- 新・コックローチ
あの「腐朽の迷作」コックローチが帰って来た!
ドラマチック&エロチックはそのままに
新たに次世代メンバーによる
「青春・学園ドラマ」の要素も取り入れた
まさに「新」と呼ぶに相応しい内容。
「今後の展開」にこう御期待。
目次
新・コックローチ
2
3
4
新・コックローチ「運命編」
5
6
7
8
新・コックローチ「革命編」
WARNING
- 「闇世界を生きる人間を描く」という作品の性質上、日常生活に於いては禁止されるべき 「不適切な表現」が登場します。本作品に登場する人物たちのマネをしてはいけません。とりわけ山道具を武器として使用することは絶対におやめ下さい。
新・コックローチ
「第二次日中戦争・極東アジア戦争」の終結から10年が過ぎた。
日中戦争・太平洋戦争の加害者でありながら被害者づらするニッポンの右翼政府は戦後、自衛権の名のもとに国防強化に明け暮れ、案の定、憲法改正後に侵略戦争をやらかした。そして前回はアメリカにやられたが、今回は中国にやられたというわけだ。
そしてニッポンは現在も戦後復興の途上にある。
今回は日中戦争・太平洋戦争後のようなわけにはいかなかった。あの時は中国の寛大なる御慈悲によって、ニッポンは戦後補償の全額を中国に放棄してもらうことができたが、今回は莫大な補償金が課せられた。前回の戦争では「国民蔑視の軍部政府の暴走」という言い逃れがかろうじて通用したが、今回の戦争は誰の目から見ても「右翼思想にかぶれたニッポン国民の総意に基づく戦争」だったからである。「ヘイト思想」や「侵略戦争の野心」が見え見えだった者どもに国政を委ね続けたニッポン国民の良識の欠如を断じて許さなかったのである。
かくしてアジア有数の経済大国であったはずのニッポンも今では「アジア有数の貧困国」に転落していた。かつて地球を去る前にオナラウッド研究所芸術監督・珍柿が残した「警告」がものの見事に的中した形である。
幸い、長野県は東京都や大阪府のように戦争の直接の被害を受けることはなかった。軍国批判の英雄・桐生政次をもって「言論の国・信州」と言わしめた長野県。ここは「聖職の碑」の時代から現代に至るまで変わらぬニッポン有数の「教育県」である。
そして舞台はそんな長野県内の、とある高校。
※
「帆乃香ちゃーん」
「しつこいわねえ」
「まーたまた、照れちゃって」
「このー、怒るわよ」
「怒った顔も、か・わ・い・い」
「バカー」
そう言うと、帆乃香は望の頬に平手打ちを一発喰らわした。そして、とっとと教室を出て行ってしまった。
「いてててて」
望は叩かれた頬をさすった。
帆乃香は望のクラスで一番人気の女の子。望は目下、彼女に猛烈なアタックを仕掛けているのだった。
「望」
「なんだよ、樹音」
「いい加減、諦めたら?」
「何で?」
「私が見る限り、はっきり言って見込みはゼロよ」
樹音は望とは幼い頃からの知り合いである。
「そんなことはない!」
望はきっぱりと樹音の発言を否定した。
「帆乃香ちゃんは、ただ自分からの告白に素直になれずに照れているだけだよ」
「ばーか」
残念ながら樹音の発言は正しい。しかしながら望は楽天家だから、めったなことでは落ち込まないし、諦めない。
「それより望、今から部活だろう?」
「ああ」
「でも何でまた、柔道部になんか入ったんだ?」
樹音は幼い頃より望が柔道をやっている姿など、ついぞ見た記憶がない。
「お前の特技は『剣道』じゃないか」
「それがな」
望が樹音に説明する。
「伯父さんが『柔道部に入れ』っていうんだよ。だから俺だって仕方なく柔道部に入ったんだよ」
伯父さんというのは望の母親の兄で、望が幼い頃より剣術を習っている、いわば「師匠」のような存在だ。
「何だって、そんなことを?」
「それは、こっちが訊きたいよ」
望は柔道が大の苦手。毎回、先輩や同級生相手に投げ飛ばされたり、締め上げられたりしていた。
時計を見る。放課後の練習が始まる時間まで、もうすぐに迫っていた。
「おっと急がなくっちゃ。じゃあな樹音」
望は教室を駆け足で出ていった。
「私も部室に行かなくちゃ」
樹音は美術部室へと向かう。
望と樹音。二人は共に高校一年生。入学式から3か月が過ぎようとしていた。夏休みまで、間もなくだ。
二人の出身は松本市。そして二人の通う高校は長野市にあった。長野県内でも有数の進学校である。
「母さん、ただいま」
望が学校から家に戻った。望は自分の部屋に学校道具を置くと、リビングに向かった。
「あれ、伯父さん。こんにちは」
「よお」
リビングには母と伯父さんの二人がいた。父はまだ職場のようだ。
「巡察ついでに、ちょっと寄ってみた」
「そうでしたか」
望は伯父さんには敬語を使う。口先の美辞麗句ではなく、望は心の底から伯父さんを尊敬していた。
「どうだ?少しは柔道も上手くなったか?」
「それですけど、伯父さん。どうして『柔道部に入れ』なんて言われたのですか?」
「剣道部に入りたかったか?」
「そりゃあ、もう」
「そうすれば、たちどころのうちに学校中の『スーパースター』になれるってか?」
「いえ、そんなつもりでは」
「別に否定しなくてもいい。お前の歳なら、自分の力を周囲にひけらかして『クラスの人気者になりたい』と思うのは、いたって自然なことだ」
「なら、どうして」
伯父さんは飲みかけのコーヒーをぐっと飲み干した。
「俺が、お前に教えた剣術は単なる道場剣道ではない。殺人剣だ。だからむやみに人前で披露するようなものじゃあない」
「でも、本当に人を殺したわけではないでしょう?」
「いや。自分は人を殺したことがある」
伯父さんは望の発言に釣られる形で昔のことを思い出した。榾木のポートタワーの50階。相手は自分が愛する女性だった。
「伯父さん」
望は伯父さんが「何か」を回想していることを感じ取った。そしてそれは伯父さんにとって「思い出したくない類のもの」だということも。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。それはともかく、お前には『本当の大人』になってもらいたいんだ。テレビなんかでよく見かける『知識自慢のクイズ王』みたいな中身のない薄っぺらな自画自讃人間ではなく、内面から光り輝くスケールの大きい大人にな。今のお前の歳では酷な注文なのかも知れんが。おっと、そろそろ署に戻らないといかんな」
伯父さんはソファを立ちあがった。
「そうそう望。夏休みに入ったら、お前の『憧れの人』から直々に剣を教えてもらえるぞ」
「えっ?本当ですか」
「ああ。楽しみに待っていろ」
「は、はい」
伯父さんは家を出ていった。
「憧れの、あの人から直々に」
望の体は震えていた。望の「憧れの人」とは剣術にかけては卓越した技量を持つ伯父さんでさえ「足を向けて眠らない」という伝説の剣客。かつて「コックローチ」の名のもとに幾多の死線を駆け抜けてきた、あの「トレッキングポール戦士」に他ならなかった。
「ただいまあ」
望に遅れること1時間、樹音もまた自宅に着いた。この時代、電車が1時間に1本しか走っていないから乗り遅れると1時間待たねばならない。
「ママ、お腹すいちゃった」
ママは台所で夕飯の準備をしていた。
「もうすぐパパも帰って来るから、一緒に食べましょう」
「今日はパパ、早いんだ」
「電話があったのよ」
玄関のドアが開く音。
「あっ、パパが帰ってきた」
樹音がパパのもとへ走る。樹音は「パパっ子」だ。
「パパ、お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
「旦那様、お帰りなさい」
「おお、量子ママ。御主人さまのお戻りだ」
※
「目が曇る」とは幼稚園児でさえ理解できる簡単な理屈を、大人になった時に全く理解できなくなっている状態のことを言う。その原因のひとつに誤った教育によって植え付けられる「先入観・固定観念」がある。「自分は正しい」という驕りを捨てて「自分は正しい人間にならねば」という決意へ。さらにその決意から「自分の考えは本当に正しいだろうか?」と自ら問う姿勢へ。先入観・固定観念にとらわれない立派な人格者になる道は、それ以外にはない。
ともあれ敗戦は決してニッポンにとって悪いことばかりではなかった。そのおかげで右翼政治家は一掃され、歴史教科書には「真実」が正確に記述されるようになったからだ。
例えば当時の歴史教科書では隋との友好に失敗、戦争の危機さえも招いた第一回遣隋使の存在を隠蔽。無事にそれを回避することに成功した小野妹子の第二回遣隋使を第一回とするなど、誤りを指摘すればきりがない。特に酷いのは、やはり明治時代で、4隻の軍艦でやってきたアメリカと結んだ日米友好条約や日米通商修好条約は不平等条約と定義しながら、のちに倍する8隻の軍艦で韓国へ乗り込み、強引に結ばせた日韓協約や日韓併合は「平等かつ正当な内容の条約」と記述するなど、まさに右翼政党のやりたい放題であった。そうした事柄が全て正しい内容へと修正されたのだから、まさに「敗戦サマサマ」といえよう。太平洋戦争後のニッポンにおける経済発展が朝鮮戦争による特需や、南アフリカのアパルトヘイト政策を支持する見返りに輸入した金やダイヤモンドといった「外国の不幸」によるものだということも記述されるようになった。何しろ今までは高度成長・バブル経済をニッポン人が「真面目で勤勉な民族」の証拠であるかのように記述していたのだから。だが、現実は反人道行為を支援・支持した見返りによる、凡そ実力とはほど遠い「偽りの経済発展」に過ぎず、しかもその結果として韓半島は依然として分断。本来、恩恵を受けるべきアフリカ諸国の多くが今日においても貧困に苦しんでいるのである。
本当に「世界から信頼されるニッポン」になるためには、こうしたことを学ぶ教育が必要であることは言うまでもない。それはまさにホロコーストを学校で習っていないドイツ人など「有り得ない」のと一緒である。
待望の夏休み。望は今日から始まる剣術の特訓に心躍らせていた。
(どんなに厳しくても、喰らいついて見せるぞ)
やがて、シーバス伯父さんと樹音の父親であるチェリーが家にやってきた。
「こんにちは、お久しぶりです」
久しぶりに出会うチェリー。今までは自分が伯父さんと訓練する姿を見てもらうだけだった。だが、今日からは違う。今日からは直々に教えてもらえるのだ。
今日のチェリーのルックスは上が量販店のTシャツに、下もまた量販店のズボン。靴も靴卸売市場で購入した廉価品。そこには「自分を立派に見せよう・高級に見せよう」といった気取りは全くない。昔と変わらず、高級車や有名ブランド品とは一切無縁。絶品グルメや有名温泉地などにも全く関心がない。歳は60歳を過ぎ、頭はすっかり禿げ上がっている。だから見た目には「60過ぎの普通のジジイ」にしか見えない。
だが、望は知っている。この人こそ「生ける伝説」なのだということを。
チェリーは望に日本刀を投げた。望はそれを受け取った。
「抜いてみろ」
「えっ」
初めて手にした日本刀。それをいきなり「抜け」とは。
「いいから、抜いてみろ」
「はい」
望は恐る恐る刀を鞘から抜き始めた。
「これが『聖』ですか」
「ああ、そうだ。現存する刀の中では間違いなく、ニッポン最強の刀だ」
聖だと?確か、聖は浅間山の噴火口に投げ込まれたはず。
理由は、こうだ。
第二次日中戦争が終結する1年ほど前のこと。浅間山が大噴火した。多くの人々にとっては「青天の霹靂」だったが、一部の知恵者にとっては前年に大規模なパワースポットブームがあったから別段、驚くには当たらない。パワースポットブームはニッポンの自然が大きく乱れ、大規模な自然災害が間近に迫っていることを告げる「予兆」に他ならない。人間もまた自然界の一部であり、自然界が大きく乱れる時「人間の思想」もまた大きく乱れるからだ。
噴火の際、多くの火山弾や火山灰、噴石が麓のまちを襲った。そうした落下物の中に聖が混じっていたのだ。聖は小諸の畑の中に突き刺さり、まるで塔婆のように立っていたという。それを見つけた畑の所有者が警察に届け出た結果、再びチェリーのもとに戻ったのである。
「持ってみた感触はどうだ?」
感触は思っていたよりも軽い。竹刀よりは重いけれど、普段振っている木刀よりは軽い感じがする。しかも木刀よりも刀の重心が手元に近く、遥かに振りやすい。
「いいです。とても振りやすそうです」
「そうか」
チェリーは庭に藁を立てた。
「袈裟切りだ」
「えっ」
チェリーは頷いた。望に「藁を袈裟切りで切れ」ということだ。
「はい」
望が刀を構えた。
「やあっ!」
望が刀を振り下ろす。藁が二つに切れた。
「なかなかだ」
チェリーは拍手した。望は、ほっとした。もしうまく切れなかったらどうしようと思っていたから。
「刀をくれ」
望が聖をチェリーに返す。チェリーは先程、望が斬った藁の前に立った。
「ふん!」
チェリーの袈裟切り。しかし、藁は落ちない。
望は己の未熟さを、まざまざと知った。藁が落ちないのは切り痕に少しの歪みもないからだ。事実、望が藁を手にすると、チェリーが斬った場所から簡単に持ち上げることができた。そして切り痕は、まるで大根を包丁で切ったかのように滑らか。それに引き換え、自分の切り痕は藁がバラバラに四散した状態。確かに切れてはいるけれど、ちっとも美しくない。
(これが、この人の実力なのか)
望の体が震えた。一体全体、どれほどの練習を積めば、このようなレベルに到達できるのだろう?
「お前も、こうなりたいか?」
チェリーの問い。
「はい。なりたいです」
望の返答。チェリーは喜んだ。
「よし。ならば教えてやる」
「ありがとうございます」
望は認められた。今この時から望は「チェリー門下生」である。
最初の一週間は、ひたすら「袈裟切りの練習」だった。木刀を手に正眼の構えから袈裟切りを何千回と繰り返す。望の手は肉刺だらけになった。
「い、痛い」
だが、望はめげない。完璧な形を身につけるまで、何度でも木刀を振り続けた。
やがて肉刺も固まり、いくら振っても、痛くなくなった。
そして、次の練習は「突き」。
庭の木を相手に、突いて、突いて、付きまくる。それも5mほど離れてからの「走り突き」であるから、真夏の疲労は半端ではない。
これも一週間、続けられた。
その後の一週間は練習休み。柔道部の合宿があったからだ。
そして、いよいよ「あの技」の伝授が開始された。
「やあっ」
助走からの突き。
「はあっ」
木刀を押し込む力で体を反時計回りに回転。
「とうっ」
そして袈裟切り。
「少しは、様になってきたかな?」
「本当ですか?」
「ああ、まだまだだけどな」
「なんだあ」
「ふっ」
「師匠、もうすぐ15時です。休憩にしましょう」
「そうだな」
チェリーがリビングのソファに腰を下ろす。望が3時のおやつを運んできた。
外国産の種なし葡萄。皮が薄いので、そのまま食べられる。そして何よりも安いのがいい。国産は1パックで600円くらいするが、これは200円以下。そして、お菓子と違い健康にもいい。食後のデザートに「お菓子と果物、どっちがいい?」と訊かれれば、チェリーは断然「果物派」だ。
夏休みも終ろうとしていた。
「これは俺からの卒業証書だ」
チェリーは聖を望に譲った。
「いいのですか?」
「やたらと人前で振るなよ」
「はい」
師匠から弟子へ、こうして一つの技が継承されたのである。
そして、もうひとつの夏休み。
樹音はこの夏、京都にいた。
「やあっ」
樹音は先程から、サンドバックを相手に「足蹴り」を幾度となく繰り出していた。
「休憩」
師匠が休憩を命じた。樹音はパイプ椅子に腰を下ろした。
体を休める樹音に師匠が話す。
「しっかり休んでおけよ。このあとは自分と実戦形式の訓練をするからな」
「はい」
休憩時間が終わり、樹音と師匠との実戦形式の訓練が始まった。
「やあっ」
樹音の左足を軸にした右足回転足蹴り。
「ふんっ」
対する師匠は両腕を軸にした両足回転蹴り。
「きゃあ」
樹音が飛ばされた。樹音の技はまだまだ師匠の足元にも及ばない。
「大丈夫か?悪かった」
「いえ、大丈夫です。お祖父さん」
「今日は、もう止めておこう」
「いえ、平気です。続けてください」
(望に負けてられないわ)
こうして樹音と祖父=ジャンとの「技の継承」もまた、この夏に同時進行で行われていたのである。
※
夏休みが終わった。
「久しぶり」
「久しぶり」
望も樹音も、すっかり日焼けしていた。
二人の夏休みについては二人のみぞ知る。他のクラスメートは何も知らない。
しかしながら、二人の実力が知られるのに時間はかからなかった。
この時代、都心の治安は大きく乱れていた。かつては全国で一日、2~3件であった殺人事件の発生件数も敗戦後の「貧困」という社会状況を反映して10倍以上に膨れ上がっていた。しかも都心の荒くれどもが地方にも続々と流入してきていた。それは長野県も決して例外ではなかったのである。
授業中に突然、教室のドアが大きな音を立てながら開いた。
「おら、おらあ!」
廊下から刃渡り40㎝ほどもあるドスを手にした、見るからにチンピラ風の男が教室内に乱入してきた。
そして、別の教室でも同様の事件が起きていた。
この二人。東京で連続強盗殺人を起こして逃亡中の指名手配犯。警察に追跡され、人質を取って立てこもるべく、学校の敷地内に侵入してきたのだった。
直ちに教室を逃げ出す生徒たち。
「きゃあ」
一人の女子生徒が捕まった。
「帆乃香ちゃん」
男に捕まったのは、あろうことか帆乃香であった。
他の男子生徒らが一目散に逃げ出す中、望は直ちに男に対峙した。
「やい、彼女を離せ」
「何だ、お前?何カッコつけてんだよ」
望は清掃道具を収めたロッカーの中からモップを取り出した。
「もう一度だけ言う。彼女を離せ」
望はモップを構えた。チェリー流「平突きの構え」。
「おもしれえ、このガキ。ズタズタに切り刻んでやる」
刃渡り40cmのドスと木製の柄を持つモップ。勝利を確信する男は帆乃香を横に投げるとドスを振りかぶった。
次の瞬間。
望の体が消えた。望は目にも止まらぬ俊足をもって男に向かって突撃を敢行していた。
「うぎゃあ」
モップの柄が男の腹に突き刺さる。
「はっ」
モップはさらに次の瞬間、男の左肩を直撃した。望の実戦初となる「回転袈裟切り」。
「ああ・・・」
男はその場に倒れた。
別の教室の男も同様に女子生徒を一人、人質にしていた。
「人質なら私がなるわ。だから、その人を離しなさい」
「おもしれえ、いいだろう。よし、こっちに来い」
男の言うままに、樹音は男の傍にゆっくりと歩いていった。
小柄で童顔の樹音に男はすっかり油断していた。男は人質の女子生徒を離すと、樹音の首を左腕で締めた。男の胸と樹音の背中が密着した。
その瞬間。
「やあっ」
樹音は男の左腕を鉄棒代わりに「逆上がり」を演じた。そして、樹音の右膝が男の額を捉えた。
「痛え!」
男の腕が緩む。樹音は直ちに回転蹴りを喰らわした。樹音の右足が今度は男の左頬を直撃。
「あぶうっ」
男はドアを突き破って廊下の外まで吹っ飛び、そのまま気絶した。
その後、警察がやってきた。警察官は二人を倒した生徒を探した。だが、二人の姿は既にどこにもなかった。
「やったな、樹音」
「望こそ、帆乃香ちゃんの前で、いいところ見せられたじゃん」
二人は校舎の屋上にいた。お互いに夏休みの「特訓の成果」がさっそく表れたことを喜び合った。どうせ今日の授業はこのまま「終了」に決まっている。二人は屋上で燥ぎ合うのだった。
※
首都・東京は大きく混乱していた。
戦後、漸くニッポンに誕生した平和の御旗を掲げる「中道政府」は10年目を迎えた現在、右翼思想のテロリスト集団による武力攻撃によって「崩壊の危機」に瀕していた。ああ、ニッポンには「自浄作用がない」というのか?ドイツは二度の世界大戦によって真の平和国家となった。しかしながらニッポンは、そのようにはいかない様であった。太平洋戦争後のニッポンは「平和国家の道」を進むかに思われた矢先に吉田内閣が誕生、結局は再び明治時代のニッポンを金科玉条とする「右翼国家の道」を歩んだ。その結果、何十年を経ようが中国や韓国といった隣国からの「信頼」を得ることができなかった。第二次日中戦争を終えたニッポンに再び「同じ轍」を踏ませるわけにはいかない。今度こそニッポンを真の平和国家にしなくてはならない。
ジャンとチェリーの二人は既に60歳代ではあるが、まだまだ壮健かつ屈強であった。二人は「新生ニッポン」の象徴ともいえる中道政府を護るために右翼思想のテロリスト集団と戦うべく東京へと向かうのだった。
「望くん」
そう言いながら帆乃香は望の腕に抱きついた。
あの事件以来、帆乃香の望を見る眼は一変した。それまでは「自分にしつこくつきまとうウザい男」としか思っていなかった望を、帆乃香は「自分の将来の花婿候補」と見るようになった。
同時に望の帆乃香を見る目も変わった。
いざ、交際が始まって見ると、何となく「しっくりこない」ものを感じるようになった。嫌われている時には考えもしなかった「フィーリングの違い」に。
今まで気付きもしなかったが、望は「柔道部で一番柔道が弱い男子生徒」という印象の時に帆乃香に自分を好きなってもらいたかったのだ。弱くて情けない自分を、それでも励まし支えてくれる「女の子」。望はそんな帆乃香に期待していたのだ。
そもそも望は本質的に「お調子者」で、およそ「しっかり者」とは言えない。整理整頓は大の苦手。自宅の部屋など、ほとんど「ゴミ置き場」のような汚さだ。
それに「黙って俺についてこい」といったワンマンでもない。むしろ彼女に主導権をがっちりと握ってもらってはじめて力を発揮するナイトタイプの男なのだ。
ところが今、望に好意を抱いている帆乃香は「剣術の達人としての望」すなわち、しっかり者の頼れる男としての望に甘える「かよわい女性」にすぎなかったのである。
(この関係は、違う)
望は、そのことに気が付き始めていた。
「樹音ちゃん」
一方で、樹音にも彼氏ができた。
一磨。望が「柔道部で一番弱い生徒」であるのとは対照的に、柔道部で最も強い生徒。一年生でありながら副部長を務めている。
望の場合と同様、あの事件によって生まれた関係である。強盗犯人に立ち向かう樹音を見て「俺が護ってやりたい」と思うようになったようだ。
「一磨」
「もしよかったら、このあと、ファミレスにでも行かないか?」
樹音は暫く考えていた。
「いいだろう樹音。俺が奢るからさ」
「わかった」
二人はファミレスに向かって歩き出した。その道すがら、樹音もまた今の交際関係について考えていた。
というのも一磨。成績優秀で運動神経も抜群。何でもできる、ようするに「頼れる男」。ゆえに一磨はいつでも樹音に「頼りにされたい」と思っている。
だが、利発で活発な樹音は、むしろ「自分が相手の世話を焼きたい」と思っている。真に贅沢な話ではあるのだが、樹音にとっての一磨は「出来過ぎる男」なのだった。
夕焼けが赤く空を染めている。
帆乃香と別れてひとり、自宅へと道を急ぐ望。
交差点。右手から樹音が、これまた一人で歩いてきた。
「樹音」
「望」
「帰るのか?」
「ええ」
「よかったら、うちに寄らないか?」
「え?」
「ちょっと、悩みごとがあってさ」
樹音も丁度、悩みごと抱えていたから「望に愚痴を聞いてもらおう」と思った。
「いいよ」
二人は望の家へと向かった。
「相変わらず汚いね。望の部屋は」
「そんなことは、どうでもいいんだよ」
幼馴染の樹音だから、望の部屋の汚さは昔からよく知っていた。で、話の前に部屋の掃除が始まった。樹音がテキパキと望の部屋を整理する。実に手慣れたものだ。30分ほどで見違えるほど綺麗になった。
「悪いな」
「別に」
二人は向かい合って座った。
「あのさあ、樹音」
そう切り出してから、望は現在の帆乃香との、どうも「しっくりとはいかない関係」について樹音に話した。
「男として『女の子に頼られる』ってのは、カッコいいことだとは思うんだけど、『俺向きじゃない』って言うか・・・」
普段の樹音であれば「なに贅沢なこと言ってるのよ」くらいのことは言っただろう。だが、この時の樹音は違った。自分も「同様の悩み」を抱えていたから。
「ひょっとして樹音も一磨と上手くいってないのか?」
「上手くいってないっていうか、『自分には似合わない役を演じさせられている』っていうか」
「お前も大変なんだな」
「相手は『完璧』なのにね」
クラス一の美女・帆乃香。文武両道の男・一磨。二人に罪はない。要は望と樹音、この二人がいけないのだ。
樹音が立ちあがった。
「そろそろ帰るね。夕御飯の時間だから」
時刻は19時前。外は既に真っ暗。
「家まで送ろう」
「大丈夫だよ。すぐ近所だし、それにこれでも『カポエラ使い』なんだからさ」
「でも、最近は物騒だ。それで師匠・・・樹音のお父さんも東京に行っちまってるんだし」
「わかった」
二人は樹音の家に向かって歩き出した。暫く歩くと案の定、ガラの悪い3人組のご登場となった。やれやれ。
「若いカップルさんよ、今からどこへお出かけかい?」
「俺たちと少し付き合わないか?」
「へへへへへ」
望がトレッキングポールを構えた。
「ちくしょう」
「おぼえてやがれ」
「いてててて」
三人組は闇夜に消えた。
「痛っ」
相手は刃物を持っていた。望は腕を少し切られた。
「大丈夫?望」
「たかがチンピラ3人だと思って、油断した」
「手当てしないと」
「大丈夫だよ。ただの掠り傷さ」
「だーめ」
樹音はそう言うと、望の傷口を自分の舌でペロペロと舐めはじめた。幼い頃には望が擦り傷をするたびに、このようにしてもらっていたものだ。その後、樹音はハンカチを取り出して望の腕に巻きつけた。
「取り敢えずはこれでいいよ。家に帰ったら、ちゃんと消毒しなよ」
「・・・・・・」
「どうした、望」
突然、望は樹音の体を抱きしめた。
「ありがとう、樹音」
「望・・・」
いつもであれば、こんな真似を望がしようものなら「いい加減にしな」と言って足蹴りの一つもくれてやるところなのだが、樹音は素直に望に抱かれた。
二人は漸く「自分の本当の気持ち」に気が付いたのだった。二人の「幼馴染としての関係」が終ろうとしていた。
※
東京へ向かったジャンとチェリーからは毎日、量子のもとに「定時連絡」が入っていた。だが1ヶ月ほどした頃から、それがパッタリと途絶えた。量子から連絡を入れても、電話にもメールにも反応がない。
二人に何かあったことは確実だ。
東京でテロが頻発していることはテレビ報道によって知っていた。そのまさに「最前線」に二人は飛び込んだ。
まさか死んだのでは?
長野県警のトップであるシーバスに確認したところ「こちらにも二人の情報はない」という。
量子は不安でならなかった。そして当然、望と樹音も。
「えっ、東京へ行く?」
「ああ」
「御両親が許してくれたの?」
「もちろん『内緒』で行くのさ」
「おい」
樹音は仰天。だが、いかにも楽天家の望らしいアイデアではある。
「松本から新宿までは特急電車で3時間だ。あっという間だよ。朝一番で東京に入って、夕方にはこっちに戻ればいい。師匠が見つかるかどうかはともかく『現在の東京の様子』くらいは目にしておきたい」
「わかった」
樹音は一回、下を向いてから顔を上げた。
「私も行く」
「なに?」
「望一人じゃ、おっかなくてかなわないよ。私も行く。『お目付役』として」
望は「しまった」と思った。樹音に、このことを話すべきではなかった。望は必死に樹音を説得した「危ない」と。だが、樹音は聞かない。
「わかった。一緒に行こう。出発は明日の朝一番の特急列車だ」
果たして、東京で二人を待ち受けるものは?
余談ながら、ゴタゴタしていた人間関係、すなわち帆乃香と一磨に関する問題は完璧な形での決着を見た。甘えんぼうの帆乃香と、しっかり者の一磨が仲良く恋人同士になったのである。
新宿。時刻は朝の9時30分。
「着いたぞ、樹音」
「ここが東京かあ」
新宿駅前に降り立つ二人。
この時代の新宿は東京都庁舎をはじめとする高層ビル群が軒並み戦争によって破壊されているので、空を見上げるような高いビルはないが、それでも人、人、人でごった返しているのは昔と変わらない。
「あ、すいません」
早速、望が田舎者を発揮している。新宿駅前のスクランブル交差点で他の歩行者とぶつかりまくっているのだった。その点、樹音の身のこなしは軽やかだ。「都会のギャル」顔負けの素早さで、さっさと横断歩道を渡る。
「樹音、待ってくれえ」
「望、早く来いよ」
「そんなこと言ったってえ」
どうにかこうにか横断歩道を渡り終えた望。
「ところで、どこ行くの?望」
「山手線沿いを渋谷に向かって歩く」
「渋谷?」
「ああ。昔、伯父さんに聞いたんだ。渋谷に秘密基地があったんだって。もしかしたら師匠は、そこにいるかも知れない」
「それって、まだ、あるの?」
「それはわからないけど、歩いていれば東京の様子も観察できるだろう?新宿からなら渋谷はそんなに遠くない」
「あっそう」
「とにもかくにも南に向かって歩く」
二人は渋谷を目指して歩き出した。
代々木駅を過ぎ、高架下を潜る。二人は明治通りに出た。しばらく歩くと右手に原宿が。最近は秋葉原の方が有名だが、原宿は昔も今も「芸能人のまち」だ。
望が突然「寄って行こう」と言い出した。
「ええっ」
樹音が露骨に拒否反応を示す。望はさっさと行ってしまった。
「おい、望」
樹音が後を追いかける。芸能人なんかに全く興味のない樹音にとっては原宿など糞面白くもない。だが、ミーハーな望にとって原宿は文字通り「憧れのまち」だ。
「もう。パパを探しに来たんじゃなかったの?」
望を射程に捉えた。望は夢中になって最近流行りの女性アイドルグループ「YKD84」とやらのグッズを揃えたお店の前で燥いでいた。
「やれやれ」
腰に手を当て、呆れ顔の樹音。だが、こんな男の方が樹音にとっては「世話の焼き甲斐がある」のも事実だ。
「な、なに?」
突然、見知らぬ大人の男性が樹音の顔をジロジロと観察し始めた。
「ちょっと、なによ」
これって、ひょっとして「変態」?それとも「オタク」?
すると男性は懐から名刺を取り出し、樹音に差し出した。
「突然、ごめんなさい。自分は吉田企画でマネージャーをしている松本と言います。もしよかったら、今からうちの事務所を見学に来ませんか?」
「は?」
樹音は状況がうまく呑み込めていない。
今、樹音はアイドルとして「スカウト」されているのだ。
読者に取り敢えず説明すると、この男性、近年流行りの芸能関係者を語った詐欺師などの偽物ではない。本当に芸能事務所のマネージャーである。そして今、自分が担当するアイドルを物色しているところなのだ。というのも昨日行われたオーディションで「これ」と思う女の子がいなかったからだ。そして漸く「これだ」と思う女の子を見つけた。それが樹音に他ならない。
「こんなこと、してられない」
樹音は望のもとへ駆け寄った。
「望、もう行くよ」
「もう少し、もう少し」
「ったくう」
当然のように、松本マネージャーも追いかけてきた。望が不思議がる。
「誰?この人」
「あなた、この子のお兄さんですか?」
「はあ?」
望は自分のことを説明した。松本マネージャーも自分のことを説明した。
「樹音がアイドルだって!?」
望の驚き。そりゃあ、そうだろう。しかも吉田企画と言えば、人気タレントがゴロゴロいる有名どころだ。でも確か、男性ばかりが所属する「お笑いタレントの事務所」じゃなかったっけ?
「うちの社長が、これからは『アイドルも必要だ』ということで、記念すべき『女性アイドル第1号』として是非とも売り出したいと思っています」
「興味ありません」
樹音はにべもなく、そう言いきった。
「それじゃあ、そう言うことで他をあたってください。望、行くよ」
まあ、そうだろう。樹音の頭の中は「パパのことでいっぱい」なのだ。
「あ、待って」
足早に原宿から立ち去る樹音。
「もしも気が変わったら、名刺のところに連絡ちょうだい」
せっかくの「ダイヤの原石」。松本マネージャーはまだ諦め切れない。
渋谷は原宿のすぐ「お隣」だ。
「で、秘密基地とやらは、どこにあるの?」
「話だと、ビルの地下1階だってことだけど」
「で、どのビル?」
高層ビルがあった場所は爆撃によって更地になっているが、5階建てほどのビルならば、渋谷である。それこそ掃いて捨てるほどもある。
「わかんないんだ」
「片っ端から当たるまでだ」
「本気?」
「俺は本気だよ」
二人は片っ端からビルの地下1階をあたった。
時刻は午後4時。
それらしい場所は数か所あった。だが、それらは扉が閉まっているので中には入れなかった。
「今日は、もう帰ろう」
「うん」
「がっかりするなよ。きっと見つかるさ」
二人は渋谷駅に向かった。まだ会社員の帰宅ラッシュには早い時間である。だが、渋谷駅は多数の人でごった返していた。それも尋常ではない。
渋谷駅の職員が拡声器で現在の状況を説明していた。
「現在、同時多発テロの影響で電車は都内全線で停まっています。再開のめどは立っていません」
1時間ほど前のことだった。上野駅、品川駅、そして新宿駅が右翼テロリストによるテロ攻撃によって破壊されたのは。
二人は愕然とした。
「帰れなくなった」
果たして、二人の運命は?
※
「樹音、ごめん」
「いいよ。私が好きでついて来たんだから」
陽が落ちた。時期は晩秋。一気に気温が下がる。
「寒いか?」
「少しね」
少しといったが本当は、ものすごく寒いのに違いない。望は樹音の背中に自分の着ていたコートをかけた。
「望が寒いだろう?」
「俺は山や(登山家のこと)だ。寒いのには慣れてる」
自宅へ戻れない人々によってホテルはどこも既に満室になっていた。二人に泊まれる場所はなかった。二人が大人だったら「居酒屋で一夜を過ごす」という手もあっただろうが、二人はまだ未成年。当然、中には入れない。
自宅へは既に電話を入れていた。散々ぱら怒られたけれど、明日にはシーバス伯父さんが迎えに来てくれるだろう。とにかく今日一日を乗り切るのだ。
深夜になると、気温は一段と下がり始めた。
「寒いよお」
「寒いよう」
ガタガタと震える二人。二人は今、渋谷駅隣にある首都高速道路の高架下にいた。ここは昔も今も「浮浪者のたまり場」だ。浮浪者のこしらえた段ボール製の粗末なテントが、この時ばかりは快適そうに見えた。自分たちも中に入りたい。
その時。
「そうだ」
樹音は昼間、原宿で貰った名刺をポケットから取り出した。だが、ここに電話すれば樹音の運命が大きく変わることになるかもしれなかった。
「樹音」
「望、いいよね?」
「樹音!」
望は樹音を抱きしめた。力強く。そして泣いた。もしかしたら、樹音とは「さよなら」になるかもしれない。そう思うと望は涙を流さないではいられなかった。
「さあ、あがって、あがって」
二人は松本マネージャーの住んでいる都内のマンションにお邪魔した。ヒーターが暖かい。
「お風呂もすぐに沸くよ」
松本マネージャーは二人にホットコーヒーを入れた。二人はそれを飲んだ。
お風呂が沸いた。先に樹音が入った。その間、望は松本マネージャーと会話をした。望は長野県から樹音の親類を捜すために東京にやってきたことを説明した。勿論、コックローチに関する話は伏せて。
「マネージャーさんは樹音を芸能界にデビューさせたいんですよね?」
松本マネージャーは望の話に頷いた。
「そうなると、やっぱり『東京暮らし』ということになるんでしょう?」
松本マネージャーは再び頷いた。
望は首を項垂れた。松本マネージャーは「望と樹音の深い間柄」を理解した。
樹音が風呂からあがった。望が入れ替わりに風呂に入った。
今度は樹音と話だ。松本マネージャーは自分の熱意を語った。そして最後に言った。
「今日のことを義理に感じて、私の申し出を受けることだけは止めてほしい。タレントとマネージャーとの間には何よりも『信頼関係』が大事なんだ。タレントとマネージャーというのはいわば『同じ仕事をするコンビ』。マネージャーが仕事を取って来て、タレントがその仕事を完璧にこなす。両者の間に信頼がなければ、仕事は上手くいかないんだ」
樹音は姿勢を正して松本マネージャーの顔をじっと見ていた。
「だから、ぼくとだったら一緒に仕事をしてもいいと、きみが思わない間は、仕事は始められない。タレントがデビュー前に何カ月にもわたりレッスンを受けるのは知ってるよね?それは勿論、演技指導や歌の練習なんかもあるのだけれど、それ以上に、その間にタレントとマネージャーとが互いの信頼関係を深めていく大事な期間なんだ」
こうした話は樹音には意外だった。軽薄な人間関係で成り立っているのが「芸能人の世界」だとばかり思っていたからだ。人気や金儲けにしか興味がないのが芸能人で、マネージャーはそんな芸能人を利用してお零れにあずかるのだと。そして樹音は素直だから、こうした自分の考えを正直に話した。
「それも確かに真実だよ」
松本マネージャーは否定しなかった。
「そう言う人間も確かにいる。いや、そういう人間の方が多いともいえるだろう。でも、そういう人間だけじゃないことも事実だ。どんな世界も『玉石混交』。それは芸能界だって例外ではない」
玉石混交。常々パパが口にしていた言葉。素晴らしいニッポン人もいれば、くだらないニッポン人もいる。同様に、素晴らしい韓国人・中国人もいれば、くだらない韓国人・中国人もいる。だから「ニッポン人は素晴らしい、韓国人・中国人はくだらない」などと定義する民族主義は短絡的で間違っている。あくまでも、その人の「人間性を見る」ことが大事なのだと。
よもや、この四字熟語をここで耳にするとは。
「取り敢えず毎週日曜日、東京に来て、レッスンを受けて欲しい。デビューする、しないの答えは、まだまだ先の話だ。勿論、きみはまだ未成年だから、御両親の了解が必要だ」
望が風呂から出てきた。実のところ、望は風呂に入ってはいなかった。そっと話を立ち聞きしていたのだ。望は「風呂に入ったふり」をして戻ってきたのだった。
そして松本マネージャーは、そのことをしっかり見抜いていた。
「望くん。ちゃんと温まってこないとだめだよ」
望は風呂場へと引き返した。今度はちゃんと風呂に温まるために。
その後、望と樹音は隣同士の布団で寝た。松本マネージャーはリビングのソファで横になっていた。
「望」
「なんだい?」
「わたし、レッスン、受けようと思う」
「頑張れよ」
「止めないの?」
「お前が『やりたい』と思うことを、どうして『やめろ』なんて言える?」
「でも」
「それに『売れる』とは限らないだろ?売れなければ、すぐに長野に帰ってくるだけの話さ」
「ひっどー」
「樹音」
「ん」
「俺もいずれ東京に出る。東京の大学に進学することに決めた。だからたとえ、お前が東京に引っ越しても、すぐに会える」
「望」
「知ってるだろう?俺はいつだって前向きなんだよ」
※
一台の軽自動車が深夜、中央自動車道を、東京を目指して走る。
「望のバカのせいで申し訳ありません」
「いえ、うちの樹音こそ本当に申し訳ありません」
運転席にはシーバス。助手席には量子。
こんなシチュエーション。以前にもあったような。
しかし今回のシーバスは昔のように暴走したりはしない。シーバスも今では40代半ばのおじさんだから、それなりの分別が身に着いたのだろう。
「どのみち、東京へは行く予定だったんです。総理大臣から直々に『東京の警備を頼む』と言われていましたから」
「総理大臣って、あの方から?」
「ええ」
「東京に着いたら、あなたは二人を連れて、この車で帰ってください。自分はそのまま東京に残りますので」
「主人と父のことも、どうかお願いいたします」
「心配いりませんよ。あの二人のこと。殺したって死にはしません」
談合坂を過ぎた辺りから渋滞で車が進まなくなった。シーバスはサイレンを点灯、路肩を走る。 渋滞の理由は八王子の検問。山手線同時多発テロを受けて、東京への車の進入を大幅に規制しているのだった。
「お疲れ」
シーバスは検問の警察官に一枚の紙切れを見せた。その紙切れを見た警察官は直ちに居住まいを正すと、シーバスに向かって敬礼した。
「警視総監殿!」
今回、シーバスは総理大臣から直々に警視総監に任命されたのだった。
早朝。
軽自動車は松本マネージャーの住むマンションの下に到着した。
「樹音!」
量子はそう言うと樹音の頬に平手打ちを喰らわした。
「望!歯を食いしばれ」
シーバスは望の頬に、これまたパンチを見舞った。
それらを見た松本マネージャーが、あわわわと驚いている。
「何も、そこまでしなくても」
量子が松本マネージャーに深々と頭を下げた。
「お転婆娘が、昨夜はとんだご迷惑をおかけいたしました」
「私からもお詫びいたします。出来の悪い奴で、申し訳ありませんでした」
シーバスもまた頭を下げる。
頭を上げた量子が松本マネージャーに返答した。
「レッスンの件ですが、当分の間は私が車で送り迎えします」
「お母さん」
「電車が当分、駄目な以上、しょうがないでしょ」
「ママ、いいの?」
「あなたの人生ですもの。あなた自身で決めなさい」
「パパはどうするの?」
「私から説得するから心配いらないわ」
「ありがとうございます」
今度は松本マネージャーが深々と頭を下げた。
「自分は行かなければならないところがあるので」
シーバスがこの場を離れる。
「待って、車で送りましょう」
量子がシーバスを引きとめる。シーバスはお言葉に甘えることにした。
車が首相官邸に到着した。本来の首相官邸は爆撃によって破壊されているので、現在の首相官邸はかつての「副首相官邸」。迎賓館の南、国立新美術館の近くにある和風造りの建物である。
「首相」
「久しぶりだな?シーバス」
「ええ。首相も、まだまだ御健康そうで何よりです」
「警視総監は荷が重いか?」
「ええ。正直、自分には似合わないかと」
「だが、私の後を継げるのは、お前しかいない」
「わかっています。Kの後を継げるのは本当のニッポンの姿、『ニッポンの闇世界』を知り尽くしている人間だけ」
K。現在のニッポンの総理大臣である。警視総監を辞職した際の経緯(これはいずれ語られるだろう)から国民の支持は高い。だが、右翼のテロをいつまでも放置していれば支持率は下がるだろう。
「シーバス。何としても右翼テロリスト集団のアジトを見つけ出して掃討するのだ」
首相官邸前でシーバスを降ろした量子は後部座席に座る望と樹音の3人で故郷・松本を目指していた。
ところが・・・。
三人が乗る車の前を黒塗りの上級ミニバンが道を塞いだ。後ろにも同様の車が。そして中からマスクで顔を隠した集団が降りてきた。
こいつらこそ、山手線同時多発テロの実行犯。首相やシーバスが探している右翼テロリスト集団「日章軍」のメンバーたち。こいつらは量子がシーバスを首相官邸で降ろすのを見ていたのだ。
「連れて行け」
3人は車の中に押し込められ、いずこともなく連れ去られてしまった。
秘書が首相のもとにやってきた。首相はシーバスと作戦を練っている最中だった。
「首相。先程、日章軍から新たなメッセージが届きました。それによると警視総監の身内を3人、拘束したとのことです」
「なに?」
警視総監の身内3人?だと。それが事実だとすれば、それはきっと望、樹音、量子に違いない。
首相とシーバスは互いの顔を見合った。
「シーバス」
「これは、奴らを捕らえる『絶好の機会』になるかも知れません」
無論、心配ではある。だがこの3人は「ただの3人」ではない。きっと時期を見て「動く」に違いない。
※
「入れ」
望、樹音、量子の3人はアジトの地下室に幽閉された。全面コンクリートで覆われた地下室。出入り口は一箇所のみ。見るからに頑丈そうな鉄扉。天井には裸電球が一つ。敢えて真っ暗にしないのは「中の様子」がわからないと不安だからだろう。事実、天井には監視カメラが設置されていた。
その監視カメラに見入る眼が8つ。4人とも男。その4人だが、意見がきっかり2人ずつに分かれていた。
意見?それは次の通り。
「あの母親、すんげえ美人だよなあ?」
「同感、同感」
「俺は娘の方が好みだ」
「ほんと、チョーかわいい」
かくして4人は作戦を決めた。
「俺とお前で母親を犯す、ふたりは娘を犯れ」
「男はどうする?」
「最初にぶっ殺すに決まってるだろう?俺がやるよ。あんなガキ一人、チョロいもんさ」
男のひとりがニュー南部(ニッポン製の拳銃)を持ち、残りの3人は2人分の手枷を持つ。4人は意気揚々と地下室へ通じる階段を下りていった。
4人は鉄扉を開けた。
拳銃を持った男が銃口を望に向ける。男は容赦なく望に拳銃を発射した。地下室内に大きな銃声音が反響した。
「なに?」
弾丸が望の目の前で空中停止している。
「ば、ばかな」
男は再度、拳銃を発射した。だが、結果は同じ。
「くそっ」
男は残り全ての弾を発射した。弾は全て望の目の前で空中停止していた。
「な、なんで?」
答えは量子。量子の念動力が拳銃の弾を全て止めたのだ。弾は全て床にバラバラと落下した。
動揺する4人に望と樹音が容赦なしの反撃。4人は瞬く間に倒されてしまった。
地下室から外に出た3人。3人は直ちに脱出するのではなく、敵のアジトの捜索を始めた。次から次と扉を開けてみる。
そのうちの一つを開いた時。
「酷い」
そこには多数の死体が放置されていた。これらの死体。日章軍が拉致した政治家や高級官僚らの家族である。中には幼子までいる。
「許せん!」
その後のアジト内は文字通り「地獄絵図」と化した。
望は怒りに我を忘れて片端から「平突き」を喰らわせていた。樹音もまた相手に必殺の蹴りを喰らわせていた。量子は、そんな二人をガードしつつ、念動力を駆使して敵を次々と去勢していた。
「あああああ・・・」
「ううううう・・・」
攻防の後、望と樹音の二人は暫くの間、互いに抱き合いながら泣き続けていた。決して許すべからざる「憎むべき敵」とは言え、数多の人間を傷つけたことに対する悔恨に胸を痛めていたのだった。
量子も、こんな二人の姿を見るのは辛かった。しかし、これが「二人の歩む道」なのだ。
こうして望と樹音はニッポンを陰で護る暗殺集団「コックローチの一員」となったのである。
予定外の事件に巻き込まれたことを受け、量子は松本へ帰ることを止め、渋谷の秘密基地へと向かった。3人が秘密基地に着いた時、そこは長い間、使用されていない状態だった。つまり、ジャンとチェリーのふたりは「ここへは来ていない」のだった。
では、ふたりは今どこに?
取り敢えず3人は秘密基地の掃除をして、基地として使える状態にした。そして樹音は来週からアイドルとしてデビューするためのレッスンを開始することになった。こんな事件の後だから無論、気分は晴れなかったが、自分を高く評価してくれている生真面目な松本マネージャーの「期待にこたえたい」という気持ちは失うことがなかったのである。
かくして、ジャン・チェリー・シーバス・量子・望・樹音とコックローチを構成する全てのメンバーが首都・東京に集結した。
だが、これで全てではなかった。
※
山手線同時多発テロから2週間後。
新宿駅は取り敢えず営業を再開した。本数を限定しながらも長野―新宿間を電車が走るようになった。
「新宿に着いたぞ、帆乃香」
「一磨くん」
望と樹音は、表向きは「東京の学校へ転校した」ことになっていた。
突然の転校。誰とも「お別れの挨拶をしない」で?どう考えても怪しい。そう睨んだ一磨と帆乃香の二人は望と樹音を探しに東京へとやってきたのだった。かつての「恋人」として?否、現在の「親友」として。
東京23区は狭い。しかしながら、そこを行き交う人の数は多い。この中から望と樹音を探し出すのは容易ではない。
「最初は秋葉原から攻めるぞ」
一磨はそう決めていた。なぜ?理由は明白。「望のミーハーな性格」を考えてのことだ。この時代、女性アイドルが頻繁に出没する場所と言えば秋葉原。だから、アイドル好きの望はきっと、そこをたびたび訪れるに違いないというのが「一磨の読み」だった。
「本当は自分がアイドルに会いたいんじゃないのー?」
帆乃香が一磨を冷やかす。
「ばか」
一磨は帆乃香の言葉を否定した。
「俺が好きなのは・・・お前だけだ、帆乃香」
一磨の、この言葉を聞いて帆乃香は顔を柘榴色に染めた。
「やだ、一磨くんったらあ」
「そんなことより、行くぞ」
二人は中央線の黄色い各駅電車に乗り込み、千葉方面へと向かった。
秋葉原に到着した二人。最上階のホームから階段を多用して、地上に降り立つ。
ニッポン最大の電気街にして、ニッポン最大の「メイドカフェ街」。道には、まさにメイド姿の若い女性が多数、道行く人を勧誘している。
だが、帆乃香も負けていない。冬のコートを着ているにも拘わらず、ボディが描くラインは実にセクシーなコークボトル。そして頭には太くて立派な三つ編みが二本。そんな帆乃香の姿はメイド姿のギャルたちよりも遥かに輝いていた。それは帆乃香のナイスなボディラインもあるが、それ以上に樹音と同様、大自然の中で育った都会ずれしていない健康美を備えていることによるものであった。
二人は大通りを上野方面に向かって歩き出した。
どこもかしこも人だらけ。この中から探すのは大変だ。結局、何の収穫もなくふたりは上野公園まで来てしまった。
上野公園を奥まで進むと、正面に東京国立博物館、左手に上野動物園が見えた。せっかくということで、入ることにした。結局「東京デート」になってしまった二人。中国との戦争の傷が癒えないこともあり、この時代の上野動物園のアイドルはジャイアントパンダではなくレッサーパンダ。お腹の毛が黒いところから「腹黒パンダ」と言われたりもするが、よく見れば愛らしいものだ。そして、人気を二分するのがコアラ。オーストラリアで大繁殖、もはや希少な生き物ではなくなったこともあって、見せるだけでなく抱かせてもくれる。
そのコアラ。どことなく顔が樹音に似ている。
(樹音)
一磨が心の中で樹音を心配する。
上野動物園を出た二人はその後、東京都美術館にも入った。
美術館の中はかなりの暖房が効いていた。二人はコインロッカーの前でコートを脱ぎ始めた。
「えっ?」
帆乃香がコートを脱いだ瞬間、一磨はドキッとした。一磨の胸が急激にドキドキし始めたのだ。というのも、今まで一度も見たことのない服を、それもとびっきりチャーミングな服を帆乃香が着ているのを目にしたからだ。
フリフリの白いブラウスとメタリックピンクのジャンパースカートによる二色のコーディネート。そのジャンパースカートには背中にスカートとサスペンダーを繋ぐ四つの小さなボタンとファスナーが、そして正面には大きなリボンが鳩尾から縦に五個も並んでいた。それが一磨をメロメロにするための「勝負服」であることは明らかだった。帆乃香は自分が童顔で、フリルやリボンといった子供っぽいアイテムが似合うことをよく知っていた。
そして、その効果は覿面であった。
「帆乃香」
「なに?」
「今日の服・・・とってもよく似合ってる」
普段はこんなことは言わない一磨は無意識のうちに帆乃香にそう告げていた。
帆乃香はそのことを素直に喜ぶのだった。
その後、美術館の最上階にあるレストランで昼食を摂ってから二人は海外美術館所蔵の作品をメインにした企画展を鑑賞しつつ、望と樹音を探した。
が結局、望と樹音には会えなかった。
陽が傾き始めていた。二人は再び秋葉原に向かって歩き出した。上野駅から電車に乗ってもよかったのだが、二人は「最後の期待」を込めて秋葉原まで大通りを歩くことにした。
だが、それが「いけなかった」。二人に「夜の都会の危険」が迫ろうとしていた。
二人の後ろから大きな爆音が響いてきた。最近、秋葉原周辺を走り回っている暴走族・レッドサンの連中である。
連中が一磨と帆乃香をぐるりと取り囲む。他の歩行者は次々とその場から逃げ去ってしまった。
「ようよう、若いカップルさん。どこへ行くんだい?」
「そこのお嬢ちゃん。俺たちとも遊んでくれよ」
「へへへへへ」
若い二人を助けてくれる大人はいない。都会の大人は冷たい、というより都会の男は臆病なのだ。この場は戦うしかない。相手は20人もいるだろうか。果たして勝てるだろうか?
連中の一人が一磨に鉄パイプを持って近づいてきた。
「野郎に用はねえ。さっさと消えな」
男が鉄パイプを振り上げた。
「やあっ」
一磨はそれを素早く避けると、相手の右腕を掴んで「一本背負い」を加えた。
「野郎」
二人目が来た。一磨は相手のベルトのバックルを掴むと「股潜り」で相手の股の下を潜り、相手の足を素早く掴んで持ちあげて倒した。
こんな感じで敵を倒す一磨だったが「戦いの終止符」は実にあっけなく打たれた。
「帆乃香!」
帆乃香が敵に捕まってしまったのだ。帆乃香を人質に取られては、もはや一磨にはどうしようもない。
「おらあ」
一磨は後ろから殴られ、その場で気絶した。
レッドサンの連中は気絶する一磨と帆乃香を連れて意気揚々、自分たちのアジトへと戻っていった。
※
「んん」
一磨が目を覚ました。
「お目覚めのようだな、一磨くん」
一磨は目の前にレッドサンのリーダーの姿を認めた。
「貴様は」
「我らがアジトへようこそ」
そう。ここはレッドサンのアジトの地下にある拷問室。一磨は手足を縛られ、柱にくくりつけられていた。
それにしても何故、レッドサンは自分の名前を知っているのか?その答えはすぐにわかった。リーダーは二冊の学生手帳を右手に持っていた。ポケットから抜き取ったのだ。
「でもって、女の子の名前は『帆乃香』」
「帆乃香には手を出すな」
「ちょっとばかし遅かったようだな」
リーダーが横へ避けた。目の前の視界が開ける。一磨からから5m先。そこには。
「帆乃香!」
そう、帆乃香がいた。帆乃香は一磨のように柱ではなく後ろ手に手錠を掛けられて天井から吊り下げられていた。あのオシャレな服を着たままの状態で首、上腕、足首に縄を巻かれ、それらを支点に天井から海老釣りにされていたのだ。そのため帆乃香は常に顎を上げ、膝をくの字に曲げた弓なりの姿勢を強制されていた。そして口には猿轡。一磨は知らなかったが、帆乃香が舌を噛もうとしたのだ。服を脱がさなかったのは一磨同様レッドサンもまた、この服に「帆乃香らしさ」即ち真面目で、勉強が得意で、それでいてタカビーではない清楚で、貞淑で、うぶで、お上品なお嬢様気質を感じたからに違いない。
「お前が寝ている間に既に3人、終わってるんだぜ」
「ほーら、今から4人目が始まるぞ」
4人目の男が帆乃香の両膝に手を乗せ、左右に開脚し始めた。
「やめろお!」
「おっと、お前にはまた眠って貰うぜ。五月蠅くってかなわねえからなあ」
一磨の肩に注射が打たれた。強力な眠気が一磨を襲う。
「ゆっくりとお休み、一磨くん。その間、帆乃香はレッドサンのアジトを訪問された客としてしっかりと『おもてなし』しといてやるからよ。ヒヒヒヒヒ」
「ほの・・・か・・・」
一磨は眠りに落ちた。
※
最後の男が帆乃香ヘのおもてなしを終えた。今は深夜2時。おもてなしは八時間にも及んだ。立派な三つ編みは左右ともほどけ、鴉の濡れ羽色のロングヘアーが帆乃香の小さな丸顔を左右からすっぽりと包み込む。
八時間の間、帆乃香が受けたのは性的陵辱行為だけではない。スタンガンをはじめ、あらゆる拷問を受けたのだった。この八時間は帆乃香にとって文字通り「恐怖と苦痛の連続」であった。
そんな恐怖体験も、もうじき終わる。
「では、いよいよ『最後の仕上げ』だ」
リーダーが「帆乃香の処刑」を命じた。
「そーれ」
男たちが日本刀で腹と足首に繋がる天井の縄を切った。
足先から床に体が落下。首だけで天井から吊るされる帆乃香。レッドサンの男たちは帆乃香を窒息死させようというのだ。足は床に届いているから、普通の状態であれば直ちにその場で立てる。だが八時間、同じ姿勢を強制されていたことによる全身の痺れによって今の帆乃香は足に力が入らない。天井と踵を支点に床をグルグルと回転する帆乃香の体。首に巻かれた縄が容赦なく首を絞める。
「ははははは。苦しめ、苦しめ、帆乃香ーっ。そして死ねえ!」
その時、拷問室の表が急に騒がしくなった。
「ぎゃあ」
扉が開き、男が一人、外から中へ飛ばされてきた。その男は既に絶命していた。そしてその後から、ひとりの男が入ってきた。
「野郎!」
拷問室にいた19名が後から入ってきた男に向かって日本刀を構えた。
「くたばれ!」
男たちが日本刀を振り上げる。だが、そんなものは後から入ってきた男には全く通用しなかった。後から入ってきた男は、歳は60歳前後、頭はスキンヘッドで、手にトレッキングポールを握っていた。拷問室の19名は全員、トレッキングポールによって殺害された。
その状況を漸く眠りから目覚めた一磨は目撃した。殺された相手は殺されるに値する奴らではあった。しかし、だからといって、こうも簡単に殺してしまうなんて、この男は一体全体、何者なんだ?
チェリーは床に転がる日本刀を拾うと帆乃香の首と天井を繋ぐ縄を切ってり、更に全身の縄を解いた。帆乃香は既に気絶していた。続いて一磨を解放。
「ついて来い」
チェリーは帆乃香を抱きかかえると一磨にそう命令した。一磨はカートの上に置かれたスマホや学生手帳を手に抱えてチェリーの後をついていった。
拷問室の表ではジャンケンに負けて「帆乃香の最期」を鑑賞する権利を失った見張りのふたりがやはり倒されていた。
(これ全部、死んでいるのか!)
一磨は正直、チェリーを怖れた。ただ強いからではない。敵なのか味方なのか皆目わからないからだ。どう考えても警察ではない。ということは抗争相手の不良グループが雇う用心棒か何かなのか?もしもそうなら、帆乃香の身の危険はまだ去っていないことになる。抗争相手の男たちだってきっと帆乃香の童顔に魅了され、帆乃香を弄ぶに違いない。
アジトの表には一台の車が停まっていた。チェリーは一磨に「後ろに乗れ」と命じた。何処へ行くのか?ええい、ままよ。行くしかない。帆乃香を置いて自分だけ逃げるなど!一磨は後ろの席に乗り込んだ。チェリーは助手席に帆乃香を乗せた。
チェリーが運転席に乗り込んだ。3人を乗せた車は真夜中の東京を千葉方面に向かって走り出した。
着いた先は幕張新都心。第二次日中戦争の際、ミサイル攻撃によって高層ビル群は破壊され、その後も復興されぬまま、今も街がまるごと原爆ドームのような状態であり、当然だが一般人は立ち入り禁止区域になっている。車はリモコンで入り口の柵を開くとそのまま中へと侵入。少し地上を走った後、地下駐車場へと潜った。
「こっちだ」
帆乃香を抱いたチェリーが地下通路を歩く。一磨はその後ろをついていく。
立ち入り禁止の廃墟を塒にする男。一磨はいよいよチェリーに疑念を抱いた。
(通路の先には何があるんだ?。まさか拷問部屋じゃないだろうな)
通路の途中にひとつの扉があった。チェリーはその扉を開いて中に入った。
「入れよ」
ここまで来た以上、逃げることはできない。一磨も中に入った。中には再び通路が延びていた。暫く歩いたところでチェリーは脇の扉を開いて中に入った。中は一磨の予想に反し、小洒落た部屋になっていた。チェリーはベッドに帆乃香を寝かせた。
「冷蔵庫に飲み物が入っている。風呂もあるから、入ってもいいぞ」
そう言い残してチェリーは部屋を出た。
どういうことなんだ一体?
一磨には何が何やらさっぱり判らない。兎に角、今は何も悪い事態にはならないようだ。
お言葉に甘えて一磨は冷蔵庫からジュースを飲んだ。カラカラになった喉を潤した一磨は帆乃香の寝顔をじっと見つめた。
「帆乃香、ごめんよ」
一磨は帆乃香を護れなかった自分を責めた。一磨の涙が、眠る帆乃香の手の甲に落ちた。
翌朝。
帆乃香が目を覚ました。帆乃香は自分がベッドに寝ていて、傍らで一磨がベッドの縁を枕に眠っているのを発見した。
「ううーん」
帆乃香の気配を感じたのだろう。一磨もすぐに目を覚ました。
「帆乃香」
あの時以来の二人の再会。気まずい空気が流れる。お互い何といって話し出すか悩む。
「ここってどこ?」
「わからない」
「シャワー、あるかしら?」
辺りを見回す帆乃香。
「あそこね」
この部屋は元々、チェリーの個室であり、ユニットバスが装備されているのだ。
帆乃香はシャワーで体を洗った。この部屋にはヘアバンドもなければドライヤーもないので、髪は伸ばしたままの自然乾燥である。勿論,服の着替えなどあるはずもないから、同じ服を着る。一番のお気に入りの服だったが,今では「悪夢の記憶」が刻まれた服になってしまった。
「一磨くん」
「なに」
「私、かわいい?」
「え?」
「お願い。『かわいい』って言って。一磨」
「帆乃香」
「お願い」
帆乃香はレッドサンの男たちに体を汚された自分に一磨が「愛想を尽かしている」ことを恐れていたのだ。
勿論、帆乃香は判っている。もはや自分が「一磨に相応しい女ではない」ことを。だが、それでも帆乃香は「一磨が好き」なのだ。一磨の愛を失いたくないのだ。
「かわいいよ。とってもかわいいよ、帆乃香」
「一磨くん」
一磨の心は変わっていない。帆乃香は一磨の胸に飛び込んだ。
「一磨くん、一磨くん」
「帆乃香」
ふたりは「互いの気持ち」を確認し合うのだった。
部屋の扉が突然、開いた。チェリーが入ってきたのだ。
「起きてたか、ふたりとも。朝日が綺麗だ。見に来いよ」
3人はエレベータに乗った。エレベータが勢い良く上昇を開始した。最初は外が見えなかったエレベータだったが、途中から外の景色が見えるようになった。ハーフミラーに囲まれた鉄骨。ハーフミラーの先には朝日に染まる下総台地。
再び外が見えなくなってからエレベータは停止した。
地上から96mの高さにある展望室。東には朝日。北には筑波山。西には東京の町並み。東京湾の向こうには富士山も朝日を浴びて輝いている。
「わあ、きれい」
美しい夜明けに見入る一磨と帆乃香の二人。チェリーはそんな二人を見ていた。
「きみ」
「はい?」
「名前は?」
「帆乃香です」
「強いね」
「え?」
「普通なら廃人になっていてもおかしくはない」
チェリーは帆乃香が暴走族グループによる集団レイプによって精神を完全に破壊され、発狂していることを危惧していた。
昨夜のことを思い出した帆乃香が目に涙を溜め始めた。
「きみ」
今度のきみは一磨だ。
「どうした?恋人なんだろう。慰めてあげろよ」
「は、はい」
一磨は帆乃香の肩に手を添えた。
「昨日はごめんよ。帆乃香のこと、護ってあげられなくて」
「そんなことはもういいの」
どうやら既にふたりの気持ちは整理がついているようだ。チェリーは自分が部屋に入ったとき、ふたりが抱き合っているのを思い出していた。チェリーは一人でエレベータに向かった。
「暫くしたら1階に下りてきな。朝飯つくってる」
チェリーは先に1階に下りた。一磨と帆乃香の二人は暫くの間、展望室からの景色を眺めていた。そんな二人の間には「建設的な会話」があったに違いない。
1階に降りた二人は広いロビーに出た。照明が点いていないのでハーフミラーによって陽の光が中に射すとはいえ薄暗い。右手の方だけ照明が点いていた。二人は照明が点いている方へ歩いていった。
そこは業務用の厨房。言葉通りにチェリーが朝飯をつくっていた。
「もうすぐできる。好きなテーブルにどうぞ」
チェリーはロビーの照明を点灯させた。ロビーが一気に明るくなった。厨房の前にはテーブルがいくつも置かれていた。ここは喫茶室。そのうちの一つに二人は腰を下ろした。
チェリーが朝飯を持ってきた。フレンチトーストとコーヒー。フレンチトーストといっても、四つに切った食パンに卵を絡めて焼いて、ケーキシロップをかけただけのシロモノ。コーヒーとてインスタント。腹をすかせていた二人は、それでも美味しそうにそれを食べた。
「おはよう、チェリー」
新たにもう一人、60歳前後の壮年がやってきた。
「エース、起きたか」
「このふたりは?」
「ああ。レッドサンのアジトを襲ったら、そこで捕まってたんで、連れてきた」
ジャンは二人の顔をまじまじと眺めた。
「その女の子、可愛いね。女に飢えた暴走族のくそガキどもが狙わないわけ、ないわな」
ジャンに容姿を褒められて、帆乃香は顔を赤らめた。
「それよりチェリー、一大事だぞ」
「一大事って何だよ?」
「Kから連絡が入った。2週間ほど前から渋谷のアジトにコックローチのメンバーが集結しているそうだ」
「2週間前ってことは・・・」
「そう。2週間前の山手線同時多発テロを解決したの。みんなだよ」
「二人とも既に実戦を『経験済み』ってことか」
「でもって、こっちに来るってよ。あと1時間ほどしたら着くんじゃないか?」
「あっそう」
一磨と帆乃香の二人はチェリーとジャンの会話を脇で聞いていた。しかし、それが「自分たちの運命を変える」ことになるとは、この時点では全く想像していなかった。二人だけではない。コックローチのメンバー全員がだ。
1時間後。
シーバスの軽自動車が到着した。中から量子、望、樹音が降りてきた。建物の入り口でジャンとチェリーは出迎えた。
「ようこそ、コックローチの新アジトへ」
銅鐸の塔。かつてのオナラウッド研究所本部。それが今やコックローチの新アジトだ。幕張新都心を構成する高層ビルの多くが先の戦争によって爆撃を受け倒壊した中、銅鐸の塔だけは無傷であった。廃墟の中に聳える銅鐸の塔を人は、激しい爆撃の中を唯一生き延びた「奇跡の塔」と呼ぶ。
「パパあ!」
樹音がチェリーに飛びつく。その後ろからは望が。
「師匠、御無事で」
更に樹音は祖父であるジャンにも抱きついた。
量子だけが、しかしながら不満顔。
「どうして連絡してくれなかったの?」
理由は次の通り。
とある作戦の時、ジャンとチェリーの二人は「同時作戦」を行ったのだが、その時、敵から逃げるのに隅田川に飛び込む結果となり、その際、二人のケータイが水を吸って「お釈迦になった」のである。データは全てケータイの中。量子のスマホの番号など知るべくもない。
「あのふたり、家まで送らないといかんな」
二人というのは一磨と帆乃香のことである。
「彼らはどこに住んでいるんだ?」
「さあ、訊いていない」
「今、どこに?」
「展望室にいるよ」
朝食後、一磨と帆乃香は再び展望室に上っていた。
チェリー、ジャン、シーバス、量子の4人が1階で話している間に、望と樹音はエレベータで展望室へと向かっていた。
エレベータが開いた。
「あれっ、誰かいるみたいだよ、望」
「二人だな」
二人に近づく望と樹音。
自分たちに近づく二人に気が付いた一磨と帆乃香が振り向いた。
「あっ」
「えっ」
「そんな」
「なんで」
4人の「運命の歯車」が、もの凄いスピードでグルグルと回り始めた。
望と樹音の後、暫くしてから大人たちも展望室に上がってきた。
望、樹音、一磨、帆乃香の高校生四人組が大人たちの前に歩いてきた。一磨が一歩、前に出た。
「改めまして、コックローチの皆さん。昨夜は大変にお世話になりました。みなさんがどのような方々でいらっしゃるかは望と樹音から伺いました」
「な?」
望と樹音から伺った、だと?
「望、樹音!」
「こいつら、俺たちと同じ学校の親友なんだ」
望は二人の素性を語った。そして二人が自分たちを探すために東京に出てきたことも。
これで事情が呑み込めた。
「これだけ知ってしまった以上、ぼくたちをただでは帰せませんよね?お願いします。ぼくたちもコックローチのメンバーに加えて下さい!」
「お願いします!」
一磨と帆乃香は深々と頭を下げた。
「どうする?エース」
「俺に訊かれても困るな」
悩む二人にかわってシーバスが次のように言った。
「ここはやはり、局長に決めて頂きましょう」
「え、あたし?」
自分に振られて、量子も困惑顔。
「お願いします!」
やれやれ、と思う量子だった。
取り敢えず二人の進退については保留にして、一同は地下3階へとエレベータで潜った。
地下3階?そんなものがあったのか。この銅鐸の塔には。
「見てくれ」
チェリーが地下3階に置かれている「ふたつの機械」について説明を始めた。一つは既に作動している。
「まず、この作動している装置。これは『バリア兵器』だ。覚えてるだろう?クラゲドームでステルス戦闘機やイージス艦を消滅させたやつだ。こいつのおかげで一面瓦礫の山の幕張新都心にあって、この塔だけが先の戦争で無傷だったわけだ」
「もうひとつは、何だ?」
「これは宇宙船用のエンジンだ。水素を燃料とする。いわば『核融合砲』のエンジンバージョンだ」
核融合エンジン、だって?
「核融合砲との最大の違いはここ、エネルギーを外に放出する部分。核融合砲の場合はカメラのシャッターのような仕組みになっていて一時的に開くわけだが、こいつは圧力隔壁になっている。ゴアテックスって知っているか?」
「透湿防水素材の?」
「そう。あれは、水は通さないで空気だけを通す素材。これも似たような性質を有する金属でできている。水素やヘリウムといった原子は通さないが、もっと細かい素粒子などは通す。だからエネルギーとなる水素原子は通さないが核融合反応によって生じたエネルギーは通すわけだ。この圧力隔壁があるおかげで、このエンジンは宇宙だけでなく海の中でも使用することができる」
オナラウッドの超科学は、いつ見ても凄いものだ。
「エンジンだけで、船体はないんだ」
「ああ。これは、もしかしたら予備だったのかもしれない。あの巨大戦艦のための」
「あの爺さん『オナラウッドの技術は地球には残さない』とかいってたけど、しっかり残ってるじゃないか」
「とんだ食わせもんのじじいだな」
「今頃、どうしてるんでしょうね?」
「さあな」
高校生四人組は、ただただ驚くばかりだ。「大人の秘密って凄いな」と。いや、普通の大人には、こんな秘密などないのだよ。
結局、一磨と帆乃香は長野へチェリーが送り届けることになった。親が心配しているのは目に見えているから。そして二人には取り敢えず「仮メンバー」ということで納得してもらった「大学生になったら東京に来い」と。
「今日、ここで見たことは内緒だからな」
「わかっています。チェリーおじいさん」
「私も了解です。チェリーおじいさま」
おじいさま、だと?
「まったくう」
ふたりを乗せた車は長野へと出発した。
局長の量子を筆頭として、ジャン、シーバス、チェリー、望、樹音、そして仮免の一磨と帆乃香。これが、現在におけるコックローチの「フルメンバー」である。
次回予告
待子・量子に続くコックローチの新たなるヒロイン、樹音。
彼女は翌年4月のデビューに向けて、レッスンに励んでいた。
しかし、ここで問題が。
「今どきの歌は好きになれない。YKD84みたいな歌は唄いたくない」
そんな樹音の「決断」とは?
一方、コックローチは、アメリカとの同盟関係を破棄。「永世中立」を国の方針と定めた中道政府を護るべく、右翼系テロリストとの攻防を繰り広げていた。
翌年の年末。
その年の最優秀音楽大賞・新人賞候補のひとりとしてテレビ番組に出演する樹音。だが、その会場に右翼系テロリスト集団が!しかもジャン以下、コックローチのメンバーは同時に狙われた首相官邸と皇居の防衛のため、その場を動けない。
会場を占拠したテロリストのボスが国民的アイドル「歌姫・梨生奈」を捕らえ、テレビの前で全国の人々が見守る中、辱めを始める。
「やめろ、この変態!」
女性を「性欲の対象」としか思わない下劣な男に、樹音の怒りが爆発した。
新・コックローチ2
五月下旬、発表予定。
ご期待下さい。
2
年末の渋谷。と言ってもここは秘密基地ではない。
ここは渋谷にあるタレント養成所。ここには、いろいろな芸能プロダクションに所属するアイドルがレッスンに集まっていた。
そして、その中に樹音はいた。
レッスンが始まるのは午後1時30分から。バレエや日本舞踊、そして歌唱の基本など、アイドルとして必要な「素養」が教え込まれる。
10月末より通い始めて、はや2カ月。バレエや日本舞踊は既に樹音の得意分野だ。カポエラを習得している樹音は足を垂直に上げることができるほど体が柔らかいし、バク転だって、お手の物だ。
一方で、樹音は歌を苦手とした。他の子は皆、上手いのに自分だけ下手。だから、本当ならば人よりもレッスンを受けなければいけないのだが、樹音は歌のレッスンが始まると養成所を帰ってしまうのだった。
(これじゃ、いけない)
頭ではわかっているのだが、樹音には「歌を唄うこと」それ自体が好きになれないのだ。
だがそれは、あながち「樹音だけの責任」だけではなかった。1980年頃よりアイドルが唄う曲の質が徐々に低下、「奥深い心を唄う歌」よりも「皮相な感情を唄う歌」が増えた。曲調もメロディラインの美しいものより、ただ楽器がやたらと速いテンポで喧しく鳴っているようなものばかり。世相がそうだから、しょうがないと言えばそうなのだが。
(私はアイドルには向いていないのかも)
松本マネージャーが運転する車の助手席で樹音はそんなことを思ってしまう。松本マネージャーは樹音が悩んでいることに気付いていた。
「ねえ、松本さん」
「悩み事があるみたいだね?」
「アイドルって、役者さんだけじゃダメなの?やっぱり、歌も唄わないといけないの?」
「歌を唄うの、嫌いかい?」
「今どきの歌は好きになれない。YKD84みたいな歌は唄いたくない」
「よし。今日はこれからぼくと付き合って。昔の同窓生たちと一緒に飯を食べて、その後カラオケに行くんだけど、樹音も一緒に行こう」
「えっ?」
「夜の10時には帰るから、大丈夫だよ」
「はあ」
同窓生は男一人に女二人。樹音と松本マネージャーを足すと合計5人。
「この子は今、アイドル歌手としてデビューする前の金の卵。名前は樹音だ」
「はじめまして。樹音と言います」
樹音は同窓生に自分が「観察されている」のを感じた。
5人はその後、夕飯を食べ、近くのカラオケハウスに移動した。
「さあ、唄うぞー」
同窓生の一人が早速、唄いはじめる。プロではないので、全然上手くない。でも、実に楽しそうに歌っている。古い曲で、ゆえに歌詞の内容もいい。
次は同窓生の男女二人で、カップル曲を唄う。これまた上手くない。でも、やはり楽しそうに唄っている。これまた古い曲。
「じゃあ、俺の番だな」
松本マネージャーが唄う。そう言えば、松本マネージャーが唄うところを樹音は知らない。一体全体、どんな歌を唄うのだろう?
松本マネージャーは樹音が知らないタイプの曲を唄った。それは今日の我々が「演歌」と呼ぶ曲なのだが、大人や老人の文化が隅に追いやられ、若者文化が社会の主流として究極まで推し進められたこの時代、演歌は完全に「化石」と化していたから、樹音はこの時、始めて聴いたのだった。
松本マネージャーの歌う演歌は、はっきり言って、先の3人のそれよりもさらに酷かった。音程は外れ、コブシもわざとらしい。だが、その歌は樹音の心を捉えた。
「私も唄っていい?」
樹音は自ら志願した。
「ああ、いいとも」
樹音は松本マネージャーが唄った歌をリクエストした。演歌は今聴いたこれしか知らない樹音だから、こうするしか方法がなかった。そして樹音は、それを見事に唄った。松本マネージャーの音程のミスを予測して正確に歌い上げた。樹音には一回聴いた曲ならば完璧に唄えるだけの記憶力があるのだ。
樹音が唄い終わった。同窓生が語る。
「松本ー。お前、完璧に負けてるじゃんかー」
「やっぱり、プロを目指す人は上手いわねえ」
「なんか、久しぶりに『歌で感動できた』な」
そして松本マネージャーも。
「樹音。あんまり上手に唄うな。俺の下手なのが余計に目立つじゃないか!」
樹音の中で「何か」が弾けた。樹音は「自分の進むべき道」を決めた。
その後の樹音は、とにかく養成所で唄いまくった。勿論、ポップス調の普通のアイドル曲も唄うのだが、なによりも演歌を唄いまくった。「好きこそものの・・・」でコブシの付け方も覚えた。気が付けば周囲の若手アイドルたちの中で樹音は、いつの間にか人気者になっていた。彼女たちの目にも樹音は魅力的に映っていた。
年明け1月。
「曲ができたよ」
そう言って松本マネージャーが樹音のところへやってきた。このあと樹音は松本マネージャーとともに都内のスタジオに入った。そこには吉田企画の社長さんをはじめ、作曲家もいた。久方ぶりに書いた演歌ということで作曲家も非常に「力を入れて作った」のだと聞かされ、樹音は恐縮した。その曲を活かすも殺すも「自分である」ことを樹音は知っている。「時代遅れの曲の復権」という重大な責務が樹音に与えられたのだ。樹音は星の数ほどいるアイドルの一人ではない。樹音の敗北はイコール「演歌の終焉」を意味した。本来は「普通のアイドル」としてデビューするはずだった。敢えて「流行とは違う」ことに挑む樹音。その樹音の決断を尊重してくれた多くの人々の為にも、絶対に負けらない。いや、負けたくない。
「・・・・・・」
緊張する樹音。緊張するなという方が土台、無理というものだ。何回か曲を聴かされた樹音は、恐る恐るヘッドフォンを耳に装着した。
「どうぞ。いきます」
そして、いよいよレコーディング開始。
記念すべきこの日のことを樹音は、あまりよく覚えていない。記憶にあるのは、とにかく「必死だった」ことだけである。必死に唄った。ただそれだけ。
こうして樹音が4月28日の「歌手デビュー」に向けて着実に準備を進めている頃、コックローチのメンバーもまた日々、東に西にと奔走していた。
2月の京都。
「今夜0時きっかりに、京都市内を無差別に放火する」
右翼テロリスト集団の秘密のアジトで、今回のテロ実行計画が宣言された。
外が騒がしくなる。
「どうした?」
表を見張るテロリストの一人が作戦室に入ってきた。
「政府の奴らの攻撃です。我々の計画がばれていたようです」
「なんだと!」
そう言っている間に、政府側が送り込んだ暗殺集団が作戦室に入ってきた。
「薄汚い、ニッポン政府の犬め!」
作戦室の中のテロリストたちは、そう言ってから全員、刃物を抜いた。
「犬ではない。ゴキブリだ」
「やあっ!」
テロリストの一人が飛びかかる。だがテロリストは返り討ちにあい即死した。
「このトレッキングポールが、お前たちの血を欲しがっている」
「このガキが!」
「やっちまえ!」
だが、やられたのは当然のようにテロリストたちの方だった。
テロは計画の段階で未然に阻止された。そして一般の人々には「計画があった」ことすらも決して知られてはならない。なぜなら、テロ計画が存在すること自体、その国の内政が不安定であることの露呈に他ならないからだ。
3月の山口。
極右系反政府組織の決起集会。
「明治維新を成し遂げ『日韓併合・南京攻略』などの大偉業を実現した長州出身の英雄たちの遺志を継いで、何としても我らの手で、この国を再び『強大な軍事国家』として再生。アジア全域を再び『我らが植民地』とするのだ!」
「おー!!」
表が騒々しくなった。見張りが叫ぶ。
「ゴキブリどもが来ます」
「慌てるな。全員、直ちに戦闘準備にかかれ」
全員、手に武器を取った。刃物もあれば飛び道具もある。
やがて扉が開いた。
「コックローチ、見参。お前ら全員、一人として生かしてはおかない」
「バカめ。返り討ちにしてやる。皆の者、かかれ!」
ジャンのカポエラが、シーバスの二刀流が、チェリーの平突きが集会参加者を次々と惨殺する。飛び道具など、いくらあったって無意味だ。3人の素早い動きに照準を合わせることなど到底、不可能なのだから。それに照準を合わせた時には、彼らは敵の体を盾に使うのだから。
「くそう」
講演を行っていたリーダーが仲間を見捨てて逃走を始めた。そのリーダーの前に新たな若者が出現した。
「死ねえ!」
リーダーは拳銃を取り出し、前にいる若者に向けて発射した。
「はあっ」
若者は手にするトレッキングポールを一振りした。飛翔する弾丸が床に叩き落とされた。
「そんなバカな」
「リーダーなら、リーダーらしく仲間とともに運命を共にしたらどうなんだ?」
若者はトレッキングポールを水平に構えるとリーダーの胸に突き刺した。飛び散る鮮血。若者はそれを全身に浴びた。
「よくやった、望」
「どうも」
コックローチの活躍によって、多くのテロ計画が未然に阻止された。それらは全て闇に葬られた。そして、ニッポンの民衆は徐々に「平和な暮らし」を取り戻していった。
4月の上旬。
望は銅鐸の塔の屋上にいた。屋上に寝そべり、空をぼんやりと見ていた。
(人殺しが板についてきたな)
先程から、そんなことをずっと考えていた。
銅鐸の塔の鰭の部分にある階段をのぼってチェリーが屋上にやってきた。
「望」
「師匠」
「どうした望?浮かない顔だな」
「・・・・・・」
「(コックローチを)辞めたくなったか?」
「いえ、そうではありません」
辞める気は毛頭ない。今のニッポンにはまだまだ「悪い奴ら」が沢山いるのだから。
「師匠、訊いてもいいですか?」
「ああ」
「我々は一体、いつまで、このような闘いを繰り返さなければいけないのですか?同じニッポン人同士で争うなど、愚かしいではありませんか」
「そうだ。その通りだ。愚かしいにもほどがある」
チェリーは一呼吸置いてから望に言った。
「だが、恐らく闘いが終わるのを我々が見届けることはあるまい」
「そんな」
チェリーは望から顔をそむけた。チェリーは空を見上げた。青く美しい空。人間同士の争い事など全く知らぬかのように白い雲が流れていく。
「人間が『理性と欲望』の二つを同時に肉体に宿す生き物である限り『善と悪との闘い』は永遠に終わらないのかもしれない。望」
「はい」
「お前に尋ねる。平清盛が政権を掌握した1159年から第二次日中戦争が終結するまでの、およそ860年間において、このニッポンが『まともな国と呼べた時代』は何年あると思う?」
望はすぐに答えられない。
「それはな、建武の新政の2年間、大政奉還からその精神を踏みにじる江戸城明け渡しまでの5カ月間、そして太平洋戦争終結から吉田内閣誕生までの9カ月間を足したおよそ『3年間』。たったそれだけしかないんだ」
たったの3年!それ以外は全て「サムライは上で、天皇は下」という右翼思想の為政者が支配する時代だったということか。
現在のニッポン人が当たり前に思っている日の丸掲揚&君が代斉唱。日の丸を賛嘆するために君が代を奏する。この儀式が意味するものは「サムライの前に天皇が屈服した姿」の再現に他ならない。言うまでもなく日の丸はサムライが用いる軍旗であり、君が代は無論、天皇を表している。一般参賀の時に参加者が日の丸を振るのは右翼思想にかぶれた民衆が「この国はサムライの国だ、お前たちの国じゃないぞ」と皇族の方々に見せつけるためである。これらが「不遜行為の極み」でなくて何であろう。
「だから第二次日中戦争後の、この10年間というのは、とても意義高い、ニッポンの歴史にとって非常に価値のあることなんだよ。たとえそれがテロや暗殺が頻繁に起きる時代であったとしても。そして今年は11年目に突入する。俺は自分の目の色が黒いうちは、この記録を伸ばし続けるつもりだ」
「師匠」
「なんだ?」
「申し訳ありませんでした」
望はチェリーに深々と頭を下げた。チェリーは望に言った。
「これからも『こんなこともう、うんざりだ』と思うことがあるだろう。だが、俺達が戦いを止めてしまえば、ニッポンは再び軍事大国の道を進み、戦争を始めるだろう。それだけは絶対に許してはならない。いつまでたっても人望よりも武力を誇ろうとするスケールの小さい人間ばかりが暮らすチンケな国だが、それでも俺はこの国を愛している。俺の祖国だからな」
「師匠。自分も『思いは一緒』です」
「ならいい。今の言葉、決して忘れるなよ」
「はい。誓って」
4月28日、銀座。
某楽器店の4階ホール。ここで午後4時から樹音のデビュー曲「冬の蝶」のお披露目が行われることになっていた。春なのに「冬の歌」?そう。歌の中で最初に出てくる季節は「春」だから。そして、年末の音楽祭への「出場を狙う」のなら、その時期に似合う「冬の歌」がいい。だが本来なら、やはり2月にデビューしたかった。
「樹音」
「松本さん」
「リラックス、リラックス」
「はい」
樹音は1時間前からスタジオ裏の楽屋に入り、必死に歌詞を覚え返していた。昨日までは完璧だったのに、頭の中が真っ白になってしまったのだった。
「どうしよう、どうしよう」
アイドルとして人前で唄うことが、こんなにも緊張することだったとは。樹音は根っからの真面目で失敗を許さない性格だから「もしも失敗したら」と思うと人並み以上に緊張しないではいられないのだ。
開演10分前。既に狭いホールは人でいっぱい。定員を遥かに超える400人ほどの観客が押し寄せていた。その情報は当然、楽屋の樹音にも伝えられていた。
ああ、帰りたい。樹音は本気で、そう思った。だが、ここまで来て帰ることなど出来るわけがない!もしも歌詞を忘れてしまって唄えなくなったら素直に頭を下げて謝ろう。そう腹に決めた。
開演。
樹音がステージに立つ。抹茶色の和服を纏った樹音は今日が誕生日の17歳。母親似の丸顔だから印象としては祖母・待子の「和風美人」というよりも、むしろ「七五三」のような感じだ。色っぽくはないが可愛らしい。
「はじめまして。私は佐野 叶と言います。今日、はじめて唄います。皆さんどうか聴いてください」
佐野 叶(さの かなえ)。これが樹音の芸名である。暗殺組織のメンバーであるから、やはり「本名はまずかろう」と思い、芸名を考えた。
曲の演奏が流れ出す。近年のアイドル曲とは明らかに異なる「演歌調」のフレーズ。
あなたに「さよなら」告げられて
私の心は死にました
春の蒲公英 夏の向日葵
こんな私には 必要ない
寒空を 枯れ葉のように
ひらひらと 舞っている
惨めな 哀れな この私
もはや生きてる価値もない 冬の蝶
街には「幸せ」溢れてて
誰もが喜び合ってます
春の陽気 夏の輝き
今の私には 辛すぎて
毎日を ただあてもなく
だらだらと 生きている
切なく 儚い この私
誰か助けて お願い 冬の蝶
人生を ただあてもなく
ぶらぶらと 歩いてる
空しく 悲しい この私
あなたが私の全てだったの 冬の蝶
冬の蝶 冬の蝶
とても17歳の女の子が唄うような歌詞ではない。だが、これが「演歌」というものだ。特に「秋空を」から「この私」までのトランペットによる盛り上がりは半端ではない。
樹音は唄い切った。緊張から歌詞を忘れることもなかった。この時のことを樹音は鮮明に覚えているという。
「歌い終わった後、会場にいたみんなが盛大に拍手してくれました。アンコールの声が止まないので、私は何度も唄いました。同じ曲を繰り返すだけだったにもかかわらず誰ひとりとして、飽きて帰られることがありませんでした。本当は歌だけ唄って終わりのはずだったのですが、その後は握手会になってしまい結果、予定の時間を大幅に過ぎてしまい、お借りしたホールの方々に迷惑をかけてしまいました」
楽屋裏。
「ううううう」
樹音は先程からずっと泣きっぱなし。
「良かったよ。最高だった。樹音ちゃん」
松本マネージャーが樹音を評する。お世辞でも何でもない。「観客の反応」がすべてを物語っていた。松本マネージャーはこの時、確かな「手応え」を掴んだ。流行り廃れの激しい芸能界で「生きていける」という手応えを。
その後、樹音は連日、地方の舞台に立った。デパートの屋上や地元ラジオ局のスタジオ内などで自分の歌を唄うことで、樹音は地道にコアなファンを増やしていった。
そして、そのような時、樹音は決まって何かしら「道徳的なこと」を話すのだった。たとえば以下のような感じで。
「道を歩くときに目や耳を働かせて、絶えず周りに注意ながら、他の人や自転車の迷惑にならないようにするのは、とても大切なことだと思います。ですから下を向いて歩いたり、ながらスマホや、ながらヘッドフォンをするのは、よしましょう」
他にも。
「車を運転する時に12時の位置でハンドルを握ることは肘や肩に余計な負担を掛けるだけでなく、ハンドルがフラフラして安定しない、自分の腕でメーターが隠れて見えないなどの不安要因を引き起こしますので絶対にやめましょう」
グルメ、温泉、有名ブランドといった話しかしない芸能人が多い中にあって、明らかに樹音は「異質な存在」であった。樹音には確固とした「仕事の哲学」があった。それは「ファンの行動に責任を持ち、ファンの人間性を向上させるのが芸能人の仕事である」ということ。だから樹音にとってはファンの欲望を煽りたてて、自分のファンの「人間性を貶める」ような振る舞いは断じて許されないことであった。こんな樹音であるから当然、美食、温泉、有名ブランドの話題に塗れたテレビ界からは嫌われることになった。樹音の主戦場は「コンサート」と「有線放送」だ。樹音は不道徳を恬として恥じない俗物主義の横行するテレビメディアによって支配された「現代のスターシステム」からは一歩も二歩も距離を置くことによって他のアイドルとは「違う道」を歩むのだった。
※
都内の高等学校。
「おはよう、樹音ちゃん」
「おはよう、樹梨亜ちゃん」
樹梨亜。樹音とは違う芸能プロダクションに所属するアイドル。二人が最初に出会ったのはタレント養成所。名前に同じ文字が使われていることもあって、すぐに仲良しになった。 そして、今では通う学校も一緒。
樹音は演歌だが、樹梨亜の方は曲調としては普通のアイドル曲を唄う。しかし樹梨亜も別の意味で樹音同様に普通のアイドルとは「違う道」を歩んでいた。
見た目は普通の 錠剤だけど
凄い力を 秘めている
どんなに立たない あそこでも
こいつを使えば 「モッコリ」
効き目を信じない 人は試しに
一粒飲んでみて 「グラビア雑誌」を見てみろ
ほら立つだろう? ほら立つだろう?
ほらほらほらほらほらほら立つだろう?(たっちゃったぞう)
バイバイバイバイ バイアグラ
みんなで飲もうよ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
みんなで飲もうよ バイアグラ
噂に違わぬ 効き具合
スケベ親父の 強い味方
どんなに萎れた あそこでも
こいつを使えば 「ビンビン」
子どもの作れない 夫婦は試しに
一粒飲んでみて 「子作り」に励んでみよう
ほらできたぞ! ほらできたぞ!
ほらほらほらほらほらほらできたぞ!(できちゃったぞう)
バイバイバイバイ バイアグラ
みんなで飲もうよ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
みんなで飲もうよ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
みんなで飲もうよ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
みんなで飲もうよ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ
バイバイバイバイ バイアグラ(へい!)
バイバイバイバイ バイアグラ(へい!)
バイバイバイバイ バイアグラ(へい!)
みんなで飲もうよ バイアグラ
バイアグラ
バ・イ・ア・グ・ラー
これが樹梨亜のデビュー曲。題名は、そのものズバリ「バイアグラのうた」。
「恥ずかしいっ!」
樹梨亜自身、そう思っている。しかしこれは芸能プロダクションが掲げた「戦略」なのだ。つまり「天然キャラ」という樹梨亜の本質を最大限に生かしたアイデアなのだ。
お笑いタレントがふざけたポーズを決めながらこういった歌を唄うのは珍しいことではない。見るからに可愛らしいアイドルが可愛らしい振り付けで恥じらいながら敢えてこうした「下品な歌を唄う」ところに強烈なインパクトがあるのだ。当然、テレビ局からは「引っ張りだこ」だ。
樹音と樹梨亜。この性格を全く異にする二人が本年度の「大型新人」に他ならない。そして、この仲良しの二人が年末の音楽祭の新人賞を争うのである。
※
その後もコックローチは次々とテロ組織を摘発していった。大規模なテロを実行することのできる大きなテロ組織はあらかた破壊した。
だが、そうなると当然、小さなテロ組織同士が連合するようになる。
都内某所において「忠君愛国社」と「維新断行会」が合同会議を開いた。
この二つの非合法組織は互いにサムライ・日の丸を尊び、天皇・皇室を蔑む右翼系非国民の集まりである。
「翌月の大晦日、19時30分。同時多発テロを実行する。標的は皇居、そして首相官邸。この二つを落とす」
両組織のボスが誓約書を交わした。
「必ずや成功させようではないか。天皇を奪い、首相を殺害し、ニッポンを我らの手中に収めるのだ」
年末12月31日、同時多発テロ実行当日。
「今日はどこでしたっけ?松本さん」
「今日はテレビ局の生放送番組に出演する。だから都内だよ」
「その番組、夜7時からですよね?」
「ああ。でもリハーサルがあるから、お昼には入らないといけないよ。今年の新人賞受賞者を決める大事な音楽番組なんだからね」
「ふうん、そうなんだ」
「ふうん、そうなんだって、お前も候補の一人なんだぞ。樹音」
「そうなの?」
「シングルCD100万枚の大ヒットだ。可能性は充分ある」
松本マネージャーは意気込んでいるものの、樹音の頭の中では新人賞は既に決まっていた。樹音の倍を売り上げた一番の「お友達」。
そうこうしているうちに、樹音と松本マネージャーの乗った車は目的地のサクラテレビ本局に到着した。
「こんにちはー」
樹音がスタジオに入った。一番乗り。もともと樹音は遅刻するようなタイプではない。テレビスタッフにとって、これは非常にありがたいことだ。そしてこの時期、樹音は既に「演歌を唄うアイドル」という地位を不動のものとしていた。ゆえに内心はどうあれテレビスタッフの対応は丁寧だ。
そして樹音同様、集合の早いアイドルが一人やってきた。
「アーン、今日は私の負けか」
「梨生奈さん」
「叶ちゃん、こんにちは」
梨生奈。樹音よりも5つ年上の、今一番人気のあるアイドル歌手。細身の体に長い髪。そして文句なしのダンス力と歌唱力。「歌姫」の称号は彼女のものだ。樹音はデビュー当時からいろいろと可愛がっていただいている。
「今日は私の方が早かったね」
「お昼を外で食べたのが敗因ね。失敗、失敗」
その後、二人は衣装を着替え、化粧をするために、それぞれ自分の控室へ向かった。
「うわあ、綺麗」
樹音は梨生奈の衣装を見て、正直にそう思った。いつもはパンツ姿が多い梨生奈だが、今日はまるで花嫁衣装を思わせるドレスだ。
「そういう叶ちゃんだって、素敵じゃない」
樹音は当然、和服。
その後、他のアイドルも続々集合。新人賞候補筆頭の樹梨亜もやってきた。
「樹音ー」
「樹梨亜ー」
樹音が樹梨亜の手を握る。
「樹梨亜。新人賞おめでとう」
「まだ決まってないわよ。樹音」
「絶対にそうだって。おめでとう樹梨亜」
樹音には、およそ競争心というものがない。
「でも曲は絶対、樹音の方がいい!」
樹梨亜のヒット曲は当然「バイアグラのうた」だ。ちょっと素直に喜べない樹梨亜なのだった。
ともあれ、リハーサルは順調に進む。
「遂に、この日がやってきた。今夜、作戦を決行する。第一班は皇居。第二班は首相官邸。第三班はサクラテレビを占拠する」
第一班は忠君愛国社。第二班は維新断行会。そして第三班は共産ネットワーク。
「時間は午後9時30分。いいな」
「はい」
時間が当初の計画よりも2時間遅くなっている。なぜだ?他にも、標的が一つ増えている。それに「共産ネットワーク」とは一体?
「天皇、首相、国民的アイドル。この三人を人質に、今の政府に圧力を加えてやるんだ」
「皆の者。準備にかかれ」
各組織のメンバーが、それぞれの襲撃目標に向けて動き出した。
共産ネットワークというのは、その名の通り共産主義革命によって共産主義国家の実現を目指す「謎の組織」である。共産主義国家の実現を目的とするからには右翼とは当然、敵対関係にあるはずだが、どうやら今回は右翼と合同でクーデターを実行するようだ。といってもこれは別に驚くことではない。なぜなら思想を山に譬えた時、右翼は右の裾野、共産は左の裾野といった具合に両者とも中道という頂から左右に延びる裾野の両端であり、右翼と共産は政治体制に関する意見の相違こそあるものの思想そのものについてはどちらも一緒だからである。
そんな彼らの思想を一言でいうならば、それは「武士道マキャベリズム」である。
欧米では「キリスト教的博愛精神」に反する内容ゆえに一部の独裁者を除いて決して受容されることのなかったマキャベリズムは、アジアの東の果て、ニッポンにおいて広く国民に受け入れられることとなった。その理由は、ひとつは明治維新直後のニッポンでは国民が挙って「舶来至上主義」に浮かれていたこと。そしてもうひとつはニッポンに「武士道」が存在したことである。武士道は「食わねど高楊枝」といった言葉に代表される通り、中身よりも外見を重視する思想であり、それは「国益のためならば、いかなる悪行も正義である」というマキャベリズムと本質的に同じものであるため、当時の国民は何の違和感もなくマキャベリズムを、勝てば官軍、負ければ賊軍の明治時代に相応しい「新しいニッポン人の精神の支柱」として速やかに受容したのである。マキャベリズムが織田信長や豊臣秀吉といった野蛮な戦国武将の「英雄化」に寄与する点も、当時のニッポン人にはエラスムスやカントの平和主義などよりも遥かに容易に受け入れやすかったことは間違いない。こうしてニッポン人の新たなる精神の支柱となった武士道マキャベリズムこそ、その後のニッポン人の哲学となる「右翼思想」に他ならない。
日本軍による「大量虐殺」や「人体実験」を頑なに否定する見苦しい歴史歪曲にせよ「武力で奪った土地は自国の領土、武力で奪われた土地も自国の領土」という幼稚な領土観にせよ、いずれも中身よりも外見を、汚い真実よりも着飾った嘘を尊び、正義や道理よりも国益を第一と考える右翼思想を人生哲学とすればこそのものだ。この点では右翼だろうと共産だろうと全く変わるところはない。それに対し中道は「平和・人道の旗」を掲げ、国益よりも「世界との連帯・友好」の方が大事であるという思想を持つ。こうした思想を快く思わない点で右翼と共産は意見が一致した結果、今回の合同クーデターとなったのである。
午後6時30分。番組生放送まであと30分。
表で待っていた観客がスタジオへの入室を許可された。その数、およそ1000人。その中に望がいた。出演者である樹音が入場券を手配してくれたおかげだ。ちなみに今日の望は手ぶら。トレッキングポールは、こんなご時世ゆえ「凶器」とみなされ、中へは持ちこめなかった。
スタジオといっても、その規模も設備も「音楽ホール」と呼ぶに充分なものだ。そしてスタジオゆえに「ゴンドラ」などの設備も揃っていた。
ステージを見る。スタッフが慌ただしく動いている。
5分前。スタッフが消えた。
7時。番組が始まった。BGMに合わせて、司会者が登場する。まずは新人賞候補者紹介。樹音や樹梨亜が登壇した。
新人賞候補者が唄い終わった。いよいよ、新人賞の発表。
「今年の新人賞は・・・・・・樹梨亜!」
やっぱり。おめでとう樹梨亜。
番組はその後も順調に進んだ。
そして9時30分。ちょうど今年の最優秀賞の発表直後。
「な、何だ?」
スタジオ内にテロリストが乱入してきた。その数10人。ひとりを除いて全員が飛び道具を所持している。
スタジオ内は騒然。
「その女を連れてこい」
唯一、飛び道具を手にしていない男が叫ぶ。この男が第三班を率いるボスに違いなかった。他のメンバー数人が今年の最優秀賞に輝いたアイドルをボスの前に引きずり出した。
それは梨生奈に他ならなかった。
「ふふふ」
不敵に笑うボス。
「な、なにを?」
ボスは梨生奈の服の胸の襟を手で握ると、そのまま下に引きちぎった。
「いやあ!」
その後もボスは梨生奈の衣装を剥ぎ取っていった。梨生奈は下着姿になった。
「やめて!」
後ろの部下によって腕の自由を奪われた梨生奈をボスが甚振る。多くの国民がテレビの前で注視する中で「国民的アイドルを辱めよう」というのだ。
ブラジャーが剥ぎ取られた。胸が露わになる。
そして更に。
「ふふふ」
ボスがパンティーの両縁を指で抓んだ。
「やめて、お願い」
ボスはパンティーを下ろし始めた。
「いやあああ」
「イヒヒヒヒ」
その時。
「やめろ、この変態!」
このように叫んだのは・・・樹音。
「叶ちゃん」
「これ以上、梨生奈さんを虐めることは私が許さないよ!」
「ふふふ」
ボスが手を挙げた。そして樹音に向かって振り下ろした。これは部下たちに「叶を捕らえて脱がせ」という合図に他ならなかった。
男たちが樹音に集まる。男が樹音の両腕を掴む。
「やめて、やめてえ」
もがく樹音。やがて男の一人が樹音の着物の帯を解こうとした。最初のうちはアイドルらしく愛らしく抵抗していたけれど、もう我慢も限界。
「いい加減に、しろおおおおおっ!」
樹音は正面の男を右足で蹴り上げると、自分の腕を掴む両脇の男の顔を両足で蹴り飛ばした。さらに樹音は着物の裾を両手で持ち上げ、足の自由を確保しながら動揺する部下たちをカポエラで次々と倒していった。
「ほう」
ボスが呟く。意外な展開ではあったが、ボスは「面白い」と思った。
最後の部下を倒した。樹音は梨生奈を取り戻した。梨生奈はマネージャーとともに避難した。
ボスが樹音の前に立った。ボスは唯一、飛び道具を持っていない男だ。代わりにボスは日本刀を腰にぶら下げていた。それだけ「刀に自信がある」のだろう。
ボスが刀を抜いた。
「ふん」
ボスが刀を振り下ろす。樹音は足の裏で受ける。すかさずボスが二打目を放つ。樹音は素早くそれを躱すと回転蹴りをボスの胸に喰らわせた。
「効いてない?」
「ふふふ」
ボスは自分の上着を剥いだ。そこには、まるでステロイド剤を飲み続けたかのような強靭なボディがあった。
「ならば」
樹音は助走を付けてから飛び蹴りをくらわした。だが、やはり効かない。
「これならどうだあっ」
体への攻撃は効かないと判断した樹音は左足を軸にした右足回転蹴りを連続してボスの顔面に喰らわせた。これにはボスもさすがに「たまらない」と見えて、体を後ろへと引いた。
「なめるなよ。小娘があっ!」
ボスが秘剣を発動した。樹音の着物に無数の傷跡がついた。
「ふふふ」
再び秘剣発動。さらに樹音の着物が切り刻まれた。
このボス。樹音の肌は切らないように正確に着物だけを切り刻んでいくだけの腕を持っているというのか?このままいけば、あと数回で樹音は全裸にされてしまうだろう。そしてボス自身、そのことを樹音に予告した。
「あと2回。あと2回でお前はヘアヌードになる。梨生奈に代わって、お前がヘアヌードを全国の視聴者にさらけ出すことになるのだ」
樹音は得体の知れない技を使う敵を前に、なす術がない。
「ふん」
さらに樹音の着物が斬られる。樹音は下着姿になった。
「あと1回」
樹音は自分の胸と股部とを手で覆った。
「そ、そんな」
「さあ、今こそ全裸になるがいい」
その時。
「お前、何者だ?」
「望!」
客席にいた望がステージ上の樹音とボスの間に割り込んできたのだ。この時の望は顔に花粉用のマスクを付け、頭にはネット帽をかぶり、上手に顔を隠していた。
「済まない樹音。武器を探すのに、ことのほか手間取っちまった」
トレッキングポールのない望は、はっきり言えば戦えない。望はトレッキングポールに変わる物を探していたのだ。
今の望の武器。それはマイクスタンド。
「よくも樹音をこんな目に・・・お前は絶対に許さん!」
望がチェリー直伝の「平突き」の構えをした。
「いいだろう」
ボスは望の挑戦に応じた。
同じ頃。
「何だ?」
「うぎゃあ」
サクラテレビ同様に、首相官邸もまた第二班、すなわち維新断行会によるテロ攻撃を受けていた。
首相官邸では丁度、首相がシーバスと面会していた。
「敵襲か?」
「そのようですね」
「一人で大丈夫だな?シーバス」
「勿論」
シーバスは一人で10名のテロリストを相手に戦うことになった。そのうちの9名は、はっきり言って「シーバスの敵」ではなかった。いくら飛び道具を所持していようが、当たらなければ何の意味もない。
最後の一人。武器は日本刀。
「やりますね、おじさん」
「若いな」
「ええ。まだ17歳ですから」
17歳。望や樹音と同じ歳か。そもそも第二班を構成する維新断行会はメンバー全員が若い。
「武器は日本刀か?」
「ええ。そういうあなたは杖ですか?」
「ああ」
シーバスはトレッキングポールを2本、手にしていた。
「そんなもので、ぼくと闘えるとでも?」
「やってみればわかる」
「それじゃあ、遠慮なく」
若いボスが、シーバスに闘いを挑む。若者はシーバスに向かって踏み込みながら抜刀術を繰り出した。シーバスはそれを右で受けた。
「やややっ」
左手で三段突き。シーバスは右左、どちらでも三段突きが打てる。
「ぐわあああっ」
若いボスは5mほど後方へ飛ばされた。手ごたえ充分。もはや立てないだろう。
必死に立とうとするボスだったが、やがてその場で気絶した。いくら強いとは言っても、しょせんは若者。
シーバスのスマホに連絡が入った。相手は量子。
「シーバス。皇居は大丈夫よ。天皇陛下は御無事です。敵はみんな倒したわ」
「そうですか。官邸も終わりました。残るはテレビ局だけです」
「二人は上手くやるかしら?」
「あの二人ならきっと大丈夫でしょう」
シーバスは事前にテロの情報を掴んでいた。そこで最重要防衛拠点である皇居に量子、ジャン、チェリー、さらには機動隊を配置。首相官邸はシーバス一人で護った。
「どうする?今からテレビ局へ私たちが行く?」
「それは拙いです。まだ敵が潜んでいるかもしれません。日の出までは絶対に皇居を離れてはなりません」
「でも、それじゃあ」
「若い二人がきっとやってくれます」
シーバスは夜空を見上げた。夜空には無数の星々が美しく煌いていた。
「望、気を付けて。こいつスケベだけど強いよ」
「ああ、樹音はもう下がりな。松本さん、樹音を頼みます」
樹音は松本マネージャーとともにステージ裏に下がった。
「行くぞ、このスケベ野郎」
望の突撃。
望の平突きがボスの胸を捉えた。ボスには望の平突きを避けることはできなかった。当然である。望は知らないが、望の平突きはチェリーのそれよりも「速い」。それは文字通り「縮地による平突き」なのだ。
だが。
「こいつ、倒れないのか」
ボスの究極まで鍛え上げられた強靭な筋肉は力を入れた瞬間、文字通り「鉄の壁」へと変わる。刀をもってしても胸を貫通させることは不可能だろう。
「やあっ」
ボスが刀を振り下ろす。マイクスタンドが真っ二つに切られた。だが、これは望にとっては好都合だった。長さもちょうど手頃となり、何より切り口が円となったことで、先程よりも鋭さを増した。
再び望が構える。狙うは先程とまったく同じ場所。そこならば貫通するかもしれない。幸いそこは赤く充血して、それが目印となっている。
「くらえっ」
望が飛んだ。
「なに?」
望の全身が斬られた。望はその場に倒れた。
「何だ、今の技は?」
樹音がやられたのと同じ秘剣。樹音の時は着物だけだったが、今度のそれは望の皮膚を切った。
(これは剣術?まさか、こいつの正体は)
敵の攻撃。望は後方に飛んだ。後方に飛んだにもかかわらず、望は攻撃を受けた。
「ぐわあ」
またも望の皮膚が切り刻まれる。だが、致命傷ではない。表面を薄く切っているだけだ。 望には、こいつの正体が朧気ながら見えてきた。
(剣を持っているが、それはカモフラージュ。こいつは恐らく樹音のお母さんと同じ)
「ならば」
望が構える。
「うおおおおっ」
望の突撃。再び望の皮膚が斬られる。
「うおおおおっ」
相手に致命傷を与えられない程度のサイ能力など恐るるに足らず。痛いのは精神力で我慢すればいい。
「ば、ばかな」
「うおおおおっ」
望の平突きが赤く充血した個所を正確に捉えた。だが、やはり貫通しない。
「同じ技を性懲りもなく」
ボスが笑う。だが、望には奥の手があった。ボスの胸を押し込みながら望の体が左回りに回転する。今こそ、師匠から伝授された秘奥義を放つ時。
「うおおおおお」
ボスの懐に入った望の回転袈裟斬りがボスの左肩を捉えた。
「ば、ばかなー!」
左肩の骨を打ち砕かれ、ボスが跪いた。望もその場で膝をつく。痛みに耐えかねたボスはその場で気絶した。
皇居から移動してきた機動隊の一部がスタジオに突入してきた。おせえよ。もう終わったよ。ったくう。望はそのまま倒れ込んだ。
※
「うう」
望は都内の警察病院の病室で目覚めた。
「望」
「樹音」
「凄い格好だね、望」
望は全身を包帯に巻かれ、ほとんど「ミイラ状態」になっていた。見た目には「重症患者」に見える。
「何だ、こりゃあ。皮膚の表面を切られただけだよ」
「失礼するよ」
コックローチのメンバーが次々と望の個室に集まってきた。
「凄いなあ」
「全身火傷でもしたのか?」
望は反論した。
「違うよ。大げさだって、こんな包帯!」
望は包帯を取り始めた。
「おいおい、ちゃんと巻いとけよ。全身、瘡蓋だらけなんだろう?」
「望のやつ。傷口を樹音に舐めてもらいたいんだよ」
「じょ、冗談じゃないよ」
望は包帯を取るのを止めた。個室内にはメンバーたちの笑い声が響いていた。
その後の捜査の結果、皇居は忠君愛国社、首相官邸は維新断行会がそれぞれ襲撃したことが明らかとなった。だが、サクラテレビを襲った共産ネットワークなる組織に関しては依然として「謎のまま」であった。なぜなら、逮捕された容疑者の誰一人として「口を割る」ことがなかったからだ。それは彼らの組織に対する「忠誠心の表れ」か?
その答えは、やがて明らかになった。
彼らの身柄を検察庁から拘置所へと移送する時のこと。
「うぎゃあ」
「ぐええ」
護送車が謎の集団による襲撃を受けた。そして謎の組織のメンバー全員が殺害されたのである。
「これは口封じだ」
そう。彼らは組織に忠誠を誓っていたのではなく「組織からの報復を恐れていた」のである。だが、必死に黙秘権を行使し続けた彼らの努力もむなしく、彼らは全員処刑されてしまった。
謎の組織「共産ネットワーク」。その正体を知る者は、まだ誰もいない。
次回予告
さようならジャン。さようならチェリー。さようならシーバス。さようなら量子。
そして、今までニッポンのために「ありがとう」。
4人が「自らの死に場所」として選んだ場所、それは!
コックローチ、遂に「世代交代」。
新・コックローチ3
ご期待下さい。
3
第二次日中戦争以後、いかなる国とも軍事同盟を締結せず、永世中立の平和国家として再生を続けるニッポン。第二次世界大戦後のドイツ政府が「ナチ狩り」を繰り広げたように、中道政府もまた、この時代において「右翼狩り」を積極的に行っている。
だが右翼の中には、こうした政府の追及の手を逃れて「海外で活動する者」も多数いた。そして海外で活動する右翼の中には潤沢な資金を活用して海外のドックで戦艦を建造。「ニッポンへの進軍」を企てる輩もいた。
南半球にある某国。そこの造船所のドックで、今まさに一隻の戦艦が進水した。
全長263m
幅40m
排水量6万トン以上
最大船速27ノット
船のシルエットは、まさにあの伝説の「弩級戦艦」を忠実に再現していた。そして、この船の建造を発注した右翼系テロリスト集団自身、この船を次のように呼んだ。
戦艦大和
今後、主砲、副砲、対空砲などが順次、装備される予定になっている。ひと月後には完成するだろう。
この戦艦の発注者である右翼組織のボスが完成真近の大和を見ながら語る。
「この戦艦大和がニッポンにその雄姿を現した時、ニッポンは我々のものとなるのだ」
だが、K率いるニッポンの平和政府はまだ、この事実を掴んではいなかった。
※
そして1か月後。
ここにきて漸く情報を入手した首相官邸内では「事態の打開」に向けた緊急の作戦会議が行われていた。だが、各大臣の対応はおよそ現実的なものではなかった。「対抗手段はない」というのが各大臣らの結論だったのである。
首相は直ちに作戦会議を解散した。
その1時間後。
首相は別の人々を集めて再度、作戦会議を開催した。
「皆、よく来てくれた」
「『戦艦大和』というのは本当ですか?首相」
「ええ量子さん。間違いありません」
「それが、ニッポンを目指して出航準備に入っていると」
「そうだ、ジャン。遅くとも1週間のうちには出航するだろう。そして27ノットという船速から推定して、その1週間後にはニッポンの近海に姿を現すはずだ」
「猶予は2週間たらずということか」
「チェリー。我々に与えられた時間は少ないぞ」
ここで警視総監・シーバスが説明に入った。シーバスは液晶スクリーンに極秘に入手した「戦艦大和のテスト航行の模様を収めたビデオ」を表示した。そこに映し出されたシルエットは紛れもない、往時の戦艦大和を忠実に再現した弩級戦艦だった。
「これを見て、どう思います?」
真っ先に口を開いたのはチェリー。
「正直に言っていいか?」
「ああ」
「かっこいい」
「その通り!」
シーバスはチェリーの感想を否定しなかった。
「それこそがまさに、テロリストの狙いなのです!」
生粋の軍国主義者はもとより、日頃は軍国主義を否定するニッポン人であっても、戦艦大和と言えば「ニッポンの誇り」という認識がある。テロリストは、そうした戦艦大和が本質的に持っている「カリスマ性」を最大限利用してクーデターを成功させようと目論んでいるのだ。
「絶対に、この船をニッポンの領海内に入れてはならない。この船がニッポンに現れた時、まさに全国各地で右翼たちが挙って決起するに違いない。この船こそまさに『現代の黒船』なのだ」
ここで首相が口を開いた。
「そこで、きみたちに集まってもらった。ニッポン政府は既に対抗策を打ち出すことを放棄している」
「放棄?」
「そうだ。『真の平和国家を志向する』と決意した今のニッポンには弩級戦艦に対抗できるだけの装備など存在しないのだ」
「イージス艦は?」
「ない」
「戦略空母は?」
「ない」
「ステルス戦闘機は?」
「ない」
「じゃあ、何があるんだ?」
「水雷艇ならある」
「充分じゃん。総動員して向かわせれば?」
「それは無理だ」
「どうして?」
「わかるだろう?海上自衛隊のシーマンたちが戦艦大和なんか見たら」
「ああ、そうか」
「みんな『寝返る』わな、きっと」
「敵ながら実に上手い『心理作戦』だ」
「だから『大和』なんだな」
「防衛省に出撃命令は出せない。私は彼らを信頼できない。だから君たちにお願いしている。『私の懐刀』である君たちに」
私の懐刀。ここまで言われたら、何とかしないわけにはいかない。でも、どうやって?
その時、チェリーが「妙案」を思いついた。
「首相、遠洋漁船はありますか?」
「遠洋漁船なら、銚子や焼津に行けばいくらでもあるだろう」
「50mくらいのやつでいいです。用意してもらえますか?」
「いいが、まさか『漁船で戦うつもり』か?」
「ええ、そうです」
ジャンが反論した。
「お前、正気か?大和だぞ、大和。漁船なんか、それこそイチコロだぞ」
「勿論、改造するんだよ。勝てるように」
チェリーは首相の顔を見た。
「確か、横浜港に造船所がありましたよね?そこに置いておいてください。あと、それから輸送用の大型トレーラーを1台用意して下さい。自分は今から車で長野へ戻り、そこから直で横浜の造船所へ向かいます」
チェリーには何か考えがあるようだ。それも「勝算のある考え」が。
チェリーは量子を見た。最終決断はやはり局長である量子が行わなくてはならない。
「わかりました。何か考えがあるのでしょう?いいでしょう。やってみましょう」
チェリーは、にやりと笑った。
大型トレーラーが一旦、幕張新都心に向かってから横浜にある造船所に到着した。
「慎重にな。壊れても直せないからな」
ジャンが現場の作業員に指示する。大型トレーラーから洒落ではないが「奇怪な機械」がふたつ下ろされた。
「こいつは後ろ、こいつは中央に装着するんだ」
奇怪な機械が漁船の後ろと中央にそれぞれ取り付けられた。
「よし。あとはチェリーが来るのを待つだけだ」
翌日、車で地元へ戻ったチェリーが長野から大型トラックに乗って造船所にやってきた。
「お疲れさん」
「あとは、こいつを艦首に搭載すれば、完成だ」
大型トラックの中から、これまた奇怪な機械が下ろされ、漁船の艦首に固定された。
それから3日。
色も綺麗に塗り直された改造遠洋漁船が進水した。これで大和を迎え撃つ準備は整った。
「船に名前を付けよう」
「何がいいかな?」
「『パラサイター』なんてのは、どうだ?」
「なんだそれ?」
「じゃあ『アナコンダー』」
「エースは、はっきり言って名前のセンス、ゼロだな」
「ここはやっぱり、局長に決めて頂きましょう」
「いや待て。実はとっておきの名前があるんだ」
チェリーは候補となる名前を発表した。
「どうだ?俺たちの命を預ける船だ。この名前以外にはないと思うんだが」
「ああ、確かにそうだな」
「局長、この名前でいいですか?」
量子は黙って頷いた。
大和は既に出航していた。4日後にはニッポンに到着する。
翌朝、コックローチもまた出航準備に取り掛かった。大和、ニッポン到着まであと3日。
横浜の造船所に望と樹音が合流した。今回の作戦には若い二人にも活躍してもらわねばならない。なぜなら船がそのような構造になっているからだ。
出航準備。コックローチのメンバーが船の中枢である艦橋に乗り込む。船は既にドックの中で海に浮かんでいた。艦橋の中はチェリーが設計した通りに仕上がっていた。
座席配置は最前列が左から機関席、戦闘指揮席、操舵席。その後ろは左から通信席、羅針盤、レーダー・GPS席。そして羅針盤の後ろに艦長席。すなわち座席は全部で6つ。
機関席にシーバス。戦闘指揮席にジャン。操舵席にチェリー。通信席に望。レーダー・GPS席に樹音。そして艦長席には量子。
通常の指揮はジャンの役目だ。
「望、首相官邸に通信を入れろ。出航準備が整ったとな」
「はい」
望が通信回路を開く。以後、首相官邸とのやりとりは望の役割だ。
「首相官邸、聞こえますか?こちら出航準備、整いました」
「了解した。いつでも出航してよろしい」
「出航許可が取れました。いつ出航してもいいそうです」
「よし。樹音、東京湾の状況は?」
レーダーおよび船の現在位置を確認するのは樹音。
「風は微風。波の高さは1m。トラフィック(東京湾内の船舶の交通状況)も問題ありません。現在、前方に危険な船はいません」
「シーバス。エンジン始動」
機関を担当するシーバスがエンジンの始動準備に入る。
「了解。水素、エンジン内に充填開始」
一定のところで随時、燃料の充填具合を読み上げる。
「水素充填80%、異常なし」
「水素充填完了、加熱開始。現在の温度20度」
みるみる温度が上昇する。
「温度5000度まで上昇。現在のところ、異常なし」
エンジン始動開始から約10分が経過。
「温度6000度。核融合エンジン点火準備完了」
隣同士に並ぶジャンとチェリーが互いの顔を見合い、頷く。そして後ろの艦長席に座る量子を振り向く。量子もまた黙って頷いた。
ジャンが叫ぶ。
「シーバス。核融合エンジン始動」
「了解。核融合エンジン始動」
エンジンを点火。内部の圧力を緩やかに高める。水素の核融合反応が始まった。圧力隔壁が白く発光する。
量子が瞼を閉じる。
(ママ)
再び瞼を開いた量子が発進を宣言した。
「遠洋漁船・待子、発進。目標『戦艦大和』!」
平和国家ニッポンの未来をかけて「待子」が太平洋に向け、航海の旅に出た。
順調に東京湾を進む待子。
シーバスが右隣のジャンに話しかける。
「自分は待子様にお会いしたことはありません。どのような方だったのか、もしよければ教えてもらえますか?」
ジャンの顔が穏やかになった。待子を思う時、ジャンの顔は懐かしさから、そうなる。
「とても美しい女性だった。あんなに気高く美しい女性はついぞ見たことがない。ゆえに俺とチェリーは待子を愛し、過去には彼女を賭けて争った」
(待子様)
二人の会話は当然、チェリーの耳にも入る。チェリーは聞こえないふりを装って前方の海をじっと眺めていた。
その日の夜。
首相官邸から待子に通信が入った。その内容は。
「大和がグァムのアメリカ軍基地に入港したそうです」
「わかりました」
冷静に返答する量子。この程度のことは量子の頭では「予想の範囲内」であった。
「おかしいとは思っていたんです。いくら資金が潤沢だと言っても所詮はテロリスト。いくらなんでも大和型弩級戦艦など建造できるわけがない。きっと後ろに巨大なパトロンが存在するに違いないと」
「アメリカが後ろについていると」
「きっと、永世中立を国是とする今の中道政府を打倒して、再びニッポンとの間で軍事同盟を結びたいのでしょう。アジア進出のために」
「どうします、グァム基地もろとも破壊しますか?待子なら充分に可能です」
「それはいけません。外交問題になります。それこそアメリカ軍が『待ってました』とばかりにそれを口実にニッポン国内に進軍してくるでしょう」
「では、大和がグァムを出港するまで待つのですね?」
「そうです。漁船のふりをして、沖の鳥島沖で待ちましょう」
2日後。
「大和がグァム基地を出港しました」
「やっと来るか」
「目にもの見せてやる」
「ふっ」
今日の天気は快晴。しかしながら風は強い。海は大きく波がうねっている。小型船の待子には不利か。
待子のレーダーが大和を捕捉した。樹音が読み上げる。
「大和を確認。2時の方向。距離およそ50km。現在、南に向かって直進中。推定船速、27ノット」
「チェリー、発進だ。シーバス、エンジン始動」
「了解。面舵いっぱい」
「エンジン始動。出力を上げます」
やがて、遥か遠方に大和が見えてきた。艦橋上部に設置されたブレ防止装置搭載のカメラの映像を頭上の大型液晶モニターに映す。その黒いシルエットを見た時、メンバー全員が、ごくりと唾を飲み込んだ。その存在感は予想はしていたものの、やはり驚くべきものであった。
「凄いな、こりゃあ」
「こんなのがニッポンにお出ましになった日にゃあ」
「ニッポン中『お祭り騒ぎ』になるぞ」
全長263mだから、確かに全長333mに達するアメリカの原子力空母と並べるならば所詮は「巨大空母の護衛艦」といった印象だろうが、単独で見る大和は「弩級戦艦」以外の何物でもなかった。
その大和。強風の中にあって全く揺れていない。この程度の波ではびくともしないということか。そして当然、こちらの存在には気が付いている筈。現代の科学力で建造された大和だ。よもやレーダーの性能が「戦前の日本海軍レベル」などということはあるまい。
だが、舐めているのか?主砲を打ってくる気配はない。両者の距離は既に30kmを切っている。
量子が指示。
「エンジン推力最大。一気に接近しましょう」
「よし」
待子が他の船にはない能力の一つを見せる。最大船速60ノット。無論、これでも控えめ。これ以上は「転覆の危険がある」からしないだけだ。
遂に大和から主砲が発射された。狙いは正確。見る見るうちに待子めがけて砲弾が接近してくる。
砲弾が消えた。見失ったのではなく、本当に消えたのだ。待子第二の能力「バリア兵器」。
待子は大和を視界に捉えた。
「やっぱり、かっこいいな」
「だが、いつまでも見惚れているわけにはいかない」
「その通り。『軍国ニッポンの亡霊』なんかさっさと沈めてしまおう。核融合砲発射準備」
これこそが戦艦大和を海の藻屑に変える第三の能力「核融合砲」。
「核融合砲への水素タンクの栓、開きます。発射ピストン、最後部まで下げます」
ピストンが下がるのを利用して水素が炉内に充填される。注射器と同じ原理だ。
「水素充填完了。栓、閉鎖。加熱開始」
シーバスが発射準備を開始した。
「炉内温度5000度。さらに上昇中」
「炉内温度6000度。発射準備完了」
ここまでの所要時間、およそ10分。
あとはジャンが狙いを定めてトリガーを引くだけ。発射ピストンが一気に炉内を圧縮。核融合反応が瞬時に行われ、その莫大なエネルギーが砲筒から一方向へのみ放出されるのだ。
だが、ここで問題が。
船が安定しない。さては船の大きさが小さすぎたか。待子は大きな波に船体を揺られた。これでは発射できない。発射しても大和に当たらないかもしれないし、発射の際に横転、待子が沈没する危険が高い。
「チェリー、何とかしろ」
「そんなこといわれたって」
必死に船体を安定させようと試みるチェリーだが、海そのものが大きく荒れているのだから、どうしようもない。一度大和から離れて、再び高速で接近するのだが、高速走行中であっても待子は上下に揺れた。
どうする?
「望、首相官邸からの情報は?」
ジャンは今後の気象状況を首相官邸に確認するよう望に命令していた。結果は?
「だめです。このあと数日間、天候は荒れるそうです」
要するに、大和がニッポンに到着するまでの間に「核融合砲発射の機会はない」ということだ。
量子が決断を下す。
「核融合砲発射は中止。白兵戦を決行します」
白兵戦。やはりそれしかないか。大和に乗り込み、内部から破壊。
だが一体全体、どれほどの数のテロリストがこの船に乗り込んでいるのだ?よもや10人、20人ということはあるまい。外見だけでなく、この船の設計そのものが仮に往時の大和を忠実に再現しているとすれば、乗組員は2500名にのぼる。
「待子。このまま直進。大和左舷に向かって、突撃ー!」
「了解」
大和と待子との距離が500mを切った。大和から対艦ミサイルやら機銃掃射の雨やらが降ってくる。だが、バリア兵器が作動しているため、当たらない。
「このバリア兵器で大和そのものを消せないか?」
それは無理。核融合エンジンはもともと宇宙船用のエンジンだから、ここでは出力を落として使用している。ゆえに基本となる出力が低すぎて、大和の船体までは電気エネルギーに変換することができないのだ。もしもバリア兵器へ供給する出力を確保するためにエンジンの推力を上げてしまったら、待子はそれこそ宇宙に飛んで行ってしまうだろう。
そして、出力の低さから機銃掃射の雨も完璧には防げない。1000発中の何発かは待子の船体にまで飛んでくる。
果たして艦橋のガラスに皹が入った。シーバスがトレッキングポールで前が見えにくくなったガラスをすべて打ち砕いた。
「取舵いっぱい、左反転90度」
待子が大和と向きを平行にした。待子の右脇と大和の左脇がぶつかる。待子が大和にくっついた。
「行くぞ」
樹音のみを残し量子、ジャン、チェリー、シーバス、望の5人が大和に乗り込んだ。
(みんな、無事に帰って来て)
待子を護るために、ひとり船に残った樹音にできることは皆を信じて待つことだけだ。
大和の甲板に飛び乗った5人はまるで要塞のような艦橋の前部扉から内部に侵入した。
「これから、どうするんだ?」
ジャンが指示する。
「本当なら火薬庫がベストだが、どこにあるのかよくわからない。確実にわかるのは機関室だ。絶対に船の後方下にあるに決まっている。だからまずは機関室を破壊、足を止める。動けなくしてしまえば、あとはゆっくり料理ができる」
5人は下へと向かった。
途中で機銃掃射の雨。5人は足止めを食らう。
「見ろよ。相手の小銃、M16だ。やっぱりアメリカ軍とグルなんだ。こいつらは」
「で、どう攻め込む?まともに行ったら蜂の巣だぞ」
「大丈夫よ」
量子が念動力を発動した。弾丸が次から次と床に落ちる。
「よし、突っ込むぞ」
突進の得意なチェリーと望が突っ込む。弾丸が届かないなら、怖くはない。その後を量子、ジャン、シーバスがついていく。
だが、量子の念動力には当然、限界がある。
「急いで。疲れてきたわ」
チェリーと望が片端から敵を突き倒す。その時、チェリーは気が付いた。
(望のやつ。いつの間にかに強くなっていやがる)
「まだまだ若いもんには負けないぞ」と心の中で虚勢を張りつつも、チェリーは嬉しくてならない。
「やあっ」
「やあっ」
師弟仲良く二人同時の平突きで機関室の扉を破壊。中に入った。
「こりゃあデカイな」
5人の前に、ちょっとしたマンションくらいもある巨大なディーゼルエンジンが文字通り聳え立っていた。
「みんなで手分けして爆薬を仕掛けるぞ」
言葉の通り、皆で手分けして爆薬を仕掛ける。増員された敵が機関室へ向かって小銃を乱射する。それを支えているのは量子の念動力。
「ああっ!」
量子の念動力が切れた。量子の体が銃撃に晒された。
「量子!」
それに気がついたチェリーが増員された敵に突進。その場のすべての敵を撃破した。
「量子!量子!」
チェリーが量子を抱きかかえる。
「だんな・・・さま・・・」
「量子、しっかりしろ、量子!」
「わたし・・・あなたにあえて・・・しあわせだった・・・わ・・・ほんと・・・よ」
量子が死んだ。
チェリーの頭の中に走馬灯のように今までの月日が思い出される。セイヤービル屋上での一戦。ロング・レッグとの決戦。「父親と娘」として一緒に暮らした学生時代。涸沢での告白。樹音の誕生。そして家族三人で仲良く過ごした日々・・・。
「うわああああああ!」
チェリーの号泣。チェリーは、もはや生命のない抜け殻にすぎない量子の肉体を抱きしめて泣き続けた。
爆薬を仕掛け終えた3人が戻ってきた。
「量子・・・」
「局長・・・」
「おかあさん・・・」
呼び方は人それぞれ。だが、皆が全員、この時ばかりはショックを隠せなかった。
「お、おのれえっ!」
チェリーが立ちあがった。
「一人残らず、皆殺しにしてやるうっ!」
さらに増員された敵が小銃を打ちながら走ってくる。チェリーはもはや銃撃を避けようともせず敵に突撃する。その自らを犠牲にした捨て身の行動が結果として3人に甲板までの活路を開いていた。
「うおおおおお」
片端から突き殺す。手当たり次第に突き殺す。次から次と突き殺す。
敵の銃弾を受けるチェリーの体が赤く染まっていく。だが、そんなことも関係なくチェリーは突いて突いて突きまくった。
だが、それも終わりを迎えた。チェリーもまた量子の後を追って来世へと旅立っていった。
「師匠ーっ!」
泣き崩れる望。自分が最も慕う人が死んでしまった。
こんなことって。日頃「死ぬなら山の上がいい」「俺の墓石は奥穂高ジャンダルムだ」と言っていたじゃないか。それなのに。
「お、おのれえっ!!」
望が立ちあがった。
「一人残らず、皆殺しにしてやるうっ!」
「バカっ!」
ジャンは望の頬を張り飛ばした。
「お前には『チェリーの気持ち』がわからないのか!」
ジャンが望を諭す。
「チェリーは、お前に生きていて欲しいから自ら銃撃の盾になったんだろうが。いいか?去年の夏、チェリーの技と志を受け継いだのは誰なんだ。お前だろうが。お前が受け継いだからこそ、チェリーはお前を護るために進んで敵と闘い、ここまでお前を導いたんじゃないか」
チェリーは決して量子を殺されたことで理性を失い、ただやみくもに死地を求めたのではない。量子の死によって「この船からの生還は期し難い」ことを悟り、それでも何とかして「望だけは生きて戻らせなくては」と必死に出口までの活路を開いたのだ。
「師匠」
望は改めてチェリーの顔を見た。笑っている。それは目的を果たして死んだ男の「満足顔」だった。
「わかったら、お前は生きて待子へ戻るんだ。何が何でもな、望」
「はい」
望は「必ず生き抜く」ことを誓った。ジャンは望の決意を見て満足した。
「わかったら、お前はシーバスと二人で甲板に出るんだ」
艦内へ入る時に通った扉はすぐ目の前にあった。
ジャンは突然、二人と別れ、扉とは反対の方角にある階段を上りはじめた。
「何処へ行くんだ?」
シーバスがジャンに尋ねた。
「地獄さ。俺はチェリーのあとを追うよ」
「おい、ジャン!」
ジャンはそう言い残して階段を上っていった。
望が生き抜く決意を示してくれたことで、樹音に自分の技と志を伝えていたジャンもまた、この船を自らの「死に場所」と定めたのだった。
大和の第一艦橋では艦長が頻りに状況を心配していた。
「まだ敵を殲滅できないのか?」
「さっさとかたずけろ!」
艦内マイクを片手に不満や命令を各部署に飛ばしていた。
後方の入り口の扉が開いた。
「誰だ?勝手に入って来て」
艦長はぞっとした。
「お前がボスだな?」
入ってきたのは全身血塗れになったジャンだった。ここまで来るのに、どれほどの戦闘を繰り広げたのだろう?
「お前の首だけは俺の手でどうしても取りたくてな」
「あああああ」
「お前は俺から大切なものを二つも奪った。絶対に許さねえ」
「うぎゃあああっ!」
第一艦橋内に轟く悲鳴。ジャンの足技が艦長の頭を胴体から切断した!頭はそのままフロントガラスを突き破り、第二砲塔の上に落下。あとかたもなく砕け散った。
「ふう」
大将首を取ったジャンは、よろよろしながら第一艦橋にある艦長席に座った。
「『戦艦大和の艦長』ってのも、なかなか、いい気分だな」
ジャンの今世での「最後のジョーク」。ジャンは静かに目を閉じた。
「チェリー、量子。ちょっと待ってくれよ」
「お前が遅いんだよ。エース」
「パパ。こっちこっち、早く。ママもいるよ」
「ママって・・・」
「あなた、久しぶりです」
「ま、待子!?」
ジャンが再び目を開くことはなかった。
※
シーバスと望は再び甲板に出た。シーバスは無線で樹音を呼んだ。
「迎えに来てくれ。間もなく大和が爆発する」
「わかりました」
待子は大和から500mほど離れた場所を並走していた。数分でやってくるだろう。
「うっ」
シーバスと望が敵に挟まれた。待子が来るまで闘うしかない。
「やややっ」
シーバスの三段突き。右手で、左手で、とにかく連発。
「やあっ」
望もトレッキングポールを振り回す。
「望、危ない!」
シーバスが望の背後に立った。そこに敵の銃撃が襲った。
「伯父さん!」
シーバスは敵を倒した。だが銃撃をまともに食らった。
「伯父さん、大丈夫ですか」
「私のことは構うな。おまえは自分が生き延びることだけを考えるんだ」
「いやだ。俺はもうこれ以上、大切な人が死ぬのを見たくないよ!」
「わからないか?お前が死んだら俺はジャンやチェリーに、あの世で顔を合わせられない」
「伯父さん・・・」
「いいな。これから先は俺の後ろに隠れているんだ」
敵の銃撃。シーバスが望を、身を呈して庇う。
「なめるな」
シーバスの二刀流が冴える。次から次と敵を倒す。いくつも銃弾を浴びながらも、シーバスは二本のトレッキングポールを巧みに操り続けた。
待子が来た。
「望、待子に飛び移れ」
「伯父さん」
「何をしている?早く飛び移るんだ。俺の命がまだあるうちに」
「う、うわあああっ!」
望が待子に飛び移った。シーバスは「それでいい、それでいいんだ望」と心の中で呟いた。
望を無事に送り出したシーバスには、もはや闘う気力も体力も失せていた。
(子供のいない俺は、お前のことを「実の息子」のように思っていた。樹音ちゃん。望のことを頼みます)
シーバスはその場にしゃがみこんだ。
「シーバス、お前は呼んでないぞ。勝手に来るんじゃない」
「チェリー隊長。そんな冷たいこと言わないで、一緒に行かせてください」
「冗談だよ。お前は頑張った。よく最後まで望を護ったな」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「あなたがシーバスさん?はじめまして。待子です」
「はじめまして。噂どおりの美人ですね」
「まあ、シーバスさんたら」
「こら、人の妻を口説くんじゃない」
「ところで量子、お前、さっきから喜んでないか?皺くちゃのお婆ちゃんになる前に死ぬことができて、とか思ってるんじゃないのか?」
「そんなことないよ。もっと長生きしたかったわよ。でも、まさかすぐに旦那様が追って来てくれるとは思ってなかったわ。別の女を見つけて、地上でもっと楽しんでくるかと思ってた」
「バカ野郎。何年、お前と一緒に暮らしてきたと思ってる?俺が愛する女はお前だけだ」
「そりゃあそうだな。何たって量子がまだ赤ん坊の頃からの付き合いだもんな」
「まあ、そういうことだな」
「でもね、ママと不倫しようとしたこともあるのよ」
「知ってる。昔パパから聞いた。旦那様が昔はママのことが好きだったって話」
「そういう話は止そうぜ。シーバスがさっきから呆然として俺たちのこと見てるだろうが」
「そうね。さあ、シーバスさんも遠慮なさらずに、いらっしゃいな」
「では、お言葉に甘えて」
シーバスもまた、この世から旅立っていった。
※
望が待子に乗船した。
「樹音。待子を急いで発進させろ。大和から離れるんだ。大和はもうじき爆発する」
「望。みんなは?みんなはどうしたの」
「訊くな樹音。頼むから」
樹音は、おじいさんもパパもママもシーバスおじさんも「みんな死んだ」のだと悟った。
「わかった」
樹音は待子を全速力で大和から離した。1km、2km、大和の姿が後ろに小さくなっていく。
大和の後部機関室にセットされた爆弾が爆発した。大和は黒い煙を噴き上げながら停止した。機関部からは火の手が上がり、それはやがて炎となって船の全域に広がった。
そして。
炎は船体中央部の火薬庫にまで達した。
安全圏まで離れたところで待子を停止させ、望と樹音が後部甲板に立った。まさにその時、大和が轟音とともに巨大な火の玉に包まれて真っ二つに割れた。船首と船尾をそれぞれ天に突き上げて沈んでいく。やがて大和の姿は完全に海の底に消え、代わってその場所には巨大なきのこ雲が遥か上空まで立ち上っていた。
その光景を望と樹音は暫くの間、眺めていた。
作戦は完了した。だが、ジャン、チェリー、シーバス、量子。あまりにも大きな代償だ。
「ううっ、ううっ」
樹音が目に涙をいっぱいに溜めて泣き始めた。望には「慰めの言葉」が、どうしても思いつかない。
「樹音」
「望」
「帰ろう」
望にはそれしか言えなかった。
「うん」
樹音は望の言葉に頷いた。
待子はニッポンを目指し、航行を開始した。
次回予告
立ち上がれ望!泣くな樹音!これからは「きみたちの時代」だ。
敵は待ってはくれない。今のニッポンにはコックローチが必要なのだ。
「私が新生コックローチの局長。『ジミー』と呼んでくれ」
望の驚き。その理由は?
「私が副長の忍(しのぶ)です」
(あっ、この女性は!)
そして樹音の動揺。
「勘違いしないで(忍)」
「それでも『ありがとう』って言います(樹音)」
新・コックローチ4
ご期待下さい。
4
あれから3ヶ月が経とうとしていた。
樹音は今も悲しみに沈んでいる。パパ、ママ、そして祖父という全ての身内が一度に死んでしまったのだから、当然である。
だが、アイドル・佐野 叶としての仕事は次から次とやってくる。今は新曲「房総半島ひとり旅」のプロモーションのために全国を駆け巡る日々。
高宕山から 石射太郎へ
山深い 杉林
気配を感じて 振り向けば
私の後ろには ニホンザル
悲しみの気晴らしに 来て見たけれど
あなたへの愛 あなたへの思い
深くなります
自分の心に 改めて気付く
房総半島 ひとり旅
岩井駅から 富山(とみさん)へ
八犬伝を なぞる旅
足を延ばして 道を行けば
左に聳える 伊予ヶ岳
失恋の傷痕を 癒したいけれど
あなたの声 あなたの面影
強くなります
溢れる涙が 止まらない
房総半島 ひとり旅
思い出とするために 旅に出たけれど
あなたの瞳 あなたの唇
感じています
ほんとの気持ちを 踏みしめて歩く
房総半島 ひとり旅
ひとり旅
そして、そんな時は泣いてもいられない。ファンの前では努めて笑顔を繕う。でも、一人でマンションにいるときは、どうしても泣かずにはいられない。
「パパ、ママ、お祖父さん」
こんな時、樹音は膝立て座りで床に座り、ひたすら泣き続けるのだった。
一方の望は?というと。
「首相。自分も闘わせてください!」
コックローチが活動停止状態にあることは当然、秘密にはされている。だが反社会的勢力は、うすうす気がついていた。そしてコックローチが壊滅した組織を再興、再び活発な活動を始めていた。事件発生後の検挙率は、かつての98%から75%へと大きく下がっていた。ニッポンにはコックローチが必要なのだ。
首相は望の肩に手を乗せた。
「学生の仕事は『勉強すること』だ。ニッポンの治安のことは我々大人に任せて、きみは今は勉強に力を入れなさい。望くん」
「首相」
首相は強気なことを言ってはいるが、やはり4人を失ったことは大きな痛手だった。ことにシーバスを失ったことは突然の「警視総監の交代」を余儀なくされたため、政府側の戦力ダウンを敵に知らせる結果となった。
シーバスに代わる新しい警視総監・公輝は警視庁が現在持っている能力を最大限に引き出していた。決して「無能な男」ではなかった。だが、彼の手足となって動いてくれる「優秀な人材」が如何せん存在しない。首相の本心は、やはり望と樹音に学業を捨てて「コックローチの再生」に全力を注いでほしかったのだ。
二人が高校を卒業するまで、あと1年と半年。
「それまで、何としてもこの国を護り切るのだ」
首相はそう決意していた。
首相と別れ、自分のマンションへと歩く望。
(早く大人になりたい。早く大人になって右翼の連中と戦いたい)
望には既に、この時期「自分はコックローチのメンバーなんだ」という自覚が芽生えていた。ゆえに望は何もできない自分に苛立っていた。
「ああ、くそう」
授業中も。
「ああ、くそう」
自宅にいる時も。
「ああ、くそう」
およそ苛立たないでいる時間などなかった。
そんな時、望は決まって「ある場所」へと赴くのだった。
銅鐸の塔
望はエレベータに乗る。暗証番号を入力。するとエレベータは上ではなく下へと下がる。
一番下まで降りると、そこは地下ドック。
(待子)
そこには役目を終えた待子がひっそりと眠っていた。
望はタラップを上って待子の艦橋に入った。電源は全て消されているので中は暗い。望は自分の席である「通信席」に座ると、椅子の背もたれに寄りかかって静かに目を閉じた。ここが望にとって唯一、落ち着く場所だった。
望が目を開ける。その望の目にそれぞれの席に着くジャン・チェリー・シーバス・量子の姿が見えた。
「みんな!」
慌てて立ちあがる望。しかし、それはすぐに消えた。それは所詮、望の思いが作り出した幻影に過ぎなかった。
「みんなに会いたいよ」
望の目に涙が溜まった。
「望」
望の後ろから声。望は急いで涙を拭い、後ろを振り向いた。
「樹音」
「望も来てたんだ」
「ああ」
樹音もまた自分の席である「レーダー・GPS席」に座った。
「お前も、時々は来るんだ。樹音」
「そういう望も?」
「ああ。ここには思い出がいっぱい詰まっているからな」
「そうね」
たった一度の航海だったけれど、それは決して忘れることのできない航海になった。
「樹音」
「なに?」
「会いたいな。みんなに」
「そうね。みんなに会いたい」
樹音の目に涙が。涙を溜めた樹音の横顔の何と美しいことか。先程までは自分も泣いていた望が樹音を慰める。望は樹音の隣に歩いて近寄った。
「望」
「樹音」
互いに見つめ合う二人。邪魔者は誰もいない。樹音が席から立ち上がる。二人は熱い抱擁を交わした。
ところがその時、ふたりは背後に人の気配を感じた。誰だ?望と樹音は慌てて振り向いた。
「首相」
そこには何と首相が立っていた。
「私も中に入っていいかな?」
「ええ」
「どうぞ」
それにしても首相がここにやってくるなんて。
驚くふたりに首相が話し始めた。
「きみらには内緒で私も時々ここに来るんだよ。ここに来ると彼らを感じられる」
首相にとっても彼らは大切な仲間だった。
「実は樹音に話があって来たんだ」
「私に?」
首相の話を聞いた樹音は、あまりにも唐突な首相の話に驚きを隠さなかった。
「私が首相の養女に」
「きみは私の大学時代の後輩の『忘れ形見』だ。私は先輩として、きみを私の娘として大事にしたいと思っているんだが、どうだろうか」
首相は親類を一度に失った樹音のことが心配でならなかったのだ。それに首相は独身。跡取りを必要としてもいた。
「そ、それは」
樹音は戸惑った。当然だ。このような重要な決断はすぐに決められない。
「樹音、いいじゃないか。受けろよ」
「望」
「師匠は決して『駄目』とは言わないはずだ。首相。樹音のことを頼みます」
望が樹音の決断を後押しした。
「首相」
こうして樹音は首相の養女となった。
※
二人が高校三年生の6月。
首相官邸内が「明るくなる事件」が起きた。
中国政府がニッポン政府の今までの「平和国家建設に向けての取り組み」を高く評価し、今後の「賠償金の支払いを免除する」という決定をニッポンに通達してきたのだ。これによって今後ニッポンは国家予算の全額を復興事業に使うことができるようになった。
中国政府がこの時期に、このようなことを決定したのには無論「中国側の思惑」があった。 現在のニッポン政府は「中道主義」の旗を掲げ、永世中立を国是としている。現在の政府を支持することが「ニッポンとアメリカとの軍事同盟の再締結」を阻止することになるのであり、それは当然、中国の国益にも適っているのだ。
だからこそ、この時期に中国はこのような表明をしたのである。この時期と言うのは、翌7月には「衆参ダブル選挙」が行われることを指す。
中国政府からの信頼を勝ち取り「賠償金の免除」という結果を出した中道政府が7月の選挙に大勝利したことは言うまでもない。第4期中道政府=第2期K政権がこうして始まったのである。
翌年4月。
2月の大学受験に合格した望と樹音。もはや何の憂いもない。首相は「コックローチの再建」を決めた。
銅鐸の塔。
その展望室に「次世代のコックローチ」を担うメンバーたちが集結した。
望、樹音。
そして一磨と帆乃香。二人も無事に東京の大学に合格した。
首相がメンバーらに話しかける。
「今から局長となる人物を紹介する」
新しいコックローチの局長。果たして「どのような人」なのだろう?
エレベータの後ろには個室がある。その中に控えていた局長がエレベータの右横から現れた。
その人物を見て、望が驚いた。
「お、親父?」
そう。現れたのは望の父親。
「みんな。私が新生コックローチの局長。『ジミー』と呼んでくれ。見ての通り余り目立たない『地味な男』だから」
首相が皆に説明する。
「彼は警視総監だったシーバスの殉職に伴い現在、警視総監を務めている。望と樹音は知っているな?彼が長野県警に於いて『シーバスの部下』だったことは」
「え、ええ」
「はい」
望はまだ驚きを隠せない。親父が局長というだけでも驚きなのに警視総監だって?
「親父。いつ警視総監になったんだよ。大体、東京に来ているなら、何で俺に会いに来てくれなかったんだ?」
「仕事が忙しくて、会いに行く時間なんてなかったんだよ。それに、俺が警視総監になったことを知らないなんて、さてはお前、新聞読んでないだろう?」
「うっ」
図星を突かれた望。隣では樹音が笑いを堪えている。望がそれに気が付いた。
「樹音。お前は知ってたな?知ってて、俺に隠してたな。そうだろう」
それには樹音ではなく公輝=ジミーが答えた。
「当たり前だろう。樹音ちゃんは、すぐに私のところに挨拶にきたぞ」
「望、ごめん」
再び首相が話し始めた。
「これからはジミーが、きみらの命を預かることになる。だがジミーは警視総監でもある。常にここにいるというわけにはいかない。そこでだ。副長(副局長)を用意した」
副長? 副長が先程、ジミーが登場したのと同じ手順で登場した。
「コックローチの皆さん、はじめまして。私が副長の忍(しのぶ)です。これから、よろしくお願いしますね」
(あっ、この女性は!)
樹音の表情が変わった。その表情からは「喜んでいない」ことがわかる。そんな樹音の変化は首相にもわかった。だが、首相は見て見ぬふりをした。
忍。年齢30歳前半の、この美しい女性は量子とは「腹違いの妹」という関係にある。彼女もまたジャンの娘であり、樹音の叔母さんにあたる人だ。「腹違い」という点は極めて重要で、そのため忍は量子を嫌い、過去には量子を「死の一歩手前」にまで追い詰めたこともある。そして今でも量子のことを嫌っているのである。
「・・・・・・」
樹音は忍の表情をじっと見つめた。そこからは、しかしながら何も読みとれなかった。
その後、結団式は終了した。樹音は急いでエレベータで1階に降りた。銅鐸の塔の入口では松本マネージャーが今日の仕事が始まる時間を気にしていた。
「樹音ちゃん急いで。今日はこのあと13時から水戸市でイベントに出演なんだから」
「遅くなってごめんなさい」
樹音は車に乗り込んだ。
「飛ばすよ」
松本マネージャーが車を出した。松本マネージャーはこの時期、既に樹音の秘密、すなわちコックローチについて知っていた。年末の音楽祭で望が覆面姿でテロリストと戦った件といい、一度に3人もの肉親が死んでしまった件といい、おまけに首相の養女になったことといい「おかしい」と感じた松本マネージャーが樹音にその理由を尋ね、それについて首相から丁寧な返事を頂いたからだ。そして今も松本マネージャーは樹音にとって心強い味方である。
樹音を乗せた車が水戸を目指して走る。その姿を忍が展望台から見下ろす。
「・・・・・・」
こうして、内部に複雑な事情を抱えながらも次世代コックローチは船出したのである。
1か月前。
「私がコックローチの副長?」
「そうだ」
「無理です、そんなの。首相」
「なぜ?」
「だって私は、かつて量子を殺そうとした女ですよ」
「それは昔の話だ」
「でも」
「私はきみの能力を高く買っている。ジャンに勝るとも劣らぬ、きみの幻覚能力をだ。次世代コックローチに、きみは絶対に必要な人間だ」
「でも私は」
「樹音か?」
「はい」
「嫌いか?」
「はい」
忍は素直に、そう返事をした。姉の量子のことが嫌いならば当然、その娘の樹音を好きであろう筈はない。
「きみのお父さんは、どう思うかな」
「パパ・・・」
忍はパパのことを思うと胸が痛い。忍はパパが大好きで、パパに愛されたくてたまらなかった。だからこそ量子を憎んだ。パパの愛情を独り占めする量子を。勿論、ジャンが自分の娘である忍を愛していない筈がない。
だが、事情は複雑だ。忍はジャンが記憶を失っていた時代にできた子供。そしてジャンは後に記憶を取り戻してしまった。記憶を取り戻したジャンにとって「愛する女性」は待子以外にはない。ジャンが忍の母をもはや「昔のようには愛さなかった」ことは紛れもない事実なのだ。
忍が涙目になった。首相が言いたいことはわかっている。樹音を大事にすることがパパを喜ばせることだと。でも・・・。
「ともかく、これは命令だ。反問は許さない!」
「・・・はい」
※
「グルメ嫌い・ギャンブル嫌い」ゆえに本質的にはテレビメディアからは嫌われている樹音であったが、なにぶん人気があり、おまけに養父が首相とあっては無碍にもできない。ポツポツとではあるがテレビ出演の依頼が来るようになった。
今日、出演するのは「OH!寺っ」という要は、お寺の宣伝番組。解説陣は当然、各宗派の僧侶たちだ。浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗と、実にさまざまな宗派の僧侶がいる。おまけに神社の宮司まで。
驚くべきは、それらの人々が全員、大層「仲がよろしい」こと。
(どうして、自宗の教義の正当性を賭けて法論し合わないのだろう?)
樹音は先程から、それが言いたくてたまらない。だが、それを言ってしまったら、ただでさえ少ないテレビ出演の機会は、さらに減るであろう。そして、この番組は「生番組ではない」から、たとえ言ったところで、その場面はきっと「カット」されてしまうだろう。
だが、それ以上に樹音をイライラさせるものがあった。先程から樹音のことをじっと見つめる厭らしい視線だ。それは神社の宮司。
その神社の宮司が、およそ次のようなことを言いだした。
「神道こそ『ニッポンの誇る伝統文化』そのものなのであります」
そこには、寺の僧侶たちを下に見る価値観が見え見えであった。また明治政府や右翼政府と異なり神道を忌む中道政府(中道政府は皇室典範を改正、神道儀式を皇室行事から排除した)に対する当てこすりもあるに違いない。
もとより寺の僧侶を弁護する気などは毛頭ない。所詮は阿弥陀経や大日経、不立文字といった爾前の教えに固執することで「釈尊の真意」に逆らう愚かな連中だ。とはいえやはり、この宮司の言葉は非常に「カチンと来るもの」であった。樹音に言わせれば神道こそ「ニッポンの恥」以外の何物でもない。世界の人々などは、それこそ神社を敬うニッポン人のことを先進国で唯一の「原始的な迷信を信じる下等民族」とバカにしているくらいなのだ。要するに非科学的なことを平気で信じるニッポン人の思想・哲学の水準は、たの先進国から見た時には「未開の国の原住民と同じレベル」ということだ。
それに神道を「ニッポンの伝統文化」と呼ぶこと自体、多いに疑問符だ。たとえばニッポンの歴史上、初めて神道儀礼による結婚式が行われたのは「大正天皇」の時である。明治時代になってから始まったものを「古来ゆかしきニッポンの伝統に則った婚礼の儀式」などと呼ぶことは歴史歪曲以外の何物でもあるまい。
ましてや樹音はチェリーから「弥生時代は法華経の時代」「伊勢神宮は第11代・垂仁天皇が戦争目的で作った思想統制施設」という正しいニッポンの歴史を教えられて育った身。神道などそれこそボロクソなのだ。
松本マネージャーは先程からヒヤヒヤしていた。いつ樹音が爆発してしまうか?そのことだけを心配していた。長い長い3時間の収録時間であった。
収録後。
「松本さん。今日の私、偉かったでしょう?」
樹音はどうにか爆発だけはしなかったようだ。
「必死に我慢したんだからね」
通路を駐車場へと向かう二人。
「やあ」
そんな二人の前に立ちはだかるのは神社の宮司。
「よかったら、このあと一緒にホテルへでも行かない?」
遂に樹音の堪忍袋の緒が切れた!
樹音の必殺「股間蹴り」が炸裂した。宮司はその場でしゃがみこんだ。
「ふん」
樹音と松本マネージャーはさっさと駐車場へと歩いて行ってしまった。
マスメディアは相変わらず、こんな調子だったが、対する中道政府は今後、本格的な建設ラッシュが到来するのに先立ち、画期的な法律を成立させた。「地鎮祭禁止法」だ。
地鎮祭の起源は言うまでもなく「人身御供」という世にも悍ましき人を生け贄にする儀式だ。人の血を欲する神が善神ではなく魔物であることは明らかであり、注連縄と並んでこれもまた神社が魔物の住処である証拠といえよう。
そしてニッポンの建設業界は長年に渡り、この悍ましき儀式に縛られてきた。その結果、本来は報酬を得るべき電気・水道・ガスの工事を請け負う末端の施工業者や大工職人らが安い報酬で働かされる一方、神社の宮司が大して時間もかからぬ「祓ったま、清ったま」のお祓い行事だけで建築士に次ぐ高額な報酬を得ていたのである。
たとえば、3000万円の戸建てを建てるとしよう。仮に地鎮祭の費用が5%だとすれば、その額は150万円だ。
現在、東京新都庁舎の建設が進んでいるが、その額は旧都庁舎よりも1億円安い1568億円である。仮に5%ならば地鎮祭に支払う費用は実に78,4億円にも上る。実にバカバカしい限りでないか!そして右翼政権の時代には、こうしたことが当たり前のように行われていたのである。これは事実上「税金による神社への奉納」に他ならない。もちろん利益を得た神社から「政治家へのリベート」なども広く行われていたことだろう。だからこそ右翼政権は執拗に「ゼネコン政治」を繰り広げてきたわけである。
こうした悪臭漂う悪習に中道政府は鋭いメスを入れたのである。「建設業界が潤うのは大いに結構。だが、その陰で政治家や神社が私服を肥やすことは絶対に許さない」というわけだ。
※
日中の太陽光発電によって発生したエネルギーを充電池に蓄えることで、24時間の電力を確保する。これは誰でも考えつくアイデアである。だが、このアイデアの欠点は充電池の蓄えられる電気の量と充電池そのものの寿命である。いずれも、あまりにも少なすぎる。
オナラウッド研究所芸術監督・珍柿が残した資料の中に、次のようなものがある。それは、日中の太陽光発電によって発生したエネルギーによって水を汲み上げ、高い場所に保存。太陽光の利用が難しい時にはその水を落下させることで発電機を回すというものである。このアイデアであれば大量の充電池が不要となる。それに太陽光だけでなく雨が降れば雨水も利用できる。実に上手い。さすがはオナラウッドだ。
中道政府はこのアイデアを応用した発電計画を発表した。
それは太陽光発電の余剰エネルギーで利根川の水を奥多摩湖に汲み上げ、雨天の日にはその水を落下させることで発電するというアイデアだ。近年、干上がることの多い奥多摩湖の水位を上げ、都民の飲料水を確保するというメリットもある。
そのために必要な各浄水場を繋ぐパイプラインの長さは合計でおよそ70km。それらの建設が急ピッチで進められた。そして終点にあたる奥多摩湖の小河内ダムにおいても、発電能力の高い最新型の発電機が設置される工事が行われていた。本格的建設ラッシュの「第一弾」である。
「これは悪戯か?それとも本気か?」
警視庁に小河内ダムへの爆破予告がネットで届いたのは今朝5時のこと。
「ふーむ」
ジミーはネットの爆破予告の真偽について考えあぐねていた。最近は「現役大学生による悪戯」も少なくなかったからだ。だが、爆破予告を無視することはできない。しかし、悪戯かもしれないものに多くの人員は割けない。
(初任務としては、ちょうどいいか)
ジミーは受話器を取った。
「はい」
「おはよう忍。ジミーだ。こんな朝から済まないな」
「おはようございます。何か事件ですか?」
「悪戯かもしれないが先程、爆破予告が届いたんだ。場所は奥多摩湖・小河内ダム建設現場。予告日は三日後。時刻は不明。動けるメンバーを招集して警備にあたって欲しい。結団後、初の任務としてはちょうどいいだろう?」
「わかりました。警察の方は?」
「2名、派遣する。彼らと上手く連携を取って動いて欲しい。警察と連携を取る訓練にもなる」
ジミーは電話を切った。
「いよいよ、コックローチが始動だな」
ジミーは総監室の窓際に立ち、腕を後ろに組んで外の景色を眺めた。
爆破予告日前日、深夜23時。
コックローチのメンバー3名が小河内ダム北側にある駐車場に集結した。望、一磨、帆乃香。0時から12時までの12時間、警備に当たる。警官2名も30分後に到着した。
「よろしく頼むよ」
警官2名はそういうと工事作業用に特別に設置されている階段を伝って、ダム直下に建てられた作業小屋に入ってしまった。警官2名はさっさと仮眠に入ってしまったのだった。
「なんだ、ありゃあ?」
呆れる望。
「俺たちにお任せかよ」
「コックローチを何だと思ってるのかしら?」
無論、警官たちが「コックローチの正体」について知っているわけがない。「コックローチという名の警備会社」くらいに思っているに違いなかった。
「まあ、いいさ」
望は早速、リーダーとして指示を飛ばした。
「一磨は下に降りて、発電所の警備。帆乃香はダムの上を南にまっすぐ進んで山側の警備。俺は駐車場側の入口にいる」
一磨と帆乃香が所定の場所へ走る。望も所定の場所に立った。
奥多摩の山の中に囲まれた湖。上を見上げれば星々が美しい。そのうちの一部は水面の上でも輝いていた。辺りは暗いが、それでもダムの上から見下ろせば、かなり下に水面があることがわかる。早く工事を終了させないと、電力以上にまず都民の飲料水の確保が難しいに違いない。今年の夏はエルニーニョから猛暑が予想されていた。
既に季節は春。冬とは異なり、朝の6時ともなると空がもう明るい。ダムの上に朝日が差し込む。望と帆乃香が互いの存在を目視して、大きく手を振り合う。小河内ダムの北端と南端。その距離、およそ400m。
7時になると、ぽつぽつと駐車場に車が入ってくるようになった。小河内ダムの駐車場は御前山や鷹の巣山といった奥多摩の山々に登るための登山の拠点だ。しかも御前山登山の場合には、登山者が小河内ダムの上を歩いていくことになる。おまけに登山者だから背にはザックを背負っている。そのザックの中に「爆薬がある」かもしれない。だが、いちいちザックの中を「御用改め」するわけにもいかない。ここは「勘」が重要だ。悪人を素早く見抜く勘が。
9時ともなると、日曜日ということもあって駐車場は車でいっぱいになった。登山者も沢山だ。小河内ダムの上に立ち止まって奥多摩湖を眺める人も大勢いる。
(ここにいる人たち全員、爆破予告が来ているだなんて、思っても見ないだろうな)
望はそんなことを思う。「この人たちの安全を護らなくては」とも。
11時。交代要員の忍と樹音が来た。
「御苦労さま、望」
忍が望に労いの言葉をかける。
「忍さん。今のところ全く異常ありません」
やはり、ただの悪戯だったのだろうか?
11時30分。警官もまた、交代要員がやってきた。
12時。忍が指示を出す。
「私は望のいた場所を護ります。樹音は一磨が護っていた場所を引き継いで」
樹音が2名の警官と一緒に階段を下りる。やがて一磨が2名の警官と一緒に階段を上ってきた。帆乃香も既に集まっていた。
「みなさん、ご苦労様でした」
5名は帰還の途についた。
樹音は工事中の発電所の前に立った。2名の警官は作業小屋へは入らず、工事中の発電所の中へと入った。
(何で発電所の中に?)
樹音は何か胸騒ぎを感じた。樹音は2人の警官の後をそっとつけていった。
忍はジミーに電話を入れた。
「先程、コックローチの3名と警官2名の合計5名が小河内ダムを離れました。今から私と樹音、新しい警官2名の合計4人体制で午後の任務にあたります」
「なに?」
ジミーが電話の向こうで驚きの声を上げた。忍の耳にもその声が聞こえた。忍はジミーに訊き返した。
「どうしました?何か、おかしい点でも?」
「2名の警官が新しく来て、2名の警官と交代したんだな?」
「ええ」
「それはおかしい」
ジミーはその理由について説明した。つまりジミーは派遣した2名の警官に「仮眠などを入れながら交代で24時間警備しろ」と命令しており、交代要員など存在しないはずだと。
「でも、確かに来ました。私ははっきりと見ました」
「わかった、調べる」
ジミーはいったん電話を切った。
その数分後、忍のスマホが鳴った。
「やはり交代要員などいない。警視庁からは誰も出動などしてはいない」
「じゃあ、まさか!」
忍は直ちにその場を離れ、階段を駆け足で降りていった。
2名の警官が手荷物の中身を取り出した。
(あれは時限爆弾だ)
樹音は水の流れる用水路に架かる細い橋の奥にある発電用タービンの前で2名の警官の姿をした予告犯が時限爆弾をセットするのを見た。
「止めなさい!」
樹音が予告犯に向かって叫んだ。その声を聞いて予告犯が振り向く。予告犯は腰の拳銃を手にすると、樹音に向けて銃口を向けた。それは警官になり済ますためのモデルガンではなく本物の拳銃だった。そして、予告犯は間髪いれず樹音に向けて拳銃を発射した。
「きゃあ!」
躱す樹音。だが、避けられる場所が、ここはあまりにも少なかった。樹音がいたのは、まさに細い橋の中央。樹音はバランスを大きく崩し、手摺の外に体を出した。橋から落下する。
「くっ」
どうにか橋の縁に両手で掴まった樹音。下は勢いよく水の流れる用水路。落下すれば命はない。
そんな樹音の姿を見た予告犯が、樹音のもとまで歩いてきた。
「へへへへへ」
予告犯が樹音の左指を踏みつける。樹音の左指が血塗れになる。
「くうっ」
左指が橋の縁から外れた。右手のみで橋にぶらさがる樹音。
「これでジ・エンド」
予告犯が樹音の右指を踏みつけようと足を上げた、その瞬間。
その場に忍がやってきた。
「何だ?」
予告犯の目の前に巨大な竜が出現した。
「う、うわああああ!」
予告犯に巨大な竜が襲いかかる。予告犯は二人とも橋から落下、用水路の中へと消えた。 いうまでもなく巨大な竜は忍が作り出した幻覚だ。
樹音のもとまでやってきた忍。忍と樹音の目が合う。
樹音は必死に橋に上がろうとした。だが思うようにいかない。左指を負傷した樹音には、自力で橋に上がることができない。そして忍はそんな樹音のことをじっと観察していた。
忍は助けるべきかどうかを悩んでいた。理性は「助けなくては」と叫んでいたが、感情がそれを許さない。大嫌いな量子の娘だ。このまま落ちて死んでしまえばいいと思わずにはいられない。
樹音にはそんな忍の心理が手に取るようにわかっていた。だからこそ「助けて」とは言わず、自力で橋の上にあがろうとした。
だが、そんなあがきも遂に終わる時を迎えた。
「もう・・・だめ」
樹音の右手の力が尽きた。樹音が橋の縁を離す。
「忍!」
忍は自分を責めるような声を耳にした。
(この声は、パパ!?)
樹音が用水路に落ちる。
その瞬間、忍は樹音の右腕を掴んだ。忍は樹音の体を橋の上に引き上げた。
「叔母さん・・・」
「勘違いしないで。私は私の大好きなパパのために助けたんだから」
忍はその場で泣き崩れた。
「それでも『ありがとう』って言います。叔母さん」
「ううう」
忍は泣き続けていた。
次回予告
チェリーの妻として幸せな生活を送る量子に「人格破壊の危機」が迫る!
敵の名は忍。
「私以外にパパの娘なんかいらないわ」
彼女の正体は、何と腹違いの「量子の妹」だった。
ゴキブリの大群に体中を這いずり回られる。蒸気機関車が迫る線路の上に縛り付けられる。高層ビルの屋上から突き落とされるなど父親・ジャン譲りの「恐怖の幻覚」が次々と量子を襲う。
量子はこの地獄の精神攻撃に最後まで耐えられるのか?
そして父親・ジャンと娘・忍の再会。
「より精神力の強い方が勝つ(チェリー)」
果たして結末は?
新・コックローチ「運命編」
ご期待下さい。
新・コックローチ「運命編」
「運命とは自分で切り開くものだ」
人はそのように言う。
だが、人はしばしば運命に振り回される。自分の力ではどうすることもできない、とてつもなく大きな力。どんなに必死になって抗おうが、ぐいぐいと引きずり込まれていく巨大な渦。その巨大な渦の中では人間など実に小さなものだ。
「運命を人智によって乗り越えていく」
口で言うのは易しい。だが、それは容易なことでは、ない。
※
夫のチェリーを朝、送り出した量子は洗濯や布団干しを済ませ、昼食を終えたところだった。
自宅に郵便局のバイクがやってきた音が聞こえた。量子は表の郵便受けの中を確認した。そこには一通の封書が入っていた。
「私宛てだわ」
封筒の裏を見返す。そこには住所はなく「忍」とだけ書かれていた。
リビングルームに戻ってから量子は封を切った。手紙の内容を読んだ量子の手が震えた。
「私に、妹が?」
手紙の差出人は「量子の妹」を名乗っていた。果たしてこれは真実なのか?確かめる必要がある!量子はスマホで電話をかけた。
「もしもし、パパ?」
ジャンは直ちに京都から量子のもとへやってきた。
「量子」
「パパ」
量子はジャンに手紙を見せた。手紙を読んだジャンの手もまた量子同様に震えた。
「これは確かに、お前の妹からの手紙だ。量子」
その後、ジャンは事のいきさつを量子に話した。
ジャンの話を纏めると、ジャンはロング・レッグに自爆攻撃を敢行した際、記憶喪失となった。そんなジャンを救ったのは地元の暴力団組織。で、ジャンは暫くそこで用心棒として働いていた。その暴力団組織がある日、一人の若い女性を捕らえた。その女性は栃木県警の婦人警官で、暴力団組織の麻薬ルートを捜査していたのだ。
「女を殺せ」。
そうボスから命じられるジャンだったが、記憶を失ってもジャンはジャン。正義漢のジャンは暴力団組織を裏切り、婦人警官とともに逃亡したのだった。二人が愛し合うのに時間はかからなかった。やがて二人の間に子供が生まれた。その赤ん坊こそ忍に他ならない。そして家族は幸せに暮らしていた。ジャンは産業スパイとして生計を立て、オナラウッド研究所という名の未知の組織と戦う。そんな夫に対し、元婦人警官の妻も協力的だった。だが、幸せは突然、終焉を迎えることになる。ジャンの記憶が戻ったからだ。記憶を取り戻したジャンにとって愛する女性は「待子」以外には考えられなかった。ジャンは妻子と別れた。そして、その後は京都で量子と暮らすようになった。量子がチェリーと結婚してからもジャンは妻子とは一切連絡を取らず、一人で暮らしていたのだった。
「量子、済まない」
ジャンの告白は量子にとって衝撃であった。
「どうして、今まで黙ってたの?」
ジャンは返答しない。
「パパ!」
「いらぬ心配をかけたくなかった・・・」
本音だろう。浮気心から違う女性との間に子供をもうけたのとは明らかに事情が違う。記憶が戻ってから直ちに別れたことは、ジャン自身の「罪の意識の深さ」の表れに他ならなかった。
「忍とは私が会おう。私から話をしよう」
ジャンは、きっぱりとそう言った。
「いえ」
だが、量子はそれを拒否した。
「私が会う。手紙は私宛てに来たのだから、妹だって『姉の私に会いたい』と思ってそうしたのに違いない」
「いや、だめだ」
「なぜ?」
ジャンは理由を説明した。
「恐らく忍は、お前のことを憎んでいる」
「パパ」
「だから忍は、お前に復讐するつもりなのだろう。『お前がいたから私が妻子を捨てた』そう感じているに違いない。そうではなくて、これはあくまでも私の『待子への思い』からなのだが、どのみち『待子の娘』であるお前のことを忍が快く思うはずはない」
ジャンはソファを立った。
「だから、お前は動くんじゃない。私が忍に会って話を付けてくる。父と娘としてのけじめをな」
ジャンは量子に届いた手紙を持って外へ出た。手紙に住所はないが、消印は懐かしの我が家のある場所のもの。
だが翌日、ジャンが到着した時、その家は既に「廃墟」も同然だった。
「パパ、ごめんなさい」
量子は忍の手紙の半分だけをジャンに見せていた。残りの半分について量子は秘密にしていた。
残りの半分には忍が既に長野に来ていることが記されてあったのだ。しかも堂々と「私はお姉さんが大嫌い」とも。そして最後に「パパの愛情を賭けて私と勝負しなさい」と。
量子は翌日、決戦場として指定された場所へと向かった。
長野県内にある、廃墟となって久しいラブホテル。量子はボロボロのラブホテルの外観とはおよそ釣り合わない、お洒落ないでたちで中へと入っていった。
「忍、どこ?どこにいるの」
声をかけながら量子は建物の中を進んでいった。2階、3階と進み、4階に到着した時。
「こんにちは、お姉さん」
こちらもやはり、お洒落ないでたちの忍。
といっても、二人の服装は全くの正反対。量子がフリルやレースをあしらったパステルカラーのいかにも女の子らしいマキシスカート姿であるのに対し、忍はブラックやグレーを基調としたボーイッシュなパンツルック。
量子は忍を見て素直に「カッコいい女性だ」と思った。一方、忍も量子を見て「なんて可愛らしい人なんだろう」と思った。
忍の心にたちまち「嫉妬の炎」が点火した「こんな可愛らしい女性をパパが愛さないはずがない」「だからパパは私を捨てたんだ」と。
絶対に許さない。必ずやお姉さんを倒す。
「さあ、勝負よ。お姉さん」
忍が構える。
しかし、量子は構えない。
「なぜ構えないの?」
忍の挑発。量子はその理由を説明した。
「私が今日ここへ来たのは、パパに代わってあなたの家族に『償いをするため』なの」
「なんだと?」
量子はその場で正座した。
「パパはあなたの家族を捨てました。それは決して許されないことです。ですから、娘である私が代わって謝ります。本当にごめんなさい」
量子は土下座した。自分のスカートが埃まみれになることも、埃まみれの床の上に自分の額を擦りつけることを何とも思わなかった。
忍は動揺した。まさか、こんな展開になるとは?人間としての器は自分よりもお姉さんの方が上だ。忍は、そのことを見せつけられてしまった。
それが忍を余計に怒らせる。なにさ、いい子ぶっちゃって。忍は心の中でそのように呟いた。
「もしも『許さない』と言ったら?」
これでお姉さんも「戦うしかない」と思うだろう。
だが、それでも量子は戦おうとはしなかった。量子は再び立ち上がった。
「あなたの気の済むまで、私を好きにしていいわ」
ああ、どこまでもムカつく人。
「いいわ。なら私の好きにさせていただくわ」
忍は量子の前に立つと、量子の顔を右手で握った。親指で右の、人差し指で左のこめかみを掴むと、そのまま量子をソファの上に押し倒した。
「さあ、始めるわよ」
忍が右手の平に精神を集中させた。量子はたちまち昏睡状態に陥った。
「な、なに?」
目覚めた量子は自分の体が鎖でグルグル巻きにされ、線路の上に縛られていることに気がついた。
「く、くう」
必死に鎖から逃れようと暴れる量子。だが、びくともしない。
やがて遠くで警笛が鳴った。顔を振り向くと西部劇に登場する機関車が猛スピードで走ってくるのが見えた。
機関車はみるみる近づいてくる。
「だ、だめ。助けて」
線路の上でもがく量子。だが、どうすることもできない。
「だめ、だめえ」
機関車が遂に量子の体を轢いた。
「きゃあああああ!」
「きゃあああああ!」
ソファの上で量子は絶叫した。全身が痙攣を起こし、口からは涎、スカートは排尿によってびしょびしょに濡れた。
機関車に轢かれる量子。それは忍が作り出した「幻覚」。忍もまたジャン同様「幻覚能力」を持っていた。しかも、相手の頭を掴むことで脳に直接、幻覚を出現させることができる。
忍は次から次と量子に「幻覚責め」を行った。量子を「発狂死」させるために。
全身を鎖に巻かれ、足には鉄球。
「そーれ」
量子は海に投げ込まれた。
「ぼ、ぼ、ごぼごぼ」
量子は呼吸をすることができない。体はどんどん海の底へと沈んでいく。
「おお、お、お、お」
量子の頭が酸欠による激痛に襲われる。
(助けて、誰か、た・す・け・て)
さんざん苦しんだ末に量子の意識が飛んだ。
今度は磔台に繋がれる量子。
手足の鎖がどんどんと巻き取られていく。
「い、痛い、痛いよおっ」
手、足、胴の関節が無理やり延ばされ、悲鳴を上げる。
「やめて、やめてえっ」
そして、遂に量子の胴が二つにちぎれた。内臓がビチビチと飛び散る。
「ぎゃあああああ!」
突然、量子は鉄板の上で踊ることに。
周りには槍を構えた西欧風の騎士たちが、量子が鉄板の上から逃げ出すのを許さない。
「あっ、熱い、熱いっ」
鉄板がだんだんと熱くなってきた。裸足の量子は必死に鉄板の上で足を交互に挙げる。
「だめ、もうだめえ」
足の裏に大火傷を負った量子がついに力尽き、熱くなった鉄板の上に身を横たえた。
「ひい、ひいいいいっ」
量子は屋台の焼きそばの如く、全身を鉄板の上でジュウジュウと焼かれていくのだった。
※
「チェリー、量子はいるか!」
「エース、どうした?何でお前がここに」
チェリーはジャンの突然の訪問に驚いた。
「量子なら、10時頃かな?『友達に会いに行く』と言って出掛けたよ」
「遅かったか」
「何かあったのか?」
「量子が殺される」
「何だと?」
ジャンはチェリーに状況を説明した。早い話が「妹の忍が姉の量子の命を狙っている」ということだ。
「それはやばいな」
「チェリー。長野県内の空き家、わかるか?」
「ああ。防犯対策上の理由から全て掌握してある」
「教えてくれ、とにかく大至急、虱潰しで捜索するしかない」
「わかった」
チェリーは長野県警の内部コンピュータにアクセスした。
「これが長野県内の空き家。見ての通り、結構あるぞ」
「その中でホテルとか、大きな施設は?」
「全部で4件だな」
「そのうちの、どれかだと思う。あいつの幻覚能力は一戸建ての中で使うには狭すぎる」
「わかった。二手に分かれて捜索しよう」
「一戸建ての中で使うには狭すぎる」という忍の幻覚能力とは?
量子の死亡回数がまた一つ増えた。今回のそれは「ゴキブリの大群に体中を這いずり回られる」というものだった。目、鼻、耳、口、そして無花果の実の中にまで、ゴキブリがカサカサと入り込むのを感じる量子。
「う、うげええっ」
内包物をすべて吐き出す量子。
「まだまだこれからよ、量子お姉さん」
忍の掌に力が込められる。
「やめろ!そこまでだ」
先に到着したのはチェリーだった。
「これはこれは、お姉さんの旦那さんね」
「お前が忍か?」
「パパから聞いたのね?私のこと」
「もうやめるんだ」
「既に手遅れだったみたいね。あなたの可愛い奥さんは、ほうら、この通り」
力無くソファに座る量子は口から胃液を吐き出し、下半身は排尿によってビチョビチョといった具合に、見るも無残な「変わり果てた姿」をさらけ出していた。
「貴様ー!」
チェリーは忍にトレッキングポールを構えた。
「ふっ」
忍のバカにしたような笑い。それは決して「はったり」ではなかった。
「なに?」
チェリーの目にする景色が変わった。
「ここは、宇宙?」
そう。チェリーの体は何と宇宙空間を漂っていた。忍の幻覚攻撃だ。
「ならば」
チェリーはトレッキングポールを逆手に持ちかえ、自分の右太腿を突いた。
「くっ」
激痛が走る。だが、幻覚は破れなかった。恐るべし、忍の幻覚能力。
チェリーが幻覚と格闘している間に、忍は再び量子に新たなる幻覚責めを加えようとしていた。
「今までのは『私の想像の産物』だったけれど、今度はあなたの実際の記憶の中から『最も思い出したくない事柄』を呼び覚ましてあげるわ」
「男を責めるのは鞭打ちでもいいが、女を責めるのは、やっぱりこれが一番面白いわい」
「誰か、誰か助けてーっ」
「無駄じゃ。ここには誰も助けになど来れんよ。何しろここは治外法権の軍事基地の中なんじゃからな」
史実では、この直後にチェリーが助けるのだが、ここでは兵士たちの凌辱が続く。
「いやあ!」
大粒の涙を流す量子。
数値の上昇が止まった。数値が下がり始める。長時間に渡る行為を受けて量子の気力と体力が落ちたのだ。研究所長は兵士らに命じた。
「数値が下がってしまったぞ。ええい、いつまで前戯を楽しんでおるのじゃ。さっさと一つに合体せい。そうすれば、またきっと数値がぐっと上がるはずじゃ!」
「いやだ、いやだ、いやだあ!それだけは・・・それだけは許してえ!」
数値が爆発的に上昇した。羞恥心によって上昇していた念動力が恐怖心に変わったことで一気に上昇したのだ。研究所長は小躍りせんばかりに大燥ぎ。
「実に素晴らしい!わしは『最高の実験動物』を手に入れたぞ。この娘。虐めれば虐めるほど、より高い能力を出しおる」
そして遂に研究所長が量子を「恐怖のどん底」に突き落とす命令を兵士たちに発した。
「さあやれ!遠慮するでないぞ。この娘を突いて突いて突いて突きまくれ。『これでもかっ』というほど突いてやるのじゃ!」
量子は今まさに「母親と同じ運命」を辿ろうとしていた。
「だめっ、だめっ。中に、中に入れちゃだめえっ!」
「あうう、あううう」
呻き声を上げる量子。そんな量子に忍が話しかける。
「さあ。あなたは、もう死になさい量子。パパは私のものよ。パパの娘は二人もいらないわ」
「忍!」
「パパ?」
ジャンが到着した。
「やあっ」
ジャンはチェリーにかけられた幻覚を解いた。チェリーが宇宙空間から戻ってきた。
「エース」
「チェリー、大丈夫か」
「さすが、お前の娘。凄いサイ能力だ。自力では解けなかった」
「あとは俺に任せろ」
ジャンが忍に向き直った。
「パパ、私を倒すの?」
「そうだ」
「どうして?」
「お前が『悪い子』だからだ」
大好きなパパに「悪い子」と言われ、忍は深く傷ついた。
「違う、違う。私は悪い子じゃない!」
「忍」
「パパなんか大っ嫌い、パパなんか!」
忍の幻覚能力が一気に上昇した。「パパに嫌われた」と思った忍の感情が暴走を始めたのだ。
ホテルの空間全体が漆黒の空間に変貌した。ジャンにもチェリーにもそれが認識できた。そして漆黒の空間に突如、巨大な竜が出現した。これこそが忍の能力。忍は幻覚によって作り出した竜を守護獣として自在に操ることができるのだ。
「そうか、ならば」
ジャンもまた自身を守護する幻覚を作り出した。それは巨大な蠍。
竜VS蠍。
「この勝負、精神力のより強い方が勝つ」
チェリーが呟いた。
「行くわよ、パパ」
竜が蠍に襲いかかる。蠍の鋏が竜の首と胴を挟む。
「そんなもの」
竜が激しく暴れる。そして竜の口から炎が。炎に包まれた蠍が竜を放す。今度は竜の爪が蠍の体に食い込む。蠍の尻尾が竜の脳天を突き刺す。
何という激しい死闘。
「この勝負、忍の方が上か」
チェリーの見立て。実際、蠍は竜に押され始めた。
「くう」
ジャンが片膝をついた。対する忍は余裕とばかりに腕を組んで立っている。
「さようなら、パパ」
忍の攻撃がジャンを襲う。
「なに?」
「な、なんだ?」
幻覚によって作り出された漆黒の戦場に、外部から巨大な力が干渉した。忍の竜もジャンの蠍も共に動けなくなった。二人の幻覚獣を動けなくするほどの巨大な力とは一体?
「こ、これは!」
真っ先にその正体に気がついたのはチェリー。やがて二人もその正体に気がついた。
「量子!」
ジャンと忍の闘いを外部から制止させた力。その源を発しているのは他でもない、量子の念動力だった。
「二人とも、もう戦わないで。お願いだから」
「量子・・・」
「お姉さん・・・」
やがて竜も蠍も消えた。漆黒の戦場は元のラブホテルの一室に戻った。そして念動力を使い切った量子もまた、その場に倒れた。
「量子!」
チェリーが量子を抱きかかえる。量子は既に気絶していた。忍がそんな量子を眺めながら呟いた。
「バカな。私の幻覚責めによって、とっくの昔に精神が崩壊しているはず。なのに、なぜ?どうして」
ジャンが忍の疑問に答える。
「それは妹であるお前と『仲良くしたい』という、姉としての気持ちからだろう」
「そんな」
「お前は姉である量子を憎んだ。でも量子は、そんな妹であるお前でも心から愛していた。量子はお前の気持ちが晴れるまで進んで、お前の責めに耐えようと思ったのだろう。そして、『愛は憎しみに勝る』ことを必死に証明しようとしたのに違いない」
「うう・・・私は・・・負けた」
忍は自身の敗北を悟った。
「でも、私は嫌いよ。お姉さんなんか・・・大っ嫌いよ」
忍は泣いた。泣きながら必死に反抗した。
「だって、ママが死んだのは、お姉さんのせいだもの。お姉さんが『パパの愛』を独り占めしたから、ママは自殺してしまったんですもの」
「・・・済まなかった。パパが悪かった」
ジャンは忍を抱きしめた。記憶を取り戻したジャンから受ける初めての優しい抱擁。
「パパあ、パパあっ!」
忍は父親・ジャンの腕の中で、ひたすら泣き続けた。
その後、忍はその類いまれなる幻覚能力を買われて、Kの下で手腕を発揮することになった。ニッポンが愚かな戦争に敗北。Kが中道政府の2代目首相に就任した時には第二秘書となった。
そして。
「ともかく、これは命令だ。反問は許さない!」
「・・・はい」
忍は現在、コックローチの副長として、量子の娘・樹音たちとともに、ニッポンの平和のために活躍する。
次回予告
都心で連続レイプ事件が発生した。
その手口が何とも謎。事件を隠すどころか、むしろわざと「事件が発覚する」ようにしているとしか思えない。
それこそが犯人を絞り込む材料となった。果たして犯人とは?そして、その呆れるような「理由」とは?
コックローチの怒りが燃え上がる。暗殺集団としての「腕の見せ所」だ。
新・コックローチ5
お楽しみに。
5
深夜の警視庁。
「どうした一磨。この程度でギブ・アップか?」
「いえ、まだまだ」
「よし。来いっ」
「いやあっ」
警視庁内の剣道場では一磨がジミーを相手に剣道の猛特訓を行っていた。
これは昨日今日に始まったのではない。結団式以降、時間があれば一磨は帆乃香と一緒に深夜、警視庁を訪れ、ジミーの指導を仰いでいた。一磨は、かつて望が剣の名手でありながら高校時代には柔道部に所属したように、自らの弱点を克服するために進んで剣道を学ぶことに決めたのだ。
一磨の弱点は「相手との間合いを測る」こと。柔道を得意とする一磨は敵と戦う際、いち早く「相手の懐に飛び込む」癖がある。柔道の試合ならば、これは優れた才能だ。だが、生死を賭けた実戦においては、これは時に「危険」でもある。コックローチの闘いにおいては相手が必ずしも「素手である」という保証はない。いや、むしろ何がしかの武器を所持している場合がほとんどといっていいだろう。仮に素手でも、着衣の下に凶器となる武具を着込んでいる可能性もあるし、たとえば「歯で噛みついてくる」「口に含んだ毒を吹きかけられる」といったケースも考えられる。素早く敵の懐に飛び込める一磨の能力は成程、実に素晴らしいものだ。だが、実戦においては敵の武器の特性を見抜き、それに見合った間合いを取ることが重要なのだ。
一磨は木刀。ジミーは竹刀。両者の武器の違いは、そのまま「実力の違い」を物語っていた。ジミーは長野県警においてシーバスの片腕だった男。そして、シーバスが自分の妹の「お相手」として認めた男でもある。実力は推して測るべしだ。
「その程度じゃ、望には歯が立たないぞ」
この言葉。一磨が一番燃える言葉だ。
「はあっ」
一磨が飛びかかる。ジミーが受ける。ジミーは一度たりとも一磨の攻撃を浴びない。
「そら」
ジミーの竹刀が、いとも簡単に一磨の体を撃つ。ジミーの手の中の物が、もしも木刀だったら、一磨はとっくの昔に全身骨折になっているだろう。
当然の話だが、実戦においては面・胴・小手だけでなく、肩だろうが足だろうが敵は攻撃してくる。だから敵が足を攻撃してくる場合には素早く足を引いて回避し、回避した足を踏み込みながら相手の体を突くことが重要となる。逆にいえば、これができるならば、どこを攻撃されてもそれを回避して直ちに攻撃に転じることができる。引いて突く。この型を体に覚え込ますのだ。常に「自分の間合い」で戦う。シーバスやジミーの基本型はこれだ。ニッポンでは馴染みが薄いが、海外では剣道よりも「スポーツちゃんばら」が盛んであり、これはその基本型でもある。
一方、チェリー&望の剣術はそれとは全く異なる型を持つ。彼らは敵の攻撃を回避する代わりに「受ける」。しかも、受けた時の敵との接点を「力点」にして体を回転させたり、飛んだりする。つまり、相手の攻撃の力を積極的に自身の攻撃に利用するわけだ。これは「合気道」を考えると判りやすい。難易度は当然、高い。
たとえば自分の平突きに対し、敵が抜刀術で自分の剣を掃おうとしたとしよう。剣が触れた瞬間、敵の抜刀術の力をそのまま利用して回転袈裟切りをするのがチェリー&望の剣術だ。それはつまり剣術の中で最強・最速といわれる抜刀術さえも「通用しない」ことを意味する。チェリー&望が「最強の剣客」である所以がここにある。
ジミーは一磨にこの場において「柔道技」を使うことを許していた。隙あらば「自分を投げ飛ばす」ことを認めていた。使える技は何でも使う。スポーツのようなルールなどは一切ない。「卑怯」だろうがなんだろうが、やったもん勝ち。それが「実戦」というものだからだ。
だが一磨はジミーの懐に飛び込めない。否、何度も懐に飛び込んではいる。しかし、そのような場合には、いつも決まってジミーの「足蹴り」を喰らうのだった。
竹刀を手にしているが、実はジミーが本当に得意とするのは剣ではなく「槍と鞭」だ。そして槍にせよ鞭にせよ、間合いを詰められた際の防御は弱い。それを補うためには足技が欠かせない。そんな理由からジミーは足技も巧みなのだ。
「おらおらおら」
シーバス譲りの三段突きが一磨を襲う。一磨の体が道場の白線の外に飛ばされた。
「立て、一磨!お寝んねするのは、まだ早いぞ」
ジミーは一磨には、ことのほか厳しい。その理由は明白である。ジミーは一磨を「男」として認めていないのだ。
秋葉原の一件(暴走族グループ、レッドサンのこと)はジミーも知っていた。ジミーは帆乃香を護れなかった一磨を男として軽蔑していたのだ。その点ではジャンやチェリーの方がむしろ一磨に同情的であった。なぜなら、ジャンとチェリーには「愛する人を護れなかった苦い過去(コックローチ参照)」があったから。
ジミーには、そのような経験はない。愛する女性を命がけで護ることは「男として当たり前」と考えていた。そして息子の望は、そういう男に成長している。アイドル好きのおちょうし者だが、樹音をしっかりと護っている。
だからジミーは一磨もまた「愛する女性を護れる強い男」に育てることを腹に決めていたのだ。仮にも自分の弟子ならば、それが当たり前というわけだ。そしてそれは「一磨の望むところ」でもあった。
「はあはあはあ」
どうにか一磨が立ち上がった。
「さあ、来い」
「いやあ」
一磨がジミーに向かっていった。
一方、一磨と一緒にやってきた帆乃香は別の階でサイバーテロ特別班のメンバーから「ハッキングのやり方」などの伝授を受けていた。犯罪組織のコンピュータに侵入することはコックローチの情報収集担当ならば出来て当たり前。警視庁のサイバーテロ特別班に所属する「プロ中のプロ」から教わるのだから、頑張れ、帆乃香。
班の性質上、ここには女性警官が多い。彼女たちは帆乃香の受けた屈辱的行為に対し、実に「冷淡」だ。
なぜなら、ここにいるメンバー全員、何がしかの相手にレイプされた経験があるからだ。 女性警官が悪の組織に潜入することは捜査として別段、珍しい手法ではない。そしてひとたび敵に正体がばれてしまえば、拷問・レイプを受けるのは必然であった。その後に殺害された者も少なくない。
「私なんか、敵に捕まって集団レイプされた後、南アジアの国に奴隷として売られそうになったんだから。かろうじて助かったけど」
だから、帆乃香の屈辱など、ここでは別段「珍しいこと」ではなかった。そして逆に同じ体験をしているがゆえの「真の同情」が、ここにはあった。帆乃香は「可哀想に」と慰められるようなことはなかったけれど、その一方で「いつまでもメソメソ泣いてんじゃないよ」といった叱咤激励を沢山受けたのである。
「あんたは幸せだよ。普通、集団レイプされた女なんか、男に捨てられて当たり前なんだから」
恐らく、この人はそうだったのだろう。
(そうだ、自分には一磨がいる。一磨は自分を心から大切に思ってくれている)
帆乃香は自分の心が癒されていくのを感じた。
(ここに来て本当に良かった。コックローチのメンバーになって本当に良かった)
心から、そう思える帆乃香だった。
そんな帆乃香に女性警官が釘を刺した。意地悪と言えば意地悪。「彼氏がいる」ことに対する嫉妬か、はたまた帆乃香が「美人である」ことに対する嫉妬か?
「犯罪組織を相手に戦う以上、あんたも覚悟するんだね。今後も敵に捕らえられて集団レイプされるくらいのことは」
※
コックローチの敵は何も「右翼テロリスト」だけではない。麻薬密売組織や、女性を狙った犯罪者など、ニッポンの平和をかき乱す相手ならば、誰とでも戦う。
そもそもニッポンは世界的に見ても「男尊女卑」の著しい国だ。それはマスメディアによる報道を見れば一目瞭然だ。女性が犯罪事件の被害者や加害者である場合には「プライバシーへの配慮」などどこへやら、連日のように顔写真や動画を流しまくる。まさに女性を見世物とする「セクハラ報道」である。そして、こうした報道は右翼政府の時代は当然のこと、残念ながら中道政府の今も絶えることがない。本質的に「ニッポンの男はスケベだ」ということなのだろう。
また「美人」でありさえすれば、いとも容易に「スターになれる」のも、これまたニッポンの特徴である。やれ美人アナウンサーだの、美人プロゴルファーだの、美人囲碁棋士だのといった具合に「美人〇〇」という肩書をマスメディアから頂けるルックスの持ち主でありさえすれば、その分野における実力がどんなに低かろうが、才能が乏しかろうが、そんなことは一切関係なく「アイドル」としてチヤホヤしてもらえるのだ。実力が低く、才能が乏しい女性が「美人である」という理由だけでスターダムにのし上がり、その分野における「ヒロイン」としてもてはやされる。こうしたマスメディアによる行為が結果として「女性はルックスが全て」という女性蔑視の世論を生み出す元となっているのだ。ようするに「女性は男のスケベ心を満たすための道具」というのが、ニッポンのマスメディアの共通見解であり、それ故に、ニッポンの男は世界で最も「スケベ」なのである。或いは、ニッポンの男は世界一スケベであるがゆえに、ニッポンのマスメディアは「女性を見世物にする報道や番組作りが大好き」なのだともいえる。こうしたニッポンの男のスケベぶりを思う時、従軍慰安婦が「日本軍の強制であった」という主張には大いに説得力があり、否定する余地などないように思われる。
ともあれ、こんな「スケベ男の国・ニッポン」であるから、女性を狙った犯罪はそれこそ枚挙にいとまがない。
深夜の中野。
「ううっ、ううーっ」
住宅街にある公園の中で、まさに一人の若い女性が変質者によってレイプされていた。口にはガムテープ。手には手錠。女性は公園内にあるジャングルジムに手首を繋がれていた。
「はあ、はあ、はあ」
必死に腰を突き動かす。
「ふう、気持ち良かったぜ」
変質者がズボンを穿き直す。
「じゃあな、あばよ」
変質者は女性をそのままにしてその場を立ち去った。女性は翌朝、ジャングルジムに繋がれた状態で発見された。
翌日深夜の高田馬場。
「ううっ、ううーっ」
やはり住宅街にある公園の中で、一人の若い女性が変質者によってレイプされていた。これまた口にガムテープ。手には手錠。女性は公園内にあるブランコに繋がれていた。
「はあ、はあ、はあ」
必死に腰を突き動かす。
「ふう、気持ち良かったぜ」
変質者がズボンを穿き直す。
「じゃあな、あばよ」
変質者は女性をそのままにしてその場を立ち去った。女性は翌朝、ブランコに繋がれた状態で発見された。
同様の事件がその後も2件発生した。特徴はレイプした女性を現場に繋いだ状態で立ち去ること。「誰かに発見させるため」であることは間違いない。つまり「レイプ事件があったことを多くの人々に知らせたい」というわけだ。あるいは「レイプした女性を晒しものにして辱めたい」ということか。
なぜ?目的は?
銅鐸の塔。
「これはマスコミ関係者による『自作自演』だな」
望はそう断言した。
「つまり、マスコミ関係者の誰かが『報道のネタ』として自ら性犯罪をプロデュースしているんだ」
実際、この事件が発生してから、どこのテレビ局の報道番組も軒並み視聴率を上げていた。ニッポンのオトコはスケベで「性犯罪」に対する関心がすこぶる高いから、これは当然の現象といえよう。
「確かに、その可能性は限りなく高いわね、望くん」
副長の忍は望の意見に賛同した。
「ということで、問題は犯人がどこのマスメディアに所属する者かということ。帆乃香」
「はい。既に分析はできています」
「で、結果は?」
「4件のレイプ事件、全てにおいて最も早く報道し、かつ最も内容が細かいのが『ジパングテレビ』です。視聴率も一番獲得しています」
「ジパングテレビ」
テレビ局による「自作自演事件」は過去に、いくつも例がある。新幹線のシートに仕込まれた縫い針や、ボーガンの刺さったカルガモ。沖縄のサンゴ礁を取材陣が破壊、「何者かがサンゴ礁を破壊しています」などと報道をしたこともあった。
だが、それらと比べても今回の事件は、その「卑劣さ」が抜きんでていた。うら若き乙女をレイプするなどとは。
取り敢えずターゲットは決まった。ジパングテレビの関係者の身辺調査だ。
だが、この調査はくれぐれも慎重に行わなくてはならない。知られれば、ジパングテレビは「報道の自由の侵害だ!」と声を荒げて主張するだろう。しかも、本当に犯人がジパングテレビの関係者であるならば、身辺調査されることをある程度、予測もしているだろう。
「だから警察ではなく、我々が動くのですね?」
一磨が忍に尋ねた。
「そうです。幸い、我々の中にテレビ局の中に入れる人もいますし」
無論、樹音のことだ。
「樹音。頼むわね」
「わかりました」
※
現役大学生ということもあって、最近の樹音はテレビのクイズ番組で引っ張りだこだ。学力とは無縁の美術系の大学に通う樹音が東大卒・京大卒といったインテリ芸能人をやっつけて優勝をかっさらう姿が視聴者には小気味良いらしい。
もとより樹音はあのチェリーの娘だ。歴史や美術に関する知識は「無敵」といってもいい。樹音の強みは歴史上の人物の業績だけでなく「人間関係にまで精通している」ことだ。たとえば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」と言えば、ミケランジェロ・ラファエロとともに「盛期ルネサンス三大巨匠」のひとり。メディチ家とは仲が良かったが、ローマ法王・ユリウス2世とは仲が悪かった。ユリウス2世の後を継いだのがレオ10世で、マルティン・ルターと宗教論争をした。そんな二人の仲介役を買ったのが神聖ローマ帝国皇帝・カール5世。そんなカール5世の天敵がフランス王・フランソワ1世。そのフランソワ1世が敬愛した画家がレオナルド・ダ・ヴィンチで、その招きを受けた結果、モナ・リザは今日、フランスにある・・・といった具合である。
もともと幼少の頃より樹音は「偉人伝」が大好きであった。芸能人やスポーツ選手の話題には全く興味を示さず、ひたすら「偉人の物語」を好んだ。そんな樹音ゆえに、たとえば「マリア・テレジアが最愛の妹を死なせた医者を責めず、むしろ厚遇した話」とか「エリザベス女王がインドの賓客と一緒にウォーターボールの水を飲んだ話」などの人道的エピソードならば、いくらでも知っていた。
そして樹音はジャンの孫でもあるから漢字もすこぶる強い。「海驢・膃肭臍・胡獱」を「アシカ・オットセイ・トド」と軽々と読むばかりか、軽々と書ける。
その結果、樹音自身は人間性を度外視した知識量による人物評価などバカバカしいと拒絶するにもかかわらず「ソフトQQ(情報知識・クイズ・クィーンの三つの言葉を組み合わせた造語)」なる渾名を勝手に付けられ、クイズに出演するたびに一流大卒のインテリ芸能人らから「挑戦状」を叩きつけられる始末だ。
それでも、自分がクイズ女王として君臨する「社会的意義」があるとすれば、それは人間の価値は「知識の豊富さ」でもなければ、ましてや「学歴の高さ」などでは絶対にないということを知識や学歴を基準に人物を評価する短絡思考の視聴者に対して「そうではないんだ」と見せつけることができることだ。誠に皮肉ではあるけれど。
中途半端に賢い人間は学歴や学力を鼻高々自慢する。だが、本当に優秀な人間はそんなものを自慢したりはしない。それらを用いて成し遂げた「社会貢献」こそが誇りであることを知っているからだ。また、優秀な人間にとっては美食三昧に走らない、贅沢三昧に溺れない、ながらスマホで道を歩かない、ゴミを路上にポイ捨てしないといった「高い人間性」の方がずっと重要でもある。なぜなら勝利の人生とは「人間性の完成」に他ならないからだ。これを逆にいえば、敗北の人生とは「人間性の破壊」である。
立身出世の道から外れたことで社会に対して「卑屈」になり、
モラルやマナーを守らなくなってしまった人間。
立身出世の道を進んだが故に「勝ち組」を気取り、
庶民蔑視になってしまった人間。
これらはいずれも「人生の敗北者」の姿に他ならない。なぜなら「人間を堕落させてしまった」という点において、両者は全く等しい存在だからだ。たとえ今世において立身出世したからといって、人間性を大きく後退させてしまった結果、来世はゴキブリかドブネズミにしか生まれ変われないのであれば、そのような人生がどうして「勝利の人生」だなどと呼べよう?来世もまた人として生まれ変われることが約束されてこそ「勝利の人生」と言えるのではあるまいか?人間性の向上こそが「人生の目的」であり、それなくしては真の勝利の人生など決してあり得ない。永遠に生死を繰り返す「因果の理法」という宇宙の大法則から見れば、エリートやインテリと呼ばれる人々とて、その多くは人間的に堕落した結果、来世では人間として生まれ変わることのできない「負け組」にすぎない。福沢諭吉は『学問のすすめ』において、立身出世や富の集積の実現をもって満足している器の小さい人間を「蟻の門人」と呼んだ。まさにクイズ番組で自分の学歴や学力を鼻高々に自慢しているインテリ芸能人のことだ。その中には悲しいかな福澤諭吉が創設した大学を卒業する者も少なくない。「師敵対」もいいところである。
大切なのは知識が豊富なことではなく、知識を自分の人間性の向上に役立てられているかどうかである。そして向上した人間性によって広く社会に貢献することである。
これらこそが、樹音がいつだって「自分のファンに伝えたいこと」に他ならないのである。
今日はジパングテレビ系列で放映されるクイズ番組「クイズのQちゃん」の収録日だった。正直な話、樹音はこの番組が好きではない。出演者は皆「自分は名門大卒のインテリだ」といった態度がむき出しの、見るからに庶民蔑視の鼻もちならない勝ち組気取りのタカビー連中ばかりだし、局の方針もまた、そうした名門大卒者をことさら「インテリ芸能人」と呼んでヨイショするからだ。出題される問題にしても、歴史的人物は伊藤博文、作家は志賀直哉、歴史は日露戦争、観光名所は伊勢神宮、世界遺産は軍艦島が毎回のように取り上げられるといった具合で、「クイズを利用した右翼思想宣伝番組」であるといっても過言ではない。
(このイカレたテレビ局なら、自作自演のレイプ事件を引き起こしたとて何ら不思議ではない)
樹音もまた望同様、そのように思う。
樹音が控室に入った。
樹音以外に松本マネージャーとヘアメイクの望。
望?そう。今日は特別に「ヘアメイク」という名目で望を連れてきたのだ。勿論、その正体は「コックローチのスパイ」だ。
「望、気を付けて」
「任せとけ、樹音。お前はいつものように名門大卒のインテリ芸能人どもをコテンパンにやっつけて来い」
樹音はそれには答えず、松本マネージャーとともに収録スタジオへと向かった。
「さてと」
早速、望はスマホを見る。無論、メールを見るためでもなければ、ゲームをするためでもない。見ているのは事前に調べておいたジパングテレビの内部見取り図。潜入するべき場所は既に決めてある。あとはそこへ最短距離で向かい、組織ぐるみの犯行であることを示す「確固たる証拠」を入手した後、速やかにここへ戻るだけだ。
番組の収録が始まった。最近やたらとテレビに出演している女性フリーアナウンサーが「早○田卒」であることを、ことさら鼻にかける。思わず樹音が突っ込む。
「さっきからあなたはご自分が早○田出身であることをせっせと自慢なさっていますけれど、大学の創設者が政治家時代、郵便汽船事業の斡旋利得でシコタマ『あくどい金儲け』をしていた話はご存知?」
女性フリーアナウンサーは樹音をキッと睨んだ。おお、怖っ。だが、これが樹音だ。ついつい言わなくてもいい「ひとこと」を言ってしまう。しかもそれがたびたび「核心を突く」のだから恐ろしい。
望がスマホをかけた。相手は銅鐸の塔の帆乃香。
「帆乃香、準備はいいか?」
「大丈夫だと思う。ちょっと廊下に出て見て」
望は廊下に出た。
「大丈夫。映っていないわ」
「よし」
ジコマン&ダッチャンお得意の遠隔操作によるカメラジャック。帆乃香は初めてこれを試した。警視庁で学んだ成果が活かされた。警備室のモニターには前もって録画した「人が誰もいない静止画像」が映されている。
望が動き出した。望は目的の場所へ向かって走った。
「ここだ」
報道企画室。ここに報道番組に関する企画書があるはず。
中には多数の報道関係者がいた。望は扉をそっと開くと麻酔ガスを噴射する発煙筒を数本、床に転がした。報道関係者は全員、麻酔ガスを吸って眠りについた。
「さてと」
望は片端からデスクの引き出しを開いた。
「くそ、ないなあ」
必死に探す望。だが、それらしき書類は見つからない。
次々と成績の悪い解答者が脱落。残り時間20分を前に成績上位者の5人のみとなった。そして、その中に樹音もいた。樹音は望のことが心配で、クイズなど全くの「うわの空」なのだが、それでも残った格好だ。
だが今回、樹音は圧倒的に不利だ。なぜなら、ジパングテレビで放映されている朝のワイドショーを担当する東大卒が売りの女性キャスターに「局の宣伝」も兼ねて花を持たせるべく前もって番組スタッフの方から「最終問題の答え」が教えられているからだ。
果たして、結果は?
「望、どうだった?」
番組の収録が終わり、樹音が控室に戻ってきた。望は既に控室に戻っていた。
「だめだった。収穫ゼロ。そっちはどうだった?」
樹音のあとに松本マネージャーが控室に入ってきた。その手には、いつものごとく優勝トロフィーと商品。
「また勝ったのか。手加減してやれよ、樹音」
「最終問題が美術だったから『わざと間違える』のも何だと思ってさ。いつものタカビーな女性キャスターが、あらかじめ答えを教えてもらっていたようだけど、名前が長すぎて覚えきれなかったみたい。それっぽいことは言ってたけど」
「どんな問題だったんだ?」
「絵を三枚見て、三人の女性画家の名前を答える問題。ジョージア・オキーフ、フリーダ・カーロ。ここまでは答えてたけど、最後を間違えた」
「で、正解は?」
「アルテミシア・ジェンティレスキ」
「は?アルテイシア・・・」
「それはガ〇ダム」
「難しいな」
「帰るよ望。次の作戦、考えなきゃ」
翌日。
「こうなったら『囮捜査』しかないわね」
「囮捜査?」
「そう。私と帆乃香で夜中に人通りが少なく、近くに公園がある場所を歩く。上手く引っ掛かるかどうかはわからないけれど」
「俺じゃダメかな?」
そう言いだしたのは望。
「女装すれば、それなりに見えるんじゃないかしら?ウフン♡」
「うげっ」
「『うげっ』って何だよ、一磨」
「気持ち悪い」
「ったくう」
「だったら私のスカート貸してやるよ、望」
「樹音じゃダメだ。ウエストが細すぎる。帆乃香なら行けそうだ」
「それって『私のウエストが太い』って意味かしら?望くん」
「そうじゃなくて、帆乃香は樹音よりもずっと背も高いし、ノースリーブのワンピースだったらいけると思っただけだよ」
「ほんとにい?」
「ほ、ほんと、ほんと」
「じゃあ、私と帆乃香と望が囮ね。一磨は帆乃香を見張って。樹音は、今夜は仕事で動けないから」
「副長は?」
「私は心配いらないわ」
「でも、女性一人では」
「叔母さんは一人で大丈夫。樹音が保証する」
樹音以外は忍の幻覚能力について、まだ知らない。
「なんか怖いわ」
一磨が見張ってくれているとは知りつつも、帆乃香はビクビクしながら深夜の目黒を歩いていた。
深夜だからわからないが、帆乃香は今、全長8,5mのサナダムシの剥製で有名な寄生虫博物館の前を過ぎたところだ。
そして帆乃香は、この辺りから何やら「怪しい視線」を感じていた。
(ひょっとして、来た?)
帆乃香は大通りを離れ、住宅街の中に入った。その後、100mも歩いただろうか?
「うっ」
突然、帆乃香は後ろから口を塞がれた。
「ううーっ」
そのまま帆乃香は近くの公園まで連れて行かれた。帆乃香は公園の中にある滑り台の手すりに手錠で繋がれた。帆乃香は、まるでぶら下がり健康器にぶらさがっているような格好を晒した。
「ううーっ」
変質者が帆乃香への凌辱を始める。
(一磨、なにしてるのよー。早く来てー)
だが、一磨はなかなか来ない。
(いやだあ。早く助けてえ)
その頃、一磨は必死に帆乃香を探していた。自動販売機でコーヒーを買っている間に帆乃香が住宅街に入ってしまい、見失ってしまったのだ。
変質者が帆乃香のパンティを下ろす。必死に足をばたつかせる帆乃香。変質者がそんな帆乃香の腹を殴る。
「ううっ!」
ぐったりする帆乃香。変質者は帆乃香のパンティを下ろした。続いて自分のズボンのジッパーを下ろす。
またも帆乃香はレイプされてしまうのか?まったく頼りにならない男だ、一磨という奴は。
結局、帆乃香は変質者と合体してしまった。今までレイプした女の中でも「一番の美女」ということで、変質者も勇んで腰を動かす。早くも「女性警官の忠告」が現実となった形だ。
一磨が公園に到着したのは、まさにそんな時だった。
「くそう」
帆乃香との結合を解いた変質者はナイフを構えると、下半身を露出した状態のまま一磨に襲いかかった。
「ふんっ」
一磨は変質者の攻撃を躱すと、直ちに「十字固め」に持っていった。首を締め上げられた変質者は呼吸を封じられ、1分ほどで気絶した。
「帆乃香、大丈夫か?」
一磨は帆乃香の手錠を外した。
「大丈夫じゃない!」
自らガムテープを剥がした帆乃香の第一声は、まさにこれだった。
「一磨、遅い!」
帆乃香が怒る。当然だ。
「もうこんなの、嫌だあ」
帆乃香が、しくしくと泣きだした。
「ごめんよ、帆乃香」
一磨は帆乃香をしっかと抱きしめながら謝った。いつになったら一磨は「帆乃香を護れる男」になれるのだろう?こんなのがばれた日には、またジミーからこっぴどくしごかれるぞ、一磨。
「一磨・・・」
今の帆乃香には犯人の子どもを妊娠してしまうかも知れない危険があったが、それでも帆乃香は一磨に抱かれると穏やかな気持ちになるのだった。
「で、こいつ、どうするの?」
「そうだ」
忍と連絡を取る。
「『渋谷の秘密基地に連れて来い』ってさ」
かくして、変質者は渋谷の秘密基地へと連行された。
「うわああああああっ!」
渋谷の秘密基地では直ちに変質者に対する「拷問」が行われた。
「警察が、こんなことしていいのかよお!」
「残念。私たちは警察じゃないのよ」
その通り。コックローチは「暗殺集団」。拷問は当たり前なのだ。
変質者が受けている拷問。それは、かつてチェリーが鮎美にされた拷問と同じものだ。
「痛い、痛い、切れるー!」
「さあ、吐きなさい。あなたのボスは誰?」
忍が変質者のマツタケを擦る。結束バンドによって固く縛られた変質者のマツタケが膨張する。
「うぎゃあああっ!やめてくれえええっ!」
「もう一度訊くわ。あなたのボスは誰?」
「わかったあ、言うよっ、言うよおおおっ!」
「ジパングテレビが絡んでいることは、これではっきりしたわ」
「でも、あいつの証言だけでは、しらを切られるだろう」
「どうする?」
「わたしたちはコックローチ。警察じゃないわ。もとより犯人を『法の下に裁かせる』必要はないのよ」
「そうと決まれば」
「一人残らず」
かくして、コックローチが動き出す。本来の姿である「暗殺集団」として、汚れた大都会の中をカサカサカサと走り回るのだ。
最初のターゲットは朝8時からの報道番組のキャスターを務めるフリーアナウンサー。
さすがは朝の報道番組のキャスター。神奈川県稲村ケ崎に大層、立派な豪邸を構えている。恐らく時価にして5億円は下るまい。そして車庫にはメルセデスベンツSクラスとフェラーリV8。これで日頃は「貧しい庶民の味方」を気取って番組の中では政治家を「贅沢な暮らしを貪る連中」と批判しているのだから、呆れてものが言えない。
そのフリーアナウンサーをつけるのは望。望がスマホでどこかへ電話をかける。
「もしもし、俺だ」
「今、どこにいるの?」
電話の相手は樹音。時刻はちょうど昼の12時。報道番組を終えておよそ2時間。
「豊洲(新東京都中央卸売市場)にいる。奴は今、高級寿司店で昼食を摂ってる」
「さしずめ『最後の昼餐』ね」
「やっぱり悪党ってのは美食グルメで舌が肥えているんだな。舌が肥えいてるから『口先だけの綺麗事』をカメラの前でベラベラ話せるってわけだ」
およそ美食に舌が肥えた人間の口からは「真実」など語られないものだ。
「奴の車の種類とナンバー教えて。先に駐車場で待機するから」
「了解。車は最新型のメルセデスベンツSクラス。色は紫。ナンバーは88-88と」
「ありがとう」
それからおよそ40分が経過。
「樹音。奴が出てきた。まっすぐに駐車場へ向かって歩いてる」
「わかった」
黒マグロの大トロ、ノドグロ、アワビなど一般庶民の口には決して入らない高級食材で腹を満たしたフリーアナウンサーが自分の車の場所へと歩いてくる。そして運転席のドアを開けた瞬間。
「何だ?」
後ろから望がフリーアナウンサーの両肩を掴む。望はフリーアナウンサーの体を右へ45度ひねった。
そんなフリーアナウンサーの前には樹音。樹音は左足を軸に体を回転させた。
樹音の回転蹴り。樹音の右足のハイヒールの踵がフリーアナウンサーの心臓を撃ち抜いた。無論、ただのハイヒールではない。先端にマグネシウム合金の石突きを嵌め込んだ「トレッキングポール仕様」だ。
「うっ、ううー!」
樹音の攻撃の直後、望は素早くフリーアナウンサーの口を塞ぐ。悲鳴など上げさせるものか。間もなくフリーアナウンサーはこと切れた。その後、望はフリーアナウンサーをメルセデスベンツの運転席に座らせる。背もたれを若干寝かせ、姿勢が崩れないようにする。
「これは俺からのプレゼント。地獄で使ってくれ。火炎地獄の炎で眩しくないように」
望は自分がしていたサングラスをフリーアナウンサーにかけた。無論、カモフラージュの一環だ。フリーアナウンサーの目は、ぐっと見開き「激痛と恐怖」をあからさまに表現していたから。
ドアを閉めて暗殺は無事に終了。二人は直ちに現場を離れた。
「腹減ったあ。ずっとつけてたから、昼飯まだ食ってないよ」
「私だってまだだよ」
「どっかで昼飯食おうぜ。どこがいい?」
「神田の三省堂の横にあるファストフードでいいよ。ついでに御茶ノ水で楽器屋、覗こうよ」
「オーケイ」
同じ頃。
フリーアナウンサーとは昵懇の間柄にある番組ディレクター。彼には番組終了後に必ず食べに行く、お気に入りのグルメ店があった。そして今日も当然のように、そのグルメ店で昼食を摂っていた。
「ここ、いいかしら?」
「ええ、どうぞ」
ディレクターに合席を申し入れたのは若い美女。歳は20歳から25歳くらい。パステルカラーの超ミニのワンピース。腰は括れ、胸元は肌が大きく露出していた。そして髪は「これでもか」というくらいに派手なパーマをかけ、まるで青竹打ちの平打ち縮れ麺のよう。
ゴクリ。
ディレクターは早速、合席になった女性に名刺を見せた。
「自分は実はテレビ局の職員で・・・」
自分と懇意になれば「テレビ出演も夢ではない」という話だ。
「今度、プロデューサーに紹介してあげるよ。でも、その前に・・・」
ようするに「一発やらせろ」ということだ。ニッポンのマスメディア界では実に「良くある話」だ。
美女は話に「乗った」。
昼食後、美女はディレクターの車の助手席に乗った。ディレクターは車を千葉方面へと走らせた。
「新小岩じゃないの?」
「スキャンダルは御免だからね。いつも利用しているラブホテルが千葉にあるんだ。そこは防犯カメラがなくてね。プライバシーを重んじる私たちのような業界の人間にとっては実に都合がいいんだよ」
「ふうん」
錦糸町から京葉道路に乗ったポルシェ・カイエンは穴川で降りるとT字路を右折。一本目の交差点を今度は左折。総武本線東千葉駅方面へと向かう。目的地は、まさにその東千葉駅に隣接するラブホテル。そのラブホテルは、まるで洋上に浮かぶ豪華客船のような姿をしていた。
「シャワー、浴びてくるわね」
個室に入ると美女は直ちにシャワー室へと向かった。ディレクターは、すかさず美女のハンドバッグの中身を確認する。免許証や社員証によれば、どうやら大手町の銀行で働くオフィスレディらしい。これらを見て安心したディレクターは服を脱ぎ捨てるとダブルベッドに入った。
「早く出てこい、早く出てこい」
10分後、美女がバスタオル一枚の姿で出てきた。
「あなたも、シャワー浴びてきて」
「わかった」
しょうがないなあと思いながらもディレクターもシャワー室に入った。
数分後。
「お待たせー」
ディレクターが出てきた。ダブルベッドの上には毛布を頭から被った美女がいた。
「ほれほれ」
毛布の上から指でつつく。毛布が、もそもそと動く。
「恥ずかしがってないで、出てきなさーい」
「じゃあ、遠慮なく」
「えっ?」
毛布の中から出てきたのは美女ではなく男。男は全裸のディレクターを羽交い締めにすると、頭を180度ひねった。ディレクターは悲鳴を上げる間もなく直ちに絶命した。
窓際のカーテン裏から美女が出てきた。
「やったね」
「ああ。今頃は豊洲でも一仕事終わっているだろう」
美女と男。いうまでもなく帆乃香と一磨。当たり前のことだが、仕事で使用する帆乃香のハンドバッグの中身は全て偽名品だ。
「長居は無用。とっとと、ずらかろう」
二人は非常口から退散した。
最後の標的は番組プロデューサー。これまた過去に、いろいろな人気番組(俗物趣味のくだらない番組)を手掛けていたとあって都心に大層、豪奢な家を構えていた。家に表札はない。この家の主がジパングテレビのプロデューサーだと知っているのは芸能人など、一部のセレブ達だけ。そのセレブ達に対してプロデューサーは「他言無用。他人に話した者は二度と此処へ出入りすることを禁じる(自分が担当する番組には二度と出演させないということ)」と厳命していた。
だが、コックローチにそんな隠しごとなど通用する筈もない。「殺人予告状」がプロデューサーの邸宅の玄関に届けられた。玄関に置かれた小包の中身は既に鬼籍に入っているフリーアナウンサーとディレクターのスマートフォン。それを見たプロデューサーは「このまま家にいては拙い」と判断、直ちに逃亡を計画した。国内?いや、海外の方が安全だ。プロデューサーはテレビ局に長期の休みを申し入れ、ひとまず海外へ身を隠すことに決めた。
プロデューサーの運転するレクサスLSが一路、成田空港を目指す。車は湾岸道路から東関東自動車道へ。
車が佐倉市内に入った、その時。
「うわあっ」
プロデューサーを幻覚竜が襲う。ハンドル操作を誤った車は左のガードレールに激突した。
救助を装い、忍が車に近づく。運転席のドアを開ける。
「ううっ」
まだ息がある。とどめを刺す。プロデューサーの額に手を乗せ、幻覚攻撃。
「うあああああっ!」
プロデューサーは僅か1回、幻覚の中で殺されただけで、いともあっけなくショック死した。というか、これが普通。その顔はまさに「悪党の死に顔」にふさわしい恐怖の中で苦しみ抜いた実に醜い形相をしていた。
それにしても、忍はなぜ、この時間に、この場所でプロデューサーの車をピンポイントで待つことができたのだろう?無論、後をつけさせていたことは事実だ。だが、このプロデューサーは「決定的なミス」を犯していたのだ。
プロデューサーは航空チケットを自宅のパソコンでインターネットを利用して購入していたのだ。これを帆乃香が見落とす筈がなかった。航空チケットの内容から空港までの経路が判明、凡その通過時刻が試算されたのだった。実際、誤差は15分以内であった。
これにて、すべての任務終了。
※
「次に唄う歌は新曲です。演歌っぽくないタイトルですけど是非、聴いてください」
夏のコンサート。樹音が来月発表の新曲を、ひと足先にファンに披露する。会場からは拍手。
あなたに書いた 初めての手紙
読んでくれたら 嬉しいけれど
ポストの中に 入れることは
絶対に ありません
ああ あなたは彼女のもの
ああ 私は横恋慕
だから だから だから だから
燃やしてしまいましょう
だから だから だから だから
燃やしてしまいましょう
必死に書いた 拙い手紙
わたしの思いが 詰まってます
けれどあなたが 目にすることは
絶対に ないのです
ああ あなたは彼女のもの
ああ 私は横恋慕
だけど だけど だけど だけど
だけど送りたい
だけど だけど だけど だけど
だけど伝えたい
ああ あなたは彼女のもの
ああ わたしは横恋慕
だから だから だから だから
燃やしてしまいましょう
だから だから だから だから
燃やしてしまいましょう
だから だから だから だから
燃やしてしまいましょう
だから だから だから だから
なかったことに
歌詞は如何にも樹音らしい、いつもの通りの「失恋歌」。ちなみに気になる曲のタイトルは「ファースト・レター」という。
そして秋に入ると、この歌をメインに大学の学園祭に呼ばれて唄う機会がぐっと増えた。
今日はニッポンのテレビメディアいわく「ニッポンの頭脳」で唄う。クイズ番組において、この大学を卒業したインテリ芸能人をコテンパンにやっつける樹音だから、ここの学生たちからはさぞや「憎まれているだろう」と思いきや、結構な人気だ。
そして歌が終わると突然「別コーナー」になった。司会者が叫ぶ。
「ここから先は、わが大学が誇る『クイズ研究部』のメンバーとの勝負をしていただきます」
こんな話は聞いていない!
ステージの上にぞろぞろとクイズ研究部とやらのメンバーたちが上ってきた。男女総勢5人。先鋒・次鋒・中堅・副将・大将ということか?
「まったくう」
形式は〇×クイズ。〇と×の札が樹音にも渡された。
先鋒VS樹音。
「第一問。日本の文豪・夏目漱石は『猫好き』で有名ですが、中国の文豪・魯迅は『猫嫌い』だった。○か×か?」
まずは小手調べ。二人とも○を上げる。
「正解は〇です」
まあ、最初だから簡単なのだろう。
「第二問。『戸板に豆』とは、いつも落ち着きのない人のことである」
意見が割れた。樹音は×。
「正解は×」
樹音の勝ち。司会者が樹音に言葉の意味を訊ねる。まったくう。
「弁舌巧みな人のことですよーだ」
その通り。「立て板に水」と同じだ。
「次は次鋒か」
樹音は、ちょっと飽き飽きしている。
「第三問。世界で最も年間登山者数の多い山は『高尾山』である」
一問目にして意見が割れた。樹音は×。
「正解は〇」
司会者がそう叫んだ。嘘っ?樹音が反論した。
「韓国の北漢山(ぷっかんさん)が一位のはずですけど」
司会者が言い張る。
「昔、テレビのクイズ番組で同じ問題が出たことがあり、そこでの正解は高尾山でした」
「いいや。絶対違う」
実際は北漢山の方が高尾山よりも3倍も多い。何でも「ニッポンが一番だ」と言いたい、なかんずく韓国を下に見たい右翼テレビ局による「事実歪曲」に他ならない。戦後、政府は右翼から中道となり「歴史歪曲」など行わなくなったが、一部のマスメディアでは相変わらず右翼思想にかぶれた事実歪曲が行われていた。
結局、山岳部のメンバーを呼んで「樹音の方が正しい」ことを証明してもらった。
こんな調子で大将戦まで辿りついた樹音。
「第三十九問。昨年の『ゆるキャラグランプリ』で優勝したのは千葉県四街道市のゆるキャラ『よつぼくん』である」
えっ、なにそれ?樹音が知っている着ぐるみといえば「石の精ドンパ」「風の精ジャック」「火の精ボーム」「土の精ズーン」「水の精オンディーヌ」くらいだ。
結局、この問題で樹音は敗れた。
そして敗れた樹音には「罰ゲーム」が待っていた。何と樹梨亜の「バイアグラのうたを唄う」というものだ。
「勘弁してよー」
結局、樹音は多くの東大生を前にバイアグラのうたを熱唱する羽目になったのだった。この時、樹音は確信した。
「やっぱりここの大学生は私が嫌いなんだ」
場所は変わって、ここは都心の某私立大学。
ここでもこの時期、学園祭。ここでは在学生の一磨と帆乃香がステージに立って「ボケとツッコミ」で笑いを獲っていた。二人は同じ大学に通い、部活は共に「笑芸部」。笑芸部というのは早い話が「漫才部」である。
「むかし俺、特撮ヒーローに憧れててさあ、『自分のオリジナルヒーロー』ってやつを造ったんだよね」
「どんなヒーロー、造ったん?」
「変態イチロマン!」
「何で『変態』なんや?」
ステージ上の帆乃香は関西弁が巧みだ。それもその筈。帆乃香の両親は大阪出身なのだ。帆乃香にとっての関西弁は両親と会話するときには当たり前のように使われる常用語。その関西弁で一磨のボケにツッコむ。
「昆虫がモチーフだからだよ。卵から成虫になるまでの過程を『変態』って言うだろう?」
「言う言う。ほな、変身してみてーなー」
「変身じゃなくて『変態』。じゃあ行くよ。へんーたい、イチロマーン!」
ここで一磨が股間をシコシコと繰り返し扱く真似をする。
「やっぱり、そっちの変態やんかー!」
ほかにも。
「イチロマンのモデルは『シロスジカミキリ』。だから長ーい触覚が2本、頭にある。その触覚を剣にして敵と戦うんだ。ヤー!トウ!ヨー!トウ!って感じで」
「政治の話は置いといて、『2本ある』ちゅうことは、イチロマンは二刀流なんや?」
「そう、女だけでなく男もいける両刀使い・・・って、こんなこと言わすなー!」
「自分で勝手に言っとるんやんかー!」
とまあ、こんな調子である。
で、最後に望の通う大学の学園祭は?というと・・・。
「かわいいよ」
勇気を持って言った
「好きだよ」
僕の顔は柘榴の実だよ
君は一瞬驚いて
僕と同じ顔をした
君が欲しい
I need you love you want you
君の体を抱いて
Get merry Get merry
「綺麗だよ」
その言葉 待ってたの
「素敵だよ」
私もう夢心地なの
信じてもいいの?本気なの?
心臓がどきどき鳴ってるわ
あなたが愛しい
I need you love you want you
あなたの体に包まれて
Get merry Get merry
何と、望もまた樹音のように歌を唄っていた。同じ大学に通う仲間に声をかけて、ロックバンドを結成したのだ。黒革のチョッキに黒革のピッチピチのズボンを穿いて熱唱する望。正直、この先、売れるかどうかはわからない。取り敢えずはインディーズとして活動だ。
バンド名?それはヒ・ミ・ツ。
6
現在の「韓半島情勢」はおよそ次の通りである。
ニッポンが永世中立国を宣言したことから韓半島は完全にアメリカの軍事的影響から解放されることになった。もはや北朝鮮には軍備増強を推し進める「根拠」が無くなった。一方、アメリカとの軍事同盟が事実上、機能しなくなった韓国は中国と接近。中国側もこれを快く受け入れ、今では両国は「相思相愛の間柄」だ。
アメリカの脅威が薄らぎ、中国と韓国が友好関係を構築した。北朝鮮の首脳陣はそれを「どのように分析した」だろう?
北朝鮮の首脳陣は「韓国による韓半島統一の機運が高まった」と分析した。これが事実であるかどうかはともかくとして、彼らはこのように分析した。無論、これは北朝鮮にとって喜ばしいことではない。そして、こうした分析を踏まえて北朝鮮はアメリカの軍事的脅威が薄らいだにもかかわらず軍備の増強に力を入れ続けていた。
こうした状況は当然、ニッポンも知っている。中立を国是とするニッポン政府としては、仮に韓半島において戦争が勃発しても「中立の立場」を貫くことを決めている。1950年代の朝鮮戦争の時のように積極的に介入して「特需景気の甘い汁を吸う」ようなことをするつもりなどは毛頭ない。だが、民間はそうではない。ニッポンの民間企業はこぞって韓国への輸出を増大させていた。輸出品は言うまでもなく「軍事転用が可能な製品」である。そして、そのような情報は当然、北朝鮮も知るところで、ゆえに永世中立国となり「アメリカの軍事的脅威から東アジアの国々を護る防波堤」として生まれ変わったにもかかわらず、ニッポンは相変わらず北朝鮮からは「敵国」として憎まれていたのだった。
※
徳島県蒲生田岬。紀伊水道と太平洋の分岐点。
そこに聳える通称、榾木のポートタワー。銅鐸の塔同様、この塔もまたバリア兵器によって戦争による破壊を免れていた。そして現在では徳島県随一の電子産業企業である「PIPIRUMA」が本社ビルとして活用していた。
その60階に設けられている会長室。
「入ります」
社長の登志夫が会長室に来た。
「会長。お呼びでしょうか」
「このテレビを見なさい」
会長が指差したテレビには年末の音楽祭の映像が映し出されていた。その映像は、ひと月前にテレビ放送されたものの録画だ。
「これは?」
「そうです。専務のひとりが勝手に仲間を引き連れてテロを実行したのです」
会長は体を震わせていた。「相当、怒られている」ことがはたから見ても分かった。
「それも、あろうことか女性アイドルを辱めようとしました。組織のトップであるこの私が女性であることも忘れて」
年末の音楽祭とは梨生奈や樹音が辱められようとした、あの音楽祭に他ならない。
「いかが、いたしましょう」
「全員、剪定(殺害)しなさい。彼らは今、検察庁に身柄を拘束されています」
「わかりました。では移送時を狙って刈り取りましょう」
登志夫は会長室から退出した。登志夫は直ちに外国人女性10名からなる暗殺チームを東京へと派遣した。
会長は外の景色を眺めた。紀伊水道の奥に和歌山の街が見える。
「うっ」
会長が頭を押さえた。会長は頭痛にひどく悩まされていた。
「私は文・・・私の名前は文・・・」
会長は、そんな言葉を何度も何度も繰り返した。まるで自分の名前を確かめるかのように。自分の名前が「文(ふみ)」であると思い込もうとするかのように。
電子企業PIPIRUMA。この会社こそ謎の組織「共産ネットワーク」を支える資金源に他ならない。そして社員全員が共産ネットワークの構成員でもあった。そのトップが会長である文だ。
PIPIRUMAは積極的に軍事転用のできる電子部品を韓国に輸出していた。運動資金を獲得するためであることは勿論だが、そこには北朝鮮の「ニッポンへの憎悪」を助長するという狙いもあった。北朝鮮がニッポンに攻め込んだ場合、今のニッポンの防衛力では勝てないだろう。だからといって現在のニッポン政府が「他国からの軍事援助」を要請することは絶対にない。なぜなら仮にそれで勝っても、その後は援助を要請した国との間で「軍事同盟の締結」を余儀なくされるからだ。だとすれば、予想される結果は「ニッポンの敗北」であり、そうなれば当然、現在の中道政府は退陣。その時こそが共産主義革命を果たす「絶好の好機」なのだ。
そして、その時は、もう間もなくやってくる!
首相官邸。
第一秘書が首相に情報を持ってきた。
「首相。アメリカからの連絡です。北朝鮮が艦隊を集結させているそうです。数日のうちにニッポンへ向けて発進するだろうとのこと。速やかに我が国に軍事援助を請えと」
「その見返りに『再び軍事同盟を締結しろ』というんだろう?」
「首相」
「それだけは絶対にならん。そんなことをすれば、昔のように中国・ロシアとの信頼関係が失われてしまうことになる。もしもそのようなことになれば北方領土は二度とニッポンへは返還されないことになる!」
戦前、北方領土が返還されない最大の障壁が「日米同盟」にあったことをKは的確に見抜いていた。それは当然だろう。もしも返還して北方領土が「米軍基地」にでもなったら、それこそ「ロシアの国防」にとって、とてつもないマイナスなのだから。
「逆に、この難局を無事に乗り切ることができれば、今まで実現しなかった『北方領土の返還』もあり得るのだ」
ロシアは莫大な額に上る軍事予算を「削減したい」と考えていた。もしもニッポンの永世中立が不動であるならば、中国・ロシアに攻め込むほどの力は持っていないが、北朝鮮を打ち破るだけの力は充分に持っていることを証明することができるならば、北方領土の返還どころか千島列島までもがニッポンに割譲される可能性があるのだ。そしてそれが現実すれば、ニッポンはまさに東アジアをアメリカの軍事的脅威から護る「東太平洋の万里の長城」となるであろう。
「だから何としても、我々の手だけで北朝鮮からの攻撃を防御して見せるのだ。それが中国・ロシアからの信頼を勝ち得ることに繋がるのだ」
その北朝鮮艦隊だが、戦艦10隻、巡洋艦20隻、駆逐艦多数という大規模なものであった。それに対するニッポンは数こそは100隻を数えるものの、水雷艇のみ。しかも全国の基地に展開して配備されているので、その全てを向かわせることはできない。
したがって現状を分析する限り、ニッポンは「勝てない」。それに、もしも運よく艦隊を撃破したとしても、その時には北朝鮮の領土内から核ミサイルが東京へ向けて発射されるだろう。そのことを見越して、アメリカ海軍は既にニッポンの領海の一歩手前に、いつでも津軽海峡を通過できるように原子力空母を主力とする第7艦隊を配備していた。
だが、首相の腹は既に決まっていた。首相は「自分の懐刀」に大至急、首相官邸へ来るように命じた。この危機的状況を打開することができるのは「彼ら」しかいない。
コックローチのメンバー全員が首相官邸に集結した。
「事態は逼迫している。きみらは直ちに出撃してくれたまえ」
直ちに出撃?作戦は「移動中に考えろ」ということか。
「了解しました。直ちに出撃します」
ジミーは迷うことなく、そう返事をした。
「みんな、私に続け」
ジミーが首相の部屋を出た。残りのメンバーもジミーの後を追った。
首相官邸の表には既に移動用のエスクード(ジープタイプの乗用車)が停まっていた。メンバーは東京湾岸の埠頭へ向かった。
埠頭には改造を終えた「新・待子」が停泊していた。
新・待子。主な改造点は、まず波の揺れを吸収するダイナミックダンパーを装備したこと。船底の四隅に見えるタンクがそれで、それをコンピュータ制御で個別に上下させることで波を吸収する。これによって上下には揺れるが、前後、左右には揺れなくなった。結果、時化た海でも「核融合砲」が撃てるようになった。タンクは前方は凸状、後方は凹状になっており、核融合砲発射の際に船が後ろに下がるのを防ぐ役割も果たす。また、艦橋部分が2階建てになり、艦首の核融合砲よって遮られていた前方の視界が開けたのとともに1階部分には車を収容できるようになった。
北朝鮮の艦隊は既に出航していた。だが、待子の速度ならば東京湾から千葉県沖に出て北上、津軽海峡を通過しても、艦隊が佐渡島に接近する前に到着できるだろう。
メンバーが車ごと待子に乗り込んだ。車を降り、2階の艦橋に上る。それぞれ所定の席に着く。
艦長席には当然、ジミー。
機関席は樹音、操舵席は望、通信席は一磨、レーダー・GPS席は帆乃香。そして戦闘席には忍。速やかに発進準備が整えられる。
ジミーが号令をかける。
「待子、発進!」
忍が復唱する。
「待子、発信します」
忍は胸が痛い。待子。ママのライバル。出来ることなら、この名前を口にしたくはないし、耳にしたくもない。
待子が動き出した。
その時、埠頭に黒塗りのセンチュリー(国産最高級リムジン)が到着した。中からは首相が降りてきた。首相は埠頭の端に立つと、沖へと向かう待子に敬礼をした。本当ならば行かせたくない。けれども頼れるのは君たちしかいない。そんな思いが自然と敬礼につながったのだった。
(量子さん、ジャン、チェリー、シーバス。どうか若いあの子たちを護ってやってください)
東京湾から浦賀水道を抜けた待子は日本海に出た。伊豆大島を右手に見ながら房総半島を反時計回りに迂回、千葉県沖から一気に加速。
えっ日本海?そう、日本海だ。中道政府はペリーの黒船来航以後、アメリカへの阿りから太平洋と名称を変更していた日本列島から東側・南側の海を本来の名称である日本海に戻したのだ。勿論、日本の領海内に限った話ではあるが、それでもアメリカの軍事圧力による屈辱的な名称変更を元に戻せたことは今の日本政府がいかなる国からの圧力にも屈しない独立国家であることを国の内外に示すものであった。
屈辱的な名称変更と言えば「北方領土」を忘れることはできない。明治時代のベストセラー、志賀重昂『日本風景論』には歯舞・色丹・国後・択捉の四島を「千島」と表記する。千島と言えばこの四島のことなのだ。ところが、戦後のニッポン政府はそんなことも知らなかったと見えてサンフランシスコ講和条約で千島を当時のソ連に譲ってしまった。そこで急遽、作り出された名称が「北方領土」なのだ。
待子は日本海を北上した。青森と北海道の間で西に進路を変更、津軽海峡を通過した。
「首相官邸より入電。海上自衛隊が敵艦隊との戦闘を開始したとのことです」
何ということだ。自分たちが到着する前に戦闘が始まってしまった。
「急げ」
待子が全速力で戦闘海域へと急ぐ。
待子が現場に到着した時、戦闘は既に終結していた。ニッポンの負け。どこにも海上自衛隊の水雷艇と思しき船の姿はない。「勝てない」と見て早々に撤退していたのだ。別に驚くことではない。太平洋戦争時末期、ニッポンから満州に移住した民間人を置き去りにして真っ先に逃げ出した関東軍と同じである。
待子VS敵艦隊。
敵艦隊の激しい攻撃。だが、バリア兵器を装備する待子には通じない。
「核融合砲、発射準備」
ジミーの号令。
「核融合砲、発射準備に入ります」
忍の復唱。
「核融合砲への水素の充填、開始します」
樹音が状況を読み上げる。
「充填120%」
「充填完了。加熱開始します」
「温度、現在5000度」
「温度、6000度に上昇。核融合砲、発射準備完了」
ここでジミーが忍に指示を与えた。
「敵艦隊手前の海を撃て」
海を?どうして。
「了解しました」
忍がジョイスティックの上にオートマチック拳銃を乗せたような形をした核融合砲発射装置のスライドを引く。正面の20インチほどのモニターに前方の映像と照準が映し出された。発射装置を前後左右に動かしながらモニターの中の照準を動かす。照準が定まったところで左のレバーで発射装置をロック。
「発射10秒前。各自、衝撃、閃光に備えよ」
全員が紫外線透過率の低いスキー用のゴーグルをかけ、各座席にある手摺を握った。
そして10秒後。
「発射!」
発射時の衝撃を吸収する役割も兼ねた後部ピストンによって高圧縮された水素が核融合反応を一気に開始。その莫大なエネルギーが前面から放出された。エネルギーは敵艦隊手前の海に突き刺さった。
海が水蒸気爆発を起こす。爆発が核融合砲のエネルギーを扇状に拡散させた。数千度の水飛沫が半径数kmに渡って飛散。その中にいた敵艦隊を文字通り全滅させた。
ジミーが「次の作戦」を指示する。
「時間がない。直ちに上陸。敵の核ミサイル発射施設を破壊する。急げ」
数時間後。待子は朝鮮半島の砂浜に乗り上げた。ダイナミックダンパーの4つのタンクが橇の役目を果たす。核融合エンジンはロケットエンジンのようなものだから、陸上でも走り回ることができる。左右のタンクを上下させることで右にも左にも曲がれる。
右のダイナミックダンパーを下げ、船体を左に傾けてから、ブリッジを左側に下ろす。エスクードが砂浜に下ろされた。
「忍、きみは残って待子を護ってくれ」
「えっ?」
忍は驚いた。ということはジミーが自ら「出陣する」ということ?
「事務仕事はストレスが溜まってしょうがない。たまには遊んでくる」
韓半島に血の雨が降る。忍はそう思った。
「あまり派手に暴れないでくださいね」
「言ったろう。遊んでくるだけだよ」
忍ひとりを残して、残りのメンバーがエスクードに乗って一路、核ミサイル発射施設を目指す。運転席にはジミー。助手席には望。後部座席に樹音、帆乃香、一磨。後ろの荷室には爆弾の入ったザックが2セット。
発射施設は車で3時間ほどの内陸にあった。場所は既にわれていたし、車にはGPSが搭載されているので迷うことはなかった。メンバーが車から降りる。ジミーと一磨がザックを背負う。問題はここからだ。仮にも核施設。警備は実に厳重だった。どうやって侵入する?
「帆乃香」
「はい?」
「悪いが服を着替えてくれ」
核ミサイル施設入口。
「チョギヨ、ジャンカンマンニョ(すいませーん)」
チマチョゴリ(朝鮮の民族服)に着替えた帆乃香が警備室に手招きをする。警備室の兵士たちが帆乃香のもとに集まってきた。
「何だ?お前は」
不審に思う兵士たち。その兵士たちに帆乃香は必死にキーセン(朝鮮の芸者)さながらの「色仕掛け」を仕掛ける。だが、兵士は誰一人として帆乃香の色仕掛けには反応しない。
「怪しい奴め。連れて行け」
危ない、帆乃香!
「やあ」
「とう」
一磨と望が背後から兵士たちを襲った。不意を突かれた兵士たちは瞬く間に二人によって倒された。
「よくやった、帆乃香」
「作戦は大成功だな」
確かに、作戦は成功した。入口を警備する兵士は帆乃香を不審がり、警備室からぞろぞろと出てはきた。だが、それは単に「不審者がいる」ということに対する反応であり、兵士の誰ひとりとして帆乃香を「魅力的」とは感じなかった。ニッポンのオトコは誰もが自分に興奮して、自分の体を欲しがるというのに。
「・・・・・・」
一人、不貞腐れる帆乃香。
「どうした、帆乃香?行くぞ」
帆乃香はぷんぷんと腹を立てながら施設の入り口をくぐった。
核ミサイル発射施設は大きく二つの地区に分かれていた。ひとつは「発射台」。もうひとつは「核関連施設」だ。そして発射台には既に水素燃料を注入し終えた核ミサイルが設置されていた。
ジミーが命令を下す。
「二手に分かれよう。私と帆乃香で発射台を破壊する。残りの3人は核施設を破壊しろ」
「了解」
コックローチは二手に分かれた。
発射台の核ミサイルを破壊する最も手っ取り早い方法は、やはり「水素燃料を引火させること」だ。核ミサイルの表面、および水素燃料注入装置に爆弾を仕掛ける。
敵が来た。だが、銃は撃ってこない。銃弾がミサイルに当たるのを恐れているのだろう。敵は剣を抜いて迫ってきた。
「焦らなくていい。ゆっくりと丁寧に仕掛けてくれ」
焦らなくていい、だって?敵が剣を手にわんさか押し寄せてきているというのに。
「誰も通さないから、心配しなくていい」
ジミーは懐からワイヤーでひとつに繋がる金属製のパイプ棒の束を取り出した。
「さあ、楽しいショーの始まりだ」
ジミーはパイプ棒の束を一度振り上げてから、敵に向かって振り下ろした。
「ぎゃあ」
鞭のように撓るパイプ棒。その鋭く尖った先端部分が敵の喉元を貫いた。
ジミーの武器。それはチェリー、シーバスの伝統に漏れず、やはり「山道具」。
ゾンデ。
プローブともいう。雪崩で雪に埋まってしまった登山者を捜索するための棒である。ジミーの手にするゾンデは長さ37㎝、直径1㎝のパイプを8本、縦に連結したもの。ジミーはこれを、ある時は槍のように、ある時は鞭のように操る。パイプの中心を通る鋼鉄製のワイヤーを引けば槍となり、緩めれば鞭となる。
「そら」
「ぎゃあ」
「それ」
「ぎゃあ」
ジミーが腕を振るたびに一人また一人と敵が悲鳴を上げる。ゾンデの先端が確実に敵の急所を貫く。まるで「先端に目があるのでは」と思うほどの狙いの正確さ。その姿はまるで「毒蛇」か「蠍の尻尾」のようだ。
曲線を描く変幻自在の攻撃に敵はどうすることもできない。望の様な一気に敵の懐に飛び込む俊足の平突きがあるならともかく、3mの大射程を持つゾンデの攻撃に対し、剣など何の役にも立たない。
帆乃香が作業を終えた。
「終わりました」
「何だ、もう終わったのか?」
ジミーはまだまだ「闘い足りない」ようだ。
だが、そんな不満を抱く必要はないようだった。続々と敵兵が集まってきたからだ。望たちとの合流地点に着くまでには、まだまだ多くの敵を倒す必要がありそうだ。
「帆乃香」
ジミーは左手で背中から帆乃香の左上腕を掴むと、グイッと自分の胸の中に引き寄せた。不意に男性の腕に抱かれて帆乃香の頬が赤く染まる。
「強行突破する。決して私から離れるなよ」
「は、はい」
ジミーの左腕に抱かれて帆乃香は正直「悪い気」はしなかった。女性を護ることのできる強い男性の腕に抱かれて、帆乃香は心から安らぐことができた。惜しむらくは、この力強い腕が一磨のものだったら、どんなに素敵なことだろう!
「行くぞ」
ジミーと帆乃香の「敵中突破」が始まった。
一方、核関連施設へ向かった3人は思いのほか苦戦していた。ここの敵は、それこそ銃を「これでもか」と言わんばかりに撃ってきたからだ。
作戦は既に決まっていた。幸い、原子炉が作動しているので目標は当然、原子炉に冷水を供給するパイプ、あるいはポンプの破壊だ。原子炉内に冷水が行かなくなれば、原子炉はメルトダウンを起こし、大爆発することになる。しかし敵もバカじゃないと見えて、そこを重点的に護っていた。
「ならば」
望が一計を立てる。違う場所を破壊して敵をおびき寄せてから、冷水パイプを爆破する作戦だ。
「俺がおびき寄せるから、一磨と樹音は敵がおびき寄せられるまで待機しろ」
望は原子炉のコントロールルームを急襲した。それを見た敵がコントロールルームへと向かう。敵は望がコントロールルームを占拠、「原子炉を暴走させる」と考えたのだ。
「よし、行くぞ」
一磨が立った。
「望が危ない」
樹音は望の援軍に向かおうとした。それを止める一磨。
「だって、望ひとりじゃあ」
「望はバカじゃない。きっと『勝算あっての行動』に違いない。望を信じて俺たちは与えられた任務を遂行するんだ」
「・・・わかった」
一磨と樹音は冷水パイプへと向かった。
「やあっ」
望は平突きでコントロールルームの扉を破壊、中へと侵入した。床を転がり、素早くコントロールパネルを背にする。望の読み通り、中の敵は銃を撃ってはこなかった。
(思った通りだ。敵はコントロールパネルが破壊されるのを恐れて銃は使えない)
銃を使えない敵など望の敵ではなかった。望は次々と敵を倒した。
援軍が次々とコントロールルームに集まってきた。だが、望がコントロールパネルを背にしている限り敵は銃を撃てない。
「どうした、早く撃てよ」
挑発する望。だが、敵は撃てない。
「じゃあ、俺からのプレゼントだ」
望は倒した敵が所持していた小銃を構えた。敵は一目散にコントロールルームの外へ避難した。両者の間で睨み合いが続く。
その間に、一磨と樹音は無事に作業を終了した。一磨と樹音が望の救援に向かう。二人に気がついた敵が二人に銃を向ける。危ない!だが、この機会を見逃す望ではない。望は直ちにコントロールルームから飛び出し、敵の背後を急襲した。背後からは望の平突き、前からは樹音のカポエラと一磨の柔術。敵は挟み撃ち攻撃によって身動きを封じられ、手にする小銃を有効に利用することができなかった。
再び3人が合流した。3人は出口へと向かった。
出口にひとりの敵がいた。手に武器は持っていない。どうやらこいつが、ここを警備する兵隊の隊長らしい。
「はあっ」
敵が素早い足蹴りで威圧する。テコンドー。さすがは隊長。それなりにやるようだ。
望が平突きを構える。それを一磨が制止した。
「ここは俺にやらせてくれ」
「わかった」
望はトレッキングポールを収めた。
テコンドーVS柔道。
「やあっ」
敵の右足蹴り。最初に見た記憶から攻撃の間合いを計算。一磨は寸前のところまで身を引く。そして敵が右足を引くのと同時に懐に飛び込む。左手で相手の左頸部を、右手で股間を掴んだ。
「そおれっ」
一磨は右手を持ち上げ、左手を引いた。敵の体はいったん持ち上げられてから、地面に顔面から叩き落とされた。
「あべしっ!んぞううっ」
敵は顔面を複雑骨折。その場で気絶した。敵が一磨に足蹴りを入れようとしてから、わずか3秒ほどの出来事。
一磨、強し!
「一度、お前とは対決しないといけないな。一磨」
「そうかい?」
一磨は望に自分の強さを見せつけることができて内心、得意になっていた。
かつて繰り広げられた「ジャンとチェリーの闘い」はジャンが勝利した。果たして二人は、どうなるのだろう?
樹音、望、一磨の3人が合流場所へと向かう。そんな3人が目撃したのはジミーと帆乃香が多数の敵に囲まれている姿だった。といっても別にピンチでも何でもない。ジミーの攻防一体の戦陣に敵は完全に混乱していた。
左腕で帆乃香を抱きしめ、右手でゾンデを操るジミー。ジミーはステップを踏みながら体を右に左に回転させてゾンデを新体操のリボンの如く振る。そしてゾンデの射程距離内に入ってきた敵を確実に倒していく。
射程距離の外にいる敵は当然、銃を構えている。だが、射程距離の外からではジミーの素早い動きについていくことができず、いくら狙っても弾は味方の兵に当たるだけで、ジミーや帆乃香には決して当たらなかった。
「親父、やっぱり強いな」
「まだ『勝てない』って、望?」
幼少の頃よりジミーを知る望と樹音は素直に感心している。しかし一磨だけは違う目で見ていた。感心するどころか一磨の心は、とてもムシャクシャしていた。
ジミーの腕に抱かれる帆乃香。その表情はおよそ不安とは無縁の安心に充ち溢れたもの。帆乃香の服がチマチョゴリということもあり、二人の姿はまるでラテンダンスを踊る一組のパートナーのように美しい。
まさに「美女と紳士」。
認めたくはないけれど、とてもお似合いだ。無論、ジミーには頭の上がらぬ「怖ーい妻」がいて、帆乃香と「できている」などということは断じて「あり得ない」ことは知っている。けれども、それでも、どうしてもムシャクシャしないではいられない。この姿を自分に見せつけるために帆乃香をチマチョゴリでお洒落させたのでは?そんな疑念さえ思う。それは、もしかしたら正解だったのかもしれないが、すべては今の一磨が「弱い」ことから来る「嫉妬の念」に他ならなかった。つい先ほど、望の前で見せた自信など、とっくの昔にどこかに飛んでいってしまった。
口で言わずともジミーの闘いぶりが一磨に告げていた。「敵がいくら多勢だからといって愛する女性を敵に凌辱されるなど、男として、いかなる言い訳もできるものではない」ということを。
悔しい!悔しくてたまらない。
(強くなりたい。強くなって、この人のように帆乃香を護れる男なりたい)
拳をぐっと握りしめる一磨の目に「無念の涙」が溜まった。
最後の敵をジミーが仕留める。最後の敵はゾンデを首にグルグルと巻きつけられ、そのまま窒息死した。まさしく忍の予言通り、発射施設に血の雨が降った。発射台からここまで、敵兵の死体がゴロゴロ転がっていた。
ジミーがみんなに気が付いた。ジミーはゾンデを畳んだ。ワイヤーを緩めて上に振る。ゾンデは8つに分かれ、ジミーの右胸にすっぽりと収まった。
「一磨、きみに帆乃香を返そう」
ジミーが帆乃香の上腕から手を離した。帆乃香は一磨の顔を見た。
「何で泣いてるの?一磨」
「何でもないよ」
「フッ」
果たしてジミーの「真意」はどこにあるのだろう?
「悔しかったら強くなれ、一磨」
ジミーからの、こうした「無言の激励」だったのか。
コックローチの中で唯一、帆乃香だけが武器を一切、所持していない。護身用のナイフなり、拳銃なり、持たせてもいいのだが、そうさせていないのだ。これは戦力的には大きなマイナスなのだが、その理由は「一磨が執拗に反対するから」に他ならない。
「帆乃香に人は殺させません」
これが一磨の主張なのだ。ようするに「帆乃香の手を血で汚したくない」ということだ。だったら「お前が責任を持って、しっかりと帆乃香を護れ」という話になる。ジミーが、ことのほか一磨に厳しいのには、実はこうした理由があるのだった。
ともあれ、二手に分かれたチームが再び一つに合流した。合流したチームは直ちに核ミサイル発射施設を脱出した。やがて背後から大爆発の音が聞こえた。一旦、エスクードを停めて全員が降りる。施設があった場所には、きのこ雲。
作戦は無事に成功した。これでニッポンが核ミサイル攻撃を受けることはない。メンバーは満足のうちに待子へと帰還した。
だが。
待子に戻ってきたメンバーを待っていたのは忍の慌てる姿だった。
「ジミー、大変よ」
「どうした?」
「首相官邸から連絡が入ったの」
その内容は。
「SLBMを搭載した潜水艦が一隻、ニッポン近海に接近している?」
SLBM。ICBMが長距離核弾頭ならば、これは「近距離核弾頭」。核ミサイルであることに変わりない。
「発射される前に撃沈しないと、東京が壊滅するわ」
待子は全速力でニッポンへと戻る。
「レーダーに反応あり。1時の方向、距離およそ100km」
見つけた。だが、見つけられたということは水面に浮上していることを意味する。拙い。いつ発射されてもおかしくはない。
距離50km。核融合砲の有効射程距離まで、あと20km。
「核融合砲、発射用意。時間がない。有効射程距離内に入ると同時に発射する」
「えっ?」
メンバー全員が驚く。天候が悪い。波が高い。ダイナミックダンパーによって船の揺れそのものは安定しているから、発射すれば命中はするだろうが、待子が危ない。
理由はこうだ。待子が波の頂点にいるときに発射すれば、後方に飛ばされて転覆の危険が発生する。かといって、波の谷間で発射すれば、正面で水蒸気爆発が発生、待子が破壊される。
「俺はみんなの命を預かった。だが、俺はみんなの命を護ってやれない」
ジミーの決断。無論、死にたくはない。だがメンバー全員、ジミーの命令に従った。「お国のために死ぬ」ことに価値があるかどうかは状況によりけりだ。ナチス時代のドイツやフセイン時代のイラクや右翼時代のニッポンのために死ぬのは「愚か」以外の何物でもない。だが、この時代のニッポンには命を捨てるだけの価値が確かにあった。せっかく中道政権が樹立され平和国家になったのに、ここで彼らが命を捨てなければ、ニッポンは再び右傾化という名の「迷走」を始めてしまうかも知れないのだ。
核融合砲に水素が注入、加熱された。
「核融合砲、発射準備完了」
有効射程距離内に入った。潜水艦ではまさにSLBMの発射ボタンが押されていた。
「発射!」
核融合砲が火を吹く。待子はちょうど「波の谷」にいた。正面に立ち塞がる高波を突きぬけ水蒸気爆発による飛沫を馬の鬣のように上げながら、エネルギーが潜水艦に向かって突き進む。発射されたSLBMが上昇を開始する。
エネルギーが潜水艦を直撃した。潜水艦は大爆発。爆風が上昇中のSLBMを追いかける。爆風がSLBMに追いついた。爆風に追いつかれたSLBMは空中爆発。四散した部品が海上に落下した。任務はかろうじて成功した。
待子は?
核融合エネルギーをまともに受けた高波が水蒸気爆発を起こした。核融合砲発射時にはバリア兵器を停止させる。核融合砲から発射されるエネルギーを電気に変換して消滅させてしまうからだ。待子は水蒸気爆発の衝撃をまともに食らった。船体は数千度の高熱を帯びた飛沫を浴びてボロボロになった。衝撃は当然、艦橋にも及んだ。コックローチのメンバー全員が動かない。
暫くの間、高波に揺れる待子。だが、やがて待子は無数に開いた穴から浸水。海の底へと姿を消した。
※
「会長。悪い知らせが届きました」
登志夫が「日朝戦争」の顛末を文に報告した。共産ネットワークの情報収集力は素晴らしい。恐らく韓半島にメンバーがいるのだろう。
「ニッポン政府が送り込んだ『謎の組織』によって北朝鮮海軍および核ミサイル施設は破壊されてしまいました」
ようするに共産主義革命は「まだ先」ということだ。
「謎の組織?」
文が訊き返す。
「それは一体全体、何なのです?」
「目下調査中ですが、名前だけは判明しました。『コックローチ』だそうです」
「コックローチ・・・」
そう呟いた直後、文は強烈な頭痛に襲われた。
「会長!大丈夫ですか?」
登志夫がとっさに文を気遣う。
「大丈夫です。頭がちょっと痛むだけ」
「会長。今日はもう、休まれてください」
「わかりました」
コックローチ。文はこの名前に何か「引っかかるもの」を感じないではいられなかった。その昔、どこかで聞いたような。そんな気がする文であった。
次回予告
芸術系大学の油彩教室に通う樹音。ところがクラスの学生は樹音を入れてたったの5人!この時代、アートと言えば若者たちの間ではマンガ・アニメが人気で、油彩画など「過去の遺物」と考えられていたのだ。
樹音ら5人は都心のギャラリーを借りて「合同企画展」を開催することを思いつく。自分たちの手で「油彩画の復権をする!」と意気込む5人。
だが、そこに「招かれざる客」が。
同じ頃、新東京都庁舎建設現場を標的とする爆破予告が届いた。帆乃香が爆破メールの送り佐本を探り当てる。そこは何とニッポンの物理学研究の拠点である筑波研究所だった。区の中枢である研究所にテロリストが?直ちに捜査が開始された。
新・コックローチ7
お楽しみに。
7
東都芸術大学。
2019年の4月、時の総理大臣Aが「ニッポンはマンガ・アニメ立国である」「今後は政府をあげてマンガ・アニメの振興に力を入れる」「公立美術館はマンガ・アニメ館に改修」「美術品は全てオークションで売却」「知名度の低い文化財は文化財から外す」などと発言した、いわゆる『文化庁宣言』を発表して以後、ニッポンではエンターテイメントであるマンガ・アニメが、あたかもアートの代表であるかのように認知され、その流れは中道政党といえども止めることができない。その結果、ニッポンの美術系大学では今日「マンガ・アニメ」が講座の主役であり、美大生に対する「あなたが最も凄いと思うアーチストは?」というアンケートでも上位に並ぶのはニッポンのアニメ監督の名前ばかり。「レオナルド・ダ・ヴィンチ?ミケランジェロ・ブオナローティ?古い、古い!」これがニッポンの美大生の本音なのだ。従って何処の美大においても絵画や彫刻などのファインアートを志す学生はごく僅かの人数しかいない。かくして、都内のあるこの美術系大学でもマンガ・アニメの教室は10を数えるが、油絵の教室はひとつしかない。しかも、たった一つだというのに、そこに所属する学生の数は僅か5名に過ぎない。
その5名の中に樹音がいた。
今はまさにデッサンの授業。机に並べられた静物を前に鉛筆を動かす。
他の4人は鉛筆だが、樹音はあえて色鉛筆を使用する。赤とか青とかも使用するが、今日は焦げ茶色。色鉛筆の利点は「手が汚れない」こと。欠点は「ぼかしが難しい」ことと「消しゴムで消せない」こと。だから描き間違いができない。一発で対象の輪郭を捉える完璧なデッサン力を備えた樹音だからこそできる芸当だ。
他の四人。男女仲良く2名ずつ。名前は愛美、エリー、拓巳、勇気。彼らについては、おいおい語る機会もあるだろう。
警視庁。
「痛っ!」
一磨の木刀がジミーの右手甲を捉えた。
「少しはやるようになったじゃないか、一磨」
「へへへ」
ジミーと一磨。今日も剣道場で猛特訓。
「そろそろ、これを使うか」
ジミーはゾンデを手にした。勿論、先端にはゴムキャップを施してある。
「はい」
一磨は喜ぶ。やっとジミーに本来の武器を手にさせることができた。
「さあ来い。一磨」
「解除できた!」
「上出来よ、帆乃香」
帆乃香も課題として出されたスマホのロックを見事に解除して見せた。
「じゃあ、中を確認して」
「はい」
帆乃香が解除したスマホの中身を見る。
「あー!」
中には、このスマホで撮影された帆乃香が大口を開けてミソカツ弁当のカツを一気に頬張る姿が入っていた。
「こんな写真、いつ撮ったんですか?」
「一磨に頼んで撮影してもらったのよ」
「あいつめえ」
望は旧幕張新都心の、瓦礫の撤去が進まない立ち入り禁止区域の中を訓練場にしていた。コンクリート片が散乱する足場の悪い廃墟は、まるで穂高連峰の稜線を歩くようであり、実戦を想定した訓練にはもってこいだ。この廃墟を「全速力で走れる」ようになるのが望の目標である。かつてのブッシュがそうであったように。
「やあっ」
望が瓦礫をジャンプする。着地したその時。
「あわわわわ」
瓦礫が揺れた。瓦礫が下へ落下する。望は再び別の瓦礫に向かってジャンプする。かろうじて助かった。
「おっかねえ」
残る一人、忍。
彼女は依然として「意識不明」の状態が続いていた。
高波を漂流する待子を発見した海上自衛隊の水雷艇がコックローチのメンバーを救助した。その中で最も重症だったのが忍だ。それもそのはず。忍は幻覚を駆使して他のメンバーを庇った。幻覚竜を盾にして水飛沫から他のメンバーを護ったのだ。幻覚竜の受ける傷は当然、忍自身の受ける傷となる。救助直後の忍は全身大火傷を負っていた。正直「生きているのが不思議」なくらいなのだ。
果たして忍は死の淵から「不死鳥のごとく蘇る」であろうか?
※
新宿では、完成したばかりの東京都庁舎内にある議会場で都議会が開催されていた。
建物には当然ながら設計者の人間性が反映される。以前の都庁舎はグレーの石の外壁によって「都民を睥睨する姿勢」が露骨に表現されていたが、今度の建物は外壁に大理石を用いることで全体的に色が白いことから「都民に開かれた明るい都議会」のイメージに仕上がっている。
その東京都庁舎に「爆破予告」が届いた。議会は中断。「いい加減にしてほしい」と思うが、しょうがない。警視庁が総出で爆発物の捜索に入る。でもってコックローチは裏方、すなわち「犯人探し」に動く。まずは予告メールの発信源を探る。
「予告メールが発信された場所は茨城県よ」
帆乃香がつきとめた。もう立派な「ジコマンⅡ世」だ。見た目も色白で体つきも豊満と、似てなくもない。
「それも筑波研究所だわ」
筑波研究所。ニッポンの物理学研究の拠点だ。まさか、ここにテロリストが?
「兎に角、調査に行ってくれ」
ジミーからの指令。コックローチは筑波へ向かった。勿論「忍抜き」で。それから樹音も。テレビで顔を知られ過ぎているから。ということでリーダーは望が代理で務める。
コックローチのメンバー3人が一磨のソリオ(ハイト系Bセグメント5ドア)で筑波に入った。
「へえ、ここが筑波かあ」
筑波。ニッポン最大の量子物理学の実験装置があるまち。といっても無論、科学技術の水準はかつてのオナラウッド研究所の足元にも及ばない。だからだろう。誰ひとりとして施設内を歩いていて驚かない。核融合エンジンを知る彼らにとってはH2ロケットなど見るからに「古臭い」だけだ
但し、研究所の敷地が広いことは確かだ。その後、本部棟まで優に20分は歩かされた。
「警視庁サイバーテロ特別班のメンバーです」
3人は筑波研究所長にそのように自己紹介した。「そのように言った方が事を運び易かろう」というジミーの判断による。警察手帳は勿論、本物を用意してある。
所長は3人の若さに驚いた。まあ、そうだろう。実際はまだ3人とも現役の大学生なのだから。
「警視庁の捜査では、この研究所内のコンピュータから爆破予告メールが送信されたことがわかっています」
「わかりました」
所長は捜査への協力を約束した。まずは問題のパソコンを見せてもらう。
さあ、ここからは帆乃香の出番だ。サイバーテロ特別班から受けた特訓の成果を試す時だ。 当然だが、パソコンにはロックがかけられていた上に内部のデータは御丁寧に消去されていた。帆乃香が、それを修復する。
修復完了。やはり、このパソコンから送信されたらしい。見事だ、帆乃香。
そして事態は急展開を迎える。
「な、何これ?」
何と、このパソコンによって行われた犯罪行為は「爆破テロ予告」だけではなかったのだ。防衛省や総務庁などへの違法アクセスが頻繁に繰り返されていたことが、修復されたデータから判明したのだ。
普通のパソコンでは防衛省や総務庁のパソコンへの不正侵入など、まず不可能である。だが、ここのパソコンは一旦、敷地内にあるスーパーコンピュータ「三十六景」を経由、スーパーコンピュータが有する高度な演算能力を利用することで容易に侵入していたのだ。
それにしても何と恐ろしいことであろう。国の最重要研究機関の中枢部に、政府に不満を抱く危険分子が堂々と存在していようとは。
「このパソコンを使用している科学者は?」
「そ、それは・・・」
「驚きね」
「ああ、まさかN物理学賞受賞者とはな」
「訳わかんねえ。理由は何なんだ?」
「直接、本人に訊いてみましょう」
だが、それは不可能だった。なぜなら、その科学者は研究所のトイレ内で、死体で発見されたからだ。地元の警察の鑑識によれば、死因はトイレの便器の暗闇に置かれた塩素系洗浄剤を大量に飲んだことによる中毒死。自分の悪事が露見したことによる自殺のようだった。だが、果たして本当に自殺なのだろうか?
「何者かに消されたのでは?」
3人はそう思った。3人はこの科学者について早速、調査を開始した。
「専門は天文物理学。『宇宙に関する画期的な理論』でN賞を受賞」
「そう言えば、そうだったな」
「中道政権時代初のN賞ということで、結構な騒ぎだったよな。お国の名誉を官房費とやらでせっせと買い漁っていた右翼政権時代とは違うから『これは正真正銘、本人の実力によるものだ』ということでさ」
「何たって、今までの『ビッグバン宇宙論』を180度、変えたんだからな」
「それを可能としたのは、ひとえに教授の『三相性理論』があればこそよ」
「三相性理論って?」
「ボーアの相補性原理、アインシュタインの相対性理論は知っているでしょう?」
「ああ。粒子と波動の『相補性』、粒子と時間の『相対性』だろう」
「それ以外にも相補性と相対性、更には相関性があるのよ」
帆乃香がタブレットに図を描いた。
粒子 ← 相補性 → 波動
↑ ↖ ↗ ↑
相関性 相対性 相関性
↓ ↙ ↘ ↓
重力 ← 相補性 → 時間
「これが『三相性原理図』と呼ばれているもので素粒子、即ちエネルギーの四大要素を図にしたものよ」
「これがどうして『宇宙は膨張していない、宇宙の中の天体が収縮している』という証拠になるんだ?」
「右下に時間があるでしょう?つまり時間の概念はエネルギーに存在するの」
「わかった。宇宙という入れものには時間の概念が存在しない。だから宇宙は変化しようがないということか」
「そう。だから私たちが観察によって『宇宙が膨張している』ように見えるのだとすれば、それは『不動の宇宙』を観測している私たちの方が収縮しているとしか考えようがないというわけ」
「帆乃香、あったまいい」
「頭がいいのは、私じゃなくては博士よ。しかもこの理論のおかげで、宇宙が誕生する以前の姿も、ブラックホールの中で起きている重力崩壊という現象の正体もわかったわ」
「確か、重力崩壊はエネルギーが性質を持つ『色』から性質のない『空』の状態に戻る現象のことで、時間の流れが現在から過去へと逆流するんだろう?。でもって、宇宙誕生以前のエネルギーは空だから体積も質量も存在しない。つまり今までのビッグバン宇宙論のような『特異点』を想定する必要はない」
「そういうこと」
「で、こんなに頭のいい『御仁さま』が何で爆破予告なんかしたんだ?」
「わからないわ、ただ」
「ただ、なんだ?帆乃香」
「数ヶ月前、徳島県に旅行しているわ。この人」
「それがどうしたんだ?」
「徳島にはニッポンでも有数の電子部品関連の製造会社があるの。名前はPIPIRUMA。もしかしたら、ここへ行ったのかも。ここは物理学に関する研究では世界でもトップレベルの企業なのよ」
「確かに、なんか臭うな」
「核心はないわ。ただの観光旅行だったのかもしれない」
「いや、俺も怪しいと思う」
「ということは、次の行動は決まりだな」
かくして、3人は徳島県へ旅行としゃれ込んだ
朝6時、東京駅。
「ほら急ぐよ、望」
先を行く帆乃香を一磨と望が追いかける。東京駅の人混み。一磨はスイスイと避けるが、望は危なっかしい。生まれて初めて新宿に来た時もそうだったが、望は人混みの中を歩くのがどうも苦手のようだ。
徳島県へ行くのだから、飛行機を利用しないとすれば東海道・山陽新幹線以外にはない。東海道新幹線のホームは東北・上越新幹線のホームのさらに奥だから、結構わかりにくい。こういう時の帆乃香は、とても頼り甲斐がある。
左手に切符売り場。早朝の始発だから自由席でも座れるはずだ。但し3人だから海側の席になる。当然、富士山は見られない。
切符を買うのも帆乃香。新幹線には通常の切符と特急券の二枚が必要だが、乗り慣れていないと結構、迷う。切符を二人に手渡す帆乃香。
「二枚一緒に改札に通すんだよ」
帆乃香がまず手本を見せる。その後を一磨と望が続く。
「ええと、18番線ホーム」
一番奥だ。突きあたりの階段を右手に登る。
「いた。ほら望。あなたと同じ名前よ」
のぞみ5号・博多行。正直、望は「嫌だなあ」と思う。一般公募の結果なのだろうが、そもそも名前の由来が意味不明だ。「こだま」や「ひかり」ならば、その速度に基づくものだとわかるが。そのノリで行くならば「たきおん」とか「わあぷ」で良かったではないか。
階段を登った場所は、ちょうど7号車の入口。7号車は自由席の一番先頭側である。
中は案の定、がらんとしていた。これなら、どこでも座れる。帆乃香を窓側にして一磨、望と座る。
最初の降車駅は「岡山」。桃、ままかり、そして学生服の生産が盛んな土地である。
東京を6時30分に出発して、岡山には10時に到着。そこから在来線に乗り換えて四国に入る。どこで乗り換えて、どの切符を出すのか?こういう場面でも、やはり帆乃香が頼りだ。
瀬戸大橋を超えると景色は一変。電車は山の中を走るようになる。次の乗換駅である阿波池田には11時半に到着。先はまだ長い。最終目的地である阿波福井には14時に到着する予定。ということで、ここで駅弁を調達。地元の鮎をおかずにした弁当を3人前。
吉野川を上流から下流へと進む電車。再び海が見えると、そこは県庁所在地の徳島。ここで最後の乗り換えを行う。
予定通り、3人は14時に阿波福井駅に到着した。ここからは地元警察のパトカーでPIPIRUMA本社である榾木のポートタワーのある蒲生田岬へと向かった。一人片道およそ2万円。東京から四国は、さすがに遠い。
PIPIRUMA本社。
「無駄足でしたわね。そのような方は、ここへはいらしてはおりませんわ」
「そうですか」
「ご協力できなくて、申しわけございません」
「いえ、こちらこそ、ご迷惑をおかけいたしました」
3人は会長室から出ると榾木のポートタワーの最上階からエレベータで1階へ降りた。 榾木のポートタワーの外に出た3人。
「あの会長さん、副長に似てたなあ」
「ほんと、まるで親子のようにそっくりだったね」
「副長、まだ意識が戻らないんだろう?」
3人はそんな会話をしながら再び阿波福井駅へと引き返した。
「会長」
登志夫が会長室に入ってきた。文は3人の乗ったパトカーを最上階から見送っていた。
「申し訳ありません」
「心配いりません。博士と私たちの関係は、いくら捜査したところで絶対にわかりはしません」
「そうですね」
「当分の間は静かにしていましょう。今はまだ革命を始める時ではありません」
「はい」
この会話。やはり博士は共産ネットワークと関係があったのである。
博士は共産ネットワークのメンバーの一人だった。それもかなりの強信者で、1日も早く「行動に移りたい」と思っていた。博士は焦っていた。博士は会長の「まだ時期ではありません」という忠告を聞かず、着実に政権の地盤を固める中道政府を揺さぶるために勝手に爆破予告をしたのだった。
そもそも、この博士がN賞を獲得した物理学理論。読者は既におわかりかもしれないが「オナラウッドの遺産」である。強信者である博士をニッポンの科学技術研究の中心地である筑波へ送り込むために「博士が発見した」ことにしたのである。
それはさておき、銅鐸の塔には「オナラウッドの遺産」としてバリア兵器と核融合エンジンが残されていた。一方、榾木のポートタワーにも、いろいろなものが残されている。もとより榾木のポートタワーの地下のドックには珍柿が地球に来る時に乗ってきた巨大宇宙戦艦が隠されていたくらいだ。遺産の数は「銅鐸の塔よりも多い」可能性もある。
いずれはオナラウッドの遺産を継承したコックローチと共産ネットワークによる「ニッポンを賭けた全面的な戦い」が繰り広げられるに違いない。前者が中道主義を、後者が共産主義を貫こうとする限りは。
「ううっ」
文が頭を押さえる。いつもの頭痛だ。
「何で、こうも頭痛が酷いのかしら。これが更年期障害というやつなのですか?」
「会長は激務です。そのためでしょう」
「勝手に動いて、事を荒立てる者が最近多い。1日も早く決起したい気持ちはわかりますが、今はまだ待つことが重要です。そのことを徹底させてください」
「はい」
「それから、例の件。調査は進んでいますか?」
「それが、なかなか進んではいません。どうやら政府の『最重要機密』のようで、情報収集は困難を極めています」
「このまま引き続き、調査を進めてください。組織の実態がわからないことには、こちらも迂闊には動けません」
「わかりました」
登志夫が退出した。文が独り言を呟く。
「コックローチ。コックローチ・・・」
例の件というのが「コックローチ」のことであるのは言うまでもない。文はよもや先程の3人がそのメンバーだなどとは、およそ想像もしなかった。
※
樹音が所属する教室は学生が5人しかいないから、当然のように5人は親密である。
拓巳はエリーにぞっこんで、エリーはそのことには全く気が付いていない。勇気と愛美は拓巳の気持ちに気が付いていて、拓巳を応援しているのだが、当の拓巳本人が奥手で、二人はやきもきしている。
樹音は当然、ここでもスターだ。その樹音が4人のいる教室に勢い良く入ってきた。
「みんなー、有楽町の画廊、決めてきたよ。来週1週間」
5人で作品を出し合って、合同美術展を開催する話である。
メディアも大手企業もマンガ・アニメの方が「若者にアピールできる」ということで美術になど全く関心はない。ならば「自分たちで企画を練って活動する」以外にはない。有楽町界隈には昔から貸画廊が沢山ある。
「スペース的にはF50号で20枚は飾れるよ」
「ということは一人5枚か」
「F10号なら、10枚でもいけるな」
「初めての美術展、凄い楽しみだわ」
「早速、飾る絵を選ばなくちゃ」
そんな5人のところへ、そんな5人に「水を差す連中」がやってきた。アニメ教室に所属する学生たちだ。その中で「女王様」と呼ばれる小百合が仲間を代表して次のように言った。
「オホホホ。随分と楽しそうじゃありませんこと?『時代遅れ』の油彩画をおべんきょーする皆さん」
「何の用?」
「いえね。小耳に挟んだものですから。今度、皆さまで企画展を開催するとか、しないとか?」
「ええ、そうよ」
「せっかくですから、ご忠告して差し上げますわ。たとえ、お客が一人も入らなくても、がっかりなさりませんように。オホホホ」
「やかましい、さっさと帰れ!このレッサーパンダめ」
「レッサーパンダだなんて、なんて失礼なことをおっしゃるのかしら?」
これは、連中の間で「プリマドンナ」と呼ばれている瑠璃(るり)。いわゆる小百合の「腰巾着」だ。
「小百合女王様。帰りましょう。こんな連中、相手にしても仕方がありませんわ」
「そうね瑠璃。オホホホホ」
アニメ教室の学生らは退散した。
「ったく、厭味な連中だわ。プンプン」
「仕方ないよ。確かに事実だから」
「だから、俺たちで油彩画を復権させるのさ。なあ」
「そうそう、そう言うこと」
「結果よりも、まずは行動することが大事よ。1874年の第一回印象派展だって散々な結果だったじゃない」
「それが今では『美術史上の大事件』だもんな」
「俺たちの美術展だって将来『そうならない』とは限らない」
こうした厭味な連中の存在はむしろ5人の絆をより強くするのだった。
そして1週間後。
朝の10時から作品の搬入が始まった。作品を取り敢えず壁に立てかける。全部立てかけてから位置決めをする。次に魚釣りの時に使用する分銅のようなフックが付いた金属のワイヤーを天井のフックから吊り下げる。天井のフックはレールによって左右に稼働する。各絵に対し2つのフックが必要だ。片側の脚に車輪の付いた脚立を動かしながら天井のフックの位置を動かし、ワイヤーを引っかけていく。脚立の上には拓巳。勇気と愛美が脚立を動かす。動かす時には拓巳は降りなければならない。脚立に登っては降り、降りては登る。拓巳はひとり汗まみれだ。
分銅型のフックは上にボタンがあり、それを押している時だけ上下に移動させることができる。ボタンを押しながら高さを調節する。調節後に絵を実際に掛けてみる。この時はまだ仮の状態で、最終的に高さの微調整を行う。これは樹音とエリーの二人が行っている。 ワイヤーを全部設置したところで、ワイヤー組の3人もフックの高さ調整に加わった。
絵の調整で難しいのは左右の平衡だ。人間の目というのは敏感で、ほんの少しどちらかが高いだけでも斜めになっていることが判る。分銅型フックのボタンを押しながら微妙にずらす作業は結構、面倒くさい。一人が絵を持ち上げ、もう一人がフックをずらす。余ったワイヤーは丸めてから絵の後ろに隠す。地震などで絵が揺れぬようにワイヤーを壁にホッチキスで留める。
ここまで終わったら、今度は天井のスポットライトの調整だ。全ての絵にスポットライトを照射する。スポットライトも天井のレールへの嵌め込み型。レールに嵌めこんでからライトを90度ひねる。レール自体が電気ケーブルとなっており、上手く嵌まれば自動的に点灯するのだ。
そしてネームプレートの貼付け。前もって制作していた画題と作者名を記載したプレートを絵の下に貼る。これで完成。
CDデッキで音楽を流す。ギャラリーに音楽は付きものだ。CDは樹音が家から持参した。チェリーから受け継いだもので当然、クラシック音楽だ。しかもチェリーが生前、愛聴していたものだから、こだわりは相当なものだ。ブルックナー&チャイコフスキーはマタ公(マタチッチ)、モーツァルト&ベートーヴェンはスウィトナー、ウィンナワルツはクラウスといった具合である。いずれも指揮を「自分の個性を見せびらかすパフォーマンス」と考えている現代の指揮者とは異なり、作曲家の意図を忠実に再現しようとする誠実な指揮者たちだ。
あとは来館者が寛ぐための机を並べるとか、花を飾るといった作業だけだ。
ここで休憩を入れる5人。
初日の開館は12時。まだ1時間ある。みんなでのんびりしよう。机と椅子を並べて全員で椅子に座った。
まずは5人の作品の総括から。
最初に言ってしまうと、5人の作品は全て一般庶民が「何を描いているのか、さっぱりわからん」と首を傾げるような作品はひとつもない。即ち「現代アートではない」。これは当然のことで、5人は現代アートが嫌いなのだ。
彼らには共通する哲学がある。エンターテイメントは「楽しさ・面白さ」を、デザインは「実用性・機能性」を、アートは「人間性・感受性」を目的とするというものだ。
では、現代アートは?
現代アートは自分勝手な振る舞いを「自由」や「個性」と錯覚した人間によって生み出される粗大ゴミである。自分勝手であるから内容は浅薄で、不道徳は当たり前。時には反平和的・非人道的でさえあったりする。「100人の鑑賞者がいれば100通りの見方がある」という主張からわかるように、制作者には「自分は鑑賞者にこれを伝えたいんだ」という明確なメッセージさえもない。実に無責任な話だ。そりゃあそうだろう。自分勝手な振る舞いを自由や個性と思っているような人間に「中身の深い思想・哲学」など最初からあるはずもない。
ウケを狙ってエンターテイメントやデザインの要素を導入しているから、アートなのかエンターテイメントなのかデザインなのか区別も曖昧。自ら「それを狙っている」と嘯き「それまでのアートの権威を否定しているのだ」と言いながら、実のところは人一倍アートの権威に拘り「自分の作品は紛れもないアートだ」と声高に主張する。
現代アートをエンターテイメント、デザイン、アートのどれかに当てはめようとすれば、最も近いのは「エンターテイメント」だろう。だが、それにしても本当のエンターテイメントほどの楽しさ・面白さは期待できない。楽しさ・面白さを求めるのであればTDLの方が遙かにその要求を満たしてくれる筈だ。
社会問題をテーマにする作品の場合、その取り扱い方は「民衆よ、今こそ立ち上がれ」ではなく「揶揄して面白がっていましょう」という後ろ向きな姿勢に終始。まさに「アートの姿をした念仏」である。それもこれも現代アーチストは「現代社会を反映する」という美名の元に積極的に「現代社会に迎合する」からだ。
そして何より、現代アートは今日「この作品の魅力が判らない奴にアートを語る資格はない」といった具合に、美術評論家をはじめとするインテリ階級が上から目線で一般庶民を見下すための道具と化している。成程。現代アートの中にはオークションで100億円を超える落札価格を得たものもある。だが、こうした庶民蔑視のインテリ階級が高く評価する作品が、果たして本当に「価値のある作品」といえるのだろうか?
5人の答えは「NO」。なぜなら庶民蔑視だから。庶民蔑視の政治や行政や報道が「悪」であるならば庶民蔑視のアートも「悪」に決まっている。それが5人の結論であった。
更に5人はマンガの一コマを拡大したもの、浮世絵とマンガを合成したものなど、マンガ・アニメの要素を導入した作品も大嫌いである。確かに、それらは容易に若者たちに受け、内容的にも面白いのだろうが「面白さや楽しさを提供する」ことが第一義であるとすれば、それはもはやアートではなくエンターテイメントである。
アートとエンターテイメントが接近。両者の区別がつかない状態になっても何の益も生み出しはしない。アートがエンターテイメントに取り込まれるだけの話だ。それが「芸術文化の衰退現象」でなくて一体全体何であろう?
芸術文化の衰退と言えば、実はもうひとつ重要な要因がある。「特許・著作権」の過剰な保護である。芸術が世界を動かす運動=イズムとなるためには世界中の芸術家が「同じアイデアに基づく作品」を創作する必要がある。たとえばキュビズムはブラック・ピカソのアイデアに沢山の芸術家が追従した結果であり、フォービズムはマティス・ブラマンクのアイデアに沢山の芸術家が追従した結果なのだ。だが、特許・著作権を重んじる世界では、こうした追従は「模倣=パクリ」として非難される。その結果、芸術はイズム=世界的な運動とはなり得ず、芸術の持つ「社会を変革する力」は完全に失われてしまった。そして、こうした「力なき芸術」「娯楽としての価値しかない芸術」という状況を喜ぶのは誰か?言うまでもない。平和な世界を忌み嫌い「軍拡競争」に明け暮れる悪徳政治家たちだ。だから先進国の政治家たちは進んで「特許・著作権」の保護を声高に謳うのである。そして一部の芸術家もまた、そうした主張に賛同。「自分の権利」ばかりを叫んで、自分の生み出したアイデアや技法が他の芸術家に使われることに神経を尖らせている。実に愚かな振る舞いだ。こういう芸術家は芸術を「自分の富や名声を得るための手段」としか考えておらず「世界を正しい方向へ導く力」であるなどとは思っても見ないのだ。
そもそも特許・著作権が喧しく言われるようになったのは「産業革命以後」の話でそれほど古くはない。確かにデューラーのように著作権に拘り、裁判まで行った画家もいるが、その判決は「モノグラム(サイン)以外は模倣しても良い」という内容である。そして産業革命以前のヨーロッパでは、当時は先進国であったアジアの文明を模倣することは当たり前のように行われていたのだ。マイセンやセーブルなどヨーロッパの有名な焼き物工場の多くは中国磁器の模倣を目的に設立されたものだ。そればかりか、その国の名産品を勝手に持ち帰り、自国の名産品にしてしまうといったことも平気で行われていた。オランダと言えば今日、チューリップで有名だが、チューリップは中央アジア原産の花である。産業革命によって自分たちの文明の方が上になったとき、突然のように「特許・著作権」と騒ぎ始めたのである。特許・著作権の源は正しい道理とはほど遠い「手前勝手な主張」なのだ。
アイデアの発明者とその発明を有効に活用できる人物が「同一人物」である保証もない。国レベルにおいてさえ「アイデアは欧米が、応用はニッポンが得意」という世界の常識があるくらいなのだ。過去に特許・著作権という高い壁のために、どれほど多くのアイデアが活用されないまま埋もれたことだろう。ルネサンス時代が芸術の最高峰である理由は、誰もが他人のアイデアを自由に利用できる環境だったからだ。そうした環境だったからこそ、あらゆるアイデアや技術が最高レベルまで洗練され得たのである。「モナ・リザ」などはその代表例で「斜めを向いた半身像」「上から見下ろす風景」「微笑み」などは決してレオナルド・ダ・ヴィンチのアイデアではないのだ。こうしたことは実は現代においても行われていて、たとえば「カーデザイン」の分野ではトレンドセッティングの名において魅力的な車のデザインやコンセプトを他社が模倣することは常識となっているのである。
そして、特許・著作権に対するニッポン人の姿勢についても言及する必要がある。というのは,ニッポンは幕末までは「中韓の模倣」、明治以後は「欧米の模倣」に積極的な国だったからだ。そして特許・著作権という概念に慣れ親しんだ今日においては中韓によるニッポンの模倣については声高に「パクリ」と非難しながら、欧米によるそれについては「ニッポンが世界に認められた」と喜ぶという、いかにも「一億総中流」らしい振る舞いをする。つまり現代ニッポン人の意識は「自分たちは欧米より下、中韓より上」なのだ。だから中流。凡そ「上流な民族の振るまい」とは言えない。こうしたニッポン人の、相手の立場に応じて自分の振る舞いを180度変える二重人格者の如き性格の代表的なものといえばモネやゴッホといったフランス印象派時代の絵画に対する「身贔屓」にも似た親近感を挙げないわけにはいかない。ニッポンの浮世絵版画の影響を受けたこれらの絵画。本来ならば「パクリ」と非難するべきところをニッポン人は「ニッポンの美意識がフランス人に認められた証拠」とむしろ鼻高々なのである。これがもしも中韓の画家による作品だったならばきっと「勝手にパクるな」と非難囂々であるに違いない。
かつてノーベル賞を受賞したニッポンの科学者が、自分が所属していた企業を相手に「発明は自分のものだ。だから売り上げの9割をよこせ」と裁判に訴えたことがある。呆れてものも言えない。ノーベル自身、特許料で儲けたのではない。大企業を経営する「実業家」として儲けたのである。オナラウッド研究所芸術監督だった珍柿は箴言集『柿の木(こんなものまで書いていたのか!)』の中で次のように述べている。「発明1割・製造4割・販売5割」と。これは営業が最も大変な仕事であり、次に大変なのが量産、アイデアを生み出すなどというのは実に簡単なことだということを示している。その通りだろう。だから本や音楽の印税は「1割」なのだ。因みに画家と画廊の場合には、画家は発明・製造を担うから5割で、販売を担う画廊は同じく5割となる。ニッポンの画廊は一般的に3割しか取らないから良心的である。
最後に「パクリ」と「パロディ&オマージュ」の違いについて述べて、この議論を終了したい。パクリとは他人のアイデアを恰も「自分のアイデア」のように装って使用することであり、「出典はあれだな」と誰もがわかるように使用する場合はパロディ&オマージュとなる。両者は明らかに異なるもので、前者が「手抜き仕事の結果」であるのに対し、後者はむしろ「高度なテクニック」を要求されるのだ。自分のアイデアだけで充分なところに敢えて不自然にならない形で「他人のアイデアを組み込む」わけだから。和歌の伝統のひとつ「本歌取り」などはその代表例と言えよう。それは和歌を詠む者と、その和歌を鑑賞する者の双方に「高い教養」を求める高度な芸術技法なのだ。
会館30分前になると樹音が立ち上がった。樹音は全員の作品を1点ずつ鑑賞し始めた。すると残りの4人も樹音の傍に集まった。全員による「品評会」が始まった。
まずはエリー。
エリーはF4号の小品が中心。背景を黒く塗り潰し、その中に静物を写実的に描く。
「エリー凄い」
「まるで本物そっくりじゃない」
樹音が評する。
「これは、高橋由一?それとも岸田劉生?」
エリーは、にやりと笑った。
ズバリ樹音の正解。エリーはニッポンの「脂派」の作品が大好きなのだ。なぜなら、それらが、ニッポン人が描くべき油彩画の「本来の姿」であると信じるからに他ならない。
高橋由一や岸田劉生の写実は本人たちがどう考えていようと西洋の伝統である写実主義とは明らかに異質のものだ。それはニッポン古来の伝統精神に根ざした、外観だけでなく内面をも見事に写し取る写実だ。エリーは自らも、そうした写実精神に基づく作品を描くのだと決意していた。すなわち「海外の真似事」ではない、ヨーロッパのアカデミズムとは明らかに異なるニッポン人ならではの「実物以上に実物らしい」生々しい、毒々しい雰囲気をたたえる写実画をだ。
置物の大理石、蝦蛄の甲殻、登山ナイフのダマスカス鋼や鹿の角、これらの質感までも描き切る腕は紛れもない本物である。
といっても、エリーは「独自の技法」などといったものを決して見せびらかしたりはしない。むしろ独自の技法など「何もない」といった方が正解だ。見たものを見た通りに描く。エリーは「絵を描くことの基本」をストレートに実践する。それはまるで「独自の技法などを売りにするのは、所詮は小手先技の二流仕事にすぎない」と言っているかのようだ。
次に拓巳の絵を見る。
拓巳の絵は猫が絵筆を咥えて寝ていたり、キャンバスに向かっている絵。その名もズバリ「猫のアトリエ」。体形が丸っこい自分をそのまま描くとカッコ悪いから、体形の丸っこい猫に見立てて描いた作品だ。本棚には沢山の図録が並び、床にはいろいろなものが置かれている。絵によってそれは「昭和の品」だったり「置物」だったりする。
「お前の絵って、容姿に似合わず『かわいい』んだよな」
勇気の指摘。
全くその通りである。ぱっと見た人はこれらの絵はきっと「女の子が描いた」と思うだろう。だが、拓巳は正真正銘の男である。たとえ外見は丸っこくて、男っぽくなくても。
次は愛美。
愛美の絵もまた拓巳と同じく動物がモチーフ。といっても愛美の描くものは、蛇や蠍や百足など、およそ気持ちのいい動物ではない。むしろ多くの人々が忌み嫌う生き物ばかりである。それらを確かなデッサン力でリアルに描く一方、色彩は世界地図を思わせるカラフルな色彩で塗ることで、それらの不気味な生き物たち「新たなる魅力」を与えているのだった。
そして、その中には勿論「ゴキブリ」もいる。樹音はその絵を見ながら「これは私だ」と思うのだった。
勇気は大胆にも150号の大作1点のみで今回の展示会に臨んだ。鯨の群れが体から血を流して横たわる。それらを銃殺しているのは旧日本軍の兵士たち。
絵のタイトルは「南京大虐殺」。
中道政府のおかげで、こうした絵も堂々と展示することができるようになった。右翼政権の時代では到底、不可能だっただろう。
この絵の特徴は旧日本軍の蛮行の代表である南京大虐殺と右翼政権時代に盛んに行われていた調査捕鯨の二つの事象を一枚の画面に同時に描いていることだ。単なる歴史画ではなく「ダブルイメージ」という芸術手法が試みられているのだ。
樹音はこの絵をとても気に入った。「中道政府の時代」とはいっても右翼思想の連中は未だニッポンにはウヨウヨ存在しており、このような絵はそうした連中の神経を逆撫でするに決まっていた。場合によっては「命の危険」さえあるこうした絵を平気で発表してしまう勇気の「勇気」を樹音は称賛した。樹音は勇気をその名の通り、勇気のある「真の男だ」と思った。望がいなければ「恋に落ちて」いただろう程に。
そして、いよいよ樹音の絵だ。
その時。
「おじゃましますわね」
まだ開館時間ではないにも拘わらず、勝手に中に入ってきた一団があった。
「あっ、お前ら!」
それは小百合を女王と戴くアニメ教室の連中だった。
「暇つぶしに、ちょっと覘きに来て差し上げましたの」
実にムカつくインテリ芸能人を思わせる上から目線の物言い。
「まだ開館前だ。見たいんだったら、時間まで外で待ちやがれ」
「別にいいじゃない?」
「そうよ、そうよ」
腰巾着の瑠璃がキャンキャンと吼える。
「見ていただけるだけでも、ありがたいと思いなさいな」
いよいよ樹音の絵だ。
樹音は2点の油彩画を展示していた。いずれもF100号。タイトルは「妙槍」と「法槍」。タイトルからわかる通り「妙と法の関係性」を、槍ヶ岳を例にして絵画として表現したものだ。文章だと「妙は本で、法は迹」「妙はあの世で、法はこの世」「妙は宇宙の根源で、法はエネルギーを素材とするコピー」といった具合に沢山の譬えを記述しなくてはならないが、絵画ならばいっぱつだ。
法槍は普通に朝の槍ヶ岳。そして妙槍はまるで山自体が虹のように描かれている。しかも法槍とは左右反転にしていることで「本体とコピー」の関係を示唆しているのだ。
そして樹音はこの二枚の絵をキャンバスではなく木の板に貼った一辺7,5㎝四方の金色の折り紙の上に油絵の具で描いていた。そうすることで、あたかも「金箔」の上に絵を描いているように見せているのだ。この技法はウィーン分離派の画家コロマン・モーザーが好んで用いたもので、このようなことをする画家は現代においては勿論、ひとりだっていやしない。樹音はその技法を復活させたのだ。本物の金箔はお金が掛かるが、これならば安上がりで済む。樹音は常々、油彩で絵を描くことの「敷居を下げる」ことで油彩を描く人の数が増えることを願っていた。「金色の折り紙でも金箔調の作品を描けます」というわけだ。
そしてこれは「絵画の本質」とは何かを問う作品でもある。絵画の本質は勿論、実物を再現するにしろ、自分の想像の世界を再現するにしろ、他のモノで再現する「模倣性」即ちコピーであるということだ。であるならば、本物の金箔よりも金箔を模倣した金の折り紙の方がより「絵画の本質に近い技法」であるとさえ言えるのである。勿論、本物の金箔でないことを非難する美術評論家や日本画家がいることは容易に想像できる。彼らはきっと「こんなものはニセモノだ」と声を大にして言うだろう。だがそれは「車海老のソテーは美味い、ブラックタイガーのそれは不味い」といって自分の味覚の敏感さを自慢する美食通のようなものだ。このような輩は決して「舌が肥えている」のではなく、むしろ「車海老は高価、ブラックタイガーは安い」という食材価格による先入観によって「味覚が麻痺した人間」であることを自ら暴露しているに過ぎないのである。どこでも手に入る安い食材で美味しい料理を作れるのが「料理人の腕」であり、生で食べても絶品の最高級食材でなければ美味しい料理を作れないならば、そんな料理人はむしろ「三流料理人」であろう。無論、最初から食べ残されることを前提に「激辛料理」を売りにする料理人などは糞である。まさに「料理の現代アート」である。「全て美味しく召し上がって頂く」ことを目指すのが料理人の志というものだ。
だからだろう。樹音は近年のニッポンにおける「フェルメールブーム」が気に入らない。その理由が「高価なラピスラズリをふんだんに使用して深みのある青色を出しているから」というものだからだ。これは樹音に言わせれば「フェルメールに対する冒涜」である。つまり「高価な材料を使用しなければ深みのある色を出せなかった凡庸画家」と言っているのと同じというわけだ。チェリーを父に持つ樹音は思考がずば抜けて「理論的」なのである。
小百合は樹音の絵をまじまじと眺めた。そして小百合はこうしたことを瞬時に読み取った。樹音の画家としてのセンスを見抜いたのだ。
そして実のところ、小百合も本当は画家になりたかったのだ。だが「時代がそれを許さない」と判断、アニメの道を進むことにしたのである。小百合はこの絵を見て正直、樹音が「羨ましい」と思った。自分は時流に迎合して、将来の就職のことも考えてアニメの道を選んだけれど、本当はやはり「油絵を描きたかった」のだ。たとえ生涯、売れなくてもいいから、自分もこんな絵を描きたかったのだと小百合は改めて気が付いたのだ。
「ふん、なによ、こんな絵」
小百合の隣で瑠璃が愚痴をこぼす。他の男子生徒3人を含め、腰巾着は「小百合の本心」など知る由もない。
小百合の様子がおかしいことに気が付いたのは、やはり人一倍感受性の鋭い樹音だった。絵を見る小百合の瞳は「軽蔑のまなざし」とはほど遠いものに見えた。
「女王様、もう出ましょう」
「そ、そうね」
小百合らは出ていった。
「あいつら、ほんとにあったまくるなあ」
「まったくよ、何て厭味な連中なの」
「これからだってのに、縁起悪いったらありゃあしないぜ」
「塩もらって、撒きましょう」
他の4人がそうした文句を言う中、樹音だけが悲しそうな「小百合の瞳」のことを黙って考えていた。
企画展示会は2日、3日と過ぎていった。
来館者はやはり昼休み時と夕方が多い。銀座や有楽町界隈のオフィスで働く会社員が中心だ。でも、中には異様な姿をした連中がやってくることもある。
迷彩服に身を包んだ、見るからにガラの悪そうな若者3人組。3人は勇気の作品をじっと眺めていた。
「けっ」
そう言って3人は会場を出ていった。
夜8時、閉館。
今日の受付担当だった勇気と樹音の二人が有楽町駅に向かって歩く。近道を行こうと、ビルの路地に入る二人。
「おい、待ちな」
勇気と樹音に後ろから声をかけてきたのは昼間の3人組。手にはナイフをちらつかせていた。
「へへへへへ。随分と、ふざけた絵を展示してるじゃあないか」
自分の思想を常に「正しい」と信じ込み、気に入らない相手は「力」で黙らせる。「表現の自由」を侵害するくらい何とも思わない。それが右翼というものだ。
本来、アートとは思想・哲学・信仰・食糧難や人種差別といった社会問題など、人間が人間らしく生きる上で絶対に忘れてはならないにも拘らず進んで「関心を示さない事柄」に人々の関心を向けさせるためのもの、即ち人格形成のためのものである。そういう点では勇気の作品は非難どころか称賛されるべき作品だ。そして、これこそがアートがマンガ・アニメといった「楽しさ・面白さ」を第一の目的とするエンターテイメントとは異なる点であり、マンガ・アニメでは決して「アートの代用品」には成り得ない理由でもあるのだ。
「樹音、下がってて」
勇気が樹音に言う。勇気は樹音の正体を知らない。勇気は、この場は「自分が戦うこと」が必然と思っていた。
無論、逃げるような樹音ではない。むしろ樹音は「自分が戦う」と腹を決めていた。どうせ右翼思想のチンピラ3人。ナイフを手にしているといったって、自分のカポエラに敵う筈もない。
「勇気下がって、私がやるから」
「冗談だろう?ここは俺があいつらをやっつけるから、樹音は後ろに下がっていろ」
この時、樹音は「妙だな」と思った。勇気は私に「逃げろ」と言わなかった。後ろに下がっていろとは即ち「こんな奴ら、軽々と捻って見せるぜ」という意味だ。
(まさか、勇気は)
樹音は勇気に興味を持った。樹音は素直に後ろに下がった。無論、ピンチになったらいつでも飛びだせるようにしながら。
「来いよ、チンピラ」
「野郎。切り刻んでやる」
3人組が勇気に襲いかかる。
「やあっ」
勇気が飛んだ。まるで鳥のように高く。3人組はあっという間に蹴散らされた。
「くそう、覚えてやがれ」
おなじみの捨て台詞を吐いて逃げ出す3人組。
「何だ?全然、大したことない奴らだな」
自分のズボンをパンパンとはたく勇気。樹音同様、足技を得意とする格闘技。カポエラは姿勢を低くして足技を繰り出す技だが、勇気のそれは脚力を生かして高く舞い上がり頭上から攻撃を仕掛ける空中殺法。
「樹音。今日のことは内緒にな。皆が心配するといけないから」
二人は再び有楽町駅へ向けて歩きだした。
「勇気、強いんだね」
「ちょっと訳があって、鍛えているから」
「訳?」
勇気はその「訳」については話さなかった。人には話したくない「プライベートな理由」があるのだろう。樹音もこれ以上、訊くようなことはしなかった。
日曜日の夕方をもって企画展は終了した。結局、5人の作品は一つとして売れることはなかった。だが、めげるな!若者たちよ。「自分の夢は宝くじを当てて億万長者になることだ」などとほざいている大人たちからの野次や嫌味などには耳を貸すな。奴らは所詮、夢をゴミ箱に捨てた「体だけ生きている死人=ゾンビ」だ。きみらはそうではない。本当に生きている。だから何度でも自分の可能性を試すのだ。結果が出ないのは辛い。だが、何度でも敗北を味わう覚悟のできている勇気のある人間だけが最後に勝利を手にすることができるのである。
次回予告
遂に共産ネットワークが動き出した。東京の主要施設が次々と陥落する。ジミーは警視庁を、首相は官邸を、それぞれ放棄しなければならなかった。この期に及んで向かう場所は、あそこしかない。ヘリコプターは東へと飛んだ。
その昔、ジャン・チェリー・シーバス・量子が駆け上った階段を今、望と樹音が駆け上る。
会長・文の「消された過去」とは?
そして、忍の運命は?
共産ネットワークとの闘い、遂に決着!
新・コックローチ8
7月15日、一般公開。
お楽しみに。
8
いかなる政府であれ、すべての国民から支持を得ることなど決してできない。
たとえば不正とは無縁の、庶民のために全力をもって政策に取り組む政権があるとする。だが、そうした政権による政治であっても、否、そうした政権であるからこそ、己の特権や利益にしか関心のない利己主義的な人間にとっては「不満だらけの政治」に思えるものなのだ。
そして現在の中道政権はまさにそんな政治であった。
ここで、中道政権に不満をもつ人々について、ざっと整理してみよう。
① 元公務員
② 漁業関係者
③ 神社の宮司
④ マスコミ関係者
⑤ インテリ芸能人
⑥ 一部の建築関連業者
⑦ 右翼思想家
①について。公務員に限った話ではないが、この時代、真剣に仕事をする人3割、普通に仕事をする人4割、そしてちゃらんぽらんな仕事をする人3割というのが公務員の、およその比率であった。そこで政府は日頃のモラル・マナーが乱れた公務員に対し、それを理由に懲戒免職できるように公務員法を改正した。たとえば「ながらスマホやヘッドフォンで道を歩く」とか「ゴミをポイ捨てする」といった行為が露見した場合、それを理由に公務員を懲戒免職できるようにしたのである。その根拠は「日頃のモラル・マナーが怠惰な者が真面目に仕事をするはずがない」というものだ。その結果、怠惰な仕事しかしない3割の公務員が次々と懲戒免職を受けたのである。
②について。中道政府は調査捕鯨を禁止した。「食物連鎖の頂点に立つ生物を人間の手で捕獲してはならない」という自然の摂理に適った理由によるもので、代わって政府は近年、頭数が増えた野生の猪や鹿を積極的に捕獲、食肉として流通させることを奨励した。その結果、鯨肉業者の恨みを買うことになったのである。
③について。これについては改めて説明の必要はあるまい。皇室典範の改正や地鎮祭の禁止などによってこの時代、廃社が相次いでいるのである。
④について。中道政府は大胆にも報道の自由に対し「人道的配慮」という理由によって規制を加えた。たとえば、ひき逃げではない交通事故の実名報道の禁止や、警察が用意したものではない、マスコミが独自に入手した刑事事件の被害者や加害者の動画や顔写真の使用禁止などである。前者は「ひき逃げの減少」に寄与し、後者は「女性の人権保護」に寄与したが、ニッポンのマスコミはこれを憎んでいるのである。
⑤について。これは「年30日以上テレビ出演する者は年収を一般公開する義務を負う」という法律に対する不満に他ならない。無論、これが「ニュースキャスターを標的にした法律」であることは言うまでもない。ニュースキャスターの年収を一般に公表することで、庶民感覚とは全くかけ離れた贅沢三昧な生活を営むインテリゲンチャにすぎない「彼らの本質」を見事に暴露したのである。
⑥について。中道政府は二つの建築関連物を廃止した。一つは「ブロック塀」もうひとつは「エスカレータ」だ。前者は「地震対策」や「交差点の見通しの改善」を理由とし、後者は「メタボ対策」や「省エネ(エスカレータは当然、電気で動く)」を理由とする。だが当然、それらを仕事としてきた人々からは不満を持たれる結果となった。
そして⑦。いうまでもなく彼らは「サムライ・日の丸」を礼賛、平和思想を蔑如する「平清盛・足利尊氏気取り」の国賊連中である。
こうした人々が現在の中道政府に「不満を抱く存在」であり、こうした人々が少しずつ「一つの場所」に集まり出していたのである。
そもそも立派な政治を行う政府ほど「テロを実行されやすい」。なぜなら善良な市民を蔑ろにする政治に不満を抱くのは「善良な市民」であり、善良な市民は善良ゆえに政治に不満を抱いても「反対デモ」を開催するといった具合に反抗の仕方は「合法的な手段」にとどまるが、立派な政治に不満を抱くのは汚い社会でこそ利益をむさぼることのできる「ガラの悪い連中」であり、そのような人間は進んで「脅迫」「テロ」「暗殺」といった違法行為を企むからだ。だからこそ多くの政権がテロや暗殺を恐れて、進んで「市民蔑視の政治」を行ってきたのである。2000年から2020年代にかけての右翼政権などは、まさにその典型的な例に他ならない。こうした政権は過激で野蛮な連中に怯え慄き「へいこら」するかわりに、暴力に訴えることのない善良な市民を虐げるのである。
「諸君、遂に我々が立ち上がる時が来た。平和主義を掲げる現在の中道政府を倒し、この国を再び『アジア最強の軍事国家』とするのだ」
「オー!!」
かくして①から⑧までの、現在の中道政府を恨む不満分子が遂に一つに結束した。そして、そのリーダーの名は登志夫。
といっても、登志夫は彼らの前では偽名を名乗っていた。理由は勿論「共産ネットワーク」の№2であるという事実を隠すためだ。右翼思想の連中を操る者の正体が共産主義者では確かに拙かろう。
だが、そこにはもっと「奥の深い理由」が隠されていたのである。
警視庁、中央監視センター。
「敵の動きは?」
「はい。現在、富嶽新聞社、ジパングテレビを占拠。皇居、首相官邸は交戦中。防衛省、東京都庁、党本部も占拠されました」
「ここの状況は?」
「1階にて敵と交戦中ですが、状況は不利です」
「天皇皇后両陛下をヘリで軽井沢へ御避難さしあげろ。それから至急、長野県警と連絡を取り、軽井沢の警護に当たらせろ」
同時多発クーデター。既に主要施設の多くが敵の手に落ちていた。
ジミーが決断する。
「私は今から屋上のヘリで首相官邸へ向かう。5分後、きみらは降伏するんだ。いいな」
「総監」
「無駄に血を流させるわけにはいかない。いいな、これは命令だ。私がここを去ったのち、直ちに降伏するんだ」
中央監視センターの全員が「無念の涙」を流す。ジミーがそんなみんなを慰める。
「悲しまないでくれ。私は再びここに戻ってくる。ほんの暫くの間だけの別れだ」
「総監、どうかご無事で」
「きみらもな」
ジミーは最上階へと向かった。
最上階にはプロペラのないローターレスヘリコプターが置かれていた。ジミーは自ら操縦席に座った。長野県警時代は遭難救助ヘリ「やまびこ」を操縦していたから、腕に問題はない。
ヘリコプターが警視庁を飛び立った。
首相官邸。
「首相、はじめまして」
今回のクーデターの指揮を執る登志夫が10人の美女とともに首相の前に現れた。ここには右翼ではなく登志夫が自ら率いる共産ネットワークのアマゾネス部隊がやってきたのだった。
「お前は、何者だ?」
首相が敵のリーダーに問う。
「さすがは第二次日中戦争において中道革命を成し遂げた『改新志士』だけのことはありますね。絶体絶命のこの場にあっても、実に堂々としていらっしゃる」
登志夫がここに来たのは首相に会ってみたかったからに他ならない。
改新志士。
それは第二次日中戦争を終結させるために当時の右翼政権の指導者を捕らえ、自ら新しい政権を樹立。中立国宣言によって中国軍とアメリカ軍を本土から撤退させた「戦争終結の功労者たち」のことだ。世間には知られてはいないがジャン・チェリー・シーバス・量子・忍こそが、その「最大の功労者」である。
「して、お前の名は?」
「私は登志夫。共産ネットワークの副リーダーを務めております」
「共産ネットワーク?」
「はい」
共産と聞いて首相は首をかしげた。今回のクーデター、右翼ではないのか?
「どうして共産主義のリーダーが右翼を率いているのか、不思議でしょう?」
その通り。
「事情を何も知らずに死ぬのも不憫。お教えしよう」
用意周到に練った計画だ。絶対に失敗などするはずがない。勝利を確信している登志夫は首相に今回のクーデターの内容を語って聞かせた。
「今、都心の主要施設を襲撃している右翼の連中は『捨て駒』にすぎない。なぜなら彼らは決して『国民の支持を得られない』からだ。私だって馬鹿じゃない。現在の中道政府が国民から高い支持を得ていることくらいはわかっている。国民の支持を得ている政府をクーデターで倒すことはできない。そこで右翼を利用させてもらった。右翼によってクーデターが実行され、まずは中道政府が倒れる。でもって国民の支持を得られない右翼政府を今度は共産ネットワークが倒す。中道政府に対する国民の支持をそっくりそのまま共産ネットワークが引き継ぐという寸法だよ。ククク」
「成程。なかなか手の込んだやり方だな」
首相は素直に感心、拍手をもって賞賛した。
「だが、どうやってクーデターを実現した右翼を一掃するんだ?彼らは皆、強力な武器を所持しているぞ?」
「心配は無用です。我々の武器は彼らとは比べ物にならないほど強力ですから」
強力な武器?毒ガス?細菌兵器?
「今、あなたの目の前にいるではありませんか」
登志夫の周りに立つ10人の外国人美女こそ、登志夫の言う「強力な武器」に他ならなかった。
「この美女たち。実は人間ではありません。ロボットなんです。それも強力な殺人用のね。さあ、そろそろ話も終わりとしよう。首相、あなたには死んでいただきます」
「果たして、そう上手くいくかな?」
首相は懐から一丁の拳銃を取り出した。6発入りのリボルバー。
登志夫は笑った。
「そんなオモチャで彼女たちを倒せるとでも思っているのですか?まあ、いいでしょう」
登志夫が命令を下す。
「さあ、首相を殺せ!」
代表して3人の美女たちが襲いかかる。首相は拳銃を発射した。
「何?」
3人の美女たちの頭が吹き飛んだ。
「ばかな?」
首相が驚く登志夫に説明した。
「『ロング・レッグ』との付き合いは、お前たちよりも私の方が古い!」
「くっ」
その通り。首相とロング・レッグとの付き合いは栃木で開発された「3体の試作機」の時から始まっているのだから。
「いつまでも、こいつらの『対抗手段を考えない』とでも思っていたのか?こいつは炸裂弾だ。薬莢の部分が小さいから射程距離は短いが、体内に入ってから爆発するようになっている」
だが、登志夫はまだ負けてはいなかった。
「その銃はリボルバー。弾は6発。残りはあと3発」
再び3体のロング・レッグが飛びかかる。残りの3発で倒す。
「これで弾は全て撃ち尽くした」
その通り。
「これで本当のジ・エンドだ」
残り4体のロング・レッグが首相に迫る。
その時。
「な、何だ?」
首相と登志夫の間に火柱が立った。火柱はやがて具体的な形へと変化した。
「これは火焔竜!?」
火焔竜が首相の前に出現、首相を護る。
「こんな虚仮脅しに惑わされるものか。やれ。首相に飛びかかれ」
虚仮脅しではなかった。その証拠に、残りのロング・レッグは火焔竜の発する炎によって、いともあっけなく焼かれた。
「くそう!」
全てのロング・レッグを失い、登志夫は首相官邸から逃げ出した。
登志夫が首相官邸から表の庭に出た時、正面には1機のヘリコプターが降りていた。
「貴様、どこへ行く気だ?」
ちょうどいいところへジミーがやってきたのだった。
「やあっ」
ジミーがゾンデを鞭のように操る。ジミーのゾンデの先端が登志夫の右太腿を貫いた。「その足の怪我では、もはや満足に走れまい。観念しろ」
観念した登志夫は。
「文さま、万歳ー!」
登志夫はその場で自爆した。登志夫の体は星屑のように散った。爆発による砂塵が消えると、その奥から2人の人影が歩いてくるのが見えた。
「首相。忍」
「ジミー。忍が私の窮地を救ってくれたのだ」
「首相、御無事で何よりです。忍、体の方はもう大丈夫か?」
「ええ。もう戦えます」
忍が戦線に復帰した。忍が病院で覚醒したのは、つい数時間前。本能的にクーデターを感じ取ったのだった。
「首相。敵のリーダーは自爆しました」
「そのようだな」
「ですが、敵の数は多いです。テレビ局も防衛省も都庁舎も党本部も敵の手中にあります。いずれは、ここにも再び敵の援軍が来るでしょう」
「ひとまず撤退した方がいいようだな」
「はい」
「で、どこへ行くのだ?」
「首相、御冗談を」
「ふっ」
首相、ジミー、忍の3人はヘリコプターに乗った。この期に及んで3人が目指す場所は、あそこしかない。ヘリコプターは東へと飛んだ。
ローターレスヘリコプターが銅鐸の塔の前に着陸した。
「首相、御無事で」
コックローチのメンバーが総出で出迎える。
「副長!」
忍を見たメンバーが驚きの声を上げた。
「皆さん、心配をおかけしましたが、無事に退院いたしました」
東京は大混乱にあったが、重要なメンバーは欠けることなく全員、脱出できた。
「軽井沢からは天皇皇后両陛下をはじめ、皇族の方々全員『無事に到着なされた』という連絡が入っています」
「そうか。ひとまず安心だな」
長野県警の警察官は飛騨山脈の大自然の中で山岳救助によって鍛え上げられた精鋭中の精鋭。しかもチェリーやシーバスから直接指導を受けた隊員たちだ。
首相が最初の命令を下した。
「直ちに調べてほしいことがある。『共産ネットワーク』についてだ」
共産ネットワーク?初めて耳にする名前だ。
「首相官邸を襲った敵のリーダーがこの名を言ったのだ」
「わかりました。直ちに調べます」
今夜の銅鐸の塔は眠らない。
帆乃香はあらゆる手段を駆使して「共産ネットワーク」について調査した。だが、そのような名称はインターネット上には存在しなかった。
「首相、駄目です。何も出てきません。何か別のキーワードはありませんか?」
「リーダーは『トシ』と名乗った」
早速、トシで検索。今度は逆にとてつもない数が出てきた。これでは絞り切れない。
ここでジミーが重要な情報を思い出した。
「奴が自爆前に『フミさま、万歳!』と叫んだのを聞いた」
「フミ?」
望がポケットから財布を取り出した。望は財布の中から名刺を出した。
「この前、みんなで行った徳島の電子部品企業の会長の名前。文だよ、ほら」
「帆乃香、このPIPIRUMAという企業について検索してくれ」
「了解」
結果はすぐに出た。
「会長の名前が文で、社長の名前が登志夫」
それだけではない。
「本社ビルが榾木のポートタワーとはな」
「首相、何か気になるのですか?」
気になるどころの話ではない。首相の頭の中で線が一つに繋がった。
「榾木のポートタワーはここと同じ『オナラウッドの遺産』だ」
一同の驚き。
更に首相が望と樹音に話す。
「かつてこの塔でジャン・チェリー・シーバス・量子が戦った」
望と樹音はこのことを知らなかった。
「彼らの後継者であるきみたちが再び、そこで戦うことになるとは」
その後、首相が「ロング・レッグ」について皆に説明した。
「それは何とも恐ろしいグラマー美女さんだな」
「私も『2度と出会うことはない』と思っていたのだが、また出会ってしまった。どうやら製造工場があるようだ」
「ならば破壊しなくては」
「首都の奪還は警察と自衛隊に任せて、きみらは徳島へ向かってくれ」
「了解。直ちに準備に入ります」
「待って、ジミー」
「どうした?忍」
「あなたはここに残って首都奪還の陣頭指揮を。私がコックローチを率いて徳島へ向かいます」
「退院したばかりだろう?大丈夫なのか」
「見ての通りよ。お肌だって、この通りスベスベ」
確かに、全身に大火傷を負ったはずの忍の肌は、まるで10代の少女のようにスベスベであった。
「・・・・・・」
だが、ジミーには何か「思うところ」があった。
「お願いします。ジミー」
「わかった」
「ありがとう、ジミー」
出発準備に取り掛かる。メンバーがロッカールームで、おのおのの武器を手にする。
「帆乃香は望たちと先に地下4階に下りていて」
忍は帆乃香に先に行くよう指示した。ロッカールームには忍と樹音だけ。
「樹音、あなたにだけ見せたいものがあるの」
私にだけ見せたいもの?何だろう。
「いい?驚かないでね。これが私の本当の姿よ」
忍のスベスベの白い肌が、みるみる赤く、皺しわに変わっていく。
「あああああ」
「これが私の正体よ、樹音」
忍の全身はやはり火傷によってケロイド状態になっていたのだ。忍は幻覚によってそれを隠していたのだ。忍の操る幻覚獣が竜から火焔竜に変わった理由がここにある。
「だからカメラ撮影は絶対にナシね。ばれちゃうから」
「どうして私にだけ?」
「さあね、なぜかしら」
「叔母さん」
「みんなには内緒よ。いいわね」
銅鐸の塔の地下ドック。
そこには海底から引き揚げられ、改修を終えた待子があった。ダイナミックダンパーを改良。その結果、船体のラテラルバランスを制御するだけでなく、推進時には水中翼船のように船体が浮上するようになった。そのおかげで、さらに最高速度が増していた。
メンバーが所定の位置につく。
「ドック注水」
地下ドックに海水が注入される。
「注水完了、ロック解除」
ロックが解除された。船体が水中でふらふらと揺れる。
「正面ゲート、オープン」
ドックと海底を区切るゲートが開かれた。
「核融合エンジン始動。微速前進」
待子がゆっくりと前進を開始した。海底に出ると同時に船体内の海水の排水を開始。待子は緩やかに浮上し始める。
待子が浮上した。核融合エンジンの出力を一気に上げる。
「待子、発進」
待子が海面を滑走する。その速度は競技用パワーボートにも匹敵する100ノット。目指すは榾木のポートタワー。
待子が紀伊水道に到着した。
「核融合砲発射用意」
直ちに核融合砲の発射準備にかかる。相手がオナラウッドの遺産であるならば遠慮はいらない。あとかたもなく吹き飛ばしてやるまで。
照準が榾木のポートタワーにセットされた。距離は約3km。
「発射」
核融合砲が発射された。
「なに?」
榾木のポートタワーの100mほど手前で各位融合砲のエネルギーが消滅した。これは「バリア兵器」のなせる業。これで榾木のポートタワーにもバリア兵器があることがわかった。となれば白兵戦しかない。海上にて日の出を待つ。夜間行動はロボットゆえに夜目がきき、気配もないロング・レッグの方が圧倒的に有利で、あまりにもリスクが大きすぎるからだ。
今回のクーデターの最大の失敗は、やはり「首相を取り逃がしたこと」に尽きる。首相が無事であるならば首相の命令で地方の警察や自衛隊を迅速に行動させることができる。
首相は文字通り、電光石火の動きを見せた。首都圏の警察や自衛隊に対し「奪還するべき目標」を明確に決めた上で命令を発した。
「自衛隊は防衛省の奪還を再優先に。警察は、千葉県は皇居、茨城県は富嶽新聞社、栃木県と群馬県は合同でジパングテレビ、山梨県は党本部、埼玉県は東京都庁舎、神奈川県は警視庁、これらを占拠する暴徒を鎮圧せよ。そして鎮圧後は部隊を二手に分け、一隊を首相官邸に向かわせろ」
かくして各県の警察隊は与えられた施設の奪還とともに「どこが先に首相官邸に辿りつく」かを競うことになった。最初に到着した部隊が当然、名誉を得ることになる。皆、勇んで戦った。
「首相、一報が入りました。茨城県の警察隊が首相官邸を制圧したそうです」
「よし」
首相は直ちにヘリコプターで首相官邸へと向かった。到着と同時に部隊への賞賛と激励。首相は人心を掌握する術を知っていた。
かくして日の出前にクーデターは完全に鎮圧された。
ジミーは首相を茨城県警に託すと軽井沢へ飛んだ。理由は二つ。一つは当然、天皇皇后両陛下に皇居へ帰還していただくためだ。
紀伊半島から朝日が昇った。榾木のポートタワーを上から下へと、ゆっくりと染めていく。やがて榾木のポートタワーの全てが朝日に包まれた。それを見届けてから、沖合に待機していた待子が榾木のポートタワーから100mほど離れた場所に接岸した。
「さあ、戦闘開始よ」
待子から降りたメンバーが榾木のポートタワー目指して走る。
「やあっ」
望の平突きによって入口が破壊された。一気に榾木のポートタワー1階へ突入。ここは既にロング・レッグだらけ。
「やあっ」
望の平突き。
「はあっ」
樹音の足蹴り。
「とおっ」
一磨の投げ技。
「きゃあ」
そして帆乃香の絶叫。
正直、帆乃香は戦力になっていない。むしろ完璧に「一磨の足手まとい」と化していた。帆乃香を庇いながらロング・レッグと戦う一磨。
しかし、だからといって帆乃香を残してはいけない。この先、得体の知れない「謎の装置」があれば、その正体を見抜くなり、弱点を見つけるなりすることができるのは帆乃香しかいないのだ。
どうにかこうにか非常階段の入口まで辿りついた。
「行くぞ」
非常階段の鉄扉を開ける。ここにはロング・レッグはいないようだ。望、樹音、帆乃香、一磨、忍の順番で非常階段を駆け上る。最初に目指すは20階。
その昔、ジャン・チェリー・シーバス・量子が駆け上った階段を今、望と樹音が駆け上る。
20階の到着。
まるで国連安全保障理事会のそれを思わせる大会議場には案の定、ロング・レッグ。
「面倒くさいから、ここは私がやるわ」
忍が幻覚獣を出現させる。火焔竜がロング・レッグを炎で焼き尽くす。大会議室のテーブルや椅子も燃え、天井を炎が舐める。あっという間の出来事。樹音以外は初めて見る忍の幻覚獣。
「すっげえ」
驚く3人。
「さあ、急ぎなさい。60階はまだまだ上よ」
30階。
静まり返った事務フロア。独特の機械油の臭いから、ここは機械工学の研究、乃至は生産工場のフロアだとわかる。
「この階は私と帆乃香で調べます。3人は上の階へ向かいなさい」
元気な3人を先に上に向かわせる忍。実のところ忍は3人のペースについて行けないのだった。全身の大火傷の後遺症だ。先程の戦闘も実のところ、かなり無理をしたのだった。
「さあ、調べましょう」
研究室の扉を一つ一つ開けていく。人はいない。
3つ目の扉を開く。
そこはまさしくロング・レッグの製造工場だった。このフロアは確か、昔はミラールームだった。
そして最後の扉を開けた。
「これは何?」
そこにはスーパーコンピュータ並みの巨大な装置に手・足・首を拘束する枷を備えた十字架が一つ置かれていた。はた目には悪趣味な拷問道具のように見える。だが拷問道具にしては、あまりにも仕掛けが大掛かりに過ぎる。
「帆乃香、この機械をあなたはどう思って?」
帆乃香は十字架の上部にある頭に被せるヘルメットに着目した。
「副長。これはおそらく『脳の記憶を読み取る装置』あるいは『脳の記憶を書き換える装置』です」
正解。この装置を使えば人間の脳の記憶を読みとるだけでなく自在に書き換えることができるのだ。
「副長。記憶を書き換えた人のデータが残っています。どうやら、いろいろな人を実験に使っていたみたいです」
「見てみましょう」
帆乃香がスイッチを入れる。記憶を書き換えられた人の本来の記憶データと、書き換えたデータの内容が次から次と出てきた。
その一つを見た時。
「こ、これは!?」
忍の顔色が変わった。それは共産ネットワーク会長・文に関するものだった。文もまた過去の記憶を消され、書き換えられていたのだ。
忍の体がガタガタと震える。隣でデータを見ていた帆乃香もまた「衝撃の事実」に顔色を変えた。
「副長」
「こんなことって、こんなことって・・・」
その頃、40階では本格的な戦闘が始まろうとしていた。
「樹音。どうしてあなたがここへ?」
「あなたは!」
敵と樹音とは、お互いに面識があった。といっても、それほど親しい間柄ではない。
それは樹音がまだ歌手としてデビューする前のこと。樹音が通うタレント養成所に一人、ひと際ハイトーンの歌声が響く女性がいた。全員でコーラスをする時も彼女のハイトーンだけが目立つのだった。
「私のことを覚えてて、樹音?私の名前は碧(みどり)」
当然、樹音はよく覚えていた。結局、彼女はその歌声がたたって歌手としてデビューすることはできなかった。
「運命って皮肉なものね。歌手として成功したあなたと、歌手にはなれなかった私が、こうして再び出会うことになるなんて」
「碧さん」
「ちょうどいいわ。ここであなたを倒す。私の歌声の方が『素晴らしい』ということを、この場で証明してあげるわ」
碧はマイクを手にした。
大宴会場として使用されているこの階には3つの大きなスピーカーが置かれていた。両サイドのそれはマグネットの入ったコーン型。映写機用のスクリーンを兼ねた中央のそれは両サイドのスピーカーの振動に連動して動くパッシブラジエータ。
「さあ、コンサートの始まりよ」
部屋が暗くなり、天井のミラーボールが回り出す。碧が唄いはじめた。
「うわあ!」
「うええ!」
「これは!」
慌てて耳を塞ぐ望、一磨、樹音の3人。しかし何の意味もなさない。ただでさえ耳をつんざく碧のハイトーンが3人の脳に直接響く。それも大音量で。
「これこそ、かつてここに存在したオナラウッド研究所の大発明品。その名も『アコースティック3D兵器』よ!」
敵が仮に外部からは破壊できない強固な兵器で攻めてきたとしよう。この兵器を使えば、敵の兵器は破壊せずとも、中で操縦する兵士を倒すことができるのだ。
碧の歌声はまさに「地獄のさけび」だ。モーツァルトのオペラ「魔笛」に登場する夜の女王が唄う「地獄の復讐のアリア」を100万倍恐ろしくしたものと言っても過言ではない。
「頭が痛い!」
「脳が割れるー!」
歌声に耐えかねた望と一磨が口から泡を吹いて失神した。
「ああっ、望いっ!一磨あっ!」
残るは樹音一人。その樹音とて今にも頭が爆発しそうなほどの激痛に襲われていた。
「ハハハハハー♪ハハハハハー♪ハッハー♪」
「うわああああ!」
頭を抱えて床を転げまわる樹音。そんな樹音の姿を喜びながら、一段と力を込めて熱唱する碧。
「ハー♪ハー♪ハッハー♪」
「うう・・・」
何とか樹音が立ちあがった。効くかどうかはわからない。樹音は「最後の勝負」に打って出た。
「アーアアー♪アーアーアー♪アーアアー♪」
樹音が唄い出した。自分の歌声によって脳の中で反響する碧の歌声を排除しようというのだ。
「そんな手が通じるものか」
碧が唄う。
だが、これは予想以上の効果を産んだ。
「うう、ううっ」
今度は碧が苦しみだした。自らのおぞましい歌声を聴き慣れた碧にとっては樹音の美声は「毒」のように感じられたのだ。
「おのれ樹音!」
碧は必死にマイクに唄う。だが、音響兵器を通しているにもかかわらず、碧の歌声は樹音の歌声に圧倒された。プロの歌手として活躍する樹音と、プロにはなれなかった碧。力の差は歴然。
そして。
「まあずう!まあずうっ!」
碧が意味不明の言葉を発しながらマイクを投げ出した。碧はその場に倒れた。碧が倒れるとミラーボールは停まり、室内の照明も自動的に回復した。
「望!一磨!」
樹音が二人を介抱する。二人はどうにか息を吹き返した。
「あー、いつつ」
頭を押さえる二人。
「あの女は?」
碧は既に死んでいた。碧の脳細胞は完全に破壊されていたのだった。
社長室や事務室を擁する50階では共産ネットワークの主要メンバーたちが、文字通り「パニック」に陥っていた。よもや碧が倒されるとは!
「どうするんだ?もうすぐ奴らがここに来るぞ!」
「社長とはまだ連絡が取れないのか?」
「駄目です」
彼らに残された道は二つしかない。あくまでも徹底抗戦するか?あるいは降参するか?事務室で緊急の小田原評定が持たれた。小田原評定だから、結論がなかなか出ない。
そうこうしているうちに、遂にコックローチの3人が到着してしまった。
事務室の扉が開く。
「ひっ!」
一人が手を挙げて、降参の意を示した。すると、残りのメンバーもドミノ倒しのように手を上げて降参した。
「会長はどこだ?」
望の質問。誰も答えない。
「どこだと訊いているんだ!」
一磨が一人の胸倉を掴んで持ち上げた。
「ろ、60階の会長室にいる」
「あっそう」
樹音が麻酔ガスを発生させる発煙筒を床に転がす。これでひとまず全員、寝てもらった。目が覚めたときには全員、警察に捕まっているだろう。3人は60階を目指した。
上の階を目指そうと非常階段に向かう忍と帆乃香。
「何?」
その時、帆乃香が、電気が落とされ動いていなかったはずのエレベータが動いているのを確認した。エレベータは既に二人のいる30階を通り過ぎて、下の階へと降りていた。
「これって、まさか」
二人は非常階段を降りることに決めた。
望、一磨、樹音が到着した時、60階は既に蛻の空だった。
樹音の通信機が鳴った。帆乃香からだ。
「もしもし」
「文は既に地下へ逃げたわ」
「何ですって」
「みんなも急いで下まで降りて」
「了解」
急ぎ下へと降りる3人。だが、3人がいる場所は地上から240m。下へ戻るまで、どう急いだとしても5分はかかるだろう。
「これは?」
「まさか、これって!」
忍と帆乃香は地下で、とんでもないものを見た。
まさに今、かつて珍柿が地球へ乗ってきた宇宙戦艦のコピーが発進準備を進めていたのだ。図面があり、整備ドックがあるのだから、完全コピーではないにしても素材を変えて建造は可能だったのだろう。船体はイノチュウムではなく鋼鉄といった具合に。それにしても、まさかこんなものを建造していたとは予想だにもしなかった。
「帆乃香は地上に上がって」
「副長は?」
「私は乗り込みます」
「なら、私も」
「足手まといよ」
「そんな」
「ごめんなさい。でも、これが正直な私の気持ちなのよ」
「・・・・・・」
文の秘密を知る帆乃香には忍の命令に、これ以上反抗することができなかった。忍は、この先は「ひとりで戦いたい」のだ。
「帆乃香。地上に戻ったら、みんなに伝えて。今まで、ありがとう。そして、さようならと」
「副長」
「さあ、行きなさい」
帆乃香は地上へと上がった。忍はひとりで宇宙戦艦に潜り込んだ。
5分後、3人が1階フロアに戻ってきた。
「帆乃香。副長は?」
「みんな・・・」
帆乃香は、みんなに事情を説明した。忍が死を覚悟していること。そして忍と敵のボスである文との間にある「宿命の関係」を。
「そんなことが」
驚く3人。だが、いつまでも驚いているだけの3人ではない。
「副長を死なせるわけにはいかない。待子で追うぞ」
4人は榾木のポートタワーから外に出た。
「うっ」
榾木のポートタワーから待子までは僅か100mの距離。だが、そこにはロング・レッグの大群がいた。宇宙戦艦が浮上した。ゆっくりと沖合へ向けて進んでいく。飛ばれたら「おしまい」だ。だが、ロング・レッグの大群が行く手を阻む。
その時。
横から突然の銃撃。ロング・レッグが次から次と爆発する。
「親父!」
「どうにか間に合ったようだな」
ジミーが長野県から県警隊員を引き連れて、やってきたのだった。彼らの手には対ロング・レッグ用の炸裂弾を入れた拳銃が握られていた。
「こいつらは俺たちに任せて、早く待子で戦艦を追うんだ」
援護射撃の中を4人が一直線に待子を目指す。
待子に飛び乗った。直ちにエンジンが始動される。
「クソ、早く上がれ」
核融合エンジン最大の欠点は温度が高温にならなければ核融合反応が生じないことだ。これだけで5分をロスした。宇宙戦艦は既に遥か沖合にいる。
「待子、発進!」
最大船速で追撃開始。頼む。間に合ってくれ。
だが。
宇宙戦艦が空中に浮かびあがった。みるみる上昇していく。
「だめだ」
やがて宇宙戦艦は4人の視界から消えた。
宇宙戦艦、第一艦橋。
「会長。これからどうするのです?」
艦長席に座る文が指示を出す。
「衛星軌道上で待機。そこで次の作戦を考えましょう」
ほとぼりが冷めた頃に再びニッポンに戻り、秘密基地を新たに建設する。文はそのように考えていた。そのための候補もあった。クラゲドーム。その地下には宇宙戦艦を隠せるだけのドックがある。
宇宙戦艦の乗組員は文を入れて全部で8人。会長付きの精鋭たちだ。この宇宙戦艦はオートメーション化が進んでおり最悪、艦長席から一人でも動かすことが可能だった。
第一艦橋の入口が開いた。全員が集結している状態で、このようなことはあり得なかった。 入口から突然、火焔竜が飛び込んできた。火焔竜が第一艦橋の中を飛翔する。
「ぎゃあ」
「ぐええ」
文ひとりを残して7人全員が黒焦げの人の形をした炭と化した。
その光景を目の当たりにして、呆然とする文。火焔竜は消え、入口からひとりの女性が入ってきた。女性は文の前に対峙した。
「あなたは、何者?」
「私はコックローチ副長・忍」
「コックローチ。忍・・・」
文が苦しみだす。コックローチ、そして忍の名を耳にして、いつもの頭痛が始まったのだ。 そんな文に今度は忍から質問を出す。
「あなたの名前は?」
「私は共産ネットワークのリーダー・文」
「いいえ、違うわ」
忍は文の発言を否定した。
「違うって、どういうこと?」
「私は、あなたの本当の名前を知っているわ」
私の本当の名前?
「あなたの本当の名前は『茉美』」
「バカな。私は文。生まれた時からずっと文よ」
「いいえ。あなたは茉美」
忍の目が涙で滲む。
「あなたは私のママ。死んだと思っていた私のママ」
記憶を書き換えられる以前の文について、簡単に説明しておこう。
文、すなわち茉美は大雨が降る日の夜、濁流渦巻く渡良瀬川に飛び込み自殺を図った。だが茉美は死ななかった。下流の岸に生きたまま打ち上げられていた。そんな茉美を発見したのは当時、PIPIRUMAの部長職にあった登志夫だった。茉美の美貌に見せられた登志夫は茉美を自宅へと連れ帰った。登志夫は自宅で茉美を愛玩した。しかし、どんなに登志夫に優しく抱かれても、ジャンを愛する茉美は決して登志夫に心を開こうとはしなかった。やがて登志夫は社長となり、PIPIRUMAは榾木のポートタワーを購入した。その時、記憶書き換え装置を発見した。この偶然手に入れた機械を登志夫が利用しないはずがなかった。茉美は人体実験第一号として直ちに十字架に磔にされた。PIPIRUMAが誇る科学者チームに登志夫は茉美が「自分を心から愛する」ように記憶を書き換えさせた。無論、すぐに書き換えが成功したわけではなかった。本人の抵抗が激しければ激しいほど書き換えには時間がかかる。茉美の記憶の書き換えには1週間を要した。こうして茉美は登志夫の愛人・文として生まれ変わった。そして文はその後、PIPIRUMAの会長として就任したのである。
「バカなこと言わないで」
文は忍の言葉を否定した。
「あなたなんか、私は生んだ覚えはないわ」
記憶を消されているのだから当然だろう。
「ママ」
「ママ、ママって呼ばないでちょうだい!あなたは私の敵。それ以上でも以下でもないわ」
文は懐から拳銃を取り出した。文は迷うことなく銃口を忍へ向けた。土台、説得など無理というもの。オナラウッドの超科学によって書き換えられた記憶はオナラウッドの超科学によって元に戻す以外にはない。そのためには地球へ戻り、茉美を再び装置にかけなくてはならない。
仕方がない。忍は幻覚で茉美を一旦、気絶させることにした。第一艦橋が、まるで南極を思わせる氷の世界へと変わった。それを見た茉美は忍を怖れた。
「死ね、この化け物!」
文が拳銃を放った。弾は忍の胸に命中した。
「ママあっ!」
忍は茉美を攻撃した。忍の攻撃を受け、茉美は気を失った。
「うう」
だが、忍は重傷を負った。胸から血が流れ落ちる。
「まだ死ねない」
その思いが忍を歩かせる。どうにか操縦席に座ることができた。忍は操縦桿を操り、宇宙戦艦を地球へと帰還させた。
帰還した宇宙戦艦に樹音、望、一磨、帆乃香が乗り込む。
「ああ、副長!」
4人は第一艦橋で瀕死の忍を発見した。
「帆乃香。ママを記憶書き換え装置のところへ。記憶を元に戻すの」
この言葉を最後に忍は意識を失った。
「わかりました。必ず、お母さんを元に戻します」
4人で忍と茉美を運び出す。忍と茉美を待子に乗せ換え、榾木のポートタワーへ。直ちに茉美の記憶の修復作業が始まった。
一方の忍は依然として意識が戻らない。ジミーが忍の手を握りしめる。
「うう」
忍の意識が回復した。だが、それは生きるためではなく遺言を述べるためだった。
「ジミー」
忍はジミーに樹音を呼んでくれるよう頼んだ。ジミーが樹音を呼ぶ。樹音がジミーとやってきた。
「樹音。私の最後のお願い。私の死体を誰にも見せないで。私が死んだら直ちに焼いて頂戴。わかるわね」
樹音には、その理由がよくわかった。死んだら幻覚が消えてしまう。樹音しか知らない忍の本当の姿を皆に見られてしまう。
樹音は黙って頷いた。
「ありがとう」
樹音はポケットからハンカチを取り出した。
忍が息を引き取る。樹音は直ちにハンカチを忍の顔に乗せた。
「副長!」
樹音に呼ばれて望、一磨、帆乃香が最後のお別れにやってきた。望が忍の顔の上のハンカチを取ろうとした。
「望、やめろ!」
ジミーが望を恫喝した。望はハンカチを取るのを止めた。
「親父、どうしてだ?」
「忍は女性だ。自分の醜い顔を皆に見られたくないのだ」
醜い顔?どういうことだ。望はふと唯一、肌が露出している手の指を見た。真っ赤に焼け爛れた肌がそこにあった。
「親父」
「そういうことだ」
ジミーは、うすうす気が付いていた。忍が幻覚によって全身の火傷を隠していることを。
「皆には済まないが、忍の死に顔は拝めない。この場で直ちに火葬する」
3人はその場で慟哭した。
3人と入れ替わりに実験室に残っていた樹音が戻ってきた。
「樹音どうした?上で何かあったのか?」
樹音の後ろから、もう一人、女性がやってきた。言わずもがな、茉美だ。記憶の書き換えには1週間かかったが、記憶を戻すのは、あっという間だった。それだけ茉美にとってジャンとの思い出は「大切なもの」だったのだろう。
「忍・・・忍ーっ!」
茉美が忍の遺体にすがりつく。自分が放った銃弾が娘を殺してしまった。
「私が悪かったわ。忍」
茉美は忍に詫び続けた。
その後、忍の遺体は荼毘に付された。煙が蒲生田岬の空にたなびく。
一つの闘いが終った。
次回は「終戦記念日」特別企画
「積極的平和主義」の美名のもとに開始された中国大陸への侵略戦争。だが右翼政権が自信をもって送り込んだ自衛隊は、ことごとく撃退された。
中国からの「降伏勧告」を無視する右翼政権。遂に巡航ミサイルによる大都市への爆撃が始まった。このままでは、ニッポンは「終わり」だ。
かつて連立与党の一翼を担っていた中道政党が「戦争終結」に向けて動き出す。彼らは密かに元・警視総監であるJを党本部に呼んだ。
今、明かされる「中道政権誕生」の秘密。
新・コックローチ「革命編」
8月15日、公開。
ご期待下さい。また、ジャン&チェリーに会える!
新・コックローチ「革命編」
何故、政治は「中道」でなければいけないのか?
何故、政治は「右翼」ではいけないのか?
それは「自分さえ良ければいい」と考えている人間は同様に「自分さえ良ければいい」と考えている他人から迫害されても文句は言えず、「自分の国さえ良ければそれでいい」と考えている国もまた「自分の国さえ良ければいい」と考えている他国から攻撃されても文句は言えないからである。実に単純な、それこそ幼稚園児にだってわかる理屈だ。その幼稚園児にだってわかることがニッポンの大人たちにはわからないのだから「愚か」としかいいようがない。
「二度と同じ過ちを繰り返さない」
口で言うのは易しい。事実、大きな事故が発生するたびに、この言葉が毎度の決まり文句として使われる。だが現実はシビアだ。トンネル事故、脱線事故、墜落事故など「繰り返さない事故」など、およそこの世には存在しない。
「歴史は繰り返す」
これが現実だ。戦争もしかり。1945年の太平洋戦争終結直後「二度と戦争はしない」と誓ったはずのニッポンが、結局は右翼政権主導のもと「国防強化による抑止力」を口実に着実に武力・兵力を整え、最後は結局、中国との全面戦争に突入してしまったことは、まさにその典型的な証拠と言えよう。
そして、その戦争はまだ続いていた。
「入ります」
元・警視総監のKが扉を開く。部屋の中にはひとりの男が立っていた。
「ここに来る姿を誰にも見られなかったな?」
男はKに向かって、そう言った。
「はい」
「よろしい」
部屋の中には立派なソファがあった。だが、男はソファに座ることを勧めない。立ち話によって用件を済ませる気なのだ。
Kは「当然だ」と思った。話の内容が「笑って懇談」などという状態で話せるような類いのものでないことは、はじめから覚悟していた。シリアスな話ならば立ってする方がいい。それにもしかしたら、ここに右翼政権による襲撃があるやも知れぬ。座っていたのでは急な襲撃には対処できないだろう。
ここは右翼政党とかつて連立政権を組んでいた中道政党の本部の最上階にある「党首室」。Kを待っていたのは、まさに党首その人だった。かつてということは、今は右翼政党とは「袂を分かつ」ということだ。そして今、中道政党という「抑止力」を失った右翼政党はその後に極右政党と連立を組むことで文字通り暴走状態にあった。より正確に言えば「極右政党のいいなり」であった。というのも、連立後の衆院戦では与党第一党は自らの不祥事もあって議席を大きく減らす一方で、極右政党は大幅に議席を伸ばしたからだ。
「我が党に中国政府から『終戦に向けた話し合い』に関する具体的な条件が示された」
党首は開口一番、Kにそう話を切り出した。
これまでも中国政府は繰り返し、ニッポンに「降伏を勧告」してきた。だが、ニッポンの右翼政権はそれを無視し続けていた。中国政府は民衆を苦しめる愚かな戦争の一日も早い終結を模索していた。そこで、今は野党であるニッポンの中道政党にその旨を打電してきたのだった。無論、現在の右翼政権には内密に、だ。
※
第二次日中戦争(東アジア戦争)。ニッポンの新たなる連立政権が始めた愚かな戦争。表向きは右翼政権が掲げる「積極的平和主義」の具現化。だが、その実態はかつての大東亜共栄圏同様「中国の豊富な天然資源を獲得するための侵略戦争」に他ならなかった。
事の発端は右翼政権による「憲法改正」だった。
中道政党と連立を組んでいた頃より与党第一党は憲法改正のための準備を行っていたが、連立の相手を現在の極右政党に変えるとその動きを一気に加速させていった。昭和時代に経済力を、平成時代に軍事力を取り戻したニッポンは、それを機に太平洋戦争後に行った「戦前に行われた反人道的行為」に対する反省や謝罪の一切を相手国の了解なしに一方的に否定するという暴挙に打って出た。いわゆる「右傾化」である。「軍国ニッポン復活!」を悲願とする総理大臣ひとりから始まった右傾化の動きはその後、瞬く間にニッポン全土へと拡大していく。真っ先に同調したのは極右思想の過激な連中。勢いづいた彼らは「太平洋戦争は正義の国・ニッポンを陥れる極悪国家・アメリカの謀略だった」「南京大虐殺は事実無根の捏造事件」「徴用工・慰安婦はニッポンによる強制ではない」といった右翼思想に凝り固まった総理大臣の歪んだ歴史観に疑問を呈するメディアや学者を片っ端から攻撃。それらに恐れをなした彼らは保身から、ある者は口を噤み、ある者は積極的に迎合した。特にテレビメディアは挙って「文部科学省&防衛省の太鼓持ち」となって東京大学と自衛隊を「ニッポン国民の誇り」であるかの如く宣伝するようになった。名門大卒であることをひけらかすインテリ芸能人が大活躍するクイズ番組もまた国民の洗脳に大いに役立つ。「軍艦島」「伊勢神宮」「伊藤博文」といった軍国ニッポンを象徴するキーワードが何度も繰り返し出題されることで、国民は「クイズを楽しむ」うちにそれらに慣れ親しんでいったのである。
憲法改正はまさに、こうしたニッポンの右傾化の「最後の仕上げ」となるものであった。インテリ芸能人に代表される「自分は優秀、自分は立派、自分は賢い、自分は強い」という自画自賛欲求は「ニッポンが軍事的にも世界一強い国であることを世界中に見せつけてやりたい!」というところにまで膨らんでしまったのである。もとよりこの日のためにニッポン政府は「核兵器反対」を唱えることで世界に向けては平和国家を装いつつ、着実に「通常殺戮兵器」を整備・増強してきた。最新鋭のステルス戦闘機に戦略空母。イージス艦に長距離ミサイル。さあ、侵略戦争の準備は整った。もはや平和憲法など不要だ。こうして如何なる大国による侵略行為をも「国際法違反」として退ける力を持つ最強の「イージスの盾」であった平和憲法をニッポン国民は自ら棄てたのである。
こうしたニッポンの動きに対し中国が反応した。それも「この時を待ってました」と言わんばかりの、電光石火の動きで。中国政府はニッポン政府に「国交断絶」を通告。日中間の貿易が即日、全面停止された。これは中国による平和憲法を捨てたニッポンに対する「経済制裁」に他ならなかった。
「ニッポンに復活した軍国主義を打倒し、再びニッポンに平和主義を取り戻す」
ああ、何と素晴らしい大義名分であろう!ヨーロッパをはじめ世界の国々はこぞって「中国は賢い。ニッポンはバカだ」と評した。瞬く間にニッポン経済は乱れ、食糧事情は悪化した。憲法改正はまさに中国にとっては軍国路線を推し進めるニッポンを攻撃する「格好の材料」であった。
もとより外交による解決は不可能だった。それはそうだろう。今まで散々ぱら「中国蔑視の言動」を執拗に行ってきたニッポンの首相や閣僚どもに一矢を報いる「絶好の好機」が訪れたのだから、それを自ら手放す理由などない。中国政府はニッポン側の話し合いの要求に対し「いかなる話し合いにも応じる気はない」と返答した。中国とすれば、ここで一気にニッポンを叩くまでだ。
となれば、もはや戦争しかない。もとより右翼政権はかつての大日本帝国が「大東亜共栄圏」の美名のもと植民地政策を推し進めたように積極的平和主義の美名のもとに、いずれは中国大陸に軍事進攻するつもりだったし、そのための憲法改正でもある。ただ、これほど迅速に中国による経済制裁が始まるとは予想だにしていなかった。というよりも、中国が経済制裁という手で来るとは思っていなかった。軍事力の増強に努め、たびたび領海侵入といった挑発行為も行ってきていた中国だから、憲法改正に対して必ずや「中国軍の動きをより活発化させる」と考えていたのだ。そして、ひとたびそうなるならば「活発化する中国軍の軍事的脅威を払拭するため」という大義名分によって中国大陸へ進軍するというのが、右翼政権が思い描いていた「シナリオ」で、そうすることでニッポンの軍事侵攻を「聖戦」と美化することができる筈であった。
ところが中国は経済制裁を発動した。しかも経済制裁発動後はピタリとニッポンに対する軍事的な挑発活動を自粛したのだ。
これで立場は完全に逆転してしまった。今や大義名分は中国の側にあった。ニッポンはどう見ても明らかに「軍国主義の盛んな悪者国家」にすぎなかった。憲法改正は「右翼の悲願」であったとともに、中国にとっても好都合だったのだ。
こうなると、現状を打開する方法は二つしかなかった。中国にひれ伏すか、あるいは中国をひれ伏させるか。
右翼政権は当然「後者」を選んだ。そもそも「自国礼賛・他国蔑視」という右翼思想の源は「自分は優秀、他人はバカ」というエゴイズムだ。そんなエゴイズムに凝り固まった右翼政権の指導者らにとっては、国民の生命を護ることよりも、自分たちの身の安全を護ることの方が「より大事」に決まっていた。かくして右翼政権は源義経以来のニッポンの伝統的戦術であり、先の太平洋戦争でも実行した「奇襲戦法」で中国への進軍を開始した。
さて、このようにして始まった戦争。現在の状況は明らかにニッポンの「劣勢」だった。 まず、ニッポンが当てにしていた「日米同盟」が全く機能しなかった。
ちょっと考えれば、こんなことは「すぐにわかること」だった。中国は世界有数の「経済市場」だ。アメリカが参戦すれば、アメリカ企業はその中国市場での活躍の場を失うことになる。これはアメリカ経済にとって大きな痛手となる。
おまけに中国は「アメリカが参戦すれば直ちに核攻撃をする」と警告していた。ワシントンD.C.やニューヨークを核攻撃に曝してまで「ニッポンを護る」必要が一体全体、アメリカのどこにあるというのだろう?戦火が「ニッポン領土内で収まる」のであるならば、アメリカとしては「御の字」だ。中国は開戦時に「侵略を企てるニッポンとの戦い」であることを強調、「在日米軍基地は攻撃しない」ことを明言していたから、なおのことアメリカは中国への参戦をためらった。かくしてアメリカは静観を決めた。双方が互いに傷つけあっている間は傍観していよう、どちらかに形勢が偏り始めた時点で在日米軍を投入しても遅くはない。最悪、中国軍がニッポンに上陸する可能性が大になったときはアメリカ軍で先にニッポンの総理大臣他関係閣僚を捕らえて中国に引き渡せば、日米同盟はその後の傀儡政権によって維持できる。それがアメリカの判断であった。
この時点で戦争など止めればいいものを、右翼政権は「それならそれでいい」と腹を決めた。「ニッポン単独で中国を倒せばいい。むしろそうすることで『ニッポンの国威』を世界に宣揚できる」と開き直ったのだった。
右翼政権がニッポン単独で中国と戦うことを決めた根拠は自衛隊が保有するイージス艦や空母の攻撃能力、そしてニッポン独自で開発した最新鋭ステルス戦闘機の存在だった。右翼政権は「中国空母の最高速度は15ノットがいいところ」といった言葉からわかる通り、中国軍の武器の能力など、はなからバカにしていた。
ニッポンの右翼はいつの時代も自らの戦力を「過信する」。太平洋戦争の時も、当時の軍部政府は零戦や戦艦大和の能力を過信し、結局は負けた。それとまったく同じことが今回の戦争でも起きたのだった。歴史から学ばない「歴史歪曲者」でもある右翼が、しばしば陥る罠だ。
ニッポンが誇るステルス戦闘機「零戦21」は確かに中国軍の電波探知式レーダーには映らなかった。だが、ジェットエンジンが発する高熱の排気がある限り、ステルス戦闘機など所詮は「頭隠して尻隠さず」のシロモノにすぎなかった。中国軍が発射する赤外線誘導ミサイルに対し、ステルス性能など全くの無力だった。むしろ自衛隊の装備するレーダーにも映らないことで「作戦上の支障」が多数発生した。自衛隊は発信機を装備することで対処したが、それでは中国軍にも自分の位置を教えるようなもので、ステルス性能など実戦においては何の意味もなかった。
空母やイージス艦にしても、対艦ミサイルの前に、あっけなく沈んだ。イージスシステムはマッハ2程度の戦闘機の迎撃には有効だが、ミサイル攻撃には案外もろかった。マッハ3以上の高速で飛翔するミサイルの迎撃にはミスも多く、一発でも迎撃ミスをすれば、それは直ちに「撃沈」につながった。フォークランド紛争の時に活躍したエグゾセを例に出すまでもなく、爆発力の強い火薬を装備する現代の対艦ミサイルの破壊力は昔の爆弾や魚雷の比ではない。
以上の理由から現代戦争においては戦闘機も大型艦船も「絶対的な戦力」とはなり得ない。高度に進化を遂げたミサイルの前には「無力」だ。仮に100機の戦闘機があっても「100発のミサイル」で撃墜されてしまう。しかも中国大陸では「ゲリラ戦」が待っていた。ミサイルの発達とゲリラ戦法。侵略戦争は昔よりも遥かに「難しい時代」となっていた。
さらに、そればかりではない。そもそもニッポンの自衛隊が装備する兵器は軒並み「欠陥だらけのシロモノ」だったのだ!繰り返しになるが、この時代のニッポンは歴史歪曲に代表される、データ改竄が当たり前の「偽装大国」であり、それは当然、自衛隊の装備にも及んだ。機関銃を撃てばすぐにジャム(作動不良)ったし、例の零戦21などは、それこそ敵の誘導ミサイルを回避しようと急旋回などしようものなら、かつての三菱F1攻撃機がそうであったように主翼が胴体から取れてしまうのだった。国産輸送機にしても国産潜水艦にしても、カタログスペックこそは立派だったが「ニッポンの名門大卒」の如く、そのスペックが果たして「実力」なのか、どうにも疑わしかった。
それに対し中国軍の兵器はカタログスペックこそ大きく劣っていたが非常に頑丈な作りで、カタログ通りの性能を常に発揮した。これはまさに「中身重視の中国人・見てくればかりを気にするニッポン人」という国民気質を如実に反映するものであった。
まだある。ニッポンはこの時代、急速に「少子高齢化」が進んでいた。ただでさえ少ない若者が戦争によってさらに減少したのだからたまらない。ニッポン国内はそれこそ「お年寄りだらけ」になった。そして、そのお年寄りを介護するはずの者は皆、出兵するか、或いは軍需産業に従事していた。ニッポンの社会福祉は急速に悪化した。
食糧不足に経済混乱。そして社会福祉の悪化。そうなれば「治安の悪化」は避けられない。食料品を狙った窃盗や強盗事件が多発する。
最初は優勢だった「反中」の世論が、徐々に「反戦」へと変わった。全国各地で反戦を訴える声が澎湃と沸き上がる。それに対し右翼政権は「弾圧」をもって答えた。「有事法・国民保護法」と名を変えた国家総動員法・治安維持法によって国民の権利が剥奪され、反戦デモは「テロの標的になる恐れがある」という美名によって強制的に排除された。
その間も右翼政権に迎合するマスメディアは「戦争継続・打倒中国」を盛んに訴え続けていた。今まで散々ぱら中国の悪口を言っていたマスメディアだから、戦争に負けたら「自分たちの身」が危うい。ゆえに彼らも必死だ。高級スーツや高級腕時計に身を包み「頭から足先まで総額1000万円以上」というゲストコメンテイターが「今こそ挙国一致が必要だ!」と叫ぶ。美食グルメに連日舌鼓を打っているニュースキャスターが「欲しがりません、勝つまでは」という古臭いスローガンを持ち出して貧しい暮らしに喘ぐ視聴者に戦争協力を呼び掛ける。だが国民はもはや誰もそんなものに耳を傾けない。
「末期症状」。仮に戦争そのものが優勢であったとしても、もとよりニッポンに「戦争を遂行する能力」など、ありはしなかった。1000兆円以上の借金を抱え、少子高齢化が進行。そして何よりも、偽装仕事があらゆる職種に蔓延するほど堕落した国が、ひとたび戦争など始めれば「自壊する」ことは避けられない。こんな当たり前のことを右翼政権は、よう理解しなかったのだ。
そして、このような状況にあっても右翼政権は「終戦に向けての動き」を全く見せようとはしなかった。「そんなことをすれば尖閣諸島は中国のものになってしまう」というのが国民向けの理由で、「降伏すれば自分たちは軍事法廷で裁かれ処刑されてしまう」というのが、その本心であった。
※
「具体的な条件?」
「条件の内容は三つ。『右翼政権の指導者及び右翼思想の知識人たちの身柄の引き渡し』『明治時代の富国強兵政策を正当化する歴史教育の否定』そして『日米同盟の破棄』だ」
「尖閣諸島の領有権の放棄は?」
「それはない」
「なるほど」
「今回の戦争は明らかに中国大陸の天然資源を狙った『ニッポンによる侵略戦争』だ。だがもしも、この戦争によって尖閣諸島が中国のものになるならば、ニッポンによる侵略戦争という事実が隠蔽されて『中国による尖閣諸島占領戦争』とされてしまうかもしれない。だから中国政府としては、今回は尖閣諸島を要求しないのだろう。中国の首脳陣はニッポンのような『バカの集まり』ではないのだ」
無論、これも一つの理由ではある。だが中国政府には「別の理由」もあった。
終戦後、ニッポンには平和主義の「中道政権」が樹立されることになるだろう。しかし仮に、その中道政権に対する「ニッポン国民の支持が低い」ならば、中道政権は容易に打倒され、再び好戦的な右翼政権が樹立されてしまうに違いない。第一次世界大戦後のドイツでナチスが台頭したように。中国としては、それは困る。だから中国は「戦争には負けたが尖閣諸島は護り通した」という実績を中道政権に与えるつもりなのだ。そして今後、中道政権が無事に政権の基盤を固めるならば、かつてイギリスが「アヘン戦争の非」を認め、自ら「香港の返還」を決断したように、ニッポンも「日清戦争の非」を認め、自ら尖閣諸島の返還を決断する日も来よう。
「中国政府としては尖閣諸島の返還よりも、まずは『日米同盟の破棄』の方が重要だというわけですな」
「我々は今回の中国政府の提案を『承諾する』ことにした。愚かな戦争を一日でも早く終わらせるには、それが最も良いと判断した」
「現在のニッポン政府を『裏切る』と」
「我々はもともと、憲法改正にも、今回の戦争にも『反対』だった。残念ながら我々は連立解消によって野党となり『右翼政権の暴走』を止めることができなかった。このままだとニッポンの主要都市への直接攻撃ばかりか、在日米軍による首相官邸包囲も有り得る。いずれにしても『ニッポンの独立』は保てない。中国に占領されるか、アメリカの傀儡国家となるかだ」
「ところで、私を呼んだ理由は何です?」
「はっきり言おう。ずばり『首相をはじめとする関係閣僚の身柄の拘束』だ。在日米軍が動く前に、君たちの手でやるのだ」
「な!?」
首相をはじめとする関係閣僚の身柄の拘束だと?そんなこと、できるわけがない!彼らは皆、SPによって堅くガードされている。そればかりか右翼政党本部や首相官邸には機動隊まで配備されている。
「無理です」
Kはきっぱりと拒否した。
「なぜ?」
「なぜって、今の私はもう警視総監ではありません。何の力もありません」
Kは右翼政権からの「反戦デモ鎮圧命令」を拒否したことから警視総監の職を解任されていた。
「力なら『ある』じゃないか?」
「は?」
「『信頼』だよ。今でも警察の中には君のことを信頼している人は少なくない。無論、平和を愛する民衆からも。そして私も君を信頼している」
「党首」
「それに君には、君のために手足となって動いてくれる『素晴らしい仲間』がいるではないか」
素晴らしい仲間?
「ほら」
隣の部屋に通じる扉が開いた。隣の部屋から次々と人が入ってきた。その数、4人。
「お前たち!」
「お久しぶりです、先輩」
4人とは、チェリー、ジャン、シーバス、量子に他ならなかった。
党本部を裏口から出て、その後は住宅地を抜け、何事もなかったかのように歩く5人。
「まさか、きみらが来るとは思ってもみなかった」
チェリーと量子の一人娘の樹音は現在6歳。子育ての大変な時期を迎えていた。
「だから来たんだ」
チェリーはKの疑問について、次のように説明した。
「自分たちの子どもの未来を、おめおめと潰させはしない」
チェリーの思いとしては、小さい娘がいるからこそ自ら出向いて、今ここでニッポンを「軌道修正しておきたい」ということだ。
「娘はシーバスの妹夫婦に預かってもらいましたから、心配ないでしょう。向こうにも丁度、同い歳の子どもがいますしね」
確かに、シーバスの妹夫婦=ジミー夫妻なら信頼できる。
チェリーが話を続ける。
「忘れませんよ、あの国会中継。忘れられるもんですか」
国会中継というのは、Kが首相の命令を拒否して、反戦デモを鎮圧しなかったことを問うために、政府与党が当時、警視総監だったKを証人喚問した時のことを指す。
「私の命令に従わなかった君を本日、この場で警視総監から解任する!」
NHKによる生中継の場で、首相は居丈高に、Kに向かって解任命令を下した。首相としては、このパフォーマンスによって全国民に向かって「自分の権威」を見せつけたはずだった。
だが、ここからKによる「独演会」が始まる。
「ええ、結構ですとも。どうぞクビにしてください、首相。私としましても『器の小さい人間』の下で仕事をするのに、いい加減、飽き飽きしていたところです。平和を叫ぶ人々の声を『封じろ』ですと?冗談じゃない!民主国家で、そのような真似などできるものですか。そもそも、今回の戦争が始まった理由を首相は、どのようにお考えですか?はっきり言いましょう。それは『首相の器が小さい』ことが、そもそもの原因なんですよ。中国の人々の心情に全く配慮しない政治。およそ『アジアのリーダー』に相応しくない『ニッポン礼賛・アジア蔑視』の依怙贔屓な政治を行ってきたことが、今回の戦争を引き起こしたんですよ。首相、そんなに楽しいですか?中国の人々の心を傷付けて、そんなに楽しいですか?心から『ざまあみろ』とでも思いますか?もし『そうだ』というのならば、言わせてもらいます」
この後に、Kが「何を言った」かは、およそ想像がつくだろう。
「首相。あなたは正真正銘の『人間のクズ』だ!平和な世界を希求する全ての人々を代表して、この場で言わせてもらう。とっととくたばれ!この糞右翼野郎め」
「先輩。今まで、あなたと一緒にいくつもの仕事をしてきたこと、心から満足しています。政府非公認の暗殺組織であるコックローチが『政府の下で仕事』をすることに、最初は正直『これでいいのだろうか?』と悩んでいました。『先輩の立身出世に、いいように利用されているのでは?』と疑ったこともあります」
「そうか」
Kは笑顔を見せた。闇の世界をいくつも見てきた結果、他人を容易には信じなくなった人間同士が「心からの信頼」によって結ばれた瞬間だった。
「もう昼だ。飯にしようぜ」
ジャンが言う。
「なら、いいところがある」
Kが言う。5人は神宮外苑を背に北へと大通りを歩く。右手に4階建ての小さなビル。その地下1階が、お目当ての場所らしい。そこはタイカレーの専門店だった。専門店だけあって店員全員、タイの出身。片言の日本語しか話せない。日本語で人に聞かれたくない話をするにはもってこいだ。
一つのテーブルをぐるりと囲むように座る。メニューを注文する。当然カレーだ。辛さをいろいろと注文できる。Kのお奨めを全員でいただくことにした。緑色のスープのかかったライス盛り。これがタイカレーの姿だ。見た目には辛さをあまり感じない。だが、実際に食べると、これがとてつもなく辛い。
「水は飲まない方がいい。余計に辛くなるぞ」
Kの警告。これを無視したチェリーは口の中を火炎地獄にした。
「食べながら、話を進めよう」
作戦が練り上げられる。
「首相官邸や国会議事堂や党本部にいるときは、まず無理だ。移動中がベストだが、移動ルートは日によって当然、変えている筈。後をつければ無論、怪しまれるだろう」
ここでKが妙なことを言いだした。
「そして我々の作戦を阻む最大の障壁は首相を警護するSP。通称『コックローチN』だ」
コックローチN?
「きみたちの後継者として結成された警視庁の暗殺部隊だ。Nというのはネオという意味だ」
そんなもん作ったのか?
「どうせ、偽もんだろ?」
「いや、そうとも言えない。彼らは仮にも国家公認の組織だからな。きみらは私の独断による『黙認』でしかない」
「それって何か、腹立つわね!」
「どうでもいいさ。なあ、チェリー」
「ああ。国家公認なんて肩書、中身や実力とは全く関係がない。東大卒、クイズ王、MENSA会員と一緒さ。くだらん、くだらん」
「まあ、そういうことだな」
メンバーはかくも余裕を見せていたが、Kはそうでもなかった。
「肩書はともかく、彼らの実力はきみらに匹敵するものだ。くれぐれも油断はしない方がいい」
「ところで、忍はどうしている?」
ジャンが話題を転換した。偽コックローチの話は「ここまで」ということだ。
Kの顔が曇った。
「あいつは・・・あいつは、裏切った」
「なぬ?どういうことだ」
話は実に簡単。忍はKが警視総監を解任されると、直ちにKのもとを離れた。そして今では首相の第一秘書となっていたのだった。
「ようするに『首相の愛人になった』ということか」
「とんだ風見鶏だな」
「信じられない話では、ないな」
「・・・・・・」
ここでチェリーがジャンに尋ねた。
「こうなると、再び戦うことになるかもしれない。どうする?」
「忍が我々の前に立ちはだかるのであるなら、倒すさ」
「偽コックローチよりも遥かに強敵だな」
「・・・・・・」
先程から量子は無言。量子は忍の行動に結論をつけかねていた。そんな量子に気が付いたのだろう。チェリーが量子に次のように言った。
「『もしかしたら忍は首相を倒す機会を狙っているのかもしれない』なんて楽観的なことは考えるなよ。我々が今、立てなくてはならない行動計画は、あくまでも忍を敵として想定したものだ。そうでなければ命がいくつあっても足りないぞ」
「わかってる」
でも、忍を信じたい量子なのであった。これが姉妹というものなのだろう。
「ま、どのみち忍の真意については近いうちに結論が出る。我々が行動に移れば否が応にもな」
「そうね」
「何といっても今、我々が知りたい情報は『首相の今後の日程』だ。理想を言えば、関係閣僚が一堂に会する機会だ。そうすれば一網打尽にできる」
「そうなると、国会議事堂や首相官邸がやはりベストだよな。警備は厳重だろうけど」
「他に『集まりそうな場所』ってないかな?議事堂や官邸は、あまりにもリスクが大きすぎる」
「我々に与えられた時間は少ない。党首も話していたように、3日後には本土への巡航ミサイル攻撃が開始される。そうなれば主要都市が廃墟となってしまう」
中国政府は右翼政権に対し、3日以内に降伏しなければミサイル攻撃を開始すると通告していた。そして、右翼政権がそれを受諾する可能性は0%だった。
「3日」
だがこれは、あまりにも「無理な注文」だった。作戦実行の機会が訪れないまま、3日は過ぎてしまった。
そして予告通り、中国による巡航ミサイル攻撃が開始された。
これは非常に拙いことになった。
ニッポンは元々、地形的に「戦争のできる国ではない」。
ニッポンが中国に攻め込む場合、手前の都市から順々に奥へと侵攻することになる。だが、中国がニッポンへ攻め込む場合は事情が全く違う。典型的な花綵列島であるニッポンの都市は札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡の全てが中国大陸から見た時、ほぼ同じ距離に位置している。したがって中国大陸から攻撃を仕掛ける場合、どの都市から攻撃してもOKである。これは防御する側にしたら「どの都市を重点的に防御すればいいかわからない」ことを意味する。事前に攻撃目標がわからない限り兵力を均等に振り分けて配備するしかない。当然、防御は手薄になる。
もし、ニッポンの指導者に諸葛亮並みの智慧があったなら、ニッポン独特の弓なりの地形から「ニッポンは武力で護れない国」であることを瞬時に見抜き、絶対に平和憲法を破棄しなかっただろう。ニッポンの平和を護ろうと思うならば平和憲法に頼る以外にはない。今やニッポン列島は横一列に並んで鬼軍曹に殴られるのを待つ一兵卒の様なものであった。
そして予告通り、中国による巡航ミサイル攻撃が開始された。最初の標的は下関。高さ153mの海峡ゆめタワーがミサイルの直撃を受け、四散した。これは「早く降参しないと大都市も同様のことになるぞ」という警告に他ならない。だが、政府は無視する。
そして遂に。
巡航ミサイルが東京上空を行く。池袋、新宿、渋谷、六本木に聳える高層ビルが次々と破壊されていく。巡航ミサイルは高層ビルが立ち並ぶ横浜や幕張方面にも飛んでいく。
東京スカイツリーの展望台に巡航ミサイルが突き刺さった。粉々に砕け散る展望台。その上にあるアンテナ部分が地上に落下。巨大な轟音が四方に轟く。灰色の土煙が舞い上がる。コックローチのメンバーはその光景をリアルタイムで目撃した。
「なんということだー」
「俺たちが、もたついているために」
「ちっくしょう」
「ああっ」
この光景を「気に病むべき」は、きみらではない!全ては明治時代の軍国ニッポンを理想国家として崇拝、国防強化の果てに愚かな戦争を始めたニッポンの右翼政権の指導者の責任なのだ。それに、もとよりニッポンの「戦後復興」「高度経済成長」「バブル経済」といったものは全て、アパルトヘイト政策を全面支持した見返りに南アフリカから大量に輸入した純金やダイヤモンド、朝鮮戦争の特需といった「外国の不幸」という土台の上に築かれた「悪の城」に過ぎず、いずれは崩壊する運命にあったのである。
そして更に状況は最悪を迎える。遂にロシアが宣戦布告。北海道への進軍を開始したのだ。
このように代償となるものは実に大きかったが、その結果、首相及び関係閣僚を捕らえる「絶好の好機」が訪れた。
もはや勝ち目のない戦争。敗北必至の戦争。このような時、大概のニッポン人、すなわち宗教には無関心だが「占い」や「幸運グッズ」には大いに興味を示すチープな精神性しか持ち合わせていないニッポン人ならば、果たして「何をする」?
そう「神頼み」だ。首相以下、関係閣僚全員が急遽「伊勢神宮参拝」を行うことに決まったのだ。そしてその情報は決して「一枚岩」とは言えない現在の右翼政党に所属する、今も中道政党と親しい関係にある議員によってもたらされたのだ。これほど「正確な情報」はなかった。喉から手が出るほど欲しかった情報を奴らが自ら教えてくれたのだ。
かくして、今回の戦場は決まった。
※
伊勢神宮。
それは第11代・垂仁天皇が地方の豪族たちを倒し、全国統一を実現するための侵略戦争を遂行するために造営した「軍国主義に基づく思想統制」を目的とする軍事施設である。
「由緒」「伝統」といった言葉を耳にすると即座に「価値あるもの」と思い込んでしまう愚かなニッポン人はそこを「尊い神様が住まう聖地」と信じているが、その実態は「戦争大好き・人の血を見るのが大好き」の魔物が棲む場所以外の何物でもない。戦争の遂行が目的なのだから平和を尊び、人々の幸福を願う諸天善神に住まわれては「困る」ではないか。
こうした事実はニッポンの「歴史」が証明する通りだ。伊勢神宮で病気平癒を祈願した日本武尊はその甲斐もなく30歳の若さで没した。伊勢神宮で元服した源義経は平泉で頼朝軍に討ち取られた。江戸時代に3回行われた「伊勢御蔭参り」の後には、それぞれ「富士山大噴火」「疫病大流行」「天保の大飢饉」が発生した。伊勢神宮の神札を国民全員に持たせて臨んだ太平洋戦争は「敗戦」という結果に終わった。また、2010年に発生した800万人規模の伊勢神宮参拝ブームの翌年に「東日本大震災」が発生したことや、2016年の伊勢志摩サミット直前の4月には「熊本大震災」、さらには世界の首脳陣が伊勢神宮に参拝したサミット直後の6月から世界各地で大洪水や熱波といった異常気象が次々と発生したことは、いかに歴史健忘症のニッポン人とはいえ、まだ多くの人々が記憶しているに違いない。これらはすべて神様ではなく魔物を敬った結果、引き起こされた悲劇に他ならない。だからこそ推古天皇の摂政を務めた聖徳太子は推古天皇が伊勢神宮参拝を言い出すたびに「いけません!」と反対されたのである。
勿論、文献上の裏付けもある。
古事記には「縄・・・不得還入」日本書紀には「縄・・・勿復還幸」という記述がある。いずれも「注連縄を張った空間に神様は入らない」ことを示す決定的な一文である。
神様が入ってこない場所。そうした空間が魔物にとって「格好の住処」になってしまうことは幼稚園児にだってわかる実に簡単な理論だ。何たって神様が入ってこないのだから魔物にとってこれほど有難い「安全地帯」はない。
このように現証と文証と理証の三つが全て揃っているのだから伊勢神宮が「魔物の住処」であることに疑いを挟む余地はない。神社を「神聖な場所」と考えるのは伝統や慣例を正しいと思い込むガチガチ頭のニッポン人による誤った「固定観念」に過ぎないのだ。
この「ニッポン一穢れた場所」に戦争継続を望む右翼指導者たちが一堂に会した。無論、警備上の理由から、国民には秘密だ。
伊勢神宮・内宮の入り口となる宇治橋前の広場を厳重に警備。必要最小限の護衛とともに、首相を筆頭に傘をさした閣僚たちが次々と敷地内へと入っていく。
今日の天気は雨。このあと予報では一時的に大雨になるらしい。
「場所といい、天気といい、まさにもってこいだ」
山の中を進むメンバー。雨音は藪こぎの音をかき消し、雨粒は視野を短くする。ジャン以外のチェリー、シーバス、量子の3人は山歩きのプロだから、この程度の悪天候での山行は、わけがない。
ということで、ジャンはひとり別行動をとる。いや、正確にはふたり。ジャンはKと一緒に動いていた。こちらは山登りではなく「川くだり」。
山行隊。頭にはヘルメット。最新型のストレッチ機能を有する透湿防水素材のレインウェア。足には平地での動きも考慮して、あえてハイカットではなく、ミドルカットブーツ。無論、透湿防水素材を採用。背中には、これも登山用ではなく、トレラン用の小型ザック。中には2Lのハイドレーションが入っており、首から出ているチューブを口に銜えることで、いつでも水分補給することができる。
3人が内宮に到着した。ジャンに一報を入れる。
「今、到着した。そっちはどうだい?」
「もうちょっと。3分ほど待ってくれ」
「了解」
といった直後。
「何者だ!」
やばい。見つかった。見つかったからには直ちに作戦決行だ。
相手は4人。ちょっとした格闘戦が始まった。チェリーとシーバスで二人ずつ倒した。
倒した直後、相手の隊長の無線機に連絡が入った。
「どうだ、異常はないか?」
チェリーが無線に出る。
「はい、異常ありません」
「ん?声が違うぞ。何者だ、お前は」
やはり駄目か。異変に気付かれてしまった。チェリーは無線機を地上に投げ捨てた。
「急ごう」
3人は参道に出た。
「こっちだ」
3人は斎館を目指した。恐らく、そこにターゲットがいるはずだ。
果たして、斎館の周囲を警備隊がガードしていた。境内ゆえの最少人数とはいえ、それでも物々しい警備。間違いない。この中には首相をはじめ関係閣僚がいるに違いない。
向こうも、こちらに気が付いた。そして、いきなり発砲してきた。かなり気がたっているようだ。
「ふん」
飛び道具に頼るような連中は怖るるにたらず。元よりチェリー、シーバスの俊足ならば狙いなど定められないだろうし、量子の念動力の前には拳銃など「豆鉄砲」と同じだ。
あっという間に警備隊のガードを突き破り、建物の中へと入る。
「みんな、散れ!」
チェリーの指示に従いシーバスと量子はそれぞれ別の方向へと走っていった。誰が最初に首相を捕まえるか、競争だ。
その後の斎館の中は、まさに「魔の巣窟」に相応しい修羅場と化した。
チェリーが次々とSPを倒していく。トレッキングポールを華麗に操り、腹を突き、顔を殴る。そんなチェリーに向かってSPは拳銃を撃ちまくる。そんな中を巫女らが必死に逃げまどう。
倒しても倒しても次から次とSPがやってくる。
「しつこいな」
チェリーは建物を支える木の柱をへし折った。まずは右、そして左。すると重たい屋根を支え切れなくなったほかの柱もまた、次々と折れていった。
「うわあ!逃げろ」
慌てて逃げ出すSPたち。重たい屋根がドスンと落下した。砂煙が建物の中の視界を遮る中、屋根瓦が割れる音が周囲に轟く。これで、しばらくの間はSPを足止めできよう。やれやれだ。
チェリーは奥へと進んだ。
「ん?」
廊下の奥に一人の男が仁王立ちしていた。
「出たな」
偽コックローチ。偽物だから武器が違う。チェリーはトレッキングポールだが、相手は日本刀ならぬ軍刀。しかも警官の制服ではなく自衛官の制服を着用していた。どうやら自衛隊から引き抜かれたらしい。
敵は腰の軍刀を抜くと正眼に構えた。そして、直ちに突撃を加えてきた。速い!
両者による打ち合いが始まった。
両者の決定的な違いは武器の違いもあるのだろうが、敵が両手で軍刀を握るのに対し、チェリーはトレッキングポールを片手で操ること。
チェリーの剣の強さの秘密は、実はこの「片手で操るところ」にある。つまりチェリーは超人的なまでの「手首の強さ」によってトレッキングポールを片手で自在に操るのだ。
無論、今もそうしたチェリーの特性はふんだんに発揮されてはいた。しかし、チェリーは先程から防戦一方。敵の攻撃を受けるばかりで、自慢の「回転切り」を繰り出せないでいた。
その理由は敵の繰り出す技にあった。
敵の攻撃は正眼の構えから繰り出される通称「鶺鴒の尾」と呼ばれている、数ある剣術の中でも最高難度の技。これが実に厄介。打ち合った直後、相手は刀を素早く引き、再び打ち込んでくる。つまり相手の刀を力点にすることができないのだ。チェリーが回転する前に相手は素早く下がってしまう。
「ふん」
だが、チェリーも動じない。チェリーは平突きを構えた。通常の構えよりも右腕を上にあげた構え。すると相手も右腕を高々と上にあげる構えをした。
「その構えは『右片手上段』」
「敵の名前も知らずに殺されるのは不憫というもの。私はコックローチN三番隊組長の桜花」
どうやら敵は自分を倒す気でいるらしい。それにしても、桜花だと?本名か?それとも、自分のニックネームであるチェリーに引っ掛けた綽名か?はたまた制服から推察するに旧日本軍の戦闘機から採ったのか?まあ、どうでもいいや、そんなことは。それよりも、あの構え。俺の平突きよりも先に「面を入れる自信がある」ということか?
「おもしれえ」
チェリーは何のためらいもなく突撃した。
その頃、シーバスもまた偽コックローチと遭遇していた。
「俺様はコックローチN二番隊組長。ニックネームはミウラ。スペイン語で『手に負えない暴れん坊』という意味さ。フフフ」
「斎館が何者かの襲撃を受けている」
伊勢神宮・内宮の手前、宇治橋の駐車場に展開する警備隊本体に無線で緊急連絡が入った。
「直ちに援護に向かう」
警備隊が出動する。斎館は五十鈴川を渡って右手にある。警備隊が宇治橋を渡る。
その時。
「何だ、あいつら?」
五十鈴川を二人の男が手漕ぎの小さな船でくだってくる。
「怪しい奴。撃てー!」
警備隊長の号令とともに警備隊の銃撃が始まった。
船がみるみる近づいてくる。やがて船は宇治橋の真下に入った。船はそのまま橋の下を通過した。その直後。
「うわあ」
宇治橋が落下した。船の上の二人の男が橋の真下に来た時に、爆発物を次々と橋桁に投げ込んだのだ。宇治橋の上にいた警備隊は五十鈴川の濁流に飲み込まれた。
船の上から伊勢神宮を眺める二人の男。
「あとは任せたぞ。チェリー、シーバス、量子」
ジャンとKは、そのまま下流へと流れていった。
残るは量子の動き。
その量子。一足先に標的である首相と相対していた。だが、そこには忍もいた。首相を守護する「最強の美人SP」として。
「忍」
「お姉さん。こんな形で再会することになるとはね」
「あなた。まさか、私たちの邪魔をする気じゃないわよね?」
「する気だと言ったら?」
「忍!」
「ちょうどいいわ。ここで、あの時の決着を付けてあげるわ」
忍は幻覚竜を出現させた。
前回の勝負で、忍の幻覚よりも量子の念動力の方が上であることは証明されている。だが、量子は念動力を使うのをためらった。私のことを嫌ってはいても、根は悪人ではないはず。どうしても忍が右翼思想にかぶれ、ニッポンを戦争へと導いた首相に本気で「心酔している」とは思えないのだ。
「行くわよ、姉さん」
忍の攻撃。量子の体が壁に打ち付けられる。量子はその場に倒れ、意識を失ってしまった。
「さあ首相。今のうちに脱出しましょう」
忍は首相とともに斎館を脱出した。
「やあっ」
チェリーが飛んだ。平突きを繰り出す。
「はっ」
桜花もまた右片手上段から刀を振り下ろす。
桜花はチェリーの面ではなく、チェリーのトレッキングポールを攻撃した。チェリーのトレッキングポールが真下に打ち落とされた。加速のついたチェリーの体はそのまま桜花に向かって無防備の状態で突進する。そこに桜花の刀が水平切りで待ち受ける。このままでは、チェリーの胸が水平に切られる。それどころか、首が飛ばされる。
その時。
チェリーは何と足をツルンと滑らせた。チェリーは仰向けに倒れた。桜花の刀はチェリーの顔面の真上を通過した。その直後、チェリーの足が桜花の脛を蹴った。桜花はそれによって転倒した。その瞬間、悲鳴。
起き上がるチェリー。桜花は死んでいた。自分の手にする刀で自分の体を貫いていた。 運?チェリーはそんなものは信じない。だが、剣の実力は明らかに桜花の方が上だった。Kが不安視していた通りに。本来であれば、死んでいるのはチェリーの方だった。
それにしても、なぜ足が滑ったのだろう?チェリーは廊下を見た。床板が、そこだけ濡れていた。天井を見上げると、滴が今にも落ちそうになっていた。雨漏り。そこだけ雨漏りを起こしていたのだ。チェリーの見上げる前で、まさに滴が一粒、ピチャンと落ちた。滴が桜花の頬を濡らした。
この雨漏り。先程、チェリーが屋根を落とした時に、その衝撃で屋根の瓦がずれたからに違いない。常識的には、このような場所で雨漏りなど考えられない。
ともあれ、こいつの持論に従うならば、こいつの死は不憫以外にはなかった。なぜなら、チェリーはまだ名乗ってはいなかったからだ。
「そうだ、シーバス」
チェリーはシーバスの援護に向かった。きっと向こうも手を焼いているに違いない。
自ら「暴れん坊」と名乗るだけあってミウラが手にする武器は見るからに殺人道具っぽい。 その正体は漁師が使う銛。長い木の柄の先端にレ字型をした鉄の穂先が黒光りする。ただ、気になるのは、普通の銛よりも明らかに大きいこと。
ミウラが自分の武器について自慢話を始めた。
「大きいだろう?これは普通の魚を突く銛じゃない。海豚を突くための銛さ。俺様は、ここ伊勢の漁師の出でね。幼い頃から、この銛を使って海豚を突き殺してきた。その数は1000頭を下るまい。海豚を突き殺すのは俺様にとって『最高のレジャー』だよ」
「そうか」
シーバスが先端を保護するゴムキャップを外し、二本のトレッキングポールを構えた。
「なら、ここでお前を倒して、お前に殺された『海豚たちの無念』を晴らすとしよう」
「無理だな。お前もこの銛で突かれて海豚のように死ぬ運命にある」
「やあっ」
シーバスの突き。ミウラは銛の先端で受ける。直ちに銛による突き。トレッキングポールでそれを受ける。シーバスのトレッキングポールは、この時点では両方とも一番短い状態。
いったん間合いを取る。ミウラは銛を頭上に水平に構えた。
シーバスは左手のトレッキングポールを前に突き出し、右手のトレッキングポールを右肩に背負った。突進。
ミウラが銛を頭上で回し始めた。
「はあっ」
シーバスの左手のトレッキングポールをミウラの銛がはじく。そこからミウラが銛を頭上高く振り上げた。
「これで、おわりだあ」
銛が振り下ろされる。
シーバスがにやりと笑った。三段突き。狙いは相手の銛。直線的に振り下ろされる銛など、シーバスほどの達人ならば全く怖くない。ミウラの両腕が上に挙がり、胴が「がら空き」になった。 そして再び三段突き。がら空きになった胸に三発。
決まった。ミウラの体が吹っ飛ぶ。だが。
「効いてない?」
ミウラは倒れなかった。体は確かに吹っ飛んだが、そのまま立ったのだ。
「ふふふふふ」
ミウラは上着を脱ぎ出した。その下にはグレーのスーツが現れた。その姿は、これで色がグレーではなくレッドやブルーだったら、ちょっとした特撮ヒーローといった感じだ。そしてまたまた道具の自慢。どうやら、こういう性格の奴らしい。
「これは、シャークウォッチングスーツだよ」
シャークウォッチングスーツ。直訳すれば「サメを鑑賞するための防護服」といったところか。さすがは漁師。いろいろと便利な海道具を知っているようだ。シーバスとミウラの戦いは、いわば「山を知り尽くした男と海を知り尽くした男の戦い」だ。
「このスーツは、その名の通り、鮫の牙をはじき返す。日本刀でさえ斬ることはできない。ましてやトレッキングポールなど、おもちゃ同然よ」
ミウラの言葉に嘘はなかった。最先端の素材技術を駆使して製造されたシャークウォッチングスーツは仮に武器が坪松であっても、スパッと斬られるようなことはないだろう。
「しょうがないな」
シーバスはトレッキングポールを一段階、長くした。
「もういいぞ、来いよ」
「しゃあ!」
ミウラの攻撃。今度は振り上げるのではなく銛本来の攻撃である突き。対するシーバスは三段突き。
「バカめ、同じ手が通用するとでも」
しっかりと両手で柄を握り、銛の先端で三段突きを受けるミウラ。鉄でできた銛の先端は成程、確かにトレッキングポールの攻撃に耐えた。
「なに?」
その瞬間、銛の柄が粉々に割れた。先程の三段突きを受けた時に木製の柄の部分は既に破壊されていたのだ。柄から分離した先端が宙を舞い、やがて床に突き刺さった。
「さらば」
そして、シーバスの左腕による三段突き。すなわち「六段突き」。シーバスは最初から、ここでは六段突きを放つつもりだったのだ。
「ぎゃああああ!」
シーバスはチェリーとは違い、めったなことでは非情にはならない。だが、非情になった時のシーバスはチェリー以上に恐ろしい。
シーバスの左腕三段突きはミウラの両眼と喉元を貫通した。ミウラは両眼と喉元から血を流して床に崩れ落ちた。バカな男だ。なまじ防御スーツなど着ているから体ではなく顔を突かれてしまったのだ。
「どうやら最後に殺される海豚は、お前自身だったようだな」
床に突き刺さる長さ1mにもなる銛の先端。その姿はミウラの卒塔婆のようでもあり、またミウラによって殺された海豚たちのそれのようでもある。
ともあれ、海豚たちの仇はとった。シーバスはトレッキングポールを本来の長さ(すなわち最短の位置)に戻した。
「シーバス」
チェリーがやってきた。敵の死に様を見たチェリーはシーバスに次のように言った。
「お前も成長したな」
自分たちの作戦を終え、川くだりを楽しむジャンとK。
「何だ?」
突然、二人が乗る船の舳先から迷彩服にブーツといったいでたちの男がひとり攀じ上ってきた。まさか宇治橋から落ちた警備が泳いできたのか?それにしても、この濁流の中を泳いでくるとは。
「お前は!」
Kの驚き。ジャンは「こいつを知ってるのか?」と問う。
「こいつはコックローチN一番隊組長の、モ・ランボーだ」
「モ・ランボー?」
「ああ。コックローチN最強のカポエラ使いだ」
「ということは『俺の偽者』か」
「さっきから何をごちゃごちゃ話してやがる」
モ・ランボーがジャンとKの話に割って入ってきた。
「よくも橋を落としてくれたな。見ろ。おかげでビショビショだぜ」
そう言うと、モ・ランボーは自分の濡れた上着を脱ぎ始めた。ランボーというだけあって見るからに屈強そうな肉体が現れた。
「これでよし。さあ、遊んでやるぜ。売国奴のお二人さん」
「へっ」
ジャンが一歩前に出た。
「もうじき戦争は終わる。否、おまえを倒して、終わりにしてやるよ」
モ・ランボーの攻撃。ジャンは身を屈めて相手の横を素通りして背後に回った。
「ああ。あとそれから、コックローチNのNが『偽者のN』だということも証明するからな」
モ・ランボーの背面蹴り。ジャンは、今度は素早く後ろに身を引いた。
「当たらねえよ。そんなスローキック」
挑発するジャン。だが、油断するなよ。
「お前を少し舐めていたようだ。いいだろう。俺の実力を見せてやろう」
モ・ランボーの右足蹴り。
「なに!?」
慌ててジャンは腕をクロスさせて体をガードした。ジャンは後ろへ吹き飛ばされた。
「どうした?これでも『スローキック』などとほざくか?」
速い!モ・ランボーの右足が4本に見えた。無論、3本は残像だ。目に残像が残るほどのキックとは恐れ入った。
「こいつはカポエラ選手権の世界大会3年連続チャンピオンだ」
Kの解説。御丁寧にどうも。既存の権威による「お墨付きがある」ということか。でも。
「そういうの、信じない質なんだよね。俺は」
果敢に攻め込むジャン。
「おりゃあ」
だが、簡単にはじかれる。再び残像攻撃。足蹴りがジャンの頬をかすめた。ヒュー、危ない。どうやらKの不安が現実となったようだ。舐めているから、こんなことになる。時には既存の権威によるお墨付きも「信じるべき」ということか?いやいや。
「俺より『漢字に詳しい東大卒』なんて未だ、お目にかかった験しがない」
ジャンのひとりごと。モ・ランボーには意味不明。
「行くぞ」
ジャンの攻撃。ジャンの右足回転蹴りがモ・ランボーを襲う。だが空振り。ジャンの足はモ・ランボーの頭の上を通過した。
「やあっ」
モ・ランボーの右足回転蹴り。よほど足腰が強いのか。ジャンよりも姿勢が低い。モ・ランボーの右足がジャンの頬を直撃した。
「くっ」
よろけるジャン。モ・ランボーは、すかさずジャンの胸に一撃。
「そりゃあ」
モ・ランボーは、その体勢から柔道の巴投げのようにジャンを後ろへ高々と蹴り飛ばした。ジャンは船の後方で舵を操るKの傍に落下した。
強い。ジャンが、あのジャンが、全く歯が立たない!
先程から降り続ける雨が、いよいよ強くなってきた。水嵩を増した川はますます激しい濁流となって船を速く進ませる。
「そろそろ、年貢の納め時だな」
不敵に笑うモ・ランボー。その時、ジャンとKは、あるものを見た。二人は「せーの」で身を低く屈めた。
「何だ?今さら降参か」
次の瞬間。
「ぎゃあ!」
モ・ランボーの体が船の後ろに大きく突き飛ばされた。モ・ランボーは口から血を吐きながら、そのまま濁流渦巻く五十鈴川の中へと消えた。
一体全体「何があった」のだ?
大雨によって水嵩を増した五十鈴川の水位は大きく上昇していた。それは五十鈴川に架かる橋の真下にまで達していた。
もうおわかりだろう。モ・ランボーは橋に激突したのだ。
船の舳先に立ち、進行方向を背にして立っていたモ・ランボーは橋が接近していることに全く気が付かなかった。仮に気が付いていたとしても、よもや水位の上昇によって船に立っていたら「激突してしまう」などとは考えもしなかったに違いない。
かくしてモ・ランボーは背中から後頭部にかけて、ものの見事に橋に激突した。川は激流。船の速度は100km近くにも達していた。さしもの強靭な肉体を誇るモ・ランボーといえど助かるまい。
意外な結末。チェリーの時といい、これらはいずれも「運が作用した結果」なのか?
いや、恐らく違う。伊勢神宮を崇拝すれば大災害に見舞われ、戦争に負けることを思えば「逆」もまたしかり。伊勢神宮を荒らす彼らをニッポンの神々がこぞって「守護した」のに違いない。
イザナギ・イザナミの両神によって日本列島が生み出された後も、天照大神を始めとする日本の神々からは長い間に渡り「天皇となる者」は登場しなかった。日本史上、初めて天皇が誕生したのは、いうまでもなく初代・神武帝のとき。
豊玉姫の次男を父に、妹を母に持つ神武帝。豊玉姫とその妹は竜宮城の支配者である竜王を父とし、竜王は「法華経・虚空会の儀式」において釈尊に地涌の菩薩(末法において法華経を広める人々)の守護を約束した。ようするに神武帝は法華経を信仰する父と母の間に生まれた「日本史上初の法華経の福子」であり、その絶大なる功徳によって、それまでいかなる神々も成し得なかった「天皇の位に登る」ことができたのである。
後に聖徳太子によって滅ぼされることになる物部氏は初代・神武帝の頃から天皇に仕える重臣であるが、もともとは敵対勢力である。神武帝の力の方が上と判断、一時的に忠誠を誓った面従腹背の輩に過ぎない。そんな物部氏出身の娘を妻に娶った第10代・崇神帝、その子、第11代垂仁帝が始めた宗教こそ「神道」に他ならない。表向きは「神々を敬う」。だが、その本質は注連縄という結界を全国に張り巡らせることで神々を追い出し、やがては自分たちの一族がニッポンを支配するための布石とすることにあったのだ。
その後の歴史については我々が知る通りだ。国民の間に神社崇拝がすっかり根を下ろし、その結果、ニッポンは現代に至るまで戦乱や大規模自然災害という脅威に絶えず晒される「汚れた国」となってしまったのである。
こうした「ニッポンの史実」を精査する時、実力では上だったはずの桜花やモ・ランボーが敗れ、実力では下だったジャンやチェリーの方が勝ったのは、決して運などではない。まさに「必然の出来事」だったのである。
「量子、起きろ」
チェリーが量子を抱き起こす。シーバスも一緒だ。
「あ、だんなさま」
「どうやら、忍にやられたみたいだな?」
「・・・・・・」
「追うぞ。急がないと、逃げられてしまう」
3人で首相を追う。
首相をはじめとする関係閣僚は宇治橋の傍に建つ神宮司庁に避難していた。宇治橋は既に落下していて渡れない。神宮司庁のすぐ隣の広場に大型ヘリコプターが用意されていた。首相、官房長官、防衛大臣、そしてその側近たちが乗り込む。操縦席には忍が座った。
「待て、待て、待ちやがれ!」
チェリー、シーバス、量子が神宮司庁に向かって走ってくる。警備が必死に彼らに応戦する。
「小賢しい。時間稼ぎなんかするんじゃねえ!」
チェリーが恫喝する。だが、警備は自らの職を全うする。そうなると、やはり倒さないわけにはいかない。チェリーとシーバスで警備と戦う。事実上、警視庁と長野県警の戦い。
「量子、行け!」
チェリーが叫ぶ。量子がヘリコプターへ走る。
ヘリコプターがエンジンの出力を上げる。量子は念動力でそれを抑え込む。
だが、だめだ。ただのヘリコプターなら抑え込めるだろうが、このヘリコプターには忍が乗っていた。量子はヘリコプターの発する風圧によって、その場にしゃがみ込む以外になかった。もはや自分の身を護るだけで手一杯だ。
ヘリコプターが上昇を開始した。チェリーとシーバスが戦う戦場の真上を飛翔する。警備や取り残された閣僚たちが風圧で次々と飛ばされる。山岳地帯での暴風雪に慣れたチェリーとシーバスは瞬時にトレッキングポールを地面に突き立て、猛吹雪の際に用いる耐風姿勢をとった。チェリーとシーバスはかろうじて飛ばされずに済んだ。
だが、そんな二人をあざ笑うかの如く、ヘリコプターはそのまま飛び去ってしまった。作戦失敗。
「駄目だったか」
「まんまと逃げられてしまった」
飛び去るヘリコプターを見上げる二人。二人のもとに髪の毛から何から全身、砂塗れになった量子がよろよろと歩いてきた。すると皮肉にも、作戦は失敗したにもかかわらず雨は止み、雲の隙間からは眩いばかりの陽の光が差し込んできたのだった。
「助かった」
ヘリコプターの中で首相は安堵した。
「さすがは忍。お前は本当に頼りになる」
後部座席から首相は今回の忍の活躍を褒め讃えた。
「首相官邸だ」
「了解」
忍はヘリコプターの進路を北へ向けた。ヘリコプターはいくつかの山脈を飛び越え、やがて洋上に出た。そして洋上に浮かぶ一隻の軍艦の上に着陸した。
「こ、これは?」
首相以下、一同の驚きを言葉で表現するのは難しい。ここでは敢えて「鳩が豆鉄砲を食ったような」と言っておこう。何せ、ヘリコプターの周囲を、小銃を手にした兵士がグルリと取り囲んでいたのだから。
「さあ、降りて頂きましょうか?首相」
「忍、これは一体、どういうことだ?」
「どうもこうも、こういうことですわ。ようこそ『遼寧』へ。歓迎いたしますわ、首相」
ヘリコプターが降りたのは日本近海に展開する中国海軍の空母・遼寧の上だった。
こうして戦争は終わった。
その後、中、露、米の三国による今後のニッポンの処遇について話し合いが行われた。その場に出席を許されたニッポン代表が中、露、米の三国全てから唯一、信頼を得ている中道政党の代表団であることはいたって自然の成り行きである。
その中道政党がニッポン代表として「ニッポンの国益」を少しでも護ろうとしたことは言うまでもない。中でも「天皇性の存続」は最重要課題であった。だが心配は無用であった。天皇陛下が戦前よりニッポンの右傾化を深く危惧、憂慮されていたことは世界中が知る既知の事実であり、中国もロシアもそれについては全く反論できなかったからだ。
最終的に、次のことが決まった。
① 戦犯は中、露、米が法廷で裁く。
② ステルス戦闘機、戦略空母、長距離ミサイルは破棄する。
③ 右翼的歴史観・歴史教育の廃止。
④ 領土は現状維持。
⑤ 在日米軍は撤退。永世中立国となる。
④を勝ち得たのはひとえに中道政党への信頼によるものである。また⑤について、今回の戦争では中国軍の活躍が目まぐるしく、ロシアも中国の意見に賛同したため、アメリカは日米同盟の維持が困難だったのだ。
※
ここは渋谷の秘密基地。
「知ってましたね?」
「何が?」
「忍のことです。初めから『あなたの指図』で動いていたのでしょう!」
コックローチのメンバーがKを問い質す。
「これは最重要機密だった。もしもばれれば作戦が失敗するばかりか、忍の身が危なかった。だから、きみたちにも本当のことは言えなかった」
「で、忍は今どこに?」
ジャンがそう言った直後、話題の忍がリビングルームに入ってきた。
「お久しぶりです」
こういうときは、どういうふうに話を進めればいいのだろう?男性陣は戸惑いを隠せない。
忍が量子に話しかける。
「今のところ、1勝1敗」
「そうね」
「次で決着がつくかしら?」
「さあ」
「負けなくってよ」
忍が話題を変えた。
「ところで今、テレビで『北京裁判』の模様が生中継されているわ」
北京裁判とは、今回の第二次日中戦争の戦争犯罪者を裁く軍事法廷のことだ。終戦後、ニッポンに誕生した新政権による「右翼狩り」によって、右翼思想の政治家を始め、右翼支持で有名な知識人らが次々と捕らえられ、北京へと送還されていた。
昨日までの時点で、与党第一党とともに憲法改正を盛んに推進した連立与党第二党の党首、BSの報道番組を中心に右翼思想を喧伝していた女性ジャーナリスト、それに防衛省の太鼓持ちとなって盛んに自衛隊の宣伝番組に出演していたインテリ芸能人といった連中に極刑が言い渡されていた。
モニターのスイッチを入れる。
「おっ」
グッドタイミング。画面にはまさに右傾化の時代には「我が世の春」を謳歌した首相の顔が映し出されていた。
「瘠せたな」
「まあ、そうだろう」
「死刑は確実、ってか」
「当然よ」
「おっと、いよいよだぞ」
死刑です。たった今、○○総理大臣に死刑が言い渡されました。
アナウンサーが叫ぶ。テレビ画面には「○○総理大臣に死刑判決」という文字が大きく映し出され、さらに必要ないだろうに「○○総理大臣に死刑判決」という同じ文面のテロップが流れた。
判決に不服な首相が叫び始めた。外国人には理解できないだろうが、ニッポン人であるコックローチたちにはその内容がわかる。「宣戦布告をしたのは天皇です。自分は天皇の家来に過ぎません。ですから天皇ひとりを処刑して事を済ませて下さい!」。要は太平洋戦争を裁いた東京裁判におけるA級戦犯らが行ったのと全く同じ「弁明」だ。
「仮にも総理大臣まで務めた人が、実に見苦しい限りだな」
「自分が進んで国防強化を進めて戦争を始めたくせに、何を言っているんだか」
「天皇陛下が世界の平和を願い、誰よりもニッポンの右傾化を危惧されていたことは全地球人類が知っている。こんな言い訳、誰も耳を貸さねえよ」
この人の人生はまさに「平家物語」を地でいった感がある。栄光、そして滅亡。誤った思想を持つ人間の末路など所詮、こんなものだ。
今は丁度11時58分。夕方には銀座などで号外が配られることだろう。
「ところで」
話題がKに移る。
「聞くところによると、あんた政治家になるんだって?」
「ああ」
「マジかよ」
「党首のたっての頼みだ。しょうがないだろう?」
「でもって、その党首は今では首相か」
首相を中国に引き渡した直後、中道政党は直ちに新政府を樹立した。素早く動かなくては、ニッポンはアメリカ・中国・ロシアの三国によって分割統治されることになってしまう。第二次世界大戦終結直後のオーストリアの事例に倣い、新政府は「永世中立国」を宣言。ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アフリカ諸国に支持を求めた。中道政党はそうした国々との太い「友好のパイプ」をかねてより構築していたので、それらの国々から「ニッポンの正当な政府」としての支持を得ることに成功した。その結果、アメリカ・中国・ロシアの軍隊はニッポンから撤退することが決まったのである。
「何か、いいように『利用された』ってカンジ」
「なあに。今までと同じ『悪徳塗れの政治』が繰り返されるなら、また倒すだけの話さ」
「実はきみらにも、いろいろな役職が用意されている」
「お断りします」
「おい」
「みんな仲良く長野に帰ります」
「自分も京都に帰るよ」
「おい!」
「『右翼の嵐』が過ぎ去って、いよいよこれからは『中道の時代』が始まる。新しい時代に相応しい優秀な人材が陸続と登場するでしょう。自分たちは山奥から『ニッポンの行く末』をそっと見守りますよ、先輩」
翌日、チェリー、シーバス、量子の3人は長野へ、ジャンは京都へと戻っていった。
次回予告
サブリミナル効果によってパソコンユーザーをテロリストに変える恐怖のコンピュータウイルス「EPIC」。アメリカ全土を震撼させた無敵のウイルスが遂にニッポンに上陸した!しかも帆乃香が、そのウイルスによって洗脳されてしまった。まちに出た帆乃香が罪なき人を傷つける。
一磨よ、帆乃香の洗脳を解けるのは、きみの「愛の力」だけだ。
新・コックローチ9
お楽しみに。
あとがき
私の本職は作家だが、上野に籍を置く絵画系美術団体に所属する関係上、プロフェッショナルの画家の先生方との交流が結構ある。彼らの作品は実に見事なものだ。そしてまだ入会して年数の浅い人であっても、やはり全国規模の美術団体に参加する意思を固めた人はそれなりに上手く、中には並み居る先生方の作品を吹っ飛ばして「これは素晴らしい!」と唸らせる作品を生み出す人もいる。小さい子供を連れた親が、その人の絵の前に子供を立たせて「記念写真」を撮影していく姿を見る度に私は感動を覚える。その人の描く動物たちはどれも皆「ファンタジックな色彩世界」に彩られており、見た人の心をウキウキ、ワクワク、ハッピーにさせる力があるのだ。その人の新作を「毎年見られる」ということだけでも「この会に所属する意義はある」と私は本気で思っている。最近の若い人たちは組織に縛られることを毛嫌いするけれども、上野の美術団体展もまだまだ捨てたものではないのだ。
一方、世間ではテレビメディアの力を借りて、大して上手くもないのに銀座のデパートでの展覧会を企画して貰える芸能人たちがうようよいて、そんな連中が「自分は絵が上手い」と威張り腐っているのには本当に腹が立つ。
私は「素人絵描き」が好きだ。沢山の素人がいるからこそ画材は充実し、プロの先生方も容易に画材を入手。仕事ができるわけだから。だが、それはあくまでも「素人」としての身の程を弁えている人々に限った話だ。素人レベルなのに「芸能人」ということだけでプロの先生方を出し抜いて絵が売れる。これはプロの先生方の仕事を奪う「悪行」以外の何物でもない。こういうことが起こると、画家という存在の社会的意義そのものが大きく揺るぎ、結果として「芸術文化の衰退」という現象が引き起こされることになるのだ。それはテレビ世界にズカズカと進出してくるユーチューバーによって多数の芸能人が自分の仕事を奪われていることと全く同じ現象なのである。
遂に帆乃香の口から「三相性理論」の一部が語られた。今後、残りの部分も次々と開示されていくことになる。今回、開示したのは二つから構成される三相性理論のうちの片割れ、「法の三相性理論」である。それは本体であるところの「妙の三相性理論」を、本来は空の状態にあるエネルギーを原材料として写し取ったいわば「コピー」である。従って三相性理論の核心部は今後、開示されることになる妙の三相性理論の方にある。楽しみに待っていて頂きたい。或いは私が開示する前に「それって、どんなものだろう?」と自分の頭を働かせて考えてみるのも一興だ。何でも答えを教えて貰う姿勢は、お世辞にも頂けない。問題があると、すぐにスマホを使って正解を得ることが、どれだけその人の頭脳を劣化させ,想像力を鈍らせ、忍耐力を衰えさせ、人間性を後退させるかを考えた時、人はやはり自分の頭で考える努力を常日頃より怠ってはならないのだと言うことが、しみじみと実感されるのである。
ここで私の「個人的な話」をひとつしよう。
大分前になるが、私はJAL123便が墜落した「すげの沢」に慰霊登山に赴いたことがある。沢山の木で作られた墓標が林立する中、ひとつだけ置かれた背の低い小さな墓石を見たときのことである。私の目は忽ち潤み、涙で止まらなくなってしまったのだ。その墓石には墓の主の名前でも戒名でもなく,次のような言葉が彫られていた。
やさしかったパパ
幼い子供を残して亡くなった父親の無念を表すのに、これ以上の言葉があるだろうか?私は今でもこの光景を思い出すと涙で目が滲む。「男のくせに」と思うことなかれ。これこそが自分の脳細胞を働かせて物事を真剣に考えることのできるだけの優秀な頭を持つ人間が有する人間性「鋭い感性」というやつなのだ。名門大卒自慢の鼻持ちならないタカビーなんかじゃない、こうした本当に頭の優秀な人間ばかりで地球全体が満ち溢れた時、世界からはあらゆる争いがなくなり、地球は「平和な星」となるに違いない。そう、竜宮城のように。そしてそれこそが「乙姫の願い」なのだ。それを可能とする物理法則。それが三相性理論を柱とする竜宮城世界の物理学である『仏理学』なのである。
著者しるす
2026年1月1日