- 続・コックローチ 第三部(2019年8月~2020年1月)
満月の夜、竹林の中に突如出現した謎の異星人たち。
彼らの正体は
地球から遠く離れた銀河団を支配する皇帝直属の親衛隊。
彼らの目的は
20年前に地球に逃れた前皇帝の一粒種である
「輝夜姫(かぐやひめ)」を見つけ出し捕らえること。
竜宮の剣を会得した聖斗は輝夜姫を護り
「宇宙の平和」を取り戻すことができるのか?
竜宮編に続く御伽話シリーズ第二弾。
今度は「竹取物語」を粉本とするスペース・アドベンチャー。
決戦の舞台は3億光年の彼方!
テーマは「愛」。
目次
続・コックローチ「相棒編」
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続・コックローチ「返報編」
コックローチ劇場版4「コックローチVSコックローチ」
WARNING
- 「闇世界を生きる人間を描く」という作品の性質上、日常生活に於いては禁止されるべき 「不適切な表現」が登場します。本作品に登場する人物たちのマネをしてはいけません。とりわけ山道具を武器として使用することは絶対におやめ下さい。
続・コックローチ「相棒編」
「くうん、くうん」
真っ白な北海道犬が鼻を地面に近づけ、臭いを真剣に嗅いでいる。
「どうだ?わかったか」
「ワン」
臭いを「見つけた」ようだ。犬が一目散に走りだした。その後ろをひとりの男が追いかける。その男を我々は既に知っている。読者には「見慣れた顔」だ。
住宅街を走る犬は、やがて一軒の家の門の前で止まった。
「ここなのか?フウイヌム」
自分の名前を呼ばれた犬は2回、軽く吠えた。一風変わった名前に思われるが、フウイヌムというのは『ガリバー旅行記』に登場する善良な民族の名前である。善良な犬ゆえに、この名前が付けられた。
男は肩に掛けたカバンの中からタブレットを取り出した。タブレットに内蔵されたレーダーが発射される部分を建物に向けると、発射の表示キー押した。タブレットに計測した家の見取り図が3Dで表示される。それだけでない。そこには中にいる人物の位置までも正確に表示されていた。
「2階にふたり。ひとりは立っていて、もう一人は座っているのか」
タブレットをカバンにしまうと、男は家の呼び鈴を押した。
ピンポーン、ピンポーン
暫くしてから扉が開いた。中から出てきたのは中年の男性。呼び鈴を押した男は懐から身分証となる大きなバッジのついた手帳を取り出すと、中から出てきた男に見せた。
「私は警察の者です。少し、お話があるのですが、よろしいでしょか」
「なんでしょう」
「隣の町で一昨日、少年が行方不明になりまして、目撃情報を探しているのです」
「私は何も知りません」
「今、家には、おひとりで?」
「ええ」
「2階に誰かいるのではありませんか?」
「いえ、誰もおりません」
「本当に?」
「はい。私一人です」
既に二人であることは確認済みであったから、フウイヌムの嗅覚、さらには自分の勘も合わせて男は「こいつが犯人に違いない」と確信した。
「こいつを咥えていろ」
「ワン」
フウイヌムは男の命令を受けると直ちに相手のズボンのベルトに噛みついた。
「な、何だ、この犬は?」
男が家の中に入る。
「何を勝手に人の家に上がり込んでいるんだ!」
相手の激昂。だが男はそんなものには目もくれず2階へと駆け上がった。
2階に到着。
「うーうー」
そこには案の定、手足を縛られ、部屋の隅に蹲る少年の姿があった。
「私は警察の人間だ。もう大丈夫」
男はそう言うと1階へと戻った。
フウイヌムに腰を噛みつかれた相手の男性は必死にフウイヌムを引き離そうとしていた。そこへ男は一発、相手の顔面にパンチを浴びせた。
「うぎゃあ」
相手はその場でダウンした。
「もういいぞ」
フウイヌムが口に咥えていたズボンを話した。
男はスマホで電話を始めた。「メールでない」のは直接、相手と話をしたいからだ。
「もしもし」
「勇気、捜査の状況はどうだ?」
「今、解決しました。少年は無事に保護しました」
「フウイヌムの調子はどうだった?使えそうか」
「ええ。実に素晴らしい相棒です、総監」
「そうか」
フウイヌムは警察犬であった。警察犬というとジャーマンシェパードが一般的だが、北海道犬も訓練によっては十分に役に立つ。
「で、タブレットの方は?」
「こちらも役に立ちました」
タブレットはニッポン有数の最先端企業であるPIPIRUMAで開発されたもので、赤外線をはじめとする多くのセンサーによって建物の中を見通し、瞬時に3D化、建物内部の間取りや、中にいる人物の位置を正確に表示する。帆乃香の左目にも同様の機能があることから、珍柿が地球に残したオナラウッドの技術が生かされていることは間違いない。
「これで、今までよりも遥かに早期に事件を解決できるようになるぞ」
今回の捜査は、これら2つの相棒にとっての「初仕事」であった。「身代金目当ての御曹司誘拐事件」は、こうして無事に解決したのだった。
※
ここは都内の某私立高校。
「申し訳ありませんが、今日は皆さんよりも先に帰らせてもらいます」
この学校の校長を務める丹下玄太は職員室で皆に挨拶すると早速、帰り支度を始めた。
「お疲れさまです」
教諭たちが校長に挨拶する。
丹下は今年で55歳の独身貴族。頭頂部はバーコード、体はブクブクと太っていた。こうしたルックスのおかげで校長という地位にありながら女子高生たちからはいつも馬鹿にされていた。
(ちくしょう)
丹下は、いつかは女子高生の誰かに「仕返しをしてやる」と思っていた。好みのタイプの女子高生が見つかればすぐにでも実行するのだが、なかなか好みのタイプが見つからぬ。この時代の女子高生ときたら、髪を茶髪にしたり金髪にしたり、スカートの裾を上げてミニスカートにしたり、とにかく品がない。丹下の好みは長い黒髪をきちんと束ねて、膝丈スカートで太腿は絶対に見せない、そして「だっしー」とか「じゃーん」といった言葉を用いない、要するに気立てのいい「上品な女の子」。だが、そのおかげで女子高生たちは今の今まで丹下が実行しようと練っている「恐るべき計画」に巻き込まれずに済んでいた。
はじめ丹下は自分が校長を務める学校ではさすがに「危険」との判断から、女子高生は「余所の学校から探そう」と考えていた。だが、希望通りの娘はなかなか見つからない。何しろ大きな犯罪を実行するのだから、その危険を冒すに見合うだけの完璧に自分の理想とする娘でなければならぬ。丹下は辛抱強く探した。
するとどうだろう。その娘は自分の学校に通っていた。「灯台下暗し」とはまさにこのことだ。丹下は廊下でその女子高生と、たまたま出合い頭にぶつかったのだった。丹下にとってはまさに幸運、女子高生にとっては不運としか言いようがない。
「校長先生、ごめんなさい」
その場でペコリと頭を下げる黒縁眼鏡の女子生徒。この瞬間から丹下の脳はフル回転した。丹下は僅かの時間で、この女子生徒の顔から足先まで、その特徴を的確に調査、分析、記憶した。
一見すると三つ編みの黒髪に黒縁眼鏡といった具合に見た目には全く「地味な女の子」。だが、スケベ心120%の丹下にそんな小道具は一切通用しない。丹下は直ちにこの女子高生が「掘り出し物の美少女」であることを見抜いてしまった。
まずは声。キャンキャンとかキンキンといった擬音とは全く無縁の、実に落ち着いた上品なもの。
顔の輪郭は丹下の両手の中にすっぽりと収まるほど小さい。瞳はキラキラと輝き、口元はきりりとしている。賢さの表れだ。
キューティクルたっぷりの黒髪は角度に応じて光を反射。日頃からやり慣れていることを思わせる綺麗に編まれた三つ編みの模様を見事に映し出している。こうした地味な髪型は黒縁眼鏡と相まって女子生徒を「悪い虫」など一切ついていない勉学にいそしむ真面目な女子高生に見せる。
この学校の制服であるジャンパースカートが小柄で細身の全身を包む。胸の膨らみは服の上からでは確認できないほどだが、この女子生徒の「勉学に勤しむ真面目な女子高生」という印象には合っている。
足は膝から下に関しては全て細く、足首の「細さ」に至ってはまるで手首と見紛うばかりだ。そればかりではない。足の曲がる角度が実に適切である。O脚でも内股でもない、足を閉じれば左右の膝、ふくらはぎ、踵の三つすべてがピタリとくっつく理想的な形をしている。
丹下は三つ編みを左右に揺らしながら去っていく後ろ姿を眺めながら「本命第一号」と心の中で呟いた。
その後、丹下は校長室のパソコンを操作して、先程の女子生徒に関して調べ始めた。まず始めに分かったのは、女子生徒は現在3年生で、有名国立大学を志願する最も優秀な学生らで編成されたA組の生徒であるということだった。国語、数学、理科、社会、英語全てにおいて5であるのみならず、過去の成績は400人中、常に上位3位以内に入っていた。丹下は「自分が飼う少女が学業成績優秀なのは当然」と思っていたので、まずはクリア。そして体育の成績も実に優秀であった。
その他の重要なデータとして、彼女は「模範学生」として表彰されていることが挙げられる。これは車の多い横断歩道を渡れずに困っているお年寄りの手を引いて一緒に渡ったことによるものだ。また過去の通信簿には「面倒見がよく、後輩たちから慕われている」ことが記されている。この女子生徒の「親切心」や「心の優しさ」を示す具体的証拠に他ならない。
丹下はこれほどファンタスティックな少女に「どうして今まで気付かなかったのか」と後悔することしきりだ。
そして女子生徒の本名である「川田和香」という名前にも丹下は「自分との深い縁」を感じないではいられなかった。つまり川田和香という名前が回文であるように自分の名前である丹下玄太もまた回文なのだ。
丹下は、こうしたデータを総合して判断した結果「この娘こそ自分に弄ばれるためにこの世に生まれてきた女だ」と確信した。それが真実であるか「丹下の妄想」であるかはともかく。
和香は今、第一志望の国立大学を目指して真剣に勉強に励んでいる。私立であれば部活動の成績と内心で推薦合格間違いなしだが、和香は国立大の入試に挑んでいた。そして今の成績であれば合格は「間違いのない」ところ。今の和香には前途洋々たる「明るく楽しい未来」が待っていた。
それらを滅茶滅茶にしてやる。希望に胸膨らませる乙女を地獄に突き落とす。これほど愉快なことはない。決めた。絶対にこの娘を捕まえてやる!
このように決意した丹下は後日、さらに通学路、自宅、そして塾に出かける日にちと時間などの情報を入手。それらを綿密に検討した結果、来月の第一水曜日の塾帰りに捕らえることに決めた。和香を監禁、飼育する場所は既に確保し、手足の自由を奪う拘束具や拷問に用いる用具も準備してある。そこは誰にも見られることなく連れ込むことさえできれば、その後は誰にも絶対にバレることのない、長期間に渡って責め遊ぶことができるまさに理想的な牢獄である。
そして運命の第一水曜日が来た。
21時に予備校での授業を終えた和香は自分をターゲットとする謀略が計画されていることなどつゆとも知らず、いつもの道を予備校から自宅へ向かって一人で歩いていた。学校から直接、塾へ向かったのだろう。和香は制服の上にカーディガンを羽織っていた。
「うっ」
丹下は背後から接近。素早く和香の首筋に麻酔注射を打ち込んだ。この麻酔注射は一般的な注射ではなく、エペピンのように体に押し込むだけで適度の長さの針が飛び出し、自動的に必要量の麻酔が体内に注入される代物で、明らかに「拉致のプロフェッショナル」が使用する、一般の人間には手に入らない道具だった。
「ううっ」
瞬く間に和香は眠りに落ちた。
丹下は和香の体を抱えて、路上に止めてある自分の車へと運んだ。後部ドアを開き、和香をリアシートに寝かせる。和香を眠らせてからここまでの時間は30秒とはかかっていなかった。これでは目撃者などいる筈もなかった。
丹下は運転席に乗り込むと、直ちに車を発進させた。
丹下がやってきたのは自分が勤務する高校。車から降り、正門を開いた丹下は車を中に入れてから再び正門を閉ざした。
車を駐車場に止めた丹下は和香を車から降ろした。丹下は和香を手荷物でも抱えるようにいとも簡単に抱えた。肥満体系で重量級の丹下にとって小柄でスリムな和香を抱えることなど造作もないことだった。特に「自分は今、犯罪を行っているのだ」という恐怖で緊張している時には、なおのことそうであった。
校長である丹下は学校の鍵を持っている。ゆえに丹下は時間に関係なく自由に学校に出入りすることができた。学校の外や廊下に防犯カメラは設置されていたが、その映像を録画する装置は校長室に設置されていたから、データを消去するのは造作もないことだった。
丹下が入ったのは、この学校で最も古い校舎だった。丹下は少子化による学生者数の減少もあって、もはや使用していない地下1階へと降りた。普段は人が入れないように閉めてある鉄扉を開け、中に入る。
廊下を進み、左手にある扉を開けると、丹下は部屋の中の電気を点けた。そこは現在は使用されていない放送室だった。放送室であるから防音は完璧だ。どんなに大声を張り上げても外には絶対に聞こえない。
そして、その奥にはもう一つ扉が。
その扉の奥はスタジオ。大きさは8畳。その中にふたりが入る。丹下は直ちに扉を閉めた。
「はあはあはあはあはあ」
丹下は、まじまじと和香を眺めた。試しに丹下は和香の頬を指でつついてみた。だが和香には全く目が覚める様子はなかった。麻酔はこの先数時間、和香を眠らせ続けるであろう。
この時、丹下は和香が眼鏡をしていないのに気が付いた。どうやら拉致現場に落としたらしい。だが、そんなことはどうでもいい。警察に拉致現場を特定されたからといって、ここが見つかるわけではない。丹下は今更、眼鏡を探しに現場に戻る気にはならなかった。
「よし、やるぞ」
丹下は和香を着替えさせ始めた。制服を脱がし、前もって用意しておいた背中にボタンのある赤いビーズを胸にちりばめた白いブラウスと二つの革のベルトで留める緑色のチェック柄の巻きスカートを着せる。その刺激によっていつ目が覚めるかと恐れていたが、和香は最後まで目を覚ますことはなかった。
次に丹下は和香の身体拘束に入った。
スタジオの中に前もって用意していた磔台の上に和香を拘束する。手首足首に鉄枷が嵌められ、和香の体はヒトデ状になった。
この磔台を我々は知っている。この磔台はその昔、ハッチャンが待子を拘束、拷問にかけた、あの磔台に他ならなかった。
それがなぜここに?
理由は不明だが、あの磔台がその後「回収された」という事実はない。あの無人島での激闘ののち、暫くの間、コックローチは存在しなかったのだから、回収などされる筈がなかった。その間に何者かによって奪われたのだろう。そして、いろいろな闇組織を経由したのち、ここに落ち着いたのに違いない。丹下が和香を眠らせるのに用いた麻酔の由来もまた、この磔台と同じであった。ハッチャンが用いる道具なのだからプロフェッショナル仕様であるのも「納得」だ。
かくして和香は「由緒正しい磔台」に繋がれてしまったのだった。
和香の麻酔は切れそうになかった。丹下は和香の頬を叩いたり,脇の下をくすぐったりしてはみたが反応はない。寝ている和香を虐めても意味はない。麻酔が切れないことには「楽しみ」は始まらない。
「まあいい、明日にしよう。時間はたっぷりとあるのだからな」
丹下は和香の体から剥奪した制服をバックに詰めるとそれを手にスタジオを出た。スタジオの照明が消される。スタジオの中は暗闇になった。
丹下は自宅へと向かった。自宅に戻った丹下は車を家のガレージに入れるとバッグを持って自宅へと入った。自宅のリビングに入った丹下はバッグの中から和香が着ていた制服を取り出すと、それらを頭のないマネキンに着せた。
これらの戦利品を眺めながら、丹下は外の物音ひとつ聞こえない真っ暗なスタジオで眠る和香の姿を思い浮かべた。
「そうだ、遂に自分は理想の娘を檻の中に閉じ込めたのだ」
つい先ほどまで和香が実際に着ていた制服を見ているだけで丹下は興奮しないではいられなかった。
「さて、明日からたっぷりと可愛がってやるぞ和香!」
丹下が、このように明日のことを頭に描いている頃。
磔台が突然、動き始めた。
この磔台には人工知能が装備され、台座の中には電動バイブやスタンガンといった、あらゆる種類の拷問道具が内蔵されていた。磔台は「自らの意思」で和香の肉体を辱めるべく動き始めたのだ。それは磔台が和香を「いい女である」と認めたということに他ならない。もしも和香が「いい女でなかった」なら、和香は直ちに処刑されていただろう。
まずは麻酔を解毒する注射が和香の肩に注射された。
室内の照明が点灯した。勿論,磔台の仕業だ。遠隔操作までできるのか、こいつは。
「うう」
和香が目を覚ました。
「こ、ここは?」
和香は体を起き上がらせようとした。
「体が動かない」
和香は頭を横に振った。
「これはーっ?」
和香は自分の手首に枷を認めた。
更に。
「足も繋がれている!」
和香は自分の状況を理解した。
「うっ」
その時、和香の目の前に異様な物体が現れた。それはまるで「銀色の大きな蚯蚓」のような姿をしていた
その巨大蚯蚓が和香のスカートの中に侵入した。
「いやーっ、やめてえーっ!」
深夜、誰もいないスタジオで、磔台がハッチャンのプログラミングに基づき、和香の肉体を虐め始めた。
翌日。
放課後になるや、丹下は直ちに地下1階へと向かった。放送室の扉を開け、照明を点灯する。和香は昨日と同じ状態でそこにいた。
和香は既に目を覚ましていた。
「昨夜はぐっすりと眠れたかな?」
「こ、校長先生?」
和香は眼鏡を失ったぼやけた目で丹下を見つめた。
「お願い、助けて」
和香は丹下に懇願した。昨夜の拷問によって和香の肉体はボロボロだったが、和香の精神は今も「清純な乙女」であった。
「きみの成績表を見たが、きみはとても優秀な学生のようだね?そこでだ。私が直々にきみに授業を行うことに決めたのだよ」
そういうと、丹下は自分のネクタイを緩めた。
「川田和香、今から『特別授業』を始める。今から私と勝負だ。私の授業に最後まで耐えられたら勝ち。自由にしてやろう。もしも負けたらきみは私におもてなしをするのだ」
和香の顔から血の気が引いた。和香はこの時、全てを理解した。この「恐るべき能力を持つ磔台」に自分を繋いだのは校長先生だということを。
「ここは、ここは一体どこなのですか?」
「知りたいか?」
その後、丹下は今、自分たちがいる場所について語った。
「地下の放送室?」
「そうだ。今は使われなくなった旧放送室のスタジオの中さ」
「ああーっ」
放送室のスタジオと聞かされ、和香は思わず叫んでしまった。中学時代は放送部員であった和香は放送室のスタジオが「どのような場所」であるかを良く知っていたからだ。即ち「中の音が決して外部に漏れない場所」であるということを。
「ここは、きみのような美少女を監禁しておくには完璧な場所ってことさ」
丹下の話を聞き終えた和香は自力で逃げ出すしかないことを悟った。と同時に、ここから逃げだすことなど絶対に不可能であることも。和香は歯を食いしばり、丹下の繰り出すおもてなしに必死に耐える。先程、丹下は「最後まで耐えれば自由にする」といった。今はその言葉を信じるしかない。
「さすがは我が校随一の優等生。かわいい顔をしていても、実に往生際が悪い」
その後も丹下は和香を徹底的におもてなししたが結局、和香の口から「前向きな発言」を言わせることはできなかった。勝負は和香に軍配が上がった。和香は最後まで耐えたのだった。しかし、だからといって和香は決して「勝利」を手にすることはできなかった。卑劣にも丹下は和香に「初体験をして貰う」という判決を宣告した。
「そんな。約束が、約束が違います!」
「今のお前の状況で私と『対等の交渉』ができるとでも思っていたのか?」
「ひ、卑怯者ーっ!」
確かに、こういう事件が頻繁に今のニッポンで起きていることはテレビのニュースで知っていたけれど、まさか自分が犠牲者になるなんて。しかもその相手が、自分が通う学校の校長先生だなんて!
「だめえ、だめえ、だめえっ!」
現在55歳の丹下と、18歳の和香。歳の差37歳というふたりによる「赤ちゃん作り」が開始された。
※
警視庁。
「昨日の夜、高校3年生の女子学生、川田和香さんが行方不明になった」
大型スクリーンに和香の顔写真が映し出される。
「これはまた可愛い女の子ですね」
勇気は思わず、そのように口から発してしまった。勇気もまた黒縁眼鏡に騙されない男であった。
ジミーが話を続ける。
「和香さんが最後に目撃されたのは彼女が通っている予備校。そこから自宅へ帰る途中に、何らかの事故に巻き込まれた可能性が高い。事件現場と思しき場所に和香さんのものと思われる眼鏡が落ちていた。警視庁のコンピュータで付近の防犯カメラを解析したところ、白いワンボックスが写っていた。どうやらそれが怪しい」
「白いワンボックスですか」
ニッポンの車のうち2台に1台が白い車で、おまけにワンボックスとなればその台数は何十万台にもなる。
「で、その車のナンバーは?」
「残念だが、汚されていて判読は不可能だ」
「ということは計画的な犯行ですね」
「そうだ。計画的に和香さんを狙ったものだ」
「で、犯人からの身代金の要求は?」
「ない」
「ということは・・・」
勇気は和香の愛らしい顔を見て、犯人の目的は「性的虐待以外にはない」と思わずにはいられなかった。そして「生きているかもしれないが、既に虐待は始められているに違いない」と感じた。一刻も早く助け出さなくては。
「総監。フウイヌムを使います。それとタブレットも」
「許可する。というより、そのためにお前を呼んだのだ」
「そうでしたか」
「猶予は3日。それ以上になれば目撃情報を一般にも広く提供してもらうために事件を公にしないわけには行かない」
女性、特に若い女性が巻き込まれた事件は地元警察から一度、全て警視庁に集められ、地元警察には「守秘義務」が徹底される。理由は無論「プライバシー保護」のためだ。若い女性が巻き込まれた事件はとかくメディアや大衆の関心を集め、しかもそれが「レイプ事件」ともなればメディアは挙ってその女性のプライバシーを暴き立てようとするため可能な限り事件そのものを「隠密裏に処理」する必要があるのだ。
「勇気、和香さんの未来のためにも3日以内に何としても事件を解決するのだ」
「はい。事件解決のためにベストを尽くします」
初日。
被害者宅から和香の愛用品を入手した勇気は和香の黒縁眼鏡が落ちていた地点でフウイヌムに愛用品の匂いを覚えさせた。
「頼むぞ」
フウイヌムは暫く周辺を歩くと突然、走り始めた。どうやら和香の匂いを見つけたようだ。フウイヌムを必死に追いかける勇気。フウイヌムがどうして「勇気とペアを組むことになったのか」という理由がここにある。フウイヌムの走るスピードに追い付ける警察官は勇気しかいないのだ。
そして、フウイヌムが着いた先は。
「フウイヌム、ここは違う」
フウイヌムが着いた先は和香が通う高校だった。フウイヌムは「正しい判断をした」のだったが、勇気は「学校に残る和香の匂い」を感じ取ってここに来たのだと思ったのだ。
「ワンワン」
「おとなしくするんだ。フウイヌム」
「ワンワン」
結局、この日の勇気は何の収穫も得ることができなかった。
この日、和香が通う学校では、いつものように授業が行われていた。
「今日から川田さんはインフルエンザで、お休みです」
和香の両親には警視庁から学校へは「インフルエンザで休む」ように伝えることを指導していた。そのため教師も生徒も、誰も和香の現状について疑う者はいなかった。
担任教師は校長室にいる丹下に和香がインフルエンザで暫く休学することを報告した。
「そうですか」
丹下は何も知らないふりをして、そのように返事をした。担任教師が去った後、丹下は思わず笑いださずにはいられなかった。
「ふふふ、ははは、ははははは」
笑い終えたのち、丹下は次のように言った。
「インフルエンザで休みか。大方、水面下で警察が捜査をしているのだろうが、なあに絶対に見つかりはせん。何しろ川田和香はこの天才的頭脳の持ち主である『私』が地下の牢獄に繋いでいるのだからな」
クラスメートたちは、よもや同じ校舎の地下1階に自分たちの通う学校の校長の手によって和香が幽閉されているなどとは思いもよらなかった。地下1階は非常用の鉄扉によって閉ざされた立ち入り禁止区域であり、学生は誰も入ることができなかったからだ。
捜索2日目。
「ワンワン」
またもフウイヌムは和香が通う高校へと来てしまった。
「ここじゃない。どうしたんだ、フウイヌム」
フウイヌムの能力は確かなものだとは思いながらも、勇気は「フウイヌムには和香の匂いが見つけられないのでは」と思わないではいられない。例えば、車で遠距離に連れ去られていた場合には、いかに優秀な警察犬といえども追跡は不可能だろう。
結局、この日も勇気は何も得ることができなかった。
そして遂に捜索は3日目に入ってしまった。
今日、発見できなければ事件を公表しなくてはならない。和香の顔写真が公開されれば、その愛らしさゆえにメディアも大衆も挙って和香のプライバシーを根堀り葉堀り探し出し、暴き立てるであろう。そうなったら、たとえ救出できたところで和香の人生は「おしまい」だ。
昨日に続き、この日もフウイヌムは和香が通う高校に来てしまった。既に日没を迎え、校舎は暗くなっていた。
「だめか」
諦めかける勇気。その時、勇気のスマホが鳴った。
「はい」
「勇気、調子はどう?」
「帆乃香」
電話の主は帆乃香だった。事件が解決しないのを見かねて、たまらず連絡を入れたのだ。当たり前だが、帆乃香はこの手の事件に対しては敏感であった。勇気は現状を報告した。警察の内部情報を外に漏らすことは違法だが、相手が帆乃香なら話は別だ。何かいいアイデアを伝授してくれるかもしれないと思ったのだ。
「待って勇気。フウイヌムは行方不明になった女子高生の通う学校で吼えているのね?」
「そうです」
「それって、もしかして、本当にそこにいるんじゃないのかしら?」
「えっ?」
「調べてみたら?」
「わかった、やってみる。ありがとう帆乃香」
勇気はタブレットで校舎を精査した。結果はすぐに出た。
「地下1階に熱源。これは明らかに人体の発する熱だ。フウイヌム」
勇気はフウイヌムを抱きしめた。
「お前は本当のことを知っていたんだな。済まないフウイヌム、お前を疑って」
勇気は直ちに固く閉ざされた正門を飛び越え、学校内へと入り込んだ。校舎の中に入ると地下1階へ直行。タブレットを見ながら熱源へと向かった。
「ここだ」
そこは放送室。勇気が扉を開くと中の電気が点灯していた。
「奥にもう一つ扉があるぞ」
勇気はその扉を開いた。
「な」
中ではまさに丹下が和香を弄んでいる最中だった。勇気の心に「怒りの炎」が灯った。一方の丹下はというと茫然自失。まさか人がやってくるとは思ってもみなかったのだ。
その直後。
「ぎゃあああ!」
丹下が悲鳴を上げた。一体全体、何があったのだ?
「こ、これは!?」
丹下の腹から巨大な蚯蚓の頭の様なものが突き出してきた。それは磔台に備え付けられた拷問用のアーム。そのアームのひとつが丹下の体を背中から貫いたのだ。
「ああ」
アームが下がり、丹下は床に倒れ込んだ。丹下はその場で絶命した。
「危ない」
アームが勇気に襲い掛かる。磔台は勇気を「危険人物」と認識、攻撃を仕掛けてきたのだ。もしも、待子が磔にされている時にジャンとチェリーがその場に居合わせていたら、やはり同様の攻撃を仕掛けてきたに違いない。その後、さらに産業ロボットを思わせる別の種類のアームまで登場、最終的にアームは合計で5本になった。
「うわあ!」
そのうちの一つ、先端にスタンガンを装備するアームが勇気に電撃を放った。和香の肉体に幾つもの青痣をつけたのはこいつだ。
「くそう」
勇気は懐から拳銃を取り出した。
「喰らえ」
だが、勇気がトリガーを引く瞬間、別のアームが勇気の腕から拳銃を叩き落とした。隙の無いアームの動き。さすがは「プログラミング・バイ・ハッチャン」だけのことはある。このアームの動きは「SMのプロ」であると同時に「暗殺のプロ」のそれでもあるのだ。
やがて勇気はアームに捕らえられてしまった。首を掴まれ、体を持ち上げられる勇気。
「くそう、放せ」
アームを必死に殴る蹴るする勇気だったが、アームはびくともしない。
「あああ」
勇気の顔が青ざめてきた。やばい、このままでは勇気がやられる!
その時。
「ワンワン!」
フウイヌムがスタジオ内に入ってきた。フウイヌムは床に転がる拳銃を口に咥えると勇気にところへ持っていった。これは突然のイレギュラー。この磔台の人工知能もハッチャン同様、イレギュラーには弱いようだ。
拳銃を手にした勇気は自分の首を掴むアームを剣銃で破壊した。
「キャン!」
その直後にフウイヌムが鳴いた。アームによって倒されてしまったのだ。この声がフウイヌムの最後の声となってしまった。
「今畜生ーっ」!
勇気は磔台の台座めがけて拳銃を連射した。
アームが停まった。台座の中の人工知能を破壊したのだ。勇気は磔台に拘束されている和香を解放すると、動かなくなったフウイヌムを抱き上げた。
「フウイヌム」
涙など当の昔に枯れ果てている筈の勇気の目から涙が零れ落ちた。
※
真相が真相だけに警視庁では校長を「自殺」に見せかけ、事件は闇に隠されることになった。
丹下の自宅にあった和香の制服は無事に回収され、和香に手渡された。
和香はインフルエンザによる休校日が終わった翌日から学校へと復帰した。学校では当然、校長先生の自殺が話題となっていたが、和香は警察から指示された通り、必死に他人事のように振る舞った。
こうして事件は終わった。
後日、和香は今回の事件の捜査を担当した勇気から「記憶を消す薬」を勧められた。
「事件の全てが終了した。君も忘れるといい」
あまりにも惨い体験ゆえ、勇気は和香にそう進言したのだったが・・・。
「心配してくださり、ありがとうございます。ですが、お断りします」
「そうか」
「苦しみのあまり、どうしても耐えられなくなったら、その時に私の方からお願いにあがります」
かくして和香は過去の事実から目を背けることなく「悍ましい思い出」と必死に戦い続ける道を選択した。そして賢明な和香は自分が「最も苦しむ時」がいつかを知っていた。
いうまでもなく、それは自分が「誰かを好きになった時」。
真面目で誠実な和香のこと、きっと彼氏に「真実を告げる」であろう。その時、彼氏が和香を許さず、和香のもとを去るならば、和香は「地獄の悲しみ」を味わうに違いない。
そんな和香は現在、名門国立大学に通う「花の女子大生」になっている。
警察墓地。
「フウイヌム」
勇気は警察犬の共同墓地の上に立つ巨大な石柱をじっと眺めていた。
「勇気」
後ろから声をかけたのはジミー。
「総監」
ジミーが石柱を見上げる。
「事件が無事に解決できて良かった」
ジミーは一言、そういった。
「ええ、本当に」
フウイヌムはそれをもってきっと満足しているに違いない。そう思うしかない勇気であった。
21
竜宮城との戦いから一年。
聖斗は大学生となっていた。専攻は考古学。「らしい」と思うか「以外」と思うかは読者のご想像にお任せする。
さて、大学生になった聖斗は他の大学生とは自分が「違う」ことに気が付き始めていた。コックローチのメンバーという自覚?「竜宮の剣」を会得する最強剣客としての矜持?いや違う。聖斗は自分が「有名人の息子である」という事実を周囲の学生らの、自分に対する接し方よって自覚し始めていたのである。
「聖斗くーん」
「聖斗くーん」
「聖斗くーん」
大学内にあって聖斗は結構、女の子から声をかけられる。身長160cmと小柄な聖斗は、どうやら女性の母性を擽らずにはいないようだ。
そして更に。
「聖斗くんのお父さんって、世界的に有名なギタリストなんでしょう」
「すごーい」
「すてきー」
何のことはない。「親の七光り」でモテているのだ。そのことを聖斗は勿論、快く思ってはいない。おまけに男子学生もまた「同様の眼」で聖斗のことを見ているのだからたまらない。聖斗は正直、大学生活を全くエンジョイしていないのだった。聖斗が親の七光りでチヤホヤされることに対して何も感じない「鈍感人間」ないしは親の七光りを自ら鼻にかけてスターを気取る「タカビー人間」であったならば何の問題もなかったのだろうが。
しかも、だ。
「聖斗さんですか?我々は〇〇テレビの者ですが、インタビューさせてもらっていいですか?」
たまにではあるが、マスコミまで大学に押しかけてくるのだ。こちらは「元総理大臣の孫(聖斗の祖母はミミ)」という理由からだ。
正直、聖斗は「拙いな」と思う。こんな調子ではコックローチの活動に支障が出かねないからだ。高校時代までは、このようなことは起きていなかったのだが、大学生ともなると「打算の輩」が次々と寄ってくるのだ。それはまるで「砂糖の山に群がる蟻」のようであった。幸い、聖斗は竜宮の剣を会得しているから得意の俊足で「マスコミの追跡から逃れる」くらいは何でもないのだが。
そんな聖斗が通う大学の剣道部の部室。道場の中央に一人の部員が正座する。その頭の上には林檎。
「いくぞ」
部員の前に立つひとりの男が真剣を手に抜刀術の構えを見せる。どうやら頭の上の林檎を水平切りするつもりらしい。一歩間違えれば大惨事だ。道場の壁に沿ってぐるりと並ぶ部員たちが、今から起こることを「見漏らすまい」と真剣に見つめている。
「やあっ」
真剣を抜いた男が林檎を水平に切った。
「わあーっ!」
周りからは拍手喝采。男は得意気に何度も手を上に挙げた。
真剣を振るったのは、さる道場の師範を務める剣客。歳は30代。この剣客は最近、マスコミから「21世紀の侍」なる渾名を頂戴、たびたびテレビに出演しては、こうした曲芸を披露していた。今回、その妙技を生で披露してもらうために剣道部が招待したのだ。竜宮の剣の正当伝承者である聖斗には、もはや剣道部員になる理由がないため、ここにはいなかった。もしこの場に聖斗がいたなら、このような曲芸に対し、どのような感想を抱いただろう?「凄い」と感心したか?「バカらしい」と思ったか?それとも「愚かだ」と怒ったか?
それから数日後。
「聖斗くんですね?」
「どちら様で」
その正体は、またもマスコミ関係者。テレビ局のプロデューサーだという。
「今度のうちの番組にゲスト出演していただけませんか?」
「興味ありません、他をあたってください」
その場を去る聖斗。プロデューサーは思わぬ「空振り」にショックが隠せない。この時代、誰もがテレビに出演したがり、誰もが人気者になりたがっているのだから、聖斗もまた快く承諾するものと思い込んでいたのだ。
元総理大臣を祖母に、スーパーギタリストを父に、大女優(樹里亜のこと)を継母に持ち、母親(樹音のこと)に似て背は低いながらも、ルックスは父親譲り(望はイケメンだ)の聖斗であるからスター性は申し分ない。というわけで、このプロデューサーはそんな聖斗を何としても「テレビデビュー」させたいのだ。広告料で儲けている彼らにとっては番組の視聴率を上げることのできる「スターの存在」が是非とも必要で、ネット時代にあっては、そうしたスターの発掘を芸能プロダクションにだけ任せてもおけないのだ。
「ま、待ってください」
プロデューサーは聖斗を追いかけてきた。
その後、プロデューサーはテレビ出演のメリット、例えば人気のアイドルと出会えるだの、高額な出演料を支払うだの、自身もアイドルになる道が開けるだの、いろいろと話したのだったが、どれひとつとっても聖斗には関心のないものであった。ただ、話をする人間の、何が何でも「自分を出演させるのだ」という決意のようなものは十分に感じられたから、聖斗は次のように返事を返したのだった。
「で、どんな番組なのですか?」
話によればクイズ番組だという。聖斗は知らなかったが、インテリ芸能人として「名を上げたい」と思う者であれば、誰もが「出演したい」と思うほどの人気番組であった。
で、結局どうなったかといえば、聖斗はその番組に出演することになってしまったのだった。絶品グルメや東大生に夢中の、人間として質の低い視聴者にいくらチヤホヤされたからとて「何の意味も持たない」ことを知りながら。
その日の夕方。
聖斗はある家を訪ねた。
「こんばんは、おばさん」
「聖斗ちゃん」
そこは聖斗の実家、即ち望の家であった。そこには現在、望と後妻である樹里亜が暮らしていた。
「今日は、折り入って相談があるので来ました」
聖斗は久方ぶりに自分の家に上がるのだった。二人はその後、リビングのソファに対面して座った。
「実は・・・」
聖斗は樹里亜に今度、テレビ出演することを話した。
「まあ」
「それで、テレビ出演が豊富なおばさんに、いろいろと助言を伺いに来た次第です」
望が入ってきた。
「こら聖斗。おばさんじゃなくて『お母さん』だろう」
「いいんですよ、あなた」
樹里亜が望を嗜める。
「だが」
「私も親友の息子さんから『お母さん』と呼ばれるのは、なんか変な感じがしますもの」
聖斗は、母の友人はやはり母の友人なのであって「お母さん」ではないと思っていた。
それにしても「若いな」と聖斗は思う。樹里亜の実年齢は40歳を超えているのだが、見た目にはどこから見ても20代だ。顔だけじゃない。ソプラノ声などは電話越しであればそれこそ中学生と勘違いするだろう。
「聖斗ちゃんは今度、テレビに出演なさるそうよ」
「なぬ?」
望は驚いた。
「それは拙いんじゃないか?お前はコックローチだろうが」
聖斗は反論した。
「でも、母さんだって昔は芸能人だったではありませんか」
樹音は演歌歌手にしてコックローチであった。それでも無事にこなしていた。
「それに、まさか小柄な自分が『暗殺集団のメンバー』だなんて誰も思いませんよ」
「それはそうだろうが」
聖斗は顔を望から樹里亜に向け直した。
「取り敢えず、撮影現場では『どのように振る舞うべき』なのか知りたいのです」
「そうね。まずは『言葉数を少なくする』こと。個人情報を収集しようと色々訊いてくるでしょうけど、適当にはぐらかすのがいいわ」
「はい」
「あと、メール交換とかは絶対にしない方がいいわ」
「大丈夫です」
「眼鏡はサングラスになさい。スタジオの中はスポットライトの光でかなり眩しいから」
「はい。顔を隠すのにも役立ちます」
「それと、クイズ番組でしょう?撮影中、スマホは手元に持って置けない筈よ。控室の金庫になんか置いていたら、あっという間に盗まれてしまうわ。自分のマネージャーがいれば、その人に預けるのが一番だけど、あなたは素人さんだし、誰か信頼できる友達を連れて行くのがいいわね」
「ならメロに、お願いしてみます」
だが、樹里亜は賛成しなかった。
「この場合、澄子ちゃんの方がいいわ」
「どうして?」
「美音ちゃんは『PIPIRUMAグループ会長のご令嬢』よ。それこそ格好の『メディアの鴨』だわ」
「ああ、そうだ」
子どもの頃から一緒に育っていたので全く意識していなかったが、美音は「お嬢様」なのだ。
「最初に言った『言葉数を少なくする』というのは本番撮影中も同じ。ペラペラしゃべるのは、お笑い芸人に任せて黙っているのが一番よ。おしゃべりな人は視聴者から『あいつはバカだ』と思われるだけだから」
「はい」
「最近は『知識自慢をする人』が多いけれど、あなたの場合はわざと『できないふりを装う』くらいでいいと思うわ。顔を見ただけで充分に『できそうな人』だから」
「お世辞はいいです」
「あなたは恐らく多くの視聴者から『あいつは本当に優秀だ』と思われるでしょう」
「それって、なんか嫌ですね」
「問題を間違えた時に最も恥ずかしいのは『言い訳をすること』です。いくらもっともらしい言い訳をしたところで、間違えているのですから何の意味もありません」
「その場しのぎの『取り繕い』など、もとより自分の性分ではありません」
ここまできて、なぜ聖斗が樹里亜に相談したのかが読者にも判ってきたと思う。樹里亜は実に優秀な女性なのだ。
「あと、あなたの場合、親や親戚が『立派な人』ばかりだから、その点を自己紹介の時に司会者が勝手に説明するでしょう」
「はい。自分からは『自慢しない』ようにします」
「『そんな話、してくれるな』と露骨に顔に表してもいいわよ」
「いいんですか」
「ええ。その方が視聴者にはカッコよく見えるでしょう。家柄を自慢する七光り人間の周囲には陸な人たちが集まらないものです」
「納得です」
聖斗は「今の自分の大学生活」を思った。
「そのクイズ番組には私も何回か出たことがあります。聖斗ちゃんの実力なら正直『全問正解できる』でしょう」
「そんなに簡単なんですか?」
ここで樹里亜はメモ用紙に難読漢字をいくつか書いた。それを聖斗に差し出す。
「読んでみて」
「そもさん、ぶらんこ、どくだみ、さるのこしかけ、まっしぐら」
「さすが『樹音の息子さん』ね」
「このレベルの問題が出ると?」
「そういうこと。大したことないでしょう?」
読める聖斗も流石だが、この場ですらすらとメモ用紙に書いた樹里亜が凄い(正解は「作麽生」「鞭韆」「蕺草」「胡孫眼」「驀地」)!
※
日曜日の午前中。
都内の撮影スタジオに到着した聖斗と澄子。身長160cmの聖斗と175cmの澄子のコンビは「男性アイドルと女性マネージャー」あるいは「弟と姉」といった感じを抱かせるもので、ふたりが「恋人同士」に見えない点は少なくとも、この場では有難いものだった。
「ここがスタジオか」
警備室でのチェックを済ませ、中に入る。大きな鉄扉の奥では既に高い屋根の上で幾つものスポットライトが明々と光っていた。スポットライトの発する強烈な光を浴びた聖斗の眼鏡が自動的に黒くなった。
この前、大学にやってきた番組プロデューサーが聖斗のところにやってきた。
「やあ、よく来たね」
声のかけ方が実に馴れ馴れしい。出会うのはこれで二回目。内心「そんな仲でもあるまいに」と思う。
「みんなに紹介しよう」
「別にいいです」
「まあまあ。みんな、今日初めてここに来たこの『御人』は聖斗くん。何とあのミミ元総理のお孫さんで、父親は世界的スーパーギタリストの望だ」
「どうも」
聖斗は軽く会釈した。スタジオのスタッフや芸能人たちは既に「未来のスーパースター」に興味津々である。
その後、本番前の打ち合わせが行われる。
「聖斗くん、ちょっと来てもらえるかな」
プロデューサーが聖斗を呼んだ。
「なんでしょう」
「これ、今日の出演料」
そう言ってプロデューサーが取り出したのは100万円の小切手。素人の出演料としては文字通り破格の金額である。これはやはり聖斗が元総理の孫で世界的スーパーギタリストの息子であることを考慮したものであるに違いない。聖斗は素直に小切手を受け取ると胸の内ポケットにしまった。
「あとそれから、これも見といてくれるかな?」
手渡されたのは、どうやら番組の台本らしい。その場で中を捲ると、何と出題される問題と解答が記載されているではないか。
「なんですか、これは?」
「今日は君が優勝する筋書きになっているから、問題と答えを覚えておいてよ」
「冗談ではありません!」
聖斗は激昂した。この僕がやらせだって?!呆れた聖斗は台本を叩きつけた。
「『やらせ』だなんて、あなたは僕を侮辱する気ですか!」
何だ、何だ?今日の解答者たちが一斉に聖斗の方を見た。
「そんなことしなくたって僕は優勝しますよ。当り前じゃないですか。インテリ芸能人といったって所詮はグルメ三昧、マンガ三昧の雑魚人間ばかりなんでしょう!」
「わかりました。聖斗くんがそういうなら」
結局「やらせはしない、あくまでも実力勝負で、優勝できなければそれはそれでいい」ということに決まり、聖斗は頭に生えた鬼の角を引っ込めた。
「まったくう」
プンプン言いながら解答の書き込みのない新しい台本に目を通す聖斗。
そんな一連の聖斗の行動をじっと見ていた解答者のひとりが、聖斗のところに歩み寄ってきた。聖斗と同じ年頃の女性である。
「あなた、変わってるわね?」
「なんですか?」
「それに、背が小さくて、可愛い」
「は!?」
聖斗は知らなかったが、この女性こそ今、最もニッポンの若者たちの間で人気のあるアイドル・恵美に他ならなかった。年齢は聖斗よりも2歳年上で、美音と同年である。
恵美は聖斗に話しかけた後、直ちに傍にいる澄子の前に立った。
「あなた、マネージャーさん?」
取り敢えず、今日の役割はそうだ。澄子は「ええ、そうよ」と返事をした。
恵美は澄子の頭から足先まで不審そうな顔で、まじまじと観察した。その後、恵美は澄子には何も言わず、再び聖斗に話しかけた。
「どうして、台本を投げ捨てたりしたの?」
「見てたんですね」
「『クイズ王の称号』を自ら捨てる人なんていないわ。誰もがその称号を喉から手が出るほど欲しがっているんですもの。『インテリ芸能人の王者の証』である、その称号をね」
「捨てる?」
「このクイズ番組は出題される問題の難易度が非常に高いことで有名よ。しかも局の都合による『やらせ』がたびたび行われているわ。例えば『番宣のため』とか」
「それは先程、わかりました」
「あなたを『優勝させたい』というのは、きっとあなたをスターにして今後も番組で積極的に起用したいのでしょうね」
「でしょうね」
「スターには興味ないのかしら?」
「ありません」
「ではなぜ、ここに?」
「『成り行き』という奴です」
恵美は何やら考えていた。実は「自分のこと」を考えていたのだ。自分もまた「自ら進んで」ではなく成り行きで仕方なくアイドルになった人間であったからだ。
「そういえば先程、あなたは僕が『優勝を捨てた』とおっしゃられた」
「ええ」
「そんなつもりはありませんよ」
「えっ?」
「実力で勝てばいいのでしょう」
「確かに、さっきもそうおっしゃっていたわね」
「聞こえてましたか」
「あれだけ大きな声で怒鳴られれば、そりゃあ」
「まあ数時間後には結果が判明しますよ」
恵美は聖斗の顔に今まで出会ってきたインテリ芸能人には決して見られない「知性」を感じ取った。単に学歴や漢字力を鼻高々に自慢したくてうずうずしている人間とは明らかに違う「内面的な器の大きさ」を。そして理由は不明だけれど「翳り」も。その翳りの正体が「暗殺者の発する臭い」であることまでは流石に気付かなかったようだが。
聖斗もまた恵美に、他のアイドルには決して見ることができない「憂い」を感じ取っていた。聖斗には恵美が「渋々アイドルをやっている」ように思われた。
一方、他の解答者たちは先程の聖斗の発言に大いに立腹していた。そりゃあそうだろう、「グルメ三昧、マンガ三昧の雑魚人間」と罵られたのだから。当然の如く、恵美を除く解答者全員が「元総理の孫だからといって容赦はしない。あっという間に落第させてやる!」そんな敵愾心剥き出しの目で聖斗のことを見つめていたのだった。
番組の収録が始まった。
収録開始前に行われたテストの成績順に席は決められていた。螺旋階段の一番上にいる解答者が事前テストの最高得点者で順次、下に降りるほど点数は低いということになる。
で、聖斗はどの位置かというと12番目の席、すなわち「一番下」だった。
これには説明がいる。聖斗はテストを拒否したのだ。
「一番下から登っていく方が面白いじゃないですか」
こうした態度が解答者たちの怒りの炎にさらに油を注ぐものであることは言うまでもない。10名の解答者たちが「舐めやがって」「この番組を甘く見ていやがる」「ここに呼ばれるだけでも大変なのに」といった具合に不快感を抱く。唯一、恵美だけは「やっぱりこの人はユニークだわ」と思った。その恵美は上から4番目の位置にいた。「ここに呼ばれるだけでも大変」というのは通常、出題の優しい他のクイズ番組で好成績を出し続けないと「ここには呼んでもらえない」からである。そういう意味で聖斗は特別待遇なのだ。
さあ、第1問目が読まれる。
「ちょっと待ってください」
「聖斗さん、どうしました?」
ここで聖斗は懐から先程、プロデューサーから受け取った小切手を取り出した。
「ここに今日の僕の番組出演料の小切手があります。これを今回、優勝した方にボーナスとして差し上げましょう」
勿論、こんな予定はない。聖斗の勝手な演出だ。解答者たちは「おおー」と騒ぎ始めた。
「カット、カット!」
プロデューサーが収録を停止させた。
「聖斗クン、勝手な事されたら困るな」
「いいじゃないですか、やりましょうよ」
先程まで腹を立てていた10名の解答者が聖斗の提案を一斉に支持した。当然だ。彼らとすれば優勝して100万円のボーナスをゲットしたいのだ。
「わかりました。まあ、いいでしょう」
かくして収録が再開された。聖斗の演出によって俄然、会場内は盛り上がりを見せた。恵美を除く10名の解答者の目の色が変わった。彼らは皆「100万円のボーナスをゲットするのは、この私だ!」と決意していた。
それにしても、こんな提案を持ち出すとは、聖斗は一体全体「何を考えている」のだろう?ただ言えることは、他の解答者がこれは「聖斗の優勝宣言」だと受け取ったことだ。確かに聖斗が優勝するのであれば100万円は本来の受け取り主である聖斗のものになるのだ。
始めは反対だったプロデューサーも会場の盛り上がりを見て「これなら視聴率アップは間違いない」と喜んだ。
さあ、果たして誰が優勝して100万円の小切手をゲットするのか?
「それでは参ります。第1問『歴史』。次にお見せする写真、最初はアップで徐々に引いていきます。その写真に写っている車の名前をお答えください」
車?
「では行きます、スタート」
最初のアップでは、フロントフェンダーとフロントドアの間の部分がアップで映し出されていた。そこには「鮫の鰓」を思わせる放熱用のスリットが刻まれていた。
「はい、たかよしさん」
「これはもう、ニッポンが世界に誇る名車、コスモスポーツに間違いなし!」
自信満々に回答するたかよし。だが。
「残念、不正解」
「ええーっ!?」
両手を頭の上に乗せて驚くたかよし。その直後。
「はい、聖斗さん」
「フェラーリ400SAスーパーファスト」
「正解」
聖斗が2段上がる。たかよしは2段下がる。
400SAスーパーファストとコスモスポーツはデザイン的に非常によく似ている。無論、先にデザインされたのはフェラーリだ。このようにニッポン人が「世界に誇るジャパンオリジナルデザイン」と思っていても、実際は海外のデザインの流用にすぎない例は意外と多い。2000GTのデザインにしてもフランコ・スカリオーネ(ベルトーネ初代チーフデザイナー)がデザインしたアーノルド・ブリストルの流用で、初代NSXもクライスラー・イントレピットのデザインを模倣している。
せっかくだから、ここで「ニッポン人の精神性」のひとつを考察しておこう。それはニッポン人が「オリジナル製品」への敬意を全く払わない「パクリ製品」の存在を容易に承認・支持する民族であるということだ。車の問題の後だから「車の譬え」を挙げると、中堅メーカーの技術者が苦労して考え出した「新しいコンセプト」に基づく車を一年ほど後に大メーカーがパクる。すると、ニッポン人の多くは大メーカーのパクリ製品の方を好んで購入するのである。俗に言う「後出しジャンケン」という商売方法である。こんなことが可能であるのは、多くのニッポン人にとってはモノを購入する基準として「オリジナルデザイン」であることよりも大企業が製造したという「技術的安心感」の方が重要だからである。
勿論、こうした現象は自動車業界に限った話ではなく、ニッポンのあらゆる分野で見られるものだ。その結果、ニッポンでは大企業における「企画部門」といえば事実上「スパイ部門」と同義であり、「デザイン部門」といえば「盗作部門」と同義なのである。
「第2問『美術』。次の三つの作品名から連想される画家の名前を答えよ。『科学と慈愛』。はい、聖斗さん」
「ピカソ」
「正解」
残りは『泣く女』と『ゲルニカ』だったのだが、五科目だけを自慢する似非インテリとは違い、美術や音楽に対する造形も深い「真のインテリ」である聖斗には三つも聞く必要がない。
「第3問『科学』。次の説明分が表す元素を答えよ。『1906年にニッポン人である小川・・・』はい、聖斗さん」
ここで聖斗は少し考えた。実は聖斗はここで「お手付き」をした。ニッポニウム?それともレニウム?ええい、儘よ。
「テクネチウム」
「正解」
解説すると、1906年にニッポン人小川正孝氏がまだ未発見であった43番元素を発見したと発表、「ニッポニウム」と命名したのだが、それは実は未発見の別の元素=73番元素のレニウムだった。43番元素として発表してしまったため取り消されてしまったのである。ちなみにテクネチウムはその後、別の科学者によって発見された43番元素の名称である。
「ふう、あぶない、あぶない」
眼鏡の中央を軽く押し上げる。子どもの頃より眼鏡を愛用する聖斗の癖だ。
初登場にして、いきなり3問連続正解。先程まで腹を立てていた解答者たちも聖斗の実力を認識しないわけには行かなかった。
「次の問題は一番下の席の人から順番にひとりずつ答えていただきます。最初に不正解した方には一番下の席まで落ちていただきます」
あっそう。
「では第4問『足利将軍の名前』を順番に言っていってください」
通常は「早押し」だが、時たま、こういう出題も登場する。
足利将軍は徳川将軍と同じ15人が存在する。一般の人は「尊氏・義満・義政・義昭」くらいしか知らないだろうが、このクイズに呼ばれるインテリ芸能人は、さすがにスラスラと答えていく。ちなみに聖斗は「義量」を答えた。聖斗は現在、6番目の位置にいる。
せっかくなので足利15代将軍と徳川15代将軍をここに列挙しよう。この手のものは小学生のうちに丸暗記しておくに限る。大人になってからでは覚えるのは大変だからだ。
足利15代将軍
尊氏・義詮・義満・義持・義量・義教・義勝・義政・義尚・義稙・義澄・義晴
義輝・義栄・義昭
徳川15代将軍
家康・秀忠・家光・家綱・綱吉・家宣・家継・吉宗・家重・家治・家斉・家慶
家定・家茂・慶喜
あと一問正解すれば、聖斗が恵美の上に立つ。
「第5問『天文学』。天の川銀河の直径を1kmとしたとき、太陽系の直径はいくつ。はい、聖斗さん」
「100分の1mm」
「正解」
地球人類にとって太陽系と言えば実に広大な空間。人工衛星を太陽系から脱出させるのに20年もの年月を必要とする(宇宙戦艦チェリーや宇宙遠洋漁船量子は除く)。だが、そんな広大に思われる太陽系も天の川銀河に比べたら面積など「存在しない」に等しい小さな点でしかない(何しろ1/100000000なのだから)。地球ともなれば、なおさら狭い。そんな狭い場所で人類は国家などという集団を形成して「愛国心に基づく国益」を理由に互いに憎み合い、争っているのである。何という地球人類の「心の狭さ」だろう!
四問連続正解(一問は全員解答問題だったから)によって、聖斗は遂に4位に浮上した。その結果、恵美は5位になった。
隣同士に並ぶ聖斗と恵美。恵美がじっと聖斗の顔を見上げる。決して怖そうな顔じゃない、むしろ童顔なのに、なんて凛々しいのだろうと恵美は思った。
第6問目で、遂に聖斗の連続解答記録は途絶えた。聖斗にとってはそれほど難問とは思われなかったが別人が先に解答、正解したのだった。
その直後。
不審な雰囲気を抱かせる音楽がスタジオ内に流れた。
「今度の問題は『下剋上問題』となります。上位3人の誰かひとりと下位3人の争いになります。下位3人の誰かが正解した場合には、正解した人と上位の人との順位が入れ替わります」
成程。だから聖斗は、わざと答えなかったのだ。4位であれば下剋上問題の解答者に選ばれないからだ。かくして、籤引きにより解答者は2位の者と決まった。
「第7問『文学』。これらが登場する文学作品3つ、全て答えよ『ヤフー、ゾゾ、キャプテン・ネモ』。はい、たかよしさん」
「ガリバー旅行記、熊のプーさん、海底2万里」
「正解」
聖斗は思う「ヤフー・・・右翼時代のニッポン人のことだな」。
これによって最下位と2位が入れ替わった。第一問目を間違えて8位から最下位に転落したたかよしが、いきなり2位になった。
あと3問。あと3問で下位の3人が失格となる。
その後の順位変動によって、聖斗は1位となり、恵美は5位のまま。下位の3人は、そのまま失格となった。これで残りは9人。
その後、聖斗にとっては暫くの間「退屈な時間」が続いた。というのは1位にいる限り「下剋上問題」で1位が対象者となるまで解答する必要がないからだ。ということで、聖斗は他の解答者の姿を高みから見物するのだが、恵美を唯一の例外として残りの解答者全員が、自分が正解すると「どうだ、凄いだろう」と言わんばかりに派手にポーズを決める、或いは「超嬉しい」と言わんばかりに大燥ぎするのを確認した。
(こんな「出題者が既に正解を知っている問題」に正解したくらいで、何がそんなに嬉しいんだろう?問題の出題者ごときに「さすが!」と褒められたくらいで何がそんなに誇らしいのだろう?)
聖斗には正直、解答者たちの心理が全く理解できない。銅鐸の塔を塒とし、考古学者になることを夢見る聖斗にとっては辞書や辞典を見ても載っていない「誰も答えを知らない謎」を自分が最初に解き明かすこと以外に本当に自分が満足できることなどないのだ。
(ま、これが「雑魚の心理」という奴なのだろうな)
聖斗は結局、そう納得する以外にはないのだった。
20問目でさらに下位3名が失格。残るは6名になった。全部で30問。ちなみに25問目終了時点でさらに下位3名が失格する。
「第21問『歴史』。写真から連想される島を答えよ」
出てきたのは白黒の写真。外国人の女性の顔写真が次々と映し出される。そして最後に海の見える海岸の写真。
「はい、聖斗さん」
「バンカ島」
「正解」
写真は全て1942年に起きた「バンカ島虐殺事件」に関連するものであった。インドネシア・バンカ島で21名のオーストラリア人看護婦が日本兵によってレイプ・殺害された事件だ。こうした史実を地上波で放送できるようになったところに今のニッポンの「健全な姿」を見ることができる。右翼思想が国中を席巻した平成末・令和時代のニッポンでは絶対に在り得ないことである。当時のクイズ番組といえば「伊藤博文」「軍艦島」「伊勢神宮」といった当時の右翼政権を喜ばせる忖度問題ばかりが繰り返し繰り返し出題されていたものだが、今は違うのだ。
それにしても、聖斗は実に強い。どうしてここまで強いのか?それは決まっている。聖斗の体には漢字にめっぽう強かったジャン、そして世界史に精通するチェリーの血が流れているのだ。母親の樹音も実に聡明な女性だった。
しかも聖斗は問題文が全部読まれる前に問題文の内容をあらかじめ推測する能力を持っている。無論、こうした「先読み能力」を持つ者は他にもいるだろうが、聖斗のそれはずば抜けている。
日頃、聖斗は会話の時、相手がまだ話し終わらないのに「はい」「いいえ」と返事をすることがよくある。時にそれは相手を怒らせ「最後まで話を聞け」と言われてしまう結果を生むこともあるのだが、聖斗とすれば「全部聞かなくても、あなたの言いたいことはちゃんとわかっています」ということなのだ。
「第22問目『音楽』。次に流れる曲の題名を答えろ」
番組の傾向から当然、クラシック音楽だ。冒頭ではなく演奏の途中「たーらららーら―、たーらららーらー」という誰もがよく知っているフレーズが流れた。
「はい、たかよしさん」
「ベートーヴェンの第9」
「残念、不正解」
「ええーっ!?」
「はい、恵美さん」
「ブラームス交響曲第1番」
「正解」
流れたのはブラームス交響曲第1番・第4楽章の有名な部分。初演当時から「第9のフレーズの盗用」と噂されていた個所だ。このフレーズを盗用と判断するかしないかは「個人の判断」にお任せする他はない。ともあれ、この問題に正解したことで恵美が落選圏から脱出した。その後、恵美は続けて正解した。
ここまで問題は25問が終了し、残ったのは聖斗、現役東大生クイズ王、そして恵美の3名となった。
ここまで解答した問題数においては聖斗が群を抜いていたが、順位の3番目に恵美がいるのは立派だ。人気アイドルグループのひとりで、しかもルックスがいいだけに、ルックスだけが売りの「お馬鹿」なのかと思いきや「結構できる」のだ。
ここでいう「できる」は勿論、大学受験に必要な知識を知っているということではない。「文化人としての素養がある」という意味だ。実際、恵美が正解する問題はグルメ問題やマンガ・アニメ問題などではなく海外の古典文学といった「文化人としての素養」であった。
「ここからは出題が変わり、早押しではなく1位の人から順番に解答していただきます。正解した人は1段上がります。不正解はそのままです」
あっそう。
「第26問目『生物』。地球上に生息するカブトガニの種を全部答えてから最後に『以上』と言ってください。まずは聖斗さんから」
「カブトガニ、ミナミカブトガニ、マルオカブトガニ、アメリカカブトガニ。以上」
「正解」
竜宮城での決戦以来、聖斗は海洋生物に強くなっていたから、これはサービス問題だ。
「第27問『科学』。次に挙げる3つの文章を執筆した科学者の名前を答えよ『ろうそくの科学』『因果性と相補性』『光子の裁判』」
聖斗は考える。
(最初は常識。次は「相補性」がキーワードだな。残りは確か日本人・・・)
「それでは聖斗さん。お答えください」
「ファラデー、ボーア、朝永振一郎」
「・・・正解」
すぐに「正解」と言えばいいものを、じらす司会者。
「第28問『人物』。次に挙げる3人の女性の夫の名前を答えよ・・・」
この問題、聖斗には全く分からない。それもその筈、3人の女性の名前は歴史的な偉人ではなく「芸能人」なのだ。
「それでは聖斗さん。お答えください」
「わからん」
「残念。それでは慶子さん。お答えください」
結局、この問題は慶子という名の現役東大生が正解した。聖斗と順番が入れ替わる。大燥ぎで喜ぶ慶子。現在、東大医学部生らしいが、聖斗は「こんな奴に自分の体は診てほしくない」と思った。仮にこの女でなくても、聖斗は東大医学部に「いい印象」を持っていない。聖斗のイメージする東大医学部といえば「731部隊の人体実験」と「薬害エイズ」だ。また某東大卒の弁護士がテレビ番組に出演、「東大以外は専門学校」と発言したことは現在の東京大学が「庶民蔑視の人間の巣窟」であることの証明に他ならない。
あと二問。ここでの入れ替わりは痛い。あと二問を慶子が正解すれば、聖斗まで解答権が回ってこない。
29問目は海外のグルメ問題。当然のように慶子が正解。もう勝った気になっている慶子は満面の笑顔で腕を何度も突き上げると「絶対に勝つ!」と叫んだ。
そんな慶子の姿を冷ややかな眼で見つめる聖斗。聖斗は心の底から呆れていたのだ。慶子とやらの人間としてのスケールの小ささに。
「それでは最後、第30問『国語』」
もう後はない。泣いても笑っても最後の問題だ。まあ、聖斗は負けても泣かないし、勝っても笑わないだろうが。
「今からお見せするのは、エミリー・ブロンテ作『嵐が丘』に登場する人物の家系図です。空欄になっている三人の名前を順番にお答えください」
ジーン・ウェブスターの小説『あしながおじさん』の中にも登場。何度も映画になっている名作だから、聖斗は「終わった」と思った。
空欄になっているのは、フランシスの夫、キャサリンの夫、イザベラの夫の個所。
女性にとってはサービス問題にも思えるが、何と慶子は答えられなかった。外国文学などには全く興味がないのだろう。
まさか回ってこようとは。ともあれ、これで聖斗の優勝は決まりだ。
「ヒンドリー、エドガー」
あと最後のひとり。
「レッドクリフ」
何だって?
勿論、これは不正解だ。レッドクリフは三国志に登場する「赤壁」のことだ。
解答権が恵美に回ってきた。恵美は戸惑いつつ、答える。
「ヒンドリー、エドガー、ヒースクリフ」
「正解。優勝は恵美!」
こうして優勝は恵美に決まり、聖斗の「初出場・初優勝」とはならなかった。
「おめでとう。約束通り、これは君のものだ」
聖斗は小切手を恵美に手渡した。その場面をカメラが捉える。その後、解答席から降り、解答者が見つめる中、トロフィーを受け取る恵美。
全ての撮影が終わり、聖斗が足早にスタジオを去ろうとした時。
「聖斗くん」
後ろから恵美が追いかけてきた。
「なぜ、どうして最後の問題、答えなかったの?」
「は?」
「誤魔化さないで。私には判ってる。最後の問題、知ってたのに、わざと答えなかった。どうして、なぜ?」
「『クイズ王』なんて肩書、僕には必要ないんだ。学力自慢なんて人間として実に卑しい振る舞いだよ」
今回、スタジオにいたのはインテリ芸能人をはじめ、現役東大生、元政治家、現役官僚といった具合に、社会的な地位の高いエリートばかりであったが、いずれも自分の学歴や学力を自慢したい人間ではあっても、決して「世のため人のために身を粉にして働く人々」ではない。むしろ一人でも多くの人々を「上から目線で見下したい」とすら思っている正真正銘のカス人間たちだ。もとより、そのような人間でなければクイズ番組になど進んで出演したりはしない。なぜならクイズとは「学歴や学力で人物を評価する底の浅い人間が楽しむもの」にすぎないからだ。誰もがテレビに出演して、多くの人々からチヤホヤされたいと思っている「ちゃらけた時代」にあって、竜宮城の戦いまで経験している聖斗がそんなことには全く興味がないのは至極当然のことだった。
「じゃあ、さよなら」
「待って、これ」
恵美は小切手を聖斗に返そうとした。恵美もまた「聖斗の意見に同感」だったからだ。だが聖斗は断った。
「僕は一般庶民、芸能人じゃない。こんな『お遊び』で100万円なんて大金、貰えないよ。汗水流して真面目に働いている多くの一般労働者をバカにすることになるからね」
「あ」
今の言葉は恵美の心を大きく傷つけたのだったが、聖斗はそのことに全く気が付いていなかった。
「それじゃあ、さよなら」
聖斗は澄子と二人で他の誰よりも早くスタジオを後にした。都内の某有名ホテルが用意した高級スイーツが出場者のために用意されていたのだが、ふたりはそんなものには目もくれなかった。
(私だって芸能界なんか、芸能界なんか・・・)
ふたりの後ろ姿を見つめながら、恵美は目に涙を浮かべていた。
次回は「恵美の秘密」が明らかに。
そして恵美に謎の刺客が迫る。
続・コックローチ22
8月30日公開。お楽しみに。
22
今から3年前の3月。
場所は島根県にある某孤児院。今年18歳になる最年長の恵美は年下の子供たちの世話に大忙し。
そこへ10歳の男の子がやってきた。
「お姉ちゃん、院長先生が呼んでるよ」
「えっ、院長先生が?」
恵美は1階にある院長室へと大急ぎで走った。廊下を走ってはいけないことになっていたが、恵美は走らずにはいられなかった。呼ばれる理由について、恵美には心当たりがあった。それは大学受験の合否結果が通知されてくる時期だったからだ。
「院長先生」
恵美が中に入ると、院長は手にA4サイズの封筒を持っていた。
「大学から封筒が届いています」
封筒の大きさと厚さから、その中に合格通知書と手続書類が入っていることは明らかだった。
「やったあ!」
恵美は院長の手から封筒をふんだくると直ちに開封した。
「えーなになに、恵美様。貴殿は本大学の入学試験に合格しましたことをご報告申し上げます。あはっ」
恵美は嬉しくてならない。これでもっともっといっぱい勉強ができる。恵美はとても勉強熱心な娘であった。
「うおっほん」
院長が咳払いをした。これは風邪ではなく明らかに意図的なもの。院長がこのような咳払いをするときは何か「重要な話をするとき」と決まっていた。恵美は姿勢を正した。
「恵美さん。あなたは4月からは晴れて東京の大学に行くわけでありますが、そのための条件が一つあります」
条件?
「どうぞ、お入りください」
隣の応接室に通じる扉が開くと、スーツを着た男性が入ってきた。
「院長先生、この方は一体?」
男性は懐から名刺を取り出すと恵美に差し出した。
「芸能事務所?」
どうやら芸能プロダクションの関係者のようだ。でも何で?
院長先生が恵美の疑問に答える。
「あなたは東京へ行き、大学に通うと同時に芸能界で活躍するのです」
芸能界?
「あなたは芸能人となって自ら学費を稼ぎながら大学へ通うのです」
「そんな。それじゃあ私、学業に専念できないのですか?」
「仕方がないのです。ここは孤児院。学費を全額出してあげることはできないのです。確かにあなたは学業成績が優秀でしたから奨学金は出ていますが、あなたが進学を望まれた医学部は学費が高く、全額支給というわけにはまいりません。幸いなことに、あなたは美貌の持ち主ですから、この方がいらっしゃる芸能プロダクションに芸能人としてやっていけるかどうか事前に御相談申し上げたのです」
まさか、こんなことになるとは。
「で、どうですの?この子はデビューできそうですか」
「写真よりも断然、素晴らしい。間違いなく売れるでしょう」
かくして恵美は芸能人になることを条件に東京都内の大学へと進学することになった。
東京、芸能事務所本社。
恵美はここでも、いろいろな書類を手渡された。
「この履歴書は?」
「きみの芸能界での履歴だよ」
そこには孤児院育ちである事実は記載されておらず、今は既に亡くなられている自分とは全く縁のない家族の娘ということになっていた。
「芸能界では経歴を偽るのは普通のことだよ」
とはいえ、恵美が両親不明の「ただの孤児」であったならば、ここまではしなかっただろう。だが恵美はただの孤児ではなかった。
恵美の両親は既にこの世にいない。それは事故ではなく「事件」によるものだ。他愛のない夫婦喧嘩で起きた殺人事件。恵美の父親は母親を包丁で刺し殺してしまったのだ。そして恵美の父親もまた、そのことを悔い、後に自殺したのである。幼少の頃より孤児院の中で一番愛らしかった恵美が18歳になるまで孤児院から決して養女として里親に出されなかった理由がここにある。
こうした事実は何としても隠さねばならない。芸能プロダクションはそう判断したのだった。ニッポンは世界でも有数の「人権蔑視大国」であり、殺人犯の娘を「本人とは関係のない話」と暖かく迎えてくれる世論は残念ながら存在しない。
その後、恵美は大学に通いながら芸能界での活動に入った。
サイン会。黙々とサインを書き、ファンと握手する恵美。
(私は嘘吐き。私はファンのみんなを騙している)
恵美は胸が痛い。
それだけではない。
恵美が医学部への進学を希望したのは両親の悲劇によって「命の尊さ」を誰よりも知っていたからで、立派な医者になるために真剣に勉強する決意だった。それが芸能人としての活動の多忙によって「単位取得のためだけの大学通い」になりかねない状況になってしまったのだ。
更にもう一つ。
芸能人となれば当然のことながら「社交」は避けられない。だが、殺人犯を父に持つ恵美が社交的である筈もない。芸能人をはじめ、政治家、財界人、マスコミ、スポーツ選手、歌舞伎俳優、囲碁・将棋の棋士、芥川・直木賞作家などが集まる社交パーティー。そしてそれを取り仕切るのは全国ネットのテレビ局。一見、華やかなりしその実態は恵美の目には実に安っぽい「虚栄に満ちた俗物世界」にしか映らなかった。そこで話される話題と言えば、株や投機などの儲け話、グルメ・ギャンブル・ゴルフといった娯楽話、そして自分が身につけている宝飾品や有名ブランド品、出身大学や検定資格などの自慢話ばかり。
そして社交会場では青年実業家と呼ばれる人々から一体全体、どれほどの求愛を受けたことだろう!しかし誰一人として気の合う者などいない。目立ちたがりやで、自らを「勝ち組」と名乗り、一般庶民のことを「虫けら」としか思っていない実に嫌な人たち。
同年代の、やはり大学に通いながら芸能界で活躍する人々との話も全く噛み合わない。恵美は本当に勉強がしたくて大学へ進学したけれど、他の人々は名門大卒の肩書を「頭がいい人間に見せかけるための鍍金」とするために大学に通っているにすぎないのだ。
(芸能人なんか辞めたい。普通の女の子として大学で勉強に専念したい)
かくして恵美の苦しみは日に日に募るばかりだった。
※
話は現代に戻る。
この時の収録が放送された翌日からメディア、巷を問わず、聖斗のことが「話題」となっていた。
「クイズ王の称号を拒否した青年」
クイズなんて「全く興味がない」ことを示すために、こうした振る舞いをしたにも拘わらず、このような行動をとった聖斗に対し誰もが興味を抱き、結果、番組出演を依頼するテレビ局が逆に増えてしまったのである。テレビ関係者が連日のように聖斗の通う大学にやってくる。大学はもはや「静かに学問に励む場」ではなくなってしまった。他の大学生への配慮もあり、聖斗は大学を中退することにしたのである。
大学を中退してしまった聖斗は暇でしょうがない。で、散歩に出かけると、近所の人からは決まって次のように声を掛けられる。
「聖斗くん、芸能人になるんですって?」
巷では勝手に既成事実が出来上がっていたのだ。
それどころか。
「頑張ってよ。自分も応援するから。君なら絶対にブレイクするさ」
まいったな、こりゃあ。
散歩途中、聖斗は樹里亜のもとに立ち寄った。
「いらっしゃい」
「おばさん、ちょっと相談が」
聖斗はリビングのソファに腰を下ろすと、神妙な面持ちで向かいに座る樹里亜を見つめた。
「悩んでいるようね?」
「ええ」
「前は全く無関心だったのに、今は悩んでいる。一歩前進かしら?」
「待ってください。そういう意味じゃあ」
「そういう意味でしょう?」
聖斗は反論できない。
「おばさん」
「なに?」
「芸能界って、どんなところですか?」
自分の母親もかつていた芸能界。果たして、それがいかなる世界なのか?聖斗はそれを知らないわけにはいかない気分だった。
「自分自身に厳しい人間だけが、まっとうな人間で居続けられる、とても厳しい世界よ」
樹里亜の、このいい回しに聖斗は興味を覚えた。
「それって」
「要するに『欲望に塗れた汚ない世界』ということよ」
「やっぱり、そうなんだ」
「でも、そういうところだからこそ逆に『自分を磨ける』ことも事実よ。『蓮の花は泥の中から咲く』ことは、あなたも知っているでしょう?」
まさかここで「法華経の話」とは。
「汚い人間など一人もいない綺麗な世界で生きたい。心の綺麗な人間であれば誰もがそう思うわ。でも、それでは人間として成長することはできない。敢えて汚い人間ばかりがいる世界で修業してこそ自分自身を鍛えることができる。勿論、欲望に負けて、自ら汚い人間に成り下がってしまう人もいる。否、圧倒的にそういう人ばかりなのが芸能界の実情かも知れない。でも、その中で必死に『欲望に溺れまい』として頑張っている人もいるわ」
聖斗はこの時、恵美のことを思い浮かべていた。
番組の収録時のこと。威張りたがり、自慢したがり、目立ちたがりの鼻持ちならないタカビーなインテリ芸能人や現役東大生が群れ集うスタジオの中で、彼女だけはそうではなかった。問題に正解しても決して燥がず、司会者から訊かれない限りは自分から言葉を発しない。およそ「目立とう精神」とは無縁。その可憐で淑やかな姿はまさに泥の中に咲く蓮の花の様だった。
「おばさん」
「どう?」
「やってみます。自分にどこまで耐えられるかわかりませんが、敢えて厳しい世界に飛び込んでみます」
かくして期待のルーキーアイドル・聖斗が誕生したのである。聖斗もまた母親・樹音と同じ道を歩むことになったのである。
「おばさん、ありがとうございました」
聖斗は家を出た。
聖斗を見送った樹里亜は畳の部屋へと向かった。
「樹音、これでいいわよね」
仏壇に向かうと樹里亜は、そう心の中で呟いた。
※
人気アイドルともなれば、いたずらや脅迫を受けることも珍しくはない。
「恵美を1週間以内に殺す」
このようなメールがインターネット上で公開された。恐らく「いたずら」だろうが一応、警戒するに越したことはない。
銅鐸の塔。
「殺害メールを発信した犯人は特定できましたか?」
聖斗が帆乃香に尋ねた。
「判らないわ」
「ジコマンコンピュータにわからないことなんて、ない筈では?」
「場所はわかっているの。ただ、電気店なのよ。前もってメールを作成して、お店のパソコンを使って送信したのよ」
「なら、その店の周囲の防犯カメラを調べればいいでしょう!」
聖斗らしからぬ言葉遣い。聖斗は「恵美への脅迫」ということで、いつもならば考えられないほどイライラしていたのだった。聖斗は気が付いていなかったが、このイライラは明らかに聖斗が恵美に「特別な思い」を抱いている証拠だった。否、この場では「抱き始めている兆し」と言っておこう。聖斗が愛する女性は澄子以外にはないのだから。
「今やってるわ。ただ、この時期は多くの人がマスクをしているから、恐らく顔はわからないわ」
今は4月。外はスギ花粉が飛び交っていた。
「ところで、彼女とは競演するんでしょう?」
「ええ。明日、番組の収録があります」
「どんな番組なの、ドラマ?」
「いえ、バラエティです。いろいろな分野の達人が登場して技を披露するそうで、自分はただそれを見て感想を述べるだけです」
「その時に、事件があればいいわね」
「ええ。それなら彼女を護れますし、犯人もその場で捕えることができます」
「聖斗、随分と恵美ちゃんのことが気になるようね?」
「誤解しないでください。別に彼女でなくても、殺害予告を受けている人がいれば護衛しますよ」
この発言、やはり聖斗本人には「自覚がない」ようだ。
「こちらは引き続き調べるから、そちらは明日、しっかり頼むわね」
「了解」
翌日。
「聖斗くん」
聖斗を見つけた恵美が聖斗のもとにやってきた。
「また会ったわね」
実のところ恵美は聖斗と出会えたことが嬉しくてならない。聖斗とは違い、恵美は「自分の気持ち」にはっきりと気が付いていた。
「ところで、あの人は?」
「あの人って?」
「マネージャーの方」
どうやら澄子のことを言っているらしい。
「今日はいないよ。この前は臨時でついて来てもらっただけだから」
プロとなった聖斗には専属のマネージャーがついた。今日はそのマネージャーと一緒にここに来たのだった。そしてマネージャーはコックローチの任務に支障が出ないよう厳選して選んだ人物であった。
「あの人がマネージャーだよ。松本さーん」
聖斗の声を聞いてマネージャーがやってきた。
「この人が僕のマネージャーの松本さん」
「初めまして、松本です」
「初めまして、恵美です」
マネージャーが60代の男性であることに恵美は安堵した。
今回、聖斗のマネージャーとなった松本にとって聖斗は特別な存在だ。何たって聖斗は自分が最初にマネージャーになった樹音の「忘れ形見」なのだから。
松本は初めて樹音に会ったときのことを今も鮮明に覚えている。あれは原宿・竹下通りだった。そして山手線同時多発テロのせいで自宅へ戻れなくなった樹音をその日の夜、自宅に泊まらせたのである。
その松本の手にはトレッキングポール。何かあれば直ちに聖斗に渡す。
スタジオの中に入ると、雛人形を飾る雛壇のような座席が用意されていた。これが見学席で、芸能人はそこに全員、座ることになっていた。
で、恵美は一番前、聖斗は一番後ろだった。後ろと言っても座席の位置は高いから、顔が隠れるようなことはない。その他の芸能人は、お笑いタレントだったり、インテリ芸能人だったり。
右斜め向かいには司会者用の教卓が置かれている。司会はテレビ局の男性アナウンサーと女性アナウンサーの二人。男性はベテラン、女性は入社3年目。
達人たちが芸を披露するステージは雛壇と教卓の前に用意されていた。特別な仕掛けは何もない、ただの広い空間である。
リハーサルを得て、いよいよ本番の収録。次々と特技が披露されていく。「凄い」と思うものもあれば「何だこれ?」と思うものもある。
そして。
「次の達人さんは何と剣の達人、その名も『21世紀の侍』です。では御登場いただきましょう、どうぞ」
侍の格好をした剣の達人がやってきた。
カメラが撮っていなければいいが、聖斗が誰にでもわかる呆れ顔をした。かつてチェリーが「侍ジャパン」「侍ブルー」「リレー侍」といったサムライ気取りの大バカどもを腹の底から「天皇蔑視の非国民」と軽蔑したように、聖斗もまたサムライ気取りの剣客に「軽蔑の思い」を抱かずにはいられない。
「どのような芸を見せていただけるのでしょう?」
「林檎を真っ二つに切ります」
そういうと21世紀の侍は恵美にステージまで出てくるように指示した。そして恵美が出ていくと恵美に林檎を手渡し、手の平の上に乗せるように言った。
「行きます」
刀が水平に走る。
「おおっ」
リンゴはものの見事に二つに切れていた。会場は拍手喝采。
さらに。
「今度は椅子に座ってリンゴを頭の上に乗せてください」
椅子が用意され、恵美が座る。その頭の上に林檎が置かれた。ロビン・フッドじゃあるまいし。だが、もしもこいつが殺害予告をした犯人であれば、恵美の頭は胴体から完全に分離するだろう。
「行きます」
刀が抜刀された。恵美は怯え、目を閉じた。
「おおっ」
今度も林檎が二つに切れ、恵美は無事だった。
「やれやれ」
どうやら21世紀の侍は犯人ではないようだ。だが、油断はならない。犯人はこの時、恵美の命を狙って既に計略を実行に移していたのである。
同時刻、隣のスタジオでは別の番組に使う映像の収録が行われていた。そこではサーカスから借りてきた虎による演技が撮影されていた。のちに他の映像と合成するのだろう、スタジオ内は青一色の幕で覆われていた。
「ううう」
虎の様子がおかしい。
「どうした?」
調教師が心配そうに虎を眺める。
その時。
「ガオーッ!」
虎が突然、大きな声で吼えたかと思うと、虎は調教師に噛みついた。かくしてスタジオはパニックとなった。その後、虎は隣のスタジオに向かって走っていくのだった。
虎がいきなり闖入してきたスタジオの中もまた当然のことながらパニックとなった。司会者や観客など、比較的遠い場所にいた人々は直ちに逃げ出したが、雛壇に座っている芸能人たちは「動いたら危険だ」と判断、その場でじっと静止していた。
「がるるるる」
そんな芸能人の中から品定めをする虎。そして虎は雛壇の最前列に座る恵美めがけて襲い掛かった。
「きゃあああ!」
恐怖の叫び声を上げる恵美。
雛壇の最上階から素早く飛び出す聖斗。聖斗は恵美を脇に抱きかかえると、素早く横へと避けた。まさに間一髪。
「がるるる」
すると虎はまたも恵美を狙う。恵美を背にする聖斗と虎が対峙する。
「聖斗くん、これを!」
松本マネージャーが聖斗にトレッキングポールを投げた。それを受け取る聖斗。その直後、虎が聖斗に向かって襲い掛かった。
「鈍亀のひと突き!」
虎の眉間を狙って聖斗の突きが炸裂した。虎が後方に吹き飛ぶ。
「なに」
だが、虎は気絶しない。聖斗は「虎は興奮剤を注射されている」ことを見抜いた。そう、これは殺害予告犯が仕組んだ恵美を狙った殺害計画なのだ。とするならば、虎が聖斗の発する気を恐れて自ら降伏することは期待できない。この場を脱するには虎を殺すしかない。
「済まない、許してくれ」
聖斗はトレッキングポールを再び水平に構えた。虎が走ってきた。
「鈍亀のひと突き!」
トレッキングポールの先端が虎の眉間を突く、その直後。
「うおおおお」
聖斗の体が半時計回りに回転した。
「鰯の竜巻!」
自分の出番を終え、控室に戻っていた21世紀の侍が刀を手にスタジオに駆け込んできた。逃げてきた人から事態を聞いて「自分が倒す」と意気込んでやってきたのだった。
「虎はどこだ。俺様が成敗してくれる」
聖斗が動かなくなった虎の頭を悲しそうな顔で撫でていた。虎は既に聖斗の繰り出した奥義によって頭蓋骨を打ち砕かれていた。相手の攻撃力を利用する鰯の竜巻。その攻撃力が人間よりも遥かに力の勝る「虎の突進力」であれば、虎の頭蓋骨を打ち砕いたからといって何の不思議もない。
「おお、残念。せっかく生きた虎を切れるチャンスだと思ったのに」
天井を見上げ、悔しがる21世紀の侍。
この事故により撮影は中止。直ちに警察が呼ばれ、現場検証が始まった。現場検証によって虎にはやはり興奮剤が注射されていたことが判明した。何者かによる殺人未遂事件であることは明らかだ。
現場を捜索した結果、隣のスタジオから注射器を発見、回収した。
翌日。
マスコミに取り囲まれているのは聖斗ではなく、何と21世紀の侍。虎を退治したのは聖斗でなく、何と21世紀の侍ということになっていたのだ。マスコミ相手に大威張りで虎退治の模様を語る21世紀の侍。これに対し、事実を知る恵美は正直、怒っている。
「本当は聖斗くんなのに」
しかし「このようにしてほしい」と頼んだのは聖斗本人なのだから仕方がない。
それにしても不思議な人だ。クイズ王になりたくなかったかと思えば、今度の事件でも虎退治の英雄になりたがらなかったり。
でも、ひとつだけ確かなことがある。それは恵美にとって聖斗は自分を助けてくれた「白馬の王子さま」だということ。この事件で完全に恵美は聖斗に参ってしまったのだった。恵美の胸はもう聖斗のことでいっぱいであった。
(でも、私は殺人犯の娘・・・)
聖斗への思いが膨らめば膨らむほど、恵美は自分の過去が重荷となってくるのを感じないではいられなかった。
その頃、聖斗は銅鐸の塔にいた。
「局長、犯人はわかりましたか?」
「ふーむ」
「どうかしましたか?」
帆乃香が言うには、防犯カメラの位置に檻はなく、廊下を行き交うスタッフや芸能人の往来する状況から犯人を特定することは難しいということだった。
「そうですか」
聖斗は残念に思った。
「で、恵美さんの警護の方は?」
「それは問題ないわ。実際に事件が発生したおかげで勇気を投入できたから」
勇気が警護しているのなら、まず安心だ。
「とにかく私たちは一刻も早く犯人を捜し出しましょう」
恵美はこの日、レポート番組の生中継のため和歌山県に来ていた。番組の放映時間は夜であったため、この日は現地のホテルで一泊することになっていた。
勇気はそのホテルの防犯センターで寝ずの張り込みをしていた。このホテルでは警備員が24時間体制で全ての出入り口と全ての階の廊下に備えられた監視カメラの確認を常時行っている。勇気は彼らと連携を取り合いながら翌朝を待つ。
もう間もなく夜が明ける。それを狙っていたかのように勇気のスマホが鳴った。
「はい、勇気です」
「ジミーだ。新しい予告状がインターネット上にアップされた。内容は『3日以内に恵美を殺す』だ」
「この犯人、随分と太々しい奴ですね」
「全くだ。これはもはや、いちアイドルに対するストーカー行為ではない。『警視庁に対する挑戦』だ」
「面白い。必ず捕まえてやる。3日以内?やれるものならやってみろってんだ」
だが、この勇気の自信は数時間後には粉々に打ち砕かれることになる。
朝8時。
「おはようございます」
恵美のマネージャーが防犯センターの勇気のもとにやってきた。勇気はマネージャーとともに恵美の宿泊している8階の部屋へと向かった。
「おはようございます」
恵美が出てきた。どうやら異常はなかったようだ。3人は廊下をエレベータへと向かった。
ドドーン
まるでガス爆発でも起きたかのような巨大な爆発音がした。と同時にホテル全体が地震のように大きく振動した。
「きゃあ」
恵美とマネージャーはその場にしゃがみ込んだ。勇気はさすがに落ち着いている。周囲の警戒を怠らない勇気。やがて震動は止まった。
「大丈夫ですか?」
「ええ、私たちは無事です。でも、今のは一体」
「答えは、あれです」
勇気が首を振ってマネージャーに「廊下の後ろを見なさい」と合図した。何と、先程まで恵美が宿泊していた部屋の扉が無残にも外れ、部屋の中からは黒い煙が噴き出していた。
「あれって、まさか」
「確認してきます」
勇気が部屋へと向かった。
「やはり」
部屋の中は爆発によって滅茶滅茶になっていた。でもなぜ?
勇気のスマホが鳴った。ジミーからだ。
「勇気です」
「今しがた、犯人から動画が送られてきた。そちらに転送する」
その動画を見た勇気は愕然とした。その動画に写っていたのは誘導式対戦車ミサイルが恵美の宿泊していた部屋に向かって一直線に飛翔、爆発する映像だったのだ。爆発があったのは恵美が部屋を出た直後。要するに犯人は「いつでも恵美を殺せる」、更に言えば「いつでも恵美を見ている」と言いたいのだ。
「やってくれるぜ!」
言葉はクールだが、勇気の胸は怒りに張り裂けんばかりだ。
23
「ということで現在、恵美ちゃんは警視庁で保護している」
「判りました」
ジミーから帆乃香への連絡。帆乃香は直ちにコックローチを招集した。
リビング。
「今回の事件は警視庁からコックローチへ移管されました」
帆乃香は集まったメンバーに向かってそう宣言した。警視庁からコックローチへ。これは取りも直さず「犯人を殺害してもいい」ということを意味する。
烈の感想。
「それにしても対戦車ミサイルとはな」
続いて澄子。
「ということは、敵はただの『アイドルオタク』ではないのですね?」
「そういうことになります。武器にも相当詳しい人物ということです」
ここで美音。
「アイドルオタクに武器マニアだなんて。美音、超こわーい」
全くだ。ハッチャンじゃあるまいし。
「で、聖斗はどうしたんだ?見当たらないが」
勇気はともかく、聖斗がこの場にいないのは不自然だ。それについては帆乃香の口から説明があった。
「聖斗は既に作戦を実行中です。そろそろ到着する頃でしょう」
「到着って、何処に?」
警視庁。
「失礼します」
警視総監室に警視正が入って来た。
「総監、お孫さんがお見えになられました」
「よし、通せ」
聖斗は直ちに警視総監室に通された。
「おじいさん、恵美さんは?」
「無事だ。現在、8階の応接室にいる」
「そうですか」
聖斗とジミーの間で帆乃香が立案した今回の作戦について改めて確認された。
「頼んだぞ、聖斗」
「はい」
聖斗は恵美のもとへと向かった。
こんこん
「はい」
「失礼します」
「聖斗クン!」
恵美は聖斗が部屋に入ってきたので驚くとともに、それまでの不安顔から一転、ぱっと笑顔の花が咲いた。
「でも、どうしてここに?」
「僕のおじいさんは警視総監なんだ」
「あ」
「で、恵美さんがここにいることを教えてくれたのさ」
「う、う」
「どうしたの?」
「聖斗クン」
恵美は笑顔から一転、涙をこぼし始めたと思いきや、聖斗に抱き着いた。
「恵美さん?」
「わたし怖い。誰が私を狙っているの?誰が私を殺そうとしているの?」
「大丈夫。ここにいれば安心さ。犯人もじきに捕まるよ」
「本当?」
「ああ、だから暫くの間、ここでじっとしているんだ」
「ええ」
「何か不便なことがあったら、おじいさんを呼んで改善してもらうといい」
警視総監が聖斗の祖父であると知って、居心地の悪い警視庁も「安らぎの場」に感じられるようになった。
聖斗は部屋を出ようとした。
「もう行ってしまうの?」
「また来るよ」
「本当?」
「ああ、勿論」
「待ってるわ」
その後、聖斗は警備室へと向かった。そこには勇気がいた。
「勇気さん、どうですか?」
「ばっちり録画したよ」
「それじゃあ、頼みます」
「了解」
それから1時間もしないうちに応接室での出来事、すなわち恵美と聖斗が抱擁する映像がネットに流れ、恵美のファンの間で共有された。そして直ちにマスコミを集めて聖斗による会見が行われた。
「ネットに流れた、あの動画のいきさつについて、ご説明ください」
「説明も何も、見ての通りです」
「あなたと恵美さんが抱き合っていますが」
「そうです」
「それって、やはり『そういう関係』ということですか?」
「それは、ご想像にお任せします」
「あの場所は、どこなんですか?あなたの家ですか?」
「それについては説明を控えさせていただきます。謎のアイドルオタクから彼女は命を狙われている最中ですので」
「ということは、あなたが恵美さんを保護しているのですか?」
「そうです。犯人が捕まるまでの間、彼女は僕が護ります」
「恵美さんは無事なのですね?」
「勿論」
「話は最初に戻りますが、あなたと恵美さんの関係については?」
「仲のいい『友達』です」
「『恋人同士』ということではないのですか?」
「それは、ご想像にお任せいたします」
敢えて「違います」とは言わない聖斗。
某所、犯人の家。
「うぬぬぬ」
犯人は聖斗の記者会見の模様を見て、腹の底から怒り狂った。
「おのれえっ、ぼくの、ぼくの恵美ちゃんをーっ!」
会見から1時間後。
ジミーから帆乃香へ緊急通信。
「犯人から新しい予告状が届いた。『ターゲットを変更。一週間以内に聖斗を殺す』以上」
「了解。ふふふ」
こうして犯人は帆乃香の手の平の上で踊り始めたのだった。
※
パトカーで警視庁を出た恵美はその後、中道政党本部へと移送された。
「ようこそ恵美ちゃん」
そこで恵美を出迎えたのはジミーの妻であるミミ。
「事件の容疑者じゃあるまいし、警視庁はさすがに『居心地が悪いだろう』と思って、夫と相談してこちらにきてもらったのよ」
これで恵美は聖斗の祖父母と顔見知りになったことになる。殺害の恐怖の渦中にありながらも恵美は嬉しくてたまらない。この事件そのものが或いは自分が聖斗くんと親しくなれるように「天が与えてくれたチャンス」なのではとさえ思われたのだった。
それはさておき。
「警視庁から中継です。見ての通り、警視庁の8階から黒い煙が黙々と立ち登っています。目撃者の話ですと、東の方角からミサイルのようなものが飛んできて、あの部屋に衝突、大爆発したとのことです」
これはレポーターの中継。そう。武器マニアの犯人は映像情報からそこが「警視庁の応接室」であることを見抜いていたのだ。そして今回、そこを攻撃したというわけだ。これまた「いつでも殺せる」という犯人のアピールに他ならなかった。
聖斗のスマホに帆乃香から電話が入った。
「はい」
「警視庁の一件は知ってるわね?」
「ええ、それで恵美さんは」
「大丈夫。党本部に移動させていたから」
「というより、移動させたことを犯人は知っていたのでしょう」
「やはり聖斗も、そう思う?」
「恐らく犯人に恵美さんを殺すつもりはない。ただ脅しているだけだと思う」
「では、なぜ『脅す』のだと思って?」
「いずれ自分が『白馬の王子様』となって登場するつもりなのではないでしょうか?彼女のハートをゲットするために」
聖斗は電話を切った。一見、冗談のような会話だったが、聖斗は本気でこのように感じていた。
というのも「犯人の目星」が聖斗には既についていたからだ。
夜の香澄公園。
命を狙われているにも拘わらず聖斗は公園の中を護衛もつけずに、ひとりで悠然と散歩を楽しんでいた。聖斗は自分が尾行されているのをゴキブリの触覚によって鋭敏に感じ取っていた。そして、こいつが今回の一連の事件の犯人であることも。
聖斗には確信があった。それは犯人が必ず「自分を殺しに来る」ということ。しかもその方法は決して「誘導ミサイルではない」ことを。なぜなら聖斗は犯人の正体を知っていたから。自分のことを憎み切っている犯人は必ず自分の手で自分を殺しに来る筈。しかも、それが自分の腕に自信のある「剣の達人」であるならば必ずそうする筈だと。
聖斗は歩みを止めた。聖斗は公園の中で叫んだ。
「もうそろそろ出てきたらどうだい、21世紀の侍さんよ!」
木の陰から人影が現れた。
「なぜ、自分だとわかった」
聖斗の予想通り、やはり21世紀の侍だった。
「あの時、虎はなぜ、数多い芸能人の中から恵美さんを選んで襲ったのか?犯人は一体どうやって虎が恵美さんを襲うように仕向けたのか?それを考えていて気が付いたのさ。犯人はきっと恵美さんに『マーキングしたに違いない』と。人間には判らない、虎が好む臭いで。そうと判れば、あとは簡単だったよ。あの場で恵美さんの体に直接、接触できた人物は限られる。マネージャー、ヘアメイク、そしてお前だ。お前はあの時、恵美さんに林檎を持たせて斬った。その林檎に仕掛けを施していた。そうだろう?」
「よく見破ったな、褒めてやるよ」
「おまえはあの時、刀を手にしてスタジオに駆け込んできた。もしも僕が虎を始末していなければ、お前が虎を倒し、当初の計画通り、お前が恵美さんの『白馬の王子様』になっていた」
「そうだ。お前さえいなければ、あの時、恵美ちゃんのハートは俺のものになっていたんだ!」
「いいや。僕の見立てでは、こんな小細工でハートをゲットできるほど恵美さんはバカな女性ではない」
「なにい」
「そもそも、こんな策を弄するお前には恵美さんの白馬の王子様になる資格などない」
「黙れ」
「で、エサを蒔いた。僕と恵美さんが抱擁し合う映像を流して、お前の関心を僕に向けさせた。怒りに我を忘れたお前はまんまと引っかかって今、僕の目の前にいる」
「引っかかっただと?冗談じゃない。作戦は無事に終了するさ。お前はここで死ぬんだからな、聖斗」
21世紀の侍が刀を抜いた。
「まだ、わからないようだな。お前」
聖斗がトレッキングポールを構えた。トレッキングポールは構造上、両手では握らない。聖斗は右腕のみで構えた。
「そんなもので真剣を手にした自分と『戦える』と思っているのか?ましてや片腕だと。笑わせてくれるぜ」
21世紀の侍は複数の道場から「免許皆伝」を受けている。自分の腕には絶対の自信があった。
その相手に聖斗は次のように言い放った。
「いくら頭の悪いお前でも、自分の特技で負ければ諦めもつくだろう」
「舐めるなあ、この若造!」
完全に切れた21世紀の侍が聖斗に襲い掛かる。
「くたばれ、このガキがあっ!」
「はあはあはあ」
21世紀の侍の息は完全にあがっていた。対する聖斗は全く普通の呼吸をしている。聖斗が本気ならば「くたばれ、このガキがあっ!」の次の瞬間にすべては終わっているのだ。その証拠に21世紀の侍の体中に青痣ができていた。いずれも聖斗の攻撃によるものだ。
聖斗はわざと遊んでいた。理由?勿論、甚振るためだ。こいつが恵美を脅迫したことを聖斗は本気で怒っていた。
「こ、こんなことが。俺様は鹿島と香取の両神宮に代々伝わる剣術を極めた男。その俺様が手も足も出ないなんて」
「成程わかった。だから、お前は弱いんだ」
「何だと?」
竜宮の剣の正当伝承者である聖斗から見たら神道の兵法など「子供のお遊び」に過ぎない。神道など所詮、天皇を蔑視する「国賊の信仰」にすぎないからだ。対する竜宮の剣は初代・神武帝の祖先の故郷である竜宮城に伝わる文殊菩薩直伝の「法華経の精神に基づく秘剣」なのだ。
「俺様が弱いだと?」
「ああ」
聖斗が正眼に構えた。
「もういい加減、飽きた。お遊びもここまでにする」
「ううっ」
21世紀の侍が怯んだ。どんなに頭で「自分は強い」と思い込もうとしても、もはや体が言うことをきかない。
「はあっ」
左下から右上に向かって聖斗の一閃。21世紀の侍の体が宙を舞う。
「ばかな・・・こんな・・・おれが・・・まける・・・なんて・・・」
聖斗の一撃を浴びた21世紀の侍はやがて地面に落下。そのまま気絶してしまった。トレッキングポールに鞘はないから「抜刀術」は使えない。おまけに断面は同心円であるため空気抵抗も決して少なくない。だが、それでもトレッキングポールを手にした聖斗の一振りは、そんじょそこいらの剣客の抜刀術よりも遥かに「速い」のだ。
「殺されなかっただけ、ましと思え」
いくら殺したって殺したりないほどの相手だが、聖斗は殺さない。もともと人殺しを好まない聖斗だったが、竜宮での戦いを経てからはなお一層、その傾向が強くなっていた。自分の愛する人々を失った時の悲しみを知っているから。この場で聖ではなくトレッキングポールを用いたのも、そのことの証だ。聖斗が握るトレッキングポールは聖斗にとっての数珠丸(日蓮の愛刀。人を斬る刀ではなく「破邪顕正の剣」として柄に数珠を巻いて抜刀できないようにしてあることから、この名がついた)なのだ。
※
「全ては犯人を捕らえるための作戦だったのですか?」
「ええ、そうです」
マスコミを集めての記者会見。聖斗はネットに流れたスキャンダラスな映像について、犯人の標的を自分に向けさせるための「やらせ」であると発表した。
「僕の祖父が警視総監であることは皆さんもご存じですね。僕から提案しました。警視庁は嫌がりましたが、あくまでも僕と祖父のふたりで考えた『家族の問題』ということで承知していただきました」
「ということは、あなたと恵美さんは『特別なお付き合いしているわけではない』ということですね」
「勿論、そうです」
こうして全ては「白紙」に戻った。
しかし。
ピンポーン
聖斗の自宅の呼び鈴が鳴った。
「恵美さん」
「聖斗クン」
リビング。
「うちに来るのは初めてだね」
聖斗は恵美に紅茶を出した。
「聖斗クン」
「なに?」
「テレビを見たわ。嘘よね?『全ては犯人を捕まえるための演技だった』なんて」
「それは」
「私は本気よ。私は聖斗クンのことを本気で」
「恵美さん」
これほどまでに自分のことを慕ってくれる女性に今から「残酷な仕打ち」をしなくてはならないのだと思うと聖斗の胸は痛い。
恵美が聖斗の入れた紅茶を飲んだ。
「ううう」
恵美は急に眠たくなった。
「聖斗・・・クン・・・」
紅茶には記憶を消す薬が入っていた。今までの出来事は全て記憶から消える。
「ごめん、恵美さん」
隣の部屋から帆乃香が出てきた。
「局長、見ての通り、恵美さんの記憶を消しました」
「でも、これで済むかしら」
「といいますと?」
「記憶は消せても『こころ』そのものは変わらないわ。芸能界で活躍するからには、いずれまた、あなたと出会うことになる。そうしたらこの子はきっと再び、あなたを愛するでしょう」
それから半年後。
「3、2、1、キュー」
映画『真理学者銀河』の撮影が始まった。場所は富士宮・白尾山公園。
銀河役の恵美が風で帽子を飛ばすシーンから。
「きゃあ」
恵美が転んだ。ハンドバッグの中身を散乱させる。予定通りの演技。
「大丈夫ですか?」
煌役を演じる聖斗が恵美に走り寄る。見つめ合う二人。
「あっ」
聖斗と目が合った恵美は思わず頬を真っ赤に染めて横を向いてしまった。
「カット」
この場面は再び、撮り直しだ。
「ごめんなさい」
恵美は自分のミスを謝った。恵美は撮影ミスの少ない女優として有名だったが、ここでは珍しくミスをした。監督は一旦休憩することにした。
休憩中、聖斗は恵美の視線を感じた。聖斗を真剣に見つめる恵美の眼差し。聖斗は気づかないふりを装う。
(芸能界で活躍するからには、いずれまた、あなたと出会うことになる。そうしたらこの子はきっと再び、あなたを愛するでしょう)
帆乃香の予言が聖斗の脳裏を掠めた。
休憩時間が終わった。再びさっきの場面の撮影だ。
「3、2、1、キュー」
恵美が再び帽子を飛ばした。その姿は実に可憐で愛らしかった。
次回予告
京都の竹林に突如、謎の集団が出現。
彼らの名は「プレアデス征団」。聖斗はそのうちのひとり、タイゲタを捕らえた。
記憶書き換え装置でタイゲタの記憶を読み取る。
そこから驚くべき真実が明らかとなった。
奴らの野望を阻止すべく、勇気が青森でアステローペ兄弟と対決する。
続・コックローチ 24
9月27日 公開
お楽しみに。
24
京都には竹林が多い。自然に生えたわけではなく、8世紀後半、平安京造営のために大量の樹木が山から切り出された結果である。
竹の繁殖力は凄まじい。地下茎を伸ばし、瞬く間に生育地域を広げていく。広葉樹は互いに「共存し合う」が竹はそうではない。竹は自らを「唯一無二の存在」とでも言わんばかりに自分以外の植物を枯らしながら勢力範囲を広げていく。たとえば森の中の道を歩く。道沿いには広葉樹が生えているが、ひとたび森の中を覗けば竹林といった場所は現在のニッポンには無数にある。そして「広葉樹林がなくなる」ということは、そこに暮らす様々な生き物もいなくなることを意味する。カブトムシやクワガタムシなどの昆虫に、栗鼠や狸などの哺乳類。竹林とは「森が死んだ姿」に他ならないのである。
深夜の京都。
今宵は満月。月の中では兎が餅を搗いている。
竹林の中が白く光っている。その光の中から無数の人影が出現した。全員、黒尽くめ。まるで忍者のようだ。
「どうやら無事に地球に伝送されたようだな」
「隊長」
「今から点呼を取る。アトラス」
「はい」
「タイゲタ」
「はい」
「エレクトラ」
「はい」
「プレイネオ」
「はい」
「ケレーノ」
「はい」
「メローペ」
「はい」
「マイア」
「はい」
「アステローペ兄」
「はい」
「最後、アステローペ弟」
「はい」
点呼によってアルシオーネ隊長は自分を含め総勢10名全員の存在を確認した。
「よし、全員揃っているな」
「はい」
「次の満月は28日後だ。それまでに、この星にいる『輝夜姫』を見つけ出すのだ」
竹林の中に出現した謎の集団のお目当ては、どうやら「かぐや姫」らしい。
「隊を五つに分ける。28日後、再びここに集合だ」
謎の集団はふたり一つに分かれて五つの方角へと散った。
それにしても21世紀の現代に「かぐや姫」とは恐れ入った。
そんな女性が本当にいるのか?だとしたら、どこに?この者たちはなぜ、かぐや姫を探すのか?それ以前に、この者たちは一体全体、何者?
謎は尽きない。
銅鐸の塔。
「フーム」
先程から帆乃香がジコマンコンピュータと格闘している。
「ジコマン。それって本当なの?」
「はい。私の計測では彼女が地球人である確率は0,001%以下です」
その「彼女」がコンピュータルームに入ってきた。
「どうしたの?」
「勇気さんから『局長を呼んできてくれ』と頼まれましたもので。二人は今、リビングにいます」
「わかったわ」
帆乃香はひとまずジコマンコンピュータを切った。しかし、もっと詳しく調べないわけには行かない。ジコマンコンピュータが言うように、彼女がもしも異星人であるとしたら「何が目的」で地球にやってきたのだろう?そもそも本人自身、自分の正体について知っているのだろうか?
ジコマンコンピュータが澄子を「異星人」と特定したのは帆乃香がコックローチのメンバー全員の血液サンプルを検査している時だった。コックローチのメンバーは全員、血液を冷凍保存している。珍柿の手でジコマンコンピュータがハイパー化されたのを機にDNAデータをより細かく分析しようとしていていた矢先の出来事であった。
「まあ、急がなくてもいいわね」
帆乃香はリビングへと向かった。
「怪しい二人組?」
「これを見てください」
勇気は警視庁が管理する防犯映像をリビングのスクリーンに映した。
「ここ数日、ニッポン各地でこうした二人組が防犯カメラに写っているのです」
その姿はまるで黒忍者。
「確かに怪しいわね。で事件は?」
「具体的には、二人組に関連すると思われる凶悪事件は今のところ何も起きていません」
「なら、問題ないんじゃない?」
「何も起きていないことが逆に不安なのです。警視庁の分析では二人組はどうやら5組いるようです」
「ということは、総勢10名ね」
「ええ」
「わかったわ。ジコマンコンピュータで解析してみるわ」
「お願いします」
※
大学2年、澄子20歳。
いきなりルックスの話で恐縮だが、澄子は相変わらず「童顔」である。口元の左右がプウッと膨らんだ頬は小学生と見紛うばかり。その一方で身長175cmあり、いかり肩も逞しいボディは実に大人びていてセクシィである。
胸はFカップ。お尻もそれに負けないくらい大きい。体のラインは美しいコークボトルを形成している。そのお尻から下へと伸びる長い脚は、太ももは大根でも、膝から下はすらりと細く長く、文字通り「カモシカの足」だ。
顔の左右の作りがモナ・リザのように大きく異なる。右は垂れ眉に二重瞼、左は吊り眉に一重瞼。それが澄子の顔にモナ・リザ級の「奥深い趣」を与えている。
聖斗が小学生の頃から澄子にぞっこん惚れ込んでいることは読者も知るところだ。「竜宮の剣」を会得する最強の剣客である聖斗にとって、澄子の童顔こそが「最高の美人顔」であった。それは聖斗いわく「大人ズレしていない純真な心を持った女性の顔」なのだ。確かに澄子の顔には「見栄」や「自惚れ」といった負の感情が全く感じられない。澄子の顔から漂ってくるのは「真面目さ」や「貞淑さ」だ。最強の男の隣には威張りたがり、自慢したがりのタカビーな女よりも心安らげる上品な女性が似合う。
休日の東京。
聖斗と澄子はデートの真っ最中。池袋のサンシャイン水族館。ふたりの頭上にある強化ガラスでできた巨大水槽の中をオットセイが泳ぐ。
「まるで海の底から空を見上げているみたいだわ」
無邪気に喜ぶ澄子。一方、聖斗は無言。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
実は、聖斗は先程から妙な視線を感じていた。
(相手はふたり)
水族館を出た聖斗と澄子は東急ハンズで買い物を楽しむ。
(やはり、つけてきている)
澄子は全く気が付いていないが、超一流の剣客となった聖斗にとっては、これは絶対に見落とす筈のない「危険な香り」だった。
(自分を狙っているのか)
聖斗は当然、そう思った。
(ひょっとして竜宮城の人間?)
先程まで水族館にいたこともあって、ふとそう思う聖斗。竜宮城のことを覚えている地上の人間は聖斗だけだ。
デートを終え、ふたりはホームグラウンドである幕張西へ戻った。既に日は落ち、住宅街は闇夜に包まれている。
「ちょっと、香澄公園を散歩しよう」
「ええ」
聖斗は澄子を人気のない香澄公園に誘った。澄子は「キスでもする気なのかしら」と思った。
ふたりが香澄公園へと入る。バーベキュー公園に来たところで、聖斗が立ち止まった。
「おい、いい加減、出てきたらどうだ!」
「えっ?」
聖斗が突然、大声を出したものだから、澄子は驚かずにはいられなかった。
「フフフ、気が付いていたか」
闇の中から黒忍者のような服装をした二人組が現れた。
「よく、我らの存在に気が付いたな」
「それだけ腐臭を漂わせていれば嫌でもわかるさ」
「言ってくれるぜ」
「お前たち、いったい何者だ?」
「言ってもわかるまい」
「不親切な奴らだな」
「まあいい、なら教えてやろう。俺たちは『プレアデス征団』だ」
「異星人か?」
「ご名答。お前、賢いな」
「プレアデスというのは、お前たちの故郷なのか?」
「いや違う。もっと、ずっと遠い星だよ」
「それは興味あるな、どこだ」
「この星の人類が言うところの『かみのけ座銀河団』の中にある星さ」
「かみのけ座銀河団?」
かみのけ座銀河団。あまり聞いたことがない名だ。具体的な場所を思い出せない。
「あまりの『遠さ』に驚いたようだな?」
相手は聖斗の表情を「驚き」と解釈したようだ。それはさておき、彼らの星はどうやら相当、離れた場所にあるらしい。
「そんな遠くから、どうやって来たんだ?」
「あれさ」
ふたりのうちのひとり、アトラスが天を指さした。そこに輝いているのは。
「月か」
「そう。月が伝送装置さ」
竜宮城と地上を結ぶ伝送装置は亀岩だったが、まさか月とは。銀河間の遠距離伝送ともなればそれだけ巨大な装置が必要ということか。
「ある地点で、この星の月が満月になる時、伝送することができる」
「で、お前たちは何で地球にやってきたんだ?」
「輝夜姫を捕らえるためさ」
「かぐや姫?」
「そうだ」
なんてこった。相手の狙いは自分ではないのか。そして、この場には聖斗の外には澄子しかいない。ということは。
「こいつらの狙いは、どうやら『きみ』のようだ。澄子」
澄子には何が何だか訳がわからない。そんな澄子の心理を察するように聖斗が澄子に話す。
「僕にもよくわからないが、奴ら曰くきみが『かぐや姫』なんだそうだ」
ふたりが前に近寄ってきた。
「輝夜姫、我々と一緒に来てもらおう」
「おっと、自分の存在を忘れているぞ」
「忘れているわけではない。お前はすぐにいなくなる」
「まだ話がある。何でお前たち、そんなにすらすらと日本語を話せるんだ?地球に来る前に、おベンキョーでもしてきたのか」
「これは伝送装置の副作用さ。伝送装置を通過すると原理は不明だが、全ての異星人の言語を理解できるのさ。3カ月くらいで効果は消えるがな」
そういえば竜宮城に行った時も、ごく普通に乙姫と話せた。それって亀岩の効果だったのか。
「もういいだろう。お前には死んでもらう」
「果たして、そう上手く行くかな?」
突然、プレアデス征団のふたりの周囲に無数のカードが、まるで桜の木の枝から落ちる花びらのように、ひらひらと降り始めた。だが、お世辞にも桜の花びらのように美しくはない。というのは絵柄がゴキブリだからだ。
さあ、聖斗のマジックショーの開始だ。
「これでもう、お前たちは僕に攻撃することもできなければ、この場から逃げることもできない」
「こんな子供騙し、我らに通用するか」
そう言って動いた直後。
「うっ」
「これは」
カードがふたりに纏わりつき始めた、しかもご丁寧に体を切り刻みながら。その姿はまるで大量のゴキブリがふたりに噛みついているようだ。
「お前、このカードに」
「何か仕込んでいるな」
「別に何も仕込んでなどいない。ただカードの縁を鋭くしてあるだけだ。体に纏わりつくのは静電気のせいだよ。そのカードは紙ではなくプラスチックでできているんでね。動かない方がいいと思うよ。動かなければ、ただ密着するだけさ。動けばカードは体から剥がれ、再び体めがけて飛び掛かる」
「くそう」
「おのれえ」
ここで聖斗はもう一つ「重要な質問」を始めた。
「では質問の続き。お前たち何故、かぐや姫を狙う?」
ふたりは聖斗が「ただ者でない」ことを知り警戒したようだ。先程までとは打って変わって、だんまりを決め込み始めていた。そうなると捕らえて銅鐸の塔で調べないわけには行かない。
「仕方がない。ならば動けなくなってもらおう」
聖斗が人差し指と中指の間に挟んだカードを投げた。それは麻酔薬を塗ったカード。
「むっ」
ふたりの姿が消えた。
「無駄なことを」
一部のカードのマークには夜光塗料が塗ってある。闇に身を潜めたふたりではあったが、体に纏わりついたカードによって居場所は聖斗に丸見えであった。
「そこだ」
聖斗が投げたカードが夜光塗料によって緑白色に輝くゴキブリのシルエットに突き刺さった。
「うっ」
背中に麻酔カードが刺さったタイゲタはその場で動けなくなった。
「もうひとりは逃がしたか」
アトラスはタイゲタを犠牲にすることで、かろうじてこの場から逃げることに成功していた。
「まあいい。ひとりいれば、こいつらのことはわかる」
聖斗はタイゲタを肩に背負うと、澄子とともにそのまま銅鐸の塔へと連れ帰った。そして直ちに記憶書き換え装置によってタイゲタの記憶を読み取る作業が行われた。
銅鐸の塔・リビング。
「こいつが事件の黒幕か」
黒幕の正体は、かみのけ座銀河連合を支配する皇帝、名前はアルゴル。
「オクト星人、トマルクトゥス星人に続く『第三の異星人』か」
「それよりも驚きなのが」
皆が一斉に澄子を見る。
「澄子が『かぐや姫』だったとはな」
ここで帆乃香が話を始めた。
「私は前から知っていました。ジコマンコンピュータがサンプルの血液から『澄子は地球人ではない』と判定していたのです」
ということは澄子の両親は誰?
「タイゲタの脳から抽出した情報によれば、澄子の地球での両親は、まだ赤ん坊だった澄子を連れて地球へ脱出した前皇帝の執事と皇后の侍女です」
「パパ・・・ママ・・・」
澄子が涙ぐむ。
「そして、澄子の本当の両親は前皇帝と皇后です」
「その澄子の本当の両親はどうなったんだ?」
「断定はできませんが、恐らくはアルゴルによって殺害されたのでしょう。今はアルゴルが皇帝であるということは」
タイゲタの記憶に前皇帝殺害の場面はなかった。その場にはいなかったのだろう。
「コックローチとして、ここで決を採りたいと思います。アルゴルと戦うか否か?」
「勿論、戦うさ」
異論は出ない。
かくして「アルゴルを倒す」ということに決まった。
「でも、まずは地球にいる残り9名の『プレアデス征団』を倒しましょう」
香澄公園を逃げ出したアトラスは隊長アルシオーネとケレーノの隊に合流した。
「タイゲタが倒されただと?」
「申し訳ありません」
「だが、輝夜姫を見つけたのは手柄だ」
「どういたしましょう?」
「全国に散った仲間を呼び戻す。作戦はそれからだ」
「タイゲタを倒すとは、輝夜姫の傍にいる相手は油断ならぬ者のようです、隊長」
「相手は輝夜姫だ。それ相応のナイトが傍にいても不思議ではない」
「奴の技は『カードマジック』でした」
「ということはマジシャンか」
「仲間を呼び戻そう。ケレーノ、『昴の矢』を放て」
「集結」を意味する昴の矢が放たれた。青い星々が京都の夜空に輝く。これは特殊な電波を発する矢で、京都からであれば日本列島全域をカバーする能力がある。
翌日、全国に散った仲間たちが続々と戻ってきた。
しかし1隊だけ戻ってこない。
「あいつらか」
あいつらというのはアステローペ兄弟のことだ。
「まさか既に輝夜姫の仲間と遭遇しているのではあるまいな?」
※
アステローペ兄弟は北海道を探索していた。
「どうやら、ここにはいないようだ」
「兄者。今、昴の矢が放つ電波を受信した」
「では急ぎ、戻らねば」
ふたりは青函トンネルへと向かった。北海道へ渡るときもトンネルの中を走ってきた。帰りも同様だ。
トンネルに入る。トンネルの中を疾走するふたり。ふたりはやがて最も深い場所、津軽海峡の直下に到着した。そこには駅のホームがあり、青函トンネル内に入り込む海水を汲み上げるためのポンプが置かれていた。このポンプの稼働のために「一日百万円以上」を要するのだから驚きだ。「不経済」も甚だしい。
「待っていたぞ『プレアデス征団』!」
突然、ホームの上から声が響く。ホームには照明が設置されている。その照明をバックにひとりの男のシルエットが浮かび上がっていた。
「貴様」
「何者だ?」
「俺の名はジミー」
そう、ジミーが待っていたのだ。
「俺たちが『ここを通る』と、どうして判った?」
「は?馬鹿か、お前ら」
青函トンネル内に人が侵入すれば、防犯カメラに映るに決まっている。ふたりが北海道に渡ったことは、とっくに判っていたのだ。だから再び「帰りに利用する」のを待っていただけの話である。
「悪いが、お前たちはもう逃げられない」
「笑わせるな。地球人の分際で」
「我らに勝てるとでも思うのか」
アステローペ兄弟がファイティングポーズをとる。両掌を大きく開いて前に突き出す。
「素直に捕まれば、命だけは助かるものを」
ジミーは懐からゾンデ棒を取り出した。
ゾンデ棒を見たアステローペ兄弟の顔がニヤリとするのを、ジミーは見逃さなかった。どうやらゾンデ棒は相手にとって都合のいい武器らしい。だが、どう都合がいいのか?ジミーには計りかねた。
「金属棒とは有難い。正確に狙う手間が省ける」
「一瞬のうちに真っ黒こげにしてやる」
その時、天井から滴が落ちてきた。それは津軽海峡の海水が染み出てきたものだ。青函トンネル内では珍しくもない現象である。
「兄者」
「ここでの戦闘は拙い」
アステローペ兄弟は先程までの自信とは一転、ファイティングポーズを解き、一目散に青森県側の出口に向かって逃げ出した。
「どういうことだ?」
ジミーは不思議でならなかった。
「まあいい、後は任せたぞ」
青森県側の出口に到着したアステローペ兄弟。辺りには朝霧が深く立ち込めていた。
「うっ」
「これは?」
突然、ふたりを幾つもの強烈なライトが襲う。
「待っていたぞ」
ここで待っていたのは地元警察と、それを率いる勇気だった。
「ようこそ。プレアデス征団」
いつもの勇気と声が違う。風邪でもひいているのか?声が甲高い。
「お前たちは、もう終わりだキャン!」
よく見れば、勇気の左肩に何やら白い綿帽子のようなものが乗っかっている。声はそこから発せられていた。それはハッチャンが開発した拷問台と戦い殉職した警察犬フウイヌムに代わる新しい勇気の相棒。その名は「テラ」。
テラは銅鐸の塔の中で改造を受けたポメラニアン。人間並みの頭脳を持ち、言葉を話す。ポメラニアン自体、小型犬だが、テラはまだ子供であるためそれこそ10cmほどしかない。特技は勿論、その大きさを生かした潜入捜査だ。
「お前たちは今から血塗れの肉片になってしまうんだなー、キャンキャン!」
テラの欠点は「毒舌」。根は善良だが、口が悪い。
「お前は少し黙っていろ、テラ」
テラは勇気に窘められてしまった。戦いに備えてテラはカンガルーの赤ん坊のように勇気の服のポケットの中に潜り込んだ。
「俺たちと戦う気か?」
「面白い。俺たちの恐ろしさを教えてやろう」
アステローペ兄弟が先程、トンネル内でジミーに見せたのと同様のファインティングポーズをとった。両掌を大きく開き、前に突き出す。
「行くぞ」
「喰らえ」
両掌が光ったかと思うや、鋭い電撃が勇気に向かって走った。
「うわあああっ!」
電撃を喰らった勇気は体から煙を上げて、その場に立膝をついた。
「な、何だ、今の攻撃は?」
得体のしれない攻撃に驚く勇気。勝利を確信しているアステローペ兄弟は今の攻撃について得々と語り始めた。
「俺たち兄弟は電気鰻のように体内に電気を発生させることができる。その電気を掌に集めて発射したのさ。人体はほとんど電解質の水でできているから、まず間違いなくそこを狙って落雷するって寸法よ。ふふふ」
「今のは、ほんの挨拶代わり。俺たちが本気を出せば、人体など一瞬のうちに黒焦げにすることができる」
これでジミーとの戦闘を避けた理由が分かった。青函トンネル内でこの技を使用しなかったのは海水によって自分たちが感電する危険があったからだ。今の攻撃は挨拶代わりということで、勇気は黒焦げにはなっていなかった。ただ、ポケットの中のテラは目をまわし、体中の毛を縮れさせて失神してしまったけれども。
それにしても電気を操るとは。だが負けられない。断じて仕留めなくては。こいつらと戦うためには、なによりもまず電撃を封じなくてはならない。どうする?電撃を封じるには全身を絶縁体で覆うか避雷針が必要だ。
「ゆ、勇気」
ポケットの中から勇気を呼ぶ声がした。テラが目を覚ましたのだ。
「テラ、起きたか」
「勇気、いい手があるキャン」
テラが勇気に秘策を伝授した。
「よし、わかった」
勇気が立ち上がった。
「ふん」
「死ぬために立ち上がったか」
勇気の行動を「無謀」と見た兄弟は鼻で笑った。
自慢の脚力を生かして勇気が飛んだ。
「バカめ、今度は本気で行くぞ。喰らえ」
「これが最後だ、黒焦げになれ勇気」
アステローペ兄弟が電撃を放った。
「なに?」
「こ、これは!」
勇気の体に向かうはずの電撃が勇気の手前で左右に水平に流れた。電撃は瞬く間に消滅した。
「どうした?何をそんなに驚いているんだ」
勇気は北海道新幹線の高架線の上に立っていた。
「貴様、なぜ感電しない?」
「当たり前だろう?雀が電線にとまって感電するか?」
大地と接触していなければ、高架線に触れていても感電することはない。そして高架線は避雷針として最適のものだ。
「くそう!」
必死に電撃を放つアステローペ兄弟。
「無駄だ。ここでは、お前たちの能力は通用しない」
体力を消耗したのだろう、電撃の威力が明らかに弱くなってきた。
「くっ」
「それじゃあ、こちらから行くぞ」
勇気が懐から白い雷鳥の羽を取り出した。先端には針が仕込まれている。
「厳冬羽根手裏剣!」
勇気の手からアステローペ兄弟に向けて雷鳥の白羽が次々と放たれた。必死に避ける兄弟。だが、霧の中の白羽は非常に見づらい。
「くっ」
兄の肩に羽が突き刺さった。
「このままでは勇気の思う壺だ」
兄はジャンプした。頭上から勇気を攻撃するつもりだった。
「それを待っていたぞ」
勇気もまた高架線の上からジャンプした。当然、勇気の方が高い位置にいる。
「空中では逃げられまい」
「しまった」
「螺旋脚!」
勇気が両腕を大きく拡げ、竹とんぼのような姿で体を回転させる。勇気が両腕を胸の前に折り畳むに従い、回転速度は加速。全身ドリルと化した勇気の足の爪先がアステローペ兄の顔面を直撃した。
「ぐわあっ!」
「兄者っ!」
兄はそのまま地面に落下。弟が駆け寄る。
「兄者、兄者ーっ!」
既に息はなかった。螺旋脚は一撃でエステローぺ兄を仕留めた。
「おのれえっ」
怒りに燃えたアステローペ弟が大地に降り立った勇気を睨む。勇気は間髪入れず、弟にも攻撃を加えた。自慢の脚力を生かしてジャンプ、胸の前で腕をクロスさせ体当たり。その瞬間、腕を大きく開く。
「盛夏飛翔!」
真夏の飛騨山脈の空を華麗に舞う雷鳥を思わせる攻撃によって、アステローペ弟の体は後方へと吹き飛ばされた。
もはやここまで。ここは本来であれば引き時なのだが、アステローペ弟にその道は用意されていない。戦うしかないアステローペ弟は渾身の力を込めた必殺の電撃を発射すべくファイティングポーズを構えた。線路上でファイティングポーズを採るその姿は、まるで某特撮漫画のオープニング映像を思わせる。
だが、アステローペ弟は残念ながら「子供たちのヒーロー」の様にはなれなかった。
ピーッ!
アステローペ弟の背後で汽笛が鳴った。後ろを振り向くと、そこには猛スピードで突進してくるグリーンメタリックの電車が。
「うぎゃあーっ!」
アステローペ弟は北海道新幹線の下り一番列車に撥ねられてしまった。霧の中、周囲に強い照明が幾つも設置されていたため、接近してくる新幹線のライトに全く気が付かなかったのだ。アステローペ弟の体はものの見事に飛ばされ、トンネルの入り口に貼られた金属製のネームプレートに激突。その肉体は肉片と化し、血糊となってプレートにへばりついた。かくして弟も兄の後を追った。北海道新幹線はそのまま青函トンネルの中へと走り去っていった。
「勇気」
北海道新幹線と入れ替わりに青函トンネルの中からジミーが出てきた。お年寄りのジミーは走らず歩いてきたのだった。勿論、勇気を信頼してのことだ。
「どうだ?倒したか」
「はい」
「キャンキャン、僕の言う通りになったキャン。敵のひとりは、ものの見事に肉の欠片になったキャン!」
ポケットの中から顔を出すとテラは自慢気にそういった。
次回予告
次々とプレアデス征団と相見えるコックローチのメンバー。
そして京都の竹林で、遂に聖斗とアルシオーネの対決がはじまる。
アルシオーネの繰り出す「秘剣の謎」を海鼠の嚏が解き明かす。
実力的には聖斗の方が上。
だが、戦いの結果は「最悪」のものとなる!
続・コックローチ25
10月11日(金)公開、お楽しみに。
25
タイゲタに続き、アステローペ兄弟までも倒されたプレアデス征団は、ひとまず作戦を中止し、彼らの母星であるメドゥーサへ帰還することにした。だが、次の満月の日までは帰還したくても不可能である。
「一旦散る。敵は当然、竹林のことを知っている筈。ここにずっと纏まっているのは危険だ」
かくして、残りのプレアデス征団は満月の夜まで別々に身を潜める作戦に出たのだった。
だが、その中のひとりであるアトラスは輝夜姫を発見した香澄公園へ再びやってきていた。その心理は「犯罪者は事件現場に舞い戻る」という原理に似ていた。
コックローチがその原理を知らぬ筈がない。
「やはり、また来たな」
「お前は、聖斗!」
待っていたのは聖斗。その左手には聖。
「素直に捕まりに来たのか?アトラス」
「ふざけるな。タイゲタはどうした?」
「仲間思いなんだな」
「『どうした』と訊いているのだ」
「死んだよ」
「なんだと」
「正確に言えば『自殺した』。敵に捕らえられ、あろうことか仲間やボスのことを洗い浚い知られてしまったことを恥じたようだ」
「おおおおお」
「残念だが、お前に仲間の死を悼んでいる暇はない。お前たちが宇宙征服を企む悪の皇帝・アルゴルの手下であるとわかった以上、温情で許してやるわけにもいかない」
「畜生。ただでは死なんぞ。お前だけでも道連れにしてやる」
「それは御免被る」
「うおおおお」
アトラスが聖斗に襲い掛かる。アトラスの武器はナックル。武器とガタイの大きさから、凡そ使う技が想像できる。
「死ねえ!」
思った通りアトラスは正拳突きを繰り出してきた。素早く避ける聖斗。聖斗の後ろに立っていた桜の大木が粉々に割れた。
「対した威力だ」
「今度は逃がさん」
再びアトラスの正拳突き。
「は」
聖斗が抜刀した。アトラスの右拳が右腕から切り離された。
「うぎゃあ」
ナックルと打ち合っても良かったのだろうが、ナックルの強度がわからない。聖斗は安全策を採った。
「おのれえ」
だが、まだアトラスには左拳が残っている。
「俺の必殺の左拳を喰らえ。あーたたたたた!」
聖斗は地面に落ちたアトラスの右拳に聖を突き刺した。聖斗は聖の先端に突き刺したアトラスの右拳でアトラスの左拳を受けた。
「ナックルが!」
アトラスの左拳のナックルが粉々に砕け散る。全く同じ硬度を誇るナックル同士が激突したのだから、中国の諺「矛盾」の通り両方とも破壊されるのは道理だ。
(つ、強い)
アトラスは瞬時に最適な攻撃・防御の方法を判断、余裕の戦いを見せる聖斗を腹の底から「強い」と感じた。
(こいつは、もしかしたらアルシオーネ隊長より強いかも知れん)
「もう降参しろ。おとなしく捕まれば、この右拳は返してやってもいい」
「なんだと」
圧倒的実力を見せつけたのだから降参するだろう。聖斗はそう思ったのだが。
「このアトラスともあろう者が敵の情けを受けるなど!」
そう言うと、アトラスは勢いよく顎を噛んだ。
「アルゴル皇帝に栄光あれー!」
アトラスが何をする気か、聖斗には分かった。聖斗は素早く後ろに飛んだ。果たしてアトラスはその場で自爆した。奥歯の自爆スイッチを噛んだのだ。
「ば、ばかな」
思えば、相方のタイゲタも自殺して果てた。それは「軍事国家に生まれ育った人間の振る舞い」に他ならなかった。そうした国では何よりも「お国の名誉」が大事であり、徹底的に「お国の名誉を護ることの大事さ」が教育される。軍事国家にあっては歴史歪曲を筆頭に大量虐殺や人体実験、慰安婦や徴用工、更には「敵に捕まるくらいなら自殺しろ」という常識では考えられない誤った思想が「当たり前のこと」と見做されるのだ。
「愚かだ。実に愚かだ」
だが、竜宮城の剣士である聖斗には、こうした生命境涯の低い行動を理解することは到底できなかった、というより「理解したい」と思わなかった。
※
エレクトラとプレイネオは愛知県内にある無人の家に身を潜めていた。この時代のニッポンは人口が減少、空き家の数が増え、犯罪者が潜伏するにはうってつけの環境である。
「エレクトラ」
「しっ」
二人は殺気を感じた。建物の中は暗くて狭い。中で争うのは不利だ。二人は表に出た。表には一人の男が立っていた。
「誰だ!」
「俺はコックローチの烈」
烈がエレクトラとプレイネオの潜伏先を発見。二人を倒しに来たのだった。
「お前たち、プレアデス征団の一味だな?」
「なぜ、ここがわかったのだ?」
「これさ」
烈はポケットをまさぐると、中からストップウォッチのようなものを取り出した。
「それは!」
「そう。お前たちの仲間が持っていた機械。一言でいえば、これは『かぐや姫を探すためのレーダー』。原理は地球人類とは異なるお前たち種族の固有の遺伝子を測定する。当然、お前たちの遺伝子にも反応する」
「くそう」
「覚悟はいいな」
「ふざけるな」
プレイネオが烈に仕掛ける。
「喰らえ、デス・ヨーヨー!」
その名の通り、ヨーヨーそっくりの武器が烈に襲い掛かる。ヨーヨーが烈の首に巻きつく。烈はとっさに左腕を入れ、首が絞まるのを防いだ。
「フフフ、捕まえたぞ」
烈が捕まった。
「このヨーヨーの紐は特殊な金属でできている。切ることはできない」
「そうか」
だが、この状況にあっても烈は全く動じていない。
「その方が、こちらとしても都合がいい」
そういうと烈はその場でジャンプ。大きな木の枝に登った。プレイネオは烈が葉の中に身を隠したのだと思った。
「そんなことをしても無駄だ」
だが、そうではなかった。烈は再び姿を現した。地面にするすると降りてくる烈。
「な、なんだ」
烈が木から降りるのと同時にプレイネオの体が浮き始めた。烈はヨーヨーの紐を枝に通してから降りてきたのだ。右手中指にヨーヨーの紐をつけていたプレイネオは体を持ち上げられ、木に宙ぶらりんとなった。だが、なぜ?プレイネオの大柄で逞しい外見からは決して烈よりも体重が軽そうには見えない。だが、とにかく烈の体が重石となってプレイオネの体はものの見事に宙吊りになってしまったのだった。
こうなれば勝負は「決まった」も同じだ。
「確か、このヨーヨーの紐は切れないのだったな?」
烈が右手で懐から手裏剣を取り出した。
「ま、待て」
必死にヨーヨーの紐を指から外そうとするプレイネオ。
「まず一人!」
幾つもの手裏剣がプレイネオの体に突き刺さった。
「うぎゃああああ!」
全身血塗れのプレイネオ。烈は丁寧にヨーヨーを自分の体から外した。プレイネオの体が地面に落下した。
「プレイネオー、プレイネオーッ!」
エレクトラが傍に寄る。プレイネオは既に息絶えていた。
「うう、おのれえ」
相棒を倒されたエレクトラが烈に迫る。
「相棒の仇、死ね。キラー・スーパーボール!」
スーパーボールと言ってもゴムではなく金属。だが、その動きはまさにスーパーボールそのもの。アスファルトや壁、電信柱などに当たって次々と跳ね返る。烈はそれらを巧みに避けたが、アスファルトに当たって跳ね返ったひとつが烈の左胸にヒットした。
「うぐっ」
烈はその場で蹲ってしまった。それを見たエレクトラは勝利を確信した。
「スーパーボールは確実に貴様の心臓に食い込んだ」
烈のもとに近寄るエレクトラ。すると烈がくくくと笑いはじめた。
「大人のくせに相方同様『子供のおもちゃ』が大好きなようだな?エレクトラ」
子供のおもちゃが大好きなのはニッポン人も同じだ。スマホゲームだってれっきとした子供のおもちゃだ。要するに、こいつらはニッポン人の若者並みに「幼稚」ということだ。
「バ、バカな。貴様、なぜ生きている?」
烈がエレクトラに警告する。
「そんなことより、お前、忘れてないか?俺が手にデス・ヨーヨーを握っていることを」
そういう終わると烈は立ち上がり、あっという間にデス・ヨーヨーの紐をエレクトラの体に巻き付けた。
「お、おのれえ」
「さっきも、そう言っていたな。それがお前の口癖か」
「うぬぬぬ」
「このヨーヨー、実に紐が長いな。この分だと、まだまだ伸びそうだ」
そういいながら烈はヨーヨーの紐を指から外すと、それを苦無に結んだ。
「それ」
苦無を空に向かって投げる。その先には電線。ヨーヨーの紐が電線に巻き付いた。
「ぎゃあああああっ!」
高圧電流がエレクトラを襲った。かくしてエレクトラは感電死した。
烈は自分の胸を確認するためにジャケットを脱いだ。するとジャケットの下からは鎖帷子が現れた。烈は日頃から訓練のために重い鎖帷子を着用している。そのために体重が大幅に増えていた。だからプレイネオの体が持ち上がったのだ。
スーパーボールは鎖帷子にめり込んでいた。鎖帷子がなければ烈はスーパーボールによって心臓を貫かれていたに違いない。
「危なかった」
※
再び、満月の夜がやってきた。
先に到着していたアルシオーネ隊長とケレーノがメローペとマイアの到着を待っていた。他の3人が既に倒されていることは連絡が全くつかなくなったことでわかっていた。
「まだ来ないか?」
「はい」
竹藪に人の気配が現れた。
「おお、来たか」
ケレーノが仲間の気配のする方へと向かった。
「ぎゃあ」
突然、ケレーノは悲鳴を上げたと思うや竹藪に倒れた。
「ケレーノ!」
「どうやら、ここにいるのは、あとひとりのようだな」
「お前たちは?」
竹藪から5人組が現れた。それはアルシオーネ隊長が知らない顔だった。ケレーノがこの5人組に倒されたことは明白だった。
「お前たちは誰だ!」
「コックローチ」
5人とは帆乃香、望、聖斗、美音、そして澄子。烈と勇気はメローペとマイアの捜索のため別行動をしていた。そしてふたりからの連絡はまだなかった。どうやら発見できていないようだ。帆乃香は澄子には「銅鐸の塔に残る」ことを勧めたのだが「自分の問題は自分でけりをつけたい」という本人の意向を尊重。危険ではあるが今回の作戦に参加させていた。
突然、アルシオーネのポケットの中の輝夜姫センサーが鳴り始めた。アルシオーネは急いでポケットからセンサーを取り出すと、センサーの表示を見た。センサーはすぐ目の前に輝夜姫がいることを示していた。
「お前が・・・輝夜姫」
アルシオーネの目は澄子を見つめていた。
「あなた方は何者、どうして私を狙うのですか?」
「それを知りたくて『自らやってきた』ということか輝夜姫」
アルシオーネは狂喜した。まさか輝夜姫の方から出向いてくれるとは!
「いいだろう。教えてやる」
アルシオーネは澄子に自分に訊きたいことを、ありのまま話すことにした。無論、目的は「時間稼ぎ」だ。そのうちメローペとマイアがここに来る筈。そのふたりこそアルシオーネ隊長が最も信を置くプレアデス征団最強の戦士。ふたりがここに到着すれば、この場の形勢は必ず「逆転する」と踏んでいた。
「俺は、かみのけ座銀河団を支配する偉大なる皇帝・アルゴル様にお仕えする親衛隊・プレアデス征団のリーダー、アルシオーネ」
「アルシオーネ」
「私は皇帝・アルゴル様の命により、地球へ逃れたそなたを捕らえに来たのだ」
「なぜです?」
「アルゴル様の地位を盤石なものとするため!」
「それって」
「アルゴル様はクーデターによって前皇帝を退け、新たに皇帝に即位なされた。そして、そなたは前皇帝の姫君」
「それで前皇帝はどうしたのです」
「殺した。皇妃ともどもな。本当ならばその時、そなたも死んでいる筈だったが、そなたは前皇帝の側近とともに地球に逃れた」
やはりこれが真実!澄子の心に衝撃が走る。
「ああっ」
澄子はふらつき、その場で倒れそうになった。美音がそんな澄子の体を支えた。
「もうお分かりだろう?そなたの存在はアルゴル様の地位を揺るがすものなのだ!」
「そうか」
帆乃香が一歩、前に出た。澄子に代わって話をするために。
「それで、あなたは『澄子を殺そう』というわけですね。正当な皇位継承者が生きていると邪魔だから」
「それだったら簡単だ。今この場ですぐにできる。だが、私はアルゴル様から『輝夜姫を生きたまま捕えろ』と命じられた。だから正直、厄介だ」
アルシオーネが剣を抜いた。
「話はここまで。お前ら全員、この場で叩き切る」
「私たちは5人。あなたひとりで戦うつもりですか?」
「勿論、そうするしかあるまい」
アルシオーネは自分ひとりであることを強調した。ふたりが来るのを悟られてはならない。本当はもっと話を引き延ばしたかったのだが、あまり長々と話していると怪しまれる。
「美音、あなたは澄子を護りなさい。望、聖斗、行くわよ」
「おう」
「はい」
3対1。常識的にはコックローチ側が有利だ。だが、アルシオーネは余裕を見せる。アルシオーネの体が闘気によって青く光り輝き始めた。
「行くぞ、ボクサー・シックス!」
アルシオーネが握る剣から突然、放射状に6本の白い光線が発射された。その輝きはまさにプレアデス星団中、最大の光を発する恒星アルシオーネそのもの。その光をまともに喰らった帆乃香と望があっという間に倒される。唯一、人間の動きを超える能力を持つ聖斗のみが、かろうじて攻撃を回避することができた。
「ほう、よく避けたな」
だが、それにしても今の攻撃は一体、何だ?聖斗の眼にはアルシオーネは剣を握る右腕を前に突き出しただけのように見えたのだが。
再びアルシオーネの攻撃。またもボクサー・シックス。青く輝くアルシオーネの体を後光に右腕から発する6本の白い光線。スターサファイアを思わせる6本の光線が竹藪の中に走る。竹が斬られる。枝葉をつけた無数の竹が聖斗の頭上から降ってきた。それを避けるには後退するしかない。聖斗は後ろに飛び下がった。
6本の光線を剣によって発生させるには一つしか方法はない。それは三段切りの要領で真上、右上、左上から瞬時に切り下ろすことだ。だが、2回目のボクサー・シックスでも聖斗はアルシオーネが右腕を単純に前に突き出したようにしか見えなかった。まさかアルシオーネの剣さばきは聖斗の動体視力をもってしても見切れないのか?それとも何か「仕掛け」があるのか?ボクサー・シックスという技の名前がどうにも引っかかる。ボクサーというからにはパンチを真っ直ぐに繰り出している筈だ。
「ならば」
聖斗は聖を鞘に納め、抜刀術の構えをした。
「おもしろい」
アルシオーネはまたもボクサー・シックスを放つ気らしい。望むところだ。
「喰らえ、ボクサー・シックス!」
聖斗が抜刀した。
「海鼠の嚏!」
両者の剣が激突した。動きが停まる。両者の攻撃力はまさに対等であった。
「こ、これは?」
その時、聖斗は見た。それはアルシオーネが手にする剣がまるで傘の骨のように6本に広がっている姿だった。何のことはない。アルシオーネが腕を前に突き出す勢いで6本の刃が広がっていただけだったのだ。
「ばれてしまったか」
ネタは暴かれた。
「この剣はもう使えないようだ」
アルシオーネの剣は破壊されていた。所詮は可動部分を有する絡繰刀。海鼠の嚏の威力に耐えられる筈もない。やがて帆乃香と望が起き上がってきた。ふたりの傷は浅かったようだ。
「お前は剣を失った。もう戦えまい」
「それはどうかな?ここが『竹藪の中』だということを忘れたか?」
アルシオーネは、今度は鞭を取り出した。アルシオーネはいろいろな武器を操るようだ。
「今度の武器はいかがかな?」
アルシオーネが鞭を振った。すると鞭は竹を避けるように曲がりながら3人に襲い掛かってきた。竹藪といえば蝮。アルシオーネが振る鞭はまさに竹藪の中を移動する蝮だ。
「うわっ」
「ちいっ」
「うおっ」
鞭を必死に躱す3人。
帆乃香、望、聖斗はこの戦いが「自分たちに不利である」ことにすぐに気が付いた。四方に生える竹は帆乃香、望、聖斗の自由な動きを封じていた。一方、アルシオーネはそんな竹藪の中を自由自在に動き回っていた。アルシオーネは竹藪の戦いに慣れているようだ。
「ひとつに固まっているのは不利だ。散ろう」
三人は三方に分かれた。
だが、それはアルシオーネの仕掛けた罠に自ら引っかかりに行くようなものだった。
「うわあ!」
まず、最初に望が落とし穴に落ちてしまった。
更に。
「きゃあ」
帆乃香が竹で編まれた籠の檻の中に閉じ込められてしまった。
どうやらアルシオーネは「我々が今日、ここに来ること」を予測、前もって罠を設置していたようだ。確かに予測することはたやすかったに違いない。「満月の日に、ここに集まる」と決めていたのだから。
こうして残るは、またも聖斗のみとなった。
「やはり、お前が一番の手練れのようだな?」
幾本もの竹を間に挟んで対峙する両者。
「だが、いつまでも躱せまい」
勝利を確信するアルシオーネ。しかし聖斗は諦めない。聖斗は今こそ「みんなを護るため」にもアルシオーネを倒すと決意していた。だが、どうやって?ここは竹藪。アルシオーネの独擅場である。
「うおおおおお」
聖斗は聖を振り上げた。
「とりゃあ、とりゃあ、とりゃあ」
聖斗は片端から竹を切り倒し始めた。驚いたのはアルシオーネ。
「なんだと」
「とりゃあ、とりゃあ、とりゃあ」
次から次と竹を切り倒していく。
「こんなバカな戦い方があるか!」
次々と竹を切り倒しながら聖斗はアルシオーネに向かって直進していった。
「冗談じゃないぞ」
アルシオーネは逃走し始めた。竹を盾にして必死に逃げるアルシオーネ。
「逃げるな、アルシオーネ!」
竹を切り倒し、必死に追いかける聖斗。
竹を切るのは容易ではない。藁人形を切るのとはわけが違う。斬れ味を追求する薄刃の日本刀は横からの衝撃に脆く、目標物に対してほんの数度、刃の角度が斜めになっただけで刃は欠け、10度も曲がれば、それこそポッキリと折れてしまう。だが、聖斗はいとも簡単に「大根を切る」ように次から次と切り倒していく。竜宮の剣を極めた聖斗と名刀・聖の組み合わせだからこそ可能な神業だ。
「待ちやがれ!」
アルシオーネを追いかける聖斗。聖斗から必死に逃げるアルシオーネ。一体全体、何十本切っただろう?だが、アルシオーネはなかなか観念しない。
「あっ」
アルシオーネが転倒した。筍に躓いたのだ。「猿も木から落ちる」とはまさにこのことだ。竹藪に倒れるアルシオーネの眼前に聖斗が聖を突き出す。
「勝負あったな。アルシオーネ」
「くっ」
「自分の庭で転ぶとは大した腕前だな」
相手の「河童の川流れ」を皮肉ってみせる。聖斗は聖を大きく振りかぶった。
「覚悟ーっ」
その時。
「はい、そこまで」
初めて聞く声。聖斗は声のする方向を見た。
「澄子、メロ!」
澄子と美音が謎の二人組に捕えられていた。なんということだ。万が一に備えて美音を「澄子の警護」として残したのに。それだけ謎の二人組が「強い」ということか。
「おお、メローペ、マイア」
「アルシオーネ隊長。遅くなりました」
「いや、グッドタイミングだ。でかしたぞ」
「どうします。こいつら全員、始末しますか?」
「待て、その娘こそが輝夜姫だ」
「何ですと!」
メローペとマイアは澄子が輝夜姫であることを知って驚いた。
その時、竹藪の奥が明るく輝き始めた。
「伝送の時間が来た。こいつらはいい。輝夜姫を連れて星へ戻るぞ」
「了解しました」
美音は捨てて、澄子のみを人質にして光り輝く方へと歩いていく。
「澄子!」
「おっと動くな。動けば輝夜姫は死ぬぞ」
「聖斗・・・」
「澄子・・・」
必死に聖斗に「自分を助けて」と目で合図をする澄子。その目からは女が絶望する時に見せる悲しみが見て取れる。今の状況では「手の打ちようがない」ことを澄子も知っているのだ。一体全体、自分は何処へ連れていかれるのか?そして、そこで何をされるのか?澄子の心は恐怖で怯え切っていた。
そんな澄子を含め、4人の体が光の中へと吸い込まれるようにして消えた。
「うおおおお」
4人が光の中に消えたと見るや、聖斗もまた光に向かって走り出す。果敢にも光の中へ飛び込む聖斗。
「聖斗ー!」
美音が叫ぶ。
やがて光は消えた。アルシオーネ、メローペ、マイア、澄子、そして聖斗を飲み込んで。
落とし穴から這い上がった望と籠の檻から脱出した帆乃香がやってきた。
「美音」
「聖斗が、澄子が、光の中に消えちゃったの」
「光?」
竹藪は暗闇に包まれていた。
次回予告
意識を取り戻し竹藪の中から外に出た聖斗が見たのは京都とは明らかに違う未来都市。
「ここは別の星だ」
そう。そこは皇帝・アルゴルのいる惑星メドゥーサ。
光に飲み込まれた聖斗もまた、敵の本拠地に伝送されたのだ。
果たして、未知の惑星で聖斗を待ち受けるのは?
続・コックローチ26
10月25日公開 お楽しみに。
26
帝星メドゥーサ。
かみのけ座銀河団全域を支配する「かみのけ座銀河帝国」の中心星である。アルシオーネ、マイア、メローペによって身柄を拘束された澄子は京都の竹藪の中から伝送後、直ちに皇宮へと連れていかれた。
4人は皇帝の執務室へと入った。中には軍服に身を包むひとりの大柄な男が立っていた。
「初めまして、輝夜姫」
「あなたがアルゴル」
アルゴル。いかにも名門の家柄の出自ではない「軍人上がり」を思わせる矍鑠たる70代と思しき老人。澄子の身長は175cmに達するが、アルゴルは2mを優に超える長身の持ち主であり、澄子といえども小柄に見える。
澄子はアルゴルの顔をじっくりと観察した。そしてそれはアルゴルも同じだった。アルゴルは澄子の幼顔を見て「間違いない、本物だ」と確信した。アルゴルは澄子に前皇妃の姿をそこに見て取った。
アルゴルは澄子が先程から自分を睨みつけているのを皮肉った。
「その顔、私を『憎んでいる』ようだな」
「あなたが私の両親を殺した」
「そう。私が殺した」
「そして、今度は私ですか?」
「何?」
「私を公開処刑して、皇室の血が絶えたことをはっきりと見せしめる」
「誰がそんなことを?バカな」
アルゴルは澄子の話を一蹴した。
「そんなことをしたら、たちまち帝国内で暴動が起きる」
「私を殺すために攫ったのではないのですか?」
「殺す気なら攫う必要などない。こちらではとっくの昔にお前は死んだことになっているのだからな」
「では」
「お前が生きていることを帝国内の人々に、はっきりと知らせることが重要なのだ」
ここで澄子は、はっとした。
「まさか、あなたは」
「どうやら理解したようだな?」
アルゴルは次のように語った。
「お前は私の妻となるのだ」
アルゴルは皇族の血を引く輝夜姫と結婚することによってクーデターによって手に入れた今の自分の皇位を正当化しようというのだ。
澄子の体がわなわなと震えだした。その震えがアルゴルとの結婚など考えられないことだと無言のうちに告げていた。とはいえ、無言のままで済ますことはできない。
「誰が、あなたとなど!」
澄子は激昂してそう叫んだ。一方、アルゴルは澄子の怒りを完全に無視、目線を澄子からプレアデス征団に移した。
「戻ったのは、お前たちだけか?随分、手酷くやられたな」
「面目ありません」
「地球にも『強い奴らがいる』ということか」
「油断しました」
「まあ仕方がない。輝夜姫を部屋へ連れていけ。私も後で行く。今は政務が忙しい」
アルゴルはこの場を後にした。
その後、澄子は自分の居室へと案内された。皇宮だけあって実に豪華な部屋である。
アルシオーネらが退出した。少し時間をおいてから扉を開けようとしたが、やはり中からは開かなかった。
「どうしよう、どうすればいいの」
辺りを見渡す澄子。
ここにはおよそ「皇妃の部屋」として相応しい設備が全て揃っていた。牢獄ではない。少なくとも澄子を「罪人扱い」してはいないようだ。
「何か武器になりそうなものは・・・」
澄子はドレッサーの中を漁り始めた。
数時間後。
「待たせたな」
アルゴルがやってきた。
「その恰好は?」
「驚いたか」
アルゴルは服を軍服から袈裟衣に着替えていた。先程は帽子を被っていたのでわからなかったが、頭は完全なスキンヘッドである。
「あなたは僧侶?」
「これは皇室の正装だ」
どうやら、そういうことらしい。日本語の雷鳥と英語のサンダーバードが全く異なる鳥を表しているように、地球とメドゥーサで「服装が示す社会的地位」が全く異なるのは不思議でも何でもない。だが、澄子の眼にはアルゴルの姿は紛れもない「ニッポンの僧侶」そのものに見えた。表向きは「仏法の護り手」を装いながら実際には「四十余年未顕真実」という仏の真意を無視して「念仏」や「不立文字」といった方便に執着するニッポンの僧侶に。
アルゴルは澄子に向かってゆっくりと近寄ってきた。澄子を女と思って甘く見ているのか、その動きは隙だらけだ。
「両親の仇、覚悟!」
澄子は素早くドレッサーの中から見つけた耳かきを振り上げると、アルゴルの心臓めがけて突き立てた。それは耳かきとはいえ金銀財宝によって飾られた実に美しいものであった。
「そんな」
だが、耳かきはアルゴルの胸に全く突き刺さらない。
「なかなか活きがいいな」
アルゴルは澄子の右腕をぐっ掴んだ。
「くうっ」
「無駄だ。歳は70を過ぎたとはいえ、若い頃から軍人として鍛え上げられた私の肉体は鋼のように強靭なのだ」
アルゴルに掴まれ、握る力が強くなる。澄子は耳かきを床に落とした。
「お前には一度、教えておいた方がいいな」
アルゴルは懐からラベルに「ヒューマンα」と書かれたスプレー缶を取り出すと、澄子の顔に向かって噴射した。
「あああーっ!」
すると澄子が踊り始めた。
「手足が、手足が勝手に動く!?」
やがて澄子は床の上に仰向けに寝転がり、手足をじたばたと激しく動かし始めた。その姿はまさに殺虫スプレーを浴びて床の上で暴れるゴキブリの姿そのもの。
「このスプレーは人間の筋肉に作用し、自分の意思とは無関係に手足を動かす。それも全力でな。そのため、このスプレーを浴びた者は急激に体力を消耗するとともに心臓への負荷によって、やがて死に至る」
床の上で激しく暴れる澄子。心臓が激しく鼓動する。やがて澄子の呼吸が激しくなってきた。
「とめてえ、とめてえ、苦しい」
このまま暴れ続けていれば、間違いなく澄子は心臓破裂で死ぬ。アルゴルは指を鳴らした。廊下で待機していた部下たちが居室に入ってきた。
「輝夜姫の手足を固定しろ」
部下たちは澄子の体を固定しにかかった。澄子の体に硬い革でできた拘束着を装着する。その姿は顔だけ出したエジプトの木乃伊そのもの。澄子の体はピクリとも動けない状態になった。
「ああ、動きたい、体を動かしたいーっ!」
体の動きを封じられた澄子は、今度は「体を動かせない苦しみ」を味わうことになった。
「スプレーの効果が切れるまで、そうしていろ」
澄子を床に転がしたまま、アルゴルは部下たちとともに居室を出た。そのアルゴルのもとに廊下の奥から執事が走ってきた。
「皇帝、一大事でございます」
「どうした?」
「今から1時間ほど前、何者かによって、まちに出ていた軍の兵士らが倒されました」
「で、相手の特徴は」
「シャンパンゴールドの長ズボンにオレンジ色のフリースを着ていたとのことです」
「どうやら犯人は輝夜姫を追ってきた地球の人間のようだな」
「それが本当ならば皇帝、それはプレアデス征団を倒した一味の仲間では?」
執事のスマホが鳴った。
「それは本当か!」
「また何かあったか?」
「今、軍の科学技術部から連絡があり、かねてより作動が不安定だった伝送装置が完全に機能を停止したとのことです。過去の文明の技術には不明な点が多く、修理は不可能。これで我々は二度と地球との往来はできなくなってしまいました」
「構わぬ。輝夜姫は手に入ったし、向こうには強力な戦闘部隊が存在することも分かったから、むしろその方が、都合がいい。それよりも直ちに緊急指名手配だ。何としても入り込んだ地球の人間を探し出せ。必ず捕えるのだ!」
「うう」
聖斗の意識が回復した。
「ここは?」
聖斗は必死に今までの出来事を思い出そうとした。
「そうだ、自分は澄子を追って光の中に飛び込んだんだ」
聖斗は周りを見渡した。周囲は竹林。澄子の姿も敵の姿もない。コックローチの仲間もいない。随分と切り刻んだ筈だが、竹は一本も切れていない。聖斗はひとり歩き出す。取り敢えずは竹林から出ることにした。
竹林から出た瞬間。
「えっ!?」
聖斗の目に飛び込んできたのは、聖斗が知っている京都の街並みではなかった。
「ここは別の星だ」
低い山に囲まれた盆地には五重塔や蝋燭の塔の代わりにニューヨーク・シティーのような無数の高層ビルが立ち並んでいた。
山から下山した聖斗は街に入った。知らない街を歩くといっても、ただ闇雲に歩いてはいない。知らぬ土地での長居は危険。聖斗は大将首を取るべく「皇宮」へと向かっていた。といっても皇宮の場所など知るべくもない。聖斗は電気店を探していた。電気店であればパソコンが展示してある。それを利用して地図を見ようというのだ。
大通りを歩く聖斗。一見、人目に付きやすく思われるが、顔の知れた指名手配犯でもない限りは大通りの方が人混みに紛れるにはむしろ都合がいい。
そんな大通りを観察すると、やたらと軍人が目に止まる。制服組もいれば迷彩服の者もいる。そして軍人が道を歩く時、避けるのは決まって一般の歩行者。女、子供、老人、皆進んで軍人に道を譲る。その姿は「尊敬して」というよりも見るからに「恐れて」といった感じだ。まさに典型的な軍事国家の光景である。
小さな子供が道を歩く軍人の集団の前に飛び出した。
「危ない」
聖斗は瞬間的に子供を庇う行動に出た。軍人たちの前に飛び出し、素早く子供を抱きかかえて脇へと避けたのだ。だが、その行動が軍人たちの気に障った。この星では軍人の地位は絶大であり、前を遮る者は、たとえ子供であろうと国家反逆罪で、その場で成敗していいのだ。あっという間に軍人たちが聖斗の傍に集まった。
「何だ、お前は。俺たちの行く手を遮るとはいい度胸だ!」
聖斗は子供を去らせると、軍人たちに向き直った。
「何だ、こいつ、やる気か?」
「どうやらこいつ、頭がおかしいようだ」
軍人たちが聖斗をぐるりと取り囲んだ。
「仕方がない」
聖斗は背中に背負った聖を手にした。
「こいつ、武器を持ってるぞ」
「おもしれえ、じゃあこっちも遠慮なく」
軍人たちもまた軍刀を抜いた。
「ズタズタに切り刻んでやる!」
軍人たちが聖斗に襲い掛かる。
「はあっ」
聖斗は聖を鞘から抜かず、正面の軍人を聖で殴り倒す。軍人の輪の一角に穴が開いた。そこから聖斗は抜け出すと大通りを走り出した。
「追え」
軍人たちが追いかけてきた。人混みの中を左右に走り抜ける聖斗。一方の軍人たちは歩行者にぶつかりながら、そのたびに「馬鹿野郎!」だの「さっさとどけ!」だのと怒鳴っている。当然、見る見るうちに差が開く。人混みを目隠しにして聖斗は脇道に入った。そのことに全く気が付かない軍人たちが大通りを走っていく。
難は去った。聖斗は再び大通りに出た。
「あった」
聖斗は本屋の中に入った。本屋であれば当然、地図くらいはあるだろう。
目的を達した聖斗が本屋を出た、その時。
「いたぞ。あいつだ」
「捕えろ」
果たして、今度は警官隊にぐるりと取り囲まれてしまった。聖斗は「どうやら自分は指名手配されているようだ」と気が付いた。
「やれやれ」
聖斗は軍人に続き、警官隊との大立ち回りを開始した。
「はあっ」
鞘に収めた聖で警官を次々と殴り倒す。業を煮やした警官隊が拳銃を打ち出す。無論、そんなものに当たる聖斗ではない。
やがて騒ぎを聞きつけた軍人たちがやってきた。先程の軍人たちとは違い、ジープでやってきた彼らは、より本格的な戦闘装備を備えていた。それは当然で、彼らは警官隊と同じく聖斗を「地球人」と知ってこの場にやってきた者たちであった。これには、さすがの聖斗もまいった。街中にはおよそ不似合いな重機関銃を手にする兵士らによって取り囲まれてしまった。この場を脱する唯一の方法はマジック以外にはない。煙幕を張り、兵士の足元をすり抜ける。足元にマンホールはあるが、中の状態がわからない以上、それを利用するのはあまりにも危険だ。
聖斗が煙幕弾を地面に投げようとした時。
「なんだ?」
「煙幕だ!」
聖斗が投げる前に、どこからか聖斗の周囲に無数の煙幕弾が投げ込まれた。あっという間に視界が利かなくなる。
「撃つな!」
「同士討ちになるぞ!」
パニック状態の兵士たち。理由は不明だが、脱出するなら今だ。
すると突然、マンホールの蓋が開いた。
「こちらです。早く」
中からはマスクで顔を覆った人間がひとり。
「あなたは?」
「そんなことよりも、今は急いで!早く」
聖斗は言う通りにした。聖斗は足元にあるマンホールの中へと降りた。
謎の人物に導かれ、地下道を歩く聖斗。
「ありがとうございました」
「あなたが『地球から来た人間』ですね?」
「よく、ご存じで」
「軍の無線を傍受したのよ。あなたは既に指名手配されているわ」
「そういうあなたがたは?」
「私たちは『アスクレピオス』。現皇帝の打倒を目的とするレジスタンスよ」
「その声、あなたは女性ですね」
「ええ、そうよ。私はアスクレピオス副リーダーの『ベガ』」
「ベガ」
「もうすぐ、我々のアジトに着きます」
地下道の奥に明かりが見えてきた。
「立派なアジトですね」
地下道と繋がるアジト。そこは高層ビルの地下室。戦うために必要な装備は全て揃っていた。彼らの活動が「遊びではない」ことは一目瞭然だ。煙幕を張った者たちは既にアジトに戻っていた。その中のひとりが聖斗に歩み寄る。
「はじめまして。私がアスクレピオスのリーダー、名前は『アルタイル』」
「アルタイル。ということは、もしや副長とは」
「ああ、ベガは私の妹だ」
「妹」
聖斗は読みを外した。名前から、ふたりはてっきり「恋人」と思ったのだが。
「先程は有難うございました。自分は聖斗といいます」
その後アルタイルはこの星の説明に入った。
「今、私たちがいるこの星は『メドゥーサ』といって、かみのけ座銀河帝国の中心星だ」
「ふうん」
「メドゥーサは銀河帝国随一の国力を誇る星だ。ゆえにこの星の国王が代々、銀河帝国の皇帝を兼務してきた。だが今から20年前のこと、その皇帝が暗殺されたのだ」
「その暗殺者がアルゴルということか」
「前皇帝の時代『帝国軍の縮小政策』が行われていた。それに対し当時、軍の司令官であったアルゴルは不満を抱いていた」
「軍によるクーデターか。よくある話だ」
「アルゴルは自ら皇帝に即位した。だが、帝国議会は承認しなかった。議会はアルゴルに退位を迫った。アルゴルは軍の力で銀河帝国を制圧した。弱体化した議会はしぶしぶアルゴルを皇帝として承認した。だが、そんなアルゴルに不満を抱く者は今も少なくない。各地で抵抗運動が繰り広げられていることは我々を見ての通りだ。『奴は皇室の人間ではない』という大義名分が我々にはある」
なんとなく聖斗にも今回の事件の真相が見えてきた。
「それで、アルゴルは輝夜姫を拉致したのか」
「輝夜姫は前皇帝の忘れ形見。輝夜姫と結婚すればアルゴルは皇室の一員になることができる。そうなればアルゴルを皇帝と認めないわけには行かなくなる。そして」
「そして?」
「アルゴルは現在『大宇宙共栄圏』の名のもとに銀河帝国の勢力圏の外に勢力を拡大している。このままでは銀河帝国どころか宇宙全体が奴の支配下に置かれることになるだろう」
3億年先の宇宙でよもや「宇宙征服のたくらみ」が行われていようとは。
「何としてもアルゴルの野望を阻止しなくてはならない。そのためには何としてもアルゴルと輝夜姫の結婚式を阻止しなくてはならない。我々は輝夜姫の救出に協力する。だからきみも我々に協力してくれ」
聖斗に拒む理由などない。聖斗は協力することを約束した。
「但し」
「但し、何だ?」
「但し、我々が輝夜姫を無事に助け出したとしても、残念だが『地球へは戻れない』ことは覚悟しておいてくれ」
地球へは戻れない?
「なぜ」
「私たちが傍受した通信の内容では、きみをこの星に運んできた伝送装置は完全に機能を停止したそうだ。伝送装置は過去の文明が作り出した遺産。今の我々の科学では修理できない」
これとは全く別の「ふたつ目の理由」もあるのだが、それについてアルタイルは敢えて触れなかった。それについては後日、わかるだろう。ともあれ、第一の理由に対し聖斗は次のように答えた。
「それならご心配なく。私の仲間が宇宙船に乗って必ず来ますから」
「それは難しいかもな」
「?」
「夜になればわかる」
その夜がやってきた。
「聖斗、私と一緒に表に出よう」
アルタイルが聖斗を誘う。聖斗はアルタイルとともにアジトの屋上に出た。
「これは!?」
聖斗が目にしたもの。それは満天の星空に無数に存在する銀河。地球では最も距離の近い渦巻銀河であるアンドロメダ銀河ですら観測には望遠鏡を必要とするが、メドゥーサでは、そのようなものは一切不要だ。肉眼でも大小100を超える銀河が楽に見て取れるのだ。
「この星を中心にして半径1000万光年の中に1500もの銀河が存在する。それら全てが、かみのけ座銀河帝国の支配下にあるのだ」
1500!なんという銀河の密集度だ。
「聖斗、あれを見ろ」
アルタイルが東の地平線付近を指差した。そこには一際、大きな渦巻銀河があった。
「あれはかつて、この星が存在していた銀河、君らでいうところの天の川銀河だ」
「かつて?」
地球から見る天の川は全天をぐるりと取り囲んでいる。それは地球が天の川の腕の中に存在するからだ。だが、今見ている天の川は渦巻銀河とわかる。
「これって、天の川銀河を外から見ているのか」
「そうだ。そして中心部をよく見たまえ」
渦の中心部。これが渦巻銀河であるならば、中心部にはブラックホールがあり、ひときわ強く輝いているはず。だが、今見ている渦巻銀河は全ての場所が均等に輝いている。
「あの銀河の中心にブラックホールはない。既に消滅しているのだ。ゆえにあの銀河は崩壊を始めている。今はまだ形を保っているが、いずれはガス状星雲になる運命だ」
「それが、この星があの銀河の中に存在しない理由か」
「そうだ。ブラックホールが消滅したことで、腕の外周に存在する太陽系が遠心力によって次々と外へ向かって暴走を開始した。この星が所属する太陽系もその一つ。この現象は数百万年前から始まっている」
惑星メドゥーサが所属する太陽系は銀河から離れ、宇宙を旅する回遊太陽系と化していたのだ。なんという宇宙の神秘!宇宙には人知では到底、計り知ることのできない現象が無数に起こっているのだ。
「きみらの宇宙船が仮に、かみのけ座銀河団までやってこられたとしても、いかなる銀河にも所属していないこの太陽系を発見する確率は無に等しい。まさか太陽系が外宇宙を回遊しているとは誰も思わないだろうからな」
アルタイルは建物の中に戻った。聖斗はひとりで夜空を見上げ続けていた。
(それでもきっと、みんなはここにやってくる)
そう確信する聖斗だった。
翌日、聖斗は早速、本屋で調べた「皇宮」へと出向いた。自分が指名手配されていることを聞かされていたので、聖斗は老人に変装した。手には杖。勿論、いざというときには護身用の武器になる。
「ここじゃな」
言葉遣いも老人そのもの。皇宮の周辺ともなれば、どこにカメラやマイクがあるかわからない。
かみのけ座銀河帝国の帝都に建つ皇宮だけあって、その外観も規模も実に立派なものだ。地球のベルサイユ宮殿など、これに比べれば「庶民の一戸建て」のようなものだ。
(この中に澄子がいるんだな)
そう思った瞬間、聖斗の眼が光った。
(待ってろよ。今から助ける)
アスクレピオスは作戦決行日を「結婚式当日」に決めていた。アルタイル曰く「完全防備の皇宮に攻め込むことは絶対に不可能」ということだった。だが、何10日も待っていられるような聖斗ではなかった。その間に澄子がどんな酷い目に遭わされるか、わかったものではない。
皇宮の周囲を取り囲む柵には高圧電流が流れ、いかなるものの侵入も阻止していた。その証拠に柵の周囲には鳥の死骸が幾つも落ちていた。
「誰だ!」
突然、後ろから声をかけられた。聖斗は老人固有のぎこちなさで後ろをゆっくりと振り向いた。
「何だ、じいさんか」
聖斗に声をかけたのは、皇宮の周りを巡回する兵士だった。その数2名。腰には軍刀、肩にはアサルトライフル。
「こんなところをうろついていてはいかん」
「ほう、どうしてじゃ」
「知らんのか?今は特別警戒中で皇宮の周辺は、民間人は進入禁止だ」
「特別警戒、とな」
「そうだ。来月、皇帝と先の皇帝の姫君との婚礼がある。そのため、この辺りは特別警戒エリアに指定されているのだ」
「ほう、皇帝と姫君のご婚礼とは、ではわたくしも何か『お祝い』を差し上げないとな」
そういうと、聖斗は杖を自分の右肩に乗せた。
「これが私からアルゴルへの『お祝いの品』だ」
そういうと、聖斗は全く間にふたりの巡回兵を倒した。
10分後、別の巡回兵が、二人の巡回兵が気絶しているのを発見した。
皇宮、アルゴルの執務室。
「大変です、陛下」
執事が慌てて飛び込んできた。
「どうした」
「表で巡回兵が何者かに倒されていました。目下、犯人を捜索中です」
「なに」
アルゴルは執務室から外を覗いた。皇宮の柵の外で多数の巡回兵が慌ただしく動いているのが見えた。
「失礼します」
その時、巡回兵の隊長がアルゴルの執務室に入ってきた。
「何だ、勝手に入ってくるとは」
執事が怒鳴った。
「申し訳ありません。執事様がいらっしゃらないもので仕方なく直接」
「で、何だ」
「倒された巡回兵の胸元に、このような手紙がありました」
執事はその手紙を奪うようにして手に取ると、アルゴルのもとに差し出した。
「どうやら犯人からのメッセージだな」
アルゴルは封を切った。
「なになに、『やーい、ロリコン皇帝。輝夜姫は必ず地球に取り返す。それだけじゃない。利子として、お前の命も頂く。覚悟しておけ。地球のゴキブリより』か」
「陛下」
「あまり品の良い文面ではないな」
アルゴルはそういうと手紙を丸めて5mほど離れたところにあるゴミ箱へ投げ捨てた。
「どちらへ」
「輝夜姫のところへ行く」
「私もご一緒に」
「構わん、一人で行く」
アルゴルは執務室を出ると澄子のいる居室へと向かった。
その途中。
「はっ」
アルゴルは懐から麻雀牌を取り出すと廊下のカーテンに向かって投げつけた。カーテンに無数の穴が開く。どうやら袈裟衣と麻雀牌の組み合わせは地球もメドゥーサも変わらないらしい。
「姿を見せろ」
「気が付いていたか」
廊下のカーテンの裏から先程、手紙を届けに来た巡回兵が現れた。
「私をつけて、輝夜姫の居所を探ろうとしたのだな」
「ご名答」
「お前が、聖斗だな」
「その通り」
「上手く化けたものだ」
「手品が趣味でね。このくらいの変装、わけないさ」
「だが、お前はしくじった。ここは皇宮。生きて出られるとでも思ったか」
「ここでお前を倒せば、出られるさ」
「私も随分と舐められたものだ」
アルゴルが懐に右腕を入れた。再び麻雀牌か。
「おっと」
素早くカーテンの裏に隠れる。
「そんな布切れの後ろに隠れたところで無駄だ」
アルゴルは懐に右腕を入れたまま、カーテンの傍までやってきた。
「いない、どこだ?」
「ここだ」
聖斗はカーテンの上に登っていた。頭上からアルゴルに攻撃を仕掛ける。
「もらったぞ、アルゴル」
完全に不意を突いた聖斗だったのだが。
「なに」
聖斗はアルゴルに攻撃せず、そのまま床に落下した。
「体が、体が勝手に動く!?」
「ふふふ」
アルゴルは麻雀牌ではなく聖斗にヒューマンαを見舞ったのだ。
「うわあああっ!」
廊下の上に仰向けになり、手足をバタバタと暴れさせる聖斗。まさに殺虫スプレーを浴びたゴキブリだ。
「輝夜姫も初日はそうやって暴れていた」
「何だと、お前は澄子にもこれを?」
「輝夜姫は体を拘束して暴れるのを押さえたが、お前には、このまま暴れ死んでもらおう」
聖斗の頭にその時の場面が想像された。
「既に輝夜姫の体は私の思うが儘。そして、いずれは心も我がものとなる」
「貴様あ、許さん」
「無駄だ。お前にはどうすることもできん」
その通りであった。床の上で激しく踊りまくる聖斗。聖斗の心臓がバクバク鳴る。
「手足が勝手に全速力で動き続けるうっ!」
「もうすぐ、お前の心臓は破裂する」
「うああああっ!」
その時。
廊下の窓ガラスが割れ、外から光の球が中に入ってきた。光の球が聖斗を包み込む。光の球は同じ窓から外に飛び出した。
「くそう、逃げられたか」
割れた窓ガラスが自己修復で元に戻る。
「まあいい。奴は当分、動けない。聖斗よ。お前が再び動けるようなる頃には勝負は決している」
その後、アルゴルは輝夜姫の居室に入った。
光の球となって聖斗を救出したのはベガ。
「なんて無茶なことをするのでしょう」
「ううう」
「秘密基地に戻れば解毒薬があります。それまで頑張って」
幸い、心臓が破裂する前に手足を動かすだけの体力を完全に使い果たした聖斗は、もはや暴れることさえもできず、ベガの肩の上で苦しそうに唸るのみであった。
次回予告
まんまと澄子を奪われ、聖斗もまた行方不明となったコックローチ。
だが、みすみす手を拱いているわけではない。聖斗と澄子を奪還すべく動きはじめる。
だが、そこに思わぬ壁が。
「なぜです、首相。なぜ『チェリーを発進させてはいけない』のですか?」
帆乃香は和貴子に食い下がった。
和貴子の説明は簡潔かつ道理に適うものだった。
「地球の危機は去りました。なまじ『ふたりを連れ戻そう』とすれば、謎の敵との全面戦争に突入する危険があります」
「では首相は、澄子と聖斗を『見捨てろ』と?」
「私はこの国の首相。この国の平和と安全を何よりも重視しなくてはならない立場にあるのです」
果たして、帆乃香の決断は?
続・コックローチ27
11月8日 公開。お楽しみに
27
暫くニッポンをご無沙汰していたフリップが来日した。
フリップは本木目パネルの美しいロータス・ヨーロッパ・シリーズ3を銅鐸の塔の南東にある駐車場に停めると、そのまま銅鐸の塔へは進まず、わざわざ一旦、大通りに出て、銅鐸の塔と銅鏡の噴水を結ぶ直線状、即ち入口正面に回った。そこからの眺めを見たかったからだ。
「ふむふむ」
この時期、銅鏡の噴水の周辺は改装されていた。正面降車場は駐車場内に移され、噴水をぐるりと取り巻いていた車道は歩道となっていた。
改装の理由。それは左手でスマホを握る、あるいは右腕をドアの外に出すといった運転マナーのまったくなってない「片手12時ハンドルドライバー」の増加によって、噴水周りの曲線道路を正確に走ることのできないドライバーが増加。噴水壁面への衝突や歩道への乗り上げといった事故が頻発したためだ。
そして今までは自由に入れた芝生には迎賓館を思わせる立派な柵が設置され、歩道となった車道の入り口には屋根の上に馬の埴輪を乗せ、屋根を支える柱として四体の武人埴輪が起立する凱旋門が聳え立っていた。銅鏡にせよ埴輪にせよ、本来は戦国時代の古墳時代のもので、平和な弥生時代の銅鐸とは相容れないものなのだが、四体の武人埴輪はまるで宝塔を守護する「四菩薩」を思わせる。これは第六天魔王さえも諸天善神に変える「法華経の功力」を示しているのだ。
フリップは凱旋門を潜るとピンク色の煉瓦が敷き詰められた歩道を銅鐸の塔を目指して歩き出した。
澄子と聖斗が消えたのち、帆乃香は直ちに銅鐸の塔へ帰還、ジコマンコンピュータで伝送装置である月を解析した。
その結果は、驚きのものだった。
銅鐸の塔・リビング。
そこには帆乃香、望、美音。
「美音、気にするな」
「だって、だって」
この会話からわかる通り、美音は澄子が連れ去られ、聖斗が消えたのは自分の責任だと感じていた。
「さっき、怖い夢を見たの」
「どんな夢だったんだい?」
「澄子がギロチン台に掛けられて首を切られる夢よ。マリー・アントワネットみたいに」
美音はアルシオーネが語った「澄子の存在はアルゴル様の地位を揺るがす」という言葉が気になってしょうがない。そのために、このような夢を見てしまったのだ。確かに、アルシオーネが語った言葉を文面通りに解釈するならば、澄子の命は非常に危険な状態にあるに違いない。
望は美音の涙を指で拭った。
「俺だって落とし穴にまんまと引っかかった。相手の方が一枚上手だったんだ。誰のせいでもない」
次の戦いに備え、美音を励ます。
まだ戦いは終わってはいない。それどころか「これから始まる」のだ。
「そうだ。望の言う通りだ」
烈と勇気が入ってきた。
「俺たちだってこのザマだ。美音のせいじゃない」
治療を終え、やってきた烈と勇気の腕や頭には包帯が巻かれていた。メローペとマイアは竹林に到着する前、既に烈と勇気を軽く捻っていたのだ。烈と勇気でさえ歯が立たない相手。美音がふたりを前に何もできなかったのも無理はない。
「これで全員、揃ったというわけじゃな」
ふたりの後に医務室でふたりを治療したフリップが入ってきた。
「遠いところをご苦労様。フリップ」
早速、作戦会議が始まった。帆乃香が議長を務める。
「ふたりは現在、3億光年彼方にいると思われます」
「3億光年だって?」
「そうです」
「冗談だろ?」
「冗談ではありません。ジコマンコンピュータによる解析では、ふたりは確かに『かみのけ座銀河団』に伝送されました。これは奴らの言葉とも一致しています」
「そこに惑星メドゥーサがあるのか」
「それが事実として、どうやって助けに行くんだ?」
「月が再び満月になるのは27日後だ。それに満月になったからって伝送できるとは限らないぞ」
「その通りです」
この先、帆乃香が伝送装置の原理について解説する。
「ワープ航法が物体の質量を光子よりも軽くすることで光速以上の速度を得るのに対し、伝送は万有引力の法則を利用して瞬間移動します」
「万有引力を利用?」
「万有引力は距離に依存しない『瞬間作用』ですから、その性質を利用することで、どんなに遠く離れた場所であっても瞬間的に移動できるのです。そして万有引力は距離に比例して弱くなり質量に比例して大きくなりますから、距離が遠くなればなる程、伝送のために使用する送受信用アンテナの質量を大きくする必要があります」
「だから月なのか」
「ということは、向こうの星にも当然『月がある』ということじゃな」
「そうなります」
「とすれば、向こうの伝送装置が『オフライン』になっていた場合、こちらの月が満月でも伝送はできんぞ。そして『澄子を攫う』という目的を達した以上、オフラインにしていると考えた方が自然じゃ」
「ということは、次の満月を待つのは『得策ではない』ということか」
「そうです」
「とすれば、方法は『一つ』しかない」
伝送による移動が期待できぬとなればワープ航法しかない。
だが。
銅鐸の塔と首相官邸とのホットライン。
「なぜです、首相。なぜ『チェリーを発進させてはいけない』のですか?」
帆乃香は和貴子に食い下がった。
和貴子の説明は簡潔かつ道理に適うものだった。
「地球の危機は去りました。なまじ『ふたりを連れ戻そう』とすれば、謎の敵との全面戦争に突入する危険があります」
「では首相は、澄子と聖斗を『見捨てろ』と?」
「私はこの国の首相。この国の平和と安全を何よりも重視しなくてはならない立場にあるのです」
和貴子はその後、何も話さなかった。だが、その目が「何か」を語っていた。
「わかりました」
帆乃香は通信を切った。
その後、帆乃香はコックローチのメンバー全員が集まるリビングへと向かった。
「首相はチェリーの使用を『許可しない』と言われました」
リビングに衝撃が走った。
「やはり」
そう言ったのは勇気。彼はニッポンの治安を担う警視庁の人間だから、和貴子の思考を最も的確に読んでいた。
「うわああん」
美音が顔を両手で覆った。
「で、どうするんだ、帆乃香?」
こういったのは烈。
帆乃香の決断を待つ。帆乃香が口を開いた。
「私たちはコックローチ。もともと社会の闇を歩む者」
「とうことは・・・じゃな」
「今から富士へ向かいます。必要とあらば、そこでニッポン政府と一戦交えます」
帆乃香はチェリーを強奪する決断を下した。
「そうこなくてはな」
「そうだとも」
「行こう、富士へ」
「行こう」
「行こう」
そして、いざクラゲドームへと向かったところ。
「こんなことだろうと思ったわ」
「首相!」
そこには和貴子が待っていた。
「首相、止めても無駄ですわ」
「そのようね」
「コックローチには『コックローチの正義』があります。それは『悪を滅する』こと。いかなる場合であってもコックローチに『悪を見過ごす』という選択肢はありません」
帆乃香はドックへと通じる扉へ向かうと暗証番号を入力した。だが、扉は開かない。先にここに到着した和貴子が番号を変更したのだ。では仕方がない。帆乃香はセキュリティの解除にかかった。チェリーに通じる道を封鎖する扉のセキュリティは当然ながら世界一解除が困難なものであったが、帆乃香の左目にかかれば、いかなるセキュリティも「子供だまし」だ。瞬く間にセキュリティは解除され、扉が開いた。
「ああ」
和貴子は目を閉じ、天を仰いだ。そんな和貴子の脇を通り抜け、次々と扉の中へと走るメンバー。
最後に残ったのは烈。
「首相、お許しを」
そういい残して、烈もまた扉の中へと走った。和貴子の胸が痛む。和貴子は烈が「帆乃香の忠実なる僕」である事実を、まざまざと見せつけられた気がした。
「首相官邸へ」
和貴子はリムジンに乗り込んだ。リムジンが東京を目指して走る。その後ろでは海中から浮上したチェリーが宇宙を目指して飛び立っていた。
宇宙戦艦チェリー。その外観は大きく変化していた。それまでの「洋上戦艦」の延長線ではなくなったのだ。とはいえ、その姿はやはり昔を懐かしむに十分だ。なぜなら三段ロケットを思わせる船体の外観や白と黒に塗り分けられた外装、そして艦橋部分のデザインなど、その姿は「サターンロケット風」の本体に「スペーすシャトル風」の脱出艇を組み合わせたものだからだ。本体部分は1段目に核融合砲、2段目に兵装、3段目にエンジンが装備されている。勿論、切り離しはできない。
全長300m、胴体幅48m(全幅だと60m、主翼全開時は128m)、全高44m。今までは全長263mだったから、やや大型化した。といってもアメリカ・ニミッツ級空母よりは33m短い。
ここから先は「違う部分」を見ていこう。サターンロケットの断面は同心円だが、チェリーは菱形である。2段目には主砲とミサイル発射管、3段目には艦橋がある。さらに3段目にはレーダーを兼ねた4枚の巨大な可変後退翼があり、着水時は邪魔にならぬよう閉じられている。勿論、閉じた状態であってもレーダーとしての機能は持っているが、開いたときにより性能を発揮する。機体下面にある2枚は着水時には波による揺れを抑える水中翼としての機能を持っている。
主砲は全部で4基。フラッシュサーフェス化が図られ、必要なときのみ船体から持ち上がる。菱形断面を生かして船体をぐるりと取り囲むように配置されたため、360度全ての敵を同時攻撃できるようになった。その代わりに後部の兵装は一切なくなった。光速で宇宙空間を飛行している機体を背後から攻撃することは容易ではなく、また兵装部分は強度が下がるため、それならばエンジン回りの装甲を分厚くした方が得策というものだ。エンジンは直径9mの2つのメインエンジンと、直径4mの4つの補助エンジンから成る。
パイロンによって本体と繋がる脱出艇を兼ねた艦橋の外観は先に説明した通りスペースシャトル・オービターに似たものだ。
新しく生まれ変わったチェリーは外観に関する限り「珍柿オリジナルを超えた」といっていいだろう。それは地球人類の「宇宙開発の歴史」をその身に纏うことで可能となった。
では、内部はどうか?
水素タンクは今までの冷却を必要とする大掛かりなものから常温保存が可能なものに変わった。これはタンク内にパラジウム(原子番号46、水素を取り込む性質を持つ)を充填することで実現された。その結果、冷却装置が不要となりタンクが大型化。長距離航行が可能となった。
こうした改造の結果、今回の作戦が可能となったことは言うまでもない。かつてのチェリーであれば、とてもではないが「3億光年の旅」など不可能である。
核融合砲も進化した。Dr.フリップが「ある方法」を思いついたことで破壊力が飛躍的に増大したのだが、それらについては実際に使用されるときに語ることにしよう。
「大気圏突破。主翼全開」
4枚の翼が開く。普通、翼と言えば大気圏内で開き、宇宙空間で閉じるものだが、チェリーの場合は逆で、離陸時には空気抵抗を減じるために閉じるのだ。
「レーダー測定範囲、最大」
これで宇宙空間を飛翔する準備は整った。
作戦室。
「正直、今回の作戦は非常に危険を伴うものです」
帆乃香は開口一番。このように述べた。
「そんなの『いつものこと』だろう。何を今更」
「で、どう危険なんだ?帆乃香」
「ワープ航法による宇宙旅行なら、前にもやったじゃないか」
「あの時は天の川銀河の中の往復であり、距離もたかだか3万4千光年です。しかも、星々の密集するバルジのすぐ横を通過することから短距離ワープを繰り返し、ワープ速度も遅く設定していました。ですが、今回は違います。距離は3億光年。我々になじみ深い大マゼラン星雲は16万光年で、私たちがこれから向かおうとしている場所に比べたら『隣の家の庭』のようなものです」
大マゼラン星雲が「隣の家の庭」であるという譬えが、今回の旅が如何に遠距離であるかを雄弁に物語る。
「ですから当然、最大出力による超遠距離ワープを行わなくてはならない。それも・・・」
「それも、何だ?」
「私たちが向かう『かみのけ座銀河団』は、私たちの所属している『おとめ座銀河団』とは全く関係のない別の銀河団です。従って今回の旅では『ボイド』を通過しなくてはなりません」
「ボイドって?」
「ボイドとは、まったく何も存在しない完全な『無の空間』のことです」
「真空とは違うのか?」
「ボイドについては『何もわかっていない』のが実情です」
宇宙の構造は隙間だらけであり、いわばスポンジのようなもの。繊維の部分が銀河団で、隙間の部分がボイドである。
「でも光はまっすぐに通過できるんだろう?その向こうにある天体を観測できるわけだから」
「そうです」
「だったら大丈夫なんじゃないか?」
天文物理学を知らない人間は実に吞気なことを言う。
「それを信じましょう」
会議は終了した。かくして太陽系を離脱するためのワープの準備に入った。テストを兼ねた小ワープだ。
「ワープ準備、すべて完了」
「ワープ10秒前、9、8、7、6、5、4、3、2、1、ワープ」
チェリーがワープした。
その後、チェリーはワープを重ねた。
10万光年ほどの距離を旅した時、帆乃香をはじめ全員で一度、故郷を振り返った。
「これが」
「これが」
「これが」
「これが」
「天の川銀河」
「じゃな」
宇宙の海の中を進むチェリーの後ろに天の川銀河が見える。地球人類が初めて目にする天の川銀河の全体像だ。かみのけ座銀河団は天の川銀河の北極の方角に位置する。そのためメンバーたちはこの時、天の川銀河を真上から見下ろしていた。
直径10万光年の棒渦巻銀河。黄色く輝く中央のバルジ。周囲の腕は、ある場所は青く、ある場所は紫色に光っている。まさに「宇宙に浮かぶ宝石」だ。
「なんて美しいんだ」
「これが見られただけでも、この船に乗った甲斐があったってもんじゃ」
聖斗と澄子のことは心配だが、それを一時的にしろ、忘れさせてしまうほどに天の川銀河の姿は神秘的であった。
「聞いたか。今、天の川銀河が我々に向かって話したぞ」
「ああ、聞いた」
「『いってらっしゃい』と言った」
「確かに」
「自分にも、そう聞こえた」
「銀河には『命がある』ということか」
そんなことがあるとは思えない。全員が「同じ錯覚に陥った」のかもしれない。
「明日、遠距離ワープのテストを行います」
3億光年の彼方にある、かみのけ座銀河団へ行くためには、短距離ワープを繰り返すわけにはいかない。やはり一気に長距離飛行する必要がある。
「距離は7000万光年。その間を7日間かけて連続飛行します」
「ということは1日で1000万光年(天の川銀河の直径の100倍)だな」
これだと「3億光年を30日」で飛行することができる。
今回のワープを7000万光年に設定した理由はワープ終了地点が「ボイドの手前」にあたるからだ。このワープが成功したら、いよいよボイドを通過する超遠距離ワープとなる。
「では、明日に備えて今日はゆっくり休養してください。解散」
翌日。
「ワープ」
チェリーが遠距離ワープテストを開始した。
太陽系から42万6000光年ほどの地点に来たとき、艦内に突然、警報が鳴り響いた。
「レーダーに反応あり。針路上に秒速2000kmで飛行する衝撃波と無数の隕石を探知した」
フリップが計測結果を報告。
「フリップ、これは?」
それに対し、帆乃香がフリップに意見を求める。
「秒速から判断するに、恐らくは超新星残骸じゃな」
この超新星残骸は今から約6400年前に太陽系を通過、恐竜絶滅を引き起こした原因である。それが現在も宇宙空間を秒速2000kmで外宇宙を移動しているのだ。
恐竜絶滅説。現代の主流は「隕石落下説」だが、コックローチでは超新星残骸の通過に伴って発生した「①気圧低下による高血圧」「②地球の自転速度の低下による重力の増加」このふたつによる複合作用という説を採用する。つまり高血圧による血管破裂と、重力の増加による体重維持の困難が原因とする説である。今日、ティラノザウルスは「人間よりも歩行速度が遅かった」と考えられているが、あくまでも現在の地球の重力下での話であって、仮に今よりも地球の重力が軽かったならば、もっと速く移動できたに違いないのである。
「ワープアウトしなくても大丈夫?」
「計測結果では、隕石と隕石の距離は地球と月ほどもあるから、衝突する確率は限りなくゼロじゃ」
チェリーはワープ状態を維持したまま無事に超新星残骸の中を通過した。
そしてチェリーは、6日間は何事もなく無事にワープ航行を続けた。
7日目。
「な、何だ?」
「警報だ!」
再び艦内に警報が鳴り響いた。
「この警報は何?フリップ」
「進路上にかなり質量を持つ障害物がある。どうやら銀河のようじゃ」
「ばかな。進路上に銀河などあるはずがないわ」
そう。事前に進路上に銀河が一つもないことを確かめてワープをしているのだ。
「とにかくワープアウトよ、望」
「了解」
チェリーは突然の事態に緊急ワープアウトした。ワープアウトは無事に行われた。障害物との衝突は回避された。
「ここはどこなの?」
「今、やっとる」
フリップが航路計算と天体観測から現在位置の測定を行う。
「見て」
帆乃香が正面を指差した。
「銀河だ」
そこには無数の銀河があった。チェリーは銀河の群れの中にいた。
フリップが計算を終了した。
「分かったぞ。ここは『おとめ座銀河群』の、それもど真ん中じゃ」
そう。チェリーがいるのは天の川銀河も所属するおとめ座銀河団の中心部『おとめ座銀河群』であった。天の川銀河から6000万光年の場所である。
でもなぜ?
「あなたともあろうお方が、ワープ前の航路計算を誤ったのかしら、フリップ?」
「そうだったら嬉しいな。だが違う。これは、この船に装備されている『ジャイロの設計ミス』じゃよ」
それを信じたくなくて帆乃香は皮肉を交えたのだが、フリップはきっぱりとそのように返答したのだった。だが、そうだとすればチェリーは宇宙の中を目的地に向かって正確に航行できないことになる。
「ってことは、俺たちは『宇宙の放浪者』なのか?」
「そんなあ、それじゃあ地球にも帰れないの、私たち?」
沈痛な空気が流れる。
「まだ可能性はあるわ。ここがおとめ座銀河群なら、誤差はそれほど酷いものではない。誤差を修正するプログラムを作成してインストールすれば何とかなるかもしれないわ」
帆乃香がそういう前に既にフリップは、その作業に取り掛かっていた。
「まあ、そういうことじゃ。ワープ開始地点、ワープ終了予定地点、そして現在の地点、この三つがわかっておるわけじゃから、誤差は簡単に割り出せる。1時間もあれば十分じゃ。但し誤差が一定であればの話じゃがな。ピンボケハッブルを治すようなもんじゃ(ハッブル宇宙望遠鏡は球面収差により最初のミッションでは能力の15%しか発揮できなかった)」
そして1時間ほどが経過。
「ママ。通信を傍受したわ」
メロディが謎の通信を傍受した。
「通信?」
「今、解析するわ」
その結果は驚くべきものだった。
「これはSOS信号よ。発信場所は、おとめ座銀河群の中にあるM88銀河」
決断を迫られる、救助に向かうべきか。だが今は聖斗と功子のことが心配だ。
「帆乃香。修正プログラムのインストールが完了したぞ」
「テストには、ちょうどいいわね」
かくしてチェリーはSOSの発信源に向けてワープした。
「ワープアウト」
「どうやら使えそうじゃな」
チェリーは発信源の星を正面に捉えていた。しかも到着してみるとSOS信号の理由が直ちに判明した。
「前方に謎の宇宙艦隊を探知」
謎の艦隊がSOS信号を発信した星を攻撃していたのだ。この艦隊こそ、全宇宙の支配を目論む皇帝・アルゴルが支配する、かみのけ座銀河帝国に所属する宇宙艦隊に他ならない。宇宙要塞、戦艦、駆逐艦から成る大艦隊だ。
「各自、戦闘配備」
新・宇宙戦艦チェリーの「初実戦」が、このような形で訪れたのだった。
「敵駆逐艦、多数接近」
見るからに「悪者の兵器」をイメージさせる深緑色の外装を持つ敵駆逐艦がチェリーに接近してきた。駆逐艦といってもチェリーよりも200mも全長が長い。
「敵艦が攻撃してきました」
だが、当たらない。まだ距離が遠すぎるのだ。チェリーの周囲をエネルギーが通過する。
「主砲、発射準備」
それまで船体表面と同一の高さであった主砲が船体から飛び出した。
「発射」
チェリーの主砲4基、全12門が唸る。敵駆逐艦の攻撃は当たらないが、チェリーの攻撃は敵駆逐艦を確実に撃破していく。それも当然のことだ。チェリーの主砲の組み立て制度は1/10億mmを誇る。しかも旋回・上下角ともにリニアモーターによる駆動を採用、ギアを用いない滑らかな動きよる命中精度は10万kmでの誤差を1m以内としていた。
「敵戦艦、接近」
遂に主力である戦艦部隊が接近してきた。その数10。全長はチェリーの約4倍、1200mほどもある。まさに大型戦艦だ。これまた船体を深緑色に塗装している。
「主砲発射」
だが。
「主砲が効かない?」
命中したものの、まったく効いていない。敵戦艦は相当に面の皮が厚い相手のようだ。
「敵戦艦が砲撃してきました」
敵戦艦の主砲攻撃がチェリーにヒットする。だが面の皮の厚さならチェリーも負けてはいない。艦橋の胴体幅は10mあるが艦橋内部の幅は6mしかない。つまり厚さ2mの装甲を誇るのだ。無論、胴体も同様の構造になっている。だが、このまま接近を許せば被害を受けるだろう。
「今こそ、あれを試す時じゃ!」
フリップが叫ぶ。帆乃香は了承した。
核融合砲と同じ原理の主砲には本来、高温に熱せられた水素のみが充填される。そこへ炭素が混合された。
「主砲、発射準備完了」
「発射!」
主砲が発射された。敵戦艦に命中する。先程ははじかれた主砲のエネルギーが今度は、もの見事に敵戦艦の装甲を貫通した。敵戦艦は大爆発。
「見よ。儂の計算通り、凄まじい破壊力じゃ!」
燃焼水素に炭素を混合するアイデアを思い付いたのはフリップ。フリップは自身のアイデアが成功したのを見届けて、まるで子供のように燥ぐ。
だが、それにしても水素に炭素を混ぜただけで威力が増大するとは、どういうことなのか?
核融合は6000度の高温と高圧力によって引き起こされる現象。その中に炭素が存在した場合、何が起きる?そう。炭素はダイヤモンドの結晶に変化したのだ。主砲は核融合エネルギーとともにダイヤモンドの結晶を放出、ダイヤモンドの結晶が弾丸となって敵戦艦の装甲をぶち破ったのである。宇宙空間では微小な塵でも運動エネルギーによって凄まじい破壊力を持つ。ましてやダイヤモンドの結晶となれば、その破壊力については説明するまでもあるまい。
残すは敵宇宙要塞のみ。
「これは破壊し甲斐のある形をしておるわい」
フリップがそう叫んだ。
中央部分は球形。その四方に無数の腕が伸びる。フリップはそこに、いにしえの軍旗を見た。そう感じたのは何もイギリス人のフリップだけではなかった。メンバー全員がそのように感じ、本能的に嫌悪感を抱いたのだった。
「カーボン核融合砲、発射用意」
「第二核融合炉から核融合砲への閉鎖弁解放、ピストン下げます。水素燃料、第二核融合炉からピストン内へ。ピストン停止。炭素タンクから核融合砲への閉鎖弁解放。炭素素材ピストン内へ噴射」
「艦首カバー、開きます」
核融合砲を保護する4枚のカバーが、まるで花の蕾のように開いた。
「敵宇宙要塞、核融合砲の軸線上に乗りました」
「発射10秒前、9,8,7,6,5,4,3,2,1、発射」
炭素を含んだカーボン核融合砲が発射された。主砲よりも遥かに大きい、鶉の卵大のダイヤモンドの結晶を大量に含んだ核融合エネルギーの嵐が敵宇宙要塞の中心部を直撃、敵宇宙要塞は中心から爆破し、腕が四方へ飛び散った。カーボン核融合砲の破壊力はチークワンが装備する拡散核融合砲にこそ敵わないものの、それまでの核融合砲を遥かに凌ぐものであることは間違いない。
「敵宇宙要塞、撃破」
「すげえ」
「さすがダイヤモンド」
こうして戦いに勝利したチェリーだったが。
「どうしたの?」
「エンジン出力低下、重力制御装置の動作、不安定」
「このままでは星の重力に引っかかるぞ」
「だめだ。出力が上がらない」
核融合砲発射の際に何かアクシデントが発生したようだ。
「星の重力に引っかかった。落ちるぞ」
かくしてチェリーはSOS信号が発信された謎の惑星に着陸することになった。
「着陸します。全員、覚悟なさい!」
「主砲収納」
大気圏突入に備え、主砲を収納する。翼はこの時点ではまだ閉じない。
「大気圏に突入」
チェリーの表面温度は3000℃。外壁は真っ赤に燃えているが、どうということはない。やがてチェリーは対流圏に到達した。大気の密度が増して飛行速度は低下、表面温度は急激に下がった。
「下翼を閉じる。このまま海に着水するぞ」
下翼のみを閉じる。飛行の安定と減速のため上翼はそのまま。その姿はまるで水面に舞い降りんとする白鳥のようだ。
「全員、衝撃に備えなさい」
時速300kmでチェリーが洋上に着水した。物凄い衝撃が襲う。
「うわあ」
「きゃあ」
旅客機の場合、洋上への墜落は地上への墜落以上に「悲惨な結果」が待っている。時速数100kmの高速で洋上に墜落した場合、洋上はコンクリートのように固くなると同時に粘着質となって機体に粘り付く。その結果、機体はバラバラに分解してしまうのだ。もしもチェリーの装甲がイノチュウムでなければ、間違いなく「同様の結果」が待っていただろう。
ここでイノチュウムについて解説。
イノチュウムは言うまでもなく単独の元素ではなく合金である。そしてその強度はダイヤモンド並みに硬く、弾性力はゴムを上回る。このような話をすると「ばかばかしい。そんな素材、存在するわけがないではないか」と思われるかも知れないが、地球にも実はある。例えば「炭素」だ。炭素原子によってつくられたカーボンシートは鋼鉄の100倍近い強度と60度の角度まで曲げても元に戻る弾性力を兼ね備えている。イノチュウムはその特性をさらに飛躍的に高めたものなのである。
「うう・・・みんな無事か?」
「酷い着水ね、望」
「これでも精一杯だったんだ」
取り敢えずは全員無事のようだ。
チェリーの船室と外壁は完全に分離している。特にメンバーの居住区である艦橋には船体が外部から受けた衝撃を吸収する反加速装置が装備されていた。その効果は衝撃を飛躍的に低下させる。この装備がなければ間違いなく全員、ショック死していただろう。
「まずは船体のチェックよ。その後にエンジンが出力低下した原因を特定しなくては」
核融合砲の衝撃でエンジン自体に損傷が発生したのだとすれば、この先の航海は断念しなくてはならない。脱出艇もワープ航行は可能だが最悪、地球への帰還さえもできないかもしれない。今は、そうでないことを祈るしかない。
「なんだ、なんだ」
一方、船体の外では星の住民たちが謎の宇宙船の不時着に騒いでいた。船体が見える岸には地元住民が大勢、集まっていた。
「おお、ハラサ博士が見えられた」
ハラサ博士とは、この星随一の知性を誇る女性博士だ。この星の人類のレベルは地球で言うところのルネサンス時代に相当する。まだ産業革命を経験していなかった彼らにとって、チェリーは想像を絶する存在である。
だが、ハラサ博士はチェリーを見ても実に落ち着いていた。
「博士、あの船は我々を襲ってきた敵の船かの?」
博士はその質問を否定した。
「デザインが全く違います。恐らくは私が宇宙へ向けて発信したSOS信号を受信して私たちを助けに来た船でしょう。敵の攻撃が止みましたから」
「おおっ、では、あの船には我々を救ってくれた英雄が乗っておるのじゃな」
「長老、船を出していただけますか?近づきたいので」
「わかった」
ハラサ博士は長老の船に乗り込むと、チェリーへと向かった。
何者かが小舟に乗って近づいてくることはコックローチも気が付いていた。
「地元の人間か?」
「やっかいだな」
星の文化水準が地球のルネサンスレベルであることは建物の外観や住民の服装などから既に把握できていた。そしてそれは「この星の技術を借りての船体の修理は期待できない」ということを意味していた。だからといって追い払うのもどうかと思う。取り敢えずは「話をする」以外にはあるまい。修理のための時間は惜しいが、仕方がない。
「はじめまして」
ハラサ博士がチェリーのデッキに上がった。
「はじめまして」
帆乃香が応対する。
「私はハラ・サワといいます。見ての通り、この星のドクターです」
ハラサ博士は白衣を着ていた。
「私は宇宙戦艦チェリー艦長、帆乃香と申します」
「私が発信したSOS信号を受けてくださり、ありがとうございます」
「そのことなのですが・・・」
帆乃香には一つの疑問があった。この星の文明レベルはルネサンス時代なのに、どうして宇宙へ向かってSOS信号が発信できたのか。しかもその信号は光速を遥かに超える通信速度によってなされたものだ。星の近くを航行していたとはいっても、チェリーが信号を受信した位置からこの星までは100万光年も離れていたのだ。
「私たちの文明では『不可能』だということですね?」
「失礼を承知で申し上げました。お許しください」
「いいのです。確かに、おっしゃられる通りです」
ここで帆乃香は新たに思い至った疑問をぶつけてみた。
「博士。ひょっとしてあなたは『この星の人間ではない』のではありませんか?」
ハラサ博士は、しばらく黙り込んだ。話すべきかどうか悩んでいるように見えた。
やがてハラサ博士が口を開いた。
「あなた方は恩人。やはりここは話すべきでしょうね」
ハラサ博士が自分の素性を明かす。
「私は違う星からここへ移住したエイリアンです。私の故郷の星の名はトマルクトゥス。かつては全宇宙で最も高度な文明を誇った星でした」
「トマルクトゥスですって!」
帆乃香が驚くのも無理はない。それはあの「天才科学者の故郷の星」に他ならないのだから。
帆乃香のもとに烈がやってきた。
「帆乃香。今、フリップにメインエンジンを見てもらっているが、かなり『やばい』そうだ」
「もしも、よろしければ、私に見せていただけますか?」
「お願いします」
帆乃香は即座に返答した。
「えっ?」
さすがの烈にも状況が呑み込めていない。
読者は既に気が付かれていると思うが、ハラサ博士の正体は、本家オナラウッド研究所の元・研究員。チン・カッキー所長(珍柿)に対して「絶対服従」を誓うほどの関係にあった人物である。
「ふーむ」
その頃、フリップがエンジン出力低下の原因を特定していた。
「核融合砲発射直後に発生したベント機能の誤動作によって核融合炉の一部が溶けたことが原因じゃ」
イノチュウムによってできている核融合炉の融点は5000℃。これでは6000℃の核融合反応には耐えられないと思われるかもしれないが、炉の中は非常な高圧であるため実際の融点は6000℃を超え、耐えることができる。だがベントによって圧力が下がった場合には当然、融点は下がってしまう。その結果、炉の一部が溶けてしまったのだ。核融合炉に限らず、核分裂型原子炉にも必ず付いているベント機能だが、ベント機能は炉の内部温度が下がってからでなければ使用することはできないのだ。
「このままではエンジンの始動は無理じゃ」
フリップは頭を抱えていた。
そこへハラサ博士がやってきた。フリップから話を聞いたハラサ博士はその後、自ら核融合炉の状況を確認した。
「洋上航海はできますか?」
「補助エンジンで、どうにかなるじゃろう」
「私の言う通りに航行してください」
その後、チェリーは洋上を補助エンジンのみでゆっくりと航行した。
「あそこに入ってください」
そこは切り立った崖で、その間に裂け目があった。チェリーが裂け目の中にゆっくりと侵入する。
「これは!」
裂け目の奥には、なんと艦船の整備ドックがあった。それもただのドックではない。宇宙戦艦の整備ができるドックだ。このドック、かつてチークワンが停泊していた由緒あるものだ。チェリーがドックに停泊すると、ハラサ博士はチェリーから降り、ドックのコントロールルームにある通信装置に手を伸ばした。
「みんな、集合よ」
続々と、かつてのオナラウッド研究所の仲間たちが集まってきた。
「さあ、久々の大仕事よ」
本家・オナラウッド研究所のメンバーたちによる「チェリー大修理」が始まった。
1週間後。
「さあ、修理完了よ」
ジャイロをはじめ地球出発時には不完全であった数々の装備が全て完全な形で修理された。
ハラサ博士は今回の航海における「忠告」を始めた。
「まずは核融合砲ですが、バレルの内側にチャターマークが認められます。ダイヤモンドの結晶が鑢となってバレルの内側を削っているのです。主砲のバレルにも同様の現象が認められます」
ダイヤモンドの結晶を発射することで破壊力は向上したが、耐久性に問題が生じていたのだ。そもそも本当に素晴らしいアイデアならば珍柿がチークワンで用いないはずはない。フリップの天才は所詮「地球人類の浅知恵」なのだ。ハラサ博士は「使用回数を限定するように」といった。
次にハラサ博士は地球人類にとって未知の空間であるボイドについての説明を始めた。
「ボイドの中では今まで見えていた星々の光が全く見えなくなり、天体観測が不可能となります。深夜に突然、停電になり、街中の明かりが一斉に落ちるような感じです。そしてボイドは光子よりも重い物質の侵入を許さない空間ですから、もしも重力制御装置に不具合が発生して質量が光子よりも増えた場合、チェリーは瞬時に消滅してしまうでしょう」
「なぜ、ボイドの中では光が見えなくなるのでしょう?」
「そこまでは私にはわかりません。チン所長ならば知っているのかもしれませんが」
握手ののち、コックローチがチェリーに乗り込んだ。チェリーは発射台に90度垂直状態に起立していたが、チェリーの内部はこのような状態でも艦橋に乗り込めるようになっていた。勿論、艦橋の中に入ってしまえば重力制御によって床面に対して直立歩行できる。
「核融合炉始動。圧力上昇、異常なし」
「重力制御装置作動開始」
「チェリー発進」
「核融合エンジン点火。チェリー上昇開始」
チェリーが発射台から離陸した。垂直発進する姿は外観も加わりサターンロケットを思わせる。
「重力圏脱出、主翼全開」
「位置計測開始。軌道修正、目標、かみのけ座銀河団」
その後、チェリーは何事もなく航海を続け、遂にボイドの手間までやってきた。
作戦室。
「遂に私たちは『おとめ座銀河団』の最も端のところまで来ました」
「ということは、いよいよ『ボイド』だな」
「そうです。ここから先はボイドの通過になります」
太陽からは太陽風という風が吹き出している。これは全ての恒星に共通する現象。天の川銀河の場合、2000億個の恒星が存在、そのすべてが風を吹き出している。それは銀河の中だけでなく外宇宙に向かっても吹き出す。真空とはいっても銀河が無数に存在する銀河団の中は風に満ち溢れているのだ。だが、宇宙にはこうした風によって拡散される物質がまったく存在しない場所がある。そうした場所では風によって撒き散らされる物質の侵入が何かしらの力によって阻止されているのだ。それが「ボイド」である。ボイドには光子のみが入ることができ、それ以外の物質は入ることができない。したがって宇宙戦艦チェリーもまた重力制御装置によって光子よりも軽い質量であるときのみ、中に入ることができるのだ。
「ボイド内では一度もワープアウトはせずに一気に通過、進路の修正もしません。その間、何が起きるのか正直なところ全く予想できません」
ここで望が挙手した。
「その後、ボイドの中で星が見えなくなる理由はわかったのか、帆乃香?」
烈が続く。
「まさか『わからない』ってことはないよな?」
このような質問が飛び出すのは、ボイドの中を航海することに対する「不安」からに他ならない。人は誰でも「理由が不明の現象」に対して不安になるものだ。
「それについては儂から皆に説明しよう」
そういったのはフリップ。
「フリップ、わかるのか?」
「なんとなくな」
フリップは白衣のポケットからビー玉を取り出した。
「これは皆、見えるな?」
「ああ」
「勿論」
「では、こうしたらどうじゃ」
フリップは水の入ったコップを取り出すと、その中にビー玉を落とした。
「ああっ!」
「消えた!」
「全く見えないわ!」
フリップがコップをゆする。カラカラとコップとビー玉が当たる音がした。
「今は見えない。だがビー玉は確かにある。そして」
フリップがコップの水をゴクゴクと飲んだ。
「こうしてコップの水を空にすれば、また見えるようになる」
メロディが叫んだ。
「ビー玉が光子で、水がボイドね」
「そういうことじゃよ。これは水の屈折率とビー玉の屈折率がほぼ同じことによって生じる現象じゃ。ボイドの中でもきっと同じことが起きているのじゃろう。このように考えれば、合点がいく。うい・・・ひっく」
その後、フリップの顔がだんだんと赤くなってきた。コップの水は水ではなく、どうやら芋焼酎だったようだ。ともあれ、このフリップの解説のおかげで、メンバーの中にあった不安が解消されたのだった。この説明が「正しいもの」という保証はなかったが、「あっても見えない現象」があり得ることを知っただけで安心するには十分だった。
と、ここで帆乃香がメンバー全員を見回した。
「ここで今一度、決を採りたいと思います。このままボイドに突っ込むかどうか。ここならば、まだ引き返せますから」
「冗談じゃろう。儂の大事な娘が待っておるのじゃ。儂の頭脳にかかればボイドなど、ちいーっとも怖くないぞ」
最初にそう発言したのはフリップ。そうだ。功子はフリップの直弟子だった。この場で改めて全員が思い出す。
「俺も怖くないぜ」
続いて烈。
「死線なら何度だって超えてきたさ」
これは勇気。
「功子と私の『恋のバトル』はまだ決着がついてないんだから、向こうで『ふたりしてアツアツ』なんて冗談じゃないわ」
これはメロディ。
「仮に向こうで死んでいるにしろ、息子の骨くらい親として拾ってやらないとな」
これは望だ。
「ということで全員、大丈夫みたいね」
「当然!」
「では、作戦会議はこれで終了します。直ちに超遠距離ワープの準備に入るわよ」
超遠距離ワープに向け、最終チェックが行われる。
「船体外壁、損傷なし」
「核融合炉、正常」
「方位修正、完了」
「進路上に障害となる恒星、浮遊物の類なし」
「レーダー翼、格納します」
四枚の翼が閉じられた。
「いいわよ、望」
「ワープ!」
望がワープスロットルを引いた。
チェリーの船体質量が見る見るうちに光子よりも軽くなる。1/10、1/100、1/1000・・・。チェリーの船体質量は最終的に光子の1/4000000000に達した。
チェリーが超光速でボイドに突っ込んだ。
次回予告
「陛下、気持ちいい・・・ですか?」
かわいらしい声で澄子が尋ねる。
「陛下、とっても、とっても大好きですうっ!」
ああ、何としたことだ!今の澄子の姿は、どこから見ても心の底からアルゴルとの交わりを楽しんでいる様にしか見えないではないか。
一体全体、何があったというのだ?
続・コックローチ28
11月22日 公開
お楽しみに。
28
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
寝室の中から聞こえる荒い息。その他にも、よく耳を澄ませばベッドのスプリングが軋む音や、柔らかいもの同士がぶつかった時に発する鈍い打撃音、さらにはギュッギュッといった音も聞こえる。
寝室では、まさにアルゴルと澄子が一つに合体、激しく刺激し合っている最中だ。アルゴルはベッドの上に仰向けになって寝ている。袈裟衣に身を包み、両腕を頭の後ろに組む。対する澄子はそんなアルゴルの体の上に全裸で「腕立て伏せ」状態。腕立て伏せと異なるのは、腕立て伏せの動作が腕を曲げ伸ばしすることで体を上下させるのに対し、ここでは腰を上下に動かしていることだ。スプリングの軋む音はベッドのスプリングが発する音、鈍い打撃音はアルゴルと澄子の腹がぶつかり合う音、そしてギュッギュッというのは・・・。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
呼吸を激しく荒げ、全身をブルブルと小刻みに震わせ、ベッドについた両手の平と両足の指先を軸に必死に腰を動かす澄子。顎をくっと引いた小顔の周りに垂れ下がる美しい黒髪。そのストレートヘアーが腰の動きに合わせてふわっふわっと揺れる。
これらの状況説明からお分かりの通り、主導しているのは澄子である。
袈裟衣を纏う老人男と全裸の若い女性。これほど周囲に淫らな印象を与える組み合わせもない。それは紳士服を纏う男性と全裸の女性を組み合わせた「草上の昼食(マネ作)」を思わせる。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
腕立て伏せひとつにも、その人物の「知性」が現れる。澄子の美しい姿勢はまるで訓練を積んだ「体操の金メダリスト」のようだ。
「陛下、気持ちいい・・・ですか?」
かわいらしい声で澄子が尋ねる。
「陛下、とっても、とっても大好きですうっ!」
ああ、何としたことだ!今の澄子の姿は、どこから見ても心の底からアルゴルとの交わりを楽しんでいる様にしか見えないではないか。
一体全体、何があったというのだ?
アルゴルが居室にやってきた。
「どうやら無事に生きているようだな?」
澄子は生きていた。アルゴルは床に転がる澄子に向かって話し始めた。
「いい知らせだ。昨夜、お前の仲間をひとり捕らえた」
仲間を捕らえた?聖斗だ。聖斗が捕まった!澄子は気もどうにかなりそうなほど驚いた。
「そ、それでどうするのですか?」
「当然、処刑だ」
「やめてください!」
澄子はアルゴルに懇願した。アルゴルは「思った通りだ」と思った。実はまだ聖斗は捕まってはいなかった。アルゴルは澄子を追って地球からやってきた聖斗と澄子の関係を確かめるために嘘をついたのだ。
「だめだ」
「お願いです。どうか、どうか」
必死に懇願する澄子。今の澄子の様子ならば、何でもこちらの言うことを聞かせることができるに違いない。アルゴルはまんまと澄子を騙すことに成功した。
「そこまでいうなら、やめてもいい、但し」
「但し?」
「お前が私の言うことを素直に聞けばの話だ」
「わかりました。何でも言うことを聞きます」
その後、拘束着を脱がされた澄子は扉によって居室と内部で繋がっている隣の寝室へと入った。アルゴルはそこに置かれた天蓋付きの豪奢なベッドの上に仰向けに寝そべった。
「2時間だ」
「えっ」
「お前に2時間の猶予を与える。その間に私との『勝負に勝つ』のだ。もしも勝てなければ男を処刑する」
2時間以内に勝つ。
この条件をクリアする以外に聖斗くんを救う方法はない。澄子は覚悟を決めた。
「わかりました」
早速、澄子はアルゴルの袈裟衣を左右に広げた。
「うっ」
アルゴルは下着を着用していなかった。突如出現したアルゴルの太くて立派な武器に澄子は顔を真っ赤に染めた。
「さあ、始めるがいい」
「着衣は」
「今のままでいい。私は、服を脱がない」
アルゴルの着用する袈裟衣は特殊な鋼線の糸で編まれたもので、防弾服を兼ねている。アルゴルはこのような時であっても服を脱ぐことはないのだ。
「わかりました」
澄子はまず、自分の指を用いて攻撃を開始した。10分、20分と時間が過ぎる。だが、アルゴルは一向に負ける様子はない。仕方がない。澄子は口で攻撃する。しかし、やはり負ける様子は微塵もなかった。
「そんな『紛い物の方法』で私に勝てるとでも思っているのか?」
「そんな」
「お前の最高の武器を使い、本気になって私に挑んで来い。さもないと男は死ぬぞ。ほら、あと1時間しかないぞ」
あと1時間。もはや手段を選んでいる時ではなかった。
「私がやり方を教えてやる。まず私の体の上で腕立て伏せの姿になれ」
澄子は言われるままに腕立て伏せの格好になった。
「そのまま私の武器と交えるのだ」
澄子はアルゴルと武器を交えた。何てきついの。とてもジンジンする。
「その状態で腕立て伏せをするのだ」
澄子が腕立て伏せを始めた。互いの武器が激しく摩擦し合う。
「あっ、あっ、あっ」
摩擦が増していく。気持ちよくてたまらない。でもやめられない。やめたら聖斗くんが殺されちゃう。澄子は必死に自分の最高の武器を使ってアルゴルの最高の武器に挑む。
だが、アルゴルの表情は微塵も変化しない。変化しているのは澄子の方だ。
「ああん、ああん、ああーん!」
澄子が裏声で叫び始めた。眼を細め、眉間に皺を寄せ、大きく開いた口元を歪める。
そして。
「あああああーっ!」
勝負に負けたのは澄子。
「ああ・・・聖斗・・・くん」
澄子の眼から涙が零れ、澄子はアルゴル王の胸の上に崩れ落ちた。
その時、アルゴルが澄子に怒鳴った。
「誰が『私の胸にもたれかかっていい』と言った!すぐに腕立て伏せの姿に戻れ」
「は、はい」
澄子は急いで腕立て伏せの状態に姿勢を戻した。
「早く再開しろ。私はまだ勝負に負けてはいないぞ」
これはアルゴルの慈悲なのか?まだ勝負は「終わっていない」と言ってくれたのだ。
澄子は腕立て伏せが再開した。
「ああっ、ああっ、ああっ」
その後、澄子は何度も何度も敗北を喫した。それによって自らの武器が磨かれていくのを感じる。
「あと3分」
あと3分!澄子は腕立て伏せの速度を速めた。
「あと1分」
ああっ、もう間に合わない。澄子の心に「絶望」の火が灯った。
もうあと数秒で時間切れになろうという時。
澄子は自分の武器がアルゴルの武器を破壊したのを感じた。ぎりぎり間に合ったのだ。というよりアルゴルは意識的にこの時、負けてくれたのに違いなかった。
なんて男だ。2時間、澄子の攻撃に耐えるとは。これはひとえにアルゴルが澄子に「女性としての魅力」を微塵も感じておらず、単に「自分が皇族になるための道具」としか思っていないからこその芸当といえよう。
「お前には今後もこの調子で私と腕立て伏せをして貰う。自殺しようなどとは思うなよ。もしもお前が死ねば、男は死ぬ。もはやお前は私の奴隷。死ぬことも許されないのだ」
「どうして、私をこんな目に」
「知りたいか?」
その後、アルゴルは理由を語り始めた。
「俺は貧しい庶民の出だ。それを理由に帝国に所属する星々の王族は俺のことを蔑んでいる。だから俺は『王族が嫌い』だ。ゆえに王族の中でも最高位にあるメドゥーサ皇室の血を受け継ぐお前を弄ぶことで『仕返し』をしているのさ」
皇帝に即位して20年。その間、アルゴルは絶対的な権力者として銀河帝国に君臨してきた。だがその間、銀河帝国に所属する星々の王やその一族どもは面従腹背、表向きは自分への忠誠を誓いながら裏では自分のことを「成り上がり者の猿」と罵っていた。そんなアルゴルが前皇帝の娘である澄子を憎むことはいたって自然なことと言えよう。
アルゴルは実に「愉快」でならなかった。前メドゥーサ皇室の一人娘。本来であれば女帝である澄子を「自分の意のままにする」ということは、とりもなおさず自分が皇室よりもさらに上の存在、すなわち「神」であることを意味するものに他ならないのだ。
「だが、お前を弄ぶ理由はそれだけではない」
アルゴルはその後、本当の理由について話した。
「今から30日後の挙式の時、お前は『夫婦の証』として大臣、閣僚、そして銀河帝国に加盟する星の王たちの前で私と腕立て伏せを行う。その時、お前は心から楽しんでいるように行わなければならない。そうでなければ、私に反感を抱いている連中を納得させることができないからな」
挙式の時に腕立て伏せ?
地球においても昔は王妃の出産時には大臣や閣僚が「出産の瞬間」を見守っていたから、異星において、このような儀式があっても不思議ではない。
地球人類は精神的に汚れているため、こうした行為を「不浄なもの」と考えるが、この星の人々にとっては「愛する者同士のそれは美しい」ものであり、別に人に見られたからといって恥ずかしいものではないという倫理観があるのだ。だが、それは逆に言えば「愛のないそれは不浄だ」という意味の裏返しでもある。本人の同意のない強姦や不倫は直ちに「死罪」となるのが帝国の掟であった。
「だから今日のようなことでは困る。今日のお前では強制されて『嫌々やっている』ことが誰の眼にもバレバレだ。早く慣れて『心から楽しめる』ようになるのだ。明日からはそのための『訓練』と心得よ。今後は私の命令には絶対服従。『いや』『だめ』『やめて』『許して』といった後ろ向きな言葉は一切言ってはならぬ。いかなる時も『気持ちいい』『感じる』『嬉しい』『陛下大好き』と叫ぶのだ」
アルゴルは澄子の体を脇に追いやるとベッドから立ち上がった。
「それが『お前の男を救うことになるのだ』ということを忘れるな。ハハハハハ」
アルゴルは寝室を後にした。
※
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
結婚式の日まで予行演習は続く。今日もアルゴルと腕立て伏せをする澄子。
「もっと速く!もっと深く!」
「はい」
澄子はアルゴルの命じるままに、互いの武器を激しく打ち合う。
(感じちゃだめ、感じちゃだめ)
心の中では必死にそう叫ぶ。
澄子城はまだアルゴル王の攻撃の前に陥落してはいない。澄子は心の中で必死に戦っていた。見た目、楽しそうにしていると思われるものも、そのように演じているだけだ。とはいえ、落城の時は目前に迫っていた。心の中で「感じちゃだめ」と叫ぶということ自体、体は感じていることの何よりの証拠だ。さしずめ今の澄子は「本丸を残し、それ以外は全てアルゴルの手に落ちた城」であった。本丸にいる城主は言うまでもなく聖斗である。
「輝夜姫」
「はい」
「今から自分が『止めろ』というまで、連続して『気持ちいい』と言いながら腕立て伏せをするのだ」
アルゴルには澄子の心の中など全て「お見通し」なのだ。
「気持ちいい、気持ちいい、気持ちいい」
アルゴルの命じるままに澄子は「気持ちいい」と叫び始めた。
これこそがアルゴル流の「教育術」。こうして繰り返し「気持ちいい」と口に出して言わせることで心の底から「そう思う」ように仕向けるのだ。もし、心の中で「本当は違う」などと思えば、それが口に出てしまう。この教育術の前では心の中でも「気持ちいい」と呟く以外にないのだ。こうやってアルゴルは今まで、数多くの女を落としてきた。澄子も例外ではない。そう確信するアルゴルは澄子の姿をニヤニヤしながら眺めていた。
澄子はこの時「自殺」を考えていた。澄子はもはや「妊娠は避けられない」と覚悟していた。そしてアルゴルの息子など断じて「生みたくない」とも。ただし、それは聖斗が地球に無事に戻ったあとでだ。それまでは、いかなる辱めにも耐えなければ。
(今まで聖斗くんは何度も私のために戦ってくれた。今度は私が聖斗くんのために戦う番よ)
「あああああーっ!」
澄子の体がビクンビクンと何度も撥ねる。
「よし、今日はここまで」
アルゴルの許しが出た。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
呼吸を乱しながら、澄子はそのままアルゴルの男らしいぶ厚い胸の上に崩れ落ちた。
※
執務室。
ここ数日というもの、アルゴルは不愉快でならない。
(なぜだ。なぜ私は不満なのだ?)
目の上の瘤である聖斗をまだ「捕まえていない」ことが原因か?いや、そうではない。確かに聖斗は目の上の瘤だ。国の安全を揺るがす最大の脅威だ。だが、理由は別のところにあった。
(そうだ。私は聖斗に嫉妬しているのだ)
澄子の教育は、はた目には順調に進んでいた。だが、澄子がかくも腕立て伏せが上手であるのは自分を愛しているからではなく、聖斗を愛しているからなのだ。
(そうだ。私はそれが不満なのだ)
アルゴルは澄子が今もなお、心から「自分を愛していない」ことに、自分の教育が澄子に「決定的な一撃を与えていない」ことに気が付いていた。アルゴルは自身の「男としてのプライド」がズタズタに引き裂かれたのを感じた。アルゴルは今の時点で澄子が勝者で、自分が敗者であることをはっきりと理解していた。
「うぬぬぬ、おのれ輝夜姫!」
澄子に激昂するアルゴル。
だが、この時点でアルゴルは自身の男のプライドがこうも傷ついた「本当の理由」にはまだ気が付いていなかった。
絶対的権力を有するアルゴルには当然のように何人もの愛人がいる。それらはいずれも銀河帝国を代表するグラマーでセクシーな美人ばかりだ。そんなアルゴルにとって、下ぶくれた幼顔の澄子など、それこそ自分の皇位を強固にするための道具でしかなかった。最初のうちは。
だが毎日、接するうちにアルゴルは澄子の魅力に惹かれていたのだ。愛する男性のために自分が繰り出す過酷な要求に必死に答える澄子の献身的な姿に。これほど愛する男性のために自らを犠牲にする女性が果たして「自分にはいる」だろうか?自分のために自らは地獄に堕ちる事も辞さない献身的な女性が。結論は「NO」だった。アルゴルにとって澄子は今まで見たことのない女性であった。女というものは皆、高価な宝石や有名ブランド品といった贅沢を欲し、美食三昧の暮らしを望む「虚栄心の強い俗物」としか思っていなかったアルゴルにとって、澄子はまさに神話の中にしか実在しないはずの「聖女」そのものであった。
(このような女性に愛されるようでなくては「真の男」とは言えない)
アルゴルは澄子と出会い、澄子と接することで、そのことに気づいたのだ。事実、澄子への教育を開始して以後、アルゴルは他の愛人のところへは一度も足を運んではいなかった。澄子への教育に夢中になるあまり、アルゴルはそれまでは楽しめたはずの愛人たちのことを綺麗さっぱり忘れていたのだ。いや、それどころか今まで楽しんでいた筈の愛人たちを「醜い雌豚ども」とすら感じるようになっていたのだ。そして、それに反比例するようにアルゴルは「澄子に夢中」になっていた。これは明らかに今まで「戦いと征服」にしか人生の喜びを見出してこなかった男の「遅かりし初恋」であった。だが、アルゴルはこうした自分の恋心をあくまでも「征服欲」と思っていた。
「教育が『効かぬ』というのであるならば」
この時、アルゴルは「ある決心」を固めていたのだった。
※
挙式まであと1週間と迫っていた。
寝室。
「お前の腕立て伏せは全然なってない!」
突然、アルゴルは澄子に罵声を浴びせた。
「こんな調子では、本番では必ず失敗するぞ!」
澄子はアルゴルの突然の罵声に驚きを隠せない。
「何がいけなかったのでしょうか?」
「それは『お前自身、よくわかっている』んじゃないのか?」
澄子は挙式当日、アルゴルを満足させられるよう必死に予行演習を行ってきた。
「じゃあ言ってやる。お前は心の底から楽しんでいない。それは、お前の心の最も大切な場所に『あの男』が居座り続けているからだ!」
自分と一緒にいるときは自分の言うことを素直に聞いている。だが、終われば澄子の心は直ちに聖斗のことを慕う。澄子が「皇位継承の道具」でしかない時にはそれで満足していたアルゴルも澄子を本気で愛してしまった今では、それでは許せなくなっていたのだ。
「こうなったら、もはやこれしかない。輝夜姫、この注射を自分の腕に打て」
アルゴルは澄子に注射器を手渡した。仮にこの針を自分の頭や喉にでも刺されれば自分が死ぬかも知れないのにだ。それだけアルゴルは切羽詰まっていたのである。
「これはひょっとして」
「そうだ。媚薬だ。この薬で落ちなかった女はひとりもいない。全員、発狂した」
それを聞いて澄子はぞっとした。
「さあ、早く打て。打たねば男は殺す」
選択の余地はなかった。この時の澄子には「注射器は暗殺用の武器になる」などとは少しも思いが至らなかったのだ。
(聖斗、さようなら)
澄子は媚薬を自分の腕に注射した。
「さあ、いつものように腕立て伏せを始めろ」
この腕立て伏せによって自分の精神は完全に破壊される。自分が聖斗のことを思い出すことは二度とないだろう。でもいい。たとえ聖斗への愛情を綺麗さっぱり忘れてしまっても、聖斗の命が助かるのなら。たとえ自分は身も心も完璧に「アルゴルのもの」になってしまっても、聖斗さえ無事に地球に戻ることができるのなら。澄子はいつものように腕立て伏せを開始した。
地球にいたときにも男たちから辱めを受けた。もうそれで十分に罪は贖った、これからは聖斗と幸せな生活が待っているのだ。そう思っていたのに、ここに来てまたも同様の責めを受ける澄子。結局、澄子は自分の宿命から逃れることができなかった。今、起きていることは澄子に対して前もって決められていた「さだめ」なのだ。こうした責めを受けるために澄子はこの世に生まれてきたのだ。
ああ、なんと可哀想な澄子!
そんな澄子に待っていたのは、この薬によって発狂した女性たちと同じ結末だった。
「はは、はは、ははは」
澄子は涎を垂れ流し、その目は焦点を完全に失っていた。
次回予告
結婚式当日、再び聖斗とアルゴルが激突。
ピキン
聖が真っ二つに折られた。数多くの死闘を潜り抜けてきた相棒・聖だったが、遂にその役割を終える時が来たのだ。
聖を失った聖斗に最大のピンチが訪れる。
続・コックローチ29
12月6日 公開。
お楽しみに
29
アスクレピオスの隠れ家。
「ううう」
ベッドの上で苦しむ聖斗。ベガが心配そうに見つめる。
「まったく、無鉄砲にもほどがある」
アルタイルは、そういうと研究室へ入ってしまった。この言葉には二つの意味があった。ひとつは「聖斗の無謀」、そしてもうひとつは聖斗を救出に向かった「ベガの無謀」。木乃伊取りが木乃伊になる危険もあった。
「澄子・・・澄子・・・」
無念の聖斗。今頃、澄子はきっと辛い目に遭っているに違いないと思うと、気が気ではない。
「でも当分は安静ね、聖斗」
ベガが聖斗にそう告げた。
その後、時間が流れた。聖斗が動けるまでに回復したのは、まさに挙式前日のことであった。そして、このタイムロスは読者が既に知る通り、澄子にとって文字通り「致命的」なものであった。
挙式前日。最後の確認。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
「どうだ?気持ちいいか」
「はい。とっても、とっても気持ちがいいですうーっ」
「そうか、なら、もっと早く動け」
「わかりましたあっ」
アルゴルは澄子の一挙手一投足をつぶさに観察した。そこにはもはや聖斗に対する思いを、ただのひと欠片も見出すことはできなかった。
「どうやら完璧に仕上がったようだな」
「アルゴル様あ、アルゴル様あ」
「陛下と呼べ、陛下と」
挙式当日。
理性を完全に失った輝夜姫は朝からアルゴルと結ばれることばかり考えていた。
「入ります」
輝夜姫の世話係が結婚衣装を抱えて入ってきた。衣装を整え、化粧をする。やがてアルゴルが入ってきた。
「陛下」
「とてもきれいだぞ」
「はい。そう言っていただけて、とっても嬉しいです」
「では、参るとするか」
アルゴルと輝夜姫はふたり連れだって挙式場へと向かった。
挙式場は教会でも寺社でもない、地球で言うところのローマ・コロセウムのような屋外競技場だった。競技場の中央にはベッドが一つ置かれ、その周りにメドゥーサの大臣や閣僚、銀河帝国に所属する惑星の王らの席が設けられていた。また客席には既に多数の国民が詰めかけていた。ベッドへ通じる一本の通路をアルゴルと輝夜姫が並んで歩く。いつもの黒い袈裟衣とは一転、黄金の袈裟衣を纏うアルゴル。輝夜姫は白銀色に輝くウエディングドレスを纏う。
二人がベッドまで到着した。
「それでは、婚礼の儀式を始めます」
司祭が挙式の始まりを宣告した。まず、アルゴルが着衣のままベッドの上に仰向けに寝そべった。続いて輝夜姫がウエディングドレスを脱ぎ始める。すべて脱ぎ終えた輝夜姫は予行演習の時と同じくアルゴルの体の上に腕立て伏せの姿になった。競技場の大スクリーンにそんなふたりの様子が映し出される。輝夜姫が腕あって布施を開始した。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
大観衆の見ている中、輝夜姫が必死に腕立て伏せを披露する。
「ああっ、ああっ、気持ちいいーっ」
格闘に酔う輝夜姫。その姿には一片の迷いも見られない。輝夜姫は心の底からアルゴルと楽しんでいる。そんな輝夜姫の姿に反対派の王侯貴族たちが落胆する。
アルゴルは大満足。これで反対勢力は沈黙するだろう。何しろ唯一の頼みの綱だった前皇帝の娘は見ての通り「私にぞっこん」なのだから。
その頃。
聖斗とアスクレピオスは挙式場となっている競技場の近くまで地下道を通って接近した。
「いいか」
「よし」
「いくぞ」
マンホールが開けられ、中から一斉に飛び出す。機銃の弾が乱れ飛び、手榴弾が幾つも爆発する。
「レジスタンスだ!」
当然のことながら競技場の周囲は厳重に警備されていた。競技場の表は正規軍とレジスタンスの激突する戦場と化した。その中を競技場内に向かって聖斗が走る。
そんな聖斗の前に二人の剣客が立ちふさがった。
「聖斗」
「ここは通さないわ」
ふたりの剣客はマイアとメローペだった。
「アルシオーネはどうした?」
「隊長は」
「中で警備されているわ」
「あっそ」
聖斗は聖を抜いた。容赦なくふたりを切り捨てるつもりだった。温情家の聖斗ではあったが澄子のことになると豹変する。
その時。
「待て、聖斗」
「こいつらは私たちに任せて」
アルタイルとベガが聖斗に追いついた。
「げっ」
「お前たちは」
アルタイルとベガを見たマイアとメローペは驚きの表情を見せた。
「久しぶりだな、マイア、メローペ」
「お前たちが、どうしてここに?」
「どうして?決まっているだろう。裏切り者のお前たちを倒し、アルゴルを逮捕するためだ」
アルタイルとベガが懐から手帳の様なものを取り出した。
「銀河帝国警察の誇りと名誉に懸けてマイア、メローペ。裏切り者のお前たちをこの場でデリートする」
聖斗はそのように叫ぶアルタイルとベガを横目で眺めた。
(そういうことだったのか)
聖斗は瞬時に、この場の状況を推測した。アルタイルとベガは銀河帝国警察に所属する銀河刑事で、マイアとメローペも元々はそうだったが、アルゴルに走ったのだと。
「聖斗、ここは俺たちに任せろ」
「個人的な因縁もありそうだし、邪魔はしないさ」
そういうと、マジシャン聖斗は目に見えないワイヤーを競技場の天井にかけ、天空高くジャンプ。聖斗の体は競技場内へと消えた。あっという間の出来事だった。
「さすが」
「地球最強の勇者ね」
アルタイルとベガは聖斗がこうも素早くこの場から消えてしまうとは思っていなかったようで、改めて聖斗の実力に驚くのだった。
「では」
「はじめましょう」
アルタイルとベガが変身ポーズをとる。
「伝送!」
二人は銀河刑事専用のバトルスーツを装着した。
「銀河刑事アルタイル!」
「銀河刑事ベガ!」
アルタイルとベガがポーズを決める。
「何の」
「私たちだって」
マイアとメローペもまた伝送した。二人もアルタイル、ベガ同様に彼らのバトルスーツを纏う。
「いくぞ!」
「とう!」
「行くわよ!」
「いいわ!」
4人のバトルが始まった。
競技場内に入り込んだ聖斗が目にしたのは競技場の中央に設けられた祭壇の上で大観衆を前に恥ずかしげもなくアルゴルと腕立て伏せをする澄子の姿だった。
「あああああ」
聖斗には、この光景はさすがにショックだった。頭を抱えた聖斗は横の柱に額を押し当てて涙した。だが、いつまでも泣いてなどいられない。聖斗はショックから立ち直ると観客席の階段を素早く駆け下り、競技場のグランドに入った。聖斗は走りながら、あらん限りの大きな声でベッドのある中央の祭壇に向かって叫んだ。
「澄子ーっ!」
その聖斗の叫びを耳にした瞬間。
「ばかな」
澄子の表情がそれまでとは一変した。
「輝夜姫の『心』が再び蘇ったとでもいうのか!」
心を取り戻した澄子は今の「恥ずかしい状況」を理解した。
「い、いやあああああーっ!!」
澄子は直ちにベッドから飛び降りると、無造作に脱ぎ捨てられた衣装を抱えて、ベッドの脇に隠れるようにしゃがみ込んだ。
「そ、そんな」
しつこいほど繰り返した予行演習であったにも拘らず、澄子の「聖斗への思い」を完全に消し去ることはできなかったのだ。アルゴルは「己の敗北」を認めないわけにはいかなかった。
「場所をわきまえぬ無礼者め!」
このように叫んだのはアルゴルを警護するプレアデス征団隊長アルシオーネ。この日は警備隊長を務めていた。
「アルシオーネ」
「丁度いい。竹林での決着をここでつけてやる」
アルシオーネが両手に一対の剣を構えた。アルシオーネの体が青く輝く
「いくぞ、キャスピタ!」
ボクサー・シックスの倍、12本の光が聖斗を襲う。巧みに躱す聖斗。
その後、アルシオーネは何度かキャスピタを発射した。そのすべてが聖斗に躱されたのだが、アルシオーネは余裕の表情を失ってはいない。
「ようやく体が温まってきたわ」
それまで青く輝いていたアルシオーネの体の右半分が赤く輝き始めた。それは体内を流れる血液の温度差によるものだった。そしてこの現象はアルシオーネの体が本格的に温まった証拠でもあった。体の右側を赤く、左側を青く輝かせるアルシオーネの雄姿!
「今までは準備体操。今こそ、私の本当の技を見せよう」
果たして、いかなる技が飛び出すのか?
「さらばだ、聖斗。キャスピタ『ジオット』!」
左右の腕から6条の星が放たれた。しかもコークスクリューブローによって放たれたふたつの星は機械式時計の中に組み込まれた二つのギアの様に噛み合いながら高速回転していた。さすがにこれでは避けることはできない。みるみる聖斗に迫ってくる赤と青ふたつの回転する6条の星。
「針千本!」
避けられないのであれば受け切るまで。聖斗は自らの技によって真っ向から受けた。
「ヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤーッ!」
次から次と繰り出される聖の刃端が12本の光線に激突、威力を弱めていく。12本の光線は聖斗の体に到達する前に消滅した。
「俺の究極の必殺技を受け切るとは」
「遊びは終わりだ。アルシオーネ」
聖斗は聖を鞘に納めると背中に向けて大きく振った。そして聖の鞘が背中に当たった瞬間、聖斗は左手で鐺(こじり・鞘の先端部分)をぐっと握った。
「海鼠の嚏『赤潮』!」
この技は「抜刀術による袈裟切り」。だから本来であればアルシオーネの左肩を捉える。だがこの時、聖斗は反射的に体を左に傾けた。それは言うまでもなくアルシオーネの体が左右に色分けされていたからで、聖斗は色の裂け目を狙ったのだ。聖はアルシオーネの頭頂部から真下へと一直線に振り下ろされた。
アルシオーネの体が真っ二つに割れた。
聖斗はアルシオーネを殺した。全ては「澄子のため」。澄子を無事に助け出すためなら、相手の命にかまっている余裕などない。今の聖斗は「魔人のごとき強さ」を誇る。
そんな聖斗とアルシオーネの「戦い」を、しかしながらアルゴルは全く見ていなかった。ショックからの回復に時間がかかっていたのだ。
「まだだ・・・まだ終わってはいない!」
アルゴルが突然、叫んだ。意識が回復したのだ。
「遂にここまで来たか、聖斗」
アルゴルは聖斗をまじまじと眺めた。以前会ったときの聖斗は変装をしていたから、これが事実上「初の出会い」といっていい。
(これが、輝夜姫が愛する男か)
身長、僅か160cmしかない小柄な男。だが油断はならない。銀河帝国最強の戦士・アルシオーネが傍らで真っ二つになって死んでいるのを見れば、聖斗がその小柄な体格に似ず「凄腕の剣士」であることは間違いのないことだ。
「面白い。それでこそ我がライバル」
アルゴルはベッドの上から脇にしゃがむ澄子を見下ろした。
「輝夜姫、見ていろ。この戦いに私は勝つ。勝って必ず『お前の心』を我が手に掴んで見せる」
アルゴルにとって最大の野望は「権力の掌握」の筈だった。だが、今のアルゴルは違う。今のアルゴルにとっては聖斗を倒し、輝夜姫の心を自分のものとすることの方が遥かに重要であった。男を本気で熱くさせるもの、それはいつだって「いい女」だ。男とはそういう生き物なのだ。
絶対に負けられない「男と男のプライド」を賭けた戦いが始まる。
「行くぞ」
アルゴルがベッドの上から跳んだ。まるでベッドがトランポリンであるかのようにアルゴルが天空高く舞い上がった。
「二度死ぬか、聖斗!」
アルゴルが聖斗に殺人スプレー・ヒューマンαを頭上から噴射した。だが、聖斗の体に変化はない。
「そうか、解毒薬か」
解毒薬にはワクチンとしての作用もあるのだ。
「ならば」
アルゴルが右手を天に向かって高々と挙げた。
「フライバスター」
アルゴルがそう叫ぶと、アルゴルの右手に黄金色に輝く剣が伝送されてきた。
「剣には剣。私も剣には少々、自信がある」
アルゴルの戦闘準備が完了した。
「さあ来い、聖斗」
言われるまでもない。聖斗はアルゴルに突撃した。
「鈍亀のひと突き!」
決まった。聖の刃の先端がアルゴルの左胸を完全に捉えた。
だが。
「なに?」
聖の攻撃は黄金の袈裟衣によって完全に防御された。
「バカな」
聖斗は聖を素早く鞘に納めると、水平に抜刀した。
「海鼠の嚏『青い波濤』!」
だが、やはり黄金の袈裟衣によって攻撃は遮られた。
「くっ」
「無駄だ。この黄金袈裟衣は我が星の特殊鋼繊維で編まれている。硬度は9ある」
ルビー&サファイア並みということか。ちなみに日本刀の素材である鋼の硬度は6,5しかない。
「ならば」
聖斗は一旦後ろに下がると、闘気を拳に集中させた。
「飛魚の飛翔!」
闘気を刃とする飛魚の飛翔なら或いは切れるかも。だが、やはり無駄だった。
「今度は、こちちから行くぞ」
アルゴルが突進してきた。何と素早い突進。
「くっ」
かろうじて避けた聖斗の腹に水平に切り傷が走った。
さらに。
「ぐわっ」
聖斗の背中にも切り傷が。どちらも深手ではなかったが、聖斗にとって、これらの攻撃は精神的にショックだった。
(こいつの動きは、まさか)
聖斗は聖を鞘に収めると、キッチン・ダッシュ(ゴキブリが台所を駆けまわる時の動き)でアルゴルの目前に飛び込んだ。
「海鼠の嚏『深海に降る白銀の雪』!」
体を左に捻り、真上から下に振り下ろす抜刀術。
「むっ」
アルゴルは自分の胸元を見た。そこには確かに傷がついていた。
「我が衣に傷をつけるとは、たいした腕前だ」
アルゴルは聖斗の剣技に素直に感心した。だが、聖斗にとっては「これでもアルゴルの肉体に傷ひとつつけられないのか」といった心境だ。
しかもその後、聖斗は「信じられない光景」を目にした。
「ば、バカな!」
アルゴルは、まるで羽でも生えたかのように空中を自在に飛び回り、聖斗に対して頭上から攻撃を仕掛けてきたのだ。
「これは幻覚か!?」
いや、幻覚ではない。空を飛び回るアルゴルの動きはまるで「糞の周りを飛び回る蠅」のように素早い。それは明らかに人間の動体視力を超えていた。
「針千本!」
空を飛び回るアルゴルに聖斗は針千本を繰り出した。だが、それは空振りに終わった。聖斗の攻撃は全て「アルゴルの残像」に対して行われたに過ぎなかった。
「うわあ!」
聖斗の頭頂部から額に向かって血がつつーと流れ落ちた。頭に斬撃を受けたのだ。
(負けるもんか。僕は澄子とふたりで地球へ帰るんだ)
アルゴルが空中に静止した。その姿は余裕に満ち溢れていた。これこそ「上から目線」というやつだ。
「聖斗、私の剣を見るがいい」
アルゴルがフライバスターを前に突き出した。
「これはただの剣ではない。不思議な能力を秘めた剣『精剣』なのだ」
「精剣?」
精とは不思議な能力という意味。だから精剣。実に判り易い名である。だが、不思議な能力とは一体?
「この剣の形、お前たちの星、地球にも似たようなものがあるだろう?」
西欧のソードを思わせる細い剣身の先端にある特徴的な正方形の刃。アルゴルが手にするフライバスターは一見すると「フライパン返し」のように見える剣であった。だが、それは紛れもない剣。聖斗は棟(この場合、正方形の刃の内側の部分)に何やら「赤く光る点」があるのを認めた。それはよく見ると「蠅の彫刻」であった。
「まさか『蠅叩き』?」
「ご名答」
蠅叩きの形をした剣?そんなバカな。
だが、それは紛れもない事実であった。それにしても「黄金の袈裟衣」に「黄金の蠅叩き」とは何という組み合わせだろう!全身、黄金色に輝きながら、これほど「高貴さ」からほど遠い姿もない。安土桃山時代の茶人・千利休が閉口したとされる豊臣秀吉によって作られた「黄金の茶室」並みの下品さだ。
「この剣の名は『フライバスター』。太古の時代より、かみのけ座銀河団に伝わるこの剣には『蠅の能力』が宿っている。そのため余は蠅の如く自由自在に素早く飛翔することができるのだ」
赤く光る点の正体は蠅の彫刻の眼に嵌め込まれた赤石であった。その赤石はイギリス王室の秘宝「黒太子のルビー」と同じスピネル。そして胴はサファイア、羽にはダイヤモンドが奢られていた。よく見れば、柄にも滑り止めを兼ねているのだろう、ダイヤモンドとスピネルとサファイアが床屋の看板のように螺旋状に嵌め込まれていた。黄金と輝石によって輝くフライバスターは文字通り「宇宙一贅沢な蠅叩き」である。
「この剣を手にした時、余は『フライマスター』になる」
フライマスターとは即ち「蠅の王」。
アルゴルVS聖斗の戦い。それはすなわち「蠅VSゴキブリ」の戦いに他ならない。
果たしてどちらの害虫が「より強い」のか?
「行くぞ、聖斗」
アルゴルが再びを飛翔し始めた。
「くっ」
一方、聖斗は地上を駆ける。だが、台所の床を走るゴキブリの動きなど、台所の中を飛び回る蠅の動きに比べたら「スローモーション画像」を見ているようなものだ。
空からアルゴルが聖斗に襲い掛かる。
「くっ」
かろうじてアルゴルの攻撃を受け止める。
「鈍亀のひと突き!」
先程、傷を付けた個所を狙う。そこならば貫通する。聖斗の腕ならば激しく動く中であっても正確に狙える。だが、アルゴルは聖斗の突きよりも速い速度で飛び去る。これではどうしようもない。
再びアルゴルが接近してきた。チャンス到来。聖斗はまるで高射砲のように空に向けて片手平突きの構えをした。今度は外さない。
アルゴルが体を90度横に捻った。アルゴルは体の捻りを利用してフライバスターを振り上げると、そのまま聖斗の頭上に振り下ろした。
「アルゴル・クライマックス!」
聖斗も技を繰り出す。
「鈍亀のひと突き!」
ピキン
聖が真っ二つに折られた。数多くの死闘を潜り抜けてきた相棒・聖だったが、遂にその役目を終える時が来たのだ。それにしても聖を折るとは、さすがは伝説の精剣・フライバスター。聖を失った聖斗はもう戦えない。
「くそう」
聖斗は煙幕玉を地面に叩きつけて煙幕を張った。今は逃げるしかない。屋内などの狭い場所ならば勝機が見出せるかも知れない。この屋外競技場で戦い続けるのは明らかに不利だ。
「逃げても無駄だー」
だが、蠅の能力を持つアルゴルに煙幕など「子供だまし」。アルゴルの眼は煙幕の中を走る聖斗の黒い影を完璧に捉えていた。アルゴルが聖斗めがけて一直線に飛んできた。
「なにい!?」
「がははは、バカめ。これでも喰らえ」
フライバスターの一撃が聖斗の顔面を捉えた。
次回予告
遂に聖斗とアルゴルの「宿命の戦い」に終止符が打たれる。
果たして「宇宙最強の害虫」は蠅か、それとも蜚蠊か?
続・コックローチ30
12月20日 公開。お楽しみに
30
アルタイルとマイア、ベガとメローペの剣による戦いが始まった。
この組み合わせは「必然」であった。というのも、かつてマイアはアルタイルの、メローペはベガの直属の上官だったからだ。
マイアがアルタイルに向かって叫んだ。
「かつて部下だったお前が私を倒すなど笑止!」
マイアの剣技は二刀流。
「喰らえ」
マイアの剣がアルタイルの腹を水平に切った。
「うわあ」
アルタイルの腹が爆発した。もしもバトルスーツを纏っていなければ、間違いなく死んでいた。
もう一方の戦いでも。
「きゃあ」
ベガがメローペの大刀によって背中を斜めに切られた。背中が爆発する。これまたバトルスーツのおかげで致命傷にはならなかった。
彼らが纏うバトルスーツについて、ここで解説しておこう。
元々は銀河帝国軍が開発した陸・海・空・宙どこでも戦うことのできる身体能力増強スーツだ。軽量で、伝送技術によって瞬時に纏うことができることが特徴。温度は-200℃~1000℃まで耐えることができ、短時間であれば光の球となって飛行することも可能。全身を包む装甲は刃物や機関銃の弾丸をはじくことができる。だが、人間の体そのものを骨組みとするため、バズーカ砲などの強い衝撃には耐えることができない。その点がネックとなり帝国軍では採用されなかった。だが、街中の治安維持程度の任務であれば、このスーツの性能は十分に実用的であり結果、銀河帝国警察が正式採用したのである。付属品である剣やレーザーガンなども伝送によって瞬時に装着できる。ちなみに伝送可能エリアは50km圏内。この距離の短さも軍が採用を見送った理由のひとつだ。
「ベガ、大丈夫か」
「アルタイルこそ、大丈夫」
追い詰められる二人。実力的にはマイアとメローペの方が上らしい。
「よし、戦い方を変えよう」
アルタイルとベガは合同で戦うことにした。二人で同時に攻撃を仕掛ける。マイアとメローペも当然、二人で同時に攻撃をする。するとどうだろう、先程とは一転、形勢がアルタイルとベガの方に傾き始めた。
これは一体全体、どういうことなのか?
ニッポンの忍者伝説に次のような言い伝えがある「一対一なら甲賀忍者よりも伊賀忍者の方が強いが、十対十なら甲賀忍者の方が伊賀忍者よりも強い」。つまりアルタイルとベガのコンビの方がマイアとメローペのコンビよりも「息が合っている」のだ。当然だ。二人は実の兄と妹なのだから。
こうなると、マイアとメローペとしては「1対1の対決」に持っていきたいところだが、二人が離れたところで、アルタイルとベガは「ひとりを集中的に攻撃してくる」だろう。
そして。
「うわあ」
アルタイルの剣がマイアの腹に突き刺さる。
さらに。
「きゃあ」
ベガの剣がメローペの背中に突き刺さった。
アルタイルとベガは同時に剣を抜いた。剣には血のりがべっとりとついている。体を刺され、マイアとメローペの動きが鈍った。
「よし、今だ」
アルタイルとベガが互いに向かい合う。
「シューティング・ハグ!」
「シューティング・ハグ!」
ふたりの声に反応してバトルスーツの胸が開き、回路が剥き出しになった。それぞれがコンセントとソケットになっており、ふたりが抱き合うことで一つに連結するようになっている。ふたりは互いの胸を連結した。アルタイルは左腕でベガの背中を、ベガは右手でアルタイルの背中をハグ。
剣を握る腕を敵に向かって伸ばすふたり。するとふたつの剣が一旦、粒子化してから再び物体化、ひとつのレーザー銃に変形した。この銃は精神エネルギーを弾として発射する銃。エネルギーは「愛情」でも「友情」でも構わないが、ここでは「兄妹愛」だ。
「ダブル・マグナム!」
アルタイルが右手の人差し指で、ベガが左手の人差し指で同時にトリガーを引く。凄まじいエネルギーが銃口から発射され、マイアとメローペを直撃した。
「うぎゃああああ」
「きゃあああああ」
エネルギーを受けたマイアとメローペが大爆発した。さしもバトルスーツも粉々になった。
「よし、俺たちも中に入るぞ」
「ええ」
アルタイルとベガもまた競技場の中へと入った。
そんなふたりが目にしたのは。
「ああ、あれは!」
「聖斗!」
意識を失った聖斗が地面にうつ伏せに倒れていた。顔面にアルゴルの一撃を受け、完全に気を失っていたのだ。
幸い、アルゴルはフライバスターを蠅叩きのように用いた。つまり刃ではなく鎬で聖斗の頬を引っ叩いたのだ。もしもアルゴルがその気だったら今頃、聖斗の頭と胴体は切断されていただろう。
「あの剣は!」
アルタイルが叫んだ。
「フライバスター!なぜアルゴルが持っている?」
「剣がどうかしたの」
「アルゴルが手にする剣は伝説の精剣。あの剣には魔力が宿っている。あの剣を手にする者は『無敵の力』を手に入れることができると言われている」
「無敵ですって!」
「今から10年ほど前に帝国博物館から盗まれたのだが、そうか、アルゴルだったのか。盗んだのは」
「そんなことより、もしも本当にアルゴルが無敵の力を手に入れたのだとしたら」
「我々では勝てないかもしれない」
その時。
「うう」
意識を取り戻した聖斗がゆっくりと立ち上がる。
「聖斗」
「大丈夫なのか?」
不安そうに見つめるふたり。
「よく立った。褒めてやるぞ、聖斗」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
「さっきの一撃で殺さなかったのは、貴様の首が胴体と分離するところを煙が晴れてから観衆全員に見せてやろうと思ったからだ」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
「さあ、覚悟はいいな」
アルゴルがフライバスターの剣先を下げた。
「あの構えは!」
「だめ、聖斗、逃げて!」
観客席からアルタイルとベガが叫んだ。
「さらばだ、聖斗。アルゴル・クライマックス!」
その時。
突然、爆音とともに大地が震動し始めた。アルゴルはアルゴル・クライマックスを中止した。
「何だ、この音は?」
それは宇宙船のエンジン音だった。その音は空から聞こえてくる。その音を耳にしたのはアルゴルだけではなかった。アルタイルやベガ、それに競技場にいる全ての人々が音の発信源である空を見上げた。その正体が明らかとなる。一隻の宇宙船が競技場上空に飛来したのだ。そしてその正体を聖斗は知っていた。
「チェリー!」
ボイドを超えて遂に宇宙戦艦チェリーがやってきたのだ。
※
ボイドを旅するチェリー。既に10日が過ぎていた。
ジコマンコンピュータが突然、稼働し始めた。それが意味することは一つ。遂にボイドを抜け、天体観測が可能となった直後からジコマンコンピュータが、あらゆる星々の位置を計測し始めたのだ。
全員が自室を飛び出し、艦橋に走る。
「おおっ!」
長い暗黒の世界を抜けた先に広がるのは、さまざまな色の光に満ち溢れた宇宙。
「これが『かみのけ座銀河団』」
最も冷静な帆乃香さえも、その輝きに感動しないではいられない。何しろ目の前には1500もの銀河が所狭しと犇めき合っていたのだ。しかもそれは地球から見れば「3億年先の未来」の光景に他ならない。嫌でも自分たちが「全く別の宇宙へやってきた」ことを実感させずにはいられない。
そして、この銀河の群れのどこかに聖斗と澄子がいる!
「みんなー、あれ見てー」
美音がある方角を指差した。フリップがモニタースクリーンにその方角の宇宙を映し出す。それを見た途端、艦橋内に笑いの渦が起こった。
「何、これ」
「確かに、これは笑える」
「俺たちが今『一番やりたいこと』を察したかな」
「確かに随分、ご無沙汰しているからな」
「これこそまさしく『宇宙の神秘』というやつじゃな」
モニタースクリーンには3つの銀河が仲良く横一列に並んでいた。
ひとつは、太い2本の腕から成る典型的なS字状の棒渦巻銀河。その右隣にあるのは、やはり棒渦巻銀河なのだが、2本ある腕の1本だけが長く、もう1本の腕と繋がっているために小文字のeに見えるもの。そしてさらに右隣りにあるのは、2つの渦巻銀河が垂直に衝突してⅩに見えるもの。
自然が作り出す造形の何とも不可思議な偶然!それはあたかもコックローチがやってくるのを予見していたかのようだ。
ジコマンコンピュータの計算が続く。その能力は量子コンピュータなど比較にもならぬ超高速演算ではあったが、それでも計算が終わるのには、かなりの時間が必要のようだった。
「帆乃香、どうするんだ?」
望が帆乃香に話しかけた。
「ジコマンコンピュータの計算が終わらない限り、迂闊には動けないぞ」
そんな危惧をフリップが吹き飛ばした。
「どうやら、お迎えのようじゃ。11時の方向に艦隊出現。こちらに向かって接近中じゃ」
「全員、戦闘配備」
ボイドを無事に抜けたと思ったら、直ちに戦闘だ。
「主砲発射準備」
「敵艦の種類確認、芋虫型巨大戦艦3隻。あとは駆逐艦クラス」
「カーボン砲でないと倒せない相手がいるな」
「回数制限にかまってなどいられない」
「主砲発射」
主砲が火を噴く。次々と敵艦が爆発する。「勝てない」と見たのか、やがて生き残った敵艦が逃走を開始した。
「よし、奴らを追うのじゃ。その先に『敵の母星がある』に違いない」
「聖斗、澄子、すぐに行くわ」
※
「バカな!」
チェリーを見て驚くアルゴル。
「メドゥーサの防衛網は完璧だ。どうやってここまで入り込んだのだ?」
どうやっても何も「艦隊を蹴散らして」に決まっている。チェリーはオナラウッドの科学力によって製造され、しかもその後トマルクトゥスの科学者による改造を受けている。トマルクトゥスが築き上げた宇宙至上究極の超科学文明の前では、かみのけ座銀河団の科学力など子どものオモチャのようなものだ。
チェリーから何かが飛び出してきた。飛び出してきたものが聖斗めがけて飛んでくる。やがて、それは聖斗の手の中に納まった。
「この剣は!」
それは紛れもない「草薙剣」だった。
コックローチの誰かが投げたのではない。では、草薙剣が自らの意思によって聖斗のもとに飛んできたというのか?
聖斗よ。私を手に取り、奴と戦え!
聖斗はそんな「草薙剣の声」を聞いたような気がした。ともあれ、草薙剣を手にしたことで聖斗は再び戦える状態となった。
「面白い、受けてやるぞ」
「行くぞ、アルゴル!」
聖斗が草薙剣を手に戦うのは、これが初めてである。果たして聖斗は草薙剣を使いこなすことができるのか?それに相手は何といっても「精剣」だ。地球の剣である草薙剣に果たして太刀打ちできるのか?
「駄目だ。聖斗は勝てない」
アルタイルは、ひとりごとでも言うようにそう呟いた。
「アルゴルが手にする剣は精剣だ。精剣と対等に戦えるのは精剣だけだ。聖斗の剣が如何ほどのものかは知らないが、アルゴルのフライバスターには敵うまい」
アルタイルの顔に汗が流れた。
「行くぞ」
聖斗がキッチン・ダッシュでアルゴルに切り込んだ。
「なに」
アルゴルは聖斗の動きが今までとは比べ物にもならないほど速くなったのを感じた。草薙剣の剣先が目前に迫る。
「鈍亀のひと突き」
「くっ」
アルゴルは空に飛翔することで、かろうじて聖斗の平突きを逃れた。
「逃がすか」
聖斗は飛翔するアルゴルに向かって飛び掛かった。すると聖斗の体は、いとも簡単にアルゴルの高度に到達した。いや、それどころか聖斗の体もまたアルゴルのように飛翔した。
「バカな」
驚くアルゴル。
「海鼠の嚏」
後に竜宮城において制作された虎目模様も鮮やかな楓の鞘の中から繰り出された刃がアルゴルの体に掠り傷を負わせた。
「くそう」
蠅のように飛翔するアルゴル。その動きは先程までと全く変化はない。
だが。
「そんな」
聖斗は先程までは全くついていくことのできなかったアルゴルの動きに完全に追いついていた。否、アルゴルの動きを完璧に凌駕していた。
そんなふたりの空中戦を目撃するアルタイルが呟いた。
「まさか、聖斗の手にする剣は!」
ここで草薙剣について解説しよう。
草薙剣は日本刀では珍しい「諸刃の剣」だ。鋒両刃作と呼ばれる刀身の先端部のみが諸刃になっている独特の形状は名刀・小鴉(こがらす。平家に代々伝わる宝刀)の原型ともなった。諸刃であるため刺突術に適し、しかもサーベルのような直刀ではなく反りがあるため抜刀術にも対応するという文字通り「万能刀」だ。
見た目の色彩が実に美しい。刀というよりも装飾品のようだ。その理由は、刀身は鋼、鍔は鉄、鎺(はばき、刀身と鍔の間に挟む)はアクアマリン、柄はトルマリン、柄頭は琥珀とキャッツアイからできているためだ。この配色、実は「ギンヤンマの姿」を模したもの。刀身と鎺が腹を、鍔が羽を、柄が胸を、柄頭が顔と目を表しているのだ。
鎺や柄が透明な石であるため普通は見えない茎が透けて見える。色的にはトルマリンよりもペリドットの方がギンヤンマの胸の色により近いと思われるが、トルマリンを使用しているのには何か特別な理由があるのだろうか。
柄頭は目のみがキャッツアイで、残りの顔の部分は琥珀。普通、キャッツアイというとハニーカラーをイメージするが、これはアップルグリーン。
鍔は網目状に中抜きされ、七宝焼きによって蜻蛉の羽模様が見事に再現されている。
これらの外観が古墳から出土する蜻蛉玉や銅鐸に描かれた蜻蛉の絵、ニッポンの古名「蜻蛉(あきづ)」などと深く関連していることは言うまでもない。ルネ・ラリックをはじめとするアールヌーヴォーの芸術家たちが見たら、さぞ驚くことだろう。
だが何よりも重要なことは、アルゴルの手にするフライバスターが蠅の能力を有するように草薙剣もまた「ギンヤンマの能力」を有していることだ。草薙剣もまた紛れもない「精剣」なのだ。
と、ここで一つの疑問が生じる。3億光年も離れた星に、どうして同じような能力を持つ剣が存在するのだろう?ただの偶然か、いや違う。
宇宙誕生から数億年を経た頃、ひとつの高度な文明が最盛期を迎えた。その文明が科学技術の粋を尽くして作り出した遺産、それは不思議な能力を秘めた剣の数々であった。それらは「精剣」と呼ばれ、宇宙の守り神として選ばれた勇者たちとともに銀河中の星々へと散った。やがて宇宙が成長するにつれ精剣が存在する銀河同士の距離は拡大。銀河と銀河の間に次々とボイドが生まれるに及んで、勇者間の連携は不可能となってしまった。そしていつしか人々の記憶から精剣の存在は忘れ去られたのである。
まだ一つ、語るべきことが残っている。それは忍者一族・施鬼者に代々伝えられていた忍び刀・舎利刃もまた精剣の一本であるということ。「鬼の霊が宿る」と言われた舎利刃。その正体はオニコメツキダマシという昆虫の能力だ。鈴鹿サーキットにおいて電が見せた高い跳躍力はコメツキムシが高く跳ね上がる力だったのである。
形勢は逆転した。聖斗の実力はアルゴルを完全に圧倒していた。
ギンヤンマは地球上だけでも75万種いるといわれる昆虫の中で最も優れた飛翔能力を持つ。昆虫採集を体験した人ならば、ギンヤンマがいかに「捕獲しづらい」かをご存知だろう。しかも蠅はギンヤンマにとっては格好の餌だ。蠅がどのような動きをしようが、ギンヤンマは確実にそれを捕える。よく見れば、柄頭に使用されている琥珀の中に古代の蠅が閉じ込められている。それはまるで「アルゴルの未来の姿」のようだ。
「見える、見えるぞ」
聖斗にはアルゴルの軌跡がはっきりと見えていた。蠅の能力を持つアルゴルの動きは円運動と8の字運動の二つ。その動きがまるで「コマ送り」のように見えていたのだ。こうなると後ろから追いかけるも先回りするも聖斗の思うが儘だ。
そんな調子であるから、今の聖斗には戦いの最中に「戦いとは全く無関係なこと」を考える余裕すらあった。その無関係なこととは先の「竜王との戦い」のことだった。
(これほどの力を秘めた剣を手にしていた竜王の力は圧倒的なものだった筈だ。なのに、どうして僕は勝てたのだろう?)
その答えは「一つ」しかない。
(そうだ。草薙剣はきっと竜王の邪悪な心を感じ取って実力を発揮しなかったのに違いない)
草薙剣に限らず、精剣はそれを手にする者の「生命境涯」に比例して威力を発揮する。生命境涯の低い者がいくら剛腕をもって振るったところで精剣の力を引き出すことはできない。精剣の力を最大限に引き出そうとするならば自身の胸中に「仏界」を湧現しなくてはならない。それができた時、精剣は無限の力を発揮する。先の戦いにおける竜王の生命境涯は下から数えて4番目の「修羅界」であったから、草薙剣の能力の4割しか引き出せなかったのだ。
そして今、聖斗は澄子を救うという目前の目的のためだけでなく「全宇宙の人々の生命の尊厳を護る」という使命感に燃えていた。その高い志が草薙剣の能力を最大限に引き出していたのである。
もう間もなく戦いは終わる、聖斗の勝利で。
聖斗が平突きの構えをした。
「これで本当の最期だ」
アルゴルに向かって突撃する聖斗。
「舐めるなあ!」
アルゴルはフライバスターを下段に構えると体を90度左に捻った。
「アルゴル・クライマックス!」
聖斗の頭上に剣が振り下ろされる。聖斗も負けじと剣を下から振り上げる。剣と剣が激突。その瞬間、スパークが発生した。
ガカア!
「うわあっ!」
電撃をまともに受け、アルゴルは後ろへ弾き飛ばされた。恐るべし草薙剣。草薙剣は電撃を発生させることができるのだ。
それにしてもなぜ、そのようなことが可能なのだ?
その答えは草薙剣の柄にある。トルマリンの日本名は「電気石」。その名の通りトルマリンは熱が加わると電気を帯びる。これでもうお分かりだろう。戦闘によって聖斗の体から発せられる大量の熱が拳から柄に伝わり草薙剣を帯電させていたのだ。それがフライバスターと接触した瞬間、一気に放電したのだ。アルゴルの身に起こった現象は「静電気を帯びた車のドアノブに触れた瞬間」と同じである。
「うおおおお」
体勢を崩したアルゴルに聖斗が迫る。
「鈍亀のひと突き」
「くっ」
素早く立ち上がったアルゴルはフライバスターを水平に振って鈍亀の一突きを受けた。
ピシャア!
スパークは判っているので、アルゴルも今度は動じない。体を身構え、衝撃に耐えた。だが、それがアルゴルの仇となった。スパークの威力を利用して聖斗は自分の体を反時計回りに回転させた。アルゴルが支点となってスパークの威力は100%、聖斗の次の攻撃に利用された。
「鰯の竜巻!」
「くっ」
防御態勢に入るアルゴル。だが、スパークの威力による回転運動から繰り出された鰯の竜巻はフライバスターを大根でも切るかのようにものの見事に切断した。さらに草薙剣はアルゴルの体を左上から右下に切った。いかに黄金袈裟衣といえど草薙剣から繰り出される竜宮の剣究極奥義の前には何の役にも立たない。アルゴルは深手を負った。ふたつに折れたフライバスターの刃先が大地に立つ。アルゴルは大地に倒れた。
「はあ、はあ、はあ」
荒い呼吸をするアルゴル。この様子だと、あと数分でこの世とは「おさらば」だろう。
「私の・・・負けだ」
アルゴルは自身の敗北を認めた。
「輝夜姫・・・輝夜姫・・・」
アルゴルは必死に澄子を呼んだ。澄子は行くべきかどうか戸惑った。聖斗が目で「行け」と示したので、澄子はアルゴルの傍へ寄った。
「輝夜姫、最後の頼みだ。私を抱きしめてはくれまいか」
澄子は戸惑った。
「『虫のいい願い』であることは知っている。だが、せめてそなたの腕の中で死なせてほしい」
「・・・・・・」
「歪んだ形の愛であったことは自分でもわかっている。だが、それでも私は本当に、本当にそなたのことを愛していた。そなたの『愛が欲しい』と願ったのだ」
「アルゴル」
澄子は後ろを振り返り、聖斗の顔を見た。聖斗は黙って頷いた。澄子はアルゴルの体を起き上がらせ、ひしと抱きしめた。
「ありがとう」
アルゴルの首がガクリと落ちた。アルゴルは澄子の胸に抱かれながら息を引き取ったのだった。
※
さあ、あとは地球に帰るだけ、の筈だったのだが、ここで問題が発生した。
「輝夜姫を皇帝に!」
こうした声が何処からともなく現れたかと思いきや、瞬くうちにメドゥーサ全域に拡大したのだ。輝夜姫はメドゥーサ王家の姫君であり、皇位を継ぐのが当然の立場にある。アルタイルが予言した澄子が地球に戻れない「ふたつ目の理由」が浮上したのだ。だが、聖斗と地球に帰ることしか頭になかった澄子にとって、こうした状況は断じて受け入れられないものだった。
「お断りします」
澄子は皇位継承を断固として拒んだ。
宮殿内の自分にあてがわれた豪奢な居室の中で聖斗は草薙剣を眺めていた。
「この刀は・・・違う」
聖斗は生まれてこの方、唯の一度として武器を「神聖なもの」と意識したことはなかった。そもそも、そういう意識を持ち、武器を崇拝することは軍国主義であり「誤った思想」であるからだ。無論、その思いは今も全く変わってはいない。零戦、戦艦大和、ステルス戦闘機、核ミサイル。どれ一つとして聖斗が認めるものはない。だが、草薙剣だけは神聖な武器として認めないわけにはいかなかった。地球人類が生み出した武器は「人殺しの道具」に過ぎないが、宇宙最古の高度文明が生み出した精剣はそうではないのだ。使う者の生命境涯によって威力が変化、「人殺し」を好む悪人には決してその威力を発揮することができないのだから。
(精剣を生み出した人々は科学的根拠のない迷信や願掛けなどといった嘘偽りは一切信じない正しい生命哲学を理解していた人々だったのに違いない)
聖斗は否応なしに軍拡競争や経済競争に明け暮れる「地球人類の下等さ」を思わずにはいられなかった。
「聖斗」
アンタレスが聖斗のもとにやってきた。聖斗は草薙剣を鞘に納めた。
「聖斗、あなたに『お願い』がある」
アンタレスが改まって聖斗にする「お願い」とは一体?
「輝夜姫を説得してくれ。あなたが説得してくれれば、輝夜姫はメドゥーサに残ってくれる。頼む」
アンタレスが頭を下げる。アンタレスは勿論、こんな「お願い」を聖斗にすることが聖斗にどれほどの「苦しみを与える」かを知っていた。
もしも聖斗が竜宮城へ行っていなければ、このような申し出は一蹴しただろう。だが、聖斗は竜宮城の剣士だ。その生命境涯は地球人類とは違い、高いところにある。アンタレスの言うことが「理に適っている」ことを認めないわけにはいかなかった。そして認めるからには己の感情に振り回されるような聖斗ではなかったのだ。
「・・・わかった」
「ありがとう」
その日の夜、聖斗と澄子はふたりで皇宮のバルコニーから夜空を見上げていた。
「わあ、きれい」
夜空には地球の夜空では想像もできないほど沢山の銀河が宝石のように光り輝いていた。
「澄子」
「聖斗」
互いに見つめ合う、互いの愛を確かめ合うように。
「澄子に話があるんだ」
「何、改まって」
その後、聖斗は・・・。
「えっ?」
メドゥーサだけでも数十億人、銀河帝国に暮らす人々は数千兆人にのぼる。「彼らの未来」を犠牲にはできない。そして澄子なら、きっと彼らの「国母」に相応しい立派な女帝になれるだろう。
「今なんて言ったの、聖斗」
「お前は、ここに残れ」
「いや、嫌よ。私はいつまでも聖斗くんと一緒にいる」
「だめだ。お前はここに残るんだ」
「いや、いやよ」
澄子が泣き出す。そんな澄子の両肩に聖斗は両手を乗せた。
「よく聞いてほしい。この星の人々にとって、お前は『復興の象徴』だ。そしてアルゴルの時代に奴隷化した人々の数は数千兆人もいる。彼らにとって、お前は『平和の時代の希望』なんだ。お前も知っているだろう。コックローチは『人々の平和な暮らしを護るため』に誕生した。お前はコックローチだ。コックローチのメンバーとしてお前がなすべきことは、この星に残り、この星の人々の平和な暮らしを護ることなんだ」
このように言われたら、澄子も納得するしかない。
「澄子、許してくれ。お前を護ってやれない僕を」
澄子を生涯、護っていきたい。それが小学生の頃からずっと抱き続けてきたの「聖斗の夢」だった。それができないことは聖斗にとって断腸の思いだった。
「わかった・・・残る」
「・・・済まない」
聖斗が澄子をひしと抱きしめる。
「済まない澄子。本当に済まない」
「聖斗くん」
決断したからには出発は早い方がいい。
「チェリーの整備は万全です」
メドゥーサの整備士の技術力は優秀だ。彼らはチェリーの整備を完璧に仕上げた。整備士たちは燃えた。オナラウッドの超科学力に接することは彼らにとって良い勉強だったし、何よりコックローチは『女帝の盟友たち』であったから、万に一つでも帰路に事故などあってはならない。
伝送装置の不具合の理由も判明した。メドゥーサの月には異常はなく、地球の月でアメリカや中国といった大国による資源採掘が行われていることが原因であった。ということは、メドゥーサの整備士たちが地球の月へ行かねば修理はできないし、修理しても採掘を止めなければまた壊れることになる。
チェリーの前にコックローチと女帝一行。
「聖斗」
「女帝」
聖斗は澄子をそう呼んだ。
「今まで、ありがとう」
「自分こそ今まで、本当にありがとう」
聖斗はアンタレスの視線に気が付いた。聖斗はアンタレスを見た。その眼には、やはり「ありがとう」という思いが溢れていた。
お次は美音。聖斗の恋敵とはいえ「永遠の別れ」となると、やはり寂しく思う。しかも「自分の勝ち」となれば相手を憎む理由など、もはやどこにもない。
「元気でね」
「ありがとう、美音」
握手を交わす二人。だが美音の戦いはこれで終わったわけではない。地球には恵美という強力なライバルが待っているのだ。
最後にフリップが澄子に一言かける。
「しっかりやるのじゃぞ」
「はい。師匠もお元気で」
フリップは澄子の体を抱きしめた。いくら師匠とはいえフリップが老人でなければ銃殺刑になるところだ。
こうして、別れの挨拶は終了した。
さあ、出発だ。コックローチのメンバーがチェリーに乗り込む。
艦橋に到着。
「チェリー、地球に向けて発進!」
チェリーが離陸する。女帝一行は、その姿が見えなくなるまで眺めていた。
大気圏を離脱。
「計測完了。天の川銀河の現在位置はばっちり確認した」
「またボイドか」
「しばらく『星明かり』とも、おさらばだな」
「なあに、また会えるさ。その時の感動は一入だ」
「聖斗は、ボイドは初めてよね?」
「自分は瞬間移動でしたから」
「怖いわよー。星が全く見えなくなって、真っ暗になっちゃうんだからー」
そんなことを言っているうちに、ワープ準備が完了した。
「ワープ」
チェリーがワープ航行に入った。
愛する人のためならば、
「宇宙の果てまで」だって行くよ
「怖くない」といえば嘘だけど
あなたの涙が勇気をくれる
「自分のため」だけにする努力の結果なんて
たかが知れているが
「誰かのため」にする努力の成果は
とても素晴らしいものになる
いつか約束したね
「あなたを護る」と
今こそ
その約束を「果たそう」
今なら誰にも負けない
僕は「宇宙一の英雄」
勝利の女神に愛されている
僕は「宇宙一の英雄」
愛する人を救うため
「地獄の底まで」だって行くよ
本当は「恐ろしい」のさ
でも弱気には負けない
「もうだめだ」と口にするのは
何時だってできる
「最後まで」やり切ってこそ
本当に誇らしいものになる
いつか話したね
「いつまでもあなたを」と
これからも
その言葉を「忘れない」
今なら誰にも負けない
僕は「宇宙一の英雄」
勝利の女神に愛されている
僕は「宇宙一の英雄」
今なら誰にも負けない
僕は「宇宙一の英雄」
勝利の女神に愛されている
僕は「宇宙一の英雄」
ボイドを抜けた。
「停電が解消した」
ボイドを抜けた瞬間は文字通り、そんな感じになる。天の川銀河が所属するおとめ座銀河団は、かみのけ座銀河団ほど銀河が密集していないが、それでも再び光が戻った感動を味わうには十分だ。
その後もワープを繰り返したチェリーはやがて目の前に天の川銀河を捉えた。地球までの距離はまだ何10万光年も離れているが、ここまでくると「帰ってきた」という気持ちになる。
お帰り。
そんな声が聞こえたような気がした。
その後、チェリーは天の川銀河の渦巻の中間あたりに吸い込まれるように消えていった。
次回予告
宇宙の平和を取り戻し、地球に戻ったコックローチ。
だが、宇宙の平和と地球の平和なかんずく「ニッポンの平和」はイコールではない。
やられたらやり返す。これがコックローチの「けじめ」だ。
コックローチ全員の「怒りの炎」が燃えあがる。
続・コックローチ 最終回「返報編」
令和2年1月17日 公開。お楽しみに
さらに
東京・代々木公園。
デートするカップル、子供連れの若夫婦、犬を連れた夫人や壮年、ジョギング中の老人など、多くの人々が公園内を散策している。
「あれは何だ?」
黒い群れが空を飛翔しているのが人々の目にとまった。
「ムクドリの群れか?」
ムクドリは普通、早朝や夕方などに大量に飛翔しているのが見られるが、今は真昼だ。
黒い群れが下降してきた。群れの先端にいる生き物が女性の洋服に付着した。
「きゃあああああ、ゴキブリー!」
群れの正体は何とゴキブリだった。ゴキブリの大群が昼間の東京上空を飛翔していたのだ。
ゴキブリが次から次と人間に襲い掛かる。
絶叫。絶叫。どこもかしこも絶叫の渦。公園内の人々はパニックとなり、一斉に逃げだした。
「うわあ!」
「助けてえ!」
「いやあ!」
コックローチ劇場版4「コックローチVSコックローチ」
令和2年1月1日 元日公開 お楽しみに。
続・コックローチ「返報編」
コックローチの物語は終わった。だが、どうしても語っておかねばならない事件がまだ残っている。それを今から語ろう。それはニッポン全土を巻き込んだ一大騒動。「コックローチのコーダ」である。
※
「聖斗くん」
「恵美」
抱擁し合うふたり。
というわけで、澄子無き後の聖斗の彼女は恵美と決まった。恵美は地球に戻った聖斗の空っぽになった心の中をあっという間に満たしたのだった。本来であればライバルであるはずの美音の入り込む余地など、まるでなかったといってよい。勿論、美音は、最初は悲しかった。だが美音は、自分はあくまでも「聖斗のお姉さん」なのだと自分に言い聞かせて、ふたりを祝福したのだった。
大学を卒業した恵美は博士号の取得を目指し大学院へと進んだ。医者は「医学博士」であるから博士号の取得が必須なのだ。というわけで依然として授業料を稼ぐために芸能界で活躍していた。今や、押しも押されぬ「クイズ女王」として。
話は少し遡る。
「僕と結婚してくれないか」
聖斗は恵美にプロポーズをした。
「ごめんなさい。あなたとは結婚できないわ」
聖斗の顔色が蒼くなった。今までの間柄から、まさか「ふられる」などとは思ってもみなかったのだ。
「な、なぜ」
「・・・・・」
恵美は無言。
「恵美、愛している。愛しているんだ、心からきみのことを」
「お願い。それ以上言わないで」
「恵美!」
「私は孤児。親戚は誰もいないわ」
「それは知っているよ。何を今更」
「違うの。そうじゃないの」
恵美は遂に自身の過去を告白しなくてはならない時が来たことを悟った。
「私の父は殺人犯なの!」
その後の沈黙の何と長かったことか。僅か数秒のはずだが、聖斗には何時間もの時間が流れたように感じられた。
「だから、あなたとは結婚できない。私はあなたに相応しくない」
恵美はその場で泣き崩れた。顔を手の平で覆い隠し、肩を震わせて恵美は泣き続けた。
元総理大臣の孫と殺人犯の娘では、あまりにも社会的地位に差がありすぎる。常識的に結婚なんて無理だ。
だが、聖斗の決心は変わらない。聖斗は恵美の体を抱きしめた。
「そんなこと関係ない。構うもんか。もしもこの事実が発覚してニッポン中の世論が敵に回ったとしたって、僕は君を生涯、愛し続ける」
「そんなの、そんなの無理よ」
「無理なもんか。恵美は僕が必ず護る」
「無理よ、無理よ、絶対に無理よ!」
「落ち着くんだ恵美。落ち着いて、今から話す僕の言葉を聞いてほしい」
その後、聖斗は自分の正体を恵美に語って聞かせた。
「わかったかい?僕もおんなじさ。人を殺した数だけでいったら僕の方が遥かに大悪党さ」
こうして恵美もまたコックローチの存在を知った。第一印象の時に聖斗に感じた「翳りの正体」を恵美は遂に知ったのだった。
そして。
「聖斗くん!」
恵美は聖斗の胸の中に飛び込んで泣いた。恵美は自分の未来を聖斗に委ねることに決めた。
※
某テレビスタジオ。
いつもの如くクイズ番組の収録が行われていた。今日は恵美だけでなく聖斗も参加していたから、さすがのクイズ女王・恵美も苦戦は避けられまい。
そこに、クイズとなると恐らく芸能人一参加回数が多い、ある女性インテリ芸能人が今日も参加していた。真弓。東大卒の才媛。資産数百億円のお嬢様。マスコミからは「才媛」と持ち上げられる女。だが、その実態は北里柴三郎を「北里紫三郎」と書き、桃太郎の最初に登場する動物を「猿」と解答するほどの無知。一般視聴者の間では彼女の東大卒の肩書は「金で買ったものである」というのは常識であり、恐らくは事実も「その通り」だろう。周りのテレビスタッフや芸能人たちが「腫物を触る」ように持ち上げていることから見ても、財力にものをいわせて周囲を自分の思い通りにしていることは誰の目にも明らかだ。無論、クイズ番組での優勝経験など皆無である。
そして案の上、今回も早々と落第した。
優勝したのは最有力候補の聖斗ではなく恵美だった。トロフィーを恵美が受け取り、番組の収録は終了。
その後に事件が起きた。
「恵美さん」
早々に落第した真弓が恵美に話しかけてきた。まだ周囲には参加者が集っていた。
「いい気にならなくってよ。いくら『クイズ女王』といったところで所詮、あなたの通う大学は東大じゃありませんし、お家だって私のような大金持ちではないのですからね。おほほほ」
こうした皮肉は別段、珍しいことではない。恵美は耳から耳に流し、他の参加者も「また始まったよ」とは思いつつも、誰も彼女の不遜極まる振る舞いに注意する者はいなかった。
だが今回は勝手が違った。なぜなら聖斗がそこにいたからだ。正義漢である聖斗は真弓の前につかつかと歩み寄った。
「まあ、なんですの?」
「真弓さん、恵美さんに謝ってください」
「は?」
「あなたの言動。私は非常に不愉快です。あなたが実力不足から早々に落第したからと言って、優勝者に対してそのようなことを語るのは、はっきり言って『あなた自身の品格が問われる』というものです」
「まあ、何ですってえ!」
真弓は大声を上げた。実のところ、これは真弓が体験する生まれて初めての「お説教」に他ならなかった。大富豪の家に生まれ育った真弓は生まれて一度として誰からも、メイドからも、家庭教師からも、学校の教師からも、テレビ局のスタッフからも、お説教などされたことがなかったのだ。当然のように真弓は激昂した。その姿はまさに「阿修羅そのものの姿」であった。
「この私に意見をしますの?何という無礼な男!」
だが、聖斗も負けていない。
「前々から言おうと思ってはいたんです。ろくすっぽ答えられもしないのに毎回、テレビスタッフをカネで買収してクイズ番組に出演。おまけに小学生でもわかるような簡単な問題に正解したくらいで、ここぞとばかりに大燥ぎ。視聴者はみんな思ってますよ『性懲りもなくまた、あのバカがクイズ番組に出てきたよ』ってね」
聖斗の言葉は全くの「真実」であった。だがヨイショに慣れている真弓は事実とは正反対の「皮肉」と受け取った。
「嘘おっしゃいな。私はニッポンで一番人気のタレントなのよ。何といっても、この美貌に、この頭脳。しかも大金持ち。私と会った方々はみんな私のことを『素敵』だとおっしゃってくださいますもの。ねえ」
周りのテレビスタッフやインテリ芸能人は全員、頭を縦に振って「その通り」という意思を示した。本心はあくまでも「カネへの恭順」であって、本人に対する恭順では絶対にないのだが。
「ほーれ見なさい」
真弓は勝ち誇った。
聖斗は「これは重傷だ」と思った。こういう輩には何を言っても無駄だと悟った聖斗は「呆れた」ことを意味する両手を上に挙げるポーズをしたのち、その場を立ち去るのだった。
「うう、何ということでしょう!あったまに来ますわ」
真弓は聖斗に怒りの念を抱くのだった。
その後、真弓は探偵を雇い、聖斗のアラを徹底的に調べさせた。だが、コックローチまで辿り着けるはずもなく、真弓が手に入れることのできる聖斗のアラと言えばせいぜい「大学中退」くらいのものだった。そしてそれを攻撃したくらいでは聖斗が「屁の河童」であることくらいは、いくらバカな真弓にもわかっていた。
そこで真弓は次に恵美のアラを探し始めたのだった。この時期、ふたりは既に婚約しており、来年には挙式をする予定だった。
そして。
「なんですって、それは本当なの?」
「はい。間違いありません」
真弓は遂に恵美の秘密に辿り着いたのだ。読者はご存知の、あの絶対に誰にも知られてはならない秘密に。探偵から証拠となる資料を受け取った真弓は飛び上がらんばかりに喜んだ。
「ふふふ。見てらっしゃい。これであなたの幸せもおしまいよ、聖斗」
※
「聖斗さん、聖斗さん」
聖斗の自宅にマスコミがドッと押しかけてきた。呼び鈴が断続的に、けたたましく鳴り響く。
「うるさい奴らめ」
文句を言う聖斗の隣では恵美がソファの上で泣き崩れていた。
「おしまいだわ。もう何もかもおしまいだわ!」
事の発端は某週刊誌に掲載された「恵美の過去の真実」に関するスクープ記事だった。そこには、普通であれば調べられるはずのない「真実」が記載されていた。恵美の本当の両親、恵美が長年住んでいた孤児院、それらすべてのことが詳細に。
でも一体全体、誰が?
考えるまでもなく聖斗には犯人が分かっていた。超一流の暗殺者のみが有する鋭い直観力によって聖斗は犯人が誰であるかを的確に見抜いていた。自分は誤算したと思った。まさか、ここまでしつこい女だったとは。だが敵も誤算した。真弓は聖斗がコックローチであることを知らなかった。最愛の恵美を苦しめる、いくら憎んでも余りある相手。必ずや復讐してやる。聖斗はそう誓っていた。だが当面はこの騒動をどうやって収束させるかだ。だがそれは非常に「困難な道のり」であった。
この騒動は当然のように「政界」にも飛び火した。野党は聖斗の祖母である中道政党党首であるミミの議員辞職を要求した。「国会議員の孫の婚約者が殺人犯の娘であるというのは実に怪しからんことだ」というのが理由だ。大事な予算審議は中断、野党はこの問題に対して徹底抗戦の構えであった。ミミ率いる中道政党は一枚岩だったが、連立を組む和貴子率いる右翼政党から造反者が出たことは別段、驚くに当たらない。その数は実に100名にも上った。彼らは与党を離党すると野党の中でも最も右翼思想に傾く政党に相次いで入党した。その結果、その右翼政党は議席数で中道政党を上回り第二党に躍進したのである。「明治時代礼賛・植民地政策支持」を理念とする右翼政党はこの機に乗じて一気に政権交代を実現しようと勢いづくのだった。
こうした状況下、ミミは首相官邸を訪問した。連立を組む与党から100人に上る離反者を出してしまったことを謝罪するためだ。
「申し訳ありません、首相」
ミミは和貴子に謝罪した。
「何を謝るの?あなたは何も悪くないわ」
「首相」
「いえ、聖斗だって恵美だって何も悪くなんかないわ。殺人犯の娘?いいじゃないの。本人の人間性とは全く関係のないことよ」
「ですが、世論はそうではありません」
「全ての人間が『本人自身の振る舞い』とは関係のない事柄に縛られることなく、本人の努力と才能によって幸せを勝ち取れる国こそが本当の『自由と平和の国』よ。要するに今のニッポンは、まだまだ出自なんてものにこだわる『自由と平和からは程遠い国』なのよ」
和貴子はいつまでたっても、こうした島国根性に支配されたニッポンを変革できない「自分の力の至らなさ」を反省しないではいられなかった。
「むしろ私は今回の騒動に感謝しているくらいよ。そのおかげで『内部の敵』が明らかになったのですもの。そういう人々が自分から去ってくれたことは我が党にとっては良かったのです」
和貴子は強気の態度を見せた。
「ともかく、絶対に辞任してはだめよ。今回の騒動をむしろニッポンの島国根性を根絶やしにする絶好の機会にしなくては。あなたの敗北は『自由と平和の敗北』と同じことよ」
「ありがとうございます首相。最後まで死力を尽くします」
「その言葉が聞きたかったのよ」
そしてその後、和貴子は「勝負に打って出る」ことをミミに告げた。
「首相、そこまで私を」
「私を『バカ』とお思いでしょう?」
野党が攻勢を強めるこの時期に何と和貴子は「解散」を決めたのだった。今回の騒動の是非を「国民の審判」に委ねることにしたのである。
※
千葉県、幕張。
ここはいうまでもなくミミの選挙区。
野党候補の遊説車が走る。
「幕張の皆さん。殺人犯の娘と縁戚関係を結ぼうなどと考える頭の狂った人間に国会議員である資格などありません」
拡声器からは延々とミミの悪口が流れる。
それだけではない。
「中道政党の党首を擁護する総理大臣もまた頭の狂った人間であります」
とどめはこうだ。
「殺人犯の娘を擁護する者は殺人犯と同じです」
こうした遊説車の流す声は当然、津田沼のマンションに住む聖斗と恵美の耳にも聞こえていた。
「苦しい。もう死んでしまいたい」
恵美の涙は止まるところを知らない。聖斗は恵美を抱きしめた。
「僕は今の状況を楽しんでいるよ」
「えっ」
「今こうした状況にあって、僕のきみへの思いは、いよいよ強くなるばかりだ。恵美。こんなにも君を愛しい、君を護りたいと思ったことは、かつてなかったほどだ」
「聖斗くん」
恵美は聖斗の胸を自分の顔を押し当てた。
「それにしても、最低の奴らだ」
ひとりのか弱い女性を虐めてまで議席を伸ばしたいのか?そうまでして政権が欲しいのか?聖斗は腹の底から野党を憎んだ。聖斗は今回の選挙だけは「絶対に負けたくない」と思った。だが状況は明らかに「野党優勢」であった。ミミ率いる中道政党ばかりか、和貴子率いる政権第一党までもが野党勢力に完全に押されていた。もしもこのまま野党が勝利するならばニッポンに再び「軍国礼賛・歴史歪曲」の右翼政権が樹立され、極東アジア地域の平和と安定は再び大きく揺らぐことになる。
中道政党は「境遇に関係なく誰もが自身の努力によって幸福になる権利を有する国・ニッポン」を前面に主張したが、悲しいかなニッポン人の人権感覚はこの時期、既に「戦後最悪」といわれる平成末・令和時代の水準にまで逆戻りしており、有権者の琴線に触れることはなかった。
投票日まで3日。
「もうだめだわ」
ミミも和貴子も、お互いが率いる政党の敗北を覚悟しなくてはいけない状況にまで追い込まれていた。何しろ世論調査では与党の支持率は野党に対して20ポイントも引き離されていたのである。最悪ケースである政権交代はいよいよ現実味を帯びてきた。
ふたりが見ている報道番組に臨時ニュースが入った。
「待ってください。今入ったばかりの情報ですが、女優の恵美さんが亡くなられたということです」
「え」
「な」
ミミと和貴子は同時にティーカップを床に落とした。
その直後、電話が鳴った。まさか。和貴子は恐る恐る受話器を取った。ミミも受話器の傍に耳を近づける。電話の相手は帆乃香だった。帆乃香の話から、ふたりは本当に恵美が死んでしまったことを納得しないわけにはいかなかった。
恵美は自殺したのだった。風呂場で手首を切って。
遺書には次のように記されていた。
聖斗くん。あなたは私が殺人犯の娘であることを知っても、変わらぬ愛情を私に注いでくださいました。そしてこの絶望的な状況下にあっても、私を護ろうと必死に戦ってくださっています。でも、もういいのです。私はこれ以上、あなたやあなたの仲間の方々の足手まといにはまりたくありません。今のままでは選挙に負けてしまうでしょう。奇跡の大逆転などありえません。私、今回の事件以後、沢山泣きました。一生分の涙を使い果たしたようです。その時、私の頭に閃いたのです。もしも私が今、自分の命を天に差し出すならば、奇跡の大逆転は起こり得るかもしれないと。私、決心しました。私の決心をどうか悲しまないでください。私は断じて無駄死にするのではないのです。私は自分の命と引き換えにこの国の平和と安定を護るのです。天から皆さまの勝利を見ています。私の愛するあなた。今まで本当にありがとう。私はこんなにも自分の幸せを感じたことはございません。人は己の使命を自覚した時に、はじめて本当の幸福とは何かを感じられるものなのですね。
恵美
遺書に認められた恵美の予言通り、選挙の情勢が180度変化した。テレビ局を筆頭に、今まで散々ぱら恵美を攻撃していた人々が次々と恵美に同情を寄せるようになったのである。ある者は「自分のせいじゃない」という責任回避から、またある者は「死者に鞭は打たない」という倫理観によって。こうした世論の変化を受けて、共闘していた野党は一転、野党同士で互いに罪を被せ合いはじめた。謝罪の一言も発しようとはしない、その醜い姿に有権者の誰もが辟易した。有権者の心はあっという間に野党から離れた。
そして迎えた選挙の結果は与党の圧勝!議席は減るどころか両党とも逆に伸ばした。一方、右翼政党は大敗。和貴子に造反した100名を超える現役国会議員はひとりも漏れなく、議席を護ることはできなかった。
こうして選挙戦は大勝利に終わった。だが、戦いは終わってはいない。コックローチの掟に基づく「けじめ」はまだ済んでいなかった。
※
都内
恵美のスクープ記事を掲載した週刊誌を発行する出版社をひとりの美女が訪れた。
「すいません。身分証の掲示を」
建物の入り口で警備が美女を制止した。美女は右手をすっと掲げた。
「コンコーン」
警備はそのように鳴くと警備室に戻っていった。美女は週刊誌の編集室がある3階へと向かった。美女が編集室に入る。
「誰だい、あんた?」
編集室にいる人間が一斉に美女を見た、その瞬間。
「コンコンコーン」
編集室の中にいる全ての人間が狐の鳴き声をした。それを見届けてから美女は次のように語った。
「あなた方全員、今から遺書を書きなさい。文面は勿論、恵美さんを自殺させてしまった責任を悔いる内容です」
「はい」
編集長以下、全員がスラスラと遺書を作成した。
「よろしい。では、私がここを去ってからきっかり1時間後に自ら命を絶ちなさい」
美女はそう言い残すと、その場を立ち去った。建物の外に出た美女が青空を見上げる。空には白い雲がたなびく。
「恵美ちゃん。命を賭してこの国を護ってくれたあなたへの、私からのせめてものお礼よ」
「お疲れさま」
深夜、人気クイズ番組の収録を終えた真弓はテレビ局の地下にある駐車場に止めてある愛車のロールスロイスに乗った。
「自宅まで行って」
この時代、自動運転は当たり前になっていた。しかも世界最高級車のロールスロイスだ。音声入力だけで目的地へ自動的に安全に走る機能を有していた。そして途中までは何事もなく普通に自宅への道を走っていた。
「何、どうしたというの?」
突然、自宅への道を離れ、まったく走ったこともない道を走り始めた。
「停まりなさい、早く」
だが、車は停まらない。勝手に走っている。真弓はエンジンを切るためにボタンを押した。だが反応なし。次にドアを開けようとしたが、ドアには当然、ロックがかかっていた。
「誰か、誰か助けてー!」
だが、二重窓による完全防音を誇るロールスロイスの中からでは、助け声も外には聞こえない。真弓を乗せたロールスロイスは、そのまま東京湾のごみ処分場までやってきた。周囲は一面、山と積まれたゴミの丘。そのため外からは一切見えない。
ドアが勝手に開いた。真弓は車から降りる以外になかった。
「あなたたちは!」
そこに待っていたのはコックローチのフルメンバー。帆乃香、烈、勇気、美音、望、樹里亜、ジミー、一磨、和貴子、ミミ。
そして当然、聖斗。
帆乃香がまず、コックローチを代表して口を開いた。
「ようこそ」
「私の車が勝手に走り始めた。あなたたちの仕業ね!」
「ええ、そうよ」
「でも、どうやってそんなことをしたのよ」
「簡単よ。私たちの基地にあるスーパーコンピュータ(ジコマン・コンピュータ)にかかれば車を自動制御するコンピュータを乗っ取ることくらい朝飯前よ」
「私をこんなところに呼び出して、どうするつもりなの?」
「勿論、死んでいただくわ。それともこの場で潔く自決する?」
「冗談はよして」
「なら、殺すしかないわね」
「本気ね、あなた」
真弓は帆乃香の目に本気を読み取った。
「私を殺せば、ただじゃすまないわよ。警察が動くわ」
この言葉をジミーが言下に否定した。
「そんなことは心配しなくていい。警視庁が責任をもって『自殺』として処理するよ」
「警視総監がそういうんだから、間違いないな」
勇気が笑った。
「あんたには『名誉ある死』を用意した」
続いて烈が真弓に紙切れを見せた。
「遺書?」
「掻い摘んで言うと、内容はこうだ。『雑誌社に恵美の情報をリークしたのは私です。そのことを悔い、私は死んでお詫びいたします』」
「何よ、それ!」
「見ての通り、筆跡は完璧に模倣してある。誰も贋物とは気がつかない」
それまで横一列に並んでいたコックローチが真弓をぐるりと取り囲んだ。やばい。このままでは殺される!真弓は本能的に一番弱そうに見える場所、ミミに向かって走った。
だが。
「きゃあ!」
ミミのトレッキングポール攻撃に真弓はいとも簡単に、もといた中心部に押し戻されてしまった。
「わ、私は大富豪の令嬢よ。お金ならいくらでもあげるわ。だから命だけは助けて頂戴」
「いいわ」
帆乃香は真弓の取引を承諾した。
「で、いくらなの?」
「そうねえ、1兆円で手を打ちましょう」
「1兆円!」
真弓は確かに大金持ちだが、その資産はたかだか数百億円にすぎない。
「冗談よね?」
「本気よ。鐚一文、負ける気などないわ」
初代局長・待子の遺産だけでも数十兆円を誇るコックローチだ。数百億円など「はした金」だ。
いよいよ真打ちの登場だ。聖斗が真弓の前に出た。
「あんたに最後のチャンスをやろう」
聖斗はこの期に及んで、それでも最後のチャンスを真弓に与えた。
「チャンス?」
「ああ。あんたは頻繁にクイズ番組に登場する大の『クイズ好き』だ。だから今から自分が出すクイズを見事に正解できたら、あんたの命を助けてやってもいい」
真弓は喜んだ。これで「助かる」と思ったのだ、本気で。
「私はニッポン一のインテリ女優よ。クイズなんてチョロいもんよ」
「では問題。『民主主義の時代にあって太々しくも封建君主の称号を名乗り、自分の学歴や学力を鼻高々に威張っているタカビー。これって誰のこと?』。さあ、お答えください」
「何よ、この問題」
コックローチのメンバー全員がわかっている超簡単な問題だが、真弓にだけは判らないようだ。
「残り時間は、あと10秒」
「ちょっと待って、ちょっと待って、ちょっと待って、ああーっ!」
「わからなかったようですね。残念」
真弓の周りにカードがひらひらと舞い始めた。どうやら聖斗はマジックで始末をつける気だ。こんな雑魚相手に「竜宮の剣を汚す必要はない」ということなのだろう。
「あの世で恵美に詫びるといい」
この言葉を一磨が否定した。
「それは無理だよ、聖斗。恵美は天国にいるが、この女は『地獄行き』じゃないか」
そう言い終わった瞬間。
「きゃああああああああっ!!」
カードが燃え始めた。炎が瞬く間に真弓の全身を包む。
「助けて、助けてーっ!」
炎の衣装を纏って踊る真弓。
「私は大富豪の令嬢よ。東大卒の才媛よ。その私がどうして、どうして、あああーっ!」
やがて真弓の体が大地にうつ伏した。その後も燃え続ける真弓。炎が消える頃には完全に炭と化していた。
「後の始末は私たちの仕事だ。勇気」
「ええ、総監」
ジミーと勇気が事後処理を行う。残りのメンバーは沖に停泊してある宇宙遠洋漁船・量子に乗り込んで、この場を離れた。
※
その後、聖斗は芸能界から綺麗さっぱり足を洗った。恵美が嫌った芸能界。恵美がいたからこそ自分も我慢していた芸能界。「美食グルメ・温泉旅行・ゲーム・マンガ・有名ブランド品」の話題しかしない俗物どもの世界。恵美がいない今、そんな芸能界に「いかなる未練などあるものか」というわけだ。
それにいい加減「道場破りの輩」にウンザリもしていた。道場破りといっても剣術の話ではなくクイズの話である。「自分が一番」でないと気が済まないインテリ芸能人や現役東大生らが次々と「聖斗さん、僕と勝負してください」といった具合にクイズ勝負を挑んでくる。聖斗にとって学力とは独創的な発明や発見をするための基礎であり、学力それ自体を「自慢の具」にするなど軽蔑すべき行いに過ぎない。そのため聖斗は今まで学歴自慢や検定自慢の鼻持ちならないタカビーな連中に対し「身の程を思い知らせる」意味からコテンパンに叩きのめすという厳しい姿勢を示してきたのだったが、この手の連中はいくらやっつけたところで「悔しいー」と感じるだけで、クイズに優勝して鼻高々に威張るという行為がいかに「空しいもの」であるかなど考えても見ない。そしてそれは、こうした番組を好む視聴者も同様であった。聖斗を「生まれながらに賢い存在」と見做し、コツコツと努力すれば誰でも「聖斗のように賢くなれる」とは考えない。いくら聖斗が勝ったところで聖斗のクイズ王としての名声が高まるだけの話で、聖斗が伝えたい「人間の価値は学力の高さではなく『世のため・人のために役立つ仕事をしたい』という志の高さだ」という主張は誰にも伝わることがなかったのである。
芸能界を去った聖斗はその後、PIPIRUMAグループに入社。数年後には、それまで社長を務めていた一磨の弟・翔太の後を受けてPIPIRUMAケアの社長に就任した。聖斗は社長就任後に早速、事業を拡大。老人福祉事業だけでなく児童福祉事業にも参入した。と言っても金儲けが目的ではなく、これは利益の一部を社会に還元するためのものだ。勿論、PIPIRUMAグループのイメージアップに繋がることも意図している。
その中心となる建物は伊豆半島の東、小室山と大室山に挟まれた海沿いにある元・グループホームをリフォームした孤児院。目の前には相模湾が広がり、伊豆大島をはじめ三浦半島や房総半島が見渡せる。まずはここで「必要なスキルを得よう」という計画だ。こうした背景に孤児院で育った恵美への思いがあることは間違いない。
そしてジョンブリアン(孤児院の名称。建物が肌色であることによる)の初代院長には、なんと美音が就任した!当初は就任を固辞していた美音だったが、いざなってみれば次々と本領を発揮していくのだった。就任当初は全く乗り気でなかった美音は、もはやここから離れられない。休暇を取って旅行に出ても、孤児たちのことが心配でならない。うら若き年頃の女性はこの孤児院を「終の棲家」として、およそ静けさとは無縁の「忙しい一生」を送ることになるのだろうか?
だが美音は今、とても幸せである。
なぜかって?それは最終的に聖斗を夫としてゲット、聖斗の子供を産んで育てる権利を得たのは自分に他ならなかったからである。
因みに、聖斗が真弓に出したクイズの答えは「クイズ王」である。
続・コックローチ 完
8月。
東京・上野の東京博物館では現在「日本名刀・名槍展」が開催されていた。
生命境涯の基底部が修羅界であるニッポン人にとってサムライや刀はいつの時代にあっても憧れの対象である。といっても大多数のニッポン人には刀に関する細かい知識など大してあるはずもなく、会場では自ずからマニアックな名刀ではなく有名な武将が所持していた一振りに注目が集まる。
「これが『日本号』か」
「実に素晴らしい」
「柄の螺鈿細工も見事だ」
日本号。「天下三槍」の一本。祝儀唄「黒田節」誕生のきっかけともなった名槍。
聖斗は人混みを避けるように、その場を通り過ぎ、次の展示室へと向かう。
今回の名刀・名槍展の最大の見世物は太平洋戦争によって失われた大身槍・御手杵を除く「天下五剣・天下三槍」計7振が一堂に会したことだ。
本来の目的ではなかったが、興味を引かれたのだろう。聖斗が立ち止まる。
天下五剣の一振り「数珠丸恒次」。今回のために特別に柄に巻かれた数珠が解かれ、刃が見られる。天下五剣の中では唯一、人を斬ったことのない刀だが、その殺傷能力に疑いの余地はない。数珠丸を打った刀工・青江恒次は毎月、交代で後鳥羽上皇に遣える13人(12の月と閏月で13人)の御番鍛冶のひとりで、5月を担当した鎌倉時代の名工である。
その後、聖斗は隣の展示室へと移動。そこでは豊臣秀吉が最も愛した旧名刀「一期一振」が展示されていた。「旧」というクレジットが付くのは、この刀は大坂夏の陣の際、大阪城とともに焼け、後に徳川家康によって修復されているからだ。そのため刃は脆く、もはや使用には耐えない100%「観賞用の刀」。だが、それでも「秀吉が最も愛した刀」ということで大勢の人で賑わう。隣には大坂夏の陣の前に取られた押し型も展示され、現在の姿との「違い」が分かるようになっている。現在は刃渡り70cm以下だが、昔は85cm近くあった。
聖斗はそこを足早に素通りする。使えない刀になど「用はない」ということか。
ところで何故、聖斗は今日、この場にやってきたのだろう。刀剣観賞?聖に代わる愛刀探し?いや、そうではない。
次の展示室の一画。そこにはなぜか何も展示物がない。刀が置かれていない白い布を架けられた刀掛けは、まるで布を被ったお化けのようだ。そこには本来であれば「七支刀」が展示されているはずだが、何者かによって盗まれたのだ。聖斗はその調査のためにここに来たのだった。
そして聖斗が来たということは「ただの盗難事件ではない」ということを意味する。
コックローチ劇場版4「コックローチVSコックローチ」
数日前の警視庁。
「この映像を見てくれ」
ジミーが聖斗に映像を見せる。それは監視カメラが捉えたものだ。
「これは」
「そう。刀が自ら盗賊の手に収まった。まるでサイコキネシスのように。しかもショーウインドウのガラスを『すり抜けて』だ」
映像にはひとりの盗賊が刀を盗み出す瞬間が映し出されていた。それもマジックのような手法で。
「黒くて顔が見えませんね」
「これまた不思議だ。別に顔を黒い布か何かで隠しているわけじゃない。なのに映っていない」
「この事件を調べろと?」
「そうだ」
「わかりました」
※
聖斗はショーウインドウのガラスをじっと見つめた。やはり割れてはいない。
「これをすり抜けたのか」
聖斗はガラスを指でコンコンと軽く叩いてみた。割れた形跡はない。
「盗まれた七支刀はここにあったんだってさ」
「ふうん」
若いカップルが聖斗の後ろを通り過ぎる。
「確かに、奇怪な事件だ」
カップルに続くように、その場を後にする聖斗。結局この日は警察同様、聖斗にも犯人に繋がるいかなる証拠も発見することはできなかった。
その日の夜。
一磨、帆乃香、美音の三人が自宅で夕食を摂っている時のこと。
「まあ、停電かしら?」
カーテンを開け、外を眺める。
「他の家の電気は点いているわ」
「じゃあブレーカーが飛んだんだな」
一磨が玄関へと向かう。
「ブレーカーは落ちてないぞ」
ということは家に強盗が?
「ジコマン・イヤー」
帆乃香がジコマン・イヤーを作動させた。
「周りに人の気配はないわ」
どうやら泥棒の仕業ではないようだ。
「何やらカサカサ音がするわね。ジコマン・アイ」
音のする方を今度はジコマン・アイで確認したところ。
「ゴキブリだわ。ゴキブリが電気コードを齧っている」
「ゴキブリだって。ネズミじゃあるまいし」
「本当よ。壁の中でゴキブリが電気コードを齧っているのよ」
「なら始末だ」
「わかったわ」
帆乃香は左目から壁にレーザーを発射した。ゴキブリは始末された。
「ゴキブリが電気コードを齧るとはな」
翌朝。
家庭菜園を見た美音は愕然とした。
「なに、これ」
庭に植えられていたトマトやキュウリやナスの実は全て齧られ、収穫不能となってしまっていた。それにしても、いかなる動物がこんなことを?
美音は花壇の土の上に昆虫の卵の房を見つけた。それを見た美音は我が目を疑った。
「これって、ゴキブリ!?」
それは紛れもなくゴキブリの卵だった。
こうした奇怪な現象は一磨の家だけではなく東京を中心とする首都圏の各地で発生していた。こうしたゴキブリによるに被害に対し、人々は当然ながら殺虫剤で対応した。その効果によって被害は減少へと向かった。
都内の暗渠。
そこには祭壇が置かれ、祭壇の上には「ご神体」として刀の柄が祀られていた。そしてその両脇に置かれた燭台の先には蝋燭が灯っている。暗渠を照らす明かりは僅かにその蝋燭だけであり、当然ながら薄暗かった。
そこへ七支刀を手にした男がやってきた。男はつかつかと祭壇に歩み寄ると柄を手に取った。男の右手には柄。左手には七支刀。
「はあああっ」
男は松茸を無花果の実に挿入するように七支刀の茎を柄にゆっくりと刺し込んだ。
最後まで差し終えた直後、七支刀が錆の裂け目から光を発し始めた。見る見るうちに錆は剥がれ落ち、更には刀身に彫られていた金象嵌の文字までも完全に消え失せ、やがて七支刀全体が輝き始めた。暗い暗渠がその光によってまるで昼間の地上のように明るくなった。
これこそが本来の七支刀の姿。柄と刀身が一つになったことで、今までは只の錆びた鉄の棒に過ぎなかった七支刀に本来備わっている「霊的な力」が蘇ったのだ。
※
七支刀盗難事件に関する何の手掛かりも掴めなかった聖斗は結果を警視庁に報告後、自宅へと戻った。
深夜、ベッドの中で熟睡する聖斗。
「聖斗・聖斗」
自分を呼ぶ声に、聖斗は目を覚ました。
「誰だ?」
人の気配はない。
「気のせいか?」
再び床に就く
「聖斗」
やはり空耳ではない。聖斗は体を起き上がらせた。
「脳に直接、語りかけてくるとは、何物だ?」
「私の声を忘れたか?聖斗よ」
「その声は、草薙剣」
「そうだ。私は草薙剣だ」
「なぜ、自分を呼ぶ?」
「今すぐ私のところへ来るのだ。重大な事件が起きた」
「重大な事件?何だ、それは」
「来ればわかる」
「わかった。行けばいいんだな」
草薙剣はアルゴルとの一戦以来、銅鐸の塔に保管されている。聖斗は直ちに銅鐸の塔へと向かった。
銅鐸の塔。
「帆乃香、金庫を開けてくれ」
深夜の聖斗の訪問に帆乃香は驚きを隠さなかった。
「どうしたの?いきなり」
「草薙剣が僕を呼んだ」
「えっ?」
その後、聖斗は帆乃香に話を説明した。
「わかったわ」
帆乃香は金庫の扉を開いた。この物流倉庫並みの広さを持つ金庫の中にはコックローチが活躍するうえで必要な財源となる通帳やハンコ、金塊、他にも極秘資料などが厳重に保管されており、たとえメンバーといえども無許可で中に入ることはできない。
金庫の中には無数のJR貨物コンテナ級の大きさの金庫が更衣室のロッカーのように並んでいる。
「草薙剣はここよ」
帆乃香は、そうした金庫のうちのひとつを開錠した。
扉が開く。金庫の中は和室となっていた。奥は床の間のようになっており、そこに草薙剣は掛け軸を背に三葉葵が彫られた黒檀の刀掛けの上に水平に置かれていた。
「来たぞ、草薙剣よ。話とは何だ?」
「私を手に取れ。その瞬間に全てが理解できる」
「わかった」
聖斗は草薙剣を手に取った。トルマリンの柄が聖斗の手の熱に反応、電気を発生した。金庫の中がスパークした。その直後、聖斗と草薙剣の間で、いくつもの無言の会話がなされた。時間にして1/1000秒にも満たないものだが、両者の間では実に多くの言葉が交わされたのだった。
「長い間、地下に潜んでいた魔王が遂に地上に躍り出る。奴はそのために七支刀を手に入れた」
「七支刀だって」
「七支刀は奴の武器。そして我と同じ精剣なのだ」
「その能力は、わかるか?」
「七支刀には『ゴキブリの能力』備わっている」
「ゴキブリだって?」
「そうだ」
「で、その魔王とやらは地上に出てきて何をするつもりだ?」
「人類を滅ぼし、再び地上を『ゴキブリの楽園』にしようと企んでいる」
「まさか」
「私は、嘘は言わない」
「なら倒すさ」
「そう簡単にはいかんぞ。奴は強い」
「精剣は生命境涯によって発揮する力が変化する。人類を滅ぼそうとするような奴、簡単に倒せるだろう?」
「そうはいかない。奴の生命境涯は高い」
「『ゴキブリの楽園を築く』という目的が生命境涯の高いことなのか?」
「人類にとってゴキブリが害虫であるように、ゴキブリにとって人類は害虫だ。ゴキブリ嫌いの人間の生命境涯が低いとは限らないように人類滅亡が目的でも必ずしも生命境涯が低いとは限らない」
「言われてみれば成程、確かに人類の方が地上に深刻なダメージを及ぼしているな。人類がいなければ温暖化や大気汚染、戦争なんてものは存在しないのだからな」
「その通り。人類は『地球の癌細胞』に過ぎない」
「では草薙剣よ、お前はなぜ僕の味方をするんだ?」
「私は人間に恩を受けた。八岐大蛇に飲み込まれた私を須佐之男命が救ってくれた」
「義理堅いんだな」
「それだけではない。お前は只一人、私の刀身を真っ二つに切断した男だ」
「そんなこともあったかな」
「とにかく一刻も早く奴を倒さなければ、地上はひと月ほどでゴキブリの楽園と化すだろう」
「殺虫剤じゃダメなのか?」
「卵には効かない。それに、いずれは成体にも効かなくなるだろう」
「抵抗性がつくのだな。それにしても」
「なんだ?」
「コックローチがゴキブリの始末とはな」
「どうしたの聖斗」
後ろから帆乃香が頻りに声をかける。帆乃香の声で聖斗の意識が回復した。
「奴が蘇った」
「奴って?」
「蜚蠊王」
「ゴキブリ王?」
その後、聖斗は草薙剣との会話の内容を帆乃香に語った。草薙剣を手にした瞬間、聖斗と草薙剣は同化し、草薙剣の思考は瞬時のうちに聖斗の脳に取り込まれたのだ。
翌朝。
リビングには既にコックローチ全員が集まっている。
「七支刀盗難事件の犯人はゴキブリの王なのね」
「そうです」
「でも、なぜゴキブリの王は七支刀を盗んだのかしら」
「それは七支刀が、もともと奴の所有物だからです」
「そうなのか?」
「七支刀はゴキブリの後脚をモチーフとした剣なのです」
七支刀の独特な形には様々な説がある。一般には「木の枝」と解されているが、どうやらそうではないらしい。
「最近、ゴキブリが家の電気コードや農作物を齧ったりしているのは、そのせいね」
「ですが、この程度では済まないでしょう」
「というと?」
「奴の目的は人類を滅ぼし、地上に再びゴキブリの楽園を築くことだからです」
今から1億年以上も昔、地上にはゴキブリが繁栄していた。人類が登場した結果、ゴキブリは地下に潜む生き物になってしまったのだ。
「七支刀は蜚蠊王の所有物で、奴を倒した当時のニッポンの支配者が能力を封じるために刀を刀身と柄に分けて別々に保管した。刀身にはその旨が彫り込まれたのだけれど、錆によって読めなくなってしまった結果、七支刀伝承の由来がわからなくなってしまったのです」
「で、永久に隠しておくべきものを堂々と一般公開してしまい、ゴキブリ王の知るところとなったというわけね」
「柄に関しては昔から行方不明になっていましたから、きっとゴキブリ王が取り返していたのでしょう」
「それが再び一つに合体したのね」
「草薙剣は同じ精剣ゆえに、そのことを感じ取ったようです」
「で、草薙剣はあなたの味方なのね、聖斗?」
「ええ」
「ということは、取り敢えずはそのゴキブリの王とやらと対等に戦えるわけだ」
それから数日後。
野良猫が次々と死んでいるのが発見されるようになった。それも体を齧られて。屋内の電気コードや農作物を齧っていたゴキブリたちは次に野良猫などの動物たちをターゲットにし始めたのだ。
そして遂に恐れていたことが。
東京・代々木公園。
デートするカップル、子供連れの若夫婦、犬を連れた夫人や壮年、ジョギング中の老人など、多くの人々が公園内を散策している。
「あれは何だ?」
黒い群れが空を飛翔しているのが人々の目にとまった。
「ムクドリの群れか?」
「こんな昼間から?」
ムクドリは普通、早朝や夕方などに大量に飛翔しているのが見られるが、今は真昼だ。
黒い群れが降下してきた。群れの先端にいる生き物が女性の洋服に付着した。それを見た女性は悲鳴を挙げた。
「きゃあああああ、ゴキブリー!」
群れの正体は何とゴキブリだった。ゴキブリの大群が昼間の東京上空を飛翔していたのだ。ゴキブリが次から次と空から人間に襲い掛かる。絶叫。絶叫。どこもかしこも絶叫の渦。公園内の人々はパニックとなり、一斉に逃げだした。
首都高速を走る車。突然、道路が灰色から黒色に変わった。
「何だ?」
それは「ゴキブリの大行進」。ゴキブリの群れに乗り上げた車はタイヤを滑らせ、脇のコンクリート壁に激突した。
扉を開けた直後。
「うわあ!」
ゴキブリがドライバーの足を次々と攀じ登る。
「助けてくれえ!」
ドライバーは全身をゴキブリに覆われてしまった。
豊洲市場。
「ひええーっ!」
「駄目だーっ!」
大量のゴキブリが盛り土されていない地下の空洞から地上へと上ってきた。もはや「競り」どころではない。高級魚であるクロマグロをはじめ魚は全てゴキブリにくれてやるしかない。
屋内の通路をゴキブリの群れが走る。そこへターレが通りかかる。
「うわあ!」
ターレはスリップ。その場に転倒した。
そんな豊洲市場とは目と鼻の先にある某テレビ局。
「東京都内は大変な事態になっております。ゴキブリが大量発生、次々と人を襲っています」
ニュースキャスターが状況を伝える。だが、そんなテレビ局にもゴキブリが。
「見ての通り、スタジオ内をゴキブリが飛び回っています」
そんなゴキブリの一匹がアシスタント役を務める東大卒のインテリ女性アナウンサーの首筋から体の中に入り込んだ。
「きゃあああああっ!」
女性アナウンサーは立ち上がるや、テレビカメラに映っているにも拘わらず、その場でワンピースを脱ぎ始めた。
首相官邸。
「首相、お急ぎください」
SPが和貴子を屋上のヘリポートへと急がせる。地下からゴキブリの群れが押し寄せてきたのだ。
「ぎゃあああ!」
SPがゴキブリに飲み込まれた。和貴子はそんなSPを助けることもできないまま屋上へと走るしかなかった。
屋上には警視庁から勇気が来ていた。
「首相、早く!」
和貴子がローターレス・ヘリコプターに乗った。
「急いで上げろ!」
ヘリコプターが上昇する。それを追うようにゴキブリもまた羽搏く。だが、所詮はゴキブリ。ヘリコプターの噴射する空気の圧力には勝てない。ゴキブリを蹴散らしながら上昇するヘリコプター。
何とか和貴子は無事に銅鐸の塔まで行けるだろう。
中道政党本部。
「党首!」
「烈!」
ミミの救助は烈が行っていた。建物の外に出る。
「うわっ」
ふたりの前には黒い恐竜を思わせるゴキブリの合体した姿があった。
「レスキュー隊前へ!」
東京消防庁が誇るレスキュー隊がミミと烈の前に壁のように一列に並んで立つ。
「攻撃開始!」
レスキュー隊が火炎放射器を発射した。普段は火に向かって水や消火剤を噴射するレスキュー隊だが、今回は真逆の攻撃を行う。
「さあ、早く」
その間にミミはリムジンに乗り込んだ。
「烈、あなたは?」
「私は消防総監。ここで最後まで陣頭指揮を執ります」
烈は既に「死」を覚悟しているに違いない。
「でも」
「何をしている。はやく車を出せ!」
リムジンのドライバーはその命令を「待っていました」とばかりにリムジンを急発進させた。一刻も早く地獄と化した東京から逃れたい一心で。
「首相に、和貴子殿によろしくお伝えください!」
やはりそうだ。烈は死を覚悟しているのだ。
「烈ーっ、絶対に死んじゃだめよーっ!」
ミミが叫んだ。
警視庁。
「首相は無事に脱出なされた」
ジミーが銅鐸の塔の帆乃香に通信を送った。
「あなたは、どうするのです?」
「私は警視総監として職務を全うするまでだ」
「諦めないで。今、聖斗が敵のボスのいる場所に向かっています」
「間に合うといいがな」
ゴキブリは既に警視庁の5階まで制圧していた。
※
その頃、聖斗は宇宙遠洋漁船量子で蜚蠊王のいる場所に向かって飛行していた。
「そこにいるんだな?」
「間違いない」
聖斗を誘導しているのは草薙剣。草薙剣には蜚蠊王のいる場所、即ち七支刀がある場所がはっきりとわかるのだった。
「あそこだ」
眼下に見えるのは「晴海ドーム」。晴海埠頭8・9・10三区画を利用した巨大ドーム施設だ。周囲の壁面を波状にうねるクリスタルガラスで囲み、中央の丸いドームはブルーであることから通称「サファイアリング」と呼ばれる。事実、この巨大構造物はサファイアリングを模したものであり、上空から見た時には巨大なサファイアリングに見える。この建物の煌びやかさに比べたら、その周辺の豊洲や台場に立つ建物など、ただのグレーの無機質なビルでしかない。
着陸した量子は晴海埠頭公園脇に停泊した。そこへ早速、ゴキブリたちのお出迎え。
「大丈夫なんだろうな?」
不安な聖斗。
「心配ない。私の能力を信じろ」
ゴキブリが飛んできた。聖斗に襲い掛かる。ゴキブリは聖斗の体に触れるや、その場で次々とショック死していく。草薙剣はトルマリンの柄のおかげで電気を発生させることができる。その電気によってゴキブリをショック死させているのだ。
「どうだ?大丈夫だろう」
「そうでもない」
瞬時に死ぬとはいえ、体や顔にゴキブリのタックルを受けている聖斗は今にも胃の内容物を吐き出しそうだ。
「さっさとボスを片付けよう」
聖斗はサファイアリングの中へ入った。
廊下を通り、スタンドに出た。そこからグラウンドを見渡す。
「随分と目立つ場所にいるじゃないか」
蜚蠊王はドームのまさに中央、ピッチャーマウンドの上に仁王立ちしていた。全身を殺虫剤のCM用に用意されたゴキブリの肉襦袢を思わせる鎧で包み込む。手には当然、七支刀。
「お前には、私の仲間たちの攻撃は効かないようだな」
「おかげさまでね」
「ならば私自ら、おまえを倒さねばなるまい」
「それは俺の言葉だ」
聖斗が観客席からグラウンドに向かって飛んだ。
「今すぐ害虫駆除してやるっ!」
ギンヤンマと化した聖斗が一直線に蜚蠊王に向かって飛翔する。
「待て、聖斗」
草薙剣はそう叫んだが、攻撃に集中している聖斗の耳には入らない。草薙剣は聖斗に非常に重要な「何か」を伝えようとしていたのだが。
「海鼠の嚏」
聖斗が草薙剣を鞘走りさせた。
「ふん」
草薙剣と七支刀が交差した。草薙剣の刀身が七支刀の刀身と棘の間に挟まる。
「うりゃあ!」
蜚蠊王は右の手首を外側から内側に向かって捻った。
ボキッ
草薙剣はものの見事に真ん中から圧し折られてしまった。これは江戸時代の同心や岡っ引きが十手で刀を手にする相手と戦う時に用いる戦術と同じだ。鈎の部分で刀を受け止め、捻って圧し折る。刀は横からの力には脆い。これを喰らったらひとたまりもない。
「しまった」
迂闊だった。七支刀の特性を考慮に入れて戦うべきだった。そうすれば七支刀と直に打ち合うことは避けたであろう。七支刀を手にする相手には「突き技」で攻めるべきなのだ。草薙剣が言おうとしたことは、まさにこれだった。だが、時すでに遅し。草薙剣は折られてしまった。
「この戦いの決着は後日に持ち越すとしよう。さらばだ、聖斗」
明らかに聖斗が不利な状況にあって蜚蠊王は突然、戦いを中断した。蜚蠊王はこの場から消えた。逃げ足の素早さは流石、ゴキブリだけのことはある。
「どういうことなんだ?なぜ逃げた。明らかに向こうの方が有利だったはずだ」
聖斗は折れた先端部分を拾い上げながら、自問自答し続けた。
一方、サファイアリングを後にして暗渠の中を走る蜚蠊王。
ポキン
突然、七支刀の棘が一本折れた。先程、草薙剣の攻撃を受け止めた部分だ。蜚蠊王は立ち止まり、折れた部分をじっと見つめた。
勝負は相打ちだった。だからこそ蜚蠊王は、あの戦いの場から逃げ出したのであった。
警視庁。
「ゴキブリが逃げていく」
中道政党本部前。
「やったな、聖斗」
蜚蠊王は倒せなかったが、聖斗は最低限の仕事はした。大切な仲間の窮地を救ったのだ。
※
その後、ゴキブリたちは地下へと戻った。だが、近い時期に再び現れるに違いない。その時のために準備を整えなくてはならない。
まずは草薙剣の修復だ。といっても自己修復を待つ以外にはない。本人は「1カ月はかかるだろう」という。
「竜宮城では、すぐにくっついていたじゃないか」
「竜宮城は浄土。ここは穢土だ」
ニッポンは末法の御本仏公認の「地球上で最も心の汚れた衆生が暮らす島国」であり、それ故に修復には非常に時間がかかるのだ。
「お隣の韓国だったら1週間ほどでくっつくだろう。竜宮城の民ほどではないにしろニッポン人よりかは、ずっと精神が健全だからな」
ニッポン人は「臭いものには蓋をする」「過去のことは水に流す」「死者に鞭を打たない」といった具合に、悪に対する怒りや憎しみの感情が非常に薄い。本質的に悪である者は悪に共感・同情こそすれ、本気で悪を憎むことなどできないからだ。ということで草薙剣は一旦、韓国のPIPIRUMA支社へ運ばれることになった。ニッポンで1カ月待つよりもずっといい。
「静電気で防御するのはグッドアイデアだわ」
草薙剣の発する静電気で聖斗がゴキブリの攻撃を防いだ話を聞いた帆乃香は早速、Dr.フリップに静電気を発生させる強化服の開発を命じた。
「そんなの朝飯前じゃ」
そりゃあそうだろう。背中にバッテリーを背負わせ、服は表面を伝導素材、内側をゴム素材にする。それだけのことだ。
3日間は何事もなく過ぎていった。
だが4日目。遂に蜚蠊王が動いた。ゴキブリの群れが大量発生した。場所は神奈川県・横浜。
急遽、草薙剣が韓国から戻された。鞘から抜いてみると。
「まだ完全には治っていない」
くっついてはいたが見た目にも罅が入っているのがわかる。強い衝撃を数回受ければ再び折れるだろう。しかし蜚蠊王が動き出した以上、行かないわけにはいかない。
一方、フリップの発明はといえば。
「完成次第、我々も行く」
どうやら、こちらもまだ完成していないようだ。
仕方がない、聖斗は草薙剣を助手席に置いて車で横浜へと向かった。銅鐸の塔からだと横浜は湾岸道路1本で行けるため、ヘリコプターは不要。台場、羽田空港、ベイブリッジを走り抜け、車は横浜スタジアムに到着した。
「この中に蜚蠊王がいる」
「接近戦に持ち込んで、罅から手前で打ち合え。そうしないと折れるぞ」
「わかっている」
聖斗と草薙剣はいざ、横浜スタジアムの中へと入った。今回は観客席ではなくブルペンからグラウンドに歩いて入った。
「よく来た」
前回同様、蜚蠊王はピッチャーマウンドの上に立っていた。余程、その場所が好きらしい。
「うっ」
周囲を見渡せば観客席が真っ黒。野球ファンの「応援の声」ならぬカサカサ音がスタジアムに響く。
「これは完全なアウェー状態だな」
観客席から入らなくてよかった。
「奴らは『観客』だ。我々の戦いに参加しない。参加したところで精剣戦士に勝てるはずもないからな」
蜚蠊王が七支刀を構えた。七支刀の折れた棘は草薙剣同様、修復していなかった。
「どうやら、相打ちだったようだ」
「そうか。だからあの時、逃げ出したのか」
しかし、まだ七支刀には5本の無傷の棘がある。戦いは明らかに聖斗の方が不利。だが、やるしかない。聖斗は切羽を詰めた(「切羽詰まる」とは刀を抜く時の姿勢。鍔を挟むように左手で鞘を、右手で柄を握る)。
その時。
スタジアム上空にローターレス・ヘリコプターが飛来した。ヘリコプターが降下してくる。中から5人の色鮮やかな人間が次々とフライジェットで飛び降りてきた。
ヘリコプターが去る。観客席を閉めていたゴキブリたちもまたヘリコプターの発する風圧によってどこかへ飛ばされてしまっていた。
フライジェットを背中から脱ぎ捨てた5人が自己紹介を始めた。
「レッドコック」
「ブラックコック」
「ブルーコック」
「イエローコック」
「ピンクコック」
「我ら、害虫戦隊コックファイブ!」
自己紹介の通り、5人はそれぞれレッド、ブラック、ブルー、イエロー、ピンクのスーツに身を包んでいた。
ゴキブリが周囲にいないのを確認してから、5人はヘルメットを脱いだ。
「みんな!」
その正体はジミー、烈、勇気、フリップ、帆乃香。
「どうやら間に合ったようじゃな」
フリップが聖斗に向かって話し始めた。
「見たところ、相手の手にする七支刀の棘も5本。ここは我々5人に戦いを任せてくれ」
聖斗は正直、不安だ。見るからに戦隊ヒーロー気取りの5人。人類の存亡を賭けた真剣な戦いの前には少々「巫山戯過ぎ」のように思える。
だが、草薙剣は次のように言った。
「ここは彼らを信じて任せよう。聖斗」
それだけ草薙剣は重傷だったのだ。
「わかった」
聖斗は草薙剣の言うことに従い、戦いを5人に託すことにした。
一見、巫山戯ている様にしか見えない5人の姿だが、フリップの発明は決して「見掛け倒し」ではない。メタリックカラーに輝くファイティングスーツ。よく見ればデザインの基本は登山用のレインコートであり、激しく体を動かすのに何ら支障はない。表面は伝導体で覆われ、内側は絶縁体でできている。伝導体には通気性があり、絶縁体もまた網状のシートを三層重ねにしてあるので、中は蒸れない。ヘルメットはライダー用のものと基本的に同じものだが、視界確保から目の部分だけでなく顔全体が透明なフードになっている。そしてベルト。左右の腰の部分にバッテリーがあり、中央のバックルには操作ボタンが並ぶ。ベルトの内側に金属板があり、装着することでスーツの表面と密着。スーツの表面を静電気が流れる仕組みだ。これらの装着は普通にレインコートを着るように着て、ベルトとヘルメットをつければ済むため、凡そ面倒臭さとは無縁。実用性を無視していない点はさすがフリップだ。
かくして、蜚蠊王とコックファイブの間で戦いの幕は切って落とされた。
「まずは私だな」
リーダー・レッドコックことジミーが取り出した武器は言うまでもなく愛用のゾンデ棒。
「行くぞ」
ジミーがゾンデ棒を操る。ゾンデ棒は蛇のように撓り、先端が蜚蠊王を襲う。
「小癪な」
蜚蠊王が七支刀を振るう。
「くっ」
だが、さすがの蜚蠊王もジミーの繰り出すゾンデ棒の自由自在な動きに苦戦は避けられない。そして遂にゾンデ棒の先端が七支刀の第2の棘を捉えた。
ボキン
第2の棘が折れた。と同時にゾンデ棒の先端部分もまた粉々に砕け散った。
「俺はここまで」
ジミーは後ろに下がった。
「次は俺だ」
2番手はブラックコックこと烈。
烈はスーツのジッパーを首から下にさげると、懐の中から手裏剣を取り出した。
「やあっ」
次々と手裏剣を投げる烈。蜚蠊王は次々とそれを打ち落とす。
烈は手裏剣を投げている間、膝を少しずつ曲げながら蜚蠊王との間合いを詰めていた。膝を少しずつ曲げているのは距離を詰めているのを相手に悟らせないよう、背丈が変化していないことによって生まれる錯覚を利用するためだ。こうした烈の巧みな忍術によって、いつしか烈と蜚蠊王との間合いは数メートルにまで接近した。
「よし、今だ」
烈は今まで曲げていた膝を伸ばすと、懐から素早く愛用の苦無を取り出し、蜚蠊王の懐めがけて飛び掛かった。
「いつの間に、こんな近くに?」
蜚蠊王が慌てて七支刀を振りかざす。両者がすれ違った。
「くっ」
烈が右肩から背中にかけて切られた。立膝をつく烈。だが、それだけの代償はあった。
「任務完了」
七支刀の第3の棘が折れた。
フリップが烈のもとに駆け寄る。フリップは斬り跡の部分に素早くダクトテープを貼った。
「もう、これは使えないな」
烈が手にする苦無は粉々に砕け散っていた。烈はその場に苦無を投げ捨てた。
こうしたふたりの戦い方からわかる通り、コックファイブの目的は「一人一殺」。自分は戦えなくなっても七支刀の棘を確実に1本始末する。棘を全部始末して、最後の仕上げを聖斗に任せようというのだ。
「3番手は俺が務めさせてもらおう」
3番手はブルーコックこと勇気。
勇気は普段、武器を使用しない。雷鳥の羽は敵にとどめを刺せるほど強力ではない。勇気の決め技はあくまでも鍛え上げられた脚だ。
果たして、どう戦う?
勇気は背中から刀を抜いた。その刀は烈から借りたもの。その刀を見た蜚蠊王は、その刀の名を叫んだ。
「それは『舎利刃』!」
舎利刃といえば、鈴鹿サーキットの戦いで烈の弟である電が使用した忍者刀。だが、望によって破壊された筈。いやいや、舎利刃もまた精剣。自己修復によって元の姿に戻っていたのだ。
「どうだ?恐ろしいだろう、蜚蠊王」
「いくら舎利刃を手にしているからといって、貴様がそれを使いこなせるとは限らん。我が七支刀をもって粉々に打ち砕いてくれるわ」
「それはどうかな」
勇気が構える。左手に舎利刃を握った勇気は大坂・道頓堀にある某キャラメル菓子のパッケージングに使用されているマラソンランナーそっくりの姿をした。その姿は穂高連峰を真上から見た姿を示している。心臓の位置に奥穂高岳。右足首は西穂高岳。左足の膝はジャンダルム。右手拳は北穂高岳。左手拳は前穂高岳。そして舎利刃は前穂北尾根。
「ううっ」
勇気の構えを見て、さすがの蜚蠊王も怯む。
「行くぞ、蜚蠊王」
ジャンダルムの左足を前に踏み出す。
「はあっ」
足の裏が地面についた瞬間から勇気は猛ダッシュ。見る見るうちに両者の間合いが詰まる。
「コメツキムシ(舎利刃の能力はコメツキムシ)の分際で、猪口才な!」
蜚蠊王は勇気の体を串刺しにすべく七支刀を前に突き出した。
「とうっ」
勇気がジャンプ。元々の脚力と舎利刃の能力によって勇気の体はタイヤアーチの高さどころではない、60mもの高さにまで飛び上がった。蜚蠊王は落下してくる勇気に備えて剣を構えた。
「うわ、眩しい!」
勇気の体のちょうど真後ろに、太陽が燦燦と光り輝いていた。
「太陽の光で、勇気の姿が見えん」
蜚蠊王は太陽光線によって目を幻惑された。やがてひとつだった太陽の光がメルセデスのマークのように三分割される。勇気がYの字で落下してきたのだ。
「これであと2本」
勇気が舎利刃を振り下ろす。第4の棘が砕け散った。
「済まない烈。見ての通りだ」
舎利刃もまた、粉々に割れてしまっていた。
「いいさ。自然に治るよ」
「やっと儂の番じゃ」
イエローコックことフリップが意気揚々と前に躍り出る。しかし、どうやって戦うつもりなのか?まさか洗脳攻撃ではあるまい。
「儂の武器はこれじゃ」
そういって取り出したのは、天下五剣の筆頭「童子切安綱」。酒呑童子の首を切り落としたという伝説を持つ名刀中の名刀だ。
「その刀、どうしたのフリップ?」
帆乃香が質問した。フリップは「ちょっと借りてきた」と返答した。どうやら名刀・名槍展の会場から盗んできたようだ。
「戦いが終わったら、ちゃんと戻すわい」
そういい終わると、フリップは蜚蠊王に飛び掛かった。警備の厳重な博物館や大富豪の邸宅から何の苦もなくお宝を盗んできた大泥棒の力量は今も健在だ。
「おりゃあ」
目にもとまらぬ素早さで七支刀の第5の棘を打ち砕いた。
「その状態で展示室に戻す気?フリップ」
名刀中の名刀も七支刀の棘の前には敢え無く罅だらけの鉄の棒と化した。
ともあれ、残すはあと1本。
「最後は私ね」
帆乃香の武器は当然、ダマスカスナイフ。左目のレーザーを使えば一発だが、今までの皆の戦いを見ていたら、やはり自分だけ未来兵器に頼る気にはなれない。
「やあっ」
かくして、ダマスカスナイフも使命を終えた。
「さあ、あとは任せたわよ。聖斗」
皆の心意気は伝わった。聖斗は草薙剣を抜いた。聖斗の闘気が燃え上がる。聖斗の闘気を浴びてアレキサンドライト・キャッツアイでできた蜻蛉の眼が緑から赤へと変わった。
全ての棘を失い刀身のみとなった七支刀と、刀身に罅の入る草薙剣。手負い対手負い。果たして、勝つのはどっちだ?
「うわっ、戻ってきた」
ローターレス・ヘリコプターの発する風圧によって吹き飛ばされたゴキブリたちが舞い戻ってきた。コックファイブは急いでヘルメットを装着した。
「雑魚は俺たちに任せろ。お前は蜚蠊王を倒せ、聖斗」
コックファイブがスタンドでゴキブリたちと戦い始めた。グランドには蜚蠊王と聖斗のみ。ピッチャーマウンドには蜚蠊王、バッターボックスには聖斗が立つ。
聖斗がバッティングの構えをした。
「行くぞ、蜚蠊王」
聖斗がスイング。
「飛魚の飛翔!」
直接、相手と打ち合わない技となれば、やはりこれ以外にはあるまい。闘気の刃がピッチャー返しとなって蜚蠊王に向かって飛んでいく。
「うおおお」
蜚蠊王は七支刀で闘気の刃を受け止める。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」
聖斗は次から次とスイングをする。まるでスイングの練習でもしているかのようだ。だが、その全てを蜚蠊王は受け止めた。
「ならば」
聖斗はホームベースの上をジャンプ。立ち位置を左に変えた。
「これはどうだ」
左スイング。今までとは90度逆向きの闘気の刃。
「なんのこれしき」
蜚蠊王の背中にある羽が開いた。蜚蠊王はパタパタと空を飛んだ。だが、ゴキブリの飛翔能力などギンヤンマの飛翔能力の敵ではない。聖斗もまた飛翔した。
「鰹の烏帽子(カツオノエボシ)!」
この技は聖斗が新たに竜宮の剣に追加した技。その特性については既にご存知の通り、トルマリンの柄が発生する静電気によるショック攻撃だ。
バチッ
「うわっ!」
カツオノエボシに刺されたような衝撃が蜚蠊王を襲う。
続いて。
「駄津(ダツ)!」
これはいわば「飛魚の飛翔」と「鈍亀の一撃」を組み合わせたような技で、精神エネルギーを「突き技」として繰り出す。ダツとは「吻(ふん)」と呼ばれる針のように鋭く尖った口先を持ち、おまけに海中を時速70km(約37,8ノット)で泳ぐというダイバーにとって最も危険な魚のことだ。
「うおおおお」
脂ぎった黒い鎧が砕け、胸に穴が開いた。そこが「急所」だ。その穴に草薙剣の刃が突き刺されば聖斗の勝ちだ。
「これで勝ったと思うなよ、聖斗」
蜚蠊王はまだ戦うつもりらしい。
「本家・キッチンダーッシュ!」
蜚蠊王はキッチンダッシュでブルペンの中へと入っていった。
「待てえ」
聖斗もまたブルペンの中へと入った。
中は非常に狭い通路になっていた。ここではギンヤンマの飛翔能力が十二分には発揮できないことは明白だった。
「やあっ」
蜚蠊王が聖斗めがけて走ってきた。七支刀と草薙剣が直接、ぶつかり合う。
「くそう」
「また真っ二つにしてやる」
蜚蠊王の狙いはまさにそれであった。草薙剣の刀身を圧し折れば、刀身は無傷である七支刀の方が断然、攻撃力が高くなる。
「おりゃあ。おりゃあ、おりゃあ」
次から次と七支刀を振り下ろす蜚蠊王。対する聖斗は必死に亀裂よりも内側の刃で受ける。だが、やがて七支刀は草薙剣の先端を捉えた。
ポキン
「しまった」
草薙剣はものの見事に同じ個所から折られてしまった。
「これで俺様の勝ちだ」
勝ちを確信する蜚蠊王。
「ううっ」
「覚悟はいいな、聖斗?」
どうする?
「死ね、聖斗。おりゃあああっ!」
バキーン
明らかに刃の折れた音。どっちだ。どっちの刃が破壊されたのだ?
「う、うわあ!」
折られたのは七支刀。七支刀は真っ二つに折られていた。
しかしなぜ?
ここで、先程の状況を「リプレイ検証」してみよう。
「死ね、聖斗。おりゃあああっ!」
蜚蠊王は振り上げた七支刀を振り下ろす。
「くっ」
聖斗は草薙剣を一旦、鞘に納めた。
「うおおおお」
聖斗は鞘に入れた状態のまま草薙剣を右下から左上に振り上げたのだ。七支刀はいわば木刀に殴られたようなものだ。
そして。
バキーン
「なんということだー」
七支刀に鞘はない。蜚蠊王は草薙剣には「鞘がある」ことを見落としていたのだ。慌てふためく蜚蠊王。聖斗がこの絶好の攻撃の機会を逃す筈はなかった。聖斗は平突きの構えをした。
「鈍亀の一撃!」
草薙剣の鏜(こじり、鞘の先端)が先程、破壊した蜚蠊王の胸の部分を直撃した。蜚蠊王の体が通路の奥へと吹っ飛ぶ。
「ぐわあ」
蜚蠊王が通路に仰向けになって倒れ込んだ。
「ううう」
ゆっくりと立ち上がる。その目の前には聖斗。
「はあっ」
今度は腹を突く。そして。
「うおおおおお」
腹を押し込みながら聖斗が反時計回りに回転した。
「鰯の竜巻!」
決まった。草薙剣の鞘が蜚蠊王の左肩を直撃。その瞬間、その部分の鎧が砕け飛んだ。
「あああああ」
蜚蠊王はその場に倒れ込んだ。さすがにもう立てない。
「1億年以上の歴史を持つ我らが、たかだか数百万年の歴史しか持たぬ野蛮な猿ごときに負けるとは、無念」
蜚蠊王の体がみるみる煙と化していく。やがて蜚蠊王の体は完璧に消滅した。それを見届けた聖斗は再びグラウンドに出た。
「聖斗、あらかた駆除できたぞ」
スタンドやグラウンドの至る場所にゴキブリの死体が転がっていた。
「奴はどうなったの?」
「死んだ」
聖斗は一言、そういうのみだった。そんな聖斗の心の中に蜚蠊王の「最期の言葉」が響いていた。
1億年以上の歴史を持つ我らが、
たかだか数百万年の歴史しか持たぬ野蛮な猿ごときに負けるとは、無念。
確かに、人類の歴史はゴキブリのそれに比べたら実に短いものだ。そして人類はその短い間に地球環境を激変させてしまった。人類のひとりとして人類に味方し、人類を救う活躍をした聖斗だったが、果たして自分は「正しいことをした」のだろうか?それは右翼思想のニッポン人が「ニッポン人がニッポンの国益を重視するのは当然だ!」と主張するのと同じで、単なる「依怙贔屓」だったのではないのか?
そして、蜚蠊王は本当に死んだのだろうか?
いや、そうではあるまい。体を再生させ、いつの日か再び地上に現れることだろう。地球人類が「経済至上主義に基づく環境破壊」や「愛国精神に基づく武力拡大競争」といった愚かな振る舞いを繰り返す限り、再びそんな人類を滅ぼすために地上に復活するに違いない。
※
夏が終わり、今年も秋がやってきた。
各家の庭先では、さまざまな雄の虫たちが「繁殖・子孫繁栄」を目指して雌を求めて鳴いている。
「おっと、これは蟋蟀ね」
フローリングの廊下を歩く一匹の黒い虫。一瞬ゴキブリかと思ったが、それは閻魔蟋蟀だった。
「ほら、行きなさい」
美音は窓を開けると閻魔蟋蟀を家の外に返した。
あとがき
気付かれた方もいると思うが今回、推敲するにあたり「返報編」と「コックローチVSコックローチ」の順番を入れ替えている。以前までは「公開順」に並べていたものを「執筆順」に改めたのである。というのも、読者も感じておられる様に私自身「コックローチVSコックローチ」は内容が余りにも薄っぺらで、正直な話「削除したい」と思っているくらいなのだ。そこで最後に回したのである。完全に「おまけ」ということで。
「和香編」は奇しくも、現代のニッポン社会の世相を予言するものとなってしまった。今日では教師による生徒への性的虐待や盗撮が全国的かつ日常的に行われていることがわかっている。勿論、執筆当時にはそのような事実はまだ知られてはいなかった。私の肌が「風の便り」を敏感に感じていたということなのだろう。もはや教師は聖職者ではないのだ。正直、ここまで「ニッポンが腐っている」とは思っても見なかったのだが、右傾化の時代である。当然、これくらいのことを予想してしかるべきであった。無能な王が即位する時代には盛んに「王権神授説」が叫ばれるように、ニッポンのテレビメディアが挙って「ニッポン自慢」をするのを見れば、今のニッポンが腐り切っていることくらい、充分に予測できることなのだから。不正が明るみになっても辞職しない政治家、暴言やパワハラを平気で行う政治家など、ニッポン人はどんどんと「凶悪化」している。昔だったらこんなことは絶対に許さなかった「世論」がそれを許すようになっているからだ。こうした現象が今後、どこまで進むのか?考えただけでもぞっとする。
それはともかく、ニッポンは昔も今もヘイトや人種差別といった反人道行為がまかり通る「人権蔑視大国」である。その理由は「士農工商」の身分差別制度が社会制度としては消滅したけれども、精神としては未だに「ニッポン人の支柱」となって存在しているからだ。だからニッポン人は誰もが侍に憧れ、侍になりたがる。自分を「社会的に高い地位=特権階級」に置きたがるのだ。そうすることで「上から目線」でより多くの人々を見下したがるのである。「侍ブルー」「侍ジャパン」「リレー侍」といったスポーツニッポン代表のネーミングはまさに、そうしたニッポン人の安っぽい精神性の証に他ならない。
こんなニッポンにあっては恵美のような境遇にある人は「不幸な一生」を送らざるを得ない。本人がどんなに優秀であっても、どんなに人間性に優れていても、自分の責任ではないことで「幸せになる」ことが許されないのだ。好きな仕事に就くこともできず、好きな人と結婚することもできない。私はこうしたニッポン社会が抱えるニッポン国民の生命境涯の低さに起因する「不条理」が断じて許せない人間のひとりだ。それ故に、私は今日に至るまで「あいつは変わっている」「あいつは頭がおかしい」と周囲から罵られているわけだが、私はそれを悔いはしない。私が悔いるのは、こうした社会的弱者を上から目線で見下す「心の貧しい人間」に自分が成り下がってしまうことだ。
私の人生観のひとつに「自分は不道徳な振る舞いに走るニッポンで最後の人間でありたい」というのがある。つまりニッポンで最後に「赤信号を渡る人間」「ゴミをポイ捨てする人間」「嫌韓・ヘイトに染まる人間」でありたいということだ。社会に多くの不道徳の輩が存在すればするだけ、より「真面目な人間の存在価値は高まる」という原理を私は知っているからだ。家畜の場合、雌鶏だったら「卵を産むこと」といった具合に存在価値はあらかじめ決まっている。人間は違う。自分の振る舞いによって存在価値を上げもすれば下げもする。だから人間には日頃の振る舞いの正しさが求められるのだ。残念ながら私の家の近所には登校中の小学生集団の目の前で平気な顔で赤信号を横断する「お年寄り」がいる。私はこんな老人には絶対になりたくない。子供たちの「悪しき見本」ではなく「良きお手本」となる老人でありたい。「生き字引・知恵袋」などと胸を張って威張れるレベルではなくても、それなりに真面な老人で。
第三部のテーマは「乙女たちのララバイ」だ。聖斗を巡る澄子、恵美、美音、三人の乙女たちによる「恋の争いの決着」である。結果は見ての通り。
その中で、恵美は私が最も「感情移入」できる女性である。今までも沢山の女性たちを傷つけることで「悲劇を背負った女性」に仕立て上げてきたわけだが、恵美こそがその最右翼に他ならない。それに対し「お金持ちの家に生まれたお嬢様」くらい自分にとって魅力の薄い女性はない。「願兼於業」の法則を知る私はそうした女性が生命力の弱い「生命境涯の低い人間」であることを知っているからだ。大金持ちのお嬢様やルックスを売りにするアイドルの多くが総じて一般庶民を上から目線で見下すタカビーばかりであるのはある意味、当然なのだ。
人生は「ロールプレイングゲーム」である。「美貌のお金持ち」というのは初心者モードで人生ゲームをスタートさせた「生命力の弱い人間」の証なのだ。逆に「貧乏」や「障害持ち」という設定で生まれてくる人は生命力の強い「人生ゲームの上級者」に他ならない。だから貧しい人や障害を持つ人に対しては親切にしなくてはいけないのである。
結婚の条件として私が唯一気に掛けること。それは「お互いの長所を褒め讃え、お互いの欠点を改善することで、お互いが人として成長できる間柄」であることだ。それ以外の条件など断じてありはしない。相手が「美人である」とか「お金持ちである」とか「名門大卒である」とか、そんなことは実にくだらないことだ。そして、そうしたくだらないことで夫婦になる輩が多いから近年は「離婚が多い」のである。
著者しるす
2026年1月1日