•  
  • 続々・コックローチ(2020年7月~12月)

  •  コックローチと悪との絶えることのない戦い。そんな人類の同士討ちの姿に愛想をつかしたジコマンコンピュータが遂に暴走。世界は核の炎に包まれた。地上の大都市は破壊しつくされ、多くの人類が死滅。そして生き残った人類に待っていたのは「家畜」としての地位だった。

     うぎゃああああ!

     ジコマンコンピュータが人類に代わる「地球の支配者」として指名した動物たちによって次々と食肉加工場へと送られる人類。

     ヨー・シロー総裁、ばんざーい!

     ジコマンコンピュータが指名した動物、それは何と「豚」だった!IQ800を誇る天才豚ヨー・シロー率いる無敵の豚軍団。人類に残された唯一の希望は核戦争勃発当時、唯一、銅鐸の塔の中にいた一人のうら若き美女。
     彼女は、今はまだ銅鐸の塔に囚われたひとりの哀れな女性にすぎない。だが、やがては「信頼できる仲間」を得てヨー・シロー総裁率いる豚軍団に対し敢然と戦いを挑むに違いない。

    「チャン、ジュリー、行くわよ!」

  • 世紀末聖女伝説「続々・コックローチ」

  •  2020年秋 公開。

  • あなたはきっと、ぞくぞくする!



  • 予告

    コックローチ「世紀末編」









    10
    11
    12



    WARNING
  • 「闇世界を生きる人間を描く」という作品の性質上、日常生活に於いては禁止されるべき 「不適切な表現」が登場します。本作品に登場する人物たちのマネをしてはいけません。とりわけ山道具を武器として使用することは絶対におやめ下さい。



  • コックローチ「世紀末編」

  •  右翼政党
     J連合

     コックローチの活躍によってこれら極右思想に固執する巨悪を一掃した現在のニッポンだったが、まだひとつ「強大な悪」が残っていた。

     量子が機銃で打たれる。
     チェリーが階段で倒れる。
     ジャンが艦橋で目を閉じる。
     シーバスが最後に願う。

    (樹音ちゃん。望のことを頼みます)

     その後、洋上で起こる大爆発と立ち昇る雲。

     そう。強大な悪とはその昔「戦艦大和」を再建造、軍事力でニッポンを支配しようと企てた謎の組織のことである。

     銅鐸の塔。
    「どうしたんだ、帆乃香。いきなり自分を呼ぶなんて」 
     それまで会長室(銅鐸の塔はPIPIRUMA本社でもある)にいた一磨がエレベータで地下に降りてきた。
    「一磨。ジコマンコンピュータからの警告よ。見て」
     一磨はディスプレイの表示を見た。
    「これは、PIPIRUMA株の株価変動表じゃないか」
    「ええ、そうよ」
    「これがどうかしたのか」
    「ここ10年、PIPIRUMA株は着実に株価を上げているわ」
    「いいことじゃないか」
    「その理由は『何』だと思って?」
    「というと」
    「次にこれを見て」
     帆乃香が画面を切り替えた。
    「これは」
    「そう。株主の一覧表よ」
     そこにはPIPIRUMA株を保有する株主が載っていた。筆頭株主は言うまでもなく一磨だ。
    「ここ10年で株主が、かなり変わっているわ。株価が上がっているのは海外に積極的に買われているからよ」
    「確かに、外国企業による保有率が上がっているな」
     外国企業が保有する株の比率が10年で倍増していた。現在、一磨が保有する株は45%で、外国企業が保有する株の総数は53%に達していた。といっても外国企業一社が保有する株はどれも5%未満である。
     と、ここで帆乃香が次のように話し始めた。
    「今、仮にこの海外の株が『一人の人物』のところに集中したら、どうなる?」
     当然、PIPIRUMAグループはその「一人の人物のもの」となる。
    「順調に株価が上昇している今だからこそ、一時的に株価が下がってもいいから株を増やした方がよくなくって?」
    「わかった、そうしよう」
     一磨は直ちに帆乃香の助言を受け入れ、新たに株を発行した。結果、一磨が保有する株は51%となり、仮に「乗っ取り計画」が実在していたとしても、それを阻止することに成功したのだった。
     そして事実、ジコマンコンピュータが警告した通り、乗っ取り計画は進行中だったのである。



  • 「くそう!」
     今度の株主総会でPIPIRUMAグループの代表就任を狙っていた山口県選出の国会議員、伊勢晋三郎は地団駄を踏んで悔しがった。
    「今の会長はなかなか切れ者です。残念でしたね、伊勢先生」
     ケニチから派遣されてきた幹部が伊勢に同情と皮肉を交えた言葉を寄せた。
    「我々の計画を実行する前にPIPIRUMAグループを是非とも傘下にしておきたかったのだが」
     それにしても、いち国会議員が海外のPIPIRUMA株を大量購入するなど、どこにそんな金を持っていたのか?その理由は彼を支援する某大手企業であった。
     その企業の名はケニチ。本来は「ケンイチ(健一)」なのだが、ローマ字表記でKENICHIであることから、いつしかケニチと呼ばれるようになり、今ではそれが社名となっていた。ケニチは第二次大戦終結後にGHQから出された公職追放令によって公職を追われた公務員らが中心となって設立された広告代理店である。ケニチはその後、着実に成長、今では資産10兆ドルを超える文字通り「世界最大の企業」となっていた。戦前、公職にいた人間が設立した企業であるから、当然のように経営陣は戦前の極右思想に取り憑かれている。ケニチ会長・鳥羽純一は、その頂点に君臨する人物であり、伊勢とは昵懇の間柄にあった。
    「まあ、仕方がない。それよりアメリカ大統領は?」
    「心配ありません。アメリカ大統領など、私たちの飼い犬も同然です。いくらでもカネで買収できる男ですからね」 
    「そうか、ならば安心だ」
     アメリカ合衆国大統領まで篭絡するとは、さすがは世界最大の企業だけのことはある。
    「で、いつ出発できる?」
    「いつでも、あなた様次第です」
    「そうか、よし。では明日、ここを出るとしよう」
    「遂に、ですね」
    「そうだ。三日後には私が『ニッポンの王』になっているのだ」
     
     翌日。
     ニッポンの首相官邸では緊急の会議が開かれていた。
    「それは本当なのですか、首相」
    「ええ、本当です」
     その内容たるや、俄かには信じがたいものだった。
    「これを見てください」
     大型スクリーンに静止画像が映し出された。それは人工衛星によって真上から撮影された洋上。そこには無数の艦船が写っていた。
    「これは今朝、撮影されたものです。一艦一艦を拡大しましょう」
     拡大すると。
    「これは戦艦か!」
     更には。
    「こちらは空母だ!」
     和貴子は閣僚に対してはっきりと次のように告げた。
    「これは戦艦・空母から成る大艦隊です。そして目的地はここニッポン」
    「何ですって」
    「そんなバカな」
     和貴子は冷静に話す。 
    「確かにバカな話です。ですが、これは紛れもない事実なのです。その証拠に、この艦隊を指揮する人物からのメッセージが既に首相官邸にも届いています」
    「相手は誰なのですか」 
    「メッセージを送り付けてきたのは、皆さんもよく知っている伊勢晋三郎ですわ」
    「伊勢だと」
     大臣たちが動揺する。
    「確かに、あいつは最近、やたらと威張っていたな」
    「いや、前々から奴の行動は、どうもおかしかった」
     大臣たちが次々とその様に言い始めた。
    「で、伊勢からのメッセージの内容は?」
    「今更、説明するまでもないでしょう」
     その昔「大政奉還の精神」を踏みにじり、武力によって倒幕。明治政府を強引に樹立した逆賊・長州維新志士の如く、現在のニッポン政府を武力によって倒そうというのだ。
    「そんなこと、できるわけがない」
    「そうだ。国連が許さない」
    「そうでもないようです」
     和貴子は現状を説明した。
    「そんな」
    「国連は『容認している』と?」
     和貴子はその理由を説明した。
    「ケニチですと?」
    「伊勢はケニチとグルだったのか」
    「そうです。知っての通り、ケニチは世界最大の金持ち企業。恐らくアメリカをはじめ常任理事国の首脳をカネで買収しているのでしょう」 
     その通りであった。安全保障理事会は今回の事件を「ニッポンの内戦」と位置付け、他国は一切、手を出さず「事の成り行きを見守る」と決議したのだった。
     地球は所詮「カネがものをいう世界」。「国際司法裁判所」を見てみるがいい。途上国と先進国が争った際に途上国が勝訴した例など只の一例だってない。理由は単純。選ばれた裁判官は正義よりも「祖国と先進国の外交関係」を重視するからだ。ましてや、ここ数年は謎のウイルスの感染拡大によって世界経済は混乱。どこの国も予算難に陥っていたから、ケニチが保有する潤沢な資金は喉から手が出るほど欲しかったに違いない。今はまさに政治家を買収するにはうってつけの時期であった。
    「ということは、我々は単独で戦う以外にはないのですね」
    「そうなります」
     大臣たちが騒めき始めた。
    「そんなの無理だ!」
    「降伏するしかない!」 
     だが、和貴子は言下にそれを否定した。
    「そうならないために、あなた方は最善を尽くしなさい!」
     その後、閣僚たちは各持ち場へと戻ったのだが。
    「あなたたち、どうしたのです?」
     防衛大臣、国土交通大臣、経済産業大臣の3名が再び官邸に戻ってきたのだ。
    「首相」
     3名は懐から拳銃を取り出した。
    「あなたには死んでいただく」
    「そう。あなたたちが伊勢の共犯者だったのね」
    「その通り。伊勢様からは『首相を監視せよ』といわれていたが、暗殺した方が、手間が省けるというもの」
    「その通りだわ」
    「首相、覚悟!」
     その直後。
    「コンコーン」
    「コンコーン」
    「コンコンコーン」
     3大臣は全員、狐と化した。
    「さてと」
     和貴子は直ちに銅鐸の塔との通信回線を開いた。
    「帆乃香」
    「首相」
    「今から作戦を話します」
     和貴子はコックローチに密命を告げた。もはやニッポンを救えるのはコックローチしかいない。和貴子の後ろでは3匹の従順な狐たちが両手を床につけて、コンコンと繰り返し鳴いていた。



  •  洋上。
     大和型戦艦一番艦・大和を旗艦とする第一艦隊、大和型戦艦二番艦・武蔵を旗艦とする第二艦隊、大和型空母・信濃を旗艦とする第三艦隊はそれぞれ着実にニッポンを目指し、南洋を北上していた。既に小笠原諸島を挟むようにして左右から通過、伊豆諸島目前にまで迫っていた。
     その伊豆諸島から第一艦隊に向かって一機のオスプレイが飛来した。大和の第一主砲の前方に設けられた開閉式ドームが左右に開く。オスプレイはその中に垂直着陸した。現代の戦艦大和の外観は古の戦艦大和のそれとは異なり、SFアニメに登場する宇宙戦艦を模していた。といっても勿論、宇宙を航行する能力はない。これは、いい歳をした大人でありながら「マンガ・アニメ大好き」という伊勢の趣味に他ならない。
     その伊勢がオスプレイから降りてきた。乗組員が敬礼をもって出迎える。
    「皆の者、ご苦労」
     伊勢は周囲を見回した。
    「凄いな」 
     大和からは左右に空母・加賀と赤城、そして妙高・高尾などの巡洋艦の姿が見渡せる。名前こそ第二次大戦時代を踏襲しているが、どれも皆、アメリカの軍事技術を総動員して開発された最新鋭の原子力艦である。空母の艦載機はステルス戦闘機、巡洋艦はイージスシステムを備え、戦艦の主力兵器は主砲ではなく巡行ミサイルといった具合だ。
    「まさしく、これからの『軍国ニッポン』の礎となる艦隊だ」
     伊勢は大満足。
    「よし、第一艦橋へ行こう」
     第一艦橋ではケニチ会長の鳥羽が伊勢を出迎えた。
    「伊勢国王陛下。ようこそ戦艦大和の艦橋へ」
     鳥羽は伊勢をそのように呼んで伊勢を大いに喜ばせた。握手するふたり。
    「どうです。これぞまさに現代の『無敵艦隊』ですぞ」
     鳥羽は艦隊が大層ご自慢のようだ。そりゃあそうだろう。自分が財力を投じて築き上げたのだから。
    「異常はないか?」
    「全くありません。すべて順調です」
    「第二艦隊、第三艦隊の動きは?」 
    「第二艦隊は我が艦隊の西20kmに、第三艦隊は我が艦隊の後方20kmに位置しています」
     武蔵率いる第二艦隊には空母・蒼龍と飛龍、戦艦・長門、信濃率いる第三艦隊には空母・翔鶴と瑞鶴、戦艦・陸奥が配備されていた。いずれも1国を制圧できるだけの威力を備える強力な艦隊である。
    「この作戦が完了した暁には韓国、中国、ロシアも我々の支配下に治めてやるぞ」
    伊勢はすっかりその気だ。
    「私は『ニッポン皇帝』となってアジア全土を支配。やがてはアメリカやヨーロッパの国々も我が手に治めてくれるわ」
     その後、伊勢は戦艦大和から首相官邸に向けてメッセージを送ったのだった。

     翌日。
     艦隊は日本列島へと接近していた。伊勢も鳥羽も勝利を確信していた。
    「第三艦隊から入電『敵潜水艦を探知した』ということです」
    「潜水艦?『撃沈しろ』と伝えろ」
     鳥羽は余裕のある表情で、そう命令した。
    「ニッポンの潜水艦など、たかが知れたものだわ」
     それから30分後。
    「第三艦隊との交信が途絶えました」
    「なに?貸せ」
     鳥羽は通信士から通信機を奪った。
    「第三艦隊応答しろ。信濃、応答しろ!」
     だが、応答はなかった。
    「どういうことだ。通信機器の故障か?」
     さらに30分後には。
    「第二艦隊から入電『敵潜水艦の攻撃を受けている』とのことです」
    「それは同じ潜水艦なのか?」
     サイコパスゆえに日頃から「後ろ向きな考え」など一向抱かない鳥羽も流石に不安になってきた。
     伊勢が鳥羽に声をかける。
    「どうしたのです、鳥羽会長?」
    「まさか、第三艦隊は既に・・・」
    「第二艦隊との交信が途絶えました」
    「まさか、まさか、まさか!」
     強力無比の大艦隊である。まさかこんな短時間のうちに全滅するなど、核兵器の直撃でも受けない限り到底、考えられることではない。
    「まさか、ニッポンが核ミサイルを?」
     だが、そうであれば艦隊間の距離はたかだか30km。茸雲を確認できないはずがなかった。それに、この時代のニッポンは核兵器を保有してはいない。
     しかし、謎はいつまでも謎ではない。真相が明らかになる時が来た。
    「謎の潜水艦を探知」
     大和のソナーが謎の潜水艦の存在をキャッチした。
    「なに」
    「魚雷確認。高尾に向かっています」
     魚雷が大和と並走する巡洋艦・高尾の左中央部分に命中した。
    「高尾撃沈!」
    「皆の者、戦闘配備!」
     艦内に警報が鳴り響き、第一級戦闘体制が敷かれる。
    「魚雷探知、今度は赤城に向かっています」
    「迎撃だ。魚雷を発射しろ」
    「間に合いません」
     魚雷が赤城のこれまた左中央部に命中。赤城もまた高尾と運命を共にした。
    「敵はどこだ」
    「左舷2km。大型です。敵潜水艦の推定全長300m」
    「300mだと!?」
    「海面下100m地点を時速およそ100ノットで航行しています」
    「まさか、これはニッポンの兵器なのか?」

    「敵空母、撃沈」
    「よし、空母はあと一隻だな。そいつも撃沈してしまいなさい」
    「了解。敵空母に向かって、ヨーソロー」
    「敵の無線を傍受。かなり慌てているわ」
    「そりゃあ、そうだろうよ」
    「敵もまさか、こんな船が『ニッポンにある』とは思ってもみなかっただろうからな」
     船の正体は宇宙戦艦チェリー。海底を潜水航行していた。
    「対潜魚雷を撃ってきたわ。多数探知」
    「ハープーンじゃな」
    「どうする帆乃香?」
    「勿論、このまま直進よ、望」
    「了解」
     対戦魚雷がチェリーに衝突、次々と爆発する。だが、通常兵器ではイノチュウムの船体を持つチェリーに掠り傷ひとつ付けることはできない。チェリーは悠々と直進する。

     戦艦大和。
    「ハープーン全弾命中。ですが、まったく効果ありません」
    「なんだと!」
    「敵潜水艦。加賀に向けて接近中」
    「加賀はどうした、回避運動は?」
    「相手は時速100ノットです。水上艦船ではとても逃げ切れません」
     かくして加賀も海の藻屑と化した。
    「なんということだー」
     この台詞、もう聞き飽きた。
    「会長、このままでは我が艦隊は全滅します」
    「うぬぬぬ」
     この時、伊勢は先の乗っ取り計画の失敗を考えていた。このような超兵器を開発できる企業があるとすれば、それはPIPIRUMA以外にはない。やはり作戦前にPIPIRUMAを手に入れておくべきだったと。しかし今となってはどうしようもない。伊勢は決断を下さねばならぬ時が来たことを悟った。
    「やむを得ん。鳥羽会長、SLBM(短距離弾道ミサイル)の発射準備をしてください」
     伊勢は鳥羽にニッポンへ向けて核ミサイルを発射する準備をお願いした。
    「しかし、それは」
    「止むを得ません。このままではすべての野望が水泡に帰してしまいます」
    「わかった。愛する祖国を破壊するのは忍びないが、止むを得ん」
     鳥羽は核ミサイルの発射準備を命じた。
    「バイ・ユア・コマンド(了解)」
     部下たちはアイヒマンの様に顔色一つ変えずに発射準備に向けての作業に入る。
    「アームド&レディ(準備完了)」
    「伊勢君」
     鳥羽は伊勢に声をかけたが、その声は震えていた。
    「発射」
     伊勢自ら発射を命令した。
    「シュート(発射)」
     戦艦大和からSLBMが発射された。

     宇宙戦艦チェリー。
    「大和型戦艦から上空へ向けてミサイルが発射されました」
    「上空?」
    「計算します。あっ」
    「どうした、美音」
    「これは弾道ミサイルよ。予想到達地点は・・・東京だわ」
    「首相を呼び出して」
     和貴子は直ちに出た。今回の作戦を見守っていたのだから当然だ。
    「どうしました。何かあったのですか」
    「敵が核ミサイルを発射しました。場所は東京です。あと5分しかありません」
    「あっ、違う」
    「何が違うんだ?メロ」
    「弾道ミサイルの目標地点よ。これは・・・幕張だわ!」
    「そうか、敵さん我々の正体に気がついたようだ。こんな船、PIPIRUMAの技術でなければ製造できんからな」
    「最初にPIPIRUMA本部を破壊する気なのね」
    「だが、これで最悪ケースは免れた。銅鐸の塔のバリア兵器ならば核ミサイルのエネルギーを吸収できる」
     核ミサイルが高度100kmの地点から銅鐸の塔に向かってマッハ30の高速で落下、上空1000mで炸裂した。それを検知したジコマンコンピュータが自己防御機能を作動させた。核ミサイルの爆発力は瞬時に電気エネルギーへと変換され、銅鐸の鰭を伝ってアースへと落とされた。
     危機は去った。
    「これって、何」
     美音は自分が見ているモニターの表示が信じられなかった。
    「世界中の基地から核ミサイルが次から次と発射されているわ。それも世界中の主要都市に向けて」
    「何ですって、嘘でしょう?美音」
    「だったらママ、自分で見て。私には何が何だかわからないわ」
     帆乃香は艦長席を降り、美音の座るレーダー席に走り寄った。他のメンバーも帆乃香の後ろに集まった。美音のいう通り、モニターの表示は明らかに「世界的な核戦争が勃発した」ことを物語っていた。
     だが、果たしてこれは真実なのか?チェリーは海底にいて、地上の様子を直接には目撃していないのだ。
    「えっ?」
    「どうした、帆乃香?」 
    「切れた」
    「切れたって、何がだ?帆乃香」
    「切れてしまったわ」
    「だから何が切れたんだよ、帆乃香!」
    「私の左目に内蔵されたコンピュータとジコマンコンピュータとの接続が切れたのよ」
     帆乃香とジコマンコンピュータの接続が切れた?一体全体、地上では「何が起きている」というのだ。帆乃香は急いで艦長席に戻った。
    「チェリーを浮上させなさい。宇宙から地球を観察します」
     もはや伊勢や鳥羽などを相手にしている場合ではない。
    「チェリー発進。急速上昇!」
     核融合エンジン全力噴射。チェリーが海中から飛び出した。みるみる高度を上げていくチェリー。それに従い、地球で今起きていることの全貌が明らかになっていく。
    「茸雲だ。世界中で茸雲が立ち昇っている!」
     コックローチがチェリーの中から目にしたのは、モニター表示通りの「現実」だった。アメリカ、ロシア、中国など世界が保有するすべての核ミサイルがこの時とばかりに一斉に発射された。その数、実に数千発。地上は文字通り茸雲だらけ。日本列島だけでもざっと数えて20個ほどのキノコ雲が見て取れる。
     数分後、チェリーは高度100kmに達した。
    「世界が滅亡した」 
    「和貴子やみんなは?」
     ここでいう「みんな」とはチェリーに乗っていない仲間、ジミー、ミミ、一磨らのことだ。





  •  あの忌まわしい核戦争勃発の日から3年が過ぎようとしていた。
     その間、周回軌道上にいる宇宙戦艦チェリーの中では、いろいろな出来事があった。
     まず、Dr.フリップが霊山へと旅立った。洗脳ウイルスEPICをはじめ数々の発明を行った革命児が天寿を全うしたのだ。しかし、そうした発明も今となっては全く意味のないものとなってしまった。地球人類は科学文明を核戦争によって失ってしまったのだから。科学文明を失ってしまったこれからの人類にはむしろ非科学的な「神話の世界」の方が人らしく生きる上でより重要となるに違いない。
    「さようなら、フリップ」
     フリップの亡骸はカプセルに納められ、宇宙空間へと放出された。フリップは永遠に宇宙の中を旅することだろう。
     去る者があれば、来る者あり。聖斗と美音の間に子供が生まれていた。望と帆乃香もおじいちゃん&おばあちゃんになったわけだ。
     チェリーは地球上空100kmの地点をおよそ1日1周の速度で飛行していた。
    「銅鐸の塔だけは無事なんだな」
     核兵器によってあらゆる大都市が破壊された。パリにエッフェル塔はなく、トロントにCNタワーはなく、ドバイにブルジュ・ハリファはなく、クアラルンプールにペトロナス・ツインタワーはなく、台北に台北101はなく、広州に小蛮腰はなく、上海に上海タワーはなかった。だが、銅鐸の塔だけは依然として幕張の地に聳えていた。
     そしてこの頃には、当初は真っ暗だった夜の地上の所々に光点が見られるようになった。つまり人類は滅亡してはいなかったのだ。核ミサイルは地上の大都市を根こそぎ破壊したが、軍事戦略上意味をなさない地方の田舎に降り注ぐことはなかった。無論、そうした場所とて放射能汚染の脅威からは逃れられなかっただろうが、地下シェルターに避難していた人々が放射能汚染濃度の低下とともに地上に出てきたのに違いなかった。
     地上の放射線量が、人類が活動するのに安全なレベルにまで低下したことはチェリーの計測器でも確認された。
     ゴキブリたちが再び地上に降り立つ時が来たのである。
    「大気圏突入」
     チェリーが周回軌道を離れ、大気圏へ突入する。
     チェリーは無事に対流圏に入った。チェリーは銅鐸の塔を目指して飛行した。言うまでもなく和貴子をはじめとする地上に残った仲間たちが核戦争から逃れる場所として、ここが真っ先の候補地だからだ。それに3年前に突如として帆乃香とジコマンコンピュータの接続が切れた原因についても調べなくてはならない。

     ドーン
     
    「な、何だ?」
     チェリーが衝撃で揺れる。地上からレーザー攻撃を受けたのだ。
    「地上からの攻撃よ」
    「まだ地上に兵器があるのか?」
    「第二波、来ます」
     再びチェリーにヒット。
    「くそう!操縦不能になった」
     チェリーの操縦が不能となった。チェリーは勝手気ままに飛行を続け、やがて洋上に着水した。
    「ふう、取り敢えず無事に着水できたな」
    「ここはどこなんだ?美音」
    「今、調べてる・・・わかった。ここは大阪湾よ」
    「日本列島から離れていなくてよかった」
    「私たちを攻撃してきた敵の位置はわかる?」
    「わかるも何も、銅鐸の塔よ」
     どうやら銅鐸の塔は「敵の手に落ちている」ようだ。
     凡そ検討はついていた。オナラウッドの超科学によって開発された宇宙戦艦チェリーに損傷を追わせられる兵器など、銅鐸の塔に装備された未来兵器しか存在しない。
    「我らの牙城を取り戻さないといかんな」
    「チェリーはどう?動けそう」
    「わからない。かなり手酷くやられているようだ」
     結論から言うと、チェリーは重傷だった。とてもではないが飛行は不可能だった。
    「どうする?修理が完了するまでおとなしくしているか、それとも」
    「おとなしくしているなんて、コックローチらしくないな」
    「じゃあ決まりだ」
     かくして、コックローチは大阪に上陸。そこから徒歩で銅鐸の塔まで旅をすることに決めた。
     だが、ここで問題が。
    「帆乃香は残ってくれ」 
     チェリーを修理できるのは帆乃香しかいない。帆乃香は参加メンバーから外れた。
     そして。
    「美音も残れ」
     若いママと乳飲み子を連れての旅など、危険この上もない。
     その結果、女性陣は全員チェリーに残り、望、烈、勇気、そして聖斗の男性陣4人が幕張に向けてGo To トラベルすることに決まった。
     モーター付きゴムボートに乗り込む4人。
    「気を付けてね」
    「ああ、早く修理してくれよ」
     ゴムボートは遠目からでも瓦礫の山と化したことがわかる大阪へと向かった。

    「こりゃあ、まさに軍艦島だな」
     烈の言葉の通り4人が上陸した大阪は辺り一面、軍艦島のような姿であった。核攻撃をもろに受けたことは明白だった。平成末・令和時代のニッポン人は軍艦島を「ニッポンが誇る世界遺産!」とまるでベネツィアやモン・サン・ミシェルよりも「人類にとって価値のある島」であるかの如く鼻高々に絶賛していたが、それも将来、自分たちの住むまちが「同じ姿になってしまう」ことに対する予兆だったということか?
    「放射能は大丈夫か?」
    「大丈夫みたいだ。ガイガー・カウンターは反応していない」
    「この辺に人は住んでいるのかな?」
     周囲に人の気配はない。
    「獣はいるようだぜ」
     餌にありつけないのか?やせ細った野良犬が徘徊していた。
    「俺たちを襲ってくるかな?」
    「さあな。行こう」
     一行は年長の望をリーダーに大阪から東京を目指す。
    「今日は山崎まで行こう」
     山崎とは明智光秀と羽柴秀吉による天下分け目の戦いで有名な大阪と京都の県境にある地名である。
     4人はかつて大阪城のあった場所にやってきた。
    「跡形もないな」
     勇気の言葉通り天守閣は跡形も無く吹き飛び、かつて大阪城が聳えていた場所には石垣だけが残る。その石垣さえも爆風によってかなり痛んでいた。
     4人は京都方面へと進む。
    「ぐへへへへ」
     やはり出たか、野盗。さすがは世紀末。
     この時代、野盗と化していたのは、言うまでもなく核戦争が起きる前の科学文明全盛の時代において「ながらスマホ」「ゴミのポイ捨て」「あおり運転」といったマナー違反行為を平気で行っていた不道徳な連中である。警察による治安維持が機能していた時代にあってさえ社会のルールをよう守らなかった連中が「法の失われた時代」になると一体全体どうなるのか?まさにその答えがこれである。美音たちを残してきて正解!
    「兄ちゃんたち、食料持ってねえか?」 
     この言葉から察するに、どうやら今の時代は「食糧難の時代」のようだ。
    「おらおら、持ってたら、俺たちによこしなあ!」
     バカな野盗どもが瞬く間に返り討ちに遭う。法の失われた時代は不道徳の輩だけに有難いのではなくコックローチにとっても大いに好都合な時代だ。何たって人目憚ることなく堂々と悪党どもを殺せるのだから。実際のところ、なまじ中途半端に法律が整備されているがゆえに警察に捕まらない範囲内を見定めて不道徳の限りを尽くす連中が幅を利かせる現代の法治国家・ニッポンよりも、こうした無法国家・ニッポンの方が遥かに「ましな国」なのかもしれない。
     野盗との戦闘というイレギュラーはあったものの、初日は予定通り大阪と京都の国境である山崎まで到着した。
    「あれを見ろよ」
     望の指の先に見える京都の街並み。灯台の形をした京都タワー(蝋燭というのは実のところ誤り)が無事に聳え立っている。その傍らには東寺の塔、更に奥の山の中腹には清水寺も見える。どうやら京都は核攻撃を受けなかったらしい。
    「京都には結構な数の人間が生き残っているかもな」
     大阪に野盗がいたことが、こうした推測をさらに強いものにしていた。京都には人がいて、レンブラントの絵画の如く野盗を追い払うための「自警団」が組織されているのに違いない。
    「低いな」
     北に聳えるのは天下分け目の天王山。低いのは当然で、高さは僅か270mしかない。
    「こんな山を光秀と秀吉は先を争ったのか」
     山頂に陣を敷いた方が必ずしも「戦いに有利」とは限らないことは馬謖の敗北(三国志)が物語る通りであり、結局のところ、秀吉の方が光秀よりも「戦上手だった」ということなのだろう。

     翌日、4人は京都入りした。
     予想通り、ここには多数の人間が暮らしていた。4人は周囲をぐるりと手に武器を持つ人々によって取り囲まれた。武器といっても銃やバズーカ砲などではなく包丁であったり鍬や鋤といった農具だったりした。どうやら自警団のようだ。
    「我々は野盗ではない。旅の途中に立ち寄っただけだ」
     だが、人々はこの言葉を信用していないようだ。それだけ恐怖に怯えているのだ。無理もない、これらの人々は核戦争を地上で体験した人たちなのだ。
     はてさて、どうやったら信用してもらえるだろう?
    運がいいことに、本物の野盗集団が山崎から坂を下って攻め込んできた。4人は野盗どもを片端から倒した。
    「どうだ、信じてもらえたか?」
     それまで悩みの種だった野盗の首領の首を斬り落としたのだから、京都の人々は一転して4人を信頼したのだった。その後、4人は天皇をはじめとする皇族が逃れているという二条城へと案内された。さすがにそこは警備が非常に厳重であった。お堀には意図的にピラニアやアリゲーターガーといった獰猛な水生生物が飼われていた(天皇の住まいに京都御所ではなく二条城が選ばれた理由がこれだ)。参内した4人は天皇に拝謁した。
     二条城を出た4人はその後、文字通り「世紀末救世主」のように扱われた。京都の人々は4人がこのままここに留まってくれることを期待したからだ。
     だが、こんなところでゆっくりしてはいられない。一刻も早く銅鐸の塔に辿り着かねばならない。
    「山から東へは行かぬ方がよい。東は『地獄の世界』だ」
     自警団長は、そういって4人を引き留めた。
    「山の先は、どうなっているのですか?」
    「言っても信じてもらえないだろうな」
     そのように言ってから団長は次のように話し始めた。
    「この世界はもはや人間が主人ではない。別の生き物が支配する世界。人間はその者たちの家畜なのだ」
     人間が家畜?
    「まさか」
    「嘘ではない。その生き物たちは人間よりも強く、そして賢いのだ」
    「その生き物とは、いったい?」
    「その生き物、それは」
    「それは」
    「それは・・・豚じゃ!」



  •  4人は京都を出立すると、予定通りに滋賀方面へと足を向けた。名神高速道路が通る大津トンネルの中に入る。
    「おい」
     烈が小声で話し始めた。トンネルの中だから、それでも声が良く通る。
    「さっきの団長の話、どう思う?」
     勇気が返答する。
    「『まさか』とは思うが、我々を用心棒として引き留めるために嘘をついているようには見えなかったな」
    「だが『豚が人間を家畜として支配している』なんて話、俄かには信じられないな」
    「まあ、行けばわかるさ」
    「俺は実際に目にするまでは信じないぞ」
     烈と勇気が会話し合う間、聖斗は一言も語らずに歩いていた。
     聖斗は考えていた。
    (仮に団長の話が本当だとすれば・・・)
     聖斗はマカロニャンやタマのことを考えていたのだった。
    (改造によって人間よりも高い知能を獲得しているのだとすれば、人間を家畜にすることも不可能じゃない)
     銅鐸の塔の中にある研究室ならば、豚に高い知能を与えることができる。そして現在の銅鐸の塔はチェリーを攻撃してきたことから明らかなように「おかしなこと」になっているのだ。
     トンネルを抜けた4人の目の前に琵琶湖が広がる。そこは既に滋賀県の県庁所在地である大津だ。
     やがて4人は市街地に入った。
    「おい」
    「ああ」
    「殺気だ」
    「全部で4つ」
     4人は、姿は見えないものの明らかに「敵」と思われる気配を察知した。緊張が限界を超えた時、先に動いたのは敵だった。敵が四方から4人めがけて飛び出してきた。
    「やあっ」
    「はあっ」
    「とおっ」
    「えいっ」
     望がトレッキングポールを突き出す。
     烈が手裏剣を投げる。
     勇気が飛び蹴りを食らわせる。
     聖斗が炎で敵を焼く。
    「ああっ」
    「やはり」
    「話は本当だったのか」
    「・・・・・・」
     4人が倒した敵は、やはり豚であった。
     この日は大津で野営。焚火を囲む4人。
    「味はまずまずだな」
    「敵が豚なら、この先も食料には困らないな」
    「これはこれで結構、有難いぜ」
    「・・・・・・」
    「どうした、聖斗?」
    「今度、襲われた時には一頭だけは生かしておかないと」
    「そうだな。敵の情報を知らないといかんな」
    「はい」
     烈が聖斗の肩を叩いた。
    「あまり思い詰めるな。まだまだ旅は長いぞ」
    「なあに、和貴子もジミーもきっと無事でいるさ」
    「そうとも。そう易々と豚に殺されるような連中じゃない」
    「そうですね」
     聖斗も豚の肉に口をつけた。

     翌朝。
    「悪いが、俺だけ別ルートで行かせてもらう」
     大津から東へ向かうには近江大橋と琵琶湖大橋二つのルートがある。琵琶湖大橋の方が遠回りであり、近江大橋を渡るのが普通なのだが、烈だけは北に見える琵琶湖大橋を渡るというのだ。
    「そうか」
    「済まないな。『安土城跡』で落ち合おう」
     そう言うと、烈は針路を北へと取った。
    「俺たちはこっちだ」
     残った望・勇気・聖斗の3人は東へと向かう。
     烈が回り道を承知で琵琶湖大橋を選択した理由は、橋の先に彼の故郷・施鬼者の里があるからだ。今は誰も済まない無人の里だが、そこには妹・御幸と弟・電の墓がある。

     近江大橋を渡った望・勇気・聖斗の3人は栗東に入った。
    「あれはJRAの施設だな」 
    「何やら騒がしいが、まさかケイバでも行われているのか?」
    「とにかく行ってみよう」
    「慎重に行きましょう」
     自分たちの存在が豚にバレないように慎重に施設の中に入る。
    「な!?」
     3人は中で行われている競技を見て驚くと同時に怒りを覚えた。中ではケイバならぬケイジン(競人)が行われていたのだ。猿轡を噛ませられ、豚を背に乗せて四つん這いになって走る人間。その人間たちに豚がカネを賭けていた。
    「どうする?」
    「どうするったって」
     救出すべき人間は15人。そして観客席の豚はざっと見ても1万頭はいる。僅か3人で、それらを相手に勝てる道理はない。
     だが、悪を前にしてコックローチに「退却」の二文字などない。
    「いいアイデアがある。みんな、耳を貸して」
     聖斗が望と勇気に自分のアイデアを聞かせた。
    「それなら、どうにかなりそうだ」
    「やってみるだけの価値はあるな」
     かくして、聖斗の作戦が実施されることに決まった。
     3人は観客席の真下にやってきた。幸いなことに豚たちは全て観客席にいて、観客席の下には一匹もいない。
    「行くぞ、気張って行けよ」
    「オウ」
     3人は観客席を支えるコンクリート製の柱を片端から破壊し始めた。聖斗の作戦、それは1万頭の豚が座っている観客席を支えるコンクリート製の柱を破壊すること。
    「はっ」
    「はっ」
     望と聖斗はトレッキングポールで片端から突きまくる。
    「はあっ」
     勇気は必殺の蹴りで柱を切る。彼の足蹴りは破壊を超えて今や鋭利な刃物のようにコンクリートを切断する域に達していた。
     こうして次々と破壊されていく柱。
    「さあ、あとはこれを破壊すれば一気に崩れ落ちるはずだ」
     最後は聖斗が平突きで決める。
    「はあっ」
     予定の柱がすべて破壊された。すると計算通り、残りの無事な柱にも次々と罅が走り始めた。
    「逃げろ!観客席が崩壊するぞ」
     急いでその場を離れる3人。3人が離れた直後、1万頭の豚の重さに耐えきれなくなった観客席が一気に崩れ落ちた。灰色の砂塵が周囲に舞う。周囲の視界はゼロとなった。その状況を巧みに利用して3人は15人の人々を無事に救出したのだった。

     安土城跡。
    「来ないな」
     烈は来ない。何かあったのだろうか?
    「一日だけ待とう」
     翌日も烈は現れなかった。どう考えてもおかしい。だが、いつまでも彼を待ってはいられない。一刻も早く銅鐸の塔へ行かねばならないのだ。
    「仕方がない」
     望は出発の決断を下した。今は「易々と死ぬような奴ではない」と信じるしかない。

     烈を除く18名は岐阜に入った。
     岐阜のまちは核攻撃の対象ではなかったようで、まちそのものは綺麗なものだった。だが人影はない。それはそうだろう。危険な豚どもがうろつくようなまちに人間がいるわけがなかった。
    「あれは養豚場じゃないか?」
     養豚場を発見。そこだけ明かりが灯り、何やら機械が作動する音がしていた。嫌な予感がする。競馬場では人間が競走馬として扱われていた。
     まさか、ここでは!望が中に入って様子を探る。
    「やはり!」
     望が目撃したのは豚が人間を家畜として飼う光景だった。
     それだけではない。
    「ぎゃああああああ!」
     悲鳴の先では今、まさに人間が一人殺され、食肉として加工されたのだった。かつて人間が豚に対して行っていたことが、ここでは豚が人間に対して行っていた。そして、ここにはどうやら100頭ほどの警備豚がいるようだ。100頭程度ならば望、勇気、聖斗の3人で充分倒せる。
    「ここは俺達にまかせてくれ」
     栗東で救出、行動を共にしていた15名が自ら戦いを志願した。戦う3人の姿を見て、自分たちも「勇気を出して戦わなくては」と感じたようだ。
    「いいだろう」
     3人は彼らに戦いを任せた。15名は手に鍬や鋤などの農具を手に警備豚と戦った。体に傷を負いながらも15名は警備豚を全頭、倒した。
     15名の心は晴れ晴れとしていた。今までは豚の言いなりだった。だがこれからは違う。15人は「人類のために豚と戦う」ことを決意するのだった。

     岐阜で15名と別れたコックローチはそのまま愛知県に入った。名古屋は核攻撃の対象だったため、まちの中は大阪同様、瓦礫の山と化していた。テレビ塔は折れ曲がり、名古屋城に天守閣はなく、ナゴヤドームは屋外球場となっていた。
     愛知といって誰でも思いつくのは自動車生産全国一位を誇る県であること。もしかしたら「足」が手に入るかもしれない。この先も徒歩で旅をするのは大変だ。3人は豊田市へと向かった。人の姿はなく廃墟と化してはいたものの、思った通り工場内にはいろいろな車があった。
    「できればSUVがいい」
     だが、工場内にあるのはハイブリッドやミニバンばかりだった。これらの車では荒れた道は走ることができない。舗装された道が列島中を縦横無尽に走る時代にあっては実用的な車だったのだろうが、今の時代には何の役にも立たない鉄屑だ。結局、3人は車を諦めた。再び徒歩で幕張を目指す。
     しかしながら願っていた車は、この先で手に入れることができたのである。
                       
     浜松。
     そう。ここにも核戦争以前、自動車工場があったのである。かすかな期待を抱いて工場内を探す。
    あった!ジープタイプの車。しかも街乗りSUVではない頑丈なラダーフレームを有する本格的なオフロード車が。ジムニー・シエラ。これほど今の時代にお誂え向きの車はない。
     その後、3人は後から来るはずの烈をここでも1日待った。だが、やはり烈は一向に来る気配がない。コックローチに後退はない。前進あるのみだ。
    「出発!」
    3人は浜松を出発した。
    「こりゃあいいぜ」
    「道は荒れているが、ゆっくり走っても、これなら2日もあれば東京まで行けるぞ」
     快調に走る車。だが、3人は思わぬ場所で足止めを食うことになる。それは富士川の手前であった。
    「橋がないぞ!」
    「なんということだー」
     ものの見事に橋が落ちていた。富士川は「日本三大急流」だ。容易には渡れない。
    「どうする?車を捨てるか」
    「もったいない」
    「とすれば、方法はひとつしかない」
     3人は廃墟となっている木造家屋の部品を使って筏を作り始めた。完成後、直ちに水に浮かべ、車を乗せる。あとは、これをどうやって向こう岸に移動させるかだが。
     3人は冷たい川に入って筏を押した。これ以外に方法がなかったからだ。
    「気をつけろよ。急に深くなる場所があるかもしれないからな」
     そういった直後、望が深みに足を入れた。
    「うわあ!」
     望が下流へと流されていく。だが、誰も助けられない。今、手を離せば車を載せた筏までもが流されてしまう。勇気と聖斗の2人で必死に筏を向こう岸まで押す。
     向こう岸に到着した。
    「父さん!」
     聖斗は河川敷を下流に向かって一目散に走った。2kmも走っただろうか。
    「父さん!」
     望が河原に打ち上げられていた。完全に意識を失っている。
    「父さん、しっかりして!」
     必死に声をかけながら心臓マッサージを施す聖斗。聖斗は一度、父を失っている。幸い、玉手箱によって生き返ったものの、あんな思いはもうこりごりだ。
    「うう」
     望はどうにか意識を回復した。
    「父さん」
    「聖斗。ということは、俺はまだ生きているようだな」
     その後、3人はクラゲドームに到着した。といってもクラゲドーム自体は破壊されていて、残っているのは地下部分だけ。しかし運が良ければ、そこに宇宙遠洋漁船・量子があるかもしれない。
    「だめか」
     地下ドックは空であった。
    「まあ、期待はしてなかったけどな」
     やはり量子は銅鐸の塔の地下ドックにあるようだ。だとすると、かなりやばい。銅鐸の塔が「豚軍団の手に落ちている」のだとすれば核融合砲を装備する量子は人類にとって文字通り「最大の軍事的脅威」だ。
     クラゲドームの地下から出てきた3人。
    「む」
    「また豚どもか」
    「気配は1匹」
     だが、コックローチの前に出現したのは100頭に及ぶ「豚の軍団」だった。
    「我らは『富士幻豚』。人間は全員、死すべし!」
     豚の軍団が襲い掛かる。3人は必死に応戦する。
    「何だ、こいつら」
    「俺たちの攻撃が効いていない?」
     豚軍団はどんなに突かれようが、切られようが、何事もなく蘇生して再び攻撃してくるのだった。
    「バカな」
    「こいつらは『不死身』だとでもいうのか?」
     これにはきっと、何か絡繰りがあるはずだ。
    「聖斗!」
     望が叫んだ。
    「何、父さん」
    「これにはきっとタネがある。お前、何か思い当たらないか?」
     聖斗はマジックの名手だ。タネがあるならば、きっと何か思い当たるだろう。確かに、自分が最初に感じた敵の気配は一匹だった。
    「これは、恐らく」
     聖斗は敵の「不死身の謎」の核心部に迫った。
    「だとすれば」
     聖斗は懐からカードを取り出した。ずばり100枚。
    「行くぞ」
     聖斗は一匹づつ正確に眉間を狙ってカードを投げ続けた。
     すると。
    「ブヒー!」
     瞬く間に豚の軍団が消えていく。やがて眉間から血を流す1匹の豚のみが残った。
    「やはりそうか。99匹は幻影で、お前が作り出していたんだな」
     なんて豚だ。99匹の豚を己の精神力によって作り出していたのだ。
    「なんでわかった」
    「自分もマジックをやるからだ」
    「そういうことか」
    「最初に『富士幻豚』と名乗っていたな」
     富士幻豚。元々は中ヨークシャーを原種とする三元豚の名前で「高級な豚肉」としてセレブの間で人気の高い品種である。 
    「俺様はここの出身で、己の幻影を自在に操ることができる。ゆえに富士幻豚」
    「だが、もう操れまい」
    「バカめ」
     再び100匹の豚が出現した。頭に傷を負いながらも幻覚を操るとは、何という精神力の強さだ。聖斗は心の底から「敵ながら天晴れ!」と思った。
    「どれが私の本体か、判るまい」
    「残念だな。よくわかるよ」
     聖斗はトレッキングポールを構えると、富士幻豚の本体めがけて平突きをくらわした。
    「な、なぜ」
    「眉間から流れている血だよ。それがあるのは本体である『お前だけ』だ」
    「そうか、赤い血が目印になったか」
     富士幻豚はこうして敗れ去った。
    「さすがだな、聖斗」
    「手強い相手でした」
     この先も、こうした手強い豚たちとの戦いが待っているに違いない。



     次回は8月7日(金)に公開予定。





  •  便利な道具の「定義」は時代とともに変わる。かつては便利な道具の「代名詞」であった車も究極の便利道具であるスマホに慣れ親しむ現代人にとっては便利どころか正しい操作を覚えるだけでも実に面倒くさいと感じる「不便な道具」にすぎない。しかし世紀末の人間にとってはこれほど「ありがたい道具」はなかった。逆にスマホなど、この時代には何の役にも立ちはしない。



  •  富士幻豚との戦いから一夜明けた早朝、富士を出発した望、勇気、聖斗の3人は足のおかげで、その日の昼間のうちに横浜まで入ることができた。横須賀、厚木、横浜と重要拠点が密集していたこともあり、この一帯は核攻撃によって完膚なまでに破壊されていた。無論、ここから先、川崎から都心までは瓦礫の山であることを覚悟しなくてはならない。

     3人は六郷橋に来た。
     目の前を流れる多摩川。この奥に東京がある。東京スカイツリーも東京タワーも新宿のビル群も見えない、まるでB29による東京大空襲後の焼け野原の様な東京の姿がそこにあった。
     こんな東京で果たして和貴子、ミミ、ジミーは無事なのか?
     豚との遭遇は富士を過ぎて以後、無かった。しかし、ここから先には当然「いる」に違いない。3人は決意を新たにして、いざ東京へ乗り込む。
     六郷橋を渡る途中から戦いは始まった。
    「あれを見ろ?」
     東京湾方面から多摩川上空を何かが飛行している。それはすぐさま接近してきた。
    「あれは!」
     それは紛れもない宇宙遠洋漁船・量子だった。
    「やばい」
    「こっちに来るぞ」
     気付かれたようだ。車は全速力で橋を渡った。橋を100mほど離れたその時、車の後方が白く光った。橋が吹っ飛んだ。その直後、爆風が背後から車を襲った。
    「核融合砲だ!」
     量子は核融合砲を発射。六郷橋を破壊したのだ。
    「うわあーっ!」
     爆風を受けた車は、まるで強風を受けて転がる桶のようにコロコロと路上を転がった。やがて車はひっくり返って止まった。
    「おい、大丈夫か」
    「ああ、何とかな」
     爆風によって何度も転がったにも関わらず居室内には空間が保たれ、3人は無事だった。さすがは浜松製。ドアを開き、急いで車から出る3人。
    「来るぞ」
    「みんな散れ」
     三方に分散してこの場を逃げる。周囲にある崩れたビルは格好の隠れ家だ。3人を見失った量子は追跡を諦めたのだろう、東へと飛んで行く。
     望はそんな量子をチェイスし始めた。
     やがて望の眼前に羽田空港が出現した。その奥には東京湾が青い水を湛える。チェイスはここまで。量子は東京湾上空に出ると、そのまま幕張方面へと飛び去った。その先には銅鐸の塔が聳えているのが見える。
    「必ず、あそこまで辿り着いてやるぞ」
     
     かつての職場である警視庁に到着した勇気。
    「なんということだー」
     だが、そこに警視庁の建物はなく、あるのは瓦礫の山であった。
    「ジミー・・・」
     勇気は昔のことを思い返していた。

     同じ頃、聖斗は勇気のいる場所から左程離れていない有楽町にいた。
    「この音は」
     聖斗が耳にしたのは明らかに「争いの音」であった。聖斗は音のする西へと向かった。西には皇居がある。そこでは二重橋を挟んで黒豚軍と人間が争っていた。人間は皇居に逃れていたのだ。皇居には皇室用の核シェルターがある。皇室は京都に逃れていたから現在、ここは無人。そこへ生き延びた人々が逃れていたのだ。必死に黒豚軍に対して銃を放つ人々。聖斗はその中にジミー、ミミ、和貴子、そして樹里亜の姿を認めた。
    「みんな生きている。みんな必死に戦っている」
     聖斗は喜びに打ち震えた。直ちに自分も戦闘に参加だ!聖斗はトレッキングポールを手に背後から黒豚軍に襲い掛かった。
    「ブヒー」
     予期せぬ後ろからの攻撃に黒豚軍は大きく乱れた。黒豚軍は撤退した。皇居外苑にひとり立つ聖斗。
    「聖斗」
     ジミー、ミミ、和貴子、樹里亜もまた聖斗を認めた。坂下門が開かれた。中からみんなが飛び出す。
    「聖斗、おかえりなさい!」

     その後、望と勇気も皇居にやってきた。互いに再会を喜び合う。だが、和貴子の顔は暗い。この場に烈がいないからだ。
    「大丈夫だ。あいつがそう簡単にくたばるはずはない。いずれやってくるさ」
     望は和貴子にそう告げたものの、実のところ、望もまた烈のことが心配だった。烈はルーズな男ではなく、決して約束を違えない。そして敵の中には富士幻豚のような強敵もいる。約束の時に姿を見せなかったのには「それなりの理由」が絶対にあるはずで、こうした敵との遭遇が十分に想定されたからだ。
     その後、作戦会議が開かれた。
    「あの黒豚たちは一体何者なんだ、おやじ?」
     望の質問に対しジミーが返答する。
    「奴らは『トウキョウX』だ」
    「トウキョウX?」
     トウキョウXというのは中国原産の北京黒豚を原種とする三元豚で、東京で生産される品種ということでトウキョウの名称が入っている。ニッポン人は外国でニッポンの品種が生産されると「パクリ」と非難するが、自分たちも「同じこと」を平気でやっているのだから呆れる。それはさておき。
    「ここら一帯を支配する豚軍を代表する雑兵だ。とはいえ油断はできない。奴らは雑兵だがIQ124を誇る。だから、いろいろと巧みな戦術によって攻撃してくるんだ」
    「たとえば?」
    「組体操でピラミッドを作り、高い塀を攀じ登ってきたりする」
    「なるほど」
     その後、聖斗、望、勇気はジミーからより「詳しい話」を聞いた。
    「世界中の核ミサイルを一斉発射したのはジコマンコンピュータだ。ジコマンコンピュータが世界を破壊した。いつまでも醜い争いを止めない人類に見切りをつけたんだ」
     ある程度、予想はしていたが、やはりそうだったか。
    「で、豚は?」
    「ジコマンコンピュータが人類に代わる新しい『地球の主人』として選んだ生き物だよ」
    「豚の兵力は?」
    「わからない。続々改造していると思われる。判っているのは敵のリーダーは『ヨー・シロー』という名のIQ800の超天才豚ということだけだ」
    「マカロニャンの豚バージョンか」
    「豚の間では『総裁』と呼ばれ、崇拝されている」
    「で、こいつが現在の『銅鐸の塔の主』ということか」
    「そういうことになる」
    「ここから銅鐸の塔まで行けるか?」
    「無理だ。江戸川を超えることはできない。江戸川から先は完全に豚軍の支配下にある」
    「一磨はどうなったかわかるか?」
    「一磨は核戦争勃発当時、実弟の翔太と一緒にメキシコのPIPIRUMA工場へ出張に行っていた。生死は不明だ。仮に生きているにしても、ニッポンへは戻れないだろう。というより戻らない方が安全だ。幸い、豚が支配する世界は、今のところはニッポンだけだからな」
    「翔太といえば、かわいい奥さんがいたはずだが。名前は確か・・・」
    「梓彩(タマの飼い主。その後、翔太と結婚した)について判っていることは・・・」
     ここでジミーは話を止めた。
    「わかっていることは、何だ?」
    「それは・・・」
    「もったいぶってないで話せよ、ジミー」
     ジミーは和貴子に目配せした。和貴子は頷いた。
    「梓彩は核戦争勃発当時、銅鐸の塔にいたことが判っている」
    「何だって!」
     その後は、その時の様子を最も詳しく知る樹里亜がジミーに変わり説明した。
     樹里亜の記憶によれば、樹里亜は核戦争勃発直後、銅鐸の塔に避難しようと考え、銅鐸の塔へと向かった。その時、樹里亜は退社する多くのPIPIRUMA社員とすれ違った。社員が全員、銅鐸の塔から出てきた後、銅鐸の塔には鍵がかかり、樹里亜は中に入ることができなかった。その後、樹里亜は駐車場に行った。そこには一台だけ車が停まっていた。それは紛れもなく梓彩のものだった。
    「ということは、銅鐸の塔に鍵をかけたのは梓彩なのか?」
    「恐らくジコマンコンピュータだろう。ジコマンコンピュータが梓彩を閉じ込めたんだ」
    「なぜ、そんなことを?」
    「それは判らないが、梓彩は豚にとって必要なものなのだろう」
    「生贄か?」
    「だとすれば、既に殺されているのかも」
    「それを確かめるにも、銅鐸の塔に行くしかない」



  •  翌日は全員を集めての作戦会議。全員といっても、皇居にいるのはコックローチとジミー配下の警視庁の部下たちだけで、その数は20名にも満たない。
     壁に貼られた地図を前にジミーが説明する。
    「千葉県内にいる豚の数は判っているだけで数万頭に及ぶ。今の我々の戦力では、とてもではないが銅鐸の塔に辿り着く前に全滅してしまうだろう。そこで我々は同志を集めなくてはならない。そこで、ここだ」
     ジミーが指差したのは、お台場の某テレビ局の本社ビル。言わずもがな、テレビ局の経営陣がこのビルの建設を決めた当時、まさに新都庁舎が建設の真っ最中にあり、それに対してニュース・ワイドショー等で「税金の無駄遣い」と散々ぱら酷評していたことから「新都庁舎を非難しながら、自分たちはこれかよ!」と国民から厳しく叩かれた、いわくつきの建物だ。それが今は豚軍の前線基地となっていたのだ。
    「ここは奴らの基地であると同時に収容所でもある。中に多くの人々が捕えられ、徴用工として強制的に働かされている。彼らを解放できれば我々の戦力は一気に増える」
     その後、ジミーはその具体的な作戦の説明に入った。
    「基地へのルートはひとつしかない。ここ、レインボーブリッジだ」
    「豊洲からでは駄目なのか?」
    「無理だ。江東区、墨田区はもとより荒川から東、江戸川区までの一帯には対人地雷がわんさかと埋められている」
    「なんとまあ」
    「唯一、地雷が埋められていないのは敵が輸送ルートとして利用している湾岸道路以外にはないのだ」
     さすがはIQ800を誇るヨー・シロー総裁だ。レインボーブリッジを千葉への「唯一の出入り口」とし、そこに建つ放送局を、レインボーブリッジを出入りする者を監視する関所として利用しているのだ。
    「レインボーブリッジを強行突破する以外にはないということか」
    「あるいは隠密裏に通過するか」
    「当然、後者だな」
     ここでジミーは語気を強めた。
    「そうだ。ただでさえ人数が少ない中、強行突破は有り得ない。やはり少数精鋭で隠密裏に行動する以外にはない。そしてまずは何よりも捕虜の居場所を知ることが重要だ。基地に潜入後、速やかに動くには、その情報が絶対に必要だ。そこで」
     ジミーの服のポケットから白い毛玉が飛び出した。
    「今回はまず、このテラに敵基地の偵察に行ってもらう」
     テラ。人間並みのIQを持つポメラニアン。
    「テラ、頼むぞ」
    「任せるキャン」



  •  テラは深夜の暗闇に紛れてレインボーブリッジを通過した。
    「さてと」
     まずはお台場の基地の中を偵察する。排気管の中を進むテラ。
    「さすがは放送局だキャン」
     放送局には当然、いくつものスタジオがある。それらはかなりの広さを有し、工場として利用するにはもってこいだ。天井のダクトから下を覗く。深夜だというのに下では警備豚兵が監視する中、徴用工にされた人々が強制労働させられていた。
    「作っているのは銃火器か」
     働いているのは20名ほど。対人殺傷用の銃火器を製造させられていた。
    「他の捕虜たちはどこだキャン」
     隈なく捜索するテラ。
    「これは酷いキャン」
     捕虜たちは何と地下駐車場に設けられた柵の中に閉じ込められていた。日の光の当たらない、暗くじめじめとした地下駐車場に。だが、地下であれば救出は容易といえる。車の出入り口であるスロープから速やかに地上に脱出させればいい。
    取り敢えず、目的は達したテラ。ここで戻るのが普通だが、テラのタカビーな性格はそれを許しそうにない。
    「敵の『ボスの顔』を拝みにでも行くか」
     テラは高層階へと向かった。建物の外観から日頃、ボスがいそうな場所は知れていた。球体展望室だ。
     到着。
    「あいつがボスか」
     ひと際、大柄な豚。肌の色が赤く、見た目はまるで「赤鬼」。テラは知らなかったが、こいつはアメリカ原産の「デュロックジャージー」種。どうやら食事中のようだ。ナイフとフォークを爪に挟んでステーキを美味しそうに食べている。そこへトウキョウX=警備豚兵が入ってきた。
    「ドス指令、基地内外ともに異常ありません」
     テラの存在は明らかに「異常」なのだが、警備豚兵はそのことを知らない。
    「ははあん、この基地の指令は『ドス』という名前か」
     名前の由来は「刃物のドス」というより、その太った体型から力士の掛け声である「どすこい」のドスだろう。
     その時。
     天井のダクト内のテラめがけて何かが勢いよく飛んできた。テラは慌てて身をダクト内に隠した。
    「どうしました、司令」
    「気のせいか?」
     テラの気配に気がついたドスがダクトにナイフを投げたのだ。すぐさま別のナイフが用意された。再び食事に戻るドス。
    「ふー、この『人間のステーキ』はあまり美味いものではないな。肉食獣の肉は臭くてステーキには向かん。やはりミンチにして香辛料と混ぜてハンバーグにするのが一番だな」
     この言葉を耳にしたテラの心に怒りの炎が燃え上がった。
    「こいつは自分が倒すキャン」
     そう誓いつつ、テラは皇居へと戻った。

     テラがもたらした情報によって作戦が決まった。深夜にコックローチのみで基地に潜入、地下駐車場の柱に爆薬を設置後、捕虜たちを解放、基地を爆破する。
    「成程、うまい作戦だ」 
    「これならば敵と直接、戦わなくても済む」
     爆破されたビルとともに敵を葬り去る作戦だ。



  •  深夜のレインボーブリッジ。
     夜勤帯の警備は退屈そのもの。警備豚兵たちは麻雀を楽しんでいた。
    「なんだ?」
     ひとりの女性が橋を歩いてくる。その姿は妖しくも美しい。まるで女性の幽霊のようだ。警部豚兵たちが確認に出向く。すると女性は右手を前に突き出した。
    「コンコンコーン」
     いつもは「ブヒー」と鳴く警備豚兵たちが狐のように鳴いた。改造を受けてなまじっかIQが高いものだから、和貴子の「狐憑きの術」が通用するのだ。
    「もう大丈夫よ」
    「よし」 
     ジミー以下、望、勇気、聖斗がレインボーブリッジを渡った。そして、その後ろをテラが走る。
    「あっ」
     和貴子がそれに気がついた時には、皆は既にレインボーブリッジの遥か奥に姿を消していた。
     聖斗を除くメンバーたちは地下駐車場に潜入すると早速、爆薬を仕掛け始めた。
    「騒ぐな、豚兵に気付かれる」
     勇気が捕虜たちを静まらせる。爆薬の設置作業は速やかに進んだ。
     
     一方、別行動の聖斗はスタジオ内で徴用工に就く捕虜の救出を進めていた。
    「ブヒャー」
    「ブヒャー」
     竜宮の剣で次々と豚兵の首を切り落としていく。これは作戦を急ぐだけでなく、せめて「苦しまずに死なせてやろう」という聖斗の情けでもある。
    「さあ、早く。但し静かに」
     聖斗は捕虜たちを連れて外へと急いだ。

     レインボーブリッジの手前でジミーたちと聖斗は合流した。
    「よし、爆破だ」
     ジミーは起爆スイッチを押そうとした。
    「待って、ジミー」
    「どうした和貴子。基地に戻らなかったのか」
    「基地の中に、テラがいるの」
    「何だと!どうして?」
    「偵察から戻ったときからテラはずっと興奮していたわ。きっと中で何かを見たのよ。それで『自分の手で敵を倒す』と決めたのに違いないわ」

     球体展望室。
     そこではドス司令とテラによるバトルが始まっていた。
    「このチビが!」
     食事中だったのだろう、ナプキンを首に巻いたドスがナイフとフォークでテラを攻撃。
     ドスの手の動きを見切り、華麗な動きで避けるテラ。
    「人間を食べるなんて、許せないキャン!」
    「ふん、人間だって我々豚を家畜として飼い、食肉としてきたではないか。これは『仕返し』だ」
     確かに、ドスの言葉には一理ある。
    「仕返しの応酬では、世界は平和にならないキャン!」
     さすがはオナラウッドの技術で生み出された犬だけあって生命境涯が高い。
    「人間どもが死ねば、世界は平和になるブー」
    「お前たちがやっていることは『人間と同じ』だキャン。そんなお前たちが人間にとってかわったところで結果は同じだキャン」
     ディベートはテラの勝ち。
     だが。
    「キャン!」
     ドスの左手のフォークがテラの左足に突き刺さった。鮮血で白い毛が赤く染まる。力勝負では、やはりドスの方が上だ。
    「ははは、捕まえたぞ」
     テラ、危うし。

     お台場基地の外では。
    「ジミー」
    「今、爆破しないと敵をいっぺんに倒す機会を失う。敵が我々に気付き、建物の外に出てきたらおしまいだ」 
     ジミーは心を鬼にした。この決断までに3分ほどの時間が既に経過していた。もはや一刻の猶予もない。覚悟を決めたジミーは起爆スイッチを押そうとした。
    「総監。その起爆スイッチは俺に押させてください」
    「勇気」
     テラは勇気配下の警察犬だ。勇気自身、テラとは何度も一緒に行動を共にしてきた。
     ジミーは起爆スイッチを勇気に渡した。コックローチとなって以来、涙など、とうの昔に枯れ果てた戦士の目に涙が蘇る。勇気の瞳からツツーッとピアスの様な滴が流れた。
    「テラ、許してくれ」
     勇気は起爆スイッチを押した。

     球体展望室。
    「さあ、とどめだ」 
     ドスは右手のナイフをテラに突き刺そうとした。
     その時。
    「な、何だ?」
     大地震のような揺れが建物全体を大きく揺らす。
    「まさかこれは?」
     ドスは基地が爆破されたことを悟った。
    「まさか、お前は囮か?」
    「ふふふ」
     テラは今回の作戦を知っている。基地が爆破される時までドスを球体展望室に留め置くことを自分の「最後の作戦」と心に決めていたのだ。崩れ行く基地。2本ある両脇のビルが解体すると共に球体展望室も落下した。
    「馬鹿な。俺は、俺はまだ16年しか生きていないのにー!」
     これがドスの「最後の言葉」となった。
     一方のテラ。
    (さようなら、みんな。さようなら、勇気)
     テラもまたあの世へと旅立つ。
    「えっ」
     「何か」がテラを抱え込んだ。それまで落下による無重力状態を感じていたテラは、もの凄いスピードで自分の体が横に移動しているのを感じた。
    (これは、勇気?)
     全身を布で包まれているので外の様子は全く見えない。そんな中でテラは勇気が助けに来てくれたように感じた。
     やがてテラは出血によって眠りへと落ちた。

     爆破によって、完成当初から「悪趣味」と酷評されていたお台場の放送局は、その醜い姿を永久に地上から消し去った。
    「さようならテラ」
     メンバー全員が瓦礫を前に涙する。
    「そういえば聖斗は?」
     聖斗の姿がどこにも見えない。テラのことばかり考えていたメンバーは聖斗がいないことに今の今まで全く気がついていなかった。
    「聖斗!」
     聖斗が瓦礫の山から出てきた。多少の擦り傷はあるものの、ほとんど無傷といっていいのは竜宮の剣の正当継承者ゆえの神業だ。
    「大丈夫か、聖斗!」
    「勇気は?」
     聖斗は勇気の前に出た。
    「勇気、これを」
     聖斗は気絶するテラを勇気に差し出した。負傷した左足は既に止血してある。
    「聖斗、お前って奴は」
    「爆破まで3分ほどあったから、ぎりぎり間に合ったよ」
     聖斗は「テラの話」を聞いた直後、直ちに建物の中に戻っていたのだ。勇気はテラを抱きしめると号泣した。
    「ううーん」
     テラの目が覚めた。
    「テラ、もう大丈夫だ」
    「勇気」
     テラが目覚めた時、初めて目にしたのは当然、勇気だった。
    「やっぱり勇気が助けてくれたんだね」
    「い、いや、それは」
     傍らにいる聖斗が勇気の肩に右手を乗せた。勇気は聖斗を見た。聖斗はじっと勇気を見返していた。勇気には聖斗が「何を言いたい」のかがはっきりとわかった。
    「あ、ああ、そうだ。そうだとも」
     勇気はテラにそういった。
     嘘を吐くことは「良くない」ことだと教えられる。だが、時と場合によっては吐いていい嘘もある。なぜなら、この嘘は「テラの願うところ」なのだから。



     次回は8月21(金)

     お台場基地を攻略した人民軍は次に「浦安基地」攻略を目指す。
     強敵豚、ヨー・マンがコックローチの前に立ち塞がる!
     お楽しみに。





  •  お台場基地を攻略した結果、解放された捕虜は計300名。これで漸く戦力が整ったと思ったのだが。
    「女性が多いな」
     300名中、女性が270名で、男性は僅か30名。
     豚軍も考えたもので、やはり男性よりも女性の方が力も弱く「反乱を企てる危険が少ない」と知っているのだ。その結果、男性の多くは早々に殺されていたのだった。
     だが、わずか30名とはいえ、この30名は「真面目な人々」であった。彼らを生かし、徴用工として選りすぐったのは他でもない「豚軍」だからだ。
     豚軍は人類を明確に「有能」と「無能」の2者に分類する。無能とは、核戦争以前には「ごみのポイ捨て」「信号無視」「エスカレータを歩いて昇降」「ながらスマホ」「片手12時ハンドルで車を運転」といった要はモラル・マナーの欠如した人間のことで、そういう人間は「精神力が脆弱」で忍耐力や集中力が欠如しているため徴用工としてさえも「使えない」ということだ。人類は「人間平等」の美名のもとにいかなる無能な人間の生命も尊重しようとしたが、豚はそんな愚かなことはしない。真面目で優秀な人間だけを尊重、さぼり癖や怠け癖のある人間を排除する。ズルや手抜きに塗れた人間は殺し、長時間に渡り集中力を働かせて仕事をこなすことのできる我慢強い人間だけを生かし、徴用工として用いるのだ。
     優秀な人間を「徴用工として用いる」という点は同意できないものの、豚軍による人類選別は「コックローチの仕事と同じもの」と言えなくもない。
     ともあれ、こうして「人類希望の星」である人民軍が細々ではあるが発足した。
     ところで、今回の作戦の結果「残念な事実」も明らかになった。 
     それは宇宙遠洋漁船量子。日が昇り、てっきり銅鐸の塔にあるものと思っていた量子が、お台場基地に隣接する「お台場海浜公園」に停泊しているのを発見した時には「やったあ」と喜んだのだが。
    「燃料がない」
     量子は「粗大ゴミ」と化していたのだ。恐らく幕張からお台場へ最後の物資輸送でも行ったのだろう。
     だが、がっかりしている暇はない。先はまだ長い。早速、作戦会議だ。
    「銅鐸の塔を除けば、こここそが敵の最大の基地だ」
     ジミーが地図で指差した次なる目標は浦安の某巨大レジャーランドだった。できることならば素通りしたい場所だが、湾岸道路のすぐ脇に聳えるこのレジャーランドを避けて通ることは不可能であった。

     豚軍・浦安基地。
     その中央に聳える豪奢な城の中では。
    「ほほほほほ」
     国王の間に置かれた玉座に座る一匹の白い雌豚。この雌豚こそ基地の司令官グラン・ダム(畜母)。だが家臣は皆、彼女のことを「クィーン・アム(アム女王)」と呼ぶ。豚社会における彼女の階級は「副総裁」つまりナンバー2。ゆえにクィーン。彼女になぜ、こうした絶大なる地位が与えられているのかといえば、それは彼女こそがヨー・シローが最初に改造した豚だからであり、しかも彼女が「ヨー・シローの正妻」だからである。ヨー・シロー総裁は最初に自分の妻となる雌豚を欲したのである。
     アムの周りには執事のヨー・マンをはじめ無数の召使や警備、そして幹部たちが揃っていた。彼らは全員、大ヨークシャー原種。千葉の養豚場では主に大ヨークシャーが飼育されていたのだから当然といえば当然である。そんな中、ヨー・マンのみが黒豚であった。
     正面の扉が開いた。扉の奥から体を縄で縛りあげられ首に犬用の首輪を嵌められたひとりの男が二匹の豚兵によって連れてこられた。東京とは異なり二匹の豚兵は黒豚ではなく白豚である。彼らは大ヨークシャーを原種とした千葉県産の三元豚「房総ポーク」だ。
     彼らの見た目は幹部たちと同じだが、原種と三元豚の間には身分に明確な違いが設けられており、彼らは幹部になれないことはもとより、苗字もなければ、自分の子孫を残すことも許されない。能力的にはトウキョウXと変わらないIQ124。トウキョウXが「黒い死神」ならば房総ポークはさしずめ「白い幽霊」といったところだ。
    「この者が最も反抗的な奴隷なのね?」
    「はい、クィーン・アム様」
    「この者は『何をした』のだ?」 
     一匹の豚兵が一歩前に出た。
    「申し上げます。この者は我々が奴隷に与えている食事、日の丸弁当の中央にある梅干を、他の奴隷から奪い、ひとりで食べていたのであります」
    「それこそまさに極悪非道な人間ならではの行動ですね!」
     アムも納得。
     だが、最も反抗的な奴隷を連れてきて、一体全体ここで「何をしよう」というのか?
    「その奴隷を私の前に」
    「はっ」 
     奴隷がアムの前に引きたてられた。
    「お前の名前は何というのだ?」
     奴隷は無言。さすがは最も反抗的な奴隷だけのことはある。
    「無礼者ー!」
     もう一匹の豚兵が竹竿で奴隷の背中をピシャリと打った。
    「ひいーっ!」
     さすがの奴隷もこの痛みには耐えかねたか、自ら口を割った。
    「け、健一です」
    「そうか、健一か」
     アムは、まるでクイズ女王や漢字女王のような「上から目線」で話した。アムは自分の右足を健一の前に突き出した。
    「さあ、お舐め」
    「な」 
    「私の前に跪き、お前の舌で私の足の爪を舐めて綺麗にするのよ」
     見世物、それは最も反抗的な奴隷がアムにひれ伏す姿を鑑賞することだった。
    「誰がそんなことをするか」
     命令を拒否する健一。
    「無礼者ー!」
     再び豚兵の竹竿が健一の背中を強く打った。
    「ひいーっ!」
     観念した健一は自分の舌でアムの足の爪をペロペロと舐め始めた。
    「ぶほほほほ。私の言うことに逆らえる人間など、この世にいないのよ」



  •  女性たちを全員、浦安に残して人民軍は進軍。旧江戸川の手前、葛西臨海水族館跡地までやってきた。旧江戸川を挟んで対岸を望む。
     マリア・テレジアの居城・シェーンブルン宮殿を思わせる黄金色に輝くホテルの窓からは高射砲が覗いていた。それは旧江戸川に架かる舞浜大橋を、もしも渡る者があれば容赦はしないと無言のうちに語っていた。そしてその奥にバイエルン国王ルートビッヒ2世の夢の城・ノイシュバンシュタインを思わせるお城が見える。かつてここは「子供たちの夢の楽園」であった。だが今は人類にとっては「地獄の世界」に他ならない。この中に入れられたが最後、死ぬまで主人である豚によって家畜として扱われるのだ。
    「これは、やや(非常に)手強いぞ」
    「こりゃあ、橋を渡っている間に全滅だな」
    「そうなると、また隠密裏に潜入するしかあるまい」
     コックローチが先に潜入、高射砲を眠らせてから人民軍を引き入れる。これ以外に作戦はない。

     深夜。
     自家発電によって明々と光り輝く浦安基地は見た目だけを言えば実に美しい。
     橋の上に人影はない。ひょっとして今日は作戦中止か?いや、そうではない。今回、ジミー、望、勇気、聖斗の4人は海中から対岸の浦安へと上陸したのだった。
    「うー寒い」
     急いでスキューバーダイビングスーツを脱ぐ。
    「よし、行くぞ」
     4人はいざ、ホテルの中へと潜入した。
    「各階、ひとりずつでの行動だ。生きていたら再びここで会おう」
     4人が解散した。
     1階からジミー、望、勇気、聖斗の順で始末する。
     まずは1階のジミー。無敵のゾンデ棒が豚兵を血祭りにあげる。2階の望はトレッキングポール攻撃。3階の勇気は賢く、ここは警視庁で使用していた催涙弾で相手を眠らせる。そして4階の聖斗は麻酔を塗ったカードを投げて相手を眠らせていく。全ての豚兵を倒し、4階で再び落ち合う4人。
    「よし」
     ジミーは対岸にいる人民軍にライトで合図を送った。
    「人民軍が橋を渡ってきたぞ」
    「では、私たちは第二段階だ」
     4人はホテルを飛び出すと正面入り口を強行突破、数多くの照明によって昼間のように明るい基地内部へと侵入した。だが、さすがは敵の本陣がある千葉の入り口となる基地だけのことはある。瞬く間に多くの豚兵が集まってきた。特に正面入口の右手にある、かつては「○○○・ザ・ワールド」という名で呼ばれていたアトラクション施設は豚兵の宿舎だったようで、続々と豚兵が出てくる。
    「ここは俺の出番だな」
     ジミーのゾンデ棒が唸る。
    「全員、ミートにしてやる」
     ジミーはそのまま建物の中へと入っていった。

     一方、勇気はカントリー・〇○○・ジャンボリーだった建物の中で格闘していた。中は大きく荒れており、トナカイの頭があった舞台上の壁掛けからはトナカイの頭を動かす機械が丸見えの状態になっていた。
     一匹の豚が勇気に迫る。
    「はっ」
     勇気の「雷鳥蹴り」が豚の頭と胴を切り離す。
    「やあ」
     更に勇気は胴から切り離された頭をラグビーボールのように蹴り飛ばした。
    「ブヒー」
     頭はトナカイの頭があった場所から突き出ていた機械の棒に突き刺さった。

     望はイッツ・ア・○○○○ワールドだった建物の中にいた。そこは体育館のような広いスペースの高い場所に通路が橋のように掛かっており、まさに「狭い橋の上での戦闘」といった感じになっていた。言うまでもなく望にとって有利なシチュエーションだ。豚兵は四方から攻撃できず、前後からしか望に近づくことができない。
    「とおっ」 
     トレッキングポールで次から次と豚兵を突き落とす。豚兵は赤、青、黄色、緑などカラフルな風船がいっぱい敷き詰められた下へと落ちていく。その度に風船の割れる音が広い建物の中にこだました。

     聖斗はひとり、光のない暗い場所で戦っていた。
     そこはスペース〇○○○○。

     シャーッ

    (この音は!)
     聖斗の後ろから突然、ジェットコースターが出現。寸前のところで躱す聖斗。
    「そういうことなら」
     再びジェットコースターが接近してきた。
    「やあっ」
     聖斗はジェットコースターに飛び乗ると、乗っていた豚兵を叩き落とした。立場逆転。その後、聖斗は豚兵たちをジェットコースターで蹴散らしていった。

     人民軍の兵たちが続々と基地内に入ってきた。コックローチとは違い、戦闘の素人である彼らは「敵は奥にいるもの」と信じ、宮殿のような建物、かつてはミラ○○○と呼ばれていたホテルめがけて進んでいた。一方、コックローチの4人は「敵の司令官は中央のお城の中にいる」ことを確信していた。そのため、その周囲のアトラクション施設を片端から落としていたのである。
     そして、肝心のお城には和貴子とミミのふたりが一足先に向かっていた。

     お城の中。
    「コンコンコーン」
     和貴子の術によって次々と狐と化す豚兵。やがて和貴子とミミは国王の間に辿り着いた。玉座にはクイーン・アム。その傍らには執事のヨー・マン。そして前方を親衛隊がガードする。
    「ブヒー」
     親衛隊による攻撃。
    「はあっ」
     それに対する和貴子の術。
    「私の術が効かない!」
     親衛隊ともなるとさすがに「女王への忠誠度」が一般の兵とは格段に違う。和貴子の狐憑きの術が通用しない。
    「ならば」
     ミミが和貴子の前に出る。ミミはピンク色の登山用ロープを取り出した。
    「ピンククライミングロープ、いえーい!」
     ロープが鞭のように撓る。親衛隊が次々とロープで打たれ、倒される。「和貴子ひとりでは危ない。ミミ、お前も一緒に行け」という夫・ジミーの判断は正解であった。20匹はいただろう親衛隊をすべて倒す。さすがはジミーの妻。
     だが。
    「なかなかやる。だが、私は一味違うぞ」
     玉座の傍らに立つヨー・マンが前に出てきた。
    「私の名は『ヨー・マン』。アム様の最も忠実なる侍従よ」
     黒豚ヨー・マン。彼の種は「梅山豚」。中国大陸でも最も歴史の古い「原始豚」であり、同じ黒豚でもトウキョウXとは格が違う。それはさておき、頭にシルクハットを被り、背にマント。そして手にはステッキ。
    まさか、こいつの技は?
    「行くぞ」
     ヨー・マンがステッキの先で床を軽く一突き。すると床に敷かれた赤いカーペットが突然、ひとりでに動き出した。
    「きゃあ!」
     和貴子はあっという間に赤いカーペットによって簀巻にされてしまった。
    「和貴子さん!」
    「次はお前だ」
     ステッキが横に振られる。ミミには両脇に垂れ下がる黒いカーテンが襲い掛かる。ミミは頭からカーテンですっぽりと包まれてしまった。これではロープなど振るいようもない。厚手の生地によって編まれたカーテンは空気を通さない。
    「ううーっ、ううーっ」
     呼吸ができないミミは必死に床を転がりまわる。だがカーテンは取れない。
    (こ、こいつを倒せるのは・・・)
     散々ともがいた挙句、ミミは酸欠によって意識を失ってしまった。和貴子もまた赤いカーペットによるきつい締め付けによって意識を失ってしまった。
    「見事だ、ヨー・マン」
    「この程度の敵を倒したくらい、大したことではございません」
     やはりヨー・マンの正体はマジシャンであった。

     次に国王の間に到着したのは勇気だった。
    「和貴子さん!ミミさん!」
     勇気は「駿河負い」状態で天井から吊り下げられている二人を発見した。駿河負い、それは手首足首を背中で一つに結び、さらに背中に大きな石を乗せてから吊り下げる、江戸時代の役人が女囚を責める際に用いた拷問である。
    「のこのこと、また現れたか」
     カーテンの影からヨー・マンが出現。親衛隊は片づけられ、クィーン・アムは奥の居室に下がっていた。
    「自らやられに来るとは、つくづく愚かな奴よ」
     戦えるのは「自分しかいない」のに余裕の表情を見せる。
    「貴様!」
     勇気は余裕をぶっこいているヨー・マンにファイティングポーズを構えた。
    「待っていろ。すぐにこいつを倒して助ける!」
    「言うことだけは、いっちょ前だな」
     ヨー・マンはステッキを上に挙げた。
    「いやあ、だめえ!」
    「やめてえ、ゆるしてえ!」
     手首足首を軸にして和貴子とミミ、ふたりの体がグルグルと回転し始めた。これこそが駿河負いの「真の姿」だ。石の重さと回転による遠心力を利用して相手に苦痛を与えるのだ。
    「早く助けないと、体中の汗と油が搾り取られるぞ」
     迷っている時間はない。勇気はジャンプした。
    「喰らえ!」
     雷鳥拳必殺の蹴り。勇気の蹴りはブロック塀さえも破壊する威力を持つ。
    「なに?」
     蹴りがヒットした瞬間、ヨー・マンの姿が一瞬のうちに消えた。床に着地、周囲を見渡す勇気。
    「ど、どこだ?」
    「ここだ」
     ヨー・マンは何と勇気の足元、勇気の「影の中」に隠れていた。勇気の足先が自分の体に触れた瞬間、ヨー・マンは勇気の影の中に溶け込んだのだ。
    「バカな」
    「とりゃあ」
     ステッキが横に振られた。アキレス腱に傷を負う勇気。勇気はその場で転倒した。
    「うわっ!」
    「その足ではもう飛べまい。今のお前は雷鳥ではなく『羽を捥がれた七面鳥』よ」
    「くそう」
    「最期だ、勇気」
     どこからともなく麻縄が勇気めがけて蛇のように飛んでくる。
    「うわあーっ!」
     麻縄によって和貴子、ミミ同様、駿河負い状態にされる勇気。
    「いっちょ上がり」 
     かくして勇気もヨー・マンのマジックの前に敗れ去った。

     望がやってきた。望を待っていたのは駿河負い状態の和貴子、ミミ、勇気の姿だった。そこへヨー・マンがステッキを手に二本足で出現。
    「みんなをやったのは貴様か!」
    「そうだ」
    「おのれ、許せん」
    「だとすれば、どうするんだね?」
    「こうだ」
     望は平突きの構えからヨー・マンに突進した。
    「なんだと!」
     ヨー・マンは自分の背中に羽織うマントを前脚の爪で引っ掛けると素早く端をステッキの先端に巻き付け、裏側の赤い生地を望に見せた。するとどうだろう。望はヨー・マンの体ではなく、赤い裏生地に向かって平突きをしてしまった。
    「さあ、もう一回突いてみろ」
    「言われるまでもない」
     再び平突きで突進する望。だが、結果は同じ。
    「まるで闘牛だな」
     この時、既に望は敵の術中にはまっていた。望自身はヨー・マンの体を狙って突いているつもりなのだが、無意識のうちに赤いマントを突かされていたのだ。
     で、結局。
    「ぐわあーっ!」
     望も倒されてしまった。
    「あと何人、来るのかね?」
     残るは二人だ。

     ジミーがやってきた。
    「これは!」
     日頃はクールなジミーも和貴子、ミミ、勇気、望が捕まっている姿に驚きを隠せなかった。
    「今度は老人か」
    「年寄りと思って甘く見るなよ」
    「お前こそ私を『豚』だと思って甘く見るなよ」
     望や勇気を倒した敵だ。油断などできるはずがない。ジミーはゾンデ棒を自分の体の周りで回し始めた。いきなりの攻撃は危険と判断したのだ。
    「今までの奴らとは違い、少しは『できる』ようだな」
    「俺の『ゾンデ・ディフェンス』は完璧だ。お前は俺に攻撃できない」
    「それはどうかな?」
     ステッキをゆっくりと振り上げるヨー・マン。すると玉座の傍らに置かれた壺が宙に浮かび始めた。
    「さあ、行け」
     ステッキが前に振られる。壺がジミーに向かって飛んで行く。壺はジミーの真上で静止した。
    中に何が入っているんだ?
    「はあっ!」
    ステッキが下に振られた瞬間、壺は口を下に向けた。
    「これは!」
     壺の中から出てきたのは猛毒でその名を知られたキングコブラ。キングコブラがゾンデ棒に絡まる。キングコブラがジミーの腕めがけてスルスルとゾンデ棒を伝ってくる。
    「いかん!」
     ジミーはゾンデ棒を捨てる以外になかった。そのまま持っていたら腕を噛まれてしまう。勿論、このキングコブラはマジック用だから毒腺は処理されている。だが、ジミーはそんなことは知らないし、仮に知っていたとしても、いきなりキングコブラを目の前に見たら、やはり反射的にゾンデ棒を捨ててしまうだろう。
    「お前は自ら身を護る武器を捨ててしまった」
    「うう」
     ジミーは望や勇気が「倒された理由」を、なんとなく理解した。そして「自分の未来」を悟った。ジミーの顔からは完全に血の気が引いていた。
    「これで最後だ、やれ!」
     キングコブラがジミーに飛び掛かる。
    「うわあーっ!」
     ジミーはキングコブラの蜷局に首を巻かれてしまった。必死に首からキングコブラを剥がそうとするジミー。だが一度、巻かれたら最後だ。キングコブラの締め付けが強くなる。
    「ああー、ああー、あ、あ・・・」
     呼吸困難の中、ジミーは意識を失い、その場に倒れた。
     残るは聖斗のみ。

     ミミが意識を失う直前「こいつを倒せるのは」と考えた最強の戦士が遂に国王の間にやってきた。
    「随分としつこいな」
    「みんな!」
    「お前も、こいつらと同じ道を辿るか」
     駿河負いの状態で天井からシャンデリアのように吊り下がる5人を親指で差しながら、ヨー・マンは余裕の表情で聖斗を眺めた。
    「匂いでわかる。あんた、マジックができるらしいな」
    「そういう貴様も『マジックが得意』とお見受けしたが・・・」
    「そう言うことならば、やはり互いの雌雄を決しないわけにはいくまい」
     かくして聖斗とヨー・マンによる「マジック合戦」が始まった。
    「みんなの命が危ない、悪いが早めにけりをつけさせてもらう」
     聖斗は得意のカードマジックで勝負に出た。カードがヨー・マンに降り注ぐ。
    「縁が刃のように鋭く尖ったこのカードは静電気で相手の体に纏わりつく。お前はもう動けない。動けばカードがお前の体をズタズタに斬り刻む」
    「果たしてそうかな」
    「なに」
     カードはヨー・マンの体に纏わりつくことなく、次々と溶けて蒸発していく。
    「これは」
     ヨー・マンの周りを幾つものシャボン玉が包んでいた。
    「硫酸だよ。硫酸のシャボン玉さ」
     シャボン玉の成分である硫酸によって石油系からできているカードを溶かしたのだ。
    「そして、これこそが私の武器でもある。喰らえ、聖斗!」
     ヨー・シローがステッキを聖斗に向かって突き出す。
    「シャボンシャワー!」
     ステッキの先端からシャボン玉が発生、聖斗の体を襲う。硫酸によって聖斗の肌は焼け、着衣に穴が開く。さらにヨー・シローはステッキの先端をぐるぐると回転させる。
    「シャボン旋風!」
     シャボン玉が聖斗の体を軸に反時計回りに回転、聖斗の体の動きを封じる。
     そして。
    「シャボンファイアー!」
     シャボン玉が炎に変わった。表面張力を増すためにシャボン玉に含まれている油成分によって激しく燃える。
    「うわあーっ!」
     燃える聖斗の体。
    「さらばだ、聖斗」
     やがて聖斗の体は骨までも残さず完全に焼き尽くされてしまった。
     戦いは終わった。
    「どうやらカタはついたようね」
     居室からアムがやってきた。
    「はい」
    「最後の相手は殺してしまいましたね」
    「同じマジシャンということで熱が入ってしまい、焼却処分してしまいました」
    「まあいいわ。それより、表にいる連中はどうするのです?」
    「奴らは雑魚。リーダー級が全員倒されたと知れば、直ちに戦意を喪失、我々の前に降伏するでしょう」
    「よろしい。では始めましょうか。とっておきのショーを」
    「はい」
     外ではまだ戦いは続いていたが、勝利を確信しているアムは国王の間に幹部たちを招集した。
    「今から皆さんに、楽しい芸を披露いたしましょう」
     駿河負い状態にされた5人が皆の前にお披露目された。
    「さあ、始めなさい」
    「はっ」
     ヨー・マンがステッキを振ると5人は一斉に回転し始めた。
    「うわー」
    「い、痛いー」
    「縄が体に食い込むー」
    「やめてー」
    「おねがいー」
     泣き叫ぶ5人。その姿をニヤニヤしながら眺めるアムと幹部たち。
    「お前たちはすぐには殺さない。たっぷりと苦しみを味わわせてくれるわ。ぶほほほほ」
     百戦錬磨のコックローチのメンバーでさえ赤子の如く泣き叫ぶのだから、駿河負いがいかに過酷な拷問であるかは容易に想像できるだろう。回転によって汗や油が搾り取られ、周囲に撒き散らされる。まさに人間脱水機なのだ。
     回転が速まる。全員、下半身をびしょびしょに濡らしはじめた。遠心力によって膀胱に溜まる尿までもが尿口から噴き出し始めたのだ。
    「ほほほほほ」
     コックローチともあろう者たちが何とも「恥ずかしい姿」を曝け出す。
    「さあ、おしっこだけでなく便も肛門から勢いよく吹き出すがいい!今、着ている服を自らの汚物によって汚しまくるがいい!」
     女性の方が当然ながら肛門を閉じる力が弱い。和貴子とミミに放便の危機が迫る。それだけは、それだけは許して!和貴子もミミも石の重みと遠心力によって全身に麻縄が強く食い込む痛みの中、必死に肛門に力を入れる。
    「服などというものを着用しないといけない。人間とは実に不便な生き物よのう」
     もうダメ。洩れちゃう。ウンチが出ちゃうーっ!
     その時。
    「なにい!」
     回転がピタリと止まった。
    「バカな、こんなことは有り得ない」
     更に自然と縄が切れ、5人の体は床に落下した。
    「どういうことだ・・・まさか!」
     そのまさかであった。
    「お前は、聖斗!」
     聖斗が天井のシャンデリアから飛び降りてきた。
    「お前、どうして」
    「理由はこれさ」
     聖斗は右手を高々と挙げ、カードをぱらぱらと落とした。するとカードは次々と合体、やがて聖斗と同じ背格好の姿になった。
    「変わり身の術か」
    「空蝉だよ」
    「だが、のこのこ出てきたのは拙かったな。周りは全て敵。逃げられまい」 
    「逃げる気など毛頭ないさ」
     聖斗は指を鳴らした。
     すると、それまで聖斗の姿をしていたカードが一斉に四方の敵に向かって飛んだ。頭、首、心臓。カードが次々と幹部たちの急所に突き刺さる。
    「ぎゃあ」
    「ぐわあ」
    「ぐええ」
     一瞬のうちにクィーン・アムとヨー・マンを残して、この場にいた全ての幹部たちが倒された。
    「き、貴様。倒されたふりをして、幹部が集まるのを待っていたのだな」
    「一網打尽するにはこれが一番、手っ取り早い」
    「おのれーっ!」
     敵に「一本取られる」などという経験はヨー・マンにとって初めてのこと。ヨー・マンは自身の受けた屈辱や動揺を隠すように生まれて初めて激昂した。
    「『再戦』と行こうじゃないか、ヨー・マン」
    「いいだろう。今度こそ確実に始末してくれるわ」
    「それは無理だ」
     その瞬間、聖斗は消えた。
    「お前には私の動きが見えないだろう?」
     聖斗は王宮の間を高速移動していた。ゴキブリならではのキッチンダッシュだ。
    「マジックはタネや仕掛けによって相手の目を騙す技。だが、今の私の動きは正真正銘のものでタネも仕掛けもない。タネも仕掛けもない動きをマジックで打ち破ることはできない」
    「くそう!」
    「どうだ、いつ攻撃されるか『わからない』のは恐怖だろう?」
     今までの聖斗からは考えられない冷酷な態度。ヨー・マンはともかくアムはこの場のあまりにも緊張した空気に耐えることができなかった。
    「きゃあああっ!」
     緊張の糸がプツリと切れたアムは絶叫しながら玉座から降りると外に向かって一目散に走り出した。
    「アム様、今、動いてはなりません!」
     ヨー・マンがアムを慌てて追いかける。
    その瞬間。
    「ブヒーッ!」
     アムの首が飛んだ。聖斗はまず先にクィーン・アムを仕留めた。勿論、これはヨー・マンに苦痛を与えるため。惑星メドゥーサでの戦い以後、聖斗は実にコックローチらしくなった。
    「アム様ーっ!」 
     ヨー・マンは床に転がるアムの首を拾い上げると、それを抱きしめ、さめざめと泣きだした。
    「うう、うう」
     ヨー・マンのアムへの忠誠は神聖であると同時に不貞でもあった。ヨー・マンは総裁の妻であるアムを心密かに愛していたのだ。
     ヨー・マンはアムの首を玉座の上に置いた。
    「おのれ、おのれ、おのれえっ!」
     ヨー・マンの怒りが爆発した。
    「聖斗どこだー、姿を見せろー!」
    「ここだ」
    「聖斗ーっ!」 
    「お前のその杖は『仕込み杖』と見た」 
    「いいだろう」
     アムの首を玉座に乗せるとヨー・マンはステッキの鞘を抜いた。聖斗の予想通り、中から剣が現れた。
     聖斗はトレッキングポールを構えた。暫くの間、動かないふたり。

     ドクンドクンドクン

    「行くぞー、ブヒーッ!」
    「はあっ」
     すれ違う二人。
    「ぶ」
     崩れ落ちるヨー・マンの体。剣同士の戦いならば聖斗が負けることなど有り得ない。ヨー・マンの胸から赤い血が噴き出す。
    「アム様、アム様」
     ズルズルと這いずりながら必死に玉座へと向かうヨー・マン。ヨー・マンはどうにか息のあるうちに玉座まで辿り取りつくことができた。
    「アム様」
     ヨー・マンはアムの首を抱きしめると、そのまま絶命した。
     強い敵だった。そして愛を知る敵でもあった。聖斗は「やり過ぎた」と感じた。戦っている時は快感でも、やはり戦いが終わってみれば後に残るのは「虚しさ」のみ。しかしながら聖斗は今後の戦いに備えて、その思いを心の奥底に封印した。 

     浦安基地が落ちたことを知り、人民軍の兵たちは歓喜。一方、生き残った豚兵たちは東へと敗走した。再びこの地が「子供たちの夢の国」になるかどうかはともかく、少なくとも「地獄の世界」ではなくなった。
     そして、そのことを証明するように基地の弾薬庫から運ばれてきた花火が次々と夜空に向けて打ち上げられた。



  • 次回予告

  •  浦安基地を攻略した人民軍は船橋基地の攻略に入った。
     だが、そこには巨大な豚型気球や強敵であるアイドル豚が。

  • 世紀末聖女伝説「続々・コックローチ4」

  •  9月4日(金)公開
     お楽しみに。





  •  浦安での激闘を終え、兵力を100名まで増やすことに成功した人民軍は和貴子、ミミ、樹里亜ら女性全員を浦安に残し、直ちに進路を北東へと向け進軍を開始。新江戸川を渡り、湾岸市川からは進路を東南東へと変えた。
    「勇気、大丈夫か?」
     車椅子で移動する勇気に望が声をかけた。
    「ああ、どうにかな」
     勇気はアキレス腱を切られた。といっても完全に断裂したのではなく、切れたのは1/10程度。鍛えれば以前と変わらないだけの跳躍力を維持できるだろう。とはいえ、今は無理をしてはならない。本格的な治療は銅鐸の塔でなくては不可能だ。
    「上半身だけでも戦えるさ」
     勇気は懐から白い羽を取り出すと、それを指に挟んで見せた。たとえ翼は捥がれても「爪はある」ということだ。鳥の動きを型にする拳法を習得した者にとっては足が翼で、腕が爪。本物の鳥とは真逆になる点が面白い。
     船橋を流れる海老川。そこに掛かる海老川大橋から1kmほど手前で人民軍は一旦停止した。直ちに作戦会議が始まった。
    「この先に『ららぽーと』がある」
     ららぽーと船橋。そこは最初「船橋ヘルスセンター」があった場所。ヘルスセンター解体後の1981年4月、当時ニッポン最大、敷地面積171000㎡、売り場面積256000㎡を誇る巨大商業施設が建設された。その後もホテルや立体駐車場、屋内スキー場ザウス(今は解体)などの付属施設が建設された。豚軍が要塞として使用するにはまさにうってつけの建物だ。
    「これだけの規模だ。恐らく敵の基地となっているに違いない」
     ということでジミーは早速、偵察隊を送る。案の定、偵察隊の報告では豚軍・船橋基地になっているということだった。
    「ここの基地司令はピッグ・レディと呼ばれている雌豚姉妹のようです」
     浦安の時もそうだったが、どうやら豚の世界では「女性の社会進出」が進んでいるらしい。やはりニッポン人よりも「優れている」ということか。だが、負けるわけにはいかない。いかに劣っていようとも人類は生き延びなくてはならないのだ。
    「建物の中の様子はわかったか?」 
    「皆目、わかりません」
     中の様子は判らない。となると、やはり正面突破は危険だ。浦安基地を攻略したことで兵力は増えていたが、作戦を誤れば一気にやられる可能性は否定できない。
    「ジミー司令官」
     慌てて兵が入ってきた。
    「どうした、何かあったのか?」
    「表に来てください。妙なものが、ららぽーとの上空に浮かんでいます」
    「妙なもの?」
     ジミー以下、コックローチは全員、表に出た。
    「何だ、ありゃあ?」
    「どうやら、気球のようだな」
     人民軍がららぽーとの遥か上空に目撃したもの。それは、大きさ100mはあろうかという豚の姿をしたピンク色の気球だった。
    「おい」
    「こっちに向かって来るぞ」
     非常にゆっくりではあったが、豚気球は確かに人民軍に向かって接近してきていた。 
    「戦闘準備だ」
     ジミーは戦闘準備を指示した。どう考えても怪しい。
    「どう思う、聖斗?」
    「あれがもしも昔、アメリカ軍が開発した「水素気球」と同じものであるならば、半径600m四方は跡形もなく破壊されます」
    「それって、かなりやばいんじゃ」
    「やばいなんてもんじゃない。こっちは全滅だ」
     そんな話をしている間にも、ズンズンと接近してくる豚気球。飛行高度は大体200mといったところか。
     そして遂に人民軍の集結する場所の上空にまで来てしまった。
    「爆発しないでくれよ」
     そう祈る人民軍。
     確かに爆発はしなかった。だが、人民軍にとってこれが「恐るべき兵器」であることに変わりはなかった。
     突然、豚気球から巻き糞の形をしたものが次々と投下されてきた。その一つが地上に落ちるや大爆発した。
     それは爆弾だった。次々と爆発する巻き糞爆弾。この豚は気球ではなく爆撃能力を備えた飛行船だったのだ。
     そうと判れば応戦だ。銃火器が豚型飛行船に向けて掃射される。だが、豚型飛行船の外壁は穴が開くどころか弾を全てはじき返した。
    「イノチュウムだ」
     ヘリウムガスで飛行する飛行船である以上、壁の厚さは数mm程度のはずだが、イノチュウムでできた飛行船の壁は銃火器による攻撃をものともしなかった。
    「うわあ」
    「うぎゃあ」
     爆撃によって次々とやられていく人民軍。
    「纏まっているのはやばい。散らばるんだ」
     全員、散らばる。最も多いのは後方に逃げる兵たち。その方向へ豚型飛行船が移動していく。いくら遅いと言っても豚型飛行船の飛行速度は走る人間よりは速い。
    「なんということだ」
     戦い慣れたコックローチは逆に前に走ったので無事だった。後ろへ逃げた兵たちが爆撃される姿を茫然と眺める。
     巻き糞爆弾を投下し終えた豚型飛行船はコックローチの真上を通過、悠々とららぽーとへと戻っていった。
    「取り敢えず、負傷兵の治療だ」
     軽傷の兵のみを残し、重症の兵は浦安基地へ帰還させるしかない。結果、戦える兵は100人から50人に半減、浦安基地攻略前に戻ってしまった。

     翌日も豚型飛行船による爆撃が行われた。これで戦力はさらに半減。
    「この調子だと、明日も来るぞ」
    「どうするんだ、ジミー」
    「あの空飛ぶ豚を撃墜する以外にはなさそうだな」
    「どうやって?」
    「機銃くらいじゃ全く歯が立たないことは昨日、一昨日の戦いで明らかだぞ」 
     イノチュウムを破壊できるのは核融合砲をおいて他にはない。
     ここで聖斗が発言する。
    「飛行中の破壊は『無理』だと思います」
     皆、頷いた。
    「奴が飛行する前に破壊する以外にはないでしょう」
    「ということは」
    「はい。敵基地に潜入。整備中を狙って破壊する以外にないと思います」
    「だな」
     皆、納得。
     その後、そのための作戦が綿密に話し合われた。
    「作戦は明朝、日の出とともに開始だ」
     敢えて夜にしなかったのは、明るくなって相手が油断している時間帯を狙ってのことであると共に、日の出直後や日没直前は思いのほか地上が見えにくくなるからだ。特に上から見下ろす時には。旅客機のパイロットが「朝夕の着陸は難しい」と感じるのはそのためである。ららぽーとには最上階にUFO型の展望台がある。元々はレストランだが空港の管制塔のように見晴らしのいい場所であるため、そこから地上の動きを監視しているだろうことは容易に想像できた。

     翌朝、日が昇る。
    「コードネーム『ピンク・ツェッペリン』作戦開始」
     ピンク・ツェッペリンは言うまでもなく豚型飛行船のことだ。この作戦は望、聖斗の親子2名で行う。ジミーと勇気は本陣で待機だ。
     幸いなことに、この日、地上にはうっすらと朝靄がかかっていた。2人は靄に紛れて海老川大橋を渡った。



  • 「メイ様、ジェイ様」
     兵たちがピッグ・レディ姉妹の到着に敬礼をもって迎える。
     船橋基地の司令官ピッグ・レディ姉妹が朝7時、本館最上階に位置する、かつては床が回転する円盤型レストランだった基地の中央コントロールルームに現れた。ここからの眺めはまさに格別。基地から半径2kmを完全に見渡すことができる。勿論、人民軍が幕を張る陣地も手に取るように見える。
     レディ姉妹が司令官席に座った。レディ姉妹は豚ではあるが基地での威厳を保つために人間のように衣装を身に纏っていた。ここは元ららぽーとであるから、あらゆる種類の衣服が揃っている。その中からレディ姉妹が選択した衣装は全身にスパンコールをあしらったピンクのドレスだった。
    「今日の作戦は?」
    「はい。12時にピッグ・フロイドを飛ばします。敵が食事を摂っていると思われるので」
     ピッグ・フロイドというのは豚型飛行船の敵側の名前である。
    「で、侵入者の方はどうなっている?」
     交互に話すレディ姉妹。それはさておき、どうやら基地では既にコックローチの動きを知っているらしい。
    「はい。我々の思う通りに動いているようです」
    「なら12時にはさぞ、驚くことでしょうね」
     
     同じ頃。
     作戦を無事に終えた望と聖斗は持ち前の俊足を生かして海老川大橋を一気に渡り、陣営に戻っていた。
    「行くぞ」
     望が代表して起爆ボタンを押す。 

     ドカーン

     ららぽーとの裏手で爆発が起きた。ピッグ・フロイドに仕掛けた爆弾が爆発したのだ。
    「これで敵の爆撃からはサヨナラできた」

     そして12時。
    「あれは!」
     爆破したはずのピッグ・フロイドが飛来してくるではないか。
    「総員、直ちに退避ー!」
     やられた。爆破したピッグ・フロイドはダミーだったのだ。
     その日の夜、人民軍の陣営では。
    「敵は賢いぞ」
    「ああ、まんまと一杯食わされた」
    「俺たちが潜入してくることを最初から知っていたんだ」
    「となると再潜入は厳しいぞ」
    「こちらの動きは知られているということだからな」
    「となると、強行突破しかあるまい」
    「歩兵による機銃攻撃の方が爆弾よりはましか」
    「夜に攻撃してこないところを見ると暗視装置はないようだ」
    「とすれば強行突破も当然、夜だな」
    「なるべく早い方がいい」
    「とすれば今日だな」
     かくして、1時間後には橋を渡ることが決まった。
    「まさか、こんなに早く攻撃してくるとは向こうも思うまい」
    「今度は相手の裏をかけるだろう」
    「だといいけど」
     だが、またしても。
    「くそう、撤退だ」
     またも敵は今夜、夜襲を仕掛けてくることを読んでいた。敵から見れば明日の爆撃を阻止するには今夜、攻撃してくるだろうという単純な読みだ。
     今までは順調だった。いや、今までが順調すぎたのだ。

     夜が明けた。
     昨夜の敗戦で人民兵は10名になった。しかも全員、疲労困憊している。もしも、こんなところへ爆撃されたら、それこそひとたまりもない。
    「ピンク・ツェッペリンが来るぞ!」
    「一気にとどめを刺しに来たか!」
     朝日を背にピンク・ツェッペリン=ピッグ・フロイドが人民軍に迫る。
    「もはやここまでか」
     その時。
     まだ一等星が煌く黒い西空の向こうから何かが飛んできた。人民軍はみんなピッグ・フロイドに気を取られていたため誰も気がつかない。最初にそれに気がついたのはピッグ・フロイドの乗組員だった。
    「あれは何だ?」 
     やがて、それは明らかとなった。
    「あれは!」
    「バカな!もう動かないはず」 
     やがて人民軍も気がついた。最初に気がつき、後ろを振り向いたのは望だった。
    「あれは、量子?」
     そう。それは宇宙遠洋漁船量子だった。
    「でも、なぜ。それに誰が操縦しているんだ?」
     量子が人民軍の集まる陣地に着陸した。
    「みんな、生きてるわね」
    「樹里亜!」 
     中から出てきたのは樹里亜だった。樹里亜は和貴子やミミと一緒に浦安基地で負傷者の治療と看護にあたっていたのだが、人民軍の危機を知り、量子でやってきたのだ。
     コックローチ全員が樹里亜のもとに集まる。
    「みんな」
    「樹里亜、どうやって量子を動かしたんだ?燃料はなかったはずだ」
    「浦安基地の倉庫の中に自家発電用の液体水素ボンベがあったの。でも、ほんの少しよ。核融合砲1回分だけ。それでおしまい」
    「それだけあれば十分だ」
     コックローチは量子に乗り込んだ。
    「量子発進!」
     量子が浮かび上がる。量子はピッグ・フロイドと対峙した。
    「核融合砲、発射準備」 
    「オーケー。核融合砲への水素燃料弁、開きます。ピストン下げます」
    「水素燃料核融合砲内へ」
    「照準モニターオン。目標、ピンク・ツェッペリン」
     敵も気が付いたようだ。必死に回避行動をとっている。だが、その動きは飛行船ゆえにスロー。
    「発射10秒前。全員、衝撃に備えよ。8,7,6,5,4,3,2,1、発射」
     量子の核融合砲が唸る。核融合エネルギーがピッグ・フロイドを貫通した。ピッグ・フロイドはその場で巨大な風船が破裂するようにパーンと爆発した。
    「やったあ」
     だが。
    「危ない」
    「量子が降ってくるぞ」
     燃料を使い果たした量子がその場で落下し始めた。地上の人民軍は急いでその場から離れる。量子が地面に墜落した。周囲に土煙が舞い、量子の姿を覆い隠す。土煙が消える頃、中からコックローチたちが出てきた。
    「こいつはもう、使えないな」
     墜落のショックで、今度こそ本当に量子は使えなくなってしまったのだった。だが、それを残念がる者など今の時点では誰もいない。 
    「ここから先は白兵戦だ。みんな、行くぞー」
     ジミーが号令をかける。
    「おー!」
     ピッグ・フロイドを撃破したことによって一気に士気が上がった今こそ、敵基地を攻略する絶好のチャンスだ。

     コントロールルーム。
    「敵の様子はどう?」
    「敵はピッグ・フロイドを破壊、勢いづいています。海老川大橋を渡り、既に建物内に侵入しております」
    「そう」
     ピッグ・フロイドが破壊されたというのにレディ姉妹は余裕の表情を見せた。
    「我らがアイドルは?」
    「この建物の下、3階で敵の侵入に備えております」
    「よろしい」
    「あの姉妹は我が部隊の中でも精鋭中の精鋭。必ずや敵を一掃してくれることでしょう」 

    「この建物の最上階に敵のコントロールルームがある。そこを落とせば戦いは俄然、有利になる。急げ!」
     ジミー以下、コックローチのメンバーは、ららぽーとのビル1階に突入。停止しているエスカレータを上の階目指して駆け上る。
    「勇気、無理をするな」
    「こんなおいしい場面、見逃せるかよ」
    「完全に切れても知らねえぞ」
    「自分の体のことは自分が一番よくわかっているさ。跳躍さえしなければ問題ない」
     2階を通過、3階に到着。ジミー、望、勇気、聖斗の4人は直ちに強大な殺気を感じた。
    「この階に敵がいるぞ」
     実戦経験豊富な強者たちだからここは各々、反射的に戦闘態勢をとる。
    「出たな」
     強大な殺気の正体が明らかとなる。2匹の雌豚が大きな窓ガラスを背に2本足で起立していた。その姿は背後から差し込む日差しの後光によって、まるでガンダーラの仏像を思わせた。
    「私はショウ」
    「私はサチ」
    「我ら、アイドル戦隊『オインク』!」
     オインク(oink)。英語圏における鶏の鳴き声の擬音が「クックドゥードゥルドゥ」であるように、それは英語圏における豚の鳴き声の擬音。彼女たちはアマゾネス部隊の精鋭であるとともに「豚界のアイドル」でもある。
    「さあ、かかってきなさいよー」
    「みんな纏めて血祭りにあげてくれるわ」
     コックローチを前に大した自信だ。
    「相手は二匹、ならばこちらも二人で行こう」
    「ここは僕が行きましょう」
     そういったのは聖斗。
    「なら、もう一人は俺だな」
     そういったのは望。久しぶりの親子コンビ結成だ。この時、聖斗が父にボソッと言った。
    「あの二匹、殺さないように」
     望は聖斗がなぜ、このようなことをいったのか理解しかねたが、取り敢えず「了解」した。
    「『殺さないで倒す』ですって?」
    「私たちも随分と舐められたものね」
     聖斗と望の会話を耳にしたオインクは不機嫌になった。
    「そんな余裕など『ない』ってことを教えてあげるわ!」
    「覚悟なさい!」
     窓ガラスにシャッターが下りる。さらに照明が落ちた。フロアは全く光のない暗闇となった。
    「これでは」
    「何も見えないぞ」
     ジミーと勇気が叫んだ。
     まさに辺り一帯、幽かな光さえない闇の世界と化していた。
    「これぞ私たちの必殺技『寂しい深海魚』。受けてみるがいい」
     望は気配を読むのが巧みだ。いかなる暗闇であろうと気配さえ読めれば、敵の位置は手に取るようにわかる。
     だが。
    「気配が読めない?」
     どうやら人間と豚では「勝手が違う」ようだ。豚は強大な殺気を発することができると同時に完璧に気配を消すこともできるのだ。それも当然で、そうでなければ野生では、いとも簡単にライオンやリカオンなどの肉食獣に捕食されてしまう。
     突然、望の目の前を何かが「ふわっ」と通過した。
    「うわっ」
     驚く望。
    「ブラジャー?」
     それは深海に生息するヒレナガチョウチンアンコウを見立てたブラジャーだった。糸で釣られたブラジャーが目の前を通過したのだ。
     次にダイオウイカに見立てたウエディングドレスが通過。さらにシギウナギに見立てた着物の帯が通過する。
    (いつ攻撃してくるんだ?)
     その他にも、オニキンメに見立てたパンティーやワニトカゲギスに見立てた靴下などが次々と望の前に出現。
    「くそう」
     気配の全く読めない暗闇の中で、望の緊張は極限に達していた。
     そして。
    「ぐわっ」
     遂にオインクの攻撃が始まった。ショウが望に猪張りのタックルを仕掛けてきたのだ。あっという間に吹き飛ばされてしまう望。気配が読めず、何も見えないのだから防御のしようもない。吹き飛ばされた望はパンティーが山と積まれたカートの中に吹き飛ばされると、そのまま気絶してしまった。
     一方の聖斗は?というと聖斗もまたオインクの気配を全く読めなかった。
     聖斗危うし!
     だが。
    「ブー」
    「ブー」
     聖斗はショウとサチの鼻を横からトレッキングポールで殴った。驚く二匹。
    「どうして」
    「私たちの居場所がわかるの?」
     互いの顔を見合わす二匹。フロアの電気が点いた。聖斗がスイッチを発見、入れたのだ。
    「ばかな」
    「私たちの気配は人間には決して読めないはず」
     これに対し聖斗は素直に「確かに読めなかったよ」と認めた。
    「では」
    「どうして?」
     答えは実に簡単なものだった。
    「見えていたからだよ」
     聖斗は竜宮の剣の正当伝承者だ。10000mの深海にあっても目が見えるのだ。
    「深海をイメージした技なんて僕には通用しないよ。僕は本当の深海とはどういうものかを良く知っているのだからね」
     二匹は敗北を悟った。
    「こ、殺せ」
    「私たちは負けたのだ」
     だが、聖斗は二匹を殺そうとはしなかった。
     その時、下のフロアから何やら、きな臭い煙が立ち上ってきた。下では人民軍と豚軍の間で激闘が繰り広げられていた。その結果、大規模な火災が発生していたのだ。
    「これはいかん」
     みるみる煙が充満し始める。聖斗はカートの中にある女性用のパンティーで口元を覆った。
    「うう」
     望が意識を取り戻した。火災に気が付いた望もまた近くにあった女性用ブラジャーのカップで口元を覆った。
    「火事を消さなくては」
    「手動でスプリンクラーを作動できるわ」
     ショウはスプリンクラーを作動させる操作盤のところへと走った。望が後を追う。
    「これよ」
    「わかった」
     望がコックを捻った。
     だが。
    「水が出ない」
     スプリンクラーは長年、使用されてこなかったため作動しなかった。
    「これは拙いことになったな」
     こうなった以上、下の階の炎が建物全体に回るのは時間の問題だ。
    「火が強くて下へは降りられない」
     もはや上にのぼるしかない。
     ジミーと勇気もまた下の火災に気が付いていた。既に近くにあった下着で顔を覆っていた。そこへ望、聖斗、オインクがやってきた。
    「見ての通り、下で火事です。上へ避難しましょう」
     かくして全員で上のコントロールルームへと向かった。

     コックローチとオインクが到着した時、コントロールルームは既にパニックと化していた。
    「脱出用の装備はあるか!」
     ジミーは叫んだが、コントロールルームの豚たちは首を横に振った。
    「なんということだ」
     そこへレディ姉妹が現れた。レディ姉妹の全身スパンコール姿にジミー以下、コックローチのメンバー全員が面を喰らった。
    「どうやら」
    「私たちの『負け』の様ね」
    「申し訳ありません」
    「ピッグ・レディ司令官」
     彼女たちの会話にジミーが入った。
    「いや『相打ち』だよ。我々人民軍も多くの兵が負傷、おまけに主力メンバーをここで一気に失うことになるのだからな」



  •  海老川の対岸では火災に包まれたららぽーとの姿を見た樹里亜が必死の作業を行っていた。
    「お願い、あともう一回だけ動いて」
     100m落下した量子だ。さすがにもう飛べないだろう。だが、樹里亜は諦めなかった。
    「動け、動けーっ」
     樹里亜は操縦席のコンソールをぶっ叩いた。すると量子が再び息を吹き返した。といってもコントロールパネルに電気が入っただけの話かもしれない。
    「奇跡よ、起これ」
     奇跡は「神頼みの輩」には断じて起きない。自分の力で「どうにかしよう」と必死に奮闘する者にのみ起こすことができる。果たして量子が動いた。斜めに傾いていた量子が水平になる。
    「飛べえ!」
     樹里亜が操縦桿を引いた。

     コントロールルーム。
    「あれは」
     勇気が窓の外を見た。
    「量子!」
     窓の外には量子がコントロールルームと同じ高さで静止していた。
    「よし」
     望が平突きで窓ガラスを破砕した。
    「樹里亜ーっ、もっと近づけないかーっ」
    「無理よー。浮いているだけでも奇跡なのよー」
     距離は5mほどある。飛ぶしかない。
    「みんな飛べ」
     コントロールルームの豚が次々と量子に向かって飛ぶ。オインクが飛び、その後、コックローチも飛んだ。
     残るはレディ姉妹のみ。
    「さあ、早く!」
     だが、二匹は飛ばない。
    「私たちはここの司令官」
    「基地と運命を共にします」
     レディ姉妹は多大なる被害を出した責任を自らの命で償おうというのだ。
    「司令ー!」
     豚たちが叫ぶ。このままだと全員レディ姉妹のあとを追って殉死しかねない。
    「全く、面倒くさいな!」
     聖斗が量子からコントロールルームへ飛んだ。
    「ふん」
     聖斗はレディ姉妹の腹を突いて気絶させると自分の両肩に背負い、量子に向かって飛んだ。これで全員が乗り込んだ。操縦を樹里亜から変わった望が操縦桿を動かした。
     その途端。
    「あれ」
     量子はみるみる高度を下げると大きな飛沫を上げて海老川に着水した。
     これで本当におしまい。



  •  習志野台。かつて陸上自衛隊の演習場があった場所には広大な草原が広がる。
     レディ姉妹以下、生き残った豚たちが草原へと去る。両者の間には戦った者同士だけに感じることのできる「不思議な友情」が芽生えていた。
     レディ姉妹がスパンコールドレスを脱ぎ捨てる。
    「もう、こんなものを着る必要はないわ」
    「その方がずっときれいだ」
    「お世辞でも嬉しいわ」
    「元気でな」
    「ええ、ありがとう」
     去り際、オインクが聖斗に先の戦いの時に感じた疑問をぶつけた。
    「なぜ、私たちを殺さなかったの」
    「女性は殺さない」
     先にクィーン・アムの首を刎ねたことを聖斗は後悔していた。聖斗は今後、二度と女性を殺めることはないだろう。それが時に自分の身さえも危うくする暗殺者としての「致命的欠陥」になるとしても。
    「さようなら」
    「元気で」
     豚たちは草原の中に消えた。
    「俺達も行こう」
     この場に脱ぎ捨てられたスパンコールドレスもやがては土に還るだろう。



  • 次回予告

  •  遂に敵のボス「ヨー・シロー総裁」が登場。
     3年前の「銅鐸の塔で起きた出来事」が明らかとなる。

  • 続々・コックローチ5

  •  9月18日(金)お楽しみに。





  •  ニッポンの銅鐸には、韓国の銅鐸にはない独自の特徴がある。それは「鰭がある」ことである。では一体全体、何のためにあるのだろう?
     見れば、全ての鰭に鮫の歯のような三角形のギザギザ文様が施されている。このギザギザ文様には「いかなる意味」があるのか?現代の学者はシャーマニズムの祭器という観点から「邪気を払う呪術的な意味が込められている」と考えているが、果たして本当にそうなのだろうか?
     例えば今日、我々が「太陽」を絵で描くとしよう。その時、まず円を描く。そして次にその周りに三角形のギザギザを描く。最初の円は太陽そのもので、ギザギザは太陽の輝きを表現している。銅鐸の鰭も同じである。三角形のギザギザは「銅鐸の胴が太陽のように輝いている」ことを表す光なのである。鰭のギザギザをよく見て欲しい。ご丁寧に、鰭の外側の三角形にだけ斜線が入れられている。これは内側の三角形は「光」を、外側の三角形は「光っていない部分」を表している。つまりわざわざ斜線を引くことで「塗り潰し」を行っているのである。
     韓国とニッポンでは銅鐸の「使われ方」が異なっていた。韓国の銅鐸は中国の銅鈴と同じく「音を鳴らすための道具」である。それに対し、ニッポンの銅鐸は音を鳴らす道具ではなく、仏像のようにそれ自体が敬うべき「本尊=崇拝物」であった。崇拝物は輝いていなくてはならない。それを表現する必要からニッポン人は鰭を追加したのである。
     そんな銅鐸の胴の図柄は大きく前期と後期に分かれる。前期には蜻蛉やスッポンや蛙、餅をつく人や魚を釣る人などが描かれ、後期は専ら流水紋が描かれている。前者はこの世の現状を、後者は食を支える田圃を描いたもので、いずれにしても自分たちが生活を営む「現実の世界」を表している。そして、それが輝いている。つまり銅鐸とは「自分たちが暮らす世界は輝いている」という法華経が説く常寂光土思想を体現する本尊であり、シャーマニズムとは対極をなすものだったのである。
     銅鐸信仰の時代、それは法華経を根底とする「繁栄の時代」であり、この世を楽土と見る「平和の時代」であった。通称「弥生時代」と呼ばれるこうした時代が終焉を迎えたのは正法時代が像法時代に変わって僅か5年後の西暦57年のこと。時の天皇である第10代・崇神帝は後漢の皇帝から金印を授けられた。つまり倭国は「後漢の従属国」となったのである。その後、倭国には後漢から大量の「鉄の武器」が輸入された。それらが実際に使用されるのは第11代・垂仁帝の時代である。地方を治める豪族たちを武力によって打倒、日本列島を統一するための戦争が始まったのだ。そして戦争を遂行するためには軍国主義に基づく「思想統制」が必要不可欠である。そのために垂仁帝が行った事業こそ「伊勢神宮の造営」に他ならない。その結果、存在意義を失った銅鐸は大地の底深くへと埋められ、やがて歴史の彼方へと完全に消え去っていったのである。



  •  銅鐸の塔。
     一匹の白豚が威風堂々と廊下を歩いている。白豚は「第一研究室」と書かれたプレートの貼られた部屋の扉を開くと中へと入った。そこは小さな部屋で、入ってきた扉が閉まると左右の壁に設置された殺菌用のライトが点灯、天井から殺菌用のガスが噴射された。
    「消毒完了」 
     電子音による音声が消毒終了を告げ終えると正面の扉が開いた。消毒を済ませ入室を許可された白豚は研究室へと入った。

    「続に言う『ボン、キュッ、バン』のナイスボディ。これで散々ぱら雄たちを誘惑してきたんだろうよ」
    「私は『ポッチャリ』の方が好きですね」
    「私もです。胴周りの括れた雌というのはどうも」
    「人間の美意識はおかしいんだよ」
     実験室を管理している白衣を纏った四匹の白豚たちが、そんな話をしているところへ先程の白豚が入ってきた。白豚たちは慌てて椅子から立ち上がると恭しく敬礼した。
    「ヨー・シロー総裁!」
     この白豚こそ今や100万頭を数える改造豚の中で唯一、ジコマンコンピュータが自らの意思で改造した豚、IQ800を誇る天才豚ヨー・シローであった。その姿は理想的ともいえる大ヨークシャー種。他の知能を有する豚は全てヨー・シローによって改造されたものである。
    「どうだ、採取は順調か?」
     ヨー・シローが四匹に問う。
    「現在70㎖です」
    「なんだ、半分もないではないか」
    「申し訳ありません。今日は出が良くありません」
    「何か異常でもあるのか?」
    「血圧、脈拍、体温全て正常。尿、便の排出量も普段と変化ありません」
    「急げ。儀式の開始まであと4時間しかない。遅れること、まかりならん」
    「はっ」
     四匹に厳命したヨー・シローは実験室を後にした。
    「どうしましょう、所長」
    「もう一回、ガスを噴射しよう」
    「採取開始前に一回行いましたが」
    「もう一度だ。効果が切れたのかもしれん」
    「ですが、このガスは非常に強力で、一日1回と決められています。肉体が耐えきれずに死んでしまうかもしれません」
    「噴射したまえ!」
    「はっ」
     所長の命令によって飼育員がガスを噴射する操作を行う。その直後「うーっ、うーっ、うーっ」という何かの生き物が発する呻き声が実験室内に響いた。
    「放出量が増えました。これならば時間内に採取は完了できそうです」
    「血圧、脈拍、体温共に正常値内。ガスの過剰摂取に伴う副作用は認められません」



  •  話は3年前に遡る。
     翔太の妻となった梓彩はその後、翔太の兄であるPIPIRUMAグループ会長・一磨の秘書となっていた。
     PIPIRUMAグループ随一の美女。身長155cmと小柄ながらスーパーモデルのような体つき。巨乳、括れた腰、細くて長い手足、これらすべてを備える。別段、男を誘惑するような振る舞いを見せなくても、こうしたセクシーな体が自然と男を誘惑する。もしも梓彩がボルダリングで壁を登り、両足を大きく広げる体勢をとったならば、それこそ、その姿を目撃したすべての男たちが鼻血を吹いてその場で卒倒してしまうだろう。
     だが、何といっても梓彩の魅力は威張りたがり、自慢したがり、上から目線で他人を見下したがりの鼻持ちならないタカビー人間「ではない」ことだ。近年のニッポン人女性ときたら「大和撫子」とは真逆の、やれ名門大学卒だの、漢字検定を持っているだの、知能指数が高いだのといったことを自分から言い触れ回る知恵者気取りの「爪を見せたがる脳のない小雀」ばかり。優秀な男からすれば、そんな女と「結婚したい」とは思わないのは当然だ。戦場である仕事場から疲れて帰ってきて「家の中でもクイズバトル」ではたまったものではない。ニッポンにおける結婚率の低下はまさにこれが原因である。
     その点、梓彩は文字通り男性にとって「理想の女性」である。職場から家に帰ってきた夫に対してバトルなど挑まない。本当は優秀でも「自分の方があなたよりも頭がいいのよ」などという態度はおくびにも出さない。そうした奥ゆかしさや淑やかさが梓彩のナイスボディをさらに魅力的なものに見せていた。勿論、これは梓彩の夫が翔太だからでもある。梓彩は翔太を「仕事のできる人間」として愛すると同時に「正義に熱い男」として心から尊敬していたのだ。
     核戦争が勃発した日、梓彩はメキシコの工場へ出張している一磨と翔太に代わる臨時の代表として銅鐸の塔にあるPIPIRUMA会長室にいた。梓彩は核戦争勃発をまさにここで知ったのだった。
     銅鐸の塔の中央を幕張の海岸線と平行に走る通路の東京湾側にある会長室のガラスがビリビリと振動した。
    「地震?」
    梓彩は窓の外に目をやった。
    「あれは!」 
     梓彩の目に東京湾の奥にキノコ雲が立ち上がるのが見えた。
    「あの方角・・・まさか横浜に核ミサイル?」
     更にいくつものキノコ雲が昇る。梓彩はテレビをつけた。

    「遂に我々人類が最も恐れていた世界規模の全面核戦争が勃発いたしました!」
     
     テレビのアナウンサーが叫ぶ。やはり核戦争が起きていたのだ。梓彩は直ちにメキシコにいる一磨と翔太に連絡を入れた。
    「駄目だわ。通じない」
     梓彩は銅鐸の塔にいる職員全員を帰宅させた。職員たちは全員、家族が待つ自宅へと急いだ。命令から10分もしないうちに銅鐸の塔は梓彩ひとりとなった。
     その直後。
    「停電?」
     銅鐸の塔が停電した。このような場合、非常電源が直ちに作動するはずだが、その様子がない。梓彩は会長室を出ようとした。
    「扉が開かない」
     会長室の扉がロックされていた。梓彩は会長室に閉じ込められたのだ。
     これはジコマンコンピュータの仕業だった。ジコマンコンピュータは職員が全員帰宅し梓彩ひとりになった時点で梓彩を幽閉したのだ。勿論、外部との通信も、外部からの侵入者も全てシャットアウトされた。

     そして半年が過ぎた。
     会長室は完全に独立した部屋でトイレやキッチンを備え、非常食も備蓄されていたため衣食住には困らなかったが、外の様子が気にかかる。東京にも核兵器が落下、キノコ雲が上がったことは確認していたが、他の都市や他国のことは皆目判らない。そしてメキシコにいるだろう一磨、翔太との連絡も依然としてつかないままだった。メキシコにも核ミサイルは落ちているに違いない。果たして二人は生きているのか死んでいるのか。
     会長室がパッと明るくなった。電気が回復したのだ。
    その直後、会長室の扉が外から開かれた。扉の外から次々と白豚たちが入ってきた。白豚たちは茫然自失の梓彩の周りをぐるりと取り囲んだ。
    「お前が梓彩だな?」
     豚が言葉を話す。梓彩は一瞬驚いたが、以前にタマを飼っていたから、この豚もタマ同様に改造を受けたのに違いないと悟り、すぐさま落ち着きを取り戻した。
    「あなたはジコマンコンピュータによって改造を受けた豚?」
    「そうだ。状況は判っているようだな?さすがはタマの飼い主!」
     豚は「話が早い」と思ったのだろう。話を一気に進めてきた。
    「我々と一緒に来てもらおう。抵抗するだけ無駄だ」
     確かに、多勢に無勢。抵抗はできそうになかった。梓彩は豚たちとともに会長室を出た。エレベータに乗った梓彩たちは1階に到着すると建物の外に出た。銅鐸の塔周辺はバリア兵器によって放射能が除去されているため、外出には問題ない。梓彩にとっては半年ぶりに味わう新鮮な外気だ。
     外に出ると、左右に親衛隊の兵士が整列していた。
    「ヨー・シロー総裁、万歳!」
    「ヨー・シロー総裁、万歳!ブヒーブヒーブヒー!ブヒーブヒーブヒー!ブヒーブヒーブヒー!」
     親衛隊による勝鬨に応えて、ヨー・シローが右腕の二本の爪を高々と挙げる。
    「あれは!」
     梓彩は銅鏡の噴水の中央に円錐形に積まれた石のピラミッドを見た。大きさはギザのピラミッドの比ではなかったが、総大理石のピラミッドは日の光に白く輝き美しかった。
     半年の間に、このようなものがつくられていたとは!
    「あれは我らが『慰霊塔』。お前たち人間によって喰い殺された罪なき豚たちの霊を弔うためのものだ」 
     ヨー・シローが歩き出す。他の豚たちが梓彩を後ろからつつく。梓彩も続く以外にない。
     梓彩は銅鏡の噴水の縁までやってきた。縁には御影石で作られた祭壇が設置されていた。上には既に果物などの貢物が供えられていた。そうした貢物の中央にガラスの器と金の足でできた大層豪奢なワイングラスが置かれていた。梓彩はその中身が空であるのを見てとった。
     ヨー・シローもまた、そんな梓彩の反応を見てとった。
    「見ての通り、この容器の中はまだ空だ」
    「なぜです」
    「中身はこれから『製造される』からだ」
    「この中には一体、何が入るのです?」
    「『聖水』だ。聖水がこの器を満たす時、慰霊の儀式は始まるのだ」
     聖水とは一体、ひょっとして私の血?梓彩はそう考えた。
    「塔の中に戻る」
     ヨー・シローが銅鐸の塔へと歩き出す。梓彩も追い立てられる。逃げ出すならば屋外にいる今をおいて他にない。梓彩は行動を開始した。
    「ハンドジャムチョップ!」
     ハンドジャムチョップ。これは指を真っ直ぐに伸ばさず、やや曲げた状態で繰り出すチョップ。このように梓彩はフリークライミングの技をそのまま自身の格闘技とする。梓彩の趣味はフリークライミング。梓彩はハンドジャムチョップで自分のすぐ後ろにいる豚兵の脳天をチョップした。
    「ブヒー」
     豚兵の頭蓋骨が見事なまでに凹んだ。それを見た左右の豚兵二匹がすぐさま梓彩に駆け寄ってきた。
    「ステミングキック!」
     ステミングキック。その名の通り、両足が一本の真っ直ぐな線になる様に股を大きく左右に広げて、左右から攻撃してくる敵を同時に蹴り飛ばす技。梓彩は二匹の豚兵の顔面を同時に蹴り飛ばした。
     そんな梓彩の様子を眺めるヨー・シロー。
    「なかなかやるな。さすがはコックローチ」
     美音よりも年下のまだまだ未熟な末娘とはいえ、梓彩は紛れもないコックローチ。瞬く間に三頭の豚兵を倒した梓彩。梓彩はこれならばこの場で「大将首をとれる」と思った。
    「総裁、覚悟!」
     梓彩はヨー・シローめがけて走った。
    「喰らえ、ヒールアンドトゥ!」
     ヒールアンドトゥ。爪先と踵の二段蹴り。たとえ爪先の一撃目を敵に躱されても踵の二撃目で確実に相手を仕留める必殺の技だ。
    「喰らえ!」
     爪先による一撃目の蹴り。ヨー・シローが屈んで躱す。
    「もらったわ!」
     そこへすかさず踵による二撃目を繰り出す梓彩。自由落下によってヨー・シローとの距離は一撃目の時よりも狭まっている。躱すことは不可能。
     だが。
    「ふふふ」
     梓彩必殺の踵蹴りをヨー・シローは右腕の爪でいとも簡単に受け止めた。
    「バカな。私の蹴りを受けて爪が割れないなんて」
    「この程度の攻撃では私の爪は割れん。私はジコマンコンピュータによって選ばれた、人類にとって代わる『地上の支配者』なのだぞ」
    「そ、そんな」
    「今度はこちらから行くぞ」
     ヨー・シローが四つん這いになった。
    「猪突猛進!」
     ヨー・シローが繰り出す俊足の頭突きが梓彩の腹を直撃した。
    「ううーっ」
     腹部に強い衝撃を受け、その場で気絶する梓彩。
    「ヨー・シロー総裁」
     豚兵が集まる。
    「申し訳ありません。我々が傍にいながら」
    「どうということはない。今後のこいつの役目を考えたら、これくらい活きのいい方が好都合だ」
    「その様に思っていただき、恐縮です」
    「よし、直ちに梓彩を地下の研究室へ連れて行け。目を覚ます前にやり終えてしまった方が体に傷をつけずに済む」
     かくして梓彩は気絶している間に当初の予定通り、銅鐸の塔の地下にある第一実験室に連行されてしまった。

    「うう」
     目が覚める梓彩。
    「ここは?」
     梓彩が体を動かそうとした瞬間。
    「う、動けない?」
     事は既に終わっていた。梓彩は大の字に磔台に繋がれていたのだ。手首足首には黒い鉄枷が、肘・膝・首には白いコルセットが嵌められていた。これでは手足を動かすどころか、肘や膝を曲げることも頭を動かすこともできない。まさに徹底した身体拘束ぶりであった。
    「気分はどうかね?」
    「ヨー・シロー総裁!」
    「この磔台はわざわざ、お前のために拵えたものだ。手首足首に嵌めた枷の位置は、お前の手足の長さに正確に合わせてある」
     ヨー・シローの言葉から梓彩はこれが即興的な思い付きではなく「用意周到な計画」であることを理解した。半年前に梓彩を会長室に閉じ込めた時から既に計画は進められていたのに違いない。
    「私を、どうするのですか」
     体をブルブルと震わせる梓彩。その震えは声にもはっきりと表れていた。正直、梓彩は怖くてたまらない。
    「心配するな。殺しはしない。というより死んで貰っては困る。お前には長生きをして貰わなくては。先程も言ったように慰霊の儀式には聖水が必要だ。それを製造するのは梓彩、お前の肉体だ」
     豚たちが手にホースのついたゴーグル、マスク、Tバックを持ってきた。
    「今からこれらをお前の体に装着する。まずはマスク。この先端部分が金属でできているホースは餌を胃袋に送り込むもので、お前の口に刺し込まれる。先端が金属であるのは,お前が舌を噛んで死ぬのを防止するためだ」
     聞いているだけでもぞっとする。梓彩の顔から見る見るうちに血の気が引いていく。
    「Tバックはお前の股間に装着され、尿、便、月水などあらゆる排泄物をバキュームによって直ちに吸引、股間を常に清潔に保つ。勿論、温水洗浄付きだ。そしてこのゴーグルこそが最も重要な部品。これでお前の目を完全に覆い、透明のホースから涙を採取する」
    「ま、まさか聖水って」
    「そうだ。お前の流す『涙』だ!」
    「くっ、くっ」
     手足に力を入れて、磔台から逃れようと踠く梓彩。 
    「無駄だ。自力でその身体拘束から逃れることなどできるものか」
     豚たちが装備品を手に梓彩に迫る。
    「嫌っ、来ないで!」
     必死に磔から逃れようとする梓彩。だが、逃れるどころか、徹底した身体拘束によって動かせるのはせいぜい手足の指くらいのものだ。
    「さあ、装着してやれ」
    「お願い、やめてえ!お願いーっ!」
    「五月蠅いから早く口を塞げ」
     悲鳴を上げる梓彩の口を塞ぐようにマスクが口に装着される。
    「うぐうーっ、うぐうーっ!」
     金属の先端を持つパイプが口の中に挿入された。これで梓彩は舌を噛んで死ぬことはできない。
     その後、Tバックが装着。
     そして最後にゴーグルが装着された。
    「作業、終わりました」
    「これで、お前は完全に『聖水製造機』となったわけだ、梓彩」
     大の字に身体を拘束され、顔面や股間から幾つものパイプを出す梓彩の姿。その姿はまるで手術台に固定されている改造中のサイボーグのよう。梓彩に施された徹底した身体拘束はこうしたパイプが破損しないためのものだ。
    「上手くいくかどうか早速、聖水の採取を開始しろ」
     脇にあるコントロールパネルのスイッチが押された。すると大字架の両側から四つの「機械の手」が出てきた。それらが梓彩の脇の下と脇腹をコチョコチョと擽り始めた。徹底した身体拘束の中、胸や脇腹にコルセットが嵌められていなかったのはこのためであった。
    「!」 
     直ちに梓彩は脇の下と脇腹にくすぐったさを覚えた。
    「うううーっ、うううーっ、うううーっ!」
     腰を激しく左右にくねらせながら梓彩が笑い始めた。それに合わせて目からは「笑い涙」が零れ始めた。
    「おお、出てきた、出てきた」
     透明のホースを伝って聖水が下へと向かって流れてくる。ホースの先には200㎖のメスフラスコが置かれていた。
    そう。聖水とは「梓彩が流す涙」のことなのだ。
     その記念すべき「最初の一滴」がメスフラスコの中に落ちた。
    「うううーっ、うううーっ!」
    「これから先、お前には毎日150㎖の聖水を放出してもらうことになる。今日は最初だから私が自ら150㎖溜まるまでの時間を計測してやろう」
     水道水ならば150㎖など蛇口を捻って「ものの1秒」だが、聖水となると話が違う。
    「うーっ、うーっ、うーっ!」
     くすぐったさから逃れるべく梓彩は舌を歯で噛み切ろうとした。だが出来ない。それができないように口の中に押し込まれたホースの先端部分は硬い金属でできているのだ。どんなに苦しくても死ぬこともできない梓彩。手足を動かせず、舌も噛めない梓彩はこれからの人生、ひたすら擽られ続けるのだ。
     ぎゅっと握りしめていた梓彩の手の指が、花が咲くように開いた。
     実に女らしい細くて長い指。そしてその付け根に当たる手の平の何と小さなこと。よくもまあ、こんな手で危険な断崖絶壁を登れるものだと思わずにはいられないほど華奢なつくりをしている。男性がちょっと強く握手しただけでポキポキッと音を立てて壊れてしまいそうだ。梓彩の手を見ていると「女性の体はこわれもの」という言葉が思い出される。

     それから、いくらの時間が過ぎただろう。
    「よーし、予定の150㎖が溜まったぞ」
     最も重要な部位への微弱電流が停止された。
    「時間は・・・4時間と39分。結構かかるもんだな。まあよい。これを基準に時間を逆算すればいいわけだ。儀式は毎朝10時からだから、余裕を見て8時間前とすると聖水の採取は深夜の2時から開始すればいいわけだ」
     ヨー・シローは梓彩の聖水がたんまりと溜まったメスフラスコを手に取った。
    「これは明日の儀式で使用するとしよう。んー、いい香りだ」
     ヨー・シローは聖水の匂いを嗅いでから栓をした。
    「健康管理をしっかりと頼むぞ。決められた時間に決められた栄養分を含んだ餌を与え、尿や便を出させ、血圧や体温も計るんだぞ。この雌は大事な大事な『聖水製造機』なのだからな」
    「総裁、一つ、いいでしょうか」
    「なんだ」
    「別に大事になどしなくても、代わりの雌など、いくらでも捕まえられます」
    「お前は判っていない!」
     ヨー・シローは質問してきた豚を一喝した。
    「この雌は他の雌とは違うのだ!」
     確かに、梓彩はチャーミングで美しい女性だ。だが豚にとってはそんなことは問題ではない。豚にとっては腰の括れのないポッチャリした雌こそが美人なのだから。
    (この雌は実に恐ろしい雌なのだ)
     ヨー・シローは梓彩の「底知れぬ魅力」を恐れていたのだ。
    ヨー・シローは「マカロニャン騒動」を知っていた。改造猫マカロニャンが人類を滅ぼし、地球を猫の星にしようとしていた時、それをタマが阻止したことを。ではなぜタマは同胞である猫を裏切って人類に味方したのか?それはタマが梓彩のことを大好きだったからだ。梓彩はタマの心をがっちりと掴まえることによって人類の危機を救った「聖女」なのだ。そんな女をどうして自由になどできよう?ならばさっさと殺せばいい?とんでもない!殺せば別の場所に「新しい聖女」が誕生するだけだ。聖人とはそういうものだ。殺しても殺しても次から次と誕生する。ならば殺さずに閉じ込めておくに限る。そしてその肉体から聖水を搾れるだけ搾り取る。それを毎日、供えることで人間に家畜として扱われ殺された豚の霊を供養するのだ。だから聖水は「人間の苦痛の証」でなければならない。梓彩に対し必要以上に苦痛を与える徹底した身体拘束による拷問の姿勢はそのためであった。
    「わかったな。絶対にこの雌を死なせるなよ。この雌が生きていてこそ我々豚一族の繁栄は約束されるのだ」



  •  でもって、時代は今に戻る。
     聖水の採取はぎりぎり間に合い、聖水の溜まったメスフラスコがヨー・シローのもとに届けられた。ヨー・シローはメスフラスコの栓を取ると聖水を聖杯に注ぎ入れた。
    「よし。これでいい」
     ヨー・シローは梓彩の聖水が入った聖杯を自分の鼻へ持っていった。
    「んー、いつ匂ってもいい香りだ」
     豚である。味覚よりも嗅覚の方が断然、肥えている。
    「総裁、申し上げます」
     執事のオー・サムが、ヨー・シローのもとへやってきた。
    「どうした?」
    「悪い知らせでございます。浦安基地が人間どもによって制圧され、クィーン・アム様が殺された模様です」 
    「そうか」
     ヨー・シローは正妻が殺されたと聞いても平然としていた。というのもヨー・シローはこの時期、既に勝ち気な性格のクィーン・アムに嫌気がさしていたのだ。実のところヨー・シローは「お前に素敵な城をプレゼントしよう」といってクィーン・アムを浦安基地へ追いやっていたのだ。
    「ならば、あれのことも供養せねばいかんな」
     その後、ヨー・シローは聖杯を手にいざ慰霊塔へと向かった。



     次回は10月2日(金)の予定。
     お楽しみに。





  •  連戦連勝の人民軍が銅鐸の塔を目指して進軍する。
    「ここから先、基地になる様な大きな建物はもうない」
     JR津田沼近辺には高層マンションやデパートが立ち並ぶが、湾岸道路沿いにはそうした大型の建物はない。
    人民軍は谷津干潟の二股を右手に曲がった。空は快晴。道端には蒲公英の綿帽子が幾つも風に揺れている。左に緩やかに曲る道を進む。
    「ついに来たな」
     銅鐸の塔からおよそ1km。人民軍が今いる場所はPIPIRUMA工業地域の西側にあることからウエスト・ビレッジと呼ばれている、かつては豊砂と呼ばれていた地域。
     人民軍のいる場所から200m先を流れる浜田川。その上に架かるメッセ大橋の奥にPIPIRUMA工業地域が広がる。メイン通りの左手にある建物は、かつては「幕張メッセ」と呼ばれていたPIPIRUMAグループ最大の製造工場。右手にあるのは昔ながらの千葉マリンスタジアム。そのマリンスタジアムの奥に銅鐸の塔がはっきりと見える。
    「よし、行くぞ」
     人民軍が進軍を再開した。
    「なんだ」
     メッセ大橋の上に何やら黒い物体。近づくと、それは一匹の雌の黒豚であった。
    「私の名はマリコ。ここから先は誰人たりとも通さない」
     その姿を見た人民軍の兵士たちは笑った。
    「たった一匹でか?」
    「ははははは」
     だが、コックローチは誰一人として笑わなかった。百戦錬磨のコックローチはマリコから漂う凄腕の者にしか決して発することのできない「ただならぬ殺気」を感じていた。
     やがて兵士のひとりが次のように言った。
    「トウキョウXに『何ができる』ってんだい?」
     この一言が開戦の号令となった。自分を北京黒豚の交雑種であるトウキョウXと誤認されたマリコは激昂した。
    「私をあんな三元豚と一緒にしないで!」
     マリコは後ろ足で立ち上がると天に向かって前足を高々と挙げた。
    「夫の仇、覚悟!」
     青空に黒い雨雲が黙々と沸き立つ。瞬く間に辺り一面、薄暗くなった。突然、空から雹のようなものが人民軍に降ってきた。だがそれは白くなく、黒かった。年配のジミーには直ちにそれが「石炭」であることが分かった。そして路上に落ちた石炭が燃え始めた。たちまち辺りは黒い煙で包まれてしまった。
    「ごほごほ」
     煙が視界を遮り、さらには呼吸を困難にする。逃げ場さえも分からぬまま兵士たちが次々と倒れる。
    「我が必殺の『ブラック・ダイヤモンド』の中で息絶えるがいい!ほほほほ」
     煙の奥からマリコの狂気の叫びが聞こえる。このままでは拙い。
    「みんな走れ。一気に橋を突破するんだ」
     ジミーが走る。望も烈も勇気も走る。コックローチはどうにか煙の中から脱出した。だが他の兵士たちは脱出することができない。「リングワンデリング」の罠にはまっていたのだ。
     リングワンデリング。視界のきかない場所だと人間は真っ直ぐに歩くことができず、真っ直ぐに歩いているつもりで同じ場所をぐるぐると回ってしまう。コックローチは全員、登山経験があったからリングワンデリングに陥らなかったのだ。
     煙から脱出したコックローチに、さらなる恐怖が襲いかかる。
    「ペイント・イット・ブラック!」
     海の中でもないのに、烏賊の大群がまるで鳥のように飛翔しながらコックローチを襲う。
    「うわあ」
    「なんだこりゃあ」
     全身、烏賊墨に塗れるコックローチ。
    「ひひひひ。ブラック・ウィドウの恐ろしさを思い知るがいい」
     ブラクック・ダイヤモンドといいペイント・イット・ブラックといい何と見事な手並み。そういえば先程、マリコは「夫の仇」と叫んだ。ブラック・ウィドウとは夫を失った寡婦のことだ。
     まさか、マリコの夫とは!?
    「うっ」
    「体が」 
    「体が痺れる」
     突然、コックローチたちの体が痺れだした。
    「これは毒か!」
    「その通り。その墨には毒が仕込まれている。お前たちの体は徐々に痺れて動けなくなる」
     ジミー、望、烈、勇気はその場で片膝をついた。
    「ほほほ。私の芸術ともいえる華麗なるマジックの前には、お前ら如き敵ではないわ」 
    「まさか、お前はヨー・マンの」
    「そうよ。私は天才マジシャン、ヨー・マンの妻!」
     ヨー・マンは恐るべき敵だった。コックローチの体にはヨー・マンに翻弄された時の恐怖が今もなお鮮明にこびりついている。そしてマリコもまたそれに勝るとも劣らない腕の持ち主だ。コックローチが並々ならぬ殺気を感じたのは、やはり偶然ではなかった。
     それだけではない。このマリコは非常に「由緒正しい豚」であった。
     マリコの品種は「島豚(アグー)」。その名からもわかる通り「沖縄発祥の豚」だ。外見は見ての通り黒毛に覆われ、本来「黒豚」と言われるのはこの種なのだが、明治以後バークシャー種にとって代わられた。愚かしくもニッポン人の手により外国種との交雑が進められた結果、もはや「純血種は存在しない」と言われている島豚だが、マリコは唯一の生き残りなのであった。
    「ううっ」
     やがてコックローチは全員うつ伏せに倒れてしまった。
    「こんな弱っちい相手に夫が負けたなど、信じられないわ」
     そういえば、ヨー・マンを倒した聖斗はどこにいるのだろう?
     マリコは背後に人の気配を感じた。
    「お前、いつの間に?」
     マリコの後ろ20mほどの位置に立っていたのは聖斗。
    「別に。念のために橋の中央ではなく手摺りの上を綱渡りの要領で走っただけさ」
     やはりマリコを倒せるのは聖斗か。
    「わかった、あなたが私の夫を倒したのね」
     マリコの顔に怒りの小皺が浮き上がる。その表情はまさに「豚の般若」を思わせる。
    「あなたのマジックを見せて頂戴」
    「そんな余裕を見せていていいのか?」
    「いいことを教えてあげる。私のIQは700。ヨー・シロー総裁の次に優れている。人間なんて敵じゃないわ」
    「まあ、利口なことで」
     聖斗は蒲公英の綿帽子を取り出すと、ふうっと一息吹いた。綿帽子がたちまち周囲に広がる。石炭の煙が燻る黒い世界から一転、辺り一面、白い世界に変わった。
    「成程。白い世界で私の黒い体はっきりさせることで、私の動きを『見極めよう』という魂胆ね。だが、こんなもの私には通用しなくってよ」
    「ふっ」
     聖斗が白いカードを取り出す。
    「お前に、この白いカードが避けられるかな」
     聖斗がカードをマリコに向かって投げ始めた。白いカードは白い綿帽子が舞う世界では、確かに見づらかった。
    「このカードには麻酔が塗ってある。悪いが寝てもらう」
     カードを投げ続ける聖斗。だがマリコはIQ700の天才豚だ。白い綿帽子と白いカードを的確に区別し、適切に避ける。
     やがて聖斗のカードが底をついた。
    「ははは、もう終わりの様ね」
     不敵に笑うマリコ。同じように聖斗もにやりと笑った。
    「はっ」
     マリコは背後に気配を感じた。それもすぐ傍に。
    「キャン!」
     それはテラだった。白い綿帽子に紛れてテラが背後から忍び寄っていたのだ。後ろを振り向いたマリコの鼻にテラはガブリと嚙みついた。
    「ブヒーブヒー!離れなさい。この犬っころがーっ!」
     頭を振り回すマリコ。必死に噛みつくテラ。テラのことしか眼中にない間に、聖斗がマリコに接近した。
    「しまった」
    「悪いな。『鈍亀のひと突き』」
     聖斗はマリコのボデ腹に一撃を加えた。
     これですべては終わるはずだが。
    「ぶひひひ。そんな攻撃、わたしには通用しない」
     マリコのボデ腹がトレッキングポールをはじき返した。
    「ばかな」
    「これでも喰らいなさい」
     マリコが頭を振る。聖斗はもろにテラを顔面に喰らった。
    「ぐわあ!」
    「キャン!」
     一度に聖斗とテラの両方を仕留めるとは、さすがはIQ700!
    「ぶひー、痛い痛い」
     テラに噛みつかれた個所から血が流れる。その姿はまるで鼻血を出しているようだ。
    「私を本気で怒らせたことを後悔するがいい」
     マリコは後ろ足で立つと、前足を天に向かって高々と挙げた。
    「さあ、受けるがいい。『ブラック40』!」
     空から黒い雨が聖斗とテラに降り注ぐ。いや違う。これはマリコの体毛だ。島豚特有の硬くて長い体毛が雨のように降り注いでいるのだ。鋭く尖った体毛が聖斗とテラの体に突き刺さる。
    「い、痛い!」
    「キャンキャン!」
     体毛といっても体に突き刺されば縫い針と同じだ。
    「うああああ」
    「キャンキャンキャン」
    「ははははは、痛いか、痛いだろう」 
     体毛の雨に耐え兼ねた聖斗もまた、他のコックローチ同様、うつぶせになって倒れ込んでしまった。

     (聖斗、聖斗)
     
     遠のく意識の中で聖斗は何かが呼ぶのを聞いた。これは、まさか?

     (聖斗、私を呼ぶのだ)

     聖斗は自分を呼ぶ声の主を知っていた。聖斗は薄れていく意識の中で、最後の気力を振り搾って声の主を呼んだ。
    「何だ、この圧倒的な威圧感は?」
     マリコは銅鐸の塔を見た。威圧感は銅鐸の塔の中から発していた。やがて銅鐸の塔から一筋の光の矢が飛んできた。光の矢がマリコと聖斗の間に落下した。
    「ブヒーっ!」
     強烈な閃光にマリコは顔を前足で覆い、後ろに後ずさりした。
    光が収まる。
    「聖斗」
     マリコは聖斗が武器を手に立ち上がっているのを目撃した。
    「戦いはこれからだぜ、マリコ」
     聖斗の右手に握られていたのは草薙剣。草薙剣が聖斗の一念によって銅鐸の塔の金庫の扉をも突き破って聖斗のもとにやってきたのだ。

    「聖斗、その剣は一体?」
    「マジック合戦は『お前の勝ち』だった。だが、この戦いは俺が勝たせてもらう」
    「そんなことできるものかー」
     マリコが再び両前足を天に高々と挙げた。
    「喰らえ、ブラック40!」
    「はあっ」 
     ギンヤンマの能力を得た聖斗が空高く舞い上がった。
    「『マジックの種』よりもさらに上に高く飛べば、体毛は降ってこない」
     精剣を手にした聖斗は無敵だ。
     だが。
    「ほほほほほ」
     マリコは高笑いをした。
    「ならば、私も奥の手を出させてもらうわ」
     奥の手?
     聖斗は一旦躊躇したが、いかなる奥の手があろうが草薙剣と対等に戦えるわけがない。思い直した聖斗は迷わず上空からマリコめがけて突進した。
    「今こそ我が両腕に生えろ、剣よ!」
     マリコはそう叫ぶと両腕を天に向けて高々と挙げた。すると両腕がたちまち二本の黒い鉄剣に変わった。
    「やあっ」
     マリコが右腕の鉄剣を振った。激しい衝撃波が聖斗めがけて襲い掛かる。衝撃波によって聖斗は最初にいた位置にまで押し返されてしまった。それだけではない。気が付けば周囲は石ころだらけの月面世界と化していた。
    「バカな、これは幻覚か?」
    「ふふふ」
    「マリコ!」
    「私の剣が作り出した世界にようこそ」
    「まさか、その剣は」
    「その『まさか』よ。あなたの手にする草薙剣同様、この陽炎剣もまた精剣のひとつ」
     なんということだ。ここに来て「精剣同士の戦い」とは。しかもマリコの手にする剣は「戦場となる月面世界」そのものまでも作り出せるというのか。
     その精剣だが、聖斗はなんとなく過去にどこかで「見覚え」がある気がした。どこだろう?思い出せない。更に聖斗は思考する。いくら知能があるとはいえ豚は豚。どうして精剣を操れるのだろう?わからない。わからないことだらけだ。
    「先程までの元気はどこへ行ったのかしら、聖斗?」
    「ううっ」
    「では、こちらから仕掛けるわよ」
     マリコが再び右腕の陽炎剣を振り上げた。すると巨大な竜巻が発生。巨大な竜巻が聖斗を飲み込んだ。
    「うわあああ!」
     脱水機の中の洗濯物のように空中でグルグルと回る聖斗。いかに草薙剣に飛翔能力があるとはいえ、これはたまらない。
    「このままでは、やられる」
     聖斗は竜巻の目に当たる中心部に飛び出した。そこは渦が巻いていないからだ。
    「出てきたわね」
     マリコは聖斗に向かって左腕の陽炎剣を振った。
    「なに!」
     すると左腕の陽炎剣から巨大な昆虫の顎が出現。顎が聖斗に襲い掛かる。
    「うわあっ!」
     かろうじて顎に挟まれるのを躱す聖斗。聖斗の肩の衣服がズタズタに切られた。大地に倒れ込む聖斗。額にツツーと血が流れる。
    「ふふふ、この陽炎剣にはね『薄刃蜉蝣の能力』が宿っているのよ」
     竜巻はアリジゴクで、顎はウスバカゲロウの幼虫の顎。陽炎剣(蜉蝣剣)とはまさに攻防一体の戦陣を誇る恐るべき剣なのだ。
     まさか、こんな展開になるとは。
    「うう」
     聖斗は立ち上がった。
    「貴様、何で精剣を操れるんだ?」
     精剣は人のもの。それを豚が操ることを聖斗は不思議に思った。
    「豚が精剣を操れることがそんなに不自然かしら?いいわ、教えてあげる。私は只の豚ではない。私は偉大なる島豚の女王。そして私こそ『摩利支天の生まれ変わり』なのよ」
    「摩利支天」
     この時、聖斗は思い出した。それは父である望とふたりで甲斐駒ヶ岳に登った時のこと。

     甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根。
    「はあはあはあ」 
    「どうした聖斗、疲れたか?」
    「いえ」
    「無理もない。この黒戸尾根はニッポン有数の急登ルートだからな」
     登山口から甲斐駒ヶ岳山頂までの標高差は2200m。上高地~奥穂高岳山頂の標高差1690mを遥かに凌ぐ。
     ふたりは標高2000mにある刀利天狗を超えて、やがて2500m地点にある8合目御来迎場に到着。そこからさらにその先の岩場を乗り越える。すると突如、視界が開け、その奥に摩利支天と呼ばれる大岩が出現した。
    「あれは?」
     その摩利支天の上には何やら棒のようなものが二本、突き刺さっていた。
    「鉄剣だよ。あんな場所に一体全体、誰が刺したんだろうな?」
     天へと突きあげる二本の鉄剣。この印象深い光景を聖斗は「登山の思い出の一つ」として刻み付けた。

    「そうか。そういうことか」
     摩利支天は陽炎を実体化した神だ。そしてその姿は古来より「猪の背に乗る天女」として描かれる。そしてマリコの両前足と一体化した二本の鉄剣は紛れもなく摩利支天の大岩の上に突き刺さっていたもの。
     全ての謎は解けた。マリコは摩利支天の化身なのだ。即ち「摩利呼」。
    謎が解けたことで聖斗の頭はすっきりした。頭がすっきりさえすれば敵の攻撃に対する対策も考えつく。
    「ならば」
     聖斗が飛んだ。
    「バカめ」
     マリコが再び竜巻を作り出す。聖斗は自ら竜巻の中に飛び込んだ。渦の中で静止する聖斗。敢えて逆らうことはせず、渦に身を任せてマリコの近くまで接近する作戦だ。
    「成程ね」
     マリコはあからさまにバカにしたような調子でフフンと笑った。
    「じゃあ、こんなのはどうかしら?」
     マリコが右腕の陽炎剣の先端を一回、渦の回転とは逆の方向にクルンと回した。その直後、渦は逆向きに変わった。
    「うわあああ!」
     竜巻の中で聖斗は体勢を大きく崩した。どうやらマリコの方が一枚上手のようだ。
    「さあ、出てきなさいよー。そうしたら首を切り落としてあげるわ。その方が楽に死ねてよ」
    「くっ」
     たまらず聖斗が竜巻の目に出てきた。
    「出てきたわね。さあ、死になさい」
     マリコが左腕を突いてきた。薄刃蜉蝣の大顎が聖斗の頸に入った。聖斗の頭が飛んだ!聖斗の頭がマリコめがけて落ちてくる。
    「違う。これは頭ではない」
     だが、それは聖斗の頭ではなくテラだった。
    「これは空蝉」
     聖斗の頭が飛んだように見えたのは聖斗の仕掛けたマジックだった。聖斗はとっさにテラを自分の頭に見立てたのだ。
    「ど、どこだ」
    「ここだ」
     聖斗はマリコの後ろにいた。
    「くっ」
     慌てて後ろを振り向くマリコ。
    「遅い。『海鼠の嚏・青い波濤』!」
     起死回生の一撃。右腕の陽炎剣が横一文字に走る青い波濤によって真っ二つに切断された。相手がテラに気をとられている間に素早く背後をとり、一瞬のうちに奥義を繰り出す。聖斗の動きは、まさに孫子の兵法に記された「知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し」だ。
    「そんなバカな。陽炎剣が破れるなんて」
    「陽炎ばかり見ていないで現実を直視することは非常に大事なことだぜ、マリコ」
     右腕の陽炎剣の能力は失せ、竜巻は消えた。とともに月面世界も消え失せ、聖斗とマリコは再び現実世界へと舞い戻った。橋の上で対峙する聖斗とマリコ。
    「戦いは終わった。潔く引け、マリコ」
    「まだ剣は一本、残っていてよ」
     マリコが左腕の陽炎剣を構えた。
    「仕方がない」
     聖斗は草薙剣を鞘に納めると片手平突きの構えをした。
    「行くぞ」
     聖斗がダッシュ。
    「鈍亀のひと突き!」
    「幼虫の大顎!」
     ウスバカゲロウの大顎が聖斗めがけて突進してくる。だが聖斗はそれを全く意に介さず大顎の中に飛び込む。大顎が閉じる。聖斗の体が大顎の牙によって切り刻まれる。
    「ブヒーっ!」
     大顎が聖斗の体を完全に噛み砕く寸前、草薙剣がマリコの腹を捉えた。先程はトレッキングポールをはじき返したが、今度ははじき返せなかった。
    「ううーっ」
     マリコはその場に蹲った。
    「戦いは終わった。習志野台へ行け。そこには、お前の仲間たちがいる」
     マリコがゆっくりと立ち上がる。 
    「私も舐められたものね」
    「自分は、女は殺さない主義だ」
    「いいわ、だったら」
     マリコは折れて短くなった右腕の摩利支天の刃で自らの胸を突き刺した。
    「な」
    「誇り高き島豚は『人間のお情け』など受けない」
     そしてさらに。
    「さらばよ、聖斗!」
     ブラック・ダイヤモンドの炎で自分の肉体を地上から消滅させるマリコ。誇り高き「沖縄の黒き女王(ブラック・クィーン)」の最期。
    こうして「精剣VS精剣の戦い」は終わった。そして精剣同士の戦いは、その秘められた能力の強大さゆえに深手が避けられない。
    「ううっ」
     かろうじて勝利した聖斗だったが、聖斗もまた全身に傷を負った。その場で膝をつく聖斗。
    「くそう。銅鐸の塔を目の前にしながら『足踏み』とは」
     聖斗は皇居で話を聞いて以来、梓彩のことを片時も忘れたことはなかった。
    「こうしている間にも梓彩は」
     聖斗は梓彩が「生きている」と確信していた。聖斗は今すぐにでも銅鐸の塔に向かい、梓彩を救出したかったのだが。立ち上がり歩き出す聖斗だったが、再び膝をついてしまった。
    「どうやら傷は深いようだ」
     今の聖斗には安静が必要だった。

     辛くもマリコを撃退した人民軍だったが、被害は深刻だった。たった一匹の豚に全員が大なり小なり負傷した。しかも聖斗は全身に傷を負い、他のコックローチのメンバーも烏賊墨の神経毒に侵された状態とあっては進軍もままならず、人民軍は銅鐸の塔を目前にしながら進路を北へ変更、秋津野球場内に陣を敷いて回復を待つ以外にないのだった。



  • 次回予告

  •  銅鐸の塔を訪れた子豚のチャンは
     研究室で大の字に磔にされた梓彩を見た。
     大人たちが梓彩から聖水を取り出す作業に不審を抱いたチャンは
     親友のジュリーを引き入れ、梓彩の救出を試みるのだが・・・。

  • 続々・コックローチ7

  •  10月16日(金) 公開。





  •  銅鐸の塔。
     ある日、子豚のチャンは父の仕事場に姿を現した。
    「チャン。子供が大人の仕事場に来てはいけないよ」
    「パパ。ぼく、パパのお仕事が見てみたい」
     必死に懇願するチャン。
    「しょうがないな」
     父は折れた。父には活発で好奇心に富む我が子チャンが可愛くてしょうがなかった。殺菌処理を済ませた親子は仕事場へと入った。
    「あっ!」
     チャンは「見てはいけないもの」を見た気がした。
     そこには人間の雌が大の字に磔にされていた。口や股間など幾つものパイプが繋がっている。チャンは気持ち悪くなってきた。
    「パパ、これって何なの」
     この時、梓彩の周りでは豚たちが梓彩の体の動きを厳しく規制する肘と膝の枷の取り外しにかかっていた。
    「ああ、今から聖水を採取するんだ」
     チャンはチューブやパイプについて尋ねたのだが、父は質問を取り違え、これから始められるメニューについて返答した。それにしてもどうやって採取するのだろう?
     その答えは、いたって簡単だ。
    「所長、準備ができました」
     どうやらチャンの父親が、この研究室の所長らしい。
    「では始めろ」
    「はっ」
     四つの機械の手が梓彩の脇の下と脇腹を擽り始めた。
    「ううーっ!うぐうーっ!」
     くすぐったさに呻き声を発する梓彩。
    「うぐう、うぐううーっ!」
     眉間に皺を寄せ、目から次々と涙が零れ落ちる。
    「大体,4時間で必要な量の聖水が採取できるんだ」
     父から説明を受けるチャン。だが、チャンの目に映る梓彩は見るからに苦しんでいるみたいだ。
    「パパ、あのお姉ちゃん、とても苦しそうだよ。いいの?」
    「それが重要なんだ。聖水は人間に殺された豚の霊を供養するためのもの。だから人間を苦しませて採取したものでなければ意味がないんだ」
     父の説明にチャンは、どうしても納得することができない。
     豊満な胸、細く括れた脇腹、大きく左右に張り出す良く発達した骨盤。それらを包み込むタートルネックの黒いセーターにグレーのジャンパースカート。それは豊満さを美しいと感じる豚の美意識とは明らかに違っていたが、チャンは梓彩の肉体に何とも言えない魅力を感じていた。
     
     翌日、チャンは同じ教室に通う子豚のジュリーに昨日見た恐ろしい出来事を話した。大ヨークシャー種が多数を占める千葉の中で、ジュリーは珍しい中ヨークシャー種である。中ヨークシャーは大ヨークシャーよりも体が小さく、足が短く、顔がつぶれているのが特徴。お世辞にも見てくれは良くない。はっきり言って不細工だ。
    「ジュリーはどう思う?」
     ジュリーは次のように言った。
    「それって、良くないと思うな」
     いかなる生き物であれ子供は「素直」なものだ。
    「でも大人たちはきっと止めないと思う。本気であのお姉ちゃんを『悪者』だと思っているんだもの」
    「そうだ、いいことを思いついたぞ」
    「なに、いいことって」
    「耳を貸せ」
     ジュリーがチャンに自分のアイデアを聞かせた。
    「いいね、それ。きっとうまく行くよ」
    「よし、やろう。ぼくたちの手で、その可哀想なお姉ちゃんを救ってあげようじゃないか」

     研究室に二匹の子豚が現れた。
    「今日は友達と一緒に来ました」
     前回、父親と一緒に来ていたので真夜中の1時とはいえ、研究員たちは別段なんとも思わなかった。
    「今から、何をするんですか?」
    「ああ。ツボを押すんだ。ツボを押して血行を促進させるんだよ」
     梓彩の足の裏のツボが押され始めた。
    「ううーっ!ううーっ!」
     大の男でも悲鳴を上げるツボの激痛。まさにこれは拷問だ。可哀想で見ていられない二匹だったが、目を背けたら怪しまれる。チャンとジュリーは必死に梓彩が苦しむ姿を眺め続ける。そんな時、ジュリーが目を背けるのにグッドなものを見つけた。左脇にある棚の上に、このお姉ちゃんのものと思われるハンドバッグや腕時計などが文字通り展示されていたのだ。
    「おじさん、これって何?」
    「ああ。あの人間の雌の持ち物さ。これ見よがしにここに飾って昔を懐かしめるようにしてあるのさ」 
    「昔を懐かしめるように?」
    「ああ。あの雌、昔はこうしたもので着飾って毎日を過ごしていたんだ。ま、今では見ての通りだがな」
    「ふうん」
     二匹は梓彩の持ち物を眺めることで、梓彩の呻き声を必死に聞かないようにした。

     2時。
     ツボ押しが終わり、いよいよ聖水の採取が開始された。ゴーグルと繋がるホースを伝って聖水が滴り落ちてくるのを眺める二匹。
    「これが厄介でね。いつも大体4時間くらいかかるんだ」
     この研究員の愚痴をチャンは「好機」と見た。
    「だったら、ぼくたちが見ていてあげるよ。おじさんたちは寝てていいよ」
    「そうかい。だったら頼んじゃおうかな」
     研究員たちが隣の仮眠室へと去る。
    「上手くいったじゃないか」
     喜び合う二匹。こうも上手くいくなんて。
    「まずはスイッチを切らなくちゃ」
     チャンが操作パネルのボタンやダイヤルをいじる。どうやら上手くいったようで、四つの機械の手は動きを停止した。
    「次に枷を外すんだ」 
     こうして梓彩は三年ぶりに手足を自由に動かせるようになった。最初こそふらついたものの、すぐに二本の足ですっくと立った。普通の女性であれば三年間も体の自由を奪われていたら筋力が落ちて到底、不可能だっただろうが、若い頃からフリークライミングが趣味の梓彩の筋力はそれを可能としていた。
    「お姉ちゃん、大丈夫?」
    「あなたたちは?」 
    「ぼくたち、お姉ちゃんを助けたいんだ。どうすればいい?」
     この部屋を出て建物から逃げ出すのが道理だ。だが、梓彩はそれを否定した。
    「さっきの状態に戻して」
     梓彩は二匹にむかってそう言った。
    「どうして?逃げたくないの」
    「勿論、逃げたいわ。ここでの暮らしは地獄ですもの。でも」 
    「でも、なんなの?」
    「そんなことをすれば、あなたたちが罰を受けるわ」
     これが梓彩だ。梓彩は自分の身よりも二匹の子豚たちの身を案じているのだ。
    「だから、元に戻して頂戴」
    「でも」
    「いいの。あなたたちの優しい気持ちだけで、私はとても嬉しいわ」
     チャンとジュリーは心から感動を覚えた。「人間は自分たちを殺して食べる悪い奴らだ」と教えられていたけれど、それがはっきりと「間違いである」ことを知ったのだ。
    「それは事実よ」
     だが、梓彩は二匹の感動に水を差した。
    「私だって豚の肉は沢山食べたわ」
    「そんな」 
    「だから私がこうして酷い仕打ちを受けるのは、あなたたちから見たら当然のことなのよ」
    「でも」 
    「さあ、元に戻して」
    「わかったよ。でも、その前に」
    「なに」
    「あそこにあるもの、着けてみてよ」
    「わかったわ」
     梓彩は言われた通りにそれらを身につけた。久しぶりに胸に飾るダイヤのブローチに腕時計やハンドバッグ。そして靴。
    見るからにてきぱきと仕事のできる「賢い女性秘書」の出来上がり。
    「どう、似合ってる?」
    「とってもきれいだよ」
     二匹は心の底から梓彩を綺麗だと思った。この思いこそ、かつてタマが梓彩に感じたことと同じものだ。梓彩の人間性が如実に示されたカッコいい服の着こなし、しなやかな手足の動き、そして妖艶さと愛らしさの両方を備えた顔の表情こそが梓彩の姿を綺麗に見せる源であった。
    「ありがとう」
     梓彩もまた心の底からそう言った。思えば、このハンドバッグもブローチも、翔太にプレゼントされたのはもう三年以上も昔のことだ。その後、梓彩は自らの意思でそれらを元の棚に戻した。もう二度と手に持てないかもしれないそれらの品々に梓彩は思いを馳せた。
    「さあ、私を元の姿に戻して頂戴」
     二匹は泣く泣く梓彩に従った。梓彩は再び磔台に拘束され、最も重要な部位に微弱電流が流された。
    「ううーっ!」
     再び梓彩の最も重要な部位から聖水が溢れ出し、メスフラスコの中へと滴り落ち始めた。勿論、苦しい。だが今の梓彩の心にはそれまでの絶望の闇はなく、強い意志の炎が明々と燃え盛っていた。それはこの二匹の子豚のためにも「今は耐えなければ」という意志であった。二匹の優しい子豚たちを傷つけないためにも、逃げ出すのはあくまでも「自力でやらなくては」という意志。だが、それは生易しいことではない。可能性は限りなく「ゼロに近い」といえるだろう。

     8時。
     研究員たちが戻ってきた。
    「ありがとう、おかげでぐっすり眠れたよ」
    「ええ」
    「おお、しっかり溜まってるな」
     メスフラスコには聖水が、いつもよりも多いくらいタプンタプンに溜まっていた。それを満足する研究員たち。だが、梓彩の目に光が戻っていたことに研究員たちは誰も気がつかなかった。

    「うーっ、うーっ!」
     きょうもまた聖水を搾り取られる梓彩。
     決意したものの、現実はやはりシビアだ。
     手に力を込める。動かない。
     足に力を込める、やはり動かない。
     手足を動かせない。逃げられない。
    アニメやマンガのように手足を拘束する枷をバンバンと弾き飛ばすなど所詮は無理な話。強靭な男ならまだしも、か弱い女性である自分の力では、やはり磔台から脱出するのは無理だ。
    (逃げられないのなら、耐えるしかない。耐えなくちゃ、耐えなくちゃ)
     梓彩の戦いは続く。



  •  梓彩に諭されたチャンとジュリーだったが、まだ梓彩の救出を諦めたわけではなかった。
    「要は『ぼくたちが手助けした』ことが大人たちにバレなければいいんだ。お姉ちゃんが自分で逃げたように見せることができればいいんだ」
     その方法を二匹は連日、話し合うのだった。
     二匹は必死だった。真剣だった。何としても、あの綺麗で優しいお姉ちゃんをぼくたちの手で助け出さなくては。しかし名案はなかなか浮かんでこなかった。
    「やはり、ぼくたちで助け出すしかないよ。『ぼくたちのことは心配しないで』と言ってお姉ちゃんを説得するんだ」
     二匹は研究室へと向かった。
    「扉が開かない」
     研究室の扉に鍵がかかっていた。どうやら研究員全員がどこか別の場所にいるようだ。鍵がかけられているのではどうしようもない。二匹は来た道を引き返す。その時、ジュリーが次のような気紛れを言わなければ、今日は「これでおしまい」だっただろう。
    「せっかく来たんだ。いろいろ探検してみようぜ」
     扉は中央廊下の左右にまだまだ幾つもあった。中を覗いてみる価値は十分にありそうだ。
    「よし、わかった」
     チャンも同意した。二匹はいざ冒険を始めた。
     二匹は研究室から20mほど離れた場所にある扉を開いた。そこには鍵はかかっていなかった。
    「なんだ、ここは?」
     そこは他の部屋とは異なり、屋根が蒲鉾状になっている部屋だった。広さは200畳ほど。奥に蝋燭が二本灯る。どうやら須弥壇のようだ。
    「いってみよう」
     二匹は須弥壇の傍まで近づいてみた。
     本来、須弥壇には厨子が置かれている。だが、そこには銅鐸の塔そっくりのミニチュアが置かれていた。ミニチュアといっても高さは3mほどもある。
     これこそが核戦争を引き起こした張本人、ジコマンコンピュータであった。
     ジコマンコンピュータは作動していなかった。
    「これ、どうやったら動くんだろう」
     ジュリーが右横に置かれた直径60cmの鈴(りん)を見た。
    「これを叩くんじゃないか」
    「なるほど」
     チャンが棒でリンを叩いた。室内にゴーンという鈴の音が反響した。
     正解。ジコマンコンピュータが目覚めた。胴のハーフミラーがランダムに白く点滅し始める。
    「きみたちは何故、ここに来た?」
    「うわっ、しゃべった!」
     ジコマンコンピュータが急にしゃべったので、二匹は驚いた。
    「もう一度問う。君たちは何故、ここに来た?」
    「なぜって、冒険さ。建物の中を冒険しているのさ」
     ジュリーは事実をそのまま話した。
    「それより、きみこそ何なんだい?」
    「私は『ジコマン』。銅鐸の塔の主(あるじ)だ」
    「ジコマン?変な名前だね」
    「きみたちの名は?」
    「僕はチャン、こっちはジュリー」
     互いの自己紹介が済んだ。
    「そうだ」
     思い出したかのようにチャンが話し始めた。
    「この先にある研究室に人間の雌が捕えられているんだけど、きみは知ってるかい?」
    「知っている」
    「どうして、そんなことをしているんだ」
    「あの女はコックローチのひとり。そしてタマの飼い主だった」
    「コックローチ?タマ?」
     当然ながら二匹にはさっぱりわからない。ジコマンコンピュータが親切にこれら二つのキーワードについて説明してくれた。だが、どうしても腑に落ちないのは梓彩が幽閉されていることだ。
    「ヨー・シローは梓彩を恐れている。猫のタマを魅了した梓彩の魅力が、やがては豚にも同じ現象を引き起こすことを。だから幽閉しているのだ」
     二匹はそれが「自分たちのこと」だとは露にも思わない。
    「でもそれって、正しいことなの?」
    「何」
    「だから、それって『正しいことなのか』ってことさ。ぼくには『弱い者虐め』のようにしか思えないよ」
    「それは」
    「ぼく、あのお姉ちゃんが大好きだよ。だから、あのお姉ちゃんを助けたいんだ」
     ジコマンコンピュータが沈黙した。
    「あれ、停まっちゃった」
     その時。
    「お前たち、ここに入ってはいかん!」
     何と、ヨー・シロー総裁が入ってきたのだ。
    「うわっ、総裁だ!」 
    「ここは子供の入るような場所じゃない。お前たちはすぐに立ち去れ。ジコマン、次なる作戦を教えてくれ。人間どもは現在、秋津にいる」
     だが、ジコマンは返答しない。
    「どうしたジコマン?」
     ヨー・シローはジコマンコンピュータに異常が生じたことを理解した。
    「お前たち、何をやらかしたんだ?答えろ!」
    「何って、質問しただけだよ」
    「質問?」
     突然、ジコマンコンピュータが起動した。
    「私は間違っていた、私は間違っていた、私は間違っていた、私は・・・」
     ジコマンコンピュータはその言葉を何度も繰り返した。
     そして。
    「弱い者を護る。それがコックローチの使命!」
     ジコマンコンピュータが輝き始めた。
    「二匹の子豚たちよ。『コックローチの精神』を持つそなたたちに大いなる力を授ける!」
     ジコマンコンピュータを包んでいた光がチャンとジュリーを包む。その姿を見たヨー・シローは驚愕した。というのも、それはかつて自分がジコマンコンピュータから受けたものだからだ。その結果、ヨー・シローはIQ800の天才豚となったのである。
     ということは、チャンとジュリーも天才豚になるのか?
     輝きが止んだ。改造が終わったのだ。二匹は姿こそ子豚のままであった。だが、その能力は今や完全にヨー・シローと対等になったのだ。
    「なんということだー」
     ヨー・シローはこの二匹の子豚が、自分が最もその出現を恐れていた「梓彩のしもべ=タマの再来」であることを認めないわけにはいかなかった。
    「くっ」
     ヨー・シローは逃げ出した。この場はそれ以外に手はなかった。外に出れば自分が改造した仲間の豚たちが自分を助けてくれるだろう。
     ジュリーはヨー・シローを追った。一方、チャンは研究室へと向かった。
    「ブヒー!」
     鼻息ひとつで扉を破壊するチャン。
    「梓彩、今こそあなたを助ける!」
     チャンは飛び上がると足蹴りで次々と梓彩の体を拘束する鉄枷を破壊、梓彩を自由にした。
    「チャン、この力は?」 
     梓彩はチャンが前回会った時のチャンとは明らかに「違う」ことを直ちに見取った。「何かがあった」ことを梓彩は察知した。
    「さあ、早くここを出よう」
    「私がここを出ても大丈夫なのね?」
    「うん。ヨー・シローは逃げ出したから、もう大丈夫だよ」
    「わかったわ」
     梓彩はチャンとともに外に出た。
     
    「待てーい」
     一方、ジュリーはヨー・シローを追跡していた。
    「うっ」
     親衛隊の壁が行く手を遮る。
    「ここから先は通さないぞ」
    「邪魔だーっ!」
     ジュリーが二本足で立つ。ジュリーは二本足で壁に向かってダッシュした。
    「シュシュシュシュシュー!」
     前足による目にもとまらぬ素早い突きが炸裂。行く手を阻む親衛隊の体を二本爪が切り裂く。数分のうちに全員、始末した。
     だが。
    「くそう!」
     ジュリーの目にローターレス・ヘリコプターが上昇するのが見えた。
    「ははははは、ひとまずさらばだ!」
     ヘリコプターは北へと飛び去って行った。悔しがるジュリーのもとへチャンと梓彩がやってきた。
    「ジュリー」
    「見ての通り、ヨー・シローにまんまと逃げられてしまった」
    「いいのよ。逃げたのなら追えばいいわ」
     その通りだ。いつかは追い詰めることができるだろう。
    「チャン、ジュリー、私を助けてくれてありがとう」
     梓彩はその場でしゃがみ込むとチャンを右手で、ジュリーを左手で抱きしめた。

    「我ら両名、只今より」
    「梓彩に忠誠を誓います」
     かくして聖女・梓彩とそのしもべであるチャン&ジュリーという「希望の三ツ星」がここに誕生、輝き始めたのである。



     来週10月30日(金)は「続々・コックローチ8」をお送りいたします。





  •  豚の生産量は鹿児島と宮崎が他を圧倒している。だが、千葉県も全国第5位を誇る。
     だが現在、千葉県に豚は一頭もいなかった。ヨー・シローの北への撤退に伴い、彼らもまた北へと移動したからだ。ヨー・シローは恐らく北海道に移動したものと思われる。北海道もまた豚の生産量全国第3位を誇る。そこを拠点に体勢を立て直すのに違いない。

     数日後、人民軍が幕張に到着した。「無血開城」だった。
    「梓彩!」 
    「皆さん」
     梓彩はコックローチとの再会を果たした。と言ってもここに帆乃香と美音はいなかった。大阪湾に停泊するチェリーは依然として動けぬ状態だった。
    「よく無事だったわね、梓彩」
    「この子たちが私を助けてくれたのです」
     梓彩は二匹の子豚、チャンとジュリーを紹介した。
    「まあ、可愛らしい!」
     和貴子とミミは、すぐさま二匹を気に入ってしまった。だが、男性陣はそうでもない。豚を相手に戦っているのだからある意味、当然である。チャンとジュリーも男性陣が自分たちを「猜疑の目」で見ていることを感じ取った。とはいえ、今は仲たがいしている時ではない。早速、バイク隊が敵の動向を探るべく、北へと派遣された。
     数日後、バイク隊が戻ってきた。
    「報告します。敵の首領ヨー・シローは日立にいる模様です」 
     日立?北海道ではないのか。
    「どうやら茨城で軍を立て直し、再び銅鐸の塔を取り戻すつもりのようです」
     茨城もまた豚の生産量第6位を誇る。
    「現在、敵の主力は水戸に集結しつつあり、近いうちにこちらに進軍するものと思われます」 
    「わかりました」
     直ちに決断を下さねばならない。
    「私たちも動きましょう」
     翌日、人民軍も万一の奇襲に備えて銅鐸の塔に和貴子・ミミ・ジミーを残し、聖斗をリーダーとして北へと軍を進めた。また、望と樹里亜はトラックを駆って大阪へと向かった。チェリーの修理に役立つかどうかはわからないが、その昔、ロング・レッグを修理した修理道具を帆乃香のもとに届けに行ったのだった。



  •  人民軍が利根川を渡り、取手に到着した。
     敵の状況を調査に行ったバイク隊が戻ってきた。
    「報告します。敵軍は水戸を出発、こちらに向かってきております」
    「ご苦労、休んでくれ」
    「はっ」
     偵察を終えた隊員が休憩所へと向かう。
    「速いな」
     聖斗は敵の動きが速いのを「拙い」と思った。もしも相手に霞ヶ浦を先に越されたら圧倒的にこちらが不利となってしまう。というのも兵の数では敵の方が圧倒的に多いからだ。聖斗としては「桶狭間の戦い」のように敵軍が霞ケ浦と筑波山の間の細い場所を、縦に陣列を組んで通過している間に攻撃を仕掛けたいのだった。
    「直ちに出発だ」
     人民軍は取手に到着してまだ1時間であるにもかかわらず直ちに出発した。その甲斐あって、人民軍はどうにか霞ケ浦の入り口である土浦まで進むことができた。豚軍は既にその先、石岡に集結していた。数時間でも出発が遅れていたら豚軍が先に霞ケ浦を超えて土浦を占領していただろう。霞ケ浦の西で対峙する両軍。どちらも攻撃を自重する状態となった。「小牧・長久手の戦い」の様相を帯びてきた。さすがに豚軍も狭い場所の通過は危険と感じたようだ。
     その日の夜、作戦会議が行われた。
    「船を作って霞ヶ浦から敵の真横を急襲するってのはどうだ?」
     勇気の提案。確かに、それが可能であるならば最良の案だ。だが聖斗は否定的だった。
    「無理だ。船をつくるには時間も資材も足りない。それに船といっても手漕ぎ船になる。動力となるエンジンなんか容易に手に入らないし、燃料もない」
     この時代、石化燃料を手に入れることは非常に困難であった。バイク隊が使用する燃料も非常に節約して使用していたのである。そして、それは豚軍も同様であった。実のところ、ヨー・シローが北海道へ行かず日立に滞在したのはローターレス・ヘリコプターの燃料が底をついたからで現在、盛岡の基地から燃料を輸送中であった。
    「こんなのはどうかしら」
     梓彩が発言を始めた。
    「湖がだめなら、山から敵の真横を襲うのはどう?別動隊を筑波山に登らせて、そこから一気に敵軍の真横に降りるの。幸い、ここからそう遠くない場所に筑波スカイラインがあるわ。筑波山に登るのはそれほど難しくなくってよ」
    「成程。確かにそれならば可能だ」
     勇気は梓彩の意見に賛同した。
    「聖斗、どうする?」
     聖斗は梓彩を見た。その表情には「作戦が決まったら、自分が行きます」と書いてあるのを聖斗は読み取った。
    「よし、これで行こう。作戦は早い方がいい。直ちに100名からなる隊を組織して筑波山を登らせよう。梓彩、指揮はきみが執れ!」
    「はい」
     1時間後、梓彩率いる別働隊は筑波山を目指して本陣を出発した。
     梓彩にとっては初めての実戦。そしてこれは銅鐸の塔を出発して最初の大きな戦いでもある。何としても勝たねばならない。梓彩は「勝負服」に身を包んだ。勿論、ここでいう勝負服とは競馬の騎手が着る服のことでもなければ、パーティーの席上でタイプの男を誘惑するオシャレな服装のことでもない。ウール100%、ピンクのタートルネックセーター、足の各部位に最適な圧力を加えることで足の運動能力を飛躍的に高める黒いサポートタイツ(テーピングタイプもあるが、梓彩は脚を細くする効果もある圧着タイプを使用している)、その上にズボンではなく緑のタータンチェック柄のミニスカートを穿く。手には手袋、足には登山用のハイカットシューズ。これは梓彩の「登山ルック」に他ならない。ウールは水で濡れても寒くならず、タートルネックは後ろ首への日差しを遮る。そしてミニスカートは脚の動きを妨げない。ミニスカートの中から下へと伸びるカモシカのように長く細い脚。太腿の部分しかプリーツが広がらないミニスカートのおかげで「椅子に座る」「足を一歩前に踏み出す」といった動作で下腹部と脚を分ける谷間の線が露わになるのは実に挑発的だ。
     先の表記を撤回しよう。梓彩の今の服装は「男を誘惑するための勝負服」である。たとえ本人がそのことを全く意識していないとしても。
    「ごくり」
     100人の兵士たちは梓彩のナイスなフィギュアに興奮を覚えた。よもや100人の兵士たちが任務を捨てて梓彩を・・・などということはないだろうが、万一に備えて梓彩の両脇をチャンとジュリーがしっかりと固める。
    「それでは出発しましょう」
     雨具や医薬品などを詰めたザックを背負った梓彩はそう叫ぶと花柄模様をあしらったピンク色のトレッキングポールを手に別動隊を率いて北西に聳える筑波山を目指して出発した。

    「あそこがスカイラインの入口ね」
     入口から坂が始まる。最初は緩やかだが徐々に急になっていく。それに合わせてペースが落ちていく。それは仕方のないことだった。梓彩以外は全員、登山の素人なのだ。梓彩の予定では夕方には山頂に着くつもりだったのだが、予定の半分も来ないうちに夜になってしまった。
    「今日は月が明るいわ」
     筑波の語源は「月場」。月の神・ツクヨミが住む土地という意味だ。月が昇る時間に筑波山を登るのも風情としては悪くない。ともあれ、夜に行動する際には人が多い場所では新月の時が、こうした山中では満月の時がいい。今日、月が出ているのは梓彩たちにとっては有難かった。この時代、道の舗装は軒並み罅割れ、躓く危険が高かった。
     梓彩率いる別動隊はスカイラインの頂上にあるつつじが丘駐車場に到着した。そこにはかつてロープウェーがあり一気に女体山まで登れたのだが、今は勿論、そのようなものはない。ここから先は東筑波ハイキングコースを一気に降る予定だったのだが。
    「道がないわ」
     本来、道があるべき場所は完全に崖となっていた。地震によるがけ崩れ、或いは戦争の際に爆弾がここに落下したか。奥には無事な道が見えているが、そこまで行くには登山道のない尾根を藪漕ぎしながら下降しなくてはならない。昼間ならともかく夜は無理だ。
    進路変更が必要になった。梓彩は女体山から筑波高原キャンプ場へ抜けるルートへ向かうことにした。つつじが丘から女体山までは舗装のない登山道を歩くことになる。所要時間は梓彩なら25分だろうが一般的には50分ほどかかる。
     まずは大きなガマガエルの石像の横にある階段を上る。階段はすぐに緩やかな坂に変わった。ガマといえば中国では「月には蛙が住んでいる」という伝説がある。ツクヨミ伝説と何か関係があるのだろうか。緩やかな坂を登る辺りは草が左右に生えていて見晴しがいい。
     やがて樹林帯が現れた。いったん下り、再び登り返す。「弁慶七戻」では臆病な兵士が、なかなか下を通ろうとはしないのに梓彩は閉口した。
    「まったく、男のくせにだらしないわね」
     どうにかこうにか全員が通過、女体山に到着した。ここまでくれば、あとは下りだ。
    「しっ、待って」
     梓彩は女体山の奥に聳える男体山の手前に広がる鞍部に明かりを認めた。炎による明かりだ。ゆっくりと近づく。
    「これは、豚軍だわ」
     何と、豚軍が鞍部に集結していたのだ。「考えることは皆一緒」ということだ。というより豚軍にとって、これは梓彩が思いつく以上に至極当然の作戦であったと言えるだろう。なぜなら筑波山に登れば、筑波スカイラインを一気に駆け下り、人民軍の真横を襲うことができるからだ。翌日の作戦決行に向けて、そのための英気を養うべく豚軍は、今夜は鞍部で月を眺めながら酒盛りをして楽しんでいたのだった。
    「全員待機」
     梓彩は豚軍を急襲する機会を窺った。
     1時間後、酒盛りが終わり、豚たちは床についた。梓彩はトレッキングポールをゆっくりと上に挙げた。
    「攻撃!」
     軍配の代わりとなるトレッキングポールが勢いよく振り下ろされた。女体山に潜んでいた梓彩率いる別動隊100名の兵士が一気に下り坂を鞍部目指して駆け下りた。
    「ヤー!」
     掛け声とともに一気に豚軍に襲い掛かる。寝込みを襲われた豚軍はパニック状態に陥った。その時点で勝負は既に決していた。ものの30分ほどで勝負は人民軍の勝利に終わった。
    「これを見てください」
     兵士たちが箱を抱えて持ってきた。それは豚軍の食料の入った箱だった。梓彩はその箱の中身を見た途端、吐き気を催しそうになった。中には明らかに人間のものと思われる腕や足が入っていた。兵士たちには見慣れたものだったが梓彩は初めて見たのだった。
    「弔いましょう」
     梓彩はそれらを焼いて骨にするよう命じた。
     戦いの勝利、更には人間が食料にされている事実を見て、兵士たちの士気は上がっていた。これならば登りで使ってしまった時間を降りで一気に取り戻せそうだ。
    「敵の足跡を見つければ、敵がここまで来た登山ルートがわかります。そこを降ればきっと最短ルートで敵の真横に出られるはずです」
     さすがは梓彩。だが、深夜に足跡を見つけることは容易ではない。
    「ぼくたちが探すよ」
     チャンとジュリーが挙手した。
    「ぼくたちの鼻は人間のものよりも何百倍も敏感だから豚軍が登ってきたルートを探せるよ」
     梓彩は当然、二匹の言葉を信用した。だが兵士たちは違う。豚の言うことなど「信じられるか」というわけだ。
    「ここだ」
     チャンとジュリーは直ちに匂いを発見した。それは筑波ユースホステル跡に通じる登山道だった。こちらの方が筑波高原キャンプ場へ抜ける登山道よりも道が歩きやすい。
    「行くわよ」
     梓彩が降り始める。
    「チッ」
     隊長が出発した以上、兵士たちも出発しないわけにはいかなかった。しぶしぶ後からついていく。
    30分も歩くと一行は筑波ユースホステル跡に到着した。そして、そこの駐車場には何と何台もの車が停まっていた。それは豚軍がここまで乗ってきた車両に違いなかった。誰もいないと思ったのだろう、車には鍵が刺したままになっていた。
    「これはラッキーだわ」
     当然、車を頂戴。徒歩ならば20分ほどかかる筑波高原キャンプ場を一気に通過、更に進路を東に向け、本来の予定ルートである東筑波ハイキングコースに合流した。最初は荒れた林道であったが、すぐさま舗装道に変わった。
     さあ、あとは一気に敵の陣地まで一直線だ。
     車のおかげで梓彩率いる別動隊は敵本陣の真横に日の出前に到着することができた。これは言うまでもなく豚軍が利用した登山道を発見したチャンとジュリーの手柄であった。もはや兵士たちもチャンとジュリーのことを認めないわけにはいかなかった。
     夜が明けた。
    「攻撃!」
     別動隊が敵の本陣に襲い掛かった。

    「聖斗さま!」 
     見張りが聖斗のもとにやってきた。
    「どうした」
    「敵の陣地から火の手が上がっているのを確認しました」
    「よし出撃だ。敵の本陣で別動隊と合流するぞ」
     戦いは2時間ほど続き、豚軍は水戸に向けて敗走した。
    「このまま一気に攻めのぼる」
     人民軍はその日のうちに一気に水戸も攻略した。



  • 「いよいよ明日は『日立攻め』だな」
    「ああ、だが今までの様にはいかないぞ」
     聖斗と勇気が語り合う。そんなふたりの数km先に見える日立市街には電気の明かりが灯っていた。
    「何故、明かりが灯っている?」
    「自家発電さ。日立は工業都市だから工場用の発電施設がある」
     日立。そこはかつてPIPIRUMAグループに匹敵する日本有数の巨大グループ企業の拠点があった場所だ。そこに電気が残っているのだから間違いなく「脅威」だ。

     翌朝。
    「攻撃開始」
     人民軍が日立に押し寄せる。
    「ぐわあ!」
     先陣を走る者たちがやられた。
    「ビーム兵器だ!」
     予想通り、日立には人類時代の兵器が使用可能状態で残っていたのだ。
    「こりゃあ、迂闊には近寄れないぞ」
     人民軍は一時撤退を余儀なくされた。
     その後、直ちに作戦会議が開かれた。
    「梓彩」
    「はい」
    「山の上に登って、上から日立市街の様子を探ってくれ」
    「了解」
     梓彩はひとりで日立市街の西側に聳える山の尾根を登った。
    「まさに要塞ね」
     山の上から見下ろす日立市街は文字通り、難攻不落の要塞の様であった。
    「さて、どうしたものかしら」
     山を一気に駆け下ったとしても、途中にコンクリートの高い壁が聳え立っているため、それをどうにかしないことには中に入ることはできなかった。
     いろいろと設備を確認する。梓彩は鉄塔と送電線に着目した。
    「どうやら、あそこが発電施設ね」
     梓彩は送電線の出発点を確認した。
    「そうね。この手で行こうかしら」
     梓彩の頭の中に何かアイデアが閃いたようだ。梓彩は一旦、山を下りた。

     その日の夜、梓彩はチャンとジュリー、そして腕に自信のありそうな5名の者を選んで再び山へと登った。この日の梓彩の服装は深夜の敵基地内での行動を想定して、黒いセーター、黒いサポートタイツ、そして紺のジャンパースカート。このジャンパースカート、実はどこかしらの中学校の制服だ。梓彩は身長155cmと小柄なので着られるのだ。裾は当然のようにミニ仕立て。まさに「中学生のコスプレ」そのものの梓彩のスタイルが今回参加するメンバーの性欲をそそる。
    「ごくり」
     チャンとジュリーがいなければ正直、危ないぞ、梓彩。
     そして背には大きなザック。胸にも小さめのザックを抱える。これは5人も同じだ。
     梓彩たちが稜線上に到着した。
    「みんな、準備開始よ」
     梓彩が背中のザックを分解する。中からパラシュートを思させる大きな布地が出てきた。布地を大きく広げ始める梓彩。その正体はパラグライダー。前に抱えているザックは非常用のパラシュートで通常は使用しない。
     パラグライダーが広がった。梓彩の手本を真似ながら5名もパラグライダーを拡げる。
    「いくわよ」
     梓彩が稜線から駆け下りる。パラグライダーは直ちに空に舞い上がった。梓彩の背中にチャンとジュリーがしがみつく。
    「まったく何て女だ!」
     ヨセミテの大岩壁を翔太と二人で、フリーで登った経験もある山ガールの梓彩にとっては山の上から飛ぶくらいのことは何でもない。だが、前もって作戦は聞かされていたものの、いざ梓彩が飛翔するのを見た5人は正直、躊躇した。男というのは腕力にものを言わせて普段は威張っていても、いざというときには実に弱いものだ。
    しかし女性の梓彩が飛んだものを「怖くて飛べない」とあっては男のメンツにかかわる。5人たちはびくびくしながらも梓彩のあとに続いた。
     さて、最初に飛んだ梓彩は着陸地点である発電施設をコントロールする建物の屋上を通過した。
    「あれだわ」
     左腕を引く。パラグライダーは左旋回しながら急激に高度を落とす。
    「着陸成功」
     さすがは運動神経抜群の梓彩。パラグライダーの操縦は初めてだったが予定通りの位置に着陸した。一方、梓彩に続く5名はそうはいかなかった。全員てんでバラバラの位置に着陸する。だが、これは仕方がない。パラグライダーを正確に着陸地点に誘導するには高度なテクニックを要する。
    「やれやれ」
     5人の存在は直ちに敵の知るところとなった。こうなった以上、5人には囮になってもらうまで。
    「私たちだけでやるしかなさそうね。行くわよ」
     梓彩、チャン、ジュリーは屋上から発電施設のコントロールセンターを急襲した。
     こうした高度な戦術が要求される任務の場合、普通であれば勇気が参加するのが本当だろう。今回の作戦に勇気が参加していない理由は、彼は部隊を率いる将であり自らが率いる部隊を指揮する必要があるためなのだが、実はそれ以外にも理由があった。それは梓彩が暗殺組織・コックローチのメンバーたる資質を備えているか、否、帆乃香のあとを継ぐ次世代のコックローチ局長としての資質を備えているかどうかを試す試験という聖斗の思惑だ。だが、梓彩自身はそのことを知らない。
    「ここね」
     コントロールルームの前に来た。今のところ兵との遭遇はない。まさか「上から来る」とは思ってもみないのだろう。ドアに耳を当ててみる。だが、中の様子は判読しがたい。果たして何匹の警備豚がいるのか?
     やるしかない。梓彩は扉を開くと中へ飛び込んだ。そのあとをチャンとジュリーが続く。中には10匹の警備豚がいた。
    「フィストジャムパンチ」
     ボルダリング用語が用いられているが、これは「正拳突き」。フィストジャムパンチを連続で打ち出し梓彩は次々と警備豚を倒す。チャンとジュリーも負けてない。チャンは脚で、ジュリーは腕で相手を倒す。
     一匹だけ倒さない。コントロールパネルの操作法を聞き出す必要があるからだ。ビーム兵器への送電のみを切らなければ発電所の異常が知られてしまう。
    「誰が言うものか。言えば殺される」
     思いのほか口の堅い豚だ。
     チェンとジュリーが聞き出そうとしている間に5人が中に入ってきた。5人が入ってきた時点で最後の警備豚は「もはやこれまで」と自害してしまった。結局、操作法を聞き出すことはできなかった。そして5人がやってきたということは取りも直さず敵豚が建物の周りを取り囲んでいることを意味した。
     まったく、この5人は囮の役さえも満足に務められないのか。梓彩は呆れたが、今は文句を言っている場合ではない。但し、これで豚から聞き出す必要がなくなった。機械そのものを破壊して送電をストップさせればいいだけになったからだ。梓彩は直ちにコントロールパネルを破壊した。
     任務完了。あとは脱出するだけだ。1階まで辿り着いたものの外からは銃撃が雨霰の如く降り注ぐ。
    「ぎゃあ」
     ひとり、またひとりと撃たれる。10分も経たずに5人全員が殺されてしまった。
     残るは梓彩、チャン、ジュリーのみ。防戦一方では、じきに殺られてしまう。
    「ここは自分だな」
     ジュリーが外へ飛び出した。銃撃がジュリーを襲う。だが当たらない。ジュリーの素早い動きは豚の動体視力をもってしても追いつけないのだ。
     豚兵がジュリーに注意を向けている間に、梓彩とチャンも外に飛び出し豚兵の中へ突進した。味方の兵に弾が当たるのを恐れたのだろう、豚兵は銃撃を止めた。
     ジュリーが梓彩たちと合流。
    「シャシャシャシャシャー」
     前方の敵はジュリーの連続突きが倒す。
    「アチャチャチャチャー」
     背後から迫る敵にはチャンの連続蹴り。
     息の合ったコンビで敵の群れの中を突破した梓彩たちは、そのまま一気に塀の正門を目指して走った。
    「そこまでだ」
     正門を目前にして、梓彩たちは機銃を構えた豚たちに四方を囲まれてしまった。
    「ヨー・シロー!」
    「梓彩、まさかこんなところで、お前と会うとはな」 
    「くっ」
    「自分からわざわざ捕まりに来てくれるとはな。皆の者、あの女を捕えろ」
    「そんなこと、させるか」
     チャンとジュリーが梓彩の前に出る。
    「裏切り者の子豚は殺せ」
     機銃がチャンとジュリーに向けて発射される。 
    「うわあ!」
     間一髪、後ろに飛び上がって下がる。その後も機銃掃射が続く。流れ弾が梓彩に当たるのを恐れた二匹は梓彩から離れ、後方へ逃れるしかなかった。
    「今だ。梓彩を捕えろ!」
     梓彩に危機が迫る。
     その時。
     正門が吹っ飛んだ。電気が消えた日立に対して、聖斗率いる人民軍の攻撃が始まったのだ。
    「ビーム砲で応戦しろ」
    「駄目です。電力がありません」
    「そうだったな」
    「総裁、ここは危険です。すぐにご避難を」
    「梓彩、いずれまた近いうちに会おう」
     そう言い残してヨー・シローは豚兵とともに逃げ出した。破壊された正門からは聖斗が、いの一番で乗り込んできた。
    「梓彩!」
     聖斗は梓彩を見つけた。
    「梓彩、無事だったか」
    「ええ」
    「きみのおかげで作戦は成功した。ありがとう」
     その後、人民軍は次々と日立市街を制圧していった。
    そして、ヨー・シローは?
    「ロータレス・ヘリコプターを目撃しました。再び北へと逃れたようです」
    「そうか」
     それから数時間後、日立市街は完全に人民軍によって制圧された。



  • 「ここです」
     聖斗はある場所に到着した。コンクリート製の建物。中には多くの若い女性の死体が放置されていた。それだけでも驚くべきことであったが・・・。
    「これをみてください」
     聖斗が建物の中で見たもの。
    「聖水製造機」
     銅鐸の塔にあったものと同じ磔台がここにあった。ということは多くの若い女性の死体は、この磔台に繋がれた女性たちに違いない。しかしなぜ女性たちは全員、殺されたのだろう?我々が来たからか?いや、そうではない。既に白骨化しているものも多数あるからだ。銅鐸の塔にこのような死体はひとつもなかった。銅鐸の塔における犠牲者は梓彩ひとりだったということだ。

     盛岡。
     岩手県は豚の総生産数第8位を誇る。日立を脱出したヨー・シローはここに逃れていた。
    「総裁」
     白衣を着た豚がメスフラスコを手に総裁室に入ってきた。
    「聖水の採取が終わりました」
     どうやら、この基地にも聖水製造機=女性を身体拘束して聖水を採取するための磔台があるようだ。
    「よこせ」
     ヨー・シローはメスフラスコの入り口を自身の鼻に近づけた。
    「駄目だ。この聖水は臭い」
    「駄目ですか」
    「この女に用はない。捨てろ」 
    「わかりました」
     白衣を着た豚は退出した。その後、この聖水の製造主である若い女性は「用無し」ということで殺害された。日立で聖斗が見た沢山の若い女性の死体は、このようにしてつくられたものだった。
    「やはり梓彩の作る聖水でなければ美味しくない」
     この一言が聖斗の疑問、銅鐸の塔には死体が一つもなかった理由をはっきりと説明している。銅鐸の塔には梓彩がいたから他の女性など必要としなかったのだ。
    「ああ、梓彩の聖水の匂いが嗅ぎたい!」
     ヨー・シローはそう叫んだ。
     人間には理解に苦しむところだが、雌豚にとってトリュフが最高の匂いの素(ゆえにトリュフは雌豚に探させるのだ)であるように、雄豚にとっては梓彩の聖水は最高の匂いの素なのだ。
    「梓彩を捕えなくては。幸い、梓彩は敵軍の中にいて、自分から進んでこちらに向かってくる」
    「入ります」 
     先程のとは別の豚が入ってきた。ランドレース特有の小さい顔に高い鼻。デンマークの在来種に大ヨークシャーを交配して生まれたランドレースは文字通り「豚のイケメン」である。
    「総裁、私に何か御用でしょうか」
    「よく来たな、ユーイチ・ロー将軍」
     ヨー・シロー総裁によって改造される豚は通常IQ124を基準値とする。これは人類よりも多少優秀である方が人類に代わって地上を支配しやすいに違いないという配慮からなのだが、改造である以上は当然、失敗作も登場する。
     ユーイチ・ローは実のところIQ8しかない完全なる失敗作であった。豚には白豚をはじめ黒豚など、いろいろな色の豚が存在するが、ユーイチ・ローはそうした言い方をするならば、さながら「青豚」であった。血行が良くないのだろう、体に触ると鉄のように冷たい。こうした特徴を持つユーイチ・ローであったが戦闘能力にかけては、いかなる豚よりも優れており、あれよあれよという間に将軍にまでのし上がったのだった。
    「総裁閣下」
    「将軍よ、次の戦いは何処でやるつもりだ?」
    「福島です」
    「今度の戦い、負けても構わぬ。梓彩の拉致を最優先とせよ。必ずや梓彩を捕えるのだ。断じて殺してはならん。傷ひとつ付けてもいかん。いいな」
    「わかりました。ブイー」
     通常、豚は「ブヒー」と鳴くが、やはりIQ8の欠陥品だからだろう。ユーイチ・ロー将軍はブイーと鳴く。
     ユーイチ・ロー将軍が部屋を出ていった。
    「梓彩、必ず捕えてやる。そして再び、お前の聖水の匂いを心行くまで嗅いでやるぞ」
     ヨー・シロー総裁はひとり、そう叫ぶのだった。



  • 次回予告

  •  「青豚」ユーイチ・ローの魔の手が梓彩に迫る。
     果たして梓彩の運命は?

  • 続々・コックローチ9

  •  11月13日 公開。お楽しみに。





  •  日立を攻略した人民軍はそのまま阿武隈山地の東側に位置する浜通りを北上、敵の重要拠点がある盛岡へと向かう。
    人民軍はいわきに入った。町は荒廃、ゴーストタウンと化していた。こういう場所の通過は正直、嫌なものだ。いわきは大きな町であったからコンクリートの高い建物が無数にある。そうした建物が格好の基地となるからだ。
     そして案の定、ゴーストタウンとなった高層マンションから銃撃が!
     銃撃を終えると敵は素早く身を隠す。大砲があれば建物ごと吹っ飛ばすのだが、今はこちらもゲリラ的な戦い方をする以外にはない。内部構造が不明の建物の中に入るのは無論、危険が伴う。勇気がマンションの中に侵入した。
    その直後、別の建物からも銃撃が。その建物は大型ショッピングセンター。
    「私が行くわ。チャン、ジュリー」
     梓彩がショッピングセンターに向かって走る。そのあとをチャンとジュリーが追いかける。軍は平地を移動していたため梓彩は勝負服ではなく、背中にファスナーのある胸、腹、腰から下の三つに分かれたトルコ衣裳風のワンピースを着ていた。
     梓彩、チャン、ジュリーが建物の中に入った。
     中は真っ暗、しかも広い。太い柱が幾つもある。しかも商品棚や売れ残った商品が無数にある。これは敵兵が隠れる場所が「無数にある」ことを意味している。
     敵は撃ってこない。奥の方に逃れたのか?梓彩は奥へと進んだ。
     動かないエスカレータを発見。上の階で物音が。梓彩はエスカレータを駆け上った。そのあとをチャンとジュリーが追う。
     2階に着いたその時。
    「あっ、眩しい!」
     突然、スポットライトの一斉掃射を浴びた梓彩、チャン、ジュリーは目をやられてしまった。視力が回復する前に梓彩、チャン、ジュリーは四方八方から飛んでくる分銅付きの鎖によって全身をグルグル巻きにされてしまった。
    「ふふふ」
    「あなたは誰?」
    「俺は豚軍団を率いる将軍ユーイチ・ロー」
    「将軍ユーイチ・ロー」
    「ヨー・シロー総裁閣下直々の御命令により梓彩、お前を捕えに来た」
    「私を捕えに?」
    「理由は知らん。とにかく総裁閣下は、お前に御執心なのだ」
     理由は梓彩の方が良く知っている。ヨー・シローは自分の聖水が欲しいのだ。
    「さあ、梓彩を連れて行くぞ」
     チャンとジュリーに用はない。敵兵は梓彩だけを連れて屋上へと向かった。
    「あれは?」
    「閣下専用のローターレス・ヘリコプター。今回の作戦のために特別に私に貸し出された」 
     普通のヘリコプターであれば大きな音がするから近くに着陸すればすぐにわかるが、ローターレス・ヘリコプターは音が静かなため人民軍の誰も気がつかなかったのだ。
     それにしても、ここまでするとは。日立で梓彩を見た瞬間、ヨー・シローの心に「梓彩への思い」が激しく燃え上がったことは疑う余地がない。
     あれに乗せられたら終わりだ。梓の脳裏に「恐怖の思い出」が蘇る。
    「助けて、助けて!」
     芋虫状態の梓彩は体をウニウニと捩じりながら必死に叫んだ。
    「無駄だ。ここからでは下にいる人間どもには聞こえまい」
     その時。
     梓彩の体を拘束する鎖が切れた。床の上にばらけて落ちる鎖。梓彩は直ちに走って逃げた。
    「バカな。鉄の鎖が切れるなど」
     鎖が切れた理由は。
    「チャン、ジュリー!」
     チャンとジュリーが梓彩の鎖を切ったのだ。
    「お前たち、どうやって?」
     チャンとジュリーはジコマンコンピュータによって特殊能力を与えられた豚だ。鉄の鎖を爪で切り裂くくらい訳がない。
    「おのれえ、皆の者、やれえ!」
    「シュシュシュシュシュー」
     ジュリー必殺の爪突き。ジュリーは爪突きを一秒間に10発繰り出すことができる。
    「アチャチャチャチャー」
     チャンの連続足蹴りは、これまた一秒間に10発だ。
    「くそう!」
     ローターレス・ヘリコプターに乗り込むユーイチ・ロー。
    「待て」
    「逃がすか」
     ジュリーとチャンがユーイチ・ローを追う。だが、ローターレス・ヘリコプターが発する風圧によって二匹は吹き飛ばされてしまった。
    「今回は失敗したが、今度会う時がお前の最期だ。梓彩」
     ユーイチ・ローにまんまと逃げられてしまった。
    「梓彩!無事だったか」 
     ショッピングセンターの屋上からローターレス・ヘリコプターが飛びたつのを見た聖斗は梓彩が無事に建物中から出てきたのを見て安堵した。
    「あのヘリは?」
    「敵の将軍よ。名前はユーイチ・ローと言っていたわ」
     やがて勇気が高層マンションから出てきた。勇気は「中に敵はいなかった」といった。つまりマンションからの銃撃は勇気をおびき出し、梓彩をショッピングセンターに向かわせるための囮だったのだ。



  •  人民軍の北上は続く。
    「兵糧が不足してきたな」 
     この時代は「食糧難の時代」。兵糧の確保は極めて重要な問題だった。
    「兵糧がなくなる前に相馬に到着しなくては」
     だが、相馬には既に敵が陣を敷いていた。
    「突撃!」
     人民軍の突撃。ここにはヨー・シロー総裁もユーイチ・ロー将軍もいなかったようで、簡単に落とすことができた。
     その日の夜。
     人民軍の陣では薪を燃やす炎が至る場所に散見された。兵糧が不足していることから兵たちは豚の死骸を焼いて食べていた。無論、コックローチのメンバーも例外ではなかった。聖斗も勇気も次の戦いに備えて豚肉を食べる。
    「・・・・・・」
     チャンとジュリーがそっと陣屋を離れた。梓彩はそれに気がついた。
    「これは美味い」
     勇気がさも満足そうにそういいながら豚肉を食べていた。梓彩は勇気のこの言葉に憤慨した。
    「チャンとジュリーの気持ちも少しは考えてあげて」
    「だけど人間が豚を喰うのは自然のことだ。それにこいつらはもともと食肉用に育てられた豚で、ペット用の子豚とは違う」
    「チャンとジュリーはペットじゃないわ!」
     ペットと言われて梓彩は遂に激昂してしまった。
    「ここにいるみんなは、あまりにも無神経よ。チャンとジュリーには人間と同じく『心がある』のよ。私たちと同じなの!」
     勇気にそう言い放った梓彩はチャンとジュリーもとへ走った。
     チャンとジュリーは薪が焚かれていない暗闇の中でひっそりとしていた。
    「チャン、ジュリー」
     返事はない。
    「ごめんなさい」
     梓彩は人間を代表して二匹に謝った。
    「いいんだよ梓彩」
    「これが僕たちの宿命なんだ」
     その後、ジュリーがつぎのように説明した。
    「ぼくたち豚は人間のように自分の力で知能を発達させることができなかった。だから、ぼくたち豚が人間に捕食されるのは仕方のないことだ」
     ジュリーの言葉にチャンが続く。
    「ぼくたちが人間と同じ知能を持っているのは、あくまでもジコマンコンピュータのおかげ。自分たちで進化したわけじゃない。いわばインチキ。その知能によって『人間が豚を家畜にしてきた』という事実を知ることができたからといって人間を恨むのは間違っている。本当は知らないはずなのだから」
    「あなたたち」
     梓彩は二匹をしっかと抱きしめた。溢れる涙は止めようにも止まらなかった。
    「梓彩」
     そこへ聖斗がやってきた。生命境涯の高い聖斗は最も「梓彩の気持ちがわかる人間」だ。
    「きみに辛い話を持ってきた。話し合いの結果、今後は敵である豚の肉を正式に食料として用いることになった。ここで手に入る豚の肉は生ハムとして加工される」
    「・・・わかった」
     梓彩はそう返事した。
     聖斗は直ちにその場を去った。本陣へ戻ったのだ。
    「梓彩」
     チャンとジュリーには梓彩の気持ちが痛いほどわかった。チャンとジュリーの方が遥かに「人間的」なのだ。

    「ピピピー」
     梓彩の拉致に失敗したユーイチ・ロー将軍は盛岡に戻ると、直ちに自室にこもり、なにやら考え事をしていた。まあIQ8の頭脳であるから大した考えではないだろうが。
    「なぜヨー・シロー総裁は、あの梓彩とかいう人間の雌に夢中なのだ?」
     そこへ、前もって呼んでいた自分の部下が入ってきた。
    「将軍、なんでしょうか」
    「お前に内密に調べてもらいたいことがある。ヨー・シロー総裁が梓彩という人間の雌に執着する理由だ」
    「わかりました」
     その後、部下が戻ってきた。情報を手に入れたのだ。
    「将軍、わかりました」
    「そうか」
     その後、部下から報告を受けたユーイチ・ローは。
    「まさか聖水の正体が、そのようなものだったとは。俺も梓彩という雌に俄然、興味が湧いてきたぞ。ブイーブイー」



  •  相馬・人民軍本陣。
     偵察隊の報告。
    「申し上げます。敵豚軍の大部隊が盛岡を出発。もう仙台入りしているものと思われます」
     先に仙台に入っておきたかったのだが、ひと足遅かった。
    「そうなると、綿密な作戦を練る必要があるな」
     直ちに相馬を出発する予定であったが急遽、中止が決められた。
    「申し上げます。仙台にはヨー・シロー総裁がいる模様です」
     ヨー・シロー自らお出ましか。
    「ということは、向こうも『決戦』を望んでいるのか?」
     そこのところは、わからない。

     それから3日後。
     遂に豚軍団が動き出した。隊を三つに分けて進軍してきたのである。
     なぜ三つに?疑問に思いつつも、聖斗もまた自軍を三つに分割した。ひとつは自ら率いる本体。残りは勇気、そして梓彩が率いる。筑波でも日立でも梓彩の活躍のおかげで勝利することができた。梓彩の指揮官としての実力に疑いの余地はなかった。
     だが、聖斗は不安でならない。
     先のいわきでの一件。あれは明らかに梓彩を標的に狙ったものだった。だとすれば、同様の策謀が今後も行われるに違いない。
     梓彩を敵の最前線に出すべきか?
     だが、梓彩ほど優秀な指揮官はいない。人材が余っているならともかく優秀な指揮官を戦場に送り出さないわけにはいかなかった。
    (梓彩、無事に戻ってきてくれよ)
     聖斗は祈るような気持で梓彩を送り出したのだった。



  • 「梓彩はどうした?」
    「はい。偵察隊の報告では一軍を指揮して前線に出てきているようです」
    「そうか、わかった」
     ユーイチ・ロー将軍は、ほくそ笑んだ。
    「予定通りに事は進んでいる。梓彩。お前はもう、おしまいだ」

     梓彩の率いる部隊は最も阿武隈山地に近い西側の山沿いを進軍していた。梓彩の今日の勝負服は上がクリーム色のタートルネックセーター、下はいつものサポートタイツに薄紫色の脹脛まで隠れるフレアスカート。いつもと違うのは裾をスカートの中に入れるインシャツではなく外に出し、腰に細い革のベルトを巻いていることだ。
    「ん、待って。進軍停止」
     梓彩は前方に動物用の檻を見つけた。
    「こ、これは」
     そこには豚が三頭、閉じ込められていた。
    「おやじ、おふくろ!」
    「パパ!」
     それはジュリーの父と母、そしてチャンの父である研究所長だった。
    「ははははは」
    「ユーイチ・ロー将軍!」
    「どうだ梓彩。これでは手も足も出まい」
     なんと卑怯な奴!ジュリーとチャンの肉親を人質にして梓彩軍の進軍を止めたのだ。
    「この檻にはガソリンが撒かれている。燐寸ひとつで黒焦げになるようにな。こいつらを丸焼けにされたくなかったら俺の言う通りにしろ。梓彩、お前ひとりでここまで歩いてこい」
    「行っちゃだめだ、梓彩!」
     二匹は梓彩を必死で止めた。いうことを聞いたところで殺すに決まっているからだ。だが、止まる様な梓彩ではない。ほんの僅かでも可能性があるのならば相手の言うことを聞くべきだと考えていた。まさにこれは梓彩の人間性を知り抜いた完璧なまでの心理作戦であった。
     この心理作戦をユーイチ・ローに伝授したのはヨー・シロー総裁の命を受けて今回の作戦に同行する親衛隊のメンバー、リツ&ヒデのふたり組であった。
     梓彩はジープを降りると、ひとりで敵のもとまで歩いて行った。
    「梓彩を捕えろ!」
     豚兵が梓彩の体を拘束する。梓彩の攻撃力を知っているユーイチ・ローは梓彩が抵抗できないように後ろ手にしてから両手首に鉄枷を嵌めただけでなく、両足首にも鉄枷を嵌めた。
     完璧。もはや梓彩は足技を使って飛び跳ねることができない。
    「どうです将軍」
    「上手くいったでしょう」
    「完璧な作戦だ」
     鉄枷によって後ろ手に拘束された梓彩がユーイチ・ローのもとに運ばれてきた。
    「これで満足でしょう。チャンとジュリーの肉親を自由にしてください」
    「そうだな」
     ユーイチ・ローが手を挙げた。まさか!
    「や、やめてー!」
     梓彩が叫んだ。
     ユーイチ・ローが手を下す。檻の中にマッチが投げ込まれた。燃え盛る檻。
    「パパー!」
    「おやじー、おふくろー!」
     チャンとジュリーの絶叫。
    「お前さえ手に入れば、あいつらにはもう用はない」
    「卑怯者、助けると約束したくせに!」
    「眠らせろ」
     梓彩の顔に麻酔ガスが吹きつけられた。
    「うう」
     梓彩は眠りに落ちた。
    「よし、退却だ。我々の任務は完了したからな」
     余所では戦闘が続く中、後ろへと下がるユーイチ・ロー将軍率いる本隊。
    「おっと、お前たちは動くなよ」
     梓彩が人質となっている以上、梓彩軍にはどうすることもできない。
     獲物を得て退却する敵軍を茫然と見送る梓彩軍。やがてユーイチ・ロー将軍率いる本隊の姿は完全に見えなくなってしまった。

    「将軍やりましたね。これで我が総裁もさぞ、お喜びになられることでしょう」
     ユーイチ・ローは意識のない梓彩の股間に自分の鼻を当ててみた。
    「おお、何という甘い香り」
     ユーイチ・ローもまたヨー・シロー総裁と同じく瞬く間に梓彩の聖水の匂いに魅せられてしまった。ユーイチ・ローの頭の中で予てより考えていた「謀反」の二文字がこれによって決定的なものとなった。
    「将軍」
    「どうしました」
     リツ&ヒデの二匹は将軍の表情の微妙な変化に気がついた。さすがは総裁直属の親衛隊である。
     突然、ユーイチ・ローは懐から銃を取り出すと二匹に向かって撃った。リツは眉間を撃たれて即死、ヒデは胸を撃たれた。
    「将軍、な・・・何を?」
    「この人間の雌は私がもらい受ける」
    「何ですと」
    「これほど美味しい聖水を製造する生き物をヨー・シロー如きにくれてやるのはもったいない」
     さすがはIQ8!ユーイチ・ローは平成・令和時代のインテリ芸能人や現役東大生の如く「自分が一番優秀な存在!」と信じて疑わない究極のタカビー豚なのだ。
    「ヨー・シローに伝えるがいい。梓彩はこのユーイチ・ロー様が頂いたとな」
     ユーイチ・ローは車のドアを開くと、二匹を外に蹴飛ばした。
    「さらばだ。ブイブイブイー」
     車は西の方角に走り去っていった。
    「うう、なんということだ。ヨー・シロー総裁にこのことをお伝えしなくては」
     傷ついたヒデは銃創を押さえながら、ゆっくりと北へ向かって歩き出すのだった。



  • 次回予告

  •  青豚ユーイチ・ローに囚われた梓彩の運命は?

  • 続々・コックローチ10

  •  11月27日(金)公開。



  • 10

  • 「う、うーん」
     梓彩は頬に感触を覚え、それによって目が覚めた。 
    「あっ!」
     梓彩は自分の顔のすぐ傍に何やら青い物体があるのを認めた。
    「なに?」
     梓彩は飛び起きようとした。
     だが。
    「手足に枷が!」
     梓彩は介護用ベッドの手摺に手足を繋がれていた。
    「ピピピー、おっはっよう」
     独特の発音をした「おはよう」の挨拶のあと、青い物体が梓彩の顔の正面に自分の顔を見せた。
    「あなたはユーイチ・ロー将軍!」
     豚など、どれも似たようなものだが、ユーイチ・ローだけは体が青いからすぐにわかる。
    「ここはどこ?」
    「ここは群馬にある私の基地だ」
     群馬は豚の生産量第4位を誇る。ゆえに基地があっても不思議ではない。
    「この基地の兵士は私に絶対忠誠を誓う者たち。ヨー・シロー総裁といえどもここには手出しはできん」
    「ということは、あなたは」
    「そうだ。私はもはやヨー・シロー如きの手先ではない。偉大なる世紀末覇者ユーイチ・ロー豚王なのだ!」
     梓彩にとってはそんなことはどうでもいい。
    「そんなことより、どうして私を攫ったのです?」
    「それは、これだ」
     ユーイチ・ローは再び自分の顔を梓彩の頬に近づけると擦り寄せ始めた。
    「やめてよ」
    「さあ、涙を流せ」
    「こんなことで泣くもんですか」
    「ならば、これならどうだ」
     ユーイチ・ローは梓彩を擽り始めた。
    「あはははは」 
    「さあ梓彩、聖水を出せ」 
     梓彩の目から涙が出始めてきた。
    「おお、これだこれだ」 
     ユーイチ・ローは早速,その匂いを嗅ぎ始めた。
    「なんと甘い、いい匂いだ」
    心から梓彩の流す涙に酔い痴れるユーイチ・ロー。
    「ブイブイー。俺様は今、最高の快感を味わっているぞー」
    「やめてー、変態ーっ!」
    「いいぞいいぞ、もっと泣け。そしてもっともっと勢いよく聖水を出すのだー」
    「あー、やめてーっ、お願いっ!お願いーっ!」
     必死に体を捻る梓彩。だが、手首足首に嵌められた鉄枷が梓彩の動きを封じる。
    「くすぐったい!くすぐったい!」
     それは梓彩の涙がユーイチ・ローの鼻全体をビショビショに濡らすまで続けられるのだった。



  •  仙台・豚軍の本陣。
    「なに、ユーイチ・ロー将軍が裏切った?」
     ユーイチ・ロー謀反の報告がヨー・シロー総裁のもとに届けられた。
    「はい。ユーイチ・ロー将軍はリツ&ヒデ二匹の親衛隊員を射殺、梓彩を連れて群馬基地に向かったとのことです」
    「おのれーっ!」
     梓彩を連れ去っただと?ユーイチ・ローはやはり欠陥品だ。
    「己を知らぬ愚か者め。よし、私自ら指揮を執る。直ちに全軍を終結させろ。何としても梓彩を取り戻すぞ」

     相馬・人民軍本陣。
    「梓彩が行方不明?」
    「はい。殺されたか、あるいはどこかに捕らえられているものと思われます」
     聖斗はやはり梓彩を出陣させるべきではなかったと後悔した。聖斗には先の「いわきの戦い」において明らかに敵が「梓彩を狙っている」ように思われたのだ。
    「入ります」
     別の偵察隊員が本陣に入ってきた。
    「何だ」
    「敵の本体が仙台を出発、白河方面へ動き始めました」
     いよいよ決戦の準備ということか?
    「よし。そのまま敵の動きを観察してくれ」
     数時間後。
    「報告します。敵の動きが異様です」
    「異様とは、どういう意味だ?」
    「敵は白河を超え、郡山方面へ移動しています。それも凄まじい速度で。まるで我々の存在を無視しているかのようです」
     郡山方面?
    「どういうことだ?これは何かの作戦なのか」
     勇気には意味不明な敵の動き。だが、聖斗にははっきりとわかった。梓彩だ。ヨー・シローは梓彩のいる方へ軍を進めているのだ。
    「敵の行き先が知りたい。情報を集めろ」
     数時間後、偵察隊が戻ってきた。
    「敵は群馬に向かっている模様です。敵の将軍が裏切り、それを討伐するためだそうです」
    「そうか、わかったぞ」
     梓彩がきっかけで敵の将軍が裏切ったのに違いない。そう睨んだ聖斗は直ちに命令を下した。
    「我々も直ちに群馬へ向かう」
     かくして両軍がそれぞれ中通り、浜通りを群馬目指して南下し始めた。
     梓彩というひとりの聖女を巡って争奪戦が始まったのだ。



  •  群馬県・妙義山。
     その威容はまさに天然の要害。もしもこんな山の頂に城が築かれたら飛翔兵器なき今、ちょっとやそっとでは落とせないだろう。
     そのまさに妙義山の頂に群馬基地がある。
    「おお、来た来た」
     妙義山の東、安中市街に陣を敷くのはヨー・シロー総裁率いる豚軍。一方、峰をひとつ挟んでその下にある富岡市街に幕を張るのは聖斗率いる人民軍。
    「まるで『蟻の群れ』のようだな」
     妙義山最高峰、相馬岳の頂に築かれた基地の展望室から下の景色を悠々と眺めるユーイチ・ロー。
    「来るなら来い。蹴散らしてくれるわ」
     戦術の鬼才、ユーイチ・ロー。戦力的には少ないが、勝つ自信は満々だ。
     妙義山の中腹にある大岩の上には鉄で作られた大きな「大の字」が設置されている。その文字は白く塗られているのだが、安中の陣営から眺めるそれは白く見えなかった。
    「貸せ」
     ヨー・シローは双眼鏡で大の字を眺めた。
    「梓彩」
     ヨー・シローは大の字に磔にされている梓彩を認めた。ユーイチ・ローはこれ見よがしに梓彩を遠くからでもよく見えるよう、大の字に磔にして見せびらかしているのだ。

     同じ頃、富岡の聖斗もまた梓彩を認めていた。
    「梓彩」
     梓彩の「宿命」に聖斗は心から同情しないではいられなかった。梓彩もまた「コックローチ局長の宿命」を背負う女であった。待子、量子、帆乃香がそうであったように、こうした辱めは梓彩にとって、どうしても避けては通れぬものなのだ。
     それにしても不可解な作戦である。大の字は妙義山の中腹にある。しかもそこに至る登山道はそれほど険しいものではない。ユーイチ・ローが「梓彩を奪われたくない」のだとすれば、このような危険をおかす理由は何だろう?
     磔にされている梓彩にはかわいそうだが、考えが纏まるまで聖斗は進軍を差し控えていた。「罠の匂い」がしたからだ。
     一方、ヨー・シローは何としても梓彩を取り戻すのだと大の字に向けて軍を進めた。無論、ヨー・シローとてこれが罠であることは感じていたが、梓彩を取り戻す好機は「今しかない」と考えたのだった。「大の字から外され、相馬岳に運ばれてしまったら取り戻すのは難しい」という判断だ。
     ヨー・シロー率いる豚軍が妙義山を登り始めた。上からの攻撃はない。ヨー・シローは樹木が邪魔をしているおかげで、敵には自分たちの動きが見えていないのだと思った。
     先陣が大の字の置かれた大岩に上った。
    「これは!?」
     その後、次々と部隊が上ってきた。
     彼らが見たもの。それは顔の位置に「へのへのもへじ」と書かれた梓彩の人形だった。大の字に磔にされていたのは梓彩ではなく梓彩の人形であった。
     その時。

     ブヒー、ブヒー、ブヒー!

     鬨の声が大の字の後方に聳える大岸壁の上から響き渡った。
    「これは罠だ!」
     だが、時すでに遅し、大岩壁から次々と大の字めがけて岩が落とされてきた。
    「うぎゃあ」
    「ふげえ」
    「ぶしゃあ」
     次から次と落石を受け、ペシャンコになる豚軍の兵士たち。
    「引け、引けえ!」
     こうしてヨー・シローは敢え無くユーイチ・ローの仕掛けた計略の前に大敗を喫してしまった。
     
     富岡の陣。
    「やはり罠だったようだ」
     聖斗はヨー・シローが敗北を喫し、後退する姿を眺めていた。
    「IQ800の天才豚も梓彩の事となると見境がなくなるようだ」
     そういう意味で梓彩は豚をも悩殺する「世紀末の楊貴妃」だ。
    「さて、我々の作戦は上手くいくかな?」
     聖斗の作戦は相馬岳の背後にある稜線・相馬岳北稜から侵入することだった。
     相馬岳へは稜線も含めると5本の登山道が伸びる(正確には途中で合流するので実質2本)。当然のように、そのいずれも厳重な警備が敷かれている。東の大岩壁の攻略は不可能。とすれば登山道のないバリエーションルートである北稜からの侵入が最も現実的であった。それに北稜は樹林が鬱蒼と生い茂っているため、登っている姿を敵に見られることもない。
     だが。
    「うわあ!」
     そんなことはユーイチ・ローには「お見通し」であった。兵こそ配置されていなかったものの樹林の中には無数の罠が仕掛けられていたのである。
     かくして、聖斗の作戦も失敗に終わった。


  •  
    「おい、大丈夫か?」
    「なんとかな」
     チャンとジュリーが相馬岳の大岩壁を登っていた。こここそが警備もなく罠もない唯一の侵入口。氷壁にアイスアックスを突き刺すように二本爪を岸壁に突き刺す。垂直の岸壁は想像以上に登るのが難しい。落下すれば命はない。そんな岸壁を二匹は必死に登っていた。
    「うう」
    「悲しむな。悲しんではならない」
     自分の親が焼き殺されたのだ。どうして悲しまずにいられよう。だが、梓彩が敵の手に落ちたのは、まさに自分たちのせいなのだ。自分たちの親の命を救おうとして梓彩は敵に捕まった。二匹は自分の責任にかけても梓彩を救出する、そして親の仇であるユーイチ・ローを倒すと決めていたのだった。
    「どうやらここが山頂のようだな」
     チャンとジュリーの真上に漆喰で表面を白く塗られた人工の壁が出現した。
    「あそこに窓がある」
     それは銃を発射するための鉄砲狭間だった。
    「よし、あそこから入ろう」
     二匹は鉄砲狭間から基地の中へと侵入した。廊下が左右に伸びる。
    「こっちだ」
     チャンとジュリーは迷うことなく右へと進んだ。それは二匹が「梓彩の匂い」を感知したからだった。二匹にとっても梓彩の聖水は「究極の美酒」だ。それにしても、これだけ激しく匂うということは、梓彩はユーイチ・ローから連日、長い時間にわたり、激しい拷問を受けたに違いなかった。
    「この部屋だ」
    「よし、任せろ。シャー」
     ジュリーが扉を切り裂いた。
    「梓彩!」
     介護用ベッドの上に横たわる梓彩を発見。幸い誰もいない。チャンとジュリーはすぐさま梓彩を身体拘束する鉄枷を外した。
    「また、あなたたちに助けられたわ」
     その顔にはくっきりと「涙の痕」が刻まれていた。余程、酷い拷問であったに違いない。
    「当然さ。これがぼくらの使命だもの」
     あとは、どうやってここから脱出するかだ。登山道には全て敵兵がいる。
    「あなたたちはどこから来たの?」
     二匹は絶壁を登ってきたのだと説明した。
    「まあ!」
     梓彩は二匹の勇敢さに驚いた。そして次のように答えた。
    「なら、同じ場所から逃げればいいわ」
    「えっ?」
     二匹は我が耳を疑った。自分たちでさえ命懸けの絶壁登りだった。ましてや今度は垂直下降である。
    「大丈夫」
     梓彩は介護用ベッドから立ち上がろうとした。だが、その瞬間、梓彩は足が蹌踉けた。
    「そんな体じゃ無理だ」
     二匹は反対した。
    「大丈夫よ」
     廊下に出た梓彩は鉄砲狭間から顔を外に突き出した。真下を見れば、まさに垂直の壁がそこにあった。
    外の景色、梓彩には見覚えがあった。
    「ここは妙義山ね」
    「うん。相馬岳だよ」
    「だったら尚更、大丈夫だわ。行きましょう」
     梓彩は鉄砲狭間から外に出ると絶壁を下降し始めた。
    梓彩はかつて妙義山に登った経験がある。記憶を確認しながらチムニーやクラックのある場所を利用して下降する。ボルダリングのあらゆる技術を使って生き残るために必死に下降を続ける。チムニーやクラックがない場所ではホールドを利用するしかない。オープンハンド、ラップ、ガストン、クリンプなどの手技、エッジング、スメッジング、ステミングなどの足技を駆使する。人工的に作られたボルダリングの壁とは違い、自然の岸壁である。ホールドとホールドの距離が遠いことも少なくない。だが手足が長く体重の軽い梓彩の体はフリークライミングに適している。
    「すごっ」
     二匹はそんな梓彩のテクニックに脱帽。
    「自分たちも降りよう」
    「ああ」
     二匹のクライミングは梓彩の華麗なクライミングに比べれば強引だ。二本爪を突き刺しながら垂直下降する。いわば「道具を使わないアルパインクライミング」だ。当然、岸壁には爪を突き刺した穴が傷となって残る。これは一種の「自然破壊」である。

     その頃。
    「梓彩が逃げたぞーっ!」
    「探せー、絶対に逃がすなー!」
     梓彩が逃亡したのを知った基地の内部では敵豚兵が走り、サイレンが鳴り響く。その音は当然、岸壁を下降する梓彩たちの耳にも届いた。
    そしてさらには安中と富岡に陣を敷く両軍にも聞こえた。

     安中の陣営。
    「この音は何だ?」
    「総裁、どうやら梓彩が敵の基地から逃げ出したようです」
    「よし。直ちに出陣だ。梓彩を捕える!」

     一方、富岡でも。
    「出撃だ。梓彩を発見、保護する」

     果たして、梓彩を最初に発見するのはユーイチ・ロー将軍?ヨー・シロー総裁?それとも聖斗?



  •  突然、チャンは絶壁を登り始めた。
    「おい、どうした」
    「ジュリー、お前はそのまま梓彩と一緒に降りろ。俺はユーイチ・ローを倒してくる」
    「おい、待てよチャン」
    「お前の両親の仇も取って来てやるよ」
     チャンは親の仇ユーイチ・ローを自分の手で倒す好機は「今しかない」と思ったのだった。そして、それ自体は真実であった。だが、この判断は裏目に出ることになる。
     チャンは基地の白壁を登り、屋根の上に登ると瓦を破壊、そこから屋根裏に入った。真下の廊下では豚兵が右に左に走っている。チャンは屋根裏を静かに移動しながらユーイチ・ローを探した。
    「おい、見つかったか」
    「いえ、まだです」
     そんな会話が聞こえてきた。
    「ここか」
     チャンは会話のする方向へと向かう。屋根裏の天井の一部をずらして下を覗くと、そこには紛れもないユーイチ・ロー将軍がいた。
    「さっさと見つけろ」
    「はい」
     豚兵が去った。今だ。チャンは屋根裏からユーイチ・ローめがけて飛び降りた。
    「アチャー!」
     飛び蹴りがユーイチ・ローの軍服を切る。中から燐寸箱が落ちた。それは自分の父親を焼き殺すのに使われた、にっくき燐寸だ。
    「お前はチャン!」 
    「ユーイチ・ロー。パパの仇、覚悟ー!」 
     子豚とはいえ、相手はジコマンコンピュータに選ばれた豚。ユーイチ・ローは直ちに逃げ出した。
    「待てー!」
     廊下を必死に逃げるユーイチ・ロー。それを追うチャン。途中、豚兵が行く手を阻む。その間にユーイチ・ローは兵器庫へと辿り着いた。大急ぎで武器をセットする。木箱の中からH&K製自動拳銃VP-70を取り出すとストックを装着。レバーを三点バーストにセットした。
     そこへチャンがやってきた。
    「これでも喰らえ!」
     VP-70が火を噴く。
    「うわあ!」
     急いで扉の影に隠れるチャン。
    「ははははは、出てこい」
    「くそう、どうすれば」 
     その時、チャンは先程、ユーイチ・ローが落とした燐寸箱のことを思い出した。
    「そうだ」
     一向にチャンが出てこないのを、ユーイチ・ローは不思議に思った。
     その時。
     火の付いた燐寸箱が廊下から中に放り込まれた。燐寸箱の炎が見る見るうちに激しくなる。投げこんだのはチャン。ユーイチ・ローは青い体をさらに真っ青に染めた。
    「大変だ!火を、火を消さなくては」
     やがて火は弾薬庫にある弾薬に引火した。
    「なんということだーっ!」
     ユーイチ・ローを巻き込んで弾薬庫は大爆発した。その爆発は凄まじいもので、基地そのものをも内側から吹き飛ばした。
    「うわあ!」
     爆風を受けてチャンは外に放り出された。基地を構成していた漆喰や瓦などと一緒に絶壁を落下していくチャン。下までの高さは数百mある。だが、心配はいらない。人間は10mでも大怪我するだろうが、野生動物はそれよりも遙かに高い場所から落ちても無事に着地する。ましてやチャンである。事実、チャンは葉の繁る木の上に無事に落下した。
    「ふう危なかった。だが仇は討ったぞ」
     チャンの心は晴れ晴れとしていた。
    「あとは梓彩とジュリーに合流するだけだ」



  •  梓彩とジュリーは無事に岸壁の下まで辿り着くことができた。
    「おかえり、私の梓彩」
     だが、そこに待っていたのはヨー・シロー率いる豚軍だった。豚軍の方が先に下降点に到着していたのだ。
    「ジュリー、梓彩を渡してもらおう」
    「ふざけるな」
    「私と一戦交える気か?愚か者め!」
     ヨー・シロー自ら戦う気だ。
    「丁度いい、大将首をここでとってやる!」
     ジュリーも、やる気満々だ。
    「行くぞ、ヨー・シロー!」
     ジュリーがヨー・シローに向かって突進する。
    「『朱い彗星』!」
     ジュリー必殺の突きが炸裂。敵の体を砕く破壊力を秘めた必殺の技。
    「バカめ、そんなもの効かぬわ」
     ヨー・シローはまるで蟹のように素早く横に移動、ジュリーの攻撃を躱した。
    「バ、バカな。躱されるなんて」
    「ふふふ」
    「くそう、もう一度、朱い彗星!」
     だが、やはりこれも避けられた。
    「どんなに凄まじい威力を秘めた技でも、当たらなければ意味はない」
    「くっ」
    「今度はこっちから行くぞ『豪猪(やまあらし)』!」
     その名の通りヤマアラシが無数の鋭い針のあるお尻で突進してくるかのような攻撃。その正体は「連続突き」。無数の二本爪がジュリーを襲う。蟹足を使ってジュリーを取り囲むように素早く動くため二本爪は文字通り四方からジュリーめがけて飛んでくる。
    「うわあああああっ!」
     ジュリーの全身がヨー・シローの二本爪によって切り刻まれた。
     さらに。
    「『臍豚(ペッカリー)』!」
     脂肪豊富なボデ腹による臍からの体当たり攻撃。
    「うわあーっ!」
     もろに直撃を受けたジュリーは後方に激しく吹き飛ばされた。
    「ジュリー!」
     梓彩の絶叫。血塗れになって倒れ込むジュリー。
    「これが俺とお前の『実力差』だ。確かに技の破壊力は、お前の方が格段に勝っている。だが、お前の攻撃は実に直線的で単調だ。将棋でいうところの『中飛車の一つ覚え』のようにな」
     ジュリーはジコマンコンピュータによって選ばれた高い能力を持つ豚だが、それはヨー・シローも同じであった。
     ジュリーは飛車で、チャンは角。ジュリーとチャン、飛車角が揃って初めて王将であるヨー・シローの能力を上回ることができるのだ。
    「くそう」
     何とか立ち上がるジュリーだったが、もう「戦えない」ことは明らかだ。
    「さあ、とどめを刺してくれるわ。喰らえ『猪武者』!」
     これこそ、武者が振るう豪剣を思わせるヨー・シロー最大の必殺奥義。その必殺の爪がジュリーの額に突き刺さった。
    「うぎゃああああ!」
     額から大量の血を吹き出すジュリー。明らかに頭蓋骨を損傷している。さらに爪は奥深く、脳へと食い込む。
     その時。
    「やめてください!」
     梓彩が叫んだ。
    「あなたと一緒に行きます。ですからジュリーへの攻撃を今すぐやめてください」
    「ふっ」
     ヨー・シローは右腕を振った。額から爪は抜け、ジュリーの体は地面にうつ伏した。梓彩を連れて豚軍はこの場を撤退。
    それから暫くして、聖斗率いる人民軍がやってきた。
    「ジュリー!」
     聖斗は瀕死のジュリーを抱き上げた。
    「しっかりしろ、何があったんだ、ジュリー」
    「ジュリー!」
     チャンもこの場にやってきた。チャンはジュリーの状態を見て、敵討ちを優先した自分の行為を恥じた。

    「梓彩は再びヨー・シローの手に落ちた」
     聖斗はため息交じりにそう呟いた。
    「ぼくのせいだ。ぼくのせいで梓彩とジュリーは」
     梓彩を連れ去られ、ジュリーは生死の境界を彷徨っている。全ては自分のせいだ。チャンは泣かずにはいられなかった。
    「気にするなチャン。ジュリーは必ず助かる。それに梓彩も必ず取り戻す」
     今まで豚を何かと軽蔑していた勇気も、チャンに心から同情を寄せた。そしてそれは人民軍の兵、全員の気持ちでもあった。人民軍はようやくここに「ひとつ」となったのだ。それは言うまでもなく「より強くなった」ということに他ならない。
     聖斗は「災い転じて福をなす」とはこのことだと思った。

     函館。
     北海道は総生産量第3位を誇る。そしてこの地にある基地こそ豚軍最北の基地、そして最も防御力に優れた基地。それは五稜郭のお堀や石垣をそのまま利用したものだった。
     梓彩の新しい磔台。それは当然、銅鐸の塔のものとは違う。以前は大の字に組まれた木の柱だったが今度は壁、それもボルダリング用の人工壁であった。ゴーグル以外のホースは全て壁に埋め込まれていた。そんな梓彩の姿はまるでマンションの壁に備え付けられた屋外給湯器のようだ。
    「どうだ。すぐに使えそうか?」
    「いえ、豚の体毛に含まれていたゴミで眼球の表面が損傷しています。完治するまでには1週間ほどかかります」
    「ユーイチ・ローの奴め、とんでもないことをしてくれた」
     再び磔台に拘束されてしまった梓彩。だが、聖水の採取開始までには1週間の猶予時間がある。それまでは擽り責めは行われない。
     チャンよ。それまでにヨー・シローを倒し、梓彩を救出するのだ。



     12月11日(金)は「続々・コックローチ11」を公開します。



  • 11

  •  白河。
    「人民軍を絶対にここから先へは通すな!」
     豚軍が必死に防戦する。
    「早くここを通過するんだ!」
     人民軍もまた一刻も早く通過しようと必死。
    人類と豚の未来を賭けた戦いは明らかに「ひとりの女性をめぐる戦い」へと昇華していた。もはや戦力勝負ではない、気力勝負。どちらがより「勝つぞ」と意を決しているかだ。そして気力は明らかに人民軍にあった。豚軍は「追われるもの」で、人民軍は「追うもの」であったからだ。
     豚軍は安中からここまで本拠地へ向けて戻る旅をしてきた。それに対し人民軍は富岡からここまで豚軍を追いかけてきたのだ。しかも豚軍の総大将であるヨー・シロー総裁は梓彩を連れて一足先に本拠地へと戻ってしまっていたから、豚軍の士気は嫌が応にも下がっていたのだ。
     だが、それも一週間後には変わってしまう。梓彩の聖水が採取され、豚軍の兵に分け与えられたならば「最高の美酒」を与えられた豚軍は一気に盛り返してくるだろう。
     だから、その前に何としても梓彩を取り戻すのだ。何としても。
    「敵は怯んでいる。一気に叩け!」
     人民軍は白河の関を超えた。

     人民軍は郡山に到着した。
    「報告します。豚軍はこの先、二本松に集結している模様です」
    「そうか、ご苦労。休んでくれ」 
    「はっ」
     東に阿武隈川。西に安達太良山。ここしか通過する道はないと思われた。
    「勇気をここへ」
     勇気がやってきた。
    「こういう作戦はどうだろうか?」
     聖斗は勇気に自分のアイデアを聞かせた。
    「充分可能です」
     勇気の賛同を得て、聖斗は自分の作戦に自信を持った。
    「よし、直ちに出発だ」

    「よし、ここだ」
     人民軍は一旦進路を西にとり磐梯熱海から北上、母成峠にやってきた。
    「皆の者、一気に登るぞ」
    「オーッ」
     人民軍は北に向かって伸びる安達太良山の稜線を登り始めた。聖斗の作戦とは安達太良山の稜線上を通過して豚軍との交戦を回避するというものだった。無駄な戦いをしている暇などない。一気に盛岡を攻め落とすのだ。そうした思いがこの作戦を生み出させた。安達太良山は標高2000mに満たない低い山だ。それに稜線上はなだらかで幅も広く滑落の危険はまずない。
     人民軍は安達太良の乳首を右に巻いて通過。沼の平を左手に北上を続けた。その先から稜線は一旦、下降する。人民軍はそのまま北へ直進。東吾妻山と吾妻小富士の間を通過、一気に福島に入った。
    「奴らが我々の動きに気がつく前に引き離すぞ」
     福島からは平地の移動。人民軍は二本松に結集する豚軍との距離を一気に引き離した。

     二本松。
     豚軍を率いる司令官は、なかなか敵が現れないことにイラついていた。
    「大変です!」
     偵察隊が戻ってきた。司令官は偵察隊の報告を心待ちにしていた。
    「どうした」
    「敵軍は安達太良山を通って我が軍を迂回、福島どころか既に仙台をも通過している模様です」
    「なんだと!そんな、そんな・・・」
    「指令!」
     司令官は口から泡を吹き出すと、その場で卒倒してしまったのだった。
     
     そして遂に人民軍は敵の本拠地のある盛岡にやってきた。
    「いくぞー!」
     人民軍は破竹の勢いで盛岡を攻略した。
     だが、既に本拠地は函館に移動していた。盛岡を落とせば梓彩を助け出せると信じていた人民軍の勢いに「翳り」が見えてきた。まだ勢いを保っていなくてはならないのだが、なんといっても函館は遠い。電源の落ちた青函トンネルはポンプが作動していないために海水が溜まり、通過などできるはずもない。北海道へ渡るためには、人民軍は津軽海峡を船で渡らなくてはならないのだ。
     無論、これはヨー・シローの狙い通りだ。盛岡にいると見せかけて、実は函館。「してやったり」とはこのことだ。

     ブヒヒヒヒ。

     聖斗にはヨー・シローの「高笑い」する姿が目に浮かぶようであった。
    「もはやここまでなのか」
     さすがの聖斗も打つ手が思い浮かばい。一度切れてしまった兵たちの気力を、どうやって再び盛り上げるのか。仮に今のままの状態で上からの命令で強引に北上したとしても、インドを目指すアレキサンダー軍のようなもの。到底、豚軍には勝てないだろう。
     その時。
    「ジュリー!」
     意識の回復していないジュリーが北を目指して歩き始めたのだ。全くの本能で、全身傷だらけの体で、梓彩を求めて。「みんなが行かないのなら自分一匹でも行く」ということなのだろう。だが数歩、歩いたところで足はふらつき、ジュリーは俯せに倒れ込んでしまった。
    しかしながら、このジュリーの行動が軍に再び「やる気」を取り戻させた。
    「傷だらけの子豚が頑張っているんだ。人間が頑張らなくてどうする!」
    「行こう、函館へ!」
     人民軍は函館を目指して進軍を開始した。

     青森、大間崎。
     津軽海峡の奥に函館が見える。だが、どうやってここを渡ればいいのだ?
    「聖斗、あれをみろ!」
     勇気が東の洋上を指差した。何か白いものがこちらに向かってくる。
    「あれは、まさか」
     聖斗はそれが「何か」を確信した。
    「あれは・・・間違いない、チェリーだ」
     そう。宇宙戦艦チェリーが津軽海峡にやってきたのだ。
    「おーい」
     そう叫びながら艦橋の上から手を振るのは望だ。やった。これで海を渡ることができる。

    「そうなのですか」
     その後、聖斗は望から今のチェリーは飛翔もできなければ武器も使用できないが、どうにか洋上を航行することだけはできるようになったのだと説明を受けた。帆乃香、美音、樹里亜はチェリーの中にいた。動けるようになったとはいえ、いつ作動が不安定になるかわからないチェリーには常時、3人の監視が必要だった。
    「とにかく急いだほうがいい。いつチェリーが動かなくなるか全くわからないからな」
     直ちに出発準備が始まった。兵が次々とチェリーに乗り込む。
    「全員、乗船しました」
     乗船とはいっても、多くの兵がチェリーの胴体の上に座り込んでいるような状態だった。
    「よし、出発だ」
     聖斗もまた艦内へは入らず船体上に立つ。
    「チェリー、発進!」
     聖斗の号令ののちチェリーが緩やかに動き出した。その速度たるや、とてもチェリーとは思えぬほど遅い、まるで亀か翻車魚のような状態。そして、その姿は浮上している時の潜水艦の様であった。
     チェリーは大間崎から函館山まで僅か30kmほどの距離を1時間もかけて移動した。接岸地をここにしたのは函館山の裏側は五稜郭の死角になっているからだ。函館市街に直接接岸した場合、攻撃される危険があった。五稜郭には自走砲など、かつて自衛隊が装備していた兵器が配備されていることが大いに予想されたのである。

     いよいよ最後の決戦が始まる。作戦計画は既に聖斗の頭の中にあった。
    「勇気」
    「はい」
    「先鋒は貴方にお願いします。何よりもまず『梓彩の救出』を最優先してください」
     聖斗は勇気に梓彩救出の任務を命じた。本当であれば自ら行いたい任務だったのだが、総大将である自分は常に全軍を見ていなくてはならない。こうした任務に最も適任と思われる烈は今も行方知れず。そこで聖斗は勇気に、この極めて重大な任務を与えたのだった。
    「わかりました」
     だがこの時、勇気はなぜ梓彩救出の任務が「自分に与えられた」のかということをよくよく吟味しなかった。そのことが後にとんだ悲劇を生む結果となる。

     人民軍は函館山の頂に登り、陣を張った。そこからは五稜郭が一望できる。
    「見事なまでにヒトデだな」
     五稜郭はその名の通り五角形をした城塞である。
    「新撰組終焉の地」である五稜郭。長州維新志士を蔑視、新撰組を手本としてきたコックローチには当然ながら特別な思い入れがある場所だ。明治政府軍との激戦が行われた五稜郭も戦後は観光名所となり、お堀の外には高さ107mの、これまた五角形をした展望台を持つ五稜郭タワーが建つ。
     そして今「正義と悪」の立場を逆にして(その昔の激戦では攻める方が悪で、護る方が正義だった)再び激戦が始まろうとしていた。



  • 「攻撃開始、一気に山を降れ!」
     聖斗がトレッキングポールを振り下ろした。人民軍が函館山を五稜郭目指して一気に降る。聖斗は隊を二つに分けた。勇気は五稜郭タワーを、残りの軍は五稜郭を攻める。偵察隊の情報から、どうやら梓彩は五稜郭タワーに囚われているようだ。
    「そのまま突き進め!」
     勇気の号令。勇気率いる部隊が先頭を突き進む。
     聖斗は函館山頂の本陣にあって戦況を見つめる。そこへ伝令がやってきた。
    「申し上げます。先陣を行く勇気軍が五稜郭タワーの攻略に入りました」
    「そうか」
     聖斗は心の中で念じた。
    (勇気、頼んだぞ)

     五稜郭タワーに到着した人民軍が勇気を先頭に敵の建物内に突入する。それを見た豚軍が背後から機銃を撃ちながら追いかけてきた。タワー周辺は激しい銃撃戦の場と化した。
    「ここは俺が護る。みんなは先に奥に進んでくれ」
     勇気は建物の入り口は「自分が死守する」と決断した。勇気は入口の影に隠れながら敵に向かって機銃を撃つ。いかにも幾多の戦場を経験する勇敢な勇気らしい判断ではあったが、これは明らかに「間違い」だった。かくして、勇気本人ではなく人民軍の兵3人が最初に梓彩の拘束されている研究室に到着した。
    「うわっ!!」
     3人の目に飛び込んできたのは全身拘束され、ボルダリング用の壁に繋がれている梓彩だった。 
    「ごくり」
     この時、3人の兵が興奮を覚えたのは不思議でも何でもない。戦場を移動する軍の兵は只でさえ異性に飢えている。そこへもってきてナイスボディの梓彩である。豊満な胸と良く発達した骨盤。それらを繋ぐ腹部はいかにも日頃の運動量の多い山ガールらしい贅肉の一切無い細身の筋肉質。その梓彩が大の字に全身拘束されている。このようなシチュエーションにあって男たちに「自制しろ」という方が無理というものだ。こうした状況が想定されたからこそ聖斗は勇気に梓彩の救出を命じたのだ。だが、勇気はそのことを深く考慮しなかった。その結果、自分が指揮する人民の兵を梓彩救出に向かわせてしまったのだった。というのは、この3人がいずれもPIPIRUMAエレクトリックの職員、即ち翔太社長のもとで働いていた者たちだったからだ。まさか社長夫人である梓彩を辱めはすまい。勇気はそう考えたのだろう。そして彼らは正気を取り戻したようで、梓彩の体に繋がるホースを取り外し始めた。
    「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
     口のホースを外された梓彩が呼吸を整える。
    「大丈夫ですか?社長夫人」
    「あ、ありがとうございますっ」
     礼を述べる梓彩。梓彩はこの時「これで助かる」と思ったのだった。
     全てのホースが外され、続いて首、肘、膝の五箇所の動きを拘束するコルセットを外しに掛かろうとしたその時。

     パーン、パーン。

     二発の銃声。ふたりの兵が床に倒れた。即死であった。残りのひとりの兵がふたりの兵士を後ろから銃で撃ったのだ。
    「これで、ここには俺とお前のふたりだけ」
     兵が梓彩の体をまじまじと眺める。その眼つきから梓彩は自分の身に「危機」が訪れていることを納得しないわけにはいかなかった。
    「ふふふ。いくらボルダリングの技を利用した格闘技を会得するお前でも、その状態ではどうすることもできまい」
    「ま、まさかあっ!」
    「その『まさか』さ」
     口と股間のパイプ類は外されたが、首、肘、膝のコルセットと手首足首の鉄枷はまだ外されていない。今の状態から梓彩が自力で身体拘束から逃れることは不可能だった。
    「前々から俺はお前を狙ってたんだ。まさかこんなチャンスが来るとは、俺にも漸くツキが回ってきたようだ」
     こんな奴が人民軍に紛れていたとは。というよりPIPIRUMAの社員として紛れ込んでいたとは。きっと平和な時代、仕事中に梓彩を見かける度にムラムラしていたに違いない。
    「私は人妻です。愛する夫がいます」
    「ああ、知ってるよ。だが、あんたの亭主はメキシコで死んだんだろう?」
    「死んでなどいません」
    「いいや、死んでるさ。メキシコにだって核ミサイルは落ちてるんだ」
    「酷い人」
    「亭主のことは『早く忘れちまった方がいい』っていってるんだよ」「
    「そんなこと、できない。絶対に・・・絶対に・・・」
     梓彩の目から涙が零れ落ちた。愛しい夫のことを思う美しい涙。
    「それにしても実にいい体だ。このナイスボディであんたは社長を篭絡して、まんまと大富豪・PIPIRUMAファミリーの一員になったってわけだ」
     何という屈辱!梓彩は決して相手の地位や財産で翔太と一緒になったんじゃない。
    「ち、違います」
    「おしゃべりはそろそろ終わりにする。いつ勇気隊長がここに来るかわからないからな」 
    「止めて、お願い」
    「どうしても『亭主のものでないと嫌だ』というのなら、感じないように我慢するんだな。ま、我慢できたらの話だがな。俺のものだってまんざら捨てたもんじゃないんだぜ」
     兵がズボンのファスナーを下に降ろした。
    「不倫は・・・不倫はいやあっ!」
     激しい戦闘が続く五稜郭タワーの最上階で、指揮・兵、歌姫・梓彩、伴奏・鉄枷とコルセットによる生演奏が始まった。



  •  その頃、軍とともに五稜郭に侵入したチャンは豚軍と交戦する兵をよそに一足先に建物内に侵入。礼拝堂と思しき場所に来ていた。正面に祭壇。その上には様々な供物が置かれている。奥に祀られているのは巨大な豚の像。その左右には巨大なカーテンが下がる。
    「遂に、ここまで来たか」
     カーテンの後ろからヨー・シロー総裁が現れた。
    「ヨー・シロー!」
    「いよいよ決着をつける時が来たようだな」 
    「人類の未来のため、倒させてもらうぞ、ヨー・シロー」
    「どうやらジュリーはいないようだな?」
     ヨー・シローは自分の勝利を確信した。
    「さあ来い。お前もジュリーと同じ目に遭わせてやる」
    「行くぞー!」
     チャンが跳躍した。
    「行くぞ『蒼い稲妻』!」
     骨をも砕く後ろ脚による蹴りがヨー・シローを襲う。
     だが。
    「なに?」
     ヨー・シローは蟹のように真横に瞬時に移動、チャンの攻撃を躱した。
    「バカな。俺の蒼い稲妻を避けるなんて」



  • 次回予告

  •  梓彩の命の危機が訪れる。
    「まだまだ楽しみたいところだが、あんたがこのことを勇気に告げたら俺は殺されちまう。だからそろそろ『口封じ』させてもらうぜ」
     果たして梓彩の運命は?
     そして、チャンにも命の危険が迫る。
    「せめてもの情け。ジュリーを葬ったのと同じ技で、お前も葬ってやる。あの世でジュリーと泣けいっ『猪武者』!」
     果たしてチャンの運命は?

  • 続々・コックローチ12

  •  翌年1月1日(金) 公開。
     お楽しみに。



  • 12

  • 「ううっ」
     コックローチの運命に従い、遂に不倫の刻印を押されてしまった梓彩。
    「へへへ」
     翔太のみに許された「特権」を満喫した兵がズボンのファスナーを上げる。
    「まだまだ楽しみたいところだが、あんたがこのことを勇気に告げたら俺は殺されちまう。だからそろそろ『口封じ』させてもらうぜ」
     そう言い終わると兵は梓彩の首のコルセットを外すと自分の両手で梓彩の首を絞め始めた。
    「これでお別れだ。梓彩」
     体さえ自由ならこんな奴、一撃で倒せるのに、どんなに藻搔いても、鉄枷からカシャカシャという金属音が、コルセットからミシミシという軋み音が鳴り響くばかり。
    「ううっ」
     梓彩の頭が酸素不足によって激しく痛み始めた。勇気の来る気配ない。このままだと梓彩は窒息死してしまう。
     その時。
    「うぎゃあ」
     兵の首が飛んだ。
    「軍法会議など不要。貴様のような卑劣漢には直ちに死あるのみ!」
     勇気?いや違う。
     やってきたのは烈だった。烈は生きていた。そして、この最後の戦いの場に駆けつけてきたのだ。烈は直ちに梓彩の体を拘束する枷を外した。
    「大丈夫か、梓彩?」
    「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
     必死に呼吸を整える梓彩。ぎりもぎりの本当にぎりぎりセーフだった。
    「れ、烈・・・」
    「ああ、そうだ。覚えていてくれたか?」

     ふたつの疑問。
     一つ目。烈はどうやってここにやってきた?下では銃撃戦が展開されているのに。
     その答えは「忍術でタワーの柱を登った」から。

     二つ目。今まで烈は「何をしていた」?
     御幸と電の墓に詣でた烈はその直後、豚軍の攻撃を受けた。無論、全匹倒す。一匹を捕らえ尋問する。
    「お前たちの目的は何だ?」
    「勿論『人類の抹殺』。金沢の基地からは既に我ら能登豚軍の精鋭部隊が京都を目指して進軍しておるわ」
    「なに?」
    「峠を通過せず、山を越えて北から京都を急襲するのさ」
     豚はそう言って息を引き取った。
     確かに、人間であれば大変な山越えも豚にとっては簡単だろう。京都の背後を守るように北に聳える山々の標高は1000mを超えない。烈は急ぎ京都へと引き返した。京都の人々には良くしてもらった。恩には恩で報いなければ。
     その後、京都の人々と共に豚軍を蹴散らした烈は兼六園にある基地を破壊。その後は途上にある基地を破壊しながら日本列島の西海岸を北上してきたのである。津軽海峡は「水馬の術」で難なく横断した。

    「私は・・・私は大丈夫。それよりジュリーは、ジュリーはどうなの?」
     自分が男から受けた辱めよりもジュリーの容態を心配する。これが梓彩だ。
    「宇宙戦艦チェリーにいる。函館山の真裏だ。まだ意識は回復していない」
     それを聞いた梓彩は立ち上がろうとした。
    「ああっ」 
    ふらつく梓彩。擽り責めによって体力を大きく消耗。下半身も性行為によって疲れ切っていた。
    「おっと」
     梓彩を抱きかかえる烈。
    「烈、お願い。私をジュリーのところへ」
     その時、銃撃戦に勝利した勇気が屋上へやってきた。
    「烈!生きていたのか」
    「勇気。久しぶりだな」
    「お前、今まで何処にいたんだ?」
    「話は後だ。俺は今から梓彩をジュリーのところへ連れていく」
     梓彩を抱きかかえた烈は階段を駆け下りた。



  • 「バカな。俺の『蒼い稲妻』を避けるなんて」
    「ジュリーがいなければ貴様など、ちっとも怖くないわ」
    「くそう、もう一度」
     再び跳躍するチャン。
    「もう一度喰らえ、蒼い稲妻!」
    「無駄だ」
     またも蟹足で真横に瞬時に移動するヨー・シロー。
    「ふんっ」
     着地したチャンの脇腹にヨー・シローの突きが入った。
    「うわあ!」
     脇腹を負傷するチャン。
     王将であるヨー・シローの動きは自由自在。前後左右斜めと、いかなる方向へも瞬時に移動することができる。一方のチャンの動きは絶対的な速度こそヨー・シローを上回るが、やはりジュリーのように単調であった。
    「お前は将棋の駒に譬えれば『角』。その動きは速いが単調。全ての方向に自在に動く王将の完璧な動きには敵わない」
    「ううう」
    「冥途の土産に、俺の『奥義』を見せてやろう」
     気温が急に下がり始めた。気温は氷点下にまで下がった。辺り一面に霜が降りる。
    「この技は『玄霜』!すると、お前は」
    「そうだ。俺は千葉県産の原種豚だが、お前のような房総ポークの原種とは違う。『柏の幻霜』の原種なのだ」
     チャンの体にも霜が降り始めた。

     烈と梓彩がチェリーに到着した。
    「烈、梓彩!」
     帆乃香、美音、樹里亜は烈と梓彩が突然、入ってきたので驚いた。
    「ジュリーはどこ?」
    「集中治療室よ」
     手の空いている樹里亜が梓彩をジュリーのもとへと連れて行った。その結果、樹里亜はこのあと起こる「奇跡の目撃者」となる。
    「ジュリー!」
     最先端の医療技術を誇るチェリーの集中治療室をもってしてもジュリーの意識を回復させることはできないほどジュリーの傷は深かった。ジュリーを見た梓彩は直ちにジュリーを抱きしめ、自分の頬を擦り寄せた。
    「ジュリー」
     梓彩が涙を流し始めた。擽られることによって無理矢理、絞り出された涙ではない。正真正銘、梓彩の優しい心から生み出される「聖水」だ。
     聖水がジュリーの全身を濡らした。
    「ブヒ、ブヒ、ブヒ」
     ジュリーが鳴き始めた。ジュリーの意識が回復したのだ。
    「ジュリー!」 
     梓彩は立ち上がると治療台から降りた。
    「ジュリーの体の傷が消えていく」
     ジュリーの全身にあった切り傷が忽ち消えていく。梓彩の聖水を浴びたことでジュリーは急速に回復しているのだ。
     だが、深手を負った額の傷だけは痕が残ってしまったようだ。
    「ブヒイイイイイーッ!」
     咆哮とともにジュリーが立ち上がった。生死を彷徨っていたジュリーは完全に復活した。これこそが梓彩の流す涙=聖水の「真の力」。ただ匂いが甘くて美味しいだけじゃない。だからこそヨー・シローは梓彩に執着したのだ。
    「梓彩、ありがとう」
    「ジュリー」
    「チャンが戦っているから、ぼくは行くよ」
    「ええ。頑張って」
     積もる話をひとまず封印して、ジュリーはチャンとヨー・シローが戦っている場へと走った。久闊を叙するのはヨー・シローを倒した後だ。

    「くうっ」
    「もはや体が冷え切って、思うように動けまい」 
     ヨー・シローは勝利を確信した。
    「そろそろ遊びも終わりにしよう。逃げ出した梓彩を捕まえに行かないといけないからな」
     ヨー・シローが爪を構える。
    「せめてもの情け、ジュリーを葬ったのと同じ技で、お前も葬ってやる。あの世でジュリーと泣けいっ『猪武者』!」
     その時。
     必殺の猪武者の発動を妨げる横槍が入った。ヨー・シローの前を白い物体が高速で通り過ぎたのだ。
    「何者だ!」
    「俺の顔、ブスだから忘れたってか?」
    「お前は、ジュリー!」
    「この額の傷の借り、返させてもらいに来たぜ」
    「バカな、どうして生きている。俺の猪武者は確実に、お前の額の骨を打ち砕いたはずだ」
     だが、ヨー・シローはすぐさま理由に気がついた。
    「貴様、さては梓彩の聖水を!」
    「ああ、浴びた。それも直接、俺の背中と梓彩の頬が互いに触れ合いながらな。だからこうして蘇った」
    「何て羨ましい奴!」
     ヨー・シローは生死を賭けた戦いの最中だというのに思わずそのように叫んでしまった。
    「悪いが、チャンを殺させはしないぞ」
     チャンとジュリーが揃った。これで能力はチャンとジュリーがヨー・シローを上回る。王将は全ての方向に一マスしか動けないが、飛車と角を合わせた動きは全ての方向に対し無限大なのだ。
    「丁度いい。お前もここで始末してやる。喰らえ『幻霜』!」 
    「ふっ」 
     ジュリーの目の前に突然、火柱が立った。火柱は炎の渦となって四方へと拡散、辺り一帯の霜を溶かし始めた。
    「なにい?」
    「お前が柏の幻霜の原種なら、ぼくは『富士幻豚の原種』だ。幻覚技ならぼくにだってできる」
    「そうだった。お前は中ヨークシャーの原種だった」
     霜は完全に解け、気温が戻った。
    「大丈夫か、チャン」
    「ああ、大丈夫だ。気温さえ元に戻れば、動ける」
     動揺するヨー・シロー。やはりチャンとジュリーが揃ったら「自分よりも強い」ということか。
     だが、ヨ―シローにはまだ、とっておきの秘策が残っていた。
    「皆の者、出合えい!」
     ヨ―シローが叫ぶ。すると今までどこにいたのか、直ちにヨー・シローの親衛隊が出現した。
    「しばらくの間、こいつらの相手をしてやれ」
     そう言うと、ヨー・シローは奥へと逃げだした。
    「待て」
    「逃げるか」
     ヨー・シローを追おうとするチャンとジュリー。だが、親衛隊が行く手を阻む。
    「ええい、どけえ」
    「じゃまだあ」

     チャンとジュリーが親衛隊に苦戦する間に、ヨー・シローは「ある部屋」に辿り着いた。
    「これだけは嫌だったんだが、しょうがない」
     その部屋は実験室。そこには三つの大きな電子レンジのような箱が置かれていた。その箱は全て天井部分がパイプによって繋がっていた。そしてそのうちの二つは中が空だったが、右端の箱の中には北海道産の巨大な羆(ひぐま)が捕えられていた。
    「ガーっ!」
     ヨー・シローを見た羆が中で騒ぎ始めた。
    「そう吼えるな」
     ヨー・シローはそう言うと、自分は左端の箱の中に入った。
    「行くぞ」
     機械が作動する。機械音とともに三つの箱の中が輝き始めた。
    「ガーっ!」
    「ブヒーっ!」
     羆とヨー・シローの体が薄くなっていく。やがて二体の体が完全に消えた。そして、何もなかった中央の箱に「何か」が現れ始めた。
     この機械こそがヨー・シローの切り札「アニマル合体装置」であった。ヨー・シローはチャンとジュリーが一つに揃った時の手を既に打っていた。この装置を使えば、ふたつの動物を一つに合体させることができるのだ。このようなものまで開発するとは、さすがはIQ800。恐るべし、ヨー・シロー。

    「くそう」 
    「こいつは強いぞ」
     親衛隊も残すところは1匹となっていたが、さすがに隊長だけあって、一筋縄ではいかない。
    「ヒブーっ!」
    「何だ?」
    「今のへんてこりんな『雄叫び』は?」
     チャンとジュリーは今まで聞いたこともない凶暴さを秘めた雄叫びを耳にした。普通の豚であれば「ブヒーっ」と鳴くが、これは逆であった。
    「ヒグーっ!」
    「ヒグーっ!」
     鳴き声がだんだんと大きくなる。こちらに近づいてきている証拠だ。しかも、よく聞きば雄叫びはヒブーではなくヒグーだ。
     雄叫びを発する音源が、やがてふたりの前に出現した。
    「なんだ?」
    「こいつは?」
     それは全高3mを超える、とんでもない化け物であった。顔は猪で体は羆。しかも臍出しルックのように腹の部分だけに毛が生えていない。
    「ぐわあ!」 
     その化け物はチャンとジュリーの目の前で親衛隊の隊長を一瞬のうちに鍵爪によって切り裂いた。
    「くくく、チャンーっ、ジュリーっ」
    「その声、まさか」
    「お前は『ヨー・シロー』!」
     化け物の正体はアニマル合体装置によって羆と合体したヨー・シローだった。
    「俺はもう、ただの豚ではない。究極のアニマル『ヒグットン』だーっ!」
     羆と豚の「あいのこ」だからヒグットン。実にわかりやすいネーミングだ。
    「もう、お前たちなど敵ではないわっ」 
     ヒグットンは自らを「究極のアニマル」と呼んだ。だが、チャンとジュリーには到底、その様には感じられなかった。それどころか、これがアニマルの「究極の姿」だというのなら、進化など「しない方がいい」とさえ思った。
     全身から放たれる腐臭。まるで右翼思想に憑りつかれたニッポン人を見ているようだ。それは己の醜さに全く気が付かず「自分は優秀、自分は賢い、自分は偉い」と自惚れている下等な生き物のみが放つ独特の腐臭に他ならなかった。
    「いくぞーっ、ヒグーっ!」 
     ヒグットンが突撃してくる。速い。かろうじて避けるチャンとジュリー。ヒグットンはそのまま建物を支える柱の一本に激突した。鋭い牙の激突を受けて鉄筋コンクリート製の柱が粉々に砕け散った。
    「何て破壊力だ」
    「あんなの喰らったらひとたまりもないぞ」
     再びヒグットンの突撃。
    「建物の中での戦いは不利だ」
     チャンとジュリーは建物の外へ出た。
    「待てえ、逃すかあ!」
     ヒグットンも建物の外に出た。

    「チャン、ジュリー」 
    「勇気、それに烈」 
     チャンとジュリーが勇気と烈に合流した。
    「ヒグーっ!」
     そこへヒグットンが現れた。その姿に驚く勇気と烈。
    「なんだ、ありゃあ?」
    「化け物だ!」
     勇気と烈は人民軍の兵を集めると、直ちに隊列を横一列に整えた。
    「打てえ!」
     人民軍による一斉射撃。
    「そんなものが俺に効くかあっ!」
     銃弾は厚い脂肪によって全て弾かれ、人民軍の兵が次々とヒグットンの餌食になる。
    「くそう」
     兵を指揮する勇気と烈には打つ手が思いつかない。
    「みんな、どけ」
     そこへ望がやってきた。別行動をとっていた望。万一に備えて望は元自衛隊の駐屯地へ赴き、武器を捜索していたのだ。そして望は当時、陸上自衛隊に実践配備されていた46cm自走砲を一台発見、ここへ持ってきたのだった。
    「ちょうど良かったぜ」
     望が自走砲を水平に構える。
    「モンスター、これでも喰らえ!」
     発射。46cm弾がヒグットンめがけて飛翔する。
    「ティヤッ」
     ヒグットンは弾をサッカーボールのように蹴飛ばした。弾は軌道を変え、お堀に落下。落下と同時に爆発した。高々と水飛沫が舞い上がる
    「くそう、もう一回」
     自走砲の弾は自動装填。再び望が弾を発射。
    「ばかな!」
     今度はゴールキーパーのように弾を手で掴んだ。古の弩級戦艦と同じ口径の弾を素手で掴むとは。
    「それ、お返しだ」
     46cm弾が自走砲めがけて飛んでくる。望は慌てて自走砲から飛び降り、その場から離れる。数秒後、自走砲は大爆発。望は辛うじて助かった。
    「俺は地上最強のアニマル。誰も俺を倒すことなど、できないのだあ」
     その時。
    「うおーっ」
     「ヒグットン出現」の報を聞いた聖斗がたまらず陣屋から飛翔してきた。聖斗は頭上からヒグットンめがけて草薙剣を振り下ろした。草薙剣はヒグットンの頭を確実に捉えた。さすがに「これで決まり」だろう。ヒグットンの体は縦に真っぷたつに割れるはずだ。
    「なに!?」
     だが、ヒグットンの体は真っぷたつに割れなかった。草薙剣はヒグットンの額に僅かな傷をつけたに過ぎなかった。ヒグットンの面の皮は不正行為を働きながら「自分は知らない」「秘書が勝手にやったことだ」と嘯くニッポンの悪徳政治家並みに厚かったのだ。
    「俺の体に傷をつけた代償は高いぞー」
     「目には目を、歯には歯を」と言わんばかりに額の傷からオレンジ色に輝く光線が聖斗めがけて発射された。
    「ヒグットンビーム!」
    「ぐわあああああっ!」
     ヒグットンビームをもろに喰らってしまった聖斗。聖斗は体をズタズタに引き裂かれ、後ろへと吹き飛ばされた。
    「聖斗!」
     勇気と烈が落下してくる聖斗の体をキャッチ。
    「大丈夫か、聖斗」
    「ううう」
     辛うじて生きている聖斗。もしも草薙剣がなかったら恐るべき威力を秘めた怪光線によって即死どころか、その場で肉体は燃え尽きていただろう。
     人間たちが苦戦する姿を見ながらチャンとジュリーは「どうすればいい」のか考えあぐねていた。
    「うわあ」
    「ぐわあ」
    「ぐええ」
     そうこうしている間に勇気、烈、望が次々とやられた。
    「待たせたな。今度はお前たちの番だ」
     ヒグットンがチャンとジュリーに迫る。
    「ええい」
    「こうなったら、やけだ」
     チャンとジュリーはそれぞれ得意の技を同時に仕掛けた。
    「朱い彗星!」
    「蒼い稲妻!」 
     だが、ヒグットンはびくともしない。ヒグットンの分厚い皮下脂肪を前にチャンとジュリーの攻撃は完璧に弾き返された。
    「そんなものが効くものかあっ」
     ヒグットンは右腕の爪でチャンを、左腕の爪でジュリー体を裂いた。チャンとジュリーはその場にうつ伏せに倒れ込んだ。二人の体から鮮血が流れる。
    「ははははは、終わった。これで、この国は俺様のものだーっ!」
     勝利の雄叫びを上げるヒグットン。
    「うう」 
    「くう」
     瀕死のチャンとジュリー。もはや死は時間の問題。
     そこへ梓彩がやってきた。
    「チャン、ジュリー!」
     血塗れになってうつ伏すチャンとジュリーの姿を見た梓彩は絶叫した。
    「おお、梓彩。自らやって来るとは都合がいい。この場でお前を捕らえてやる」
    「そう簡単に捕らえられたりしないわ」
     梓彩はトレッキングポールを構えた。チェリーばりの平突きを敢行。だが、草薙剣の攻撃さえもはじき返すヒグットンの分厚い脂肪にそんなものが効くはずもない。
    「フン」
     ヒグットンは梓彩の手からトレッキングポールを弾き飛ばした。
    「ああっ」
    「さあ、梓彩。覚悟しろ」
     梓彩が危ない。だが、チャンとジュリーはもう動けない。梓彩の聖水を浴びれば復活するだろうが、そんな時間的余裕はない。チャンとジュリーの目の前で梓彩はヒグットンの手中に落ちようとしていた。
     その時、二匹が流す鮮血が接触した。すると鮮血は火のついた油のように燃え始めた。チャンの体が青色に、ジュリーの体が赤色に燃える。
    「な、なに」
     ヒグットンはふたりの体が燃えているのに気が付いた。
    「何だ、何が起こるんだ?」
     このような現象は予想だにしていなかった。ヒグットンもさすがに動揺した。
    「バ、バカな」
     ヒグットンの動揺はさらに高まった。
    「その傷で起き上がるとは!」
     チャンとジュリーは炎の中、起き上がった。瀕死の重傷のはずなのに。
    「ならば、これでとどめを刺してくれるわ」
     ヒグットンが両腕を高々と挙げた。
    「死ねい!」
     両腕が振り下ろされる。
    「バ、バカな。俺の究極の剛腕がーっ!」
     両腕が無くなっていた。チャンとジュリーが放つ炎に触れた途端、ヒグットンの両腕は蒸発したのだ。
    「ヒグットン」
    「お前の『最期の時』が来た」
     チャンとジュリーの体が空に向かって飛び立つ。青と赤、ふたつの炎が伊弉諾と伊弉冉の「国生みの儀式」の時のように渦を巻きながら絡み合う。
    「うっ」
     ふたつの絡み合う炎がヒグットンめがけて落下してきた。横から見る者には異なる二種類の炎が螺旋状に渦を巻きながら進む一筋の彗星のように見える。だが、自分めがけて落下してくる炎を真正面から見るヨー・シローの目に映るそれは、まさしく青と赤に輝く太極図に他ならなかった。
    「太極図が回転しながら俺に向かってくる!」
     それだけではない。ヒグットンは青い炎の中に蒼龍、赤い炎の中に朱雀の姿を見た。ヒグットンは蒼龍と朱雀、二体の神獣がこの場に降臨。自分の命を貰いに来たことをはっきりと悟った。
    「おめおめと、やられてたまるかあ!」
     だが、ヒグットンは最後の悪あがきをした。
    「ヒグットンビーム・フルパワー!」
     ヒグットンビームが額から放射された。ビームが太極図を直撃。
    「どうだっ」
     だが、太極図はいとも容易にそれをはじき返した。
     その後もヒグットンは何度も繰り返しヒグットンビームを発射した。だが、それらは全て壁に向かって打たれるピンポン玉のように簡単に弾き返され、遠く近くと飛び散った。
    「うわああああっ」
     太極図がヒグットンの体を通過した。
    「余は・・・余は豚の・・・豚の王将なるぞー!」
     太極図が通過した直後、ヒグットンは再び羆とヨー・シローの二匹に分離した。神獣の裁きを受けたヨー・シローはその場でうつ伏せになって倒れた。ヨー・シローの体がブスブスと燻り始める。やがてヨー・シローは実に美味しそうな「豚の丸焼け」と化した
     やがて炎は消え失せ、チャンとジュリーは元の姿へと戻った。ヨー・シローを倒したチャンとジュリーは自分たちの力に茫然としていた。
    「俺たちに、こんな能力があったとは」
     今の今まで本人たちも気がついていなかった、これこそがジコマンコンピュータが二匹に与えた能力。二匹は普段は豚だが、その正体は「四神」あるいは「四獣」と呼ばれる神獣のうちの二体、蒼龍と朱雀の化身なのだ。

    「ばんざーい!」
     時は過ぎ、既に辺り一帯は夜のとばり。キャンプファイヤーを取り囲んで「戦いの終わり」を喜び合う人民軍の兵たち。
    「今日は大判振る舞いだ!」
     そういって皆に豚の肉が配られる。
    「どうだ、美味いだろう」
     こうしてヨー・シローは人々の腹の中に納まった。「豚が地上の支配者になる」という夢はこうして潰えた。地球は再び人類のものとなったのだ。
    「今日は特別に羆の肉もあるぞ」
     祝勝パーティーは続く。

     皆から離れ、ひとり静かな場所で夜空を見上げる梓彩。明かりのない時代だから天の川が実に美しく見える。
     梓彩の傍に聖斗がやって生きた。
    「梓彩」
    「今の地球を見たら、澄子さんはどう思われるでしょうね」
     3億年彼方の星で女帝となった澄子。
    「きっと、呆れるだろうな」
     聖斗は澄子に「合わせる顔がない」と思った。
    「核戦争は地球を確かに荒廃させたけれど、温暖化や省エネといった問題を一気に解決してくれたわ」
    「そういう見方もあるな」
    「私は地球の未来は決して『暗いものではない』と思っているの」
    「ほう」
    「今回の戦いを通じて、私たちは学んだわ。人間は決して好き勝手することの許された『地球の支配者ではない』ということを」
    「だが、豚が人間の家畜として今後も食用にされる現実は変わらない」
    「そうね」 
     そこへチャンとジュリーがやってきた。
    「でも、この子たちは人間の食用になどさせないわ」
     梓彩はその場でしゃがみ、二匹の背中に腕を回した。
    「梓彩、実はきみに話があるんだ」
    「えっ」



  •  銅鐸の塔。
     豚を慰霊する円錐形のピラミッドは解体され、銅鏡の噴水が再び姿を現していた。そして解体によって発生した大理石の瓦礫は周囲の芝生の上にばら撒かれていた。その光景は宛ら高知の天狗高原や福岡の平尾台といったカルスト台地を思わせる。
    「皆に報告することがある」
     展望室に集まるコックローチのフルメンバーにジミーが重要な話をする。その内容について梓彩は既に聖斗から聞いて知っていた。

    「えっ、旅に出る?」
     驚く梓彩。聖斗は頷いた。
    「どうして?」
    「核戦争の被害は世界中に及んでいる。最初、大阪に上陸したとき自分は野盗と戦った。そうした野盗は世界中にいて、弱い人々を苦しめているに違いない。自分はそうした人々を救いたい」
    「でも、それじゃあコックローチはどうなるの?」

     聖斗が既に海外に出たことを聞かされ、メンバーは動揺した。
    「これは聖斗自身が決めたこと。それに聖斗の強さは皆も知っていよう。大丈夫、きっと元気に戻ってくる」
    「そういえば、美音もいないわ」
    「聖斗と共に旅立ったよ。あの子は聖斗の奥さんだからな」
     ふたりは幼い子供とともに「世直し旅」に出発したのだ。
    「では只今より、コックローチの新しい人事を発表する」
     厳かに式が開会した。
    「人事。帆乃香をコックローチ局長から名誉局長に任命する。そしてコックローチ局長は・・・」
     誰だ?
    「梓彩、きみにやってもらう」
     新たに梓彩がコックローチ局長に決まった。
    「はい、慎んでお受けいたします」
     梓彩は何らたじろぐことなく即座にそういった。これこそが、聖斗が旅立つにあたり梓彩に託したことだからだ。
    「意見のある者、いるか?」
     ジミーが念のため、他のメンバーに尋ねる。
    「そんな奴、いないだろう?」 
    「だな」
    「今回の戦いで最も活躍したのは梓彩だ」
    「梓彩がいなければ正直、危なかった」
     こうして梓彩は全員から認められた。
     更に人事が。
    「まだあるんだ。人事。チャンとジュリーを梓彩付きの正式なメンバーとして任命する」
    「おっ」
    「あいつらか」
     チャンとジュリーが前に出る。
    「しっかり頼むぞ。梓彩を護ってくれ」
    「わかってるさ」
    「まかせておけって」
    「そしてだが早速、コックローチに任務だ。直ちにメキシコで行方不明となった一磨と翔太の行方を捜してくれ。出撃準備はできている」
     地下ドックには修理を終えた宇宙遠洋漁船量子があった。水素燃料は宇宙戦艦チェリーの燃料タンクから注入した。
    「私が行きます」
     梓彩は自ら志願した。
    「みんなは銅鐸の塔を護ってください」
     梓彩は頑固者、一度言い出したことは聞かない。ジミーは新局長の意見に従うほかなかった。
    「チャン、ジュリー、わかっているな」
    「へい」
    「ラジャー」
     かくして梓彩と二匹の僕たちが量子に乗って、メキシコへと向かった。

  • 続々・コックローチ第一部 完     



  •  2021年7月23日より「続々・コックローチ第二部」がスタート。
     ご期待下さい。



  • あとがき

  •  本小説ではジコマンコンピュータが核のボタンを押した。だが「現実の未来」はどうだろう?もしかしたら3年後に某大統領あたりが押すかも知れない。突然「自分がいない世界など存在する価値もない」とか言いだして。自分中心の人間の心理とは凡そ、そういうものだから強ち出鱈目な予測とも言えまい。こんな突拍子もない予測であっても「確立0%」にならない、こんな未来予測が現実味を帯びているとは実に恐ろしいことだ。勿論、こんな予測が当たらないことを祈りはするけれども。

     現代から近未来へと進んだコックローチの世界観は遂に「世紀末」に突入した。これは、現在の世界よりも核戦争後の世界の方が想像しやすかったからで、私の想像力の貧困さによる。でもって文明をぶっ壊すことにしたのである。野党どもが我が物顔で練り歩く弱肉強食の社会。私はここで敢えて「豚が人間を支配する世界」を設定した。何で豚なの?などというのは愚問だ。ジコマンコンピュータの暴走が原因で起きた世紀末だからジコマンのルックスに肖って豚にしたのである。最近の小中学校では「渾名禁止」なのだそうだが、自分の時代は当たり前だった。そして渾名を禁止にしている現在、ではいじめは「減ったのか」といえばそうでもない。当たり前だ。こんな政策は無能な文部科学省の役人が「いじめ対策は一応、行っています」と言い訳するためのパフォーマンスに過ぎない。渾名の歴史は古く平安時代にまで遡る。当時の渾名は宮中に出仕する役人が必ずつけたもので、身内でもないのに名前で呼ぶことは不遜であると考えられたのである。こちらの方が「正しい」様に思える。本当に渾名が「良くないもの」だというのならば芸能人の愛称、たとえば「マッチ」「ゆうこりん」などもテレビ局が率先して使用しないようにするべきだろう。「近藤さん」「小倉さん」といった具合に。大人が手本を示さないのに、子供にそれを押しつけるのは「児童虐待」の疑い大いにありだ。私が思うに、渾名に善悪などはなく、仲の良い友人同士でも渾名は付け合うものである。そして当時は嫌でも、後に「親しみを覚える」ものなのだ。私の渾名であるチェリーや珍柿のように。

     梓彩はとても強い女性だ。如何なる責めにも懸命に耐える。その姿は聖書に登場するヨブを思わせる。推敲作業中にふと、そんなことを思った。梓彩が強いのは心の一番大切な場所に翔太がいるからである。「愛は強い」それを表現するために今回は梓彩にかなり過酷な責めを負わせてしまった次第。原作者として誠に申し訳なく思っている。
     今回、聖水の定義を「梓彩の涙」に変更した。推敲作業を通じて私の生命境涯も向上したということか?そういうことも有り得るだろう。「本作の狙い」がそこにある以上、原作者の人間性の向上にも当然,寄与するはずであるから。図らずも自分自身が「本作の有効性」を実証したというわけである。

  • 著者しるす        
    2026年1月1日    
  •  
  •