いない。人気低迷とはいえ、やはり高速走行は背が低く剛性の高いスポーツカーや4ドアセダンの方が優れている。
「ところで、これからどこに行くんだ?」
「現在、抜刀隊のメンバーは京都、広島、福岡の3名です。私は福岡へ行きます。隊長には京都に入っていただきます」
「抜刀隊の隊員を抜刀隊の隊長が護衛しなければならないなんて、世も末だな」
「仕方がありません。犯人はそれほどに強いのです」
「倒された2名。ともに胴を切られていたな?」
「ええ」
「ということは『極めて最初の第一歩の踏み込みが速い』ということだな」
面や小手とは異なり、胴を切るには踏み込みの速さが極めて重要になる。剣を真横に寝かせるのだから当然、剣と相手との距離は遠くなる。その分を余計に踏み込まなければいけないからだ。
「最強の亜夢を手にする縮地の剣客か。まだ断言はできないが」
「縮地?」
「ああ」
縮地とは初速から最速で動く技。その動きは、ほとんど瞬間移動に見える。
「強敵の出現だな」
「隊長」
「惜しむらくは、次は俺のところに来てもらいたいものだ」
シーバスには強敵の出現をチェリーが、むしろ喜んでいるように見えた。
「サンキュー」
チェリーは京都府警本部で車を降りた。車は、そのまま福岡へと向かった。
京都府警本部内でチェリーと抜刀隊隊員との話し合いがもたれた。チェリーは隊員に「しばらくは帯刀しないこと」を命じた。
「自分が帯刀して京都を練り歩く」
チェリーは自分が囮となって犯人をおびき出す作戦を計画したのだった。
翌日からチェリーの京都散策が開始された。
「懐かしいな」
京都はかつてチェリーがコックローチだった頃の決戦地の一つだ。
今日は取り敢えず京都御所をぐるりと回るようなルートで歩くことにした。囮であるから、とにかく人の多い場所を積極的に歩くことにした。まずは西に400mほど歩いてメインストリートの堀川通りに出る。そこから京都駅まで南下する。二条城を通過し、堀川警察署に顔を出す。さらに西本願寺を通過し、新撰組の不動堂村屯所跡の手前を左折、塩小路通を東へ向かう。その間にも道行く人がちらっちらっと自分を振り向く。中には自分に話しかけてくる者もいる。
「抜刀隊の方ですね?」
さらには心配そうに話してくる人も。
「北海道と宮城で事件がありましたが、大丈夫ですか?」
チェリーは笑顔で答える。
「ええ、御心配なく」
京都駅を右に見て、さらに東へと進む。塩小路橋を渡り、三十三間堂を通過。三十三間堂をぐるりと回るように七条通西に進む。七条大橋の手前からは鴨川沿いを北上。三条大橋を渡って、池田屋騒動の址碑を確認してから再び三条大橋を渡り返し、進路はそのまま。粟田小学校まで来たら再び北上。現在は図書館や美術館が建つ旧加賀前田藩屋敷跡の中を通過。正面で行く手を阻む平安神宮を左側から避けて、東大路通を北上すれば京都大学。そこから西に進路を変え、賀茂大橋を渡った先にある ファミレスでチェリーは休憩を取った。そこでコーヒーを注文する。もちろんセルフサービス。
コーヒーを飲みながら、チェリーは考えていた。
(抜刀隊を作ったのは失敗だったかな?)
抜刀隊を組織すれば、剣の腕に覚えのある者が「道場破り」みたいな真似を仕掛けてくることは容易に想像ができた筈。そこまでの思慮が足りなかったことをチェリーは悔いていた。
ファミレスの入口が騒がしくなった。女子高生の一群がペチャクチャと喋りながら入ってきたのだった。そしてその中に量子がいた。
「あれっ」
量子はテーブルに座ってコーヒーを飲んでいるチェリーを発見した。警官の制服を着て帯刀しているのだから、よもや見間違いであろうはずがなかった。
「おじさま」
「量子?」
「どうしてここにいるの?おじさま」
チェリーは量子に「自分が京都に来ている」ことを話していなかった。話せば余計な首を突っ込んでくるに決まっているからだ。
量子はすぐにピンときた。
「わかった。抜刀隊の人が切られた事件。その捜査のためでしょう?私に話さなかったってことは、私に首を突っ込ませたくないからね。そうでしょう?」
量子は眉をつり上げてチェリーに怒った。
「あったり前だろうが。お前、また首を突っ込む気か?横田のようなこと、もう二度と体験したくはあるまいが」
「うっ」
量子の顔がさーっと青ざめる。量子の瞳が瞬く間に涙目になった。
「悪い。思い出させたか?」
二人のもとに他の女子高校生らが集まってきた。
「ねえ量子。この人誰なのー?ひょっとして彼氏ー?」
「ヤダあ、量子。年上のおやじと付き合ってるのー?」
量子は弁解した。
「違うわよ。この人は私のおじさまで、こう見えても警視庁の凄腕なんだから」
こう見えてもは余計だ。
その後、女子高校生たちはチェリーのことを「かわいい」と評した。チェリーにとって、これは糞面白くもない評価だった。男がかわいいと言われて嬉しいわけがないではないか。 だが思い返せば、チェリーは小学生の頃から一貫してクラスメートや先輩の女の子から「かわいい」と言われ続けてきたのであり、生まれてからこの方、一度として「カッコいい」と言われたことがないのだった。それはひとえにチェリーの顔が「精悍ではない」からだった。大きくてつぶらな瞳の童顔。チェリーの顔はそういう顔だった。身長も163cmしかない。この姿を見て「凄腕の剣客」だとわかる人は、そうはいまい。
チェリーはコーヒーを飲み終えると、ファミレスを出た。再び歩きだすチェリー。
そんなチェリーの姿を鋭い眼光が見つめていた。
「次の獲物は、あいつか」
チェリーに闘いが迫っていた。
翌日。
チェリーは、今度は昨日とは反対の京都市街西側を巡回することにした。
メイン通りである堀川通を南下するのは昨日と同じ。四条通を通過、二本目の路地を右折。そのまままっすぐ西へ進み、かつて新撰組の屯所があった壬生寺まで来た。
そのときチェリーは刀を手にした一人の男を認めた。その男は顔をマスクで隠していた。 説明など必要ない。こいつが北海道と宮城県の抜刀隊隊員を倒した男に間違いない。
「お手合わせ願おう」
相手が剣を構えた。
「お前か?日本の剣術の行く末を案じる半次とやらは」
チェリーも抜刀した。
「本当、俺も案じるよ。貴様のような馬鹿がいると思うとな」
壬生寺は「新撰組ゆかりの地」ということで観光客には人気のスポットのひとつなのだが、この時は無人だった。ちょうどいい。思いっきり戦えるというものだ。
「お前は容疑者だからな。先に行かせてもらうぞ」
チェリーが先に仕掛けた。平突き。
「ふん」
半次は素早くよけた。その半次にチェリーはすかさず五段切りを仕掛ける。
その五段切りの全てを半次は受け止めた。五段切りは五段切りにならなかった。
両者の刀が交差する。この時、チェリーは半次の刀に施された刀身彫を見た。それは紛れもなく薬師如来像だった。
(間違いない、こいつの刀は最強の亜夢)
両者が離れる。チェリーは再び構え、平突き。
再び半次がよける。やはりチェリーの突きよりも半次の身のこなしの方が速い。
「やあっ」
チェリーは刀を右に払った。半次の右肩をチェリーの刀の先が撫でた。この技は「横薙」といい、チェリーは普段、使わない技だ。この技の特徴は突いた刀を即座に横に払うことで素早くよけた敵を確実に切ることができる点にある。欠点は、ただ刀を横に払うだけなので威力が弱いこと。チェリーはその場しのぎの「姑息な技」とみなし、故に日頃は使わない。チェリーがこの技を「この場で使った」ということは、それだけ相手のスピードが速いということに他ならない。
「ちっ」
チェリーは不満顔。当然だろう。こんな掠り傷をいくら付けたところで勝ったことにはならない。
しかし、この僅かな「掠り傷」が半次をひどく狼狽させた。半次は生まれてからこの方、一度として「敵に斬られたことがなかった」からだ。
「ふははははは」
突然、半次が笑いだした。自身の狼狽を否定するために。
「おもしろい。この俺様に掠り傷をつけたのは、お前が初めて。いいだろう、お前は最後に倒す。今日はこれにて御免!」
半次は剣を鞘におさめ、その場を立ち去ろうとした。
「逃がさん」
チェリーは平突きの構えから半次に向かって全速力で突撃した。半次は振り向きざまに抜刀した。抜刀術。
チェリーの聖と半次の薬師刃が激しくぶつかり合った。
結果は?
「うっ」
チェリーが頬を斬られた。無論、致命傷ではないが。対する半次は無傷。勝負は半次の「勝ち」。半次は再び刀を鞘におさめ、その場を走り去る。
「待て」
チェリーが追跡する。チェリーは100mを10,09秒で走る。だが、チェリーは半次に追いつけなかった。
(これが縮地か)
やがてチェリーは半次の姿を完全に見失った。チェリーは自分の頬の傷を抑えながら、次の対戦のことを思った「間違いなく強敵だ」と。
そして実のところ、半次もまたチェリーと似たようなことを考えていた。
自分の肩に掠り傷をつけた男、そして薬師刃が斬ることができなかった刀「次に会うのが楽しみだ」と。
それから二日後。
「お手合わせ願いたい」
来たか。
二日前の話は既にチェリーから知らされていた。シーバスは、この場で仕留める覚悟を決めていた。
シーバスは黙って抜刀した。チェリーとは違う天然理心流に忠実な突きの構えをした。やや前かがみの沖田総司に似た構え。
外からは見えないが、靴の中は当然、爪先立ち。勿論、踵を上げるのではなく宮本武蔵の『五輪書』に書かれてある通りに爪先を上げ、足の裏全体を使って大地に立つ。これによって素早い摺り足はもとより、相手の突進に対し弾き飛ばされることなく受け止めることができるのだ。
「行くぞ」
シーバスが突いた。得意の三段突き。半次はそれを全て刀で受けた。
半次の反撃。乱れ切りが炸裂する。唐竹、袈裟切り、逆袈裟、右薙、左薙。この五つの技がランダムに繰り出される。シーバスはそれを全て打ち返す。もちろん刀が当たる瞬間に刀を引く、あるいは押すことで、打撃を受ける部分の刃をなるべく長く使う。
暫く打ち合った、その時。
「なにっ?」
坪松に亀裂が走った。さすがは薬師刃。
なおも続く半次の乱れ切り。坪松の亀裂がより大きくなり、さらには破片が飛び散るようになる。このままでは坪松は完全に使いものにならなくなる。
シーバスは後ろへジャンプ、いったん間合いを開いた。
半次が刀を鞘に収めた。シーバスは再び突きの構えをした。
「やあっ」
「やあっ」
互いの必殺技が炸裂。三段突きと抜刀術。
坪松が折れた。シーバスが斬られた!
「シーバス!」
京都からチェリーが飛んで来た。
「シーバス・・・」
シーバスは意識を失い、ベッドに眠っていた。重傷だった。まだ命の危険から脱してはいなかった。
チェリーは福岡県警本部へ赴いた。福岡警察署長がチェリーに一通の封書を手渡した。それは半次がチェリーに宛てたものだった。中の手紙には、次のように書かれていた。
明日の正午、浅間山の頂にて待つ。
半次
「くそう」
チェリーは手紙をくしゃくしゃに丸めた。
その後、チェリーは別の部屋で坪松を見た。粉々に破壊された坪松。闘いの激しさが容易に想像できた。
チェリーは直ちに長野県へと引き返した。
※
浅間山。軽井沢の西に聳える活火山。現在は入山規制レベル3で、いつ大規模な噴火を起こしてもおかしくない状態にあったが、チェリーは特別に長野県警から入山を許可された。
チェリーは朝一番で、車坂峠から入山した。表コースを昇る。時々見える浅間山の頂からは噴煙が激しく湧き立っていた。
トーミの頭に立ったチェリーは朝日によって血の色に染まる浅間山を正面に見た。この位置から眺める浅間山は左右対称の非常に美しい山だ。
草すべりを抜け、前掛山登山口から登る。ここから先の登山は、砂利の黒い色といい、足の裏に感じる感触といい、どことなく富士山を思わせる。
火口中心から500m。正面にはロープが張られ、ここから先は入れないことが看板によって示されている。
一般登山者による浅間山登山は前掛山をもって登頂とみなすことになっている。無論、入山規制レベル3の現在は、そこまでさえも入ることはできないが。
だが、奴は「頂にて待つ」と手紙に書いていた。ということは、きっと奴は前掛山ではなく2568mの山頂にいるに違いない。チェリーはロープを超えて、山頂を目指した。
果たして、半次はそこにいた。
「寒い中、ずっと俺を待っていたとは御苦労な事だな」
「別に寒くはないさ。夏だからな。涼しくてちょうどいいくらいだ」
「シーバスがいっぱい遊んでもらったからな。そのお礼をしないといけないな」
「できるか?お前に」
前回はチェリーが負けた。だが、今回はわからない。ジャンが爆死したあとの時と同様、チェリーは本気で怒っているからだ。
「お前、今の日本の剣術を嘆かわしいとは思わんか?」
半次がチェリーに話しかけた。
「お前ほどの剣客ならば、わかるだろう?道場剣道など所詮はお遊び。『サムライ魂を忘れた剣術』だ。そんなものに一体、何の意味がある?俺にはわかる。お前は人を斬ったことがある男だ。シーバスとか言ったな?あいつも確かに強かった。だが、あいつは人を斬ったことがないに違いない。だから俺には到底、歯が立たなかった。非常に残念だ。サムライたる者、やはり人を斬らねばな」
「ふふふ」
チェリーが笑った。あまりにもチープな剣術理論を聞かされて、思わず笑わずにはいられなかったのだ。
「なにがおかしい?」
「確かに俺は、お前が言うように数限りないほど多くの敵を斬ってきた。まあそれはいいとして」
ここから先が、チェリーが笑った理由である。
「お前、サムライなんかに憧れていたのか?天皇に謀反し、手前勝手な政治を700年もやらかした、あんな国賊なんかに」
そして、チェリーの結論。
「お前の話を聞いて、ますます、お前にだけは負けられなくなった。俺は剣客。ただの剣客。サムライ気取りのアホウとは違う」
チェリーが刀を構えた。
「いいだろう。お前と俺、どちらの理屈が正しいか、剣が教えてくれるだろう」
半次も刀を構えた。
山頂での激突が始まった。
「ふん」
半次の乱れ切りがチェリーを襲う。それを受けるチェリー。この技で坪松は破壊された。聖が坪松と同じであるならば、これで破壊されるだろう。
そんな半次の繰り出す刀を19回目に受けた瞬間。
(これは!?)
その瞬間、チェリーはシーバスを思った。シーバスに「ありがとう」と心の中で返事をした。
チェリーは後方へ飛んだ。チェリーは平突きの構えをした。
半次が刀を鞘に収めた。半次は抜刀術の構えをした。
福岡での「シーバスと半次の闘い」の時と全く同じシチュエーションだ。
「やあっ」
「やあっ」
互いの必殺技が炸裂。平突きと抜刀術。
勝負は?
薬師刃が折れた。聖が半次の胸を斬った。
「ぐわあ」
半次の胸から鮮血が飛んだ。最強の刀であるはずの薬師刃が、その脇侍刀にすぎない聖に打ち負けた。勝負は前回とは逆の結果になった。
「な、なぜ?」
その理由をチェリーが説明した。
「あのシーバスが、敵に一矢も報いずに負けるとでも思ったか?坪松と戦った時、薬師刃は既に破壊されていたんだ」
「ば、ばかな」
半次はチェリーの指摘を否定した。
「奴との戦いの後、俺は薬師刃の手入れをした。傷などどこにもなかった」
「外側はな。だが中に僅かながら亀裂が生じていたんだ。お前と打ち合っていて19回目に、俺はそれに気が付いた。明らかに受けた時の感触が異なっていたからな。お前は気づかなかったみたいだが」
「そんな」
「だから俺は後ろに飛んで、必殺技対決を挑んだんだ。打ち合いに『絶対に勝てる』とわかったからな」
「なんということだ」
「お前は確かに強かった。薬師刃も最強の刀だった。だがな、脇侍を二人も相手に勝てるほどには強くはなかったんだよ」
「そ、そうか」
「半次、お前を逮捕する。もうすぐドクターヘリがここにやってくる。おとなしく治療を受けろ」
半次はふらふらしながらも、立ちあがろうとした。
「おとなしく座っていろ。自分の感触からして、傷は決して浅くはない筈だ」
だが半次は立ちあがった。そしてチェリーに言った。
「ふっ。逮捕は御免こうむる。それに俺は、お前に負ける気もない。さらばだ、チェリー」
そう言うと、半次は噴火口の中へと投身した。半次の体は噴煙吹きあげる噴火口の中に消えた。
チェリーは噴火口の中を暫くの間、眺めた。
チェリーのガラケーが鳴った。
「もしもし」
「シーバスの意識が回復した。大丈夫、もう心配いらない」
「そうですか。こちらも全てが無事に終わりました。ヘリコプターはもう必要ないです。やつは噴火口に身を投げました」
あとは、この危険な活火山から一刻も早く下山するだけ。
「今まで、ありがとうよ」
チェリーは聖を噴火口の中に投げ込んだ。日本最高の刀である「薬師三宝刀」の全てが、こうして大地から消滅した。
数日後、警視庁抜刀隊の解散が決まった。
「道場破りのような事件は、もうたくさん」というのが警視庁の見解だった。
8
「やあっ」
強盗殺人犯にチェリーお得意の「突きからの回転袈裟切り」が決まった。
「うわあ」
強盗殺人犯は手にしたサバイバルナイフを落とすと、その場に崩れ落ちた。
犯人逮捕の瞬間。街中での出来事であったため周囲には人集りが出来上がる。誰もが警棒を巧みに操るチェリーの腕前に感嘆し、惜しみない拍手や声援を送る。
そんな人集りの一番後方に、二人の女性の姿があった。一人はチェリーと同じくらいの歳、もう一人は20歳前後。
「わかった?あれがチェリーよ」
「はい、ママ」
二人はどうやら親子の間柄らしい。
だがこの二人、どうして「チェリー」というニックネームを知っているのだろう?
「では、行ってくる」
チェリーは、この日は松本駅前東口の交番勤務。定時の巡察のため、交番を出発したところである。
公園通りを抜け、信号を松本城方面へ北上。女鳥羽川を渡ってから、カエルで有名な縄手通りを東へと歩く。上土通りに出てから再び北上、二本目の十字路を左折。200mも歩くと、右手に松本城が見えた。
松本城。
松本城公園にいったん入ってから、さらに北上すると、旧開智学校。
旧開智学校からは引き返し、松本城を右手に見ながら市役所前を通過。その後は大名町通りを南下。再び女鳥羽川を渡ってから、今度は西に向かって川沿いを歩く。そして今町通りの交差点に出た時。
「うっ」
チェリーは右肩に痛みを覚えた。それもただの痛みではない。
(この痛みは、被弾!)
チェリーは直ちに弾が飛んで来たと思われる方角を眺めた。100m先に人影はない。200m先にも300m先にも人影らしきものはない。
1kmほど先に人影が見えた。距離があり過ぎて男か女かすら判別はできない。だが、自分を狙撃したのは、その人影に間違いなさそうだった。なぜなら、その人影は長い棒のようなものを手に持っているからだ。
やがて、その人影は消えた。人影はチェリーが隠れるようなそぶりを見せないにもかかわらず1発しか弾を発射してこなかった。自分に着弾したことを確信しているのか?それとも今回の狙撃は単なる威嚇だったのか?いずれにしても1kmも先から発射してくるとは、腕に相当の自信を持つ者の犯行であることは間違いない。
「弾は取れたよ」
手術を担当した医師はチェリーに手術は無事に成功したことを告げた。
「ま、一カ月は、右手は使えんな」
「一か月」
通常の勤務であれば左腕だけでも、さほど問題ではない。だが、今回の敵は1km先から目標物を狙撃できるほどの「凄腕スナイパー」だ。一日でも早く傷口を回復させなくては。
病院から松本警察署に戻ったチェリーに署長からの呼び出しがあった。チェリーは署長室に向かった。
「きみに手紙が届いている」
署長はそう言うと、チェリーに手紙を差し出した。
テテン。お前の命は必ずもらうぞチェリー。ピピピー。
手紙には、これだけが書いてあった。差出人などは一切不明。
「何だ?このふざけた手紙は」
署長は半分笑いながらそう言った。だが、この手紙を見たチェリーは笑えなかった。
(この擬音。まさか?)
「どうした?心当たりでもあるのか」
「あ、いえ。何でもありません」
(ありえない。奴は確かに俺が殺した)
「ところでだ」
「はい」
「当分の間、拳銃を携行したまえ」
「えっ?」
「その右腕では警棒を振れまいが」
「左腕があります」
「持ちたまえ!」
チェリーは警官になって以来、拳銃を所持したことはない。それに相手がもしも万が一にも奴だとしたら銃の扱いで勝てる相手ではない。
「お断りします」
チェリーは署長室を出ていった。
「隊長」
シーバスがやってきた。警視庁抜刀隊解散を受け、彼もまた長野に戻って来ていた。
「隊長、お怪我は?」
「なあに、大したことはない」
シーバスの表情が神妙になった。
「隊長。犯人について、何か心あたりがあるのでは?」
シーバスはチェリーの正体を知っている。今回チェリーが狙撃されたのは、きっと「過去の出来事」によるものに違いない。
「いや、わからない」
「隊長」
「別に隠しているわけではない。俺は狙った獲物を取り逃がしたことはただの一度もない。だから、過去の出来事で狙われるはずはないんだよ」
勤務を終え、自宅に戻ったチェリー。自宅の雨戸を閉めようと、窓際に立ったその時。
「うわあ!」
突然の銃撃。チェリーは慌てて室内に身を隠した。銃撃は連射式銃によるもの。瞬く間に窓ガラスが全て破片となって飛び散った。その間にチェリーは玄関から表へ出た。
銃撃が止んだ。車が猛スピードで走り去っていくのが見えた。
車のうしろ姿から車種はわかった。だが、どこにでも走っている普通の小型車だ。恐らく犯人はわかるまい。
翌朝。
署に出勤したチェリーに、またも手紙が送り届けられた。
ブイーブイー。チェリー、お前をいつでも狙ってるぞ。シュイーン。
この擬音、間違いない。奴だ。だが奴は死んだ。そう、だからこれはきっと奴の亡霊に違いない。あの忌まわしき、コックローチ随一の射撃の名手にしてSM狂いの。
「ハッチャン」
チェリーは手紙を握り潰した。
※
それは松本駅から東へ延びる、あがたの森通りを歩いている時だった。
通りの左手にある店のショーウインドウのガラスが突然、四散した。ハッチャンと思われる謎のスナイパーによる狙撃によるものだ。チェリーは300mほど先にある高層マンションの屋上に人影を見つけた。チェリーは直ちに走った。チェリーは100mを10,09秒で走る。マンション直下まで僅かに30秒と少し。
エレベータは1階にあった。それを確認してからチェリーは階段を駆け上がった。スナイパーはまだ屋上にいるに違いなかった。
屋上に到着したチェリーは人影を見つけた。
(女性?)
屋上の人影は確かに女性だった。
カチューシャによって広い額を見せるセミロングのストレートヘア。真っ赤なセーターに黒のロングスカート。顔の様子から、おそらく年齢はチェリーと同じくらいだろう。30代後半から40代前半。
「あなたがハッチャンを真似るスナイパーなのか?」
チェリーは女性へと歩み寄った。
「なぜ、ハッチャンを真似るんだ?ハッチャンをなぜ知っているんだ?」
この時、チェリーは完全に油断していた。相手がスカートを穿いた女性ということもあったろう。そして何よりもまず「敵が他にもまだいる」などとは思ってもみなかったのだ。
「うっ」
チェリーは給水塔の上から背中を狙撃された。チェリーはその場に倒れた。
本当に迂闊だった。1km先から狙撃できるスナイパーがなぜ300mの至近距離から狙撃したのかを、もっと慎重に考えるべきであった。
二人はチェリーをいずこかへと連れ去っていった。二人ははじめからチェリーを捕らえるつもりで、人目につかない高層マンションの屋上にチェリーをおびき寄せたのだった。
「ううっ」
チェリーは気が付いた。チェリーが背中に受けたのは銃弾ではなく麻酔弾だった。
「漸くお目覚めね?チェリー」
チェリーはベッドに全裸で寝かされていた。起き上がることはできなかった。手首、肘、膝、足首の合計8か所のベルトによって、チェリーの体は完全に拘束されていた。
「き、きみらは一体、何者だ」
ベッドの横には屋上にいた女性ともう一人、違う女性が並んで立っていた。
もう一人の女性は、歳は20歳前後。髪型はおかっぱ。それはまるで黒いヘルメットを被っているかの様な印象を与える。針金のように華奢な細身の体。首元には白いブラウスの襟。そして全身を緑のチェック柄のジャンパースカートが覆っていた。
チェリーは自分が今ピンチにあるにも関わらず、おかっぱ頭の女性の容姿に見とれていた。「かわいい」と思ったのだった。
「私は依津美(いづみ)。この子は鮎美(あゆみ)」
その後、依津美は自分の正体について語りだした。
「私はね、ハッチャンの奴隷だったのよ」
話によれば、依津美とハッチャンとの出会いは今から遡ること20年ほど前。当時、音大生だった依津美はひとりで夜道を歩いている時にハッチャンに捕らえられ、秘密の地下室で激しい拷問を受けた。女性としての理性や羞恥心を根こそぎ破壊され、それ以来、身も心もハッチャンに捧げるようになってしまったという。
依津美は話を続けた。
「私は心から、あの人を愛した。たとえ変態性欲者であっても、それがあの人の『愛情表現の仕方』なのだと思って。でも、やがてあの人は私に飽きてしまった。というよりも最初から私に本気じゃなかった。他にいたのよ、本命が。私は、その本命を調教するための予行練習でしかなかった」
本命とは待子に他ならない。
「用済みとなった私は結局、人気の全くない森の中に連れて行かれ、手足を縛られたまま生き埋めにされた。でも私は死ななかった。どうにかこうにか土の下から這い出した」
聞けば聞くほど酷い話だ。
「私はその時、あの人の子を宿していた。それがこの子」
チェリーは改めて鮎美を見た。やっぱりかわいい。あの悍ましい男の娘だとわかっても。
「土の中から這い出した私は当然、怒りの炎を燃え上がらせた。私の手であの人を殺すつもりだった。でも、それは叶わなかった。半年後に、あの人が殺されたと風の噂で知ったわ。そう、あなたによって殺されたとね、チェリー」
「・・・・・・」
「あの人に人生を奪われた私にとって、あの人を自分の手で殺すことだけが、この世で私に残された唯一の人生の望みだった。あなたはそれを私から奪った。だから私は絶対にあなたを許さない!でも、私にあなたは殺せない。何しろ、あなたは最強の剣客ですもの。だから私は鮎美に全てを賭けた。幼い頃より鮎美にはスナイパーとしての厳しい訓練を課し、銃の腕を磨かせたのよ。この試みは正解だったわ。なにしろこの娘は、あの人の娘なんですもの」
依津美の精神は完璧に破綻していた。ハッチャンから受けた拷問によって、まともな思考ができなくなってしまっていた。だが、それは当然といえよう。あのハッチャンが施す拷問である。それは想像を絶する責め苦であったに違いない。
依津美はチェリーに予告した。
「すぐには死ねなくてよ、チェリー。あなたには地獄の苦しみをたっぷりと味わってもらうわ。私が作り上げた最強のスナイパーにして最凶のSM狂であるハッチャンの娘、鮎美の手でね」
鮎美がニヤッと笑った。かわいい顔が瞬時に不気味な笑みに変わった。チェリーの背筋に悪寒が走った。
「私は上で休むわ。あとは任せたわよ鮎美。パパの仇よ。思いっきり虐めておやり。といっても今日は初日だから、あくまでも前座よ。本当の責めは明日からだからね」
「はい、ママ」
依津美が上にあがっていった。地下室はチェリーと鮎美の二人だけになった。
「これ、なーんだ?」
鮎美は100円ショップなどで普通に売られているプラスチック製の結束バンドを指で抓んで見せた。
「これはね、こう使うのよ」
鮎美は結束バンドをチェリーの股間にいるハダカデバネズミの首に巻きつけると頭を指で擦り始めた。
ハダカデバネズミの首が結束バンドによってきつく締まり始めた。
「いっ、痛い。痛いいっ!」
快感が一転、激痛に変わった。痛みにもがくチェリー。だが、どうすることもできない。
「やめてくれ、やめてくれえ!痛い、痛い、痛いいいっ!」
「フフフフフ、そんなに痛いの?チェリー」
女の鮎美にはわからないのかもしれないが、チェリーのこの時の痛みは、それはそれは相当なものだ。
ハダカデバネズミの頭を勢いよく擦る鮎美。その姿には微塵も「羞恥心」というものが感じられない。ハダカデバネズミの首周りが内出血によって真っ赤に染まる。
「た、助けてくれえ!」
最強の剣客が痛みに耐えかね、泣き叫ぶ。鮎美は冷たい視線でそれを見つめる。「男なんて、こんなものか」と呆れているのか?
「やめてくれー、切れるー、切れるうううっ!」
ベッドの上での暴れるチェリーにむかって鮎美が罵るように言った。
「あなたって本当にスケベな生き物ね」
チェリーが今の鮎美の言葉に反論する。
「違う、違う、それは違うよ」
「何がどう違うの?こんなにネズミの体を風船みたく膨らませておいて」
「それは、きみが素敵な女の子だからだよ」
「何?」
鮎美は数秒間、考えた。そして反論した。
「変なこと言わないで。私が素敵だなんて。嘘もいいところだわ」
「本当だよ。ぼくはきみのことを、とても素敵でかわいいと思っているんだよ」
「言うな、もうそれ以上、言うな!」
鮎美は「変なことを言ったお仕置き」とばかりに、なお一層激しく擦り始めた。
「う、うああああっ!信じてくれえ。きみはかわいいよー」
「まだ言うかあ!」
「うああああああっ!」
突然、鮎美は手を離した。鮎美はじっとハダカデバネズミを眺めた。
鮎美はチェリーに尋ねた。
「さっきの話は本当?」
チェリーは黙っていた。痛みに耐えるだけで精一杯だった。
「答えて。さっきの話は本当なの?本当に私をかわいいと思ってるの?」
チェリーは痛みに耐えながら鮎美の質問に返答した。
「勿論だよ。男というのは確かにスケベな生き物だ。けれども、かわいいと思わない女には絶対に興奮なんかしないものなんだよ」
「なら、これは、私をかわいいと思っているからなの?」
「そうだ。きみの魅力に興奮して、ここまで成長したんだ」
鮎美は、これが本当に自分のために成長したものであるならば、素直に「欲しい」と思った。
鮎美はライターを取り出すと火で結束バンドを切った。
「ぼくの手足も自由にしてくれ」
「だめよ。そんなことをしたら、あなたはきっとここから逃げ出すに決まってるわ」
チェリーは鮎美の言葉を否定した。
「逃げ出す?そんな馬鹿な。ぼくはもう、きみにメロメロだ。どうしてきみを置いて、ここから出て行けるものか。ぼくはきみを愛している。そのことを証明したいんだ」
「わかった、信じる」
鮎美はチェリーの体を拘束するベルトを外し始めた。きっとチェリーが自分の針金のように細い体を力強く抱きしめてくれることを信じて。
全てのベルトが取り外された。チェリーの体が自由になった。
「ありがとう」
チェリーは鮎美にキスをするとジャンパースカートの背中のファスナーを下に降ろし始めた。
チェリーと鮎美の二人は互いの情熱を燃やし尽くすと疲れ切った様子で並んで横になっていた。だが、ふたりの顔はとても充実していた。
「どうして、パパを殺したの?」
鮎美の素朴な疑問にチェリーは真実をもって答えた。
「きみのパパは悪いことをした。きみのパパの裏切り行為で沢山の仲間が死んだ。だから殺した」
そして最後に、こう付けくわえた。
「でも、もしも、きみのママや、きみのことを知っていたならば、決して殺さなかった」
こんな言葉が「言い訳にしかならない」ことはチェリーにもよくわかっていた。でも、こんな言い訳であっても鮎美の琴線には響いた。
「チェリー」
鮎美の目に涙が溜まった。鮎美はチェリーの「パパ殺しの罪」を心から許していた。
「鮎美ちゃん」
チェリーは鮎美の涙を指で拭った。二人の間に確かな「愛」が芽生え始めていた。
その時。
地下室の扉が開いた。依津美が下りてきたのだった。寄り添う二人を見た依津美は絶句した。そして、直ちに怒りを露わにした。
「チェリー、よくも娘を!」
依津美がブローニングを構えた。
「死ね!」
「だめえ」
チェリーの前に鮎美が飛び出した。依津美の放った銃弾が鮎美の胸に当たった。
「ママ、ごめんなさい」
鮎美はジャンパースカートのポケットの中からコルト・ポケットを取り出すと一発、発射した。弾丸は依津美の広い額の中心を貫いた。口径が小さく、威力に乏しいコルト・ポケットではあるが、急所に当たれば当然、殺傷能力がある。額から血を噴き出しながら依津美の体が崩れ落ちた。
そして、胸に銃弾を受けた鮎美の体もまたガクッと崩れた。
「鮎美ちゃん!」
チェリーは鮎美を抱き抱えた。銃創は鮎美の左胸、即ち心臓の位置にあった。
「チェ、チェリー」
「鮎美ちゃん」
「あなたが、好き・・・」
鮎美が首をダラッと落とした。鮎美が死んだ。
「鮎美・・・鮎美ーっ!」
チェリーは鮎美の体を力の限り抱きしめた。これが殺し屋であるチェリーの運命なのか?チェリーの手から愛がスルッと零れ落ちた。
9
アジア全土の支配を悲願とする極右思想の総理大臣の登場によって、今日のニッポンはまさに軍需産業花盛り。もはや新兵器開発の中心地はアメリカではなく、ニッポンに他ならない。ゆえに当然、新兵器に関する技術を盗もうとするスパイ合戦がニッポンにおいて活発に繰り広げられていた。
ここは茨城県内にある兵器開発の拠点の一つ。ニッポンが独自に開発したステルス戦闘機用のジェットエンジンに関するデータが保管されていた。
ステルス戦闘機のステルス性能を最も低下させる原因となるもの、それはエンジンの先端に装備される空気圧縮用のタービンに他ならない。タービンに装備された100枚以上に及ぶブレードが高速回転することでレーダー波をかき乱す。その結果、レーダー波が増幅されるのだ。
アメリカ製のステルス戦闘機では、空気吸入口に複数のパネルを取り付けることでレーダー波が直接ローターに当たらないようにしている。だがニッポンはアメリカとは全く異なる方法で、この問題を解決した。ニッポンの技術者は最新式扇風機の技術を応用することでタービンのないジェットエンジンの開発に成功したのだ。こうした技術は当然、同盟国であるアメリカにも「秘密」であった。
そして、この技術を狙って、ひとりの産業スパイが、ここに侵入していた。
「あった、これだ」
産業スパイ・悠(ゆう)は遂にニッポンが秘密とする軍事技術に関するデータを発見した。悠は直ちにデータをメモリーにコピー。研究室を立ち去る準備に入った。
「しまった、気付かれたか」
研究所内に警報が鳴り響く。間もなく警備がやってくるだろう。
案の定、廊下を駆ける悠の前に2人の警備が立ちはだかった。
「止まれ、止まらないと撃つぞ」
ここの警備は、ただの警備員ではなく警官だ。さすがはニッポンの機密を保管するニッポン政府お抱えの軍事研究所。警官が常勤しているらしい。
「うわあああ、眩しい」
2人の警官は悠による強烈な光の幻覚によって目を潰された。そんな2人の警官の間を悠は素通りした。
建物の外に出た悠を今度は外にいた警官らが包囲する。全部で4人。
「はあっ」
悠は華麗な足蹴りで警官らを倒す。左足を軸に右足を高々と上げての回転蹴り。警官らは全員、それによって顔面を殴打、倒された。
さらに増員される警官。悠は、今度は両腕を軸に両足を高々と上げて回転蹴りを警官らに浴びせた。
「うわあ」
「ぐええ」
合計8人の警官が、ひとりの悠によってあっけなく倒された。
「じゃあな、あばよ」
悠は研究所を立ち去った。
産業スパイ・悠。
彼が悪に身を置く人間であることは疑いようがない。だが、彼には産業スパイとしての美学があった。彼が入手した情報を提供する先はロシア、そして中国の軍事関係者であった。そう、彼はニッポンの軍事技術をロシアや中国に提供しているのだ。これはニッポン人から見れば「国賊行為」にしか映るまい。だが、彼には彼なりの信念があった。それは「日米と中露の軍事バランスが崩れたら世界秩序は大きく乱れる」というものだ。そして現実問題として、軍事技術は日に日に右翼思想を強めるニッポンの「一人勝ち」のような状況を呈し始めていたのである。そうした状況と比例するように、ニッポン政府の主張もまた日に日に右傾化を強め、かつての大日本帝国を思わせる軍国主義的なものとなっていた。人類を破滅へと導く「第三次世界大戦」が現実味を帯びてきたのである。
右翼の本質は「弱虫」。弱虫ゆえに欲望に負けて不正や汚職に走り、自分にとって不愉快な事実からは全て目を逸らし、隣国の成長・発展に恐怖して武力の増強に走る。しかも弱虫であるという本質を「見抜かれまい」とする空威張りから、国内にあっては民主主義の根幹さえ危うくする「国会軽視の強行政治」を、海外に向かっては対話・友好を拒否する「圧力外交」を行う。こうした行動が最終的にニッポンの活力を削ぎ、滅亡へと誘うことは戦前のニッポンの行動が証明する通りだが、現在のニッポンは明治時代を礼賛、富国強兵政策を金科玉条として、同じ過ちを繰り返していた。
(このままでは、いけない)
これが悠の結論だった。
無論、悠がロシアや中国から情報を提供する見返りに高額な金銭を受領していたことは言うまでもない。仮にも彼はプロの産業スパイなのだから。
※
北朝鮮沖30kmの洋上。
そこに全長190mに及ぶ一隻の大型潜水艦が浮上した。
大型潜水艦の上部格納扉が左右に開く。中から巨大な砲が出現した。
「発射テスト準備。実施は30分後だ。急げよ」
この潜水艦。北朝鮮沖に浮上したとはいえ、とても北朝鮮の技術で建造できるようなシロモノではなかった。艦長が先程から日本語で指示を飛ばす。これは、この潜水艦がどこの国のものであるかを知る上での重要な手掛かりとなろう。
「原子砲、発射準備チェック。オールグリーン」
「艦長、使用するウランの量は?」
「2㎏」
「了解。ダイヤルセット、2㎏」
2㎏から10㎏まで、2㎏ごとに分けられたダイヤルが最小の2㎏にセットされた。
「発射テスト10分前」
「目標セット。チョンジン基地」
「了解。目標セット。北朝鮮チョンジン基地」
この大型潜水艦。所属は「オナラウッド研究所・青森支部」。無論、そのような名前の研究所は公には存在せず、表向きの名称は「国立放射性廃棄物処理施設」である。ここには全国から原子力発電所が廃炉後に不要となった放射性廃棄物が運び込まれる。そして表向きは処分されていることになっているが、実際にはここで90%濃縮され、核兵器として使用可能な状態にされる。そして今回、その濃縮ウランを使用した新兵器のテストが、まさに北朝鮮の軍事施設を標的に行われようとしていたのだった。
その新兵器の名は「原子砲」。核分裂反応によって生じる莫大なエネルギーを一方向へのみ放出する大砲である。
空中爆発する原子爆弾の場合、爆発の際に生じるエネルギーのほとんどは空中に放出される。だが、それでも甚大なる被害を地上にもたらす。もしもこのエネルギーを空中に放出させることなく、一方向へ集中して放出させることができるならば・・・。原子砲はまさに「現代における波動砲」に他ならない。
遂に秒読みが開始された。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、発射」
2㎏のウランが炉内で高圧圧縮された。強制的に核分裂反応が引き起こされる。大爆発。その圧力が唯一の逃げ道である砲筒から一気に放出される。
数億度の高温を有する火炎が猛スピードで北朝鮮沿岸に向かって突き進む。海が二つに割れた。やがて火炎は30km先のチョンジン基地に到達した。
「直ちに帰港する。原子砲収容。船体180度旋回。400m潜水」
「了解。直ちに帰港準備に入ります」
大型潜水艦は原子砲を収容、潜水すると一路、オナラウッド研究所・青森支部を目指した。
※
ひと仕事を終えて自宅に戻った悠は直ちにパソコンを立ち上げた。そして闇サイトへアクセス。
「オナラウッド・・・オナラウッドと」
悠はオナラウッドをキーワードに検索を開始した。これはいわば「悠の日課」であった。 闇サイトを開けば、ここかしこに登場するオナラウッド研究所の名前。だが、その実態については「謎だらけ」であった。いろいろな噂が飛び交っていた。「テロ組織」という記述もあれば「正義の秘密結社」という記述もあった。また他には「ニッポン政府もその存在を認識している軍事技術開発チーム」とか「地球の防衛を目的とする先進的な科学技術集団」などなど。そして悠本人はオナラウッドという名前に何となく不快感を抱いていた。その理由が一体全体なぜなのか?それは悠自身にもわからなかった。ただ悠は本能的にオナラウッドを「凶悪な組織」であるに違いないと感じていた。悪魔的な能力を持つマッド・サイエンティストが何やら怪しいものを次から次と開発しているのがオナラウッドであると。だから悠はオナラウッドに関する情報の収集に力を入れていたのである。
「これは、本当か?」
悠は新たなるオナラウッドに関する情報にぶち当たった。それによれば、オナラウッド研究所の本部は、なんと幕張新都心にあるという。それも、あの「銅鐸の塔」の中に。
銅鐸の塔というのは、その名の通り「銅鐸の形をしたポートタワー」のことである。高さ136m。通常は一枚しかない鰭を二枚にして、その間にトイレ・階段を収める。鰭の色は一般的に見慣れた緑の錆び色ではなく黄金色。胴の部分は黒いスモークガラスで覆われている。1階がロビー、2階から4階までが展示場、24階に相当する5階は展望台。美術館の上から展望台の下までの広大な空間に「何がある」のかは不明。一般的なポートタワーのように吹き抜けになっていて「何もない」のか、それともそこに「何かがある」のか。
「よし、明日はここに侵入するぞ」
悠は銅鐸の塔の中にあるというオナラウッド研究所本部へのスパイ活動を決断した。
翌日の深夜。
悠は銅鐸の塔内部に侵入した。トイレ側の鰭から登り、4階のトイレの窓ガラスを割って侵入したのだった。
今は何も開催されていないのだろう。展示場の広い空間はがらんとしている。中央に向かい合うような形でエレベータと非常階段がある。悠はその非常階段を上った。
非常階段の上は鉄骨むき出しの、俗に言う「吹き抜け」。やはり何もないのか?だが、非常階段は螺旋状に上まで伸びている。悠はとにかく登ってみた。
上った先は5階の展望台だった。期待した秘密基地はなかった。悠は下に戻った。
悠はふと地下へ降りてみることにした。
地下1階は機械室。その中を歩いていた悠は一つの鉄扉に注目した。もしや。悠はその鉄扉を開いた。
「あった」
その鉄扉の奥には下へと通じる階段が延びていた。悠はその階段を下りた。
地下2階。悠はそこに秘密のフロアを発見した。廊下を挟んで左右に部屋の入り口が並ぶ。そのうちの一つを開いて中に入る。そこはどうやら事務所のようだ。デスクの上には沢山のパソコンが置かれている。悠は、そのうちの1台を起動させた。
「さあ、オナラウッドの正体を見させてもらいましょうか」
幾つものフォルダがある。先ずは「○珍(まるちん)」と書かれたフォルダを開く。「美術品」「発明品」二つのフォルダが出現。悠の興味を引いたのは言うまでもなく発明品のフォルダ。そこをクリックすると、果たして発明品の名称が記されたフォルダが上からずらりと並んでいた。それらを順番に開く。
悠はそのうちの一つをじっと眺めた。
「ロング・レッグ」
それは、かつて栃木県佐野市にあったオナラウッド研究所が開発した人型ロボット。悠はなぜか、それを見て懐かしさを覚えた。はじめて見るはずなのに。
「・・・・・・」
フォルダの内容は最新式扇風機の原理を応用したローターのないヘリコプター、液体燃料でも固体燃料でもない粉末燃料によって推力を得るトナー式ロケットエンジン、火薬の代わりに水素と酸素による爆発エネルギーを使用する自走砲などの軍事発明以外にも、たとえば4階までを商業施設とした津波対策の高層マンション、車を水の上に浮かばせるための車外エアバッグ、走行中に発生する浮力によって車体を浮かせて走る超高速モノレール、免許証に組み込まれてあるICチップを利用したエンジンキー、12時ハンドルによる自動車運転を防止するハンドルセンサー、楕円でも真円でもない桜やアブラナの花弁形をした衛星放送用パラボラアンテナ、施設で働く料理人などのために表示時間を進めておける電波時計、室内でストーブを使用する人が一酸化炭素中毒を起こさないための酸欠警報器、漏電に備えて弦アースにヒューズを内蔵したエレキギター、海水を吸水することで発熱する海難救命具、シルバーカー同様ブレーキレバーを握ると走り手を離すと停まるベビーカーなど、実用化すれば「ためになりそうな発明」が多数含まれていた。
○珍フォルダを一通り見終えた悠は引き続き、地方に点在する支部に関するフォルダを開き始めた。
「これは何だ?」
それはオナラウッド研究所・青森支部で開発が進められている「新兵器」に関するものだった。それを見た悠の顔色が変わった。こんなものまでつくっているのかと正直、怒りが込み上げてきた。
ふと思い出した。今朝のテレビニュース。昨夜、北朝鮮の軍事施設が破壊されたという内容。北朝鮮は「アメリカによる攻撃」と主張、世界の国々は「核兵器をひそかに準備していた北朝鮮の自爆」と互いに非難し合っていた。
「これだったのか」
悠の「次のターゲット」は決まった。
「何が『原子砲』だ。そんなもの、俺の手で破壊してやる」
最後に悠はオナラウッド研究所の最高責任者の顔写真とプロフィールを確認した。低い鼻。仏像のように大きく垂れた耳朶。下唇が飛び出す歯並びの悪い口。そしてまるで爬虫類を思わせる先の鋭く尖った気持ち悪い舌。そうした部品から構成された、どう見たって異性からはモテそうにない不細工極まりない顔は如何にも「偏屈で神経質な性格の持ち主」らしいものだ。しかも、これだけの発明をしていながらプロフィールに書かれてある役職名は「芸術監督」。つまりこの男にとって本職は芸術であり、発明は単なる遊び「余興」にすぎないのだ。
「名前は『珍柿(ちんかき)』か。変な名前だな」
悠は思った。この珍柿という男はきっと思いついたことは何でもすぐに設計・開発・実行せずにはいられない類いの人間なのだろう。その発明が人類にとって有益であるか有害であるかなどは一切考えずに。思えば、人類史上最大の「知の巨人」と評されるレオナルド・ダ・ヴィンチもまた本職は画家でありながら、実に数多くの軍事技術に関する発明を残しているではないか。
※
チェリーはKによって、またも東京に呼び出された。
「今回の任務は何です?」
「今回の任務はズバリ『施設の警備』だ」
「施設の警備?」
「そうだ」
この時期、Kは遂に警視庁のトップに立っていた。即ち警視総監。それは事実上、警察庁長官としての職務を担うことでもあった。政治家が国会で読み上げる書類は全て官僚が作成するようなものだ。警察に関する最終決定権は政治家である警察庁長官にあるが、作戦の立案は全てKが行っていた。
「きみに護って欲しいのはここだ」
そこは青森にある有名な核施設。
「ここが襲われると?」
「そうだ」
「誰が襲うのです?」
「産業スパイ。恐らくはひとりだ」
ひとり?たったのひとり?テロ集団ではないということか。
「だからきみを呼んだ。たった一人を相手に機動隊を総動員というわけにもいかないからな」
「で、そのひとりというのは?」
「相当のつわものだよ。実のところ15年も前から手を焼いている相手だ」
「15年も前から?」
「そうだ。倒された警官の数は実に1000人近い。倒されたといっても殺されたわけではないが」
「相当の凄腕のようですね。拳銃を所持している相手を殺さずに倒す方が、殺すよりも遥かに難しい」
「そして奴はニッポンが有する高度な技術を盗んではロシアや中国に提供している」
「ニッポン嫌いですかね」
「かもな」
「で、公安としては怪しからんやつと」
「公安としては、というよりも『ニッポン政府としては』だな」
「成程、ニッポン政府からの御命令ですか」
「そうだ」
「青森の核施設が襲われるという根拠は?」
「知らん」
「知らない?」
「私は知らない。ただ政府は確信しているようだ。次は絶対に『ここ』だと」
「政府は何か情報を持っているみたいですね?それも私たちに知られては困るような」
「同感だ」
「断ってもいいですか?」
政府からの依頼と聞いて、真っ先にチェリーの頭に浮かんだのは「ロング・レッグ」だった。もう、あんな思いは沢山だった。
「産業スパイに興味はないのか?」
そう言われれば成程、産業スパイに対する興味は津々だ。1000人近い警官を倒してきた男。一度は戦ってみたい相手だ。
「これがそいつの姿だ」
Kは画像を液晶パネルに映し出した。どうやら監視カメラの映像らしい。最近の監視カメラは実に画像がいい。
その監視カメラに映る相手の動きを見たチェリーは、思わず「あっ」と叫んだ。チェリーは慌てて口元を両手で塞いだ。
「どうした?知っているのか」
「い、いえ」
チェリーは「まさか」と思った。だがこの足技は、かつてあの男の得意としていたカポエラに違いなかった。
「見ての通り、こいつは足技の達人だ。この技を知っているか?」
「カポエラですね」
「さすがだな。そうだ。格闘家の専門家に見せたところ、これはカポエラの技だそうだ」
(あいつ以外にもカポエラの使い手がいるのか)
チェリーはそのように考えた。だが、そんなチェリーの考えをKが粉砕した。
「もうひとつ、こいつは幻術を使う。こいつと目を合わせると、たちまち光に包まれて失明させられるそうだ」
(ああ、やはりこいつはエースだ!)
衝撃の事実にチェリーの体は無意識のうちに武者震いした。
東北新幹線で青森へと向かうチェリーの脳裏に当時の状況が思い出されていた。きのこ雲、ロング・レッグ。
(確かに、エースの死体は見ていない)
チェリーはエースの体は爆発によって粉々になったものと思っていた。しかし、死体が発見されていない以上、エースすなわちコックローチ1番隊組長・ジャンが「生きている」としても不思議ではなかった。だが疑問は、ではなぜ自分のところに連絡してこないのか?なぜ産業スパイなどしているのか?ということだった。しかもこの産業スパイは闇世界ではジャンではなく「YOU(ユウ)」と呼ばれているという。
(Who are You ?)
「とにかく直接、会って確かめるしかない」
長野県、松本警察署。
「こんにちは」
「やあ、量子ちゃん」
「おじさまは、いますか?」
シーバスは、チェリーは東京に向かったと告げた。
「また事件ですか?」
「そうらしいね」
「シーバスさんは行かないの?」
「呼ばれていない」
今年高校二年の量子は5月の連休を利用して長野に戻ってきていた。
「おい、署長がお呼びだぞ」
シーバスが署長に呼ばれた。シーバスは量子を表に待たせて署長室へと向かった。もしかしたら自分も東京へ行くのかもしれない。チェリーが自分を呼んでいる。シーバスはそう思った。
そんなシーバスの予想は、半分は正解で、半分は不正解だった。
「青森ですか?」
「ああ、そうだ」
「わかりました」
シーバスは署の入口へと走った。
「量子ちゃん。ぼくは今から青森へ行く」
「おじさまはそこに?」
「ああ、そうだ。去年の夏以来の大仕事になりそうだ」
シーバスは自分の左手のひらを右の拳で叩いた。一時は瀕死の重傷だったシーバスも既に全快していた。
量子の瞳が輝く。
「私もついて行っていい?」
「ああ、勿論」
二人は車に乗り込むと、そのまま青森へと向かった。下着?着替え?そんなもの、向こうで買えばいいだけの話さ。
長野から青森へ向かうには東京を通過しなくて済むのがいい。碓氷峠を抜けて群馬県から向かえばいい。そして、このルートはほとんど車が走っていない。ゆえに、いくらでもスピードが出せる。
「あのう」
「なんだい?」
「サイレン鳴らしてますけど」
「だって急がなきゃ。敵はいつ襲ってくるかわからない」
「それはそうですけど」
シーバスは愛車のエスティマ・ハイブリッドを、サイレンを鳴らし、時速160kmで走行していた。核施設を何者かが襲撃しようとしているのだから、これは確かに緊急事態であり、サイレンを鳴らして現場へ急行するだけの理由ではある。
でも・・・。
「もう少し速度、落としませんか?」
「怖いのかい?」
「ええ、少し」
「大丈夫。安全運転の基本はしっかり守っているからね」
一流の力士やプロゴルファー同様、一流の剣客であるシーバスは本能的に脇を閉める癖が身についている。そのため、片手ハンドルとはいえ、左脇をしっかりと閉じて9時の位置を握っていた。それに、カーブの時には右手を3時の位置で握り、両腕でハンドルをぐっと前に押し込む。勿論、こうした動作は無意識のうちに行われているわけだが、その結果、背中とシートが圧着。バッケトシートではないものの、余程の急カーブでもない限り、横Gによって体がシートの正しい位置からずれることはない。
これがもしも片手12時ハンドルだったら?脇がガバっと開くためハンドルは常にふらふらしてしまう。また、車種によっては自分の腕で速度計や燃料計などの重要な計器が隠れて見えないこともある。そして何よりも肘を捩じ上げるため肩にかかる負担が大きく、一見、腕をハンドルに乗せているだけなので楽に思えるが、実際は「肩こりの原因」となってしまうのだ。
また今は昼間であるが、シーバスはヘッドライトを点灯している。これは、周囲の車に自分の車の存在をはっきりと認識させるためのもので、山岳警備に従事、つづら折りの山道を走ることの多いシーバスにとっては当然のこととなっている。道幅の狭いつづら折りの山道を走る時には、正面衝突を避けるためにヘッドライトによって対向車に自分の存在を知らせることは常識である。勿論、曇天・雨天時にヘッドライトを点灯することも重要だ。曇天・雨天時の景色はグレーがかり、カーブミラーなどはそれこそ真っ暗になるため、本線を走るヘッドライトを点灯していない車を見落とし、脇道から車が出てくるケースは少なくない。特に黒、グレー、シルバーといった色の車は風景に埋没しがちであり、少しでも「暗いな」と感じたら積極的にヘッドライトを点灯するべきだ。
シーバスは運転免許センターの講習では、こうした実践的なドライビング技術を語るべきだと考えているが、残念ながらシーバスは交通課ではないので、運転免許センターの講習というと大概「過去5年間の交通事故数と死者数」といった記憶に残らない数字の解説に終始しているのが実情だ。
「量子ちゃん、知ってる?」
「何を?」
「ハイブリッド車の火事の原因。そのほとんどは『スピードの出し過ぎ』なんだよ」
ようするにハイブリッド車で高速走行するとモーターと電池が過熱して発火するというわけだ。
「じゃあ、この車だって燃えるかも」
「かもね」
「かもねって」
「その時は、その時だよ」
「シーバスさんって、そういう人だったんだ」
量子は、シーバスはもっと「真面目な性格の人」だと思っていた。
シーバスは真面目である。ただ、行動が大胆なだけだ。そうでなければ「コックローチの闇世界」でなんか生きられない。
「この調子で走れば、夜には着くだろう」
「はあ」
「今のうちに寝溜めしておきなさい。ぼくの勘が正しいとすれば今夜、闘いになる」
量子は悟った。だからこんなに飛ばしていたのね。
果たして「シーバスの予感」は的中する。
※
夕方、青森の核施設に到着したチェリーは施設の人に内部を案内されていた。
「あの建物は?」
ひときわ目を引く大きな建物。それも、できてからまだ真新しい。
「あの建物には近づけません」
「なぜ?」
「国の重要機密です」
「中では何を?」
「その質問には、お答えできません」
「あっそ」
あの中で一体全体、何が行われているのだろう?
「あの建物を護るのが、今回の任務ですね?」
「・・・・・・」
どうやら図星だったようだ。ますます気になる。だがチェリーは、深追いは止した。今は仲間割れをしている時ではないからだ。
「どうぞ、警備室はこちらです」
チェリーは別の建物内にある警備室へと案内された。
「ほう」
実に立派な警備室。多数の監視カメラによって蟻一匹入れぬ体制が敷かれていた。
常勤警察官12名。チェリーを含め13名で護ることになる。といっても、警察官はいないも同然の存在だから実質、チェリーひとりで、この広大な敷地の核施設を護らねばならない。
「よろしく」
警察官らに挨拶してからチェリーはデスクチェアーにどかっと腰を下ろした。手にはトレッキングポール。今回は警棒ではなくトレッキングポールで戦う。
チェリーは普段はトレッキングポールを最も短い状態にしている。それで充分だからだ。だが、今回は勝手が違う。チェリーはトレッキングポールを一段伸ばした。相手がもしも本当にエースで、しかも本気で戦わなくてはならないとしたら。はっきり言って勝てる自信はない。
チェリーはデスクチェアーから立ち上がった。
「仮眠室は?」
「向こうの扉です」
「夜まで眠らせてもらうよ」
チェリーは仮眠室に入って、横になった。
同じ頃、仙台付近。
シーバスのエスティマは現在、高速道路脇の路肩に停車中。懐中電灯片手にシーバスがエンジンルームを頻りにいじくる。
「どう?直せそう」
「まいったな」
「飛ばし過ぎよ」
「最悪、直んないかもな」
「まったくう」
「そんな顔するなよ」
「まったくう!」
はてさて、二人は一体全体いつ青森につくことやら。
深夜11時。
核施設内で警報が鳴り響く。不法侵入者だ。
警備室の警察官らが全員、緊急出動する。チェリーはその時、トイレで用を足していた。「待て、先に行くな!」
そう言っても、トイレからは聞こえない。警察官らは、わざわざ「やられるため」に出動してしまった。
トイレを終えて外に出た時、既に警察官らは全員、口から泡を吹いて大地の上にのびていた。チェリーは施設内に設置された屋外照明を後光のようにして立つ、ひとりの男のシルエットを見た。
「・・・エース」
その姿は紛れもない、エース=ジャンであった。
「お前には効かないようだな?」
「なに」
「先程から俺は、お前に精神攻撃を仕掛けている。本来であれば強烈な光によって、とっくに失明していていい筈だ」
「エース」
「お前は先程からその名を口にしているが、どうやら『人違い』をしているみたいだな?俺の名は悠。産業スパイの悠だ」
人違いでなど断じてあるものか。間違いなく、こいつはエースだ。どうやら記憶を完全に喪失しているらしい。あの時の爆風が原因か?
だが記憶は失せても、オシャレ好きは相変わらずのようだ。ピンクのフリフリブラウスに黒い長ズボン。ベルトには金色に輝く楕円の大きなバックル。そしてカポエラを武器とする足には白い革靴。そして手にはアタッシェケース。
それにしても何という威圧感だ。チェリーの闘気をもってしてもかなり押される。
悠がアタッシェケースを地面に置いた。
「行くぞ」
悠がチェリーに突撃を開始した。
「はあっ」
チェリーが平突きを繰り出す。
「はっ」
悠はチェリーの平突きを足の裏で受け止めた。そして。
「やあっ」
悠の足技攻撃。チェリーはトレッキングポールでそれを受ける。
「やややややややあっ」
左足を軸に、右足を幾度となく繰り出す悠。チェリーは一旦後ろに下がって間を開いた。
「ふふふふふ」
足を剣と盾にして戦う悠。内股の足は一流の剣客が常に脇の下を閉めているように足と足の間を常に閉めている。その戦闘スタイルには一部の隙もない。さすがは「コックローチ最強」だけのことはある。
チェリーが構えた。再びチェリーから攻撃を仕掛ける。
「甘い」
チェリーが繰り出したトレッキングポールを再び足の裏で受け止め、その隙にトレッキングポールを掴む。悠はそのままトレッキングポールを振り回した。
「うわあっ」
小柄なチェリーはそのまま振り回される。
「おら、おら、おらあ」
悠が水平に腕を振る。チェリーの体が右に左に振り回される。
悠の手からトレッキングポールがすっぽ抜けた。チェリーの体は後方に投げ飛ばされた。チェリーはその勢いで転倒した。
そこへ、すかさず悠の攻撃。悠は足でチェリーを踏みつけようとする。必死に左右に転がりながらよけるチェリー。
悠の執拗な攻撃。チェリーはトレッキングポールを両手で握り、悠の足の裏を軸で受けた。チェリーはそのまま悠を押し倒した。
漸く立ち上がることのできたチェリー。攻撃のチャンス到来かと思ったが、悠は既に立ちあがっていた。
またも悠の攻撃。両手を軸に、両足を回転させての攻撃。
「やあっ」
悠は素早く攻撃をチェンジ。回転の軸を左足に変えて、右足でチェリーの左脛を蹴った。
「うわああああっ」
左足に激痛が走る。チェリーの動きが止まった。この隙を見逃す悠ではない。悠が突撃してくる。
「くっ」
チェリーは悠に平突きを出した。苦し紛れの平突き。悠はいとも簡単にそれを横へ避けた。 チェリーの背後に回った悠。
「ぐわっ」
悠は両腕でチェリーの首を掴むと高々とチェリーの体を持ち上げた。チェリーの首が締まる。窒息死などという生易しいものではない。悠はこのままチェリーの首を引き千切る気だ。チェリーはトレッキングポールを逆手に持ち変えて、悠の右脇腹を突いた。悠の体制が崩れた。チェリーはどうにか悠から逃れた。地べたに座り込んで、必死に呼吸を整えるチェリー。
(強い。強すぎる)
チェリーは改めてエースの強さに敬服した。
「行くぞ」
悠の連続足技が炸裂する。チェリーはトレッキングポールでそれを受ける。
「はあっ」
悠の足の裏による一撃。トレッキングポールが「への字」に曲がった。まずい。
チェリーは後ろに下がった。そして、への字に曲がったところから前を握り、平突きの構えをした。左足の脛がズキズキと痛む。どうやら先程の鎖攻撃で骨折したようだ。
(これが、俺の最後の攻撃になる)
チェリーは態勢を低く構えた。
(量子、許せ)
チェリーは本気で「エースを倒す」と決意した。
「うおおおおおっ」
チェリーが悠めがけて飛んだ!
※
「うおおおおおっ」
チェリーの平突き。
「ふんっ」
悠の右足がチェリーのトレッキングポールを横にはじく。
「はあっ」
そして続けざまに左足。回し蹴りだ。悠の左足の踵がチェリーの左頬を直撃した。
「ぐえっ」
侵入の際に施設正面入り口の鉄扉をも蹴破っている悠の蹴り。当然のようにチェリーの左頬の骨が砕けた。チェリーはその場で時計周りに高速回転してから、大地に仰向けの状態で、大の字に倒れた。
「うう・・・うう・・・」
チェリーの完敗。チェリーはもう立てない。やはり恋だけでなく格闘技でも、この男には勝てないのか?チェリーよ。
やがてチェリーは気絶した。それを見届けた悠はアタッシェケースを手に持つと、目標とする建物に向かって歩き出した。
悠は敷地内の構造に知悉していた。幕張のコンピュータに全てあったからだ。悠は迷うことなく最も奥に建つ、最も大きな構造物へと向かった。
その建物は100m四方のキューブ状の鉄筋コンクリート造りの建物だった。屋上からは煙が勢いよく立ち昇っているのが見えた。すなわち稼働中ということだ。
「ふんっ」
悠は足蹴りで建物の頑丈な扉を蹴破った。
建物の中はビルではなく、工場の中の様な巨大な空間だった。その中に、ひときわ大きく聳えるのは、イノチュウムを精製する溶鉱炉。その周囲に世界最大の圧力を誇る大型プレス機や、イノチュウムを加工する特殊な工作機械が理路整然と並ぶ。こここそが、オナラウッド研究所が誇るイノチュウムの製造工場に他ならない。ロング・レッグの体も、ここで造られた。そして最初の実験を終え、潜水艦から取り外された原子砲もまた、ここに置かれていた。
悠は気付いていなかったが、この原子砲、既に破損していた。さしものイノチュウムも数億度の高温には一回の使用が限界だったようだ。しかもウランを使用する原子砲の残留放射能は相当なもので、とても実用に耐えるものではなかった。つまり実験は「失敗」だったのだ。
建物内に人影はなかった。研究員は既に全員、逃げ出したらしい。これは好都合。悠はアタッシェケースの中から爆弾を取り出し、次々とセットしていった。建物を支える柱、そして溶鉱炉本体。これらが爆発し、建物が破壊されるならば、溶鉱炉内でぐつぐつと煮えたぎるイノチュウムが、ここに存在する全てのものを飲みこんでから冷却、凝固するだろう。そうなれば、もはや2度とそれらは使い物にならないはずだ。
爆弾のセットを終えた悠は建物の外に出て300mほど離れてから、無線の起爆スイッチを押した。
建物が崩れ出した。やがて建物のあった場所は瓦礫の山と化した。
「これでいい、作戦完了」
悠は瓦礫の山を背に悠然と歩き出した。
その時、悠の背後で、悠が想像していなかった大爆発が発生した。空に向かって大きな火の玉が上昇した。そして爆風。爆発音に振り返った悠の体が爆風によって吹き飛ばされる。
一体全体、なにが起きたのか?
イノチュウムの精製・加工機材が並ぶフロアの下には溶鉱炉の高熱を維持するための施設として何と小型の核融合炉があったのだ。
建物が崩壊、フロアを構成する厚さ3mの鉄筋コンクリートの隔壁全体に罅が入った。その罅から地上の空気や溶鉱炉のイノチュウムが地下に向かって侵入した。地下にある核融合炉の周囲には当然のように核融合炉の燃料となる水素タンクが設置されていた。そのタンクが高熱によって破壊され、空気と触れた結果、巨大な爆発が引き起こされたのである。施設は地下にあったため、その爆発の威力のほとんどは上空へ向かって垂直に放出された。だが一部は地上へと伝搬した。それが悠を直撃したのだった。
「うわああああっ!」
爆風によって飛ばされる悠。この時、悠は頭の中で「何か」を思い出した。それは、これと似たような光景であった。
ザックを下ろし、そのザックをロング・レッグに向かって蹴飛ばしてから妻の銃を発射。その後、爆風を浴びてカタクリ畑へ飛ばされる自分。
悠は全てを思い出した。
(俺はジャン。コックローチ1番隊組長)
地面に墜ちた悠は爆風の勢いのままゴロゴロと転がった。
「うう」
悠は重傷を負った。自分一人では、もはや立ち上がることもできなかった。
※
悠がイノチュウムの製造工場を爆破していた頃、どうにかこうにか車を修理したシーバスと量子が漸く施設に到着した。
車を正門前に停め、車から降りた二人が目撃したのは地面に倒れ、気絶している警察官たちの姿だった。既に闘いが始まっていることは明らかだった。
そして二人は気絶する人々の中にチェリーを発見した。
「きゃあ!おじさま」
量子の絶叫。量子はチェリーのもとへ全速力で走った。
「おじさま、おじさま。しっかり」
チェリーを抱き起こす量子。だが、チェリーは気絶したまま。ピアスのような涙が量子の瞳から零れ落ちた。それを顔に受けてチェリーは意識を取り戻した。
「う、うう」
「おじさま。わかりますか?私です。量子です」
「りょ、量子・・・」
「おじさま」
量子はチェリーをひしっと抱きしめた。
「隊長」
「その声は・・・シーバスか」
「はい。そうです」
「奴は既に中へ向かった。追え」
「はい」
「油断するな。やつは強い」
言われるまでもない。それはチェリーの体たらくを見ればわかることであった。
その時、巨大な爆発が発生した。
1kmほど先に昇る巨大な火の玉。施設が破壊されてしまったことは明らかだった。
「間に合わなかった」
「奴を、奴を探せ」
「しかし」
「奴を必ず捕らえてくれ。銃を使え。本意ではないかもしれんが。奴の格闘技は超一流だ」
「わかりました」
シーバスは爆発の方向へ向かって走り出した。
「量子」
「はい」
「今から自分の言うことを、心して聞きなさい」
心して聞く?一体全体、おじさまは何を話すのだろう?
「まさか、遺言じゃないよね?」
「そうじゃない。俺はまだ死なんよ」
では、何なのだろう?
「量子。今度の敵、産業スパイ・悠の正体は、お前の実の父親だ」
「えっ?」
おじさまは何を言っているのだろう?量子は認識することができない。
「俺をこんな目に遭わせることのできる男は大地広しといえど、ただ一人、お前の父、かつてジャンと呼ばれていた男をおいて他にはいない」
「まさか」
パパが生きている?量子の心が動揺した。
「う、嘘」
「嘘じゃない。お前のパパは生きていた」
「そんな」
パパは生きていて、しかも、おじさまを酷い目に遭わせた。パパは明らかに敵だ。果たして自分は「どちらを選べばいい」の?そう言えば、さっき、おじさまはシーバスに「銃を使え」と命令した。それって「パパを撃て」ってこと?
量子の困惑に対し、チェリーは言った。
「そうならないことを祈るしかない。もはや、なるようにしかならない」
「シーバスさん・・・」
量子はシーバスを追わなかった。瀕死のチェリーを残して、この場を立ち去ることなど量子には到底できなかった。
シーバスは爆心地から500mほどの場所で、ひとりの男が地面に倒れているのを発見した。
「うう」
男は、まだ死んではいなかった。そして意識もあるようだった。シーバスは男に質問した。
「お前が、産業スパイの悠か?」
男は黙って頷いた。
「どうだ?立てるか」
「補助してもらえれば」
「よし」
シーバスは自分の肩を貸した。男は自分の左腕をシーバスの肩に回した。シーバスもまた自分の右腕を男の背中に回した。
「チェリーには会ったか?」
男はチェリーの話をした。
「ああ。取り敢えずは生きてるよ」
「そうか」
男はほっとした様子を見せた。
「あんた、敵とはいえ、その強さには敬意を表するよ。チェリー隊長を倒すなど正直、今でも信じられない」
「手を抜いてくれていたからだよ。本気は最後の一撃だけ。それも既に左足を骨折していたから、平突きを左に払うのは簡単だったし、払ったあとには必ず来るはずの五段切りもなかった」
そして男は自分の名を語った。
「俺の本当のニックネームはジャン」
「ジャン」
「ああ、そうだ。チェリーとはその昔、同じ釜の飯を食っていた」
同じ釜の飯?まさか、こいつの正体は!
「あんた、コックローチの」
「知っているのか?コックローチを」
「ええ。自分も今はメンバーですから」
「なら、話は早いな」
ジャンはシーバスに全てを語った。自分の記憶が先程の爆風によって蘇ったこと。今回の自分の目的がオナラウッド研究所の破壊にあったこと。オナラウッド研究所についてはロング・レッグの一件でシーバスも知っているから、もはやジャンに対する意識は「犯罪者」ではなかった。
そして、ジャンは突然のように次のような質問をした。
「ところで、チェリーに子供はいるのか?」
「ええ、高校生の女の子がひとり」
「そうか」
ジャンはそれを聞いて安心した。量子は立派に育っているようだ。この時のシーバスは、よもやジャンが量子の「実の父親である」などとは思っても見ない。
やがて、シーバスの目にチェリーと量子が見えてきた。シーバスはジャンに肩車をして、そのまま二人のもとへ歩いた。
歩いてくる二人の姿を量子が見つけた。ひとりはシーバス。もう一人は、ひょっとして。
量子は二人が歩いてくるのをじっと見ていた。やがて二人が量子の前にやってきた。
量子が立ちあがった。量子はジャンをじっと見つめた。ジャンは目の前の少女が量子であることをすぐに認識した。
「りょ、量子」
ジャンが、そう口にしたのをチェリーは、はっきりと耳にした。
「エース。お前、記憶が」
「ああ、はっきりと思いだした。さっきの大爆発でな」
「パパ」
パパ?シーバスはこの時に至って、ようやく状況を理解した。「親子再会」。
ジャンはシーバスの肩から腕を外した。ジャンはふらふらしながらも自立を望んだ。シーバスは脇へよけた。
ジャンと量子。互いを見つめ合う二人。
「量子」
「パパ・・・パパ!」
量子はジャンに抱きついた。ジャンもまた量子を抱きしめた。
ジャンがふらついた。量子が支える。
シーバスはチェリーを起き上がらせた。チェリーとジャン。肩車されての再会。
「すまなかった」
「気にするな。俺が弱かっただけだ」
四人は正面玄関に止めてあるシーバスの愛車へと歩きだした。ジャンは量子が、チェリーはシーバスが、それぞれ補助する。
「・・・・・・」
チェリーの顔が浮かない。シーバスはそれに気が付いた。
チェリーの顔が浮かないのは当然である。ジャンの記憶が戻ったことは喜ばしいが、真剣勝負に負けたことはライバルとしてやはり悔しいことであった。否、そんなことは、この際、どうだっていい。最大の汚点は防衛すべき施設をあとかたもなく破壊されてしまったことだ。任務失敗。コックローチが任務失敗だって?
「隊長」
「何だ?慰めなら、いらないぞ」
「あの破壊された施設。オナラウッドでした」
「何だと?それは本当か」
「はい」
「そうか。ははははは」
チェリーは笑った。重荷が一気に下ろせた喜びに、思わず笑いださずにはいられなかった。危うく悪に加担してしまうところだった。チェリーは「自分が負けてよかった」と心から思えるようになって、ほっとした。
そうこうしているうちに四人は車に到着した。
※
チェリーは左脛と左頬の骨折。松葉杖を地面に向かって突く姿が何とも痛々しい。
ジャンはもっと重症だった。爆風による全身打撲そして全身骨折。被爆検査は問題なかった。核融合炉の燃料は水素であり、ウランなどの放射性物質ではないから、放射能被害は左程でもなかったのだ。
ジャンは東京にある警察病院に入院していた。
チェリーがジャンを見舞った。病室内には量子がいた。量子は土日には必ず東京にやって来ていた。
「おじさま」
「全治5カ月。あと3カ月といったところか」
「ええ」
「今日はパパに話を持ってきた」
「何?」
「パパの就職先についてだ」
「俺の?」
「ああ、そうだ」
その後、チェリーは、もろもろの話をした。
「青森の事件は公安から正式に『犯人は施設と一緒に爆死した』と発表されたよ」
チェリーの頼みもあるが、「オナラウッド絡み」ということもあって政府としても事件は揉み消したかったようだ。犯人逮捕となれば当然、裁判となるが、何分にも記憶喪失中の犯罪であるから、どうせ無罪に決まっているし、何よりも裁判となればオナラウッド研究所の存在が世間に明るみになりかねない。
「そうか」
「でもって、お前には実に様々な就職先が用意されているよ。随分と人気者だな」
「コックローチ最強」の肩書きは半端ではないようで、北海道から九州まで、実に多くの施設で求人の申し出があった。就職難のご時世に、実にうらやましい限りの話である。
「退院は10月だから、11月1日付で就職できるな」
「仕事先に京都はあるか?」
「ひとつだけ。『生命科学研究所』だとさ」
「そこがいい」
「あっそ。じゃあ、先輩にはそう言っとくよ」
「悪いな」
チェリーは病室を出た。
量子がチェリーを追ってきた。
「おじさま」
「何だ?」
「ありがとう」
「今さら何だよ」
チェリーは右手を上げて廊下を歩いていった。
10月半ばに退院したジャンは11月、京都府内の国立施設に正式に採用された。そしてジャンは京都にマンションを購入した。京都の高校に通う量子との「親子の暮らし」が始まったのである。
※
翌年の元日。
松本市内の自宅でチェリーは年賀はがきを受け取った。
あけましておめでとうございます。
ありきたりな文面の年賀はがき。差出人はジャンと量子。写真の二人は実に楽しそうだ。それを見たチェリーは、向こうは楽しくやっているんだなと思った。
一方のチェリーは、ひとりで迎える正月だ。思えば去年までは、正月は必ず量子と一緒だった。お節料理も、雑煮も量子が作ってくれていた。今年は既製品を買った。
「朝飯にでもするか」
チェリーは台所へと向かった。
その時、チェリーは台所に立つ量子を見た。
「量子」
だが、やがて量子の姿は消えてなくなった。それはチェリーが見た幻に過ぎなかった。
(量子)
チェリーは改めて量子がいかに自分にとって「身近な存在」であったかを知った。
「量子」
初めて迎えた、ひとりきりの正月。チェリーは目を閉じて、ひとり寂しさを噛みしめた。
もとより、頻繁にメールのやり取りなど行う二人ではなかった。京都暮らしを始めてからの量子は今までとて、帰省する前日に「明日帰る」といったメールをよこすくらいであった。 しかし昔は、二人の間には「家族である」という確かな絆があった。だからメールなどやり取りしなくても心の中で通じ合っていた。しかし今は違う。チェリーと量子は今や「赤の他人」にすぎなかった。もはや「明日帰る」というメールが届くことはない。チェリーは二度と量子と一緒に暮らすこともないのだ。
(娘を嫁に出した父親の心境って、こんな感じなのかな)
チェリーは、そんなことを思ってみたりもするのだった。
「あー」
チェリーは台所の下の扉を開いた。チェリーはシンクの中から日本酒の瓶を取り出すと、まだ朝だというのにコップになみなみと注いで、それをぐいぐいと飲み始めた。
8月、毎度の涸沢常駐。
上高地を巡回中、突然、チェリーのガラケーにメールが届いた。涸沢や横尾では無理だが、上高地ならばメールが届く。差出人は量子ではなく、ジャンからだった。
「今日は量子の誕生日」
そうか。そうだったな、と思う。チェリーはジャンに返事を送った。やや皮肉交じりの返事。
「俺は今、涸沢。お祝には行けないよ」。
翌日、8月23日。
チェリーは日の出から、ひとりで横尾、徳沢、蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、燕岳、大天井岳、槍ヶ岳、北穂高岳、涸沢のコースを巡回した。ロングコースゆえ、涸沢到着は当然のように夕方になった。
「隊長、お客さんが昼間からずっと待っています」
「お客?」
チェリーは自分を待つお客を見て、思わず「あっ」と叫んだ。
「おじさま」
「量子」
それは確かに量子だった。でも、なぜここに?昨日、誕生日だったとエースからメールが来ていたが。
「おじさま、時間あります?」
「ああ。登山者の応対をするのは立派な仕事だからな」
二人は表に出た。
日はとっくに穂高の稜線の彼方に消えていた。頭上の空はまだ青かったが、テントの花が咲き誇る涸沢には夕闇が訪れていた。
量子は指導所の裏手にチェリーを誘った。
「どうしたんだい、量子ちゃん?」
チェリーは量子ではなく「量子ちゃん」と呼んだ。最初は思わず呼び捨てにしたが、もはや「自分の娘ではない」のだから、これが当然と考えたのだ。
「おじさま」
「ん」
「量子は昨日、18歳になりました」
「そうだったね。昨日パパからメールを頂いたよ。おめでとう」
「これで私も立派な大人です」
「そうだね。どこから見ても素敵なレディーだ」
「おじさま、一つ質問してもいいですか?」
質問?一体全体、何だろう。
「ああ、いいよ」
チェリーは気楽に答えた。
「おじさまは、私のママのこと、ずっと好きだった。でも諦めるしかなかった。パパがいたから」
チェリーは、ドキリとした。よもや突然、このような話をしてこようとは。ははあん、さてはエースが話したんだな。チェリーは量子に言い返した。
「大人をからかうもんじゃないな」
だが、次の話は先の話以上に「大人をからかっている」ような内容だった。
「おじさま、私じゃダメ?私じゃママの代わりにはならない?」
ママの代わり?何を言っているのだ?チェリーは量子が本気で自分のことをからかっているのだと思った。
「だから、大人をからかうなってーの」
「からかってない!私、ずっとずっと、おじさまのこと、好きだったんだから」
長年、一緒に暮らしてきた娘だ。本気の時の話し方くらいは知っている。この話し方は本気の時のものだ。
「おじさまは、ママのハートは奪えなかったけれど、その代わりに私のハートを奪いました。量子は寝ても覚めても、おじさまのことばかり思っています」
量子がチェリーを男として意識したのは、いつのことか?本人も覚えてはいないだろうが、それはやはり、あの「米軍基地での救助劇」の時に違いない。
吊り橋効果
心理学者は、そのように言う。吊り橋の上で心臓がドキドキしている時、異性に巡り合うと、あたかも異性にドキドキしているように錯覚してしまう現象。ようするに心理学者に言わせれば、量子は兵士たちに襲われドキドキしている時に、たまたまチェリーに助けられたので、その時のドキドキを「チェリーへの愛情」と錯覚したというわけだ。
無論、これは心理学上の解答にすぎない。実際の人間の感情は、こんな理屈で説明できるものではない。ではあの時、仮に助けに来たのがチェリーではなくシーバスだったら?恐らく量子はシーバスに感謝こそすれ、シーバスを愛することにはならなかったはずだ。それにあの事件は既に5年も前の話。吊り橋効果の効力などとっくに消え失せ「心変わり」するには充分すぎる時間だ。思えば量子は赤ん坊の頃から頻りにチェリーに甘えていた。量子は赤ん坊の頃からチェリーのことが大好きだった。そんな量子だからこそ、量子はチェリーを愛しているのである。
「・・・量子ちゃん」
「量子は昨日で18歳になりました。もう立派な大人です。だから、これからは全てをおじさまに捧げます。量子の心も体も全ておじさまのものです」
「パパはどうするの?」
「パパはパパ。一生パパ。おじさまは今までは、おじさまだった。でも、これからは私の人生を捧げる夫です」
「量子!」
「旦那さまぁ、私の愛する旦那さまぁ!」
二人は熱い抱擁を交わした。夕闇の涸沢で。
コックローチ「決着編」
富士山の裾野に広がる大演習場。そこでは来るべき中国大陸への軍事侵攻に備えて、自衛隊による大規模な軍事演習が行われていた。
ローターレス・ヘリコプターにステルス戦闘機、水素爆発を発射機に利用した自走砲や戦車、レーザーペンシルを数百本束ねたような高出力レーザー砲など、オナラウッド研究所によって開発された最新鋭の軍事技術を取り入れた最新兵器が予定通りの性能を発揮する。そして、この場には総理大臣、官房長官、防衛大臣の三名。この大軍事演習にかける彼らの意気込みが見える。
「半年後には中国大陸は我々ニッポンの植民地だ」
総理大臣の呟き。
「さようですな、総理」
官房長官が同調する。
「・・・・・・」
防衛大臣だけが無言。
「どうした、防衛大臣?」
「いえ、まだ最終の予行演習を終えておりませんので」
「ははははは、きみは心配性だなあ。防衛大臣」
「これが性分でして」
「心配など、どこにあるというのだ?イージス艦、それに空母も今夜の攻撃に備えて既に駿河湾沖に配備しているのだろう?」
「はい」
「そして、いま目の前にいる部隊。何の憂いがある?」
「・・・・・・」
「まあ良い。明日、朝一番の吉報を待っているよ。官房長官」
「はい」
「首相官邸へ戻るぞ。ヘリの準備だ」
総理大臣と官房長官は先に東京へと戻った。ひとり演習場に残った防衛大臣には今夜、実施される最終予行演習の指揮という重要な任務が待っていた。
「今夜、結果が出る。勝てばよし。だが負ければ、計画は一からやり直しだ」
防衛大臣がこれほどまでに憂慮する今夜の最終予行演習。
その内容とは一体全体?
高度経済成長期には四日市などと並んでニッポン一「大気汚染が深刻なまち」の一つであった静岡県富士市。だが、それも今や昔話。かつて公害をまき散らしていた海岸沿いの製紙工場の跡地には今では立派なスポーツ競技用の大型ドーム施設が建設されていた。
通称「クラゲドーム」。
見た目はまさに巨大なミズクラゲ。四つの生殖腺に合わせて天井にカメラやスポットライトが設置された直径220mの円形ドーム。座席配置を変更することで野球もできればサッカーもコンサートできる多目的ドームだ。昼間は乳白色だが、夜になればライトによって赤、青、黄、緑、紫など7色に変化する。その姿は遠く太平洋の沖からも見ることができる。地元では既に「世界遺産候補」の呼び声が高い。
と、このように書いてくれば、読者にはもうおわかりだろう。このドームもまた幕張にある銅鐸の塔と同様、オナラウッド研究所の秘密基地なのだ。一説によると、このドームの地下に兵器工場があるのだという。
昼間の軍事演習を終えた部隊がクラゲドームまで2kmの地点に集結した。クラゲドームはライトによって色を様々に変えていた。同じものを目にしても心境によって感じ方は変わる。普段は美しいライトもこの場にいる者たちには不気味なものに感じられていた。
「大臣。準備はすべて整いました。駿河湾沖の艦艇も、いつでも攻撃できます」
「よし」
防衛大臣は胸から懐中時計を取り出した。11時59分。間もなく0時になる。
0時になった。
「攻撃開始。目標、オナラウッド研究所・富士本部!」
自衛隊による一斉攻撃が開始された。
※
「あん、あん!」
ダブルベッドの上では先程から量子が悶えている。
「だめ、だめっ」
必死に快感に耐えてきた量子だったが、もはやこれまで。
「あっ、あああああっ!」
量子が官能の叫びをあげた。量子は今まさに絶頂に達したのだった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
呼吸を整える量子。そんな量子の下腹部の中では10万匹の精子が1個の卵を目指して、いざ冒険の旅を開始していた。
「どうだ?気持ち良かったか」
量子は顔を横にそむけた。
「相変わらず素直じゃないな?量子は」
「だって」
「まだ、やり足りないようだな?」
「えっ?」
再び量子と交わるチェリー。
「お願い、優しくしてっ」
「俺は荒荒しいのが好きなんだ」
「あん、ああん」
突然、電話が鳴った。
「何時だと思ってるんだ?」
今は夜中の2時。非常識もいいところだ。まさか遭難事故発生?チェリーは量子と一旦、分離するとベッド脇の棚の上に置かれたガラケーを取った。
「もしもし」
「俺だ?こんな時間に済まないな」
この人か。この人からの電話とくれば、陸な話ではない。
「明日、一番で来て欲しい」
「はいはい」
チェリーはガラケーを切った。ガラケーはそのまま床に投げ捨てられた。
「誰から?」
「そんなことより、続き、続き」
翌朝9時、警視庁。
「真夜中に済まなかった」
「で、何です?」
「眠そうだな?大丈夫か」
「ああーっ」
チェリーは大きな欠伸を先程から幾度と繰り返していた。
「まあいい」
真夜中の電話の主、警視総監・Kは早速、本題について話し始めた。
「今日、来て貰ったのは、いよいよ『決戦の時が来た』からだ」
「決戦?」
「昨夜、首相官邸から連絡が入った『オナラウッド研究所を壊滅して欲しい』と」
「な」
オナラウッド研究所、だと?一体全体、何があったんだ?チェリーの眠気が一気に吹き飛んだ。
「オナラウッド研究所って確か、首相官邸とは『蜜月の間柄』だったんじゃあ」
「その通り」
「ってことは」
「『そうじゃなくなった』ということだな」
「何で?」
「そこまでは知らん」
部屋の扉が開いた。
「エース」
「既に来ていたのか、チェリー」
さらに暫くすると、もう一人。
「シーバス」
「これで全員集合ですね」
コックローチのメンバーが3人揃ったところでKが「今回の作戦」について説明を始めた。
「今回、きみたちに攻撃してもらいたいのは、ここだ」
スクリーンに映し出されたのは、クラゲドーム。
「この下に秘密基地がある」
目標物はわかった。
「これから話すことは外部には秘密に願いたい」
そう前置きしてからKは話し始めた。
「ここを攻撃した陸上自衛隊2個師団と、海上自衛隊のイージス艦と空母各1隻、それに航空自衛隊のステルス戦闘機10機、そのすべてが逆に全滅させられた」
「なんだと?」
「ニッポン政府は既に手を打っていたのか」
「でも、逆にやられてしまったということか」
「そうだ」
「信じられない」
「俺は信じられるね」
「俺もだ。相手がオナラウッドなら何が起きても信じるさ」
「前言撤回」
それにしても、とんでもない相手だぞ。軍国主義を復活させて、今やアジア最強の戦力を誇るニッポンの自衛隊を相手にやり返す相手とは。
「どんな武器があるんです?そのクラゲちゃんには」
「映像に撮ってある」
3人は映像を見た。クラゲドームからの攻撃らしきものは何も映ってはいなかった。自衛隊が発射する兵器は文字通り次々と「消滅した」ように見えた。
「この映像を、どう思う?」
チェリー、シーバスには皆目、見当が付かなかった。
「これはバリアー兵器だ」
「エース、知っているのか?」
「これを見てくれ」
エースはポケットからUSBを取り出した。パソコンを立ち上げ、直ちに接続。
「これは以前に俺が幕張にあるオナラウッド研究所の本部に潜入した際にコピーした『オナラウッド研究所の発明品のリスト』だ」
エースはその中の「バリアー」の解説を開いた。食い入るように見るK、チェリー、シーバスの3人。
「高速移動する鉛玉や高出力レーザーなどの高エネルギーを感知すると、それをいったん電気エネルギーに変換、その後はアース(地球)に落とす」
「素晴らしい原理だ。雷をアースに逃がすのと同じだ」
「この仕組みが、実用化されたと?」
「そうとしか考えられない。あの映像を見る限りは」
「それで、イージス艦も空母も消えたわけね」
「敵ながら素晴らしいな。オナラウッドさんは」
「天才だよ。まさしく超天才」
「歩兵はどうなった?映像では無事にドームまで達して、中に潜入したように見えるが」
「ただの一人として戻ってはこなかった」
「あっそ」
「でも、これなら潜入自体は容易いな。ようは『歩いていけばいい』ってことだろ?」
「理論上は、そうだ」
「ということで、よろしく」
「・・・・・・」
思わず互いを見合う3人だった。
クラゲドームからおよそ2km地点。
「まったくう」
「俺たちは消えねえだろうな?」
「理論上は大丈夫です」
3人はゆっくりと歩きながら近づいていく。
「一番やばいのはお前だぞ、チェリー」
「何で?」
「トレッキングポールを持っているからだよ」
「え」
「一応、金属です」
「やめろよ」
「捨てたほうがいいんじゃないか?」
「やめろって」
「まあ、大丈夫だろう。鉄砲玉みたいにマッハで移動しているわけじゃないから。自衛隊の歩兵も全身重装備だったが消えてはいなかった」
僅か2kmだが、この時だけはやけに長く感じる3人だった。
「取り敢えずは無事に着いたな」
「やれやれだぜ」
「では、中に入りましょう」
「お任せあれ」
チェリーが平突きで扉を破壊した。3人は地下へと向かった。
「ありゃりゃ」
「残念」
「逃げ足の速いことで」
3人がクラゲドームの地下で目撃したものは、単なるだだっ広い空間にすぎなかった。何もない巨大な地下ドック。オナラウッド研究所は既にここを放棄していたのだった。
そして。
「なんとまあ、ファンタスティックなこと!」
陸上自衛隊に所属する歩兵師団の隊員の死体が、広い地下ドックの至る所に散乱していた。
チェリーが検視する。
「手刀で、ひと突き」
「ロング・レッグか」
「だな」
「それにしても自衛隊2個師団が全滅とは」
「ロング・レッグには機関銃どころかパイナップル(手榴弾)も通用しない。自衛隊員などロング・レッグから見れば『赤子と同じ』だ」
3人はひとまず東京へ戻った。
「USBにあったオナラウッド関連の施設は既に全てが蛻の殻だったよ」
Kは富士から戻った3人に、このように告げた。
「足取りは完全に途絶えたわけね」
「これからどうする?」
「渋谷の基地で待機するしかあるまい」
渋谷の基地に向かった3人。ジャンが秘密基地入り口扉の鍵を解錠する。ところが鍵は逆に閉った。つまり扉の鍵は3人がここに来る前から開いていたのだ。
中に敵が?3人は戦闘態勢に入った。
「行くぞ」
ジャンが再び解錠、ゆっくりとノブを回す。そして勢い良く扉を開いた。中へ飛び込む3人。
「あっ!」
「酷い、私を置いていくなんて!」
中にいたのは量子だった。
※
クラゲドームを放棄したオナラウッド研究所の部隊だが、彼らは既に東京にやって来ていた。目的は無論、自分たちを裏切ったニッポン政府に対して「仕返しをするため」であった。
大型トラック1台。はた目には「野菜運搬車」くらいにしか見えない。だが、アルミコールゲートの荷台の中には、とんでもない兵器が搭載されていた。
深夜、オナラウッド研究所の大型トラックが停車した場所は東京タワー直下の駐車場。大型トラックは荷台の背を北の方角に向けると、ジャッキで車体を持ち上げた。
「ジャッキアップ、車両固定完了」
「後部扉、開け」
「水素、注入」
「水素、加熱」
「炉内温度、100度、500度、1000度、2000度、3000度・・・」
「炉内温度6000度、発射準備完了」
「発射10秒前、9、8、7、6、5、4、3、2、1、発射」
荷台の中から水素がヘリウムに変わる時に放出される大量のエネルギーが勢いよく発射された。エネルギーは瞬く間に都心を数kmに渡り駆け抜けた。そして、その左右100m以内のあらゆる建物を爆風と高熱によって破壊した。
破壊された主な建物は首相官邸、国会議事堂、そして靖国神社。アメリカ大使館やイギリス大使館、バチカン大使館などは標的ではなかったもののエネルギーの直線上に位置したがために巻き添えをくった。国会図書館や最高裁判所、国立劇場なども同様だ。
大型トラックの荷台の中にあるのは「核融合砲」。原子砲がウランの核分裂反応を利用していたのに対し、こちらは水素の核融合反応を利用する。その結果、発射時の温度が数億度から6000度にまで下がり、さらに放射能汚染の心配もなく、実用性が飛躍的に高まった。原理はいたって簡単。電磁調理器と同じ原理で水素を6000度まで熱した後、ピストンで高圧力を加えるだけ。発射時のショックはピストンのブローバックによって吸収する。発射までの所要時間はおよそ10分。
「な、何だ?この振動は」
「地震か?」
「いや、これは人工的な衝撃波だ」
渋谷の秘密基地でも、核融合砲発射の振動を感じることができた。無論、この時点で「何が起きたのか」など知る由もない。
事の真相、というか被害状況は「翌朝」になって判明した。
東京タワーから靖国神社までの直線区間が廃墟と化していた。さらに靖国神社の先にある飯田橋駅や、その奥の建物も甚大なる被害を受けていた。
「これは、突然の竜巻によるものでしょうか?」
テレビ局のアナウンサーは、そんなことを言っている。
「これは原子砲だ」
ジャンはそう呟いた。
「間違いない。これはオナラウッドによる『報復』だ」
「代償は大きかったが、これで連中の足取りが掴めるかもしれません」
「掴むさ。何としても」
「取り敢えず、どうする?」
「現場検証に行くとするか」
「どこへです?」
「東京タワー」
東京タワーの駐車場には発射の跡がはっきりと残されていた。四か所に渡る引き摺り跡。
「連中、ここから発射したんだな」
「シーバス、なに見てるんだ?」
シーバスはスマホでニュースを見ていた。
「総理大臣と官房長官が行方不明だそうです」
「どこで?」
「首相官邸」
「死んでんだよ、とっくに」
首相官邸は高熱と爆風によって完全に破壊されていた。
「タイヤ跡が残っている」
「タイヤ跡から車種くらいはわかるだろう」
「放射能の数値はあまり高くありません」
「ということは放射性物質を利用した原子砲ではないのか?」
「これは核融合砲だと思われます」
「連中の技術、どんどん進歩しているな」
「連中、まだいるかな?東京に」
「おそらくは『まだいる』でしょう。きっと徹底壊滅を目論んでいるのでしょうから」
「とすれば、次に発射する場所は?」
「全ては、そこの読みにかかっている」
秘密基地に戻ったメンバーは直ちに、おのおのの任務に没頭した。シーバスはタイヤ跡の調査を開始した。一方、ジャンとチェリーは作戦室のテーブルに広げられた東京23区の地図と必死ににらめっこしながら「次の発射地点」を割り出そうとしていた。
東京タワーから靖国神社を狙う。その直線上には国会議事堂と首相官邸がある。今回の攻撃は、まさに絶妙なシチュエーションだった。とすれば、次もやはり同様に絶妙なシチュエーションを考えついているに違いない。
やがて二人は、それぞれ「答え」を導き出した。両者の意見は異なっていた。
ジャンは「方南陸橋から新宿駅」を狙うと考えた。直線上には東京都庁、防衛省、そして既に廃墟と化している靖国神社がある。破壊力によっては、さらにその奥の秋葉原も照準に入る。
それに対し、チェリーは「晴海埠頭から東京駅を狙う」と考えた。直線上には銀座、大手町、そして東京大学がある。
ジャンの案ならば靖国神社を中心とする十字状に、チェリーの案ならば皇居を挟んでパラレル状に東京が破壊されることになる。
発射後に直ちに現場を逃走するのであれば、即座に環七を利用できるジャン案の方が有利だ。発射後に晴海埠頭からトラックで逃走するのでは西側への逃走は不可能で、経路は千葉方面に限られてしまう。それに真上から見た場合、図像学的にもジャン案の方がカッコいい。
だが、チェリーは執拗に晴海埠頭案を主張した。
しかし、ジャンも譲らない。こうなれば、局長に決めていただく以外にはない。
局長?一体全体、誰のことだ?
「どう?決まった」
隣の応接室から、コックローチ2代目局長=量子がやってきた。ジャンとチェリーは互いの意見を説明した。
「ふんふん」
二回、頷いてから量子は命令を下した。
「今夜10時から、晴海埠頭にて敵が来るのを待ちます」
「おい、量子」
ジャンが何か言いたそうだ。
「お前は実の父親よりも、亭主の肩を持つのか?」
「その言い方はフェアじゃないな」
勝ったチェリーには発言に余裕がある。
「まあ毎晩、激しく調教しているからな。量子は俺のいいなりさ」
「そうなのか?お前」
ジャンは量子にチェリーの発言が「真実」かどうかを尋ねた。量子は顔を柘榴の実のように真っ赤にしてはにかんだ。それが「事の真相」を雄弁に物語っていた。
「やはり、そうなのか」
ジャンは唖然とした表情を二人に見せた。さすがにチェリーもこの場は照れて、左手で口元を覆った。
深夜2時。
核融合砲を搭載した大型トラックが晴海埠頭にやってきた。「読み勝負」はチェリーの勝ちだった。
いや、違う。勝負は「ジャンの勝ち」だ。
大型トラックは「警察による方南陸橋の警備の厳しさ」を見て発射場所を変更、晴海埠頭にやってきたのだ。警備が厳しかったのは無論、コックローチが前もってKに、そうするように連絡していたからに他ならない。
大型トラックは直ちに発射準備に取り掛かった。ジャッキが下ろされる。
「そこまでよ!」
大型トラックに向かって歩いてくる4人の人影。言わずもがなコックローチだ。コックローチ見参。
大型トラックの中から次々と敵が外に出てきた。全員、女。それも全員、外国人。
「ロング・レッグだ」
そう。トラックの中から出てきたのはロング・レッグ。それも全部で20体!
「道理で」
「自衛隊が負けるわけだ」
そして最後に一人の老人がトラックの中から出てきた。この老人だけが男。
この老人こそ、オナラウッド研究所の生みの親、オナラウッド研究所芸術監督・珍柿に他ならなかった。
この名前をあなたは既に知っている。チェリーがバイヤーの家から頂戴、コックローチの秘密基地に飾った『富士山頂図』の作者だ。
「あなたが、オナラウッド研究所芸術監督の珍柿さんですね?」
「フォッフォッフォッ」
珍柿が腕を高々と上げた。ロング・レッグが一斉にファイティングポーズを構えた。
「うっ」
身構えるコックローチ。まさか、こんな展開になろうとは。捕らえるべき敵のヘッドが目の前にいる。だが、その前にはロング・レッグの壁が立ちはだかる。
珍柿は腕を振り下ろさなかった。珍柿は腕をゆっくりと自分の胸元に持っていった。
「今回のところは儂の敗北を認めよう。それにしてもよく、ここがわかったな?」
「方南陸橋が厳重に警備されているのを見たならば、必ずここにやってくると思っていました」
「儂の最初の予定地が方南陸橋であることを見抜いたうえで、敢えてここで待ち伏せていたのか?」
「ええ、まあ」
「方南陸橋では『戦いづらい』という判断じゃな?」
「ここは四方を海に囲まれた埋め立て地。住宅地もないですし『大規模な戦い』になると思いましたもので」
「そなた、名は何と言う?」
「量子」
「賢い娘だ。その名、覚えておこう」
「トラックの中の兵器は核融合砲ですね?」
「そうじゃ」
「これほどの技術がありながら、どうして青森では核物質を利用した核分裂砲なんか開発していたのですか?」
「あれは儂の発明品ではない。青森の研究所長が勝手にやっておったことじゃ」
珍柿はくるりと体を反転、海に向かって歩き出した。無論、そんな珍柿をロング・レッグが厳重にガードする。
「そうそう。儂の負けだからな。そのトラックは、そなたらに差し上げよう。中のパソコンにはオナラウッド研究所に関するあらゆるデータが入っておるぞ」
「なぜ、そのようなことを?」
「次に会うのを楽しみにしておる。そういうことじゃな」
突然、海から大きな飛沫音が響いてきた。海の中から巨大な城が出現した。
いや、城じゃない。戦艦だ。巨大戦艦が海の底から浮上したのだ。
一同呆然。
巨大戦艦からタラップが下ろされた。珍柿はロング・レッグとともに悠然とタラップを上っていった。巨大戦艦のデッキから珍柿が叫ぶ。
「徳島で待つ。戦いの準備が整ったら、やってくるがいい」
珍柿の姿が巨大戦艦の中に消えた。やがて巨大戦艦は東京湾を目指して進み始めた。コックローチのメンバーは再び海底へと潜っていく巨大戦艦の姿を見送るのみだった。「とんでもない敵」を相手にしていることを改めて思い知らされたのだった。
渋谷の秘密基地に回収した大型トラックの中を調べると、確かに、助手席のシートの上にノートパソコンがあった。早速、シーバスの手で解析が始まる。「徳島で待つ」という珍柿の言葉の意味は、すぐに判明した。
「銅鐸の塔に、クラゲドーム。そして今度は『榾木のポートタワー』か」
徳島県蒲生田岬に立つポートタワー。通称「榾木のポートタワー」。榾木(ほだぎ)というのは椎茸栽培に用いられる丸太のこと。榾木に菌を植え、椎茸を生やす。その姿によく似たポートタワーということだ。徳島県が椎茸栽培の盛んな県ということで、このデザインなのだろう。
「オナラウッド研究所の建物って、どれもオシャレだよな」
「これも、あの珍柿とかいう老人のデザインなんだろう?」
「そのようです。いろいろなことをやっているみたいですね」
「天才ってやつか」
「まさしく万能の天才だ」
「で、これがトラックの中の兵器『核融合砲』です」
「凄いな。こんなアイデア、良く思いつくな」
「わりかし簡単な作りなんだな」
「炉の中で水素を熱して圧縮するだけ」
「それから、これがロング・レッグ」
「量産型ロング・レッグ?」
「大きく違うのは骨格の素材。試作機はイノチュウムだったけれど、これはチタニウム合金製です」
「これならトレッキングポールでも何とか戦えるな」
「巨大戦艦に関するデータは?」
「ありませんでした」
「隠しているのか?」
「さあ」
シーバスはパソコンから離れた。シーバスはみんなを隣の部屋に呼んだ。
「こんなものも、ありました」
シーバスは一つの箱を手に取った。
「中身は何だ?」
シーバスは箱を開いた。
「核融合砲のためのメンテナス用品です」
中には、もろもろの工作機械が収められていた。
「こちらはレーザー溶接銃。こちらは小型のレントゲン装置。それから・・・」
「おいおい。メンテナス用品からして超科学か?」
「まあ、オナラウッドだから驚くには当たるまい。俺たちの常識よりも、かなり先を進んでいるわけだ」
そこへ量子が入ってきた。量子は沙羅(さら)と二人で食糧の買い出しから今、戻ってきたところだった。
沙羅?誰だ、それは。
沙羅というのは、秘密基地の上の歯医者で働く「ロング・レッグ姉」の人間としての名前である。名付け親はチェリー。
「そ、それは」
沙羅は手にしていた買い物袋を床に落とした。沙羅はメンテナス用品の一つを手にした。
「これをどこで手に入れました?」
「ああ、回収した大型トラックの中にあったんだ」
「これがあれば、妹を修復できるかもしれない」
「何だと?」
オナラウッド研究所のメンテナス用品である。確かに、ロング・レッグの修理も可能だろう。
「これでいいか?」
チェリーは秘密基地に厳重に保管していたロング・レッグ妹の体を地下2階の訓練室に設置したテーブルの上に置いた。
「はい。あとは私がやってみます」
沙羅は自ら妹の修復を行うことにした。というよりもロング・レッグである沙羅ならば人間よりも遥かに精密な作業を行うことができる。
「頼むぞ」
チェリーは訓練室を出た。敵はロング・レッグ20体。今は一人でも多くの「使える仲間」が必要なのだ。
修理は7日に及んだ。7日間、沙羅は不眠不休で修理に没頭した。
そして。
「・・・姉さん」
ロング・レッグ妹が眠りから目覚めた。
「あなたは今日からは江里子(えりす)よ」
※
徳島県蒲生田岬。紀伊水道と太平洋の分岐点。
到着したコックローチのメンバーの前に聳え立つのは高さ245mの榾木のポートタワー。大理石タイル張りの6角柱を榾木とし、その周囲に椎茸型の展望台をあしらう。20階にあたる2階から上に10階おきに配置される全部で5つある椎茸型の展望台は6角柱の四方にバラバラに配置されている。つまり、このタワーは1階のロビー、61階のダイナミックダンパー室を含めた7階建て。榾木の中心をエレベータが貫いてはいるが当然、今は使用出来ない。メンバーはエレベータを螺旋状に囲む非常階段を駆け上がる以外にはない。
「みんな行くわよ」
20階に到着。非常階段の正面には鉄の扉。このフロアは昼間「物産品の販売」を行うところだ。
「さて、何が待っていることやら」
扉を開けた。
「うほっ、やっぱり」
果たして、そこには「ロング・レッグの大軍団」が待ち構えていた。
「ここは私たちに任せて」
江里子の強気の発言。
「あなた方は先に上って」
こちらは沙羅。
「お願いね」
量子たち生身組は二人を信じて上の階を目指した。
「さて」
「いくわよ」
ロング・レッグ姉妹による突撃が開始された。
「量産タイプなんかに負けないわよ」
江里子の手刀が敵ロング・レッグの胸を貫いた。これが戦闘開始に合図になった。
「メガネのフレームなんかに負けられないわ」
次々と量産型ロング・レッグを破壊するロング・レッグ姉妹。イノチュウムとチタニウム合金では断然、イノチュウムの方が優れている。
戦っているうちに二人は、いつしかエレベータが中心を貫く6面体の中央フロアから、円形の展望台フロアへと闘いの場所を移していた。
「何だ?」
量産型ロング・レッグが二人の周囲をぐるりと取り囲んだ。
「今までのはお遊び、これからが本番よ」
そう言うと、量産型ロング・レッグは二人の周囲を回転しながら走り始めた。
「行くわよ。『メリーゴーランド・アタック』!」
江里子は敵の攻撃を見て笑った。
「何よ。ただ走っているだけじゃない」
江里子は走り回る敵に向かって突撃した。
「待って、迂闊な攻撃は危険よ」
沙羅が注意を促す。だが江里子は敵に手刀を繰り出してしまった。
「えっ」
繰り出した手刀が傷だらけになって弾き返された。
「これは?」
敵は、ただ走っているのではなかった。量産型ロング・レッグは巨大なエネルギーの渦を発生させていた。そのエネルギーに弾かれたのだ。
「さあ、ここからがいよいよ本番よ」
量産型ロング・レッグは円陣を小さくし始めた。
「くっ」
空間が徐々に狭まる。このままでは巨大なエネルギーの渦が中心に集まり、さしものロング・レッグ姉妹でも破壊されてしまう。いや、そもそも攻撃を仕掛ける量産型ロング・レッグ自身が莫大なエネルギーによって自爆するだろう。
周囲に逃げ場はない。唯一の逃げ場は天井だが、ジャンプすれば敵とてジャンプするに決まっている。
「さあ、これでもう、おしまいよ」
量産型ロング・レッグの円陣が、いよいよ狭まってきた。
「二人ともバーベQになるがいい!」
量産型ロング・レッグが遂に円の中心に集まった。巨大なエネルギーが中心の一点に集中、巨大な爆発が引き起こされた。
※
30階に到着した。
「何だ?この部屋は」
ここは、もろもろの企画展が開催されるフロア。この時は地元の現代アーチストによる「鏡の魔法展」が開催されていた。展覧会の名前の通り、量子たちの前に現れたのは「鏡の世界」。壁はもとより天井、床、全て鏡。自分たちの姿が周囲にいくつも映し出されている。
「ザ・ベストテンのミラーゲートみたいだな」
ジャンの感想。世代の違う量子やシーバスにはわからなかったようだが、同じ世代のチェリーには発言の意味がわかったので、戦場だというのに思わず笑ってしまった。
「じゃあ一曲、歌おうか?」
チェリーはトレッキングポールをマイクスタンドに見立てて1980年代アイドル歌手特有のブリッ子な振り付けをしながら唄い出した。
「来たな」
やがて敵が出現した。若い男。手には日本刀。服装も、いかにも武士風。敵は一人なのだろうが、鏡によって何人にも見える。
チェリーが口を開く。
「『こいつら』は俺が相手する。お前たちは先に行け」
量子たちは上の階を目指す。チェリーは敵に正確に向き直った。
ところで、この武士風の男、どこから出現したのか?答えは簡単。この部屋は複雑な鏡の組み合わせによって構成されている。恐らく、どこかの鏡の後ろに控室でもあるのだろう。
「お前は『鏡の虚像』に騙されないようだな?」
「まあな。エースの幻覚に比べたら、こんなもの『子ども騙し』だ」
「随分と余裕だな?」
「俺の名はチェリー」
「俺の名は愛武」
お互い名乗りは済んだ。これにて戦闘開始か、と思いきや、チェリーはさらに話を続けた。
「もう一人は名乗らないのか?」
「なに?」
「とぼけるなよ」
チェリーは敵の卑怯な戦法を見抜いていた。
「同じ顔に、同じ衣装、そして同じタイミングによる絶妙なまでの動き。一見、一人のように見せて、実は二人。お前も自己紹介しろよ。双子の兄弟か?」
「どうしてわかった?」
どうやら図星。チェリーほどの剣客が目に見えるものだけで物事を判断するとでも思っているのだろうか?
「殺気が二つある」
「成程。お前は『達人』のようだな」
敵の動きが2種類に変わった。2種類の異なる像が鏡に映し出された。
「俺の名は尊武」
「愛武、尊武」
「そう。武士道を心から尊ぶ現代の剣客。それが俺たち『武兄弟』よ」
「ばっからしい!」
チェリーはかつて戦った半次のことを思い出していた。サムライ気取りの馬鹿男。そして、またもや目の前に同様の輩。
どうしてニッポン人はこんな人間ばかりなのか。どいつもこいつもサムライ気取りを「かっこいい」ことだと思っている。真のニッポンの愛国者であれば、これほど「恥ずべき振る舞いはない」というのに。
「お前らみたいな連中を見ていると、ホント、ムカつくぜ」
そう吐き捨ててからチェリーが構えた。
「天皇蔑視の国賊どもに、たんまりと『お仕置き』してやる」
チェリーが先に仕掛ける。
武兄弟は慌てた。これは全く予想だにしない展開だった。慌てる敵を自分たちがじわじわと追い詰めていく。それが二人の筋書きだった。
愛武が避ける。否、避けられない。チェリーのトレッキングポールが腹部に食い込む。
チェリーの後ろから尊武が攻撃を仕掛ける。それを予想していたかのようにチェリーは愛武の腹部にトレッキングポールを押し込み、逆時計周りに回転。その勢いで尊武の左頬を殴ると、今度は時計回りに回転。愛武の右頬を殴った。
「ぐわっ」
「ぐえっ」
武兄弟はチェリーの左右に吹き飛ばされた。チェリーはトレッキングポールで自分の右肩をぽんぽんと叩いた。
「お前ら、弱すぎ」
圧倒的貫録。
その後も、二人による攻撃がチェリーに繰り出されるが、チェリーにとっては、ほとんど遊んでいるのも同然。しまいには、自分で仕掛けた罠だろうにチェリーの本体を完全に見落とし、鏡に映るチェリーの姿に向かって刀を振り上げる始末。当然、鏡は割れ、鏡に斬りつけた自分自身の体を傷つける結果となった。
武兄弟。まさに典型的な「現代の若者」である。口と格好はいっちょまえだが、中身が全く伴わない。そしてサムライ気取りを「カッコイイ」と思っているように、思想・哲学の底がなんとも浅い。
ニッポンのサムライと海外の騎士とは本質的に異なる。騎士は国王に絶対忠誠を誓う忠臣だが、ニッポンのサムライは天皇に背いた謀反人にすぎない。騎士道は美しいが、武士道は「下剋上」「奇襲攻撃」「民間人も皆殺し」など実に醜いものだ。平清盛、北条義時、足利尊氏などは典型的な天皇蔑視の「国賊」。源義経は「屋島の闘い」では地元の農村を焼き払い「壇ノ浦の闘い」では地元の船乗りから先に殺害。織田信長は「伊丹城の闘い」において女子供を情け容赦なく磔の刑にして処刑。豊臣秀吉は平和を営む韓国の地に攻め込み、何の罪もない韓国の民衆に地獄の苦しみを与えた。いずれも『三国志』で言えば曹操で、劉備とは程遠い。
勿論、尊敬に値する人道的なサムライがいないわけではない。楠木正成。戦国武将や幕末の維新志士のような「自身の天下取りのため」ではなく、後醍醐天皇をお護りするために闘った。チェリーが尊敬する数少ないサムライだ。
ともあれ、サムライに憧れる現代の若者ゆえに「勝てない」とわかるや、サムライと同じく卑怯もいいところの「最後の手段」に打って出た。
「俺たちだけでは死なん。お前も道連れにしてやる」
愛武はポケットに忍ばせていた無線装置を取り出すと、そのスイッチを押した。
「なに?」
あらかじめ仕掛けられていた爆弾が次々と爆発した。部屋中の鏡が砕け、三人めがけて勢いよく飛んできた。
※
「待っていたぞ、ジャン」
40階で待ち受けている男は自分が戦う相手としてジャンを指名した。
「ということだ」
ジャンは量子とシーバスに先に行くよう指示した。
「パパ」
「大丈夫だ。行け」
量子とシーバスは先を急いだ。
「さてと」
ジャンが敵に質問した。
「お前、何で俺のニックネームを知っている?」
「覚えてないのか?・・・そうか。目が見えなかったんだから、俺の姿を覚えているわけがないわな」
目が見えなかった?ジャンは考えた。そんなことが過去にあっただろうか?・・・あった。一度だけ、そのような危機に陥ったことが。
「お前は、飛鳥か!」
「ふふふふふ」
正解。こいつは飛鳥。傭兵を生業とする史上最強の殺し屋。
「生きていたのか、飛鳥」
「あの時は、お前同様、俺も油断した。まさか他にも敵がいるとは思わなかったから、背中と腹に深手を負い、死にかけた」
だが、どうやら死ななかったようだ。
「あの時の決着を今、ここで付けようではないか」
「いいだろう。望むところだ」
最強の男同士の戦いが、始まる。
「行くぞ、ジャン!」
ファイティングポーズからの突撃。
「おらおらおらおらおらおらおらおらおらおらあっ!」
何という素早いパンチのラッシュ。1秒間におよそ10発。
「こいつの技はボクシングか」
両腕でガードを固めるジャン。そして、ジャンが得意の足技を繰り出そうとした、その時。
「おらあっ」
何と、先に足技を繰り出したのは飛鳥。ジャンの腕のガードが外される。ガードが開いたジャンの胸に飛鳥のパンチが炸裂する。
「ぐわあっ」
後ろに数歩下がりながらよろけるジャン。余裕からか?飛鳥は一旦、間を開いた。
「ふふふふふ」
(こいつの技はムエタイ!)
胸に手を当てるジャン。既に肋骨が数本折れているようだ。
「立ちな。この程度で『立てない』などということはあるまい?」
素直に立つべきか?否。ここは「お返し」の一つもしないことには。
「うらあっ」
ジャンは両手を床につくと足を高々と上げて回転。飛鳥の顔面めがけて蹴りを入れた。 飛鳥が左頬を抑えて一歩下がる。
「やるじゃないか」
飛鳥は折れた歯をプッと吹いて捨てた。その間にジャンは立ちあがった。
飛鳥がファイティングポーズを構える。ジャンもまた足技をいつでも繰り出せるように構える。
ムエタイとカポエラ。両方とも「手と足を使う格闘技」だが、前者は手技が主で、後者は足技が主。
「はあっ」
飛鳥の超高速連打によるパンチ。ジャンはそれを回転足蹴りで弾く。
「てぃやっ」
ジャンの足が飛鳥の胸にヒットした。飛鳥は胸に手を当てて後ろに下がった。そして、後ろに下がった飛鳥はポケットからバグ・ナウ=鋭い鈎爪が4本ついた鋼鉄製のメリケンサックを取り出すと、素早くそれを指にはめた。
飛鳥の反撃。ジャンの足がバグ・ナウによってズタズタに切り裂かれた。
「うあああああ!」
ジャンの右足が血塗れになった。ジャンはその場に蹲ってしまった。
「くうううう」
ジャンの右足のふくらはぎが大きく損傷していた。この右足では立つことも蹴りを繰り出すこともできない。
「ふっ」
勝利を確信した飛鳥がジャンに近づいてきた。
「所詮、お前は俺の敵じゃなかったのさ」
「くそう」
「あばよ。負け犬」
飛鳥が拳を振り上げた。
※
「女?」
量子とシーバスの前に立ちはだかるのは、女戦士。
女同士の対決。量子が受けて立つ。
「待って下さい」
そんな量子をシーバスが静止した。
「ここは私がやります」
「えっ?」
量子は驚いた。量子はシーバスの性格をよく知っていた。ジャンやチェリーとは異なり、シーバスは敵とはいえ女性に拳を振り上げることなどできる性格ではない。
「大丈夫。必ず勝って、あとを追いますから。局長は最上階の珍柿を」
「シーバス」
量子はシーバスの目に何やら「決意めいた輝き」を見た。
「わかったわ」
量子はこの場をシーバスに託し、60階を目指した。
シーバスの武器。それはチェリーと同じ、トレッキングポール。山での愛用品。シーバスはそれを左右に1本ずつ手にしていた。二刀流。
出発前、シーバスはチェリーに呼ばれた。
「今度の戦いは文字通り『オナラウッド研究所との最終決戦となる』に違いない」
「自分も、そう思います」
「そこで、是非とも訊いておきたい」
「はい?」
「お前、人を殺せるか?」
シーバスはドキリとした。
「お前は、まだ人を殺したことがない。だが今回は、そうはいかない。相手に手心など加えていたら、間違いなく自分が死ぬことになる」
「・・・・・・」
「どうだ?手心抜きで、本気で相手を殺す気で戦えるか?」
「それは・・・」
改めてそのように言われて、シーバスは正直、困惑した。
「それが無理なら、今回の作戦、お前は参加させない」
「隊長!」
「お前を死なせたくない」
「隊長・・・」
「今回の戦い。もしかしたら俺もジャンも量子も、全員死ぬことになるかもしれない。もちろん死にたくなどない。だから、みんな必死で戦うことを腹に決めている」
自分にも、その腹を決めろということか。
「どうだ?できるか」
シーバスは結局、この場では返答しなかった。
シーバスはトレッキングポールを構えた。二刀流。これこそがシーバスが今回の戦いに本気で挑もうとしている証拠に他ならなかった。
50階を護る女戦士。奇しくも彼女も二刀流。彼女が手にする武器はアイスアックス。 アイスアックスとは冬山において氷壁を登るために特化して開発されたピッケル。トレッキングポール同様、本来は山道具だ。
しかもシーバスは彼女を知っていた。
「必ず来ると思っていたわ、隊長」
彼女もまた長野県警山岳遭難救助隊の隊員。しかも、シーバスが現在、隊長を務める大町署(白馬岳や鹿島槍ヶ岳などを管轄)のチームに所属する直属の部下であった。
「どうして、きみがオナラウッド研究所に?」
「私が長野県警に入ったのはね。コックローチについて調べるためよ」
「きみは、オナラウッド研究所のスパイ?」
「まあ、そんなところかしら」
シーバスは目を閉じ、その場で瞑想した。再び目を開いた時、シーバスの目は変わっていた。
「ならば、この場できみを倒すしかない」
「あなたに、できて?」
「やるさ。ぼくの腕前は、きみも知っているだろう?」
「そうね。でも、それ以上に知ってるわ。あなたはフェミニスト。女性に手をあげるなんてこと、絶対にできない。そう、あなたは決してチェリーにはなれないわ」
「黙れっ!」
チェリーにはなれない。この言葉、まさにシーバスの逆鱗だった。シーバスが初めて見せた激昂。
「それでいいわ。それでこそ倒し甲斐がある」
「行くぞ」
シーバスが先制した。右手のトレッキングポールを突き出す。女戦士が左手のアイスアックスでそれを受ける。すかさず右手のアイスアックスを握る手が振り上げられる。
「やあっ」
振り下ろされるアイスアックス。シーバスもまたそれを左手のトレッキングポールで受けた。 互いの顔が接近した。シーバスは女戦士の顔を見た。女戦士もまたシーバスの顔を見た。
「同じ職場の仲間だというのに、どうして、ぼくたちが戦わなくてはいけないのだ?」
シーバスの質問。
「これが運命だからよ」
女戦士の返答。
「うわあああ」
接近状態からシーバスは両腕を振り上げた。力では、やはり男であるシーバスの方が強い。本当はトレッキングポールで相手の両肩を殴るために両腕を上げたのだが、結果、両者の距離がさらに接近した。
シーバスは女戦士の顔をじっと眺めた。長野県警内部でも1、2を争う美人警察官である彼女をシーバスは常々「美しい」と思っていた。
突然、女戦士がシーバスにキスをした。その目には涙。シーバスは自分の心の中から戦意が急速に失われていくのを感じた。シーバスはトレッキングポールを落とした。シーバスの両腕が女戦士の背中に回った。はじめて抱いた女性の体。ああ、何て華奢なのだろう!これが女性というものか?シーバスはもう夢見心地だ。このまま愛し合いたい。
「ぐわああああっ!」
女戦士の両腕が振り下ろされた。2本のアイスアックスの歯が、シーバスの両肩に突き刺さった。
シーバスは夢の世界から現実に引き戻された。
※
「二人とも、バーベQになるがいい!」
量産型ロング・レッグが沙羅・江里子のロング・レッグ姉妹に向かって円陣を一気に狭めてきた。四方は全て量産型ロング・レッグの壁。そして上にジャンプしても、きっと敵もジャンプしてくる。
「ならば」
沙羅と江里子は床に手刀の一撃を加えた。床は割と簡単に砕けた。沙羅と江里子は床に開いた穴の中に飛び込んだ。
量産型ロング・レッグが円陣の中央に集まった。その場に巨大なエネルギーが集中したことで大爆発が発生。全ての量産型ロング・レッグが粉々になった。
エネルギーが収まったあと、沙羅と江里子は床下の穴から出てきた。沙羅と江里子のいた中央部分の床下には椎茸の柄にあたる中が空洞の構造物があったため、地上に落下せずに済んだのだった。
「間一髪だったわ、姉さん」
「早く、上の階を目指しましょう」
「俺たちだけでは死なん。お前も道連れにしてやる」
愛武はポケットに忍ばせていた無線装置を取り出すと、そのスイッチを押した。
「なに?」
鏡の間にあらかじめ仕掛けられていた爆弾が次々と爆発した。部屋中の鏡が砕け、三人めがけて勢いよく飛んできた。
四方から飛んでくるガラスの破片。避けることなどできない。このままではチェリーの体は鏡の破片によってズタズタに切り刻まれてしまう。
「もはやこれまで」
チェリーは覚悟を決めた。両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。
だが、チェリーの体はズタズタに切り刻まれなかった。
「沙羅!江里子!」
「危なかったわね」
「私たちが来たから、もう大丈夫よ」
下の階から上がってきた沙羅と江里子がチェリーの体をガードした。ガラスの破片など、ロング・レッグには通じない。
「サンキュー、助かった」
やがて爆風は収まり、破片は全て床に落ちた。愛武、尊武の武兄弟は全身の皮膚を鏡の破片によって切り刻まれ、冷凍庫に吊るされた食用牛を思わせる、ただの肉の塊と化していた。
「早く上の階へ行きましょう」
「ああ」
三人は上の階を目指した。
「所詮、お前は俺の敵じゃなかったのさ」
「くそう」
「あばよ。負け犬」
飛鳥がジャンに拳を振り上げた。
その時。
「うおおおお」
飛鳥めがけて、チェリーが突撃してきた。
飛鳥はチェリーに向き直り、パンツを炸裂した。
バグ・ナウVSトレッキングポール。
トレッキングポールはバグ・ナウの鈎爪を破壊、そのまま飛鳥の胸板を貫いた。
「ひ、卑怯者め」
「卑怯は、お互い様だろうが」
その通り。素手で闘いを挑むジャンに対して武器を持ち出した時点で飛鳥は既に闘いに敗れていたのだ。
「大丈夫か?エースって、大丈夫じゃないな」
「見ての通り右足が、もうだめだ」
「ちょっと痛いかも知れんが、我慢しろ」
チェリーはトレッキングポールの軸に巻きつけてある捻挫用のテーピングをはがして、ジャンの右足脹脛をぐるぐるに巻いた。とりあえず止血にはなる。
沙羅がジャンを肩車した。ジャンは左足でケンケンしながら、どうにか歩ける状態だった。
「行こう。上で量子とシーバスが待っている」
「ああ」
「ぐわああああっ!」
女戦士の両腕が振り下ろされた。2本のアイスアックスの歯がシーバスの両肩に突き刺さった。シーバスは夢の世界から現実に引き戻された。
「ああああああ」
膝を床につくシーバス。両肩から大量の血が流れ落ちる。
「甘いわね。だからはじめに言ったでしょう?あなたは決してチェリーにはなれないって」
「ああ、ああ、ああ・・・」
「このまま放っておいても出血多量で死ぬでしょうけど、かわいそうだから、楽に死なせてあげるわ」
女戦士が血に濡れたアイスアックスを構えた。
「う、うおおおお」
シーバスは床に落としたトレッキングポールを拾うと、どうにか立ち上がった。そしてトレッキングポールの先端にはめてあるゴムキャップを口で銜えて外した。トレッキングポールのゴムキャップを外すということは「刀を鞘から抜く」ことを意味する。マグネシウム合金でできた鋭い先端が現れた。
「ようやくの本気ね。でも、その傷で戦えるかしら?」
女戦士は攻撃の前に、シーバスに次のように話した。
「あなたとのキス。あなたの抱擁。わたし、一生忘れないわ。私も、あなたが好きよ。正直、嬉しかった」
女戦士がシーバスに最後の攻撃を仕掛ける。両腕を高々と掲げる。アイスアックスがシーバスめがけて振り下ろされる。
「うああああああ!」
シーバスの必殺技が炸裂した。6段突き。シーバスのトレッキングポールが女戦士の体を貫く。女戦士は仰向けに倒れた。
シーバスは戦いに勝利した。そしてシーバスはこの時、はじめて人を殺した。
まさか、こんなことになろうとは。自分もコックローチのメンバー。いずれは人を殺すだろうとは思っていた。でも、まさかその最初の人が、自分がはじめて「愛しい」と思った女性だなんて。自分がはじめて抱擁した女性だなんて。
シーバスは再びトレッキングポールを床に落とした。そして女戦士の体を抱き起こした。シーバスは女戦士の体をひしと抱きしめた。そして泣き続けた。
下から四人が上がってきたのは、そんな時だった。
「この女性は!」
「チェリー、知っているのか?」
「ああ。同じ長野県警の婦人警察官だ。自分は松本で彼女は大町だから、詳しくは知らないが。名前は確か、梅雨子・・・」
泣き続けるシーバス。ジャンがシーバスに話しかける。
「俺たちは先へ行く」
メンバーがシーバスを残して先を急ぐ。
「待って」
シーバスが叫んだ。
「自分も行きます」
シーバスは梅雨子を胸に抱きかかえて立ちあがった。
※
「孫が死んだ」
榾木のポートタワーの60階にいる珍柿は孫の最期をテレパシーで感じ取った。珍柿は沈痛な面持ちで瞼を閉じた。
「珍柿さん」
その場に量子がやってきた。珍柿には「孫の死」を悲しんでいる余裕はなかった。
「ひとつ訊かせてください。なぜ、あなたは核融合砲を東京で使用したのですか?あなた方とニッポン政府は、そもそも仲がよろしかったはずではありませんか?」
珍柿は目を開くと量子に向き直った。
「ニッポン政府は中国大陸への軍事進攻を計画した。儂はそれに反対した。オナラウッドの科学力はあくまでも専守防衛のためだけに用いるべきで、断じて侵略に用いてはならないと。だが総理大臣と官房長官は中国大陸への軍事進攻に固執した。レアメタルをはじめとする中国大陸の資源を欲しがったのだ。奴らは『ニッポンの未来を開くためには中国の植民地化が必要だ。そのために憲法を改正して第9条を破棄したのだ』と強硬に言い張った。奴らは『ニッポン民族は優秀で、中国人は下等な生き物だ』という考えに凝り固まっていたのじゃ。そんな根拠など、どこにもありはしないというのに。結局、交渉は決裂。奴らは儂の存在を疎ましく思うようになり、富士山麓で行われた軍事演習の時に儂らの基地を攻撃してきた。儂を殺し、巨大戦艦を奪うために。あの巨大戦艦は儂がこの星に来るときに乗ってきた宇宙船じゃ」
宇宙船、ですって?
「中国大陸への軍事進攻を止めるには、覇権主義にかぶれた総理大臣と官房長官を消すしかない。そこで儂は二人がいる時を見計らって首相官邸に向けて核融合砲を発射したんじゃ。無論、多くの罪のない人々が、その巻き添えによって死ぬことはわかっていた。じゃが、もはや首都である東京に大きなダメージを与えないことには戦争を回避することは難しい状況になっておった。本当なら、とどめにもう一発撃っておきたかった」
「・・・・・・」
「でも、そなたらがやったことは正しい。当然だ。破壊行為を阻止するのは、人として当然の道じゃ」
「どうやら、あなたは宇宙人のようですね?」
「そうじゃ」
「何故、地球に来られたのですか」
その時。
「おっと、お仲間が来たようじゃな」
下の階からジャン、チェリー、シーバス、沙羅、江里子が上ってきた。
「孫の亡骸を持ってきてくれて感謝するぞ」
孫というのは梅雨子のことに他ならない。梅雨子の亡骸はシーバスの腕から離れ、珍柿の腕の中に抱かれた。
「この老人、念動力を使うぞ」
量子が、その理由を説明した。
「あの人、宇宙人なんです」
メンバーに動揺が広がる。そんな話が信じられるかと。
そんなメンバーの驚きを余所に、量子は珍柿に語り始めた。
「あなたの発明を、ひと通り見させていただきました。あなたはまさに天才の中の天才です」
「大したことはない。このニッポンという国を平和国家という『正しい道』へ軌道修正することもできない無能なジジイじゃよ」
「核融合砲。本来であれば靖国神社を中心に十字状に発射する予定でしたね?なぜです」
「軍人の魂を安らかに眠らせてやるためじゃ。生きている時は軍部政府に『戦争遂行の具』として利用され、死んでもなお右翼政府に『軍国主義宣揚の具』として利用される。まさに『無間地獄』ではないか。人は死んだら『人』として土に戻してやらねば。エラスムスだったかな『戦没者には普通の人と同じ墓所でいい』といったのは。全くその通りじゃよ。それだけではない。靖国神社にはA級戦犯が祀られていた。知っておろう。奴らが東京裁判でどんな弁明を行ったか。『天皇ひとりが悪い』『天皇ひとりを処刑してくれ』そう言って戦争責任を天皇ひとりに押しつけようとしたんだ。そんな奴らを祀る神社にニッポンの右翼は毎年参拝。玉串料を支払う。これが『天皇蔑視の国賊』の振る舞いでなくて何であろう!」
「言いたいことはわかります」
「それに、そもそも神社は日本人が思うほど日本人古来の伝統宗教ではない。日本人が神道を始める1000年も前に日本人は竜宮城に由来する仏教を信仰しておったのじゃからな。日本人は弥生時代、即ち豊玉姫のお輿入れから第9代・開化天皇までの1000年もの間、法華経を信仰する仏教国だったのじゃ。だが、そうした時代は正法時代の終わりと共に終わった。西暦52年のことじゃ。正法時代の本尊である銅鐸は土の下に埋められ、それから5年後の西暦57年。当時の天皇であった崇神は、あろうことか倭国を後漢に売り渡した。その証拠が金印じゃよ。その見返りに崇神は当時の後漢から鉄の武器を大量に輸入することに成功した。その武器を用いて実際に地方の豪族たちに戦争を仕掛けたのはその子、垂仁天皇じゃ。そして戦争を遂行するには軍国主義に基づく思想統制が欠かせない。そのために垂仁が造営した軍事施設。それが伊勢神宮であり、神道はここから始まった。豪族たちとの戦争は数百年もの長きに渡り、日ノ御子=卑弥呼の時代に漸く終わった。だが、その後も伊勢神宮を頂点とする神道崇拝は続き、その害毒によって最初の皇室は滅んでしまった。今の皇室は縁戚による傍家。その傍家でも神道崇拝が引き続き行われた。弥生時代の痕跡は完全に消されておったからな。何しろ大賀ハスさえも「法華経をイメージさせる」として焼き滅ぼされていたくらいだ。こうした誤りが正されたのは像法時代に入って500年目の西暦552年。欽明天皇の時代じゃ。その後はそなたたちも知っている通りじゃ。聖徳太子が物部守屋を討ち滅ぼし、像法時代の仏教を柱とする文字通り『平安』の時代が訪れた・・・。儂が神社を憎むのも、オナラウッド研究所の本部を銅鐸にしたのも、こうした理由によるのじゃよ」
「質問があります」
チェリーが一歩前に出た。
「なんじゃ?」
「どうしてあなたは異星人なのに、そんなに日本の歴史に精通しているのですか?我々でさえ、弥生時代が法華経の時代だったなんてことは存じ上げませんでした」
「それは地球に来る前に竜宮に立ち寄ったからじゃ。竜宮と地球は、昔は盛んに交流が行われていた姉妹星じゃが、先に話した垂仁による伊勢神宮造営と侵略戦争の開始を契機に竜宮は倭国との国交を断絶した。だが、竜宮では今も日本のことを観察している。当然じゃ。竜宮王室と日本の皇室は豊玉・玉依の両姫が竜宮から嫁いで以後、縁戚関係にあるのじゃから。だから竜宮には日本の歴史が正しく保存されているのじゃ。儂が地球に来たのは竜宮で乙姫からこの星の話を聞いたからなのじゃよ」
「そうでしたか。あともうひとつ。あなたは明治維新をどうお考えでしょうか?」
チェリーはこの博学の老人に是非とも「明治維新に対する評価」を聞いてみたくなった。言うまでもなく現在のニッポン政府は明治維新を「ニッポンの夜明け」などと巫山戯たことを言っている。そして本来、国賊として非難されるべき長州維新志士を「英雄」として讃えている。それは新撰組や保科正之に代表される会津を贔屓にするチェリーにとっては断じて「許しがたいもの」であった。
「明治維新は『長州維新志士というヤクザどもによるクーデター』じゃ」
珍柿ははっきりとそういった。
「長州維新志士どもは京都御所に大砲を撃ち込み、時の天皇を毒殺した。その振る舞いが『国賊のもの』でなくて何であろう!『会津に処女なし』という言葉がある。これは奇兵隊によって会津の女性たちが皆、辱めを受けたことを言っておるのじゃ。そして明治政府を牛耳る奴らは、吉田松陰が画策した『朝鮮半島侵略』を実行した。ペリーの黒船に倍する8隻の軍艦による脅しを用いて竹島譲渡をはじめ、次々と不平等条約を結ばせ、最後には韓国を併合した。まさにヤクザならではの振る舞いぞ!」
「ありがとうございます。胸がスッキリしました」
チェリーは珍柿に頭を下げると、後ろに下がった。
この時点でコックローチの面々は既に珍柿に対する憎しみを完全に失い、むしろ「親しみ」さえ感じていた。確かに、多くの東京の人々を殺した人物ではあったが、それはアメリカ軍による東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を思えば、まだマシとさえ思えたのだった。
よくよく考えれば「その通り」だ。廃仏毀釈、男尊女卑、軍国主義、そして江戸時代に構築された日中友好・日韓友好を根底から破壊した植民地政策。確かに長州軍閥によって支配された明治政府の企てたことは「極悪」と呼ぶに相応しいことばかりだ。右翼思想の輩は明治維新を「近代日本の始まり」と絶賛するが、その実態はアメリカの軍事力に怯える臆病者の長州維新志士どもによる「ニッポン人としての誇りの放棄」に他ならない。その象徴こそが明治政府が制定した「大日本帝国憲法」であり、その内容ときたら「日本人の精神」とは全く無関係の、軍国色の色濃い当時のドイツ憲法=プロシヤ憲法のパクリにすぎなかった。そして欧米の文化や軍事力の前にひれ伏した明治政府は、あろうことか「アジアの同胞」である韓国や中国を裏切るのである。
アジアの裏切り者。
この汚名を悲しいかな。ニッポンは今もなお払拭できないでいる。現代ニッポンは欧米には一目置く一方、中国や韓国を劣等国であるかの如く見下す。だが、このようなニッポンこそ、むしろ中国や韓国から見下されて当然の「人権感覚の麻痺した劣等国」である。
「話を神道に戻すと、記紀には『注連縄を張った場所に神様は入れない』とはっきりと書かれておる。そんな場所に好んで棲みつくものといえば神様から嫌われている『悪い奴ら』に決まっておるではないか。即ち悪魔や鬼といった魔物じゃ。神社はまさに悪いことばかりをしでかす『魔物の巣窟』なのじゃ。そのことを示す具体的な例は山とある。病を患った日本武尊は伊勢神宮で病気平癒を祈願したが、その甲斐なく死んだ。享年30歳。まさに働き盛りでの死じゃった。厳島神社を造営した平家は4年後に滅亡。その平家を滅ぼした源氏は鶴岡八幡宮を造営して僅か3代で滅亡。その後を継いだ北条氏も時宗の時代に富士浅間宮を造営した結果、やはり孫にあたる高時の代で滅亡。江戸時代に3回行われた伊勢御蔭参りでは、1回目の2年後に富士山大噴火、2回目は翌年に疫病蔓延、3回目のあとは天保の大飢饉。明治神宮が竣成した大正9年の3年後には関東大震災。国民全員に神札を持たせて臨んだ太平洋戦争はものの見事に敗戦。史上初めて800万人越えの伊勢参拝ブームの翌年は東日本大震災・・・。この通り、この国の民が神社など有難がって崇めておる限り、この国に真の平和はやってこん。それこそ大地震に大津波、火山の噴火に大型台風といった具合に大規模自然災害のオンパレードじゃ。全くニッポン人の『読書嫌い』は筋金入りで、自国の歴史書さえも満足に読まん。いろいろな国の人類を観察したが、ここまで自国の歴史に無頓着な民族はニッポン人だけじゃ。だからニッポン人は右翼思想の政治家がでっちあげる『嘘に彩られた歴史観』にまんまと騙され、韓国や中国が主張する『正しい歴史観』に反発するのじゃよ」
この中に登場した「明治神宮竣成3年後に関東大震災」という史実は量子も常々、疑問に思っていたことであった。「それって明治神宮の神様には『東京の安全を護る力がない』ってことよね?」と。こうした疑問が珍柿の説明によって見事に氷解したのである。護る力がないどころの話ではなく、明治神宮に棲んでいる存在こそ「東京に災難をもたらす元凶」だったのである。
再び量子が珍柿に話しかける。
「竜宮から地球に来る前、あなたはどこの星にいらっしゃったのですか?」
「故郷の星は、もうない」
その後、珍柿は自分の故郷の星が滅んだ過程を離した。平和だった星に突如、征服欲の強い指導者が出現。他の星へ戦争を仕掛けたところ、その戦争に負けて結局、自分たちの星が滅ぼされてしまったことを。
更に珍柿は、死後の生命は全て同じ場所、即ちあらゆる宇宙の法則が生み出された場所へ還ること、その場所はいかなる差別も許さない完全調和、完全中立、完全平等の世界であるため「自分は優秀・他人はバカ」「自国は優秀・他国はバカ」という差別意識が強い人間ほど死後に苦しむことを語った。
「人間の本性について語ると、性善説や性悪説はいずれも間違いで、人間は生命境涯・・・生命力の強弱と考えてもらって差し支えない。生命境涯が高い時は善を、低い時は悪を志向する。それと同じで、死後においても生命境涯が高ければ天国と感じ、低ければ地獄と感じるのじゃ。これを嚙み砕いて言うと、あの世は『人間の平等』を心から信じ『他人の不幸』に心から同情することのできる人には天国に、『自分は優秀・自分は立派・自分は賢い・自分は偉い』と自惚れるタカビーには地獄に感じられるということじゃよ。別に天国や地獄という別々の世界があるわけじゃない。同じ世界を『違うように感じる』だけなのじゃ。だから死後に地獄の苦しみを味わいたくなければ、生きているうちに人間性を磨いて、心から他人を思いやることのできる『慈悲深い人間』になる以外にはない。そして、そういう人間になることこそが出世の本懐『人間が生きる目的』なのじゃ」
量子は頷いた。生命境涯の高い量子には珍柿の言わんとしていることが、はっきりと理解できていたのだ。例えば美術館や博物館といった施設を学習意欲の高い人は「楽しい世界」と感じ、勉強嫌いの人は「退屈でつまらない場所」としか感じないようなものだという風に。
珍柿はそんな量子の姿を見て満足顔をした。
「皆、よく聞くがよい」
珍柿がコックローチのみんなに語る。
「今まで、いろいろと騒がせて本当にすまなかったと思っておる。儂はオナラウッドの超科学を、この星から消そうと思う。まだ早かった。この星の人類にとってオナラウッドの科学力は危険じゃ。銅鐸の塔、クラゲドーム、そして榾木のポートタワーについては、この星の土木技術で作られているから、このまま、お土産に残していこう」
「トラックの中の核融合砲はどうするのです?」
「不安なら、きみらの手で破壊するがいい」
そして沙羅、江里子に向かっていった。
「お前たち二人は儂と一緒に、この星を去らねばならない。お前たちの存在は、この星にとって脅威じゃ」
珍柿の目が光った。すると、沙羅と江里子は珍柿のもとへゆっくりと歩き、くるりと振り返った。沙羅と江里子の頭脳回路は完璧に珍柿の支配下に置かれていた。
「儂の星は既にない。故郷を失った儂は、この星で静かに余生を送りたかった。全てはニッポン政府と関係を持ってしまった儂の過ちじゃ。このニッポンという国は儂の星と似ておる。遅かれ早かれ他国に戦争を仕掛けて、自ら『滅びの道』を進むじゃろう」
「これから、どうするのです?」
「また新しい星を見つけるまでじゃ。そして今度は静かに過ごすつもりじゃ」
「ひとつだけ訊きたいことがあります」
シーバスが叫んだ。
「どうして梅雨子は、あなたのお孫さんは自分と戦ったのですか?」
「この子は死地を求めておった。儂の種族はもはや、儂とこの子の二人きり。年頃だというのに子孫を残すこともできん。そなたには感謝する。辛い思いをさせてしまったようじゃが」
「・・・・・・」
珍柿、梅雨子、沙羅、江里子の体が薄くなり始めた。
「さらばじゃ」
やがて四人の体が完全に消えた。何処へ?
60階の展望台から下の海を眺めた、その時。
「あれは、晴海埠頭で見た巨大戦艦!」
太平洋上に巨大戦艦が浮上した。しかもその巨大戦艦はそのまま空中に浮遊した。そして、夜空の彼方へと飛び去っていった。
「俺たち、夢でも見ているのかな?」
「みんな揃って同じ夢を?まさか」
「人知を超えた出来事など、世の中にはいくらだってあるものさ」
「珍柿さん、さようなら」
オナラウッド研究所芸術監督・珍柿は地球から去った。もはや二度と戻ってくることもあるまい。
こうして、オナラウッドに関わる全ての事件が終焉したのだった。
コックローチ 完
あとがき
文学作品の多くは上と下のいずれかに分類される。ゲーテ、ユーゴー、トルストイ、ロラン、デュマなどの文豪たちによる「名作」と、全く読む価値のない、せいぜいニッポンのテレビドラマの原作にしか使えない「低俗」な作品とに。そして当然だが,その「両方を愛読する者」は存在しない。上の文学作品に親しむ者は下の文学作品などには目もくれず、下の文学作品に親しむ者は上の文学作品を「お堅い内容」と忌み嫌うからだ。だが本来、下の文学作品に親しむ者にこそ上の文学作品に親しんでもらい、人として成長して貰わなくてはならないのだ。そのためには下の文学作品の持つ低俗さと、上の文学作品の持つ名作の気品の両方を備えた「中の文学作品」の存在が欠かせない。ところが、そのような文学作品は極めて少ないのである。
私が『コックローチ』に期待しているのは、まさにそうした中の文学作品としての役目である。十界論でいえば「修羅界の生命境涯」にある人々を「人界の生命境涯」にまで引き上げる文学作品である。人界にまで引き上げられれば、その者は「自分は優秀、他人は馬鹿」といった驕りや「自分さえ良ければそれでいい」といった利己主義から脱却。「正しいものの見方」や「正しい振る舞い」を志向するようになるからだ。そして、それらの人々をより高い生命境涯である声聞界、縁覚界、菩薩界に引き上げるのは先に挙げた「上の文学作品」の役目である。だからコックローチは「名作」ではないし、名作である必要もない。コックローチに権威ある文学賞など似合わない。私の願いはコックローチが中の文学作品としての使命を忠実に実行してくれることだ。即ち下の文学作品に親しむ人々に上の文学作品への「橋渡し」をすることである。だからこそ、コックローチには涙なくしては読めない感動の名場面が幾つも登場する一方、読むも汚らわしいシーンも登場する。といっても今回はまだ「おゆるり」としている。覚えているだろうか。作品の冒頭、次のような文章が登場するのを。
特に、彼らが最も許さないのは「女性に対する性犯罪」だ。
これは「女性に対する性犯罪」の場面が今後、何回にもわたって登場するということを事前に予告する文章なのだ。今回は最初ということで「露骨な場面」は左程、描かれてはいない。チェリーのハダカデバネズミくらいか(笑)。だが、次回からはそうはいかない。ハードボイルドアクション小説という性質上、ある程度はリアル志向でなければならないからだ。近年、野獣化著しいニッポンの男たち(同じ男として恥ずかしい限りだ!)を彷彿とさせる性犯罪の場面がそれなりに描かれることになる。勿論、本作品はエロ小説ではない(自分としてはそのつもり)ので陵辱シーン「そのもの」はなるべく描かないように心がけてはいるが、それでも陵辱前の「恐怖」や陵辱後の「悲しみ」の描写は熾烈であり、女性の方には辛いだろう。読む気があるのならば、それ相応の覚悟をする必要がある。
ともあれ、超特急コックローチ号は始発駅を出発してしまった。途中停車しながらも終着駅まで突き進むに違いない。この列車はきっと私に数々の「災難」をもたらすことだろう。非難、中傷、そして絶交。その中にはきっと私が心からお慕いする女性も含まれていることだろう。それなのになぜ、こんな小説を執筆するのか?それが「自分が選んだ道」だからだ。否、「自分が歩まねばならぬ道」だからだ。それを人は「使命」という。人は誰でも使命を持ってこの世に生まれてきている筈なのだが、それを知ることなく「金儲け」や「絶品グルメ」や「知識自慢」に夢中になって一生を終える者たちが大勢いる。実に可哀想なことだ。そんな人々に較べれば私は今の時点で既に何百万倍も「幸福」なのだ。
追記
私は本作品に「名作」の称号も「文学賞」も不要だと記した。その通り。しかし読者に「こいつは天才だ!」と思われたい気持ちがある事を素直に白状しないわけにはいかない。自分の読書体験をひとつ挙げると、『赤毛のアン』の作者モンゴメリ。最初のうち、自分は彼女のことを「良質な作品を執筆する作家」とは思っても天才だとは少しも思わなかった。私が「この作家は天才だ!」唸ってしまったのは第五巻「アンの夢の家」に登場する、ディック・ムーアが実はジョージ・ムーアだったということが判明する瞬間だったのだ!
コックローチを読まれる方々にも「同様の瞬間」が訪れんことを!
著者しるす
2026年1月1日